掏摸と泥棒たち

片山廣子




 Y氏が山手線電車の中で集団掏摸のためにポケツトの中をみんな奪られて帰つて来た。その日Y氏夫妻は帝劇の「モルガンお雪」を観ることになつてゐて、Y氏の切符はポケツトの中のほかの物と一しよに掏摸の手に渡り、奥さんの切符は無事に家に残つてゐた。一人でも行つて観て来たらとY氏は言つたが、奥さんは掏摸と並んで芝居を見ることになるかもしれないから止めると言つた。掏摸はそんな切符は帝劇の入口あたりで誰かに売つてしまふだらうから、奥さんの隣りに腰かける人は掏摸とは何も関係のないよその人だらうよとY氏が言つた。けれど切符を見た拍子に掏摸の一人が急に「モルガンお雪」をみる気になるかもしれないし、だいいち自分の隣りの人が掏摸だか唯のしろうとだか、どつちとも分らないあやふやの気持で芝居をみるのはたまらないと言つて彼女はゆくのを止めた。
 ちやうどそこへ私が行きあはせて「いかが? 気味がお悪くなければ、夕方からですから、行つて御らんにならない?」と言はれたけれど、私もさういふ事にかけてはひどく弱虫だから、その一枚の切符はたうとう無駄にして、その代りゆつくりお茶を飲んで災難の話をきいた。この前にもY氏はやはり山手電車で掏られた、その時は服の胸のところを刃物で幾すじも切られて紙入をとられたが、その日は紙入の中が寒かつたから、専門家は骨折損をしたわけであつた。彼が肥つて背が高いので、お金を持つてるやうな錯覚を相手にもたせたのだらうと言つてゐた。その時は少しも知らないで掏られてしまつたからたぶん一人の仕事と思はれるが今度のは初めからよく分つてゐたさうで、隣席に一人が腰かけ、一人がかぶさるやうに前の吊革にぶらさがり、もう一人大きな男が出口にとほせんぼをして立つてゐたさうである。新聞に出てゐる話でも、集団掏摸では絶対に逃げられないといふことである。
 やはりY氏たちの知つてゐる某夫人が昨年関西旅行中、友だち二三人と奈良へ遊びに行つた。電車の改札口に立つてゐる時、横の方にゐた派手な洋装の娘に「いま、何時でせう?」と訊かれたので何の気もなく腕時計をちよつと見て時間を教へてやつた。一しよに立つてゐた友達の奥さんも娘の声につれて同時に自分の腕時計をのぞいたさうである。さて彼等が電車に乗らうとした時それほど混んでもゐないのに、ステツプのところに三四人の若い男女がゐてわつしよわつしよ揉み合つてほかの人たちが乗れないやうに邪魔をした。やつとのこと乗り込んだ拍子に二人の奥さんたちの腕時計のくさりがぱらりと落ちて、もうすでに時計は奪られてゐた。すこし後の方に立つてゐたお連れの奥さんたちにはその掏摸たちの仕事がよく分つてゐても、とても声をかけることも近寄ることも出来なかつたといふ話であつた。すべてかういふ集団的の行動は終戦以来のことで、昔も大泥棒がたくさんの子分をつれて江戸や関東を荒し廻つた話もあるけれど、単独で上手に仕事をする人の方が多かつたやうである。
 つい近年、まだ十二三年位にしかならないと思ふ、大井町や山王、大森海岸、品川方面を荒した泥棒があつたが、この人は大井と品川の中間位に暮してゐて本当は郵便局につとめてゐた。いつから考へついた事かよく分らないが、一人でこそこそ夜の仕事を始めた。だんだん仕事が大きくなつて大井町山王あたりの裕福さうな家々は順番みたいにつぎつぎ被害をうけた。あの辺の交番の巡査や夜警の刑事たちは夜おそく郵便局のしるしをつけた灯を照らしながら歩いて行く電報配達人の姿を見ても誰もそれを気にとめなかつた。新聞でもその話はこまかく出なかつたやうに思ふ。あるひは郵便局といふ公の団体の中の一人が横道にはいつての働きぶりは大ぴらに書かれなかつたのかもしれなかつた。