寄席

正岡容




第一部 お高祖頭巾の月





稽古



「今つけてやる」
 そう言ったきり、フイと師匠の雷門助六は、立っていってしまった。もうそれから二時間近くが経っていた。キチンと座ったまま両方の足の親指と親指とを重ね合い、その上へ軽く落とした自分のお尻がはじめ小さな風呂敷包みを膝の上へ載せたほどに、だんだんギッチリと詰まった信玄袋の重さに、しまいにはまるで大きな沢庵石でも載せられたかのようになってきていた。
「…………」
 いかにも江戸っ子らしい嫌味のない面長の顔全体をしかめて、お弟子の古今亭今松はジッとジーッと耐えていた。
 でも最前までは算盤そろばん責めの拷問かとなんとも言えない烈しい痛みだった腰から下が、もう今ではなんの感覚もなくなってしまっていた。
 押しても、突いても痛くなかった。
 恐らく大身おおみの槍をプスリ通されたとて、なんの痛みももうあるまい。
 肉全体がしびれてしまって、もう完全なバカみたいになりきっていた。
 落語家はなしかなればこそ、この長い長い時間を、たとえ痛もうが痺れようが、ジッと耐えて座り通していられるのだ。そこらの牛屋で、東雲しののめのストライキを怒鳴りちらして、女義太夫たれぎだの尻でも追っ駆け廻している書生さんたちには、頼まれてもこの辛抱はできまい。
 自分で自分に感心しながら今松は、この間の晩の大雪がまだ消え残っている、枯れ松葉をいっぱい敷きつめた小意気な庭先の手水鉢ちょうずばちへ、ふッと目をやった。ベットリ青苔の生えている手水鉢の水の真ん中へ、一月の午後のおてんとさまが薄白い顔を小さく浮かせ、どこかの猫が背伸びするように後脚だけで立って、音立ててその水を飲んでいる。
 …………飴屋の唐人笛ちゃるめらが聞こえる。
 下谷も入谷田圃に近い、もとなんとかいう吉原の大籬おおまがきの寮の跡だという、冷たくだだッ広いこのうちは、明治三十八年の東京市中とは思われないほど、ものしずかだった。ましてや日露の大戦争が、あの巨大国を向こうに廻して未曾有の大勝利を占めとおし、全日本をあげて万歳また万歳の連呼に夜も日も足らない今日この頃であろうとは。
……畜生」
 退屈まぎれに今松は猫を追ってみた。水を飲むのをやめて真っ白な大猫はチロッとこっちを見るようにしたが、そのままふてくされたようにノソリノソリ枯松葉を踏んで、突き当たりの椎の木の下の石燈籠の陰へ姿を隠してしまった。薄白い雪の上へ、煤色すすいろに小さな足跡が残された。
 それにしてもこの間の大雪の晩は――。
 今松はさっきとは別にキリリとした眉をしかめた。
 ひどいのなんのってあんなことってあるだろうか。
 去年の暮れの下席しもせき、千住の天王前の寄席だった。
 ところが場末も大場末の千住の寄席のうえに、上野の公園の桜の枝なんか何本折れたかわからない、何十年来の大雪。
 まるで芸人さんがやってきてくれなかった。
 六人の無断休演ぬきがあって、七回も高座へ穴があいてしまった。
 前の人は下りてもう他の寄席へ行ってしまっているし、あとの芸人さんはまだやってきていない。
 高座は空っぽにしてはおけない。たった一人だけ楽屋にいる今松がよんどころなくそのたんび高座へ上がっていった。
 これだけでもいい加減、体裁の悪いところへもってきて、まだ落語家になったばかしの悲しさ、柳寿斎爺さんに教わった刀の銘を聞きにいく「波平行安なみのひらゆきやす」っておよそ他愛のない小噺をたったひとつ今松は知っているっきりだった。
 しかたがないから、それをやった。
 まあ最初の一回は、よかった。
 きまりの悪さを押し隠して二回目も、同じ「行安」をやった。
 三回目も、四回目もまた「行安」だった。いや五回目も、六回目も。面の皮千枚張りと言うが二千枚三千枚張りの供車にして同じ噺をしゃべり立てた。
 もう、これで――今度こそ誰かやってきてくれるだろう。そうしたらあとは真打の左龍さんまで、ヌキなしでトントンといく。どうか、どうか神様、皆が休まずきてくれますように。
 にもかかわらず、また一人きて、また二人ヌキ。
 万事休すなり。
 ほんとうにもうしんから底から、オイオイ泣きたくなってしまった。いや、涙こそこぼさないが、顔中、大泣きに泣いていたろう、今松。
 泣きべそで第七回目の「行安」をしゃべりに上がった。さぞや聴くほうも辛かろうが、るほうも並や大抵じゃ――。
「御苦労だったな、若えの。サ、祝儀だ」
 見兼ねたのだろう。大べそで今松が高座から下りてくると、宵から正面桟敷にいた痩せぎすの刺っ子を着たいなせかしらがガラリ楽屋の板戸を開けて入ってきて、二十銭銀貨一枚くれた。
 ……でも、ほんとに今考えても、ゾーッとする。
 いくら大雪の晩とはいえ、よくもお客様がおとなしく聴いていてくれた。
 よせよせとも言わなければ、蜜柑の皮や下足札や座蒲団をほうりつけられることもなく、かえって二十銭銀貨一枚いただけたなんて。
 ……言ってみればその晩のことが、しみじみ、つくづくと骨身にしみて、今松、いけない、こんなことでは、「波平行安」の小噺ひとつ覚えたまんまで、いくら前座でも、もうとって二十。落語家のはしくれで候と俺はすまし込んではいられない。
 覚えることだ、早くまとまった噺をひとつでも、二つでも。
 深く深く心に感じるところあって、にわかに、師匠助六のところへ、激しい稽古に通いはじめたのだった。
 が――。
 そのまた、稽古の辛いのなんのって。


 師匠の雷門助六は、片目めっかちであったが、噺も巧く唄も巧く三味線まで器用に弾けて、いっぽうの大看板だった二代目古今亭今輔、俗にめっかちの今輔の一番弟子で、なんともいえない愛嬌のある盤台づらの赤ら顔。人、仇名して軍鶏しゃもと呼ばれ、その頃柳派では指折りの人気者だった。
 高座は他愛なく馬鹿馬鹿しかったが、楽屋は正反対に厳しかった。それに、短気。
 笑い鳥のような高座の軍鶏は、ひとたび楽屋へ下りるが否や、くちばしを尖らせ、羽交に波打たせ、意気巻いて相手へ突っかかっていくあの闘鶏のすさまじさがピリピリ全身にうずいていた。
 とりわけ、稽古はやかましかった。
 自分の気が向かなければ十日が二十日もしてくれなかったばかりでなく、気に入らないとひとつ噺を二カ月でも五カ月でもやり直させた。
 現に、今松の兄弟子の今朝いまちょうには、こんな話がある。
「親子のつんぼ」という小噺。
 つんぼの親父が、つんぼのせがれに向かって、
「倅や今、向こうを通ったのは、横丁の源兵衛さんじゃないかえ」
 言うと倅が、
「なあに、今向こうを通ったのは、横丁の源兵衛さんだよ」
「アアそうか」
 親父コクリと肯いて、
「俺はまた、横丁の源兵衛さんだと思ったよ」
 ……たったこれだけの小噺であるが、今朝、この噺を覚えるのにじつに六カ月かかった。
 それでも師匠の気に入らず、とうとうオジャンになってしまった。
 あまり毎日毎日、時刻を定めてはやってきて、
「今向こうを通ったのは横丁の源兵衛さんで……」
 とやるもので、とうとうしまいにはこの今朝が入谷の助六の宅の横へ曲ってくると、遊んでいる近所の子供たちが、
「ヤー横丁の源兵衛さんが来やがった」
 ……でも、まだそこまではいいとして、ある朝、助六が隣の家の婆さんと垣根越しに挨拶していたら、その婆さん。
「あのおッ師匠しょさん、もっと大きな声でおっしゃってくださいましよ、私しゃ至って横丁の源兵衛さんのほうで……」
「…………」
 これにはさすがの助六が参ってしまった。
 すぐ隣にこんな耳の遠い人のいたこともしらず、面当つらあてがましく六カ月もつんぼの噺をやらせる奴もないものだっけ。
 こう助六は照れたのであるが、その耳の遠い婆さんにまでいつとはなしに聞き覚えに覚えさせてしまったほど、今朝の「横丁の源兵衛さん」稽古は激烈であり、峻厳であり、執拗でもまたあったのだった。
「……遅いなあ、ほんとに師匠」
 いつか手水鉢の中の日が翳り、庭全体が薄暗くなってきて、ザワザワ椎の木の枝々が風立ちはじめた。
 ゾクンと今松は肩のあたりをすくめた。
 あまり痺れ過ぎた腰から下は、かえって今ではなんでもなかった以前のようにシャンとしてきてしまっている、つねってももう痛い。
「サ、この間教えたとおりやってみねえ」
 そのときサラリ襖が開いて、さらぬだに真っ赤な顔から咽喉首のどくびへかけてをいっそうテラテラ光らせ、黄八丈の丹前へ大柄の半纏を引っかけて師匠の助六が入ってきた。
 ア、お湯だったのか道理で。
 今松は、納得がいった。
 師匠のお湯ときた日には――。
 仲間でも長湯で知られた助六、二時間は御定法だった。
「サ、やんねえ早く」
 ドデンと今松のまん前へ座ってまた言った。
「ヘエ」
 いきなり、許嫁いいなずけの前かなにかへ出たように浅黒い顔をボーッと染めて今松は、ピョコリとお辞儀をした。黙ってもうひとつ、お辞儀をした。
「やるんだよ早く」
 気短そうに、助六は銀煙管で、ポンと円火鉢のへりを叩いた。
「ヘ、ヘエ、ただいま」
 もう一ぺん小さくお辞儀をして、もうチャンと座っているものを、さらに座り直すようにした。
寿限無じゅげむ
 あの、子供に長い長い名前をつけてもらって困る噺。
 そのほんの一部を、今松は一昨日、師匠から聴かせてもらったところだった。
 今日はそれを、師匠の前で丸ごかしにしゃべらなければならない。
「……エー……エー……」
 二度ばかり言ってから、
「エー、かくばかり偽り多き世のなかに、子のかわいさは誠なりけり、親御さんのお子供衆をおかわいがりになる味はまた別でございまして……」
 しゃべりながら今松は、自分の声がふるえていることを感じた。
 調子もよくない。
 それには「子供衆をおかわいがりになる味はまた別で」なんて言うけれど、この自分は孤児みなしごで、親はほんとうに子がかわいいのかどうか、実のところはまだそのへんもたいへんに疑っている。その俺が白々とこんなことをしゃべったところで、どうして巧い調子で言えるものか。「寿限無」なんてとんだものを稽古してもらうことにしてしまった。
 もっともっと今の俺らしいお色気かなにかの噺でも稽古してもらうんだった。そうしたら拙いなりにも、もう少し、どうにかしゃべれたろうに。
 短い時間のうちにこんなことを考えて、師匠のほうをチラと盗み見た。
 赤ら顔を伏せるようにして、助六は居眠りでもしているよう、うつむいている。
 ……いよいよ、八さんの登場。本題だ。
「エーごめんください」
 前より少し調子を高くして、八さんを登場させた。
「いけねえ」
 ムクッと盤台面が持ち上がった。
「八さんは商人あきんどじゃねえ、職人だ、江戸っ子だ、それもガラッ八って仇名のある代物なんだ。そんな、ごめんくださいなんて、おとなしい調子で言うかよ。……今日こんちは――ッ」
 いきなり頓狂に調子を張り上げて、
今日こんちは――ッ……てんだ。やってみねえ」
「ヘイ」
 頭を下げたが、二度三度、首を傾げた。考えてみた。
 孤児ではあったけれど今松、生みの親は家柄だったと聞くし、薄情だった育ての親夫婦も、お玉ヶ池界隈では一、二と呼ばれる町医者。その義理の親との間が巧くゆかず、医者にされることもまた死ぬよりいやで家を飛び出し、好きで飛び込んできた落語家の世界ではあったけれど、「ガラッ八」になることは氏より育ち、奇妙に恥しくてならなかった。でも、こんな自分の心持ち、どうして師匠助六が知ろう。
「……今日は――ッ」
 アッサリまた叱られないうちにやってのけて、
「オヤオヤこれは、八さんかい」
 とたんにしわ枯れた隠居さんの声で言ったら、
「待て、ちょいと待て」
 とたんに怒鳴りつけられた。
「かりにも隠居の身の上だ。相当の暮らしをしていなさるんだぞ。ひと間こっきりのうちに住んじゃいなさらねえ」
「…………」
「としたら、八さんが、今日は――ッと声をかけたとき、オヤオヤこれはとすぐ隠居が顔を出して来る奴があるかい。まず玄関があって、次の間がある。そこをこう出てきて、こう表のほうを透かして見てそれから、オヤ、これは八さんかいと、こうあるべきじゃないか」
「ア、なるほど」
「サ、それだけの間を置いてやってみろ、もう一ぺん」
「ヘイ」
 もう、「今日は――ッ」と言う声が、少うしばかりイタに付いてきた。それから、ほんのちょっとの間、黙って、表のほうを透かして見るようにしてから、
「オヤオヤこれは八さん、しばらく見えなかったが、どうおしだった。……ヘイ、じつはお子さんがお生まれなすってね……ホー、どこのうちへ……イエ、あっしどものお宅へネ」
「いけねえ」
 また師匠が赤い顔を上げた。
「どこのうちへ、と隠居が聞いて、あっしどものお宅へと八さんが答えるんじゃおかしくねえ。ホーどちらのお宅へ……あっしどものお宅へネ……こうくるから面白れえんだ」
 言われてみればこれもその通りだった。
「それから、イエ、あっしどものお宅へ……と言う、そのイエも要らねえぜ。イエと言うために、ひと呼吸遅れる。ぶッつけ、あっしどものお宅へネとやりねえ。そのほうがおかしい」
「わかりました」
 その通り、やり直した。なるほど、そのほうがずっと自然で、倍、おかしかった。
「……ところでねえ、隠居さん」
 また今松は、八さんの言葉をつづけた。
「今日が、その、なんなんだ、うちの餓鬼の、その、なんだ、初七日なんだ……エッ、子供さん死んだかい」
「馬鹿野郎」
 だしぬけに師匠が、お閻魔様のような目を剥き出した。
「子供さん死んだかいとはなんだ。そんな薄情な言い草があるかい」
「ヘイ」
 今松は頭を垂れた。
「ヘイじゃねえ、覚えときねえ、隠居の口の利きようぐれえ」
 しばらく見据えるようにしていたが、
「エッ、そのお子さん、お亡くなんなすったかえ――こう言うんだ。でなきゃ、言葉にじょうってものがねえや」
「…………」
 黙ってひとつうなずいた。
「サ、もういっぺん、八さんの出からやり直しだぞ」
 ピリピリ眉を動かしながら助六はまた、銀煙管を取り上げた。


 やり直しては、また、やり直した。
 つかえてはいけないもういっぺんと始めからやり直され、その人間のその場合の性根とちがうぞと言ってはまた、なんべんもやり直しをさせられた。
 しみじみと辛く、しみじみとありがたかった。
 従って序の口にずいぶん長いことかかってしまって、やっと「寿限無寿限無」の長い長い子供の名前を立板へ水を流すように、畳み込んでしゃべるところへと入ってきた。いよいよ庭先が薄暗くなりいよいよ椎の立木が烈しく枝々を鳴らしはじめている。
「じゃ名前のところをやってみろ、一生懸命」
 師匠は言った。
「へ」
 頭を下げて、
「……寿限無寿限無五こうのすり切れ、海砂利水魚の水行末すいぎょばつ雲来末うんばつ[#ルビの「うんばつ」はママ]風来末ふうらいばつ、食う寝る所の住む所、やぶら小路藪柑子やぶこうじ……」
 とたんに、助六は立ち上がった。庭に面したほうの細い廊下へ出た。突き当りのかわやの戸を開けて、中へ入っていった。そうして、なかなか出てこなかった。
 情なや、便所はばかりへ行ってしまったのだった。
「やぶら……やぶら小路藪柑子……」
 思わず今松は、もう一ぺん同じことを言ってしまった。
 これだけ人に一生懸命しゃべらせておいて、大便所へ行ってしまうなんて――。なんとも形容のできない張り合い抜けのした心持ちにされてしまったことだった。
 でもしかたなく今松は、続けた。
「……パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピー、ポンポコナーの長久命の長助」
 やっと終わりまでしゃべったものの、あてのないとわかりきっている矢でも放つように、グッタリ調子は萎えて腐っていた。
 しゃべり終えてそれっきり、黙っていた。
「なぜ黙っちまったんだ」
 いきなり便所の奥から小言の声が飛び出してきた。
「なんべんもなんべんも繰り返してやるんだ。繰り返し繰り返しやるから、口がほぐれて落語家が一人前になるんだ。やれやれ、なんべんでも。第一、今のは調子が弱い」
「ハ、ハイ」
 あわてて今松はまたしゃべりはじめた。
「……寿限無寿限無五劫のすり切れ、海砂利水魚の水行末、雲来末に風来末、食う寝る所の住む所、やぶら小路藪柑子、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピー、ポンポコナーの長久命の長助……寿限無寿限無五劫のすり切れ、海砂利水魚の……」
 叱られないうちまた続けた。
「水行末、雲来末の風来末、食う寝る所の住む所、やぶら小路藪柑子、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピー、ポンポコナーの長久命の長助……寿限無寿限無五劫の摺切れ、海砂利水魚の水行末、雲来末の風来末、食う寝る所の住む所、やぶら小路藪柑子……」
 もういっぺんやった。さらにまた、やった。またやった。またやった。だんだん舌が硬ばって痺れてきた。ラ行の音が怪しくなった。それでもやっぱり繰り返した。いつか目をつむって一心にしゃべりつづけていた今松の鼻先を、にわかにプーンと掠める花麝香のような匂いがあった。
 思わず薄目を開けてみた。
「…………」
 マーガレットに結った大柄の艶かしい娘が、やや着古しの紫ぞ濃き元禄模様の普段着のまま、自分と少し離れたところに、ションボリとして座っていた。
 ア、おえんちゃんだ。
 今松は少しドギマギした。
 同じ柳派へ出て新内しんないを語っているこのお艶は、たしか自分よりひとつ年下だが、あだな節廻し、ばちさばきが、美しい高座姿とともに今なかなかの人気を呼んでいる。
 なぜか今松とは不思議に気が合って、前座になったばかりの自分なのに、初めて見習いに出た三の輪の新花亭以来、いつも分け隔てのない口を利いてくれている。寄席の帰りにみつ豆や稲荷鮨をおごってくれたことも幾度かあった。
「今松つぁん、今松つぁん」
 いつもそう親しげに呼んでくれては、姉のように高座や楽屋の注意をしてくれている。
 助六のお神さんが富士松和佐之助といって、新内では女ながらも大看板なので、お艶は始終ここへ習いにきているのだけれど、今こうやって一心不乱に稽古の真っ最中、スーッと近くへきて座っていられると、さすがに妙なバツの悪さを感じないわけにはゆかなかった。
 それにお艶ちゃん、いつもこけている頬がいっそうの痩せを見せ、顔色も悪い。元気もない。
 今自分がソッと目で挨拶をしたときも、いつものように大きな美しい目で笑いかけてはくれず、寂しくうなずいたばかりだった。
 ジーッと座っているなで肩のあたりが、ガックリ打ちのめされたようにふるえている。
 どうしたんだろうお艶ちゃん。
 もしやなにか心配事でもあったんじゃ――。
 すぐにも呼びかけて訊きたいけれど、稽古の二字が許さなかった。
「……エエとどこまでしゃべったっけかな、アアそうだあすこだ」
 あわてて心のなかで自問自答して、
「……パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイの……」
 ワザとそっぽを向いてしゃべりだした。
 が、気にかかる。
 やっぱりどうしても気にかかる。
 お艶ちゃん、どうしたのさ、お艶ちゃん、なにかよほど心配なことでも……。
 訊きたくなるのを無理に耐えて大声で、
「……ポンポコピー、ポンポコナーの長久命の長助……寿限無寿限無五劫のすり切れ、海砂利水魚の……」
 ああ気になるなあお艶ちゃん。
「水行末、雲来末の風来末、食う寝る所の住む……」
 ねえお艶ちゃん。
「ところ、やぶら小路藪柑子、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリン…」
 ねえ、ねえ、お艶ちゃん。
「ガンのグーリンダイ、グーリンダイの……」
 お艶ちゃん、お艶ちゃんったら。
「ポンポコ……ポンポコナーのお艶ちゃんったら」
 思わずこう言ってしまったら、
「バ、馬鹿――」
 いよいよ暗くなってきた便所の奥の窓からニューッと師匠の真っ赤な顔が、
「ナナナ、なにがポンポコナーのお艶ちゃんだ。ソ、そんなとんちきな寿限無は、露西亜ロシアにもねえや」


新堀端



「待ったでしょ今松さん」
 お艶だった。
 目深にかぶったお高祖頭巾の中の、よく澄んだあだっぽい目が、ニッコリ笑っていた。
「…………」
 歩き出しながら今松はコクリとひとつ、うなずいた。
 さっき大急ぎで今松ひとり、入谷の師匠の所を飛び出し、佐竹の寄席へ駆けつけると、お艶も二軒目のお成道なりみちの席をすまして入ってきた。
 今がちょうど、その帰り途だった。
「だってお席亭さんがお神さんと二人してお話しかけなさるんでしょ。うかがってないわけにゃゆかないし、気が気じゃなかったけどつい遅くなっちまったの、ごめんなさいね」
 覗き込むようにして言ったが、やっぱり今松はうなずいたばかりだった。
 そのまま二人は夜更けの佐竹通りを、小島町から永住町のほうへトコトコ歩いていった。
「ネエ今松さん」
 しばらくしてまた言った。
「でも私ほんとに今夜くらい気が気じゃなかったことなかったのよ。表にゃあんたが待ってくれてるでしょう。早く早くと思ったんだけれど……」
「…………」
「潮時を見て立ちかけると、また話し出されるの。で、また少し話して立とうとすると、観音様の市のとき仲見世で買ってきたんだからなんて言って、桜の花の入ったおぶうなんか出してきてすすめられるの。困ったわ、私」
「…………」
「しまいにはもうすっかり気が立ってしまって、返事もなにも上の空でトンチンカンにばかりなっちゃったわ」
「…………」
「その代わり今松さん、今夜遠回りして私、堀田原抜けてくわ。そしてあんたンまで送ってってあげるわ」
 今松は駒形こまん堂の側の裏通りにいる百面相の鶴助の家の二階を借りているのだった。
「ネ、そんならいいでしょう」
 なにを話しかけても、返事をしなかった。
「…………」
 夜目にもガックリと男のこうべがうなだれていた。
「ま、どうしたのよあんた。どうして黙ってばかりいるの。おなかでも痛いの」
「…………」
 黙って首を横に振った。
「ああ、わかった。あんたあんまり私が待たせたんで怒ってるのね。だから待たせたことはごめんなさいってさっきからあんなにあやまっているじゃないの。じゃ、もういっぺんあやまるわ。ごめんなさい。ほんとにごめんなさい。ネ、いいでしょう」
 甘えるように言ったけれど、やっぱり首を振りつづけていた。
「…………」
 相手の心持ちが量りかねてお艶は、接穂つぎほがなくなってしまった。
 寂しく悲しくなってしまった。
 そのときだった。
「お艶ちゃん。だってお艶ちゃんは」
 にわかに、今松が顔を上げて、
「あの三河屋とかへ行ってしまうって言うんじゃないか」
 怨めしそうに口を尖らせた。
「…………」
 さすがにハッとしたらしかった。うつむいたまま歩いていたが、スンナリしたお艶の肩が小刻みに慄えだしていた。
「そりゃ、そりゃ私だって、行きたいことはないんだけれど」
 ややしばらくしてとぎれとぎれに、
「なにしろ阿母おっかさんがあれでしょう。行かなければならないの、今松さん。あんたとももう逢われなくなるのねえ」
 お高祖頭巾のなかの切れ長の目が、いつしかシットリうるんでいた。
「いやだ。いやだよ俺は、お艶ちゃん。いくら阿母さんが大病たって、お前さんなんか柳派の若手でも人気者の新内語りじゃないか。二軒の寄席を三軒稼げば、阿母さんの薬代くらいなんとか都合のつくはずだ。立派な芸を持ちながらなにも七十いくつになる三河屋の御隠居の後妻なんかに」
 いかにも心外で心外でならない口ぶりだった。キリリとした今松の眉があらわに怒りをみせてきていた。
「だって今松さん。私アもう寄席芸人なんて商売にあきあきしてしまったのさ。骨ばかり折れて、頭は使って、そのくせお給金なんていくらのものでもない、そこへもってきて阿母さんの病気でしょう。私アもう精も根もホトホト尽きてしまったもの。どうせこんなつまらないずくめだから、いっそのこと三河屋さんの大旦那のお神さんにでも」
 白い顔に上る笑いがべそをかいているようだった。
「そんなに寄席芸人が嫌かなあ、お前さんほどの腕のある芸人さんが」
 あきらめきれない今松だった。
「面白くもねえ。ひと、面白くもねえ」
 下駄のさきへ当たる小石を、無闇に蹴った。
「まあ、なにそんなに腹を立ってるんだろう、今松さんてば。私が三河屋さんへ行くからって、なにもあなたを見棄てやしないことよ。私アほんとの兄弟だと思ってるんだもの。ねえ今松さん」
 頭巾と一緒に面長の顔が甘い匂いでまた迫ってきたが、
「いやだ、いやだよそんなこと」
 突っぱねるように言った、今松は、
「三河屋なんぞに行っちまったら、誰が誰がつきあってやるもんか」
 アラどうしてなの。すぐ目の近くでお艶の顔が言いたげに思案していた。
「……俺、俺は」
 と言いかけて今松は、グッと詰まってしまった。
 お前に惚れているんだもの……とは、言い出せなかった。


 しかたなしに唾を呑んで今松はうつむいていたが、
「第一、お艶ちゃんは知らないだろうけれど、昨日もお前さんのことで、俺は雷蔵の奴と大喧嘩をやったんだぜ」
「アラ、なんだって私のことで」
「あン畜生あんまりなことを言やアがるからよ。お艶ちゃんばかりは人の妾になるようなだらしのねえ女じゃねえって俺、啖呵を切ってやったんだ。でもいくらお妾でなくったって相手が三河屋の七十爺さんじゃなあ。それから三日と経たねえうちに、あいつに兜をぬがなきゃならねえなんて」
 兄弟子雷蔵の目の、ギョロリとして青味がかった憎体にくていな顔が、今松の前の闇のなかへヌーッと見えた。
「けッ。どうすりゃ、こうも俺って奴ア不運なんだろう。生みの親はわからないし、大事にかわいがってくれたお祖父じいさんお祖母ばあさんにゃ早く死に別れるし、引き取られた義理の親のうちアいやに上品ぶってて、俺を医者にばかりしたがるからすッ飛び出して好きな落語家になって、やっとお艶ちゃんみたいな人と生涯付き合えると思ったら、またこんな……」
 今松の声が湿ってきた。
 助六師匠は好きだれど、とても短気で、気むずかしい。
 肉親のない今松にとってはほんとうにお艶ばかりが、闇夜を照らす燈台のあかりだった、その灯がだしぬけに今、ふッと掻き消されてゆくとしたら――。
「お前さんにゃ俺の了見がわからねえんだ」
 にわかに、ジーンとこみ上げてくるものがあった。
 汚い外套もじりの襟を立てながら、キュッと唇を噛んでいた。
 泪に濡れた今松の目に、新堀端の枯れ柳が行く手で寒々と揺れていた。
 鯉寺の前にはいつものおでん屋の灯が赤かった。
 この道。
 浅草新堀端のこの道。
 雨が降っても風が吹いてもお艶ちゃんは山の宿しゅくへ、今松は駒形堂のそばの鶴助の家へ。
 佐竹や三筋町界隈の寄席の戻りには、きっと二人、こうしてこの道を歩いた。
 だが――。
 それももう今夜限りかと思えば、今松は寂しくて寂しくてならなかった。
 いや、寂しいどころじゃない。
 明日からこの世の中での頼る人がまたひとり減るのかと思えば、ゴソッと身体の一部を揉ぎ取られる思いだった。
 島がくれゆく京洛みやこの船を呼び返している俊寛僧都しゅんかんそうずの悲しみが、生々しい実感で今松の胸へと伝わってきた。
 よしとくれ。
 後生だからお艶ちゃん、三河屋へゆくのだけはよしとくれ。
 できることなら、こうやって、駄々ッ子のようにいつまでも地団駄踏んでいたかった。
「ア、そうだ」
 急に懐中から今松は、ところどころ少し革の破れたがま口を出して、
「じゃ、こうしよう。あるだけのおあし、お前さんにあげちまおう。これでお艶ちゃん、三河屋へゆくことだけは」
 今松がお玉ヶ池のいいお医者の養子だったということだけは、かねてお艶も聞き知っていた。
 その今松ッあんが私にあるだけのお金をば。
 思わず身体を近寄せていった。
「いいかいいいかい。だからほんとにやめてね」
 言いながら開けたがま口の中。
 十銭銀貨が一枚、大きな二銭銅貨が三枚、あと一銭が二枚、寝そびれているばかりだった。
「イヤだ、そんな十八銭ばかし――」
 ガッカリとお艶は言ってしまった。
「駄目か」
 こっちもガッカリしたように、
「十八銭じゃ足りねえか」
 しばらくその蟇口を片手で振り動かしていたが、
「ア、いいことがあら、俺の知ってるところだけで七所借りしてこよう。そうすりゃ、そうすりゃ、きっとお艶ちゃんの入用なだけ」
「いくらになるの、いったいそれ」
「そうよな。あすことあすことあすことあすことあすことあるから……」
 歩きながら指を折りつづけていたが、やがてのことに勢い込んで、
「ねえ、十三円と八十銭ばかしに」
「駄目、とても駄目よ。足りやしないわ」
 本意なさそうにお艶は言った。
「いったい……いったい、いくらなんだ、そのお艶ちゃんの要るお銭って」
「永いこと阿母さんの病気で積もり積もっているうえに、まだまだこのうえだってとても要るから」
「だからよ、いったい、いくらだってば」
「どう少なく見積もっても」
「いくらだ」
「要るの、どうしても百八十円」
「エ」
 吐胸とむねを突かれたとはこのことだったろう。
 百八十円とは――。
 自分のまじくなえるお金とは、あまりにもあまりにもへだたりがありすぎる。地球の果ての噂を聞くようでなにがなんだか、わからなくなってしまった。
 黙ってそのまましばらく息を呑んでいたが、
「エエ、じゃもうしかたがねえ身を売ろう、苦海とやらへ身を沈めて」
「エ、エ、なんだって」
 とっさにお艶には今松の言葉の意味がわからなくて、
「ナ、なんて言ったの、今、ちょいと」
「ダ、だからよ、苦海へ……苦海へ身を沈めようって」
「誰が、よ」
「きまってるじゃねえか」
 長い顔を突出して今松は、
「コ、この俺が、よ」
……。いい加減にしてよ、今松さんあんた男じゃないの」
 さすがにプーッとお艶はふき出したが、すぐにしんみりした顔にかえって、
「ア、もう、いいの。もう、やめて。いいえ、あんたのその親切だけで、もうもう私充分なの。ありがとう今松さん」
 ふと声を曇らしかけたが、
「ほんとにもうこんな話、やめましょうよ。それよか、あんたの御出世、心から私、祈ってますわ。早くあなたが日本一の古今亭今松って言われるように、どうかなって」
 ワザと元気な調子で言った。
 が――もうそのときは再び今松は石のように黙りこくってしまっていた。
 またしても、なにを話しても、首を振るばかりだった。
 三筋町の通りへ出るまで、とうとう黙ったまま二人は歩きつづけた。
 戸を閉めきった家々の中で、「うさぎや」という駄汁粉屋の灯が、こがらしに吹かれてまたたいていた。
 そこは二人が寄席の帰りに、きまって食べに入る馴染みの店だった。
「食べてゆこうよ今松さん」
 スラリとした姿を灯のなかに浮かせてお艶は、足を停めたが、
「やなこッたイ。へッ、お汁粉ンなかから百八十円出てきやしめえし。お艶ちゃん、達者で暮らしな」
 丑松うしまつに別れる直侍なおざむらいのようなことを言うと、そのままピューッと今松は真一文字に駆け出していった。
 みるみる真黒な姿が闇の中へ、溶け込んでいった。
 あの人、私と一緒になりたいのじゃないのかしら。
 ジーッと行く手を見送りながらお艶は、思った。
 それならそうといっそハッキリ言ってくれればいいのに。
 あの人なら、きっと入谷のお師匠さんの後継ぎになれるとも思っているのに。
 心の中で思いながら、いつまでもいつまでもいつまでもお艶は立ちつくしていた。
 目路の限りの暗がりのなかに、今松の姿はもう見えなかった……。


 あくる朝、駒形の鶴助の家の二階で目をさまして今松は、つまらないことをしたと思った。
 あんなにむかッ腹を立ててしまうんじゃなかった。
 なぜお汁粉屋まで一緒に行って、もういっぺんまごころをつくして、頼んでみなかったんだろう。
 至誠の前には、鬼畜といえどもなびき、かしずくと言うではないか。
 ましてや相手はお艶ちゃんだ。
 俺の一生懸命さが、あの人の心をゆさぶらないわけはあるまい。
 そうすればこの俺哀れと思い、しまいにはお艶ちゃんだって根負けがして、三河屋行きはやめにしてくれたかもしれない。
 それをあんなに袖なく別れてきてしまっては、どうにももう手の施しようがない。
 ああ俺は馬鹿だった、馬鹿だった。
 つくづく今松は後悔した。
 第一、もうお艶は来ないだろうと思うと、今夜、寄席へゆくことがおそろしかった。
 今松の江戸前のキビキビした顔は、尽きせぬ悔恨と疲労とでひと晩のうちにゲッソリと痩せてしまった。
「今晩は……御苦労さま」
 その晩佐竹の富本という寄席の楽屋へ入っていった今松は、如才なく楽屋の誰彼に挨拶しながらも、いつもお艶の座っている高座の脇へだけ、目をやることができなかった。
 神様。
 どうかお艶ちゃんを三河屋の爺さんのお神さんにさせないでください。
 心のうちで今松は、拝んだ。
 ほんとにほんとに、お願いです。
 やっとの思いで目を開けてみると、顔に大きなヒッツリのある下座のおきん婆さんがトボンと座っているばかりで、恋しいひとの姿はやっぱりその場所には見られなかった。
 牡丹色のお艶の座蒲団が、空しく敷きっ放しにされていた。
 ひと目見て、床の間の花活はないけに花のなかった寂しさを、感じないわけにはゆかなかった。
 大事な大事な宝石を、千仞せんじんの谷底へ落してしまったつまらなさでもあった。
 暗く、悲しく、ガッカリとした。
 お高祖頭巾のなかのやさしい目が、さし込んでくる百目蝋燭の灯影にちらついてきてならなかった。
「今松、ここは今朝にちょいと代わらせておく。大急ぎで茶屋町まで行って、都々逸坊にこの手紙届けてきてくれ」
 そのとき相変わらずの真っ赤な顔をした師匠の助六が右手に厚い封筒をつかんで、せっかちに入ってきた。
 今日も気むずかしそうな顔をしていた。
 うしろに雷蔵の奴がいていた。
「ヘイ、承知しました扇歌師匠へ。ヘイ、並木でござんすね」
 苦が虫を噛み潰したような師匠の顔を見て今松は、今の今までの悲しみも忘れたように立ち上がった。
 すぐ麻裏を突っかけて、
「御免」
 そのまま楽屋口から出ようとすると、
「今松、今松」
 雷蔵の声が追いかけてきた。
「お艶ちゃんは昨夜ゆうべきりで廃業したぜ。なにしろ相手は七十親爺だ。本妻たって、しょせん、妾も同然よ。約束だ。明日ァたんと奢ってもらうなあ」
「…………」
 勝手にしやがれ。
 後を振り向いても見ず今松は、プリプリ腹を立てながら出ていった。


