小説 圓朝

正岡容






 夕月淡く柳がくれの招き行燈あんどに飛ぶとり落とす三遊亭圓朝が一枚看板、八丁荒しの大御所とて、いずくんぞ沙弥しゃみより長老たり得べけむや。あわれ年少未熟の日の、八十八さか九十九折つづらおれ、木の根岩角いわかど躓き倒れ、傷つきてはまたち上がり、ち上がりてはまた傷つき、まずたゆまず泣血辛酸きゅうけつしんさん、かくして玉の緒も絶え絶えに、出世の大本城へは辿り着きしものなるべし。即ち作者は圓朝若き日のそが悶々の姿をば、いささか写し出さむと試みたりけり。拙筆、果たしてよくその大任を為しおわせたるや否や。看官みるひと、深く咎め給わざらむことを。
梨の花青し 圓朝の墓どころ
(昭和癸未睦月下浣[#改行]於 巣鴨烟花街龍安居)   作者
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第一話 初一念
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     一



「……」
 クリッとした利巧そうな目で小圓太の次郎吉は、はなだいろに暮れようとしている十一月の夕空の一角を悲し気に見つめていた。
「……」
 目の上一杯にひろがっている夕空がみるみる言葉どおりの釣瓶つるべ落としに暮れいろを深めそめ、ヒューヒュー音立ててそこら堆い萩の枯葉を動かしてはしきりと次郎吉の身体全体を吹き抜けていく夕風も、はや夜風といいたいほどの肌寒さを加えてきていたが、懐手ふところでをしたまんまその目を動かせようともしなかった。まるで凝結したように佇んでいた。
「……」
 だしぬけに向こうの上野の御山の方から、北へ北へと鳴きつれてゆく薄墨いろの雁の列があったが、一瞬チラと目をくれただけで次郎吉は、※(歌記号、1-3-28)あとの雁が先になったらこうがい取らしょ……、小さいときから大好きなこの唄を誦もうともしなかった。
「……」
 いっそう目は雁の列とは反対の上野の御山のその先のほうへ、ジッと、ジィーッと注がれていったその辺りいっときは夕闇が濃く、広小路辺りの繁昌だろう、赤ちゃけた燈火の反射がボーッと人恋しく夜空へ映って流れていた。
「……」
 ためつ、すがめつ。そういった感じで次郎吉は、その明るみを見つめていた。なつかしくてなつかしくてたまらない風情だった。
「……」
 夜目にもだんだんその目が曇ってきた。フーッと深い溜息を吐いた。そうしていった。
「……あの赤く見える下に寄席があるんだ、吹抜亭が……」
 銭湯の柘榴口ざくろぐちのような構えをした吹抜亭の表作りがなつかしく目に見えてきた。愛嬌のある円顔をテラテラ百目蝋燭の灯に光らせて、性急せっかちそうに歌っている父橘家圓太郎の高座姿がアリアリと目に見えてきた、いや、下座げざのおたつ婆さんの凜と張りのある三味線の音締ねじめまでをそのときハッキリと次郎吉は耳に聴いた。
「出てえ……やっぱりおいら、寄席へ出て落語家はなしかがやっててえ」
 何ともいえない郷愁に似たものがヒシヒシ十重二十重とえはたえに自分の心の周りを取り巻いてきた。ポトリ涙が目のふちに光った。
 と、見る間にあとからあとから大粒の涙はポトポトポトポト溢れてきた。
 頬へ、すじして光って流れた。
「……俺、俺……」
 とうとう次郎吉は洗いざらしたつんつるてん紺絣こんがすりの袖を目へ押し当てて、ヒイヒイヒイヒイ泣きじゃくりだした。
 ……そのころ日暮らしの里と呼ばれた日暮里はずれ、南泉寺という古寺の庭。
 次郎吉は始めにもいったよう、芸名、小圓太。
 音曲噺おんぎょくばなしの上手、橘家圓太郎の忰として七つの年に初高座の、それから十四の今年まで、しょせんが好きで遊び半分の出たり出なかったりの勝手勤めではあったけれど、とにかく、正味五年にはなる高座暮らしをしてきたのだった。
 それがなんと晴天の霹靂へきれき
 二、三日前、急に高座から引き摺り下ろされて、繁華な湯島切通しの自宅から場末も場末、こんな狐狸の棲む日暮里の南泉寺なんて荒寺の小僧にされてしまったのだ。
 この寺の役僧をしている腹違いの兄玄正が闇雲に反対して芸人を止めさせ、自分の手許へ引き取ってきてしまったからだった。
 もちろん次郎吉の小圓太はいやだといった、槍ひと筋の家に生い立ちながら好んで落語家の仲間へ身を投じた父の圓太郎も決して廃めさせたがらなかった、むしろ本人が好きな道ならましぐらにその道をこそ歩かせたがった。
 が、夫圓太郎の寄席芸人となったことすらいやでいやでたまらなかった女房のおすみは、何といっても聞かなかった。青戸の在の左官の妹でありながらおすみは、圓太郎とは比べものにも何にもならないほど凜とした気質きだてのおんなだった。ここぞとばかり玄正の説に賛成して、次郎吉の小圓太を廃めさせようとかかった。
 そのころの芸人の常とはいえ、しょっちゅう道楽をしてはその後始末ばかりさせているおすみの前、何としても圓太郎は頭が上がらなかった。
「道楽者は阿父おとっさん一人でたくさん」
 こうキッパリといわれると一言もなかった。
 それには自分と一緒になる前、おすみが深川のほうの糸屋へかたずいていて生んだ子の玄正にも、いい年をしててんで圓太郎は口が利けなかった。全体どこにも武家出らしいところのない、それ故にこそ、またかくも音曲師として世間から迎えられてしまったのだろう圓太郎は、武家とか出家とかそうした堅苦しい商売の者との応待が、この世の中で一番苦手だった。町役人という名のあるだけに、家主と口を利くのも窮屈千万でならなかった。従って仮にも義理の親子であるのに、いつも玄正とさしで話すたんび、店賃たなちんの借りのある大屋さんの前へ出た熊さん八さんでもあるかのよう、わけもなく圓太郎は玄正に対し、ヘイコラしてしまうのが常だった。
 さて今度その二人から膝詰で、小圓太の次郎吉を高座から退かせろと談じ付けられたのだった。
 ウンもスーもなかった、世にもだらしなく呆気なくものの見事に承諾するのやむなきに至らされてしまって、即ち次郎吉はその日のうちに落語家を廃めさせられ、この日暮里南泉寺の兄玄正の手許へと連れてこられてしまったのだったが……。
「……つまんねえなあ俺」
 もうとっぷりと暮れつくしてしまったそこら中を、やっと涙の顔を上げて見廻すと、世にも悲し気に呟いた。
 見れば、暗い本堂のほうには微かに寒々とした燈火ともしびのいろが動いている。それが破れ障子へ、ションボリ狐いろの光りを投げかけている。
 ……いまのいま瞼に浮かんだ父圓太郎の頬照らす吹抜亭の高座の灯のいろとは似ても似つかぬ侘びしさだった。
 ボーン……ボーン……。
 どこか、ほかのお寺からだろう、梵鐘の音が闇を慄わして伝わってきた。いおうならこの鐘の音いろも、芝居噺のせりふのとき新内流しの合方にまじって楽屋で鳴らされる銅鑼の音とは比べものにもならないほど野暮でつまらなかった。第一、いってみればそこには活きた人間の情や心持というものを滲ませている何物もなかった。てんで次郎吉には必要のなさ過ぎる冷静で峻厳な世界の「音」ばかり「声」ばかりだった。
「……けッ……」
 ただ「けッ」とのみいいたかった、ほんとうにいま次郎吉は。


     二

 いつ迄、暗闇の中に愚図々々してもいられないので渋々庫裏のほうへ取ってかえすと、ちょうど庭下駄を突っかけて義兄あにの玄正が自分を探しにでようとしているところだった。薄ら明りの中に半面影隈かげやま取られて冷たく浮き出している尖った義兄の顔は、自分たちとは全く世界を異にしている人々だけの持つ厳しさだった。毎度々々のことながら取っ付けないものをそこに感じた。
「和尚様御食事じゃ。サ、早う給仕」
 そう冷淡に(と次郎吉にはおもわれた)いい捨てて踵を返すと、侘びしい灯の流れているほうへ、真黒い衣を鋭くひるがえしながらとつかはと消えていってしまった。
 時分時だというけれど、自分たちの住んでいた町家まちやのようにおつゆの匂いひとつただよってくるでもない。それも次郎吉には侘びしかった。
 急いで和尚様のお居間へ入っていくと、もう誰かが運んできたのだろう、つつましくふた品ほどのおかずをのせた渋いろの塗膳を前に、角張った顔を貧血させて和尚様は、キチンと手を膝の上に、控えておられた。
「あいすみませんおそくなりまして……」
 ちっとも小坊主らしくない軽いちょくな調子でいいながら、ピョコッと次郎吉はお辞儀した。
「……」
 黙って和尚様はところどころヒビの入っている大きなお茶碗をヌイと差し出された。
 ……少しずつよそってそれを長い長いことかかって三杯。でもその三杯のすむ長い間、何ひと言和尚様は語りだされるでもなかった。すべてはただ黙々とした中に終始された。ほろ酔で阿父さんが木やりくずしか何か歌いだす我家の食膳が、そこに満ち漲る愉しい温い雰囲気がつくづくと次郎吉は恋しかった。しらぬ他国にいる寂しさにしんしんと身内の冷え返ることを感じた。
 やっとお食事がおわると、
(もう片づけて)
 という風に目で前のお膳を指された。
 待っていましたとばかり、ピョコッとまたお辞儀をして立ち上がると、次郎吉は立ちのまま両手でお膳を持ってさっさと引き下がってきてしまった。
 それからやっと自分たちの食事になった。
 こちらは濛々と大きなお鍋から湯気が立って、傍目はためにはひどく美味しそうだったが、取柄といえば温いばかり。今夜も下らなく仇辛いお雑炊だった。
 お菜はひね沢庵が三切れずつ。
 でも次郎吉を除く皆はフーフー吹きながら、幾杯もお代りをしては啜り込んでいた。幾度かジロリジロリこちらを睨むようにしている義兄の目を感じながらも次郎吉は、どうしてもたべることができなかった。
 二杯――やっとの思いで二杯だけたべた。
 それから火の気のない本堂へ坐って、永いこと皆とお経を誦んだ。
 観自在菩薩、深般若波羅蜜多じんはんにゃはらみった……。
 般若心経だった。霜夜の往来に立ちつくしているようキーンキーンと痛く膝頭を凍らせながら次郎吉も、皆のあとへ従いてそのお経をモグモグ口の中で誦んだ。あまりの寒さが、風花かざはな落ちかかる夜更けの街から街を慄えていく寒念仏の辛い境涯が、そのまましきりにいま自分の上にあてはめて考えられてきた。いつかお経は上の空になった。そのとき皆のお経の声がひとしお耳許でグワッと波打って高まってきて、ポトンと絶えた。おしまいだった。
 そうしてやっと各自が寝間へ引き取るのだった。次郎吉は役僧たちの寝る部屋が一杯だからとて、庫裏の脇の長四畳のようなところへ寝かされた。
 冷たいゴツゴツした夜具蒲団。
 枕許で惨めに一本、燈芯の灯が薄青く揺れていた。
 ……何だろうあの和尚様のお菜ッたら。
 いよいよ募ってきた夜更けの寒さにガタガタ身体中を慄わせながら床の中で次郎吉は、しきりに最前の和尚様の食事のことを情なく思い返していた。
 ふた品ほどの皿の上――ひとつは真黒い粒々でもうひとつは茶っぽいドロッとしたものだった。
 浜納豆に金山寺味噌、たしかにそうと次郎吉は睨んだ。
 どちらも美味しくない、およそ次郎吉の虫の好かないたべものだった。しかもここへきてもう三晩、たいてい毎晩和尚様はあのお菜だった。
 他人事ひとごとながらあんなお菜ばかりたべていなければならない和尚様が気の毒で気の毒で仕方がなかった。
 でも……。
 和尚様よりこの俺たちのお菜ときたら、またもっとひでえや。
 最前の仇辛い雑炊の舌ざわりを、悲しく次郎吉は舌の上へび戻していた。何とも彼ともつきあい切れない味だった。味も素ッ気もないとよくいうけれど、まだそのほうがいい、味のあるだけいっそう情ない代物だった。
 ほんとに何て雑炊なんだろう、ありゃ。
 阿父さんがよく宿酔ふつかよいのとき、深川茶漬といって浅蜊のおじやみたいなものをこしらえ、その上へパラリと浅草海苔をふりかけたのをよくお相伴させて貰った。けれどあれとこれとじゃうんてんばんてんの違いがあらあ。
 ひでえにもひどくねえにも、よく仲間がやる落語に「万金丹まんきんたん」てのがあって、道に迷った江戸っ子二人、山寺へ一夜の宿を借りると、世にも奇妙な味の雑炊をたべさせられる。
 しかもときどき舌へ絡みつくものがあるので、
「何ですこれは」
 と和尚様に訊くと、
「藁だよそれは」
「エ、藁?」
「ウム」
 ニッコリと和尚様は笑って、
「お前その藁をたべるとお腹ン中がよく暖まる」
「壁じゃあるめえし」
 というくすぐりがある。
 何のことはない、その藁入りの雑炊もかくやとばかりのここのお寺の雑炊だ。
 とすると俺たちもおっつけ壁になる口か。
 いや、なるかもしれない。
 ほんとに――ほんとにこんなお寺の生活くらしなんて、しんからしんじつつまらなくって、壁も壁も大壁みたようなものだろう。そうしてこの自分もまた、次第にその大壁の中へ塗りこめられていく一人となるのだろう。
 そう、まさにそれに違いない。
 ……そのように考えたとき次郎吉は、にわかに父圓太郎がよく高座でつかう十七文字がゆくりなくもおもいだされてきた。
 エーエーとあれは、む、む……む……そうだ、「武玉川むたまがわ」だ、たしかそういう発句の本だっけ、その中の句を引事ひきごとにしちゃ、阿父おとっさんこういったんだっけ、
「このしじみ、壁で死ぬとはおもうまい」って。
 あの時分は何の気なしに聞き流していたけれど、今になると思い当るいい句だ、たしかに。
「壁で死ぬとはおもうまい」か。
 その通り、その通り。
 とするとこのおいらはさしずめ蜆か。
 ウム、いかにも俺、っこくて江戸前だから、業平なりひら蜆ってところだろう。
 ……ふッといま次郎吉の心に、青々と水美しくこがれている業平あたりの春景色が、広重えがく江戸名所絵のよう蘇ってきた。
 早春の空あくまで青く、若草萌えている土手の下、そこにもここにも目笊めざる片手の蜆取りの姿が世にも鮮やかに見えてきた。
 臥龍梅から小村井かけて、土手ゆく梅見客も三々五々と目をよぎった。どの男も、どの女もみんな瓢箪を首にかけ、ホンノリ頬を染めていた。
 ……しかもその景色は、こうした寺方の墨一色の世界とは比ぶべくもなく多幸な多彩なこの世ながらの大歓楽境のようおもわれないわけにはゆかなかった。いまの環境がいっそう何とも彼とも取り返しの付かないもののよう、世にもクサクサと考えられてきた。
 ああ俺のような江戸前の生一本の業平蜆が、こんな抹香まっこう臭い荒寺の壁の中で死んでしまうなんて。
 いやだ……いやだ……俺いやだ……いやだったらだ。
 まるで手籠めにでもなるのをはばむもののように床の中で次郎吉は、必死になって身悶えした。バタバタ手足を振り動かした。いつ迄もいつ迄も繰り返した。繰り返してはまた繰り返していた。
 でも……。
 泣き寝入りに寝入ってしまうとよくいうけれどさすがに昼の疲れがでてきたのだろう、やがてグッタリその手足も動かなくなると、間もなくうなされているような荒い鼾をかきはじめた。いやことによると鼾ではなくほんとうに魘されていたのかもしれない。もう消え消えな燈芯の灯の中に浮きだしている次郎吉の額へは、可哀かあいや物の怪にでもかれたかのようにベットリ脂汗が滲みだしてきていた。
 ……。


     三

 翌朝。
 晴れているのに少しも日のさし込んでこないガランとした冷たい本堂の真っ只中に、次郎吉はたったひとり坐らされていた。
 お経文の稽古だった。
 庭先のほうの明るく晴れて見えるだけ、いっそう身の周りの一切が寒々と凍えていた。
「……」
 昨夜みんなのあとへつづいてしどろもどろに誦んだ般若心経を、早く覚え込んでしまわなければならない。
「エヘン」
 誰にともなく咳払いした。そうして目の前のお経文へと目をやった。
「観自……観自……在菩薩」
 読みかけてまた、
「観自……観自……観自観自」
 あとの観自は、ことさらに二つ重ねていった。
 かんじ……かんじ……観自ではなく、かん治。宗十頭巾に十徳じっとく姿、顎鬚あごひげ白い、好々爺こうこうや然とした落語家はなしか仲間のお稽古番、かつらかん治爺さんの姿が、ヒョロヒョロと目の前に見えてきた。
「いけない」
 あわてて次郎吉は、首を振った。俗念を払おうとしたのだった。
「観自在菩薩、深般若波羅蜜多をぎょうずる時、五薀ごうん皆空かいくうなりと照見して……」
 急いでここまで読み下して、素早くさらに次の言葉へと読み移った。
「一切の……一切の苦厄……苦厄……」
 九百九十の寺々に、きのう剃ったも今道心……苦厄という言葉がそのまま九百へ連想を走らせてきた。おととい剃ったも今道心、ただ道心では分り申さぬ、と同時にこんな張りのある訥弁とつべんこわいろが、あとから耳許へ聞こえてきた、木の葉の合方、山嵐や谺の鳴物も聞こえてきた、扇で半面隠して一生懸命声張り上げている小勝こかつ師匠の高座姿さえマザマザとして見えてきたのだった。
 グオーン。
 そのとき遠くの位牌堂のほうへ行く道で、誰かが鐘を鳴らしていった。それすら時にとっての本釣りと聞こえた。
「紀の国屋」
 思わずこういってしまって、ギョッと口を押さえた。あわてて辺りを見廻した。幸い、誰もいなかった。急いで次のお経へかかった。
「一切の苦厄をだしたまう、舎利子、しきくうに異らず、空は色に異らず、色すなわち是れ空、空即ち是れ色、受想行識じゅそうぎょうしきもまた是の如し」
 ここのところはトントンといった。ことさらに連想さそわれるものがなかったからだった。でも、そのあとがまた、続けざまにいけなかった。
「生せず、滅せず、垢つかずきよからず、増さず減らず」
 というところへきて、このごろ世間で時花はやっている阿呆陀羅経のないものづくしの真似をする蝶丸爺さんのあざらしのような顔を次郎吉は思いだした。危うく「坊主にかんざしさし場がない、畑に蛤掘ってもない」と傍らの小木魚叩いて歌いだしてしまうところだった。
真耳鼻舌身意けんにびぜつしんいも無く、色馨香味触法しきしょうこうみそくほうも無く、眼界げんかいも無く、乃至ないし、意識界も無く、無明むみょうも無く、また無明の尽くることもなく……」
 いけない、いよいよないものづくし、だ。
乃至ないし老死ろうしも無く、また老死の尽くることも無く、苦集滅道くしゅうめつどうもなく、智も無く、またとくも無し、所得無きを以ての故に」
 どうしてこう逆らってちょぼくれ仕立になってくるんだろう。このお経の文句はますます、小木魚が叩きたいよ。
「……菩提薩※(「土へん+垂」、第3水準1-15-51)ぼだいさった、般若波羅蜜多に依るが故に、しん※(「罘」の「不」に代えて「圭」、第4水準2-84-77)けげ無し、※(「罘」の「不」に代えて「圭」、第4水準2-84-77)礙無きが故に、恐怖くふ有ること無し」
 うわーッ、な、何てだだら長いないものづくしだ。音を上げて次郎吉は経文を伏せてしまった。妄念を払うがごとく、欄間を見た。
 張りめぐらされている赤地錦へ、蜿々として金龍が一匹わだかまり、それが朝風におののいていた。
「……」
 その唐風の暖簾のれんのようなものの一番端に、吹抜亭さんへ、ひいきより――という文字を、アリアリと幻に見た。
「いけない」
 ハッと次郎吉は眼を閉じた。
 やがて、ひらいた。
 目を逸らすように天井を見た。
 貧乏寺でもさすがにこればかりは金色こんじき燦爛さんらんとした天蓋が、大藤の花の垂るるがごとく咲き垂れていた。
 その天蓋に、今度は高座の上から吊されているあの八間はちけんの灯を感じた。
 いけない。
 またまた次郎吉はしばらく目を閉じた。
 そして、ひらいた。
 慈愛をめている正面の阿弥陀さまのお姿が、その左右のあかあかと燃えている大蝋燭が、次郎吉のようなお寺嫌いのものにも目に入ってきた。
「観自在菩薩、深般若波羅蜜多……」
 ここぞとお経文に頼ろうとした。
 ……が甲斐なかった、二本の大蝋燭はたちまち高座のそれにそっくり見え、もったいないが鎮座まします阿弥陀さまは、親父の圓太郎が師匠の二代目三遊亭圓生の身振りうれしき芝居噺の画面の姿を髣髴ほうふつと目に躍らした。親玉ァとさえ、また叫びたかった。
「なんまいだぶなんまいだぶなんまいだぶなんまいだぶなんまいだぶ」
 あまりのことに自分が情なくなってきて次郎吉は、急にカラリと明るい調子でお念仏を唱えだした。あとからあとから尽くるところなく唱えだしたのだった。
「……」
 たまたま廊下を、義兄玄正が通り合わせた。
 覚えろといった般若心経ではないけれど、心を空の念仏三昧。ではやっと落語家たることをあきらめてくれたか。
 秋の霜のような烈しい顔をそっと綻ばして喜ばしさに通りもやれず玄正は、そのまま廊下に立ち停まって耳傾けていた。
「なんまいだなんまいだなんまいだなんまいだなんまいだなんまいだなんまいだなんまいだなんまいだなんまいだ」
 明るいお念仏の声は、いつ迄もいつ迄もつづいた。果てしなくつづいていった。
 とおもううち、
「……おい婆さん、飯が焦げるよなんまいだぶなんまいだぶなんまいだぶ」
 いきなり次郎吉は爺臭い声をだして、
「おい誰だい赤ん坊を泣かすのは……うるさくっていけねえ、気を付けろよなんまいだぶなんまいだぶなんまいだぶ、アオーイ鰌屋どじょうや、いくらだ一升、ウ、たけえ高え負けろ、もう二文負けろィ、あれ因業いんごうだな、ヤイ負けねえとぶンなぐるぞ、ア負けたか感心なんまいだぶなんまいだぶ、オイ婆さん、早く笊を出してやんな、なんまいだぶなんまいだぶなんまいだぶ、何、因業な割には安い鰌屋だって、ウ、そいつァよかった、じゃすぐお味噌汁みおつけの中へ入れちまいねえ、なんまいだぶなんまいだぶなんまいだぶなんまいだぶ、どうだ入れたか皆、なんまいだぶなんまいだぶどんな具合だよ鰌は、なんまいだぶなんまいだぶ、鰌、皆白い腹だして死んじまったって、ざまァ見やがれ、なんまいだぶなんまいだぶ……って。これじゃ何にもなりやしません」
 ここまでトントンとひと呼吸に喋ってきて始めてホッと我に返ったように、
「ヘイお馴染の小言念仏、ちょうどおあとがよろし……」
 いいながら何気なく見た廊下には、
「ア!」
 さながら入道雲のよう渋面つくった義兄玄正がニュニューッと一杯に立ちはだかっていた。
「い、い、いけ……」
 このまま心臓の鼓動が止まってしまうかとばかり次郎吉はおどろいた。目を白黒した。口をモグモグした。法返しが付かないてのはこのことだろう、自分で自分のからだのどこに何がどうあるか分らないほどだった。夢中でいたり立ったり坐ったりしていたが、やっぱりいつ迄もいつ迄もジーッと立ちはだかったまま睨み付けている義兄の手前何ともかたちがつかなくなると、てれかくしにまた取って付けたような声音こわねで、
「観自……観自……観自在菩薩」
「い、いい加減にしろ」
 堪り兼ねて玄正が、ピューッと握り拳固めて、荒々しく飛び込んできた。その握り拳が、次郎吉には大きいとも何とも畳半畳敷くらいに見えた。
「ご、ごめんなさい」
 まだ撲られないうちに次郎吉は目を廻していた。


     四

 その日のうちにかえされて、それから四、五日家にいると、今度は根津のほうの石屋へ奉公にやられた。
 これは親方も江戸っ子なら、お神さんはすぐ近所の根津の中店ちゅうみせにいた人だとかで、家中物分りがよかった。やはり江戸っ子で深川の生まれとか人の好さそうな兄弟子が一人いた。
 お寺よりかいい。
 きた当座、心から次郎吉はそうおもった。
 御主人夫婦の鉄火だったこともかえって自分には親しめたし、お菜もたとい塩鮭半分でも壁になりそうなお雑炊のことをおもえば、千両だった。
 つい七日い、十日いた。
「次郎吉。歳暮に廻ってくる、俺とおッかあと手分けして」
 しぐれそうな日の午後、他所行よそゆきに着替えた御主人がにこやかにいった。後にお神さんも一帳羅を着てめかしていた。
「秀は秀で石燈籠のことで万定さんへいま伺わせるからお前、ひとりで留守番をしてな、いいか」
「ヘイ」
 コクリと次郎吉は肯いた。秀とは、兄弟子のことだった。これも早いところ仕度をして、番傘片手に裏口のほうからでてきて待っていた。
「じゃ頼んだぜ、店を」
「お願いするよ」
「じゃオイ、いって」
 主人夫婦と兄弟子とは店をでるとすぐ三方へ、ばらばらに別れていってしまった。
 あぐねたような曇り日のもと、次第に三人の姿のそれぞれにそれぞれの方角で小さくなってゆくおもての景色を、ボンヤリ上りかまちへ腰を掛けて次郎吉は見送っていた。どこか遠くから景勝かんかち団子の太鼓の音が聞こえてきて、すぐやんでしまった。
 そうだ。ひとつこの間に稽古してみよう。
 親方から石の刻み方のいろはのいの字を、昨日、教わり立てのホヤホヤだった。
 冷え冷えとした匂いのする店の間へきて小さな槌を取り上げると次郎吉は、土間にころがっている手ごろな石の破片かけらを膝に、カチカチカチンとでたらめに刻みだした。もちろん、おもうようにはゆくわけがない、自分でこれが自分の手かと疑えるほどまるでいうことをきかなかった。そういっても下らなくなるほど、槌握った手が不器用にひとつところばかりをどうどうめぐりしていた。
 カチカチカチン。
 カチカチカチカチン。
 でもしばらく繰り返してやっているうち、だんだんその槌打つ拍子にある種の調子が加わりだした。
 カチ、カカカカ、カチン。
 カ、カ、カ、カチン。
 カチカチカチカチン……。
 しかも、それは何か、どこかでたしかにいくたびか聞いたことのある、節面白い調子だった。
 カ、カ、カ、カ、カチン。
 カチカチカチンチン……ときた。
 さらに何べんも繰り返しているうち、
 ア、アー、そうか――
 はじめて次郎吉は肯いた。破顔一笑せずにはいられなかった。
 広小路の本牧亭ほんもくていや神田の小柳や今川橋の染川で、親爺に連れていって貰って聴いたことのある講釈師の修羅場ひらば。そのヒラバの張扇はりおうぎの入れ方だったっけ、今この自分の槌の入れようは。
 いいなあヒラバ、勇ましくって。
 思わずゴクリと生唾を飲み干すと次郎吉は、表に人通りのないのを幸いに、改めて小声で石の空板を叩きはじめた。
 カチン――まずがいがい、ひとつ叩いた、こう講釈師らしく胸を反らして。
「さてもその日の謙信は……」
 やがて滔々とうとうと読みはじめた。大好きな「川中島合戦」の一節だった。元よりうろおぼえの口から出任せではあったけれど。
 カチン、カチン。
「……紺糸龍胴の鎧、白木綿に梵字を認めたる行者衣を鎧の上に投げかけられ、三尺の青竹を手元をすぐに切り……」
 カチカチカチン。
尖頭さき斜に削ぎて采配の代りに持たれ、天下開けて、十九刎の兜の内に行者頭巾に鉢銑はちがね入ったるをこうべに頂き……」
 カチリ、カチカチン。
「……越後国頸城けいせい郡林泉寺村真日山林泉寺に馬頭観音と祭られたる法性月毛の十寸六寸ときろくすんにあまる名馬に打ち跨り……」
 カチカチカチカチン。
 一段と声張り上げて、
黒鞣革くろなめしがわの手綱を山形に通して後方に廻して鎧の上帯に結びつけ、しずしずと乗り出したり……」
 カカカカカカカチン。
 いつか石の稽古なんかそっちのけに、ここを先途せんどと暁闇の川中島さして上杉謙信入道を、堂々と進軍させていた。声ももう小声ではなく、いつしか仕事場の低い天井へ破れるような大音になっていた。
 ……しかも両軍の戦いがたけなわとなると、修羅場読む次郎吉の声もいよいよ大きく、汗ばむほどに握りしめた手の槌は前後左右へ乱れ飛んだり矣。
 カチカチカチカチカカチカチ。
「謙信タタタタと馬を二十間あまり乗り下げて置き、再び馬に勢いつけて」
 カチン、カチリカチカチ。
「パッパッパと進み寄り、長光の太刀にてエイとばかりに切ってかかる」
 カチ、カチャン。
「心得たりと武田左典廐信繁、これを受け止めた、また馬を乗り下げた謙信が馬勢を付けて進みきたりヤッ、ヤッ、ヤーッ」
 カチャカチャ、カチャーン。
 とたんにハッキリ手応えあってゲソッと何かの剥がれ落ちるような音響おとがした。とたんにツツツツ薄白いものが目の前をよぎって、ブスッと地べたへもろにささった。
「……何だろう……」
 何気なく振り返ってみて、
「……」
 あまりの驚きで声がでなかった。自分で自分の顔の血の、サーッといっぺんに引いていくことが分った。
 ト、とんでもないことをしてしまった。
 いまのいまも兄弟子の秀どんがでかけていった明神の万定さん。そこの大切な御註文で、石燈籠といっしょにお届けしなければならない石の狐の片耳を、なんと落っことしてしまったのだ。
「……」
 親方は昨夜夜明かしでこいつを彫り上げ、大そう出来がよかったといって上機嫌で最前お歳暮にでていったものを。本能的に地べたへささったその耳を取り上げ、泥を払って元の狐の耳のところへくっつけてみたが、くっつこうはずもなかった。
 すぐまたポロリと落ちて元の土の上へ。術もなく傷ついた青白い耳はころがってしまった。
「とんだ……とんだことに……」
 恐らくその狐の耳のいろの何十倍も青白くなっていたろう、あるいは紙のように白く白くなり果ててしまっていたかもしれない顔を力なく上げると次郎吉は、未練らしく、もういっぺんまたその狐の片耳を手に取り上げた。そうして無意味に手の中であっちへやったり、こっちへやったりしていた。
 どうしよう。
 ああ、どうしよう。
 でも、今更どう足掻いたとてもがいたとて、しょせんがどういい知恵がでるでもなかった。
 おもえばおもうほど、考えれば考えるほど、ゆく手が真暗闇になってしまった。しかもあとからあとから目の前にひろがってくる不安の常闇はまるでとこしなへの日蝕皆既のよう絶えずいや増してゆくばかりだった、まるで烏賊いかの吹きいだすあの墨のように。
 仕方がねえもうこりゃ、どうにもこうにも……。
 いいながらもまだ涙をいっぱい溜めた目で、力なく手の中の狐の耳を抱きしめていたが、
「堪忍しとくんなさい親方、お神さん……」
 誰もいない奥のほうヘシッカリ両手を合わせると、
「ねえ、ねえ、ごめんなさいほんとに」
 心からまたもういっぺんこういって、そのまんまプーイと表へ。後をも見ずに逃げだしてしまった。
 そのあと空しく薄暗い土間へ放りだされている石の狐の耳ひとつ。
 ……表はいつか数え日の暮れがたの暗い氷雨が音立ててさびしくふりだしていた。

 その晩おそく石屋から火の玉のようになって談じ込まれた湯島の家では、圓太郎夫婦が平あやまりにあやまったのち、圓太郎がお座敷三つ分稼いだおあしを五、六日して先方へ届け、やっと勘弁して貰った。
「仕様がねえおたんこ茄子だ」
 忌々しそうに圓太郎は呟いた。だからいっそのこと芸人にしちまえば……とつい口まで出かかってくるのを、危うく圓太郎は耐えていた。
 あくる年の二月、今度は池の端仲町の山城屋という両替屋へ奉公にやられた。
 いろいろさまざまのお金の山の中へ身を置かれて、お金の誘惑はプツリともなかったが、はしたなお鳥目の誘惑の方はしきりだった。といって何も持ちだして買い食いをしようの、悪遊びをしようのというのじゃない。今年十二になる坊っちゃんの書きかけて止めにしてしまった手習草紙があるとすぐそれをもらっては四つに切った。また八つに切った。その紙の中へお店の小銭を適当に掴みだすと、手際よくクルクルと包んではすぐ封じ目を糊で貼った。
 そしてその上へ、下座さんと書いた。
 圓之助様と書くのもあった。
 橘太郎様と書くのもいた。
 圓八様ともまた書いた。
 さらに勇八様と、圓助様と――みんな落語家時代の同じ楽屋の人たちの芸名だった。
 また小圓太様と自分で自分の芸名を書いたものもあった。ほかの人たちのより少し余分のおあしが包まれていた、自分のほうが弟弟子なのに。
 一番大きく重い紙包みには、圓太郎御師様と特別に筆太に書かれてあった。即ち、自分の父親の分だった。
 くどくもいうとおり次郎吉、決してこれらのおあしをいちいち自分のものにしようのどうしようというのじゃなかったが、ただ、青黒くくすんだお銭を見ると、本能的に小さな紙包みをこしらえてはお銭を包み、その上へ連中の名前があれこれと書きたくなるのだった。
 何人分かのを残らず書き上げるともうそれですっかり気がすんでしまう次郎吉は、ことごとくそれらを元の帳場格子の中の銭箱へと放り込んで顧みなかった。
 毎晩々々こんなことがつづいた。
 十何日目かには金箱の中いっぱい、それぞれの名をしたためた落語家の給金包み――即ちおわりで盛り上がってしまっていた。
「な、何だい、こりゃ」
 急に小銭の入用があって開けてみた大番頭さんが、アッと吃驚びっくりした。
 両替屋稼業が店中の小銭を片ッ端から紙片へ包まれてしまっては始末にわるい、いわんやその上にビラ字まがいで落語家の名がひとつひとつ記されているにおいておや。
「次郎吉の仕業だろう、何だってこんな下らないものをこさえるんだ」
 さんざん小っぴどく叱られて恐れ入り、どうやらその晩だけは許されたが、また二、三日して小銭の出し入れを見ていると酒好きが酒屋の前を通ったようにまた次郎吉は、心のどこかがしきりにむず痒くなってきた。しらずしらずにまたお草紙のお古を小さく切り、しらずしらずにまたその中へお銭を包み、しらずしらずにまた落語家の名前を書き、しらずしらずにまたその中の一番重いのへ父圓太郎の名をその次の少し重いのへ自分の芸名を書いては、パタンと金箱の中へ放り込んではしまうことが仕方がなかった。
 そのたびみつかっては叱られ、またみつかってはまた叱られ、こうしたことが七日ひとまわりほどのうちに三度も重なっただろうか、とうとうある日、父親の圓太郎が呼びつけられた。
「エーあの、何ともはや御勘弁を。忰めがあのどんな不都合を働きましたんでござんしょうか。ヘイ、ヘイ、申し訳ござんせんまことに」
 もう花もほころびようぽかぽかとした午前、性急せっかちで汗っかきの圓太郎は丸顔いっぱいの汗をしきりにこぼれ松葉の手拭で拭きながら、薄暗い山城屋の店先へ腰を下ろした、心の中ではヤレヤレ野郎また何か仕出かしやがったなと店先にちょこなんとかしこまっている次郎吉のほうをチラチラ情なく見やりながら。
「見ておくれ、これ」
 苦り切って糸瓜へちまほど長い黒い顔をした大番頭さんが、金箱のへりへ手を掛け少し傾けるようにして中を見せた。
 表の反射で薄明るい金箱の中にはいくつもいくつも何か字の書いてある黒く汚れた紙包みが押し合い、へし合っていた。
「な、何でござんしょう、それ」
 せないもののように圓太郎は丸々とした頸をかしげた。
「お前さんがたのほうのお給金、ワリとか何とかいうんだそうだね、その給金わりなのだこれ、この人がこしらえた……」
「ゲッ」
 急にサーッと圓太郎顔いろを変えたかとおもうと、
「ト、とんでもねえ。……じゃじゃ番頭ばんつさん、コ、この餓鬼ァお店のお宝を給金にして、ダ、誰かあっしどもの仲間にでも運んでやってたんで」
 いいながらツツーと猿臂えんぴを伸ばしてちぢかまっている次郎吉の首根っ子をあわや掴まえようとした。
「ま、待った、師匠」
 あわてて番頭、遮ると、
「待って……まあ待ってったら圓太郎さん」
「う、うっちゃっといておくんなせえ、いいえこんな……こんな盗人ぬすっと野郎。そ、そこの不忍の池へ叩ッ込んで、む、むじなの餌食にでもしてやらなきゃ」
「いい加減におし圓太郎さんてば」
 今度はあやうくふきだしそうにさえなりながら番頭、
しと……。不忍の池の中に貉がいるかえ」
「ア、ちげえねえ、狸だ」
「狸もいないよ水ン中にゃ」
「じゃ何でしょう」
「私に訊く奴がありますかえ」
 呆れ返って、
「いおうならお前さんそれもかわうそだろう」
「ウ、それだ、ソ、その獺の餌食にしなけりゃ、こ、このあっしの……胸が、胸が……」
 またもや次郎吉のほうへのしかかっていこうとする腕へ、ぶら下がるようにつかまって、
「いやだてばそう早合点をしちまっちゃ、お前さん。いいえ……いいえさ、何もそんな大それた、この子がお店のおあしへ手をかけたっていうのじゃない」
「だ、だって現に……現にこの通り番頭ばんつさん」
「だからさ、ねえ、だから話はおしまいまで聞いて貰わなけりゃ。いいえ、くどくもいうとおりこの子は決してうちのお宝を泥棒をしたんでも何でもない、ただ寄るとたかるとお店のお銭を、お給金わりかい、つまりそのお給金わりの形にこしらえちまっちゃ喜んでるんだ。金箱を開けてみるとあるったけのお銭がみんな紙に包んでお給金わりになってる。それじゃお前さん、お客様がお見えになってイザ御両替っていうとき、いちいち紙を破いたり何かと手がかかってしまって仕方がない。何べん叱っても叱ってもまたやってしまうんだ。だからそんなお前さん、手のかかる子供を私のところじゃ、とてもお預りしてはとこう……」
「……」
 話の途中からだんだん柔和な顔付きを取り戻していっていた圓太郎が、やがてはそもそも嬉し可笑しそうにゲラゲラゲラゲラ笑いだすと、
「エ、そ、そいじゃ……こ、こいつがお店のお銭をしょっちゅうお給金わりにこしらえちゃ、ただ楽しんでいるってこういうわけなんで。じゃ、つまりるんでもない、ただこうこしれえちゃ楽しんでるだけ……こいつァ、こいつァ……」
 大きなお腹を両手で押さえるようにして、
「フッハッハッハ、こいつァいいや」
「いやだな。この人は。お前さんがそうそこで喜んでしまっちゃ」
 困ったように番頭はいったが、
「だって……だって、いい話ですよこいつァ、番頭さん。さすがに……さすがに次郎公はあっしの忰だ。ウム、いい、じつにいい話だ」
「ちっともいい話じゃありゃしない」
 いよいよ番頭困ってしまって、
「見ておくんなさい、何しろその悪戯いたずらを」
 再び金箱を傾けるようにして突き付けると、未だ満面にえみをたたえながら圓太郎、器用にこしらえられている給金わりの包みを手に取って、ひとつひとつ感心したように眺めていたが、やがてズーッと自分の前の畳の上へ並べてみて尚もしきりに眺め廻しているうち、にわかに何か不審でならないもののようにキョトンとした目をパチパチしだした、とおもううち大発見でもしたかのようにやがてその目はサッと喜びにかがやきだした、ばかりかしばらく大きな掌の上へのせて重みを計っていた「圓太郎御師様」と書いた分と「小圓太様」と書いた分とを世にも恭しく押し頂いて、
「偉い!」
 吃驚するような大きな声でこういうと、
「ウーム、うそにもせよ俺の分と手前の分だけ他の人よりいい給金わりをこしらえやがるなんて、ああ人間はこういきてえ。偉え、次郎公偉え偉え、たしかに偉えぞ、オーイ番頭ばんつさん」
 しゃくるようにすぐ目の前の黒い長い顔を見上げて、
「ねえ、もし、うちの次郎公は不都合どころか、日本一の親孝行者ですぜ」
 ……そうものが分らなくなっちゃ始末がわるい。とうとう今度は番頭がキュッと両手でお腹をかかえて、転げるようにいつ迄もいつ迄も笑いだした。同時に最前から我慢していた中番頭も手代も小僧たちも、果ては次郎吉までがいっしょになってゲラゲラゲラゲラ笑いだした。
 早いお花見の目鬘めかずらを売る爺さんが一人、不思議そうに店の中を覗き込みながら通り過ぎていった。

