秩父の渓谷美

木暮理太郎




五月の秩父


 いつも五月、一年中でのよき日である五月になると、私は秩父の山や谷を思い出すことが避け難い一の習慣のようになっている。恐らく秩父の自然に、私などのよく歩いた時と今とでは、人工的に加えられた変化の大なるものがあるであろう。私自身もその中の幾つかを見て知っている。けれども其山や谷がもつ懐しさには少しも変りが無い。そして其懐しさは、全く秩父の山も谷も、人を惹き寄せて置いて、更にこれを抱擁するといったようなやさしさにたとうき或者を持っている為であることを否めないのである。秩父の山としては異彩を放っている両神山でも瑞牆みずがき山でも、或は又破風またはふ山でも金峰きんぷ山でも、人を威嚇するようなところは少しも無い。あの金峰山頂の五丈石なども、遠望のいかめしいに似ず、近寄って見ると単に大きな岩が平凡に積み重っているだけのものに過ぎないのを発見する。ただ笛吹川の上流子酉ねとり川の左岸に屹立した鶏冠とさか山のみが、青葉の波の上に名にし負う怪奇な峰頭をもたげて、東沢西沢の入口をやくし、それらの沢の奥深く入り込もうとする人に、暗い不安の影をちらりと投げ懸けているといえばいえよう。それでいてかえって此山あるが為に、其奥に隠された秘密の如何に優しい美しいものであるかを想像せしむるに余りある程の親しみ易さを見せているようである。私が後になって友の二人と初めて東沢の奥を探ろうと思い立ったことを遡って考えて見ると、雁坂かりさか峠の登り口の赤志しゃくしから、暗示に富んだ其山の姿を望見した時の印象に負う所が多いのに気がつくのである。
 くて秩父の山や谷が私に与える感じは、情緒的であり女性的である。ここでは岩石といわず草木といわず、総てのものが氷や雪との激しい闘争から、いじけたりくねったり、裂かれたり削られたりした、荒い力強い姿は見られない。山上の湿地や乾燥地にそれぞれ咲きほこっている美しい花の集合であるお花畑もなければ、山肌を飾る万年雪の冴えた輝きもない。其代りに一つ唯一つ、ゆかしい苔の匂と木の香とに満ちた、やや陰鬱に過ぎるとさえ思われる深林が、山麓から比較的高度の大きい山頂までも掩うている。そしてこの深林こそは、秩父の渓谷を美ならしむる要素を成しているのである。
 秩父の奥山に一たび足を踏み入れた人は、誰でも秩父の特色は深林と渓谷にあることを心付かない者はないであろう。それ程秩父ではこの二者が密接な関係を有している。深林あるが為に渓谷は愈々いよいよ美しく、渓谷に由りて深林は益々ますます其奥深さを増してゆくので、二者いずれか一を欠いても、秩父の特色は失われなければならぬ。つまり秩父では、昔の文人の多くが山水を賞美する場合のように、両岸に岩骨を露出した怪岩奇峰を眺めることのみが目的であってはならないのである。し岩壁の豪宕ごうとう壮大なる、渓流の奔放激越せる、若くは飛瀑の奇姿縦横なるものをもとめたならば、とろ八町であろうが、長門峡であろうが、或は石狩川の大箱小箱であろうが、到底黒部峡谷に及ぶものではない。私は耶馬渓を指して天下第一と称した山陽先生を地下に起して、黒部の鐘釣かねつり附近でもよいからこれを見せしめたならば、何と言われるか聞きたいものだと思う。
 しかし秩父にも、黒部などにこそ比較にもならないが、岩壁飛瀑の見るきものが無い訳ではない。昇仙峡の覚円峰などは、天竜峡で第一の称ある竜角峰よりは、はるかにすぐれて立派である。笛吹川の一の釜の瀑、荒川の上流入川いりかわ谷の木賊とくさ瀑、釜沢の両門瀑などは、相当に見られる瀑である。我国の渓谷のすぐれた景色は、火山岩にもあり、又石灰岩にもあり、殊に洞窟はそうであるが、花崗岩の方が地域が広いだけに立派な渓谷が多い。秩父も奥山の過半は花崗岩であるから、そこに美しい渓谷が存在することは怪しむに足らないとしても、渓谷に沿うた深林の中のさまよい歩き、それが秩父では私に取りて最も懐しいものなのである。
 秩父からける感じは女性的であると私はいうた。それを味わうにふさわしい季節はどうしても春でなければならない。其春も五月下旬新緑の頃が最も好いのである。其頃の秩父を谷から谷へとさまよい歩く時の楽しさ。山頂近くの木立の中には、まだ二、三尺の雪は残っているけれども、麓は既に瑞々しい若葉の浅緑が暖い陽光にけむり、葉裏を洩れる日光は黄金の雨のようにそそいで来る。谷あいの草原を飾る落葉松や白樺の夢のように淡いみどり、物寂びた郭公かっこうの声、むせぶような山鳩のなく音、谷の空を横さまに鳴く杜鵑ほととぎす、時として栗鼠りすや兎の子などが路傍に戯れていることさえも珍しくなかった。そして一方では藤の花房を立てたように薄紫の花をつけた桐の木、屋根の棟に菁莪や、鳶尾いちはつなどの青々と繁っている茅葺の家、そことなく洩れ来るの音に交って、うら若い女の歌う声、路のへに飛び交うつばめの群。これが山に入り山から下る私達を送り迎えてれる山村の光景であった。
 深林と渓谷の美を特色とする秩父の秋は、色彩に於ては春にも優って美しいものであるが、私の目的からは少しくそれているといわなければならぬ。して寒巌枯木を主とする冬の季節は、特色を失った秩父を知る以外に用はない。斯様かようにして私は多くの秩父の渓谷の中から、代表的に二のものを選び出すことを得た。一は笛吹川上流の東沢で、他は荒川の上流入川谷である。前者は花崗岩の谷であり、後者は花崗岩と水成岩となかばしている。前者は比較的深林よりも岩石に於て優り、後者は岩石よりも寧ろ深林に於て優っている。