暮春の唄



 いく日も。
 いく日も。
 頭をかかえて今松は、考え込んでしまった。ひと晩のうちに、千万両の大身代が灰となり、焼けつくしてしまったような気落ちを感じた。
 額といわず、頬といわず、背中といわず、手の先といわず、胸といわず、おなかといわず、膝ッ小僧といわず、かかとといわず、身体全体至るところから絶えず冷たい冷たい水の注射でもされているような寂しさを感じずにはいられなかった。
 しかも、シュンシュンとその水は、自分の身体中で冷たくさざなみ立ててうずくのだ。
 ささくれるのだ。
 ガーンガーンと耳の奥の奥のほうからも、絶えず無気味な物音が聞こえてきていた。夕とどろきの物悲しさに、それが似ていた。
 忘れよう。
 忘れなくっちゃ――。
 今松は、頭を振った。
 烈しく左右に振ってみた。
 どうかして、忘れようと努めた。
 その苦しい幻を忘れるため、いっそう師匠のところへ稽古に出かけた。
 めちゃめちゃに稽古をしてもらった。
 で、「寿限無」は、どうやらこうやら、上げることができた。
 つづいて「垂乳根たらちね」の稽古がはじめられた。
 これは、「寿限無」とちがって、若い職人がお神さんをほしがる噺だった。
 今松にも容易にこの心持ちは共感されるから、「寿限無」のときほど、その場その場の人間の了見の表現に、ドジを踏むようなこともなかった。
 割合に師匠の小言も少なくトントンと進んで、職人のところへ、問題の京都の大内へ仕えていたという官女くずれのお嫁さんのやってくるところまでじきにしゃべれるようになった。
わらわことの姓名を問い給うか、父は元京都の産にして、姓は安藤、名は慶蔵、あざな五光と申せしが、ある夜、母君、丹頂の鶴を夢見て、妾を胎み給いしかば、幼少の折は鶴女鶴女と申せしが――」
 このお嫁さんの言い立ても、割合に今松は叱られなかった。
「お前、こっちのほうが『寿限無』より出来がよさそうだぜ」
 師匠の助六はこうさえ言ってくれた。
 やかまし屋の師匠が、ほんのちょっとでもこんなこと言うなんて。
 まったく珍しいことだった。
 嬉しくて今松はいっそうの馬力を掛けた。
 まもなく「垂乳根」一席が大過なく覚えられた。
 こう調子よく覚えられたものは、自分でもしゃべるに手勝手がいい。出来がいい。
「妾ことの姓名を問い給うか、父は元、京都の産にして――」
 寝ると、起きると、心持ち好くこの一こまを繰り返した。
 もしこのお嫁さんがお艶ちゃんだったら。
 一生懸命、花嫁の長口上をしゃべっているとついそう思わずにはいられなかった。
 もしお艶ちゃんが大内へ御官女に上がっていてこんな馬鹿ていねいな言葉ばかり使うのだったら、俺は決してこの職人さんのように閉口したりなんかしないだろうに。
 いや、もしこの職人さんが手を焼いて、三下り半を叩き付けたとしたら。
 出戻りになったお艶ちゃんだっていい。おいら、喜んで手を出してもらうだろうに。
 つくづくそれが考えられた。
「もういいたらちめは卒業だ」
 どの落語家もそうなまるようにやはり垂乳根をたらちめとなまって、ある日師匠助六が言った。
「エ、いいんですか、もう」
 今松は、師匠の赤い顔を見た。
 ほめられて、トントンと一席の片付いてしまったことは嬉しいが、せっかくのこの花嫁さんの出てくる落語と、もうこれッきりお別れになってしまうと言うことはたいへん名残り惜しかった。
 掌中の珠と別るる感じ。
 やりともないという気がした。
 次の日からは「金明竹きんめいちく」。
 大坂者の番頭が、道具屋の店先の諸道具をペラペラとまくし立てる、やっぱり前座の舌をほぐれさせる修業に役立つ、重要な基本落語のひとつだった。
 それへかかった。
 が、このほうは、とうてい「垂乳根」の半分にすら及ばなかった。
 いや、苦手な大坂弁の長広舌があるだけ、はじめの「寿限無」にも劣る不出来だった。
「馬鹿野郎。少したらちめをほめてやったら、もう安心して芸が後戻りしやがる。天狗は芸の行き戻りだ、馬鹿野郎。まだ手前なんぞ天狗にも木ッ葉天狗にも、外道にもひょっとこにもなってやしねえや。今から安心なんぞしやがったら、裏の田圃へ持ってって逆さまにして漬けちまうぞ」
 そろそろ梅の蕾も膨らみそうな午前の日の光がキラキラしている垣根の向こうの入谷田圃のほうをあごでしゃくりながら師匠は言った。
 冗、冗談じゃない。
 俺、今から天狗になんぞなってたまるもんか。
 そうじゃないんです私は。この「金明竹」のほうは今の自分の了見方に近い若い綺麗なお嫁さんのでてくる噺でないから、それで、やりにくくなってしまったんですよ。決して慢じたりなんかしているもんですか。
 そう言いたかったが、まさかそれは言えなかった。
「すみません、勉強いたします」
 おとなしく頭を下げておいた。
 四苦八苦して、ふた月ばかりでこの「金明竹」が上がると、今度は「道灌どうかん」。
 つづいて「雑俳ざっぱい」。
 うちの凸凹隠居と八さんとが、歴史や発句の問答をする一連のお笑いだった。
 これは、案外、早くできた。
「みろ。小言を言ったら、今度アちっとばかり覚えがよくなりやがった。オイほめられてすぐいい心持ちになるような根性はほんとに直しちまえよ」
 なにも知らない師匠は言って、気むすかしそうに眉をモクモク動かせた。
 でも、お艶忘れようの一心で、しゃにむに励むこの猛稽古――。
 だんだんそれはものを言って、花の咲く頃には、二つ目になることができた。
「おめでとう」
「勉強しなよ、しっかり」
 オットセイと仇名された頭の禿げあがった左楽も、初音屋の師匠と敬われていた、いかにも酒好きらしい大男の柳朝も、皮肉屋でとおったムッツリとした燕路えんろも、ムジナと呼ばれた音曲のつばめも、いろいろの立派な師匠たちが、楽屋で会うと声をかけて励ましてくれた。
「ありがとうございます」
「しっかりやります」
 そのたんび今松は頭を下げた。
 昨日までは宵からねるまで一軒の寄席に居座っていて、あとからあとからやってくる芸人たちの下駄を直し、お茶を汲んで出し、みんなの羽織を畳み、帰る人には着せかけてやり、その合間合間には師匠から預った前の晩の皆の給金を渡したり、高座の火鉢を片付けたりまた出したり、御簾みすを下ろしたり上げたりしなければならなかった。
 それが今日からはたとえ浅いところで七時がらみに身体があいてしまうとしても、一軒済ますとまた一軒。
 掛け持ちができるようになったのだ。
 早くも自分の後輩の前座たちが、
あにさん……兄さん……」
 と呼んでくれるようになったのだ。
 しかも、こんなに早い時間で前座の足が洗えた人は、今までの柳派の仲間のなかでも、十人二十人とはないのだそうだ。
 さすがにそれを考えると今松は、心のなかの雪洞ぼんぼりへボーッと灯のさし入れられる思いがしたが、しかもその雪洞の灯の、絶え間なく吹き暴れる春の夜の嵐に、危うく掻き消されようとすることをなんとせん。
 嵐は、お艶の吐息だった。溜息だった。
 な、なんだ、男一匹が。女々しいにも程がある、たかが女一人のいきさつで。
 そう自分を叱りつけてみたけれど、「心」は、それに「否」と答えた。
 ちがうちがう、女々しいんじゃないんだ、俺は。
 お艶にふられてメソメソしているこの俺なら、東京っ子の面汚しともいえよう。
 露助ろすけに見られて恥ともいえよう。
 が――そうじゃない。
 三河屋の七十隠居へもらわれていく、そんな暗い悲しいいたましいお艶ちゃんとの別れだから、俺の心は痛み、疼くのだ。
 どうしてそれが女々しいといえよう。
検校けんぎょうの妾に顔を棄てに行き」オットセイの左楽師匠は、昨夜、お成道の日本亭の高座でこんな川柳をマクラに振ってたっけが、それにも等しいお艶ちゃんの身の上なればこそ、俺は悲しみ嘆いているのだ。
 強いばかりが武士ではあるまい。
 花も実もある男こそ、初めて露助に見せつけて威張ってやれるほんとうの日本男児だろう。
 だとすると、だとすると、せめて俺は男として、かわいそうなお艶ちゃんの身の上のために泣けるだけ泣いてやったって――。
 いいのだ。いいにちがいないのだ。心にこう思い定めたとき、不覚にもまたポロポロと大粒の涙があふれ、生ぬるく頬へ流れてきた。
「…………」
 あわてて手の甲で涙をこすって、ソッときまり悪そうにあたりを見廻して見て、
「ア、いけねえ」
 今松は小さく叫んだ。
 二軒目佐竹の富本を出て、称念寺の真っ暗い黄楊つげ垣を右に、いつか自分は忘れようとて忘れられない別れをした、あの腰屋橋のあたりまでさしかかってきていたのじゃないか。朧の夜の中に眠ったように新堀の水が流れ、鯉寺のあたりには白く桜の花の塊がうるんでいる。今夜もいつかの晩のように、おでん屋が屋台を出していて、浮気に灯の色がまたたいている。
 それらの景色、あまりにもまだ今松の目には、痛かった。
 切なかった。
 いや、今また容赦ない注射針が身体へ、今度は一段と痛い辛い塩水が注ぎ込んでくる思いだった。
 泣くまじと今松は歯をくいしばった。


 胸締めつける思い出は、まだまだ東京中のそこにもここにも残っていた。
 最後の本意ない別れをしたのこそ新堀端であったけれど、古着屋のひさし連ねた佐竹の細い賑やかな通りも、よく一緒に歩いたところだっけ。
 暮れ方の薄汚れた三味線堀のふちに立ってボンヤリ水のおもてを眺めていたとき、ポンとお艶ちゃんに肩を叩かれたこともあったっけ。
 現に今、振り出しに行っているお成道の日本亭は、お艶ちゃんが一段新内を語り終えると必ず、
「大出来、大当たり」
 と頓狂なめ言葉を掛けてくるお客のいたところとして悲しく忘れられないし、三の輪の寄席の高座では、※(歌記号、1-3-28)縁でこそあれ末かけて……とあの人が「蘭蝶」を歌い出したらプッツリと糸がれ、俺が下座の小母さんの三味線をひったくるようにかかえて高座へ持ってってあげたところだっけ。
 ところがどうしてだろう、その三味線の糸もまたすぐ絶れてしまったので、
「しかたがない」
 こけた美しい頬へ寂しい笑いをのせてお艶ちゃんは、いつにもなく立ち上がり、自分の糸のほうのつながるのを待ってその三味線で下座さんに、※(歌記号、1-3-28)獅子はほんかいな――を弾いてもらって器用に踊った。これがかえって大受けだったっけ。
 千住の薄暗い寄席の楽屋にも思い出はあるし、花川戸の西の宮って寄席の前へ来ると太い真紅な字で「富士松上るり、おなじみ富士松お艶」と書いてあった招き行燈が、今もマザマザ灯に揺れて見えるものを。
 そのたび新しい悲しみにおそわれ、そのたびおそろしいほど胸の潰れた今松だった。
 ついたまらなくなってそういうときには、そこらのおでん屋へ飛び込んでいき、キューと湯呑でお酒をやることがしかたがなかった。
 一杯が二杯、二杯が三杯。
 だんだん今松のお酒は強くなっていった。
 一週間ほど続けて毎晩飲んでいるうちには、まったく見違えるように強くなり、もうちっとやそっとでは酔わなくなってしまった。
 それには二つ目になり、早く身体の空くこともいけなかった。では遅くまで二軒目の楽屋に居残って皆の噺を聴いて勉強していればいいのだけれど、今の今松にとって細目に開けてある楽屋格子へつかまってジーッと高座を見ていることは、とりもなおさず高座から流れてくる落語がいつか新内に、とぼけた落語家の雁首がそのまま白い細ッそりしたあの横顔に、居所変わりとなってゆくということに他ならなかった。
 とても寄席にとどまってはいられなかった。
 持ち場をすますと、そこそこに今松は楽屋口から飛び出した。
 そうしては、汚い屋台市の暖簾のれんをくぐった。
 欠け茶碗の冷酒を、グイとあおった。
 しかし肝腎のお酒は舌の上では少しも美味しくもなんともなく、胸から腹の底へ下りていったとき、初めて火を燃やすようななにかが身体中へ浸み渡った。そのときがなんとも快かった。
 天の美禄とは思えなかったが、天与の痺れ薬であるとは、たしかに思えた。
 ついあおってはまた、あおり付けた。
 次第に今松は、お酒というもののうえに、言い知れぬ愛情をおぼえてきた。おできだらけの迷い犬に三度三度めしをやっているうち、覚えてくる愛情に、それは似ていた。
 花散らす雨気を含んだ夜風の中、今夜も佐竹の寄席の帰り、ワザと美倉橋の河岸っぷちのおでん屋の屋台で今松は、茶碗一杯に酌がれた黄色い水へ、並々ならぬ愛情をこめて、ジーイと目を落していた。
 ネットリと黄色い茶碗池の真ん中あたりでは、薄暗いカンテラの灯がメラメラ花開いて揺れていた。
 見つめているうち、フイとそのカンテラの灯は消えて、ポッカリ紫の花が開いた。チュウリップに似た、一輪の西洋花だった。
 花は、茶碗いっぱいに大きく開いた。
 そうして匂った。
「オ、花が咲いた」
 狂おしそうに目を歓びに輝やかせながら今松は、その紫色の花を見つめていた。
 みるみる紫は大きくゆるやかに廻り出して、幻燈の花輪車を思わせるその花の影、ゆくりなくもあの切れ長の漆黒の眼差がシットリと濡れて笑っていた。忘れられない人の目だった。遠い夜風のなかのお高祖頭巾は、そのまま花弁の紫か。
「…………」
 パタリ今松は茶碗を落とした。
 タラタラタラと酒が黒っぽい高座着を濡らし、カチャッと地べたで茶碗の割れる音がした。
「ド、どうしました師匠――」
 カンテラの灯に貧相に隈取られたおでん屋の主人の顔が、汚い鍋の向こうから伸び上がるように覗き込んできた。


マント・焼鳥



 世に、アルコール中毒とは、老人のこうした症状を指して言うのだろう、そうして、まだ年若いものの場合の酒毒の症状にはまたなにか別の病名があるのだろう、ともあれ毎晩毎晩お酒をあおっているうち、だんだん今松はお酒の気のない日には所縁いわれない強迫観念をおぼえるようになってきた。
 目がクラクラ、胸がドキンドキンして、あまりいいお天気の日など、雲ひとつないうらうらと晴れ渡った群青の大空から、今にもなにかこう世界中をぶッ潰してしまいそうな大きな大きなガラス玉でも転がり落ちてきそうな気がしてたまらなく恐ろしかった。
 そんなとき表へ出なければならないことがあると、前後左右を決して振り向かず、なるべく地面ばかり見つめて歩くことにした。そうでもすると、少しは強迫観念が薄らぐのだった。だから、いきなり人に突き当たられ、びっくりさせられることが少なくなかった。
「イ、痛。気をつけろ、馬鹿野郎」
 今日もいきなり今松の耳もとで大きな声が爆発した。めっきり夏近い日が車窓のガラスに光っている日曜の午前、十軒店じっけんだなの五月人形屋の店の前を、乗っている市内電車が今通るところ、木原店の木原亭へ昼席へゆく途中だった。
「ア、ごめんなさい」
 間、髪をいれずこう言った今松の声なんか、この大声の爆発の前、苦もなくかき消されてしまっていたのだろう。
 それより早くポカポカポカポカポカーリ。
 たくましい大きな拳固の雨があとからあとから降ってきた、今松の頭といわず、顔といわず、頬といわずに。
 最前からしきりに起こってくる強迫観念を追い払おうと懐手した両方の手をシッカリ組み合わせていた今松だったから、どうすることもできやしなかった。
 おまけに、痛さを耐えながらチラと見ると相手は、軍医か柔道の先生にでもありそうな、もしゃくしゃ鬚の、デップリ仁王様然とした見上げるような血色のいい大男だった。鼠色の夏マントをスッポリと着ていた。
「すみません。ハイすみませんでした、わかりました」
 とても敵ではないと見てとって、理屈もなんにも言わず今松は頭を下げた。
 なんべんもなんべんも頭を下げた。
「よし。わかったら許してやる。これから粗忽で足を踏んだらすぐ詫びを言えよ」
 …………あんなこと、言ってやがら。
 すぐにもなににも、現に小声だけれどすぐ詫びているんだ私は。それも待たずに、ポカポカポカと手前てめえやりやがったんじゃねえか。
「オオ痛え」
 やっとのことで組み合わせた懐手をほぐして、恐らく真っ赤に腫れ上がっているだろう、ひどくカッカと火照ってきた両頬を、腹立たしさと照れくささとにむせ返りながら、ワザとなんの苦もなさそうに撫で廻していた。
 にしても――それにしても腹が立つ。
 たいていしゃくに障る奴たらない。
 うぬ、どうするか――。日本橋近くなったとき、ソーッと今松は相手を盗み見た。
 快く勝利感に支配されているのだろう、いやことによると今松の存在なんか雑魚一匹ほどにももう考えていないのかもしれない、この豪壮な仁王様は目を半眼に閉じ、今度はこの男のほうがマントの下で右手を左の肩へ、左手を右の肩へ、X字形に組み合わせて、悠然と立ちながら眠っていた。
「……よウし」
 手早く今松は尻をからげた。
 拳を固めた。前後左右見廻した。幸いに車掌台まで一気に駆け抜けられる程度に、客と客との間は空いていた。
 プッと小さくその拳へ呼吸を掛けた。
 ド、どうするか見やがれ。
 ポカポカポカポカ。
 たちまち続け打ちに、滅多打ちに、アッという間に五つ六つなぐりつけだ。
 そのまんま、ピューッ。
 後をも見ずにとはこのことだろう、横っ飛びに今松は車掌台まで飛んでいった。
 ちょうど伴伝の前だった。
 夢中で飛び下りて食傷新道を木原亭まで。楽屋へ入り、便所へ入った。手洗いの水へ手拭を浸して、打たれたところを押し付けた。熱い痛い顔中が、少うしばかり自分の顔らしさを取り戻してきた。
「今松あにさん……今松さん」
 そのとき便所の戸の外で、前座をしている左楽の弟子の左鶴が、声高に呼んだ。
「あと高座へ上がる人が誰もきてないんです、早く、早く上がって」
「よしきた」
 濡れた手拭を片手に握ったまま便所を出ると、外は初夏らしく晴れているのにひどく薄暗い高座へ、ソソクサと上がっていった。そうして、座った。
 二つ三つ、暗い客席から拍手が聞こえた。
 一礼して顔を上げ、「エー一席……」と言いながら、ヒョイと高座の真下へ目をやったとき、
「ア」
 ギョッとした、今松は。
 一番真ん前の高座とすれすれのところに、最前の鬚むしゃの仁王様が、やっぱり目を半眼に閉じたまま、やっぱり両手をX字形にマントの下の肩のところで組み合わせたまま、なんと座っているではないか。
「…………」
 もうそのまんま今松はなんにも言えなくなってしまった。


 ヘドモドしてしまったのなんのって、まったく、どうすることもできなかったほど、ただ、口ばかりいたずらにモグモグとしていた。
 あわててしまった。
 まごついてしまった。
 いつもはほんの形式だけに口を湿す湯呑のお湯を、いつのまにどう注いだのだろう、湯呑のほうへ口を持っていかなくちゃ間に合わないぐらいダブダブに注いでしまって、こぼしながらググググと一気に呑んだ。
 そうして夢中でしゃべり出したは、「垂乳根」でも「金明竹」でも「雑俳」でもなく、イの一番に覚え込んで大雪の晩に七へんしゃべった「波平行安」の小噺だった。
 人間、最後の最後いよいよ断末魔に陥ったときは、誰しもが「お母さん」と心の奥でひそかにこう呼び掛けるものであるそうな。
 いま今松が困りに困って己を失ったとき、たまたま落語家になりたてのホヤホヤに覚えた小噺「波平行安」をしゃべり出したということも、まさに「お母さん」と呼ぶその心持ちに近かったかもしれない。
 しかも、この「波平行安」。
 さんざんの不出来だった。
 しどろもどろ。不出来にもなんにも、てんで形にもなんにもなっていなかった。
 第一、お客様の姿が初めて高座へ上がった晩のよう、モヤモヤとしていてよく見えなかった。
 そのモヤモヤひと色の真っただなかに、あの鬚もじゃの仁王様の姿ばかりが、まるで大空高くそびえ立つ浅草蔵前の大人形の大仏様のように消えたり、現れたり、また消えたりしていた。
 なにをしゃべったかわからないままに、やっとのことにさげだけつけると、ろくすっぽお辞儀もしないでそのまま楽屋へ飛び下りてきた。
「ア、御苦労さま」
 こう左鶴に声を掛けられて、はじめて今松はきまりの悪いものを感じた。いやだ、我ながらいやな出来だった、ブルブルと今松は身慄いした。
「ナ、なんだってオイお前、満足に噺をやらねえんだ」
 意外や、耳もとで師匠の声が起こった。
 またギョッと今松は振り返った。
 中入り過ぎに上がるはずの助六師匠が、相変わらずお閻魔様を思わせる赤いテラテラの盤台顔で、渋面作ってキチンと座っていなすったとは――。
「ア」
 思わずペタペタと座ってしまった。
「若え身空に投げて小噺なんかでお茶ア濁して、そのまた小噺の出来が型なしときちゃ」
「チ、違います」
 あわてて今松は遮った。
「なにが違う」
「違うんで師匠、投げて私、小噺をやったわけじゃ」
「じゃ、いったいなんだってまた――」
わけがあるんですわけが。師匠」
 今松は今、大真面目だった。
「じつは、じつはねえ、師匠」
 電車のなかの鼠マントの仁王様の一件を、事や細かに話し出した。
 黙って師匠は訊いていた、大きな口を気短らしく一文字に結んで、膝へ置いた両手を少し慄わせて。
「……そういうわけで、すッ飛んできて高座へ上がると、なんと師匠、その野郎が高座の一番真ん前に座ってやがるんで。いや驚いたのなんのってすっかりヘドモドしちまって……」
 ツーッ。師匠の右手が伸びてまだ最前の痛みの去らない今松の頬にまたピシリと平手が鳴っていた。
「オイ」
 そうして、睨んだ。
「芸人はいつどこでどんなお客様にお目にかかるかわからねえ。表を歩いておいでのお方様は全部お客様と存じあげて、常々失礼のないように心掛けていろイ。そいつをあろうことかあるめえことか、ト、飛んでもねえ、向こう様がおなぐんなすったからって、こちらも先方様をなぐり返すなんて、ソソ、そんなわからねえヘチャムクレが――」
 もう一度助六の右手が、ピシリと今松の頬の上で、烈しい音を立てていた。


 まだ日の沈みきらない上野広小路の角の焼鳥屋の紺暖簾を、肩で今松はくぐっていた。
 まずい字で経木へ一本五厘。焼きたての串へさした焼鳥が、大きなお皿の上で、いい匂いをさせて煙を立てていた。
「もらうよ小父さんこれ。そいからお酒をコップで二杯ばかり、冷でいいんだ」
 いい加減、もう頬を染めている今松が、いきなり焼鳥の串を口へ運びながら、痩せた人の好さそうな爺さんに声を掛けた。
 師匠の帰ったあとちゅうっ腹で木原の楽屋を飛び出すと、食傷新道のゆきつけの家へ飛び込んで、とりあえず二、三本、徳利を倒した今松だった。
 それから足に任せてブラブラブラブラ日本橋を神田、お成道とこの上野まで。ちょうど、鈴本の夜の高座へ、うってつけの時刻になっていた。
 脂の乗ったモツの肉を頬張りながら見上げる初夏の空はお納戸色に明るく暮れのこって、頭の上いっぱいにヒラヒラ蝙蝠が飛び交っていた。
「いいんですか冷で。なんならちょいとお燗いたし……」
 コップへお酒を注ぎながら訊ねる爺さんへ、
「いいんだよいいんだよ、冷のほうがずっと飲み心地がいいんだから」
 ひったくるように奪い取って、ひと息に飲んだ。
「もう一杯」
 またコップを突き出した。

 やっと暮れつくした鈴本の高座へ上がってすぐ今松がお辞儀をしたとたん、ズラリと高座のすぐ下に陣取っている十二、三の子供たちが、
「ヤーこの小父さん、さっき、大道で一本五厘の焼鳥食べてたよ」
「ヘッおかしいな、五厘の焼鳥食べてやがった」
「ヤーイ焼鳥野郎ヤーイ」
 口々に囃し立てた。ハッと今松困ってしまった。
「冗、冗談でしょ坊ちゃん」
 よく今日は高座の一番前からばかりいろんな事件の起こる日だぞと思いながらワザとすまして、
「私じゃござんせんよ、そりゃ。ソ、そんな焼鳥を食べてたなんて、そりゃどこか他の小父さんですよ」
 こう弁解したけれど、
「嘘だ、嘘だイ、嘘ばかり言ってら。なあ皆たしかにこの小父さんだったなあ」
「そうともよ。あたい、この小父さんの色の黒い顔、前からチャーンと知ってんだもの。誰がなんてったって小父さんだイ」
「そうだそうだイ、この小父さんが、一本五厘の焼鳥なんだイ」
 たまりかねて七分がらみ詰めていたお客たちがドーッと笑い崩れた。よっぽどおかしかったものとみえ、あとからあとから笑ってはまた笑い、また笑ってはまた笑い、笑いのどよめきが静まらなかった。ばかりか、笑いの大波小波は寄せては返し、返しては寄せ、次第次第に土用波ほど高まっていった。
 とてももう噺なんか聴きそうにない。
「エーそれはさておきまして、その……いえ坊ちゃん私じゃないてば……いえそれ坊ちゃん……困ったな、あ、こりやどうも」
 上げも下げも付かなくなって今度は「波平行安」すらしゃべれないまま、真っ赤になってスゴスゴ楽屋へ下りた。
 とたんに、
「オイちょっと顔を貸せ、今松」
 ……なんたるこッたろう、ここへも三軒目にくるはずの師匠の助六が休んだ芸人の穴埋めにもうきて聴いていたのだった。
「…………」
 今松は酒の酔いもなにもいっぺんに醒め果ててしまった。
 な、なんて魔日なんだろう、今日は。
 それでなくっても昼間ピシャリと俺の横ッ面をハリ倒した師匠だ。
 今度は二度目だ。
 さしあたり例の銀煙管で真眉間を、真っ二つにでも割られることだろう。
 スゴスゴ師匠の後から、楽屋の奥のほうの座敷へついていった。
 ランプの灯に抜け上がった額を光らせて、オットセイの左楽師匠がいた。
 むじなのつばめ師匠も控えていた。
 講釈師から落語家になった柳条さんが真っ黒な大きな顔を見せて、しゃちこ張っていた。
「座れ、今松」
 まず自分が座って師匠は言った。
「へ」
 小さく座った。
「一本五厘の焼鳥食べたってお前」
 ニューッと青筋を額へ浮かし、これ以上気まずい顔はできまいと思われるほど気拙い顔をしてジーッと助六は睨んだ。
「嘘、嘘ですよ師匠、大嘘ですよそんな、一本五厘の焼鳥なんて」
「嘘をつけ」
 キッパリと師匠は言った。
「嘘だてえ、手前こそ嘘だ。前におでの坊ちゃん方が皆ああやっておっしゃっておいでじゃねえか。食べたんだろう、この野郎」
「…………」
「言え。言えったら言え。白状しろイ、食べたか食べねえか、ヤイ、ハッキリと手前」
「タ、食べました。すみません」
 敵はじと見てとって今松は兜をぬいだ。平蜘蛛のようにひれ伏してしまった。
「ウム」
 ほかに同僚が大ぜいいたからだろう、銀煙管はおろか、幸いに平手も飛んでこず、しばらく苦りきって押し黙っていたまんまだったが、やがてのことに口を開くと、
「今松」
「ヘイ」
「お前アいい若えものだ。ましてこれからどんどん売り出そうって江戸っ子の芸人だ」
「ヘ、ヘイ」
「それが、いいの振りをして大道で一本五厘の焼鳥なんぞ食べるようじゃ、しようがねえや。気をつけろよ、これから」
「あいすみません」
 下げていた頭をさらに下げた。
「わかったな、オイほんとうにわかったな」
 重ねて師匠は念を押した。
「ほんとに、ほんとにもう気をつけます」
「よし」
 大きく肯いて、
「ぐずぐずしてると、二軒目の席が遅れる。行け、早く。どこだ二軒目は」
「神田の白梅なんで」
「ウム。早く行け」
「ヘイ。あいすみません」
 文字通り虎の尾を踏み毒蛇の口を逃れたる心地して、居並んでいる師匠方へ挨拶もそこそこにションボリ楽屋裏の梯子を下りていこうとしたとき、
「待て待て今松」
 頭の上から師匠の声がまた追いかけてきた。
「ヘイ」
 梯子段の途中へ停まってふり向くと、師匠の赤い怖ろしい顔が目の上いっぱいにひろがっていた。
「どこの店だ、お前のその食べたっていう一本五厘の焼鳥屋は」
「ソ、それだけはもう師匠、御勘弁を」
 梯子段の中ぶらりんで消えも入りたい今松だった。
「言ってみろ言って。念のために聞いておくんだ」
 師匠の声がまだ一段と高まってきた。
「……………申し上げますヘイ。あの広小路の角の店なんで」
 か細い声でやっと言うと、
「なに、角?」
 ほんのしばらくの間、ジッと師匠は考えていたが、やがてのことにさらにひとッ調子声張り上げて、
「よせよせ今松、あの角のはよせ、三軒目のうちのほうがよっぽど美味うめえや」


羊羹綺譚



 さすがに一方の大看板雷門助六。その晩の楽屋には左楽やつばめや柳条やたくさんお偉方えらがたのいる前で弟子に赤恥をかかせるような男ではなかったから、いろいろ油を絞ったあとで、わざと三軒目のうちのほうが美味いなどと道化たことを言ってその場から解放してやったのだったが、まだ二つ目になったばかり、修業最中の今松が近頃ぐれて酒ばかり飲み出しているということは、とうに噂で聞いて知って腹にすえかねていた。
 が、ともかくも今までは自分の前でプツリとも酔った姿を見せなかったから、ついそのままにしておいたのだった。それがどうだろう、天網恢々てんもうかいかいにして漏らさず、今度という今度は電車のなかの一件と、その晩の焼鳥一件と、一日にふたつも馬脚を現してしまったではないか。
「ふざけた野郎だ」
 それからというもの、目の仇のように、今松の一挙手一投足について厳しく小言を言いはじめた。
 なにかと言えば、ピシリ横面をもなぐりつけた。
「けッ、なんでえ師匠が。この頃ンなって急に俺を邪険にし出しやがら」
 そうなると今松のほうも、次第に師匠の仕打ちに怨めしさを感じるようになってきた。
 なにかというと今松自身、愚痴になる通り、天地の中にたった一人ぼっちの孤児だった。
 情に飢え、親身に飢えすぎたその結果は、ずいぶん涙もろくもなっている代わりには、ひとつ情けないと思うことにぶつかると自分でも知らないうちにたちまち意地も張りもなく「心」全体がひがんでひねくれていってしまうことがしかたがなかった。
「なんでえなんでえ、あんな師匠」
 いつか今松は、“師匠と親は無理なもの”というこの世の中の幾山河を越えて行くうえに、一番一番大切な金科玉条をも、コロリと忘れてしまっていた。
「そりゃ俺もたしかに悪いかもしれないが、師匠のこの頃のあの寄席の抜き方だってなんだえ。毎晩毎晩、神田の川竹を休んじゃ、赤坂の一つ木の真打席とりせきへばかり酒飲みに行っていなさるじゃねえか」
 ……この今松の、師匠についての考え方もまたたいへん間違っていた。
 なるほど、この頃、助六は神田の川竹を必ず抜いて休んでいる。
 川竹では、いま人気者の助六に抜かれては困るので、助六の人力車のやって来るほうへ見張りを出させておいては、
「ドッコイ待った」
 とその棍棒をつかまえる。そうして、無理矢理、高座へ引っ張り上げる。
 ところがこんなことが二日三日続いたと思ったら、今度は助六の人力車はパッタリ川竹の近所を通らなくなってしまった。まったく思いもかけない道を大廻りしては、赤坂一つ木の真打席へまっすぐ駆けつけていくらしい。
 さて一つ木の寄席のほうでは助六が到着すると、楽屋の奥の小ぢんまりした部屋へ通し、高座へ上がる番のくるまでごくいいお酒を一合、吟味したお新香を肴に添えて出す。チビリチビリそれをやっては、やがて自分の番がくると、あの閻魔顔全体がたちまちとろ火へかけて煮くたらかしたかのようにデレッと崩れて、見ただけでプッとふき出したくなるような雰囲気を十二分に発散させながら、ノコノコ高座へ上がっていく。
 ……それを今松しきりに悪く言うのだけれど、助六のことにすると決して横着で神田の川竹を抜き、一杯飲めるから赤坂のほうへ足が向くなんてそんなのじゃなかった。
 飲もうと思えば、いま日の出の勢いの雷門助六。二升か三升でも手銭で飲める。
 そうじゃない、ひと口に言ってしまえば、神田の川竹は始終大入りだったからだった。
 よく客が詰めかけてきているからだった。
 そんなところは助六一人休んだとて、明日の客足には決して障らない。
 然るに一つ木のほうはどうだろう。
 へんぴな山の手ではある。
 客はあまり来ない。
 大真打の言ったら真打とりの自分ただひとりで、あとは皆、中どころの看板ばかりだ。
 なればこそ席亭もこの人大切とばかり、心を含めたお酒と肴を持ってきては、うやうやしく毎晩もてなすのだ。
 なればこそまた助六も、川竹をやってくると、どうしても赤坂のほうでタップリと噺がやれなくなるところから、人力車の道を変更させてまで、休んで一直線にやって来るのだった。弱きに従くこそ、生一本混ぜ物なしの江戸っ子じゃないか。
 が――こうした思いやりある師匠の心づかいは、到底、若い今松にはわからなかった。
 身勝手に理解をつけては、一人で助六のうえを腹立てていた。
 それにはこの日頃自分に対する仕打ちのことも入り乱れて考えられて、無闇に、むかっ腹が立ってくるのだった。
「そうだ、俺、今夜師匠に会って言うだけのことを言ってきてやろう」
 珍しく素面しらふで白梅の帰り、御徒町まで帰ってきていた今松は、俄に師匠にひと談判したくなってクルリと踵を返すと、興奮して入谷のほうへと歩き出した。


「ダ、誰もいない? ヘーエ、そうですか」
 いつの間にか途中どこかでチョロリと引っ掛けてきていた今松は、この頃ひどく鋭くなった目をいっそう酒で血走らせ、足もとも危うく、飯焚き婆さんのおいちに言いながら、フラフラ奥の八畳へ上がっていった。
「住みかえた家は気安し郭公ほととぎす
 と枯れた達者な字でしたためられてある死んだ二葉町の大師匠燕枝の軸が、ランプの笠の陰影かげで半分から上を薄暗く見せているその部屋には、燻っている蚊燻しの傍で七つになるもらい娘のお六が、クリクリした目を余計大きくさせて、飛んだり跳ねたり変ったりの花川戸の助六の玩具を持っておとなしく遊んでいた。
 助六の娘が助六の玩具を持って遊んでいた。
 ちょいと今松はうれしくなった。
 いたって子供をあやすことの駄目な今松だったが、この子だけは不思議になついていた。
「オお六ちゃん、阿父おとっさんは」
 立ちのまま、訊ねた。
「アラ今松小父さん――」
 ニコッと大きな目で見上げて、
「阿父ちゃん御商売」
 ちげえねえ、はるばる一つ木から帰って来るんだもの。いまだ帰らないほうが当たり前だった。
 今いまだ時間のことにしてやっと八時を廻ったばかり、田圃では初蛙が啼き立てていた。
「じゃ阿母おっかさんは」
「阿母ちゃん、御用」
「ソ、それであんたとおいち婆やとお留守番か。よくお眠にならないね、お六ちゃんは」
「だって」
 トロンと目の据っている今松の顔をまた見上げて、
「阿母ちゃんがお土産買って帰ってきてくれるって言ったんだもの」
「ナールほど、そいじゃお六坊寝られねえわけだったなあ」
「うん」
 コクリと子供はうなずいた。なんともその様子があどけなく、可愛らしかった。ふッといま今松は、師匠への憤りをさえ、忘れてしまっていた。
「オお六ちゃん、かんかん結ってやろうか髪、今松小父さんが髪を」
 プーッと酒臭い呼吸を吐き出しながらベタベタとお六の傍へ座ると、はちはちとんぼに結っている髪へもう片方をかけていた。
「うん……うん」
 お六は合点合点した。
「よウし」
 大きくひとつ顎をしゃくって、
「じゃ小父さん、唐人髷に結ってやろう。阿父さんや阿母さん帰ってきたらお六はいっぺんに姐ちゃんになっちまったなあってびっくりするぞ。よし。結ってやろう」
 言いながら、早くも両手でお六のはちはちとんぼを揉みほぐした。
 傍らに二、三枚ちらばっている千代紙の上に鋏がひとつ光っていた。
 素早くそれを取り上げると、
「ソ、ソレ
 バチンバチンと元結もとゆいった。
 パラリお六の髪全体がお化けのように小さな白い顔の上へ垂れ下がった。
「いよいよ唐人髷に早変わりの体とござアいか」
 百面相の口上の口真似で今松は、しん粉細工屋の爺さんがよく看板にこしらえる唐人髷の格好を目に描きながら、セッセとそれらしく結い上げてゆこうとして、
「ア、いけねえ」
 思わず呟いた。
 なかったのだ、鬢付油びんつけあぶらが。
 いくらでたらめの唐人髷だって鬢付なしでは覚束ない。
 お神さんの鏡台のところまで行けばなんのことはないけれど、あいにく、その部屋にはおいち婆さんが頑張っている。
 婆さんに見つかったら、余計な真似をおしでないと大粕おおかすを食うにきまっている。
「なにか……なにかないかなあ、代わりの品が」
 手のなかの髪の毛をスーイスーイしごいてみたり、クルクルと拳へ巻きつけてみたりしながら、しきりにその辺を眺め廻していたが、
「オ、あった」
 片手で髪の毛の束を握りしめたまま膝頭で廊下近くに据えられてある経机のほうへいざり寄っていった。
 この子のだろう、細長い経木の函の中に四半分ほど葡萄ぶどう色した煉羊羹ねりようかんが残っていた。
 摘み出して、ギュッと片手で握り潰した。
 しばらく手のなかでね返していた。
 うまい具合に煉羊羹、鬢付油と同じベトベトに溶け出してきた。
「しめしめ」
 鉄瓶のお湯をひとたらし、二たらし、いよいよ羊羹をグジャグジャに溶かせ、そいつをお六の頭のなかへ、めちゃめちゃに塗り込んでいった。髪の毛がいい濡れ色を見せてきた。
「ありがてえ」
 日本一の髪結の名人はこの古今亭今松様とは言わないばかりの顔をして、夢中でお六の唐人髷を結い上げはじめた。
 またしきりに蛙が啼いている。


「…………」
 叱られるわけがわらなくて今松は、師匠とお神さんの顔二つ、七分三分に見比べていた。
 あくる朝のことだった。
 シトシト梅雨めいた細い雨が、庭の椎の若葉を濡らしている。
 今朝起き抜けに、おいち婆さんが迎えにきた。
 用件は言わなかった。
 なんでもいいから師匠がすぐ来いと言うのである。
 来てみると、師匠もお神さんも、今までにただの一度も見なかったほど世にも怖ろしい顔をして苦がりきっていた。
 入っていった自分のほうを代る代るに睨みつけたその二人の顔の凄かったこと。親のあだに巡り合ったとて、恐らくこれほどの顔はして見せないだろう。
 なるほど、自分は今相変らずの深酒をしているけれど、この頃はマント一件、焼鳥一件のようなああいうヘマは決して師匠の前で見せていない。
 昨夜は酔ってこの家へやってきたけれど、お六ちゃんに髪を結ってやったきりで、エーとあの髪の結い上がったのが九時半。いまだ師匠もお神さんも帰ってこなかったので、こちらがしびれを切らして帰ってしまった。
 別にそれは叱られるってほどのことじゃあるまい。
 だのに師匠が、師匠ばかりじゃない、お神さんまでが、こんなとびきり上等の怖い顔をして俺を睨みつけているなんて。
 なんだろう。
 いったい、なんの不始末だったんだろう。
「オイ」
 そのときはじめて師匠が口を開いた。その「オイ」と言う言葉さえが、あまりにもあまりにも激しく怒りにふるえていた。
「オイ」
 もう一度、師匠は顎でしゃくった。
「へ」
 恐る恐る返事をした。
「へじゃねえ、へじゃ」
 取ッつきようのない見幕である。
「…………」
 ヘでないとすると、イ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヘ。ヘの次はトになる。
 ではトでござんすか、よっぽど言おうかと思ったが、この場合、そんなことを言ったら、半殺しにもされ兼ねまいと思って、おかしく口の中でその言葉を噛み殺していた。
「ヤイヤイ手前は、いったい、なんの怨みがあってうちのお六をあんな目に遭わしやがったんだ」
 はじめて師匠が言い出すと、
「ほんとだよお前。あまり私たちがいい人だと思ってなめるのもたいていにしておくれよ」
 昔、根津で勤めをしていたという、眉の剃りあと青いお歯黒つけた、デップリと大柄のお神さんも、脇から険しい声を立ててきた。
「あの、お六ちゃんを私が……」
 今松は首を傾げた。
 どうしたというんだろう、いったい。
 どうもなんの覚えもない。
「あのなにか、私、お六ちゃんに不都合でも」
「ナナ、なにを言やがるんでえ」
 なめるのもいい加減にしろと言わないばかりの顔をして、
「白ア切るならこっちで言ってやらあ。手前、昨夜、俺たち夫婦の留守へ来やがって、お六の奴に唐人髷を結ってやったろう。それァいい。それァいいがいったい手前、なんでその髷結やがった。そこの机の上に置いてあったお六の煉羊羹で結いやがったろう可哀想に」
「お六やお六や。おいで早くおいで。来て見せておやりお前の姿を、馬鹿今松に」
 上ずった涙ぐんだ声でお神さんが、葭戸よしどの向こうへこう声を掛けた。
「…………」
 バタバタお六が駆け出してきて、半分ばかり葭戸を開けると、そこからスッと小さい頭だけ突き出してきた。
「ア」
 ひと目見て今松は目を剥いた。
 瑞々みずみずと結い上げてやったお六の頭が見るも浅ましくところまんだらに天保銭ほどの禿になっている。白癬しらくも頭のおできのあとのようにも見えるし台湾坊主の出来そこないみたいにも見える。
「コ、コ、これは、あの、どうして」
 驚いて今松が身体からだごと師匠夫婦のほうへ乗り出してゆこうとしたとき、
「手前、煉羊羹でなんぞ結やがるから、可哀想にお六の奴ア、なんにも知らねえで昨夜ひと晩寝ているうちに洗いざらい髪の毛を……」
 もういっぺん師匠は今松の顔をグーイと睨みつけて、
「鼠が出てきて喰っちまったんだい」
「エ、エーッ」
 その声の終わらないうちて[#「終わらないうちて」はママ]凡そ棘々とげとげしたお神さんの声がまた甲高に、真っ向から浴びせられてきた。
「い、今松。師匠が許してももう私が許さない。出てっとくれ出てって。エエもうお前なんかもう私しゃ、顔見るのもいやなんだよ」


旅行くや



「江戸にばっかり日が照るけえ、おてんとさまと米の飯ア日本国中ついて廻ってらい」
 誰でも土地を売るときには[#「売るときには」はママ]、この台詞を吐くことが御定法、今松もまた、御多分に洩れなかった。
「ダ、誰がこんな東京なんかにおかしくって――」
 幸い中看板の春風亭梅朝が、なにか中途半端な一座をこしらえて東海道筋へ巡業に出かけるという。進んで今松は一座へ加えてもらった。
 藤沢を振り出しに、小田原、三島、沼津、静岡と――。
 生まれて初めての旅興行はおもしろかった。
 四、五日の旅おもしろき青田かな。この句の心持ちそっくりで、佗びしさよりも愉しさのほうがまず先へ立った。
 心に痛いお艶との思いでの街々。
 それらを見ないですむことも、この愉しさへ拍車を掛けていたかもしれない。
 やがて夏が終わりかけて見附から浜松へ。
 そのとき梅朝のところへ、蔵前の大師匠と謳われた三代目柳枝の大法会をするため、一門揃って法事に列りたいから、ぜひ至急帰って来いと新しく四代目を襲いだ今度の柳枝から手紙が届いた。
「じゃ俺は帰るけれど、皆はどうする」
 気の毒そうに人の好い梅朝は訊ねた。
「帰りましょう私も」
 言下ごんか手品づまの狐光が言った。
「アア、嬉しい帰れるの、東京へ」
 女義太夫たれぎだの巴好巴生姉妹きょうだいが躍りあがるようにして抱き合った。
あっしももちろん帰りますよ」
 講釈師しゃくしの貞票が、不景気な顎鬚を撫でながら、それに和した。
「私も連れて帰ってくれますね」
 年寄った前座の柳叟までが、嬉しそうに乗り出してきた。
「オイ師匠にゃ、なんとでも話してやるから一緒に帰るね、今さんも」
 皆の言うのをいちいちうなずいて聞きながら梅朝は、おしまいに旅へ出ていっそう日焼けのした今松の長い顔を見た。
あたしア、置いてってくださいな、この土地へ」
 キッパリと答えた。
「ド、どうして」
 けげんそうな顔を、梅朝はした。
「どうしてでも」
 ニヤニヤと今松は笑った。
 まさか、お艶ちゃんとの思い出が痛い東京へ帰るのはいやとは言えなかったし、またこの人に言ったとて、それは詮ないことだとも思った。
「いいんですいいんですよ、私は私で。今ちょいとひと趣向あるんですから」
 元気よくそう言って手を振った。

 梅朝一座は浜松で解散した。
 皆が発つとき今松は、停車場ステンショまで送っていった。
 少ないけれどもと汽車が出ようとするときになって梅朝は、五十銭玉を二つくれた。
「じゃ御機嫌よう皆さん、お達者で」
 プラットホームに佇んだままニコニコ今松は、だんだん小さくなっていく汽車の姿を見送っていた。
 が、ピーといっときは甲高い汽笛を最後に、目路の果てをその小さな汽車の尾が曲って消えていってしまったとき、
「…………」
 はじめて今松は溜息を吐いた。
 ただ東京へ帰るのが辛かっただけでハッキリ断ってしまったものの、ひと趣向にもふた趣向にも、じつはなんにもなかった。
 懐中ふところには今もらった五十銭玉二つの他に、ほんの少しの持ち合わせしかない。
 知らぬ他国で、ほんとうのひとりぼっちになってしまって、さあどうしよう明日から。
 昨日まで賑やかなうえにも賑やかだった宿屋暮らしだっただけに、まだ皆の笑い声のほとぼりの残っていそうな宿屋へ帰っていくことは、ひとしお墓穴へ入っていくような佗びしさを感じないわけにはゆかなかった。
 ガランとした停車場ステンショを出てくると、真正面に聳え立っている赤煉瓦造りの大時計を斜めに秋燕が。秋の日が青磁の色に沈みかけていた。それが馬鹿に寂しく見えた。
 ふっと目頭が熱くなってきた。その哀しみをごまかそうと辺りの人が肝を潰して振り向いて見たほど大きな声で、「ニヨロニヨロヒヤー」とわけのわらない[#「わけのわらない」はママ]ことを今松は怒鳴った。


「どうしたってんだ、いったい」
 呆れて熱海の海岸通りにある温泉旅館柳美館の主人は、だしぬけに命に別状ないばかりと言ったひどい姿で現れてきた旅やつれのした今松の顔を、ジロジロと眺め廻した。五十がらみの肉付きのいい恰幅かっぷくに、くすんだ色の半纏姿が頼もしく似合っている柳美館だった。
 五日目の午後三時過ぎ。
「どうもこうもありゃしません」
 それでもやっとここの旦那に巡り合えた嬉しさがよほど元気を取り戻したものとみえ、さっきここの玄関へ入ってきたときとは別人のような活々いきいきとしたものを顔中に漂わせながら今松は、浜松で一座と別れ、あと二、三日は宿屋でゴロッチャラしていたものの、自分たちのかかったあとの寄席へは旅廻りの浪花節がかかってしまったので、そこへ使ってもらうわけにもいかなくなり、どうにも方返しがつかなくなって、ふッと柳美館の存在を思い出し、一本槍にこの熱海まで飛び込んできたのだという顛末を、もう落語家らしいのんきな調子で、しずかに響いてくる浪の音に遮られながらことごとくしゃべった。
「おっと待った。だからお前さんはこの俺に、当分ここの家へ置いて座敷でも稼がせてくれとこう言うんだろう」
 話のおしまい頃まできた時分、ヅケリと柳美館の主人は言った。
 この主人、元は東京の生まれだというが、道楽の末この温泉場へ松杉を植えた男で、上京するたび柳美館の名にちなんで柳派の落語家は全部万遍なく誰彼と贔屓にしていた。
 従って今松が師匠の助六をしくじって旅へ出ているということも、話し出す前に百も二百も心得ていた。
「かなはねえ[#「かなはねえ」はママ]、そう旦那のようになにからなにまで御承知じゃ」
 照れて今松は頭をかかえた。
「無駄に道楽アしていねえよ」
 大きく柳美館は笑ったが、
「ときに、師匠」
「いやですよ、そんな師匠だなんて」
「売り物には花だ。まあ師匠」
「まあはないでしょう。へんな師匠だね」
「じゃ、どう言やいいんだ、じれってえ。だれねえでまあ師匠で納まっておきな。とにかく、今松師匠、せっかくだけれどこの土地じゃあね」
「駄目ですかえお座敷は」
「そう先へガッカリしちまわないでもいい。駄目ではないが……」
「なんだ駄目じゃないんですか」
「その代わり落語は駄目だてんだ」
「じゃやっぱし駄目なんだ、ヤレヤレ」
「またガッカリする、悪い癖だねお前は。しかし、講釈ならきっと聞くんだ。で、どうだい、今松師匠。なにも商法だ。講釈をやっちゃ。それならば儲かる。たしかに儲かる」
「…………」
 黙って今松は考え込んでしまった。
「どうしたい師匠。いやに沈み込んでしまったじゃねえか。あるだろうお前だってなにか聞き覚えの講釈種ぐらい。なんでもいいんだ。どうせ湯治場の退屈しのぎ、相手は素人だ。なんとかごまかしが付きさえすりゃいいんだから」
「エー……ですけれども……それがねえ」
 やっぱりうなだれて考え込んでいたが、やがてのことに顔を上げると、
「じゃ、私の覚えてる噺をなんとか講釈らしくごまかしましょうか」
「そのことそのこと、それでいいんだ。なにを知ってる」
たらちめです」
 真っ先に言った。
「ななに」
たらちめ
「たらちめ? オイたらちめってオイ嫁さんがきて、元は京都の産にて姓は安藤、名は慶蔵ってあれだろう」
あれあれ。正にあれ
「オイあれあれをいったいどう講釈に?」
「ですからさ。あまり言葉がていねいで困るってんであの嫁さんを叩き出し、あとへ近所の芋屋の後家さんかなにかを引き摺り込んで仲好く暮らしている。すると三年目の丁度嫁さんを叩き出したてえ日の晩に、ヒュードロドロとお化けが出て、八さんの一家を憑り殺す」
「冗、冗談。そんな馬鹿馬鹿しいたらちめが……駄目だよ、オイ」
 柳美館はふき出した。
 ちょうどそのときお茶を入れ換えにきた背の高い渋皮の剥けた女中が、たまらなそうに横っ腹を押さえてあわてて次の間へ逃げ出していった。
「いけませんかねえ」
 ケロリとした顔で今松は、訊ねた。
「いけな過ぎらあ」
「じゃどうです、あと寿限無
「変だねどうも。寿限無寿限無五劫のすり切れかい。まさか、あの子が死んで三年目に化けてでるってんじゃ」
「そんなドジは踏みませんや。あの子の親爺のほうが殺されるんで」
「似たもんだ」
「似てやしません。寿限無はそこで仇討に出る。六十余州津々浦々、草の根を分け、瓦を起こし。すると豊前小倉で親の仇に巡り合う。ヤーヤーそれへ来りしはなんの某ならずや。拙者ことは七年前汝に親を討たれたる寿限無寿限無五光の摺り切れ、海砂利水魚の水魚末、雲来末の風来末、食う寝る所に住む所、やぶら小路藪柑子、パイポパイポのグーリンダイ、グーリンダイのシューリンガン、シューリンガンのポンポコピー、ポンポコナーの長久命の長助なるぞッたら、とうに仇がどこかへ逃げてっちゃってたってー」
「いい加減にしなよ」
 いよいよ柳美館あきれかえって、
「どこの世界に、そんなまぬけな講釈があるかい。よしなよしな。とても駄目だなお前に講釈は。幾日でも置いていてやるから、裏の井戸の水汲みでもしな。でなきゃ裏山の蜜柑畑へ毎日肥料でもやりに……」
「勘弁してくださいよ、肥取屋おわいやさんの手間取りなんざあ」
 さすがに情なさそうな顔をした。
「だってお前みすみす講釈ができなけりゃ」
「できます、できますよ」
「なにができる?」
小夜衣さよごろも
「なに」
「小夜衣でさあ。あのホラ、花魁のお化けになるやつ」
「オイほんとかいオイ。ソそんな大物が、できるのかいお前に」
「柳条さんの聞き覚えが二、三席あるんで。巧くはできないけれど、あれならなんとかごまかしくらいは」
「なぜそんないいものがあるんなら、早く言わないんだ。いい、いい、小夜衣。素晴らしいや。そいつと決めよう。じゃさっそくビラを書いて貼り出すぜ」
 気の早い柳美館の旦那は手を叩いて女中に言いつけると、最前の背の高い女中がすぐ半紙を三枚貼って長くした即席のビラと硯箱すずりばことを持ってきた。
『講談  古今亭今松     明晩夕刻より大広間にて』
 道楽者の旦那は寄席の看板にあるようなビラ辰まがいの勘亭流に似た太い字で、スラスラとこう書き流した。
「恐れ入ったね旦那。とっさにこの字がこう書けるなんざあ」
 脇から覗き込むようにしてしきりに感心していた今松は、
「宿屋の旦那にゃ惜しい。提灯屋にしてえくらいだ」
「余計なことを言うな」
 ギロリ柳美館、今松を睨んで、
「余計な口を叩いてねえで、早くひとッ風呂浴びてきねえ。この五、六日の苦労がいっぺんになくなっちまうぜ」
「違えねえ」


「ようござんしたねえ、今日の蘆洲の川中島車がかり。もうあれだけの修羅場読みはできませんぜ。矢玉が雨薮と飛んできて、聴いてる私たちが身をかがめたくなってきましたからねえ。昔の合戦いくさはあんなだったんでござんしょうなあ」
 白足袋の似合いそうな町家の旦那衆らしい物静かな中年の男が、湯槽ゆぶねの中へ肩のところまで沈めながら、板の間でゴシゴシ二の腕を洗っているヒョロヒョロとした通人のような男のほうへ呼びかけた。
「まったく。小柳が客止めになるわけでげすよ。当時まったくこたえられやせんからな。それに今日は松鯉の越後伝吉がとんだ好い。極めつけのおせんの駕訴で手に汗を握らせやしたしなあ」
「オイ今度の伯山もなかなかいいじゃねえか。まだ味はねえけれどよ。景気がいいやね。きょうの戸田松太郎の小仏峠なんか、お師匠さんの松鯉の三つ前へでたんだけれど、いただけるぜあれは」
 もう半分、身体を拭きかけている若禿のした鉄火な口の聞き方をする男が、モヤモヤの湯気の中、ランプの灯の光の砕けている湯槽の中を見下ろして言った。
 その晩の七時がらみ真っ黒に暮れているガラス窓を隔てていっそう烈しく波の音が聞こえてきている柳美館の湯槽の片隅で、あれから三度目のお湯につかりながら今松は、さあたいへんなことになってしまったわいと息を喘ませていた。
 この旦那方、どうやら神田の講釈場あの小柳の常連で、ひと通りやふた通りでない講釈の大通人らしい。
 冗談じゃない。
 そんな旦那方に聞かれたら、いっぺんにこっちの化けの皮が現れちまう。
 一難去ってまた一難とはこのことだ。
 どうしたら――ああどうしたらいいだろう。
「しかしなんと言っても端物では邑井一むらいはじめに兜をぬぎとうござんすね。あれはたいへんな名人ですよ。殊にあの人の小夜衣ときた日には」
 ときもとき、今松のすぐ隣に首だけ出していた白足袋の似合いそうな旦那がまた言い出した。
「言いたかったんだ、それを私も。一の小夜衣はただ凄いだけでねえからね。凄いなかに廓というどこか華やかな趣がこう漂っているだろう。あれがとても他の人には真似のできねえところなんだ……」
 若禿が応じた。もうとてもいけない。俺のお蔵へ火がついちゃった。
 大名人邑井一の「小夜衣」まで、ここで飛び出してくるようじゃ、我が運命も極まったりと申すべし。
 この人たちの前で、とてもチャチな俺の「小夜衣」なんか聴かせられない。
 ではいっそやめるか。
 食えないよやめたら、俺、俺あの蜜柑畑の肥料屋おわいやいやだよ。
 では、どうする気だ。
 どうしたらよかろう。
 ただよかろうではすむまい。さあどうするかどうするか。
 ……ウーム、しかたがない。ざつくばらんに打ち明けてこの旦那方に頼むことだ。
 お頼みしてみることだ。
 それより他には手があるまい。
「あのもし旦那方へ、お話し中ですが」
 さんざん自問自答したあげく、バサッとお湯の飛沫を立てて、いきなり今松は白足袋の似合いそうな旦那の華奢きゃしゃな肩口をつかまえた。
「アァ肝を潰した、ナナナ、なんだお前さんは」
 飛び上がるように身体をかがめて、
「俺、湯ん中からかわうそが出てきたかと思った」
「あいすみません、なんとも。私、明晩、ここの大広間で一席講釈をやらせていただく者なんで。ところが私じつは講釈師じゃござんせん、落語家なんでして」
 隠さず今松はぶちまけてしまった。
「旅で御難をしてこちらへ転げ込んできて今やっとひと息つこうてえところなんで。そこを旦那方のような御通家に、こんなの聴いちゃいられねえとあくびを食った日にゃ、私アまたぞろ夜逃げをしなけりゃなりません。どうか、この私を助けると思いなすって……」
 お湯に額がさわるほど今松は、頭を下げた。
「そうですか。いやよくわりました[#「わりました」はママ]。お話を伺えばお気の毒です。私たちでできることならよろこんでさしてもらいましょう」
 物静かな旦那は静かに身体を浮かせるように湯槽のへりのほうへ移ってゆきながら、
「ねえ皆さん方」
 と、板の間の通人のような連れへまず言い、続いて脱衣所のほうへ出ていっている鉄火な口の聞き方をするもう一人の連れのほうへ、目を向けた。
「ようがしょう。講釈師の言う通り、義を見てせざるはなんとやらでげすからな。若えの、安心さっせえ。骨は拾いやすよ」
 ザーッと小桶のお湯を背中のほうへ浴びせながら通人が、今松のほうを見た。
「ありがとうございます」
 ほんとうにありがたかった。
 もういっぺん今松は丁寧にお辞儀をした。
「師匠師匠、師匠の明日の読み物は」
 いきなり鉄火な声が、脱衣所のほうから聞えてきた。
「それが、その、なんともはや、御通家の前で大それた恐縮千万のものなんですが」
 しばらくモジモジ口ごもっていたが、やがて思い切ったように。
「困ったなあ、一先生なんか聴いてらしっちゃ。笑っちゃいけませんよ、じつはこれ一つきりしか私知らねえんで、小夜衣なんですが」
「なに、小夜衣、ウム心得た。しっかりやんなよ」
 鉄火な声がまた、答えた。
 波の絶え間に、八丈通いの蒸汽だろうか、しきりに汽笛が聞えてきている。


 翌晩。
 かれこれ、五、六十人はいたろうか。
 湯治客もあり、近所の衆もあり、大広間の半分ほどへ、ズラリとその人たちがにわかにしつらえたチャブ台の高座の周りを居流れて取り巻いていた。
 一張羅の黒木綿の高座着を着て、張扇もない扇子一本、少しオドオドしながら今松は、チャブ台の上へと上がっていった。
 パチパチパチと拍手が起こった。
 例の三人づれの旦那衆は、宿屋の丹前を着て、いちばんチャブ台の近くに陣取って、真っ先に手を叩いていた。悪い所に座っていやがら。
 余計、今松はオドオドした。
「オ。オイこの先生ア美味うめえぜ」
 と、どうだろう、そのとたんに例の鉄火な口の聞き方をする旦那が、もの静かな旦那のほうを顧みて聞えよがしにこう言った。
「ア、そうですね、こりゃいい先生にぶつかった。ずいぶん愉しませてもらえますね、今夜は」
 相槌を打ってもの静かな旦那がうなずいた。
「先生、小夜衣を願いまァす」
 細い声で通人のような旦那が、声を掛けた。
「ありがたい幸せで」
 ほんとうにありがたかった。こう言ってもらうと、どんなに噺がやりよくなることだろう。
 心から今松はお辞儀をして、
「ではお好みによりまして、吉原怪談小夜衣草紙、手振り坊主の一席を」
「待ってました」
 またこう鉄火が、浴びせてくれた。
「さて天明二年二月二十九日、朝からの雨空で、今にも降り出しそう、血の道の強い婦人は目のふちが重いといういやな天気。二世と誓った浜田の源次郎が心変わりと知った朝日丸屋の小夜衣花魁、『若旦那と二人の仲は、この五丁町誰知らぬ者もなく。ひとしきりは太夫衆や芸者衆の端唄にまで歌われたくらいの仲、それを丸屋の小夜衣は客に飽きられ、わずかの金で大事の客を棄ててしまった。これが仲之町を張る遊女の見識かと言われたらなんとしましょう。もうこの世の中に生きている望みはない。不実者の源次郎、浜田屋一家、よもそのままに置くべきか。私の覚悟はこの通り』
 と言うと用意の剃刀を取って留める暇もあらばこそ、思い切ったる咽喉の気管へパッとばかりに突き立てる。その拍子に寝乱れの兵庫髷の元結が切れて丈なす髪が前にバラバラと乱れた物凄さ」
 巧く旦那衆が調子を合わせてくれたため、意外にトントンと本題まで入って来られたが、もう今松は夢中だった。
 しゃにむに、噺へつかまって、筋を運んでいった。
 タラタラ冷汗が、額へ滲んだ。
 舌がカラカラに乾いてきた。
 それを悟られまいと、なおのこと、一生懸命にしゃべり立てた。
 元より怪談らしい凄味もなんにも漂いはしなかったが、「たらちめ」のお嫁さんにさえ、お艶の姿を思い描いてはしゃべる今松。
 ましてや仲之町張りの凄艶の美人小夜衣を今語るには、いっそう心という心をひとつにひたすらお艶の幻ばかり目で追い続けて、しゃべっていった。
 それが思いがけないあだっぽい雰囲気を、しみじみと滲み出させることができた。
 根が落語家の、いくら堅い調子を出そうとしてもやわらかくなっていってしまう欠点も、かえってこうした狭斜の世界の物語だけに聞き苦しくはなかった。
 かくて今松の「怪談小夜衣草紙」は、まったく本人すらも思いがけていなかった効果を上げてしまった。
 番頭六兵衛を乗せた雨夜の駕が、土手八丁で小夜衣の幽霊に悩まされるところまで汗だくでやって、
「浜田一家へ、小夜衣亡魂祟りをいたします、蛤吸物の一席は、ヘイまた明晩申し上げます」
 とピョコリと落語家らしく頭を上げたとき、さっき高座へ上がったときよりも烈しい拍手が浴びせられた。
「聴きたいなあ、明日の晩も」
「ねえ聴きましょうよ、もうひと晩」
 こうした囁きもどこかで聞えた。
「アア、面白うござんした」
 また聞こえるようにものしずかな旦那が言った。
「当時ありませんよ若手でこれだけ」
 すぐ通人の旦那が和した。
「オイ先生、明日も頼むぜ。サ、こりゃ少ねえが御祝儀だ、三人分だぜ」
 景気のいい声で鉄火な旦那が、懐中から白い蝶々のようなおそろしく大きな紙のお捻りを出して、他のお客たちへ見せびらかすように手で高く廻しながら、今松の膝のまん前へ置いた。
「先生、御苦労さま」
「御苦労だったね」
「面白うござんしたわ」
 それに釣られたように方々からお客たちが、てんでにお捻りをチャブ台の上へ並べてくれた。
 あとからあとから数知れなかった。
「ありがとうございます」
「ヘイありがとうございます、どうぞお静かに」
 いっぺんに大真打にでもなったかのよう、なんべんもなんべんも高座の上からお辞儀をしながら今松は、嬉しありがたく一人一人の後姿を見送っていた。

 その晩、柳美館の主人へ厚く礼を言い、あてがわれた自分部屋へ戻って、ワザとはじめに三人の旦那からもらった捻りだけは別に、残りの御祝儀を勘定すると、その時分のお金にして三円となにがしあった。
 意外の大儲けだった。
 これというのも、あの三人の旦那方のおかげだ。
 今さらに達引たてひきの強いあの三人の旦那衆の心意気が差しぐまれるほど嬉しかった。
 この旦那方の御祝儀を、ムザと開けてしまっちゃもったいない。
 その部屋に神棚はなかったから、安物の布袋様の軸のかかっている床の間へ、とりあえず供えて、ポンポンと拍手かしわでを打った。
 そうして、うやうやしく礼拝した。
 あなた方のおかげで危ういところが助かりました。
 この御恩は生涯忘れません。
 そう言って今松は手を合わせた。すっかり勘定をすませ、もうひとッ風呂浸ってから、祝いに二本だけ寝酒をひっかけ、床のなかへもぐずり込んでしまってから、
「ア、そうだった」
 また今松は起き上がった。
「もうあの旦那方の御祝儀、床の間から下げてもよかろう」
 いったいいくら入っているだろう。
 さすがにちょっと楽しみだった。ソッと手に取り上げてみた。
 馬鹿に軽かった。
 お紙幣さつだなこれは。
 怖いものでも見るように、ソーッと紙を開いて見た。
「……ア……」
 思わず今松は小声に叫んだ。
 ただ、真っ白なる紙包みばかり――お捻りのなかにはヒャーも入っていなかった。
「ウーム。どこまで粋なお客だろう」
 今松は捻った。


講釈合戦



 あくる晩、「小夜衣」の蛤吸物を伺ったとき、もう例の三人の旦那衆の姿は見えなかった。
 翌朝早く十国峠から箱根のほうへ行ってしまったということだった。
 今夜もお客はよろこんで聞いてくれ、二円近い御祝儀がもらえた。
「小夜衣」を読み終る頃までに、今松は大湯へ行く道の貸本屋でいろいろの講釈本を借り出してきて、泥縄のような勉強をはじめた。
 といっても落語家のこと。
「荒木又右衛門」や「宮本武蔵」の本はいっさい、借りてこなかった。
 なるべく、人情噺にもありそうな「梅若礼三郎」とか「佐原の喜三郎」とか「め組の喧嘩」とか「敷島文庫」とか、世話めいたものばかり借り出してきた。
 そうして、それをいい加減にでっち直しては、御披露に及んだ。
 泣かせるところや、物凄いところは、せいぜい歌うような調子で朗読的にやってのけ、お手のものの笑わせるところだけ、克明に、念を入れてしゃべった。
 笑うところの少しもない噺には、特別にそうした人物をこしらえて、それを活躍させることもおぼえた。
 おかげでだんだん今松は、自分で自分の芸を工夫することがきるようになってきた。
 そのころ、捷報しょうほうまた捷報の続いていたさしもの日露戦争の講和条約が結ばれた。
「日本勝ったい」
「露西亜負けたい」
 万歳万歳の声はこの狭小な湯治場にも満ち溢れ、青い青い小春の海近く、そこでもここでもハタハタ日の丸の旗は音立ててひるがえった。
 ドカーンと昼花火が打ち上げられ、達磨や犬張子や軽気球が海へ落ちて、浪の間に間に沖へ運ばれていった。
 この大勝利、かねてから知るところとはいえ、今こうしてほんとうに講和条約が結ばれてみると、ほんの民草のはしくれに過ぎない今松までが肩の重荷を下ろしたようで、ホッとされることはしかたがなかった。
 長い長い大借金を返しつくしたときのような、なんとも嬉しい気持ちがした。
 二日。
 三日。
 今松は、酒浸りで過ごした。
 従って湯治場の景気もたいそうよくなり、おっつけ晴れて乗り込んでくる家族連れの一団体や、芸者半玉を引き連れたお大尽連が絶えなかった。
 それらが素晴らしい紙幣びらを切った。
 柳美館も満員満員が続いた。
 今松の講釈も、毎晩、なかなかにもてはやされた。
 お祝儀も二倍、三倍ともらえた。
「俺、ことによると有卦うけにいったかな。熱海にいるうちに講釈で大看板になっちまうかもしれねえぞ」
 ホクホクあごでていた。
 ところが一日思いがけない事件が降って湧いた。


 裏山の蜜柑が小さな青い実を見せてきた頃、隣の真々館へも講釈師がやってきて、それが毎晩お客を集めて一席伺いはじめたのである。
 それは別になんでもないことであるが、人情として真々館の番頭は、
「うちの先生は修羅場がいいんだ。それに金襖物きんぶすまものもたいしたもんだ」
 こう言って自分の家の先生を賞める。ところが柳美館の番頭はまた番頭で、
「そりゃ修羅場はお前んとこの先生が巧えかもしれねえけれど、端物ときたらうちの先生にかなうもんけえ」
 こう応酬する。
 この双方の身びいきは、日一日と烈しくなっていって、とうとうしまいに、
「よし。じゃ、お前んとこの先生の修羅場が巧えかうちの先生の端物が巧えか、二人会てえ奴を願おうじゃねえか」
 こう言い出したのは、気短の柳美館の番頭だった。
「いいとも。待ったなしでお願い申さあ。その代わり、負けたらお前さん一升奢るんだぜ」
 売られた喧嘩。真々館の番頭も、意気まいて応えた。
「…………」
 この舌戦会の報告がもたらされたとき、誰より真っ青になって驚いてしまったのは、当の古今亭今松だった。
 冗談じゃねえ。
 えれえことになってしまった。
 馬鹿でもチョンでも、旅廻りにしろ、相手は本物の講釈師だ。
 こっちは高が落語家の駆け出しじゃないか。
 関脇小結と幕下の勝負どころか、荒岩と素人の肺病患者が取り組んだよりも、もっと話にならないひでえ勝負だろう。
 出ると負けは、今から知れてる。
 しょせんが一時の食い継ぎ場所にはちがいないけれど、せっかく、いい巣を見つけたと思ったのも束の間。
 この熱海ともおさらばかいヤレヤレ。
 こうなると、身びいきをしてくれたここの番頭さんがいっそ怨めしかった。
 隣の番頭と張り合ってくれたのはありがたいが、せめて二人会の一件だけはここの旦那に話してみてくれたら、苦労人の旦那様だ。
「どっちの芸人さんに傷がついてもいけない。それはお前、およし」
 とかなにか、うまい具合に俺の危急を救ってくだすったろうものを。
 もうこうハッキリ両方の宿屋へ二人会のことが知れ渡ってしまったあとじゃ、もうしようがない。
 明々後日しあさっては、どうやら俺が真々館へ乗り込んで、一席ずつやり合うというんじゃないか。
 とすると明後日の晩は休みだから、ここのお座敷も今夜ひと晩だ。
 別れとなると、今さらのようにこの大広間が、このチャブ台の高座が、お客様たちが、なんとも言えず名残り惜しかった。ヒシヒシとした離愁をおぼえた。
 すっかりセンチメンタルになってしまって今松は、前席にうんと笑いの多い「一休禅師」を熱演し、後席にはじめてこの熱海にきた晩にやった思い出深い「小夜衣」の自害をやった。
 折が折で自分から泣いてかかっているので、女客のなかには、宿屋の浴衣の袖口で目を拭いているものもあった。
 翌晩。
 休みを利用して今松は、深く襟巻で顔を隠し、真々館へ出かけていった。
 九分以上のお客がギッチリ詰まっていた。
 それだけでもまず引け目を感じた。
 まともに客席へ座り込み、まともに高座の顔を見上げてやる勇気なんか、とてもなかった。
 ソッと障子のはまっている廊下の陰へしゃがんで、うつむいて、息を殺していた。
 すさまじい拍手が鳴った。
 ハッと顔を上げ、また伏せた。
 ピシーリ。
 イタについた張扇の音が聞こえた。
「おとぎします」
 凜とした、張りのある、若々とした声だった。
 再び今松は気を呑まれた。
 そのとき早くも障子の声は、
「頃はいつなんめり××元年……」
 と、いずこ、いかなる戦いであろう、合戦物を読み出していた。
 その熱。
 その気魄。
 そのうまさ。
 ピシリピシーリと間を縫って、新戦場を活写していく張扇のものすさまじさよ。
「駄目だ」
 てんで勝ち目のない勝負だった。
「旦那永々御厄介になりましたが、とても私はこの上の御厄介には――」
 窓越しに見える柳美館の灯の色の中に、ものわかりのいい主人の姿を思い浮かべながら今松は、心で礼を言った。
 こんなことなら、あんなにガブガブお酒ばかり飲んじまうんじゃなかったっけ。
 つい大勝利の景気のいいのに気が大きくなって、明日は明日の風が吹くとやっつけてしまったが――。
 もう懐中には五十銭玉が何枚という心細さだった。
 せめてあと五、六日、稼がせてもらえれば、なんとかしがきがつくのだけれど、そのしがきがつくくらいなら別に逃げないでもいいことになる。
 なにもかもこれまでの縁だったんだ。
 その夜更け、今松は、ドロンをした


 もうそろそろ寒い風の吹きつけてくる海岸づたいに、小田原さして今松は、夜道をかけた。
 真夜中に早川口へたどりついて、橋の袂の宿屋を叩き起こし、泊めてもらった。
 あくる日もまた歩いた。
 汽車へ乗ったところで東京へは帰れない身体だったし、第一、汽車の中からではどこにどんな仲間の芸人がかかっているかわからない。
 どこか仲間のかかっている寄席へ駆け込んで、なんとか使ってもらうより手がなかった。
 どこまでもどこまでも続く松並木には、赤とんぼがいっぱい乱れていた。
 太い松の幹と幹との向こうに畑があり、そこに鶏頭が燃えていたり、大きな柿の木があって、黄色い柿の実が熟れていたりした。空高く百舌もずが鳴いていた。
 もうほどなく大磯の宿だろう。
 心なき身にも哀れはしられけり、鴫立沢しぎたつさわの秋の夕暮れという大磯の歌を、よく助六師匠が西行法師をやるときにそう言っていたが、ほんとに今度のようなことにあって、こんな一人旅を続けているとつくづく秋の寂しさが身にしみわたる。
 いや、こんな夜逃げなんかの旅だったら、いくら春だって、夏だって、またお正月だって一列いったいに寂しいんだろう。
 それにしても。
 今度のいきさつを考えてみると今松は、へんにおかしく、へんに悲しかった。
 まったくひょんな廻り合わせがあったものだ。
 落語家のくせに講釈師だなんて嘘吐いてお銭を儲けた罰かもしれない。
 べそを掻きそうな顔をして今松は、くたびれた足を引き摺りながら行く手を見た。いつか松並木がまばらになって、左手に釣鐘を伏せたようなコンモリした山が見えてきた。
 そろそろ町家も見えてきた。
 傍への棒示杭に「大磯」の文字が黒々と見え、そのまた棒示杭の後の大きな棒の木には、古い寄席のビラが貼られていた。「土橋亭りう馬」の名が色褪せてきれぎれに、開化亭と描いてあった。
「ア、りう馬さんが来ている」
 嬉しそうに今松は叫んだ。りう馬は柳派での古看板で、長兵衛と呼ばれる世話好きの爺さんだった。
「ありがたい、あの人なら使ってくれら」
 急に足が軽くなった。
 鴫立沢をあとに、名物のさざれ石を売っている店の前を真っすぐに、街道筋を五、六丁ゆくと、左手に寄席があった。
 開化亭とは名ばかり。
 ひどい寄席で、薄汚れたはたが一本、潮風に吹かれて鳴っていた。
「土橋亭りう馬」の看板も見えなかった。
 発ってしまったあとか。
 ガッカリしながら今松は楽屋口へ廻っていった。
「ちょうどいい。いま講釈師の先生が一人、お出でなすってる所なんだ。お前さん落語ならちょうどいい。さっそく二人会をお願いしましょう」
 大漁祝いに船頭の着る極彩色のねんねこ半纏のようなものを着て、潮焼けのしたガッシリとした血気盛りの席亭は、人の好さそうな笑顔で迎えた。
 ありがたい、お役に立った。
 イソイソ今松は、楽屋へと上がっていった。
 顔の小さい、髪を短く刈った、白髪の目立つ五十がらみの貧相な老人が、禿げちょろの猫足の膳を前に、チビリチビリやっていた。
「先生。こっちらが今お聞きの通りの落語家さんで」
 席亭は言った。
「あの私、今松と申します。どうぞなにぶんよろしく」
 口の内で小さく、言って、お辞儀をした。
「神田伯水です。なに分」
 御家人かなにかのようなキッパリした口の利きようだった。たしかに東京の仲間の誰かに似た声だとおもったけれど、思い出せなかった。
「ま、お近づきのお印におひとつ」
 ツイと伯水は盃を差出した。


 その晩。急のことだったが、お客は五十ほどきてくれた。
 まず今松が一席「垂乳根」をやり、そのあとで長々と伯水が政談物をやった。
 続いて今度は今松が「雑俳」をやると、切りは伯水が最前の続きをしゃべって打ち出した。久し振りで落語をしゃべれたということが、心のふるさとへ帰り着いたように今松には嬉しかった。馬力をかけておしゃべりをした。
「大丈夫だ、お二人とも御評判がいいから。この興行はしりねがしますぜ」
 閉場はねると席亭が景気をつけるようにこう言って、楽屋へ真っ黒な顔を覗かせた。尻っ弾ねとは日一日、あとへゆくほどお客の増えてくることだった。
「ま、ひとついこう」
 よっぽどの酒好きと見えて、伯水は高座着を着替える間も惜しいらしく、先ず膳の前へ座った。
「いただきましょう」
 好きな道とて遠慮なく今松も馳走になった。
 やったり、とったり。
 だんだん酔が廻るに連れて、伯水老人は調子づいていろいろのことをしゃべりだした。
 が、なぜか、芸の話をすることは嫌いらしく、今松がその方面の話をもち出すと、
「そんなことはひとりで研究さっせえ。ひとりで苦しんで苦しんで苦しみ抜いて、自然天然と悟らなけりゃ身につくまいて」
 と白い眉をしかめて、
「それより酒は上方がうまいのう。私しゃそのうち、興行をかこつけて、どうでも飲みに参ろうと思っているよ」
 と、さもさも上方の酒の味を恋い返すように舌なめずりしたが、
「まったく上方に比べると、酒だけは江戸は落ちるが、熱海の酒も地酒でよくねえ」
「オ、先生は熱海に」
 思わず今松は声を大きくした。
「ウム、しばらくいた」
 静かにうなずいたが、なにを思い出したか、若々しい声で笑い出すと、
「私しゃ、熱海じゃ、せっかくの銭儲けをフイにしてしまった一件があるのじゃよ」
「ヘーエ。先生が熱海。似た話があるもんですね。あっしもせっかくの儲け口をサランパンにしちまって逃げましてね。まあお笑い噺だ。聞いてください」
 酔った勢いで今松は、真々館の講釈師一件を、詳しくぶちまけた、最後にソッと先方の宿の廊下へ行って立ち聞きをし、とてもかなわないので逃げ出してきてしまった顛末までを――。
「…………」
 ジーッと黙って目を閉じて聞いていた伯水老人は、そのうち小さいくせに無気味な光を宿している目をパチッと開いて乗り出してくると、
「オイちょっと待ったオイ尊公、その真々館の講釈師というのは、なにを隠そうこのわしの……」
「恐れ入りました。お弟子さんでしたか」
 今松は目を丸くした。おお、やっと思い出した。誰かに似ていると思っていたら、この先生の声、怨み重なる熱海の講釈師の声とそっくりだったんだっけ。弟子と師匠じゃ似ているわけだ。
「ちがうちがう、弟子じゃない」
 あわてて伯水は銚子を取り上げた手を振った。
「余計似てるわけだ。お身内ですか」
 今松はまた言った。
「ちがうよ」
 叱りつけるように声高に
「ちがうと言えば。弟子でも身内でもない。真々館にいた講釈師てのは、お手前の前じゃが、このわしじゃよ、伯水じゃよ」
「エーッ先生」
 思わずまた目を丸くしかけたが、すぐ気がついて、
「冗、冗談……。先生、そ、そんな担ぎっこなしにしましょう。アア、びっくりした。ほんとかと思って私ア寿命の十年も縮めましたぜ」
「コ、これはまた、異なことを。お手前を担いでどうなろう。酒興でもない、座興でもない、正真正銘、この伯水が、熱海真々館の講釈師であったと申すに」
「だって……だって先生そんな」
「なにが、だってだ」
「なにがだって、だって先生、私アその先生に兜をぬいで夜逃げしてきたんだ。その先生のほうは今時分、さしずめ日本勝ったい露西亜負けたい、真々館の大広間で提灯行列でもやらかしてる時分で。それがこんな大磯くんだりで私と二人会なんて」
 つまらないことを言っちゃいけねえと言う顔を、今松はした。
「ところがそれがそうなのだから世のなかは面白かろう」
 伯水はゴリゴリと自髪頭を撫で上げた。
「ド、どうして」
「俺も旗を巻いて逃げてきた、お前を聴いて」
「ソソそんな……そんな馬鹿な」
「ほんとだ」
「冗……冗……」
「いやほんとうだってば。まあ聞かっせえ、しまいまで。じゃ言おう。お前さん、一昨々日さきおとといの晩、柳美館とやらで、『一休禅師』と『小夜衣』と読みなすったろう」
「……オ、よく御存じで」
「聴きに行ったんだ、わしもあれを。番頭めがなにか隣の先生と二人会をやらせるなどと言いくさる。この年になって若い者におそれを取ったら神田一門の名折れじゃと、恥を忍んで聴きにいったよ、お前さんの高座を。するとうまい。滅法いい」
「か、からかっちゃいけねえ先生」
「いやまったくだ。今考えてみれば落語家さんだそうな。それじゃ当たり前の話だが、『一休』のおかしさといったらない。正直に言うと後席の『小夜衣』は妙に悲しいところはいただけるが、まだまだ一人前にはちっと遠い。しかしだな。『一休』のほうは、今日日きょうびの駆け出しの講釈師にゃ、とてもあれだけには笑わせられん。笑いがチャンと壺に入っておる。私しゃ考えたのう、そのときに。言っちゃ悪いが熱海のような温泉場――講釈場じゃない、目明き千人盲千人のお集まり、遊び半分に聴かっしゃる場所だ。こういう所ではなまなか、私の本筋のゴツゴツした修羅場より、年の若い押し出しのいいおかし味たくさんのお前さんの噺のほうが、ずんと受けるにきまっている。くさやの干物と牡丹餅ぼたもちじゃ勝負になるまい。負けだ負けだ私は負けだ。昔、権現さま逃げるが勝ちよと、そこで翌晩、お名残りに『信長記』を一席読むと尻に帆かけて逃げ出したのじゃ。しかし、その二人がよりによってまたこの大磯で二人会を催そうとは……」
 伯水老人、楽屋中に響き渡るような大声を立てて笑い出してしまった。


男なら



 大磯の開化亭を五日で打ち上げた今松は、伯水老人と再会を約してまたひとりトコトコ横浜まで歩いていった。
 一円二十銭ばかりのお金は稼げたけれども、一円二十銭ではふた月も三月も太平楽をきめ込んじゃいられない。
 まして毎晩好きなお酒の一合でも飲もうというのでは――。
 さしあたり戦争後の景気が素晴らしいと聞く横浜さして乗り込んでいったのだった。
 あくる黄昏。かねの橋のそばの富竹という寄席には、横浜生え抜きの落語家はなしか桃太郎と千橘せんきつの招き行燈が、冬靄ふゆもやのなかに華やかな灯の色を見せて揺れていた。
 わけを言って今松は、その桃太郎の前へ使ってもらった。
 が、ふた月目。
 十二月の声を聞くと、
「御苦労だったな今松さん。改めてまた今度きておくれよ。なにしろ狭い土地だし、ひとりの人ばかり出ていてもらうと顔が変わらなくなってしまうからねえ」
 こう言ってポイと断られてしまった。
 しかたがねえ。黙って若僧の自分を、まるふた月快く使っておいてくれたのじゃねえか。
 それを考えると、今ここで断られても別に不足は言えなかった。
 ただ、目の前に年の暮れを控えているだけが、みすみす困った。
 その晩、掘割沿いの寒々と青ペンキで塗りこくられている花咲町の下宿の三階の長四畳の部屋へ帰ってきて今松は、フーッと吐息を洩らした。
 ここの下宿にも、お酒代ばかりでもだいぶの額が溜まっている……。
 岸ちかく焚火を燃やしている黒々とした達磨船を、鉄格子の窓から眺めながら、もう明日から日が暮れても寄席へ出かけてゆくことのできなくなった自分の上を考えて、寂しくなった。
 かねがね横浜はまはたいそうな景気だと聞いていたけれども、ほんとうにその通り。
 戦勝国の日本をさして、千波万波を蹴立てて乗り込んでくる毛唐人の蒸気船は、芝居の紙の雪をふらすように、紙幣や金貨を落としていくので、にわか仕立ての弗旦ドルだんもずいぶんそこここにできていて、南京町や十二天あたり、絃歌のさんざめきが絶えなかった。
 が――あくまでそれは、大きなお金の自由に扱える人たちの間だけのこと。
 来てみればそれほどでなし花の山というところだろう、景気はまったくの跛景気で、今松のような素寒貧にまで分かち与えられるおこぼれはとうていなかった。
 ここの落語界でも景気のいいということはせいぜい桃太郎や千橘あたりの真打たちだけで、前へ使われている人たちは、昨日まで十銭取れていたものが二銭余計になって十二銭取れだしたというくらいに過ぎなかった。
 そうして、それ以上の何ものでもなかった。
 しかも、明日からはその十二銭すら、てんで取れなくなってしまったのだった。
 どうしようほんとうに。
 今夜ばかりは一杯引っかける気にもなれず、今松は寝ても寝られなかった。
 ダーン。
 そのときどこかで短銃ピストルが鳴った。
 ダ、ダーン。
 また続けさまに二つ響いた。
 思わずギョッと今松は音のしたほうを眺めたが、黒ずんで掃部山かもんやまの見えるあたり、暗い暗い星空がひろがっているばかりでなにも見えなかった。
 南京宿の勝負事へ手入れでもあったのかもしれねえ。
 そう考えたとき、
「ア、そうだ、行ってみよう」
 なにを思い出したのか、急に今松はニコニコとした。
 いっぺんに顔中へ、元気なものが輝きだしてきた。


 翌朝。
 今松は、雲井町の雲井座というチャチな芝居小屋へ出かけていった。蜘蛛の巣のように貼りめぐらされている小屋の前の幾条かの万国旗にまじってひとつ、
『大鬼術     一天斎 驚倒一行』
 の大きな旗が、曇った冬の朝風の中に凍えていた。
 昨夜の短銃の音から思いつき、今松は、この驚倒先生へ面会を求めて、手品の間で落語を演らせてくれ、でなければ助手でもいいからと頼み込みにやってきたのだった。
「君かい、面会人というのは」
 悠然と、仁丹の広告看板にある紳士のような滑稽な美髯びぜんを蓄えた支配人と称する三十六、七のフロック姿の男が現れてきて、上から下まで今松のチグハグなこしらえをジロジロ眺め廻していたが、やがてこう言った。手品のお客さまというものはまた別で落語はどうも聴いてくれない、この前も東京から人気者の落語家を一、二枚加えてやってみたが、とても問題にもなんにもならなかった。それにひと口に助手と言うが、この助手がまたなかなかに難しく、仲間では助手が一人前に務められたら、もう立派な大先生になれるとさえ言っている、で、せっかくで[#「せっかくで」は底本では「せつかくで」]あるが、今回はこのまま引き取ってもらいたい。
 たちまちアッサリ断られてしまった。
 いちいち理屈が立っていて、そこをなんとか重ねて切り込むこともできなかった。
「じゃいずれ先生にもよく話しておくからなにか君の使い道ができたら、さっそく通知しよう。ウム。この所書きのところでいいんだね」
 ちり紙を細長く切って自分で書いて持っていった名札へ目を落として、おしまいに支配人は言った。
「ヘエ、左様でございます。じゃなに分先生へよろしく」
 頭を下げて今松は引き下がった、この人から通知のくるまで俺あの下宿にいられるかどうだかわかるもんかいとお腹のなかで思いながら。
「ではどうもお邪魔様でした」
 さすがに少からずがっかりしながら、再び頭の上いっぱいに万国旗の絡み合って揺れている小屋の表のほうへ出て、なんの気なしに「座長、一天斎驚倒師」と大きく朱で書いてある橄欖オリーブオレンジのリボンで飾られた写真姿を見たとき、
「ア」
 今松は目を剥いた。
 今の美髯の支配人とそっくりそのまま一天斎驚倒先生の写真が、大きくニコニコ笑っていたからだった。

 翌朝、賑町にぎわいちょうの賑座へ行ってみた。
 壮士芝居がかっているのに、あぐねたような曇り日の朝のしじまのなかに、そこには幟一本立てられていなかった。
 絵看板もなく、大きな紙の立看板へすこぶる拙い字で、
『ペスト予防劇      血桜団 攘夷五郎太郎大一座』
と書かれてあった。
 攘夷五郎太郎。
 おっそろしい名前だな。
 今松は眉をひそめた。
 が、このまま引き返してしまえる場合でもなかった。
「おたの申します」
 チグハグに二、三足汚い下足の脱ぎ棄てられてある、埃臭い楽屋口へ立って案内を乞うと、
「ドーレ」
 間もなくドス太い声がして、ノッシノッシと大きな荒々しい足音が聞こえてきた。
「誰。なんの用」
 三十そこそこの、ベットリ襟首へ白粉のあとを残した剣舞師のような大きな口をした、角張った顔の角張った身体つきの男が継ぎだらけの褞袍どてらを着て出てきて、睨みつけるように言った。
「……あの、あたくし、じつは」
 どんな仕事でもいいからこの一座へ入れて使ってはいただけまいかと切り出すと、
「オ、君が、この座へ。それはそれは。ようこそ。僕、その攘夷五郎太郎だ」
 急に手の裏返すように目の光がやわらかくなり、口のあたりへ、微笑さえ浮かべだした。
 ヘーエ。この人が座長。
 昨日の手品師づまやといい、いままたこの人といい、横浜ってところはすぐ座長の現れてくるところだな。
 でも、昨日の座長よりか、正直に自分を名乗るだけこの人のほうがつきあいよかろう。
「あのなんとか使っていただけますでしょうか」
 重ねて訊くと、
「いや、使いますとも。使いますだがはいかんな。今はその楽屋が取り込んでいる。エーと……それでは……と」
 言いながら時計でも探すのだろう……しきりに汚れた白縮緬の帯の間をさぐっていたが、急に失望したような顔をして、その手を動かさなくなると、
「エーと、ではこうしよう。三時だ、午後三時。御足労だが君もういっぺんこの楽屋へ、僕を訪ねてきて」
「エ。じゃ使っていただけます。ア、そりゃどうも。ありがとう。ありがとうございます」
 仕事の定まったよろこばしさ。うやうやしくお辞儀をすると元気好く芝居小屋をあとに駆け出してしまった。
 そのとき後からしゃがれた声が、
「オイ、君、オイ君、君、君」
 立ち止まって振り向くと半鐘泥棒のようなヒョロヒョロと青い顔の男が、追い駆けてきていた。
 鉄ぶちの眼鏡をかけて昔はリーダーの一冊くらいかじったような顔をしていて、古びた紺絣の上下、羽織の紐の代りに今にも切れそうな観世縒かんぜよりを結んでいた。
「君、君、ほんとに君は攘夷一座へ入る気なのか」
 立ち停るとすくその男は言った。
「エエ、私入ってみたいと思うんですが」
 相手の鉄ぶち眼鏡を見上げた。
「よしたらいいだろうそれは」
 ズケリと鉄ぶちは言った。
「どうしてです」
 不足そうに、今松は訊ねた。
「君が入ってくりゃすぐペストにさせられる。可哀想に身体がもたんよ」
「へ?」
「いやペストにさせらるから駄目だてんだよ」
「ペスト? だってお宅ペストの予防劇じゃないんですか、お宅の一座」
「そうさ」
「そこへ入ってペストにかかるなんて」
「いや、罹りはしないさ。罹りはしないがほんとのペストじゃない。つまりペストの役にさせられるから可哀想だてんだ、君が」
「そんなことア構いません」
「いや、構う」
「どうしてです」
 また不平そうに相手を睨んだ。
「いいか。君がペストの役になるとだねえ。大詰めにこいつがペストだ、それなぐれ、それ叩け、それぶちのめせって、ひどい目にあわされてしまう。棒で打つ、足で踏んづける、靴で踏みにじる。いや、もうさんざんな目にあわされるんだ。だからたいてい怪我をするか、鼻血を出すか。なにしろうちあたりへくるのは下等のお客だからそのくらい手荒い目にしないとよろこばないんだ。むしろお客は大詰めのそのペストのめちゃめちゃにやられちまうところだけを唯一の楽しみにやってくると言ってもいいんだ。わかるかね」
「…………」
「だからペストになる役者は、あとからあとから病気になる。きのうも一人、目を廻して寝込んでしまった。もううちの座に代わりはいやしない。だから座長の奴、君がやってきたらとッても歓迎しやがったんだ。知らないで入ると、えらい目にあうぞ。どうだ君やめたらよかろう」
 だんだん親身な調子になって言った。
「ハハー、なるほど……」
 そう言われるとなるほどそうだが、しかし今の場合はまことに浅ましい話だが、たとえいくらでももらえたらいい。ちっとくらい目を廻そうと、肋骨が折れようと、ジッと下宿の三階にくすぶっているよりはいいじゃあないか。
「御忠告ありがとうござんす。しかし、私じつは今、たいへんに困ってるんです。で、いくらかになることなら、少うしくらい、怪我くらいしても」
「いやところが君、それが君ねえ、うちの座長ときたらひどい握り屋でね、もちろん、入場無料の下足代五厘しかもらっていないこの芝居なんだから、そりゃいくらにもなりはしないことはわかっているがね、それにしても僕ら幹部にさえここ二カ月、びた一文だってあいつ支払わないんだ」
「…………」
 いよいよそう聞けばひどい一座らしいが、しかし、しかし、それにしても酒代のだいぶ溜まっている下宿にいて針の刺さっているような飯を三度三度食べるよりは、せめて自力で働いて飯だけでも食べるほうが――。
「でも御飯おまんまは食べさせてくれるんでしょ」
 もういっぺん訊ねてみた。
「ド、どういたしまして。一昨日から座からは雑用がつかなくなってしまったんだ。それでも座長めノンコのシャーとして、巧くもねえ手前の芸の能書ばかり並べてやがる。あまり忌々しいから今夜、大詰めのペスト退治のとこで、座長の野郎、洋行帰りの医学博士になりやがるんだがね。そいつを俺たち一同で袋叩きにしてずらかろうとこう考えているんだ。来るか君、それでも来るか君、うちの座へ……」
 急に目の中へ、『ペスト予防劇 血桜団 攘夷五郎太郎一座』と拙い字で書かれた立看板が、クラクラクラと倒れかかってくるものを感じた。
 今松は気が遠くなった。


 伊勢佐木町の喜楽座へは芝翫しかん高麗蔵こまぞうの一座が、華やかに東京から出開帳にきて開けていた。
 おなじく相生座には、川上音二郎、貞奴一座が、シェークスピヤの西洋芝居で大入を取っていた。
 いくら今松でもこの二軒の小屋を訪れるほど、ずうずうしくも、馬鹿でもなかった。
 訪ねてみたところで駄目なことが、わかり過ぎるほどわかっていた。
 川立ちは川か。
 やっぱり蟹は甲羅に似せて穴を掘ろうと、またぞろ翌日から寄席廻りをはじめた。
 本業の落語の寄席は桃太郎や千橘の勢力範囲であるからこれは行くだけ無駄として、せいぜいそれ以外の寄席をあさってみた。
 雪解け道に日和下駄の爪革を泥々にして今松は、左のごとき寄席を歴訪した。
 清港亭――戸部町   (義太夫)
 金石亭――神奈川   (同)
 若竹――若竹町    (講談)
 松福亭――寿町二丁目 (同)
 高橋亭――戸部町   (同)
 日吉亭――伊勢佐木町 (同)
 万竹亭――亀の橋   (浪花節)
 寿亭――賑町     (同)
 富松亭――同     (同)
 色川亭――野毛三丁目 (源氏節)
 どこもみな御多分に洩れなかった。
 無理は百も承知で、よもやを念じて行ってみたのだったが、みんなよもやのほうにならなかった。
 一軒一軒木で鼻をくくったように断られた。
 源氏節のかかっている野毛の山ぎわの色川亭では、
「落語家なんて奴ァ常日頃、高座で源氏節の悪口ばかしぬかしやアがって、今さら、俺たちをたよってくるとはなんたるコッた、帰れ帰れ」
 いきなり一座の五厘らしい男が、今松の頭から塩をぶっかけた――なめくじじゃあるめえし。
 万事休すなり。
 スゴスゴまた花咲町の下宿の三階へ引き返してきて、この四日間の無駄足をつくづくとおもった。
 見渡す限りの午下がりの屋根屋根へいまだこの間の雪が残っているのに、さらにまた今夜あたりから二度目のやつが降り出しそうだ。
 だんだん年は暮れてくるし。
 もうじき東京じゃ、観音様の市だろう。
 手を伸ばせば届きそうな東京が、なんだか百里も二百里も離れているところのように心細く思われた。
 いや今松の心の距離では、今は五百里も千里も隔っているのかもしれない。
 それにしても――。
 越すに越されず越されずに越すと連中がよく言う今年の関所は、すぐ駆け足でやっておいで遊ばす。越されずに越すなんてわけにはとても俺、いきそうもない。
 さて越されずに越されずと言うことになるとしたら、そのときいったいこの俺は――。
「いる? オイ今松さん」
 だしぬけにガタリと建つけの悪いペンキ塗りの板戸を開けられて今松はびっくりした。
「私ですよ。桃輔」
 貧相な小男が、細く尖った自分の鼻を指してニコニコと笑っていた。
 桃太郎さんのところの前座だった。
「ああ、桃公。よく来たね」
 人恋しさに今松、顔を崩して迎えた。
「さっそくですがねあにさん、儲け口」
 座るなり桃輔は言った。
「エ」
 思わずジリリと膝を進めて、
「どこの席だ」
「席じゃありません」
「旅か」
 旅でもいい。
 いや、旅のほうがいい、なまじこんな横浜辺りでトロトロしているよりも。
「旅でもないんです」
 小さく桃輔は首を振った。
「へへー。お座敷か。尋常学校の余興かなにか」
「ちがうんです」
「なんだよいったい」
「それがねえ、なんでもあなたの言う目の出るって話でしてねえ」
 ニヤリ耳もとへ口を寄せてくると、
「兄さん養子の口なんですよ」


 よく考えてみておいてくださいと薄暗くなって桃輔の帰っていったあと今松は、いろいろととつおいつした。
「駄目だよ、俺なんか」
 はじめは受けつけもしなかったものの、年の若いくせに苦労人の桃輔は、先方はお前さんよりちょっと年上だが、牛坂のある素晴らしい物持ちの未亡人であること、しかもたいそう芸事の好きな意気な人であること、その未亡人がいつかお前さんがうちの師匠の一座へ出たときやってきて亡くなった御主人にそっくりだからぜひあの人をと御執心であること、等、等、等を、なんべんもなんべんも繰り返し繰り返ししゃべって、そして帰っていった。だからようやくひとつ考えてみてください。
 桃輔の話のあらましはこうだったが、今養子よりなによりも自分の心に匂っているのは、なんといってもやっぱりあのお艶ちゃんの上である。
 この自分の心の中に、パッと白百合の花のように咲いているあの面影は、日に、月に、活々いきいきと、瑞々と、匂いを増してきている。
 槍がふろうと、刀がふろうと、恐らく自分には思い切れまい。
 いや、死んでお墓へ入ってのちもなおかつパサパサになった俺のお骨の中では、あのお艶ちゃんという百合の花香が、馥郁ふくいくと匂いを放っていることだろう
 仮にもそれほどのお艶ちゃんを裏切って、お前は行くのか。養子に行くのか。
 自分で自分に訊いてみた。
 ト、とんでもない。
 いやだ。
 俺はいやだ。
 養子になんか、いやなことだ。
 行ったところで心の中のお艶ちゃんの幻につきまとわれて、味気ない日をおくるばかりだ。
 よそう。
 断ろう。
 あまりにも知れきった話じゃないか。
 そうシッカリ心を定めたすぐあと、
(でも)
 と、どこからか呼び掛けてくる別の「心」があった。
(お前さんがじょうを立てているほど、お艶ちゃんのほうでも情を立ててくれているのかい)
 別の「心」はこういうふうに話し掛けてきた。
(いないじゃないか)
 てんで、立ててもなんにもしてくれてはいないじゃないか。
 あれほどお前の切なる頼みも、ポンとすげなく裏切って、サッサと行ってしまったじゃないか、三河屋へ。
(それも三河屋の七十親爺へ――)
 ああ、そう。そうだった。
 その「声」を聴くと頭から冷水を掛けられたように、今松は、ハッとした。
 ほんとうにそうだった。
 お艶ちゃんの奴は俺を裏切って行ってしまったよ、それも三河屋の七十親爺へ。
 そんなものにいつまでも、心を魅かれていることなんかない。あるもんか。
 べら棒め、おいら、江戸っ子じゃねえか。
 いつまで惚れてくれてもいない女一人に、こけ未練なことを言ってやがるんだ。
 そうだ、向こうが七十親爺なら、こっちア面当てに、乙なお神さんをもらってやろう。
 養子だっていい。
 年上だっていい。
 後家さんだっていい。
 向こうは俺をぜひにと望んで、芸事がわかって、そのうえ、物持ち金持ちだと言うではないか。
 四十前後の、年よりは十も若く見える、目の涼しい鼻筋の通った色の浅黒いあだっぽい顔立ちの美しい大年増の横顔を、次から次へと知る限り幻燈の絵をさし替えるように、心の映写幕へ大写しに映してみては、
『相乗り幌かけほっぺた押付おっつてけれつのぱあ』そうしたお浦山吹とからかわれそうなその後家さんと自分との上に繰りひろげられるだろう光景を考えてはゴクリ、ごくりと生唾を飲み込んだ。
※(歌記号、1-3-28)天に代りて不義を討つ
 忠勇無双の我兵は
 歓呼の声に送られて……、
 そのとき軍歌が聞えてきた、勇ましい軍歌の合唱が。
 急いで立ち上がって今松は、例の鉄格子の小窓を開けて、下のほうへ覗いてみた。
 いつか深い夜霧に暮れてしまった花咲町の向こう河岸を、あとからあとから紅白だんだらの酸漿ほおずき提灯が続いて大きく二列に動いていく真っ黒な人の流れからは、軍歌の声が湧き起こっていた。
 万歳、万歳の声も聞こえた。
 パパパパパチッと爆竹が砕けた。
※(歌記号、1-3-28)今ぞ出で立つ父母の国
 勝たずば生きて還らじと
 誓う心の勇ましさ
 或は草に伏し隠れ……
 果てしなく軍歌は歌われていく。
 果てしなく人波は流れていく。
 また万歳が、また爆竹が――。
「おお凱旋だ」
 涙ぐましい感激で今松は眺めていた。
 熱海で講和条約の昼花火を仰いだときとは、また別な感慨だった。
 眺めているうち、
「そうだ、ウム、そうだ」
 今松の心はきまった。
 行こう、やっぱり養子に。
 こんなことをして、ただいたずらに暮らしていれば、明日が日が食えなくなってしまう。
 そうしてまかり間違えば、果てはお乞食にでも成り下がるこの自分かもしれない。
 それじゃ、ああやってたいそう働きをなすって今凱旋しておいでなさる兵隊さんたちにだって申し訳がない。
 俺たちお国に残っているものはお国に残っているものらしく、自分の持ち場を一生懸命、勉強するのが大専だろう。
 お艶ちゃんはあんな人でなしだし。腹が減っては戦ができぬ。
 牛坂の養子先でまず身慎莫みじんまくを調えて、そこでうんと後押しをしてもらって、いい「芸」を勉強することにしよう。
 それがいい、それがいい。
「今松さん」
 そのときもういっぺん板戸が開いた。
 埃だらけの大束髪に、首へハンケチを巻つけた血色の悪い背の高いお神さんが不機嫌な顔を覗かせてきて、
「……あのどうにかしてくれない、いつかうちのお酒代だけ。ねえぜひ二、三日内にお願いしたいの」
「ア、大丈夫、お神さん大丈夫だよ」
 大きな元気のいい声で今松は、
「永いこと御迷惑かけたけれど、明日か明後日、急にあっしア大金持になることになったんだ、払いますよそのときいっぺんに」
 こう言いながら、さらに牛坂の家へ行く決心のいっそう固くなるものを心に感じた。
 軍歌はもうよほど遠いところへ行ってしまってまだ聞こえている。


 今松と桃輔を乗せた幌を深く掛けた二台の人力車が喘ぎ喘ぎ雪の牛坂を上りきると、とたんに右横へ曲がっていった。
 翌日の午後だった。
 道端で大きな雪達磨をこしらえていた二、三人の男の子が車を見上げて、
「ヤ、またお屋敷行だ」
 口々に言った。
 間もなく大きな黒い門構えの屋敷の前で二人は降ろされた。
 桃輔が先へ、チリンチリン鈴の鳴るくぐりをくぐって、ガッシリしたこしらえの、天井の高い古風な台所のほうから案内を乞うた。
「どうぞ。お待ち申し上げておりました」
 三つ指をついて若いお小間遣いがうやうやしく迎えた。
 上へ上がった。
 ところどころに明かり取りがあって雪明りが仄かな光を落としている長い長い廊下をいく曲がりかしていちばん奥までやってきたとき、
「どうぞこちらへ」
 座って女中が襖を開けた。
 炭火の匂いが匂ってきた。
 十五畳の座敷のところどころに火鉢が置かれ、いい塩梅式に部屋は暖められていた。
 床の間の南画の山水の前に寒牡丹が活けられ、厳かに大小の刀が刀掛けに掛けられていた。
「忠勇」と大書した佐久間象山の大額が、厳めしく欄間にかかっていた。
 今松は床の間の寒牡丹の花の姿に、まだ見ぬ未亡人の妖艶な姿を思って、ひそかに心濡れるものをおぼえていた。
 目八分に香煎をささげて女中が持ってきたほか、しばらく誰も出てこなかった。
「どうです、兄さん立派でしょ」
 静かに雪の降り積む音が聞こえてくるガラス障子を越して見える数寄を凝らしたお庭の築山へ目をやって桃輔は、まるで自分が作えでもしたかのように自慢した。
「まったく立派なお屋敷でしょ、こんなお宅たァ思わなかったでしょうあんた」
 さらに桃輔は言った。
「…………」
 今松は肯いた。
「首尾なくあにさんがここのお邸の御養子になれたら、いくらかくださいよ私にも」
「やるよ、そりゃやるとも」
「いくらくれます」
「十五銭」
「いやだよ十五銭ぽっち」
「嘘だ嘘だ、もっとあげるよ」
「いくら」
「三円」
「エ、三円ほんとに三円」
 身体全体へ激しくよろこびの色を見せて桃輔は、
「ありがてえ。これだ」
 黙って両手で拝む真似をした。
 寄席の木戸が二銭から三銭五厘、名人圓朝が四銭取ってなおかつ八丁荒らしと驚嘆されたその時代である。前座の桃輔に三円は、正しく金時計二つ三つもらったくらいの大いなる歓びに価するだろう。
 そのとき遠くから静かな足音が聞こえてきた。
 あわてて桃輔は口をつぐみ、取ってつけたような大真面目な顔になって今松の膝をつついた。
 黙って今松も居ずまいを正した。
 スーツと[#「スーツと」はママ]首筋から足の爪先まで、水のようなものが走って落ちた。
 襖が開いた。
 七十近い総白髪の、目の怖ろしい、鷲鼻わしばなの、口の大きい、五尺何寸とありそうな大柄の御隠居様が浅黄綸子りんずのような立派な着つけをお引摺りにして、今松にはなんだかよくわからない白地へ金銀の縫いのあるキラキラした帯を前結びにダラリと下げ、その上からやはり白と茶と金茶の入り乱れたおかいどりのようなものを羽織ってゆったりと入ってきた。
 襟までフサフサと垂れている白髪頭を見て今松は、岡崎の古寺へでてくる十二単を着た化け猫の姿を思い出した。
 オヤこんな御隠居さんがお出でなすったのか。
 じゃうるさいぞ、なかなかうちのなかは。
 どうせお金持ちのところの養子だから、一から十までうまい話にはゆかないとは思っていたけれど。
「…………」
 チラリ桃輔のほうを見たが、膝へ手を置いて正面を向いたままでいる。
ようお出でたなあ、くつろぎなさい」
 びっくりするほど若い声で、床の間の前へ座った御隠居様はおっしゃった。
「ヘイ」
 ペタペタとお辞儀をしながら、口早に低い声で桃輔が今松を紹合ひきあわせた。
 ていねいに今松もお辞儀をした。
「くつろぎなさい」
 もういちど御隠居様は言った。
 はじめて二人は顔を上げた。
 雪の反射で明るく見える御隠居様の、張り裂けたような唇に、ひとすじ紅が曳かれているように今松はおもえた。
これよ」
 大様に御隠居様は、パタンパタンと手を鳴らした。
「…………」
 襖を開けて女中が外から白い顔を見せた。
「お寒いからあの、あれをな」
 御隠居様はギロッと怖ろしい目に意味をもたせた。
「かしこまりました」
 間もなく五、六人のお女中で、あとからあとから運ばれてきた、おびただしいお酒が、お肴が。
 さらに、世界地図ほどある大きな大きな青磁のお皿が五つ、マグロの赤や小肌の藍や玉子の黄色や穴子の茶や海苔の黒や、その時分のことにして正しく五円くらいのお鮨が二〇三高地もかくやとばかり、色とりどりにギッチリ盛り上げられているやつを運んできた。
 しかも、そのとたんに、
「アーッ」
 びっくりして今松は目を見張った。
 見張らずにはいられなかった。
 サーッと一陣の怪風に吹き起こられてきた木の葉の精かなにかのように、大小さまざまの黒猫ばかりが十五、六匹一斉に廊下からこのお座敷へと、ワッと雪崩れを打って飛び込んできたからだった。
 みい。たま。くろ。からす。いち。はち。ころ。ちい。さだ。とめ。たけ。びん。あま。ちび。べそ。
 それぞれ猫には名が付けられていた。
 その十何匹の黒猫が残らず御隠居様の前へ、後へ、膝の上へ、モクモク無気味にうず高く重なり合うように勢揃いした。
「ハハーここだな、ここの家へなかなか養子が決まらねえのは。いくら見合いをしても御隠居様にこの隠し芸があっちゃ堅気の者じゃちょいと気味が悪くって寄りつけねえや」
 最前、雪達磨をこしらえていた男の子が「またお屋敷行だ」と言ったことを思い出しながら、いよいよ岡崎の猫の十二単姿を心に思い出しながら今松は、あきれて見ていた。
 同時にまだ見ぬ姥桜うばざくらの未亡人の不幸せな宿命の上がしきりとあわれにいとしく考えられた。
 こんな御隠居様を持っておいでなさるんだ、
 ヤレお可哀想に。
 夫婦になったらうんと可愛がって慰めてあげよう。
 せめてもそれがお艶への面当てだとも思った。
「みいや」
「ちびや」
「たまや」
「ころや」
「たけや」
 御隠居様はいちいちの猫の名前を呼んだ。
 いちいちの猫がまたチャンと自分の名前をおぼえていて、呼ばれるたびにニャーと啼き、またある猫は口だけ動かして返事に代え、あとゴロゴロと咽喉を鳴らした。
「ソレ、たま」
「ソレ、ちび」
 そのたびポーンポーンと御隠居は挟んだお鮨を遠くのほうへ投げてやった。
 ひとつ、またひとつ二つ、また三つ四つ、また五つ六つ。
 そのたびさっと黒い生き物が、そのお鮨のゆくえをめがけて追いかけていっては、前足で押さえガブッと上の肴だけ食べてしまった。
 あとへ、そこにもここにも薄白い御飯のかたまり。
 さしも山と積まれた大皿のお鮨が瞬くうちに減っていって、底に敷かれた大熊笹の葉ばかりが真っ青く見えだしてきた。
「もういい、帰れ」
 ジーッと見ていた御隠居様はそのときまた呼子のような甲高い声を出して、号令を掛けた。
 トトトトトトと潮の退くように、細目に開けてあった襖から先を争って十五匹ほどの黒猫は、先を争ってどこへか帰っていってしまった。
「よく馴らしたものじゃろう」
 真っ赤に濡れている大きな唇をカッと開いて、顔中を口にして自慢そうに御隠居は笑ったが、なんとなく今松はまたゾーッとした。
「ヘイ」
 とお辞儀をしながらも、またしてもお娘御哀れと心に深く思いめぐらさずにはいられなかった。


「さあ、猫どもがすみました。ではこれからゆるりと干してくだされ。のう冷えるからのう」
 人間より猫のほうがよっぽど大切らしく、やがて御隠居はこう言うと、御自分から部厚な湯呑を取り上げた。
 心得ているらしく桃輔が、それへ徳利のお酒を全部酌いだ。
「うん」
 うなずいてグビグビと一気にあおって、
「サ、お前たちも大きいものでどんどんおやり」
 ホホー、これは面白い。
 初めて今松はそう思った。
 黒猫の勢揃いは恐れ入谷の鬼子母神だけれど、茶碗酒の召し上がれる御隠居様なんかなかなか話せるというものじゃないか。
 だからこそこの人の娘さんも自然芸事が好きで、これだけの御大家でありながら、俺のような落語家でも養子にしてやろうとおっしゃるのだろう。
 最前からのすっかりウンザリしてしまっていたこの御隠居への考え方をいくらか今松は、いや、そう一途にあきらめてしまうのも早まりすぎるぞと考え直してきはじめていた。
「御馳走様になります」
 まず桃輔が手酌で大きなものを取り上げて、
「じゃお前さんも御遠慮なくいただいたら」
 急に目上のような口の利き方をしてこちらへ、目で知らせた。
「いただきます」
 手酌で今松もコップへ酌ぎ、グーッとひと息に干してみた。
 この御隠居がこのくらい召し上がるのだもの、ちっとやそっと飲んだからって、よもうちの娘にあんな飲み助はとはおっしゃるまい。
「オオ、お見事お見事。桃輔。今回はよい人を差し向けてくれましたな」
 果たして御隠居はまた顔中を口にして、
「この仁なら私の相手ができる」
「御意にかないましてありがたい幸せで」
 ピョコリと桃輔は頭を下げて、
「オイ、お前さんもよく御礼を申し上げなせえ。御隠居様の御意にかなった」
「ありがたいことでございます。ふつつか者ですがなにぶんどうぞ」
 心から今松も頭を畳へ摺りつけるようにした。
「ときに桃輔、お前からも話してよう御存知じゃろうが、念のためにちょと私からも言っておこうの、あの……あのなあ」
 少し酔いが回ってきたらしく、大きなドス黒い舌でペロリと唇をなめ廻して、
「お前。あの、家へきてくれたらのう。向こう一年問は、日曜の他は外出まかりなりませんぞ。朝から晩までズーッとこの家の中にいてくれねば……」
「…………」
 いささか当の外れた気がした。
 一年間、日曜のほかに外出できずでは、落語家として向こう一年間の出演もまた当然思いあきらめなけりゃならない。
 第一、向こう一年、日曜のほか外出ができないなんて、まるで兵隊に行ったみたいだ。
 が――これも、要は今まで不幸せだった娘不びんとの親心からだろう。
 柄になくこの御隠居、娘思いなんだな。
 やっぱり親は子を思い、子は親を思い、そこに親子自然の恩愛はあるのか。
 ジーンと熱いものが、今松は胸先へこみ上げてきた。
 まあ、いい。
 じゃ一年間は、自分一人で、勝手に落語はなしを研究していよう。
 そうしてうんと腕を磨いておいて二年目から、華々しく出発しよう。
 それがいい。
 それに限る。
「どうじゃな、得心かな」
 冠せるように御隠居が言った。
「へ、承知でございます」
 神妙に今松は目でお辞儀をした。
「いや、得心ならば重畳」
 満足そうにうなずいて、
「サ、では一杯」
 大きな湯呑を差しつけてきた。
 脇から桃輔が溢れるほど酌いだ。
 またひと息に今松は飲んでしまった。
 そうして、返した。
「私も飲むぞ、ソレ、よいか」
 咽喉の奥へ流し込むようにあおりつけると、シュッと雫を切るようにした湯呑を、
「もう一杯」
 桃輔の前へ出した。
 なみなみと酌がせ、また仰向くようにして飲み干してしまった。
 さすがに底光りのする目がだらしなくトロンとして、遠火事の夜空を見るように、顔全体が赤々としてきた。
 しきりにうるさそうに垂れ下がってくる白髪頭を振り動かしていたが、
「では今日からいてもろうて大事ないか」
 少し低い声で桃輔のほうを見た。
「大事ないどころじゃございません。どうぞ……どうぞ」
 幾度か桃輔は頭を上げた。
「ウム」
 満足そうにうなずいて、
「では見せよう私の余興を」
 ヒョロヒョロヒョロと立ち上がり、
「アア、久し振りでよい心持ちになりました。どれ――」
 そのまま今松たちの後を通り抜け、庭に面したガラス障子を開けて、よろけながら縁側の廊下を出ていってしまった。
 もう暮れきっているのに白々と明るい庭一面の雪の上へ、まだサラサラ音立てて雪が降っている。なに鳥か黒いのが一羽、ツイと縁近くの真っ白な植込みの陰から飛び上がっていった。
「ねえ、オイあの娘御さんは」
 気になって、今松は、桃輔のほうを顧みた。
「娘御さんて?」
 けげんそうな顔を、桃輔はした。
「俺、ここのうちの婿養子だろう」
「そう」
「婿にきたんだろう」
「そうよ」
「俺よか年上だが、芸が好きで、俺のこと死んだ連合つれあいに似てるって言った娘さんにまだ会っていねえ。いつ出てみえるんだろう」
「もう出てみえているよ」
 だいぶ酔いが廻ってきたらしく、テラテラしてきた小さな顔をツルリと撫でて桃輔は答えた。では、あの最前のお小間使いのなかの一人か。
 ワザと質素に、奉公人たちのなかに立ち混じって働いておいでなさるのか。
「じゃ、どの人なんだい、いったい、俺の女房になるって人は」
「ホレ、今までそこに座っていなすった人、御隠居さんだ」
「わかってらい、御隠居さんは」
 じれったそうに今松は、
「ありゃその御本人の阿母おっかさんじゃねえか。俺は御本人のお顔のほうが早く教えてもらいてえんだよ」
「教えるにも教えねえにも」
 とうとう桃輔はプッとふき出して、
「オイあの御隠居さんが御本人だよ、今夜からお前さんを婿に取りてえとおっしゃる……」
「冗、冗。よせやい、担ぐのは」
 むきになって、
「だってオイ、先のお連合にそっくりだてえじゃねえか俺が」
「だからそっくりなんだとよお前が、今から三十八年前、明治元年越後柏崎の戦いで官軍に射たれて死になすった旦那様のガラスの御写真がたった一枚あるそうだが、とんとそれがお前に生き写しだとよ」
「……だ、だってお前、俺より、年の上の、女で」
「上じゃねえかお前さんより、たしかにあの御隠居なら」
「だけど、だけどよ、それがお前大年増」
「大年増だよ、あの御隠居は」
「だ、だってお前、芸がわかるって」
「わかるんだよとても、あの御隠居。今も隠し芸のお仕度にちょいと座をお外しなすったくらいなんだ」
 言わせも果たせず、ダダダダダと廊下でけたたましく足音がして、
「オーイ。桃輔、桃輔、いい心持ちだよ、たいへん。私ア、踊るよオイ踊るよ、ネ、いいだろう」
 立て掛けてあった大きな材木が転がり出しでもしたかのように飛び込んできた御隠居は、もうおかいどりなんか[#「おかいどりなんか」は底本では「おかいどりなんか」]かなぐり棄てて、ああら勇ましの白鉢巻。
 いきなり床の間の刀掛けの大刀をわし掴みにすると、
「ヤーッ」
 気合いとともに、抜き放った。
「う、歌うよ私ア。歌ってね、そうして自分で踊るよ」
 ギラリ、大ランプの灯に大刀をかざしたかとおもうと、筒いっぱいのキンキン声を張り上げて歌いだしたねこの、御隠居。
※(歌記号、1-3-28)臥薪嘗胆 幾辛酸ンンンンン
 一夜ア 剣光 映雪寒イイイイ
 あまりのことにハッと気を呑まれた今松の真っ向へ、
「エーイ」
 たちまちサーッと紫の雷光いなづまが、空怖ろしく降り下ろされてきた。
「危いッ」
 飛び上がって後退あとびしゃりした今松、
「駄目だ、駄目だよ桃公とても」
 真っ青になってフラフラとふるえ上がると、
「ツ、務まるもんかこんな家。ニ、逃げるよ、俺もう」
 バタバタバタバタ。後をも見ずに逃げ出してしまった。


 一時間後。
 やっぱり霏々ひひとして降りやまぬ雪の伊勢佐木町を、身体中真っ白にして今松は歩いていた。
 笠もかぶらず頭から、身は真っ白の雪おとこ。
 ああ、驚いた。
 まだ胸の動悸がやまなかった。
 なにが養子だい。
 なにが年上だい。
 酔いもなにも醒め果ててしまって、ガタガタふるえて歩きながら、ひとり腹立たしく口の中で叫んでいた。
 養子じゃねえ男妾だい。
 年上も年上、年上過ぎらい、あのデクデク婆。
 寒さとはまた別に身ぶるいがでてきた。
 永生きをすると、いろいろの不思議を見るというが、今日の婆なんか、たしかに横浜七不思議のうちの大真打ってとこだろう。
 あの年になって、若い亭主を欲しがるなんざ、これが不思議でなくってなんだろう。
 またお屋敷だと雪達磨の子供が言ったところをみると、入れ替わり立ち替わり、替わり合いまして若い男が、ずいぶん御目見得に伺ってるのにちがいない。そうしてみんな、あの大婆ちゃんを一見に及んで兜をぬいで旅順港から総退却ということに相成っているのにちがいない。
 当り前だよ、誰があんな婆。
 吐き出すように呟いた。
 それにしても――。
 ふッと我に返って今松は、世にも侘しそうな顔をした。
 どうして暮らそうか俺、明日から。
 雪の上に、一昨日訪ねて断られた日吉亭のビラ。「松林伯知」の名が真っ赤に濡れて滲んで落ちていた。
 たったひとつの金のつるを、いまパチンと自分で断ち切ってきてしまった以上、もはや、どこでどうしよう当てもなかった。
 この大雪でどこも早くから戸を閉めてしまった伊勢佐木町の森閑とした大通りのところどころに、世にも真っ青な瓦斯灯の灯が、シュンシュン音立てて燃えていた。
 その灯に、お艶のパチッとした瞳の色をマザマザ感じた。あのやつれた美しい横顔を。
 ごめんよ、お艶ちゃん。
 向こうが自分を裏切って行ってしまったことも忘れて今松は、その瓦斯灯のほうへ手を高く上げた。
 そして振った。
 俺、かりそめにもお前のほかに、女の人と暮らそうなんて考えたりしたから、あんな化け猫婆さんなんかにぶつかってしまったんだねえ。
 罰が当たったんだよ俺、お前の。
 ごめんよ。
「ねえ、ごめんよ」
 思わず大声で言ってしまったら、
「アアびっくり。なにがごめんだい」
 だしぬけに耳もとで張りのある声がぶちまけられた。
「……すみません、すみません、ついうっかり大きな声を出してしまって」
 言いながら上げた今松の顔が、いっぱい雪を載せた傘の下の、目深に襟巻と、トンビを羽織って、信玄袋を片手に、長靴履きの小さな貧相な老人の顔と正面衝突してしまった。
「ア、先生」
 とたんに声上げて今松は近づいていった。
「オオ、今松さんか。ここは奇遇」
 大磯以来の神田伯水老人だった。
「どうしたお前、傘もささんで」
 いぶかしそうに老人は、雪だらけの今松の姿を見廻した。
「ひどいオケラで上げも下げもならねえんですよ、先生」
 正直なことを言ってしまった。オケラとは芸人仲間で、銭のないときのことの意味だった。
「ちょうどいい」
 貧相な顔を輝かして老人は、
「私しゃこれから上方へ行く途だ。飲みたい飲みたいといつぞやから唄に歌っていた灘の生一本を、賞美に参るほどよい身分ではまさかないが、ふた月ばかり京大阪の寄席へ売れた。講釈場ではない落語の寄席へじゃ。となるとこの老骨瘠せても枯れても書生の一人くらいは連れて行かねば神田一門の恥じゃと思って東京中の講釈場をずいぶん探し歩いたが、正月を控えて誰も参らん、マ、これはもっともな話じゃがね――」
 自分で自分へ苦笑いして、
「しかたないからこの横浜まで足延ばしてその日吉亭まで書生探しに参ったのじゃが、やっぱりおらん。拠所よんどころなくもうあきらめて、貧相でもただ一人で大阪入城とあきらめて参ったところじゃ。行ってくれんか今松さん。尊公なら、わしの戻ったあとも落語家として居残ってって働けようし――」
 日吉亭といえば、この間自分が断られた寄席。
 いやたった今、そこの雪道で松林伯知先生のビラの落ちていたのを、怨めしく眺めた寄席。
 事もあろうにそこの帰りの伯水先生が、しかも落語家の寄席へ出演するとの大阪行にこの自分をさそってくれるとは――。
 どうせ師匠に勘当された東京。
 お艶ちゃんにも会えない東京。
 それを思えば故郷でありながら、フツフツ故郷の気のしない東京。
 ……とすればなにも修業だ、大阪三界。
 行って上方の落語の味も充分に覚えておこう。
 あんな大婆さんの餌食になったことを思えば、京大阪が唐天竺でも、決してありがたくないことはない。
「結構、連れてってください先生。私、私、よろこんでお供します」
 今松は、伯水老人の傘持つ手をば、上からギュッとゆすぶって握った。
 バラバラ雪が傘からこぼれてきた。
「なに、行ってくれる。それは重畳。神田伯水恩に着ますぞ」
 嬉しそうに老人言った。
「ド、どうつかまつりまして。こっちが先生、恩に着ますよ」
 やっぱり相手の傘持つ手を握りしめたまま、いつまでもいつまでも今松は揺りつづけていた。
 またたいそう雪が大降りになってきた。
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第二部 養花天はなぐもり





上方三界



 伯水老人、正月いっぱい大阪で稼いで、今松を残し、帰ってしまった。
 今松は初めて自分独りぼっちになって、右も他人、左も他人の大阪の落語家の仲間へまじって働きだした。
 今日までは伯水老人という、年こそちがえ商売こそちがえ、身近に杖柱ともゆかないまでも転んですりむいたらすぐに絆創膏ばんそうこうくらい貼ってくれる人があったからいい。
 が――今夜はちがう。
 天にも地にも、ほんとうに自分一人っきりである。
 この大阪にも多年、圓朝の真の呼吸を写したといわれる三遊亭圓馬という生粋の江戸っ子が籍を置いているが、ここ一年ほどは旅ばかり廻っているとかでほとんど大阪へは寄りつかなかった。
 いや、もし大阪にいたとしても、今松は柳派の人間だった。敵と目される三遊派の人たちの袂へすがるなどということは、あえてしなかったろう。
 同じ柳派からは小燕路、柳昇などという人が来ていたけれど、これも旅廻りばかりでほとんど目下の大阪の人ではなった[#「人ではなった」はママ]
「関東のお方はおいどが据らんさかい」
 で、そう言って大阪の落語家たちはわらっていたがひと月ふた月と居着いてみると、お尻の据らんということが決して無理とも思えなくなってきた。
 浪華の蘆も、伊勢で浜荻。
 ところ変われば品変わるのは、今松といえども百も承知二百も合点、むしろその辺へ興味をさえ抱いてやってきたのだけれど、さて実地にそれへぶつかってみると、あまりにも東京の人には万事万端の心構えが違いすぎていた。
 むしろ一から十まで、納得できないことばかりだった。
 まず大阪の前座さんは、へたりといって下駄箱のような見台けんだいを前へ置き、拍子木を張扇みたいなものでカタカタカタカタカタカタと止め途なしにそれを引っ叩く。
 ときには自分のしゃべっている話の聞こえなくなるほどやかましく叩きたてておいて、
「こうやって叩いてさえいれば、表へさいて通りなはるお客はんは、ハハー、もう落語家がしゃべっていよるなとわかりやはります。ほと、続々とお運びをいただけると、つまりこういうことになっとりますので――」
 とこんなふうに能事足れりとすましている。
 大道の乞食講釈じゃあるめえし、こうるせえにもほどがあらあ。
 これが第一にしゃくに障った。
 背中一面に赤かなにかでとてつもない大きな縫紋をして、クルリと高座で後向きになったとたん、ドーッと受けさせる。
 こんな真打のいることも、地味な唐桟とうざん結城ゆうきや黒紋付や、そうしたこしらえの東京の落語家ばかり見慣れてきた今松の目には、虫唾むしずの走るほどいやだった。
 なんでえ西洋曲馬チャリネの道化みてえに、あんな身なりをしておちを取りやがら。
 ジッと見ているとムカムカしてきた。
 大の男が噺のあとで、スックと立ち上がって踊ることも、腹立たしくてならないもののひとつだった。
 その頃の東京の寄席、女の子以外は決して立ち上がって踊らなかった。それを落語家の恥としていた。すべての落語家は座り踊りとて、巧みに膝と腰とで呼吸を取り、しゃがんだようなかっこうをして巧緻に踊った。そこになんとも風流が感じられた。芝居噺の立ち廻りといえど、決して立ち上がって見得を切ることはなおさら邪道として許されなかった。
 それほどの約束のなかに育ってきた今松だったから、猫も杓子も立ち上がって踊るのを見るたんび、武士道亡びたり、そんな情ない感じをもつことがしかたがなかった。
 けッ。あんな背の高え男が立ち上がって踊ってやがる。まるでまるで大掃除の手伝いにきたみてえじゃねえか。
 忌々しそうに口のなかで罵った。
 一流の、名人のと言われている大真打が最終に上がって、芝居噺でも音曲噺でもないのに、落語のなかへフンダンに鳴物や合方を使って聞かせた。
「夜が更けましてな」
 と言うと、楽屋でボーンと銅鑼を鳴らす。
「ア、火事や」
 と言うと、本物の半鐘がジャンジャンジャン。
「廓へかかると陽気なこと」
 こう言うと三下さんさがりの騒ぎ唄や、七段目の茶屋場で使うような踊り地の合方を、華やかに下座が弾き出す。
「扇一本、舌三寸で、夜の更けたのも、花の咲いたのも、火の燃え上がるのも、マザマザとそこへ見せてこそ、ほんとうの『芸』じゃねえか。それをいちいちこんなに鳴物の手助けを借りやがって、名人も提灯袋もあるもンけえ」
 噛んで吐き出すように今松は言った。
 聴けば聴くほど、いやになった。
 なかでもいちばん我慢のできないことは、落語家が高座へ上がってしゃべっている最中、ポンポンお客が祝儀を投げて寄越すことだった。
 お紙幣のときはこれ見よがしに、青竹を細く削ってひとつに合わせた割箸みたいなものへ挟んで、赤前垂まえだれのお茶子が高座へ運んで持ってきた。
 その割箸みたいなもののズラリとたくさん並べられるほど、ほかの連中へ鼻が高いというわけだった。
「手前から手前の品を落としてかかってやがら。いよいよおこもの仕草じゃねえか。いやだいやだ、下っちゃ怖えや」
 こんな処置振りを見習っちゃ、先祖の花川戸の助六や幡随院の長兵衛にすまねえと、しみじみ今松はそう思った。
 食べ物のほうも、折り合わなかった。
 あの押し鮨って奴、お雛さまのお菓子みたいに綺麗なばかしでいただけなかった。
 キチッと穴子だか鱧だかを小さく切って押して四角に御飯の上へ載せているやつを見ると、うなぎよりも美味しいトロッとした江戸前の穴子の握りの色を目に浮かべてつくづく恋しがらないわけにはゆかなかった。
 とろだってないんだし、こっちには。山葵わさびの利いていないやすけなんていったい、人間の食べるものなのだろうか。
 鰻といえば、こっちの鰻丼。
 出雲屋とかでひどく安くて六銭だけれど、まむしというのだ。はじめは蛇の蝮かと肝を潰した。まむしじゃない、ほんとはまぶしで、東京とちがって御飯の中へ鰻の切れッぱしをまぶしてあるだからまぶしと言うんだそうだが、まむしにも青大将にもうわばみにも、あの悪く砂糖の利きすぎた脂気のない鰻はどうだ。
 ※(歌記号、1-3-28)六銭まぶしは鰻が少ないテケレツのパー、とこっちの落語家さんは歌ってやがるが、どう多くったってあの甘味じゃ助からない。
 第一、そんなことにしてからが味よりもかさで、すぐ少ないの多いの唄にまで歌ってやがる贅六ぜいろく根性がかたじけない。
 牛肉はちっとばかりうまいようだが、あの葱を「ねぶか」と言やがる。白根草の価なにほどなるやとたらちめのお嫁さんみたいなことを言わないだけがめっけもんだ。
 それに牛鍋へぶち込む砂糖。
 ザラメって奴で、こいつもへんに悪甘くって鍋ン中でなかなか溶けない。
 刺身の醤油に濃口こいくちてのがあって、いやに味噌みたいにドロドロしてやがる。
 それもいやなら、これもいや
 見るもの、口にするもの、片っ端から小癪に障って今松は、つくづく上方は住みにくい、やっぱり生まれ故郷の東京がいいと思わざるをえなかった。
 今さらにして東京の寄席、東京の食べ物の上がしみじみ恋しく慕わしくなってきた。
 ただ、お酒。
 お酒だけは、上方こっちがよかった。
 これは美味しいにもなんにも、てんでひと口、口をつけてみて舌触りが違った。トロッとこう甘いものが舌いっぱいにひろがっていったなんとも言えないその芳醇さ。
 東京のお酒なんか、てんで足もとへもなんにも寄りつけなかった。八幡太郎と番太郎くらいのちがいが、まさに歴然とそこにあった。
 こんなにもお酒って美味しいものだったのだろうか。こんなにも一日一日の暮らしの疲れをサッパリと洗い落して、明日の元気を助けてくれるものだったのだろうか。
 目を見はった、今松は。
 そうして、飲んだ。
 しじゅう飲んだ。
 どんな汚い屋台店へ行って飲んでもなお、小佐治が養老の滝の水から汲んできたような素晴らしいものを飲ませてくれた。
 ひとり幸福に傾けて酔っては、もうだいぶ現実のそれとはちがってしまっただろう美しい思い出の幻を目に追っていた。
※(歌記号、1-3-28)女房に似合うと誰が言うた
 こちゃやりわせぬ 返しゃせぬウウウ
 ……いつかまたお艶仕込みの新内が口に上ってきた。