 今度こそ圓太郎は次郎吉を元の小圓太にさせてやりたくてならなかったが、やっぱり手厳しく女房に反対された。玄正の反対もまた絶対だった。
 拠所よんどころなく西黒門町の青物屋八百春へ奉公にだしてやった。
 二日……三日……四日。
 何事もなかった。
 五日目の夕方になると、だしぬけに寝た間も忘れない寄席の一番太鼓がドロドロドロンとすぐ八百春の後のほうで鳴りはじめた。つづいて大太鼓小太鼓入りみだれて賑やかに二番太鼓がはやされてきた。
「親方あれは」
 慈姑くわいの泥を洗っていた手をやめて次郎吉は訊ねた。
「ウム。裏の牡丹亭って貸席だ。ときどき三日か五日、チャチな寄席に早替りする。今夜は何か素人の落語家がかかるらしい」
 神棚へお燈明を上げていた親方が後向きのまんま、いった。そういううちも、丁目の三味線太鼓早間はやまに賑々しく地囃子が、水銀みずがねいろをした暮春の夕闇をかき乱すように聞こえてくる。
「……」
 呼吸を奪われてしまいそうな物恋しさだった。物悲しさだった、甘い寄りどころない遣瀬やるせなさでもまたあった。烈しくそれは次郎吉の五体を揺ってきた。否、五体の隅々果て果てまでを、切なく悩ましく揺り動かしてきた。極度のやる方なさにさいなまれながら、しかも一面そこには不思議と恍惚たる快感が伴われていた。泣きじゃくりながら、シッカリ抱擁し合っている恋びと同士――それにも似ているかもしれなかった、あたかもこのいまの心持は。
 絶えて久しい心のふるさと寄席への郷愁――全身全魂が、まるで南蛮渡りの秘薬の匂いでも嗅がされたよう、うれしく、悲しく、ただぼんやりと憑かれたようにしびれてきてしまっていた。
「……」
 ボーッと夢見心地に包まれながら次郎吉は、そのままフラフラフラフラ薄闇の彼方へ迷いでていった。夢中で黒塀について曲った。
「シャーイ……シャーイ……」
 赤と青と提灯の灯が揺れ、つたない字で天狗連らしいちぐはぐな落語家の名前が、汚れたいおり看板の中にでかでかと書かれてあった。まだお客は一人もつっかけていないらしかった。
 でも提灯の灯も庵の中の芸人の名前も何にも次郎吉には見えなかった。ただシャーイシャーイというあの聞き馴れた声ばかりが大きくなつかしく聞こえてきた。恋びとの声にも似て、それはキューッと胸許を嬉しく苦しく掻きみだし、また締めつけてきた。
「……」
 黙ってスーッと入っていった。そのまんま正面にひろがっている大きな段梯子をカタカタ上がっていこうとした。
「オ、オイあんちゃん下駄々々、下駄ッたら、困るよあんちゃん、そんな下駄のまんまで上がられちゃ」
 背中からけたたましい下足番の声が追い駈けてきた。
「……」
 やっぱり黙ったまんま後戻りして黙って下駄をぬいだ。そのまんま黙って上がっていこうとした。
「オ、オイ木戸銭々々々」
 またけたたましい下足番の声が追い駈けてきた。
「……」
 三たび黙って後戻りすると、シッカリ両手に掴んでいたものを、ポンと下足番の前へ突き出してひらいた。
 コロコロコロ。
 異様な青黄いものがたちまち土間へころがった。
 慈姑だった。最前の。

 今度かえってくるようだったら、もう阿母さんはお前を家へ置きません、いいえ阿父さんが何とおっしゃっても。頼むからお前辛抱しておくれね。
 泣いて、こう母親に意見されて、その次の日、次郎吉は練塀小路ねりべいこうじの肴屋魚鉄へ奉公にやられた。四十ちかいガチャ鉄と仇名される赤ら顔で大男のそこの主人は、三度の飯より喧嘩が好きで、一日にいっぺん往来で撲り合いをしないとおまんまが美味しくたべられない男だった。左右の腕へ上り龍下り龍の刺青をした見るから喧嘩早そうな見てくれで、どこでも喧嘩をしなかったときは血が騒いでならないとて手鉤を持ってきては商売物の大鮪や大平目の胴体へ、所きらわず滅多やたらにそいつをぶち込んだ。何条もって耐るべき大切の商売物、肉は崩れ、骨は飛び、一瞬にしてめちゃめちゃになってしまうのだったが、こうでもしなけりゃ俺夜っぴて寝られねえものと平気で空嘯そらぶいていた。
 それほどの乱暴な男だったから、二十代の血気盛りの奉公人たちがみんな訳もなくチリチリしていた。そこへ次郎吉は奉公にやられたのだった。選りに選ってここなら大丈夫と、内々、母親が主人の気ッ風を探っておいてよこしたのだろう、さすがに次郎吉も今度ばかりは大人しく辛抱した。いや、せざるを得なかった。目のあたり見るガチャ鉄の蛮勇には歯が立たず、強そうな朋輩たちがでろれん祭文のような鍛えた塩辛声でガチャ鉄から頭ごなしに怒鳴り付けられているのを見ると、いっぺんでピリピリふるえ上がってしまったのだった。
 ……今度ばかりは寄席のことなどおもいだしている暇など許されなかった。黙々と、身を粉にして働いた。ひたすらにただひたすらに牛馬のように働いているよりなかった、朝早あさはやの買出しの手伝いに、店の細々こまごまとした出入りに。
 ひと月……ふた月……いつか祭月がきのうと過ぎ、暦の上の秋が立った。遠く見える明神さまの大銀杏がそろそろ黄いろいものを見せはじめてきた。
「やっとお前さん、次郎吉今度は辛抱したようだよ、いいところへやった、やっぱり親方がやかましいからだねえ。どんなにか玄正も喜ぶだろう、きっと、きっとあの子、今度はものになるよ」
 ある晩嬉しそうにおすみがこういって晩酌のお銚子を取り上げたが、
「ウム……ウム……」
 接穂つぎほなく肯いているばかりの圓太郎だった。口へ運ぶ盃のお酒が苦そうだった。で、一、二杯、口にふくんですぐ下へ置いてしまった。柄にもなく神妙な顔をして寂しくはしごの下の早い※(「虫+車」、第3水準1-91-55)こおろぎに聴き入っていた。

 ……では今度こそ次郎吉は辛抱したのだろうか、母親の喜ぶように。
 否――否――どういたしまして――。
 親方恐しさの、ただジーッと辛抱しているより他に手がなくて、不本意ながら住み付いていたばかりなのだ。そのほかの何がどうあるものだろう。
 日ごろ人情噺や講釈で聴いている侠気いなせな江戸っ子の肴屋気質は随分嬉しいものとして、イザ現実にこういう人にぶつかってみるとやっぱり生粋の芸人暮らしとはてんからくい違うものがあった。講釈で大好きなあの一心太助も実録ではしょせんがこうか、宵越の金持たぬが自慢の江戸っ子の肴屋さんとはいえ、心の奥のまた奥では儲かる、儲からないを大専だいせんとする人たち、つまりいってみればハッキリとした「商人あきんど」だった。
 こちらは元々芸が好きなればこそなった芸人でいい呼吸にその芸がやれ、そこにいるだけのお客様がドーッと喜んでくれたら、その嬉しさは天にも上るもの以上で、あべこべにこっちの懐中ふところからいくらか出してバラまいてやったとて毫末ごうまつも差し支えないというような嬉しい気ッ風が骨身にまで侵み込んでしまっている次郎吉のようなものにとって、この儲かるとか、儲からないとかということは自分にとっては全くあまりにも風馬牛過ぎる「世界」だった。
 その自分にとって血でも肉でも骨でもない「世界」へと、いま次郎吉はしきりと進軍を強いられている。進軍どころかぐんぐん強行軍をつづけられている。
 やがての駄目は、必定だった。
 ただいつの日それがやってくるか、早いか、おそいか、ただ現在のところでは次郎吉はガチャ鉄親方恐しさのみで、セッセと働いているというだけのことだった。
 つまりもうひとついってみれば青い美しい水の中でこそとこしなえに生き永らうべき「自分」という動物を、無理から陸へ引っ張り上げて、ここを先途と働かせている現在だった。
 これはいつか――いつかとんでもないことになる、ならずにはいない。
 ああ俺、いまに鉄親方の手鉤をこの横ッ腹へぶち込まれるかもしれない。
 つくづくその日が恐しかった。その日の景色をおもって次郎吉は、ひたすら自分の心臓を真っ青にしていた。

 さすがに手鉤はぶち込まれなかったが、憂えていた日は思いのほか早くやってきた。心に染まない仕事ばかり、朝に晩に何ヶ月というもの精魂を傾けていたせいか、次郎吉の胸の中にはいつしかラムネの玉のようなしこりができはじめた。そうして一日一日と膨らんでいった。やがてそれが身体全体くらいの大きさにといえば話が嘘になる、宝珠の玉くらいの大きさになって心をグイグイ締め付けてきたのだった。お月見の前の晩あたりからわけの分らない熱がではじめて、ドッと次郎吉は寝込んでしまった。
 枕も上がらない大病。幾日経ってもよくなっていく気配がなかった。ばかりか、だんだん悪くなっていった。
 気荒のガチャ鉄も病人に打ち込む手鉤はなかった。ばかりかたいへん心配してある日、釣台で次郎吉を湯島までかえしてよこした。

「どうしてそうお前は駄目なのじゃ、今度は辛抱してくれるかとおもえばまたこのように……。古えより一人出家をすれば九族天に生ずるというが、その九族に憂いのみ抱かすればのう、少しはお前後生のほども恐しいとは……」
 翌日の午下り、話を聞いて駈けつけてきた玄正は、薄汚れた鼠いろの衣の袖をかき合わせながら秋晴れの天神様の女坂のクッキリと見える明るい裏二階に寝かされている次郎吉の枕許にピタリと坐って太い眉をしかめた。ギロッとした目が愁いを含めて、よほどの高熱なのだろう杏いろに上気している次郎吉の双の頬を、心許なげにみつめていた。天神さまの神楽囃子がのどかにのどかに聞こえてきている。
「……」
 ややしばらく仰向けにジーッと目を閉じたまま義兄の言葉に聞き入っていた次郎吉は、やがてクリッとした両眼を見ひらくと、
「つまらないんでさ。その日その日が私ァつまらなくてつまらなくて仕方がないんでさ。だからこんな病気になんかなっちまうんでさあ」
 悲しく不貞腐れてといおうにはあまりにもキッパリと、
「エエいまだから皆正直にいっちまいますよ、ねえあにさん。ほんとにこればかりはいくら兄さんになぐられても叩かれてもどうにもならないことなんだけれど、この私という人間は好きなことのほか一切何もかもしたくないんでさ。またいくらやったって無駄だとおもうんだ。ねえ、ねえ、あなたもそうおもいませんかね、ほんとに」
 いいながらもさらにまた一段とその決意を深めていくような様子だった。
「……ウーム……」
 あまりにもほんとうの心の底を隠すところなく告げられて、さすがに玄正は一瞬、言句に詰まってしまった。
「……ウーム……」
 もういっぺんまた唸って、
「ではお前……」
 いつになくナンドリと相談するように、
「何になら、なってみたいのだ」
 玄正は訊ねた。
「芸人でさあ、だから」
 待ち兼ねたように次郎吉はいった、何を分り切ったことをといわないばかりに。
「そ、それはいかん」
 あわてて玄正、
「そ、そのほかで……そのほかで何か」
「……ありませんよ」
 低く突ッぱねるようにいった。
「しかし……しかしお前何か……」
「ありません」
「あるだろうしかし」
「……いいえ。ありません……」
「しかしほんとにお前……」
「ないったらないんです」
 問答無益という風に目を閉じてしまったが、やがて目を閉じたままで、
「ヘッ、俺、ほんとに芸のほかにやりたいものがこの世の中にあったりしておたまりこぶしが……」
 そのまんまゴロリと寝返り打つと、反対のほうを向いてしまった。いい知れぬ怨めしさに、危うく涙がこぼれようとしてきた。
「……フーム……」
 ますますほんとうの突き詰めた心のほどを見せられてしまって玄正は、ますます当惑してしまった。
 今までこんなにも自分は、この腹違いの弟がひとすじの強い強い心を内に持っていようとはつゆしらなかった。たかが親父の血を受けたぐうたらべくらいにおもっていた。なればこそ何とかまっとうの道へ引き戻して一人前の人間にしてやろうといろいろ心を砕いていたのだった。
 それが――それが……。
 怠け者でも、半人足でも、片輪でもまた悪人でもなかったのだ、この弟は。
 ただ進もうとするその地点が、自分たちの考え方とは全くちがっているだけで、その道へたいしては律義真ッ法な奴だったのだ。偽だ偽だとあざ笑っていた掌中の石塊いしくれが、あに図らんや小粒ながらもほんとの黄金きんだと分ったような大いなる驚異を感じないわけにはゆかなかった。
 だとしたら、ではいっそ芸人にしてやるか、こんなにも本人が望んでいるように。
 否――と、さすがにそれは心に応じ兼ねるものがあった。
 深川の商人あきんどの家に生まれながら、なぜか子供のときから、仏門が好きで遊びひとつするにも袈裟衣を身にまとう真似ばかりしていて、ついにほんものの出家とまでなってしまったくらいの玄正には、いくら次郎吉の切なるまごころのほどは分ったとしても、しょせんが三味線太鼓で日をおくる寄席芸人の世界など無間地獄のトバ口くらいにしか考えられないのだった。
 でも――ハッキリ本人は、芸以外の何物にも情熱をみいだすことはできないといい切っている。
 およそこの世に人と生まれ、好きこそものの上手なれ、好んで己のめざす世界以外で立身出世なしとげた者はあまりあるまい。
 ほとんどないといってもいいだろう。
 早い話が、この自分だ。
 この自分の出家志願だ。
 随分、風変りにも程があるが、無理矢理出家してしまったればこそ、いまだ若僧の身分ではあるが、法の道の深さありがたさは身にしみじみと滲みわたり今やようやく前途一縷の光明をさえみいだすことができそうになっているではないか。
 では、汝、玄正よ、この弟にもここは一番清水きよみずの舞台から飛び下りたつもりで、おつけ晴れて好き好む芸人修業、落語家修業をさせてやろうか。
 ……そこまで考え詰めてみては、さて落語家――寄席芸人という奇天烈きてれつな門構えの前までやってくると、妙に玄正の心はグッタリと萎えてしまい、思い切ってその門叩き、中へ入れてやるだけの了見にはならなくなってしまうのだった。
 しかし、しかし、何べんも最前から繰り返すように、全く人間は好きな道以外、出世の蔓は求められないものとすれば……。
 そうしてそれが唯一絶対の真理だとすれば。
 ああ、この自分は今の今、一体どうしたらばよいというのだ。
 幾度か幾度かこうして玄正の心は、ゆきつくところまでゆきついては後戻りし、後戻りしてはまたゆきつき、じれったいほどどうどうめぐりばかりしては自分で自分の心持を持て余しているのだった。
「……フーム……フーム……」
 難解な考案の前に相対した禅僧のごとく玄正は、またしても微かな呻り声を二度三度と洩らしていた。
「……」
 さあもうどうにでも勝手に料理しておくんなさいと心で大手をひろげて次郎吉は、いつの間にか枕へ顔を押付けたまんま薄目をひらきときどきチラリチラリとその義兄の当惑顔を盗み見していた、少し惨忍な快感にさえ駆られながら。

 かくて――。
 芸以外に好きなものはない、およそ芸のほか一切のものには何らの興味も情熱も生命すらも感じられない。不憫にもこう深く深く信じて止まない次郎吉のため、ついに玄正は初一念をひるがえした。そうして快く「芸」の大野原へとはなちやった。
 といっても、それは落語家の世界では決してなかった。
 あくる年の春早々、次郎吉の病癒ゆるを待って当時豪放豪快な画風を以て江戸八百八町に名を諷われていた浮世絵師一勇齋国芳いちゆうさいくによし――その国芳の玄冶店げんやだなの住居へと、内弟子に預けたのだった。玄正としては本来ならば狩野某の門へでも入らしめたかったくらいなのだが、これは先方が無暗むやみの者を弟子に採らなかったので、とりあえず、つてを求めて町絵師ではあるが、美人画や芝居絵よりも武者絵を得意としている国芳を選んで住み込ませたのだった。
 ……さすがに、この世界はおもしろかった、次郎吉にも。
 お寺はもちろん、いままでの石屋や八百屋や両替屋や魚屋と比べては罰が当るとおもうくらい、愉しくもあれば生甲斐も感じられた。
 舌であらわすことと筆もて描くことと、そこに違いはあるとしても、「芸」の玄妙不可思議な醍醐味に変りはなかった。もし自分のめざして止まない落語家の世界を品川の海としても、これはたしかにすみだ川を抜手を切って泳いでゆくくらいの愉しさはあった。「自分」という魚はここにおいて初めておおどかに心置きなく呼吸というものを許されたのだった。まず黄いろと藍とを溶け合わしたときほととぎす啼く青葉若葉の光りのいろの、たちまちそこにあらわれきたる面白さ。次いで赤と藍とを混ぜ合わしたとき、由縁も江戸の助六が大鉢巻の紫をそのままそこに、髣髴たらしめ得るありがたさ。まった、ほんものの黄金きんの絵の具をつかったより黄いろと茶いろをかきまぜて塗ったときのほう、かえって黄金きん以上の黄金きんいろたり得ると知ったことも、次郎吉にとってはまこと愉しき一大発見だった。
 かくて始めて知った「色」というものの、蠱惑こわくよ、秘密よ、不可思議よ――虹の世界へ島流しに遭った童子のように次郎吉は、日夜をひたすらに瞠目し、感嘆し、驚喜していた。
 ……癇癪かんしゃく持らしく頬のこけたそのころ六十近い師匠の国芳は、朝から晩までガブガブ茶碗酒ばかり呻っていて、滅多に仕事をしなかった。溜め放題仕事を溜めて、お勝手もとに一文の蓄えもなくなったと見てとると、ここぞとばかり仕事をはじめた。二枚、三枚、四枚、五枚――いままでの怠け放題怠けていたのを一挙に取り戻すかとばかり国芳は、あたかも鬼が煎餅を噛むようにぐんぐん片ッ端から片づけていった、あるいは武者絵を、あるいは名所絵を、あるいは草双紙合巻の挿絵を。
 どれもこれもが北斎もどきの、いかにも豪勇無双の淋漓りんりたる画風のものばかりだった。国芳日頃の酔中の大気焔は、凝ってことごとくこの画中の武者が勇姿となるかとおもわれた。
 何ともいえぬ芸術的満足感に満身を燃やしながら次郎吉はさしぐまれるほど興奮して、兄弟子たちと茫然と勇ましい師匠の筆の伸びてゆく跡を目で追っていた。多くの兄弟子たちの中に師匠に瓜二つの勇ましい絵を描くこれも癇癪持らしい背の高い男と、優美な絵を得意とする口数の少ない色白の男とがいた。師匠張りの絵を描く男がのちの月岡芳年ほうねんだった。優美な絵を描く方がのちの落合芳幾よしいくだった。師匠は今いったような次第で到底じかに手を取ってなんか教えてくれそうもなかったから、主としてこの二人の兄弟子から丹誠の手ほどきを受けることにした。二人とも教え方の呼吸に違いはあったが、それぞれ親切に教えてくれた。次郎吉はこの二人の上に他人とおもえない情誼をおぼえた。心から、兄事した。
 さるほどに――。
 上野や向島や御殿山の花もいつか散りそめ、程ちかき人形町界隈の糸柳めっきり銀緑に萌え始めてきた頃、やっと次郎吉は雑魚ざこととまじりながらに、師匠の描いた絵草紙の下図へ絵の具を施すくらいのことはできるようになってきた。いつ迄も忘れないだろう、師匠国芳が酔余の走り書きになる黒旋風李達が阿修羅のような立姿へ、はじめて藍と朱と墨とを彩ってゆくことができたあの瞬間の晴れがましさよ。何ともいえない恐しさ嬉しさにみっともないほどガタガタ次郎吉は筆が慄えて止まらなかった。にもかかわらず、塗りおえたとき、何にもいわずにきょうも茶碗酒を呷りながらジーッとそれを見ていた師匠は、
「次郎、おめえ、筋がいい」
 酒で真っ赤にした目をパチパチさせながら、簡単にただこれだけいってくれた。
 ハッと次郎吉はまた身が竦んだ。思わず鼻の筋が弛んで、キーンと泣けそうになってきた。
「オイおめえうちの師匠が賞めるなんて滅多にねえんだ、忘れるなよ」
 どやしつけるように背中を叩いて芳年がいった。
「ほんとに勉強しておくれよ次郎さん」
 笑顔でやさしく芳幾もいってくれた。
「やり……やりますよ……」
 いよいよ泣けそうになってくるのに一生懸命次郎吉は耐えた。耐えていた。でもやっぱり次第々々にこみ上げてくるものがあって、目の前いっぱいに仁王立ちしている活けるがごとき黒旋風李達の、ボーッとうすれていってしまうことが仕方がなかった。
 さてもういっぺんいわせて貰おう、さるほどに――。
 ことごとく世は真夏となって、師匠国芳がこの玄冶店の路次々々へ声涼しげにくる心太ところてん売を呼び止めては曲突きをさせたそのあと、二杯酢と辛子で合えたやつを肴に、冷やした焼酎を引っかけるのが日々の習いとなってきたころ、次郎吉の腕はいよいよ上がってどうやら近日師匠の代作の三枚続きを仕上げられる迄に至った。
 もちろん芳年、芳幾といっしょにだったが、それにしても、構図は九絞龍と花和尚が瓦灌寺雪の暗闘だんまりの大首絵とあっては――。人物風景の大半はほとんどこの兄弟子二人が片づけてしまい、まだ表立って名も貰っていない次郎吉はベトベト胡粉ごふんで牡丹雪を降らすばかりだったが、それだけのことでもこの程度の修業年月で引き受けさせられるのは前例のない速さだとされた。天にも昇る心地してさっそく湯島の両親のもとへ報せてやった。
 何よりも母のおすみが喜んだ。
「今度こそお前、あの子も本物になったよ」
 こういっておすみが顔をかがやかせると、
「ほんにほんに。芸は芸でも絵師ならどんなにか世間体もよいし。でもまあ母上、真実にようござりました」
 報せに駈けつけてきた玄正も幾度か他人事ならず嬉しそうにひとり肯いたりした。
 しっかりやっておくれ、あにさんも大へんにお喜びなのだから――間もなく母からは心をこめた激励の手紙さえ届けられてきた。さすがに次郎吉、うれしくないことはなかった。ばかりか、心が弾み立った。
 俺しっかりやる。
 たとえ雪ばかり描くんだって、兄弟子さんたち二人に、きっと負けないようやってみせら。
 キッと唇を噛みしめて、次郎吉は心に誓った。
 ……その日がきた。
 上からは照る、下からは蒸すとよく講釈師がいうような烈しいあぶらでり。朝のうち、曇っていまにも降るかと見せたのがまたいつか雲が絶え、どうやら天気が持ち直してきた。で、いっそう暑さがしつこくジリジリしてきた。
 暑さで気が狂いそうだといって師匠の国芳は、朝から素ッ裸で冷やした焼酎ばかり傾けては、ボリボリ薄青い胡瓜を丸齧りにしていた。
 緊張していたから次郎吉は暑さも物皮ももかわの意気込みだったが、うつむいて台所の脇の小部屋で絵の具を溶いていると、さすがにあとからあとから落ちてくる大汗でたちまち絵の具皿の中がダブダブになってしまった。これには困らないわけにはゆかなかった。
 ウーム、ひどい。
 何べんか拳固で額を横撫でにこすり上げては溜息を吐いた。こんな暑さじゃ寄席もお客がこなかろうし、第一、汗ッかきの阿父さんさぞ困ってるだろうなと、珍しくそうしたことをふとおもった。
「次郎、かかるぜもう」
 そのとき仕事場のほうで芳年の甲高い声が聞こえた。
「持ってきておくれな絵の具を」
 つづいて芳幾の声だった。
「へーイ」
 いま溶いていた絵の具皿の、まず胡粉のからグイと両手で差し上げて立ち上がろうとしたとき次郎吉は、急に目の中へ白い矢が突き刺さったようなものを感じた。クラクラと足がよろめいた。
 皿の胡粉がさざなみ打ってきた。
 ア、いけない。
 おどろいて足を踏みしめようとしたとたん、今度は目の前が真っ暗になり、何ともいえないきな臭いようないやあな匂いが鼻先を掠めた。ひどい吐き気を感じてきた。
 いけない、ウー、いけない。
 我れと我が身へしっかりしろしっかりしろと呼びかけたけれど、何の他足たそくにもならなかった。カカカカーッと火のようなものが胸許を走り上がってきたとおもったら、何だろうガバガバガバといきなり吐いた。絵の具皿を放りだしてうつ伏せに打ッ倒れたのとガーッと何をか吐いたのとがほとんど同時だった。
「……」
 けたたましい物音に愕いて兄弟子たちが駈けつけてきたとき、
「ウム、ウーム」
 すさまじい呻り声立てて、バッタリ次郎吉は倒れていた。しかも倒れているその周り、時ならぬ胡粉の雪の白皚々はくがいがいへはベットリながれている唐紅からくれないの小川があった。
 吐血したのだった。

 とりあえずその小部屋へ蒲団を敷いて次郎吉は、寝かされた。ある者はすぐ医者を呼びにいった。またある者は湯島の家へと報せに走った。
 意地も我慢もなくただもうグッタリと次郎吉は、絵の具の匂いの濃く鼻をつく暗い蒸暑い小部屋の片隅で伸びていた。青白く血の気の引いた硬ばった顔が、ピクピクピクピク痙攣していた。ときどき起き上がるとトプッと枕許の金盥かなだらいへまた血を吐いた、ほんの鶏頭の花ほどだったが。
「しっかり、しっかりしろ次郎。いま桐庵先生がきて下さるぞ」
 やっぱり酒で真赤な顔をしたまま、元気を付けるように国芳はいった。東海林桐庵先生は国芳の師匠、中橋の豊国から引き続いてかかりつけの名医だった。そのころ通油町とおりあぶらちょうに住んで、町医者でありながらひとかど以上の見識を持っていた。
「……」
 コクリと次郎吉は肯いた、師匠すみませんという風に。
 芳年は大団扇で倒れた弟弟子の上を、しきりに荒々しく煽いでやっていた。額の上の手拭が生暖かくなった時分、また冷たいのと取り替えてきてはのせてくれるのは芳幾だった。あいにく往診中だった桐庵先生が、それが持ち前の托鉢坊主のような風体をしてやってきて下すったのは、正午をよほど廻ってからだった。もう圓太郎夫婦も、義兄玄正もみんな心配そうに枕許へ詰めかけてきていた。大団扇は芳年の手から世にも真っ青な顔をした母おすみの手へと移されていた。冷やし手拭を取り替える役も心配そうに顔を曇らせている義兄玄正にと変っていた。中でも父親の圓太郎はペタッと坐ってしまって、師匠の国芳へ礼やら詫びやらいうことさえ忘れ、ただもう恥も慮外もなくオドオド溜息を吐いているばかりだった。
「あの……師匠ちょっと」
 七十越したとはおもわれない元気な手つきで手早く診察をおえてしまうと桐庵は、国芳のほうへ目配せした。フラフラ立ち上がって国芳は桐庵と仕事場のほうへでていったが、すぐまた二人してかえってくると、
「じゃ先生、何でもお前さん、あけりゃんこのところをこの人たちにいってやっておくんなせえ、あっしァちょいと他行だ」
 親指と人指指とを丸めて猪口の形をこしらえ、ニヤリ口のところへ持っていって見せると熟柿臭い呼吸を吐きちらしながら国芳、芳年芳幾の二人を促がしてまたフラフラとでていってしまった。
 あとへは桐庵先生を枕許に、圓太郎夫婦と玄正とがのこされているばかりだった。
 ……駄目だというのかな、こりゃことによると。
 そう、きっとそれにちがいない。
 でなければこんな自分たちだけをのこして、さっさと国芳お師匠しょさんが引き取ってっておしまいなさるわけがない。
 一瞬間誰もの胸をスーッとぎってゆく暗い冷たいものがあった。そういっても重苦しいものでいっぱいに皆の胸がしめつけられてきた。それには薄暗いこの部屋の鼻をつく絵の具の匂いが屍臭をおもわせて不吉だった。
「……」
 圓太郎夫婦の、玄正の、期せずして六つの目が、桐庵先生の無精鬚だらけの塩鰤しおぶりをおもわせる顔の上へと集まった、紅か白粉かと胸おののかして最後の宣告を待つもののように。
「オイこの病人はな」
 世にも無雑作に先生は口を切った、皺枯れ声で。
 思わずハッと一同がみつめていた先生の顔を、さらにまた深くみつめ直すようにした。皆の胸がドキドキしてきた。
「死ぬよ、これは」
 そのときだった。世にも未練ない調子で、こう先生はいい放った。おお紅。南無三、紅が流れてきた……。
「とッとッと」
 ニヤリ先生は毛むくじゃらな手で遮って、
「気の早い人たちじゃな、もう少し聞かっしゃい話の先を。このままここでこの道に進ませておいたら間違いなく死ぬとこういうのじゃ」
 またニヤッと一同の顔を意味深げに見廻した。
「で……では……先生次郎吉は……何とか……何とかあの助かりますので」
 膝行いざり寄るようにして義兄玄正が訊ねた。
「ウム」
 ガクリと大きく顎を揺って、
「助かる、たしかに」
 頼もしそうに先生はいった。
「お願いで、お願いでございます、どうか、どうか先生お助けなすって」
 声もオロオロおすみはいった。顔中がしとど涙で濡れていた。その後で父圓太郎は、ただもういたずらにパクパク口だけ動かしてポカンとしていた。
「だがしかし」
 ギロリと若者のように目を光らせて先生は、
「このままではいかん、このままこの者にこうしたコツコツと身体を動かさずやる仕事をさせておいたなら間違いなく労咳ろうがいになる。そうして死ぬ、現にこれこの通り労咳のトバ口、血を吐いていおる」
「……」
 黙って玄正は目を伏せた。おすみの唇が烈しくワナワナ慄えていた、父親といっしょに。
「さりとて力業は尚いかん。いや、むずかしいのじゃ一番こういうたちの子が」
 しみじみと嘆息するように、
「早い話が己の身に付いた道を走らせてやれば仲々に長生きもするだろうが、そうでないところを歩かせたりすると気鬱からすぐ労咳になる。労症労咳、繰り返していうようじゃが、命取りじゃ。これは知っていなさるなよく」
 またギロリと一同を睨み廻した。恐れ入ったように玄正が頭を下げた。いっしょにおすみ、圓太郎もお辞儀をした。
「と、いたしますとあの先生、この子、一体あのどういう道に進ませましたなら……」
 ややあって恐る恐る顔を上げて玄正がこう訊ねた。
これじゃ」
 言下に節くれ立った手で桐庵先生は、己の咽喉仏のあたりを指した。
「と申しますと」
 重ねて玄正が訊ねた。
「咽喉をつかう声をつかう商売じゃ。それもとりわけ派手なのがよい」
 キッパリと先生はいった。
「……」
 玄正はまた頭を下げた。
「そうさえしたら胸隔がひらく。病気も治る。必ず必ず桐庵、太鼓判を押して請け合う」
 いやが上にも念を押すように、
「さればさ阿父さん同様の商売もよかろう。そのほか遊芸百般何でもよろしい。みなこの病人には向いておるかもしれぬ」
「……」
 さらにまた玄正は低く頭を下げた。おすみもいっしょに。再び顔を上げ、しずかに二人目と目を見合わせたとき、どちらの顔にもいいしれぬ寂しいあきらめのいろが濃くながれていた。中にただ一人、それまで化石のように固まってしまっていた父圓太郎の顔の、いつしか桐庵先生の話なかばから生色を取り戻し、だんだんニコッと微笑みだし、いまや顔全体がだらしなく大満足に崩れてしまいそうになってきていることを何としよう。それ見ろそれ見ろ、だからこッとら初手からいわねえこっちゃねえってんだ、ざまァ見やがれかんぷらちんきめ――ほんとうに今の今そういいたげな得意満面の顔いろだった。
 でも、ただ一人というのは作者の勘定違いだろう、もう一人、最前からこの話のなりゆきやいかんとこの大暑に夜具の掻巻へ顔埋めて身体中を耳に、聴き入っていた当の次郎吉自身の喜び、ああ、いまどれほどといったならいいのだろう。ほんとうに次郎吉にとっては、桐庵先生の皺枯れ声のひとつひとつが天来の「声」と聴けた、世にも有難い神々の御託宣とおもわれた。夢に夢見るとはこれこのことだろう、思いもかけない喜びに、身体中の隅々までがいっぺんにパーッと明るくなってくるような思いがしたのだった。
 やがてすっかりあきらめつくしたもののように、やや青ざめた顔を横に振った兄玄正が、
「有難うございました先生」
 低い力の無い声で礼をいうと、今度は病人の方へ向き直って、
「次郎吉」
 のしかかるように顔の上から、
「オイ、いのちには代えられぬ。阿母さまも承服して下さるじゃろう。お前明日から元の小圓太になれ。その代り、末始終、芸の勉強だけを忘れまいぞ」
 負け惜みのようにいつもよりまたいっそう恐しい顔をしていった。
「……」
 とたんにまたいよいよ深くスッポリと小圓太は掻巻で顔を隠した。あまりの事の嬉しさに、かえってきまりが悪いような気がしてきてますますまっとうにみんなの顔なんか、見てはいられない心持だからだった。僅かにそのかぶってしまった薄汚れた掻巻が、そのとき合点々々するように縦に二つ動いた。とおもったら今度はその掻巻が小止みなしに小刻みに慄えはじめた。そのまんまいつ迄も止まらなかった。
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第二話 芸憂芸喜
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     一



 笹寺の笹や四谷の秋の風 綺堂――絶えずその笹寺の笹の葉摺れが寂しく聞こえてくる、寺続きの横丁に、圓太郎の師匠たる二代目三遊亭圓生は茶がかった風雅な門構えの一戸を構えていた。親父圓太郎に連れられて次郎吉の小圓太は、その句のような秋曇りした一日、はるばる下町からのてまで上ってきて圓生のところへ弟子入りした。内弟子としていろはのいの字からやり直すためだった。
「ハイハイハイおいでなさい」
 まだ圓太郎よりは若く五十には一、二年あるのに胡麻塩頭と前歯の一本抜けているのが年より老けさせて見えるのだろう、鼻の大きな、赤味を帯びた皺だらけの顔をした圓生はキチンと御年始の口上をいうように両手をついて、恭々しく小圓太にまで挨拶をした。
「……」
 めんくらってペタッとひらめのようにお辞儀をした小圓太はしばらくしてソッと頭を上げてみると、まだ師匠はお辞儀をしていた。あわてて小圓太はまたお辞儀をつけ足してしまった。
「そうかえもう十六におなりかえ、早いもんだねえ、ついこの間まで長い振袖を着てヨチヨチ高座へ上がっていった姿が目に見えるがねえ」
 いかにも親しみ深げに圓太郎のほうへ省みたが、
「フム、フム……やっぱり高座が……フム忘れられない、いや結構です、おやりおやり、やるほうがいい」
 肯きながらスポンといい音をさせて、凝った古代裂こだいぎれの煙草入れの筒を抜き、意気な彫りのある銀煙管ギセルを取り出した。いかにも芸人らしい物馴れた手付きで煙草を詰め、かたえの黒塗りの提げ煙草盆の火でしずかにいつけると、フーッと二、三度、うすむらさきの輪を吹いた。一事が万事いかにもあくの抜けた芸人々々した処置振しょちぶり――そうした一挙一動一挙手一投足の末まで(親父の圓太郎にしてからがそうであるが――)が、小圓太にとってはいかにもピタリと己の血にかよう何かだった。見ているだけでスーッと胸のつかえが下りてきた。どこがどうというのじゃない、いいえそんな理屈でも何でもなくただもうもっともっとぬきさしのならない心の底の底のまた底から、ふるさとの声を聴くおもいがするのだった。
 ここに――ここにこそ自分の心の故郷がある。ほんとうにいま何年ぶりかで(ああ何と永い永い年月だったろう、それは)空や水、水や空なる大津渡海おおわたつみへと放たれたこの自分自身だろう。フーッと吸い込むこの部屋の空気のひとつひとつさえが小圓太には黄金白金こがねしろがねにもまさるようおもわれた。嬉しくて嬉しくて何べんも涙があふれそうになってきた。だから、だから、しっかりやるんだ、やるともさ、やらなくってよ――とたのもしく小圓太は心に自問自答していた。
「じゃ師匠何分お願い申します、どうかひとつみっちり仕込んでおくんなすって」
 ややしばらく仲間の話、席亭の話、取り止めもなく喋りちらしたのち例によってそそくさ立ち上がりながら親父の圓太郎はもういっぺん改まってこう頼んでかえっていった。
 すなわちその日から小圓太は、ハッキリとした二代目三遊亭圓生の内弟子となった。
 内弟子は他に誰もいなかった。おしのどんという縮れっ毛の女中が一人いるきりだった。
 お神さん――。お美佐さんという三十三、四になる美しいがつんとすました背の高い御殿女中風のひとだった。黒襟の袢纏か何かで洗い髪に黄楊つげの横櫛という、国貞好みの仇っぽいお神さんを想像していた小圓太は大へん意外のような心持がした。お美佐さんはこの近くの何とかいう御家人の娘だったのを、何でもこの人でなくてはと、何年か前師匠がいろいろに手を尽して貰ってきた。従ってこんな芸人の住む所らしくもない寂しい四谷なんかに師匠の住んでいることも一にお神さんが下町へ住むことをいやがっているせいだという。でも、そのときはそんなこと何にもしらなかったから初対面の挨拶をしたとき、お師匠しょさんの圓生師匠とは事変ってまるっきり口数の少ないむしろ素気なくさえおもわれる応対に、いっそ小圓太はさびしいようなものをさえ感じないわけにはゆかなかった。
 でもそんな寂しさ、間もなく本望を遂げて落語家になられたというこのあまりにも大きな喜びの前に、ひとたまりもなくどこかへ消しとんでいってしまった。身体中にはち切れそうないまの喜びは「魂ぬけて」いそいそというのが本音だったろう、全く誇張でなしに小圓太は圓生の住居中をフワフワフワフワ他愛なく飛んで歩いていた。
 やがて日が暮れかけてきた。
 初めて師匠の高座着を風呂敷へ包んだのを首ッ玉へ巻きつけて寄席へ行く供をすべくいっしょに門をでた。仰ぐともう空ははなだいろに暮れようとしていた。どこからか秋刀魚焼く匂いが人恋しく流れてきていた。二年前、日暮里の南泉寺の庭で、泣く泣く仰いだときと同じ縹いろの秋の夕空その空のいろに変りはないが、あのときといまとを比べてみたら、ああ何というこの身の変りようだろう。嬉しさに、思わずブルブルと身内を慄わせながら辺りを見廻したら、ほんの僅かの間なのに辺りの金目垣は定かには見えないほどもう薄暗くなってきていた。初めておもいだして腰に吊した小提灯を外し、新しい蝋燭へ灯を点した。薄黄色い灯影を先へ行く師匠の足許のほうへ送りながら、見るともなしに提灯を見ると、勘亭流擬いの太いびら字で「三遊亭」と嬉しく大きく記されてあった。
 ああやっと弟子になれた。おいら三遊亭圓生の弟子になれた。今度こそほんとうの落語家になれたんだ。
 嬉しい、俺、嬉……。
 思わずこう勢いつけて前後左右にゆすぶったら、フイと提灯の灯が消えてしまった。
「オイなぜ消すんだ灯を。提灯は住吉踊やあとこせ手遊おもちゃじゃねえ、揺って面白えって代物じゃねえんだ」
 急に振り返って師匠が怒鳴った。昼間、永いお辞儀をしたときとは打って変って夜目にもそれと分る恐しい顔つき。思わず全身へエレキのかかるようなものを感じずにはいられなかった。
「ご、ごめんなすって」いっぺんに小圓太は慄え上がってしまった。
 ………………………………。

