浴衣

木村荘八




 源之助の演る芝居に女団七と言ふのがある。大きな茶のべんけいの浴衣を着て、黒繻子の帯を平つたく四角に締め、すそを片方だけ高くからげるから白の蹴出しが出て、それが素足にかゝる。頭は崩れたつぶしかおばこか何かで、顔は白く塗り、眉は無いにちがひない。――手に抜身の脇差を持つて、黒塀の前で義理あるおとら婆アを殺す狂言だ。
 ――序でに之れも書いておくが、あとで、その黒塀の向うの青空を遠見で五彩の花車が通る。黒塀の一端にはくつきりと白い井げたがあつて、つるべの青竹が出てゐる。そばに柳もある。舞台のこつちには泥だめがあつて、果し合ひが段々と苦しく、泥だらけになる仕組みだ。――何しろその黒塀の前に団七縞のお梶の浮上る姿は、一種末期的の味ながら、誠に効果のさえた影像の強いやり方である。――
 そのお梶の姿をこゝに想像するが、――私はかねて思つてゐるが、日本人はよく無作法な、つまり股を現はす様な姿を(殊に夏は)すると言ふ。何んでも耳食の話に、桑港か何かでは日本の女が浴衣がけでゐると罰金をとられるとかいふことだ。
 さういふところはあるだらう。といふよりさう成りやすいところがあるかも知れない。但し本来の日本の――女に就いていふ――浴衣がけの姿は、決してさういふ無作法がつきものゝ性質のものではなく、桑港あたりで偶々罰金をとられるのは、たゞその辺の連中が浴衣を浴衣らしく着こなさないからのことであらう。もし浴衣をうまく着る、つまり本来のこの服装の美感に添うて正当に――とは実は平凡に、着る場合には、日本の夏裳束は危なげでゐながら、然も決して危なくないものである。
 例へば今いつた源之助のお梶をもう一度よく見ると、この役はかなりはげしく立ちまはりをするが、殆んど胸はおろか、肘も、はぎも、三寸とは不作法に着衣の外へ出さない。只いつも涼しい襟足と、それから身体全体へかけての線を、流暢にのばして見せるだけだ。――といふのは、さうすると初めて美しいから。といふのは更に、浴衣はさう着られるといふことを物語る。さう着れば美しくなり、それが本当だといふことを理窟以上に語る。
 それ故この美芸に化された巧みな扮装の場合を不取敢例にとつたわけだが、この点は、外国の夏の風俗の場合は、初めから何も彼も露出して了ふ。結局出る程のものはすつかり出して了ふから、つまり夏を直接「夏」らしく予め平面描写にして了つた、出したくもあとには何も出すものがない。即ち出るものがないから先づ不作法にはならない。多分実感(卑俗)には大して陥ちいらずにすむだらう。――但しそれ故に美か否かといふことは、それは全く別の第二問になる、――これを、日本の場合には、予め裳束の条件は極めて危いものである。
 稍もすると際立つて実感に陥ちたがる。が、然し実は陥ちないものである。陥ちずに、一転、そこを不思議な美におきかへる余地がある――
 といふ、この(かね合いの)ところに、日本の夏のしどけなさうに見える姿のうちに、却つてそれ故に進んだ、つまり特別に(美しくなれる)要素が充分にあると思ふ。

 源之助のことから浴衣のことに移して来たが――
 こゝに、「曲線美」といふ言葉がある。之は特に夏、外国人の身なりに就いて思ふ場合、誠にそこにあるものはこの「曲線美」だと思ふ。――或ひは言葉を変へて、形似(写実)的な味感と云つてもいゝ。
 それに反して日本の美しさは、――強ち「夏」乃至「服装のこと」には限らなくても云へるが、――直線的美感といふのがいゝ。より字の意味を大きくすると、象徴的味感といふことになる。
 就いてはその服装の直線的美感といふについて、思つて見ると、それには第一材料の浴衣それ自身を衣紋竹へかけた、その場合から判じてかゝるのが早いと思ふ。それは誠に角ばつた lineal なものである。――然しその服装の内部には元来丸味から出来てゐる身体が包まれる。
 そこで、殊に夏、衣裳の単衣となる場合には、上蔽の直線と内部の曲線との融合は美しさにおいて――といふのは肉感的にといふのとは一応はつきりと違ふ意味で――一層端的に結ぶ。
「浴衣」の美感はそこで材料それ自身、肉と衣裳――の仕組みに因縁が濃いことゝなつて、やがては美しさへの筋道を素直に定跡で行つてもたどれるものとなる。

