親子の愛の完成

羽仁もと子





 人は結婚して夫婦になれば、だれでもどうしたら二人のあいだがつねに幸福に結びついてゆかれるだろうかと考えて、できるだけの努力をしようと思わない人はないでしょう。私たちが子供をあたえられると、どうかしてこの子を立派な人になるように教育したい教育したいと思います。けれどもだれも親子のあいだの愛情が進歩してゆくように、限りなくつづくようにと、祈ったり祝したりする人はないように思います。それは親と子というものは、いわゆる血をわけた仲なので、天然自然に本能的に愛し合っているものだから、愛情の方面は、おたがいにこまやかなれと祈るまでもなく、希望するまでもなく、安心なものだという気があるからでしょう。しかし親子の愛を、ただその本能の力にばかり任せて問題にしないのは、差しつかえないことでしょうか。
 親子の愛もまた親と子が双方から多くの努力をしなければ完成することのできないものです。近来いろいろと世上の有様を見るにつけて、親子の愛情の完成は、夫婦の愛の完成とおなじように、すべての人々によってふかく考えられ、強く主張されなければならないことだと、もっとも切に感じています。


 むかしは親の養育の恩義に対して、子供に至らざるところなき孝養の義務を負わせてあったので、子の幼いときは親は子のために働き、子供がおとなになると、今度は子が親のために働くので、親子の愛が一生涯しょうがいあたたかにつづくことができたのでした。父母いまさば遠く遊ばずといってある通り、女はもとより男でも、一日の役目を終えて家に帰ると、まず父母のやすきを問い、四方山よもやまの話相手にもなり、とくに親孝行といわれるほどの人は、二十四孝にじゅうしこうの芝居でみるように、肩をもみ腰をなで、洗足せんそくの湯をとり、寒中の筍でも親の好みとあればさがしにゆくというように、老いて心のおとろえた親の無理を、一つもそむかずにつかえました。それが父母恩愛おんあいの一端をせめてむくいる所以ゆえんであると考えているのでした。それに配する妻はなお、夫の親として一入ひとしおにかしずきつかえ、幼いときに手塩にかかった子供が、こんどは親を手塩にかけるので、人は生まれるから死ぬまで、親子という結びつきのために働くようなわけになっていました。そのためにとにもかくにも親子の結びつきは、おのずから堅かったように思われます。一つの家でも一つの社会でも、親子の結びつきの堅いところには、おのずから堅固けんごな生活の基礎がすえられるように思われます。家長がまずその老親にかしずき、その妻がこれにならい、その子はまたその父母にしたがい、またしぜんに老人を尊敬して、一家は一団になるからです。
 今日の親子はどうでしょうか。親はむかしとおなじように骨折って子供をやしない育てておりますけれど、その骨を折る状態がだいぶ以前とちがっています。いまの母親は手織布子ておりぬのこを自分の子に着せてはおりません。父親のいた米を食べて、子供が成長するのではありません。きものは呉服屋にあり、米も味噌も醤油もみな店から配ってきます。その米塩べいえんはもとより親のひたいの汗から出ているのですけれど、それはみな父親の職業を通してされることで、直接に親のつくった米味噌にやしなわれるのでなく、その織ったきものに寒さ暑さをふせぐのではありません。むかしの父母は直接に子供の衣食をつくり、いまの父母はそれを間接にしています。世の中の事情がちがって、むかしよりも生活が面倒になっただけそれだけ、子供をやしなうのにもかえって多くの力がいるにもかかわらず、親が子供の目の前ではたを織ったり米をいたりして、それがすぐと自分たちをやしなっているのと、間接に供給されるのとでは、情味においてはだいぶちがってくるのです。
 子供が大きくなって、学問武芸の教育を受けるようになっても、学問の先生、武芸の先生とむかしはそこに一人の先生があるのでした。いまの学校は、受持ちの先生は一人でも、それは学校に属し、校長に属し、学年によってかわり、または学科によってかわるというようなわけで、師弟のあいだの個人的情味もまたむかしのようにはゆかないのです。
 父親は職業にせわしくて、一日一度の晩の食事も、子供らと一緒にすることができないこともたびたびであり、中学校女学校時代の子供になると、学校から帰るとそれぞれに勉強があって、母の仕事を手伝うようなひまも少なく、母の方でもその身のまわりに手がかからなくなった子供に、別に世話をやいてやるすべもなくて、ついはなればなれになっているうちに、息子や娘が母を時代おくれだと思い、父を俗物ぞくぶつだと考えるようになり、友だちとは楽しそうにきょうありげに熱心に話をする息子が、両親にはむっつりして、いうことがない。そういう例がいまの社会にどんなにたくさんあるでしょう。
 子供が結婚して家をもち、親がますます老いてゆくときに、しぜんにそなわる親と子の情愛は、いうまでもなく心のうちに燃えていても、それを通ずる道がないようなもだえをおたがいに経験して、そこにいろいろの悲しい誤解も生じるようなわけになります。社会の上からこれをみても、まず人倫の大道だいどうである親と子のあいだに堅い結びつきのない社会は、その大道をもととしなくてはならない枝葉しようの道の、どうしてとどこおりなく通ってゆくことができましょう。てんでんばらばらで、あちらでもこちらでもゆきづまり、万事に薄弱な、熱と感興かんきょうにとぼしいものにならなければならないのです。わが国の現在の人の心のもっとも大きな欠陥は、どうしてもここからきていると思います。