一年半ぐらゐ彼は静かに器用にその仕事をつづけてゐたが、ある夜、前に一度この配達人を或る夜ふけに大井の庚塚かのえづかあたりで見かけたことのある刑事が、また二度目に新井宿四丁目で彼とすれ違つた時、頭に何かひらめくものがあつて「おい、君……」と呼びかけた。配達人はこの晩は自転車だつたが、いつになく狼狽した。「はい」と言つて彼は自転車を止めたが、止めたと思つたのはただ一瞬で、もう駄目と彼は逃げてしまつた。しかしさうなれば郵便局の方にも探偵の手がのびて、ついに半年前から勤めを辞して専門家になつてゐた彼を見つけ出した。彼の妻は裁縫が上手で、何時もよそのお仕立物をお預かりしてゐると近所の人たちに言つてゐたが、ほんとうは盗品をほどいたり縫つたりして形を変へて売りさばき、質に入れることもあつて(質屋がもつとも安全なお倉であるから)蒲田、大森海岸、品川、川崎、横浜とあつちこつちの店々に交渉を持つてゐたさうである。私の友達がその二年も前に盗られた大島の新しい着物が出たらしいから見に来るやうにと、刑事に案内されて京浜国道の大きな質屋の奥座敷に行つてみると、その座敷二部屋はデパートの蔵払ひの時のやうに人と衣類で賑やかだつたといふ話を聞いた。
 池上にも相当大きく荒したのがゐた。彼はおもて向きは肉屋であつた。もう四五年もその肉屋は続けられて立派な信用を持つてゐたさうで、警防団の青年たちが小屋で休憩の時なぞ、その前を通つて「やあ、こんばんは。皆さんごくろうさま」なんて声をかけて通つたさうである。大てい彼は十時すぎか十一時ぐらゐに東京の用足しから帰つて来たと言つてさびしい田舎みちを歩いて帰るのだつたが、大きな包なぞは決して持つてゐなかつた。或るとき何かほかの犯罪があつたために非常線が張られて、その夜は本当に東京から帰つて来たらしかつた彼も止められて調べられたが、彼が持つてゐた小さい袋の中から蝋燭や泥棒の七つ道具が出て来たので、彼もたうとう捉つてしまつたといふことだつた。そんなやうに一人で計画し一人で仕事をする人たちはみんな相当に自信が強く、ある時は自分の技術に溺れてしまふこともあるらしい。地下鉄サムといふやうな愛すべき技術者も、小説の中の世界でなければかんたんに捉つてしまふこともあり得る。
 師父ブラオンは樹の上にかくれてゐるフランボーに説教した、「……フランボーよ、お前にはまだ若さもあり名誉もある。それが今のお前の商売で永続きするものと思つたら大間違ひだ。人間は善いことならば一定の水準をもち続けることも出来るだらうが、悪事でいつまでも同じ水準を保ち得た人間はこの世にゐない。悪の道は深みへ深みへとはまりたがるものだ……」星のきらめく夜、師父ブラオンのこの言葉を樹の上の大盗フランボーは心の耳をかたむけて聴いてゐる。およそ探偵小説と名のつく沢山の探偵小説を私は長いあひだ愛読して来たが、師父ブラオンの叡智ほど常に新しく尊いものはほかにないと思つてゐる。しかしイギリスでなくても、日本にも銭形平次やあご十郎のやうなすばらしい探偵が生み出されてゐる。そればかりではない、小説の主人公でなく、ほんとうの生きた人間の大岡越前守といふえらい人さへ生れた国である。現代の悪が表で善が裏であるやうな錯覚さへ持たせられるこの国に、一陣の涼風よ吹いてほしい。





底本:「燈火節」月曜社
   2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
   1953(昭和28)年6月
入力:竹内美佐子
校正:伊藤時也
2010年10月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード