胎内

三好十郎





暗い。
右手の奥のほうに一ヵ所かすかに明るいところがある。
遠くでかみなりが鳴っている。雨もふっているらしい。それらの音が、ここにこもって、低い反響をおこしている。
…………………
ながいことたってから、かすかに明るいへんの、さらに奥のあたりで人のケハイと足音。それから、にぶいドシンという音がする。その方から、とぎれとぎれの人声。

男の声 うんと!……(イキンでいる)ちきしょう! この……!
女の声 どうするの? え?……どうなさるのよ?
男の声 うん、いや……(ドシンと音)こうして、しまるはずなんだ。ここんとこを、こうすれば……
女の声 だって、しめたりしないでも、いいじゃないの。
男の声 ふん。……この、ワクやなんかが、すこし腐っちまった、ふん。……(またドシンという音)
(声がフッととだえる……間)
男の声 (足音が近づいて、不意に間ぢかなところで)ここだここだ。
女の声 どこよ?……どうすんの、そんな奥の方へ入ってって? (言いながら近づいてくる。その足音)なんにも見えやしないわ。
男の声 あちこち、掘りちらしてあるからなあ、ウッカリすると、まちがえる。
女の声 ちょいとライタアつけてよ。
男の声 火をつけると外から見える。
女の声 かまわないじゃないの見えたって?
男の声 ……いいよ。
女の声 だって、こわいわ。……ぜんたいこれ、なんの穴だろ?
男の声 戦争中、兵隊が掘りやがった――
女の声 兵隊が、どうしてさ? こんな山ん中に、まさか、バクダンなんかおっことすバカはないだろうに――?
男の声 立てこもるつもりだったんだな。本土決戦……ムダなことをしたもんさ。
女の声 くさいわ、なんかしら。(鼻をクンクンいわす)……ジメジメして、――
男の声 ツワモノどもの夢のあとか。
女の声 なまぐさい……ケダモノのくさったみたいな……
男の声 穴熊ぐらい、ここいらにゃいるからね、はいりこんで死んじまって、どっかで腐っているか。
女の声 イヤだあ!
男の声 (女からすがりつかれたらしい)おっとと! それに、どんなやつが入りこんで、なにをしたか……げんに、こうして――
女の声 (男からなにかされたらしく、鼻声で)アラ! バカ!
男の声 ふ! 人間が一番ケダモノくさい。
女の声 だってほんとに。くさいわ――。出ましょう早く。(遠くで雨の音が強くなる)
男の声 うむ……また、ふってきやあがった。
女の声 あんた、前にもここに、はいったことがあるのね? でしょう?
男の声 ……去年、いや、この春だったかな、ブラブラここいらへ来て――
女の声 あの、湯元館のオツヤさんあたりと、いっしょじゃない?
男の声 ヘ!
女の声 女中さんといっても、小麦色のはだをして、ベッピンですもん一種の。こんな山ん中の女中さんにしとくのは惜しいわ。毛がすこしちぢれているとこなんぞも中年向きだな。
男の声 なんのこといってんだ?
女の声 んだからさあ、あれなら悪くないといってんのよ。だもんだから思い出しちゃって……ホラ穴や――
男の声 じょうだんもんだ。
女の声 ホラ穴――だからそうじゃないの――ツワモノどもが夢のあと。
男の声 ヤクのかい、こんな暗いなかで?
女の声 まるで、フフ、一人もんが停電のなかでモチでも焼いてるみたい。
男の声 ふ!
女の声 さ、行きましょうよ。こんなところでグズグズしていると、日暮れまでに、その沢下とかって温泉までつけないわよ。
男の声 なに、あと、たかが一里と半というとこだ。道はよし、二時間もありゃヘッチャラだ。
女の声 でも、こんだけの荷物があるのに、雨よ、あんた。
男の声 だからさ、やむまで――
女の声 とにかく、入口のとこに行きましょうよ。チットは明るいわ。
男の声 あのへんは、てんじょうから水がたれる。
女の声 あんまり暗くて、目がへんになっちまった。ライタア貸して。
男の声 どうすんだい?
女の声 タバコ。
男の声 まあ、いいよ。
女の声 吸いたいの。
男の声 いっとき、がまんしろよ。
女の声 どうしてさ?
男の声 いえさ……
女の声 どうしたの?……どうかしたの、あんた?
男の声 う?……
女の声 この五六日、こんだの旅行に出てからこっち、へんよ。まるで、ふだんのあんたのようじゃないわ。湯元館でも、夜おそくならなきゃ、湯へはいろうとしないし、ほかの客がなんだとか、かんだとか……どうしたのよ、ぜんたい?
男の声 フフ……
女の声 水くさいのねえ。……あんたの商売もチャンとなにしてるんだもの私。たいがい察しはついてる。
男の声 ……商売か。
女の声 だって商売じゃないの。……追っかけてくるの、だれか?
男の声 ……まあ、いいやな。
女の声 小田切さんの方の関係?
男の声 ……知ってるのか?
女の声 ううん、くわしいことは知らないけどさ。小田切さん、つかまったんでしょ? センイ局収賄容疑拡大――新聞にそう書いて小田切さんの名が出てる。――そいで、それから二三日たったら、温泉めぐりに連れてってやろう……いくら私がボンヤリだって――
男の声 ……なあに、俺あ――俺一人のことならタカが知れてるから、てめえの方から出頭してもいいくらいだ。うすみっともねえ、きれえだ俺あ、こんなこと。だけど、こんどは、こいつ、小田切の手足になって動いてやったなあ、おもに俺だなあ、俺がなにすると、ズルズルと芋づる式にケガニンが出る。そんで、まあ、……ま、いわば、義理だ。
女の声 ……いいわよ。
男の声 ……ゆんべ、おそくなってから、十号室に泊まりこんだ二人づれの男と、そいから、六号に前の日から泊ってて、部屋へやの外へちっとも出なかった背広の男なあ。
女の声 ちがう。あんたの気のせいよ、だって、私たちが立つ時だって、二人づれの方は、なんか笑いながら、これからお湯に入るところだったわ。あんなノンキそうに――
男の声 ゆだんをさせるんだ。
女の声 だって、そんなら、一本道だもの、振りかえればチラリとぐらい、姿が見えないはずない。
男の声 商売人だあ、そんなヘマあ、しねえよ。――やっこさんたちのやりくちを、知らねえんだ、君は。
女の声 だって、現にここにこうしていても、なんのこともないんだもの。
男の声 ふ……いやね、林の奥にでもおびきよせといて、黙らしちまうという手もあるがな。いま言った義理で手荒いことはいっさい封じられたようなもんでね。シャクだ、そいつが。
女の声 いいじゃないの、うっちゃっといて。ライタアちょいと……だいじょぶだったら。万が一あんたのいうように、つけて来てるんだったら、私たちがここに入ったのも見てるわけなんだから、同じわけじゃないの。第一、ここは入口のところから見るとカギの手になっているから、ライタアの火ぐらい見えやしないわ。
男の声 ……うむ――(いいながら、ふしょうぶしょうにポケットからライタアを出す気配。やがて、カチッカチッと音がして、二三度火花を出してから、ライタアに火をつける。その光で、はじめて二人の姿と穴の内部がおぼろげに見える。――男※(始め二重括弧、1-2-54)花岡金吾※(終わり二重括弧、1-2-55)は、したておろしの背広にうす色のスプリング・コートにソフト。からだつきこそガッシリした四十男だが、温厚な紳士風。ただ眼つきだけが、見るものの一つ一つにくぎを打ちこむように鋭い。足もとに、ボストン・バッグと、手さげカバン。女※(始め二重括弧、1-2-54)村子※(終わり二重括弧、1-2-55)は、スッキリと伸びたからだに、濃いエンジ色のツー・ピースを着て、肩から革ひもでつるした黒エナメル塗りの革のバッグ。下におろした小型のスーツ・ケースに腰をおろし、ナイロンのストッキングをはいた脚を組んで、バッグから出して口にくわえていたシガレットを、花岡の手もとのライタアの火に持って行く。べにで光るくちびるやつめ。念入りに化粧しているので、ちょっと見には二十四五にしか見えないが、成熟しきった肉感的なからだつきや、こだわりのない動作などから、すでに人生のいろいろの波をくぐって来た三十近い――もしかすると、三十をちょっとぐらい過ぎているかもしれない――ことがわかってくる。……二人とも、それまでの会話の調子から想像されていたものよりもズッと上品で高級な身なりをしている。……ライタアの弱い光で、黒く、しけて、息づまるような穴の内部が見えてくる。山の横腹に掘りかけて、凹字おうじ形が六七分できた頃に打ちすてられたごうの一番奥のところ。土と岩の入れまじった黒い壁と床。デコボコの天井を不安定にささえている二三の支柱が既に折れ腐れて、にじみ出た水が伝わってヌラリと光っている。時々天井から落盤があると見えて、床の二三ヵ所がうず高くなっている。中央へんに小さな水たまり。四隅よすみは暗い。壕は右手のところでカギの手に曲り、それが、ここからは見えない入口に通じているが、入口に近づくにしたがって天井からの漏水と落盤がひどく、壁はぬれそぼち、四壁はくずれ埋もって、やっと人が通れるくらいの丸い穴になっている。……花岡が入口の方向に背を向け、前こごみになって光をさえぎりながらともしたライタアの火で、二人の影が正面の壁から天井にまでユラユラと巨大に伸びて動く。そうしながら、彼は首だけをめぐらして、入口の方向をすかして見ている)
村子 ……(シガレットに火をつけ、長く煙を吐きながら、あたりを見まわす)へえ、こんなところ?……(その煙が白の炎のように天井に昇る。同時に花岡が、ピシッと音をさせてライタアを消す。あたりは再び暗くなる。……長く書いたが、二人の[#「二人の」は底本では「二の」]人間と穴の中が照らし出されたのは、ホンのタバコを吸いつける七八秒のフラッシュに近い間のことである。もっとも今度は村子の持ったシガレットの先の赤い火があるので、まったくの暗黒ではない)
村子 どんなところかと思ったら、ただの横穴を、すこしデカクしただけじゃないの。
花岡 だから……(奥――入口の方へ歩きだしている)ちょっと――(消える)
村子 どうすんの? あんた……(しかし、もう落ちついている。そのまま、タバコを吸う。シガレットの火が大きく赤くなり、その明りで、白く柔かい虫のような指と、一文字に伸びた鼻の線の目立つ横顔が、クッキリと浮かびあがり、火が小さくなると、それが闇の中に消えてゆく。それがユックリと数回くりかえされる。……間。……天井からしたたり落ちる水の音が、かすかにポチョン、ポチョンとしている)
(足音がして花岡が苦笑しながら、もどって来る)
花岡 ……ふ! (村子のわきまで来て、内ポケットから銀のウィスキイの小ビンを出してラッパのみにあおる)
村子 見えやしないでしょう、だあれも?
花岡 うむ。……ふふ!
村子 ずいぶん神経質になってんのねえ、あんたらしくもない。
花岡 おれがつかまると、どんだけ、えらいことになるか知らないから、君あそんなことをいってるんだ。マゴマゴすると大臣級の連中まで、いかれる。
村子 いいじゃないのよ、みんなそんだけの良い目を見たんでしょうから。シシ食ったムクイだもの。
花岡 役人や政党の連中だけなら、まだいいよ、そいでも。取引き仲間にトバッチリをかけると、あとでたたられる。うるせえのは、それさ。(ウィスキイのビンを村子にわたして、シガレット・ケースを出し、シガレットを抜く)
村子 すると、なんなの、いつまでこうしてるの、あたいたち? (じぶんのシガレットの火を男の方へ出す)
花岡 (それを取って吸いつけながら)なに、三十分もしてから出かけりゃ、大丈夫だ。
村子 いえさ、ここにいるぶんには、明日までだって……こんなか、あったかいから、なんだったら今夜一晩ここでとまることにするのも、おもしろいけどさ、私のいうのは、いつまでも、逃げて歩くといったって――
花岡 なあに、一月もたてばホトボリが――そうよ、事が事だから、さめっちまいもしまいが、その時分にゃ、どうせ、事件のカッコウがだいたいハッキリするから、おれだけを追いまわすということもなくなる。
村子 だってあんた、そんな……キリのない話じゃなくって? ヤだなあ。
花岡 いいじゃないか。こんだけ(とボストン・バッグの先でこづいて見せ)したくはして来てる。ここらの温泉で一月や二月、どんなゼイをつくせばって、不自由はさせない。
村子 そりゃ、なんだけどさ……(白いくびを見せて、ウィスキイをのむ)……けど、それならそうと前にいってくれりゃ、そのつもりでなにして来るのに。新橋だって、ホンの三四日のつもりで、うっちゃりっぱなしで出かけて来たんだから。
花岡 あんな君、ケチな店なんぞ、ほっておくさ。なんとかするよ、ヤッコさんたちだけで。木戸とも、これで、サッパリということになって、かえって、いい。
村子 木戸のことなんか問題じゃないのよ。
花岡 そうかねえ?
村子 なにさあ? また?
花岡 なんだ?
村子 ハッキリ別れたってこと、あんた、ようく知ってんじゃない?
花岡 ……まあ、いいやな。
村子 (目を光らせて下から男を見ていたが、やがてフンといって、再びウィスキイをグットあおる)……よかあないわよ。……(不意に気を変えて、ニッコリして)あんたこそ、くんだ。
花岡 おれのは、事実をいってるまでだ。
村子 男らしくもない。なにが事実よ? あたいと木戸が、そいじゃ、その後もなにしてるっていうの、え、あんた? あんだけキッパリなにして話をつけたのに、……だいたい、あんな奴のことを私が今になってまで、忘れないでいると思ってんの? そんなふうに思われちゃ私、いいえ、私、がまんがならない! シト!
花岡 は、は! いいじゃないか、なにも、だからって、べつに、おれがそれを怒ってるわけじゃない。話がさ。
村子 ちがうのよ! あんたから、イヤミをいわれるのを、どうこうというんじゃないのよ、私自身の、この、自尊心の問題。そうじゃなくって、私がもしそうしたいと思えば、あんたがたとえなんといおうと、私は私のしたいようにするのよ。んだから、つまり、三角関係なんかじゃないんだ。
花岡 いいよ、わかってる。
村子 わかってないじゃないか! 私はこれでも……いえ、そりゃゲスな女だけど、古くさい女じゃないのよ。私は私なりに、卒業しててよ。ね! 私は、あんたのオメカケじゃないのよ! あんたが好きになったから……好きになったのよ。木戸となにしている時だって、――今になってみると、どうしてあんな青っ白い男をと自分の気もちがわからないけど、でもその当時は、あれでやっぱり好きになったから、そうなったんだ。同じことよ。だから、いっときますけどね、またこの後、誰かほかの人が好きになりゃ、またその時で、あんたなんかにこだわったりはしない。それでいいんじゃない?
花岡 いいさ。それでいいよ。
村子 だからさ、あんたも、それを承知でこうして私となにしてる。古くさい、不自由な考えなんか、――いいえ。近代思想の、知性のといった、やかましいことじゃないのよ。婦人の自覚だあ……そんな、しちめんどうくさいことは、頭が痛くなる。ノラが人形の家から飛び出したのが、どうしたの? ふん、飛び出して、どこへ行って、どうすんの? パン助でもかせぐか? 問題は、実はそこからじゃなくって?……そんなの、ごめんだ私は。ちかごろ私はそう思うのよ。せっかくこうして生まれて来たんだから、なんでもいいから、おもしろおかしく暮らさないじゃ損だ。そう思うの。そうじゃなくって? 戦争中、木戸が出征してさ、そいで、軍国の妻だなんて、良い気持になって、こいで、挺身隊になって、まっくろになって働いてさ、ヘッ! まるで、そいで、トドのつまりが、軍国主義のドロボウ戦争の手先に使われてたってことになってさ、木戸といったら、ホリョかなんかになってて、しょびたれて戻って来て、泣きっつらかいてるんだもの。ザマあない。あんな目にいたかあないわ、もう。なんでもいいから、一刻でも一日でも、おもしろ、おかしく暮らすこと。リクツは、どうでもいいのよ。世の中には、けっきょく、強いのと弱いのがあるだけで、善い悪いということはないのよ。その時々の時勢次第で、同じことでも善いといわれたり悪いといわれたりするきりで、ホントは強い弱いがあるきりだと思うの。そうじゃなくって?
花岡 ハッハハ、すこし酔ったな君あ。
村子 いいじゃないの。そんで、木戸よりゃ、あんたの方が、まあ強かったわけ。だから――
花岡 しかしなあ、強い者にゃ強い者の味があり、弱い者にゃ弱い者の味がある。木戸を相手にして君が味わった味が、おれのよりゃ弱かったことは弱かったろうが、しかし深かったかも知れん。男と女の仲なんてもなあ、鉄の棒と鉄の棒をかち合わせるのとは、ちがわあ。牛を見ているよりゃ、死にそうになったカマキリのメスオスを見てる方が、場合によってコーフンすることだってあるしなあ。木戸が弱虫であればあるだけさ、ふふ、なんじゃないか、その……
村子 スケベエ! すぐそうだ、あんたは! よくばってんの。
花岡 だからよ――
村子 だって、あんたが、あの人になれやしないじゃないの。花岡金吾は花岡金吾で、木戸秀男は木戸秀男、牛は牛で、カマキリはカマキリよ。牛がカマキリになりたくって、そいでいて同時に牛でもありたいのね。ヤキモチというもんです、それは。
花岡 いやさ、俺のいうのは――
村子 カマキリがそんなにうらやましけりゃ、カマキリにしてやろうか? すると、後であたいが、あんたを食い殺してしまってよ? いいか? こら! (からだを弓のようにそらして、花岡の首に巻きつけた左腕に右手を添えて、しめにかかる)
花岡 苦しいよ――
村子 カマキリだあ! (しめる。しめられながら、花岡は両手をダラリとさせている。これはこの二人の間の習慣的なシバイであるらしい。同時にそれはシバイではない)
花岡 おい、おい……く、く、くるし――(手をバタバタさせる)
村子 やい! (しめる)
花岡 も、も、もう――(不意にシバイをやめる。目を光らせて、耳をすましている)
村子 ……(これも、それに気がついて、しめるのをやめる)どうしたの?
花岡 なんか、声がした。(入口の方をうかがっている)……
村子 ……うそ!
花岡 いや(目は入口の方を鋭くうかがいながら、右手をズボンのしりのポケットにやって、そこに入れてあるものをたしかめてから、歩き出そうとして、まだ持っていた左手の、火のついたシガレットを村子に渡す)ジットしているんだ。(入口の方へスタスタと歩き去る)
村子 (男の去った方を見送って、しばらくジッとしていたが)……ふふ。(花岡から渡されたシガレットを口にくわえて、白くふかしながら、そのへんを見まわしていたが、やがて腕にかけていたコートをバラリと開いて地面にしく。その上に横すわりに坐って、しばらく入口の方向へ耳をすましている。なんの物音もしない。……口にくわえていたシガレットを右手指に取って、その赤い火をジッと見ている。その目が闇のために誇張されて、れたように大きく見える。……やがてわれに返って、ひざのわきのハンド・バッグを開き、なかをかきさがして、なにか小さいものを取り出し、スカートのスソをめくり、深く穿いたストッキングを、スーッとめくりおろす。一瞬、脚がなま白く光り、しかしすぐに闇の中にボケてしまう。……その時、入口の方からドロドロドロ、ドシンとにぶく重い音がしてくる。村子は、ヒョイとそちらを見る。しばらく耳をすましていてから、コロリと、コートの上に横になる。そこへ、また、入口の方からドシン、ドシンと二つばかり重い音と、更にギーイ・ギーイ・ガツン・ガツンという音。そのあとで、土や小岩のくずれるような音がドロドロと壕全体にこもってきこえる。……あと、シーンとなる。横になったままの村子が、シガレットの吸い残りをポイと投げ捨てる。それが、水たまりに落ちたか、ジイと音たてて消える。……そこへ、花岡がもどって来る。というよりも、花岡が手に持った棒型の懐中電燈のコウコウとした丸い光が、近づいて来る)
村子 なんだ、あんた持っていたんじゃないのよ、アカリ! (上半身を起す)
花岡 ……しめちまって来た。
村子 だいじょぶ?
花岡 うまくできてら。
村子 いえさ――
花岡 だいじょうぶだ。カンヌキまで、かって来た。コンクリイでかためた戸だ。ふふ! たとえ、奴らがなにしたところで……(いいながら動かした電燈の光が、村子の坐っているところを照らし出す。そこには地面にしいたコートの上に、ストッキングにシワを作った女が、片手をついてまぶしそうに目をしわめて、横坐りになっている。……丸い光をとめて花岡がそれを見ている。闇の中で舌を出してくちびるをなめる。ながら、片手で新しいシガレットをつまみ出して、くわえ、ライタアで火をつけ、ひと吸いしてから、村子に近づいて行き、ならんでコートの上に腰をかけ、女の胸へ腕をまわす。同時にコートのヒダの中に捨てられた懐中電燈の光がスッと一点に小さくなり、ホタル火のように二寸四方ぐらいの光になる)
村子 あつッ、ツ! あついわよ! (いうなり、男の口からシガレットをつまみ取って、左の方の暗い隅の方へポイと投げる)
花岡 なんとかいってたっけな、おい! (さっきのつづきになっている)
村子 ふふ! なによ?
花岡 木戸って男が――
村子 そらそら! まだ私のいうこと、わかんないのね?
花岡 イテ、テ! 痛え、ちきしょう! 村子、おい! 村子! こら!
村子 こら! (バタッと肉をなぐる音がする)……ひどいから、私のいうこと聞かないと……(鼻声を出す)
花岡 だからさ……チ!
(二人のいうことは、言葉としての意味を失いかけている)
村子 (だしぬけに、さめた声で)あら!
花岡 う?
村子 だあれ?……だれなの? (左の隅の方を鋭くのぞき込む)
花岡 どうしたんだ?……だれもいるはずが――
村子 いるのよ! ほら! (その左の隅の、黒い地面に落ちて、ほとんど消えそうになったシガレットを、ナマ白い指がつかんでいる)
花岡 う! (とイキをのんで、瞬間ジッとその方をうかがっていたが、やにわにコートのシワの中から懐中電燈をとりあげて、光をサッとその方へ向ける)
(その光の輪の中に、最初に見えたのは、シガレットを指につかんだ、よごれしなびた片手。それが隅の壁の下に、きたないリュックサックを枕にして、ボロを投げ出したようにペチャンとあおむけにている男から突き出されていることがわかるまでに、かなり時間がかかる。それほど男のようすは、衰えはて、よごれきって、ちょうど、なにかに弱いけだものが死にかけているように見える。くたびれたセビロにゲートル。からだの下にカーキ色の雨ガイトウをしいている。枕のリュックサックからすこしもたげて二人の方を見ている紙のような顔。まぶしそうに目をパシパシさせる。……間)
花岡 だ、誰だ?
男 ……
花岡 おい!
男 ……
村子 どうしたの? 誰?
男 ……(モズリと身じろぎをする)
花岡 動くな! (尻のポケットから取り出した小型のピストルが右手の中で黒く光る)
男 ……(口の中でなにかいっているが、声に力がなくて、ボヤボヤとつぶやくように聞きとれない)……あの、いや……タバコが……そいで……
花岡 タバコ? タバコが、どうしたと?
男 ……タバコが、吸いたくて、だから……
花岡 ……誰だといってるんだ!
男 ……ぼくは、ただ、二三日前に、ここに……
花岡 え? 二三日前? どこから来たんだ?
男 ……東京……東京から、あの――
村子 どうして、そんで、こんなところにいたのよ? なにをしていたの、こんなとこで? どういうの?
男 …………
花岡 なんだ君あ? なにをしてたんだここで?
男 …………
村子 なによ、あんた? え?
男 ……いえ、ぼくは、べつに――あの、ただの人間……
村子 人間はわかってる。なんだっていってるのよ。なんというの、あんた?
男 佐山……佐山富夫といって……
花岡 佐山、富夫。……(警戒しなければならぬ相手ではないことがわかってきて、ピストルをもとのところにおさめ、男に近づく)……すると、さっきから君あ……つまり、おれたちがここに入ってきた、はなっから君あ、なにか――?
佐山 いや気がつかなかったんです。ねむっていたから……
村子 眠って?……じや、ズッとここにいたの、あんた?
佐山 はあ。……で、ヒョッと声がするので――
花岡 おれたちの、じゃ……なにを、みんな聞いたね?
佐山 ……
村子 見てたんだわ、この人は、さっきから。んまあ! (花岡と顔を見合わせる)
花岡 ……どうしようというんだね、そいで?
佐山 え?……いえ、ジッとしていようと思ったんだけど、タバコが吸いたくなって……。そっちでふかされると、においがして来て、たまらないんです。そいでツイ――
花岡 いやさ、そうじゃないんだ。……(相手が拾いあげた火の消えたシガレットを、顔の前でいじくっているのを見て、ライタアに火をつけ、近づく)
佐山 ……(かみつくようにして、その火でシガレットを吸いつけ、深く吸う)
花岡 ……(そのようすをジット見て)手がバカにふるえるなあ?
佐山 ……(長く煙を吐いて低くうなる)ううう。
花岡 腹がへってるのか、君あ?
佐山 (それには返辞をせず)ああ……ありがとう。
村子 (思わず失笑)ふふ。……(花岡に)ねえ、浮浪者――みたいな――じゃない、この人?
花岡 うむ。
村子 (佐山に)そう? つまりさ――
佐山 まあ、そんなふうな……そうです。
村子 だけど、なによ……そうならそうと早くいってくれるもんよ、あんた!
佐山 ……?
村子 人が悪い。だまあって、あんた、そんな暗がりから、見ているなんて。
佐山 ……いいですよ。(ただ、うつけたようにタバコを吸う)
村子 あんたはいいかも知れないけどさ。(花岡に流し目をくれて、クスクス笑う)
花岡 (その話には、わざと乗らないで)で、どうしようというんだい、君は? こんなとこに、いつまでいるんだね?
佐山 え?……ええ、まあ――
花岡 どっかへ行く途中かね?
佐山 いやあ……べつに――
花岡 いつまで、じゃ、ここに寝てるんだ?
佐山 ……そうですね――
花岡 おい! 君あ、さっき、俺が――この俺という人間が、どんなふうなことをしてる者かってこと、たいがい、聞いたなあ?……(佐山だまっている)……うむ。どうだい、そいで? え? 花岡金吾といってね、こんで、東京じゃ、チットは通った名だ。ふふ、ザマあねえ! 新聞で見ないか、君あ?
佐山 ……新聞は、もう、久しく読まんから――
花岡 そうか。……ま、そいった者だ。こうなれば、そいつを知った君を、このままおっぱなしはできない。わかるね、そいつは? 君にゃ、すこし迷惑だが、こいで、当分は、つきあってもらわなくちゃ。
佐山 いいですよ、……
花岡 いいことあねえ! ヘンなことをすると、それまでだぜ。いいかね?
佐山 ……(相手の脅迫を感じない。なま白い顔の表情をすこしも動かさないで)はあ。
村子 だって、こんなとこで、食べるものも食べないでいつまでもそうしていれば、死んじまってよ?
佐山 はあ……
花岡 佐――佐山といったなあ、君? 佐山君、腹アへったら、なんか食うか? やろうか?
佐山 ……いいです。
村子 (花岡に)あんた、ロウソクが、まだあったわね?
花岡 どうするんだ? そっちのバッグの右っかわに二三本入ってるだろう。
村子 (そのバッグを開けながら)いえ、ちょっと、トイレット。……(ロウソクをかきさがしながら)んだけど、ふ、ふ、弱ったな、どこい行きゃいいんだか、こいだけのところ。
佐山 そりゃ……(左手で入口の方向をさして)そこを曲って二間ばかり行くと、ヘコんだところがあります。
村子 え? そう……ありがたいわ、そりゃ。
花岡 (村子の出した大型のロウソクにライタアから火をともしてやりながら、横目で佐山の顔をギロリと見る)……どうして、しかし、君あ、そんなことを知ってるんだ?
佐山 ……(はじめてニヤリと薄笑いを浮かべる)……いえ、この穴あ、ぼくが掘ったんです……
花岡 え? 君が掘った? この穴をか? ウソを、つけ!
佐山 でも、そうですよ。
花岡 ……へんなことをいうのは、よせよ。こんだけ大きななにを、君みたいな――
佐山 ……ぼく一人じゃ、ないんですけど……
村子 (火のついたロウソクを持って、行きかけた足をとめて佐山を見ていたが)……すると、なんなの、あんた兵隊だったの?
佐山 ……ええ、まあ……
花岡 ……なあんだ、そうか。
村子 だけど、そりゃ戦争中のこってしょう? どうしてあんた、だのに、今ごろやって来て、……どういうの?
佐山 ……やあ、べつに――(薄笑いを浮かべて、ボンヤリ二人を見かえしている)