 それでは孝道のおとろえたことをなげいて、むかしのように親孝行親孝行ということを私たちの子供らに求めたらよいでしょうか。年寄りの権力が強かった過去の時代には、知らずしらずすべてのことを、親の心持ち、老人の都合からばかり割りだしていたのだということが、いまの私たちにわかってきました。人の頭がもっと粗雑なときには、親の恩は海よりも深く山よりも高しと、ものの本に書いてあれば、早速そのままに受け入れていました。親が孝行をせよといえば、親のいうことだからちがいがあるまいと思っていました。けれどもいまの私たちはどうして親に孝行しなければならないのだろうと考えてみるようになりました。自分はほんとうに親に孝行をしたいかどうかを真実に思ってみるようになりました。粗雑な混沌こんとんたる頭脳あたまに筋道がついてきたのです。親に孝行をしなければならないと、書いたり言ったりするだけでは、今日の人間に親孝行ができないでしょう。しかし親がほんとうにありがたいと、自分から思い得るならば、おのずから親に結びついてくるでしょう。自分の両親は自分にとって何よりの頼りであり、なぐさめであり興味であるならば、心から親を愛さずにいられないでしょう。私たちはまずそういう親になるために強い努力をしなくてはなりません。
 それについて思ってみると、私たちは子供のために価値のある、また心から愛され得る親になるのには、まず自分は子供よりも自分自身を愛しているものだということを、真実に自覚しなくてはなりません。といいますと、あるいは皆さまは承知してくださらないかもしれません。そんなことはいわないでも、私はたしかに自分自身よりも子供を愛していると、おいいになるでしょう。それが長いあいだのわれわれの考えちがいではなかったかと思います。私たちはたしかに子供よりも自分自身のために生活しています。子供を愛するのも自分自身を愛するからです。ある学者はそれだから、人間は徹頭徹尾てっとうてつび利己的の動物であるといい、強いものは弱いものをおとし踏みにじるのが人生である、阿修羅あしゅらのようになってそうしたことのできるものは謳歌おうかされ、それをなし得ない人は意気地いくじがないと思う人や、子供を愛するの、人のためを思うのというのは偽善だと思う人などが、いまもなおたくさんあります。しかし、私たちが親よりも子よりも自己を思うのは、利己主義ではなく、人はおのれみずからの生活をほんとうにみつめ、ほんとうにだきしめ、ほんとうにその価値を見いだすことから、はじめてほかのいのちをも愛し重んずることができるものだと思います。
 子供が病気になると、親の方が一層苦しいと、ほとんどすべての母親が申します。私もそう思っていたのでした。しかし私は長く子供の重病を看護して病院にいたあいだに、ちょっと廊下をあるいて涼しい風に吹かれたりすると、ああよい気持ちだと、心から思い得ることがいくたびもありました。何かのことがあると、ほかの人と一緒にしずかに笑い得ることもありました。そうして私は、そういう折々に、ベッドの上にすこしの身動きもできずにいる子供には、こうした瞬間時のくつろぎすらもないのだと気がつくことがありました。それからは子供がんでいると、親の方が一層苦しいなどと思っていたのはまちがっている。ただに涼風すずかぜに吹かれるつかの心地よさを、みなと一緒にすることができないばかりでなく、重い病苦を負っているものの絶え間なき不愉快さに、どうしてはたの者の苦しさなどがおよぶことがあろうかと思うようになりました。そうして、このことをたびたび思うようになってからは、自分の方が子供より苦しんでいるつもりでいたときよりも、同情おもいやりのふかい看護ができてきたように思いました。
 自分が歯の療治に通っているときは、きょうはまたその日だと思うと、あの不愉快な療治のことが、朝から気にかかるほどでした。そうして時がくるとずいぶん克己こっきして家を出ました。しかし子供が歯の悪いときには、きょうはおいしゃに行く日だと思っても、決して朝から苦になるほどではありませんでした。そして分別顔ふんべつがおに早くおいでおいでということもできました。同じほどの苦痛でも、直接に身にうける苦痛と、間接に思いやる苦痛とでは、親と子のあいだですらも、これだけのちがいのあることを、だれだって承認しないわけにゆかないでしょう。子供が大手術でも受けるといったら、親の身になるとどんなでしょう。しかもその苦しみは、直接にそのきょくに当ろうとする子供自身よりも大きいものである、同じものであると考えたりするのは、まちがっていると思います。
