買食ひ

片山廣子




 むかし私がまだむすめ時代には、家々の奥さんたちが近所の若い主婦やおよめさんの悪口をいふとき、あの人は買食ひが好きですつてね、毎日のやうに買食ひをしてゐるんですつて! といふやうなことを言つて、それが女性の最大の悪徳のやうであつた。それが美徳でないことは確かであるが、それでは買はないであまい物は何が食べられたかといふと、到来物の羊かんの古くかたくなつたのとか、それも毎日あるわけではなく、うちで仏さまに供へるおはぎでもつくるか、これはお彼岸と御命日だけにきまつてゐるし、小さい子供たちは昔も今と同じやうに飴玉でもしやぶらされてゐたのだらうから例外だけれど、けつきよく、買食ひをしなければ甘いものは口にはいらなかつた。時たまお菓子を買つて家じうそろつてお茶を飲むとか、隣家のをばさんをお茶に呼ぶとか、さういふのは買食ひの部ではなく、これはパァティみたいなもので、いともかんたんな宴会なのだから、決して買食ひではなかつた。若い主婦が甘い物を買つて、一人あるひは二人さし向ひで食べれば、買食ひをすると見られてゐたのらしい。昔の人は、女性が自分の口にだけ入れるためお金を使ふといふのは非常にだらしがなく無駄づかひのやうに思つてゐたのだが、その後世の中がだんだん忙しく変つて、女のひとがデパートに買物に行つて一人で食堂にはいりおしるこやおすしを食べても、それは買食ひとは思はなくなつた。但し昔から東京人が物見遊山やおまゐりに出かければ、帰りにはきつと何処かに寄つておそばかうなぎを食べ、なるべくけんやくしても、くづ餅やおだんご位はたべたのだから、デパートの食堂に入ることも昔のおまゐりと少しはつながりがあつたのかもしれない。大正時代からは中年の女でも一人で銀座のコーヒを飲んで差支へないやうになつた。
 戦争が終つて一二年は馬鈴薯とさつまいもがすべての甘味の代りになつて、それを来客に出しても喜んで食べてくれた。今は都内の菓子店がすつかり復興して、ありし日の如く和洋とりどりの菓子を売つてゐるが、これを買ふのは昔のやうに簡単にはゆかない。一個が十円、十五円、二十円、二十五円、三十円、五十円、(特別が百円)とすると、どんなけつこうなお菓子が並べであつたところで、それを沢山買つて来て、たとへば一週間二週間と昔のひとが喜びさうに何時までも貯へて置くわけにはゆかない。味は変らないにしても、そんな事をすれば一度の菓子代がどの位かさむか、一大事である。
 そんなわけで私たちはいま「買食ひ」をやることになつた。その時入用なだけ買つてお茶のつまにし、お客にも出す、明日は明日の事である。家々の主婦たちもお互いの家庭の中のことをかれこれ批評しなくなつて、かれらもみんなそれぞれ買食ひをしてゐるのである。それから農村の人たちは主食を充分すぎるほど食べてゐるから、三食のほかに甘味を必要としないさうである。また買食ひも、田や畑や竹藪の中ではなかなか用が足りないことも確かである。





底本:「燈火節」月曜社
   2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
   1953(昭和28)年6月
入力:竹内美佐子
校正:伊藤時也
2010年10月14日作成
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