懐中電燈のかわりに、火のとぼされたロウソクが三本(一本は地面に置かれたウィスキイのビンのセンの上に、一本は中央の水たまりのそばにころがっている坑木のキレハシの上に、一本は正面の壁のデコボコの中に突き出ている岩の先に立ててある)。その三本のロウソクの火にかこまれたあたりだけが、明るい。花岡がコートの上にアグラをかいて、小さいニュームのコップでウィスキイをあおりながら、なにかに突っかかるように、いきおいこんで、しゃべっている。酔っている。……村子は、コートのはじに、スーツ・ケースを枕にして横になっている。……佐山は、リュックのそばに半身を起し、両腕でひざを抱いて、死灰のように坐っている。

花岡 なあ、そうじゃないか! 村のオンゴと畑のイモは、だ、かぶり振り振り子がでける! かぶり振り振りだ! いいかね? そうじゃねえか? そうだよ! だれにしたって、戦争なんてもん、したくってしやあしねえ。そうだろうじゃないか? 死ぬんだぜ、一歩まちがうと。てめえだけが相手を殺して、こんだ、てめえが殺されるのだけはゴメンだって、いくらいったって、そんな問屋はおろさねえ。なあ! 五十と五十の命のやりとりだ。誰がお前、落ちついてよく考えて見りゃ、やりてえという者があるんだい? ね! 人間、みんな、こんで、平和主義だよ、もともと。したくねえとも、戦争なんてもん。そでなくっても、もうコリゴリだ、こないだのヤツで、そうなんだよ、したくねえ! しかしだ、したくねえしたくねえで、すましておけるかね? そいですましておれればだ、いやさ、そいで戦争が起きなきゃ、問題ねえよ。村のオンゴと畑のイモは、だよ、そこが。ね? ふふ! いや、オンゴというのは、知ってるかね? 若い娘のことだ。かぶり振り振り……もちろん横に振るさ。イヤだ。子なんぞ持つなあイヤだ。うまいことだけはしても、その結果の子を生むのは、ごめんだ。ヘ! なあに、人間、たいがいのホントの腹は、それだ。イヤなんだ。だけど、子宮を持ってらあ。畑を持ってらあ。種をきゃ、イモはできるよ自然にね。ヘヘ! いくら、イヤだっちったって、しようねえ! まったく、しようがあるもんかい。いいかね? おれのしゃべっているのはデタラメじゃないよ。哲学だ。そうだとも、俺だってインテリだ。インテリだったことがあるんだ。昔アこれで労働運動だってしたことがある。社会主義がなんだ、共産主義がどうだ、ファッショがこうだ、ぐらいチャンと知ってる。酔ったまぎれのヨタじゃないんだぞ。この、人生社会――つまり世界の哲学だ。よく聞け! こっちがわに、Aという考えかたをしてる人間たちがいる。また、そっちがわにBという考えかたをしている人間たちがいる。両方とも、てめえの方の考えかたが正しいと思ってる。そいで、その二つの考えかたが衝突する。すると必ず、正しいのは自分で悪いのは先方だということになる。こいつは、あたりまえだ。両方ともケンカしたくはなくっても、そこで衝突がはじまる。そんで、衝突は、しまいにケンカになるよ。見ろ、かぶり振り振り子がでけるんだ! 畑を持ってら。子宮を持ってら。ね? どうなるもんか! 世界の平和を確保するために、われわれは更に強固に武装しなければならぬ! そいつを両方でやる。両方で、ケンカをしたくないしたくないといいながら、セッセとケンカの仕度したくをしてるんだ。ヘヘ! こんなコッケイなムジュンがあるかい?……いや、誤解しちゃ困るよ、誤解はしなさんな。そいつを非難してるんじゃない。もちろんめてるんでもないがね、ヘヘヘ。非難も賞讃もしてない。事実さ。あるがままの事実を、あるがままに見るだけだ。わしゃ。それが人間だということをいってるんだ、あるがままの現実に立って見ているだけだ。人間そのもの、人間の存在そのものが、すでにムジュンだもんねえ。そうじゃないか! なんのために人間が生まれて来たのか、それが善いことか悪いことか、そこいらにハッキリした目的や標準がない限りだね。すべてはムジュンするよ! ムジュンしようがどうしようが、あるものはある。なにをしようが、いいさ。つまりだ、なにをしたらよくないか、なにをすればよいかというハッキリしたモノサシがない限り――いやいや、自分のガワだけのモノサシじゃないぜ、相手にも通用する――つまり万人になっとくの行くモノサシだな、そいつがない限り、なにをしたっていいんだ。ないね、そんなモノサシは。ないない! ありっこないよ、ここ当分! そうじゃないか? そいでいて、生きて行くだけは生きて行かなきゃならんじゃないか? あっちの国もこっちの国も、あの人もこの人もだ、なにをしたっていいんだよ。だから。いやいや、テメエじゃ、こうしなきゃならんと思って、大きにモノサシ通りにやっていてもそのモノサシが向うさまにゃ通用しねえモノサシだから、ハタから見りゃ、テメエのエテカッテだ。つまり、なにをしてもいいってことだ。現に、みんなそうしてる。そうしなきゃ、できねえもんなあ。それが世の中の定法だもん。……知ってるよチャーンと、そいつを。人民は知っとるなあ。えらそうなやつが、いくらえらそうなことを並べ立てて見たって、そいつを世界中の人民が、腹のドン底では、けっきょくは、信用しやしないのは、そのせいだ。信用してほしけりゃ、ケンカがしたくないのならしたくないように、ケンカの仕度を一切がっさい、いっぺんに捨ててみろ。どうだい? 相手から踏み殺されるよ。踏み殺されるかもわからねえんだぞ。そら見ろ、そんで、捨てられねえんだ! ね? んだからモトのモクアミなんだ。だから俺あ――
村子 (目をつぶったまま)バカねえ! なにをゴトゴト、オダあげてんのよ、酔っぱらって――
花岡 いいじゃねえか! なあ君、こうして、すまあしてジッとしているこの女の中でだって、こんで、しょっちゅう、卵子が生み出されてるんだ。なんのためだ? 何万匹という精虫の中のたった一匹に出会うためだ。すると、残りの何万何千匹の精虫は、なんのためだ? わかるもんか。わかっているのは、競争に勝つ奴と負ける奴とがあるというだけだ。負けたくなけりゃ、戦うだけさ。イクサがあるっきりだ。そうだろう? 神さまがないとなりゃ、イクサがあるっきりだよ。人間がそんなふうにできているんだもの、はあ! ヘッヘヘ、だから俺あ、人を踏み殺して歩くよ、ああ。ジャマになる奴あ踏み殺して行くんだ。どうだ、えらそうに――高慢な顔しやがって――え? なんとかいえよ!
佐山 ……(弱々しく笑う)
花岡 (ほとんど狂暴に)踏み殺すぞキサマ! おい、木戸! やい!
村子 (ユックリと起きなおって)これは佐山さんという人じゃないの。バカねえ!
佐山 ……すみませんが、タバコをもう一本もらいたいんですけどねえ……
花岡 タバ――? (ビックリして、相手を見る)
村子 ……(シガレット・ケースからタバコを一本ぬきとって、膝あるきでコートの端まで行き、半身をのりだして佐山に渡しながら)はい。この人は、ヤキモチで目がくらんでしまってるのよ。
佐山 やあ……(渡されたタバコを、ほとんど無意識に受けとりながら、うつろな目で村子のからだをマジマジと見ている)……あのう、花――?
村子 (コートの上にころがっているライタアを取って、佐山のシガレットに火をつけてやりながら)花岡。
佐山 (シガレットを長く吸いこんでから)むう。……あなたは――?
村子 あたし? あたしは、村子。ふふ。
佐山 村――
花岡 ここにゃ、なんか、良くないガスでも詰まっているんじゃないか――(頭を横に振る。フッとその視線が村子と佐山にとまる。コートのはじに、スカートのスソをみだしてグナリと立膝をした村子と、その村子を虚脱したような目でながめている佐山とが相対している姿がある。そこには、ある種の映画のひとコマのようなところがある。……ギクリと花岡腰をおこす。目が光っている)そーそ、なにか……どうしたんだ? おい! 村子!……(立って行き)どうしたんだ? 知ってたのか、お前たちあ? え?
村子 (花岡を仰いで、だるそうな声で)なにさあ?……
花岡 この男を知ってるんか?
村子 だから、佐山って――
花岡 前に東京でったことが――
村子 なによ、あんたいってんのさ。
花岡 (佐山に目をうつして)知ってんだろ、この女を? おい!
佐山 ……(シガレットをくわえたまま、ポカンと花岡を見上げる)
花岡 もとダンサアをしていた女だ。今じゃ新橋に洋裁の店を出さしているが、こんで、木戸――いや、これまで何人も男があった。今だって、カゲじゃどんなことをしているか、こいつの淫乱いんらんと来たら――
(フラリとからだを動かす。同時に天井のあたりで、腐った支柱がベリッと音を立てる)
村子 あら! (ギクッとして立ちあがる)地震だ。……(天井や、あたりを見まわす。バシャンとどこかで落盤の音)だいじょぶかしら?
花岡 なにい? シラをきるのか?
村子 いえさ、ほら、まだ、ゆれて――
花岡 (カッとして佐山に)シラをきると承知しねえぞ、きさま――
佐山 ……(これも天井の方を見ていたのが、花岡に目を移す)
花岡 いったらどうだ、なんとか! おい! (佐山のくちびるからシガレットをたたきおとす)
佐山 知らんですよ、ぼくは……(口の中でボヤボヤといいながら、おとされて、二三歩わきに飛んだシガレットを、身をのり出して拾う)
花岡 ウソをつけ! (のばした佐山の右手首のところをガリッとクツで踏んで)知ってるんだ、きさまあ!
村子 (立って花岡をとめる)なにをいうの、あんた! ムチャをいうのもホドがあるわよ!
花岡 にぇゃに、ちきしょう! (村子からとめられて、かえってイキリたって、いきなり両手で佐山の首を攻めにかかる)しらっぱくれたって――
佐山 グッ! (すこしばかり手をバタバタさせて相手をふせごうとするが、ひとたまりもなくしめあげられ、顔が土気色になって来る)
村子 なにょ、すんのよ? あんたッ! 離して! 死んじまうわよ! いうから、ホントのこというから、とにかく離してよッ!
佐山 ……(必死になってとめる村子のために力のチョットゆるんだ花岡の両手の下で、地めんにペチャンコにおさえつけられたまま、低い切れ切れの言葉で)もっと、あの――(あとは口をモガモガさせている)
花岡 なんだと?
佐山 ……もっと、しめて見て、下さい……(なんの表情もない調子)
村子 え?……(ギクンとして、佐山をのぞきこむ。びっくりして、花岡を見る)
花岡 なんだと?……(いいながら、ナメクジでも踏んづけたような顔をして村子を見かえす。両手はいつのまにか佐山の首から離している)
佐山 ……ふう。(たおれたまま、しめられていた首の痛みに片手をやってなでている)
花岡 ぜんたい、おめえは、なんだ?……(言って佐山のようすを見ているうちに再びカッとして、クツの足で佐山の肩をける)け! キチガイめ! (更に腰のへんを三つ四つとけりつけ、つづいて首のところを、踏みにじる)やい、立って、かかって来て見ろ!
佐山 ……そうなんだ。やっぱし、ここで、やられた。ウッ! (これは首を踏まれて、思わず出た声)……ここだった。
花岡 だから、なんだってんだ? おかしなことをいやあがって――(相手がすこしも抵抗しようとしないので気が抜け、ベッとツバを吐いて、コートの方へ行く)チェッ!
村子 (こわごわ佐山をのぞきこんでいる)……どうしたの、あんた?
佐山 ……(そのまま青い頬を地めんにおしつけて、うつろな目で前の方を見たまま、起きようとしない)
(間……花岡と村子が、その佐山の姿を見ている。……そうしているうちに、また地震)
花岡 (こんどは、これも気づいて)うん? (村子を見、それから周囲を見まわす)
村子 ……(不安そうに天井を見た目を花岡に移す)ゆりかえしだわ。
花岡 え? なんだ?
村子 いえさ、さっきの――(言っているうちに地震はおさまったようだし、その時、佐山がムックリ起きあがったので、それに気をとられて、言葉は尻切しりきれになる)
(佐山はユックリ起きあがって、坐ってなにか考えている。首をしめられた時に流れ出したハナシルを手のひらでふく。それから落ちているシガレットを拾いとる。が、吸おうとはしないで、指にはさんだまま、その手の別の指でヒタイをかく。……かいている間に、この男のそれまでの寝ぼけたようなところが、すこしずつはがれて行く。……花岡と村子は、相手がなにか異様なことでもはじめそうに予期して、それに対して身がまえしていたのが、佐山のようすがあたりまえ過ぎるので、ホッとして身がまえを捨てるが、同時に、今度は逆に、そのあたりまえ過ぎる佐山にビックリしている……)
佐山 ……(二人の方を見て、弱々しく微笑して、かすれた声で)こう見えても徐州一番乗りの本職だぞ。ホントからいやあ、今ごろ、こんな内地の山ん中で、穴っぽりなんぞしてる俺じゃないんだ。てめえら、ナメやがると承知しねえ。……口ぐせでね。わめきながら、シャベルでなぐりつけるんですよ。古い兵長で、三度目の召集だって……なぐりはじめると、シャベルの柄が折れるまでやるんです。りたおされて踏んづけられて……すると、口からも鼻からも血が出るんです。二日に一度ずつぐらい、やられた。……(いいながら、シガレットを握ってない左の手のひらで、口と鼻を横なでにこすって、その鼻しるとヨダレのついた手を見る。血ではないので、ビックリして考えている。……まだ時々夢を見ているような気もちになるらしい。……頭をブルンと振る)……いや、今の、この……いや、もっと、この……軍靴グンカですからねえ、クギがついているから、ここんとこなんぞ――(いいながら、首すじの横をなでる)すりむけて、痛いや。……(なんの感情も抑揚もなく、まるで他人のことを語るように、なげやりにヌラリクラリと話す。話の脈絡やテニヲハなども、どうでもいいらしい)毎日、今日は死ぬだろう、今日は死ぬだろうと思って――死にたかったなあ――首をくくって、ぶらさがってもいいんだ。三四人、戦友に、ぶらさがった奴がいるんですよ。朝起きてみると、いなくなってる。そのうちに、山ん中のどっかで、ハナたらして、腐りかけている。良い気持だったな。ザマミロ。……ザマミロ。かんたんだ。ブランコだけは、いつなんどきだって、自由にやれるんだ。……どんなふうにだってイジメて見ろ、なぐって見ろ。食いものを食わさないで見ろ。徐州が来たって中隊長が来たって、大将が来たって――ふ! ブランとぶらさがりゃ、もう手は出せないんだ。首をくくるのが、いつでも自分の好き自由にやれるということが、どんなにすばらしいことか、知っていますか? 自分のイノチは自分の手の中にあるんだ。だから世界ぜんたいを手の中に持ってるんだ、つまり。ザマアみろ! つまり、だから僕あ、そんなことしないだって、血を吐くか、なぐられてる間に息が絶えるかで、すぐにも、ナニするだろう……同じことじゃないか……どっちせ、死ぬにしても、……自分のイノチを自分の手のひらにつかんでる……そいで、まあ……とにかく、死んだ方がいいですよ。……(ニヤリとして)……やっぱり、その方がよかった。
村子 な、なんの話、それ?
佐山 ……え?
花岡 すると、なんだ、お前、いつごろ召集されたんだ? こいで、なんじゃないかね、もう四十――とにかく四十近いだろ?
佐山 三十三です。……終戦の年の冬です、引っぱり出されたのは。肺が悪いんで、マサカと思っていたら、取られちゃったんだなあ……。そんで、まあ、戦争のことなんか、なにがなんだかわからなかったんですけどね、どうせツトメていたって、あと二三年で、からだあまいっちまうだろうし――医者がそういったんだそうです、家内に……ふ! んで、まあ、同じことなら、とにかく、国がこんだけのいくさしているんだ、戦争に出て――すると、遺族扶助料だってもらえるから……とても、この悲壮な気になって――会社の友だちやなんかに送られて出かけたんですがね――したら、いきなり、こんな山ん中の豚小屋みたいな仮兵舎にたたきこまれて、穴掘りです。銃も――剣だってくれやしない。ないんだそうですね。シャベルを――こわれかかったシャベルを一本くれて、……おどろいちゃった。
花岡 ふ、ふ――(ゲラゲラ笑いだしている)そうか、ヒヒ! それは、おどろいたろう。ヘヘ!
佐山 ホントですよ。その徐州兵長――高田という人でしたけど、徐州一番乗りばっかりいうもんで、みんなそういっていました――殺してやろうと思ったことがあります。僕ら召集兵を死ぬほどなぐりつけておいて、あとでオイオイ泣くんですよ。……おれは、ホントは、おめえ、百姓だ。百姓がしてえんだ、こんちくしょう! おのしらを、いくら、なぐったって、なんのタシマエになるもんだあ。……泣くんですよ、酒に酔ったりすると。……そいつを、ぼくら、不動の姿勢で見ているんです。いつでも殺せると思ってね。ただイノチをあずけておくんだ。ドン百姓! そうなんですよ。僕あ肺病で、今まで労働なんかしたこたあないんだ。――それがイキナリこの――このヘン、土のように見えても、おおかた、石や岩ですからね。シャベルぐらいで、いくらこづいて見たって、十四五人で日暮れまで、背骨の折れるほどやったって、こいで五寸も進みやしないんです。そんで課程がすまないというんで将校にしぼられるんです。徐州兵長が。すると、徐州さんが鬼のようにカッカとなって、ヘロヘロに、今にぶったおれそうになって掘っている俺たちのうしろから、いきなり飛びかかって、なぐる、ける……ヘヘ! それに、戦友どうしの愛なんて、ありゃウソですよ。あんまりひどい目に逢っていると、おたがいにケイベツし合って、憎み合うようになりますよ。人がひどい目にあうと舌あ出してよろこんでるし、ユダンをしていると、食うものまで盗む。……僕は、からだが弱いもんだから、みんなからナブられて、いじめぬかれました。……ふ! ノラ犬の集まっている中に、病気の犬が一匹まぎれこんで来た。足をくわえて、ひきずりたおして、ふんづけて、キャンキャンいわすのが、おもしろいんですよ。……半年たったら、まるでガイコツのようになったんです。……しかし、もうそうなると、フヌケのようになってしまって、自分から死のうとする気もなくなりますよ。ヘンなもんです。……すると、妙ですねえ、そうなってしまったら、ムクむんですかねえ、青ぶくれにふとりはじめるんです。その時分にはもう、手に入りさえすれば、ドロのままの生イモだって食うし、豚です――よごれて、青くふくれて、そいつがフンドシひとつのスッパダカで、血を吐きながら、ここを掘るんです。……そうだ、ここんとこに、大きな岩の頭が出ていて……(壁の一ヵ所を見ている)……八月十五日の朝も……(頭がいっぱいになって、言葉がとぎれてしまっている)……
