「廃墟」について

三好十郎




 敗戦後一年ぐらいたってから書いたもので、この巻の三作品の中では最も古い。
 敗戦の年の八月十五日、天皇の放送があると言うので、――それが大体どんな意味の放送であるかは、すこし前にわかっていたが――家族を疎開させて自分一人で暮していた、ガランとした自宅の座敷のラジオの前に坐った。間もなく放送がはじまった。天皇の言葉はハッキリせず、聞きとれた所も意味が不明瞭であった。ただわかったのは日本が敗れ、降服したという事だけであった。聞いているうちに、自分にも思いがけず、急に泣きだしていた。悲しいと言うような気持では全くない。腹立たしいと言うのでもない。自分がどんな感情のために泣いているのかわからない。もちろん感傷的になっているためでもない。ただむやみに泣けて、しまいに声を出していた。それまでのすべての事が終り、次ぎにどんな事が始まるのか全くわからない。始まるとすれば、何か今までとは縁もゆかりも無い妙な事が始まる。しかしそれがどんな事やら、まるでわからないし、わかりたくもない。……強いて言えば、そういう気がしながら、子供が泣くように泣いていた。
 後々まで、その時自分があんなに泣いた事が、自然と言えば非常に自然なことのような気がしながら、どうも不思議でしかたがなかった。「あれは一体なんだったのだろう? あの中に何が在るのだろう?」とズーッと考え考えつづけて、その後の一年ばかりを過したのである。それは戦争及び敗戦に就いての自己反省と言ったような、意識の表面だけで操作できる思惟ではなく、もっと深い、言葉や概念では掴めないような陰微な瞑想と言ったような種類の追求であった。そしてその結果、一つの作品を書こうと思った。作品の形で、その疑問のようなものを多少は浮びあがらせ、形を採らせることに依って、もしかするといくらかの答えを見出すことが出来るかも知れない。いや、もし見出すことが出来るならば、作品を書く以外の方法ではダメだろうと思った。
 そして書いたのがこの作品である。
 だからこの作品は私という作家が一番正面きって日本の敗戦という事がらに対した作品だと言えるかも知れない。
 答えは見つかったか? ごらんの通り、見つからなかった。廃墟のガラクタが、叩きこわされたままの姿で口をあけ投げ出されているだけにとどまった。私には、そこまでしか突っこんで行けなかった。いや、実は、理智的理論的な追求だけでよければ、問題をもっと前の方へ押進めて展開することは、私にも出来たのだが、私の胸の中に在る一人の作家としての責任と言ったようなものが、私をしてそうさせなかった。そうする事は、何かに対する根本的な不誠実と傲慢さであるような気がした。ばかりでなく、そんな事をすると私自身がひっくり返り、自分が自分に恥じなければならぬような気がした。つまり、私が私に忠実であるためには、私は唯単に言葉の上だけの、又、理論の上だけでの答えを見出すことを自分に許せなかったのである。
 にもかかわらず、この作品を書いている間も、書きあげて読み返しても、たえず私が感じたものは、ここに取り上げた諸人物を通して日本人と言うもの全体が持っている、ほとんど「偉大」と言ってもさしつかえのない、すぐれた本質である。そういう意味では、結局私はこの作品を書く事によって私なりの答えを見出した事になるのかも知れない。又、そういう意味で、これを読んでくれた人の中の多数の人々が言ってくれたように暗い作品であるとは、私自身は思っていない。





底本:「三好十郎の仕事 第三巻」學藝書林
   1968(昭和43)年9月30日第1刷発行
初出:「三好十郎作品集 第四巻」河出書房
   1952(昭和27)年9月
入力:富田倫生
校正:小林繁雄
2009年1月5日作成
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