「特殊部落研究号」発刊の辞

喜田貞吉




「特殊部落研究号」は何が為に発刊せらるるか。余輩がさきに同好諸氏に向って、我が特殊民に関する報告を求むべく送致せる依頼書は、ほぼその趣意を述べ尽せりと信ずるが故に、まず左にこれを掲載すべし。

特殊部落の解放に就きて敬告

 拝啓。ますます御多祥奉慶賀候う。さて小生義多年日本歴史地理学会の経営に参与仕り、雑誌「歴史地理」の誌上に於いて、広く斯学に関する研究を発表致し来りおり候うところ、近時特に我が日本民族を研究して、広くその知識を普及せしむるの必要を感じ、本年一月以来、単独に「民族と歴史」と題する月刊雑誌を発行仕り候いて、もっぱらこの方面の研究と知識の普及とに従事致しおり候う事は、或いは既に御聞き及びの事かと存じ候う。
 しかるに広く日本民族と申し候う中にも、その数無慮百二三十万にも達する特殊の一大部族これあり、彼らは同じく陛下の赤子にてありながら、一般社会より疎外隔離せられ、最も気の毒なる状態の下に、不遇の生活を送りおり候う事、世人のひとしく認知の次第と存じ候う。これを自然の成行きに放任致し候う事は、ただに彼らに対して同情に堪えざるのみならず、また彼らを解放し給える先帝の聖旨に副わざるのみならず、現時人種差別撤廃を世界に対して呼号する我が同胞間にありて、なおこの差別撤廃の実現せられざる事は、まことに相すまざる次第と存じ候う。しかのみならず、この疎外圧迫を蒙れる多数の同情すべき我が同胞には、必然の結果として或いは一般社会に対する反抗の念を高め、或いは自暴自棄の結果自然と放逸無頼に陥るものを相生じ、為に我が国家社会の生存発達の上に、少からざる障礙を来すのおそれこれ有り候う事、まことに昭代の不祥事と存じ候う。
 ここに於いてか我が政府を始めとし、大日本公道会以下、民間特志の団体または個人に於いて、つとにこれが救済改善の事に努力せらるるもの多々これ有り、近く同情融和会の開催築地本願寺に於いて行われ、遂には帝国議会の建議とも相成り候う事、まことに事宜を得たる施策と、御同慶の至りに存じ候う。
 しかれども実を申さば、彼らの間にももはや救済改善を要せざるもの多く存し、一般社会の間に於いても、かえってこれを必要とするものまた少からざる次第にこれ有り、既に明治四年穢多非人の称を廃せられてより、星霜を経る五十に近からんとする今日に於いて、なお特に或る限定せられたる社会を限り、その必要なき者をまで一括して、特別の名称の下にこれが救済改善を云為する事は、少くとも表面上無用の事にこれ有り候う。社会の不良分子は改善せざるべからず、社会の自存し能わざるものは救済せざるべからず、これを特に或る特殊の部族にのみ限るの必要は全然あるべからざる次第と存じ候う。しかるにもかかわらず、これらの同情者が依然として或る特殊の全部族を包括する特別の名辞の下に、これを呼号するを要とする所以のものは、そこに或る融和し難き障壁の存する為に外ならずと存じ候う。
 実際彼らが一般社会より区別せらるるは、単に彼らが貧困なり、汚穢なり、トラホームと頭瘡との患者多し、その品性下劣なり、犯罪者比較的多しなどという理由のみにあらずして、さらに深き因襲的根柢の他に存するが為なるは、何人も了知の事と存じ候う。この根柢を除去せずして、単に形骸をのみ改め、以て同胞融和の実を挙げうべしとするは、所謂木に縁りて魚を求むる類に候う。ことに彼らが貧困なり、汚穢なり、トラホームと頭瘡との患者多し、品性下劣なり、前科者比較的多しというが如き事実は、必ずしも彼ら一般の状態にはこれ無く、中には堂々たる大廈高屋に住し、少くも外形上に於いて羨望すべき生活を遂げ、また学識と地位とを有し、その品位に於いても高佳にして欽慕すべきもの、また乏しからざる次第に候う。
 なるほど統計上に表われたる彼らの事情が、彼ら以外の一般社会に比して劣等なるは明らかなれども、これは広く六千万民衆との比較の上に表われたる数字にして、もし一般社会中の下級民のみの事情を取りてこれと比較せんには、果していかなる程度にまで彼らが劣等なりやは、別に統計を取りて攻究すべき問題にして、軽々しく彼らをのみ賤しむべきものにあらずと存じ候う。