花岡 だけど、あれからもう二年もたってしまっているんだぜ。君あ、なにをしていたんだ、その間?……幽霊にでもとっつかれているんじゃないか?
佐山 ……(遠い目つきで花岡を見る)……忘れていたんですよ。……(フッと薄笑を浮かべる)ケットに包んだ米やカンヅメ、そいからクツなぞ、松本の駅でぬすまれちゃって――ボンヤリしてたんですねえ。みんなとられちゃった。いや、帰される時の、オミヤゲの荷物……弱りきっていたんですねえ。たしかに、幽霊みたいになっていたんだ。だから、東京に帰っても――ヘヘヘ。(おかしそうに一人で笑う)
村子 ……東京には、ウチがあるの、あんた? 奥さんは?
佐山 ……子供が一人、います。ウチは丸焼けになって、家内のしんせきのうちの裏の――浅草ですがね――ほったて小屋にすんでて――
花岡 そいで、なにをしているんだい?
佐山 う?……やあ、いろんなことをしたんですよ。カツギ屋……客引き……タバコ売り……上野にもいたけど……そいから、あちこちウロウロして……ダメですね。ヘヘ。
花岡 ウチの方は、じゃ、どうして――?
佐山 やあ……つい、いられなくなって――
村子 だって、おかみさんや子供まであるというんだから――(なにか、自分自身のことが頭に浮かんで来ているために、この場合、不必要なくらいに熱心になり、相手の身の上に立ち入り過ぎていることに気がつかない)
佐山 おいだされたんですよ。
村子 追いだされた? 誰に? その、おかみ――奥さんに?
佐山 いや……この、とにかくいづらいもんだから。
村子 いづらいったって、あんた、だって――
佐山 せんのツトメ先はなくなってるし、なんか、かんか、やってみても、からだが弱くって――とにかく、みんなを食わして行けないんで――ここで穴っ掘りをしているうちに、からだがスッカリまいっちまってましてねえ。フラフラになって帰ってったもんだから。一日働けば二日寝てなきゃならないという――
村子 だけど、子供があるといったでしょう? あんたのホントの子じゃないの?
佐山 いやあ、ホントの子ですよ、久太郎。フフ、久太郎といってね。八ツになっていて、いろんなことが、もう、わかるもんだから、僕をケイベツしましてね。おめえみたいな大メシクライは、出ていけ! ヘヘ。チヅが、いつもいうもんだから、おぼえちまって――
村子 へえ!……よくまあ、しかし――でも、子供まである、とにかく、すると、かなり永い間の奥さんでしょう?
佐山 そりゃそうですけど……あいつにしても無理はないんですよ。僕みたいな、こんな――とにかく、ジャマですからねえ。僕あ、らんのですよ。無理あないんで、……小松原といっしょの方が、チヅは幸福ですから――
村子 ――というと?
佐山 いや、その――
花岡 よくあるヤツだ。君が召集されている間に、その小松――その男ができちゃった。
佐山 いや、僕が戻ってからです。(アッサリして、なんの感情もこもらぬ)
花岡 どっちにせよ、けしからんじゃないか。そいで君あ、だまって引っこんでるのかい?
佐山 僕あ、要らんですからねえ。
村子 要らんといったって、とにかく――
佐山 いや、僕がですよ。チヅにしたって、かわいそうなんですから。
花岡 なあにをいってるんだか、サッパリわからんじゃないか。君が、いくら働きがないからって、かりにもだ――
佐山 そうじゃないんですよ。この――戦争中、ここでなにしている間に、からだが、もう、しんからまいっちまったんですねえ。残りカスみたいになっちまって――ヘヘ。
花岡 だからさ、なおのことその細君としてみれば、この――ああ、なにか、すると、君あ……そうかねえ。インポテント――?
佐山 そうですねえ、まあ。……(淡々としていう)
村子 え? なに――?……(その意味をやっとつかんで、さすがにすこし赤くなる)まあ!
花岡 ヘヘヘ! そうかね! そいつは――そうかあ。……だけど、子供があるというんだから――?
佐山 精も根も、ここで掘らされてる間に、使い果たしてしまったんですねえ。……しかたがないんですよ。
花岡 しかしそりゃ、一時的な――なんだろう?
佐山 そう思っていたんですけどね、僕も。ダメですね、もう。
村子 そいで家を出て、ここへ来たの?
佐山 いやあ――家を出たのは半年前です。あちこちウロウロして――急にここに来たくなったもんですから。
村子 すると、しかし、こんなところで、食べるものも食べないで、いつまでも寝ていれば、死ぬほかにないんじゃない?
佐山 そうですねえ……
花岡 ヘ! (さきほどから、あおりつづけていたウィスキイの酔いが出て来るのと同時に、急に佐山の話が、がまんできなくなり、ほとんど憎悪ぞうおに近い嫌悪けんおで)死ぬんだなあ、そんな奴は! サッサと死んじまったほうがいいよ。問題ないじゃないか。肺病やみでインポテの、食ってけないとなれば、いうことはないじゃないか。シンコクづらをするのは、よせ!
佐山 ……べつに、シンコクのなんのって、――ただ、ここに来たら、どういうんだか、いくらでも眠れるんですよ。
花岡 ニヒリズムとかいうんだろう、ちかごろ、はやりの?
佐山 さあ、僕には、よくわかりませんねえ。
花岡 だってそうじゃないか! そうやって、この世の苦しみは、みんな一人で背負しょっていますって、ツラあして、キザったらお前――
佐山 やあ、苦しかあ、べつに、ないんですよ。苦しいんだったら、まだこれで、シンコクだとかニヒリズムだとか、まだこの、あるかもしれんけど――ダメですねえ。ニヒリズムにだって僕なぞ、なれんのですよ。……そんな、シンコクになるネウチがあるんですかねえ、この世に?……イヤだなあ人間なんて。フフ、ひっついたり離れたり、だましたりだまされたり、お説教をしたりワイロを取ったり、ひっくりかえったり、またもう一度ひっくりかえって見たり、ヘヘ、それがみんな一人のこらず、しまいにゃ、死んじまうんだからな。……どうでもいいよ。いいじゃないか、どうでも。シッチャ、イネエヨ。ヘ、ヒヒ!
花岡 軽蔑けいべつしてるんだな、人間なんて――? そうだろう?
佐山 そうだなあ――といわれりゃ、そうですねえ、日本人――フン――一人のこらず、生きてる価値はないですねえ。軽蔑ですか?……そう、ゴミだ、みんな。
花岡 じゃ、俺も軽蔑しているのかね?
佐山 ……(ニヤリとして相手を見る)
花岡 ようし、じゃ、お前自身は、どうだ? いやさ、そのお前自身は、どうなんだよ?
佐山 自分ですか? なっちゃいないですねえ。一番軽蔑してるでしょうね。だから、人のことも自分のことも、しょうねえんだ。処置ねえですよ。
花岡 すると、ぜんたい、お前はなんだてえんだ? え、おい!
佐山 なにって、べつに――ヘヘ。(意味なく笑う)
花岡 踏み殺してやるぞ、ホントに! (のんでしまったウィスキイのビンを壁の方に叩きつける。バリンと破れて飛びちるビン。佐山がビクンとして、花岡を見る。ビンが壁にあたったショックのためか、天井のどこかから小さい落盤がバタリ、チャプンと落ちる音)
村子 あら! なあに? (暗い方を見る。花岡も佐山もそちらへチョット目をやる)
花岡 なんだ?
村子 いえさ――さっきの、地震でさ――どっか、くずれてるんじゃないかしら?
花岡 なあに。
村子 ……とにかく、もう外へ出て、行きましょうよ。こんなところでグズグズしてんの、意味ない。
花岡 いいよ、まあ。ウィスキイ、もう一つ出してくれ。
村子 こんなところで、そんな飲んじまったって――
花岡 いいんだったら。まだ三本ある。(佐山に)生きて行こうとして、いろいろやってる人間だけが、生きて行きゃいいんだ。イノチを張って、火のようになって、こうしてお前――
村子 (カバンからウィスキイのビンを取りだしながら)いいじゃないの。行きずりの、なんでもない人じゃないの。ソッとして、したいようにさせときゃ、いいじゃないのよ。私たちがグズグズいうことないわ。
花岡 そりゃそうだ。……こいでなあ、妙なことを君に聞かれてしまったがな、こいで、また世間に戻って行けば、普通の人間だからね。今じゃこれが普通だ。(村子がカバンから出したビンを渡す。そのコップになったアルミのセンをねじ取り、コルクを歯でくわえてポンと開ける)……こうして、生きて行きたきゃ、大なり小なり、俺と似たようなことをしなきゃならん。うむ、そうだとも。そうじゃねえか、俺が昔、転向したんだっても――フ、フ、以前はこいでも紡績工場に働いていて、労働運動の、組合のと、カブレちゃってなあ、つまりアカだ当時の――だったことがあるんだ。一二度つかまって、転向した。そのことにしてもだ、そいから、今、こうしてブロオカアしてるんだって、こいで、つまりが、てめえが大事だからだ。(アルミのコップにウィスキイをついで、カプッと飲みほす)……たった一つしきゃない。たった一回こっきりだ。もう一度くりかえして見たくたって、ダメだ。風だねまず。サーッと吹いて来て、吹きすぎて行くんだ。アッといえば、おしまいだ。フフフ、(自分の比喩ひゆで良い気持に笑う)すなわちだな、なにが大事だといって、てめえのイノチほど大事なもなあないじゃないか。生きつづけて行くためなら、人間、どんなことをしてもいいんだ。また、どんなことでもできるわけだ。アッハハ、どうだい一杯! (コップを佐山の方へ持っていく)
佐山 やあ、僕は――
花岡 (コップを佐山の手に持たせて)いいじゃないか、飲めよ。フフ、気取るなよ。(ビンからコップにつぐ)一杯のんでから死ぬさ。そいでも、いいじゃないか。私あ、とめんよ! ご自由におやんなさい。だから、とにかく一杯だけ飲めよ、グーッと!
佐山 (しかたなく飲む)うッ! クシッ! (むせる)
花岡 ハハハ、どうだい? ヘヘ、どうだい、もう一杯やろうか?
佐山 うう! (目を白黒させてあえぎながら)もう、もうたくさんです。
花岡 ヒヒヒ! さあ拝見しようか、やってくれたまい。そのへんの壁に頭を叩きつけるなりなんなり、やってみてくれ。ヘヘ!
村子 よしなさいよ、もう。あんた酔っぱらっちゃったのよ。
花岡 なあによ! どうだい君、佐山といったね? どうだい、え? 君あ、ゼニはほしくないのか? 金さ? え? 金がありゃ、生きて行けるぜ? よ? うまいものでも、女でもけっきょく君のその細君だって君にゼニがないから、君を追い出したんだぜ。からだのことなんぞ、大したなんじゃないさ。うまいもの食ってラクをしてりゃ、治る。よしんば治らなくたって、それならそれで、楽しみはいくらでもある。あきらめるなあ、気が早すぎらあ。金だよ要するに。どうだい? そうだ、この、村子――この女だって、こいで結局は、俺にゼニがあるから、こんなところまでついて来てるんだ。
村子 なにをいってんのよ、シトをバカにして! そんな!
花岡 アッハハハ、なあに、タトエがさ。フフ、話をしてるんだ。そうだよそうだよ、わかってる。ゼニでは、すべてのものは買えんよ。愛だとかね、神さまだとか、そいったもんだ。買えん買えん、わかってるよ、そいつは。しかし、こんでまた、世の中のたいがいのものはゼニで買える。こいつも真理だ。だろう? その買えるものを一杯積み上げて見ろ。そいつが神さまになったり愛になったりするよ。量的変化が質的変化をひきおこす。え? なんだっけこいつは? まあ、いいや、なんでも。だからさ、いいじゃないか、わかってるよ。どうだい、ゼニをやろうか? おい! ほしくないのか?
佐山 ……ほしくないことはないんですけど――でも――
花岡 よし来た――取っときな、じゃ! (ボストン・バッグを引きよせてサッと開き、その中にハダカで詰めこんである一万円のサツタバを三つばかりつかみ出して、水たまりのそばの地めんにほうり出す)ほらよ!
村子 なにをすんのよ、あんた!
花岡 いいじゃねえか! (佐山に)なあおい、それやるよ。とっとけ。……お前はおれたちが誰だってことを、すこしばかり知っちまった。俺たちがここを出ていったら、どうだお前、すぐに土地のケイサツにでもつっ走って行って、いいつけるか? ヘヘ、そうしたきゃ、そうして見るか? どうだい? なあに、金あ取っておけ。それでもって、お前の口を買収しようなんて、そんなケチッくせえ量見は持たねえ。遠慮なく取っとくさ。あと、俺のことを指さそうと指さすまいと、ヘヘ、自由にやんな。ただ、そうすれば、あとでどんな目に逢うか、覚悟だけはしといた方がいいかな。俺がくらいこんだって、あとに、命のいらない若いもんの五人や十人はいるからねえ。ハハ。……そんなことよりも、どうだ、俺の仕事をチット手つだわないか? 悪いようにゃしないよ。どうせ、お前は、死ぬか……いずれ、そういったつもりだったんだろ? どうせ人間、だまっていても死ぬ時が来りゃ死ぬ。急いでみたって同じこった。それよりも、生きて好きなことの一つや二つやってみたらどうだ? え? 俺といっしょに行かないかね? どうだよ?
佐山 ……(ボンヤリ、サツタバの方を見ている)
花岡 二千や三千のことで、強盗や人殺しをしている人間だって、ある。みんな生きて行きたいからだよ。しかしバカさね、そんな奴は。そんなバカな、手荒いことをして、てめえで、てめえの首をしめるんだ。もうすこし要領よくだな――(額をたたいて)つまり、これだ。こいつを働かして要領よくやれば、いくらでもおもしろいことはころがってる。そういう時代だ。……ひどく複雑なようにも見えるが、ひどくカンタンなのも世の中だ。どうだ、そうしないか?
佐山 ……はあ……でも……(まだサツの方を見ている)
花岡 よし、きまった、ハハ。(村子に)じゃ、そろそろ行くか。もうたいがい、いいだろう。
村子 そう? そいじゃ……(コートの上にちらかっているものをボストン・バッグやハンド・バッグの中に、急いで、さらいこみながら)まだ降っているかしら? いやだなあ、雨ん中、またこんなのぶらさげて歩くの。
花岡 (わきに立っている火のともったロウソクを取り上げて、入口の方向へ歩いて行きながら)一つ二つ、この大将に持ってもらうさ。
村子 待ってよ。そんな急いだって――
花岡 いや、チヨット、表のようすを見て来る。……(右奥へ消える。ロウソクの光だけが、そのへんの壁をチラチラ照らし出している)
村子 ……(急いでストッキングを引っぱりあげながら、まだボンヤリしている佐山を横目で見て)あんたも、仕度をしたらどう?……沢下ってとこまで、まだ相当にありそうよ。
佐山 僕あ、この……(モソモソと立ちあがる)
村子 ……? 行くんだったら、行きなさいよ。あんまりすすめもできないけど――でも、こんなところにいつまでもいても、しかたがないんじゃない?……花岡というのは、悪党だけど、それほど話のわからない人じゃないわ。
佐山 はあ……(そのへんを見まわしている。奥でドシン、ドシンと音)
村子 ……(その方をチョット振り返ってみてから、歩いて来て、サツタバを拾いあげ、バタバタと泥をはたき落して、佐山の方に寄って、それを相手の手に持たせる)取っときなさいよ。
佐山 ……(そのサツは見ないで、近よせらた村子の、ヌメリと白い肌にギョッとして、顔中をしわくちゃにし、白い歯を見せて、低くヒイというような声を出す)
村子 なにさ?
佐山 ウッ!
村子 どうしたの?
佐山 いや、匂いが、その……
村子 匂う? あたし?……(相手のようすを見ているうちに、ニタッとして)……どうなすって?
佐山 ……(うつけたように村子の顔を見ている。奥でまたドシン、ガリッという音)
村子 その、あんた、奥さんのことでも思い出したんじゃない?
佐山 ……(ノドにゲプッと音をさせる。ドス黒く見えるアブクが唇の隅から、すこしたれてくる)
村子 あら、どうしたの?
佐山 いや……(手のひらで、そのアブクを横にふいて)あのう……温泉に行くんですね?
村子 あんた、なんにも食べてないんじゃないの?……ええ。だからさ……(佐山が、モソリとクビスを返して、自分がもと寝ていた片隅へ行く)……食べるものあげましょうか? あるわよ。
佐山 いや……(リュックをまとめにかかって、手の中のサツタバに気づき、右手ではリュックのひもを持ちあげたまま、その左手のサツを見ている。花岡のロウソクの光が、奥から近づく)
村子 (コートの方へもどって、しのこしてある仕度を手早くしながら)早くしてね。
(そこへ、花岡がスタスタもどって来る)
村子 雨、まだふってる?
花岡 ……(立ちどまって妙な顔をしている)
村子 やっぱり、だあれもいやあしなかったでしょう?
花岡 いや――
村子 気のせいよ、あんたの。
花岡 開かないんだよ。
村子 え? なによ?
花岡 戸が開かない。どうも、この――
村子 戸? 入口の? だって、さっきしめたんでしょ?
花岡 うむ。……(妙な顔をして、泥だらけの手をチラリと見せる)俺だけじゃ、開かない。地震があったな、さっき。あれで、すこし、きつくなっちまった。
村子 そうかしら? だって、そんな――(まじめには取っていない)どれどれ……(自分も手伝う気で行きかけるが、そのままここを出て行くつもりで、スーツ・ケースの方を片手にさげ、コートを取り上げ、泥を払ってひじにかける)
花岡 ……(これもボストン・バッグを取り上げて、佐山に)君、このカバン持って来てくれ。(スタスタと入口の方へ消える。村子もいっしょに。……佐山がモソモソとリュックの紐をしめている。……奥でドシンと音がする)
花岡の声 ……そっちを、お前――(ギリッ、ギッ、ドシンと音。力を入れて、いきんでいる声)うッ!
村子の声 こ、この! (これも力を入れてなにかを引いている)うんと! フ、フ、ホホ! (吹き出す)
花岡の声 もっと、そっちだ? うッ! (ドシンと音。その音で、どこかで落盤)
村子の声 へんだわ!
花岡の声 (これも吹き出して)ヘヘヘ! 笑うなよ!
村子の声 だってさ、これ――じょうだんじゃないわ! フ!
花岡の声 フフ、フフ! この、こんちきしょうめ! (こちらに向かって)おい! おい君も――佐山! 佐山君! 君も加勢に来てくれ!
佐山 ……(さきほどから、火のともった二本のロウソクをどうしようかとチョット迷っていたが、壁の上の一本を手に取り、水たまりのわきのはそのままにして、入口からの花岡の声に顔をそっちに向けるが、返辞はせず、リュックの帯の片方を腕にかけて、ノソリと入口の方へ歩み出している。その方からは、ドシン、ドシンという音にまじって花岡と村子の短かい笑い声がして来る)