 師匠圓生は今月は身体に楽をさせるとて、麹町の万長亭の中入りを勤めるだけのことだった。
 四谷から麹町、ほんのひと跨ぎだった。
 見附を越し、広い大通りを少しいって左へところどころに水溜りのある草っ原を越すと、そこに万長亭の招き行燈が、秋の夜らしいしみじみとした灯のいろを見せて微笑んでいた。シャーイシャーイという木戸の声が、まだ原っぱを歩いているうちから丈高い草の葉越しに聞こえてきた。なかなかお客がよくくると見えて、あとからあとから下足札を打つ音が、チョン、チョン、チョチョンチョチョンと聞こえてきた。その声その音すらが次郎吉にとっては、絶えて久しいなつかしきかぎりのものだった。西黒門町の八百屋にいて寄席囃子を聴き、濡れた慈姑くわいを掴んだまま、夢中で後の貸席へ入っていってしまった日のことを、すべてがもう遠い昔のことになってしまったのだ、今の幸せなこの俺にとっては……とまた今更のように考えて、うれしく悲しくおもいだしていた。
 傍まで行くと招き行燈には「かつら文楽」[#「「かつら文楽」」は2段階大きな文字]の名が、向かって左のところに描かれていた。右側には「三遊亭圓生」[#「「三遊亭圓生」」は2段階大きな文字]の名前があった。文楽は近ごろ上方からかえり、向こうの噺をふんだんに仕込んできた売れっ子のパリパリ。つまり今夜の万長亭は圓生、文楽の二枚看板なのだった。
「ア、師匠御苦労さまで」
 いままでシャーイシャーイと声を涸らしていた木戸の爺さんが肉づきのいい圓生の姿をみつけると、吃驚したようにこういった。それに対して圓生はまた最前小圓太へしたように永い永い丁寧なお辞儀をした、立ち停まって、腰の下まで両手を垂らして。後からくっついてきた小圓太もついいっしょになって馬鹿丁寧なお辞儀をした。でもやっぱりここでも師匠のお辞儀のほうが少し長かった。
 けげんそうな顔をして木戸の爺さんは、薄赤い招き行燈の灯に濡れている小圓太のクリッとした顔を透かして見た。親父の圓太郎が主として下町の寄席ばかり打っていたので、小圓太、のての席にはてんで顔を知られていなかったのだった。
 後の空地のほうから楽屋へ入った。文楽師匠のお弟子さんだろう、目は両方ともちゃんと開いているのに目っかちのように見える口の大きなだらしのない顔の前座が顔中を口にして、迎えた。この前座へも腰低く挨拶して師匠は上へ上がった。
 高座のほうから木やりくずしの三味線が澄んでながれてきた。ふるいつきたいほど錆びのある美しい声で、誰かがしきりにうたっていた。
 誰だろうこの音曲師――でもそんな詮索よりも何よりも、ただもうこうやって今や永年希望のこの世界の中へきて暮らしていられる、そのことだけがひたすらに嬉しかった。ゾクゾクと小圓太は喜んでいた。
 やがて木やりのあと暢気に太鼓入りで石の巻甚句を歌い、拍手とともに音曲師は下りてきた。
 十がらみの苦味走った小龍蝶こりゅうちょうという男だった。明らかにうちの師匠のほうが看板が上なのに、「御苦労様」と丁寧にこちらから声をかけた。恐縮して小龍蝶は何べんも何べんも頭を下げながら、やがてかえっていった。
 そのあとは太鼓のかげの暗いところにしゃがんで待機していた坊主頭で大菊石あばたのある浅草亭馬道ばどうという人が上がった。達者に「大工調べ」をやりだした。少し下司げすなところはあったが、お客にはしきりに受けていた。馬道の話し口が下司になるたび聴いていて圓生は烈しく眉をしかめた。ちょっと舌打ちするときもあったし、何かブツブツ口小言をいうときもあった。受けるままに馬道の噺はお白洲の大岡さまお裁きまでいってしまって、「大工は棟梁仕上げを御ろうじませ」のさげといっしょに大へんな受け方をして揚々と下りてきた。
「ア、これは。御苦労さまでござります」
 初めて正面から顔を合わせてあわてて馬道が挨拶したとき圓生は、
「恐れ入った、いい腕だね馬道さん、いまにお前さんの天下がくるね、いや全く」
 こういってポンと肩を叩いた。喜んで馬道はかえっていった。
 すぐそのあと入れ違いに圓生は高座へ上がった。はじめからしめてかかってシトシトシトシト「子別れ」のちゅうを演りはじめた。中といえば遊びつづけてかえってきた熊さんがヤケ半分に、女房子供を叩きだすまでのあのくだりだった。何といってもいまの馬道なんかとは比べるのがもったいないくらいの、品も違えば腕もちがう水際立ったいい出来映えのものだった。わけもなくお客たちはシーンと魅されてしまって十二分以上に演った圓生が「ではこの続きはまた明晩」と結んだとき、はじめて声上げて感嘆した。しばしどよめきが鳴りも止まなかった。下りてきた師匠は赤ばんだ顔をいっそう真っ赤にし、肩で呼吸を絶っていた。
 ……なるほどうちの阿父さんの師匠だけあって、今夜の真打とりの文楽師匠はまだしらないけれど、こんなに巧い噺ってものが世の中にはあるのかしら。宿酔ふつかよいらしい熊さんの青白い顔も、実体らしいお神さんの顔も、無邪気で人を喰ってる子供の顔も、みんなそこにいるよう活き活きとして見えてくる。いや顔ばかりじゃない、そこの家の中の様子までが、ハッキリ目に映ってくるようである。大へんな芸を持っている師匠だ。何だか身体中の汚れたものがすっかり掃除されつくしてしまったあとのような爽々しさを、小圓太はおぼえた。
 つくづくいい師匠をとったとおもわないわけにはゆかなかった。
「御苦労さまで」というのをつい忘れてしまっていたくらい小圓太は、ボーッとなって聞き惚れていた。
 その晩、かえってくると師匠はからすみだの、海鼠腸このわただの、つぐみの焼いたのだの、贅沢なものばかりいい塗りの膳の上へ並べて晩酌をはじめた。お神さんは風邪気だとてすぐ寝てしまったけれど、師匠はいつ迄も盃を重ねていた。南泉寺の和尚さまのお給仕たあ、わけがちがう。見るから美味しそうなものを召し上がっておいでなすってて、お給仕してても心持がいいや。再び二年前の日暮里の暮らしをおもいだして、仄々とした喜びに、しばらく身内を包ませていた。さあおつもりにしようといって師匠が切り上げたときはもうよほど遅く、おしのどんなんかつとに寝ていた。お膳を下げてから台所で切干大根の煮たので冷飯をかっこんで厠へゆくと、いつか冷たい風が吹きだしたらしく、月明りで窓の障子へ真黒く映る笹寺の笹がしきりに音立てて揺れていた。
 うっかりどこへ寝るのか誰にも聞いておかなかったのでまごまごしていると、いい塩梅におしのどんが厠へ起きてきた。そして眠そうな目をこすりながら台所の向こうの部屋を指した。
 いってみるときのうひと足先に荷車で運ばせておいた見覚えのある自分の夜具が、大きな萌黄の風呂敷に包まれて置かれてあった。すぐに敷いてもぐり込んだ。
 長四畳だった、その部屋は。
 よく俺、長四畳に縁があるんだな。
 三たび小圓太は日暮里のお寺住居の上をおもいだしてしまうことが仕方がなかった。
 でも……同じ長四畳でもこの部屋の三方の壁には、いろいろさまざまなここ二、三年の間の寄席のびらばかりが古く新しく面白可笑しく貼り交ぜられていた。
 圓生、圓橘、圓馬、しん生、龍生、馬生、文楽、馬石、馬六、馬黒、馬道、馬龍、馬猿、馬丈、馬之助、馬風、馬勇、玉輔、龍若、りう馬、龍齋……見れども見飽かぬ落語家たちの名前づくし。小圓太にとってそれは、あとからあとからまだあるあると口の中へ放り込まれる美味しいお菓子にもさも似ていた。こうしてこうやって次々とこの名前を見ていることだけでも、この部屋にいることは嬉しかった、ありがたかった、この世ながらの極楽――花園に住む心地がした。
 いっぱいの幸福感に包まれて、小圓太は夢も見ずにグッスリと眠った。


     二

 ……咽喉元過ぐれば熱さを忘るるとは、さもいずこの誰がいいだした言葉だろう。
 我が小圓太、圓生門にあること二ヶ月、もうその年の暮のうちには、この諺に当て嵌るような心根になってきていたといったら、人、恐らくはその怠惰薄弱心に呆れるだろう。
 あるいは色をして憤るかもしれない。
 が――しばらく待っていただきたい、あれほど焦れに焦れて止まなかった落語家という世界に飽きだして小圓太、日夜をはかなみだしたのではつゆ更ないのだから。
 むしろ落語はなしに、芸に、ひとしお身を打ち込めばこそのきょうこのごろの耐えがたい不満ではあったのだった。
 いおうなら師匠が少しも落語家らしい生活をさせてくれなかったから。もっと簡単にいえば少しも「芸」を教えてくれなかったからだった。
 いいえ、教えてもくれなければ、やらせてもくれない、馬鹿でもチョンでも橘家圓太郎の忰小圓太という変り種の子供の落語家として、休み休みではあるが七年ちかく高座のお湯の味をおぼえてきていた自分、「待ってました坊や」くらいの掛声はしじゅう掛けられていた自分、振袖を着た高座姿が可愛いとてお料理屋さんへ招ばれれば、折詰と御祝儀を貰ってかえってきたことも一再ではなかったこの自分だった。
 どうだろう、それが――、
 てんで落語のハの字もやらさせてくれないばかりか、きょうこのごろではいままではおしのさんのやっていたろう拭き掃除から御飯炊き、使い走り、そういう落語へでてくる権助のような間抜な役廻りのことばかり、ことごとくこの自分にさせる。
 それでも何でも前座の前へでも何でも上げて喋らせてくれるなら、いやもし高座へ上げてくれないとしても、せめて落語の稽古だけでもしてくれるならば、何も修業と拭き掃除も、濯ぎ洗濯も、使い早間も進んでいそいそやらせて貰おう。
 だのに、落語のほうは何ひとつやらせてくれず、ただおさんどんか権助の代りのようなことにばかり使う、使って使って使いまくる。
 よく皆の演る「かつぎや」という落語では中へでてくる権助が、人遣いの荒い主人を怒って、人間だからええが草鞋なら摺り切れてしまうだと文句をいうところがあるが、この師匠のところも少うしそれと似ていはしないか。
 いや少しどころじゃない、まさしくそれだといってよかろう。
 しかも師匠はいいつけた用事をまちがえると、頭からガミガミと怒鳴り付ける。ほんとうに縮み上がらせるまで叱り付けずにはおかなかった。
 仲間には馬鹿丁寧で、お神さんに頭が上がらず、おしのどんにもやさしい口を利く師匠なのにこの自分にばかりはガミガミガミガミ我鳴り立てる。ことによると八方ふさがりでどこへいっても頭ばかり下げているからこの自分にだけ、天下御免と怒鳴りちらすのかもしれない。
 そう考えると師匠が少し可哀想にもなるけれど、いやいやいやとんでもない、可哀想なのはよっぽどその癇癪の捌け口にされているこの俺のほうだろう。
 しかもお神さんが別嬪さんなばかりで苦労しらずの武家出ときているから、そういうとき間へ入って何ひとつとりなしてくれず、おしまいまでほったらっかしッ放しだ。
 ほったらかしておくほうは小言の火の手が自然にくすぶって消えるまで勝手だろうが、ほったらかされておかれるほうは随分堪らない。
 お供をして寄席へいったってそうだ。
 このごろは師匠の噺はおろか、誰の噺も到底おちおち聴いているひまなんかありはしない。
 あとからあとからくる人の合羽をぬがす、羽織を畳む、お茶をだす、御簾みすの上げ下ろし、鳴物の手伝い――こうした前座さんの手伝いをしながら、その上に師匠の楽屋へ入ってからでてくるまでヤレ何を買ってこい、ソレ何を買ってこい、どこそこへ使いにいってこい、それこそ独楽こま鼠のように使いまくられなければならない、おかげで自分が師匠の供をして行く寄席の前座さんはすっかり楽ができて、平常よりよけいに先輩たちの噺が聴いていられるらしい。
 バカな話だよ、考えりゃ全く。
 しかもこのごろのひどい霜夜、師匠の供をしてかえってくるとき、きっと師匠は途中でそばやへ入る、でなければやた一のおでんやへ飛び込む、そうして熱燗でいっぱいやりながらそばやなら鴨南蛮か天ぬき、おでんやなら竹輪かがんもへ辛子をコテコテと付けてさも美味しそうにそいつをたべる。
 永いことかかって充分に味わった上やっとたべ終ると、
「サ行こう」
 表へでて寒い闇の中で、
「たべたいかえ」
 こういって訊く。
 たべたいやね、そりゃ俺だって。聞くだけ野暮だろう。
 で正直に、
「ヘイ」
 ついこういうと、
「……たべてえとおもったら……」
 顎で二度三度肯いておいて、
「早くお前、真打になんなよ」
 だって――。
 冗、冗談じゃない。
 これが常日ごろ噺の稽古をしていてくれて、その上私が拙いんなら、こんな皮肉な真似をされてもいい。
 あきらめもするし、なるほど師匠のいう通りだとおもっていよいよ勉強もするだろう。
 それが噺の勉強をしようためのあらゆる大手搦手からめての城門はピタリと自分が閉めてしまっておいて、辛い目にだけいろいろあわして、早くお前早く真打になんなったって、そんな、そんな無理なこといわれたって(あまりといえばお情ない)。
「……」
 考えるとだんだん情なさに、小圓太は自ずと自分の声が湿うるんでくるような気がした。つい二ヶ月前、空気をひと呼吸いき吸っただけで生甲斐を感じた寄席の楽屋が、何だかこのごろでは蛇の生殺しにされているかのごとき自分の姿を姿見に映して見ているところのようで毎晩々々師匠のお供をしてでかけていくことが譬えようもない苦患くげんのものとなってきた。
 真打はおろか、前座になる日がいつくるのだろう、俺。
 前座というやにっこい門のひらく日すらが、あの山越えて谷越えてのはるかのはるかの遠い末の日のことのよう心細くおもわれて何ともそれではつまらなかった、味気なかった、もひとつハッキリいわせて貰うならば、生き抜いていく甲斐がなかった、もう自分に。

 煤掃きを明日に控えた十二月十二日の七つ下り、ところどころたゆたに柚子の実の熟れている裏庭の落葉を大きな竹箒で掃き寄せながら小圓太は、見るともなしに竹箒を握っている自分の右の掌を見た。
「……」
 思わず目を疑ったほど、黄色い日の中に照らしだされたその手は紫ばんでコンモリ醜く腫れ上がり、ひどい霜焼けになって崩れていた。黄ばんだ膿にまじって痛ましく血さえ滲んでいた。
 これが、これが、いのちがけでなった落語家さんの手だろうか。
 しみじみといま小圓太は自分が、いや自分の「掌」がいとしくなった。いとおしくなった。もし取り外しができるものならその「掌」をやわらかい真綿か何かへシッカリとくるんで、寝ン寝ンよおころりよと子守唄歌いながら毎晩抱きしめて添い寝してやりたかった。
 いつか不覚の涙が、キラキラ青い竹箒の柄をつたって午後の日にかがやいていた。
 止めようかしら俺、もう落語家を。
 思わず小声で呟いてギョッと辺りを見廻した。


     三

 待て――とそのとき心に叫ぶものがあったからだった。
 低いけれど、妙に振り切ってしまえなくなる底力のある声ならぬ声だったのだ。
 不思議にその声は小圓太の「心」をシッカリと捉えて放そうとしなかった。
 何と説明したらいいだろうこの声この感情――強いていおうなら、好きで好きでならない恋びとと意地で別れてしまおうとするとき、傍からその決心を鈍らせてくるあの未練に似ていた、もちろん十六になったばかりの小圓太、恋の心理はまだ体験していようわけがなかったけれど。いずれにもせよ、声は、次のように呼びかけてきたのだ。
 ……おい小圓太、いいのか、それで。
 ……それでお前、いいっていうのか。今日様こんにちさまにすむっていうのか。
 ……おい聞かせてくれ、返事を。ええ、おい、聞かせろってばよウ、その返事を。
 ……おい小圓太、おい、ほんとにお前冗談じゃない、少しは落ち着いて胸に手を当ててよくよウく考えてみろよ、ほんとにお前あの辛かった日のことをおもわないのか、日暮里の寺の、根津の石屋の、池の端の両替屋の、黒門町の八百屋の、練塀小路の魚屋の、そうしてとうとう血を吐いてしまった国芳の家でのあの修業を……そのどの店にいたときも夜の枕を濡らしてまで恋いて焦れて、ようやくなれたこの天にも地にも掛替のない落語家稼業じゃないか。
 ……一体、その日といまと比べてみたら、どっちがいいんだ。
 ……考えて、よく胸へ手を当てて考えてみてくれ。
 ……まさか、もういっぺんあのお寺へ、石屋へ、両替屋へ、八百屋や、魚屋へ、かえりたいとはいわないだろう。
 ……だとしたら……だとしたら……いまのこの辛さくらい、何がどうだというんだおい、お前。
 ……返事をしろ、ハッキリとオイ返事をしてくれ。
「ウーム」と、ここにおいてようやく小圓太の「心」がまいってしまった。
 ……それは……それは……それはもう、いまの……このいまのこの生活のほうが。
(しどろもどろに「心」は答えた)
 ……いいんだろう、いまのほうがいいんだろう、ざまアみやがれ、すっとこどっこい、そうなくっちゃならねえところだ。
 寸分の仮借なく声ならぬ「声」はせせら笑って――、
 ……第一、お前、この圓生師匠のところへ弟子入りした晩、あの長四畳へ引き取ったとき、何ていいやがった。壁に貼ってあるいろんな落語家の名のびらを見て、もうそれだけでいまの生活に大満足をしてたじゃないか。
 ……それがどうだそれが。まだ一年はおろか、半年も経たないうちにもうこんな口小言をいいだすなんて、これをしも心に驕りがでたといわないで何をいうんだ、おい小圓太おい、俺のいうことに間違いがあるか。
 ありません、たしかにありません。
 うなだれて口のうちで答えた。
 じゃ認めるな、ハッキリと認めるな、心の驕りだったということを。
 ハイ、認めます、すみませんでした。
 さらに低く口のうちで呟いた、声ならぬ声へ心で最敬礼をしながら。「三社祭」の善玉ぜんだまのような自分と同じ木綿の黒紋付を着た自分の「心」というやつが、しきりに頭へ手をやって閉口している姿がハッキリと目の前に見えるようだった。
 ウム、それならば――。
 はじめて相手は破顔一笑したらしく、
 やれ、元気をだしてやれ。
 お前は何もおもうことはない、不平も不満も希望すらも要らない、まだいまのうちは。
 ただただここの家に置かせていて貰うってことだけでいいとしろ。
 前途も糞もあるものか、ただ現在――現在だけをありがたいと三拝九拝していろよ、そこからきっと「路」が拓ける。
 でも、でも、そんな「路」が拓けるなんてことはずっと、ずうっと、あとのことだ。
 くどいようだが、いまのこうやっていられることただそれだけを、ありがたいものにおもえ。そうおもう修業をしろ。
 二度とこんな了見違い起すと、ほんとに取り返しのつかないことになるぞ。
 いいな、分ったな。
「……わ、分りました」
 思わず大きな声立てて叫んだ。我れと我が声で、ハッと小圓太は気が付いた。冬日かがやいている柚の木の下、竹箒握りしめて果てしなき物思いに沈んでいた自分だった。少し汚れたおしきせの黒紋付の肩先へ、ふたひら三ひら何かの落葉がふりかかっていた。あわてて振り落とすと小圓太は、またしても辺りを見廻した。向こうの大きな白山茶花の枝々を揺がせて、葡萄いろをした懸巣かけすが一羽おどろいたように飛び立っていった。
「……」
 フーッと息を吸い込み、フーッと吐きだした。もういっぺん深く吸ってもういっぺんまた深く吐きだした。何だか身も心も、あらゆる汚れがいっぺんに去ったように爽々としてきた。そういっても一木一草ひとつひとつがあらためて美しい真新まっさらな了見方でみつめられるような、しみじみと生れ変った心持だった。
「……」
 黙って手にしていた竹箒を両手で横に高く差し上げ、恭々しく小圓太はお辞儀をした。


     四

 もう落語を喋りたいとも考えなくなった。稽古をして貰いたいとも格別におもわなくなった。ただ何事もおもわずに、この世は夢のまた夢と無念無想に小圓太は、その日その日をまめまめと働きだした。慾も徳もなく、身を粉に砕いて働いていた。庭の落葉を掃きながら、心の落葉を掃き棄てることも日々だった。
「オイ小圓太や、蛙の牡丹餅て小噺しってるかえ。下席しもせき私は休みだからお稽古して上げようね、今度やれ。永いこと忙しさにかまけててすまなかったね」
 世の中ってこんなものだろう、そうしたら九日目の十二月二十日の朝、師匠のほうからいきなりこういいだしてきた、しかも珍しく機嫌のいいやさしい調子で。
「ド、どういたしまして。何分お願い申します」
 嬉しさに小圓太、ドキンと飛び上がった。じっと辛抱していた甲斐があったと、涙ぐましくおもわないわけにはゆかなかった。
 ……でも、その稽古、師匠のほうからそう口を切ってくれただけで、その日は一日師匠の家にいたけれど、部屋へ閉じ籠って夢中で「梅暦うめごよみ」か何かに読み耽っているらしかった。滅多にでてこず、やっとのびをしながらでてきたときはもう座敷へでかける時刻になっていた。そのまんまいってしまってかえってきたのは九つ近く。すぐ例の酒が始まってそれなりけりとなってしまった。
 次の日も「梅暦」で夜も日も明けないらしかった。お神さんにもすすめていっしょに読ませているらしく、昼の食事を運んでいくと机の上にひろげられた一冊の本へ夫婦が鴛鴦えんおうのように肩を並べて睦じく目を落としていた。小圓太のほうなんか振り向いてもくれなかった。
 灯がつくとまた師匠はお座敷にでかけていった。また遅くかえってきた。また飲んでまた寝てしまった。
 その次の日は文楽師匠、馬生師匠、りう馬師匠、他いろいろの人が朝早くからやってきた。そうして運座がはじまった。題は「雪」「餅搗」「落葉」だった。りう馬師匠が「からからと日本堤の落葉かな」という句をだして、そりゃお前抱一上人さまの名高え句じゃねえかと文楽さんからたしなめられ、一同大笑いになったりした。運座はいい加減にして間もなくお酒がはじまり、歌えよ踊れよの年忘れ、到底稽古どころではなかった。
 次の日は誰もこなかった。「梅暦」ももうおしまいになったとみえてお神さんはおしのどんを指図して台所で春の仕度に余念がなかった。師匠一人が退屈していた。しきりに家の中を行ったりきたりしていた。でもなぜか稽古はしてくれなかった。
 その次の日もまた、そうだった。いよいよ師匠は身体を持て扱っているらしく、「アー……アー……」としきりに大あくびをしては、
「誰か……誰かこねえかなあ遊びに。どうもたまにこうやってジッと家にいると身を切られるより辛い」
 と世にも寂しそうな顔をした。そんなに所在なさに苦しんでおいでなのなら――ムラムラと小圓太はいまお稽古して貰いたさの念に駆り立てられてきた。
「あの……師匠……」
 で、つい昼の食事の膳を片づけにいったあと、いいにくそうに小圓太は切りだしてしまった。
「何だえ」
 物やわらかな調子で師匠はこちらへ顔を向けてきた。
「あの……きょう……あのすみませんが私に……あの願えませんでしょうかしら」
 思い切ってさらにまたいってみた。
「何を願うんだっけなお前に」
 けげんそうに師匠は少し口を尖らかした。
「いえ、あの……お稽古なんで」
 ちょいと頭を掻く真似を、小圓太はした。
「何のお稽古?」
 いよいよ師匠はけげんそうな顔をした。
「いえ、あの、こないだ師匠がおっしゃって下すったんで、お稽古をって」
「だから何の誰の?」
「私のなんで」
 もういっぺん思い切ってこういったとき、
「エ、お前の稽古、駄目だよ今日は」
 たちまち世にもおっかない顔に変って、
「オイ少し積ってもみてごらん。こんな私がクサクサしてる了見の日にお前の噺の稽古なんかできるものかできないものか。駄目駄目駄目きょうは駄目だよ。きょうはお前、私ァ退屈で困ってるんだもの」
「……」

 また次の日とその次の日と座敷がつづいてフイ。もう数え日の二十七日の晩――。
「おい、やって上げますよ。小圓太、今夜は。さあ早く膳を片づけてそこへお坐り。一日延ばしに延ばして勘弁しておくんなさいよ」
 何とおもったか晩酌を一本きりでやめた師匠が、いつにない上々の機嫌でいいだした。
「ありがとうございます、何分どうか」
 何度目の正直だろう、でもうそかくしもないところ、その都度、手の舞い、足の踏みどころをしらないといってよかった小圓太だった。いそいそ立ち上がって大急ぎでその辺を片づけると、
「では師匠お願いいたします」
 お辞儀をしてチョコナンと師匠の前へ坐った。
「ウム」
 大きく肯いて師匠も居ずまいを直した。いよいよ稽古が始まろうとしたときだった、玄関のほうで人のおとなう声がした。
「あの杉大門の御主人がお見えになりましたが――」
 次の間へ手をつかえておしのが取り次いできた。
「エ、杉大門が。そりゃ珍しい。オイすぐこっちへお通し申せ。そうして小圓太、お前はな、早くお神さんやおしのを手伝って酒の仕度を」
 いうかとおもうと、早くも上がってきた頬に刀傷のある目の険しい五十彼是かれこれの渡世人上がりの四谷杉大門の寄席の主へ、
「よウよウ珍しい珍しい兄貴、相手ほしやでいま困ってたとこなんだ、さ、今夜ゆっくり遊んでってくれ、夜明かしで飲み明かそう」
 たちまち外面そとづらのいい圓生は相好を崩してこう迎えるのだった。
 いざこざなしにすぐお酒がはじまってしまった。やったりとったり――杉大門もなかなかの飲み手で尽くるところをしらなかった。さっさとお神さんはねてしまった、九つ近くになって、やっと席亭はかえっていった。

「すまなかったね昨夜、あんな剽軽ひょうきん者が飛び込んできてしまって、さ、今夜はやって上げますよ」
 とても駄目だとあきらめていたのに、思いがけなく晩酌のとき、またこういいだされた嬉しさ。
「エ、今夜やって頂け……」
 目のいろ変えて小圓太はお辞儀をした。
「やって上げますよ。いつ迄噺ひとつ稽古しないで遊ばせといたって仕様がありません。正直お前さんだって早く席へでたくってウズウズしていなさるんだろう。ウムウム分って、分ってますよ、サ、この稽古ひとつ丸ごかしにすましたらちゃんと席へでられるようにして上げましょうね」
 今夜も上機嫌の師匠だった。ふた晩つづいてこんな御機嫌なんてほんとに珍しいことだった。ほんとうに小圓太は嬉しかった。
 すぐ晩酌がすみ、御飯がすみ、手早く膳を片づけて、昨夜のようにピタリ向こう前に坐ったとき、また玄関のほうから声高に案内を乞う声が聞こえてきた。
「お、おい三遊亭。ご、御馳走になりっ放しじゃこん心持が悪いから、こ、今夜は、お、俺が、一升提げて、きたぜ」
 もう下地があるらしくいいいろに顔を染めた昨夜の杉大門が一升徳利ぶら下げて、なんと案内も乞わずにフラフラと入ってきた。
「よッ待ってました親玉。よき敵御参ごさんなれとおいでなすったね」
 またしてもおよそ調子のいい師匠はこう笑顔で迎えた。すぐまた酒盛がはじまってしまった。酔えば酒飲みの常、いつ迄もいつ迄もお互いにひとつことを繰り返しては根気よくさしつさされつ――トド杉大門はへべのれけになって小間物店まで吐きだした。命じられて小圓太がその後始末をさせられ、その上、駕籠を呼びにやられた。その駕籠がまたなかなかやってこないときた。ピューピュー筑波ならしの吹く寂しい四谷の大通りにっていて、小圓太はつくづく杉大門の主を怨みにおもった。何かこの人、前世で俺に怨みがあったのかしら、それともうちの先祖があの人の先祖を絞め殺したことでもあるのかしら。人の恋路の邪魔する奴は馬に蹴られて死ねばいいという都々逸があるけれど、俺の世の中へでるのを邪魔する杉大門も土竜もぐらにでも蹴られて死んじまえばいい。それにつけても今夜はちょいとこれの稽古をすませますから、ほんの少しそこで待ってて下さいとひと言そういってくれないですぐニコニコ大愛嬌でお客様を迎えてしまううちの師匠の上も、いささか怨めしくおもわないわけにはゆかなかった。
 ……ブツクサ呟いていることしばし、やっとのことで駕籠がきた。いっしょに家まできてもらって、てんで正体のない杉大門をかかえ込むようにして駕籠へ乗せ、そのあとお膳の片づけをして、やっと表の戸締まりをしにきた。
 師走の空がよく晴れて、青い星がいっぱいチカチカまたたいていた。しきりにすさまじくこがらしが軒端を吹き抜け、通りのほうで犬が二、三匹遠吠えしていた。師匠の鼾がここまで絶え絶えに聞こえてきていた。
 顔中を粒々に鳥肌立たせた小圓太は、土より冷たく凍てかえってしまった手で、やがて表の戸を閉めようとした。ちぢかんで、どうしてもおもうように閉まらなかった。


     五

 お正月の下席から思いがけなく小圓太は、文楽師匠から赤坂一つ木の宮志多亭へ借りられた。もちろん、前座としてであるが、それでも何でも嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。骨身を惜しまず立ち働いた。
 ただ毎晩、高座でやる噺に自信がなくてたいへん困った。というのはあれから暮れの三十日の日、たったいっぺんだけ師匠は「蛙の牡丹餅」の稽古をしてくれた。が、小僧がお重の中の牡丹餅を食べてしまって、代りに入れておいた蛙の飛びだす眼目のところがどうしても巧くできなかった。活きていない、その蛙は――そういっては何べんも何べんもやり直させられた。でもどうしても師匠の満足するまでにはできずじまいだった。しかも、いわば本格の稽古らしい稽古といえばただそれ一回っきり。あとは父圓太郎といっしょにでている時分の聞き覚えのものに過ぎなかった。
 でもこの機会を失ったらまたいつだして貰えるか分らない。面を冠って小圓太はでることにした。
 いってみると自分の上がる時刻には、まだお客は五つか六つ――せいぜい十くらいしかいなかった。いいも悪いもありはしなかった。ただその十人いるかいないかのお客が、必ず下りるときには一斉に手を叩いてくれ、一人でも叩かなかった人のいる晩はなかった。せめてもそれだけが小圓太にとっては百万力の味方を得たもののようだった。
「お前、しっかりやりさえしたら、末があるってみんないってるぜ、俺はほかをやってくるからまだ聴いてねえんだが、まあしっかりやんねえ」
 ある晩、文楽師匠がこういって励ましてくれた。
「ハ、ハイしっかり勉強いたします、何分……」
 思いがけない嬉しさに、情に脆い小圓太はもう鼻をつまらせていた。黙って何べんも何べんも頭ばかり下げていた。
 だんだん小圓太に文楽師匠という存在が、師匠圓生の次にありがたくてならない人におもわれてきた。いつも粋な唐桟とうざんぞっきで高座へ上がる文楽師匠は頬の剃りあと青い嫌味のない色白の江戸っ子で、まだ年はうちの師匠より十も下だろうが、いまが人気の出盛りで、それには下の者へよく目をかけてやるというので滅法楽屋の評判がよかった。噺もまた巧く、「一心太助」だの「祐天吉松」だの講釈種のそれも己の了見そっくりの達引たてひきの強い江戸っ子を主人公とした人情噺がことに巧かった。ほんとうに太助や吉松はこんな人物かとおもわせるほどだった。何よりそれには「噺」の線が江戸前で、藍微塵のようなスッキリとしたものを目に描かせた。そのあく抜けのした話し口に小圓太は心を魅かれた。
「困ったなおい、俺はこれから西の窪の大黒亭まで行かなけりゃならねえ、もうこれ以上つなげねえんだ」
 ある晩さんざつないで下りてきたかんさんがいった。事実「両国八景」を目一杯にやって、そのあとこわいろまでやって下りてきたこの人だった。俎板のようなぶ厚い顔へとりわけ今夜は寒というのにビッショリ汗を掻いていた。
「すみません。ですけど師匠、まだあとが……」
 困ったように小圓太は俎板のような顔を見上げた。
「分ってるそりゃ分ってるが、こなくても俺はもうこれ以上かかり合っちゃいられねえんだ俺は。こっちはもう仁義だけは尽したつもりだ」
 鯉かんさんはいった。まさしくその通りだった。
「そりゃもうよく」
 小圓太はひとつお辞儀をした。
「じゃ、くどくもいうとおり西の窪の大黒亭へ駈け上がりなんだ」
 駈け上がりとは時間ギリギリに楽屋へ入ってすぐそのまま一服もせず、高座へ駈け上がっていくのいわれだった。
「じゃ頼むよ後」
 そのまま慌ただしく行こうとした。
「ア、モシ師匠」
 あわてて小圓太は花いろの道行の袖を捉えた。
「な、何だ」
 立ちのまま鯉かんさんは振り返った。
「困ります師匠に行かれちゃ」
 泣き声をだして小圓太は引き止めた。
「俺も困るよ、お前に留められちゃ」
「お願いしますだから」
「こっちがお願いするといってるじゃねえか最前さっきから」
 困って俎板面をしかめたが、
「ア、いいことがあら」
 急に安心したように肯いて、
「上がんねえ」
「エ、上がんねえよ高座へ」
「誰がです」
「お前がだよ」
「冗、冗……」
「ほんとだよ」
「だ、だって、そ、そんな冗……」
「上がりなってば、いいから。そのためのお前、イザってときのとっときにしておく前座じゃねえか」
「でも私はもう宵に」
 その宵も、あとのしんこ細工の蝶丸さんがこないで二席がけたっぷりとやってしまった自分だった。
「いいや上がったっていい。何べんでも上がりねえな。何、遠慮があるものか、お前の噺は末があるんだ。俺見込んでこねえだ文楽さんにそういっといてやったくれえなんだ」
 ア、この人がいって下すったのか――。
「ありがとうございます」
 傍らの大太鼓へ危うくおでこをぶつけてしまうほどのお辞儀をすると小圓太は、さすがに嬉しさに胸ときめかせて、
「じゃ、上がります」
「オオ上がれ上がれ。上がりねえとも。いいシホだからこういう深えとこで充分腕を磨きねえよ。その時分にゃ誰か届かあ。じゃ文楽師匠によろしく、な」
 そのまんまプーイと鯉かんはとびだしていった。「ウー寒い寒い」という声がすぐ表で聞こえてやがて凍ったような下駄の音ばかりが次第に遠のいていった。
「……」
 身ずまいを正して小圓太はいよいよ上がることにした。上がる前に楽屋格子の透き間からソッと客席のほうをうかがってみた。下席とはいえ、新春はるのことでギッチリといっぱいに詰めかけている。
 こんないっぱいのお客の前で喋るなんて子供の時分のとき以来だ。何だか胸がワクワクしてきた。ゴクッと生唾を飲み下した。それから誰にともなく両手を合わせた。やがて思い切って板戸へ手を掛け、スーッと引いた、はずがガタガタガタンと至って不器用に大きな音を立ててしまった。新米の泥棒が物にけつまずいたときのよう、たちまちハッと小圓太はまごついてしきりに動悸を早くさせながら世にもオズオズしたかっこうで、宵にいっぺん上がった高座へ、ソーッとまた上がっていきかけた。
「……」
 そのとたんだった、何だか分らない破れッ返るような大きな声を背後に聞いた、と思う間にムズと誰かに襟っ首を掴まえられてズルズルズルと楽屋まで引き摺り下ろされてきた、絶えずその間も口汚くののしられながら。
「……」
 やっとその手を放されたとき、ボンヤリ顔を見上げると、宮志多亭の御隠居だった。よっぽど腹を立てているのだろう、着ている革羽織がカサカサ音立てて慄えていた。かしらの上がりで木やり上手として知られているこの御隠居はまた、雷親爺と仇名されたやかまし屋として文字通りの雷名を仲間うちに轟かせていた。しかもいまやその雷が黒雲踏み外して、真っ逆様にガラガラ下界へ落っこちてきたのだった。
「いい加減にしろイ、大馬鹿野郎」
 目と目があうとすぐいった、ガクガク入れ歯を噛み鳴らしながら。
「……」
 何が何だか分らなくて小圓太はちぢこまった。
「二度……二度上がる奴があるか、手前みてえなセコチョロが」
 セコとは芸人仲間の符喋で、「まずい」「つまらない」という意味だった。
「な、何だって……何だってヤイ上がりやがるんだ、それもこんな深いところへ何だってオイ上がるんだよ」
 そこらをこづき廻さないばかり笠にかかってきめ付けてきた。
「あいすみません、あとにまだ誰も参りませんし、鯉かんさんがお前上がれとおっしゃったもんで」
 やっと自分の叱られているわけが分って、にわかにオドオド小圓太はいった。
「べ、べら棒め、鯉かんが上がれっていったって」
 よけい破れっ返るような声をだして、
「つもってもみろ、手前にこんなところへ上がられたらせっかく入ってるお客様が皆ずらかっちまわあ。明日ッからこの宮志多亭はな、屋根へぺんぺん草を生やさなけりゃならねえや、このはっつけ野郎」
「すみませんごめん下さい」
 もういっぺんまたオドオドと詫びた。
「閉めとけ御簾みすを。いつ迄でもあとのくるまで閉めッ放しにしておけ」
 さらに憎さげに隠居はいい放って、
「おっちが上がるよりゃア御簾のほうがよっぽどましだ」
 そのまんまドタドタドタと木戸のほうへと足音荒くいってしまった。
 その晩――いい塩梅に間もなく常磐津を語る枝女子という若いおんなが入ってきてくれ、そのあと早目に文楽師匠が入ったので高座は大した穴も開かずにすんだが、中橋に住んでいる文楽師匠の駕籠を見送ったのち小圓太は、いつ迄もいつ迄も細い路次の入口に掲げられた宮志多亭の招き行燈を、ジッと目に涙をいっぱいたたえて睨んでいた。「桂文楽」一枚看板の灯はとうに消されていたが、ひどい空っ風に吹き曝されて夜目にも仄白く見えるその行燈は、カタカタ寂しい音立てて揺れていた。
「……畜生……」
 思わず小声でこういった。口惜しさが五体の隅々にまで浸みわたって疼いていることがハッキリと分った。
「お、お前を上げるくらいなら御簾を下ろしといたほうがましだとは、な、何てえことを一体……」
 あまりの腹立たしさにガチガチガチガチ歯と歯が鳴りも止まなかった。
「いくら席亭だっていっていいことと……いっていいことと悪いこととあら。あまり……あまりなことをあの爺」