 きびしかった大阪の寒さがだんだんゆるんでいった。
 古い木作りの夷橋や、開化仕立てのくろがねの心斎橋から東に見える河内辺りの山々が、日一日と青味を増して見えるようになった。
 奈良のお水取りがすんだ日からは、めっきり日ざしが春めいてきた。
 堀江で木の花踊りが始まった。
 それが真っ先の春の訪れみたようなものだった。
「雪になって木の花踊り打出され」こうした川柳があったけれど、ときどき大きく淡く春の雪の降るときがあっても、橋筋から溝の側かけてはそろそろ縁日が立ちそめた。
 四月には広島へ漕ぎ戻って行く蠣船が、そこでもここでも今年最後のお客を争って、毎晩毎晩、道頓堀や土佐堀、京町堀の川面へ、賑やかに艶めいた灯影を落としていた。
 お彼岸がきた。
 天王寺へ参詣の人たちがぞろぞろ集まり、将門眼鏡のホニホロや、河内十人斬のからくりや、亀の池の経木流しが押すな押すなの繁昌をさせていた。今ぞ季節の売り物とばかり落語家たちは「天王寺詣り」の落語を、毎晩のように伺った。
 桜が咲いた。
 これも落語で知られている鶴満寺の桜。
 同じく造幣局は桜の宮のお花見。
 それから町も町、町のド真ん中にある土佐の稲荷の夜桜が、夢のように霞んで咲いた。
 塀で構われた小さな馬場を思わせる空地の周囲ぐるりの桜の木々が一時に満開して、そこへ町家の人たちが緋毛氈ひもうせんを敷き、重詰めを開き、ちろりのお酒をお燗して、三味線を弾いてさんざめいた。
 新町では木の花踊り、北と南とでは浪花踊り、負けない気になって物言う花も、ここを先途せんどえんを競った。
 町々へは早やはつ夏の訪れを知らせるように遠く能勢から蹲躅つつじ売りが[#「蹲躅売りが」はママ]来、なぜか、この頃になると、しがらきやわらび餅とて葛餅を小さくしたような餅菓子の類をすいな手拭で顔を包んだ若い衆が屋台を引っ叩って売りにきた。
 そろそろ野田では藤が咲こう。
 もうその時分には今松も、よほど上方というところに、上方の寄席のなかのというものに馴らされてきていた、よんどころなく。
 鳴物を使ったり、立ち上がって踊りはするけれど、やはりうまい人はうまい。
 なんともそこに「芸」をもっている。
 で、はじめほどいやではなくなってきた。
 ばかりか、そこに学び取るべき数々のあることをさえ感じてきた。
 で、身を入れて聴き、ジックリその噺の世界へ溶け込んでいくことができるようになってきた。
 落語家さんにも、だんだん上方は上方で、また東京とは別ないきな人のいることもわかってきた。
 人気者の歌団治は、競馬かけうまに凝ってスッテンテンになり、長襦袢一枚になってしまった。
 なんぼなんでも長襦袢一枚じゃ高座へは出られない。
 休んで自宅うちくすぶっていると、喧しく寄席から迎えがきた。どうしても今夜出てくれ、と。
競馬かけうま失敗しくじってしまいましたんや。銭貸しとくなはれ」
 歌団治は言った。
「あかんあかん」
 言下に席亭は首を振った。
「己の勝手に馬みたいなものやりさらして裸になったかて、知らんでわいは。銭、貸されへん」
「貸してくれなんだらわい出られまへん」
「なんで出られん」
「長襦袢一枚ですね」
「出イ、その長襦袢一枚で、かめへん。お前かて天下の歌団治やろ。それが長襦袢一枚でニュッと出たら、また人気にもなるやろ。出イ出イ」
 席亭、取り合わないで帰ってしまった。
 と、どうだろうその晩のこと。
 やってきた歌団治、ほんとうに長襦袢一枚で。そうしてノコノコ高座へと上がっていった、あられもなくその長襦袢で。
「うわッ、えらいことをしやがる」
 よもやと高をくくっていた席亭は、モロに目を剥いて驚いた。
「貸す貸す、金貸す。そのりではあかん。歌やん下りて。なあ頼む、下りて。オイ誰か緞帳下ろし」
 さすがの席亭が音を上げて言われるままの金を貸し与えた。
 同じような話が、助丸にもある。
 これはもう一倍えらい。
 金を前貸ししてくれないか、でないと今夜の掛け持ちは電車賃がないから歩いて行くが、と談判したら、オオ、歩いてこい草鞋がけできたらええやろと席亭のこう突っ放した返事だった。
 心得たとばかり助丸。直ちに身仕度厳重の草鞋履き、自宅うちから寄席までワザと泥んこのなかばかり選りつつ歩いて草鞋を泥々にし、その泥草鞋のまんま高座へ上がっていたら、びっくり仰天して席亭、これも言うだけの金を貸してくれた。
 ところがあくまで不敵な助丸はひと晩のうちに若い者を連れて遊びに行き、残らずその金を費ってしまい、またあくる晩席亭に対してまた貸してくれとずうずうしく手を突き出したら、あきれてしばらくジーと助丸の顔を睨んでいた席亭がやがて言った。
「草鞋でもなんでも履きさらせ!」
 ――今度は席亭のほうのなかなか粋な話せる面を話すとしよう。
「煙草の火」という上方の落語。
 そのなかで料亭ちゃやの番頭が、大尽遊びをきめ込んでいる一見ふりのお客からなんべんもなんべんもちょいと百両立て替えてくれとアッサリ頼まれるところがある。
 そのたび帳場へやってくる番頭はさすがにてれてそのたび主人へ、
「ヘッヘヘヘヘヘ」
 と作り笑いをしては立て替えの件を切り出す……これだけのことを覚えておいてもらわないと、この話の面白さがわからないのだけれど。さて鶴左衛門という真打どころの男だったが、これが初日の晩につい飲み過ぎてある寄席を休んでしまった。
 初日だけに具合が恐くて翌日は早朝に席亭のところへ飛んでいき、面の皮を千枚張りにしてあやまるつもりで恐る恐る頭へ手をやって、
「ヘッヘヘヘヘ」
 まずこうやったら、言わせるも果てず席亭がグイと側らの手文庫を引き寄せて、
「なんぼお入用です鶴左衛門はん」
 ……つまりあまりにも寄席学に通じつくしたこの席亭は、「ヘッヘヘヘヘ」と鶴左衛門が言ったとたん、かねがね連中の高座から聞かされていた、「煙草の火」のあの番頭のお立て替えの場面を直ちに連想し、とっさの場合に、極めて自然にこう答えられた。それほど席亭といえどもまた、好きで落語の世界の大池のなかへ身も魂もヌキサシならないほど深く沈み込ませてはいたのである。
 歌団治の話といい、助丸の話といい、またこの席亭の話といい、どれも嬉しく今松は聴いた。
 どうしてどうして上方にも、なかなか面白い人がいるんだな。
 こう思って今松は恐れ入ったが、ただハッキリ言わせてもらえるなら、歌団治も、助丸も、愉快なことは愉快だが、みんな席亭からお金ばかり借りたがっている了見の表れの奇行百出であることが、面白くなかった。要は、みんな手前がいくらかもらいたいだけ。
 手前のことのほかは、なにひとつ考えていやがらない根性なのだということが飽き足らなかった。
 むしろ不愉快でさえあった。
 鶴左衛門の「ヘッヘヘヘヘ」を聞いてとっさに「煙草の火」を連想し、手文庫を引寄せた席亭の了見が花も実もあって、いちばんこの人が江戸っ子に近いと思った。
 長い浮世に短い命。
 ましてや好き好んで飛び込んできたこの芸人の世界じゃないか。
 もう少しコセコセしたところのない浮世離れた、大阪こっちの言葉で言おうなら「ぞこぬけた」ところがあったっていいじゃないか。
 ほんとにほんとに、どいつも、こいつも金のことばかり……――。
「なあ今松つぁん、いやだっしゃろなあんた」
 ある晩、こう言ってポンと今松の肩を叩いた男があった。
 自分と同い年の海老団治という落語家だった。親父も海老蔵という落語家で親代々の上方の芸人だったが、大阪こっちの育ちに似げなく話し口があっさりとしていて上品だった。大阪の特色である尾籠なことや淫猥なことも、プツリとも口にしなかった。
「なにがです」
 笑いながら今松は、色の白い役者のようなスッキリした男前のなかに、なかなか一刻そうなところのある海老団治の顔を見た。
 法善寺、金沢席の楽屋だった。
 頭の上の下座の座っている棚のようなところからもう夏らしい水芸の囃子が聞こえてき、高座には燕を思わせる色の肩衣つけた若い娘がスイスイ刀の切尖きっさきから水を噴き上げさせて喝采を浴びている姿が、姿勢よく座った海老団治の後ろの楽屋格子をとおしてチラチラ見えていた。
「いいや、大阪こっちゃの落語家がですがな、ほんまにほんまに話せん奴らばかりでわいむかつくことばかりや。あんたみたいな江戸っ子が見たら、どない思うてなはるやろ。さぞかしおなかン中で笑うてはるやろ思うて、ほん俺ら、恥しいのや」
「…………」
 こんなにも自分の故郷の人たちのいけないことを、ズバズバ言ってしまえるような痛快な男があるのだろうか、この大阪にも。あっけにとられてしばらく今松は相手の顔をポカンと見ていた。
「俺は、江戸っ子いちばん好きや。やっぱり芸人は江戸のことや。江戸やないと話がわからん。なあ今松はん」
 人懐しそうに海老団治は、
「あんたもうこのあと出番ないのやろ」
「ありません、上本町おたびのあとがすぐここでおしまいで」
「飲みまほ。俺ももうないのや。今夜飲んで飲んで飲めるだけ飲みまひょやな」
「ですがしかし」
「しかしも西もあるもんですかい。飲みまひょ。なあ、もし飲みまひょいな」
 無理に今松を引き立てるようにして海老団治は、金沢の楽屋を立ち出でた。
 仰ぐと細い細い路地の上に、ウスボンヤリ暈をかぶった月が出ていた。雨気あまけをもった夜風が、向こうの関東だき屋の低い小さな屋根の上のペンペン草を、あるかなきかに揺っていた。


 その晩から今松は海老団治とすっかり肝胆相照らしてしまった。
 あの晩さんざん飲み廻り、一文無しになってしまってフラフラ深夜の夷橋の上へ並び立ったとき、麦藁帽子をヒョイとぬぐと、海老団治は、
「なあ今はん。これわい、きょう一円二十銭で買い立ての帽子や、上方者やからすぐ値段言う思いなはんなや」
 その頃の一円二十銭は大金だった。今日の十円にもつッかふだろう。
「あんたと初めて友達になった記念に今夜もっともっと奢りたいのやけれど、私、もう金あれへん、そやさかい、この帽子代一円二十銭、あんたに残らず奢ったつもりで……」
 言うかと思うと、
「エイ」
 いきなり夷橋の上から、道頓堀川目がけてサーッと勢いよく投り込んだ。アッという間に、白い矢を描いて廻りながら帽子は川の中へ落ちていった。そうしてわずかに消え残っている川面の灯影を乱した。
「ほたら今はん、また明日会おな。さいなら」
 そのままなんの未練も屈託もなさそうに、プイと帰っていってしまった。
 なんとそのまた背ろ姿のスッキリしていたこと。
「…………」
 ……今朝思い浮かべて見ても、言いしれず胸がスーッとした。
 東京にも滅多にないあんな男は。
 江戸っ子の生まれぞこないは金を溜めるが、上方にもあんなお金を欲しがらない生まれぞこないがあったのか。
 カーッと蒸暑そうなはつ夏の光が窓からさし込んできている長町に近い雑用宿の二階の寝床の上へ座って、二日酔の頭を振りながら今松はなんべんもそう思っては感心していた。
 なんだか急に身の周りへ灯がひとつ点ったようで、日が暮れて寄席へ行くことが急に楽しみのように思われてきた。
 その晩も。
 次の晩も。
 だんだんつきあっていくに従って今松は、海老団治の全貌を知っていくことができた。
 知っていけば知っていくほど、奇行百出、世にも愉快な存在だった、海老団治は。
 しかもその奇行というのが、歌団治や助丸とちがって、ぷつりともお金になんか縁のないことばかりであるのが嬉しかった。
 松屋町まっちゃまちの家へ行くと二階の汚い四畳半で、よくチビリチビリ飲んでいる。
 だのに、肴がない。
 チャブ台の上にたったひとつ玩具おもちゃの小さな張子の虎が置かれているばかりである。
 いったいなにを肴に飲んでいるのだと訊ねたら、チャブ台の上の張子の虎を指して、
これや」
 ヌケヌケと言った。
「エ、オイ張子の虎で」
 今松は目を丸くした。
「うん」
 ニッコリ海老団治はうなずいて、
「こいつを指でポインと弾くやろ、ほと、虎の奴め、ユーラリユーラリ首を動かしよる、それを見てふふん、ふざけた奴ちゃなア思うて、それを肴に飲むのや」
 なんという落語家らしい娑婆風流だろう。
 ことごとく今松は感服した。
 あるとき、飲み過ぎて病気になった。
 医者がきた。
「酒飲んだらあかんでほんまに」
 医者は叱った。
「ヘイ。先生、ほたら葡萄酒は」
 海老団治は訊ねた。
「ウム」
 しばらく小首を傾げていたが、
「葡萄酒やったら大事だんないやろ」
「へ、かましめんか。大けに」
 その晩、海老公飲みも飲んだり、たちまち葡萄酒一打ダース半。
 さすがに医者があきれ返って、
「……海老やん、あんた日本酒のほう、飲みなはれ」
 なかでもいちばん今松が引っくり返ってよろこんでしまったのは、鼠釣りの一件だった。
 毎晩寄席から帰って海老団治が飲んでいると、天井で鼠が暴れていけない。
「よウし」
 親父海老蔵の使い古しの釣竿を持ってきて牛肉の佃煮の餌をつけ、踏台を持ってきて一枚だけ天井板をずらすと、そこから餌のついた奴を、天井の奥へ放り込んだ。そうして釣竿を火鉢のへりへこう立て掛けてチビリチビリと飲んでいた。果たせるかな、今夜も鼠は暴れだした。
 とみる間にチュチュチュチュチュッ。
 とたちまち一匹、引っかかったのだろう。急にけたたましく鳴き出した。
「ざまアみさられ」
 ニコッと笑って踏台へ乗り、天井のなかへ手を突っ込んで狼狽うろたえ騒いでいるその鼠をつかみ出すと、咽喉から釣針を吐き出させてやり、その代わり鼠の首っ玉へ釣糸を首輪のように巻きつけ、その首輪の結び目へこれも釣のとき浮子うきの代わりに使う小さな鈴玉をつけて、
「ソレ一昨日来い」
 と放してやった。
 ホウホウの体で鼠はすぐさま逃げていったが、さて翌晩から海老団治が一杯やっていると、天井三界に響きあり。
 チリリリリリン、まぎれもなく昨夜の鼠だ、そいつを聞くたび、ニヤッと天井を見上げては、
「ホ、奴さん、御座ったな」
 またそれを肴に当分飲みつづけた。
「うふッ、あんな……あんな粋な奴ってあるだろうか。ああ俺、ほんとに世のなかが明るくなった」
 ほんとうに今松はそう思った。今松とちがって親はあったが、海老団治の師匠の梅雀ばいじゃくは三年前になくなり、それ以来の二度の師匠を持たず、独立で商売をしている境遇の寂しさも、今松には相触れるものがあった。
 夜の寄席の帰りにつきあうだけでは足りなくなって、お互いに朝から行ったりきたりした。
 会えば必ず海老団治は、必ず大真打たちの悪口を言った。
なったないな贅六ども」
「オイオイ海老やんちょっと待って」
 ふき出しそうに今松は、
「贅六贅六って、じゃお前はいったいどちらのお生まれだてえことになる」
「違いない」
 素直に海老団治は微笑んで、
わいも贅六やけど、私はつまり贅六の場違いや」
「場違えはよかったな、ふふ、まったくそれに相違ねえや」
 嬉しそうに今松は転げて笑った。
 ひとつのものは半分ずつ。
 半分のものは四半分ずつ。
 四半半分のものは四半半半分ずつ。
 四半半半半分のものは四半半半半半分ずつ。
 よく自分たち落語家が高座で言うこのくすぐりをそのままに、次第に二人の間は温められていった。生まれたところは別々でも死ぬときはひとつでありたいと思うまでに。
 でも――。
 仲好くなっていけばいくほど、他の落語家の気質かたぎが目に見えていやになった。
 海老とはつきあいてえが、大阪の土地で落語家をしているのはホトホトいやだ。
 そう考えている折も折。
「今はん行かんか、丹波から鳥取のほうや。あんたと私とあとは五、六人、つまらんところばかりで水入らずや」
 ある朝、涼しい目鼻立ちをかがやかして海老団治が、元気好く今松の宿へやってきた。
「行くとも。行く行く。大行きだ。このまま顔を洗わないでも行く」
 嬉んで今松は跳ね起きると、
「ほんとに行くよ海老。なんならこのままこうやって蒲団の上へ座っているまんま汽車のほうへ運ばれてもいい」
「入院するのやあるまいし、阿呆か」
 声立てて海老団治は笑いだした。


歯磨酒



 が――。
 ひどい旅だった、イザ行ってみると。
 上方の寒暖計はいっぺんに昇華してきて、その暑さがまたへんにねちねちと仮借ない。日の光さえ、こっちのは見つめていると目がクラクラしそうである。
 それが都会はいうもさらなり、海岸へ行っても、山の中へ行っても、関西から山陰へかけて一列いったい同じように暑いのだから敵わない。
 フーフー犬が舌を吐くように暑がり屋の今松は、音をあげていた。
 青くゆるやかに由良川が緩って流れている綾部の町も、桑畑に取り囲まれている福知山の町も無闇にもう暑かった。
 昔は鬼が住んでいたという大江山は、綾部近く福知山近く始終ヌッと大きな入道雲に似た無気味な顔容かおかたちを見せていたが、この山の中腹辺りから、真っ黒な雲がムクムク湧き出しては、日になんべんか大夕立を降らせた。その大夕立のあとがまたさっぱり涼しくならず、いたずらに烈しい雷鳴かみなりがしつこくしつこく鳴りつづけた。
 雷の大嫌いな今松は、これにもいい加減、おぞ気を振った。
 鳥取の町では、相馬の古御所のような立ち腐れ同様の栄華座という芝居小屋へ出ることになった。いやに天井の低いじめじめした楽屋の半分くらいまで、真っ青な葉をいっぱいつけた桃の木と無花果の木が窓の外から進入して繁った枝を差し伸べていた。
 ときどき地もぐりや赤棟蛇やまかがしが、その鬱陶しい枝々をつたわって、楽屋の破れ畳の上へ落っこちた。
 蛇もまた大嫌いな今松は、身体中を総毛立たせて悲鳴を上げた。
 暑さ。
 雷鳴かみなり
 蛇。
 よりによって嫌いなこの三題噺に、次々とおそわれて、いい加減、今松はウンザリしてしまった。かてて、加えてひどい不入り。
 去年、師匠のところを飛び出して梅朝さんたちと出かけた東海道筋の旅は、同じ夏でももっと涼しく楽だった。
 やけのやん八で出た旅に変わりはなかったけれど、それでもあのときの旅のほうが、もっともっと自分の心というものに張りがあった。
 もし、あの旅を腹立ちまぎれの茶屋酒にたとえるなら、今度の旅はまさにそのあとの宿酔の苦しさ辛さ不愉快さだったと言えよう。
 それには、海老団治は別として、一座の紋兵衛、団丸、麦松。
 みんな上方根性の好かない野郎どもばかりだった。
 一杯飲むとすぐ、自分の日常のことを話し出す。それがみな、しみったれたことばっかりで、一向に芸人らしい話題でなかった。
 またしてもまたしても、むてい今松には肝に障らずにはいられなかった。
 まず、紋兵衛だ。
 昔、東京へ行って、握りの鮨を食べに入ったとき、酒を一本注文すると、鮨の上にのっかっている鮪や穴子を上剥ぎして酒の肴の代わりにした。そうすると当然の結果として、あとへは肴のなくなった御飯ばかりのお鮨が残る。紋兵衛はそこで海苔を一枚焼かして、その飯だけの鮨を海苔にくるんで食べてしまった。
「なんとわいのすること無駄がないやろが――」
 紋兵衛はこう自慢するのである。
 なんてケチな野郎だろう。
 驚きやがったろうな江戸の鮨屋。
 おなかのなかで今松はあざ笑った。
 急がしい掛け持ちのとき、席亭が市内電車の切符をくれた。それを決して使わないで、しじゅう次の席亭まで駆け出していき、その切符を溜めておいた。三十枚溜まったところで、なんとその席亭へ売りにいった。
 これも紋兵衛の話だった。
 天神祭のとき、みんなで揃いの半纏を着て、天神橋のほうへ舟を漕ぎ出すことになった。そのとき自分一人は決して揃いをこしらえず、悠々と紋付袴で乗り込んでいった。
 そうしたら、誰よりもいちばん立派に見えて、橋の上から眺めていた見物たちが、
「あの紋付の人がいちばん偉いのやろ」
 と噂した。
 この話も得意になって紋兵衛語るところのひとつだった。
「千日前に釣堀おまっしゃろ、金魚釣りの釣堀。あこの釣糸ほん弱いやッちゃ。俺、先途、太い太い義太夫の三味線糸持ていってな、うまいことあの糸と取り換えてしもうて釣ったったんや。ほたら釣れるわ釣れるわ、金魚やら支那金魚やら緋鯉やら鯰やら、その釣れたの持って帰って近所の縁日へ出よる隣の金魚屋の小父おっさんに売ったったわ。エ、その金か、ウム、もうすっくり郵便局えきていへ預けてしもうたがな」
 これは団丸の自慢話だった。
 ずるさは紋兵衛の市電の切符と同じだけれど、あとで貯金してしまっただけ、このほうが上手であるといえよう。
 一家六人のところ毎晩精進揚三つ買ってきておかずにする、どうして三つの精進揚が六人で食べられるのかと訊ねたら、なんと鋏で二つずつに切るのだと言った、これも団丸。
 圧巻は、いちばん年寄の万年二つ目の麦松だった。
 場末の古本屋の親爺によく見られる夏冬ともにくすぶり返って汚い襟巻を首へ巻きつけていそうな貧相な顔の麦松は変屈者らしく、誰ともろくに口を利かなかった。
「お早ようさん」
 と言っても、
「うん」
「お休み」
 と言っても、
「うん」
 うんばかりだった。
 黙って陰気に高座をつとめ、黙って陰気に寝てしまう。
 不思議なことは、この男、どこの町へ着いても灯の点くまで決して小屋へも宿へも帰って来なかった。
 二日三日とひとつ町で打ち続けるときは、きっと毎朝小さな色褪せた茶色の風呂敷を首っ玉へ巻きつけて、なんにも言わずに出ていった。そうして自分の出番頃までに帰ってきた。
「時計屋なんや彼奴は」
 ある晩、顔中へかいた汗の玉をひとつひとつ暗いランプの灯に浮かせて海老団治がこう言った。
「毎日毎日ああやって出てゆくのは、そこらを時計の修繕はア……言うて流して歩いているのや。ほて、暮れ方まで稼いでくるのや。なんでも、もうえらい金溜めてるということやで」
「ウーム負けた。俺にゃとてもあの連中とはおつきあいが……」
 つくづく今松は兜をぬいだ。
 あのお艶ちゃんの悪口を言やがった雷蔵はじめ、ずいぶん東京の落語家にもいやな奴悪い奴は多いけれど、それはあくまでいやな奴悪い奴というだけで、こうしたお金にこだわってばかりいる人たちはほとんどない。
 それが大阪こっちの人たちはどうだろう。
 この紋兵衛といい団丸といい麦松といい、前にいった歌団治といい、助丸といい、夢更悪い人たちではないけれど、お金のことだけには変に悪賢く、五分も透かさない。
 要はこうしたお国風なのだ。
 江戸と上方との相違なのだ。
 それにしてもかりにも「芸」に身を投じようとする人たちのなかに、こうした了見の人たちばかりいることが、なんとも不思議に考えられてならなかった。
 浪華の蘆も、伊勢で浜荻。
 またしてもこの言葉を、思い出さないわけにはゆかなかった。
 妙にしみじみいのちの底からわびしい気がした。
「おめえは別だが、お前のほかじゃ、いっそあの盲目の阿呆陀羅坊主がこの一座じゃ罪がなくていい」
 今松は言った。
 名を、浮世丸。
 五十がらみの盲目の大坊主で、小さな木魚二つ持って阿呆陀羅経ばかり歌うこの座でたった一人の色物。
 いつも焼酎ばかりあおって、盲目のくせにこんな大きな懐中時計を帯の間へ挟んでいては、
「オイ浮世丸。何時や今」
 からかって皆が訊くと、
「何時やわからん。勝手に見てくれ」
 すましてその玩具みたいな大きな時計を、ヌッと突きつけて見せた。
「うん、あいつだけや話せるのは」
 いかにもというふうに海老団治はうなずいて、
「その代わり、あいつ大阪の生まれやない」
「どこだい生まれは、あの大坊主の生まれは」
「五島列島」
「エ、五島列島?」
 肝を潰して今松は、
「イカだね、まるで
 連日の満ち足りなさも忘れて二人は笑った。
 ソヨリとも風がない米子停車場ステンショ前の招福館という寄席の楽屋。
 今夜もガランと入りのない客席の、ところどころに座っているお客の顔が思いなしか、余計暑苦しかった。


 米子から松江へ、境へ。
 境から大社へ。
 石見の津和野へ。
 引き返してまた出雲の玉造へ。安来へ。
 どこもかしこも不入りだった。
 不入りにもなんにも、てんで問題にならない御難ばかりだった。
 生まれて初めて今松は一座が八人でお客が五人――出演者でかたよりお客のほうが三人少なかった興行を、五本松の唄で名高い関の岬で経験した。
「なんやこやつら損かけやがって、こんなもの掛けてやらなんだらよかった」
 あからさまにそういう顔をして見せる興行師の仏頂面もマザマザと見た。
 まるで朝になって懐中の乏しいお客を出てゆけがしに扱う女郎屋の奉公人のような、ひどいもてなしだった。
 これも話には聞いていたが、今松には初めての体験だった。
 一日半もなんにも食べられず、水ばかり飲んで過ごしたこともあった。はじめはむやみにお腹が減り、それからキューッと横ッ腹が痛み出してくるが、しまいにはただもう麻酔薬の注射でも打たれたかのよう、痛くもなんともなくなってしまった。前代未聞の怖ろしい体験だった。
 辛かった。
 苦しかった。
 悲しかった。
 しかし、そうやってひどい苦労に逢っていくたび、だんだん自分という人間の薄皮は一枚一枚、剥がされていくような心持ちがした。しかも、その薄皮はみんな自分のなかでのチャチな、くだらないほうの分子ばかりだった。
 つまりはひと雨ひと雨に蕾が膨らみ、色づき、やがて花ひらいていく草木のそれのよう、だんだん自分という人間もこうしてできあがっていくのではないのだろうか。
 今さらにしていろいろ無理を言ったり小言を言ったりした師匠の、どうしてなかなか一朝一夕にして、あそこまで上ってこられるものじゃなかったのだということが、しんみり考えられてきた。
 師匠、私も今ここでこんな苦労をしていますよ。師匠も昔、お覚えがおあんなさるだろうような苦労を。
 しみじみそう呼びかけたい思いがした。
 ……ねえおい、俺、握り飯ひとつ食べないで暮らした日もあったぜ、俺もうあの時分お前さんのしたような苦労もいろいろとしたんだぜ。
 どうしているやら知る由もない、ことによったらもう三河屋の御隠居の子供の一人も産んだかもしれないお艶ちゃんにも、ソッと心で話しかけた。
 ありがたい学問。
 お金で買われない修業。
 ほんとうに、天の神様、地の神様へ、しみじみお礼を言いたいと今松は思った。
 が――。
 それはそれ。
 これはこれ。
 さしあたってのこの御難続きは、決してよろこんでなんかいられなかった。
 ばかりか、周囲の形勢は日々に非なりというふうにさえなってきていた。
 まず関の岬で前座の菊造がドロンをした。
 おなじく紋兵衛が逃げてしまった。
 一座は下座を入れて六人になった。
 いよいよみんな意気消沈した。
 陰々滅々とした空気が、行く先々の楽屋中へ漂ってきた。
 誰も彼もが、木戸番の呼び声を聞くたんび、どうかしてあの声にさそい込まれて一人でもお客様が入ってきてくれれば……、と真剣に祈った。
 そんなときにまたお客の入ってこようわけはなかった。
 楽屋の陰々滅々は悪気流の流れていくように高座の上へも、高座の上から客席へも、否むべくもなく流れていった。
 いよいよお客が寄りつかなくなった。
 そうしたなかで関の在の小林という村まで入ってきたとき、今度は団丸がドロンをめた、しかも下座のお芳を連れて。
 団丸より十二も年上のお芳だったが、二人はとうにいい仲になっていたらしい、逃げられたあとで、初めてわかった。
 もう麦松と盲目の浮世丸と海老団治と今松の四人しきゃ残っていなかった。
 ベンともツンとも三味線の鳴らない、そんな落語色物の一座なんて。
 どうにもこうにもまったくしようがなくなってしまった、もう。
「解散や、潔く解散しよ」
 翌日、刀折れ矢尽きたように海老団治が言い出した。少うし顔が青ばんでいて、額に冷汗に似た汗が滲んでいた。米子のそばの皆生かいけというわびしい温泉場の、今にもひと雨降ってきそうな松林を背にした貧弱な寄席の桟敷。昨夜、十人そこそこのお客の帰っていったあと、皆はこの客席へと寝たのだった。無気味に、夕暮れ近い浪音が聞こえてきていた。
「よかろう、これ以上深間へ入ってってもしようがないもの」
 素直に今松はうなずいた。
 いやな奴ばかりいるけれどしかたがない。
 また大阪の寄席へ帰って働かせてもらおう。
「ときに、浮はんは」
 海老団治は浮世丸のほうを見た。
「いや、わしかて解散賛成ですわ。わしはここまできたついでに、大山だいせんの麓にある従兄のところへ行ってみましょう」
 見えない大きな目をパチパチさせて浮世丸は、ガラス瓶のなかにほんの二分ばかり残っている焼酎を欠け茶碗へ酌いで美味そうにチビチビやりながら、未練なく答えた。ヤマの入った帯の間に、もうあの大きな懐中時計は見えなかった。
「ア、さよか。それやったらええが」
 安心したように言って海老団治は、おしまいに見るから爺むさい麦松の上へ、目を落した。
 そうして、
「麦やん……」
 と呼びかけようとしたら、
「いや、そちらから、お話がのうても、今日あたり、こちらから、ボチボチなせていただこう、思うとりました」
 相変らずの物憂げな調子だった。
 ア、ひどい奴だ。
 今日ドロンする気でいやがったんだ、こいつも。
 思わず今松は、海老団治と顔を見合わせた。
 そのとき麦松は、黙々と例の汚い茶色の風呂敷をひろげはじめた。
 なかには時計の修繕に用いるヤットコのような、錐のような、釘抜きのような機械が二個三個入っていて、なんとその下に十円紙幣が百枚ちかくも重なっていた。
 時計の内職でたいそうお金を溜めているとは聞いていたけれど、こんなに持っていようとは思わなかった。
 今松は目を丸くした。
 なに思ったか麦松は、いきなりその紙幣のなかから勘定して十円紙幣六枚だけ取り出し、
「あの、これを――」
 と海老団治のほうへツーと差し出した。
 ハッと今松は気が呑まれた、ときがときだけに。
 ここにいる三人へ、二十円ずつ使ってくれと言うのか、麦松。
 ケチケチだと言われながらも、イザこのような場合には案外こんな気性をも持ち合わせていたのか、麦松。海老団治のほかには人間らしい奴が一匹もいないと、今の今まで考えていただけ今松は、いっそ自分が恥かしくなった。
「オオ、こら、どうも」
 思いは同じだったのだろう、あわてて海老団治も頭を下げたとき、
「御無心があるのや、海老やん」
 ズケリと麦松は言った。
「貸しとくなはれ、あんたのその手拭ひとつ、この六十円だけ、私、小出しに出しておきたいのやが、がま口を買ういうてももったいない。あんたのそれへ包んでいきたいのや」
「…………」
 いやはやどうもあっけにとられて口も利けなくなってしまった今松と海老団治とをよそに、もういっぺんそのガッシリと積み重ねてある十円紙幣の大束を、悠々とはじめから一枚一枚勘定し直して風呂敷へ包み、引奪ひったくるように海老団治の古手拭を取り上げて六十円だけその中へしまうと、
「ほたら皆さんお先へ。大けに」
 ボソッと麦松は出ていってしまった。
 …………。


「マ、一杯」
 いっそなにも彼も市が栄えてしまったあとの気軽さで、久しぶりに晴れ晴れとした顔つきを取り戻しながら今松が、手にした正宗の二合瓶を差した。
「ウム」
 思いは同じ海老団治が、歯磨きの空缶のにわか仕立ての猪口でおどけたようにヒョイと受けた。
 グイとひと息に呑み干してしまうと、今度は今松の手から二合瓶をもらい、空缶のほうを渡して、それへお酌をした。
 数時間後の夜汽車の中だった。
 あるだけのものを融通してやっと買えた大阪行の切符二枚と正宗の二合瓶。
 あとは二人とも、三文もなかった。
 それにしてもこの二合瓶買いは買ったものの、お猪口がなかったので。
「困ったなあ」
 今松が言ったら、
「なんの猪口くらい」
 とっさの機転で海老団治は歯磨缶の歯磨を、汽車の窓からパッと表へぶちまけた。夜目にも薄桃色の粉が、残りなくちっていった。そのあと、空缶を洗面所へ行って洗ってきた。
「どうやこれ。明日の朝、お互いに口さえ磨かん気やったら、結構、盃の役目をする」
 自慢そうに海老団治は笑った。
「よッ、えらい御趣向」
 手を打って今松は嬉しがった。
 かくて思いもかけない歯磨缶の献酬がはじまったのであるが、したたかに酌がれた缶のお猪口。へりで唇を切りそうな薄気味悪さを感じながら、ひと口あおったとたんに今松は、
「ペッペッ」
 急いでお酒だけ呑込んだあと、いつまでもいつまでも辺りへ唾を吐きちらした。
 底へこびりついていた歯磨がひと固り舌へくっついてきたのだった。
 ああ今ぞ思い起こす。道頓堀あたりでよく海老団治とへべれけた馴染の酒屋の小父おっさんはいいお酒の講釈をして聞かせて、高貴のお方の召し上がるお酒には金粉酒というものがある、お酒の中に黄金きんの粉がいっぱい浮いていて、それはそれは綺麗なものだと言ったけれど――。
 と見れば……。
 この缶のお猪口の中にも今、そこかしこと歯磨の小島が浮きつ沈みつただよっている。
「ヘッ、俺たちもとんだいい身分に成り上がって金粉酒がいただけたものと考えよう。まったくものは考えようだて」
 観念の眼を閉じて、薄荷のような匂いの鼻を衝くそのお酒をいっぺんに飲み干してしまうと今松、
「ヘイ御馳走さま」
 雫を切って海老団治のほうへと返した。
 やったり、とったり、鼻を衝く鼻を衝く歯磨酒。
 はしりいく窓の外では、虫の声々、雨とながれる。