意外なことに前景のはじめにおけるのと同じありさまで、三人が坐っている。
ただロウソクの立っている場所が変ったために、全体を照らし出している光線のかげんがちがっているだけ。しかし、なにかが、まったく変ってしまっている。
三人とも疲れきって、ボンヤリ、動かない。……どこかで水のたれる音。……長い間。

村子 ……(ボソッと)くたびれちゃった。
花岡 うん。……(身じろぎをする。背広をぬいで、シャツのそでをまくりあげた姿)
村子 タバコ、一本、ちょうだい。
花岡 君のは?
村子 ないの、とっくに。
花岡 ……(シガレット・ケースを出してやる。その手がドロドロによごれ、シャツにもあちこち泥がついている)
村子 ……(ケースを受け取って、開いて一本抜きとりながら)あと四本。
花岡 手さげの中に、もう一箱入っていたはずだ。……(ライタアをこすってやるが、火花が飛ぶだけで火はつかない)……ガソリンが切れた。
村子 しょうがないわね……(わきの地めんに立っているロウソクに、右手と、くわえたタバコを近づけて、吸いつける。その手が、やっぱり泥だらけになっており、顔にもあちこち泥がついている。着物もよごれ乱れているのが次第に見えて来る。うまそうに一吸いして)……ああ。
花岡 なんてえこった。(にが笑いしながら、自分もケースから一本ぬきとって、佐山を見る)
佐山 ……(その花岡を見てから、ケースに目を移し、右手を出しかける)
花岡 ……(フイと目をそらして、ケースをポケットに入れてしまう)
佐山 ……(出しかけた手をそのままにして、花岡のようすをしばらく見ていたが、やがてノッソリ腰をあげる。それを見て花岡が、すこしギョッとして、身じろぎをする。……しかし佐山はフラフラと歩いて中央の水たまりのそばに行き、ユックリとひざを突き、両手を出して水をすくいかけるが、これも泥でベットリ黒くなっているので、腹ばいになって、たまり水にジカに口をつけて飲みにかかる)
花岡 ……(村子のくわえているタバコの火に、自分のタバコを持って行って、吸いつける)じょうだんじゃないぜ、まったく。
村子 ……(佐山の方を目顔で指して、低い声で)おやんなさいよ一本。
花岡 む? うん。……(スパスパと、忙しそうに吸うことで、村子の言葉を黙殺して)フフ、ヘヘ、どういうんだい、こりゃ。
村子 いま、いく時、いったい? (腕時計をロウソクの方へかざす)あら、ガラスが飛んじゃった。
花岡 あんまりガセイに掘るからだよ。(チョッキのポケットから懐中時計を出して、見る)八時半だ。……ええと、だから、――
村子 すると、夜? ひる?
花岡 そうさ、あれから、掘りはじめて、ええと、三時間として――
村子 三時間やそこいらじゃないわよ。半日ぐらい、たったような――
花岡 そんなことあないよ。せいぜい永くても四五時間――(タバコの煙を吹き出しながら、洞窟どうくつの中を見まわす)
村子 じょうだんじゃないわ、ホントに。フフ――まだ、ふってるかしら?
花岡 うむ?
村子 いえ、外では雨が、ふ――(そこまでいった瞬間に、その薄笑いのまま表情が凍りついてしまう。……やがて村子がユックリと、人形の首が動くように顔を動かして、洞窟の内部を見まわす。その視線が、最後に、ヘビのように腹ばいになって首を伸ばして水を飲んでいる佐山の姿にとまる。両眼が、次第に大きく、まるで飛び出しでもするかのようになっている)……雨が……(ガクガクと立ちあがりかけて、出しぬけに、ほとんど人間の声とは思われない叫び声をあげながら、両手で空気を引っかく)ギ、ギ、ギ、ギャーッ! (両手で自分のノドをかきむしる)た、た、た!
花岡 ……(恐怖が、その顔を土気色にしている。全身が細かくふるえるのを、かろうじておさえつけている。ただ口にくわえたシガレットだけが、闇の中で白くヒク、ヒク、ヒクと動いている)
佐山 ……(村子の叫び声で、水のフチでかま首をもちあげて、二人の方を振り返って見ている)
村子 ワ、ワ、ワ……(叫んだあと、腰が抜けたようにグニャリと坐りこみ、低い声を出しながら、前こごみになって、コートの上のハンド・バッグやスーツ・ケースなどの自分の持ち物を、ガタガタとふるえていうことをきかない両手で自分の胸の下にさらいこむ)
花岡 む、む――(村子といおうとするのが、歯がガチガチ鳴って、いえない。いきなり女の肩をつかむ)む、む、――お、お、おちついて――こ、こ、こ!
村子 (その花岡の手に、むしゃぶりついて)た、た、たすけて! た、たすけて、ちょうだい! ヒ! たすけて!
花岡 だ、だ、だから――も、もっと、おち、おちついて――む、むら――(村子の肩を抱く。村子をおちつかせるというためよりも、腹の底からわきあがって来る自分の恐怖をおさえつけるためのようである。……抱き合った二人のからだが、まるでオコリにつかれたようにガタガタふるえている。……その間に、水を飲みおわった佐山は立ちあがって、フラフラと歩いて、自分の坐っていたところへもどって来て、二人のようすを見ながらチョットの間立ったままでいる。以前のままの調子なのは、この男だけ)
佐山 ……(ユックリ腰をおろしかけるが、コートのはじの地面の上に、村子が叫んだ時にほうりだした、吸いかけのタバコが落ちているのに目をつけて、二歩ばかり進んで、それに手を出すが、途中でやめて花岡と村子へ)いいですか、これ?……(花岡と村子は、相手の意味がわからず、佐山を見る)……(返辞がないので佐山はそれを拾いあげ、泥を吹き払ってから、そばのロウソクの火に持って行って吸いつけ、煙を吸いこみながら、自分の場所に行って腰をおろす。……その弱々しい極端にユックリした動作を、マジマジと見ているうちに、いつの間にか花岡のふるえがとまり、村子の発作がしずまっている)
花岡 フ! (すこし無理をして笑って見せて)なあに――
村子 ……(ガタリとして坐っている)
花岡 (佐山に)地盤のいちばんやわらかいのは、入口の左がわだって、君あいったね?
佐山 ……いや、右がわですよ。
花岡 だから、そりゃ外から、向ってだろう? 内からは左だ、だから。そうだろう?
佐山 そうですね。今掘っていた――
花岡 まちがいないね?……それが、しかし三人であんだけ掘って……すると、このほかに、もっと地盤のやわらかい――か、この、外までの地盤の薄いところは――思い出せねえこたあねえだろう?
佐山 ……ですから、命令でもって、めくらめっぽうに掘っただけなんだから。……だいたい、測量もなんにもしないで、いきなり山のどてっぱらをドンドン、この――
花岡 入口のユカは、たしか、外の地面と同じ――つまり水平だったなあ?
佐山 そうですねえ。
花岡 両がわの山の斜面とは直角だったかね?
佐山 ……そうだなあ、だいたいまあ――
花岡 で、山の斜面の角度は、どれくらい? 四十五度、上だったか下だったか――?
佐山 ……がけみたいな――とにかく登れはしなかったんだから、四十五度より下ではありませんねえ。
花岡 ……(目をすえて考えている。再び、追いつめられたような絶望の色がギリギリと現われて来る)(……思わずかすれた声で)すると、やっぱり入口の戸をなんとかするより方法はない。(……急にカッとして)なぜ、あんな、――ぜんたい、なぜあんなコンクリートで固めたりしたんだ、戸を? え? 戸だぜ? え?
佐山 ……爆風よけだっていってましたね。その頃から時々開かなくなることがあったんですよ。それが、もう、ワクが腐っていたから――
花岡 どうしたんだ、そいで、そんな時あ?
佐山 なんです?
花岡 その、開かなくなった時だ。
佐山 ……しかたがないから、外から、戸の両わきや上の方をウンウンいって掘りくずしたですよ。
花岡 ……そうか。やっぱし、そいじゃ、さっきの地震で、上からくずれて来たんだ。……そいで、ここのカントク――この山のもちぬし――村か県で、つまり、だれが管理か、管理してるんだ?
佐山 ……知りませんねえ。戦争がすんで――ただ、ほうってあるんじゃないかなあ。
花岡 き、き――(がまんできなくなって来る)君あ、おい! お前――君あ、なんじゃないか、さっきから、知ったこっちゃねえという顔ばかりしているが、どういう気だ?
佐山 どうって、べつに僕あ――(卑屈にニヤニヤする)
花岡 わからんこたあねえだろう君にも? まるで――こんな、おかしなぐあいになって、……なにを君あ笑うんだ?
佐山 笑やあしませんよ。(いいながら、まだ笑っている)……だって、あんたがたが、戸をしめたんだから――
花岡 そりゃ、しめたよ、おれが。しめたけど、誰がお前こんな――だからよ……ちきしょう! お前の、その――軽蔑けいべつか? 軽蔑するんだな?
佐山 そんなこたあないですよ。
花岡 したきゃ、しろ。そいで、君もいっしょに生き埋めになるんだ。そうなりたけりゃ、いくらでも笑っていろ。
佐山 だから、僕だって、こうして、いっしょうけんめいに掘ってるじゃありませんか。
花岡 んだからよ――チッ! とにかくお前、金は取ったんだぜ。
佐山 金?……(ポカンと口を開いて花岡の顔を見ていたが、やがてわれに返って、よごれた上衣のポケットからサツタバを引き出して、それを見る。どうしてそれを自分が持っているのか、またそれにどんな意味があるのか、わけがわからなくなっている)
花岡 いやさ、金はとにかくとしてだよ、とにかくお前――こいで、ヘタをすると、なんだぜ、このまま、おれたちあ――
佐山 このまま――?……(いぶかしそうな顔をして花岡を見る。つぎに村子に目を移す。村子は白い無表情な顔で佐山の方を見ている。……佐山ヒョイと立ちあがる。ノロノロと歩きだして、七八歩右の方へ行き、立ちどまって、入口の方に目をやってから、そのへんの壁や天井を見まわす。……また更にサツタバを見る。ユックリとそれをくりかえしているうちに、目まいがして来たようすで、両手で泳ぐようなことをしていたが、全身がグニャッとなって意識を失い、ストンと前向きにたおれ、動かなくなる。……)
花岡 (その佐山の始終の姿を、残忍なしつこさで注視していたが、たおれた佐山がピクリとも動かないのをしばらく見ていてから、歯をむき出して村子をかえり見る)……見ろ! えらそうなことをいったやつが、いよいよとなると、これだ。ヘ! (佐山が失神したのを見たことで、反射的に気がしっかりして来たらしい)
村子 ……どうしたの?
花岡 にゃあに、ちかごろの、復員くずれかなんかのインテリと来たら、ダラシがねえのって――
村子 死んじまったんじゃ、ないでしょうね?
花岡 ヘッ!
村子 ねえ――(腰を浮かす)
花岡 いいよ! くたばったにしたって、それでいいんだ。うっちゃって置けよ。食いものが助かる。
村子 食いもの――?
花岡 ビスケットが一袋、チーズが――まだ半分は残っていたね、半ポンドのやつが? ええと、そいから――こんなことなら、宿屋でニギリめしでも作らしてくりゃよかったなあ! ――と、ウィスキイが、あと二本、だったか――(ボストン・バッグを引きよせ、急いで口をひらいて、底に手を突っこんで、ビンを出しながら)……君んとこに、まだ菓子があったろう?
村子 ……もうないわ、チュウインガムがすこしまだ残っている――
花岡 ちぇっ、しょうがねえなあ。しかし、まあ、ないよりはマシだ。なにかのタシにはなる。……とにかく、こんだけだ。こんだけで――
村子 そいで――?
花岡 とにかく、すこし腹あこしらえて置くか。――ちきしょう! 懐中電燈の電池は切れるし、こう暗くっちゃ、どうにも――(つとめて自分を落ちつかせるためにブツクサつぶやき、ブルブルふるえながら手元をかきさがして、カバンからチーズの包みとビスケットの袋を出し、ポケット・ナイフでチーズを薄く切る)……こんな野郎に――(たおれている佐山に目をやって)たまったもんじゃねえんだ。(ビスケット二切れにチーズをはさんだものを二つこしらえている。動物が自分の食物を隣りの動物から守って歯をむいている姿。その手元をボンヤリ見つめている村子)……たまるかい! ちきしょう!
村子 ……どうすんの、そいで?
花岡 どうするも、こうするもお前――(ビスケットの一つを村子に差し出す)さあ。
村子 ……(受け取るが、別のことを考えている)私たちを追っかけて来た、その、十二番の客とさ――あんた、そういってた――あれ――?
花岡 そうなんだ、彼奴あいつらが、この近くまでつけて来ていたら――このへんで急に俺たちが見えなくなった。ヘンだと思ってだな、よくよく捜して、この穴の入口を見つけて、気がついてくれりゃ――
村子 ……だけど、それまで、ここの――イキが――つまり空気がもつかしら?
花岡 なんだよ? (自分のビスケットをかじる)
村子 いえさ、こんだけの広さで、私たち――空気の入って来るところ、どこにもないんでしょう?
花岡 (口を動かしながら、あたりを見まわす)なあに、こんだけありゃ。――食いなよ、君も。
村子 本庁の、あの人たちが、うまく、なにしてくれるかしら? (ビスケットを口に持って行く)
花岡 わからん、そりゃ。……しかし、なんだぜ、俺がそうだといっても、ちがうといってたなあ、お前だぜ?
村子 だって――ホントだったんでしょう? あんたの気のせいじゃなかったんでしょう? ホントだったんでしょう? ホントだったんでしょう? え? ホントだったんでしょう?
花岡 だからさ――
村子 ゲェ! (吐く)
花岡 どうした?
村子 ……(息が苦しくなって)――ウッ! (自分で自分の首をしめつけながら出した声が妙なふうに続いて、ウアーと子供が泣くような手ばなしの泣き声になる)……なんとかしてよ。ね! 助けて! 苦しくなって来た! 助けてちょうだい! 助けてちょうだいよう! 助けてちょうだいよう! ねえ! ああ、ああ、ああ! 助けて――(吐いたものといっしょに水ばながれて来る)
花岡 ……(その女の姿を見ているうちに)ガァ! (吐く。ノドからはなにも出てこない。しかしこれは、手に附いたビスケットのみかけを払い捨てようと一度はするが、よして、それを見る。……それまで動かなかった佐山が、村子の泣き声でわれに返ったと見え、モズリモズリと動く。花岡と村子はそれを知らぬ。……)そんな、お前……だからさ……たまるもんけえ! ヘッ、……助けてなんて、いったって、この……いくらジタバタしたってよ、……なんだよ?……助かるもんなら、だまっていたって助かるんだ。そんなもんだ。そういうグアイにできているんだ。なあにを、お前――(手についているものを、吐気をこらえながら、なめ取って食う)グッ! (吐きそうになるのをおしころして、みこむ)フフ! バクチだ。バクチというものはな、負け込んで来たって、あわてることあないんだ。勝っていたからって、うれしがるにゃ、あたらねえ。大事なのは、そっから先だ。負け込んで来て、そいつを受けて立って、どう、こらえるかだあ。こらえて、こらえぬいて、最後の最後のドタンバで、どう勝負をつけるかだ。ヒヒ!……まだまだ、こっちのもんだよ。投げるなあ、早え。まだまだ、胴は、こっちが握ってるんだ。ヘヘ、くそ! (突きあげてくる吐気とたたかいながら、手についたカスをなめる)
村子 ……(その花岡を見ているうちに、き起って来た激しい生理的な嫌悪けんおが、先ほどから絶望のためにオモ変りするほどショウスイした彼女の顔を、逆に、内がわから生気づけてくる)あんたは、そいでいいかもわからないわよ! 好きかってなことをして――悪いことのありったけを尽して、そいで、追いかけられて、こんなところに逃げこんで来て――そんなことはなにひとこと私にはいわないどいて――うまいこと人をだまして連れ出して、こんな、こんなところに引きずりこんで――ぜんたい、どうしてくれるのよ! どうしてくれるの! あんたあ、ゴロツキだ! ゴロツキじゃないか! たかが、たかが、高級ゴロじゃないか! き、き! (吐いたものは口のはたにつけ、涙と水ばなは流れるままにして、たけり立ってくる。その自分の声で自分がけしかけられて、昂奮こうふんして来て、今は火のような憎悪ぞうおに飛び出しそうな目になっている。花岡は、セセラ笑いながらそれを見ている。離れたところでは佐山が上半身をおこして、ボンヤリこっちを見ている)――そうだよ! ひとかど悪党ヅラをしていたって、へん! もともと、たかがチッポケな紡績工場の外交じゃないか。それが、工場が戦争中、軍需会社になったのをいいことにして、軍部にオベッカをたれちゃ、もうけたんだ。その金で今度はまた、ヤミだ。イントク物資を取り巻いて、ウジのようにたかっているブロオカアどもの手先になってさ、役人のところへ行っちゃワイロをつかませたり、女を当てがったり――知ってるわよ、チャーンと! いくら親分ヅラしたって、たかが、ゼゲン、お茶くみ坊主じゃないか! ヘッ!
花岡 ゼゲンで悪かったなあ。ヘ! 俺がゼゲンなら、さしずめ、お前はクサレパンパンか。
村子 そうよ、なんとでもいうがいい。私にゃおっ母さんがあるんだ。妹たちがいる。家族が六人もあるのに、あたりまえの働きをしていて、どうやって食わして行けるのさ? だあれも、したくって、オメカケなんかしてやしないんだ。それを――それを、これも商売だと思うから、うまいことをいってやると、いい気になって、ヤニさがって、まるでヒヒ猿みたいに、なんじゃないか――知ってますよ! 私のほかに、ヘンな女があんたにゃ、ほかに三人もいるじゃないか! ヘッ! あんたなんかね、板橋のヌカミソくさいおかみさんのしりにくらいついてて、ピョコピョコ子供をひり出してりゃいいんですよ。第一、織工時代から苦労させて、もう子供が四人もあるおかみさんが、気の毒じゃないの! 私、シンから、そう思う! そうじゃなくって? (ホントの同情でバラバラ涙を流している)
花岡 ヘヘヘ、とんだところで同情するんだなあ? 女房や子供と別れて、早くハッキリと籍を入れてくれって、ヤイヤイいってヤキモチを焼いてたなあ、誰だい?
村子 ありゃ、手だわよ。誰がシンから、あんたなんかにいたりするもんか。ヘ、金さえありゃ、どんなことでもできるかと思って、ペッ! ポッ! 私のことにしたって、金で――さんざん金で釣って――
花岡 だからよ、その釣られたのは――その、金で釣られたのは、どこの誰だといってるんだ。
村子 (歯をむいて)さんざん、人のこと、なにして、そいで――はじめのなんにしたって人をまるで、酒でもりつぶして酔っぱらわしといて、手ごめ同様にして――
花岡 ヘッ!
村子 憎いのッ! あたしは、あんたなんぞはじめっから憎いんだ! ちきしょう! 私が、私がホントに好きなのは、木戸なんだ! ホントに愛しているのは木戸! そうよ! あんたなんぞ――あんたなんぞ――憎いんだ!
花岡 憎め憎め! ヘヘ、そいで、どうだ? 愛してるか恋してるかしらんが――その木戸とは、お前は別れ別れになっちゃって、俺といっしょに、こうしているんだ。憎んでいる俺とだ。ヘヘ、愛だのなんだの甘っちょろいことよりゃ、憎みの方が、タシカだよ。永もちがするんだ。ヘヘ、ヘヘ!
村子 あ、あんたなんぞ、ヒヒ猿のケ、ケダモノだ!
花岡 わかったわかった! ヒヒ猿のケダモノだ。ところがだ、その、ヘヘ、手ごめ同様にしたというが、されながら、誰だっけ? デロデロになって、ウワウワいいながら、ホントは女は誰でも、こんなふうに暴力でおさえつけられたいのよ! うれしい! 死んでしまう! 木戸なんぞ、この半分も私を愛してはくれなかった! ウー、ヒー、ワワワ、殺してえ! そういっちゃ目をつりあげていまわった人がいるんだ。
村子 そりゃ、そりゃ、――そんなこと、そりゃ、私の――カラダと心は、ちがうんだ! バカ! バイドク! バイドクじゃないか、あんたは! へん、カラダと心とはちがうのよ! ホントは木戸を、木戸だけをなにしているんだ! あんたなんぞ、あんたなんぞ――
花岡 カラダだけで、たくさんだよ俺あ! おおよ、心は、じゃ木戸の方に差し上げてくれ! どうか、たった今、心だけは木戸の方へ持ってってくれ、俺あカラダだけで、たくさんだとも。どうだい? (村子につかみかかり、その右腕をわしづかみにする)ほら! ここにこうしてあるんだ。俺のもんだ。だから、いいから、心だけは木戸のところへ運んで持ってってくれ。いいとも! ちきし――! (ビシリと村子の頬を打つ)
村子 ヒッ! この、バイドク! (左手で花岡の顔をかきむしる)
花岡 インバイめ――! (またなぐる)
村子 チ、チ! ゴロツキ! ゴロ! (花岡にむしゃぶりつく。花岡それをまたなぐる。なぐった手が村子の上着にひっかかったのをグッと引くと、それがベリベリベリと破れて、肩から腕から、胸部の半分が、むきだしになってしまう)……殺してえ! そんなに、そんなに、私が憎いんだったら、殺して――ヒーッ! (もうなにをいっているか、自分でもわからない。二人がうなり声を出しながら、つかみ合い、むしり合う。その姿が、男女のいとなみになっていることに当人たちは気がついていない)
花岡 キ、キ、キ! ウム! (村子のからだを、コートの外に突きとばし、そのたおれた女に飛びかかって行く)
村子 ウーッ! こ、こ! (下から、花岡の頭髪をつかみ、花岡のからだを、向うへはねころがす。その二三歩さきでは、佐山が、それを避けて、立ちあがっている)
花岡 チ! (再び、のしかかって行き、一つなぐっておいて、おりかさなって、おさえつける)
村子 た、たすけ……ウム!
(二人とも息を切らしてしまって、ひとかたまりになったまま、動かなくなる。そのかたまりの中から、むきだしになった村子の片脚の、膝から下だけが、なま白く突き出して、ヒクヒクと動く)
佐山 ……(二人の姿を、上から見おろしている。それを、すぐわきの壁の上に立てられたロウソクの光が照らしだしている。……二人は動かない。あたりはシーンとして、したたり落ちる水の音。……しばらくしてバタ、バタ、パラパラと、どこかで落盤。……佐山がその音の方をふりかえって見てから、二人の姿に目をもどす。その顔が、毒々しい嫌悪と侮蔑と嫉妬しっとに、しわだらけにゆがんでいる。……再びヒョッと顔を動かして、洞窟のあちこちを見まわす。四隅の暗いところから、誰かがなにか話しかけた声を聞きでもしたように。……耳をすますようにしている。水のしたたる音。……再び二人の姿に目をおとして、歯をむいて薄笑いをうかべる)フフ……(低い、ほとんど聞えないほどの嘲笑ちょうしょう。――そのうちに一歩前へ進み、その破れ果てドロだらけになった右足のクツを、花岡と村子の頭の上に、ユックリと持ちあげる。踏み殺すにも値しないものを踏み殺す人間の、ゴウマンな残忍さが表情と態度に現われている。……ガリッと二人の頭へ踏みおろしかける。フッとそれを宙でとめる。……足もとへ引いて、二人を見ている。……やがて、ソロソロとシャガンで、両手をひたいのところに持って来たかと思うと、低く、アーア、という。それから、チヨットだまっていてから、ウーッという)
花岡 ……(ビクンとして、首をあげて佐山を見て、それから、ユックリと上半身をもちあげる。夢からさめたように)……え?……なんだ?……どうしたんだ?……どうしたんだよ?
佐山 ウー……(たよりないアカゴが泣くように、ゆるく、単調に、泣いている)