 よしや仮りに彼らの多数が、多くの点に於いてかく劣等なりとするも、それは主として一般社会の多年の圧迫が、彼らを駆りてここに至らしめたるものにこれ有り候うは、疑いを容れざるところに候う。何人か好んで貧困と汚穢とに堪え、トラホームと頭瘡との疾患を忍び、下劣なる品性に甘んじ、忌むべき犯罪をあえてする者これ有り候わんや。ことに彼らに前科者比較的多しとの事に至っては、社会の圧迫が彼らをしてこれをなさしめたりという以外に、彼らに対する同情なき検挙の手が、その計数を増加せしめたるもの、また少きにあらざることかと存じられ候う。
 観じてここに至れば、一般社会が彼らを責めて、これを疎外排斥する前に、まず自ら反省し、己を責むるの必要これ有り候う事勿論の義と存じ候う。
 しかもなお一般社会が、彼らを疎外排斥するの挙を止めず、たとい表面何ら区別することなき場合といえども、そこになお隠然融和し難き或る障壁の存するものあるは、因襲の久しき、漫然彼らは賤しきものなり、穢れたるものなり、我らと同席すべきものにあらざるなりと教えられ、しか盲信するの結果にほかならざる事にこれ有り候う。さればこの障壁にして撤去せられず候いては、たといいかに彼らが蓄財し、清潔なる生活をなし、よくその健康を保全し、その生活を向上せしめたりとて、依然として彼らは、救済せられたる特殊部落、改善せられたる特殊部落というに止まり、そこに或る種の隔離はなお永く保存せられ、渾然たる同化融合の実は、これを久遠の後に期すべきにあらずやと懸念せられ候う事にこれ有り候う。小生が「民族と歴史」を発行致し候うについても、その綱領の一つとして、
本誌は特に過去に於ける賤民の成立変遷の蹟を詳らかにし、今なお時に疎外せらるるの傾向を有する、同情すべき我が同胞解放の資料を供せんとす。
 と呼号致し候うは、全くこれが為にほかならず候う。
 小生もとより一貧学究にこれ有り、自ら進んで救済改善等の実務に当らんはその任にあらず。また彼らの救済改善は主として彼ら自身の自覚反省に待って、自らこれをなすべしと思考致しおり候うものにこれ有り候う。
 されば一学究たる小生は、ただ平素抱懐致しおり候う日本民族成立上の知識よりして、彼らが何が故に区別せらるるに至りしかの歴史的研究の結果を披瀝し、今に至ってなおこれを区別するの妄なる所以を明らかならしめ、以て一般世人をして彼らを疎外するの念を絶たしめ、彼らをして自覚反省するの資を得しめんとするものに候う。これただに彼ら特殊社会の為のみにあらず、一つは以て我らが国家社会に対する責務の一部を完うし、一つは以て小生自身の学問慾を満足せしめんとするものにこれ有り候う。この目的を達せんが為に小生は、多年材料の蒐集と、これが研究とに注意致しおり候いしが、今や準備ほぼ相成り候うを以て、その第一歩として近く七月一日発行の「民族と歴史」を増大し、特殊部落に関する研究事項を満載して、一つは以て我が民族研究上の一分野を開拓し、一つは以て広くこれに関する知識を普及せしめ、以て前記の目的を達するの資に供し度しと存じ候う。
 人或いは小生のこの挙を以て、折角世に忘れられんとしつつある記憶を新たならしむるものにして、例えば癒合しつつある古疵を掻き起すものなるべしとの注意を賜わるものこれ有り候う。これ確かに一面の理ありとは存じ候えども、彼らが本来何者なるかを明らかにし、その何ら区別疎外すべきものにあらざる所以を理会するを得候う以上は、既に解放せられ、もしくは解放せられんとする人々も、当然これに均霑きんてんすべく、いたずらに広き天地に跼蹐きょくせきしてその素性の露れんことをこれ恐れ、常に戦々兢々たるものに比して、その利害得失いかんぞや。ことにつとに解放せられて、そのかつて非人等として賤まれたりし事をすら忘れられたる、或る過去の特殊の部族の由来顛末を明らかにすることは、将来解放せらるべきものの先蹤として、研究上最も必要なる事にこれ有り、その過去の沿革を調査することが、何らこれらの人々の威厳を害し、名誉を損するものにあらずと思考致し候う。ついてはこの際なおさらに大方諸賢より、左記事項に関する投稿を得て、一層その研究を完成致し度しと存じ候う。仰ぎ願わくは小生のこの微衷のあるところを諒とせられ、何らの御隔意なくこれに関する御研究或いは御見聞の程、御報告に預り度く、懇請の至りに存じ奉り候う。敬具。