 一体日本の衣裳は角ばつたものである。たゞそれを身にまとふと、角味はつや消しとなり、殊に単衣の場合には、中の丸身(肉)は一応外へ極く魅惑的に偲ばれて、所謂「隠すより顕はれる」具合の、一種刺戟を宿した一つの形ちとなる。
 これ等の形ちをぢかに機縁として、徳川期の美術の仕事には一つ特殊な「笑ひ絵」といふ、妙に進んだ境地のものがある。例へば線のなだらかな絹物の長襦袢に細帯といふ種の女装は、あまつさへそれの(素描味)へ色味が加はれば、説明以上にある画境への画材となる。
 それはその「かたち」を描き生かして直ちにそれが「題材」への肖像となるから、美術として充分味ふに足るものとなる。それ等がこの際日本独得なのは、元より贅するまでもないであらう。
 浴衣――「うすき単衣」――の場合にも、「美」はそれと共通のところは多分にある。――ただしこの服装の場合は、美しさの偏奇性はぐつと避けられて、健康となり、衣裳の直線的美感を格段に至るところで強調してある。
 まづ身なりの中心に当る胸部へがつちりと(それは端厳にともいへる)帯板をしめつける。次いで背後へは、極めて進歩した渋い表現の具合に、帯の結び目やカケや舌が、ロココ的曲線とは正反対の意味での、強い装飾となり、殊にその色はしばしば単色のべた塗りである。それで、成るべく丸味(実感)を形美の影にかくしてしまふ。
 殊にこゝに浴衣については一つの面白いやり方があるのは、意識か無意識か――恐らく前者であらう――浴衣にはのりといふものの強さを愛惜して、それは気持もよく、実利にもいゝ、更により善いことには、うすい単衣が中に丸味を包むその「危なさ」を、こののりは独得の手続で健康な卑俗に堕ちない形の美感へ救ふ、さういふ仕方をとるところがある。
 で、さうした上で、前にいつたやうに、日本の夏は決してさう手足、肌、胸などを実は着衣の外へは好んで現はすものではない。――この服装法に認める伝統は、美しい、進んだものである。
 私はかういふ浴衣を甚だ好ましく思ふものである。恐らく奥村政信あたりの描いてゐる寛濶な風俗からそれが更に微妙に、つまりイキに、推移したものではあるまいか。とに角、そこに認める夏の「女性美」は、また一品と思ふに躊躇しない。


   附

 ――私は不取敢この文をかくに就いて、源之助のお梶を念頭に浮べたわけだが、また夏の鎌倉海岸なども念頭に浮べたのである。或ひは、偶々電車にのつて丁度向ひ合せたネルの衣裳の人のことなども考へたのである。――然し鎌倉(といふのははだかの海水浴や、大きな麦わらを被つて、袖の長く、帯の小さい令嬢)その他、一種ふくよかなネルの着もの(これは夏とはいへないが、然し近頃の女は一体うすものでもネルに似通ふなだらかな切地を好む)――それ等の場合は、そのあり得る「美」から享ける感じがどうも少々「淫美」で、それもその「淫」が「形ち」の風情に融けてゐるといふわけのものでなく、なまじつかでいけないと思ふ。甘くていけないと思ふ。
 もつともかういふには、凡て私が絵かきだといふところは、ぬきさしならぬ形ちの判断の立場だ。――何れにしても、近頃一般の風俗は、概しておもしろくない。外国的、即ち曲線美ならば、曲線の味感で何とか徹底してくれたら、また面白からうと思ふけれども、近頃の大勢では、やゝもするとそこが極めて中途半端で、それ故うす着の女装はどうかすると美よりは形ちなき実感の方へと思ひを誘ひやすく、卑俗で気にいらない。
 今時は浴衣の浴衣的美感を見るには、その点は商売人の芸妓か、又は、町の下づみのおかみさんや娘達ならば、相変らず仕来り通りに浴衣は「美しく」着こなされてゐるであらう。――既でに服装の大勢ではなくして一部の影となつた。しかしそれは直ちにその装をとつて絵になる、といふ意味で、美術の「美」にかけて、あの平凡なものは矢張りそれが一番美しいといふ。

後記=この文章は元来大正十二年の七月にかいたものを補修したが、近々四半世紀の間に「下づみのおかみさんや娘達」も改装して「浴衣」は忘れられ、美感は変らうとしてゐる。(昭和二三年秋誌)





底本:「東京の風俗」冨山房百科文庫、冨山房
   1978(昭和53)年3月29日第1刷発行
   1989(平成元)年8月12日第2刷発行
底本の親本:「東京の風俗」毎日新聞社
   1949(昭和24)年2月20日発行
入力:門田裕志
校正:伊藤時也
2009年1月6日作成
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