秋風ぞ吹く



 一文無しで大阪へ帰ってきてすぐその晩からどこかの寄席へもぐり込めるものと高をくくっていた二人にとって大当て外れの事件が起こっていたのだった。
 紅梅派。
 岡村という大きな興行師の手に、全関西の落語界は他愛なく一括されてしまっていたのだった。御難で新聞もろくに読めなかった二人はそれを少しも知らなかったのだった。
 岡村は、旅廻りの壮士芝居専門の興行師で、いくらでも金を持っていた。しかも辣腕をうたわれている男だった。
 目ぼしい師匠に従いているものは師匠とともに苦もなく加入してしまっていたけれど、海老団治のような、今松のような、孤立無援のものは、なにかと加えてもらうのに骨が折れた。
 海老団治の父親の海老蔵も、ひと月ほど前、近江のほうへ巡業に行っていて、やはりこの様子はまだ知っていないらしかった。で、息子のために、今度の組合へなんの橋渡しもしておいてはくれなかった。
 改めて二人は、紅梅派加入を申し込んだ。
 みすみすいまだ売出し前の若手二人。
 入れるまでに十日ほどかかった。
 わずかばかりのお金を七所借りして二人は、その日までをつないだ。
 二人とも月給。
 海老団治が十八円。
 今松は十五円にも足りなかった。
 どうやら働き口にはありつけたが、今までのような寄席の組織とちがって、なんだか区役所へでも勤めているような勝手のちがったものがあった。
 個人個人でやっている寄席とはまったく事変わり、芸人との親身というものが毛頭なかった。
 それには鬼鬚を生やし、いつも厳しく五つ紋の羽織を着て壮士上がりのような振る舞い多い興行主の岡村は、大真打たちには空々しいほど空世辞を言い頭を大地へすりつけんまでにして、精いっぱいに待遇もてなしたが、反対に下っ端のものには、ガミガミ頭から怒鳴りつけてばかりいた。
 少し気に食わないことがあるとすぐに、
くびや」
 と怒鳴った。
 ま、それもいい。
 それもいいとして、しんから底から岡村は落語というものが嫌いらしいことだった。方々の席亭専門に高利の金を貸していて、それを手蔓にいつしか一手に大阪中の寄席を掌握してしまった彼であるから、もともと、落語のような洒脱な芸になんの趣味とてあるはずがなかった。
「煙草の火」の落語の味をわきまえていたこれまでの席亭とは、てんきりその生い立ちがちがっていた。だからこそ掌握以来、木戸銭を倍近くに値上げしたのに連夜大入満員を続けている客席を傲然と鬼鬚を撫でて見廻しながらも岡村は、
「なんで落語みたいなもんに、こない客が来るのやろ。まあ、ええ。もうしばらく儲けておいて少し客が来んようになったら、美人だくさんの魔術か源氏節専門の寄席にしたろ。わいはそのほうがよっぽどおもろいね」
 いつもこんなことをひとりごちていた。
 心やすくなったお茶子の一人からこれを聞かされたとき、海老団治と今松とは、棘然きょくぜんと顔を見合わせた。
 肌に粟を生じる――とはまさにこのときのことだったろう。大上段に大刀を振り上げて待ち構えている辻斬つじぎりの前へ、ヨチヨチなにも知らないで歩いていく老いぼれ爺さんのような心持ちがした、今や関西の落語界全体というものが。
 累卵の危うさ。
 もはやお土蔵くらへは火がいているのだ。
 心からハラハラせずにはいられなかった。
 ウカウカしているときじゃない。
 自分一人のことなんか考えず、落語家全部が一致団結して蹶起けっきするときだ。
 そうしてこの紅梅派という獅子身中の毒虫へ宣戦布告をすべきときだ。
 つくづくと、しみじみと、そう思った。
 だのに――だのに、なんという迂闊さだろう。
 のんきさだろう、自分たちの先輩どもは。
 辻斬の危険。目睫もくしょうに迫っている生命の危険。いや、生命と職業と全体全部の一大危険。少しもそれらを気がついていないばかりか、夜半の嵐を大きく胎んでいる我が世の春を大浮かれに彼らは浮かれていた。
 ある者はノホホンで。
 ある者はほろ酔いの鼻唄で。
 またある者は好きな女の子と相乗り俥で。
 彼らは今度の太夫元の見かけのいかめしいにもかかわらず、ヘイコラヘイコラ皆の御機嫌をうかがっては、いくらでも言う通りに大金を貸してくれるところから、まったく岡村を甘く見てしまっていた。
「ちょっと来月分」
「ちょっと三月分」
「三百円貸しとくなはれ」
「あの、もし、五百円ほどなあ」
 てんでに、勝手に、借り出しては、酒に、女に、自分たちの道楽に飲み、費い放題い、費いまくった。
 しかも、昔の歩合制度と違って月給だから、ひと晩ひと晩のお客の多い少ないは自分たちの収入にはなんの関係もなくなっていた。
 だんだん彼らは高座で、昔のような一生懸命なものを見せなくなった。
 なにも彼もあなたまかせ。
 そうした投げやりな心持ちでつとめるようになった。
 いよいよ危い。
 岡村の呟いていたような「とき」が、意外に早く押し寄せてくるぞ――。
 海老団治は今松と飲むたんびにそう言っては義憤した。
 もちろん、広い大阪の落語界である。
 今度の組織に憤りを感じて、決然と加入を拒んだ大家や中堅もあるにはあった。
 が、その烈々の士というものがまたみんな、どうだろう。
 貧乏に耐え、困難に耐えて大阪落語の大旗を掲げ、一戦挑もうなんてそんな華々しい侍は、ただの一人とてなかった。
 ある者は宿屋をはじめた。
 ある者は小料理屋をはじめた。
 永年溜め込んでいたお金を資本に、芸者屋をはじめるものもあった。
 岡村と同じ高利貸になってしまうものさえ、できた。
 なんになってもいっこう差し支えないけれども、商売をはじめると同時に、あっけなく落語家の足を洗ってしまうその了見が、あまりといえば情なかった。
「芸」なんか、空吹く風。
 揃いも揃ってそれが彼らの態度だった。
 心構えだった。
「なんて手前勝手な奴らばかりだろう」
 あれほどの人気を棄てて宿屋をはじめた歌団治や、たちまち高利貸になってしまった助丸の上を思って、見まじきものでも見せられたように、うすら悲しく今松は目を伏せた。
「みんなが、こんな了見じゃ、上方の落語の道は繁昌しねえ。岡村さんの手を借りねえでも、手前で秋の落葉と散ってほろんでしまうのだろう」
 暗澹と言った。
 折柄上方の街々にも、もうその秋風が吹きそめていた。


 初めての月給日がきた。
 備後町の岡村の事務所へ、紅梅派の芸人一同、午前九時から午後十時までてんでに月給をもらいに行くことになっている。
「区役所へ水道の税でも納めに行きやしめえし」
 忌々しそうに今松は言った。
「ほんまにいな」
 海老団治がニヤリとした。
 この月給の十三円五十銭だって、そのうちの四円がとこは、この間中の七所借りに返して歩かなければならない。
 九月末の曇り日の午後だった。
 法律事務所のような親しみのない焦茶色のペンキ塗りの三階建ての紅梅派本部の前の鈴懸の木が一本、冷やり風の吹くたびに、しきりに黄色い葉を落としていた。
 下の大広間へ入っていくと、大家も中堅も若手前座も、銀行の取りつけのように浅ましくも目白押しにごった返して詰めかけていた。
 大広間といっても、撃剣の道場のような殺風景な板の間だった。
 そこにみんながお自洲のように固くなって座っていた。
 中央の一段高いところには、例の鬼鬚をしごきながら岡村紅梅派は、傲然と腰掛けて控えていた。
 その前の卓子テーブルの上には、免状式のときのように小さな封筒入りの月給が、いくつもいくつもうず高く積み重ねられていた。
「桂鶴左衛門」
「笑福亭松六」
「月亭月松」
 あとからあとから演説で潰してしまったような蛮声を張り上げて岡村は、芸人の名前を呼んだ。
 そうして、
「ヘイ」
 と返事して立ち上がってくる人たちがまだ自分の前まで近づいてこないうちに、犬にものでもくれてやるように、ポーンとその男の名前を書いた月給袋を投げ与えた。
 な、なんてえことをしやがるんだろう。
 了見しにくい心持ちで今松が眺めているとき、
「…………」
 月給袋を足もとへ投げ与えられた芸人たちのほうは、あくまでうやうやしくピタリと座ってそれを拾い上げ、
「ウヘー」
 と押しいただいた。
 いよいよ今松は泣くに泣かれない心持ちになった。
 情なさを通り越して切腹でもしたくなってきたと言うほうがいい、いやまったく。
「古今亭今松」
 そのとき自分の名前が呼ばれた。
 ヌッと立ち上がった今松は、
「ア、ほうらねえでも今そっちへ行きます」
 急に、ツカツカ近づいていき、スッと自分の月給袋を取って懐中へ入れると、型ばかりヒョイと頭を下げたまま、悠然と自分の席へかえってきた。
「桂海老団治」
 続いてこの親しい友達の名前が呼ばれた。海老はどうするだろう、海老は。
 少なからぬ興味を持って今松はすぐ立ち上がっていた海老団治の年よりは地味な半纏姿を、ジーッと後から見守っていたが、
「アーッ」
 次の瞬間、のけぞらんばかりに今松はびっくりした。
 幾度か自分の目を、疑った。
 疑ってみた。
 が、しかし――目の前の事実はもはや争えない事実だった。
 あろうことかあるまいことか、我が桂海老団治は、岡村の卓子近くの板の間へ、ベタベタと座った。そうしてそのとき自分の前へ投げられてきた月給袋を、うやうやしく押しいただいた、ほかの落語家たちと同じように。
 ばかりじゃない、いつまでもいつまでもその下げたまんまの頭を上げようとしなかったのだった。
「…………」
 白砂青松の絶勝を窓外に、颯爽とトンネルへ入っていった自分の列車がひとたびそのトンネルを出てみたら、たちまちや辺りの絶景は大震火災の修羅場と変わり果てていた、ちょうどそのごとくにも今松は茫然自失した。
 いくら考えても考えても、心の平仄が合わなかった。
 …………。


「あんた、ほんまに奇怪けったいに思いなはったやろ。面目ない。笑うて、たんと笑うておくれやっしゃ、今松君」
 その日、連れ立って今松と紅梅派本部を出た海老団治は、卑屈に黙りこくってしまったまま、ここ島の内、汁屋の狭い土間の縁台に腰を下ろすと、言葉まで急に他人行儀になって、力なく盃をさしてきた。
「大きいものがいい」
 まだムシャクシャがおさまらない心持ちで気難しそうに首を振ると東京の鮨屋にありそうな部厚な湯呑を、今松は取り上げた。
「いか」
「たこ」
「はも」
「ぐち」
「たちうお」
 小さな新しい木の札が正面の壁のあたりへ芝居の小道具のように掛け並べられている。
 昼ながら滅法薄暗い表口には、「しる」とたいそう長く大きく引っ張った朱文字の細長い大提灯が、しきりに秋風に吹かれていた。
 夜更けて湯帰りのお店者たなものや堀江新町あたりの素見ぞめき帰りが好んで立ち寄るここの店では、美味しい美味しい白味噌汁へ、注文次第で烏賊でも蛸でも鱧でもを投り込んで食べさせてくれる。
 酒がまたごくいい。
 思えば、この海老ちゃんとでもよくここの店へ来たもんだっけ。
 そうしてその時分の海老やんは、決して今日のような死にかけの海老の腐り海老ではなかったっけが――。
 また新しい悲しさ腹立たしさに全身を煮え返らせながら、グビグビグビと今松は湯呑の酒を咽喉へ流し込んだ。
「なあ今はん。ほんまに俺、情ないことやけれどな、紅梅派の親爺おやっさんには、こののちもっともっとお世辞べんちゃら言わんならん思うてるね」
「…………」
「そこらの幇間たいこもちかて敵わんぐらい、せいらい、お世辞つかわんならん思うてんね」
「…………」
わいはまだ若い、真打でもない、そら多少の気概はあるやろけれど、たかが甲斐性のない二つ目や」
「オイ……」
「いままでのような酒ばかり飲んで太平楽はきめていられん。俺は悟った。七重の膝を八重に折ってでも」
「オ、オイ」
「マ、待って。も少し言わせて。ほんまや。ほんまに俺はもう下げられるだけ頭下げて月給のふた月や三月分前借りでもさせてもらわんことには」
 ああ見そこなった、こいつばかりは。
 やっぱり牛は牛、馬は馬、たいそういいところ見せてくれたが、大根おおねはこいつも上方の落語家だったか。
 今とうとうその地金が出て失せたか。
「勝手にしろ海老」
 いきなり立ち上がって今松は、
「お前はお前、俺は俺だ。ソ、そんな情ねえ根性の奴たア。きょうから限り、おいら、おつきあいは真っ平御免だ」
「マア、待って。待って今松」
 急にシッカリ今松の手を握って、振り放そうとしてもまたギューッと握ってきて、
わけがあるのやこれにはわけが。わけがのうでなんで俺が……かりにも上方の落語を亡ぼそうとかかってくさるあの岡村の親爺さんにお世辞……お世辞言うたりして。オイ、今松、今松いうたら」
 急に涼しいからハラハラ涙が溢れ落ちてきた。
 あとからあとから絶えず溢れた。
「聞いて――聞いてくれ」
 もう声までオロオロ泣き出していて、
「じつは……じつはなあ……昨夜近江から電報が届いた。うちの親父……近江の八幡で」
 急にまた烈しくしゃくり上げて、
「中風になって倒れたんや」
「ゲッ」
 思わずヨロヨロと今松はいったん立ち上がった縁台へ、ベタッと腰を下ろしてしまった。
「もうあかん。俺一人後生楽を定めてはいられん。俺、あの好かん岡村に、頭下げても、どつかれても、働いて働いて働きぬいて足腰の立たん親父さん一人養っていかんことには……」
「わかったわかった、もうわかった、ごめん、ごめんよ海老やん。そんな事情と知らねえもんで、俺勝手に一人で腹なんか立てちまって」
 片手で今松の手を握りしめたまま、片手で薄白い顔を押さえて男泣きに泣いている海老団治のほうをなんべんもなんべんも覗き込みながら、
「そうかア、海老蔵父さんが。フーム、そう。そうだったのかア」
 今頃秋風の吹く近江の田舎町の雑用宿で立ち居かなわずくるしんでいるだろう海老団治の父親の上を考えて今松は、いても立っていられない心持ちがした。
 俺でさえ、こんななのだ。
 この当の海老の奴にしてみたら、どんなにどんなにヤキモキ心配していることだろう。
 それにしても、元の組織の落語界だったら、せめてはもう少し海老の苦患くげんも少なかったろうものを。
 よりによって紅梅派が出来上がるとまもなく、こんな災難にぶつかるなんて、なんて――。
 なんて、なんてまあ可哀想な海老団治の奴。いっぺんに世の中がなんだか味気なく、白々としたものに考えられてきた。
 これが世にいう不運だろう。
「不運」というものの立ち姿を、マザマザといま今松は、この親しい友だちの上に見せられた思いがした。
 急にまる一年帰らなかった東京の寄席の景色がアリアリと今目に見えてきた、活気のみなぎっている東京の寄席の景色が。
「雷門助六」と大きく師匠の名を描いた一枚看板が目に見えてきた。
「つばめ、左楽、柳条」としたためた三枚看板も見えてきた。
 小さく書込みで書かれている憎い雷蔵の名前さえが、いまはヒシヒシ恋しかった。
 前座の左鶴の奴も、もう二つ目になっただろう、もうよっぽど、芸がうまくなったかしら。
 もしやこの俺を追い越していは……。
 走馬灯のように消えては現れ、現れてはまた消えていく東京の寄席の名所図会の中には、おしまいに絶えて久しい赤ら顔の師匠の顔と、紫のお高祖頭巾目深にパチッとしたあのお艶ちゃんの目とが、グーッと大写しで迫ってきた。
 東京の寄席が、いや、東京というふるさと全体が、にわかに火のように恋しく懐しくいとおしくなってきた。
「なあ今松」
 そのときようやく涙の顔を拭いて海老団治が、
「もうに、お前」
 突然、言い出した。
わい仕様しよない、こんな事情や、なにも苦労と踏んばってやれるだけやってみるが、お前は土台が江戸っ子や。なにもこないなところに愚図ついてることない、去にいな、もう東京へ」
「…………」
 素直にうなずいて今松は、
「じつは……じつは今、俺もそのこと考え出してたんだ」
「そらええ」
 ニッコリと海老団治笑って、
「自分で気がついてたらなによりや。ハッキリ言うが、あんたは厳重な修業さえしたら、きっときっとえらい真打になれる人や。名人上手となれる人や。俺みたいな師匠なしとちがう。早う助六師匠に詫言うてもろうて、みっちり故郷で修業しなはれ。あんたの出世、俺、神仏に手合わせて祈ってるで」
「ありがとう、ありがとうよ海老」
 鼻をつまらせて今松、
「俺だって……俺だって、お前が紅梅派で辛い思いをしねえように、お不動様へお願いしてるぜ。なあに中風だって治るんだ手当さえ早きゃ。とっさんが……父さんがきっと早くよくなるようにほんとにお不動様へお願い申して……」
「すまんすまん、すまんなあ今松、俺もうお前のその言葉だけで、たとえ岡村の大将に叩かりょうと打たりょうと泥つけた靴で蹴らりょうと……」
 情なさそうに声立ててまた海老団治は泣いた。
 キーンと鼻の先が痛くなってきてまた今松も、もらい泣きに泣き出していた。
 あかりの欲しい薄暗い昼の汁屋の店の中で、いつまでもいつまでも男二人は泣き続けていた。
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第三部 かくれんぼ





旅柳桜



「あッ」
 スーッと高座へ上がってきた芸人の顔をなに気なく見て、客席の助六は目を丸くした。
 今松だった。
 明けたからもうざっと二年半になる。
 プイと飛び出したまんま消息不明になっていたあの今松だった。
 福吉亭という尾張名古屋、広小路の寄席。
「今松だよ、オイ」
 伴ってきた弟子たちを顧みて助六は、言った。
 どうして今時分こんなところの寄席になんか出ているのだろう、とうに一本槍に東京へ帰っていったはずの今松が。
 伊勢参宮にきた助六はその帰りみち、旅の一夜のつれづれにフラリと入ってみたここの寄席だった。
「いけねえいけねえ、今松ン畜生だ」
「驚いたなあ、こいつア」
 急いで皆は襟巻で顔を隠した。
 どんな芸だちになってるだろう今松の奴め。
 永い永い旅で、すっかり荒んだ芸になってやしねえかしら。
 さすがに助六は親心。
 ハラハラしながら帽子で赤ら顔を深く隠して、ソット高座へ耳傾けていた。
 七分通り入っているお客たちが、一斉に手を叩いた。
 桟敷へ芸者を三人連れてきている真赤な顔をしたお客様が、
「ヨ、待ってました色男」
 とお酒の勢いで声を掛けた。
 いけねえ。
 へんな場当たりの人気があるんだ。
 知れたもんじゃねえ、なにをやってやがるんだかあの野郎――。
 いよいよ助六は全身を強ばらした。
 ドキドキドキドキ胸の動悸が烈しくなってきた、まるで四十何年か前、初めて高座へ上がった晩のように。
「ようこそのお運びさまで――」
 何年にも聞き覚えのある声が、静かにそのとき耳もとへ送られてきた。
 助六の動悸はまた一層烈しくなった。


 が、しかし――。
 その助六の杞憂はまったくの杞憂に過ぎなかった。
 昔の今松とは比べものにもなんにもならないうまさで、しかも、いつどこでおぼえたのだろう、『豊川利生記』。
「さても川越の河原町。煙草屋藤助方へ預けられました桐生屋伊右衛門の娘おりつは、現在己の夫の無実の罪で江戸は伝馬町の大牢へつながれております。こたび南のお係り大岡越前守さまが七日の日限ひぎり裁判で御苦労遊ばしておいでになる。寸時も早くこの川越をあとに、南のお役宅へ駆込かっこみ願いをいたすべしと、日頃信ずる豊川様の夢知らせ、醒むれば是なむ南柯の一夢でございます」
 なんとも言えないその調子のよさ。
 がんの配り。
 呼吸。
 どうしていつの間に習得したものだろう。
 さすがに若さゆえの多少の難はところどころにあるとても、今松の話し口にはもうすっかり風格ができていた。
 シーンとお客は咳ひとつしないで、おとなしく耳を傾けていた。
「…………」
 なによりなにより助六が感服したのは、その態度。
 心を虚にして、ガッシリ四つに組んでいるその態度だった。
 日がないちんち安酒を食らって荒んでいた日の顔つきなんか、今の今松からは薬にしたくも見られなかった。
「……やがておりつは、煙草屋をあとにした。
 幸いに雨は上がって、空には星が。
 泥濘ぬかるむ夜道をものともしないで、夜目にもチラチラなまめかしく緋縮緬の裾を蹴返しながら、川越街道を、逆に江戸へ江戸へ、と」
 ここのところの出来ばえがまた素晴らしかった。
 おりつの、しとやかでいてなんとも艶かしい若妻姿。
 艶々とした黒髪の丁字香の匂いさえ[#「匂いさえ」は底本では「匂いさへ」]、プンと鼻先に感じられてきた。
 乱暴な言葉遣いをゆるしてもらえるなら、そのままズルズル引き寄せて抱きしめてしまいたいとさえ、助六は思った。
 無理じゃなかったんだ、この助六のそぞる心も。
 なぜなら、助六よりもひと足お先へ、はや高座の今松の噺のなかでは、通りがかりのあぶれ駕へ乗り込んだおりつの後をコッソリ従けてきた六部金五郎という大泥棒が、
「姐さん待った」
 大手をひろがって駕の前へと立ちはだかっていた。
 どうなるだろう、このおりつ。
 危機一発というところへ、
「待て金五郎」
 闇をつんざく声があがった。
 たまたま通り合わせた越前守配下、これが白石治右衛門だった。たったひと言だったけれど、その治右衛門の音聞おとぎきには天地を呑まんずがいがあった。お客はみんなハッとした。
「……さてどういうことになりますか、このあとはまた明晩で」
 そのとき憎いほど軽くアッサリ。肩透しのようにこう言ってのけ、ツーッと高座から今松は、滑り落ちるように消えてしまった。
「…………」
 ウームと唸るようにお客というお客がいっせいに溜息を洩らし、やがてはじめて我に返ったように今松の出てきたときよりいっそう烈しい拍手を浴びせた。もうとっくに姿なんかなくなってしまっている空っぽの高座へ。
 思わず一緒に助六も烈しい拍手をおくっていた。
 拍手している自分の手が、いつの間にかシッカリと握りしめていたものとみえ、すっかりベットリと汗ばんでいた。
「オイ誰か。楽屋へ行って。今松にあとで宿へ来いと言え。大した腕になりやがった」
 おそろしく緊張した顔でやっぱり拍手を続けながら、助六は弟子に言いつけた。


「しばらくでございました。御壮健でなによりでございます」
 色変わりの羽織を着た今松が、最前はこちらが目を伏せていたので気がつかなかった、すっかり尾鰭のついた顔容かおかたちで、しばらくして宿屋の敷居越しにいんぎんに手をついた。
「いや、いやいや」
 相変わらずせっかちそうに幾度も幾度も小さく顎でお辞儀をしながら師匠は、照れているように目を顔を今松からそらしていた。
 夜更けのランプの灯に浮いて、昔ながらの咽喉首のあたりの赤さが近々と見えた。
 久し振りに見たその赤い咽喉首の、どんなにか今松、懐しかったことだろう。
 ゴクリと思わず唾を飲んだ。
「いい腕になったなあ、お前」
 そのときはじめて師匠が言った。
「東京へ連れてって少うしの間辛抱してくれりゃ、真打だ。立派な真打だぞ」
「…………」
 ハッと師匠の顔を見上げた。
 足かけ三年ぶりでこの師匠と弟子はジイッと顔と顔とを見合わせたのだった。
 今夜ばかりは高座のようにニコニコ満面に笑みをたたえている師匠の顔だった。
 いつにも高座の外で師匠のこの顔を見たことがなかった今松は、嬉しさに、ジーンとこみ上げてくるものを感じた。
「こんな、こんなお前、名古屋あたり」
 と言いかけてクスンと首を縮めたが、
「……にいるこたアねえ。帰んねえ。俺と一緒に帰んねえ。なあ、今松」
「ありがとう、ありがとうございます」
 ていねいにつむりを下げた。
「な。いいだろう。すぐてるな」
 昔ながらに師匠は気が短かった。
「ハ。ですが」
「なにが、ですがだ」
「そのすぐがすぐと申しましても私」
「いいじゃねえかなにも。今の寄席へはなんとでも俺から話をつけてやる。それから借金があれば俺が払ってやる、酒屋にで料理屋にでも」
 いつにもこんなこと、言ってくれたことのなかった師匠だった。いよいよ今松はしみじみ瞼が濡れてきた。
「ト、とんでもない師匠。私この頃はお酒もやめました」
「なに、やめた? そんな、そんなお前」
「いえほんとです、まったくなんで」
 今松は、顔中を無気にして見せた。
「ホホーやめたか」
 ようやく信用したらしく師匠は目を丸くしたが、
「しかし今松」
「…………」
「お前、俺のところを追い出されてから、今までどこでどんな修業をしていた。それが聞きたいんだ俺は、それが」
「ヘイ」
 苦味走った顔をしばらく黙って伏せていたが、やがてのことにまた、顔を上げると、
「師匠のところを飛び出したんです。もう東京にゃいられやしません。東海道筋も、上方も、山陰道も思う存分、飛んで歩いてずいぶんいろんな苦労もしました。でもこのお話アひと晩やふた晩じゃとても尽きません。東京へ帰ってゆっくり続き物にして申し上げます、いずれ師匠から木戸銭を取って」
「ナ、なにを言やがる」
 愉快そうに助六は笑った。
「ほんとうのことを言うと師匠、去年の秋に私、上方から帰って、師匠におわびを入れるつもりだったんです」
「ヘーエ、それが」
 けげんそうな顔を、助六はした。
「それが中途で気が変わりまして、まだまだ俺なんか、師匠を不義理にして飛び出したくせにそれがもういっぺん帰っていくだけの腕になんかなっていやしねえ。もう半年ばかりうんと修業して修業して修業し抜こうと考えたんです。それからこの名古屋へくだりました。名古屋にゃ上方あっちで友達になった海老団治って奴にたいそうな人情噺の名人があるってしょっちゅう聞かされていたもんで、それからそのおっ師匠しょさんとこへ草鞋をぬいで、夜の目も寝ねえで修業したんです。私のほうはもう少し御厄介になってるつもりだったんですが、急にその師匠が北陸道のほうへ行っておしまいなさることになって。もっとも独りぼっちで水主町かこまちの醤油屋さんの離れを借りておいでなさるんだから、いつどこなえてお出でなさろうとそれは暢気なものですが、お前にはもうなにも教えることがないから俺は別れる。この名古屋でもう少し働いていて、いい時期に勝手に江戸へ帰れとこうおっしゃって――」
「なんという芸名なんだその師匠は」
 待ちきれないように助六が訊ねた。
「東京の柳桜師匠とそっくり同じ字を書く春錦亭柳桜てえ年を老ったお人で」
「なに。春錦亭柳桜……」
 サッと助六の顔色が変わった。
「そいつア今松。お前、名題の旅柳桜たびりゅうおうてえ大名人だ」
 名前こそ旅柳桜だが……。
 明治の二十年代に、圓朝、燕枝と並び称された人情噺の大家春錦亭柳桜と、拮抗し得る名人だった。
 いや、この旅柳桜のほうが経歴も古く、故実にも明るく、芸もはるかに上だった。
 しかるに社交に長じていた弟弟子おとうとでしの柳橋のほうが、いつも彼よりいい寄席へ出演しては人気を煽っていた。
 それが不平で旅へばかり出ているうち、自分がもらうはずだった柳桜の名前まで、いつの間にかその柳橋に名乗られてしまった。
 畜生。
 誰が二度と江戸へなんか。
 そこで憲法発布のあと問もなく東京を去ったまま、ようとして今日までゆくえをくらましている名人だった。
 そうか旅柳桜に仕込まれたのか、道理で、あの男の荒稽古なら、この上達も不思議じゃない。
 それにしても柳桜爺さんよくまあ達者で、いったい今年いくつになったろうかしら。
 助六は、白髪童顔の旅柳桜の、ありし日の流るるような歌い調子を、いまうっとりと耳に追っていた。


虚々実々



 数日後。
 久し振りで今松は東京の助六の家へ戻ってきた。永い間辛い稽古に通ってきていた師匠の家の中のものはなにひとつ見ても、そこに思い出の血がかよっていた。
 その家中の調度や庭石のひとつひとつがみな無言の親愛をこめて、自分を迎えてくれているもののようだった。
 夢にまで見て憧れた東京の寄席へも、またつとめられることになった。
 高座のひとつ、鉄瓶ひとつ、湯呑ひとつに、大阪のそれとはまったく別な、口では言えない好もしさが満ち溢れていた。
 故郷忘じ難し。ほんとうにその通りだった。
 嬉しくないとは決して言えなかった。ばかりか、歓びが春の日浴びた泉のように、ワクワク身体中へ噴き上げてきた。
 この嬉しさだけでも、今度こそどんな困難が、障碍しょうがいが、行く手へ大手をひろげて現れようとへこたれないで進んでいこう。
 でも――。
 今松は思った。
 こんな人間らしいことが言えるようになったのも、みんな名古屋の、師匠のあの仮借ない修業のおかげだ。
 今さらながら旅柳桜師匠のところでの、辛い苦しい血の滲む修業のことが、まるで他人の半生のパノラマをでも眺めているかのように、あとからあとから考えられてきた。
 名を欲するな。
 金を欲するな。
 名と金とを欲しがっているうちは、決して名も金もやってきはしない。
 まずのっけに師匠はこう言って戒めた。
 なるほど、言われて、よく考えてみれば、まったくそれにちがいなかった。
 早い話が懐中の苦しいときには、往来を歩いていたってびた銭一文落っこってやしない。
 それがしこたま儲かって、金のない国へでも行きたいなどと思っているときには、あとからあとから儲け話ばかりもち込んでくる、濡手で粟のつかみ取りみたいな、とんだいい話さえ舞い込んでくる。
 これ即ち、欲しい欲しいとおもう浅ましい一念が、サッパリと己から失せ尽しているせいだろう。
 風呂へ浸かったとき自分のほうへ湯を掻き寄せようとする湯は、みな向こうへ逃げていってしまうが、反対に湯なんかいらねえやとばかり、向こうのほうへ押し流してやると、かえって押し流されていった湯は勢いよく湯槽のへりへぶつかった反動で、どんどん自分のほうへかえってくる。
 たった一度だけ聴いた三遊派の名人圓朝は、「塩原多助」のなかで、金をこしらえる秘訣として多助にこんなことを言わせていたが、柳桜師の「名を欲するな」「金を欲するな」も、ほぼ同じ理合と言えよう。
 また、名、欲しからず、金、欲しからずと悟りきることは自分というものを無念無想にしてしまう上にもたいへんに役に立った。
 自分というものが無念無想にならない限り、「芸」の御本丸の大櫓おおやぐらを、究めることは難しかった。
 では、その「芸」の御本丸とは、御本丸の大櫓の「芸」とは、いったいなんだというのだ……。

 ものの「真」を写すこと。
 ものの「姿」をマザマザと活けることがごとく写し取ること。
 それこそ「芸」の奥儀である。柳桜師匠はこう教えてくれた。
 とは言うもののそこがそれ「芸」。
 あくまで「芸」である以上、ただくそ写しに馬鹿正直に、写してしまうばかりが能じゃない。
 目分量で、いらないと思うところはどんどん苅り込め、略してしまえ。
 また適当に美しく愉しいものにあげることをも忘れるな。
「真」を写したその次には、この二つの要領が大切だ。
 では、ひとつの「姿」を写し取るたびどこを略すか、どこを美しく愉しくするか。
 その要領は教えられない。
 場合場合によって猫の目のように変わるものゆえ、ひたすら、多年の練磨によって、自分で悟っていくよりしようがない。
 つまり禅家でいうところの「曰く、いい難し」あれである。鐘が鳴るのか撞木しゅもくが鳴るか、鐘と撞木の合いが鳴る微妙不可思議のところだろう。
 錬磨に錬磨を重ねるべし。
 腐心に腐心を重ねるべし。
 そうして、悟れよ。ひたすらに悟れよ。
 師匠はこうもまた言ってくれた。
 いちばんおしまいに与えてくれた戒は、さらに一段と難しいところのものだった。
 それは、こうだ。
 ほんとうの修業を積んだ奴の「芸」は、一点一画はじつにキチンとよくできているが、それだけに万事が理詰めで陰気くさい。従って人を愉しませない。従って人気もパッとしない。
 チャランポランの修業をして、才気ひとつで飛び出してきた奴は、噺のなかの人物の雌雄めすおすの区別もつかず、万事万端でたらめの代わり、そこになんらの理に落ちるところなく、フワフワフワと春の日の石鹸玉しゃぼんだまみたいだから、派手でおかしい。人気もあがる。しかし、もともとが根無し草だから、一時の人気が醒めたらガタ落ちになってしまう。
 どっちでもいけないのだ、これは。
 本筋だけれど理詰めで面白くないという「芸」は、人間のお神さんにたとえると、貧乏をものともせず亭主大事と働きまくる世話女房だが、それだけに髪はいぼじり巻、身だしなみもよろしからず。そこで見た目が愉しくないのだ。
 また派出な人気だけの「芸」って奴は、浮気女の駄ふんばりアマだ。だから酒の相手にはこの上なしだが、共白髪までと打ち込んでいけるものはまったく欠けている。
 いいかね、そこで、だ。
 ほんとうのいい「芸」とはなにか※(感嘆符疑問符、1-8-78)
 つまりこの二つを兼ねた奴だ。
 つまり貧乏に耐え、やりくりが巧く、亭主の寝酒を絶やさないで、しかも器量がよくて、寝顔も亭主に見せなければ、紅白粉での身だしなみも決して決して忘れない。
 これが――これこそが真の「名人」というのだ。
 そんないい女房は百年にいっぺん、二百年三百年にいっぺんしか現れませんよとお前、言うだろう。
 当たり前だ。
 雨後の筍じゃあるめえし、そうヒョコヒョコ名人に現れられてたまるものか。
 いや、だからこそ、ほんとうの名人って奴は、滅多なことでは、なかなか現れてこないというのだ、オイわかったか今松。
 ようく、ようく、この言葉を繰り返して、噛みしめて、味わってみる。
 これより他には俺の言うことはもうなにもない。
 ……。
 その通り。
 ほんとうにその通りである。
 柳桜師匠のこれらの言葉以外に、「芸」の奥儀というものはない。あるわけがない。
 あまりにも底の底まで、貫き通した名言だと今松は、思わずブルブルッとふるえ上がった。
 昔、助六師匠のところで、さんざ油を絞られた「横町の源兵衛さん」や「寿限無寿限無」を尋常学校の読本だとすれば、これは高等中学や、またその上のもっともっと難しい学校の教科書、もしくは博士論文であると言えよう。
 そうして、今日でこそ自分も勧進帳を読み上げるように、こう片っ端から箇条書に並べ立てていられるけれど、あの頃はこれらの厄介な問題をやっとひとつ卒業するとまたひとつ。
 やっとまたひとつ悟ると、またふたつみっつ。
 後から後から先様せんさまお代わりとばかり、送迎応接にいとまないほど突きつけられては試されるのだったから、正直、心身がクタクタになった。
 御難の辛さ、失恋の辛さ、みんな人生の涙の種にはちがいないけれど、それらに比べてまるで問題にもなにもならなかったほど、この「芸」の四十八坂は険阻けんそだった。難渋だった。
 いく度、草鞋の紐を切ったろう。
 いく度、膝ッ小僧を擦り剥いて血を滲ましたろう。
 木の根岩角へつまずいて、千仞の谷底へ転がり落ちようとし、崖の蔦葛つたかずらへつかまってやっといのちをまっとうしたことすらもあった。
 正直、咽喉を通る御飯の味がなにがなにやらわからなくなり、まったく砂を噛むに等しかったことが、前後を通じて三回あった。