一、過去に於ける穢多・非人、その他諸種の特殊民に関する史料。特に既に解放せられたる旧特殊民に関する報告。
二、各地の特殊部落の現状に関する報告。
三、山窩・箕直し・勧進等と称せらるる浮浪民に関する報告。
四、その他一般特殊民に関する感想並びに解放意見等。
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 余輩が特殊部落の研究に興味を感じたりしは、既に十数年の往時にあり。爾来これに関する資料の蒐集に留意し、またしばしば部落内に出入して、彼らの生活の現状を目睹し、その有識者と談話を交換するに及んで、一般社会のこれに関する観察の誤れる者少からざるを知るとともに、これに対してうたた同情の念禁じ難きものあるに至れり。ことに余輩の研究の結果によれば、彼らが特に甚だしく世に軽侮擯斥せらるるに至りしは、近く徳川太平の世、社会の階級思想の著しく発達せし以来の事にして、さらに遠き過去に於いては、彼らのみがことさらに疎外せられし事情あるを見ず、かつて彼らと伍を同じゅうし、もしくは時にその下位に列せし特殊民の多くが、つとに解放せられて社会に公行闊歩するもの少からざる今日に於いて、ひとり彼らのみがこれに均霑する能わず、永く世の落伍者として悲境に沈淪するの不条理なるは、到底世人の黙過すべからざるものなることを痛切に感ずるに至れり。
 余輩一学究、もと自己の知識慾を満足せしめんが為にこれが研究に従事するものにして、あえて自ら一般社会を警醒し、もしくは自ら彼らを救済せんとするにあらず。しかれども、もし余輩のこの研究の発表が、幸いにして世の注目するところとなり、幾分にても一般社会の彼らに対する同情を喚起し、世人をして彼らに対する圧迫の不条理なる所以を覚知せしめ、彼らまた自己の由来を明らかにして、幾分にてもこれに因りて自覚発奮するの機を得ることあらんには、これ望外の僥倖ならんのみ。
 誌面限りあり、本号載するところ僅かに余輩の研究の一部分を披瀝しえたるに過ぎず。同好各位の余輩に致されたる有益なる報告も、また単にその一部分を掲載しえたるに過ぎざるなり。けだし過去に於ける特殊民、すなわち所謂穢多非人の賤号の下に汎称せられたりし我が同胞は、その種類すこぶる多くして、到底本号に於いて説き尽くしうべきにあらず。またこれら特殊民の中にありても、もと非人と呼ばれたりし多数の人々の如きは、既に解放せられて今日所謂特殊部落に属せざるもの多く、今の所謂特殊部落の大多数は、もと穢多と呼ばれたりし部族に属するものなるが為に、本号収むるところも、自ずからまず旧穢多に関するものを主として、所謂非人に関すものの如きは、比較の必要ある少許のほかはことごとくこれを省略したり。されば余輩の発表は、もとより本号載するところを以て尽きたるにあらず、以下号を逐いて続々世に問うところあるべく、余輩の研究またもとよりこれを以て終りとするにあらず、将来永く継続して、ますますその精緻の域に達せんとす。世の同好の各位、こいねがわくはこの意を諒とし、その調査観察の結果を続々本誌に投寄して、余輩の研究を援助し給わんことを。
 因みに云う。本号載するところの部落の沿革・解放に関する長編は、さきに内務省地方局に於いて開催せられたる、細民部落改善協議会席上に於ける講演筆記をもととして、これに添削修正を加えたるものにして、けだし特殊部落に関する余輩の研究を、最も通俗に概説したるものとす。その以下の諸編は、さらに委曲に渉りて部分的にこれを論説考証せるものにして、彼此重複少からざるも、けだし双方これ相俟ってそのまったきを見るをうべきものなり。読者諸賢もしその前後重複するところあるを咎め給うなくんば幸いなり。

大正八年七月一日
喜田貞吉識





底本:「被差別部落とは何か」河出書房新社
   2008(平成20)年2月29日初版発行
底本の親本:「民族と歴史 第二巻第一号 特殊部落研究」
   1919(大正8)年7月
初出:「民族と歴史 第二巻第一号 特殊部落研究」
   1919(大正8)年7月
入力:川山隆
校正:門田裕志
2013年1月11日作成
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