 血をわけた親と子でも、すでに二つの身体からだ二つの心にわかれた以上は、子供自身の身体からだに感ずる苦痛も喜びも、その通りに親が感ずるわけにゆきません。子供が罪を犯したときに、親の顔に泥をぬるといって怒りかなしむのは、いまの多くの親の普通にもつ心持ちです。けれどもその当事者である子供の不名誉と苦痛は、自分のこの苦しみよりも不名誉よりも、どんなに大きいものであるかに心づいて、子供自身の苦痛のために泣いてやることができるのでなければ、子供がほんとうに親の情けを感ずることができないのです。子供がよいことをしたときにも、一番に私たちはそれは自分の日ごろの丹精のせいだという気になることが多いようです。それもやはり子供に同情のうすい自分勝手の考えから出ることです。たった一つのよい行いでも、それが外部に現われるまでには、はたの人の気づかないところで、その当人はいろいろの用意いろいろの努力をしているのです。それはどんなに周囲の人のありがたい導きがあっても、自分が本気にならない以上、何一つできるものでないことは自分自身の経験からよくわかっているのです。それだのに、子供がよいことをしたときには、自分自身が子供のためにしてやったさまざまの心配や努力のことを、ありありと思いだして、うっかりすれば大部分自分の手柄であるように思い、子供のために喜んでやる喜んでやると思いながら、よく解剖してみると、じつは子供の人知れぬ努力に対して尊敬と喜びを感ずるよりも、自分の手柄を喜んでいるようなことばかりありがちなのです。
 子供が罪を犯せば、私はお前をそんなふうに教育してはいないといって、その責任を子供に負わせ、よいことをすれば、それが親の自慢になるのです。なんという手前勝手な親でしょう。子供のおそろしい直覚力は、親自身さえみずから気づかずにいる、そうした親の心持ちをなんとなく直感して、親の気持ちと自分の気持ちと、ほんとうに十分に浸りあっていないような、一種のものたらなさを感じるのでしょう。
 私たちは自分の身よりも子供を愛していると思いながら、どのくらい自分の都合や気持ちのために子供を犠牲にしているでしょう。その子供自身としてよりも、むしろうちの子として自分の子として、あれでは困るとか、こうなくてはならないとか、私たちはいちいち自分を先に立てて子供のことを考えています。親子の日々の生活はいったいこのようにすぎてゆくのです。寒中に筍をほってこいといわれても、唯々諾々いいだくだくとしていられるのは、一方では親という絶対の専制君主せんせいくんしゅの下に生まれ落ちるから圧迫されて、極端に奴隷どれい的の心持ちをやしなわれ、一方ではのんきなむかしの時代の人は、いまの人よりはずっとずっと鈍感であったからだろうと思います。今日のふつうの人間は、親も子も敏感になっています。それだけ世の中が進歩したのです。この進歩をいま少し徹底させて、また自分は親だから自分の身よりも子供を愛している、子供のことはなんでもよくわかっていると思うような、軽率なまちがいから脱出して、忠実に子供の要求を知りたい、そうしてそれによって子供を教え導かなくてはならない、子供に対して私たちの同情はいつも不十分である、もっと謙遜な忠実な態度になりたいと、心がけて努めることができたなら、ほんとうに親思いの子供を私たちが持つことができるように思います。親思いの子供を欲しいというのも、自分のためになるからでなく、子供自身の幸福のために、まず第一にそれをねがって努めなくてはなりません。自分の愛し得る親をもっているということは、その子供自身の大いなる幸福だからであります。
 私は前に、私たちは子供よりも自分自身を思うものだと申しました。そうしてそれが人の真実だと申しました。それなら私たちはなんで自分のために孝行息子をつくらずに、まず子供のために、親を愛し得るようにしてやらなければならないのでしょう。それは私たちの結婚の結果として生まれてきた子供に対して、生まれたことが幸福であり価値のあるものであると、当人に思ってもらうことができるように、あらんかぎりの尽力をしなければならない義務をもっているからです。そうしてこの義務を果たすことができれば、それによって、自分は自分の生涯の大きな価値ねうちと幸福とを、そこにも見いだすことができるからです。
思想しつつ生活しつつ 上巻 一九一八年(大正七)





底本:「羽仁もと子選集 おさなごを発見せよ」婦人之友社
   1965(昭和40)年11月1日初版発行
   1995(平成7)年10月1日新刷発行
   1999(平成11)年11月1日5刷
初出:「思想しつつ生活しつつ 上巻」
   1918年(大正7)年
※底本にある語句の編集注は削除しました。
入力:蒋龍
校正:門田裕志
2012年5月4日作成
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