穴の中の、入口に近い場所。
六尺四方ぐらいの坑道になっているが、ユカの一方が、岩くずや泥が掘り出したままに、うず高くなっているため、不規則な三角形の空間になっている。
ボストン・バッグを半分に切りさいて、その中にロウソクに火をともして立て、ちょうどガンドウのようにしたものが、左隅の岩の上に置かれ、それが、この場所を照らしだしている。
右手の奥の壁は、コンクリートでたたんで、がんじょうな木のワクとカンヌキを渡した戸の内がわだが、ギッシリとしめられたまま、こわれくずれ泥だらけになって、わずかにところどころにコンクリートの白いはだをのぞかせている。その戸の右がわのワクに接して、水にぬれた岩の壁に、三ヵ所ばかり、直径二三尺の穴が掘りかけてあり、その一つの、ユカに接した一番大きい――といっても人がやっとって入れるくらいの、そして上下左右から岩に攻められた不規則な形の――穴に、上半身をさし入れて、うなっている花岡。ドロドロに汚れたサルマタだけをはいた尻と両脚が、うなり声につれて時々、突っ張ったり、横になったり、ユカのデコボコに足がかりを求めて指が地面をひっかいたりしている。岩で頭をたたきつぶされた蛇のシッポがノタリビクリと動いているのに似ている。
村子は、ボストン・バッグのガンドウの光のすぐわきの岩くずの上にグッタリとたおれている。上着はなく、スカートはズタズタに破れちぎれ、シュミーズも胸のところだけを残してちぎれてなくなってしまって、ほとんど裸体に近い姿。肩や背に泥によごれている上に、一二ヵ所の引っかきキズから血がにじみ、なま白い腹部が苦しそうに波打っている。
花岡の脚と村子の間にガックリと腰をおろした佐山も、上半身は裸体。下半身のズボンもボロボロに破れて、青い太ももまで見える。ゲッソリと無感覚な顔で、花岡の脚の動くのを見ている。――しかし、あとで花岡が穴から出てくればわかるように、三人の中では、この男がもっとも消耗していない。もっとも、それは、最初からこの男が極度にしょうすいしていたために、今さら目立たないためでもある。――円錐形の光に照らし出されたこの場のありさまは、近々と、異様に平静で炭坑内の最終のキリハで、つかれ切った坑夫の先山さきやま後山あとやまとが働いているようにも見える。
穴の奧から花岡のうなり声と、岩をなにかで引っかいているガスガスガスというひびき。
間…………

村子 ……(弱く、うなるような、泣くような声を出す)ウン。……悪い。……あたしが、悪い。……フ。……お母さん。
佐山 ……(ユックリと首をねじまげて、村子に移す)
村子 花が、さいている。こっちへ向いてよ。……お母さん。……つりがね草が咲いている。つりがね草。つりがね――つり――ウム! (うなされているような鼻声を出して、その自分の声でビクンとして顔をあげる。化粧がすっかりはげ落ち、みだれ髪の毛が首のへんにれさがり、目だけが不釣合いに大きくなっている。エジプトの女神像にあるような、肉という肉をゲッソリとけずり落して、三角形に、全く精神的になってしまった顔と、まだムッチリと豊かな胸や腹部や腰などの、ワイセツに近い曲線を露出している首から下とが、はげしい対照をなして、それぞれ別々の人間のもののように見える。……焦点が乱れてすこしスガメになった目で、あたりを見まわした末に、佐山を見つけだして、びっくりしている)……え? どうしたの?
佐山 ……? (夢からよびさまされた子供が、はじめてハッキリした好奇心でものを見るように、マジマジと女を見る。目つきや動作もはじめの頃よりも新鮮なものになっている)
村子 ……どうして?
佐山 なに――? (微笑)
村子 ……(相手の微笑をながめているうちに、ハッキリと目ざめて)ああ! (と口の中でいって、周囲を見まわす)……ああ、夢を見ているのかと思った。
佐山 ……そうらしいな。お母さんとか――
村子 え?
佐山 そいから、つりがね草が、咲いてる――
村子 つりがね草――
佐山 夢を見ていたんでしょう?
村子 いいえ、そうじゃないの、これがそうだと思ったの。……(動いている花岡の両脚にしばらく目をとめていてから)……こうしている、これが夢じゃないかしら? (だるそうに起きあがる)
佐山 うん。……
村子 いつか、こんな夢を見たことがあるの、なんどもなんども。暗い中でもがいているのよ……夢の中で、これは夢じゃないかしらと思いながら。そいでまた夢を見ているの。……(花岡の脚の動きを見ている目と目の間が痛くなって来て、ひたいをしわめながら)……夢だ。
佐山 ……夢じゃ、ないんだ。
村子 すると……(花岡の脚から、まだ目を引き離せないで)どう? え?
佐山 ですから、そうなんですよ。……しかたがないんだ。
村子 ハッキリ知りたいの。
佐山 六十で死ぬとする。だいたい、すると、あと三十年ある。
村子 いえ、たいがいは、私にもわかるわ。覚悟はついている。……ついているような気がするの。しかし、ハッキリ知りたいのよ。ハッキリして、そして、なにか、それまでに考えて置かなければならんことがあるような気がするの。
佐山 三十年と、五日と、どうちがうんだ?
村子 え、五日? すると――?
佐山 五日と三十年と、どこが――?
村子 あと、すると――? (いざり寄って佐山の腕をつかむ)
佐山 ……(自分の内部をのぞいていた目を村子の顔に移して)う?
村子 ハッキリ知って置きたいのよ、私。
佐山 ……わからんですよ、そんなこと。
村子 わからないで……そいで、どうしてそんなに落ちついておれるの、あんた?
佐山 ――落ちついてやしないんだ。……でも、しょうがねえもん。
村子 だからさあ――
佐山 てめえが掘った穴だし――しょうがねえもんなあ。
村子 私のいってるのは……ですから――(花岡の脚をアゴでさして)掘りあけられるかしら?
佐山 ……(その方へ目を移して)ダメだな。
村子 だって、戸の厚さが、一尺あったとしても、ナナメに曲って掘りあけるんだから三倍と見ても三尺……もうそれくらい掘ってるから……つまり、ワケからいえば、もう戸の前に出ているんだから――
佐山 んだから――そいでもダメだから、ダメなんだ。
村子 だからよ、くずれて来た土が、前の方を埋めてしまっていたとしても、入口の屋根のハジから戸まで、せいぜい一間くらいだから――
佐山 あれで、三間以上あるんだ。
村子 (目をすえている)……三間あったとしてもよ、よしんば……その、そこを掘り通せば、どうせ、くずれ落ちた土だから、固くはないから――
佐山 岩なんだ。
村子 え?
佐山 岩があるんだ。
村子 すると――上から岩が落ちて来たの?
佐山 そりゃ、わからんけど、とにかく――あんたあ、はいってみないから、――ダメですよ。
村子 ……空気は、だけど?
佐山 ……?
村子 そいで、だけど、どうして、イキがつまらないんだろう? こいだけの空気で三人がズーッとイキをしてるんでしょう?……すると、どっかスキマがあるんじゃないかしら?
佐山 ――さあ、わからん。こんだけ捜してもわからないんだから。
村子 ……ああ、私、おなかがすいた。……ハキケがする。
佐山 そうなんだ。……そいから二三日すると、頭がボーッとなって、幻覚が来る。……なん度も僕あ知ってる。そいから、ふくれて来るんだ。それで、おしまい。
村子 ……チーズもビスケットも、もうないわね?……あんたのスルメは?
佐山 もう、みんなだ。……だから、ジッとしてる方がいい。
村子 どうしようもないの、ホントに、もう? え? ねえ?
佐山 ……(無表情)
村子 ……そいで、しかし――なら、どうしてあんた掘るのよ?
佐山 ふん。……(しばらくだまっていてから、フッと自嘲のわらい)フ!
村子 ……え、じゃ、どうして――?
佐山 やっぱし、逃げたいんだなあ。
村子 だって、あんたは、もともと、生きているのがイヤになって、こんなところに来て――
佐山 ウソだ。
村子 私が?
佐山 いや、それがウソだったんだ。ヘ! 自分で自分にウソついていた。……ボケてた。ボケて、そいで、甘ったれていた。甘ったれて、オモチャにしていた、イノチを。オモチャは、あぶないオモチャであればあるほど、子供にはおもしろいんだ。……僕は、やっぱり、臆病な子供だったんですよ。……ちきしょう。
村子 ……じや、ホントに、もう、ダメなの?
佐山 しかし、誰にしたって、しまいには、みんな死ぬんだ。そうなんだ。
村子 切り開く望みは、ないのね、じゃ?
佐山 誰が死なないだろう?
村子 ねえ! ホントのことをいってちょうだい。ホントの――
佐山 ホント?……(フッと立ちあがる)みんな、そうなんだ、しまいには。必ず、そうなるんだ。……そいつは知っている、みんな。ホントのことは――その、ホントのことを、真正面から、しかし、見る勇気は、誰にもない。……(ジロリと村子を見おろして)望みはないですよ。あと四五日で、三人とも、まいっちまう。たしかだ、そいつは。だけど、こんなところにとじこめられなくったって――世の中に安全に生きていたって、三十年か四十年たてば、あんたあ、キット、まちがいなく、ハンコでおしたように、チャンとなにするんだ。同じだ。どっちせ、望みはない。(歯をむいて笑おうとする。しかしその歯が、くちびるにへばりついて、ひきつったしかめヅラになる。そこに現われているのは、憎悪ぞうお
村子 ……んだから、それなら、どうしてあんた、掘るのよ。それがわかってて?
佐山 ヘ! (しかめツラのまま、こっちのやみの中へ向って、目をすえている)……わかっているんだ、それは。おそかれ早かれ……それがハッキリわかっていて、それを知っているくせに、どうして生きておれるんだろう? 死? シ? 腐るんだ、その瞬間から。死。シ、し。……(いろいろにそれを発音して自分で聞いている)……なぜ笑うんだ? なにがおもしろいんだ? お前が作ったんだぞ? お前がこうして生みつけたんだぞ!
村子 どうしたの、あんた?
佐山 (村子の言葉は耳に入っているが、それを村子の言葉としては聞いていない。しかし、言葉だけは、オウムがえしに相手の語呂を引きついで)どうしたも、こうしたも、みんな、からかわれているんだ! 茶番狂言だよ! 垂れ流しだ! クソだ! ヘ! (歯をむきだして笑う。洞窟の奥の方で、それが反響して低くヘヘヘと答える)出て来て見ろ! 出てうせて見ろ! ションベンひっかけてやるから! 頭からクソウひっかけてやるから! そうじゃないか? お前なんて、スケベエの、カサッカキの、バイタだ!
村子 ……(あらぬ方角を見てブツブツしゃべりつづけている佐山を見ているうちに、ガタガタふるえだしている。たまらなくなって、裸の腕と肩で佐山の両脚にしがみつく)どうしたのよ? あんた! そんな――しっかりして! うう。
佐山 な――?……(その村子をウッソリと見おろしているうちに、フッとわれに返る)……なんだよ?……どうしたんです?
村子 (グリグリと佐山の股に、からだをこすりつけ、歯をカチカチいわせながら)いえ、あの……そんな……私……こわい! しっかりして……お願いだから……ねえ!
佐山 僕あ、この――なんですよ? (変な顔をして身を引く)
村子 だ、だから……(しがみついて行く)
佐山 フフ! フ! (これは全く正気の笑いである)いいんだ、いいんだ。(身を引いて、村子の頭でグリグリやられた股のところに片手をやって、破れたサルマタをひっぱりおろす)
村子 ……?
佐山 くすぐったい――(引っぱりおろしたサルマタが、ビリビリと破れる)
村子 (その男の肌を見てしまって)あら!
佐山 いや――(この男に残っていた羞恥心しゅうちしんが、はじめて表に出て来て、破れて腰のまわりにさがっていたズボンのきれを、あわてて引っぱって、股をおおう)
村子 すみません。……(その言葉も、それから同時にポッと顔をあかくしたハジライも、まるで十七八の娘のそれであって、この女から、しかもこのような場合に、全く予期することのできなかったものである。……そして二人とも、これをキッカケに頭がハッキリして来たらしい)
(……そのあいだも、花岡の下半身は、穴の中で時々動いている。……佐山と村子は互いに視線をそらしたまま……間)
佐山 フ、フ……(正常な自嘲の笑い)
村子 ……どうなすったの?
佐山 いや、どうも、ヘンなもんだと思いましてね。フフ、こんなところで、あんたがたと、どういうわけで、こんなことになったもんか……自分ながら、ふしぎでしょうがないんだ。
村子 ほんとうに……(シンミリと涙ぐんでいる)縁というか――縁なんて、古くさいようだけど――しかし、なんか、やっぱしほかに言いようはないわね。……あんた、どんな仕事なすってたの?
佐山 なあに、だからブラブラと、この……なんにもする気はしないし、また、できもしないんで――
村子 いえ、その、以前よ、召集される――?
佐山 軽金属の会社の――かなり大きな製造会社ですがね、そこの労務課……学校出てからズッと……こいでも、大学出てるんですよ。(自らをあわれむ微笑)――まじめに、やったなあ。われながら、あわれになるくらい――小心よくよく――国のため……というよりも、みんなの、この、人々のため……そういった気もちで。――働いている工員のために、――あの頃、そりゃ、ひどい待遇でこき使われていましたからね――シンケンになって、上の方の連中と、やり合った。泣いたりしてね。そのために、アカだなんていわれて、ケンペイ隊に呼び出されたり――なあに、ホントはそれほどのなんじゃなかったんだけど――学生時代にすこしかじった、この、社会主義がかった考え方がズーッと残っていたんだな。……だから、戦争はイヤだった。イヤだったけど、ああなって来れば、どうしようもないんだ。せめて、働いている連中のために、自分にできるだけのことをしよう――そんな気もち。……そうでしたよ。いっそ、徹底すりゃ、よかったんです。自分の気もちを、もっと突きつめて――もっとも、そうすりゃ、牢屋ろうやか殺されたか、――そいでも、行くべきだったんだ、そこまで。自分の考えを忠実に突きつめて行ってたら。……勇気がなかった、そいだけの。……そして、そのためですよ、今こんなふうになっちまったのが。ザマあねえ。自業自得で、誰をうらむこともないんだ。
村子 だって、復員したら、その会社に、どうして戻れない――?
佐山 あとかたもなく消えてなくなってるんだ。工場のあったところは草ぼうぼう、本社の建物はキャバレになってる。笑っちゃったなあ。
村子 ……まったく、この三四年、なにもかも変っちゃつた。
佐山 変ったなあ、いいんだ。……人が死んだのも、しかたがない。元も子も、みんななくして、乞食こじきみたいに、四等国が八等国になったのも、それでいいんだ。もともと、そうだったんだろうから。やりきれないのは、どいつもこいつも、戦争したなあおれじゃないといったツラしはじめた。そいでカゲでは、乞食みたいな、ヤリテババみたいな、タイコもちみたいな、インバイみたい――じゃない、インバイになって――フフ! そうなんだ。どいつもこいつも、ツラあ見てると、死んじまえ! 腹の底から、この――ケイベツ――軽蔑ですよ。僕あ、あれ以来、一人として、軽蔑以外の気持で、人を眺めた事がないんですよ。……そいでね、こうやってみんなを軽蔑している自分が、これでやっぱり日本人で、そして、実は、まっさきに、一番軽蔑すべき虫けらなんだ。そいつを俺が知ってるってことなんだ! そこんとこなんだ! そこんとこなんですよ! ヒヒ! トタンに、なにを考えるのも、なにをするのもイヤアになっちまった。
村子 ……わかるわ。……いえ、すこしは、私にもわかるような気がする。私なんかも、いわれて見ると、それかもわかんない。戦争中まで、あんなカタギな気持の、それこそ世の中のことも男のこともまるで知らないようななにが、こんなふうになっちまった――まるで、そのわけが自分にもよくわからないくらい。ひどいの、変りようが。ふしぎで、しょうがない。のが、やっぱし、それに似たようなカゲンかも知れないわね。……いえ、死んでった人は、まだいいの。自分で自分を軽蔑しないで命を終ることができたんだから。人がたくさん死ぬから、戦争はザンコクだと普通いっているけど、それはそうにゃ違いないけれど――もっとザンコクなことは、あんだけの戦争が終った後になっても、人間が生きて行かなくちゃならないということかも知れない。……その、あんたの奥さんにしても、ホントは、やっぱりあんたを一番なにしているんじゃないかしら、もしかすると?
佐山 軽蔑していますよ、ヘヘ!
村子 いいえ、実は、その反対じゃないかしらというのよ。つまり……あんたのことを一番、もしかすると?
佐山 じょ、じょ、じょうだん――(ふきだしている)そ、そ、ヘヘ、枕元で、おれの枕元で、ほかの男とちちくり合うんだぜえ? じょ、じょだんいっちゃ――
村子 だって、はじめは、なんでしょう、お互いに好き合っていっしょになったんでしょ?
佐山 そりゃまあそうだけど、女なんて、君――
村子 動物だわ、そりゃ。男が動物であるのと同じようにね。……だけど、私は思うの。女でも男でも、相手を愛する愛しかたに、そりゃ、いろいろあると思うの。ここに、こんなところに、こんなことになってしまってから、実は私、今まで軽蔑しきっていた木戸を――そういうこともあるのよ。いえ、私とあんたの奥さんの場合とはちがうかもわかんないけど――。いろんなことがあるのよ、人間が歩いて行ってると。ホント。……一歩々々は、ただなんの気もなく歩いてる。道がどんなふうに曲ってるか、あがってるか、くだってるか、それには気がつかないの。ヒョイと立ちどまって、うしろを振返って見ると、知らぬ間に、とんでもないところに来ているの。はるかにも、来つるものかな。……目がまわるみたい。現に、あなた自身が、戦争前から見ると、まるで変ったといってるんじゃないの? そうなのよ。あんたの奥さんにしたって、私――
佐山 君は、チヅのことをダシに使って、チヅをベンゴすることでもって、君自身をベンゴしているだけさ。チヅも君も――いや、君のことはどうでもいいさ――豚さ。メスぶた! からだの一部分を時々くすぐってもらえないと、たちまちブウブウいうんだ。
村子 ちがう! ちがいます! 私、ここにこうなってから、それに気がついたの! ちがうのよ、それは。そりゃ、からだは――からだよ。寂しくなるの、すぐに。からだはバカなのよ。フーテンなのよ。ダマカされる。もっと、からだ以上の、もっと深い、もっとシミジミと深い――私にはなんといったらよいか、いえないの――いえないんだけど、たしかにあるのよ! からだ以上の、もっと深い深い愛情――愛というものは、ある! 気がついたの私、それに。
佐山 ヒヒ!
村子 わからんかなあ、あんたには! いや、私にしたって、こうならなきゃ、わからなかった。それは、たしかにあるの!
佐山 人間にゃカラダしきゃないよ!
村子 ちがうといったら! これが、わかんないのかしら? あるのよ、それは! 見せたげたい、この、この私の胸を、まっ二つに裂いて、裂けるものなら裂いて、見せたげるんだけど! あんたの奥さんにしたって――
佐山 見ろよ、その、胸を――つまりカラダを裂かなきゃならんのだ、そいつを見せるんだって。裂いて見ろ。そこには、ただ血だらけの、なまぐさいゾウフ――胃袋や子宮なんぞが、ヒョータンの形をしたりラッパの形をしたりして、ころがっているだけだ。
村子 カラダと、だから、そのこととが、べつべつに、別れ別れになってしまって――どうしてだか、べつべつになってしまうことがあるのよ! それが、いっしょになっている人、いっしょになしておれる人は、よっぽどのしあわせな人だわ。でなきゃ、よっぽど強い人。強いのも、まるで、人間でないくらいに強い人だわ。たいがいの人は、別々になっちまう。人間、ふしあわせな、ひどい目にあうと、たいがいみんな弱いから、苦しいから、それが割れてしまう。別々にしてしまわないと、自分が苦しくってがまんができなくなるから、しかたなしに、割れちまうのよ。弱さのため。それは、弱さのためだわ。悪いからじゃないの。私には、うまくいえないけど――あんたの奥さんにしたって――
佐山 ふ! おれが、おれのカラダがダメになって――そいで、おれにツバを吐きかけたのは、お前だ! (目の前の村子が、この男の白熱した心と目に、妻に見えて来ている。しかし、これは、以前の痴呆ちほう状態からの錯誤さくごとは全くちがって、集中から来るエネルギッシュな倒錯である)……女は豚だ! お前はメス豚だ! マタを上にして、ひっくり返っているメス豚だ! ヘ! そいで、おれは、役立たずの、腰抜けの、モウロクだ! ヒヒヒヒ! にゃあに、ヘヘ、オスの種豚が一匹いさえすりゃ、お前なんぞ、なんにもりゃしねえんだあッ! (泥だらけの手で村子の裸の肩をわしづかみにする)
村子 なにょするのよッ! バカ! だって、しかたがないじゃないのよッ! 私のせいじゃないじゃないか! 誰だって、人間そんなふうにできているんじゃないかッ!
佐山 なにを、豚め! ちきしょうッ! (村子の頬をなぐる)
村子 バカ! バカッ! 木戸のバカッ! (これも倒錯に陥って、わめきながら、両手で佐山の頭をかきむしる)い、い、いくらいっても、わからない! こんだけ私が、あんたのこと、愛しているのが、わからないの! わからなきゃ、どんなふうにでもしておくれ! 殺してくれッ!
佐山 よおうしッ! バイタめ! (両手を村子の肩にかけて、のしかかって行く。村子は手足をバタバタさせて、いくらかそれに抵抗するが、衰弱し倒錯した肉体と心理から来る被征服の快感の中にグッタリしはじめる)この! お前なんぞ――ち!
村子 (弱り果てて、すすり泣くような甘い小さい声で)木戸! ゆるして! あたしが悪い。木戸! あんたを、私、愛してるの――
佐山 ち、ち、ち!……(これも低いうなごえだけになり、村子のからだの上にのしかかって行く)
花岡 フ、フフ、フフフ! (低い笑い声)
(佐山がビクッとして、首だけをねじ向けてその方を見ると、それまでガンドウの明りが夢中になった佐山と村子にさえぎられて暗かった穴の入口のところに、花岡がいつのまにかい出して来て、壁に背をもたせてグッタリと坐りこんで、ひきつるような顔で笑っている。ボロボロになったシャツに、泥だらけのズボン。餓鬼のように衰弱している上に、長い時間、せまい穴の中で腹ばいになって岩をこづいていた疲れのため、からだをささえていられないくらいになっている。口をモグモグさせながらシラリシラリと笑うのが、死にかけた病犬がセキをしているようである。……その姿を見守っている佐山も、それに対して反応を示して立ちあがったりする体力が急には出て来ない。村子は、押しふせられた時の姿勢のままペタンとして動けないでいる……間)
花岡 フフ!……遠慮は、いらねえ。ヘ!……やれよやれよ。……やんなよ。(息もたえだえな嘲笑)
佐山 ……なに?
花岡 え、遠慮はいらねえや。……ヘ、なにができるんだ、フヌケ。
佐山 ……なにを食っているんだ?
花岡 やって見ろ、インポテ! フ、ヘ! (胸のポケットからビスケットのカケラを出して口に入れる)
佐山 ……(片手をのばして)俺にも、くれ。
花岡 う?
佐山 食わしてくれ。
花岡 う? (自分の胸のあたりを見まわして)……なんだ?
佐山 すこし、くれ、俺にも。
花岡 ねえよ、もう。(みながらセセラ笑う)
佐山 頼むから――
花岡 こりゃ、俺んだ。
佐山 ……だけど、俺が持っていたスルメ、君たちにも、やったじゃないか。
花岡 ……んだけど、こりゃ――俺あ穴あ掘ってんだからな。働いてりゃ、腹あ、へるんだ。食いたきゃ、君も掘れ。
佐山 ……だが、いくら掘ったって、望みはないんだ。岩にぶちあたってる。……ほかに土んとこ捜すなり――いや、もう、そんなところはないんだから、とにかく――
花岡 食いたきゃ、お前も掘れ。
佐山 ……掘る。掘るから、くれよ。
花岡 あとだよ。掘った後で、やる。
佐山 ……お前が掘る前に、俺も掘ったじゃないか。二時間――いや、もっと掘ったんだから――
花岡 ヘ! 俺んだ、これは。
佐山 だからさ――(壁によりかかって、嘲笑している花岡を見ているうちに、その相手の悪意が、どんなにシタテに出て頼んでみても、とうてい、こちらのいうことを聞き入れてくれるような程度をはるかに越したものであることがわかって、同時に、猛然たる怒りが、彼のからだをムックリもちあげる)……こうなったら、俺のものも人のものも、あるか!……(フラフラしながら、花岡の方へ)
花岡 ……野郎……来るか?……(歯をむいて身がまえる)
佐山 出せ!
花岡 にゃあにを、いってやがる? てめえみたいな、くたばりぞこないのクソインテリに、おどかされて――
佐山 食いものは、この三人の、みんなのもんだ。等分に分けて食うんだ。(花岡の片腕をつかむ)
花岡 ええい! (とそれを振りもぎって)てめえだちゃ、早く、くたばれ! 俺あ、助かって見せるんだ。ヘッ、これしきのことに、花岡の金吾が、ヘヘ!
佐山 ち! (いきなり泥グツをあげて、歯をむいてわめいている花岡の顔を、ガッと壁に向って踏みつける)きさまこそ、くたばれ! きさまみたいな闇のブロオカアの毒虫あ、死んだ方がいいんだ!
花岡 ウッ!……(口の中から流れ出した血を、舌を出してペロリとなめて)やりやがったな! ようし、おぼえていろ、子分どもが、どうするか! ササラのようになってから、ホエづらかくなよ!
佐山 ハ! 子分だ? どこにどうなっていると思っているんだ? 子分がいるなら、つれて来て見ろい! ハ! そとの世間にいりゃこそ、お前は強いかもしれねえ――こないだは、よく俺を踏んづけたりしたなあ。しかし、もう――こうなりゃ、もう――俺あ、こん中で戦争中、血みどろになって――あんだけ、ひでえ目にいながら、生きのびた人間だ。見そこなうと、お前の損だ。おとなしく出せ。
花岡 いやだ!
佐山 ……出さねえと、踏み殺すぞ!
花岡 け、け、け! にゃあにを、インポテッ! (いうなり、力をふりしぼって、右足をあげて佐山の腰をあげる)
佐山 ウッ! (叫んで、たおれる。が、すぐにはね起きて、飛びかかって来た花岡とガッキと組む。しかし、双方ともからだが弱りきっているので、本人たちが殺気立っているほどにはテキパキした動作にならぬ。うなりながら、互いに肩に噛みついたり、口の中に指を突っこんだり、高速撮影の映画じみたノロノロした動作で、上になり下になりしてフラフラになってやり合うのが、死にかけた獣どうしの闘争に似ている)
(二人がいい争いはじめた頃から、モズリモズリとからだを動かして、起きあがろうとしていた村子が、やっと顔をあげ、つぎに上半身を起している。二人の組打ちをとめるために、からだを引きずるようにして、その方へって行きかける)
花岡 インポテッ! 野郎! (佐山の方が優勢で、花岡は組みしかれて唸る。唸りながら、佐山の膝にガブリとかみつく)
村子 よしてッ! もう、あの――助けて! 助けて、ちょうだい! (いっしょうけんめいに叫ぶが、声が弱り、かれてしまって、低い声しか出ない。後は口の中でいいながら、うつぶせにたおれる)
佐山 ちき――こ、こ! (上から、花岡の顔や胸をビシッ、ビシッとなぐる。目のわきから血が吹き出している)ツ、ツ、ツ! この――(膝にかみついて離さない花岡。その顔を更になぐりつける)ちきしょうッ! この!
村子 ……助けて――(組み合わせた両手を、うつぶせになった額のところに持って来て、二人に向かって祈るようにするが、もう声が出ない)