 トプトプ涙がこぼれだしてきた。末の見込があると目のあたり鯉かんに賞められたそのあとだけに肩先深くザックリやられた今夜の傷手は深かった。一分御祝儀を貰ったとおもったら、五両ふん奪られてしまったようなものだった。あとからあとからそういううちにも烈しい憤りはこみ上げてきて自分で自分をどうなだめることもできなかった。
 ままになるなら今すぐとって返し、むしゃぶり付いてってあの爺を音を上げるまで叩きのめしてやりたかった。
 でも……。
 自分が今夜っきり落語家を止めてしまうならともかくも、やっといまこれからやりはじめていこうといういまの境遇では相手はかりにも席亭の御隠居様、そんなことおもいも及ばなかった。
 でも、このまんま今夜ムザムザ引き取ってしまうことは――。
 口惜しさに恐らく血が騒いで、師匠の家へかえっても夜がら夜っぴて寝られないだろうとおもった。
 では、どうしたらこの自分は一体。
「ウーム、よし」
 いきなり小圓太は前屈みになって掴んだ、手ごろの石を。
 発矢はっし
「宮志多亭」と書いてあるあの招き行燈へぶっつけて、せめてもの腹いせにしようとおもったのだった。
 しっかり手の中の石を握った。そして二、三度宙で振ってピューッ、あわやぶっつけようとしかけて、それもまた止めてしまった。
 だって――。
 巧く正面の席亭の名前のところへ当ればいいけれど、ひとつ間違って脇の芸人さんの名前の書いてあるところへ当ったら……。
 何かにつけていまこの自分を引き立ててくれていておくんなさる文楽師匠のお名前へ、石をぶつけてしまうことになるではないか。ましてや破いてしまいでもしたら。
 ……とするとこれもできなかった。
 でもやっぱりあとからあとから尽くるところしらぬ憤ろしさはこみ上げてくるばかりだった。
 どうしよう、では。
 どうするのだ、一体。
 狂おしく心が、心にこう訊ねてきた。しばし小圓太は唇を噛んだ。招き行燈の字面をみつめて、悲しく腹立たしく立ちつくしていた。
「……」
 それから小半刻もそこにそうやって立ったままでいたろうか、やがてはじめてあきらめたように向き直ると、小圓太は闇へトボトボ歩きだした。
 今夜のこと、そりゃ口惜しいには口惜しいが、いや口惜しくて口惜しくて死にたいほど無念残念やる方ないのだが、でも恐らく誰もが一度は必ず通った修業街道の「門」なのだろう。
 だとしたら……だとしたら、エエ仕方がない、俺もくぐろう。
 くぐって、またくぐって、どこ迄もくぐり抜こう。そうして、宮志多亭の雷隠居めを見返してやろう。
 それより、そのことより他に、手はないのだ、全く。
 いみじくもそうおもい定めたとき、クルリとまた首だけ小圓太は振り向いた。もういっぺん春寒の夜空に揺れている「桂文楽」の招き行燈をハッタと睨んだ、またしても涙いっぱいの目で。
「見ろ今に。あの行燈の中へきっと俺、三遊亭小圓太の名前を書き込ませてやるから。見ろ見ろ見ていろ雷爺め」
 声は傍から夜風に吹きはらわれていったか、筒いっぱいにこう怒鳴った。
 腰の提灯取り出して灯を点けようともせず、そのまんま後をも見ずに駈けだした。


     六

 一心不乱に勉強しだした、小圓太は。
 ぽつぽつ師匠も噺を教えてくれはじめ、日一日とすじみちはあいてゆく塩梅だったが、なかなかいまはそんなことでは満足してはいられなくなっていた。
 なるんだ、偉くなるんだ。
 一日も早く偉くならなければ、俺は。
 毎晩々々楽屋へいっては前座として働くだけ働き抜いたあと、少しでも間があるとシッカリ楽屋格子へつかまっては、どんな人の噺でも咳ひとつ聴き落とすまいと心がけた。
 その時分、師匠の真打席とりせきと文楽師匠の真打席とてれこにつかって貰うようになっていたのだったが、どこの寄席でも十五日間小圓太のかよってくるところの楽屋格子は必ず手垢でベットリ薄黒く汚れてしまっていた。
 その上、昼間、少しでも暇がみつかると小圓太は、プイと師匠の家を飛び出し、近くのおし原亭あたり、昼席へいった。
 楽屋から客席へとおしてもらい、先輩たちの噺を真正面から取っ組んでは勉強した。これは仲々の薬になった。
 でもそれでもまだ足りなくて伝馬町の清松へまで、でかけていった。ここは古くからの講釈場だった。
 初代の田辺南龍がでた。
 同じく松林亭伯圓しょうりんていはくえんがでた。
 伊東燕陵えんりょうがでた。
「天一坊で土蔵を建て」と川柳に唱われた初代神田伯山もでた。
 南龍は英雄豪傑の伝記に長じ、伯圓は義士伝に雄弁を振い、燕陵は義経記に一方の長を示した。
 ことに、伯山の、急かず騒がず、だれるばかりに噺を運んでいて、やがて終末へ近付くや、にわかに蘇ったような明快さでトントントンと捲し立て、アッといううちに一席読み終るその呼吸。
 誰よりも小圓太は、この人の呼吸におしえられるところ少なくなかった。なるほど「土蔵を建て」るわけだ。つくづくそう讃嘆せずにはいられなかった。
 それにつけても昼となく夜となく、落語となく人情噺となく講釈となく、むやみやたらと聴いて廻って、さて得たことは、巧い人、元より聴くべし。
 しかし、いかなる拙い人にも必ず一ヶ所や二ヶ所は、何ともいえないいいところがある。
 シッカリとそれを掴もう。
 またそのひとつやふたつのいいところすらない空っ下手の人、これはまたこれで勉強になる。
 どう勉強になるのか※(感嘆符疑問符、1-8-78)
 拙いな、ア、拙いな、また拙いなと眉をしかめて聴いていながら、その拙いところをよくようく心に銘記し、決して自分はその欠点に陥るまいと心がけることだった。
 こういう聴き方をしてゆく以上、まさに小圓太の勉強法は天下無敵、八方睨みだった。
 巧い人きたらばその長所を、吸血鬼のごとく吸い取ってしまう。
 然りしこうして拙劣この上なき奴きたらば、これは己が拙劣に陥らないための金科玉条にと身を入れて聴く。
 これではどっちへどう廻ってもドジの踏みようがなかった。
 小圓太の耳に入る噺の、講釈の、一木一草――ほんのかりそめのいと片々たる雑艸ざっそうまでが立派に明日のかてとなった。
 これあるかな。
 自分ながらうれしくて小圓太は、自分の出番以外は日を夜に継いで、いろいろさまざまの人たちの高座を聴いて歩いた。
「小圓太、お前は噺の淫乱だな」
 とうとう圓生師匠から、こう笑われてしまったほど、しんからしんじつ浮身をやつした。「芸」に瘠するの思いさえした。
「三遊亭さん。またしてもおせっかいをするようだがお前さんのところのあの小圓太、どうも近来大した腕の磨きようだぜ。どうだいひとつ、もう二つ目にしてやりねえな」
 見附のお濠っぷちへ真っ白に桜の咲くころ、わざわざ文楽は圓生の住居まで訪ねてきてこういってくれた。二つ目とは前座の次二つ目へ上がるからのいわれ。即ち前座の一級上へ栄達することだった。
「ありがとう、毎度。何しろ奴ァ昔下地があるんだから、いま二つ目にしたからって早かあなかろう。じゃお言葉通りそうしてやるかな」
 このごろの本人の心がけにも拠っていることもちろん論をまたないが、それにしてもいざ本筋の修業をさせてみると、きのうきょうこの社会へ入ってきた他の前座とはてんで芸というものの肚へ入れようが本場所角力すもうと田舎角力くらいちがっていた。子供のときから遊び半分でも何年か高座を勤めていたこともまた今にして、ようやくものをいいだしてきたのだった。
 三月末――めでたく小圓太は二つ目に昇進した。同時に湯島の父親のところへかえることを許された。
 でも、そのとき生来のんき者の風来坊たる父圓太郎はフラリ旅廻りにでかけていったまま、もう二ヶ月以上も音信不通となっていた。一番相好を崩して喜んでくれるだろう父親のいなかったことが何としても小圓太にとってはさびしかったが、それにしても指折り数えれば五ヶ月――僅か五ヶ月にして二つ目になれたとおもえば、大いに大いに喜ばないわけにはゆかなかった。
 でも、二つ目になってからの修業の、今までとはまた全く柄行がらゆきを異にして、めっきり辛く苦しくなってきたことを何としようぞ。

 にわかに圓生は一種特別の稽古を始めだした。稽古といっても口写しの噺の稽古のほかのおよそ厳しい仮借のない稽古振りなのだった。
 まずそのひとつ――。
「エー一席申し上げます。エー手前のところはエーその何でございまして、エー」
 こんな風にその時分の小圓太には話の合間に「エー、エー」という言葉癖があったのだが、それがひどく耳障りだとてある日圓生はいくつかの碁石を片手いっぱいに掴んで座を構え、
「サ、始めてみろ噺を。エーエーをいうんじゃねえぞ」
 顎でしゃくった。
「ヘイ」
 肯いて首の座へ直ったが開口一番、
「エー申し上げます」
 すぐその「エー」をいってしまった。
 ア……しまったと首をちぢめたとたん、
「エイ」
 早くも裂帛れっぱくの気合とともに、ピシーリ。圓生の手の白い碁石が小圓太のほうへ投げつけられていた。危うく碁石は耳許をかすって後へ落ちた。
「……その何でございます、とかくお噺というものは」
 少しまごまごしてこんな意味のないことを喋ってしまったのち、
「なるがだけ我々同様というエー」
 ピシーリ――ア、いけないまたいっちまった。
「いえその愚かしいエーエー」
 ピシリピシーリ。――いけない二つだ。
「エー者が」
 ピシーリ。――まただよ、どうも。
 あわてるとついかえっていってしまう「エー」なのだった。
「その、あらわれて参りませんとお噺になりませんようで、八さん熊さんというこれが我々のほうの大達者おおだてものでございまして、いったいどこに住んでいる人たちですかかいくれ分らないのでございますが、よく現れて参ります」
 めずらしく今度は「エー」をいわなかった。――どうだイ、エヘどんなもんだい。
「エーその」
 ピシーリ――。ア、いけない、ちょいと安心したらまたすぐいっちまったい。
「これが横丁の凸ぼこ隠居のところへ参りますとエーお噺らしい」
 ピシーリ。
「ことにエーエー」
 ピシ、ピシーリ。
「なりますようで、隠居『エーどうしたい熊さん』」
 ピシーリ。
「熊『エーごめん下さいエー、そのエー』」
 ピシピシピシーリ。
 ……仕様がない、こう「エー」ばかりじゃ。しどろもどろの大汗でやっと噺のすんだあと、
「ごらんよ周りを」
 師匠にいわれて振り返ったら、白黒碁石が雨とみだれてそのドまん中にかしこまっている自分の姿は、その昔国芳師匠が酔い書きにした碁盤忠信召捕の武者絵もかくやの体落ていたらくだった。
「……」
 さすがにてれて小圓太はしばらく悧巧そうな目を無駄にパチパチ動かしていた。
「てれることはないだろう、それだけお前さんエーをおいいだったんだ」
「マ、まさか」
まさかじゃない、ほんとうだよ、マ、いくついったか勘定しておみ」
 急いで碁石を拾い集めた。そうしてあらためて数えてみた。たら、六十三――!
「うへッ」
 完全にダーッとなってしまった。
 あくる日からめっきり小圓太の「エー」は少なくなり、五日十日と経つうちには必要のところ以外では決してオクビにもださないようになってしまった。
 お湯とお茶の飲み分け方。
 つづいてそうしたちょっとした心掛ひとつだが、なかなか気の付かない呼吸も教えられた。お湯は熱いかぬるいかの加減を表情に示すだけでよかったが、お茶はさらに舌の上で味わいを吟味してみせる表情が必要。それが両者のちがいだった。
 四季それぞれの水の飲み方。
 寒さ暑さで飲む人への心持もちがうだろうし、息せき切ってきた人の水の飲み方と、酔醒すいかの水千両の飲み方ももちろんちがった。
 二階で話している人の声と塀の節穴から呼んでいる人の声。
 二階の話し声はあたかも紙一重隔てているがごとく聞こえなければならなかったし、節穴からの呼び声は火吹竹を口へあてがって喋るごとき、そうした音声に聞こえなければ決して、「真」とはいわれなかったのだった。
 扇を箸に、蕎麦とうどんの挟み分け方も難かしければ、いろいろのたべ物のたべ分け方もまた大へんだった。
 しかも師匠は皮肉でへんなものを食べるところばかりを次々と稽古させた。
 まず羊かんはいいとして、長崎土産カステーラを食べてみろといわれたにはハタと困ってしまった。あんな珍しい高いもの、お恥しいがまだ小圓太はろくに食べたことすらなかった。たったいっぺん国芳師匠のところにいたとき到来物があったのを、上戸の師匠が要らないといい、兄弟子たちとひときれずつ頬張ったばかりだった。いまその乏しい体験の手付きや味わい方をにわかに再現しろといわれたところで……。
 中でも一番泣かされたのは鱈昆布たらこぶの汁の吸い方だった。まずフーフーと二度三度お汁を吹き、舌の上で昆布だけ味わい、たべてしまい、鱈は鱈で巧い具合に舌でころがし骨をだし、それを手でこう抜き取っていく、僅かこれだけのことなのだけれど、どうしてもそれが巧い具合にゆかなかった。巧い具合にも何にもてんで型が付かなかった。
「馬鹿野郎、そんなに頬ぺたを膨らがしちまう奴があるか、あれまた、膨ら……そ、それじゃ小僧が団子を頬張ってるところだ。見てろ、俺のやるのをよく」
 再び師匠は右手に扇子で箸を象り、左手の指を少し丸くしてお椀とみせ、フーフーお汁を吹きながら、昆布を、鱈を、鱈の骨を、あるいは食べ、あるいは抜き取るところとじつに如実に見せてくれるのだったが、
「ホレ何でもないじゃないか。サ、やっておみ」
 ド、どういたしまして。「何でもねえ」どころじゃない、オドオド小圓太が演りはじめるとたちまち昆布だか糸ッ屑だか分らなくなったし、鱈も饅頭もいっしょくたになってしまった。いわんや骨を抜く仕草においておや。我ながらこの間抜々々した恰好、白痴こけが虫歯を押さえている手付きにもさながらで、ほとほと自分がいやになってきた。とたんに、
「ダ、駄目だ!」
 その師匠の「ダ、駄目だ!」という声のピシーリ烈しい音のしたのとポーッと自分の右手の暖かく痺れてきてしまったのとがいっしょだった。
 と見るといつの間に握られていたのだろう師匠の手の二尺ざしが烈しくブルブル慄えていた。そうして、そうして、自分の右の手の甲がこんなにも堆く、紫いろに腫れ上がってしまっていた。間もなくズキズキ痛みだした、いやその痛いの何のって。
 いつ迄もいつ迄もその手の腫れは退かなかった。ばかりか、だんだん腫れ上がってきた、日一日と紫の痣の色濃きを加えてゆくとともに。
 もちろん、痛みも烈しく募った。
「どうおしだえ、お前その手を」
 とうとう母親の目にとまってしまったくらいだった。
「いいえ、いいえあの何でもないんです」
 あわててその手を袂の中へ隠してしまったが、
つらい」
 しみじみ心から叫ばないわけにはゆかなかった。
 でも、辛いとて、今更、後へはもう退けなかった、血みどろになって前進するより他にはこの自分は……。
「……」
 心配そうに母親の自分の傍から去っていったあと小圓太は、思わずその腫れた手の甲を瞼へ持っていった。腫れへ、ズキズキと涙が染みた。

「あしたの朝、暗いうちに稽古においで」
 ある日、師匠がこういいだした。
 湯島を夜中に起きだして、はるばる四谷まで。暮春とはいい、まだ夜夜中よるよなかは寒かった。暁方、師匠のところへ辿り着くころには一段とだった。向こうへ着くとまだ師匠夫婦は寝ていた。おしのどんとてようやく床をでたばかりのところだった。
「小圓太さん、あのお師匠さんがお前さんがみえたらね、表のお庭の方を掃除してておくんなさいって」
 寝ぼけ眼でおしのどんはいった。
「ヘイ承知……」
 かじかむ手に竹箒を。
 すぐ表庭の掃除にかかった。
 春曙の薄桃いろの薄紫の濃緑の水浅黄の橙いろのいろいろさまざまの彩雲いろぐもが、美しく頭上の空いっぱいに棚引き、今をさかりの花蘇枋はなすおう粉米桜こごめざくら連翹れんぎょう金雀枝えにしだ辛夷こぶしや白木蓮の枝々を透してキラキラ朝日がかがやきそめてきていた。有耶無耶あるかなきかに流れてくるなんともいえない花の匂い。
「……」
 大きく息を吸いながら小圓太は無心に竹箒の先を動かしていた。
 ポチャンと水の音がした。と見るとすぐ目の前の五色の雲を映している青澄んだ池のおもてに、緋鯉が跳ねたのだろう大きな渦巻が重なり合ってはみだれていた。いつか母屋からよほど離れたこんな池のふちのところまで掃き寄せてきていたのだった。
「サ、もうひと息、池の向こうを掃きや……」
 尚もせわしなく竹箒を動かしはじめようとしたとき、
 アツ、だしぬけにドーンと腰のつがを突かれた。そういってもべら棒に烈しく突き飛ばされた。フラフラフラと身体の中心を失い思わず前へのめっていったときツルリ小圓太右足を踏み滑らした。
「ア、アーッ」
 もうどうすることとてできなかった。彩雲いろぐもただよっている水のおもてが、たちまち大きく自分の目の中へ入ってきた。とおもう間にツツツツツ、ドブーン。雲掻きみだして青い池の真っ只中をアプアプ小圓太は泳いでいた。
「イ、いけない」
 プーッと泥臭い水を吐きだすと、ようやくのことで竹箒片手に池から這い上がってきた。一帳羅の黒紋付が見るかげもなくぐしょぐしょだった。ポタポタ青っぽい雫が落ちてきてきんぽうげ咲く草原を濡らした(ウルル、寒い)。
「アッハッハッハ」
 にわかに聞き覚えのある大きな笑い声が、耳もとで起ってきた。
 ギョッと見上げると師匠だった。暖かそうな黄八丈の丹前を着た師匠の圓生が、朱いろの日の中に朝酒で染めた頬をかがやかして、さも面白そうに笑ってっていた。
「い、いやですよ師匠冗談なすっちゃ」
 怒りもやれず小圓太はいった。
「冗談はしねえ、本気にやった」
 もう一度師匠は哄笑たかわらった。
「冗、冗……」
 さすがに口を尖らかして、
「いやんなっちまうなほんとに師匠。こんなことよか早く稽古のほうをやっておくんなさいよ」
 こう頼んだとき、
「すんだよもう」
 キッパリ師匠はいい放った。
「エ」
 思わず小圓太は訊き返した。
「すんだんだというんだよ、だから」
 また同じことを師匠はいった。
「何がすんだんですよ師匠」
 どうしても答の意味が分らなかった小圓太だった。
「だからもうこれでお前の稽古はすんだ、すんでしまったとこういうんだよ」
 再びキッパリといい放った。
「す、すんだ? あの、お稽古が」
 小圓太は自分の耳を疑った。思わず澄んだ目をクリクリさせた。
「だってお前ようく考えてみな」
 ニンマリと師匠は笑って、
「お前、今朝早く暗いうちから歩いてきて眠かったろう」
「ヘイ」
 言下に、肯いた。
「寒かったろう、まだ表は」
「ヘイ」
 また肯いた。
「そして随分辛いともおもったろう」
「ヘイ」
 三たび肯いた。
「その揚句にいま俺に突き飛ばされて池へ落っこちて、随分アッとおどろいたろう」
「……」
 今度は黙って肯いた。
「それ眠い、寒い、辛い、それからアッと驚いたときと、つまりそういうときの呼吸の修業をいまのこらずお前は俺にやって貰ったんだ。こののち噺の中へでてくる人物が眠がるとき、寒がるとき、辛がるとき、アッと驚くとき、みんないまのこの呼吸を忘れないでやるんだぞ」
 もういっぺんまたニンマリと笑って、
「分ったか、おい小圓太」
 さらに烈しく、
「なあ分ったか、オイ分ってくれ」
「分り、分りました」
 ああなるほど、そうだったのか、師匠のこのけさの心持は――。寒さも忘れて濡れ鼠のまま小圓太はお辞儀をした、またポタリポタリ雫が群がるきんぽうげの中へと落ちた。
「ウム」
 満足そうに肯いて師匠は、
「分ったらいい。早くおしのに着物を乾かして貰って帰れ」
 飲み残しのおしきせでもまた傾けるのだろう、そのままスタスタ踵を返して母屋のほうへ取って返していってしまった。

 中一日おいて呼び付けられたときには、縁側へ坐って師匠は集まってくる雀にしきりに米粒をばら撒いてやっていた。
 一羽の雀が食べ飽きて近くの木の枝へ、また別の一羽がまた食べ飽きてさらに一段と高い木の枝へ、もうひとつまた別の一羽はさらにさらに高い梢へ飛んで行くと、そのたんび師匠は、
「ホレ……ホレ……ホーレ」
 とそのたんびその雀の行くほうへ行くほうへとことさらに目で追って見せた。そうして、
「もうこれできょうのお稽古はすんだよ」
 とまたニヤリ笑った。
 地面からやや高いところへ、やや高いところからさらに高いところへ、さらに高いところから一番高いところまで、三段に雀の行方を追う圓生の目のつかい方は、それぞれそのたんびに位置や高低がちがっていた。話中幾人かの人物の位置の移動を、がんの配りたったひとつで如実に表さなければならない「噺」の世界では、かかって「芸」の活殺かっさつ如何はこうした目の動かし方ひとつにあり。すなわちいまその奥秘の種明かしをば、親しく師匠はして見せてくれたのだった。

「ウームそうか、そうだったのか」
 その日。感激で満身を慄わせながら小圓太は、四谷から振出しの神田三河町の千代鶴という寄席まで独りちながら歩いていった。どこをどうどんな風に歩いていったか分らなかった。それほどことごとく興奮していた。
「そうか、そうなのか、始めて……始めて……ウーム、そうか」
 そんな風な何ともつかない独り言を洩らしてはニヤニヤ笑いだしたり、口をへの字に曲げたりしてはまたブツブツ呟きながら、夢中で歩きつづけていった。
「オ、キ印だ」
「まだ若えのに可哀想に――」
 そういって何べんすれ違う人たちに嗤われ、後ろ指さされたことだろう、でもてんでそんなこといまの小圓太の耳には入らなかったのだった。
 ひたすら、夢中で歩いていた、歩きつづけていた。
 これが修業というものか。
 ほんとうの修業というものなのかこれが。
 噺はただ単に喋れるばかりでいいというのじゃない、こうしたいろいろさまざまの困難に耐えてゆく、そしてそれをいちいち噺の中の人物の了見方の上へと移し替えていく。
 それが――それがほんとの修業というものではあったのか。
 とすると、ああ俺何てこッたろう。あの時分あんなに怨んじゃいけなかったんだうちの師匠を。ホレあの入門以来、ろくすっぽ稽古もして下さらなければ、前座にすら使っておくんなさらなかったといってさんざ腹を立てたり嘆いたりしたけれど、いってみればあれも、圓太郎の忰でございと永年楽屋勤めをしてきたこの俺を、いろはのいの字から叩き直してやろうてえ思し召しだったのか。そういえばそばやおでんを見せ付けては食べさしておくんなさらなかったということも……。
 今更、師匠の底知れぬ心づくしのほどがあとからあとからあぶりだし玩具にあらわるる絵のごとくマザマザと眼先に描かれてきた。何ともいえず恥しかった。
 知らねえで、つゆいささかもそんなお心持と知らねえで逆怨みしていたこの俺がみっともない。
 ごめん――ごめんなさいね師匠。
 涙ぐましく口の中でこういいながら、そうなってくると俺の首根っ子を掴んで高座から引き摺り下ろし、さんざ悪口のありったけをいったあの宮志多亭の雷隠居も、俺にとっては大きに大恩人の一人かもしれない。
 ……あの空っ風の晩の「桂文楽」と筆太にしたためた宮志多亭の招き行燈が、目にアリアリと蘇ってきた。「桂文楽」と書かれた文字はそのまま小意気な文楽師匠の顔に変って、
「そうだ、そうだとも、その通りなんだよ、よくお前さん」
 悟ったねえ――と、心から微笑んでくれているように感じられた。
 いつか師匠の家の庭を掃きながら落語家を廃めることを思い直したあのとき以上に自分の前後左右がパーッと何だか明るくなって、そこら道ばたに転がっている石ころのひとつひとつさえが、ありがたくてありがたくてならないもののよう考えられてきた。往来のまん中へペタッと坐って、誰にともなく、いや道行く人のありったけに、
「ありがとう、ありがとうございます」
 と心から大声で御礼がいいたいくらいだった。
「危ねえ若僧、殺されちまうぞ」
 だしぬけにこう怒鳴られて、ハッと小圓太は飛び上がった。すれすれのところに大八車がひとつ。もう少しでもろにぶつかってしまうところだった。
「す、すみません」
 ピョコピョコお辞儀をして辺りを見廻すと、甘酸っぱいようなものの立ちこめている晩春の暮れ方。飛び交う蝙蝠こうもりの翼を掠めて、ほんのり行く手に五日月がかかっていたが、それにしても一体ここは……。
「ア、いけない」
 三河町の千代鶴は、もう十町も手前のほうへと通り越してしまっていた。しきりに竹刀やっとうの声が聞こえ、もうじき於玉ヶ池の千葉先生の道場ちかくへすらきていたのだった。
 吃驚して小圓太は引き返しだした。
[#改丁]

第三話 続 芸憂芸喜
[#改丁]

     一



 目に見えて小圓太の「芸」は大人になってきた。ぐんぐんぐんぐん身丈が伸びて成長してきた。
 それにしても、何てここまでやってくる間には曾我の十番斬の講釈じゃないけれど、大小無数のいろいろの「芸」の木戸があったこッたろう。とても俺、阿父さんの席へでていたときのような我流だったらこんな深い深い世界のあることなんて分っていなかったろう。
 つくづくそうおもわないわけにはゆかなかった。ほんとうにそれは八幡の藪知らずのような、目もあやにややっこしい「芸」の怪鳥けちょうなく深山幽谷であり、九十九折つづらおりだった。
 大ていの奴だったら途中で草臥くたびれて引き返しちまうだろう。だからなかなか本筋の、叩き鍛えた芸人ってできないわけなのだ。
 そういうことも今更しみじみと考えられた。
 考えれば考えるほど無性に師匠の上がありがたくなってきた。「師恩」という言葉がほんとうにいや深い意味もて考えられてきた。
 俺、四谷のほうを向いちゃ……。
 決して足を向けては寝ないことにした。
 ばかりか楽屋で師匠のことを少しでも悪くいう者があると、むきになってくってかかった。
「お前ンとこの師匠は人前でばかり調子がいいから、だからいやさ」
 ある晩、連雀れんじゃく町の白梅の楽屋で浅草亭馬道がこういったときも、泣いて小圓太はつっかかっていって、
「分った分った俺が悪かった。お前の師匠孝行にゃ負けたよ、圓生さんはとんだいい弟子を持ちなすって幸だ」
 とうとう馬道をしてあやまらせてしまったくらいだった、そのくせ事実は馬道のいう通りの性格のところも、多分に圓生にはあったのだけれど。でも、そんなこと、師匠おもいでひとすじの小圓太には決して分ろうわけもなかった。
「ああありがたい、師匠は」
 こうおもうにつけ小圓太はいっそう一生懸命になって師匠の噺を聴きはじめた。聴くばかりじゃないあらゆる呼吸をば探りいれだした、片言隻句、咳ひとつでもそっくりそのまま採りいれてつかってしまうことにやぶさかでなかった。何から何まで圓生生写しの建築が、やがて小圓太というプンと木の香の新しい材木で仕上げられた。
「いままでにお前ほどよく私の噺を聴き込んだものはない、またお前ほど私の噺の呼吸をよく取ってしまった弟子もいないよ、ありがたいとおもうね私は」
 滅多にこんなこといったこともない師匠が、ある晩、しみじみこういって自分の猪口を小圓太へ差してくれた。寄席のお休みの晦日の晩で、真っ暗な庭のところどころには白藤の花が夜目にも微かに揺れていた。
「ト、とんでもない。もったいないお言葉でございます」
 ありがたくそのお酒をいただきながら小圓太は、あわてて手を振った。
「いや、ほんとほんとうだよ。そのうち、お前を真打にしよう。じつはもう二、三軒、さる席へ口をかけているんだ」
 いかにも可愛いもののようにジーッと悧巧そうな小圓太の顔をみつめて、
「二つ返事で席亭も承知をするにちがいないよ、お前の腕なら」
「…………」
 真打に、いよいよこの私が真打に。嬉しさに小圓太は口も利けなかった。
 思わず師匠へ返す盃がガタガタ慄えた。

 が、十五日、ひと月と経って、小圓太真打昇進の話は一向に進んでこなかった。
 圓生はひとりヤキモキした。
 あんなに巧くなっているものを。
 自らほうぼうの席亭へ出向いていって、菓子折など差し出し、懇々と頼んだが、
「ハイハイ分りました、恐れ入ります」
 とか、
「ハイハイいずれそのうち時期を見まして」
 とか、みんながみんな判で押したように煮え切らない返事をするばかりだった。そうしてどこの寄席でもとりあえず菓子折の礼には翌月小圓太を二つ目として宵の浅いところへ、また師匠の圓生には中入りを、せいぜいこれだけの返礼しか報いられなかった。
「バ、馬鹿にしてやがる」
 不平で不平で圓生はたまらなかった。
「オイ何だってうちの小圓太、真打にしてやってくれないんだ」
 とうとうある晩、やってきた杉大門の主人をつかまえて、初松魚はつがつおの銀作りを肴に冷酒やりながら猫足の膳を挟んで圓生はいいだした。
「冗談いうねえ師匠。なぜ三つ目にしねえてえなら如何ようとも御相談に乗りましょう。だが、いきなり二つ目から真打へ。そんな品川の次がすぐ大井川だなんて飛双六じゃ、てんきり話にならねえね」
 酒焼けのした顔の刀痕を動かして杉大門は鼻で笑った。
「そ、そりゃ分る。そりゃもっともだ」
「ならお前、そんな無理を承知の話を……」
「しかし、しかしだ杉大門」
しかしも西もねえ」
「まあさ聞いてくれひと言だけ。というのがあいつ、お前さんも知ってのきのうきょうの二つ目じゃない、親父の圓太郎のところで我流じゃあるが七つから十四まで、多少とも高座のお湯の味も知っている。そいつが二年ばかり廃めてて返り咲き、今度はみっちりこの俺が仕込んだんだ、出来星の二つ目とは違うってこと、俺の自惚うぬぼれじゃないはずだ」
「だから、だからこそお前さん三つ目に」
「いやそいつァいけねえ」
 烈しく首を振って、
「だから……とこっちのほうがいいたい、だからこそ何とかそこをひとつ真打に」
 いいながら圓生、高座で使いそうな大きな湯呑みへ、なみなみと冷酒を、ヌーッと杉大門の方へ差しつけてきた。
「ウム」
 受け取ってググググと息も吐かずに呑み干し、すぐまた圓生のほうへ返すと、ウーイとひとつげっぷをしたが、
「じゃいおう、俺もいおう」
「ウム聞こう」
 微笑んで圓生、ひと膝乗りだした。
「聞いてくれ三遊亭。そりゃ巧え小圓太は。お前のいう通り、たしかに筋もいい、調子もいい、がんもきく、人間も決して馬鹿じゃない。どうしてなかなかの大したものだ」
「ならお前ひとつ」
 宝の山に入りながらというようないかにも惜しそうな顔を、圓生はしてみせたが、
「どっこい、それが」
「ウム」
 ニヤリ杉大門は上目して、
「せっかくだけれどね、まだどうも」
「ド、ドどうして、どうしてよ」
 にじり寄るように、圓生はしてきた。
「似てるからよ」
 ややしばらくいおうかいうまいかためらっていた杉大門が、やがて思い定めたようにズケリといった。
「な、何」
「似てるからだよ」
 重ねていった。
「ダ、誰に」
「お前さんに、よ。いやさ三遊亭圓生師匠によ」
 ワザと芝居がかりにいって、
「師匠に似てちゃ、いや、弟子と師匠だ多少は似てるのもいいが、ああ似過ぎてちゃ芝居にならねえ、こちとらにしても全くの話が汁粉のあとにまた汁粉はいらねえ、せめてあべ川か餡ころくらいなら何とかお客様に我慢もして頂くが、お前さんと小圓太とじゃ似たりや似たり汁粉二杯。とすると何といっても、こっちとしちゃ年期のかかってるお前さんだけ、つまり美味うめえ汁粉のほうだけでたくさんだってこういう次第になってくる」
「…………」
 理の当然に一瞬、グッと鼻白んだようだったが、
「でも…………でもいや、いや俺はそうはおもわないな」
 不愉快そうに大きい鼻へ皺を寄せて、
「ねえ杉大門、おい俺はおもわない、おもいませんよ」
 あくまで横に車を押してきた。
「じゃどうおもうんだ、三遊亭は」
「師匠に似過ぎてても巧いものは巧い、汁粉が二杯つづいてもちゃんと立派に真打にしてやれるとおもうんだ」
 理屈にも何にもなっていないことをいい張って、
「してやってくれ、ねえおい後生だ、してやってくれ、してやれねえとまたお前俺の前でまんざらいえた義理でもあるめえお前」
 いよいよ調子が笠にかかってきた。手酌でまた二、三杯冷たい茶碗酒を呷りつけると、いつになく据ってきた目でギロッと睨んだ。
「…………」
 接穂つぎほなく腕組みして黙ってしまっていた杉大門は、永いこと何をかブツブツ口小言をいっていたが、やがてグイと顔を持ち上げると、
「オイ、真打にしよう小圓太を」
「エ、してくれるか、ありが……」
「おっとっと、だがただはしねえ、約定がある」
 いつしかひどくドロンとした目になってきていた杉大門も、手許の湯呑の酒をグイとやって、圓生の大きな鼻の頭を睨んだ。
「ド、どんな役定だ」
「ハッキリいおう、師匠二人似たものはいらねえ、小圓太をお前さん、どうでも真打にしようてンなら、きょうこう限りお前はん、落語家を廃めてあいつに後目を譲ってやんねえ、そうすりゃ……そうすりゃあ俺……」
 フフンと肩でせせら笑って、
「そうすりゃ……そうすりゃ俺、小圓太師匠を真打様に」
「か、勝手にしやがれ」
 いきなり圓生はガチャンと足で猫足の膳をひっくり返した。八方へ銀作りがちらばった。

 ……間もなく圓生は小圓太に名前を変えろといいだした。小圓太という名前が子供々々していて貫禄がないため席亭が重んじないのだとこう圓生は考えたのだった。
「どうでしょう師匠、この名前」
 翌朝すぐ小圓太は小さな紙切れを持ってきて、師匠の前にひろげた。
「…………」
 取り上げてみると、圓朝とハッキリした字で書かれてあった。
「ウ、いいだろう」
 しばらくジーッと眺めていた師匠がやがて大きくひとつ肯いて、
「圓朝――圓朝はいい。爽々しくていい名前だし、ドッシリともまたしているし。ウム、よかろうおめ、これに」
 ……かくてその日から小圓太は圓朝と名を改めた。
 三遊亭圓朝――。
 でも圓朝と名は変えたけれど、やっぱり二つ目以上の何物でもなかった。賞めてくれるのは師匠一人で、仲間も席亭も白い歯ひとつ見せてくれるでなかった、時にはあんなに師匠の賞めてくれてるのはあれもお世辞じゃないかと疑われたほど。
 それには二つ目という境遇、ハッキリと前座よりは苦しかった。骨が折れた。身分こそ低く、身体こそ忙しいが前座のほうがまったお給金が貰えた。つきあいもなかった。給金の貰えない者はその代り師匠の内弟子だから、必要に応じたものはみんな師匠が面倒を見てくれた。
 ところが二つ目となるとそうはいかない。
 出る席はせいぜい一軒か二軒で、それも半チクな寄席ばかり、従って収入みいりはない。
 しかもつきあいのほうはもう一人前とみなされているから、祝儀不祝儀、何かにつけて後から後から出銭が多い。
 三度に一度は前座に小遣いもやらなければならないし、仲間と飲みにも行かねばならない。楽屋へ這出しにくるやくざがあると、それにもなにがしかの小遣いをとられた。しょせんが一軒チャチな寄席の掛持が増えた位では、毎月毎月足がでてしまった。いや全くその苦しいの何のって、愚痴はこぼしたくなる、不平は湧いてくる、しかも周囲は一人でもあいつしくじればいいと手ぐすね引いて待っている手合ばかりだから、口でばかりお上手をいっても、誰一人味方になってくれるものなんかない。従ってその時分あたら前途ある芸人で二つ目の苦労に耐えかねて江戸を売り、ついに生涯、旅烏で終ってしまうものが少なくなかった。
 そうした二つ目としての生活条件だけでもいい加減苦しいところへ、いまの圓朝は阿母おふくろ一人かかえて食べさせていかなければならなかった。旅へいったきりどうしてしまったろう父親の圓太郎は、いまだにたよりもよこさなければ、もちろん仕送りひとつしてくるでもなかった。圓朝の稼ぎだけではとても足りないので、母のおすみが他人様の縫針仕事をして僅かに暮らしを支えていた。もちろん切通しの家もとうに畳んで、七軒町の裏長屋へ引き移ってしまっている始末だった。
 まだその上に、ここのところ圓生を宗家とする三遊派というものが、なぜかてんでその道での人気が目に見えてなくなってきていた。
 初代圓生が山遊亭猿松と洒落た亭号を名乗った昔はいざしらず、この仲間の習いとして猿の字を忌み、「三遊亭圓生」と改めて以来このかたも、古今亭新生、金原亭きんげんてい馬生、司馬龍生、三升亭小勝と名人上手は続々とあらわれいで、ついほんのこの間まで三遊派の大いなる流れは随分滔々と派を唱えていたのに。
 どうだろう、それが近ごろ。
 いまの二代目の代になって、新生さん、馬生さん、小勝さん、バタバタと死んでしまったせいもあるけれど、それぞれに属していた多くの弟子たちも一人減り二人減り、にわかに火の消えたようになってしまった。
 もういまでは自分と旅へでたまま音信不通になっている親父の橘家圓太郎と、師匠のところの客分に当るもう老いぼれた圓蔵と、なんと三遊派はこれだけしかのこっていなかった。
 ……何とか――何とかしなけりゃ。
 ……何とかしないことには阿母を抱いて、私は心中してしまわなければならない。
 圓朝はそう考えた。
 ……いや阿母ばかりじゃない、三遊派全体が地獄の底の底へと沈んでいってしまうことになる。そうもまた考えた。
 ……でもいくら何をどうしようとて、師匠がいくら骨を折ってくれても真打にしてくれ手もないこの私。三遊派という腐っても鯛の大きな大きな屋体骨を背負って立つには、あまりにも自分というものが非力過ぎた、貧弱過ぎた。これじゃ天下をくつがえさないうちにこの私自身が覆ってしまうだろう。
 どうしたら、ああどうしたらいいだろう――とつおいつ悶ゆる目先に、いつか二つ目になったとき師匠に連れられてお詣りにいったことのある苔むした初代三遊亭圓生の墓石がまざまざといま見えてきた。
「ウム」
 何をか圓朝は強く心に肯いた。

 その月から圓朝は毎月初代圓生のお墓参りにゆきはじめた。雨が降っても槍が降っても、いいや槍どころじゃない、類いまれなるあの大地震のあったその月、焼野原の灰掻き分けて迄も圓朝は、はるばるお墓参りにでかけた。


