特殊部落の言語

喜田貞吉




 特殊部落の人達の口にする言語は、その付近の普通部落の言語と幾らか違ったところがある。そしてやや遠く離れた所であっても、他の同じ仲間の言語とは似ている場合が多い。例えばサ行の音もしばしばタ行に誤ったり、ダ行の音をしばしばラ行に誤ったりすることは、よく耳に立つところである。浪人をドウニンと云ったり、雑誌をダッシと云ったりなどする。六条村年寄の留書を見ると、辻子づじの事をよく「るし」と仮名書きしてある。斬罪役とあったのを後には断罪役と書き誤っているのさえある。先年朝日座の喜劇で女郎に溺れた番頭が艶書を朗読しつつ、「一度来てくらされ」の句に至って、「丸で穢多の様だ」と、満場の哄笑を買ったのはよいが、為に部落民の看客中から、抗議を持ちこまれたという話もある。そこで部落付近の人々は、よくその言葉によって部落民か否かを識別し、本来こんなに言葉が違うというのは何か種類が違う為であろうなどと、極めて手軽に判断してしまう事がある。よしやそうまででなくても、特殊部落の言語の違う事は何人も注意しやすいところで、「公道」や「明治の光」など、多くその部落の事を書いた雑誌を見ると、しばしば部落民の方言・訛音というものを拾い出して、普通部落の言語と比較したのが掲載されているのである。
 なるほど特殊部落の言語が、付近の普通部落の言語と違うことのあるのは事実である。そしてそれをなるべく普通部落のと同じものに改めて行きたいという希望を自分は持っている。しかし特殊部落民の口にするところが、果してことごとく所謂方言訛音なるもののみであろうか。普通部落民の使っている言葉の方が、果してことごとく正しいものであろうか。それは一つ一つについて研究してみねば、軽々しく判断する訳には参らぬ。ただそれが間違いであろうが、無かろうが、多数について行くのが便宜だという点から、普通語に変えて行きたいと思うのである。
 さきに「日本民族と言語」(一巻一号)を説いた時にも述べた通り、言語は決して一定不変のものではない。もし自然のままにまかして、何ら匡正をこれに加えなかったならば、舌のよく廻らぬ子供の方言葉かたことばがそのままに大人の言葉になるべき訳である。それを側に付いている大人が匡正したり、また子供の成長とともに自然に他人の言葉を聞き習ったりして、いつとはなしに方言かたことの多い子供言葉は消滅して、その地方の普通語になってしまうのである。子供は舌の働きが自由でないから、とかく言いにくい音を言いやすい音にかえたがる。「うつくしい」を「うつくちい」、「お父様とうさま」を「おとうちゃま」などと云う。子を可愛がる親や子守は、ことさらにその口真似をして、その子供をあやしている。もしこれをそのままに放任しておいたならば、遂にはサ行音もいつしかチャ行音になってしまうべき筈であるが、それが成らぬのは子供の成長とともに自然に匡正される結果にほかならぬ。しかしながらその子供の方言かたことの全部が、先人の言葉の通りに匡正されるものではない。知らず知らずの間に少しずつの変化が起って行くのは免れぬ。そしてその変化は、交通の範囲が狭いだけそれだけ多かるべき訳である。ラ行とダ行とを取り違えるが如きことは、九州地方では一向に珍らしくはない。鉄道をテツロー、蝋燭をドーソクという。上方かみがたでも、疲労した時にオーシンドというのは、オー辛労である。かくの如き類はむしろ自然の変化かもしれぬ。しかし交通が頻繁であれば、訛音も自然に訂正されて、その交通範囲内では同じ言葉が行われる。その代りに範囲が違えばそれぞれに違った方面に言葉は変化して行く。各地方地方で方言とか訛音とか云って、互いに違った言葉が行われているのは、その原因の多くはここにある。その範囲が狭ければ狭いほど、年代に伴う言葉の変化が多い。琉球に於いて三四百年前の歌謡が、殆ど今日の人に了解されぬというのは、主な原因がここにあると思う。内地の言葉も三四百年来の変化は夥しいが、それが琉球ほどに甚だしくないのは、交通の範囲が広いというのが、確かに一原因をなしているのである。
 また江戸の様に諸国人の多く入り込む所には、自然と一種の合の子言葉が出来る。自然淘汰優勝劣敗の原則がここにも行われて、適者優者が生存して、ここに江戸言葉というものが出来た。しかし一と口に江戸といううちにも、屋敷方には屋敷言葉、職人仲間には職人言葉、相撲取りには相撲取り言葉、吉原には吉原言葉という風に、余程様子の違った言葉が発達する。今日の如く交通が発達して、ことに普通教育で標準語を教えている世の中にあっても、交際を異にすることによって、同一地方に住んでおりながら、町家の言葉と書生言葉と違っているという様な現象は免れない。
 方言訛音の起る原因については、実は右の如き簡単な理由でのみ説明しうべきものではないが、右述べたところは確かにその主なる原因の一つであることは疑いない。すなわち平素交際する社会が違えば、自然と言葉は違って来べきものなのである。
 この見地から考えたならば、特殊部落に一種の言葉が行われているという理由は、容易に解釈しえられるのである。彼らは多年の間殆ど普通部落との間に交際がなかった。従って言葉がお互いに違った方向に変化して行ったに不思議はない。そしてやや離れている地方でも、その同じ仲間同志には交通が比較的多かったから、自然似た言葉が行われるというのは当然の結果である。その言葉の中には、或いは普通部落の言葉よりも、かえって多くの古語を伝えているのも少くはなかろう。言葉が違っているが故に、本来種族が違うなどいう事は、一顧に値せぬ空想に過ぎない。よしや本来種族を異にしたものがあって、固有の言葉が一部分方言として保存されているのがあるとしても、大体に於いて言語が交通によって変って行く事を了解したならば、問題は容易に解決さるべきものであらねばならぬ。





底本:「被差別部落とは何か」河出書房新社
   2008(平成20)年2月29日初版発行
底本の親本:「民族と歴史 第二巻第一号 特殊部落研究」
   1919(大正8)年7月
初出:「民族と歴史 第二巻第一号 特殊部落研究」
   1919(大正8)年7月
入力:川山隆
校正:門田裕志
2013年1月11日作成
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