春がきた
春がきた
どこに来た
山にきた
里にきた
野にも来た

(暗い中で、幼女のようなあどけない歌いかたで、低い女声が歌う。それが村子の声であることが、しばらくは、わからない。……歌は、くりかえす。その半ばぐらいのところで、ボストン・バッグのガンドウのスポットが、右手の黒い壁の一ヵ所を照らし出し、光は壁の上を這ってすこし動いて、壁の前に立っている村子をとらえて、とまる。……さらに衰弱して、目ばかりになってしまった顔と、いまだに女体の線を失わない半裸の村子が、壁に向って立ち、ほとんどくちびるを動かさないで歌っている)

花岡の声 (たえだえに弱り果てた語勢。その死にかけているような、とぎれとぎれの低い調子と、誇張されたフテブテしい言葉の意味とのはなはだしい背反が、奇怪にもコッケイにもきこえる)……おい、よせ! そんな、ヘンな歌、よせよ! よせといったら、よさねえか、村子! こっちまで頭がヘンにならあ!……(身じろぎをしたらしく、ガンドウの光がグラリとゆれる。ガンドウのすぐうしろの暗い地面に寝ているが、姿は見えない。村子は二回目を終って、自然に歌いやめ、無心に立っている。……見えるのは村子の姿だけで、聞えて来るのは花岡の声)――しかし、無理はねえ。……望みがありゃこそ――ダメだ。……道はない。ヘヘ! だからさ――食うものは……ないんだ、もう。チーズも食っちまった。ビスケットもおしまいだ。ウィスキイが――まだすこしあったな? なあおい。村子! 飲むか、お前? あいでも、麦からしぼった汁だぞ、飲むか? (村子は、なんの表情も動かさぬ)……いいや、まあ。なあに、まだまだ――なあ、おい、佐山――くん?……どうしたんだ、? おい君? なぜ、だまっているんだ? そうだろう? どうだい? (左の方の暗やみに向かっていうが、そこからはシーンとして、なんの返辞もない)……なぜ返辞をしないんだ? まいっちまったのか、君あ? なんとかいったらどうだ?……(返辞はない)応答なし。フフ! ダラシがねえといっても、ヘッ、インテリなんて、ひとったまりもねえね。ヘヘヘ、うう! (苦しそうに唸る。唸り声で、しかし、無理に自分自身を刺戟しげきして)スッパイそうだなあ? 食ったというやつがいるんだ。いよいよとなりゃお前……ほかのケダモノは、みんな、していることだもんなあ。どうにも、ほかにしようがなくなって、そんでも生きのびようと思やあ、これ――しかたがねえ。……そうじゃないか。だいたい、人間が、ふだん、していることだって、それだもんなあ、商売だあ、資本だあ、工場でものをこさえるんだあ、労働者だあ、――国と国がつき合うんだって、人と人との仲だって、みんなそれじゃねえか。ほかを食わなきゃ、やって行けねえ。親も子も兄弟も夫婦もそうだ。骨までしゃぶり合うんだ。ヘヘ! 先にまいった奴が、ただ、仕合せが悪いんだ。食った奴も、あとでまた、弱ってしまやあ、ほかの奴から食われるんだからな。帳尻ちょうじりは合うんだ、永い目で見りゃ。だから、それでいいんだよ。なあ村子! (村子が、光の中で、ゆるやかに顔を動かして、花岡の声の方を見る)え? なにを笑うんだ? (しかし、村子はすこしも笑ってはいない。エジプトの女神のような顔が、いぶかしそうな表情で、そっちを向いている)……(花岡の声は、永い間、だまっている。やみの中から、村子の姿を見つめているらしい。しまいに、低く、へえへえ、ときこえる声を出す。それは笑い声として出されたものだが、途中から一種の泣声に変っている)……へえ。ひい。……(それからまたしばらく黙っていてから、今度はおそろしく弱々しく低い、ひとりごとのような声で、なにかブツブツいうが、よく聞えない。それがやっと聞えるようになる。それまでの言葉が虚勢を張ったフテブテしいものであっただけ、この絶望の調子に完全に救いはない)……けどよ、これ、……もう、ダメかも知れんなあ、こいつ。すると――ギイ! (かすれた夜鳥の鳴声のような声を出す。同時に、ガンドウを持ち上げたと見えて、スポットが動いて、一瞬に村子の姿を消し、光の輪がふるえながら、壁を這って来て、手元の地面を照らす。その光の中に骨だらけになった花岡の片手と、ひざから下と、膝の前に置かれた黒いピストル。膝と片手はブルブルふるえている。やがて、花岡の顔が照らし出される。衰え果てて横になった半裸体の上で、その顔は、恐怖にたたきのめされて、ほとんど別人のようにゆがみ、両眼はスガメになってしまっている)……ウ、ワ、ワ……(ガチガチと歯を鳴らす)……ど、どうして、君、だまっているんだ? おい! (返辞なし)な、なんとかいってくれ。おい君、さ、佐山君!……おれが悪かった。かんべんしてくれ。……おれたちゃ、こうして、もう、間もなく、なにかもしれん。……し、しかたがない。(あえぐ)く、苦しい。……俺は、こ、こ、俺は、こわいんだ。……おそろしい。どうなるんだい?……だんだん苦しくなって――そいで、どこへ、どうなるんだ?……ど、どこへ行くんだろう? ワ、ウ、ウ、フ! (歯の根が合わなくなっている)……こっちへ来てくんないか、おい! あやまる。ね、いいじゃないか、頼む。俺が、悪かった。おい君、な、なんとかいってくれよ! (弱い弱い哀願の声)たのむよ。……ひ、一人でいるなあ、たまらん。……え、佐山君、どこにいるんだ? ど、どのへんにいるんだよ?……(ガンドウを押し動かしながら、左手の方へ這いずって行きかける)
佐山の声 (左手の闇の中から、これも、弱り果てて地面に寝たままの衰えた声であるが、しかし、ほとんど平静に近い調子のために、花岡の恐怖に打ちふるえる言葉がつづいた後では、異様なくらい冷徹に洞穴いっぱいに鳴りひびくように聞える)来るなよ! 寄って来るな。……いやだ俺あ。……みんないやだ、人間は。来るな。
花岡 (佐山の声がきこえはじめただけで、ホッとして)ああ!……だけどさ、どうなるんだろう、この――? ねえ君――?
佐山の声 ……死ぬよ。
花岡 だ、だからさ、そうなって、そいから――
佐山の声 わかるもんか。……どこへ行こうが……どこへ行くか――わかっていたって、わからなくたって……どうなんだ、それが?
花岡 たまらないんだ、そいつが――
佐山の声 ……どうなればいいんだ? 地獄か極楽かが、そこにあればいいのか?……天国で――そこが――神さまがいたって……君あ、安心して行けやしない。
花岡 ……(すすり泣くような声を出す)そ、それで、それで、君あ、なんともないのか?……平気かね?
佐山の声 ……しかし、しょうがないじゃないか。
花岡 そいで、しかし、どうして生きてゆける?
佐山の声 ゆけやしない。……しかし、生きてる間は生きてゆけるよ。……生きてる間は、人間、生きてる。たくさんだ、それで。
花岡 食いものは、もうないんだぜ。ロウソクも、もうあと三本――第一、イキをする空気が、いつまで続くか――すると、十が十、おれたちの運は――
佐山の声 ……きまっている。いいじゃないか、それで。だれがきまっていないんだ?……どこにいたって、一人のこらず、しまいにゃ、死ぬんだ。……きまっている。……三十年生きておれるんだったら、三日生きておれん法はない。……人間は苦しむために生まれて来たんだ。
花岡 ……だからよ、なんのために苦しむんだね? それが、わかれば――
佐山の声 わかるもんか、そんなこと。
花岡 ……たまらねえんだ、それが。……俺あ、実は弱虫だ。気がついた。……世間で、インチキなことのありったけをして、悪党づらをして通して来たが――そうしなきゃ、やって行けなかったから、したまでで――実は悪党でもなんでもありゃしない。いや、悪党は悪党でも、小悪党の、虫ケラみたいな、始終ビクビクして人のカスリを取ったり、人をペテンにかけたり……悪かった。ホントに、俺あ、この……悪うございました。神さま、俺を――(すすり泣いている)
佐山の声 ……宗教か。いいだろう、神さまも。……俺あ、そんなものらん。……いると思っていたって、実際いないもんならいないまでだろうし、いないと思っていたって、ホントにいるもんならいるだろう。俺たちが、どう思っていたって、実際のことが変るわけじゃないじゃないか。
花岡 そう思って、どうして生きておれる?
佐山の声 フフ、まったくだ。どうして生きておれるんだろうなあ?
花岡 君あ、しかし、強いから――
佐山の声 強い? 俺が?……ヘヘ、そんなことあないよ。ただ君あ慾張りだし、俺あ、はじめっから、なんの望みも持っていないからだよ。人間は、一人ずつ一人ずつで苦しむために生まれて来たんだ。そんだけだよ。
花岡 そんな、そんな――じゃけんなこというなよ。ね! 俺あ、たまらないんだ! なんでもいいから、俺あ、この、なにかを信じて――(いずって左手へ行きかける)
佐山の声 寄って来るな! イヤだ、俺あ! 離れていろ!
花岡 いいじゃないか。一人でこうしていると、寂しくって寂しくって、たまらない! こうしてあやまっているんだから、俺をそんなにきらわなくたって――
佐山の声 君だけじゃない、みんなイヤだ! 来るなといったら、来るな。近寄って来ると、殺すぞ! (低いが、しかしホントの殺気のこもった語気に、花岡は這い寄るのをやめて、佐山の声の方をうかがっていたが、やがて、ガンドウを動かして、そちらを照らし出す。ガンドウの円光がチラチラと壁の上を這った末に、左手のすみの最初の位置に、ペタンとあおむけに寝た佐山の姿をとらえる。どこが顔だかわからない。その、ひとつかみの踏みつけられたボロきれのようなカラダのマタのところに、太いキノコのようなものが、垂直に立っている。……花岡には、それがそうだとは、初めわからないので、見すごして、またすぐガンドウの光を自分の手元にまわしかける。しかし途中で妙な気がして、再び佐山の方を真正面に照らし出す。……)
花岡の声 ……(やっと、それがそうだとわかると同時に、猫が他の猫におそわれて飛びあがったようなノド声を放つ)キョフン!……ど、どうして――(息をのんで、そのなま白く光っているものを見つめているらしい。佐山自身も、すこし顔をもちあげて、それを見る。……間)
村子の声 ウム。……(闇の中で低くうなる)
花岡の声 ……どうしたんだ? ど、どうしたんだ? (佐山に言っているのか、村子に言っているのか、わからない)
佐山 ……フン。(ムクムク起きあがりかける)
村子の声 (それと同時に)ああ。……(花岡が、ガタガタとふるえる手でガンドウをグルリと動かして、村子の方を照らし出す。……村子は先ほどの場所に、さきほどの姿勢のまま、立っている。ほとんど厳粛といってよいくらいに凝結した顔に、瞳孔どうこうが開いてしまったような両眼が、闇に消え去った佐山の姿の方にくぎづけになっている。……間)
佐山の声 ……(非常に低い、たえだえの声で)俺あ、子供を、生ませたい。……
花岡の声 おい、村子!
村子 ……(目はそちらへ釘づけになったまま、腰を柔かにグナリと動かしたと思うと、急に立っている力を失って、グタグタと地面にくず折れ、失神)
花岡の声 (弱い声で唸る)ヒイ! (同時にガンドウを突きとばしたらしく、光がグラグラと飛び歩いた末に、すべてがバタリと見えなくなる)