 今度、東京へ帰ってきてからの今松は、もっぱら「芸」のこと以外の研究に浮身をやつした。
 それは自分という「人間」の修業だった。
「芸」の上へ、もうひとつ「人間」のよさが加わってきて、はじめて一人前の出世ができよう。
 つまり「世渡り」の秘訣である、真髄である。
「世渡り」といっても巧言令色、やたらにツベコベ世辞愛嬌を並べ立てることじゃない。
 すねず、腐らず、いたわりの「心」を持って、その日その日を、明るく力強く進んでいくってことである。
 大恩人のことを言っちゃ悪いが、早い話があれだけ「芸」のできる柳桜師匠が、「旅柳桜」となってしまったことだとて、しょせんは「人間」の問題だろう。「すねて」しまったから、あたら朽木となったのだろう。
 もちろん、こんな生意気を並べ立てたところでおいら、三遊の圓朝さんみたいな立派な「人間」にとてもなれようわけはねえ。
 だが、その心がけだけは持っていたい。
 百と願って、十も叶わぬこの浮世。
 望みだけはうんと持とう、修業だけはうんとしよう。
 こう考えて今松は、いろいろ仲間の先輩たちの気ッぷというものを研究しだしたのである。
 一に「芸」、二に「芸」、三に「芸」だが、あまり「人間」のよくない奴には、やっぱり長い正月がない。
 現に、兄弟子の雷蔵だ。
 上手と言えないまでも決して下手ではない達者な男だけれど、年一年と看板が落ちていく。
 現に今度も帰ってきてみると、自分よりはるかに下へ下げられている。
 雷蔵は、一人天狗で決して人の言うことを取り上げない。いい注意にも耳を傾けないから、いつまで経っても「芸」が先へ進まない。
 あまつさえ、誰の「芸」でも決してよく言わない。どんな上手にも達人にも、よく見ればひとつやふたつの欠点はある。それをいちいち取り上げては悪く言う。また、どんな空っ下手にもひとつやふたつはたいへんいいところがある。それは決して見出してやろうとしない。従って誰の噂がでても、
「あの人もいいが。ここんとこが」
 とケチばかりつけることになる。
 以心伝心――これが自ずと先方へひびいていくから、先方でも雷蔵の噂がでたときはまた十人が十人、判で押したように、
「あんなもの、あんなものア駄目ですよ」
 とこうやられてしまう。
 この多くの非難はやがて世論となって、雷蔵下手なりということがついに決定的なものとなり、どんどん看板は下降していくばかりなのだ。
 これでは、いけない。出世はできない。
 次に名前は言わないが、これは雷蔵よりももうひとつ薬が強く、陰へ廻っては真打に仲問の悪口を言って皆の出世を、ぶち壊そうとかかる奴がある。これは大根がごく気が小さく、人に出世されるのが怖ろしいのだろうが、じつに浅ましい。
 いつか世間の景気が珍しくよく、物価ものなりが高くなったとき、食べるのに困ると楽屋で皆、愚痴を言ったら、そのとき、さすがにうちの師匠の助六は、困ることはない諸式が倍になったら此方こっちも倍働きなとこう言った。つまりその話と同じことでひとが出世をしたら、自分も出世をすればいいのだ。だのに他人の讒訴ざんそばかり挙げているから、しまいに手前が五人十人、大ぜいがかりでなぶり殺しにされてしまうのだ。
 こいつもいけない。
 これも御名前は憚らせていただくが、俺を八時から九時くらいの高座へ上がらせてくれればうんとうめえ芸を見せられるのだが、いつも前座同様、六時七時に使やアがる。だからつい熱の入った芸がやれないのだと愚痴をこぼす奴がある。これまたたいへんな心得違いで、五時が六時だろうが、腕いっぱいの芸を見せてみろ、しまいには誰かが認めて賞めてくれる。それがひいては八時九時に出られるキッカケをこしらえてくれるのだ。それがいきなり怠けている奴を、八時九時の高座へ上げてみろ。凡夫の悲しさ、つい固くなる、ヘドモドする、ロクな腕前は見せられないで、またぞろ前座同様のところに逆戻りということに相成ってしまうだろう。
 こいつも駄目だ。
 俺は腕があるのだから、大真打のところへ暑寒の挨拶になんぞ行かないとふんぞり返って威張っている不遇の落語家さんがある。腕のない奴が先輩どもへお世辞専門、御馳走ばかりしちゃ取り入るのはもちろん苦々しい限りだけれど、かりにも目上と目下、いやらしくない程度で暑さ寒さには顔を出す。これは礼儀じゃないだろうか。そうしてこれをしないのはかえって無礼じゃなかろうか。仲間のうちには、すべき「礼儀」をも「野幇間のだいこ」と間違えてせず、そのため「無礼者」扱いにされて憎まれ、不遇でいる気の毒な連中が少くない。
 大いに慎しむべきところだろう。
 さて、こう、いろいろと仲間の姿を眺め廻してみると、ここにも谷がある、瀬がある、川がある、魔の淵がある、地雷火の敷設がある、ずいぶん「芸」と同様の困難である。
 たいていの連中が途中でウンザリしてしまって、我流でお茶を濁してしまうわけだ。
 なるほど世話女房のその上に三十二相揃った絶世の美人には、ちっとやそっとじゃなれないわけだ。
 それにしても――。
 この頃、今松はこうしたかずかずの見聞の結果、左のような金科玉条をば新しく発見した。
 せっかく、真打候補の若手として、今売り出そうとしかけている俺。だから、安目を売らないことだ。決してチョロツカな売りようをしないってことだ。
 ほんとうに、売り物には花。
 どんなに苦しくとも辛くとも咽喉から手が出るほどお金が欲しくとも、場末の寄席やあまり安いお座敷なんぞでは稼がないことだ。
 みすみす今ここでそのお金があったら、着物一枚こしらえられるとしても、ジッと歯をくいしばって我慢することだ。
 それが必ず後日のためにはなっていくのだ。
 鯛を釣るのは骨が折れるし、鰯はたやすく釣れるだろう。
 しかもその鯛は滅多に釣れなくて自分は釣竿を前にジイッと腕こまねいていることになり、ちょいと見るとどんどん鰯を釣っている奴らのほうが景気が好いから、今松の野郎、お茶ばかりひいていやがると仲間から嗤われもするだろう。
 しかし――しかし、一度釣り上げたさえしたら、その鯛の見事さ。
 百千の鰯もいっぺんに消し飛んで、姿をかき消してしまうだろう。
 石にかじりついたとて、鯛釣る日まで待つことだ、耐えることだ。
 しくも今松はこう覚悟した。


 この修業に加うるに、この覚悟。
 縦からも、横からも、もうまったく今松はグーとも言わせない一人前以上の人間となっていた。
 しかも、人生劇場の出世の神様は、まだまだ今松に立派な当たり役を振り当ててはくださらなかった。
 ばかりじゃない、そのもはや完全に近い今松の上へ、さらにいろいろさまざまの雨や雪やみぞれあられや炭を降らせた、そうして、いじめた。
 それは、まだまだまだ永い永いこののちの人生へ、しびれを切らせないための修業だったろう。音を上げさせないための修業だったろう。
 うれしいことに今松は、その神の試練の手品の種明かしを、チャーンと見抜いていて心得ていた。
 だから、東京へ帰ったまんま、普通以上に用いられなくても、決して焦らず、なんの不平も言わなかった。
 芸第一とあくまで一生懸命つとめていた。
 昔とちがって師匠の心持ちもよく飲み込め、従って師匠のほうも心やすげに交わってくれる。そのことだけで、ただもうわけもなく満足しきっていた。
 来い。
 いくらでも来い、苦労の奴め。
 おいら、その苦労の家元って奴と心やすくなって、盆暮にゃお付け届けをしてやるから。
 こんなふうにジーッと歯をくいしばってはニコニコしていた。そうして、一年。
 とうとう出世の神様のほうで根負けがしてしまったのだろう、翌年の正月の末。
「オイ今松の、今日左楽オットセイからすすめられた。真打になれお前、この四月に。雷門小助六を名乗るんだ」
 師匠の助六が言い出した。


初看板



 三月の半ばに下谷伊予紋で披露目をして今松は、雷門小助六と改名した。
 四月、あの焼鳥の思い出深い上野の鈴本で披露をした。
 花見客の群れ集う上野の山の賑わいがそっくりそのまま夜は、鈴本の寄席へ移されて毎晩毎晩、客止めだった。
 少しうつむき加減で高座へ出てきて首を突き出し、
「また聞いたあの話、その晩の出来と不出来がお景物とやらで、梅に鶯、竹に虎、幽霊に柳、落語家はなしかに扇子、北風に濁酒どぶろく、こりゃもうみんなつきものでげして」
 富本でも歌えそうな江戸前の中音で、流れるように歌い出していく名調子には、スーッと胸の透くものがあった。
 若いくせに本寸法で江戸前の渋さがあるうえに、芸全体の雰囲気はふッくらと軟らかく、師匠助六譲りのふき出すようなおかしい調子も備えていて、酔っ払った男が、
※(歌記号、1-3-28)なにがなにしてなにとやらア
とよろしく鼻唄を歌ったあと、なぜかことさらに一ッ調子張り上げて、
「ギュッ」
 と卵を踏み潰したような音を立てるあたりなど、満座抱腹絶倒した。
 しかも、ホロリとするところへくると充分にしみじみとした陰影かげをも漂わせ、「おせつ徳三郎」の心中場など、深川木場あたりの宵闇の景色の描写は、持ち前の歌い調子で広重描く江戸百景をさながらに美しくマザマザと見せてくれた。
 本格でいて陽気。
 歌い調子でいて、人物情景がさながらに。
 ドッと笑わせるところがあってまた、涙ぐましい情景にも冴えを見せる。
 実と見せて、虚。
 虚と見せて、実。
 旅柳桜が人一倍の薫陶のもと、積みに積んだ蛍雪の功は空しからず、見事、「芸」の御本丸の大櫓は、ここに今松の小助六によって、華やかにもまた頼もしく、明治の寄席の大空高く築き上げられたのだった。
 小助六、やがて古今亭しん馬に、金原亭馬生に、晩年は師匠助六の隠居名古今亭しん生の名を襲って、震災の翌々年、惜しくも逝いた。
 この人の江戸前の歌い調子は、まこと近世での名人なりしと今さら落語家仲間のたたえてやまないところである。大真打になってからは再び盃にも親しんだが、飲めば飲むほどその高座は冴えに冴えて、これまた、仲問の舌巻くところだった。
 吉井勇先生の市井劇「俳諧亭句楽の死」「狂芸人」「無頼漢」「小しんと焉馬」その他には焉馬の名で、久保田万太郎先生の「末枯」には三橘の名で、この人の酔態淋漓りんりたる風貌が紹介されている。でも、これは小助六が人情噺の口調を借りて言わせてもらうなら、後日のお話――。
 果せるかな小助六の名は、にわかに派手やかに東京中へ謳われていった。
 どこの寄席でも、争って「小助六」の看板を上げた。
 引っ張りだこの人気者となった。
 それだけ、なかなかに出銭も多かった。
 思いもかけないお金が要った。
 財布の中はいつもいつも空っぽだった。
 しかも、決して今松は、始めに心に誓った通り場末の寄席稼ぎなどしなかった。
 安っぽいお金でお座敷へも行かなかった。
 ひとつひとつ、ハッキリと断った。
 それも傲慢に断りっ放しにはしないで、頼んできた余興屋さんへは、
「すみません。とんだわがままを言いまして」
 と菓子折のひとつも持っていって頭を下げた。これには頼んだほうが恐縮して、断られながら、
「偉いよ小助六は」
「若いのに苦労人だ、見どころがあるよ」
 と評判した。
 しかし小助六のことにするとずいぶん辛い。なまじ変な金儲けを持ち込まれてくるたびに、そのお金のほうは入らないで、断るための菓子折代だけは損になるのだ。
 いよいよお台所は苦しくなった。今も昔の馴染みの駒形の百面相の鶴助の二階を借りている気軽な身の上だからまだいいようなものの、じつに辛かった。
 せつなかった。
 なんべん、宗旨を入れ替えて、いっそのことお安いところを稼いじまおうかと思いかけてはまたやめたことだろう。
 でも、せっかくここまで苦労してきて、今ここでそんなことをしてしまっては。
 我慢だ。
 我慢だ。
 踏ン張ることだ。
 踏みとどまって、最後の最後のまた最後まで闘い抜くことだ。
 額に脂汗してエイヤッと大石を差し上げているような一世一代の大努力を、死に身で小助六は続けていた。
 歩一歩――おかげでその努力は認められだした。
 いよいよ寄席では人気が出てきた。
 新橋や日本橋や柳橋や、いいお座敷も増えてきた。
 昔、変なお座敷をもってきて断られた余興屋たちが、あのときの菓子折の返礼に、今度こそ立派なお座敷を、あとからあとからと持ってきた。
「三人旅」「おせつ」「三軒長屋」「吉原ぞめき」「棒だら」「ずっこけ」「幇間たいこ腹」「六段目」「稽古所」「火事息子」「浪華芸妓」。
 だんだん小助六の名は高まっていった。
 懐中ふところもよほど、楽になった。
「海老を呼んでやろう東京こっちへ。あいつの噺口ならサラリとしているから、上方弁でもきっと受ける」
 一日、海老団治へ細々こまごまとその由をしたためて小助六は手紙を出してやった。
 折り返して返事がきた。
「父親がもう危いのでここ半年は行かれないが、秋にはきっと伺う。そうしてお言葉に甘えて御世話になる。貴方の出世をどんなによろこんでいることか」
 簡単ながらそうした意味の、歓びに溢れた手紙だった。
 なにか小助六も嬉しかった。


 お艶ちゃんに逢いたい。
 嬉しい明るい晴れがましい日が続いていくなかで小助六は、この頃せつにそう思わないわけにはゆかなかった。
 さすがに芸の練磨の激しさ。
 世渡りの道の険しさ。
 このふたつに寧日なくて昔のようにお艶ちゃんとの思い出の町を行くときも、心痛むほどのこととてはなかったが、それは浮雲に覆われたとき一時、日の光が力を弱めたかに見えるのと同じ理合だった。その雲の背後では大きな嘆きの太陽が絶えずキラキラと輝いていたのだった。
 従ってその雲れのしたときは、いっそう太陽の悲しみの色はカーツと烈しく照り栄えてきた。
 三河屋の隠居のお神さんになっているなら、それでもいい。
 ともかくも、自分は逢いたい。
 いや、なにも逢ってどうしようというのじゃない。
 ただ逢って今日まで上方三界をほっつき歩き、やっとここまで「芸」の山坂が上りつめられてこられた自分であるということがひと目歓んでもらいたいだけである。そうしてその間の雨降り風間、やっぱり思いに思いつづけてきたのはお艶ちゃん一人ではあったのだということの心持ちがわかってもらえさえしたなら……。
 でも――。
 逢って変わってしまっていたらどうしよう、相手の姿が、心持ちが。
 いやいや、姿なんかどうなっていたって。
 たとい片目が跛になっていたって、好きなお艶ちゃんであることになんの自分は変わりもない。
 しかし。
 もしも「心」のほうが変っていたなら。
 たとえばもうすっかりそこらのお神さん同様の心持ちになってしまっていて「芸」の話なんか見向きもしないお艶ちゃんになってしまっていたならば。
 さすがに、それを思うと怖ろしかった。
 逢うことが――。
 見ることが――。
 どうしよう。
 逢おうか。
 ……よそうか。
 よそうか。
 ……逢おうか。
 …………。
 心は、千々に、迷って、迷った。
 悶えて、悶えた。
 ……ほんとうにどうしよう。
 どうするお前は。
 オイどうする気なのだ、逢うのか逢わないのか。
 逢おう、いややっぱり逢おう。
 とどのつまりが、逢わなければ心すまない小助六だった。
 では、もし逢って心変わりがしていたら――。
 かえっていい。
 あのお艶ちゃんという人を、生涯、自分は二度ともう思い出さないですむ。
 そのことだけでもスッパリとあきらめがついていいだろう。
 逢うことだ。
 そうだ、逢うことだ。
 ハッキリ思い定めたとき、はしなくもお艶の噂が小助六の耳へ伝わってきた、しかもまったく意外な噂が。
 例の三河屋の隠居のところは、どうしてもあのとき心が進まず、キッパリ断ってしまったけれど、さてそうなると重病の母をかかえて先立つものは、やはりお金。
 お艶は、旅芸者に身を売ってしまった。
 宝珠花から関宿栗橋のほうへ。
 二年の月日を流れてきた。
 それほどの苦労の甲斐もなく、やっぱり阿母おっかさんは死んでしまった。
 ガッカリして年期を終えて帰ってきた東京の寄席の看板には、あの今松の名は見出されなかった。
 しかも。風のたよりに聞けば、あの人、やっぱり私ゆえに身を持ち崩して悪いお酒を飲み、遠い旅路をさすらっているとか。
 母の死と今松の失踪と。
 この二つの出来事に、もう意地も張りもなくなってしまったお艶は再び寄席の高座へ返り咲こう気力もなく、今ではどこか馬道辺へ二階借りして破れ三味線一挺かかえ、人の軒端に立っている――とか。
「ヤイおごれ、ヤイ小助六の色男」
 楽屋でワイワイ皆にからかわれながら聞かされたお艶物語の筋書はこうだった。
 あまり話が波瀾重畳でうまくできすぎているから嘘かと思えるし、ひょっとするとこの話の三分の一くらいはほんとうであるかもしれないと思われる。
 いずれにしても三河屋へ行かないでしまったお艶だったという噂は、嘘にしても小助六にとってはときにとってのいい辻占つじうらと思わないわけにはゆかなかった。
 恋しさに身体のなかの血が騒いだ。
 いても立ってもいられなくなった。
 馬道辺か。
 よウし。当てずっぽうに行って見よう。
 そうして探すんだ、虱潰しに。
 昼席を二軒すました翌る夕まぐれ、とるものもとりあえず小助六は駒形の家を飛び出していった。


朧かな



 富士横町の路地路地へ、いかにも晩春の暮れ方らしくホンノリと水浅黄色の薄闇がただよっている。
 仲間の者に教えられた駄菓子屋の前へ、小助六は立った。
 薄暗い店先で、鼻汁はなを垂らした子供が早い線香花火を上げていた。
「坊や」
 近寄っていって小助六は訊いた。
「お艶ちゃんて小母さん、いないかえ、お前ンとこに」
「いる、いるよ」
 クルッと後ろを向く子供は、
「阿母さあん、お客様だよ」
 声限り怒鳴った。
「うるさいねえ新公」
 暗い奥のほうで棘々とげとげした声が聞こえたかと思うと、
「今ゆきますよ、今」
 やがてはばかりの板戸を鳴らして額へ太い皺を寄せた器量のよくない血色の悪い四十女が、乳呑児を横抱きにして、手も洗わないで出てきた。
「どちらから」
 見据えるように女は言った。
「あのあなた様は――」
 びっくりして小助六は腰をかがめた。
「ここの家内です、私」
 やっぱり立ったままその女は、
「お訊ねのお英てものです」
 なんだ、お英さんの間違いか。
「ああそうですか、お英さん」
 そう言ったものの、そのあととっさに接穂がなくなってしまった。
「いえ、あの、じつは」
 そうだ。どこか二階借りをしているもののことを訊ねてみよう。
「あのこの辺に二階借りをしている女がござんせんでしょうか、若い三味線を弾く女なんでございますが」
「しらねえね、そんな女は」
 にべもなく首を振って、
「聞いてごらんそのとっつきののり屋さんで。あすこはよく二階を貸している」
 そのまんま挨拶もしないで引き込んでいくと、バターンと勢いよく音をさせてまた元の厠へと入っていってしまった。
「…………」
 呆気にとられてポカンと見送っていた小助六は、急に馬鹿馬鹿しくなって歩き出した。
“のり”と、丸い看板が出ていた、なるほど、路地のとっつきに。
「あのちょっとお訊ね申しますが、こちらのお二階、若い女の方にお貸しなすって」
 やっぱり薄暗い台所の入口で水仕事をしていた婆さんに、声を掛けた。
「ハイハイ。そうでございますよ、なにしろ年寄夫婦でございますもんで、男の方は禁物で。どうかあなたほかさまをお借りなすって」
 人の好さそうな婆さんは、気の毒そうに頭を下げて、またゴシゴシお皿を洗い出した。
「いえ、あの私拝借しようてわけじゃないんで。その二階を借りておいでの若い女の方に用がありますんで」
「ああ、お艶さん。じゃあの綺麗な三味線を弾くねえちゃんのお知り合いで」
 いる、ありがたい。
 思わず鳩尾みぞおちがドキドキッとしてきた。
「ソ、そうなんです、そのお艶ちゃんに私」
 半分ばかり開けてある台所の戸口から思わずグググッと身体を差し入れてきて、
「逢わせてください、ねえ小母さん、後生だねえ、ちょいと大急ぎで」
「あの、引っ越しましてございますよ」
 また気の毒そうに婆さん言った、膝の上へ置いたお皿を急いでふきんで拭きはじめながら。
「エ、なん日」また鳩尾がドキンとした。
「先月でございましたよ」
「先月?」
 ひと方ならずがっかりしながら、
「その越した先、わかりませんかしら」
「エーそれがねえ」
 いよいよ気の毒そうに婆さんは、
「聞いといたんでござんすがねえ」
「だいたいどの辺の見当かちょっと思い出していただくわけには」
「さあ……」
 相変らず困ったように首をかしげているばかりだった。
「小父さん、お艶ちゃんて三味線の小母さんだろう」
 いつの間について来ていたのだろう、さっきの鼻たらしの子が新しい花火片手にヒョイと顔を突き出してきた。
「あの小母さんなら馬道の鶏寺とりでらの近所にいるよ、剥身むきみ屋の二階だよ」
「エ、鶏寺の近所」
 子供の声が、小助六には神様のお告げのようにありがたかった。
「ありがと、坊や。サ、これで好きなものをお買い」
 銀貨を二枚握らせてやると、そのまま横ッ飛びに、通りのほうへ駆け出した。
 鶏寺の崩れた竹垣の横丁。
 腰障子に大きな蛤の絵が描いてある小ざっぱりした店構えに、暮れ遅い灯影が揺れていた。
 店先で癇癪かんしゃく持らしい、いなせな主が豆絞りの手拭で向こう鉢巻をして、セッセと浅蜊の殻を剥いていた。
「あのごめんください」
 ていねいにお辞儀をした。
「こちらにあのお艶さんて人がいますでしょうか」
「ナ、なんですか」
 目を盤台へ落したままで、ピリリと主の眉が動いた。
「いいえ、あのこちらのお艶さんにお目にかかりたくって伺ったもので」
「お艶さん」
 やっぱり眉だけピリピリさせて、
「お間違いじゃござんせんかなにか。あッしアまだ独身なんですがねえ」
 貝を剥く手を休めないで、面白くもなさそうに主が答えた。
「いいえ、その、あなたのお神さんじゃないんです」
 顔を赤くして小助六は手を振った。
「じゃ誰なんだよ、お艶さんてのは」
 尖がった声を張り上げてきた。
「いえ、あの、それが、その」
 権幕にドギマギしてしまって、
「あの、つまり、こちらのお二階を拝借している女の人なんですが」
 とたんにグイと剥身屋の主は顔を上げた、肩で笑った、ちゃんちゃらおかしいやと言わないばかりに。
「ナ、ナ、なんだってヤイ」
 ギロッと大きな目玉を光らせて、
「ド、どこへ目つけているんだおめえ。よく大きな目を開けて見ろ、ヤイとんちき野郎」
 ポーンと自棄やけに貝を剥く出刃庖丁を投り出し、クククと拳固で、鼻の頭をこすり上げると、
「俺ンは平屋だい」


 よそう。
 縁がねえんだろうやっぱり。
 あきらめよう、あきらめよう。
 江戸っ子はあきらめが肝腎だ。
 人事を尽くして天命とやら。これだけ手を廻して駄目だとすれば、連中が歌うちゃちゃらかちゃんの唄の文句じゃないけれど、思いおくことサッコラサノサ皿になしサイサイサイだ。
 お艶ちゃんのことなんかあきらめて、今夜の寄席をシッカリとつとめよう。
 ボンヤリと馬道の大通りを二天門のほうへ。あかあかと灯っている蒲鉾屋の高野の店先を覗き込むと、キチンと片付けられている板の間の向こうの黒光りした柱の時計が今六時半。
 今夜の小助六の振り出しの寄席は八時がらみで、向両国の広瀬亭だった。
 お艶ちゃんに逢えないときまったら、いっぺんにくたびれがでてしまった。
「いけねえ、足がもう棒のようだ」
 くたびれ休みのつもりで、荒い白木の格子のはまったうら猫という美味い物屋へツーと入っていった。
 鬼がら焼と木の芽田楽。
 それに珍しい鮒の刺身。
「あのお酒は」
 紺絣のたっつけのようなものをはいた、頬を赤くした少女が傍へきて言った。
「ウム二本ばかり熱いところ……」
 ヒョイと指二本出して見せかけて、
「いけねえ」
 あわてて小助六は首を振った。
「ト、とんでもねえ、酒なんか鶴亀鶴亀。オイ駄目じゃないか俺に酒なんか飲ましちゃ」
 怒ったような声を出してしまった。
「アラ、私召し上がれなんて申し上げませんよ」
 驚いて小女は頬を膨らし、サッサと奥のほうへ行ってしまった。
「いや大失敗おおしくじり大失敗」
 後見送って苦笑しながら小助六は頭へ手をやった。
 ああ、俺って奴、今日はさすがによっぽどガッカリしてやがるんだ。
 だから、知らず知らずのうちにお酒二本なんて言ってしまったんだ。
 せめては飲んで、うさをば散じたかったんだろう可哀想に。
 でも――でも、ここだ。
 ここが大事の瀬戸際だ。
 こんな晩にこそ、歯をくいしばってでもジイッと我慢するンでなくっちゃ、せっかくの今までの禁酒が台なしだ。
 もう雷門小助六の看板を上げてしまった俺じゃねえか。
「姐さん御飯ごぜんのほうを御願いしますよ」
 今時分になっててれたように奥を見て言った。
 結城の羽織に、藍微塵あいみじんあわせという五分のスキもないこしらえが、春の灯のなかでいい落ち着きを見せていた。
 間もなくもう少し年上の白粉を濃くつけた女中が、鬼がら焼を運んできた。
 続いて鮒の刺身を。
 おしまいにモヤモヤ煙の立っている木の芽田楽を、御飯と一緒に。
 山椒のいい匂いが、少し焦げた味噌の香りと一緒に、プーンと鼻を掠めてきた。
 まず田楽を、鮒の刺身を、いい加減歩いてお腹も空いていたのだろう小助六は、御飯と一緒にかっ込むように食べた。
 少し人心地がついてきた。
 四杯目の御飯のとき初めて鬼がら焼へ箸をやって、秋までには東京へ出てくるという海老団治の上をふッと思った。
 頼みになるのは男の友だちばかり。
 今に海老が来たらうんと仲好くつきあってやろう。
「ところでと……」
 ともすれば滅入り込んでいく今の自分の心持ちを、我れと我が身を引き立てようと鬼がら焼をむしって頬張りながら、
「海老でこうなにかいい洒落が言えねえかなあ」
 大真面目でくだらないことを考えはじめた。
「エーと、こうつと、待てよ。海老で、海老で……と。どうだろうこんなの、海老で……海老でなりとも逢わせておくれ……と。いけねえかなあ、こんなのは」
 いけなかった、モロにそんなのは。
 文句がいけなすぎる、夢でなりとも逢わせておくれの洒落なんて。
 今松は自分で自分を陥穽おとしあなの中へ陥していたのだ。
 口では幅ったいことを言っても、やっぱりやっぱり逢いたくて逢いたくてならなかったのだ。
「いけねえいけねえ、ではどうだ、これは」
 あわてて急がしく首を振ると、
「海老の(芋の)煮えたの御存知ねえか、と。巧くねえな、どうも。ではもうひとつ。海老(南無)からたんのうとらやあやあ、と。いよいよもって商売人のやる洒落じゃねえな。海老(芝)で生まれて神田で育ち、海老(猪牙ちょき)で行くのは深川通い、海老(花)より他に知る人もなし、と。駄目駄目駄目駄目みんな駄目。落第だよ、こりゃみんな」
 自分で自分をあやすことのできない、あまりと言えばこのだらしのなさ。
 我ながら上げ下ろしがつかなくなって、
「アッハッハッハ」
 と笑ってしまってハッと気がついたら、何事がはじまったかと、奥へ続く暖簾の間から最前の女中二人、目を丸くして覗いている。
 さすがに少しうろたえて照れ隠しに袂から取り出した朝野新聞の雑報を、連翹れんぎょう色の籠ランプの光の下でガサガサガサと音立ててひろげたが、
「最前は少女を怒りつけて、今度は手前で手前の拙い洒落で笑ってしまって、今度このあとで泣き出したらなんのこたアねえ、とんだ三役早変わりの三人上戸だ」
 危うくもういっぺん笑い出しそうになるのを我慢して、「女義界五厘問題大紛糾」という記事のところへ、意味なく目をば落していた。
 ……でも、世の中のことはわからない。この小助六、今夜のうちに涙を流すことなしと、どうして、誰が、言い切ることができ得ようか。
 そのときだった。
 素晴らしい音締ねじめの撥さばきが、若い女の甘いあだっぽいとろけるような唄声と一緒に流れてきた。
※(歌記号、1-3-28)そなたまでがそのように
 主をおもうてくりゃるもの
 わしが心を推量しや
 なんの因果に このように
 愛しいものか さりとては……
 新内の「明烏あけがらす」だった。
 うまいなあ、女にしちゃあ。
 感心して小助六は聞いていた。
 ときどきしゃがれてかすれる節廻しが、傾城浦里の悲しい挽歌としては、かえってふさわしかった。
 聞いているうち、だんだん唄の世界へ魅き入れられて、甘酸っぱい哀愁に、キューッと小助六は胸をしめつけられてきた。
 哀々切々の思いをたしかにこの唄い女は身をもって嘆き、愁しみ、訴えている感じだった。
 うまい。
 じつに巧い。
 いよいよ小助六は感にえた。
※(歌記号、1-3-28)傾城に誠なしとはわけ知らぬ
 野暮の口から……
 そのうち、オヤッと思った。
 聞き覚えのある声だが。
 どことハッキリとは言えないが、たしかに記憶のなかにのこされている声だった。
 誰だろう、誰だっけかなあ。
 聞けば聞くほどその唄声は、小助六の胸を、心を、魂を、血の近さでヒシヒシ打った。
 フラフラと自分の席から立ち上がると、夢中で入口の格子のちかくまで行き、壁ぎわへ身を寄せてなまめかしい唄声の主をソッと覗いた。
 あ。
 ひと目見て小助六は思わず、息を呑んだ。
 呼吸いきがこのまま、とまってしまうかと思われた。
 お高祖頭巾のなかにポッカリ白く浮いていた三年前の晩の忘れられないあの顔だった。
 あの面長の目の澄んだ美しい顔が、ションボリ破れ三味線を抱いて、スーッと白鷺のように佇んでいた。
 上背のあるスラリとした影法師が、春の夜のもやのなかでジットリ朧に濡れていた。
 だが――。
 顔だちのいつに変わらぬ美しさにひきかえて、垢染あかじみて、つぎはぎだらけで、ボロボロで、見るかげもない侘しい着物には、人生行路の氷雨ひさめしまきや雪みぞれの憂さ辛さが見るからに滲みだしていて、いたましさにハッと助六は目を伏せた。
※(歌記号、1-3-28)粋の粋ほどはまりも強く
 ただなつかしう愛しさの
 愚痴になるほど恋しいもの
 脇目もふらずお艶は歌っていた、あるときは大きな黒い目を細めて、またあるときは一文字の眉を悲しくしかめて。
※(歌記号、1-3-28)たとえこの身は淡雪と
 共に消ゆるもいとわぬが
 この世の名残りに今一度
 逢いたい見たいとしゃくり上げ……。
 とりわけ唄の文句が男を慕うところになると、哀慕の情を顔中にみなぎらせ、全身全霊が今にも泣きだしそうだった。
 いや、長い麗しい睫毛のはしは、すでにキラリと光っていた。
 小助六は、お艶の涙が自分の胸に落ちるのを感じた。
 声をかけたいのは山々だったが、さりとてこれほどの「明烏」を中途でやめさせるのも本意でなかった。
 お艶ちゃん。
 お艶ちゃんてば。
 心の中で女の名を呼びながら小助六は、涙をいっぱいたたえて棒立ちになったまま、ふるえていた。





底本:「圓太郎馬車 正岡容寄席小説集」河出文庫、河出書房新社
   2007(平成19)年8月20日初版発行
底本の親本:「寄席」三杏書院
   1942(昭和17)年9月刊
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「ヘッ」と「へッ」の混在は、底本通りです。
入力:門田裕志
校正:酒井和郎
2016年3月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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