     二

 かくて一年目。
 梅雨曇りの午後の空を寂しく映している水溜りをヒョイヒョイヒョイヒョイ除けるようにしてきょうも圓朝は、それが目印の、燃えるように柘榴の花の咲いている下の墓石のところまでたどり着いた。片手にお線香と番傘を、片手にしきみを五、六本浮かべた手桶を重そうに持ちながら。
 浅草森下の金龍寺。
 そこに立派りっぱやかな初代三遊亭圓生のお墓が建てられていたのだった。見上げるような墓石だけに無縁同様の、それが去年の大地震にところどころ欠けているあとへベットリ青黒いものの苔蒸している姿には、ひとしお荒涼たるものが感じられた。
「…………」
 携えてきたたわしでゴシゴシ圓朝は墓石を洗った。サーッとてっぺんから水を掛けた。そうしてはまた、ゴシゴシとこすった。
「初代三遊亭圓生墓」
 やがて、赤ばんだ紫ばんだ石のおもてへ、彫りの深いこんな文字があらわにあらわれてきた。同じように水を掛けて、右横のほうを洗うと「三遊門人一同」として、古今亭新生、金原亭馬生、司馬龍生、三升亭小勝、二世三遊亭圓生と、あとからあとからこんな文字が並んで細く顔見せてきた。
 新生、馬生、龍生、小勝――みんな初代圓生門下の逸足いっそくで、今は亡い得がたき手練てだればかりだった。一人一人の顔が、姿が、高座振りがみんなつい昨日のことのように、なつかしく圓朝の記憶にのこっていた。今更のように圓朝は、それらの人々の上が惜しまれた。
 一番おしまいの二世圓生――それがいまの自分の師匠の圓生だった。
「ほんとに……」
 桶の中から取り出した樒を半分ずつにして、両方の花立ての中へ差し込みながら圓朝は、
「うちの師匠の代になってめっきり三遊派は衰微してしまった」
 そっと微かに溜息を洩らした。秀でた眉が、心持悲しく慄えていた。
「何て……何てこったろうほんとに」
 シットリと湿しっけた枝差しだしている傍らの柘榴の股になっているところへのせて置いたお線香二本、つづいて圓朝は左右の線香立てへ供えた。ユラユラうすむらさきの煙りが立ちのぼって、やがてそれが思い思いの形に折れた。そうして、流れた。
 ……町内随一の大分限ぶげんの身代が次第々々にぐらつきだし、今ではいたずらに大きなそこの土蔵の白壁の、煤け、汚れ、崩れ果てて、見るかげもなく鬼蔦おにづたの生い繁り、鼠ほどもある宮守やもりの絶え間なく這い廻っている……そうした何ともたとえようない寂しい儚ない浅ましい景色を、圓朝は目に描かないわけにはゆかなかった。
「……もし初代さま、おお師匠さま」
 すっかりお墓の掃除をすますと、改めてサーサーッと手桶の水を墓石の上から流し、なるべく大きな美しい樒の葉を一枚むしって、その葉ではね返すように小さく手向たむけの水を上げると、心からなる声で呼びかけた。
「お願いです、お願いでございます。私ども、子供心に覚えております。あなた様御在世のみぎりはこの三遊派、大した御全盛でございました。それが只今では御覧の通りの見るかげもない有様となっております。残念でございます私は。どうか、どうか、三遊派を、昔の……昔のように私は……」
 ここ一年毎月いっぺんずつ繰り返している言葉ながらまたしてもここまで独り話してくるとき、きまって合掌しているしなやかな細い双の掌へ、はらはら涙がふりかかってくるのだった。
 みだれた声は、さらにつづいた。
「戻したいのでございます。返したいのでございます、お願いです。お師匠さまどうか……どうか私の技芸上達いたしますよう。三遊派のため、立派な真打になれますよう……」
 組み合わせている手と手を、いよいよキューッと固く合わせて、
「お導きなすって下さいまし」
 深く深く、額がお線香とすれすれになりそうなところまで頭を下げた。そうして、いつ迄も上げなかった。
 ややしばらくして、はじめて顔を上げ、ホッとしたように辺りを見回したとき、ハッキリした目鼻立ちの顔中が、しとどの涙でかがやいていた。
 急いで手拭を懐中から、涙を拭いた。
 立ち上がってもういっぺん、世にも丁寧にお辞儀をして、それから圓朝はもときた道のほうへと歩きだした。
 ともすれば滑りそうになる小さな石段を下り、古井戸の脇のところへ最前の手桶を戻すと圓朝は、
「お世話さまでした」
 と遠慮深げにまだ地震のあとそのままの掘立小屋同様の門前の茶屋へ声を掛け、勘定キチキチに小銭を置いて、逃げるように表通りへでた。
 右も左も向こう側もズーッとお寺。そのひとつらの土塀の上へ、いつかまたしとしと糠雨こぬかあめがふりだしていた。ところどころ崩れた土塀の破れから、おそい一八いちはつが花ひらいて、深むらさきに濡れていた。
 どこかで鳩の声がきこえた。
 筋向うの、大きな濡れ仏の見えるお寺の角を急いで曲って、天王橋のところまででてきて、はじめて圓朝は、自分を取り戻したような心持になった。
 もうここまできてしまえばいい。
 何もずるいことをしたってわけじゃなし、お線香代お花代それは払って、ただ余分の心づけがしてやれないってだけのことだけれど、それが不思議に苦患ぐげんだった。気がひけてひけてならなかった。
 何かおそろしく不当なことでも仕出かしてきた自分ででもあるかのように、堪らなく何か気が咎められた。
 三遊派の元祖、則ち初代圓生の祥月命日は三月二十一日。
 だからちょうど去年の今月今日、則ち五月の月は変れど日は同じ二十一日に、三遊派復興のため、いしくも月詣りを発心して以来、月々二十一日、かかさず池の端の住居からこの森下までお詣りにやってくる自分だったけれど、門番の爺やへ余分の心付けのやれないことだけが、そのたんびの苦しさだった。悲しさだった。
「ああちょうどまる一年自分は森下のあのお寺からこの天王橋の通りまで、いつでもそのたんびかっぱらいでもした小僧のように逃げ出してきたことになる」
 二年、三年、五年、十年――いや自分のいのちのあらん限り、照ろうと降ろうと、雪だろうと嵐だろうと、それこそ天から槍が降ろうと、初代さまお墓詣りに伺うことに何の苦労もあるわけとてなかったけれど、一日も早くたとい二文が三文でもあの門番へ余分の心づけがしてやれる身分にはなりたい。
 偽らざるこれが圓朝の本音だった。
「まず御先祖さま、お心づけのやれる私にだけ、大急ぎでさせて下さい」
 ギーイと音立てて開いた番傘を真っすぐにさし、天王橋を後に、御廐橋のほうへ歩きだしながら圓朝はさらに口の中でこう頼んだ。この道、大廻りは百も承知、金龍寺をでてつづく寺町を北へ、佐竹のほうへ抜けるとするとどこもかしこもお寺ばかりで、いつ迄もいつ迄もそこら中のお寺の門番から心づけをやらないことを叱られているような情ない気がされてならないからだった。
 ほんとうにボロ長屋でも一軒構え、阿母と二人やっと細々その日を過している圓朝にとっては、悲しやお線香とお花代とが精一杯の散財、その上の心づけなんて、とてもとても及ばぬ鯉の滝昇りなのだった。
「ほんとに……ほんとに……早く、早く俺真打になりてえなあ、三遊派のために」
 また独りちながら御廐橋の四つ角を左に、新堀渡って、むなしく見世物小屋の雨に煙っている佐竹ッ原を横目に、トコトコと圓朝は歩いた。それでも降りつづく雨で幾日も幾日も小屋を干して休んでいる佐竹ッ原の芸人たちの上をおもうと、まだしもいまの侘びしい自分の境遇のほうが増しかとおもわれたりした。
 だんだん雨が強くなりだしてきた。風をまじえて。
「いけない」
 幾度か傘をお猪口にされそうになりながら圓朝は、足を早めた。この傘壊してしまったら、今夜から席へさしていく傘がなくなる。
 必死に、汗みずくに闘いながら、やっと広小路から三橋を池の端へ。どこからか早い夕餉ゆうげの油揚焼く匂いの流れてくる七軒町の裏長屋までかえってきた。
 連日の雨で不忍の池の水量がよほど増しているのだろう、腐れかかったどぶ板を踏むたび、ザブザブ青水泥あおみどろが溢れてきて、溝板の割れ目から豆粒ほどの青蛙がピョコピョコ飛び出してきた。
阿母おっかさん、只今」
 やっと破らずに戻ってきた番傘の雫を切って圓朝は、半分だけ閉めてある我が家の戸へ手を掛けた。
「お困りだったろう、次郎吉」
 このごろすぐ眉間へ深い立皺の寄る、年よりはぐっとけた母親のおすみがオロオロしたような顔を見せて、土間まで迎えてきた。
 その足許に、見馴れない男物の足駄がひとつ。
「オヤ阿母さんどなたかお客様」
 いつにないことと圓朝は尋ねた。
「待っておいでなのだよ。お前がでてゆくとすぐおいでになって……」
 そっと後を振り返って母親は、
「お前、ねえお前、あのお前の高座をお聴きになってね、お弟子にしてくれってお方なんだよ」
「エ」
 思わずドキッと圓朝は奥をみつめた。


     三

 一年目。まる一年目。
 いまお詣りをすましてかえれば、自分のような若輩の高座を聴いて、弟子になりたいというものがきて待っていようとは……。
 これぞこの上なき、初代様の御加護と吉兆をおぼえて、満面を喜悦の微笑にほころばしながら圓朝は、母親の持ってきてくれた雑巾で足を拭き、ぐしょ濡れの着物もそのまま薄暗い座敷へ上がっていった。
「うわ、こりゃ――」
 吃驚したような声を立てて二十二、三になる円顔の男が、ペタッと蟇蛙ひきがえるのように両手を仕えた。誰かに似ているなとおもったが、ちょっとおもいだせなかった。
「圓朝です、私が」
 得意のような面羞おもはゆいようなものを感じながら圓朝は、丁寧に頭を下げた。
「ア、師匠ですか。すみません、ごめんなさい、悪うござんした」
 いたずらをみつけられた子供がするように、ピョコンとひとつ頭を下げた。何ちっともこの人の悪いことなんかありゃしないのに、へんな奴が入ってきた、ふきだしたくなるのを圓朝は耐えていた。
「菊てんです、大工なんであっしァ。しとくんなさいなお弟子に。その代り何でもやります手摺をこさえるんでも棚吊るんでも本箱こしれえるんでも。重宝です私ァ」
 ニュッととぼけた顔を突き出して自分の鼻に指をさしながら、
「でも大工よかほんとは私ァ落語家のほうが好きなんで。じつァ大工は拙いんです」
 な、何だい、こりゃ。じゃちっとも重宝じゃありゃしない。圓朝はまたふきだしたくなってきた。
「親方ンとこの、いえ親方ったって私の伯父貴なんだけれどね、そこの煤掃き手伝いにゆくとあとで軍鶏しゃもで一杯飲ましてくれるんです」
 藪から棒に今度はまたこんな奇妙なことをいいだして、
「その軍鶏で御馳走ごちになりてえ一心で私ァ一昨年おととし手伝いにいったんだ、そうしたら畳を上げたとたんに親方がどっかの殿様から拝領したって、ひどく大事にしている御神酒徳利を三つぶッ壊しちまってね。そうしたら親方がいいましたぜ、もう来年からお前だけは手伝いにこないでいいって」
 当り前だよそりゃ。いよいよ圓朝は唇を噛んで笑いを耐えていた。そのとき汗っかきとみえて豆絞りの手拭で汗拭きながら、その男は表の樋をつたって流れる雨音に負けないような大きな声で自分のほうが勝手にゲラゲラ笑いだした。ア、分った。汗を拭くところを見ておもいだした、似たとはおろか瓜二つ、うちの阿父さん圓太郎をそっくりそのまま若くしたんだ、この顔も、それから声も。いやどうも、じつに似ている。時が時だけ、他人事ならず圓朝はいっそなつかしいものにおもわれた。
「ウーム、なるほどなるほどお前さんは」
 やがて圓朝は口を切って、
「失礼ながら面白いお方で落語家さんにはまことに結構とおもわれます。しかしねえ、お前さん」
 ちょっとクリッとした目を外らして考えていたが、
「でもあっしのような青二才の弟子になるより、どうせこの商売におなんなさるのだったら、もっとどうにかなったお人の……」
「いえ、いいえ、それが」
 あわてて相手は剽軽に手を振って、
「こっちァおはん一本槍でやってきたんで。私ア文楽さんのでている神田の寄席でお前さんを聴いたんだ」
「ああ三河町のあの……」
 千代鶴だった。
「ウム。そうなんだ。まだそりゃお前さん、ほんとに若いけれどもね、多少末始終の見込があるとおもってね」
「恐れ入ります」
 多少は恐れ入りましたね。またしても笑いたくて笑いたくて圓朝は仕方がなかった。
「つまりその仕込みゃどうにかなる人だとおもったんだ、お前さんは。だからあっしァいっしょに苦労をしてひとつ釜の飯を食べてみてえとこうおもってやってきたんだ。成る、きっと成るよ大真打にお前さんは。ねえ、ねえ、昔からいうだろう、師匠を見ること弟子にかずだ」
 あべこべだ、それじゃあ。
 とうとう圓朝はお腹をかかえて笑いだしてしまった、次の間にいた阿母といっしょに。
 ようやく笑いやんだのち詳しく素性を訊いてみると、両親はなく、伯父に当るその大工の親方も本人が落語家に成ることは決して反対してはいない、むしろ望んでいるくらいなのだということが分った。
「ありがとう」
 ハッキリ圓朝は頭を下げて、
「それまでに……それまでにおもって下さるなら、私の弟子……いやまだ二つ目の私が弟子なんてとんだおこがましいが、まあ弟でも何でもいい。お言葉通りうちへきていっしょに苦労をして貰いましょう」
「エ、それじゃ私をお前さんのお弟子に。ヘイありがとうござんす」
 ピョーイと素頓狂すっとんきょうに飛び上がると、
「じゃひとつねえ師匠、縁起に歌いましょ、都々逸でも」
 ニッコリ笑って、柄になく錆びのある中音で、
※(歌記号、1-3-28)異人館の屋根に異国の旗が風に吹かれてブラブーラ
 これがほんとの異国(地獄)の旗(沙汰)も風(金)次第イイ……
 と一気に歌った。
 大へんな弟子があったもんだ。でもそのすっとぼけた調子にも、いよいよ父圓太郎をおもわせる何かがあった。
 いっそう圓朝は可愛くおもえた。
 萬朝という名を、その日、やった。

 初代のお引合わせだろうか、つづいてもう一人、弟子がきた。
 これは白魚河岸のほうの床屋の職人で、二十一になる銀吉という、目のキラリと光る侠気いなせな若いだった。
 小勇と名乗らせた。
 大工上がりの萬朝はおよそしまらない男で、朝は師匠の圓朝より遅く起きた。夜は圓朝が席からかえってくるともう枕を外してグーグー高いびきの白河夜船だった。
 見兼ねて圓朝が、
「ねえお前どうでもいいけれど、かりにお前昼寝をしてでも朝は私より早く夜は私より遅く寝るってわけにゆかないかねえ」
 こういったらキョトンとした顔をうなだれてしばらく考えていた萬朝、やがて面目ないようにチラと目だけ上げてくると、
「いえ、それがねえ師匠。私ァ昼寝もしてるんで」
 ……それじゃのべったらに寝てるんだ。
 あまりの馬鹿々々しさに呆れ返って圓朝、それっきり何もいわなくなってしまった。
 銀吉の小勇のほうは俗にいうエヘンといえば灰吹き――目から鼻へ抜けるたちの男だった。
 噺は萬朝のほうが馬鹿々々しくて見込がありそうだったが、日常の茶飯の事にかけては小勇が、恐しいほど万事万端才走っていた。
 従って萬朝は台所の手伝いをしかけている途中で、噺の稽古に夢中になってしまったり、かとおもうとまた用事をおもいだしてそのほうへかかったり、とんとすることがしまらなくて、よく年若の圓朝から叱られたが、小勇のほうはろくになんの稽古なんかしない代り、暇があると表を掃いたり、ごみ箱のそばの雑草を引っこ抜いたり、一坪ほどの何ひとつ植っていない庭へザブザブ水をやったりした。
 圓朝が御飯をたべていると、後へ廻って団扇で煽ぐのもきっとこの小勇だった。そうしては萬朝のどじで間抜けなことを、何彼につけて悪しざまにいった、聞きかねて圓朝のほうがなだめだすまで。
「なんのお前、萬朝のほうがどじでもよっぽど無邪気でいいんだよ。あの小勇の奴ときたらお前さんがでかけてしまうとすぐにグーグー高いびきさ。ほんとにお前あの二人がいっしょになるとちょうどいいんだねえ」
 二人きりになると母親のおすみは、つくづくこう圓朝にいった。

 思いがけなくできた二人の弟子。
 それは若い圓朝を、いよいよ勉強させる基となった。
 俺はこんな若くて二人も弟子があると自惚れる前に圓朝は、二人も弟子のあるこの俺がデレリボーッという心持になっちゃいられない、早く早く真打にならなきゃ……。
 そう考えては、一心不乱に勉強した。
 二十一日の金龍寺墓参はもちろん、そののちもズッとかかさず、つづけた。
 まだ若輩のところへ、喰潰しの弟子が二人もきて、いよいよ暮らしは苦しかったから、依然門番への心づけはやれず、そのたんびきまりの悪い思いをしてかえってきたが、それでも何でも月にいっぺん、親しく大師匠の墓前へ立って、まるで生きている人にでも話し掛けるよう、己の昨今を報告し、あわせて、芸運長久のほどをひたすら祈ってかえってくるあの心持は別だった。何ともいえずすがすがと楽しかった。
 かかさず、忘れず、願にかけてよかった。
 その上、毎晩、寄席へゆく前、必ず前の井戸端へ四斗樽を据え、素ッ裸になってその水を浴びた。昼席に勉強にいっていても、必ずいっぺん家へ帰ってきて、水ごりをとらなければ、決して寄席へはでかけてゆかなかった。かえってくると、また、水を浴びた。
 そうして、
「私が芸上達なさしめ給え。何とぞ一日も早く真打とりたらしめ給え。どうか……どうか……初代さまお願いで……」
 夢中でこう祈るのだった。
 心だにまことの道にかないなば、祈らずとても神や守らん。ましてや、かくも一心不乱に祈りつづけている圓朝。神の加護なきいわれがなかった。
 それほどの意気込で勉強するからだろう、他の人の二つおぼえられる噺が三つ、三つおぼえられる噺が四つ、あとからあとから面白いように新しい噺がおぼえられてきた。そうしてそこにうそのように五十という落語はなしの数が、僅かの間に圓朝の頭の中に収められてしまった。
 かなりの真打でも十五か二十の噺しかしらないものの多かったそのころ、まだ三つ目にも覚つかない圓朝が、噺五十。
 客も驚けば、楽屋も席亭も目を瞠った。
 だんだん掛持の寄席の数が増えてきた。
 秋から冬へ。弟子二人の喰扶持も、自然に浮いてくるようになった。
 あれほど悩みの種だった金龍寺の門番へのお心付けも、どうやらやれるようになった。
 やっと圓朝は森下の寺町通りを、薄氷を踏む思いして駈け出さないでもいいようになってきた。
「ありがたいことだねえ」
 心からうれしそうに母親のおすみがいった。圓朝もほんとうにうれしかった。
 生きてゆくということの張合――しみじみとそれが感じられた。
 水ごりとっては寝るたんび、あしたの目醒めが楽しかった。辛くとも苦しくとも、何かこのごろは身の周りがよく澄んだ青空で装われているようだった。
 さて、この上の望みには――。
 またしてもある日圓朝はつくづくといってしまったのだった。
「俺、何とかして真打がとってみたい、せめてあの宮志多亭の招き行燈に入らなければ」


     四

 十八の年の九月。
 師匠が杉大門の大将にたのまれてふた月ばかり甲州のほうの親分手合のところへ、余興のようなことでたのまれていっている間、萬朝と小勇と、あとに音曲噺の桂文歌を頼んで、はじめて圓朝は真を打つこととなった。
 いまとちがってひと晩にせいぜい五人か六人しかでなかったそのころの寄席、みんなが二席ずつタップリとやれば、どうやら時間はもつことができた。
 が――。
 さすがに、目貫めぬきのいい寄席では、圓朝のトリなんて鼻もひっかけてはくれなかった。
 そこの寄席、かしこの寄席と掛合って歩いた末が、駒込の炮碌ほうろく地蔵前の、ほんのささやかな端席だった。それが初めて圓朝のトリを肯ってくれた。しょせんが師匠がかえってきて喜んで貰うべく報告にいけるほどの結構の寄席じゃなかったけれど、せめても師匠の留守のうち、このくらいのことはこっそりしておいて、よくやったお前といわれたかったのだった。それに初めて招き行燈へ上げた「三遊亭圓朝」の五文字。
 薄寒い秋の日暮れ、その寄席の前へ立ってその五文字を眺めたとき圓朝は、鏡の中の我れと我が顔をほれぼれと見入っている思いで、いつ迄もいつ迄もその前を立ち去ることができなかった。
 ねがわくば楽屋入りなんか止しにしてしまって、ひと晩中この寄席の前へ立ったまんま、ジーッとこの招き行燈を見守っていたかったくらいだった。
 でも……。
「本郷もかねやすまでは江戸の内」とうたわれたそのころ、駒込の炮碌地蔵前ときては場末も場末、楽屋の窓を開けると、裏がすぐ覆いかぶさりそうな竹林で、そのまた向こうがいちめんの畑になっていた。
 秋寒い夜風の中で、小止みない竹の葉擦れとともに、狐のなく声が聞こえた。
 圓朝はここを先途と喋りまくったけれど、毎晩みすぼらしいりをした場違いのお客様が、二十か三十くるばかりで、てんでどうにも仕様がなかった。
 席亭も止めてくれがしの顔をした。
「この前きてくれた日本手づまの鈴川伝之丞さんのほうがよっぽどへえったよ」
 楽屋へきて、聞こえよがしにこんなことさえいった。「ざまアみろ」と嗤っているにくい宮志多亭の雷隠居の顔がみえる思いがした。
 いたたまれない思いで圓朝は、とうとう十日の約束を五日で止めてしまった。
 次は下谷広徳寺前の寄席。
 下谷ではあるが、ここらも寂しい寺町はずれの、やっぱりお客の頭数は駒込とさして変らなかった。
 三日で止めた、これは。
 麻布古河の寄席を打った。
 つづいて狸穴まみあなを一席、きめた。
 どっちも十二、三人なんて晩があった。
「当分、私、休ませて頂きたいと存じます」
 戦い利あらずと見てとったのだろう、狸穴の寄席の千秋楽らくの晩に、文歌がこういって暇をとっていってしまった。
 万事休す矣。
 初看板の夢ついえて圓朝はガッカリとしてしまった。
 ついこの間まで身の周りを包んでいてくれた青空が跡形もなく失せつくして、あべこべに漠々たる暗雲が十重二十重に、前後左右を追っ取り囲んできた。そうしてこの暗雲は三年五年十年かかっても、消えてはゆかない思いがした。ばかりか、日一日と重なり重なってこの自分を、押し潰してしまおうとするもののようにさえ考えられた。
 身体中の骨という骨が今に離れてゆく感じだった。
「…………」
 母親の顔を見るさえきまり悪く、やけくそに夜寒の井戸端でザブザブ水を浴びると圓朝は、そのまま自分の寝床へ入って、煎餅蒲団を引っかぶり、くゆみ返って寝てしまった。
 ……でも。
 一夜明けると、不思議に圓朝の心はまた、カラリと雲が切れていた。その切れ目から、薄日ではあるが、僅かにキラリと顔覗かせてくる朝日の光りがあった。
 しらないうちにまた活き活きとしたものが、少しずつでも節々に蘇ってきてはいるのだった。
 やる。
 どうしてもやるぞ。
 ヌクッと床の上へ起き直って、別人のごとく圓朝は叫んだ。


     五

 大晦日ギリギリに中橋の桂文楽師匠のところから使いがきた。文楽師匠はあれから一年ばかり上方へいっていたし、こちらも端席歩きをしたり何かしていて随分掛け違って会わなかった。
 何の用事だろう。
 とるものもとりあえずでかけてゆくと、
初席はつせきからお前、俺の真打席しばやの中入り前を勤めてくんねえ、頼んだぜ」
 初席とは元日からの新春はるの寄席。相変らずの侠気な革羽織を着てどこかへでかけようとしていた文楽師匠は、めっきり大人びてきた圓朝の細おもての顔を見てニッコリいった。
「…………」
 あまりに思いがけないことで、圓朝は口が利けなかった。しばらく目の前の色白の顔をポカンと見ていた。だんだんはち切れるような嬉しさが、あとからあとからくすぐったく身体全体を揺ってきた。
「ア、ありがとうございます」
 思わず長い長いお辞儀をしてしまった。
 そうして、あら玉の春。
 真を打つことは失敗に終ったが、思いがけないこんな福音が転がり込んできたありがたさ。
 狐のなく声の聞こえる場末の寄席の真打とは比べものにならないほど反響のあるギッチリ詰まっているお客の前で、思うまんまに腕の振える幸福さ。あかあかと自分の顔を照らす八間はちけんあかりのいろさえ、一段と花やかなもののあるよう感じられた。
 ここぞと腕によりかけて圓朝は喋った。
 それには久し振りでしみじみと聴かせて貰った文楽師匠――宮志多亭のときとは段違いに芸が大きく美しく花ひらいていた。
 もちろん、あの時分とて決して拙い芸ではなく仇な江戸前の話し口だったが、遠慮なくいわせて貰えるなら、やや線が細過ぎて江戸前は江戸前でも煙草入れとしてのおもしろさというところだった。
 それが今度は見違えるほど芸の幅が広く立派になっていた。それには何ともいえない明るいこぼるるばかりの色気というか、愛嬌というか、触らば落ちん風情が馥郁ふくいくと滲み溢れてきていた。かてて加えて人情噺でありながら急所々々のほかはことごとく愉しく、明るくまた可笑しく明朗ひといろで塗り潰されていて、そこに少しでも理に積んだものがなかった。
「ウーム」
 声を放って感嘆した、圓朝は。
 この人に比べるとうちの師匠圓生は決して拙い人ではないが、万事が理詰めで陰々と暗い、寂しい。だからどことなく聴いていて肩が凝る。
 もし絵の具の色にたとえていうなら、うちの師匠のは青か藍だろう。
 このごろ一部下司なお客様たちに喜ばれるいたずらに悪騒々しい手合をさしずめ赤とするならば、もちろんその赤ではいけないのだけれど、さりとて青だけでもまた侘びし過ぎる。
 そこへいくとこの文楽師匠は赤でなし、青でなし、巧緻に両者を混ぜ合わせた菖蒲あやめ鳶尾いちはつ草、杜若かきつばた――クッキリとあでに美しい紫といえよう。
 ああ、それにつけてもいと切におもわずにはいられない、下らなく悪騒々しい連中は速やかにうちの師匠のような本格の青さを加えて紫の花香もめでたく。噺に陰影かげを添えることだ。
 同時に、噺の筋はたしかだが青ひといろで陰気だと鼻つまみにされている面々は、これまた適当に赤を混ぜることだ。そのとき各々の人たちの芸はそれぞれ皆はじめて画竜点睛、ポッカリと江戸紫の花咲きそめることだろう。
 とするとどうだ、この私は。
 青――あまりにも青だった。
 土台の私自身の「芸」が青のところへ、師匠の青を混ぜ合わしている。だから生来の青は青のままいよいよ深きを加え、あるいは紺となり、あるいは藍となり、あるいはまた萌黄となり、どこ迄いっても要するに陰、陰、陰の連続だった。
 いけない、これでは。
 いかでかそんなことで、まこと愉しめる「芸」というものが、何生れよう。落語家万事、にせ紫、江戸紫、古代紫、紫、紫、むらさきのこと――芸の落ちゆく最後のお城、御本丸は、ついに「紫」以外の何物でもない、ないのだ。
 こう文楽を聴いていてしみじみと悟った圓朝は、以来話し口を、人物の出し入れを、「噺」全体を、極めて明るく明るくと勤めた。
 果してお客の受けがよかった。席亭も大へん喜んでくれるようになった。
 二軒、三軒――だんだんいい寄席の、深いところへでて喋れるようになった。
「あの落語家は若いけれど、ものになりそうだ」
 誰もがこういいだしてきた。人気。自分という一しか値打のないものを選ってたたってはたが二十、三十にとせり上げていってくれる、何ともいえないありがたいもの。人気というものの幸福感をはじめて圓朝は、身近に知ることができた。
 ……でもその頃から目に見えて甲州からかえってきていた師匠圓生の受けは悪くなった。逢いにいっても機嫌の悪い顔ばかりしていたし、たまに楽屋で面とむかってもプリプリ怒ってばかりいた。
 が、自分としては少しでもでてきたこの頃の人気。師匠に喜んでもらえこそすれ、怒られることなんかした覚えはひとつもなかった。むしろ不思議でならなかった。で、いよいよ精一杯、師匠へ尽した。尽せば尽すほど師匠の機嫌は悪くなった。言葉に針があり、することがなすことが目に見えて意地悪くなり、小言をいうときでも内弟子時分のような、サラリとした小言はいってくれずいたずらに長談義のようなへんにネチネチした悪意のうかがわれるお説教ばかり聞かされた。しっかりやれと自分のお盃を差してくれたあの日の師匠の思いやりある面差しなんか、薬にしたくももう見られなかった。
 ひとえにそれが寂しかった、圓朝は。
 こうしたひょんなことになっても、前にもいった通りお神さんは、嬢さまの年をったというだけのおひとだったから何をどう取りなしてくれるでもなかった。師匠の感情は水の高きより低きへ流るるよう下らなく悪化していくばかりだった。僅かにいよいよ上がっていく人気という五色の雲の中へひた隠しに身を隠して、その寂しさを忘れていた、なぜ師匠はいっしょにこの人気を喜んじゃくれないのかしらとしきりにおもいながら。
 そのころ七軒町の裏店から、表店へ。
 ゴミゴミした裏長屋から、明るい表通りへとでてきたことは、自分の人生もようやく裏から表へとでてきたようでうれしかった。
 張り切っていよいよ圓朝は勉強した。
 暇さえあると他の噺を、講釈を、猿若町の芝居へさえ、始終しょっちゅうでかけてゆくようになった。そうしては自分の芸の明るく色好く「紫」たることをいやが上にも苦労し、工夫し、砕心してやまなかった。
 論より証拠、日一日と圓朝の芸が、パーッと明るく派手やかになっていった、たとえればあのお正月の繭玉の枝々のごとく。
 よいときにはよいことがつづく。
 そこへ永年、音信不通だった父親の橘家圓太郎が、ヒョッコリ旅からかえってきた。
 旅から旅の風塵にまみれた圓太郎は、もう昔のようなだらしのない道楽者ではなくなって、見るからに好々爺然たる枯れ桜のような風貌と変っていた。
 無人の三遊派では喜び迎えて、圓太郎を、こよなき重宝役者とした。
 父の圓太郎と母のおすみを七軒町の新宅へのこして圓朝は、浅草かや町の小間物屋の裏へ引き移った。
 この間、越した家よりやや小さかったけれど、普請が新しく、裏の窓を開けると、濃い龍胆りんどういろにすみだ川がながれていた。その川面へ、向こう河岸の横網町の藤堂さまの朱い御門が映り、それが鬱金うこんいろの春日にキラキラ美しく揺れていた。
 絶えず艪声も聞こえてきた。
 こうした江戸前のスッキリした眺めも、いよいよ自分も一人前の芸人の仲間入りができるかの瑞兆のような、いいしれぬ喜ばしさを圓朝の胸に滲ませないではおかなかった。一日に何べんも何べんも裏の窓を開けてはフーッと深く呼吸して、水の匂いを一杯に吸い込んだ。
 吐きだしてはまた吸い込んだ。
 何べんも何べんも繰り返し繰り返し、試みた。
「いやだね、また師匠お株をやってる」
 そのたんび呆れて萬朝は、師匠の華奢な肩を叩いた。
 いきなりその手をグイと掴んで圓朝は、エイヤッと芝居もどきに投げる真似をした。
「タハッ」
 大袈裟にやられたという表情をして萬朝は、ドタリバタンと不器用にとんぼを切った、ひとすじ朱く畳を染めている春日の上へ。顔へ朱いろの縞がみだれた。
「テ。口ほどにもない……」
 鷺阪伴内にひと泡吹かせた道行みちゆきの勘平のようニッコリ圓朝は、見得を切った。
「…………」
 やっぱり花四天のよう、ニュッと雨足上げて転がったままで萬朝はいた。
 何ともいえない主従睦み合っているこの景色のめでたさ和やかさ。おのずからジーンとさしぐまれてくるものがあった。修羅場ひらばの真似をして石の狐の片耳落としたあの少年の日ののどけさが、ゆくりなくもいまここにうれしく蘇ってきたのだった。さざなみのような幸福感が、ヒタヒタと圓朝の胸を濡らしてきてはまた濡らした。

 そうしたある朝。
「タ、大変だ大変だ師匠、おはん」
 例によって素頓狂な顔をして萬朝がアタフタ表から飛び込んできた。
「何だお前はんとは」
 昔、師匠が夫婦して夢中で読んでいた「梅暦」をようやく手に入れて貪るように読み耽っていた圓朝はめっきり大人びて憂いを帯びてきた目を上げて、たしなめた。
「おはんでいいよ師匠、お前はんの方が花魁おいらんらしくて」
 大真面目な顔をして萬朝がいった。
「お前のような汚い花魁がありますかえ」
 呆れて圓朝は笑いだしてしまったが、
「して何だえ、その大変とは」
「小勇の奴がねえ、師匠、お前はん」
「また始めやがった」
「口癖になってんだ、とがめねえでおくんなさいよ、いちいち」
「よしよしフムそれで」
「それで、ア、その小勇だ、あのほれこの間師匠がここの家へ引越してきて間もなく小言をいったらフイといなくなっちまったろう、あン畜生、小勇」
「うん」
 圓朝は肯いた。それは萬朝のいう通りだった。目に見えて陰日向かげひなたがひどくなったから越してきた日に初めてミッチリと油を絞ってやったら、不貞腐れてすぐその晩のうち、小勇は飛びだしていってしまったのだった。でもその小勇がどうしたというのだろう。
「ト、とんでもねえ野郎だ、いっちまったらしいんだあの野郎」
「だからどこへさ」
 また訊ねた。
「あすこ」
 無恰好な指を差して萬朝は、
「あすこだよホラ」
「あすこじゃ分らない」
「分るよ師匠、ホレ、ホラ、あの……おもいだしてくんねえよ」
「呆れたお人だ」
 いよいよ呆れてしまって、
「分るものかね私にそんなこと、どこだよ一体」
「りゅう、りゅう、りゅうしさん――」
 やっと思いだしたように萬朝、いった。
「エ、りゅうしさん、りゅうしさんてえと」
 圓朝は腑に落ちない顔をした。
「ホ、ホレ柳枝。春風亭柳枝師匠だよ。うそにもあの野郎、三遊の飯を食ってやがって敵方の柳派のおん大将ンとこへ入っちまいやがるなんて、太え、太え、いけッ太え畜生だ」
 正直一途の萬朝はもうカンカンになって腹を立てていた。のちの明治になってからほどハッキリと分れていたわけではなかったが、そのころのことにしても三遊派と柳派とは歴史的にも落語界での二大潮流だった。ほんとうにいま萬朝の怒る通り、ほんとうに小勇が撰りに撰ってその柳派の大頭目たる春風亭柳枝のところへ、自分に無断で草鞋わらじをぬいでしまったとしたら。
 さすがに圓朝はいやあな心持がした。
 このごろいっそう自分に機嫌の悪くなった師匠、圓生が、つい二、三日前も寄合で(たまたま自分は用事があって顔をださなかったのだったが)大ぜいの人たちのいる前で圓朝の奴は留守中俺に無断で端席を打って恥さらしな真似をしたとか何とか大そう自分のことを悪しざまに罵っていたと耳にした。
 端席の不入りは自分が未熟だったのだし、師匠の旅中に断らずやったのは手落ちだったかもしれないが、万々一にも大入りだったらかえっておいでなすったとたん、アッと喜んで頂こうとおもったからに他ならない。
 何もそんなにまで怒られるわけはなかろうとおもっていたが、ではことによったら端席のことはつけたりで小勇の柳派入り一件かもしれない。でも、でも、それならば明らかに小勇が悪い。師匠の怒るのも無理はない。
 同時にそうした三遊派全体を踏み付けにした弟子をだしたのはこの自分の責任だ。打たれても蹴られても仕方がない、これは心からあやまろう。
 そう覚悟を定めていたが一向に師匠のところからは呼びにくる気配もなかった。
 二日、三日、四日――日が経つにつれて、だんだん圓朝は小勇の存在を忘れてゆくようになった、満座の中で悪しざまに師匠が自分を罵ったということをさえ。やがて二つともフッツリともおもいださなくなってしまった。それほどもうそのころ日に夜に圓朝の周りを取り巻きだしていた人気の声々は高まってきていたのだったといえよう。
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第四話 拾遺 芸憂芸喜
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     一



 その真打に。
 でも、やっぱりなかなかなれなかった、圓朝は。
「立浪の、寄るかと見えて」いつも空しく仇花としぼんでいってしまうことが仕方がなかった。
 そのたんび気を落とし、悲しみ、ヘタヘタとくずおれた。そしてはまたすぐその心の底から不思議に元気よく立ち上がっていく。ああこんな真剣な繰り返しを圓朝はおよそ何回何十回としたことだろう。
 すればするほど、真打たりたい圓朝の希望は大きく逞しく拡がっていくばかりだった。
 なりたい、なりたい、なりたいと、さんざ考え抜き、悩み抜いた末、今度は、では、どうしてなれないのか。
 どうしてこの俺だけはなれないのか。なれないにはなれないだけの次第が何かそこにあるのだろう、それを考えだしてみたい。
 ふっとしまいにそういう反対の考え方をするようになってきた。
 しかもこの考え方は、意外なところで人生行路の敵の虚を突いたようなものだった。
 たちまち答案が、そこへでてきた。
 ……ありふれた噺ばかり演っているからさ。
 なるほど、芸質はすでに曙空を仰ぐような佳き紫いろと。だからこそようやく人気も立ちそめてきたが、しかししょせんは自分の演るところの噺、ひと口にありふれたものばかりである。
 いくら五十が百おぼえようとそんな噺――。
 柳枝さんも演る。
 その弟子の榮枝、柏枝も演る。
 左楽さんも演る。
 さん馬さんも演る。
 まだその他にも誰も彼も自分より十倍も二十倍も巧い人たちが、もっと達者に、もっと上手に、演っているではないか。
 いくらどう馬力を掛けてみたところで、どうまあ卯辰うだつが上がるものか。
 すなわち、これがどこからかしきりと圓朝の耳許へ囁きかけてきたところの「答案」だった。
 ……そうか。
 そうだったのか。
 なるほど――なるほどその通りにちがいない。
 では――では、その幾多の名人上手たちに負けないようにしていくのには、一体、どうしたらいいのか、私は。
 ……やることさ、誰もがまだ手がけていない新しい「路」を。
 そこを切り拓いていくことさ。
 第二の「声」は、つづいてこうした第二の「答案」を囁いてきた。
「おお、そうだった」
 はじめて圓朝は、この答案としての自分の行く手に薄白い東雲しののめの空のいろを感じた。
 ひとすじ夜明けのあけを見た。
 よし。
 やろう。
 やってみる。
 必ずやるとも。
 勢い立って心に叫んだ。

 あくる日から茅町のささやかな圓朝の住居の中には、ところ狭しと唐紙のような、障子骨のような、衝立ついたてのような、屏風のようなものの、いずれも骨組ばかりのものがとっ散らかされはじめた、とんと経師屋きょうじやの店先のごとくに。
 片っ端からそれへいちいち、萬朝と二人、汗みずくになって反古ほご紙を貼った。
 そろそろあわせに着換えたいきょうこのごろ、家中がムンムとするほど炭火をおこして、その火で反古紙を貼ったものを片っ端から乾かしていった。
 乾き上がると、今度はその上へ上等の鳥の子を貼った。また、それを炭火へかざして乾かした。
 やっと出来上がったかとおもうと、物さしをあててみて寸法の間違いであることが分ったりして、また始めからやり直すこともあった。そうなるとまた反古紙を貼り直し、またそれをあぶり、またまたその上へ鳥の子を、またまたそれを火で乾かすのだった。
 寄席へ行くまでかかりっきりでやっていると圓朝も萬朝も、汗で着物が絞るほどグショグショになってしまった。
 でも――何ともそれは愉しかった。他人には説明し難い苦労の愉しみというものがあった。
 ようやくそれらが出来上がった。
 あくる日から座敷中が、今度は国芳の家のおもいで懐しい無数の絵の具皿で充満された。
 赤や青や黄や緑や白や紫やさては金銀や――経師屋化して人形屋か大道具師の仕事場もかくやとばかりだった。
 うすものひとつになって圓朝は、この間内あいだうちから貼りかえたいろいろさまざまの障子のような小障子のようなものへ、河岸の景色を、藪畳を、よしわらを、大広間を、侘住居わびずまいを、野遠見のとおみを、浪幕を、かつて習い覚えた絵心をたよりに、次から次へと描き上げていった。
 次から次といっても、もちろん、そう短兵急たんぺいきゅうにはゆかない。これもやっぱり乾きを待って(雨でもつづくと何とそのまた乾きが遅かった!)次々と塗り上げてゆくのでなければならなかった。三日で上がるのも、五日で上がるのもあった。十日かかってまだ出来上がらないものもあった。
 全部の景色がすっかり仕上がってしまったのはかれこれ、八月。もう裏のすみだ川の水のいろが、めっきり秋らしく澄みだしていた。
 あくる日から圓朝の家は三たびさまを変えて、今度は花やかな三味線の音締ねじめが絶えず聞かれるようになった。大太鼓、小太鼓、ドラ、つけや拍子木の音も面白可笑しく聞こえてきた。
 三味線のほうは下座のお辰婆さんの詰めっきりで、鳴物一切は萬朝が一生懸命、かかりっきりになってやっているのだった。
 その合方に乗って圓朝の、あるいは高く、あるいは低く、あるいは男の、あるいは女の、台詞せりふめいた声音が聞こえてきた。
 誰のこわいろも使えないらしく、誰の口跡こうせきにも似ていなかったけれど、芝居の台詞せりふであることはすぐ分った。
 これがひと月ふた月とつづいた。

