ダンセニーの脚本及短篇

片山廣子




(一)


 ダンセニイの「アラビヤ人の天幕」が先日明治座で新劇座の人々に依って上演され、今月になって友田恭助水谷八重子諸氏の手で同じ脚本及び「光の門」「旅宿の一夜」の三種が鉄道協会で試演されるということである。今まで学校の英語会余興にばかし使われていたダンセニイ劇の為には悦ばしい事に違いない。
 私が今まで多少ダンセニイのものを訳して来た関係上、何かダンセニイについて云いたいことがあるならと人からいわれたが、訳者としては私は殆ど何も知らないから何も云えないと答えた、あまり乱暴な言葉のようであるが、訳する時はまるで機械の気分で眼と筆の使い分けをしているから原作について考える余裕は少しもない。[#「ない。」は底本では「ない」]訳し終ると「神おろし」の女がさめた時のようにけろりとして何もかも忘れてしまう、女の頭は浅いものであるから、無理もない事であろうと思う。
 それで訳者としては何もいえないが、しかし読者として私はダンセニイについての好き嫌いだけをいいたい。
 ダンセニイが今までに出した脚本九篇と十冊の短篇集のうちで、どちらかと云えば Tales の方を私は愛読した。その Tales も、一九〇六年に出た Time and the Gods のうちの予言者が云ってる――大王よ聞きたまえ、地に一つの河あり大海おおうみにそそぐ、その水は無限の中をさかまき流れ、その激浪は凡ての星の岸を浸す、これ人間の涙の河また涙の海なり――といったようなイザヤ書めいた文句から、昨年ごろ出した Unhappy Far-off Things のうち仏蘭西ふらんすのある村について―… The stale of war arose from[#「from」は底本では「fom」] the desolation …と枯れ切った筆で書くまでには随分いろいろ変ったものがあるようである、中で最も多く読まれているのは The Book of Wonder, Fifty-one Tales, Tales of Wonder の三つであろう。そのうちでも私は Tales of Wonder の中にある「海陸物語り」が好きだ。海賊シヤアドが五大国の艦隊に追われて地中海に逃げ込みアフリカに船を乗りあげて、分捕の牛の二十四頭に船をひかせて大沙漠を横切り土人と戦いながら再びニイジエルに船を乗り入れ、水!と叫びながら大西洋に出て行く物語りで、割合に長い物である、この話にはダンセニイのユーモアも夢もあって、その上に珍らしくたくさんの人間味が溢れている。

(二)


 同じ本のうちの「食卓の十三人」も面白い、青年時代から多くの女を愛した狂紳士きょうしんしが山荘に孤独な生活をしてその女達を思い出し、ある夜十三人の宴会を催す、風が吹いて戸がきしむたびに新しい客が来るけはいがする、主人は立っていちいち別の婦人の名を呼び挨拶するという筋である。Books of Wonder のうち馬人ばじんシエパラアク[#「シエパラアク」は底本では「シエパラアタ」]が祖先の伝説の山の故郷を出て人間界を横切り未知の世ズレタズーラ市に美人を求めに行く話、それからスリツス、シツピイ、スロオグの三人が金の箱を泥棒しに行く話も類なき名文である。
 Fifty-one Tales はことごとく短い物ながら、すべてが草の露のように透明な涼しい智とユーモアに光っている。誰にでも愛されるのはこの本であろうと思う。戦争に行ってから出版した Tales of Three Hemispheres は前の諸篇に比べて劣っている、作者の愛する霊界と人間界の中間である、「世界の端」の落つき場を戦争という大きな現実の光りで騒がされた為かとも思われる。Unhappy Far-off[#「Far-off」は底本では「Tar-off」] Things も戦争中の作で、しんみりした静かな筆で「ウエレランのつるぎ」と同じような優しい書きふりである、あまり面白い物ではない。私共はもう一度彼が霊の故郷に落ちついて神々と人間のにがく面白い交渉を書くのを暫らく待っていなければなるまい。
 脚本の中では、もっと美しい「アラビヤ人の天幕」「女王の敵」の如きものでなく、彼の甘にがいユーモアが十分に出ている「旅宿の一夜」「山の神々」「光の門」の三つが舞台には割合に成功しそうに思われる。最長篇「神々の笑い」の中に皇后おうこうと侍女たち及び三人の貴婦人が出て来る「女王の敵」に女王及び侍女が出る「アルギメネス王」に四人のが出て来る「アラビヤ人の天幕てんと」にジプシイの女が出る、その他には一人の女も出て来ない。[#「来ない。」は底本では「来ない」]以上並べた中でも「女王の敵」の女王だけが主要人物で、ほかのはただ色ざしに出されている。ダンセニイの書く夢の国の空気には人間のにおいのするは生存し得られない為であろうけれど、日本の舞台に上演する段になると、これが面倒の一つだろうと思われる。
 花柳氏一派及び友田氏一派が共に「アラビヤ人の天幕てんと」を選んだのはエズナルザが程よい役である為もあろうが、日本語に移して、あの脚本の夢と詩が傷つけられることを私は恐れている、沙漠の砂の一つ一つに充ちている寂しみを舞台の上に漲らせることは可成かなりの難事ではあるまいか。どうしても、「アラビヤ人の天幕てんと」は詩人の夢である。演出者は安価な感激や和製の技巧をすてて、せめてその刹那だけでも心からの詩人になろうとしなければならぬ。

【三】

[#「【三】」はママ]

 かの駱駝追らくだおいベルナアブの如きは沙漠の砂と風とに教育された立派な詩人で、そのゆめは王冠と力とであった。この人を安っぽくすると、王とジプシイの女も安っぽくなる、そして脚本全体が小さな物になってしまう。王と駱駝追とが交換する二人の夢はその重みがかなり等しいほどの物でなくてはなるまいと私は思う。私はあの脚本を始めて読んだ時、ひょっとかして先代の王の血を受けたかも知れない若い野心家の駱駝追に深い興味をひかれて読んだ。まだ誰の芝居も見ないから、これはただ私の老婆心でいうのである。
 作の巧拙は措いて、アルギメネス王が地から掘り出した青銅の剣に祈るところは力づよく私の心を引いた、作者は――光の門は舞台では成功したが、私はあまりあの作を好まない、その後アルギメネスを書いた時、始めて自分の故郷の言葉で書くことが出来た、故郷とは私の生れた国の愛蘭あいるらんどの意味ではない…………と云っている、米国あたりの評論家は大変にアルギメネスを悪くいうが、悪くてもまずくても、ダンセニイ自身のにおいが最も強く出ているのは「山の神々」に次いでこの作であるように思われる。
 ダンセニイは米国にこそおおいに歓迎されているが、彼の英本国においてはあまり流行児ではないようである、我々日本人が彼をうけ入れても受け入れなくとも、それはどうでもよい。ただ薄っぺらな小さな物として誤り伝えられないようにと、愛するダンセニイの為めにそれだけを私は祈っている。
一〇、六、二、





底本:「時事新報」時事新報社
   1921(大正10)年6月8日〜10日
初出:「時事新報」
   1921(大正10)年6月8日〜10日
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本は総ルビですが、入力に当たって一部を省略しました。
※底本で混在している「其」と「その」は「その」に、「此」と「この」は「この」に統一しました。
※「ダンセニー」と「ダンセニイ」の混在は底本通りです。
入力:匿名
校正:館野浩美
2016年3月4日作成
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