まっくらな中。
どこにも光はないが、中央の水たまりの水面が鈍く光っている。その水面をしわめるようにして、時々、かすかに燐光が飛ぶ。……
他はなにも見えない。
なまあたたかい。
正確なかんかくを置いて、したたり落ちる水の音。――そのリズムに自然に合わせるように、低い声がつづいている。くら闇自体のつぶやきのようなその声が、やがて、だれかの唸るともささやくともつかないノド声であることがわかって来る。……次第に、それは一つの単調なメロディになっている。……

花岡の声 ウーム。(うなる)……助けてくれ。……(さらに弱っている)どこにいるんだ、佐山君?……え?
佐山の声 ……(かまわずつづけていたメロディが弱りきった低い声で歌の文句になる。はじめて、それが佐山の声であることがハッキリする)……お月ね、チョロリでて、山の腰よ照らす。娘ね、島田は、ナンダ、髪よ照らす。(ユックリと間伸びのした歌いかた)
花岡の声 ……村子。……村子。……どうした?……
村子の声 ウム……(右手の壁のあたりから、すすり泣くような唸り声を出す)
佐山の声 ……(それらに関係なく、歌をくりかえす)来るかね、来るかと、待つ夜は来ない。待たぬね、夜は来て、ナンダ、門に立つ。
花岡の声 ……たのむ。歌うのを、よしてくれ。……たまらない。
佐山の声 ……(しばらくだまっていてから)吉富といって、やっぱり、はじめての召集で、甲州の山ん中から来た男だ……そいつが歌いだして――盆踊りの歌だっていってた……みんな、それから、ここを掘りながら歌った。……そんな時の、なんだ。……カアチャンにいたい、カアチャンに逢いたい――朝から晩まで、そういって女房の話をするんだ。カラダのかっこうまでして、しかた話で、やる。二度ばかり脱走してね、たんびに、カアチャンに逢うと、テメエの方からノコノコ舞いもどって来る。フフ、処罰されて、その上にぶんなぐられて、ヘロヘロになって、またここに追いこまれると、ケロリとして、みんなといっしょに掘りながら――(節をつけて)待たぬネ、夜は来て、ナンダ、門に立つ。(永いこと、だまっていてから)そうだ! そうだったんだ! フフ、ヘヘヘ、ハハ! 人間なんて、しょうがねえもんだ。テメエがそれを現にやっている――テメエのカラダがそのことを経験している最中には、自分がどんなことをしているんだか、わからないんだ。……実際、しょうがないんだなあ。人間のアサマシサだなあ。……あん時、血みどろになって、たたきなぐられて、豚みたいにケイベツされて、今日死ぬか明日死ぬかと思いながら……死にゃしなかったんだ。……あんだけの、つらい目をしても、死にはしなかった。生き抜いて来たんだ。生きて、あれを通りぬけて来た。……だのに、自分はもうダメになっちまったと思っていたんだ。ヘ! 頭が悪いんだなあ。……あん時、ここで穴を掘っている時に、俺あ、実あ、生まれ変っていたんだ。別の人間になっていた。そうなんだ。……生きかえっていた。それに気がつかなかった。バカ。フヌケ。フヌケだ。戦争か? そうだよ、戦争は、ロクなことあない。イヤだった。ふるふる、イヤだった。……それを、世間で、侵略戦争だの、ドロボウ戦争だ、戦争犯罪だ……サンザンいわれて……いや、そりゃいいさ、実際そうだったんだから。そりゃ、それでいい。ただ、それを聞いていて、俺あ骨抜きになった。腐っちゃった。……てめえが、あんだけイヤがっていた戦争を――しかも、ただ引っぱり出されただけの戦争を、まるで俺が自分でおっぱじめたような気になった。責任は全部自分にあるような気になった。そいで、チャンとして生きて行く資格は自分にゃないように思った。……妄想もうそうだ。強迫観念だ。クソインテリの観念過剰だ。まったく、なってねえ! なんてえこった! ハハ、ハハハ!……そうなんだ。戦争を否定するために、てめえのイノチまで否定していたんだ俺あ。……俺があん時、ここでしたなあ、ありゃ戦争じゃない。俺あ、ただ、無我夢中で穴あ掘っただけだ。……敵を殺そうなんぞ思いもしなかった。出世しようと思ったんでもない。トクをしようと思ったんでもないんだ。……人のためになるかも知れん――そう、せいぜい、人のためになるかも知れんとバクゼンと考えながら……そんなら、自分のイノチは投げ出してもいいやと思って、血を吐き吐き、俺あ、やっただけだ。そいつは俺にとっては貴重だったんだ。そいつは、貴重だぞ、佐山富夫! そうじゃないか。お前のイノチも、お前のあんだけの気持も、かけがえのない、貴重なものだったんだ! それを、それを、なんてえ、まあ! ケッ!……そう、弱虫だ。頭も悪い。目もよく見えなかった。どっか、あんな戦争、まちがっているような気がしながら、ハッキリどこが、まちがっているか、よくわからなかった。だから、ヘンだと思いながらも、戦争に反対はできなかった。ズルズルと、かえって引っぱりこまれた。……バカだったんだ。弱いんだ。こんなバカの弱虫が、生きてるということが、日本人の一人として生きてるということだけで罪なら、俺にも一人分の罪はある。そりゃ、あるよ。……しかし、じゃ、誰がリコウなんだ? 弱くない人間がいるのか?……問題は、全体の目的の善し悪しなんだ。全体の目的の善し悪しをきめる力を持たなかった、そういう位置にいなかった人間が、その全体のまちがいの責任を負わなければならないのか? また負えるのか?……ハハ、神経衰弱だ。強迫観念。クソインテリ。ウジ虫の良心病。バカヤロウ!……まちがっていたのは、てめえの考えを、ハッキリ、そうだといえなかったことだ。全体のやりかたに、自分の考えを持って行って、そいつを生かして行けるようなやりかたを、作りあげきれないで、ただボヤーッとして、オカミのいうことにゾロゾロくっついて歩いて行ったことだ。弱さだ。俺もみんなも、それほど弱かったてえことだ。悪いのは、それだ。……弱さは、悪だ。そういった弱さは、悪!……(プツンと言葉が切れて、低く唸っている)ウム。……どうして――どうして、俺あ、ぜんたい、気がつかなかったんだろう? 生きかえっていたんだ、あん時。……生まれ変っていた。……クソインテリの、思いきりの悪い、疑ってばかりいる、弱虫の、青っしょびれた、テレてばかりいる、ウジウジと世間のことばかり気にする、命がけになれない、チットばかり良心的みたいな、そいでイザとなると逃げてばかりいる――クソインテリは、あん時、死んじまって、俺あ、別の人間になっていたんだ。あの戦争の中で、この穴の中で、俺あ生まれ変っていたんだ。それを知らなかった。知らずに、アベコベに、ズーッと、いよいよもうダメになったと思ってる。観念だ。そういう観念だ。フワ!……チッ! バカもホウズがない! ヘヘ! インポテント、そいで。そうだよ、てめえは、まったくのインポテントだったんだ! そうよ、てめえのエムが立たなくなる前に、てめえの観念がグニャリとなっていたんだ! 処置なんか、あるもんか。フヌケめ! ハハ、アッハ、ハハ、ハハ! (はじめて、気もちよく哄笑こうしょうする)
花岡の声 な、なにを笑うんだ? 佐山君、おい!……き、君も、気がちがうんじゃないか?
佐山の声 ハハ、いいじゃないか。気がちがったよ。まったく、なんというバカだったろうなあ? 徹頭徹尾、頭のテッペンから足のつまさきまでの――インポテント!
花岡の声 ……なんだか知らないが、そんな理窟りくつはどうでもいいじゃないか。理窟が多すぎる。
佐山の声 まったくだ。ハハ! しかし、しかたがないじゃないか。そうなっちゃっているんだもん。でも、それでもいいじゃないか。多過ぎたってすくな過ぎたって。
花岡の声 今、こうなっている俺たちが、理窟で救われはしねえんだ。
佐山の声 理窟をいわなくなったって救われはしないよ。
花岡の声 ……それも理窟さ。つまり、観念か? 観念なんて、イザとなりや、三文にもなりゃしない。
佐山の声 だから、君のいうそれも一つの観念さ。……同じことだ。第一、君あ、神さまっていってた。あれも観念だよ。
花岡の声 ……。とにかく、やりきれん。やりきれんからだ。なんでもいいから――だって、今、おれたちは、どうなっているんだよ?
佐山の声 ……生きてる。こうして生きてるんだよ。
花岡の声 出口がないじゃないか。あと、しばらくすれば、必ずナニすることがわかっている。それが自分にわかっていることだ。
佐山の声 外で暮らしていても、出口なんぞありゃしない。
花岡の声 だから、そりゃ理窟だ。つまり観念――
佐山の声 観念だよ。たいしたもんじゃないや。しかし、ないよりはマシだ。してみると、たいしたもんかも知れないんだ。……現に、そうじゃないか。君あ、そうしてペチャペチャにまいっちまって、神さまなんて泣き声を出している。俺あ――俺もまいっている。だけど、神さまなんて、俺にゃ、いらん。くたばるまで、チャンとやって行けるよ、俺あ。……そりゃ、だんだん苦しくなりゃ、唸ったり、寂しくなって泣いたりするだろう。だって、事実、苦しかったり寂しかったりするんだから、そいつは、しかたがないんだ。犬や虎だって、死ぬ時や苦しんだり寂しがったりする。それがイキモノなんだ。イノチなんだ。苦しいのや寂しいのを、神さまや、そのほかの、いろんなもの持って来て、ふせぎとめようとしたって――いや、それのできる人は、してもいいだろう。俺にゃ、できん。信じられんから、神さまなんて。……必要もない。だって、いるものならいるだろうし、いないものならいない。俺が信じたって信じなくたって、事実は変りゃしない。そうじゃないか?……俺あ、これでたくさんだ。やって行けるんだイヨイヨとなるまで。つまり、君よりゃ、俺の方が強いよ。なぜだ、そりゃ? 俺に、その、君のいう、観念があるからだよ。つまり、俺がクソインテリだからだ。ハハ、ハハハ! そうじゃないか? 俺あ、自分が、クソでもなんでもいいから、インテリだったことをよかったと思う。人間は、どんな人間でもだんだんバカになるわけにゃ行かん。だんだん、インテリになるよりほかに、行く道はないよ。いつまでも――第三の世界戦争が起きようと、第四の戦争が起きようと、原子バクダンの千倍の兵器が発明されようと、そのために地球が破壊されようと、それをこらえて、しのいで、どこまでも生き抜いて行けるのはインテリだけだ。生きて行きたいと思ったら、インテリになるほかに道はないんだ。かしこくなる以外に道はない。悪いのは、中途半端はんぱだからだ。中途半端だった――つまり、クソだったからだ。しかし、クソでもいい、とにかくインテリだった。途中までしきゃ行けなかったけど、とにかく前を向いて歩いたんだ。そうなんだ。……三十五年、――おれの三十五年は、ミジメな、コッケイな、ヨタヨタなもんだった。しかし、今、そう思うんだ。良い生活だった。……まるもうけだった。生きた、それを、俺あ、ハッキリいえるんだ、今。うん。生きた、俺あ。
花岡の声 ……俺がいっているのは、これから先のことだ。
佐山の声 生きるよ、これから先も。
花岡の声 なるほど強い。君は。……俺あ、これから先のことを考えると、たまらん。いっそ、ひと思いに――
佐山の声 首でもくくるか?
花岡の声 ……ピストルに二つ三つ、まだタマがある。……しかし、それもできない。
佐山の声 いいじゃないか。
花岡の声 でも、食いものは、もう、ない。……ロウソクも、もう、あと、一本とチヨット。マッチは――君の持っていたやつが、まだ五六本残っているが――
村子の声 ああ、掘って来た! 掘って来た! 掘って来たッ!
(その声で花岡と佐山は話をやめてシーンとなってしまう)
花岡の声 ……ど、どうしたんだ、村子?
村子の声 掘って来た、外から! 音がきこえる! ほら! 音がきこえる!
佐山の声 え? なんだって?
花岡の声 ほ、ほ、掘って――? ホ、ホントか、村子?
村子の声 ガツン! ガツン! ほら! 音がきこえて来るのよ! 掘って来た。掘って来たッ! (言っている間に、花岡がマッチをする。手がガタガタふるえるために、一本はすりそこなって、パッと火花が飛んだだけで消え、二本目に点火する。その火を、わきに置いてあったガンドウの中のロウソクにつける。そのマッチの火とロウソクの明りで、洞穴の内部が見えてくる。三人とも着物は破れ、ドロドロの半裸体の、衰え切った餓鬼のような姿。花岡はヨロヨロと立ちあがろうとしている。佐山はず首だけをもたげ、村子の方を見ながら、ユックリと半身を起しかけている。村子は、もと倒れていた場所に、ガンドウの光のまん中で、うつぶせにピタリと横顔を地面につけて、皿のような両眼をギラギラと光らせて、地を伝わって来るらしい音を聞いている)
花岡 ほ、ほ、ほんとかッ! そ、そ――(うつぶせにガバと伏して、地面に耳を押しつける。……佐山が半身を起して、その村子と花岡の姿を、いぶかしそうにジッと見ている)
村子 ほら! ドシン! ドシン! 一人や二人じゃない。ドンドン、ドンドン、掘って来ている。ほらね!
花岡 聞えない! 俺にゃ、聞えない!……いや、そんなような気もするが――(パッと飛びあがって、衰えた身体からだでのめりそうにしながら、村子のそばに泳いで行く)どれ! どっちの方角だ? どこだ? え? ちょっと、おい! (音の聞えるのが、村子の耳を押しあてている個所だけででもあるかのように、村子の顔をわきへ押しのけて、そこへピタリと耳をつける)……え? 聞えやしないじゃないか! なんにも――
村子 ……フフ。(花岡の顔と並べて地面に押しあてた横顔の、光る眼で、花岡の顔をジッと見入りながら、低く笑う。完全な救出の自信とよろこびの微笑。彼女の耳は、音を聞いているのである。……その間に佐山は、すぐわきの壁面に耳を押しあてジッとしている)
花岡 ……え? おい! 俺にゃ、なんにも、聞え――(その時、村子が、そら聞けというように彼の肩に片手を置く。同時に)聞える! 聞える! あ、あ! 掘って来た! 掘って来た! 掘って来たッ!
佐山 ……(その間に壁から耳を離して、地面に横顔を押しあてて聞いていたが)――聞えない。
花岡 ここに来てみたまい! ハッキリ――ドッシン、ドッシン、ドッシン! こっちへ来てみろよ!
佐山 だって、そこで聞えるもんなら、ここでも聞えるわけだ。
花岡 (佐山の言葉など耳に入れない)ハハ、助かった! 助かった助かった! ヒヒ! ウワーア! (叫んで、飛び起きて、いきなり狂ったように両手を打ち振って、そのへんを飛んだりねたり、キリキリまいをする。それがしかし、身体が衰えきっているために、ヒョロヒョロ、フラフラして、ちょうど死にかけた蚊トンボが夏の灯のまわりで飛びまわっているように見える。……村子はユックリ起きなおって、以前とは全くちがった、ユッタリと自信のある態度で、狂いまわる花岡を見て、ニンマリと微笑する。佐山だけが、まだ地面に耳を押しあてている。彼には、どんなに耳をすましても、音は聞えないらしい)
花岡 よしッ! よしッ! 頼むよ! 早くしてくれ! 早くしてくれよッ! (ヨロヨロと飛び跳ねながら、入口に通ずる暗い方へ消える)
村子 ホホ。……(落ちついて自足してキゲンの良い子供のような笑い)
佐山 ……(やっと地面から顔をあげて)いや……自分の心臓の音でも聞いたんじゃないかなあ?
村子 ホホ。……(笑いながら、佐山にうなずいて見せる。それは、是認のうなずきではなくて、あわれみと許容のうなずき。破れてれさがっている服の胸や腰のあたりを取りつくろう態度と手つきも、静かで大ような「教祖」のものである。……びっくりして、それをながめている佐山。……そこへ、入口の方から笑いながら、ヨロヨロと小走りにもどって来る花岡)
花岡 ヘヘ、しめしめ! ハハ、ヒヒ!
村子 まだ開かないの?
花岡 いや、まだだ。まだだけど、もう、こうなったらお前、こっちのもんだ! ヒヒ! 助かった、助かった、助かった! (そのへんをフラフラと歩きまわる。気が立ってジッとしておれないらしい)
村子 ……(それを微笑した目で追いながら)でも、もし、ケイサツの人たちだったら、すぐ、なんだわね、あんた――?
花岡 なあに、つかまったっていいやな。くたばるよりゃ百倍もマシだあ。ハハ、たとえ二年や三年くらいこんだって、なあに、金さえありゃお前――(いいかけた自分の言葉で、ギクンとだまってしまい、一瞬くうを見てジッとなるが、やがて急に目がさめたようにキョロキョロとあたりを見まわす)あの、サツは、どこい、やった?……(村子が返辞をするのを待たず、急いで中央辺の、それまで自分が寝ていた場所の奥の壁の下の暗いところへ行き、両手で地面をかきさがす)あった! ヘッヘ! (暗い中に頭を突っこんでブツブツと口の中でいいながら、ガサガサやっている)……ちきしょう!……こうなったら……七万、八万と、……フ! 十二、十三……ええと、この……うむ?……(穴熊が地面をひっかくようなつめの音をさせていたが、やがて手をとめて、こっちを振り返る。さきほどから、彼のようすを目で追っていた佐山の視線に逢う。その佐山の目をにらみ返して)……おい、君あ佐山――お前、取ったんじゃねえだろうな――?
佐山 ……なに?
花岡 ここの金をよ? ちっと、たりねえようだ。(ネッチリとそういって腰をのばして、ジロリと佐山を見た顔つきも態度も、最初の彼のものにかえっている)……返辞をしたら、どうだい?
佐山 ……知らんなあ、僕あ。
花岡 ……(フテブテしくニヤリとして)最初、君に三万だけ、くれてやったな? あれ出して見ろよ。……え、出して見な。
佐山 さあ、どこへやったか……持ってないよ。
花岡 グズグズいわないで、出して見ろ、俺あ、たしかに、二十五コは持って来ていたんだから――とにかく、こん中じゅう捜しゃわかる。……取ったら取ったでいいから、早く出した方がお前のタメだぜ。
佐山 ないよ、だって――(ニヤリと笑う)
花岡 なにッ!……(フラフラしながらも、すばやく近づいて来て、いきなり、佐山の横顔に平手打ちをくわす)野郎! この! なにを笑やあがるんだ! 第一、もうチットていねいな口をきけ! お前は俺からエサをもらった子分だぞ。なんとかお前、いったなあ、さっき? 俺より強いんだって? ヘッヘ、……なんだか知らねえけど、こうなったら、もう、ヘヘ……お前みてえな、ヘロヘロの小理窟が通用するか? 死ぬ時ゃ死ぬ時だ。生きて行くとなったら、ふんづけて、はねのけて、叩きとばして、この世のドマンなかで、人の生き血をすすって、やって行くんだ。……なんとかいったな、お前? 理窟を持っているから俺より強いんだって? ヘ、そいじゃかかって来て見ろ! (いいながら、一々、次第に高まって来る憎悪ぞうおで、佐山の頭や顔や肩を、こづきまわす)
佐山 そんな、君、そりゃ――(グンナリと再び無気力な顔になって、されるままになっている)
花岡 なんとかいったなあ? この女に(村子の方へアゴをしゃくって)子供を産ませるんだって?
村子 え? ホントなの?
花岡 ホントだよ。どうだ、そうしてもらうか? ヒッ! いうことに事を欠きやがって、このインポテ! (いうなり、片足をあげて、佐山の肩をガッととばす。佐山は横ざまに地面に倒れて、グウという。そのまま起きあがれない)どうだ? ハッハ! (元気は恢復かいふくしているが、からだは全く衰えきっているので、さすがに息切れがして、ハアハアいいながら、村子の方へ行く)フウ……まったく、こんな、青っ白い、小僧が、なあ!
村子 ……どういうの、しかし、子を産ませるとは?
花岡 いいよ。なあに、ルンペンが、ちょっと頭に、来やあがって――
村子 でも、私も、今度は、よくよく考えたわ。ホント! じょうだんじゃないわ。今度、東京へ帰ったら、私も、もう、いいかげんな生活してないで、もうすこしチャンとする。つくづく考えた。もう死ぬのかと思ったら、ホントに、わたし、しまった! と思った。人間一度こっきりしか生きないんだから、ちっとはホントに、つまり、なによ――いつ死ぬとなっても、それほどアワテないで死にきれるような――もっとチャンとした暮らしをしないじゃ――
花岡 ヒッヒ! とんだシュショウな心もちになったもんだ。そんなことをいったって、東京へ戻りゃ、なあに、また同じことだよ。そうなんだ。それでいいんだ。苦しい時あ神頼みで、神に頼んで、それが過ぎて、やって行けるとなりゃ、こんだまた、この、悪魔に頼むんだ。この世に生きている人間の慾が、る時なんかあるもんか。何千年何万年たったって同じさ。そんなことよりゃ、お前なんか、東京へ帰ったら、せいぜい、木戸のやつとでもハッキリ手を切って、なにするんだなあ。手切金は、俺が出すよ。またかわいがってやるぜ。ヘヘ! フウ、バカにノドがかわきゃがる。(水たまりの方へ行きかける。しかし途中で立ちどまり)そうだ、よしよし。……(いいながら、ヨロヨロと歩いてもとの場所へもどり、そこに自分が敷いて寝ていた背広の上衣をどけて、その下の地面の泥や岩くずをきのけて、その下に埋めてあったウィスキイのビンを一本、つかみ出す)フフ、見ろ、ちゃんとこうして――これ一本きりだ、もう。(なかみを、火の光にすかして見る)こうなったら、もういいからな、それまで元気をつけて――
村子 あら、まだあったの!
花岡 ヒヒ! (ビンのセンを取って、カプリと一口ラッパ飲みにして、むせながら)ゲエ! ケケ、そ、そこに、抜かりがあるもんかな。ゲエ、チャント、この、かくして置いたんだ。いよいよとなったら、なにしよう思ってよ。
村子 だって、あんた、こんだけなにして、もう死ぬばかりになっていたのに、――現に、あんただって、あんな弱音をあげるくらいになっていたのに、そんな、よくまあ――
花岡 だからよ、人間の慾に底はねえといってるんだ。俺という男のドショウ骨の強さは、こうだよ。ハッハ、死ぬにしたって、タダで死んでやるもんかよ。
村子 だって、あんた、神さまのことまでいってた――
花岡 だまくらかしとくんだ、神さまを。バクチだもんなあ。生き死にのセトぎわになりゃ、祈っておく方がトクだもん。どうころぶかわからねえからな。(飲む)
村子 でもさ、もうないないって、私にまでかくして――第一、いつ、そこにかくしたの?
花岡 いつだったって、いいじゃねえか。俺だってガマンして飲まなかったんだ。しかしもう、こうなったら、なんだ――飲むか?
村子 ちょうだいよ! もうノドが、ひりつくようで――
花岡 (村子の方へ寄ってゆく)よしよし、俺という男は、そういった人間だ。ちったあ、わかったかよ? うむ? だから、今度東京へ帰ったら、お前、俺のいうこと、聞くんだぜ。(ビンを村子に渡す)こぼすな。いよいよ、これっきりだ。これっきりで、ここからいよいよ外へ出るまで、元気をつけていなくっちゃならん。
村子 ……(ノドを見せて、ウィスキイの口飲みをして)ウウッ! ウ!(く)
花岡 もういいよ。
村子 もう一口。もう、ホンのチヨット。
花岡 あんまりやると、まいるぞ。からだあ、弱っているから。(それでも、村子がもう一度口飲みをするのを許してから、ビンを取り返し、自分でも一口飲んでから、大事そうにセンをする)
佐山 ……(さきほどから、頭を持ちあげて、二人の方を見ていたが、耐えきれなくなって)僕にも――僕にも、チョット――
花岡 ……む?
佐山 俺にも、飲まして――
花岡 これをか? ヘヘ、お前あ、そっちで水う飲んどけよ。
佐山 そんな――(起きあがる)そんなこといわないで……頼みますよ。
花岡 いやだ。こりゃ俺んだ。
佐山 頼む! 死にそうだ――
花岡 死にゃしねえよ、こうなったら。間もなく口が開く。ハハ、がまんするんだなあ。
佐山 助けてくれ、花岡さん!
村子 ホンの少しでも、飲ましてあげたら、あんた?
花岡 ごめんだ! この野郎、さっき、なんといやあがった? 俺より強えと? ヒヒ、強きゃ、腕ずくで、これを取って見ろ!
佐山 この通りだ。お願いだから――(地面に手をついて頭を下げる)
花岡 ハッハハ、ヒヒ! どうだ、俺あ王様だ。ピカ一なんだ、こうなりゃ! 犬のように、そこでチンチンをして見ろ! ワンといって見ろ! そしたら、飲ましてやらあ!
佐山 頼みます!
花岡 誰があ、ちきしょうめ! クソでもくらえ!
佐山 ……ダメかね?
花岡 ダメかね? ダメかねとはなんだ、野郎! おおよ、ダメだ。てめえなどに飲ませる酒があったら、豚にくれてやらあ!
佐山 ……(そういっている花岡を見ていた末に、フラッと立ちあがって、すこしよろめく足つきで、ユックリと花岡の方へ)
花岡 な、な、なんだ? 野郎――(いいながらも、その佐山がスタスタと歩いて来るのに気押けおされて、三四歩さがる)
佐山 頼むから、一口――(迫って行く)
花岡 なにょ、しやあがるんだ! (ビンを持った左手を、からだのうしろにグッと伸ばしてかばいながら、右こぶしで、グッと佐山の頭を突きなぐって置いて、また三四歩さがる)
佐山 飲まして――(なぐられても花岡の方へ迫って行くのをやめない)
花岡 ちきしょうッ! (再び右手をあげるが、たとえもう一度なぐっても、佐山が迫って来るのをやめそうにはないので、不意にヨロヨロと十歩ばかりも後ろへさがって、右手の壁のところまで行く)……来るか? こうの野郎! 来てみろ! 命はねえぞ野郎! 見ろッ! (叫ぶ)
村子 あぶないッ! あぶないから――(花岡の右手に黒く光るピストルが握られている)あんた! 佐山さんも――
佐山 ……(それを見るが、危険を感じたのか感じないのか、ほとんど夢遊病者のように動かない表情で、また花岡の方へスタスタ歩き出している)
花岡 ち!……(その佐山をねらって、引きがねを引く。カチといって不発)
村子 よして! よしてよッ! (その声と同時に、ダッ、ダッと続けて二発ピストルが鳴って、それが洞穴内にひどく反響する。タマの一つは、壁の岩にはねかえったか、キャンというような音がする)
佐山 フ! (低い声を出して立ちどまって、花岡の方を見ている。花岡は命中したかと思って、佐山が今にも倒れるかと、ピストルを構えたまま、飛び出しそうな目をして見ている。村子は両手をあげたまま石になっている)
花岡 まだ、はいっているんだぞ、タマあ! 来やあがると――
佐山 ……(目を花岡から離さないままで、ズボンの右のポケットに手を入れて、きたない海軍ナイフを引き出して、ユックリと刃を出す。ギラリと底光りのする刃の先が、斜めに折れこぼれている。それの刃止めをかけ、右手に逆手に持って、再びユックリと花岡の方へ歩き出している)
村子 よしてッ! よしてッ!
花岡 ち! ちき! (ダッと、もう一つ発射。同時に、スッと手元に寄った佐山が、右手のナイフを横にサッと振る。花岡が、ギャッと叫んで、懸命に佐山にかじりつく)
佐山 ちきしょうッ!
花岡 こ! このッ! き、き! (組み合ったまま、もう一つ発射されるピストルの音)
村子 (ひどい早口で)私たち、もう、助かって、外へまた、出られると、いうのに、そんな、ねえ! よしてよッ! よしてッ! あッ! (暗いすみの壁の下に同体に落ちた花岡と佐山が、上になり下になりして組み打つ。村子はそちらへ行こうとするが、やめて、いずりながら中央のガンドウの方へ来て、ガンドウを動かして、二人の方へ光を向ける。その光の輪の中で、どちらが上とも下ともわからない二人が、今はもう衰えきったからだの、声も立てないで、たたかっている。その互いになぐり合う鈍い音と唸り声)