 やがて十一月――。
 ようやく圓朝は前人未踏の鳴物噺というものを、高座へのせた。
 高座の後ろ一面の浅黄幕。
 オヤッとお客が、目をみはっているところへスーッとでてきてスラスラと普通の人情噺を喋っていく。
 やがて噺が最高潮に達してきたとおぼしきとき、ちょんと浅黄を振り落とす。歌舞伎めかしてお約束の書割が、派手に美しく飾られている。
 再びお客が目を瞠るとき、にわかに圓朝は芝居仕立の台詞となる。
 台拍子、宮神楽、双盤そうばん、駅路、山颪やまおろし、浪音、そこへ噺の模様に従って適当にこれらの鳴物があしらわれていく。
 その目新しさ、花々しさ。
 そういってもこの気の利いた趣向。
「ウ、こりゃあいい」
「猿若町まで行かねえでも手近の寄席で、芝居見ている了見になれらあ」
 口々にお客は賞めそやした。
 大江戸へ日に三千両落ちる金は、一に魚河岸、二に花街として、三は三座の芝居街と定められていた時代、それほど芝居というものがハッキリ市民憧憬渇仰の王座たりし時代、この圓朝が芝居仕立の試みはたしかに時代の要求にピッタリはまった。
 果然――。
 二日目は初晩より、三日目はまた二日目の晩より、目に見えてお客が増えていった。ことごとくそれが熱狂した。
 大看板は別として、同じくらいの落語家は、ちょいと圓朝の鳴物噺のあとへはとっ付けないまでに喜ばれた。
 お湯屋……髪結床……水茶屋……そこかしこで、圓朝の鳴物噺の噂がでていた。身振り可笑しくその真似をして女子たちを笑わせているお客を、湯屋の二階で見かけることも一再ではないようになった。
 評判また評判。
 二十一歳の春。
 ついに待望の日がそこにおとずれてきた。


     二

 青山南町の久保本という中流の寄席だったが、そこから一月の下席しもせき、圓朝の道具噺を真打とりにして打ってみたいという交渉があった。
「…………」
 圓朝の喜びは文字通り筆紙に尽せなかった。はるばる山手のてからその交渉にきてくれた瘠せた下足番の爺さんへ、心の中で手を合わせたくらいだった。よちよちかえっていく爺さんのこけた背中の辺りからは、キラキラ後光がしているようにすらおもわれた。
 青山南町なら、例の赤坂の宮志多亭へほんのひとまたぎであることも妙にうれしかった。
 雷隠居だってきっとこの私の看板を見るにちがいない。
 ただひとつ問題は寄席のほうから、スケを師匠の二代目圓生にぜひねがいたいと註文されたことだった。
「…………」
 ハタと圓朝は困ってしまった。
 まさか現在の師匠を只今不首尾になっておりますとはいえなかった。
 第一先方としても、まだやにっこいこの自分に真打とりをとらせてくれる以上は、せめて師匠くらいのところをけさせなければ看板づら花やかに客が呼べないものとおもっているくらいのことは、圓朝といえどもよウく分り過ぎるほど分っていた。
 だけにいっそう辛かった。
 よろしゅうございます。真打の取りたい一心でこう容易たやすく引き受けてはしまったものの、このごろ何かにつけて自分に当りの烈しい師匠圓生。
 果而はたしてウムといってくれるだろうか。
 考えると心細かった。
 誰がお前なんかにと、剣もホロロに横にかぶりを振られてしまうのじゃなかろうか。
 もし振られてしまったら、何としよう。
「…………」
 しばらく圓朝はとつおいつした。
 どういつまで思いを巡らしていたとても、この心の循環小数はどこへ落ち着こうすべもなかった。いたずらなどうどうめぐりを繰り返しているばかりだった。
「エエ仕方がない、当って砕けろ、ぶつかってみよう、そうして小向かいで膝を抱いて話してみよう。それでいけないッたらまたそのときはそのときのことだ」
 万々一、最悪のときは文楽師匠にすがってみてもいいとおもった。
「ねえみんな喜んでおくれ、いよいよお正月の下席から青山久保本で私の真打だ。多分もうハッキリとまるだろう」
 覚悟が定まると、にわかに心が浮き立ってきてさっそく外出着よそゆきに着換えて出掛けるとき、たまたま来合わせていた双親に、弟子たちに、明るく圓朝はこういった。
「エ、真打が、おめえの」
「よかったねえ、ほんとうに」
 眉に喜びのいろを見せて双親が微笑めば、
「師匠おめでとうございます」
「ヘイ、おめでとうございます」
「おめでとうございます」
 口々に弟子たちも祝儀を述べた。道具噺以来、もう萬朝のほかに、勢朝、圓三と増えていた圓朝門下だった。
 逸早く母のおすみは縁喜棚へ、お燈明を上げた。カチカチ萬朝が切火を掛けた。でもいくらやってもその切火、まるで火がでないとおもったらなんの萬朝、火打石の代りにシッカリ拳ほどのお供えを握ってはいるのだった。お供えからは火がでやしないや。
うちじゃ阿父さんと萬朝と二人、そそっかし屋がいるから」
 口へ手を当てておすみは笑った。
 晴れやかな笑い声をあとに、手土産片手に圓朝は家をでた。獅子舞の笛太鼓がしきりにそこここに路次路次から流れていた。

 久し振りでのぼってきた山手のての街々、いい塩梅に師匠圓生は在宅だった。しかもおっかなびっくりで訪ねていったのが、思いのほかに機嫌がよかった。
「エ、久保本、お前が下席を。ああいいともいいとも、そりゃめでたい、けて上げるとも! 安心おし」
 恐る恐るスケ一件を切り出すと案ずるより生むが易し、言下にこう快諾してくれた。
「ありがとうございます師匠。何分お願い申し上げます」
 ホッと肩の荷の下りる思い。畳へ額をすれすれにして礼をいった。
 ま、いいじゃないか、ゆっくり遊んでおいで――と珍しくたいそうな御機嫌で引き留められるのを昼席がありますからと断って表へでた。
 いかにものどかな午後の日の中の山茶花垣のひとつづきを歩きながら圓朝は、こうトントン拍子にいくようでは、いよいよこから[#「こから」はママ]自分の運は拓けていくかな。
 うれしくそうおもわないわけにはゆかなかった。
 と、見ると一番まともに日を浴びている傍らの枯芝の上へござをひろげて、みるから人の好さそうな爺さんが赤い、黄色い、また薄青い唐辛子を干していた。ふっと圓朝はこのごろめっきり愚に返ってしまった父圓太郎の上をおもった。頭上で鳶がトロロと輪を描いている……。

 ……やがて久保本の初日がきた。

「困った」
 圓朝は真っ青になってしまった。その初日の晩の楽屋だった。ニコニコ愛敬たっぷりに上がっていった師匠の圓生が、なんと今夜最終に圓朝自身鳴物や道具を遣って演るはずの「小烏丸」をそっくりそのまま丸ごかしに素噺すばなしとして喋ってしまったからだった。
 地味な話し口とはいえ、素噺とはいえ、老練の圓生。きのうきょう出来星の圓朝の腕前なんか、爪の先へも及ぶべくなかった。
 ハッと吐胸を突かれたときはもう遅く、あれよあれよといううちにとんとんと噺は運ばれ、やがてアッサリさげまで付けられてしまった。
 もちろん、ひと方ならない受けようだった。
「ハイお先へ。しっかりおやりよ」
 下りてくるとニコリと笑ってそのまま師匠は、すましてかえっていってしまった。
「ああ、どうも、これはとんだことになってしまった」
 いても立ってもいられなくて、頭をかかえて圓朝は考え込んでしまった。急に道具を取りにやるといっても、青山から代地まで。しょせんが今夜の役には立たなかった。
 とするといま持ってきている道具で演るより仕方がない。しかしそのいま持ってきている道具は、あくまで最前師匠が演ってしまった「小烏丸」以外には通用しないものだった。
 さりとてまさかに、まさに歴然と演ってしまった「小烏丸」を二度と繰り返すことはできない。
「どうしたらいいだろう全く」
 ギッチリ詰まった中入りの客席、しきりにお茶売っている声すら耳に入らなかったほど、立ったり坐ったり、またその辺を意味なく歩き廻ったりしていた。
 怨めしいほど早く中入りの時刻は過ぎた。
 容赦なく片シャギリの囃子が鳴らされ、歌六という背の高い音曲師がヌーッと上がっていった。賑やかにお座づをつけはじめた。
 この人が終ったら、あとはもう泣いても笑ってもこの私だ。
「ああ、ほんとうにもうどうしよう」
 いっそ圓朝は泣きたくさえなってきた。でも泣いたとて、喚いたとて、しょせんははじまらないことだった。そういううちも時刻は刻一刻と迫ってきていた。
 何とかしなければ……。せっかくの自分の初看板がめちゃめちゃになってしまう。
「ままよ――」
 苦し紛れの一策として「小烏丸」によく似た筋を、突嗟に圓朝はでっち上げた。これなら何とか今夜持ってきたこの道具を、鳴物を、そのまま活かすことができよう。
 そう心を定めたらさすがにいくらか胸の動悸がしずまってきた。でもこんな噺、あまりにも一夜漬け過ぎて面白くできないだろうことは演らないうちから分り切っていた。
 考えると気が重かった。
 何て、何て、因果な初看板だろう。
 つい悲しく、長い眉をしかめた。フーッと深い息を吐いた。
 そのとき賑やかに高座では「横浜甚句」が歌われだした。いつもきまってこの唄を歌えば歌六、高座を下りるのだった。
 ア、これでおしまいだな。
 もういっぺん圓朝は覚悟のほぞを定めた。とまた最前とは別なジーンと硬ばった心持になりながら、しきりに襟を掻き合わせた。
 間もなく歌六が下りてくるとすぐ花やかに芝居がかりの着倒ちゃくとうの囃子が起って、黒衣着た萬朝たちがまめまめしく高座へ道具を飾りはじめた。
 師匠さえあれを演ってしまわなかったら、今夜この道具で見ン事かなりにきてくれているこのお客様を唸らせてみせるんだが、近ごろ年の加減でいくらかもうろくしてしまったのだろう師匠の上が今更ながら怨めしかった。
 やがて冴えた拍子木の音とともにキリキリ御簾が絞られたが、その拍子木の音の百分の一も圓朝の心は冴えなかった。ばかりか、水銀のようにドロンと重たく曇っていた。
「…………」
 強いて面を晴れやかにして上がってゆくと、前に師匠が充分に伺った「小烏丸」もどきの別の噺をいとも危っかしい調子で喋りだした。すでに噺が似かよっている上に、「小烏丸」の急所急所は除けて喋っている。おもしろいわけがなかった。
 しかも急仕立だけに鳴物のキッカケは始終外れる、せっかく鳴物のほうがピッタリ合ったかとおもうと圓朝のほうが口籠ったり、とんだいい違えをしたり、した。しどろもどろ。てんで型にも何にもなっちゃいなかった。
 今晩これぎりと果太鼓しまいだいことともに御簾が下ろされたとき圓朝は、穴あらば這入りたや、ベットリ冷汗で身体中を濡らしていた。
「オイ思ったより妙でねえな」
「ウム。しかしこれ圓朝かなあ。俺、前に聴いたときもっと巧えとおもったんだがなあ。別の奴かもしれねえぜ」
 ぞろぞろ下足の方へ立っていく客の群れの中から、こんな聞こえよがしの高ッ調子がまだ高座のまん中で手を突いたまんまでいる圓朝の耳へ鋭く痛くささってきた。
 無理はない、演っているこの私でさえ、じれったいほどまるで調子がでてこないんだもの。ことさらにあとからあとから冷汗の身体全体へ滲みだしてくることが仕方がなかった。
 まあ仕方がない明日を聴いて貰おう。
 僅かに自分で自分をこう慰め人に顔を見られるのもいやな思いでスゴスゴ圓朝は楽屋へ下りてきた。

 翌晩がきた。
 何たるこったろう、今夜もまた、師匠は圓朝が演るはずの「繋馬雪陣立つなぎうまゆきのずんだて」をそっくり演っていってしまった。――拠所よんどころなく雪の道具だけに講釈で聴いて覚えていた「鉢の木」をいい加減にでっち上げて、どうやらこうやらお茶を濁した。
 さすがに、初晩のでたらめの話ほどではなかったけれど、やっぱりいい出来とはいえなかった。
 三日目。
 やっぱり師匠は、圓朝の演る「芝居風呂」をさっさと演っていってしまった。その銭湯の道具立てを活かすため、今夜はこれも講釈や文楽師匠の人情噺で聞き覚えの祐天吉松が下谷幡随院の僧となって、坊主頭で朝湯へやってきて鼻唄を歌うくだりを演った。
 どうにかこれは型がついた、口馴れない割合にはという程度だったけれど。
 四日目も「駒長」を先へ喋られてしまった。五日目も「小雀長吉」を先くぐりされてしまったこともちろんだった。そのたんびたんび熱鉄を飲み下す思いをして圓朝は、突嗟に何かその道具立てに因みある噺を考えださなければならなかった。
 いってみれば毎晩ひとつずつ即席の難題を突き付けられているような何ともかとも名状しがたい辛さ、苦しさ。
 どうやらその晩お茶が濁せて打ちだすたんび、ゲソッと圓朝は自分の頬の落ちていることを感じた。
「……ひどい……ひどいなあ師匠、どれほどの私に怨みがあって」
 いくら何でも師匠の仕打。もうもうろくとのみは考えられなかった。ついこう呟かずにはいられなかった。
 でも――でも、なろうことなら圓朝、大恩ある師匠の上をこれッぱかしでも怨みたくはなかった。そっと何とか自分の胸を撫でさすって、怨めしさを塗り潰して置きたかった。
 そう、そうだ、師匠はこの私を励ましてやろうと、それでワザとああした真似をおしなさるんだ。
 そう、そう、それそれ、それにちがいない。やっとそういう考え方に思い至って一瞬、怨めしさは影を秘め、心に真如の月澄まんとしたが、
「……だが……だが……」
 もったいないが澄みかけた天水桶のその水は、すぐまたそばから濁ってきて、月かげ隠す薄雲とはなることが仕方がなかった。心のおり――それが消そうとすればするほど、却って一杯にひろがってきてしまうのをどうすることもできなかったのだった。
 いっそ圓朝は寂しくなった。


     三

 いつとしなくひがんでいこうとするこの心。
 暗くさびしく愚痴っぽく、次第に下らなくなっていこうとするこの自分の心。
 ままっ子根性てのがこれだろう。
 いけない――とおもった、圓朝。
 少なくともいまは、この私という人間のいの一番の振り出しにあたっては、いやが上にも明るい了見で出立たなければならないのに。
 拓こう、路を。
 何とか切り拓いてしまわなければ……。
 百千ももちに、千々に、心を苦しみ、砕いた揚句が、はじめてその結果圓朝は新作噺の自作自演ということに思い至った。
 なまじ師匠から教わったものへ、道具を飾り、鳴物を使って演ろうとするから、いつも師匠のほうに先くぐりされてしまうのだ。
 すでに鳴物、道具の力を借りて新しい噺の「路」を拓いていこうとする以上、百尺竿頭一歩を進めて当然その噺も、自ら工夫し、創り上ぐべきだろう。
 そうしたらうちの師匠といえども鬼神じゃなし、およそこの先廻りばかりはできないだろう。
 そうだ、もはや巧い拙いの問題じゃない、寸時も早く自分は新作噺をいくつか創り上げて、それへと道具、鳴物を配そう、そうして皆をアッといわせよう。
 それが焦眉の問題だし、でない限りいませっかく天からこの自分の前に与えられた「真打」という華やかな門は、また再び青竹十文字に閉門と逆戻りしてしまわなければならなくなるのだ。
「そうだ、ウム、そうだ」
 堅く圓朝は、心に肯いた。
 翌日から一室に閉じ籠り、取り寄せた随筆旧記の類(いつにも父親の圓太郎なんか、見たこともなかったが、二代三代前から家に伝わる写本がいろいろ七軒町の家の本箱の奥には煤びれていたっけ)をあれこれとなく貪り読んだ。
 と――中から二つの暗示が得られた。
 ひとつが越後親不知おやしらずの因縁噺で「累草紙かさねぞうし」。
 もうひとつが艶っぽい人情噺で「おみよ新助」。
 どっちもどうやら辛うじて十五日の読物に纏め上げることができた。でも世の中なんて何が幸いになるか分らない。この幾日か、中入りのあと自分の上がる迄、熱鉄を飲み下す思いで突嗟にその晩その晩の喋る噺に苦労をしつづけた、それがいまことごとく役に立って圓朝はさまで苦しまずとも二つともトントンと筋が立っていったのだった。否、なまじ聞き覚えの噺や講釈をあれかこれかとおもいだすより楽に、自由に、我流で筋立てていくことができたのだった。ことに、苦しさももちろん少なくはないが、一篇書き上げたそのあとの喜びは何にも代えがたく素晴らしかった。喋って、巧くできて、ワーッと受けたときより、地味ではあるがこの喜び、遥かに大きいかもしれなかった。
 もの書くということの上に、日々人知れぬ幸福を、圓朝は感じだすようになってきた。
 傍ら新作に相応ふさわしい道具もこしらえていった。つづいて鳴物の打ち合わせもおえた。
 八日目。
 もう中日なかびはすんでいたが、演らないよりはまし、名誉挽回このときにありと、

┌──────────────┐
│      今晩より御高覧に|
│新作道具噺         |
│      奉供候 圓朝敬白|
└──────────────┘

 こうした立看板を、麗々しく久保本の表へ飾らせた。新春はるのこととてどうやら不評ながらにお客のきていたところへ、この目新しい看板は道行く人の目を魅き、足を停めさせた。論より証拠、たちまちその晩のお客は二そく五十を越え、中入り前には早や場内、春寒を忘れさせるほどの人いきれが濛々と立ちこめていた。
 この晩初めて圓朝は「おみよ新助」の封切りをした。殺し場でチョンと後の黒幕が落ちると、紫と白美しき花菖蒲が、そこかしこ八つ橋を挟んで咲きみだれていた。
 その菖蒲模様を背景にぜんつとめの鳴物、引抜きで浅黄の襦袢ひとつになって圓朝は、ものの見事な立廻りを見せた。世話だんまりのおもしろさがそのまま、猿若町の舞台からここ久保本の高座へと移り咲いて、花と匂った。
 すこんからんと見得切ったとき、
「成田屋」
「音羽屋」
「三河屋」
 いろいろのことを叫んでお客は熱狂した。
 その興奮のるつぼの真っ只中を、早間に刻む拍子木の音いろとともにスルスルと御簾が下りていった。まだ、いつ迄も、喝采が聞こえていた。歓呼のどよみが鳴り止まなかった。
 初晩以来、初めての胸がスーッとするほどの出来映だった。銭金では購えない一種特別の喜びが、圓朝の身体中をズブズブに浸した。今宵こそ初めて自分の周りの人たちの顔を仰ぎ見られる思いだった。
「師匠師匠、大へんな評判。あんたなぜこれを初日からだしてくれなかったんです」
 いつか話をまとめにきた下足の爺さんが、病身らしいもう年配の女主人といっしょに、バタバタ楽屋へ飛び込んできていった。
 初日からこれがだせるくらいなら何も私、師匠にあんな真似をされなくてもすんだんでさあ。そういいたいところを、黙ってただニコニコと圓朝は頭を下げていた。
「あのほんのこれ少しで失礼ですが、どうか楽屋の皆さんで召し上がって下さい」
 よっぽど、今夜の出来映が気に入ったのだろう、お酒を一升、お煮しめを添えて女主人がそれへ差し出した。
 こんなにも自分のこしらえた噺が喜ばれた、お客はおろか席亭にまで。ジーンと圓朝はさしぐまれてくることが仕方がなかった。
 やっぱりお蔭だ。師匠のお蔭だ。
 チャンと何もかも承知の上で師匠はああやって虐めて下すったんだ。あのことなかったらどうしてこの私に、この「おみよ新助」の噺ひとつできていたろう、いや「おみよ新助」ひとつじゃない、まだあとには「累双紙」というものもあるのだ、そうしてまだまだこのあといくつもいくつも、一生涯いろいろさまざまの噺をこしらえていこうとさえ考えているのだ。みんな、みんな、この間うちの師匠の仕向け方の賜物でなくて何だろう。
「…………」
 いまこそ圓朝の心の鏡は世にも美しく研ぎ澄まされ、それへおおどかに師匠圓生の大きな鼻が、それこそ真如の月浴びてありがたくかたじけなく映しだされてきた。ヒシとその圓生のおもかげへ飛びついていって、齧りついて抱きしめてしみじみ御礼がいいたいくらいのおもいだった。
 ……翌晩ももちろん圓朝は、「おみよ新助」の続きを演った。今夜は野遠見のとおみへ、あかあかと銀紙の月さしだし、月下、艶かしい首抜き浴衣の悪婆を中心に、またしても世話だんまりを身振り面白く展開させた。
 その次の晩も、切り場は河岸っぷちの派手な立廻りだった。そのまた次の晩は廓での怪談。さらにまた次の晩は雪中の立廻りで、これでめでたく市が栄えた。いずれも大した評判だった。事実今迄の道具噺はこれほど鳴物が大がかりでなく、これほど道具幕が綿密でなかった。師匠圓生のにしてからが、話術は別として道具のほうはチャチなお寒いものだった。そこへいくと圓朝のは特別に新しい鳴物の工夫をいろいろ凝らしてきている上に、たとい幾ヶ月でも国芳の家の釜の飯を食べたことはここへきて初めてものをいった。圓朝えがく道具立は、そこらのびらやが描いたものと比べものにならないほどの精彩を放った。活きて迫ってくるものがあった。その点も特別の魅力として取り沙汰された。
 さてあとの二日は「累双紙」のほうを演った。
 これも大波小波を大道具大仕掛で迫真に見せたり、本雨を降らせたりした。これまたヤンヤヤンヤの喝采だった。
「師匠なぜこれを初晩に……」
 またしても下足番の爺やから、こう好意ある不足をいわれたほどだった。
 めでたく久保本十五日の初看板が、ここにおわった。
 グッタリとしてしまった圓朝だった。でもそれは言葉に尽せない、大いなる歓びに満ち満ちた疲れようだった。
 もういまはなんの心のおりもなく、ああ、師匠のお蔭で新しい道が拓けた。
 おもえばおもうほどありがたくてありがたくてならなかった師匠の上だった。
 久保本の興行がおわるとすぐあくる朝、また手土産を携えて圓朝は、師匠のところへ礼にいった。
「圓朝さん。いまうちの人、風邪気味でふせっていますからお目にかかれないそうです」
 少し老けたが相変らずつんと美しいお神さんがでてきて、術もなくいった。ピシャンと障子を閉めてそれっきり、また奥へ入っていってしまった。
 そのくせ奥では高らかな師匠の笑い声が聞こえていた。もう一人相槌打って笑い合っている声のたしかに聞き覚えありとはおもいながらも、どこの誰やら分らなかった。
 ……一瞬、消えてしまっていたはずの心の澱というやつが、またそろそろ頭をもたげだしてくることをどうすることもできなかった。

 その後何べんいっても師匠は会ってくれなかった。いつもお神さんがでてきては取り付く島もないくらい、留守だとか病気だとか呆気なく玄関で断られてしまった。しかもそのたんび、師匠の自宅にいることはハッキリと分った、あるときはまた気配で、あるときは誰か分らないけれど確かに聞き覚えのある声といっしょに師匠の声が大きく聞こえて。
「止そう、しばらく師匠を訪ねるのは……」
 こんなことを繰り返したのち、圓朝はこう決心してしまった。うちの小勇が柳派へいってしまったらしいこともやはり自分にたたっているのだろう。でも永い月日のうちには師匠の機嫌も直るだろう、いまいたずらにここでこんなことを繰り返しているとそこは凡夫、日一日と例の心の澱というやつが大きく色濃く拡がっていってしまうばかりだった。
「当分行きさえしなかったら……そうして自分は自分の道さえ脇目も振らず励んでいたら……」
 ほんとうにそんな師匠のことなんか考えているよりも、いま圓朝の目の前には進まねばならない「道」がすみれたんぽぽ咲きみだれて、春を長閑のどかとあけそめていた。ひたすらそこを進めばよかった。それからというもの、ことさらに圓朝は師匠夫婦の上を思い煩うことを止めてしまった。
 そういううちもしじゅう文楽師匠は中入り前のいいところへつかっていてくれたし、中流の寄席ではあるが一枚看板で真を打たせてくれるところも二た月にいっぺん、三月にいっぺんは、でてきた。そのたんび今度は親父の圓太郎にすけてもらった。日常生活こそからもう意気地なくなってしまっていたが、さすがに好きでなった稼業の、高座へ上がるとどうしてまだなかなかに達者なものだった。一段と渋くなった声音が、大津絵やとっちりとんや甚句に昔ながらの定連を喜ばした、しかもそうした定連たちは枯淡な圓太郎の音曲を懐しむとともに、その忰である圓朝の花やかな道具噺の、新しい贔屓ともなった。お客は増えるばかり、人気は上がるばかり。うそもかくしもないところ文楽の真打とり席へ働かせてもらっているとき、
「もうでてしまったかえ圓朝」
 こういって聴きにくるお客がひと晩に五人や十人は、必ずあるようになった。
 ああ、ありがたい。
 その日その日というものに、ほんとうにいま圓朝は生甲斐を感じだしていた。


     四

「三遊亭圓太」という看板が、だしぬけに二月の下席しもせき、浅草阿倍川の寿亭という寄席へ揚げられた。鳴物入り道具ばなしと肩へ書かれてある定式幕、ふちとりの辻びらを見て、圓朝はオヤッと目を疑った。
 いつ誰がなったのだろう、圓太に。
 圓太とは初代古今亭志ん生の前名。到底きのうきょう出来星の落語家の付けられる名前じゃなかった。いわんや、その傍らにスケ三遊亭圓生と師匠の名前の大きく書いてあるにおいておや。
 誰だろう。
 ハテ誰だろう。
 ほんとに誰がなったんだろう、一体。
 どう思い廻してみても側近に心当りのものがなかった。ぐには今更偉過ぎる人か、偉くなさ過ぎる人たちばかり。
 かいくれ圓朝には目星がつかなかった。
 それにしても自分のところへ披露のしらせひとつこないとは――。
 それだけにいよいよ当りが付かなかった。
 珍しくこの下席は浅いところで早くからだが空いてしまうので、休みで家の手伝いをしている萬朝を連れてある晩、フラリと圓朝は寿亭へとでかけていった。夜風は肌に染みるが、もうめっきり空のいろが春めきを見せて、新堀かけての寺町ではどこからともなく早い沈丁花が匂ってきていた。腰屋橋渡って向こうの暗いゴミゴミした町角に、その寄席はあった。

スケ
「三遊亭圓生
 三遊亭圓太」

 の看板が、紫ばんだ夜気の中にオットリと微笑んでいた。
 深く頭巾で顔を隠して圓朝たちは、中へ入った。八分がらみの入りだった。顔馴染の誰彼が、あとからあとからなつかしく高座へ上がってきた。つづいて、さらになつかしい師匠圓生が上がってきた。顔見られぬよう柱のかげへ身をよじらせて圓朝はそっとうれしく聴き入っていた。あとへでる初看板圓太の提灯をしきりに持って、未熟ではあるがどうか引き立ててくれと師匠はくどくど頼んだのち、ついてはあれが道具噺をいたしますから手前のところはあとと色の変りをますようお笑いの多いところをと、「にゅう」という与太郎のでる噺を相変らず地味な話し口ではあるが、克明に演って引き下がっていった、さすがに、相応以上に受けていた。
 ……久保本の自分の真打しばやのとき、毎晩同じ噺を演っては困らせたことをおもいだして圓朝は、ふっと身内みうちが寂しくなった。
 師匠が下り、中入りが過ぎると、にわかに浮き立つようなシャギリの囃子が聞こえてきた。この囃子を聞きながらまた圓朝は師匠に今夜の演題だしものを前で演られてしまったため、何を喋ろうかどう喋ろうかととつおいつしたときのことを、きのうのごとくおもいだして、いよいよしんしんと寂しくなってきていた。
 そのとき御簾みすが上がり、浪に兎のうしろ幕派手やかに張りめぐらした高座の前、ぞろりとした浅黄縮緬の紋付を着た若い真打が両手を前に、ひれ伏していた。烈しい拍手が浴びせられた。
 誰だろう圓太って。
 いまのいま心を掠めていた寂しさも忘れて圓朝、ジーッと高座をみつめた。
「…………」
 しずかに真打は顔を上げた。
「ア」
「あの野郎だ」
 期せずして圓朝が、萬朝が、低く叫んだ。
 由緒ある三遊亭圓太の名跡いだは、あの代地河岸へ越してすぐ、手っぴどく小言いわれてずらかってしまった、なんとあの弟子の小勇であったのだった。
「フーム……何て……何てこったろう小勇が……」
 文字通り開いた口が塞がらなかった。ただしばらく圓朝はポカーンとしていた。
 あまり陰日向があるからとて小言をいったらすぐプーイと飛びだして、敵方の柳派の柳枝さんのところへ駈け込んでしまったというから小面憎い奴とおもい、それで師匠の風当りが悪くなったのだとばかり考えていたら、なんのなんの我が敵は正に本能寺にあり、張本人、うちの師匠のところへもぐずり込んでいって弟子にして貰った上、圓太なんて大それた名前まで貰ってしまうとは。
 今にして初めて圓朝は、久保本のすんだあと礼にいったらお神さんがでてきて、会わせてくれなかったあのとき、奥から師匠の声といっしょに聞こえてきたどこかで聞いたようだとおもったあの声の紛れもなくこの圓太ではあったことが分ってきた。
 さては、このごろ師匠の機嫌の悪いのは一にこの男のためだったか。
 あることないことこの男が自分の讒訴ざんそを上げていたためだったのか。
 あとからあとからもつれて解けない謎糸の、次第にひとつずつ解けてくるものあることが圓朝に感じられてきた。
「それにしても……」
 小勇の圓太、弟子にしたとて構わないから、お前とにかく元の師匠の圓朝に詫びておいで、そうしたらいつでもうちの弟子にしてやるよ、ひと言こういっておくれでなかった師匠の上が、つくづくと怨めしかった。しかも無断で弟子にしてしまった上、だしぬけにこんな披露までさせるなんて。
「そりゃまあ、何にもせよいまの私は失敗しくじっているのだから大きなこともいえないけれど」
 それにしても圓太を襲げるほど小勇、そんなに短い月日のうちに、素晴らしい腕前になってしまったのかなあ。それほど師匠、特別の仕込み方をしたのかしら。
「…………」
 あれこれとおもいめぐらしているうち、もう小勇の圓太は喋りだしていた。慌ただしい調子でまくらから本題へ。噺は師匠が久保本の初晩に喋ってしまった、圓朝にとってはおもいで怨めしい「小烏丸」だった。
「…………」
 呆れてしまった、聴いていて圓朝は。自分の耳が疑いたかった。あのいかめし屋の師匠がこんなものを。しかもこんなものに、圓太なんて由緒ある名を……。いくらそうおもってまた聴き直してみても、依然、拙過ぎるというこの男の現実は、現実だった。
 素人調子というやつ。
 てんで調子が上ずっていて板に付いていなかった。おそくあるべきのところが早過ぎたり、かとおもうとトントンとゆくべきとこではじれったいほど「間」を持たせたりした。がんの配りもめちゃめちゃだった。からっきしそれには「芸」の何たるかが分っていなかった。ということはでてくる人物の心持ちへ喰入くいいすべを露ほどもわきまえていなかった。何ともいえない哀れ惨憺たるその……。
「いやだねこれは」
 思わず萬朝を顧みて圓朝は眉をしかめた。
「コ、こんなもの師匠ごんご……ねえ、ねえあの、ごんごでさあ」
 このごろめっきり噺の上にも可笑しい持ち味を見せてきている萬朝が、おどけた顔付きをしていった。
「な、何だいごんごとは」
 ほかのお客に障らないよう小さい声で圓朝が訊ねた。
「ごんごてのはホレ、ごんご……ごんご、だんだん」
 萬朝はいった。
「な、何をい……」
 笑いだして圓朝は、
「いおうならそれも言語道断だろう」
「ア、そうそうそうそう」
 とたんにいそがしく肯いた萬朝が、
「ウムそれだ、その、つまり、言語瓢箪」
「まだあんなこといって……」
 つい可笑しくて圓朝は、廻りの人たちが振り返ったほど少し大きな声で笑ってしまった。
 最前から圓太の噺、少しも受けず、一人立ち、二人立ち、かなりのお客がバラバラバラバラ立ちかけている最中だっただけ、この笑い声、いっそうお客のかえりたがっている心理へ拍車をかけたかもしれない。あわてて圓朝が袂で口を押さえたとき、いっそうドヤドヤと左右からお客が立ち上がった。
 ……間髪をいれず、そのときうしろ幕が落ち、野遠見のとおみとなり、すこんからんと見得を切ったがそのまた型の悪さ。「音羽屋」と声かける客さえなかった。シーンと下らなく客席はくゆみ返ってしまっていた。
 みるから危なっかしいその手つきに、いまにも段取りを間違えドジを踏みはしないかと圓朝、今尚自分の弟子であるかのよう。いつか真剣にハラハラしだした。いっそう眉がしかめられた。だから、やがてどうやら落が付き、今晩これぎりと打ちだしたとき、うそもかくしもなくホッと圓朝は呼吸いきをついたくらいだった。
 と見ると、辺りのお客様ははじめ八分がらみいた者がもう二十人そこそことなっていた。

「師匠が楽屋で呼んでますから」
 表へでたとき、このごろ弟子入りしたのだろう十三、四になる筒っぽを着た顔見知りのない前座がやってきて、切口上にいった。
 ふと暗いいやな予感がした。でも振り切ってかえったらいっそういけないだろう。思い切って圓朝は萬朝を表へ待たせ、前座の後からつづいて楽屋へ入っていった。
 狭い楽屋のとっつきに、大風おおふうな顔をして腕を組み、圓太がいた。圓朝の顔を見て、ニコリともしないで顎をしゃくった。
「…………」
 ぐ、ぐと胸へこみ上げてくるものがあったが、ジッと耐えた。軽く会釈をして上がった。
 正面に師匠が、席亭からだされたのだろう、沙魚はぜの佃煮か何かでチビチビやりながら真っ赤に苦り切った顔を染めていた。二ヶ月ほど会わないうちにまた少し白髪が増えたようだったが、絶えて久しい大きな鼻が、しみじみ圓朝はなつかしかった。
「圓朝、おい」
 手を仕える間もなく、鋭い声が浴びせられてきた。
「おい、ねえおい、おい、何だってお前、これの噺を邪魔ァする。大きな声で笑ったり何か、それじゃわざわざ客を立たせにやってきたようなもンじゃねえか」
「未熟じゃあるが、俺が許して三遊亭圓太を襲がせたんだ。襲がせるからには襲がせるだけの魂胆があってしたことだ。何だってそれをお前邪魔する」
「…………」
「俺はこいつが可愛い。可愛いんだ。そのこいつの真打しばいを邪魔立てするのはお前、俺に楯突こうてのも同じだぞ」
 あとからあとから矢継早に、おもいもかけないことをいいだされてきて、全く圓朝は途方に暮れてしまった。
 もちろん笑ったのはたしかにこっちが悪いけれど、何も圓太の噺を笑ったわけじゃない、萬朝がとんちんかんなことをいいだしたからだった。でもこう畳みかけて責め立ててこられちゃ、いい説くすべがなかった。ただ困って頭ばかり下げていた。
「おい、今こそいってやる」
 このときいっそう師匠は笠にかかってきて、
「お前が常日ごろ俺のことどんなこといって歩いているか、皆、俺こいつから聞いて知っちまった、おい圓朝どうだ、悪いことは出来ねえもんだろう。山と山とは出合わぬが人と人とは出会うもの、世の中の廻り合わせはいつどうなるか分らねえ。壁に耳あり徳利に口だぞ」
「…………」
 何をどう小勇の圓太がいったかしらないが、天地の神も照覧あれ、いつまあ私が師匠の悪口なんかこれっぱかしでもいったことだろう。
 ほんとうにこればっかりは浄瑠璃の鏡に照らされたって露いささかも身に後ろ暗いことはない。この何年か四谷の師匠のほうへは足も向けては寝ないくらいのこの自分じゃないか、それを、それを、圓太も圓太なら師匠も師匠だ、何ぼ何だってあまりなことを。思わず開き直っていおうとしたが、まあ待て師匠は酔っておいでなさる、口惜しき胸を撫でさすって圓朝は再び下向いてしまった。
「まあまあ、まあいい」
 あざ笑うように師匠はいって、
「蔭じゃ公方様の悪口だっていうんだ。しかしこの後もあることだ。あまり俺の前と後と、手の裏返したようなことだけはいってくれるなよ。おい圓朝おい、分ったか」
 一段と声を険しく高くしてきて、
「おい、分ったかったら」
「わ、分りました、あいすみません」
 低い低い声でいった。そうしてさらに頭を下げた。下げたその頭が慄えていた、あまりのことの口惜しさに。
「分ったら書け、今夜の詫状を。ええ、俺宛てにじゃねえ圓太宛てに、だ。それ圓太、そこの硯箱あたりばこと紙と持ってきてやれ」
 さも快そうに師匠はいった。
 有無なくその場で圓朝は、先方のいう通りの文句で詫状を認めさせられた。どれほどそれを書く手のまた、おそろしく慄えて止まなかったことだろう。
「サ、書いたらそれでいい。お前のなまちろつらなんか見ていたくもねえんだ。帰れ帰れ早く」
 次のお銚子をニッコリ圓太に命じながら、その笑顔をすぐまた百眼ひゃくまなこのよう、不機嫌千万なものに圓朝のほうへ戻して、
「オイ、おしめえにもうひと言だけいって聞かせておいてやる。お前、このごろ我流で新しい噺をこさえて大そうな評判だな。結構なこッた。豪儀なこッた。だがな、圓朝」
 近々と憎さげに大きな鼻を寄せてきて、
「俺、俺の教えた通りの噺を演らねえような奴ぁ大嫌いなんだ。しかも手前てめえは俺が甲州へ発った留守中、端席の真打なんぞ勤めて失敗しくじりやがった。何かてえと俺の鼻明かそう明かそうとかかってる奴だから仕方がねえが、オイ昔から親に似ねえ罰当りァ、鬼っ子てんだぜ。人、面白くもねえ二度と圓生の弟子だなんてそこらへいっていいふらして貰うめえぜ、サ、これだけいったらもう用はねえ、帰れ帰れ」
 グイとまた睨み付けたが、
うぬ。さっさと帰らねえと……」
 いきなり硯箱へ手をかけた。そこへ熱いお銚子を持った圓太がいそいそかえってきたがチラリ見て止めようともしなかった。
「あいすみませんお目障りで。ヘイ、すぐかえります、ヘイ、おやすみ下さい」
 挨拶もそこそこに圓朝は楽屋を飛びだした。
 ドーッとすぐあとで楽屋から笑い声がぶつけられてきた、面当つらあてがましく。

「ま、ま、ま、お待ち萬朝」
 楽屋へ暴れ込もうとするのだろう、恐しい勢いでバッタリ真正面から衝き当った萬朝を、ありったけの力で圓朝はつかまえながら、
「いけないいけないいけないってば、萬朝」
 一生懸命頼んでいた。
「だって……だって聞いてた何もかも表で。わ、笑わしたなあこのわっしなんだ。そ、そいつが元で小勇ン畜生め、手前の下手ァ棚に上げやがって、師匠にあんな恥ィかかして。ええ畜生。小勇も小勇なら大師匠もまた……」
 人間はどじでも師匠思いの萬朝、身体中を怒りに慄わして猛り立った。
「でも……でも……お前」
 まだギューッと大きな萬朝の身体を抱きかかえたまま、
「いけない今夜は。今夜だけは勘弁しておくれ、この私に免じて。お前の親切は圓朝涙のでるほどうれしいけれど、いまお前が飛び込んでいったらせっかく納まった騒ぎがまた大きくなる。そうなると却って私が困る。ね、分ったかい、ねえ萬朝、分ったかい、分って……分っておくれよ後生だから」
 ややしばらくしばらくして、しっかりと圓朝のかかえている胴体が、ガタンガタンと大きく二つ縦に動いた。
「オ、ありがと。分ってくれたね。ありがとよ萬朝。いい子だいい子だ。よく分っておくれだったねえお前」
 子供にでも話すよう、やさしく涙に濡れた声で、
「でも、でも、お前にこんな芸のほかのことで苦労をかけるなんて、私が……みんな私が至らないからだ。しがない師匠を持ったためによけいな苦労をかけさせてねえ萬朝、ご、ごめん……」
「ト、とんでもない」
 めもけに大きな図体が動いて、
「お、俺のほうこそ、し、師匠が……師匠が……あまり可哀想で……可哀想で……」
 ワーッと萬朝は泣きだしてしまった。かかえている圓朝の手へ、たちまちボタボタ熱涙がふりかかってきた。おお、この涙の熱さこそ、愚かしい、しかし愛すべきこの一人の弟子が命賭けて己の上をおもうてくれている真心の熱さに他ならないのだ。そうおもうとき、ヒシヒシ身体中が、嬉しさ悲しさ入り乱れたものに締め付けられてきた。不覚の涙がホロホロホロホロ圓朝もまたあふれてきた。そうしてそれがはふり落ちた、今度は萬朝の肩のあたりへ。己の涙と萬朝の涙と、いや己の喜び悲しみと、萬朝の喜び悲しみと、思いを同じゅうしたこの師匠と弟子の魂と魂とは、今ぞ今身も世もあらずピッタリと触れ合い、溶け合い、抱きしめ合って、早春はるの夜更けのこの路上、いつ迄もいつ迄も悲しみ、嘆き、泣きじゃくり合ってはいるのだった。
 星が流れて、いつか雪風が。あかあかと灯の洩れている楽屋障子の彼方からはまた憎々しい高笑いが、流れてきた。


     五

 忘れているだろうか、私は師恩を。
 翌朝、すみだ川を前にした部屋で、トックリと自分の胸へ手を当てて圓朝は、考えてみた。
 ……昨夜のことをおもうとき、圓朝の心の中はドンヨリと重かった。水ぬるむといいたげないろをめっきり川面へただよわせてきているすみだ川の景色もきょうばかりは曇り日のよう暗く見えた。ホンノリとした青空さえが、果てしらぬ灰いろのとばりかと感じられた。
 この私の近ごろの「芸」のいろいろさまざまと小手の利くようになってきたこと、一にそれは師匠の薫陶のほかにはないではないか。
 雨降あまふ風間かざま、しょっちゅうそればかり考えない日とてはない私ではないか。
 ほんとうに師匠なくして私にこうした「芸」の深さ苦しさ愉しさ、どうしてすべての秘密の分ろうよしが、あっただろう、それのみ心から感謝しているこの私ではないか。
 犬一匹、松の木ひとつ、噺の中へどうやらそれらしく描きだすことができてきた、全くそれもまたみんなみんな師匠のおかげではないか。
 そうして師匠は昨夜大そう怒んなすったけれど、現在師匠に教わらない我流の噺のこんなにも演れだしたということも、私のほうではこれ皆ひとえに師匠が丹誠の賜物とおもっているではないか。
 なればこそ、急用あって四手よつで駕籠へ乗り四谷の師匠の家の前を素通りするとき、ほんとうに師匠はしらないだろうが、いつも必ずこの私は、
「いって参ります師匠」
 またかえりには、
「只今かえりましたがきょうはお伺いできません、どうぞお大事に」
 こう駕籠の中で呟いていることが始終しょっちゅうではないか。これを要するに、かくまで、かくのごとくにまで、一から十まで百まで千まで師匠おもって、おもい抜いて止まらざるこの私ではないか。
 だのにだのに……だのに師匠はあんなひどいこといってお怒りなすった。こちらに覚えのあることならどんなにも御詫もし、改めも致しましょう、だが正直一途の貧乏人のあばら家へやってきて、大刀突き付け金銀財宝残らずだしてしまえというようなとんでもないこといわれても、どうしていいやら困ってしまう。
 ああこれほど自分のおもっている真心が、さりとてはまた情なや、四谷なる師匠が夢枕へはかようすべとてはないのだろうか。
 師匠、師匠。
 分って下さい。
 どうかこの私を分って下さい。
 圓太をお可愛がりなさるのは御勝手だけれど、この私を裏切り者だなどとおっしゃられては、私は……私は……なんで……立つ瀬が。
 いつかまたしてもボタボタ涙で欄干てすりを濡らしていた。
「オ、おどろいた師匠、情ねえよ俺」
 いつの間に立っていたのだろう、頬膨らました萬朝が急に後から肩を叩いた。
「…………」
 ドキンとしたように振り向いて圓朝は、あわてて華奢な手の甲で涙を隠した。
「いま俺、あまりくさくさするから富士見の渡しンとこまでいってボンヤリ立ってたら、渡し舟ン中から馬道師匠が上がってきてね、すっかり聞いちまった圓太のことを」
 今度急に圓太が看板を上げられたのは堀留のほうの船宿の後家さんをほかして入り込み、そこへ圓生はじめ三遊派の主立った人たちを毎晩のように連れてきては酒よおんなよとチヤホヤもてなした、三遊派の人たちと圓生別懇べっこんの者は、だいたい何しろ二度三度とこのもてなしに与かってしまったものだから、どう本人が半チクな芸だとて、圓太を襲がせないわけにはゆかなくなってしまったのだということだった。
「だから、だから師匠、誰も苦情をいわなかったんだって。でも大師匠はじめとんだだらしがねえや、あの野郎に酒と妓でいいようにされちまうなんてねえ」
 忌々しそうにこういって、
「でも偉いねえ文楽お師匠さんだけは。何べんあいつがさそいをかけてきてもいっぺんも御馳走になりに行きなさらなかったんだって」
 とたんにガラリと格子が開いた。人のおとなう気配がした、すぐ飛んでいった萬朝が、
「ヤ、師匠、噂、噂、噂、噂をすれば噂だね、文楽お師匠しょさんやってきたよ」
「な、何をいいやがるんだ噂をすれば噂だってやがら、ヤイ覚えとけ、噂をすれば影てんだよ」
 元気のいい声で笑って文楽、
「どうせ俺の悪口でもいってたんだろ」
「冗、冗……ほめて」
「な……、嘘ウ……」
「ホ、ほんとだってば、ねえ師匠」
 助け舟を呼ぶように萬朝うしろを向いたとき、
「オ、ようこそおいでで、サ、師匠どうぞ」
 無理から湿った声を明るくして圓朝、イソイソと迎えた。
「家にいてくれてよかった、話があってやってきたんだ」
 どこのかえりだろう刺子さしっこ姿で、いつもながらの頬の剃りあと青く、キビキビとした文楽は、ツツーと気軽に上がってきた。すぐ川の見える欄干てすりの傍へ胡座あぐらを掻いて、とおもったらまたすぐ立ち上がって、
「オイ行こう圓朝さん、つきあってくんねえな」
「何ですねえ師匠、いま入ってきなすったばっかりで」
「めしを食いたいんだいっしょに。橋向こうの小大橋こたいきょうまでつきあってくんねえ。ネ、おい、いいだろう。上がらねえでさそうはずが萬朝の野郎があんな可笑しなことをいったもんで忘れてうかうかと上がっちまったんだ。ね、おいすぐつきあってくんねえ」
「つきあいますよ。そりゃつきあいますけど、でもこのままじゃ」
 両方の手で唐桟の袢纏の袖口を、鳶凧とんびだこのようなかっこうに引っ張って見せた。
「いいじゃねえかなりなんぞそのままでも」
 しずしずと白帆が滑っていく川の上を見渡しながら文楽はいった。
「というわけにもいきません、すぐ着替えます、その間くらい、師匠、かたきの家へきたって……」
「口ぐらいは濡らせってのか、分った分った、濡らすよ濡らすよ、じゃ早く濡らしてくれ」
 文楽は笑った。
「ヘイお師匠しょさん」
 そのときお茶を持ってきた萬朝が、
「濡れぬ先こそ露をもいとえ、で」
「ちがってやがら、いちいちいうことが。そ、そんなことアそんなところへつかう文句じゃねえや」
 呆れて文楽はまたふきだしてしまった。荒い棒縞の外出着に着替えながらいつか圓朝も昨夜からのくさくさとしたものを忘れて高らかにアハアハ笑いだしていた。

「止めようとおもってたんだろお前、もう落語家を」
 美味いもの屋で通っている両国の小大橋こたいきょうの表はよく日が当っているのに、八間はちけんの灯でもほしいほど薄暗い一番奥の腰掛けで、ふた品三品並べて盃のやりとりしながらややしばらくしたとき、急に文楽はこういいだした。酔で赤くした笑顔の中に、ハッキリ真剣のいろが動いていた。
 黙ってコクリと圓朝は肯いた。その通りだった、ほんとうに。弟子には裏切られ、日に夜におもって止まない師匠からは袖にされ、ホトホト圓朝はきょう落語家稼業というものがいやになり果ててしまっていたのだった。
「とおもったからあわてて大急ぎで俺やってきたんだ。危ねえ危ねえ」
 ワザと大袈裟に身慄いして、
「オイ、いまお前さんにそんな了見になられてみねえ、せっかく立派に咲く桜の花一輪あだに散らしてしまわにゃならねえじゃねえか。鶴亀鶴亀、たのむぜ圓朝さん」
 笑顔でお銚子を差し付けた。
 ヘイとお辞儀しながら飲みのこしの冷えたやつをグイと干して、
「いえ」
 自分がお銚子を奪うように並々と文楽の盃へいでやると、
「でもあんまり……あんまりですから……」
 黙ってうつむいてしまった。そのとき文楽が置酌ぎにしてくれたこちらの盃の中へ、ポッカリと自分の顔が映って悲しく揺れていた。
「あんまりじゃねえんだ」
 キューッと盃の酒を呑み干して、また手酌で一杯酌いで文楽が、キッパリといった。
「へ」
「あんまりじゃねえんだよ」
 もういっぺんまた文楽はいった、またキッパリと。
「私のほうが無理なんで」
 恐る恐る圓朝は相手の目を見た、キビキビした中にもいたわりのある目を。
「お前のほうも無理でねえんだ」
 またズケリと文楽がいって、
「つまり両方とも、無理でねえ、至って人間らしい了見の持ち方なんだ。お互いに神じゃねえ、仏じゃねえ、詮ずるところ凡夫だからなあ」
「…………」
 文楽のいう言葉の意味がまるで圓朝には分らなかった。しきりとけげんに悧巧そうな目をまたたかせていた。
「おい圓朝さん」
 また手酌で一杯やって、
「師匠と弟子っていうものはな、必ず生涯にいっぺんは喧嘩をするものなんだ。悲しいけれど、そういうめぐり合わせにできているものなんだ」
「…………」
 いよいよ圓朝には分らなかった。いよいよボンヤリ文楽の顔を見ていた。
「犬猫だってそうだ、人間の餓鬼だってそうだ、無邪気な子供の時分はわけもなく可愛いけれどよ、これがちっと分別がついてきて元服でもする時分にゃ、妙にひとつところ小生意気で憎たらしくなってしまうだろう」
「…………」
 コクリと圓朝は肯いた。
「ところがだ、その時期を越してすっかり大人になってしまうとまた別の親しみって奴がでてくるだろう」
「…………」
 再び圓朝は肯いた。
「つまりそれと同じなんだ、弟子と師匠の間柄も。弟子が物心ついてきだすと、妙に師匠の目からは小生意気で、事ごとにこの野郎この野郎ととっちめたくなってくるものなんだ」
「…………」
「それとたいていの師匠って奴ァ自分そっくりの芸さえ演っていてくれりゃ、それでわけもなく嬉しがっているものなんだ、その弟子が売れようと売れめえと。ところがそれが弟子が何とか一流を編みだしたりしてくる、そうすると妙に自分というものを見棄てやがったような気がしてきて……サササササお前さんのほうじゃさらさらそういう気じゃなくってもよ、師匠のほうじゃどうしてもそう考えずにゃいられなくなるんだ。なるんだから仕方がねえ」
「…………」
「ほんとのことをいや親は、決して自分の忰なんて大きくならねえで、でんでん太鼓に笙の笛てな子守唄うたって生涯こいつと暮らせたらと考えている。煎じ詰めたところ本音だろうそれが」
「…………」
 大きくまたひとつ肯いた、やっと少しずつ文楽師匠のいう意味が分ってくるような気がした。そういえば昨夜ゆべうちの師匠、親に似ぬ子は鬼っ子だって世にも腹立たしそうにいったっけ。
「な、だろう。だとしたらその師匠と弟子と離れてきたってことは何もお前がそう深く考えるほどの事柄じゃねえんだ。マ、そういったってそりゃつい考えてはしまうだろうがよ。とにかくひと口にケリをつけちまうなら、つまりそういうことになるってものは、つまりそれだけお前の芸の身体が大きくなってきたってことに他ならねえんだ。だから昔師匠のこしれえてくれたうつわじゃ、お前ってものはもうハミだすようになっちまったんだ。だから拠所よんどころなくほかの器へ入る。それがまた師匠にゃ無体むてい癪に障るとこういうわけなんだ。だからくどくもいう通り、生涯、喧嘩のしっ放しじゃいけねえが、出世を目の前に控えての喧嘩って奴ァ、じつは師弟の間じゃ御定法なんだ。いわばひとあし出世が近付いたと喜んでもいいくらいのもの……」
「ま、まさか」
「いやほんとだよ圓朝さん。あのほれ、死んだ小勝さんなあ、あの人なんぞお前の大師匠の初代の圓生師匠の弟子だがやっぱり売りだす時分にゃ師匠と大喧嘩してよ。それもこいつはまた乱暴な話だ。朋輩のお弟子さんたち五、六人と束になって、師匠、お前さんの噺し口はもう古くなったから、私たちァ我流でいきます暇を下さいって、弟子のほうから師匠を破門の談判にいった。お前の大師匠は名代の大人しい人だったが、怒るよこりゃ。それでも根が大人しい人だから、その弟子たちにはウムウムとわかってやっていたが腹ン中は煮え繰り返るようだったんだろう、そこへしらずに師匠の小さい娘さんが何か貰いにいったら、馬鹿ァといきなり焼火箸を叩き付けた」
「…………」
「さてそれほどの事をしてでていっちまった小勝さんたちがだよ、さてすっかり売り出してしまったとなったら、どっちからともなく歩み寄ってきてサ、初代の死ぬときなんざ、お前の師匠よりもかえって小勝さんのほうがよく面倒をみただろう。初代もまた心から喜んで小勝や小勝やってその介抱を受けて死んでいきなすった」
「なあるほど」
 いよいよ圓朝に分ってきた、文楽師匠のいおうとするところが。
「おっとまだあるんだ圓朝さん、大事な話が」
 明るく笑って、
うちの師匠、先代文楽だ、お前さんは知るめえが本芝にいて、大阪で文治さんの聟になってその四代目を襲いでよ、それから江戸へかえってきて楽翁になったり、大和大椽になったりした人だったが、巧かったね全く。江戸噺と上方噺と使い分けのできるどうして素晴らしい名人だった。その、うちの師匠がだ、よくこういっていた。大ていの師匠は弟子が売れるのを望んでいる、が、しかしだね、自分より弟子のほうが売れるのまでは望んでいねえって。味わってみねえ。ねえおい、いかにも人間らしい弱味のある趣の深い言葉じゃねえか。俺なんかいい塩梅にいまでも昔師匠の売れたほどは売れていねえし、また多少なりとも売れてきたのは師匠の死んだあとだったから憎まれねえでもすんだけれど……」
 もういっぺん笑って、
「つまりこの師匠の心持、つまり凡夫の心持って奴を、よくよウく圓朝さん、いま考えてみる必要がありゃしねえか、そうしたら……そうしたらお前何にも……」
「分り……分りました」
 満面をかがやかして圓朝は、勢いよく取り上げたお銚子にありったけの感謝を含めて文楽のほうへ。
 サバサバと、すがすがと、ほんとうに気が晴れ晴れと大きくなってきた。またひとつ、いや二つ三つ、ことによるともっともっと余計いっぺんに年を取って悧巧になれた感じだった。
「だから、だからよ、お前」
 満足そうに酌いだお酒を口へ運んで[#「運んで」は底本では「連んで」]
「いまの喧嘩は仕方がねえ、それ川柳点にもあったじゃねえか、死水しにみずをとるは兼平かねひら一人なりって、小勝さんじゃねえが一番おしまいの土壇場へいって真心で師匠に尽しゃそれでいいんだ。早桶ン中へ入って人間の偉い偉くねえは分るっていうけれど、弟子と師匠の間柄もトコトンのまたトコトンまでいってみて初めていい弟子悪い弟子が定められるんだ。それ迄ゃ何もお前……」
「……ハイ、ハイ、ありがとうごさんす、おかげですっかり……すっかり分りまして……」
 並べられているぶつ切りの鮪の皿の中へ顔を突っ込んでしまいそうに圓朝は、丁寧な丁寧なお辞儀をした、そうしていつ迄も上げなかった、きょうはぜひともかえりに初代の、大師匠のお墓へ廻ってこの一切を報告しようとうれしくおもいながら。とたんに、この薄暗いガランとした小大橋こたいきょうの土間の隅々までが、いまにわかに圓朝にはいちどきに何百本もの百目蝋燭を点し立てたかのよう、絢やかなありったけに見えだしてきてならなかった。
 ……めっきり了見が大きく持てだしてきたのだろう。それから間もなく圓朝は、聞き込んだ二、三の材料を手がかりに今日も名高いあの「怪談牡丹燈籠」を書き上げた。
 牛込のほうのある旗本が、昔無礼討にしたものの忰をしらずに下僕に雇い、のちにワザとその者に討たれてやったというそのころあった実話の上には、いまの師匠圓生と自分との上に見る恩愛相克の傷ましさをマザマザと感じさせられ、そこに他人事ならぬ自分の人生というものをみいださずにはいられなかった。また先妻が死に、その妹を嫁に迎えたら、婚礼当夜ポックリと死なれ、不忍の池近くへ庵を構えた男が夜な夜な二人の亡魂に苦しめられるという、これもそのころあった実話の主人公は北川町の飯島喜左衛門とて圓朝贔屓の大きな玄米くろごめ問屋さんだった。
 北川町一帯が住居で、周囲の掘割の中に藻の三尺も生えた大簑亀がいたり、巨万の富が蔵に入れられてあって誰かがひと足でも土蔵へ踏み込むと仕掛でガタガタ鳴りだすようになっていたりした。何より圓朝はそうした御大家の風物詩に心を魅かれ、創作慾をそそられた。お露の名はまさしくそこの先妻の名前だった。飯島の名前は採って以而もってして、牛込の旗本のほうの名前にした。その上に支那の「剪燈新話せんとうしんわ」の中の牡丹燈記や、それに材を得た浅井了意の『伽婢子おとぎぼうこ』や山東京伝の『浮牡丹全伝』をたよりに、よろしく膨大の譚を夢中で書き上げてしまったのだった。が、結果は何よりあのお露お米がカランコロンの下駄の音物凄き怪談噺が、およそ江戸中の評判になってしまって、若き圓朝の名は圧倒的に盛り上がってきた。
 この「牡丹燈籠」の腹案を練っている最中圓朝は、かねて贔屓の新吉原金太郎武蔵の主人に連れられて成田詣りにでかけ、そのとき圓朝は護摩料を入れた細長い桐の箱をかついで供をしたのだったが、道中あまりにも構想に全魂を傾け過ぎていたため、三べんも宿場立場たてばの茶屋茶屋へこの大切な桐の箱を置き忘れた。そういう挿話ものこされているのであるが、それはここでは詳しく説くまい。往昔むかしの戯作者の口吻くちぶりになぞらえ、「管々くだくだしければ略す」とでもいわせて置いてもらおうか。
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第五話 五彩糸
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     一



「牡丹燈籠」はもて囃された、ほんとうに。道行く子供たちがカランコロン萩原さんお化けーッと奇妙な手真似をして遊ぶほど、満都に評判が高まってきた。
「おみよ新助」や「累双紙」もいよいよ磨きがかかってきた。初演当時のただ目新しいだけとは事変り、手振り身振り鮮やかに、運びおもしろく、鮮やかに「芸」としても尾鰭というものがついてきていた。
 二十三、二十四、二十五歳と真打席のない月はほとんどなかった。
 弟子たちも目に見えて増えてきて、もう十人ちかい屈強の男たちが絶えず代地の家に寝泊りしていた。いくら物価ものなりの安かったそのころでも、働き盛りの若い者をこうたくさん置いていてはたまらない。かてて加えて人気の昇るに従ってつきあいは日一日と派手にしなければならない。反対にお台所のほうは日一日と苦しくなってゆくことが仕方なかった。四方八方、借金だらけ。それをひとつ返してはまた二つ借りるという風に、苦肉の策をめぐらしつづけていった。
「苦しいだろうお前借りにきなよ」
 いつもこういいだしては快くお金を貸してくれたのは文楽師匠だった。
「いいよいいよ返さなくても、それよりときどき俺が座敷を頼んでそのおあしで引いていくから、そのほうが返しいいだろうお前だって」
 さらにこんな分ったことさえもいって、絶えずなにがしかを融通してくれた。どんなにどんなに助かったことだろう、それが。かつて師匠圓生のいる四谷のほうへ足向けては寝ないと誓った圓朝は、文楽師匠住む中橋のほうへもまた足を向けては寝られないこととなってしまった。
 そうした苦しい真っ最中に、老衰で父の圓太郎が、枯木の倒れるようになくなった。つづいて兄の玄正がなくなった。これは僧位進んで小石川極楽水の是照院へ転住した。永年の思いがかなってひと安心したことが発病させたらしく、患いついてすぐ代地の家へ引き取ると、充分の手当をしたのだけれど圓朝二十四歳の秋、とうとう命数尽きて帰天してしまった。晩年にはもう心から圓朝の出世を喜んでいただけ、どんなにか悲しまないではいられなかった。
 父のといい、兄のといい、いまの身分以上の弔いをだしたので、いよいよお勝手元は苦しくなった。
 年の瀬がきた。
 去年の倍も弟子たちの増えていることはうれしかったが、それだけにこの暮れの餅代もまた倍。弟子は倍でも収入はまだ倍までにはかなっていず、ほんの少うし増えているばかりだった。すっかりその弟子たちに心づけをしてしまったあと、自分の家の春の仕度万端をすますと、大晦日にはお恥しいが圓朝、印袢纏一枚「何もかもあるだけ質に置炬燵、かかろうひまのふとんだになし」落語の「狂歌家主」をそっくり地でいく境涯となってはしまっていたのだった。
 もっとも今夜おそくには、この間浅草の雷鳴亭からたのまれていった座敷のおあしがなにがしかとどけられることになっていたから、それでけさ餅代に質入れしたばかりの高座着さえだしてくれば、あとは書き入れの初席はつせきがいやでもふんだんに小遣いを稼がせてくれる。印袢纏一枚でも圓朝、ノホホンとさのみ苦労はしていなかったわけだった。萬朝はじめ弟子たちが湯へいってしまったあと、八つ下りの夕日の傾きそめたすみだ川の景色を父圓太郎の死後こっちへいっしょになっている阿母おふくろと二人、炬燵に入りながらのんきに眺めていた。
「師匠いますか」
 侠気いなせな若い仕の声がした。阿母がでていってみると、万八の若い仕だった。金太郎武蔵の旦那が御朋輩と年忘れにきておいでなさる、すぐ飛んできて貰いたいというのだった。
 永年のひいき先――着物よろいがあるもないもなかった。
「ヘイ只今すぐ伺います、どうかよろしく」
 オドオドしている阿母の様子をおもって、ワザと元気に障子のこっちから声だけ掛けた。では何分お早く――とすぐ若い仕はかえっていった。
「いやだお前どうするお気だえ」
 心配そうに阿母が入ってきて、
「近江屋さんへいってこの事情をいってちょいと一時高座着をだして頂こうか……」
「いらない、いや、いりませんよ阿母おっかさん」
 首を振って圓朝、
「だって芸人がそんな、あたみっともないそんなことは、……」
「だってみすみすお前なかったことには」
 また心配そうに圓朝の顔を見た。
「いや、けれども」
 もいっぺん首を振って、
「何とか、何とかなります」
「なりますたってお前」
「なりますったらなりますよ。大丈夫。阿母さんはそんな心配しないでも。ア、そうだ、それよかお使い立てしてすまないけれど表の小間物屋の娘さんの羽子板をひとつちょいと借りてきておくんなさいな」
 呆気にとられてそのまま阿母は表へでていったが、やがて仇っぽい粂三郎のおじょう吉三きちざの小さな羽子板かかえてかえってきた。
「ハイすみません。サ、あとは台所へいってと、そう、豆絞りの手拭だ」
 自身、台所から取ってきて、
「じゃちょいといってきます阿母さん」
 もうそのまんま土間へ下り立っていた。
「大丈夫かえお前ほんとにそんななりで」
 まだ心配そうに阿母は眉を寄せた。
「細工は流々りゅうりゅう仕上げをごろうじろ、とんだ『大工調べ』だが、大丈夫ですよ、これでもし一、浅草の寄席からおあしのとどくのが遅れてもいまいってる一席ですぐお宝が頂けますから」
 安心しておいでなさいとばかりピューッと圓朝は飛びだしていった、大晦日の夕日うすづく茅町の通りのほうへ。

「ヘイ圓朝、年忘れのお見舞いにうかがいました。誰方どなたも佳い年をお取り下さいやし」
 その羽子板ギューッと豆絞りの手拭で額のまん中へ結びつけて、さながら出入りの大工左官がお見舞いにきたようなかっこうをして圓朝は、汚い印袢纏のまんま颯爽と萬八の大広間へと飛び込んでいった。
「……」
 はや紅白梅活けた大花瓶まん中に、おそなえ祝った床の間ちかく、芸者幇間を侍らしてドデンとおさまっていた三十八、九のでっぷり立派やかな金太郎武蔵の主人はじめ、通人らしいその朋輩たちは、いずれも奇抜なこの圓朝のいでたちにアッと目を奪われてしまった。しばらくマジマジみつめていた。やがて感嘆の声が洩れてきた、誰彼からとなく。
「感心、いい趣向だな」
 金太郎武蔵のすぐ隣りにいた目の細い若旦那風のがまず、いった。
「ウーム、気取らねえで凝っていてさすがに圓朝だ、こいつァ頂ける」
 その隣りにいた若禿げのした旦那も賞めた。
 並いる人たちも芸者たちも、幇間たちも、みんながみんな御趣向御趣向といいだした。
 誰一人あっていま人気者の三遊亭圓朝、元日をあしたに控えてまさかにこの印袢纏一枚とはしるよしもなかった。あくまでこれを趣向とおもい、洒落と信じ、一座心から賞めそやした。ほうぼうから自分の贔屓を賞められて金太郎武蔵、ただもうわけもなく恐悦していた。
 ……その晩、圓朝はおびただしい御祝儀をいただいた。


     二

 そうした中でさらにひとつ「菊模様皿山奇談」を書き上げた。
 これはおよそ大道具大仕掛のものだった。
 山門のセリ出しがあったり、忍術使いが大きな蝶へ乗って登場したり、高座の前へ一杯水をたたえた水槽を置き、ザブンとそれへ飛び込んで高座裏へ抜け、首尾よく早替りを勤めたりした。
(この水を毎日必ず取り替えておくはずを、うっかり萬朝忘れてしまい、汚れた水の中へ圓朝を飛び込ませて、叱りつけられたこともあった)
 これだけでも道具、衣裳、目の玉の飛び出すような入費だった。くじけずに圓朝、片っ端から気前よくこしらえていった。しかもチャチないい加減なものではなく下手な緞帳芝居は敵ではないほどの絢爛なところをこしらえさせるのだったから、その費用は一段とかさんでしまった。
 その上、この興行から本式の長唄囃子連中を七人も頼んで演奏して貰った。これにも莫大の出演料が必要とされた。
 その代りイザ蓋を開けると千両の役者には千両の鳴物さらにまた千両の道具、まさかに千両はかからなかったとしてもおよそ寄席の高座には吃驚するような絢爛豪華ありったけのものが花々しく展開され、高座は冴えに冴えたのだった。
 アッと人びとは目を瞠った。
 息を呑んだ。
 こんな目のさめるような華やかな道具噺、いまだかつてめぐりあわしたことなんてなかったからだった。
 きた、客が。やたらにあとからあとからひっきりなしに詰めかけてきてはたちまちどこの寄席でも襖障子を取り払ってしまい、まるで正月興行のような大入り繁昌を呈することとはなってしまった。
「あんなコケ脅しにひっかかるなんて、このごろの客は悪くなったんだ」
 聞こえよがしに師匠圓生はまた、ほうぼうでから悪口をいって歩いた。当然、それは圓朝の耳へもつたわってきた。
 でも。
 小大橋こたいきょうで文楽師匠にいわれていたことがあった。決してもう昔のように悲しいとも怨めしいとも、また腹立たしいともおもいはしなかった。
 いつか――いつか分ってくれる。
 それでいいんだ。
 ひたすらそう考えて、自分のおもうところへのみ、馬上まっしぐらにと進んでいった。同時にこうしためげない振舞のできてきた自分にしてくれた文楽師匠の情のほどを、いよいよかたじけないものにおもった。
「いい、圓朝は」
「ほんとに、まず圓朝だね」
 そこでもここでも圓朝の名が、旋風的な圧倒的な人気の中心となって渦巻いてきた。ようやく収入みいりがよくなってきた。小遣いも豊富に遣えれば、それでもなおかつ翌月へのこるまとまったものがあるようになってきた。
 余裕ゆとり――身にも心にも、生れてはじめてといっていい余裕というものが、ようやく春の日を芽吹く枝々のように生じてきた。いう目が、そこにでてきたのだった。
 すると――。
 まずやってみたい。
 そういう希望のかずかずが、十六むさしの駒のように、あれこれと胸へ浮かび上がってきた。
 ひとつひとつ克明にかなえていったらりがないが、まずり。こしらえだった。
 思うさま派手な、芸人らしい上にも芸人らしい装えがしてみたかった。絢爛な多彩な柳桜やなぎさくらをこき交ぜたような立派やかな扮り。
 一にそれがしてみたかった。
 そうしてあれが圓朝かと、路ゆく人から振り向いてみせたかった。譬えれば自分の歩いていったあとの道へは、紅白金銀さまざまの花々が散りしき匂っているような、そうした目も絢な振舞がしたかったのだった、かりにも男と芸人と生れきて一度は。
 すぐさまそれを実行した。
 まず、黒羽二重五つところ紋の紋付をしつらえ、白地へ薄むらさき杏葉牡丹ぎょうようぼたんを織りなした一本独鈷どっこの帯しめた。燃ゆる緋いろの袖裏がチラチラ袖口からは見える趣向にした。群青そのものの長襦袢また瑰麗かいれいを極め、これも夕風に煽られるたび、チラとなまめかしく覗かるる。とんと花川戸の助六か大口屋暁雨さながらの扮装いでたちだった。
 これで堂々と楽屋入りした。少し風邪気味のときなどは黄昏、芝居の頼兼公のような濃紫の鉢巻をして駕籠に揺られ、楽屋口ちかく下り立つと、つき添いの萬朝の背に片手かけて、しずかにしずうかに楽屋に入った。いかさまこれでは往来群衆の目に留まらないわけがない、圓朝が行く圓朝がとえらい評判になってしまった、そうしてまたその晩の客が増えた。
「な、何だいあの姿は」
「とんだ茶番の助六だね」
 さすがにここまでくると、仲間の誰彼がハッキリ後ろ指を指しはじめた。
「いえもうここへきてるんですよ皆さん」
 中でも自分の脳天へ指をやって師匠圓生は、ここぞとばかり圓朝狂えりといい触らした。
「圓朝さん、お前生涯にいっぺんだけそういうりがしてみたかったんだろう、生れてから今日日きょうびまでお前の身の周りは何もかもズーッと真っ黒ずくめだったんだものなあ」
 ある日、しみじみと文楽師匠だけはこういってくれた。
 その通り、まさにその通りだった。何ももう改めていうがことはない。くまなく心の中を天眼鏡で見透されたような気がした。何てよく分ってくれる人なんだろう、私の心の中のことが。
「分るよく分るよ、俺にゃお前の心持が。やんねえ遠慮なくやんねえ、誰になんの気兼もなく。飽きる迄、やってやってやり通すことだ」
 さらにまたさらにこうも元気をつけてくれた。
 二十六、二十七、二十八歳といよいよ強っ気に圓朝は、心ひとすじ馬車馬のように、思いの路を駆り立てていくことができた。
 いよいよ自分という雪達磨が転がせばころがすほどに大きく大きくなりまさっていった。
 山なす毀誉褒貶きよほうへんも何のその、かくて両国垢離場こりばの昼席とて第一流人以外は出演できなかった寄席の昼興行の、それも真打とりを勤めることと、圓朝はなったのだった。しかも毎日五百人以上、嘘のような大入りがそこにつづいた。またしても弟子入りを望む者、あとからあとから絶えなかった。あまりのことの嬉しさに何べんも何べんも初代圓生のお寺へいった。そしては墓前に報告をした、おかげで三遊派もこんなに盛り返してまいりました、と。もちろん、昔あれほど気に病んでいたお線香代のほかのお心付けも、もうこのごろでは師匠こんなに頂いてはと寺男が痛み入るほど莫大にやることができるようになっていた。
 まず何もかもこれで――。
 心の底のまた底まで圓朝は、微笑ましいものを感じないわけにはゆかなかった。
 あとはたゆまぬ勉強だけだ。
 もっともっと道具噺に、千変万化の工夫を凝らそう、道具や仕掛にいくらかかっても構わないから。いよいよお客様をアッといわせよう。
 固く心にこう誓った。
 そのころ、圓朝贔屓のおんなたちもめっきり周囲に増えてきていた。手紙をよこすもあり、楽屋へ訪ねてくるもあり、中には代地の家まで押し掛けてくるものもあった。
 中で圓朝の心に通うおんながただ一人だけあった。両国垢離場の昼席からは橋ひとつ隔てた柳橋の小糸というおんなだった。垢離場四年間(それほど連続的にその第一流の寄席は圓朝一人を出演せしめたのだった)の長期出演が、いつしか二人の仲に花咲かせ、実を結ばせるゆくたてはとなったのだった。
 小糸。
 クッキリした濃い目鼻立ちのくせに陰影かげが深く、顔も姿も寂しさひといろに塗り潰されていた。いつも伏目の、控え勝ちの、ジッと寄辺なく物思いに沈んでいるような風情――一にも二にも圓朝はそこに心を魅かれた。
 むらがる仇花の中へほのぼのと姿を見せている夕顔の花ひとつ。
 身近に感じないわけにはゆかなくなっていたのだった。


     三

 圓朝二十九の夏がきた。
 ペルリの黒船来航以来、にわかに息詰まるような非常な匂いを見せだしてきていた世の中は、相次ぐ内憂外患に今や何とも名状しがたい物騒がしさはほとんどその頂点にまで達していた。水戸の天狗騒ぎ、長州軍の京討入、次いでその長州征伐、黒船の赤間ヶ関大砲撃、そうしてさらにこの六月には公方様は一切を天朝様へお還し申し上げなければ。そこまで事態は切迫していた。そうした目狂おしいばかりの非常時歳時記の真っ只中で、どの芝居へも、どの寄席へも、恐しいほどよくお客がきていた。
 燭火の尽きなんとする一歩手前の明るさのような無気味なものをまんざら誰もが感じないわけでもなかったが、それはそれとし圓朝自身のことにすればあくまでいう目はでるばかりだった。小糸との間も、日に日に深くなっていたし、いま、この世の中は全く自分のために動いているか。そうした考えを抱いたとてさして大それてはいなかろうくらいだった。
 でる杭は打たれる。
 しかし仲間での圓朝への非難は、ようやくこのころから目に見えて勢いよく沸騰してきた。柳派の首領春風亭柳枝など手堅い素噺の大家だけに、圓朝打倒の急先鋒だった。日頃、ひそかに圓朝の盛名を妬んでいた連中も、しめたとこの大傘下へ集まってきて気勢を上げた。そこへ持ってきて当の三遊派の家元で圓朝取り立ての師匠たる二代目圓生が、双手もろてを挙げてその打倒論へと賛意を表した。客の中にも文化文政ごろからの生き残り爺さんがまだいて、初代の可楽はどうのむらくはどうのと五月蠅うるさいことを並べ立てる手合が少なくなかった。期せずしてそうした人たちもまた、鬼面人を脅かす斬新奇抜な圓朝の演出法を糞っけなしにけなし付けた。一部における圓朝の非難は、もうさんざんなものだった。
 にもかかわらず――にもかかわらず一般大衆の人気は、いよいよ紅白だんだらの大渦巻となって燃え上がっていくことが仕方なかった。否、一方でおとしめれば貶しめるほど、かえってそれは圓朝の人気へ油を注ぎ、火を放ち、果ては炎と燃え狂わすかと、赫々たるものとなりさかっていった。
 勢い、争って席亭が、手をだした。と、きまって圓朝の看板ひとつで圓生も柳枝もあらばこそ、てんで勝負にも何にもならないほどの多くのお客がその寄席へ呼ばれた。いよいよ打倒派、躍気とならずにはいられなかった。
 ちょうどそのころ。春風亭柳枝が、若き圓朝に一大痛棒を加えんとした場面が、「圓朝花火」というかつての私(注・筆者)の短篇小説に叙されているから、勝手ながら左へその一部をぬきがきさせて貰おう。

 ――スルスルスルと蛇のようにあがっていった朱い尾が、かっと光りを強めたかとおもうと、ドーン、忽ち大空一ぱいに、枝垂柳しだれやなぎのごとく花開いた、つづいて反対の方角から打ち揚げられたは真っ赤な真っ赤な硝子玉びいどろだまで、枝珊瑚珠のいろに散らばる、やがて黄色い虹に似たのが、また紅い星が、碧い玉が。
「玉屋」「鍵屋」
 そのたび両国橋上では、数万すまんの人声が喚き立てた。

 まずこうした両国川開きの情景からこの拙作短篇は始められていたのであるが、その晩珍しく内気で引っ込み思案の小糸が清水きよみずの舞台から飛び下りた積りで晴れがましくも圓朝とただ二人、花火見物の屋根船と洒落込んだ。