中央の手前に置かれたガンドウの光の中に、三人が寄り合って坐っている。枯消しつくして、木像かミイラのように静謐せいひつである。
ウィスキイのビンが三人の中央に置いてあり、佐山が、ひしゃげたアルミのコップについだウィスキイを、口に持って行っている。
村子は、無表情な顔をあげて、それをながめている。花岡は、村子と並んでアグラを組んで坐り、ひざのわきに積み上げたサツのタバを取って、れた指つきで、くりかえしくりかえし、計算している。佐山のナイフでられたアゴの一文字のキズからふきだした血が、かたまって黒く見える。サツのパスパスパスという音と、どこかで水のしたたる音。……静けさと、不動と、無表情は、最後まで、みだされない。

佐山 ……(ウィスキイを飲みほして、コップの底を見ていたが、やがて、コップを花岡の方へ突き出す)
花岡 ……(自分の顔と手のサツの間に出たコップを見ていた後に、顔をあげて佐山を見る。その表情に悪意も反感もなく、ただ意味がわからないようである。うたがわしそうな顔をして、頭を横に振る。……それを見て、佐山がコップを村子に渡す。村子は機械的に――腕の関節の動きからも、なめらかさが失われて、コキコキした動かしかたで――コップを受け取る。佐山がビンを取って、それにウィスキイをつぐ、花岡はすぐにまたサツの計算にもどっている。……村子ウィスキイを飲む)
佐山 ……(その村子の、あお向いたノドが動くのを、ボンヤリ見ながら、単純な、そして意外に明るい調子で)……だから――自分の心臓の音を、そうだと聞きまちがえたんだ。
村子 ……(飲み終って)心臓の――(と意味なくいいかけて、ビクッとしてあたりを見まわして、自分が陥りかけていた夢のような状態からめ、佐山を見る)……あんたはそいじゃ、助かりたくはないの?
佐山 ……助かりたい。……俺が一番助かりたがっているのかも知れんな。(ひとりごとになっている)
村子 ……(花岡に目を移して)どうしたんだろう、この人は? (花岡にあてて)ねえ、あんた? (花岡は振り向きもしないで、サツの計算をつづける。……佐山に)ダメかしら、この人?
佐山 うん?
村子 いえさ――
佐山 ……君だって、ズーッと、そうだった。
村子 そう? (びっくりしている)
佐山 音が聞えるといい出してから、なおった。
村子 ……だけど、ホントに聞いたのよ。聞いたと思った。
佐山 ……そうなんだ。聞いたと思った――ということは、聞いたことなんだ。いいさ、そりゃ。……俺だって、ホントはヘンだ、きっと。みんな、そうさ。いや、俺たちだけじゃないだろう。外にいて、暮らしていたって同じだろう、みんな。こんなふうに、年中――(と花岡をアゴで指して)してる人が、いっぱいいる。……いいんだよ、それも。今の世の中で、生きるということは、金ということだもんな。……俺も、さっき、外に出られると思ったら、やっぱり金がほしくなったもん。……もう俺あ、この男を憎んじゃいない。……あわれじゃないか、この男も、俺も、そいから君も……そいから、誰だって、みんな。可愛いいと思うんだよ。……(花岡に)ねえ、君、かんべんしてくれ。痛かったろ?
花岡 うむ?……(サツのかんじょうをやめて、佐山の顔を見ていたが、不意にニヤッと笑う)
佐山 ……うん。うん。(うなずいてから、左腕をまわして花岡の肩を抱き、頬を花岡の頬につける)
花岡 ……(そうして抱かれながら、キョトンとして遠方を見ている顔は木彫の無表情のまま、両眼が光るのは涙を流しているらしい)
佐山 ……(花岡から身を離して、花岡の顔を見る)……泣いているのか、君あ?
花岡 ふ!
佐山 ……(それを見ている。しかし、彼の顔にも、花岡の顔にも、なんの感傷の影も差さぬ)
村子 ……(しばらくだまっていてから、ポツンと)どうして生まれて来るんだろう?
佐山 む? 生まれて――?
村子 いえ人間。
佐山 ……どうしてだって?
村子 どういうわけで――なんのために――
佐山 ……(不意にニコッと笑う)フ、フ、フ! (なんの皮肉も含まない低い笑い声)
村子 ……(その笑顔を見守っている)
佐山 死ぬ間ぎわに、それをいうんだなあ、みんな。
村子 あんたには、わかっているんでしょう、それが?
佐山 わからんよ。
村子 じゃ、どうして、そう落ちついておれる?
佐山 ……君だって落ちついてるじゃないか。
村子 落ちついてなんかいない。
佐山 俺だって落ちついてなんかいないよ。
村子 ちがうわ。
佐山 ……ただ、まるモウケだって気はする、生まれて来てさ。意味はわからんけど。そうだろう? 今まで、こうしてやって来た。たいがいイヤな、やりきれないことばっかりだった。だけど、シミジミ、ああよかったと思ったことが一度や二度はある。現に今、俺あ、そう思ってるんだ。……生きてるってことあ、じっさい、良いもんだ。それも、自分一人だけじゃなく、こうして君やこの人――ほかの人間と、いっしょに生きてるってことあ良いじゃないか。酒もある。チットだけど。……こいつ、まるモウケだもんなあ。
村子 だけど、――だけど、間もなく、なんなのよ――?
佐山 ……
村子 なんか、先に希望がなくちゃ、生きては行けない。
佐山 だって、生きてるじゃないか、こうして。希望? そう、そりゃ、あった方がいいにゃいい。
村子 さとってるんだ、あんたは。だから――
佐山 さとる? フフ、とんでもない。そんなんじゃないよ。まだ、いつまでたったって、これから先、そうだな、息のあるうちゃ、ジタバタやるよ俺あ。……さっき、この人とやり合ってる最中にも、俺あ、そう思った。人間なんてアサマシイもんだ。……そいつを知ってる。知ってても、いがみ合うのを、よしゃしねえんだ。カッとなると、なぐり合いでも戦争でもやる。……そんなこと、しない方がいいにゃ、きまってる。きまってるけど、ツイ、お互いに人間だから、やっちまう。だから、いいじゃないか。……バカなことあ、しない方がいい。しかし、どうしても、やっちまうハメになったら、そいでもいいじゃないか。両方が両方とも、バカげてると気がつきゃ、自然によすよ。それまでは、やったって、いい、じゃなくて、しかたがない。やらん方がいいけど、やったってしかたがない。俺あ、今後、人間が人間同士どんなバカなこと――なぐり合ったり、また、バカな戦争したとしても、――してほしくないけどさ、――どんなことをしても、したくはないけど、でもかりに、したとしても、だからといって、人間ぜんたいに絶望したりは、しない。――そうなんだ。もう俺には、絶望はできない。
村子 ……とにかく、あたしは、こうしていると、なんにも考えられないの。……死ぬことがわかっているのに、人間、生きては行けない。
佐山 ……死ぬことがわかっているから、生きて行けるんだ。
村子 死ぬことが、もうすぐそこに来ているのに、生きた心持がどうしてするのよ。
佐山 ……同じことだよ。こうしてても、外にいても、――つまり、この内も、外も、同じだ。つまり、冒険だ。一歩ふみだせば、なにがあるか、なにがおきるか、わからない。身ぶるいが出る。……なつかしい……なつかしいなあ……つまり、それは、たった一回コッキリの、――つまり冒険だ。
村子 ですからさ……どうしているんだろう、今頃いまごろ、おっ母さんや、妹や、そいから新橋の店の連中? ああ、ああ、ああ! 私がこんなところで、こんな目にあっているなんて、とても、だあれも考えてはいないわ。……ああ、なんとかして、なんとかして、ホントになんとかして……出られたら、私ホントに、もう一度、ホントに人間としてシミジミ考えた生活をして――ああ!
佐山 ……(ながいこと、だまっていてから)……そうさ。出たい、もう一度。そりゃそうだ。日の目を見たいよ、もう一度。……俺あ、生きかえった。ここで生きかえった。今度外に出りゃ、もう俺あ、フラフラはしない。……みんなといっしょに、――みんなの中で、俺あ働く。しんから、俺あ、働く。働ける。……どんなに苦しくったって、俺あ、がまんできる。……人間は、いいもんだ。美しい。……働くことは、すばらしい。……といっても、また、これで外に出りゃ、またもう一度、前と同じようなことを、俺あ、するかもしれんなあ?……そうだ。そうかも知れん。……いやいや、そいでもいいじゃないか。似たようなことをしたって、そうだ、みんなの中で、……ゴタゴタと人間くさいにおいを立てて、ゴタゴタと働いている人間――そん中で俺あ、やるんだ。自分のため、みんなのため、働くこと。美しいよ。そうなんだ。……そいで、子供を産む。俺達の子供――久太郎!……フフ、いいよいいよ! お父さんのことを、なんといったっていいよ。お父さんは、バカでフヌケで、まったく、しょうがなかった! 俺が、なってなかった。軽蔑けいべつしたっていいよ。お前は俺の子だ。俺の血だ。元気でやれ。負けるな。人間は、良いもんだ。ドブん中で生きていたって、人間は、良いもんだ。人間がこさえている世の中は、良いもんだ。インチキ野郎が、どんなにたくさんいたって、イガミ合いが、いつまでたっても、やまなくったって、世の中は、すばらしいよ! まったくだ。……人間だ。人間は、死にはしない。人間にゃ、後光がさしてるぞ。いつまでだって、生きて、栄える。……それが人間だ。……好きだ、俺あ。愛する、俺あ。どんな、どんなヘンテコな、下等な、愚劣なことをしたって、人間! 愛するよ俺あ! やれやれ、元気でやれ! フッフ! (息もたえだえに、そして、自分でなにをいっているかを、ほとんど意識しないで、しかしそれだけに、生きた人間らしい感情なしに、平明ないい方でボツリボツリという)
村子 こわい。……イキがつまる。私は、こわい。(これも、ミイラがしゃべっているような無感覚の中で)
佐山 俺も、こわい。……だけど、……よかった。生まれて来て、俺あ、よかった。うん! フフ! しっかりやれよ。
村子 木戸さん、かんにんしてねえ。
佐山 ……チヅ、俺あ、お前を許すよ。お前も、俺をゆるしてくれ。
村子 あたしは、あんただけを思ってる。
佐山 お前は良い女だ。(互いが互いの反射作用のようにいい合っている間に、言葉の意味は全くい合わなくなって、それぞれ自身の幻想の中に落ちている)
佐山 ……お前の好きなように、しな。お前が、どんなことをしたって、俺あ、お前を――お前たちみんなを、愛しているよ。(カスんで、よく見えない目で村子を見ている)
村子 ヒイ……(低い、かすれた泣声のような声を出して、膝をすこし動かして身じろぎをする。……その、はだかの膝へ、佐山が衰えきった上半身を、枯木がたおれるように、パタリと伏せる。その顔がヒタと女の膝に押し当てられている。……やがて、そのままで、佐山のガタガタとふるえる両腕が、両がわに伸びて、村子の腰をしっかりと抱きしめる。二人は動かなくなる。抱きしめられてまっすぐに坐ったまま、村子の両眼が次第にスガメになって、顔全体がオルガスムの頂点におけるように、極端に醜悪に、同時に極端に美しくなって来る。……二人のすぐわきで、無心にサツのかんじょうをしていた花岡は、しばらく前から指を動かすのをやめて、ただ、手に持ったサツのたばを、自分に全く意味のわからないものを持たされたように、非常に不思議そうにマジリマジリと見ている。
……どこかで、水のしたたる音がポツン、ポツン、ポツンとつづく。
――そのままで、息が絶えて、もう腐りはじめたとも見える三人の姿を、照らし出しているガンドウの光のロウソクが、燃えちびて来たのか、プチプチとかすかな音を立てて息をつき、壁の上の三人の影が、ユラリと動く)
(昭和二十四年五―六月)





底本:「現代日本文學大系 58 村山知義 真船豊 久保榮 三好十郎 集」筑摩書房
   1972(昭和47)年8月31日初版第1刷発行
初出:「中央公論」
   1949(昭和24年)4、5月号
※「(その声で花岡と佐山は話をやめてシーンとなってしまう)」の行は、底本では2字下げになっていません。
入力:青空文庫
校正:青空文庫
2011年2月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について


●図書カード