 然るにそうしたせっかくの千載一遇の歓会なのに、とかく、圓朝はふさぎ込んでばかりいる、何話し掛けても生返事ばかり、男のこころが読めなくて思わず小糸がれて涙ぐみかけたとき、
「しっ、しずかにおし、お前さんに怒っているんじゃない。見な向こうの船にゃ敵薬がいらあな」
 はじめてこういって圓朝、小糸をたしなめたのだった。
 筋向こうの屋根船には当時の落語家番付で勧進元の貫禄を示している初代春風亭柳枝が、でっぷりとしたあから顔を提灯の灯でよけい真っ赤に光らせながら門人の柳條、柳橘を従え、苦が苦がしくこちらを見守っていた。
 元は旗本の次男坊で神道に帰依したといわれる柳枝は自作自演の名人で、中には「おせつ徳三郎」や「居残り佐平次」のような艶っぽい噺もこしらえたが、根が神学の体験を土台に創った「神学義龍」や「神道茶碗」のほうを得意とするだけあって頑固一徹の爺さんだった。したがって圓朝が時世本位に目先を変えてはでっち上げる芝居噺のけばけばしさを、心から柳枝は軽蔑していた。
(落語家は落語家らしく、扇一本舌三寸で芝居をせずば、ほんとうの芝居噺の味も値打もあったもんじゃねえや。
 それがあの圓朝ときたら、どうだ。
 長唄のお囃子を七人も雇いやがって、居どころ変りで引き抜いてとんぼは切る、客席へ掘り抜き井戸を仕掛けてその本水で立廻りはしやがる。
 まるで切支丹伴天連じゃねえか)
 いつもこういって罵っていた。
(それもいいや。
 それもいいが、揚句に芝居の仙台様がお脳気のうけを患いやしめえし、紫の鉢巻をダラリと垂らして、弟子の肩へ掴まって、しゃなりしゃなりと楽屋入りをしやがるたあ何てえチョボ一だ。
 そんなにまでして人気が取りてえという了見方が情けねえじゃねえか。
 しょせんが芸人の子は芸人だ。
 親代々の芸人は根性からして卑しいや)
 こうもまた罵っていた、圓朝の父圓太郎とて遠い昔はかりにも帯刀であったものを。
 ……こうした悪口は、もちろん、圓朝の耳へも響いてきた。
 けれども何といっても相手は江戸一番の落語家、長いものには巻かれろとジッと歯を喰いしばっていたのであるが、今宵はしなくも惚れたお糸と花火見物の船の中で、その大敵の柳枝と水を隔てて真っ正面に対面してしまった、お糸は何知る由とてなかったが、早くから圓朝気づいていたのでまだ三十にはひとつ間のある血気な身の、しきりに最前から一戦挑みかけたい闘争意識が火のように全身に疼いてきてならないのだった、が、そうした事情をこれまた知る由もない船頭衆は押し合いへし合う背後の船を避けようため、かえって圓朝の屋根船を、問題の船のすぐ前方へと、グイとひと梶すすめてしまった。
「ねえ師匠。どっかのお天気野郎が御大層な首抜きの縮緬浴衣を見せびらかしにきていやすぜ」
 聞こえよがしのお追従を、一番弟子の柳條がいった。
「……」
 突嗟に圓朝はムカッとしたが、強いて聞こえないような振りをしていると、
「へっ、一帳羅の縮緬浴衣を着ちらして、水でもはねたらどうする気でしょう。縮緬という奴は水にあてて縮んだら、明日の晩から高座へ着て出るわけにはいきやせんからなあ」
 今度はもうひとりの柳橘がいうなり、カッと舟べりへ、さも汚いものでも見たあとのように唾を吐いた。
 ベッ、ベッ。何べんも何べんも吐きちらした。
 そうして、いつ迄も止めなかった。
 たちまち圓朝はカーッとなった。グ、グ、グ、グと身体中の血汐が煮えくり返るような気がしてきて、
「コ、こんな浴衣は二十が三十でも俺ンところにはお仕着同様転がってらあ、なあ、なあ、お糸」
 いつになくこんな鉄火にいい放ったかとおもうとにわかに立ち上がって舟べりへ片足かけ、
「エイ」
 もんどり切ると青々とした水の中へ、ザブーンとその身を躍らせた。
「やっ身投げだ」
「身投げだ」
 口々に数万すまんの見物は愕いたが、やがて真相が知れ渡ると、
「ちがうちがうそうじゃねえんだ、落語家はなしかの圓朝が洒落に飛び込んで泳いでるんだ」
「エ、洒落に泳いで。フーム。生白なまっちろい顔してる癖に圓朝て意気な野郎だなあ」
「意気だともよ、圓朝、圓朝しっかり泳げ」
 我も我もと花火そこのけで圓朝を声援しだした。
(いけねえこいつァ。
 余計なことをいってしまって、かえって圓朝にさげを取られた)
 ガッカリしたように顔見合わせている柳條柳橘を尻目にかけて圓朝は、ややしばらくその辺を泳ぎ廻り、もういい時分とぐしょぐしょに濡れそぼけた縮緬浴衣のまんま自分の船へ泳ぎつくと、
「おい早く、そっちの浴衣をだしてくんねえ」
 舟べりでどうなることかとハラハラしていた寂しい美しい横顔へまた鉄火に呼びかけた。
「あいあい、お前さんあのこれで」
 スーッと立ち上がっていったお糸は濡れた浴衣をぬがせるとすぐ用意してあったもうひとつの寸分違わぬ首ぬき浴衣を、まだ身体中水だらけの圓朝の背中へと、フンワリやさしくかけてやった。
「豪儀だなオイ、圓朝って。あの素晴らしい縮緬浴衣[#「縮緬浴衣」は底本では「縮濡浴衣」]、何枚持ってきてやがるだろう」
「全くだ、若えがド偉え度胸ッ骨だぜ。たのむぞ圓朝――っ」
 またしても八方の船から見物たちは、あられのような拍手を浴びせた。
 もう柳條も柳橘もなかった。
 いや、さしもの大御所柳枝さえが、すでにすでに若い圓朝の前に完全にその色を失っていた。
 今こそ江戸八百八町の人気という人気を根こそぎ一人でひっさらって仁王立ちしている自分を、圓朝は感じた。
 ああ、この夜のこと、とわに忘れじ、お糸よ、花火よ――いつかカラリと不機嫌の晴れて、心にこう喜ばしく叫ぶものがあった。
 ぽん、すぽん、ぽん――。
 折柄、烈しい物音がしてにわかにこの辺り空も水も船も人も圓朝もお糸も、猩々緋しょうじょうひのような唐紅からくれないに彩られそめたとおもったら、向こう河岸で仕掛花火の眉間尺みけんじゃくがクルクルクルクル廻りだしていた(下略)。

 文意の前後重複のところあるだろうがひとえにそれは許して貰いたい、要は、こうして圓朝打倒の大はたを揚げた人たちはかえって内に外にいつも空しく惨敗を喫することとはなってしまったのだった。
「人気」というひとつの大きな趨勢の前、鬼夜刃羅刹といえども、それには対抗することできなかった。非難すれば非難するだけ、礼讃すれば礼讃するだけ、どっちへどう転んでも圓朝の名はうららな朝日のいろにと染められていくばかりだった。
 その晩、何べんも嬉し泣きに泣きたいような思いになりながら圓朝は、船で小糸の家までおくられていった。三年前世話する人に死別れたままの小糸の家は圓朝の住居のもう少し河上にあって、庭から河岸へと張りだされている桟橋へは、涼しく暗い川波が寄せて返していた。ピタリとそこへ船が着いた。まだ濡れている手でしっかり小糸の手を取って圓朝は、いつか今にもひと雨きそうに曇ってきた夜空の下、鉄砲百合の花香ただよっている前庭のほうへとあがっていった。

 ……そのころから圓朝はこの小糸の家の二階で、ひとりしずかに新作噺の構想を凝らすようになった。母のおすみも小糸贔屓でよくやってくれば、萬朝をはじめ弟子たちも姐さん姐さんとよくなついて始終出入りしだした。寂しい、影そのもののような感じのおんなだったが、人一倍苦労の味を噛みしめてきているだけに弟子たちの面倒もじつによく見た。
「あの姐さんならうちの師匠と似合いの夫婦だ」
 口々に弟子たちがこういった。
 圓朝自身もまた、そのつもりだった。なればこそ半分、自分の家のようにしてそこの二階から寄席や座敷へとかよっていたのだった。
 ただその小糸にして只ひとつ、いつもしみじみと弟子たちにいうことがあった。
「うちのお師匠さん、平常ふだんはほんとうに申し分ないお人だけれど、私困ってしまうことがひとつだけあるの。噺をおこしらえなさる前の二、三日……そりゃほんとに妙に機嫌が悪くなっておしまいなすって、急にひとり言をおいいだしなすったり、部屋ン中をぐるぐるあちこちお歩きンなったり、お顔といったらそりゃもうほんとに恐しくなって。御自分は女がお産をする迄の苦しみと同じなんだよっておっしゃるけれど私、あんな私、困ることッたらないわ」
 言いおえるときいつも伏せられた寂しい黒い目は、シットリ途方に暮れたよう露帯びていた。
 つまりそれほど圓朝の噺へ打ち込む魂は真剣だったのだった、いずこいかなるところにおいても。
 そうしてそのこと唯ひとつが、およそ圓朝にとっては生きていく上の喜び愉しみ苦しみ悲しみあらゆるものではあったのだった。
 小糸謂うところのどうにも手のつけられない機嫌の悪い処置振りをしては、やがてその二階で「鏡ヶ池操松影かがみがいけみさおのまつかげ」江戸屋怪談の腹案を纏めた。「座頭浦繁ざとううらしげ」の怪談をこしらえ上げた。
 まだ高座へかける迄には一年以上もかかりそうだったけれど、とまれそのそれぞれの労作をおえたことだけでひたすら圓朝は嬉しかった。前にもいった通り、その書き物をおえた一瞬間のほうが上演をおわったときよりも、あるいは喜びは大きいといってもいいかも知れない。同時に「おみよ新助」のことにして「牡丹燈籠」のことにして作品の出来不出来より作者自身の筆の馴れ、ドッシリと腰の坐り具合の感じられてきたことをいよいよ喜ばないわけにはゆかなかった。だけにひと仕事おわると、それ迄の何日かの不機嫌の取返しのように心から圓朝は、小糸の上をいたわった。慈しんでやった。
 そうこうするうちにまたそれから一年目の圓朝三十歳の初夏はつなつがきた。慶応四年だった。いよいよ世間は騒々しくなってきていたが、いよいよ薄気味悪いほど寄席のお客は増えていた、いわんや圓朝の真打とり席においておや。
 そうした中でかかさず圓朝の、勤めていることが二つあった。ひとつは恩人桂文楽へ何かにつけて心からなる尊敬を忘れず、報いていること。もうひとつは初代圓生の墓参を、いよいよ欠かさず、していることだった。
「ねえ白玉を買わせにやってくれ」
 涼しく川の見える縁側へ腰を下ろして、きょうもたった今、初代のお墓詣りからかえってきたばかりの圓朝が、いった。表から上がらず、そのまま小庭のほうへ廻ってきてしまったのだった。薄曇りしている庭にきのうの朝売りにきたのを小糸が買った大輪の朝顔がひとつ、真っ白な花を咲かせていた。汐まじりのした水の匂いが、快く鼻を掠めてきていた。
「……」
 微かに目で肯いて、スラリと麻の葉つなぎの浴衣を着た小糸は台所のほうへ立っていった。すぐ女中にいいつけてかえってきた小糸の後から、萬朝がそそくさと愛嬌のある汗の玉だらけの円顔を見せてきた。
 もう萬朝ではない、亡父の名をくれてやって二代目橘屋圓太郎、いよいよ先代写しに高座可笑しく、先代写しに日常そそっかしくはなりまさってきていた。汗っかきの具合もまた同断だった。やがて明治御一新後十年、高座に乗合馬車の御者の真似して喇叭ラッパを吹き、今にラッパの圓太郎と諷わるるはじつにこの萬朝だったのであるが、それはまだまだ後のお話。
「師匠、四谷の大師匠が倒れちまったって。いま文楽師匠から報せがあった」
 口を尖らして圓太郎がいった。
「エ、いつ」
 思わず圓朝は立ち上がった。
「五、六日前らしいや、中風らしいって」
 圓太郎はクルクル目玉を動かした。
「で、どうなんだ一体その後の様子は」
 もどかしそうに圓朝、急き立てた。
「そ、それは」
 いよいよ目玉をクルクルさせて、
「お、俺に聞かれても……だって師匠ただ文楽師匠がうちのほうへそういってきただけなんだ、後は野となれ……」
「何だえ野となれとは」
 きょうばかりは圓朝、いつになく恐しい顔をした。ハッタと睨んだ。
「ご、ごめんなさい、大師匠が何も野となれといったんじゃねえんだ、俺、後はといったもんだからついその後、野となれとこう……すみません、勘弁して……」
 オドオドしながら何べんも何べんも頭を下げた。
「分った分りました、それはいいから」
 少し可哀想になってきてまたソロリと縁側へ腰を下ろしながら圓朝、
「で、お前、これもお前に聞いても分らないかもしれないけれども、あの、何は行ってるんだろうね何は」
「誰です」
「あの、ほれ……圓太だよ」
「……」
 黙って圓太郎、首を振って、
「あの、それだけは特別に最前文楽師匠いっておいででしたよ、師匠」
「エ、何だって」
「何しろ圓太の野郎が行ってねえから、余計お前ンとこの師匠おやじに早く報せにきたんだ、薄情野郎あン畜生め、四谷が倒れたと聞いたらそれっきり影覗きもしやがらねえって」
「行こう、圓太郎」
 また急にプーイと立ち上がって、最前から話の様子をホロホロした表情で聞き入っていた小糸のほうを振り向くと、
「聞いての通りだ、白玉どころじゃない、すぐ私はこれを連れて駈け付けよう。サ、何でもいいから仕度をしてくれ。圓太郎、お前は駕籠を二挺みつけてくるんだ」
「合点で」
 奴凧のように頓狂に両袖丸めて圓太郎は、真一文字にバタバタ座敷を駈け抜けていった。


     四

「……」
 ゲッソリと変り果てた師匠圓生の寝顔の上へ、黙って圓朝は顔をやった。ジッとみつめていた。
 ボコンと頬が落ち込み、顔全体にいやあな赤ちゃけた血が上り、一面の無精鬚の中に相変らず大きく盛り上がっている鼻ひとつ、まるで生きながらの墓標のように侘びしかった。
「……」
 情けなさにたちまちククとみ上げてくるものがあった。じつはここへくる途中、青山の久保本まで大廻りして、あらかじめ女主人と下足番の爺やとから、発病前後のことを聞きただしてきたのだが、師匠の一家はいま聞きしに勝る惨憺たる体落ていたらくだった。少しもしらなかったが師匠は下座げざのお仙という三十がらみの渋皮の剥けた女とねんごろになり、それを根が苦労知らずの嬢様育ちのお神さんはカーッと一途に腹立てて、実家へかえっていってしまった。ところがそれを聞くと今度は下座のお仙が、お神さんが、でていっておしまいなすったあとへ、ヌケヌケと私が直るなんてとんでもない、お神さんにすまないから私もお暇をいただきますと、どんどん暇をとり、手切れをもらって別れていってしまった。隠然とした長老とはいえ、もう派手な人気もなし、大した先々も望めないと見てとって要領のいいお仙は、手廻しよく見切りをつけていってしまったものらしかった。その気落ちがしてしまったためだろう、ひと月あまり呷りつづけた自棄酒やけざけのあと、バッタリ倒れて、とたんにこんな病気がでてしまったのだった。
 それにしても――。
 怪しからん奴はあの圓太で、前からこのお仙とわけがあったらしく、とすると今度体よく見切りを付けさせたのも奴の指図だったのだろう、師匠が倒れたと聞いてもてんで顔出しもしてこないばかりか、早いところお仙と二人随徳寺をめ込んで旅廻りにでもでてしまったものらしく、血眼になって例の船宿の婆さんが久保本へも圓太の行方を探しにきたということだった。従って、もういまの四谷の家にはおしのどんもお嫁に行ってしまっていなかったし、目っかちの雇い婆さんが一人、病人の世話をしているばかりだった。
「……」
 ときどき烈しく息を吸い込んではまたフーッと吐き出す師匠の顔を見ながら、打って変って荒涼としてしまっている部屋の中を眺め廻して圓朝は、秋風すさぶ人生終焉図の見本を目のあたり見せつけられているような気がした。お神さんなく、おしのどんなく、今や師匠はこの姿――昔ながらのものとてはあのいつかの朝自分が突き落とされた池ばかりだった。なつかしそうに圓朝は、はるかの池のおもてへ目をやった。真っ青なうきくさが一杯伸びて、音立ててその上を吹き渡っていく真昼の風があった。その池のへりにポカンと圓太郎が佇んでいた。ありし日の自分の姿をそこにみいだして圓朝は、何ともいえない感傷にさそわれていくことが仕方がなかった。
「……」
 気配に、師匠が目を開けた。昔ギロリと睨まれたあの目とは打って変った寂しい空ろのものだった。
「ア、師匠」
 思わず圓朝は声を掛けた。
「……」
 しばし目を疑っているもののようだった。光りなき目がしきりに圓朝の上を、とつおいつしていた。
「ア……ア、圓……朝……」
 とぎれとぎれにこれだけいった、ろれつの乱れた微かな声で。世にも懐しそうにガクガクンと顎が動いた。
「……」
 それだけでもう圓朝は胸がいっぱいになってしまった。許して、許してくれている師匠が、ポロポロ涙がこぼれてきてならなかった。
「師匠、ねえ師匠、圓朝です、お見舞に……お見舞に伺いました……どうか……どうか昔の私の至らないことは……」
 耳許へ口押しあててこういった。そういううちも、果てしなく涙はこぼれてきていた。
「……」
 そのたんび師匠は顎を動かした、分って、ああ分っているよ、いるともさというごとく。それがまた圓朝のことにして、どんなにうれしかったことだろう。
「あの……あの……お前」
 そのときだったあのあおと聞こえる発音で、やがて師匠は喘ぎながらこういった。
「あの……あの……圓、朝や、むか、昔のことは何も……かも……」
 またたよりなく二、三度顎を動かして、
「ゆ、許してくれ……」
「モ、もったいない、な、何をおっしゃ……」
 弾けて飛び上がらんばかりに、ヒシと師匠の身体へむしゃぶり付いてゆくと、
「師匠から……師匠から……そんな私お言葉いただいてしまっては……」
 ギュッとギューッと力いっぱい抱きしめながら、
「とんでもない、私の……私のほうこそ……小さいときからいろいろ手塩にかけて頂いていて」
 もう恥も外聞もなくおろおろおろおろ泣きだしてしまっていた圓朝だった、なるほどいつか文楽師匠のいってくれた通りの師匠と弟子との人生ではあることよなとおもいながら、そうおもってまたひとしお烈しく抱きしめながら。
「……」
 黙って首を振った。苦しそうな、とぎれとぎれの声でいった。
「だ、だってお前、お前に煮湯を飲ませた圓太なんかを引き立てて……そのまた圓太に面目ないよ、この私が……私が煮湯を飲まされて……子罰こばちが、弟子罰でしばちが当ったんだお前という。ごめん、ほんとうにお前、ごめん……」
「お止し……お止しなさいってば、ねえ師匠。いやだいやだ師匠そんなことおっしゃっちゃ。あやまったりされちゃ私は悲しい。かえって悲しい。師匠師匠、ねえ師匠……昔のやっぱり昔のやかましい師匠にかえっておくんなさい、どうかお願いだ、ねえ師匠お願いなんです」
 取りすがったまんまでいる師匠の身体を何べんも揺った、オイオイ声立てて泣きつづけながら。
 と見ると師匠も泣いていた。大きな鼻の周りへ、キラリすじ引いた涙を光らして。いつか庭から上がってきていた圓太郎までが、そこの畳へうつ伏せに、貰い泣きしていた。
「ねえねえ師匠」
 やがて涙の顔を袖で拭うと、やっと己を取り戻した圓朝がやさしい笑顔を見せて、
「お願いです元気になって。もういっぺん元気になって三遊派のために働いて下さい。おかげで圓朝、いいえもうみんな師匠のおかげです、ほんとにおかげで弟子もたくさん増えてきました、今度こそ……師匠も許しておくんなすったし、ねえもういっぺん元気で働いて下さい、圓生圓朝親子いっしょに今度こそほんとに働きたいんです」
 こういって骨だらけの師匠の手を触りあて、満身の力を、心を含めて握った。握りしめた。微かだけれど握り返してくる師匠の力が感じられた。それだけでもう何もかも満足。五輪五体のことごとくが、惜しみなく清い涙で洗われていくものをおぼえた。
「じゃ師匠、ほんとにくれぐれも力を落とさないで養生をして……。ねえ頼みますよ早く元気になって下さいよ。いまかえったらすぐうちの若い者を二人ばかり手伝いに寄越しますし、私もまた明日あしたにでもやってきますからね。じゃ師匠お大事に。あの、うちの若い奴がきたら構わず何でも婆やさんからいいつけて貰ってうんと働かせて下さいよ」
 もう一度、また名残りは尽きじという風にしげしげと、またしても涙で一杯の師匠の顔を見守って、やっとそれからその場をあとにした、まだ手拭で涙拭き拭き後くっ付いてくる圓太郎といっしょに。
 苦しそうに寝返り打って起き直ろうとした圓生が自分の枕許に「お師匠さまへ、圓朝」としたためた紙包みの中、その頃のお金にして大枚五十金包まれていたことを発見して、廻らぬ舌で騒ぎ立てたのは、それからふた刻あまり後のことだった。


     五

 ……そのころもう圓朝は代地の小糸のところへ戻って、ひとッ風呂汗を流し、二階の小座敷で暑気払いのなおしをチビリチビリと傾けていた、すぐ自宅に遊んでいる若い者二人を四谷の師匠のところへ泊りがけで手伝いにやっておいて。
「それにしてもきょうほど私はねえ、小糸」
 うれしそうにコップのなおしをひと口啜って圓朝は、また下へ置いた。
「……」
 黙って肯いた。しみじみとした黒い眸にも隠し切れない歓びのいろがかがやいていた。またしても嬉しいときには嬉しいことがつづく、あの昔雷隠居に高座から引き摺り下ろされ、泣いて口惜しがった赤坂一つ木の寄席宮志多亭からきょう留守中に、七月下席、即ち書入れのお盆の真打を頼んできていたのだった。あの晩、空っ風に吹かれたまま、いつまでもいつまでも去りやらず睨んでいた招き行燈の中へ、今こそ「三遊亭圓朝」の五文字を筆に書き入れさせるときがきた、そうしてあかあかとその字を灯の中へ浮きださせてやるときが――。
「ねえ不思議じゃないか、ひとつひとつ引道具のようにいやなことが消えてなくなっていく。そしちゃ、一段一段とそのたんび私の看板がせり出しのように上がっていく。いよいよたくさん勉強しなけりゃいけないのはもちろんだけれど、それにしてもいいのかなあこれで、ほんとうにいいのかなあ私ァこれで」
 うれしそうに辺りをぐるぐる見廻しながらまたコップを。そのあと華奢な象牙の箸でギヤマンの大鉢の中の銀のようなすずきの洗いのひと切れを、さも美味しそうに口へ運んだ。
「……」
 やっぱり小糸は肯いた、月の出のように顔全体をかがやかすことによってのみ、ひたすら、心の喜びのたけをあらわして。
「で、ねえ……」
 しばらくほれぼれと圓朝は寂しい美しい目の前の顔を見守っていたが、
「やる、とにかく、やる、手一杯ひろげられるだけこの手を大きくひろげて、もっと派手に、もっと華やかに私は売ってみせる。仲間の悪口なんか、もう耳にたこてんで気になんかならなくなってしまったんだ」
 薄青いなおしを飲み干すと、
「猿若の三座……いやまさか三座は無理だけれど、宮地みやち芝居、緞帳でいい。いまに私は芝居小屋を開けてきっと三遊亭圓朝の看板を上げてみせる。そのときの道具噺はいまの五倍七倍も派手なもの、大がかりのもののつもりなんだ」
「……」
 三たび濡れた目へ信頼のいろを漲らせて女は、肯いた。
「それには演題だしもの――演題の選び方、立て方が大専だいせんだ。むろん、芸がから下手ぺたじゃいけないが、何よりアッといわせるような演題の案文あんもんがつかないことには仕方がない、ねえ小糸」
 少しにじり寄るようにしてきて、
「噺の途中へお化けのでるときは私は都楽とらく都船とせんの写し絵をつかいたい、忍びの術使いのでるときには鈴川一座の日本手品てづまや水芸もつかいたい、時と場合によったら筋の都合で、とがや紫蝶のあやつり人形もよかろうし、松島亀之助の山雀やまがらの曲芸、猿芝居だって使おうとおもう、そういう連中をあれこれと舞台一杯に手配しておいてその上大道具大仕掛大鳴物で、噺と噺との合間を面白可笑しくつないでいく、たしかにこれは江戸中の人たちがアッと目を瞠るだろうとおもうんだ」
「……」
 またしても目が肯いた、嬉しげに、頼もし気に。
「ああ演りたい、早く演りたいなあ、一日も早く。それを演って二千七町八百八町を引っ繰り返してしまいたいんだ、ああ、ほんとに早く私は……」
 今から大舞台いっぱいの豪華絵巻を目に描くとき、早くもとてもこうやってはいられないほどの芸拗を全身全魂に感じだしたらしく圓朝は、また半分ほど酌がせたなおしを今度はひと息に飲んでしまい、ブルブルブルと総身を慄わし、フーッと大きく息を吐きだすと、いつかすっかり黒雲重く垂れこめてしまっている川向こうの景色へ、きおい立っているいまの心の捌け場を探すもののよう目をやった。松浦様の大椎の木あたり、ようやく迫ってきている暮色をいやが上にも暗いすさまじいものにして、はや大粒の雨、そこでは飛沫しぶきを立ててふりだしているかとおもわれる。
「オ、いい心持でひとりで喋っていたら、とんだ空合になってきてしまった。れるな今夜は」
 降ることをばれると、仲間の符喋でいいながらスッと圓朝は立ち上がっていって欄干てすりへ寄った。少し乗りだすようにして両国橋のほうを見るとポツリポツリ、早くも親指の尖のほど渦巻がいくつもいくつも川面へ描かれてはまた消えている。
 でも、どうしてだろう、いつももう浮いたようないろの灯点して囃し立てている広小路の盛り場が、ヒッソリ今夜は薄闇の中に静まり返っていた。
「出してくれ着物」
 すぐ高座着をださせ、合羽をださせ、かっこうよくひとつひとつそれを身に着けて、
「じゃ、おい」
 いってくるよといっしょに階下したへ下りようとしたのと、バタバタ真っ青な顔して女中の駈け上がってきたのとがいっしょだった。
「あの……おいでになれませんよお師匠しょさん寄席へは」
 息はずませて女中はいった。
「どうして」
 圓朝は訊ねた。
「開かないんです木戸が」
 また女中はいった、やっぱり息はずませながら。
「な、何ですかいま……大へんないくさが始まったんですって」


     六

 すぐに圓朝は、小糸を自分の家へ――。
 母を見舞わせ、弟子たちの様子を聞かせ、同時に戦の様子も詳しく聞いてこさせることにした。自分は女中を手伝って二階を片づけ、すぐまた下りてきてどんどんそこらの戸を閉めた。すっかり閉め切ってしまったとき、サーッとしのを乱したような大降りになってきた。
 ダン、ダ、ダーン。なるほど殷々いんいんたる砲声が、遠くのほうから轟きだしてきた。
 いよいよ何かはじまった――。
 戸棚から真鍮の燭台を持ちださせ、それを下の座敷のまん中へ置いて圓朝は、たった一本だけのこっていた青蝋燭へ灯を点した。普通の蝋燭の灯のいろとちがって少し陰気で薄黄色いのが、いっそうこの場合の部屋のたたずまいを無気味にした。四方八方閉め切っているのにしきりにどこからか生暖かい風が忍び入ってきて、その灯を揺り動かした、まるでいまにも消してしまいそうに。無気味さが、ますます部屋一杯にひろがってきた。
 その灯の傍に坐って圓朝は、ジッと目を閉じ、腕組んでいた。少し離れたところに、ペタッと腰を落として女中も遠くから不安そうに主人の顔を見上げていた。
「開けて……あの開けて……私」
 ピューッとまた横なぐりの雨が表の戸へ吹きつけてきたとき、小刻みに駈けてきた足音が急に止まって、声がした。小糸だった。すぐ女中が立っていった。
 びっしょり濡れしょぼけて入ってきた。母のおすみも元気だった。少し遅い出番の弟子たちはまだ家にいて無事だったけれど、早くでていったほうの弟子連中は途中でどうなったか。どこかしことなく江戸中残らずの木戸が、もうまってしまっているのだということだった。
「それにいくさはお師匠しょさん四谷へおいでの時分から上野辺じゃ、もうそろ始まっていたんですってねえ」
 薄黄色い灯の中でひとしお顔を青白くしながら、やっと手足を拭いて坐った小糸が、いった。
 ……そういえば思い当る、九段からあのお壕端かけてかえりはことに錦布きんきれの薩摩侍が大ぜい殺気立っていたっけ、このごろ毎度のことだから気にも留めていなかったし、それにこっちは師匠のことで一杯だったから、久保本へ寄っても世間話ひとつするでなくかえってきてしまったのだったが、それではもうそんな差し迫ったことになってしまっていたのか。広小路の盛り場の今夜点していないわけが、いまにしてようやく肯かれた。同時に四谷の師匠のところへだしてやった弟子たちの、首尾好く先方へ着けたかどうかをおもってみた、寄席へでかけていった弟子たちの安危とともに。
「官軍が勝ったともいってますし、公方さまのほうがどうだともいってますし、そこの魚屋さんの前では大ぜいの人がてんでにいろいろのことをいっていてちっとも分らない」
 語り継いで小糸は、
「でも大へんな騒ぎ、聞いていて私ブルブル身体が慄えてきたわ」
 意味あり気に圓朝のほうを見ると、
「だってもう焼けてしまったっていうんですもの」
 世にも寂しい顔をした。
「ド、どこがよ、どこが焼け……」
 キッと相手を見守った。
「……猿若三座が」
 いよいよ寂しい顔をして、
「吉原も、魚河岸も、このお江戸の豪儀なところはみんな坊主が憎けりゃ袈裟までだって、片っ端から薩摩のお侍が、焼き、焼き棄ててしまいましたとさ」
 さも口惜しそうに目を湿うるませた。さすがに生え抜きの江戸育ちの、憤ろしさに抜けるほど白い襟脚えりあしが止む景色なく慄えていた。折柄またパチパチパパパパパと続けざまに小銃の音がはじけてきた。そして、消えた。
「……」
 黙って圓朝は唇を噛んだ。いつ迄もいつ迄もそうしたまんまでいた。胸かきむしられるような憤ろしさに、自分もまたどうにもこうにもやり切れない思い。ねがうことならいま籠釣瓶の鞘払って、床柱といわず、長押なげしといわず、欄間といわず、そこらのもの片っ端から滅多斬りに斬りまくってしまいたいくらいだった。まさかにそれもできないで、ジッとこうやっている圓朝の膝頭はしきりにワナワナ慄えていた。めもけに雨が屋根を叩いてきた。それだけが唯ひとつのたよりある現実として身近に大きく聞こえていた。
「いまに江戸中が火の海になるともいいますし」
 また小糸がいつになく口早に、
大砲おおづつで権現堂の堰を壊してお江戸を水浸しにしてしまうともいいますし……聞いていて私、何だか自棄やけになりそうで困ってしまった」
 幾度か、しなやかな指で瞼を押さえていた。
「ま、しかし」
 やがてのことに圓朝は、
「随分いろいろいうだろう、世間は。どこ迄がほんとうだか、どこ迄が嘘だか、いってる本人にさえ、まだ分ってはいないのだ。それを、いちいちに受けて考えつづけてみたところではじまらない」
 ネ、そうだろうとばかり顔を見て、
「だからもう戸閉りを厳重に、火の用心をよくして。今夜はきよもいっしょにここへ寝かしておやんなさい、お前の傍へ」
 きよとは女中の名前だった、大きくおののきながらうずくまっているほうへ目をやった。
「分りましたじゃすぐお床を」
 やっと瞼へ押しあてていた指を離して、
「きよや、じゃお前もすぐお前のお蒲団を持ってきてここへお敷き」
 こう命じた。
 やっといくらか元気づいてきよが次の間へ立ち、小糸が戸棚を開けて真紅な夜具をだしはじめたとき圓朝は、台所からもうひとつ小さな手燭へ灯を点して持ってきた。
「万一のときのことを考えて私は二階に置いてある書きものの始末をつけてくるから」
 こういって、
「すぐ下りてくるけれど、構わないから先へお前たちは寝ておしまい」
 手燭片手に、そのままミシミシ音させて梯子段を上がっていった。また小銃が、乱れ打ちに聞こえてきた、「ヒ、人殺し」。そのあとヒイーと尾を曳いた異様に甲高い若い女の叫びといっしょに。車軸の雨の中走りゆく六、七人の足音が、にわかに乱れた。

 二階の最前の部屋へ入ってペタンと坐り、傍らへ手燭を置いたとたん、裾風でだろうか、音もなく灯は消えてしまった。
 鼻をつままれても分らない真の闇。雨で湿しっけた、生乾なまがわきに似た壁の匂いがムッと鼻を衝いて、また小銃が、砲声が、ワッワッワーッというような何とも分らない大ぜり合いのような声々が、近まってきてはまた遠のいていった、狸囃子のそれのように。
 屋根叩く川面叩く大雨はいよいよ烈しくなりまさってきて、まさしく天の底が抜けるかとばかり、そういっても滝津瀬に似た、どんどんに似た、このすさまじい土砂降りを何としよう。
「……」
 真っ暗な部屋に坐りつづけたまんま圓朝はいま、自分の周りと同じように、自分の心の中もやっぱり真っ暗であることを感じた。真っ暗三宝とはこのことだろう、一寸先はやみというが、どういたしまして前後左右がことごとく暗で、自分自身もまたこの暗といっしょにこのまま溶けてなくなっていってしまいそうでならなかった。
 書きものの始末をと嘘をいって上がってきてしまったけれど、じつは女たちの前であまり取り乱している自分を見せたくなく、何よりひとりしばらく心を休めて、自分というものを取り戻したかったからだった。
 ……落着け落着け。
 ……落着けったら。
 ……みっともないぞオイ、圓朝。
 ……オイ、ほんとうにオイ、しっかりしないか。
 烈しく心にこういい聞かせた。ややしばらくしてウムとやっといくらか手応てごたえのある心の声の返事だった。
 ……明日が分らないって何もお前一人じゃないんだ、この江戸中の人たち皆が分らなくなっているんだ。
 ……だとしたら落着け、まず落着け、まず落着いてこうしたときにこそ、してこの上の御所存というものをハッキリさせてみるがいい。
 ……。
 なるほどなあ――とややあってさらにまた、心の声の大きく肯いてくるものがあった。だんだん平静を取り戻してきたのだった。闇に闇を見据えていると、犬猫ならでもだんだん周囲の所在が朧に見えてくるようにいま圓朝も心の闇の中に薄々行く手の何ものかの見えだしてくることを感じたのだった。今少し咽喉の渇きを感じだしてきたくらい、圓朝は落着きを取り戻してきた。手さぐりで床の間の水さしを掴まえた。口のほうから持っていき、ククククと喇叭飲みにした。いたいた心が鎮まってきた。ばかりか、ジーンと澄んでさえきた。
 ……三座の芝居こやは焼けてしまった、としたら緞帳芝居だって焼けたろうし、焼けない迄も三座の役者たちが立て籠ってしまうだろう、一時凌ぎに。
 幸いにして世の中にまたいつか太平の風が吹いてきたとて、昼間自分がこの座敷で小糸相手に夢見たような芝居小屋を買い切っての大見得なんか、とても五年や十年では、切れそうもなくなってしまった。
 それどころじゃない、米が買えるか、醤油が買えるか、食ってゆけるか、ゆけないか、生きるか死ぬかの見極めさえ、てんでいまではめちゃめちゃになってしまっている。
 駄目だ、もうあんな夢は――。
 だが――。
 と、しずかに、心で心へ訊き返されるほど圓朝は、今少し前とは別人のごとく、深沈としたものを身に付けてきていたのだった――。
 だが――誰もが食べていかれないとしたときお前は一体どうしよう、何をもて生き抜いていこうというのだ。
 ……何もない、かもない。四方八方、よしや目路のかぎりが再びいつかの大地震のときのよう大焼野原になってしまったとて唯ひとつ私には、信ずる稼業があるばかりだ。
 何か、それは?
 噺――噺だ。
 好きで、命を細らせてまで打ち込んでなったこの落語家という商売だ。だから自分は落語家以外の何者でもないし、同時にまたそれほどしんから真実賭けたるところの私にとっては尊いありがたい落語家稼業なのだ。
 ああ背立ち割られ鉛の熱湯そそがれようとままよ、いのちのかぎりこんかぎり、扇一本舌三寸でこの私は天地万物あらゆる姿を写しいださいでおくものか。だからもしその落語家稼業が立ちゆかなくなるという末世末法の世の中がきたら、そのときこそ、潔く自分は火中の蓮華と散りゆこう。
 ……ようやくにして圓朝の心の声は、かくもまた飛躍的にさえなりまさってきた。しかも火と炎と燃えながら、ハッとそのとき自分で自分の言葉に打たれるものがあった。扇一本舌三寸という自分の言葉の地雷火を、いやというほど踏んづけてしまったのだった。
 扇一本舌三寸――そう、そうだった、いつの間にやらこの自分は、万事万端あまりにも花やかに花やかにと心がけ過ぎた結果、扇一本舌三寸が絶対金科玉条の落語家世界から、いつか道具の鳴物のと横街道へとよほど外れてきてしまっていた。まさしく邪道とはこのことだろうし、まだその上に芝居小屋借りて、唐錦めく大風呂敷までひろげようとは。
(師匠圓生のあのころの悪口は別としても、柳枝さんの苦が苦がしくお思いなすったなんてことはある程度まで決して悪くいえないかもしれない)
 この際だ、止そう、すべてを。棄てよう、すべてを。
 いままでの一切の華美華美けばけばしかった自分の表飾りを、残らずかなぐり棄ててしまおう、芸も、暮らし向きも、こしらえも――ただひとつ小糸をいとしみ、いつくしむことだけは、天地の神々にお許しいただいて。
 もうおかげで太神楽だいかぐら然としたあのなりにも堪能して、さまでの未練はなくなってきてしまっている。
 そして、扇だ、一本の扇だ、舌三寸だ、ただそれだけの正直な武器えもので、正直な生活のドまん中から立ち直ろう、立ち上がろう、あくまで活き活きと進軍していこう。
 扇一本で噺の名人の域に達して如実に見せるもののあいろはさぞや辛かろう。舌三寸で人情情景さながらに描き尽すに至る迄は、まだまだまだ今までの何十何百倍もの苦労が要るだろう。
 いい、でも、いい。
 あえて、あえて、歯をくいしばり、唇を噛み、両の拳握りしめて、それを押しつづけていったなら、この若者不憫と必ずや神々にも照覧あって、明日の世の中がどう変ろうと、一時は塗炭とたんの苦しみに遭おうと、やがてはまた再びしゃーいしゃーいと下足番の声なつかしき大入り客止めの寄席の春が、再びそこに開花しよう、展開されよう、その念願の春立つ日まで、苦しんで苦しんで苦しみ抜いて、きっと私は勝ち抜いてやろう。
 いま十何年ぶりで圓朝は純情小圓太の昔に還った思いがした。いや、少なくともあの純情という紺絣を取り戻し、抱きしめ、初々ういういしく身に着けている、何とも晴れ晴れしい心地がした。勇気百倍。凜々としたものが、はち切れそうに身体全体へ満ち満ちてきた。辺りの闇を眺め廻した。
 それにしても……それにしてもこの自分は、顧みればいままでたいていの身にふりかかる災難の火の粉を常に真心まごころまといもて縦横無尽に振りしだいては、ひとつひとつそれを幸の景色にまで置き変えてきていた。悪しと身の毛をよだたせたことは、のちにはこれことごとく次なる幸福へ到る段階のものばかり。今夜またこの江戸中がほとんどどうなってしまうか分らないという一大動乱までが、はしなくもこの自分の芸の上に、いま大きな大きないい変り目を与えてくれている。しかもその変り目、一番目から二番目への、あのチョーンという木頭きがしらのそれよりもっと頼もしい素晴らしい変り目ではないか。
 私は、いや、私はじゃない、すべて愚かなほど一事に精魂傾け尽している人たちには、あらゆるいけないわるいことも、側からどんどんいことに変えられていくのだろう、まるで手品師てづましが真っ白なまま函へ入れた※(「米+參」、第3水準1-89-88)しんこ細工のふたとればたちまち紅美しき桃の花一輪とは変っているように。
 心だにまことの道にかないなば、祈らずとても神や守らん――ほんとうにほんとうだった、この歌のこの心持のほどが。
 豁然かつぜんといま圓朝は心の壁が崩れ落ち、扉が開かれ、行く手遥かに明るく何をか見はるかすの思いがした。いままでとても幾度か幾度か心に黎明はかんじたけれど、あれらをかりそめの町中での夜明け空とするならば、これは比べものにも何にもならない夏草しとど露めきて百花乱るる荒漠千里の大高原に、真ッ裸になって打ち仰ぐ大日輪の光りにも似たるものよとおもわないわけにはゆかなかった。
 とても言葉でいいあらわせない感銘だった、感激だった。
 ポトリ涙が目のふちへ滲んだ。
 と見る間に溢れた。
 あとからあとから流れだしてきた。
 いつ迄もそれが止まらなかった。
 果ては顔中がベトベトになってしまって、尚かつひっきりなしにはふり落ちてくるもののあることが仕方がなかった。
 いつか音に立てて圓朝は男泣きに泣きだしてさえ、いた、表の、いよいよ風まじえ、暴れ、たけり乱れ鳴る小銃の音すら遮って降りつのりまた降りつのる底抜雨のざざ降りに、今ぞ根こそぎ快く身をも心をも洗い尽されるようなものを感じながら。





底本:「小説 圓朝」河出文庫、河出書房新社
   2005(平成17)年7月20日初版発行
底本の親本:「小説 圓朝」三杏書院
   1943(昭和18)年4月刊
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※編集部のつけた各章のサブタイトルは省きました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について