東沢


 東沢は西沢と共に笛吹川の上流子酉川の水源であり、かつ秩父渓谷中の双璧とも称すきもので、険怪の度に於ては東沢の法螺ノ貝は、西沢の七ツ釜に劣るかも知れないが、西沢が七ツ釜から上流のやや平凡なのに引換え、東沢は法螺ノ貝の上流で釜沢、信州沢、金山かなやま沢の三に岐れ、金山沢は更に石塔沢を分ち、いずれも特長ある沢を成している。右の釜沢はその名の如く滝と釜との連続で、これを遡れば直接に甲武信こぶし岳に登れる。中央の信州沢を上れば、国境山脈の国師こくし甲武信二山の間の最低鞍部に出で、左の金山沢を登れば、国境山脈と石塔尾根との分岐点附近に達するのである。
 西沢は七ツ釜あるをもって有名であるが、実は釜の数は七つに限られている訳ではない、大小合せて優に三十以上はあろう。それが直径にすれば二キロ半にも足らぬ距離の間に連続して横たわっているので、上七ツ釜や下七ツ釜などの名が生れるようになった。中にも大淵は西沢最大の釜で、さしわたし百米を超えていよう。瀑も大小合せて二十に余るであろうが、口元の魚留瀑と終りに近い不動瀑とが、三、四丈の高さがあって最も見事である。この釜と瀑とに沿うて遡上するには、十時間近くを要するし、困難な崖へつりや高廻りをしなければならないので、谷歩きに慣れぬ人には薦め難い。
 東沢を下流から望むと、鶏冠山がのし懸るように聳えているので、どんな恐ろしい所が待構えているかと心配になる。けれども這入って見ればれ程でもない。尤も法螺ノ貝を中心として上下十町ばかりの間は、絶対に河床を辿ることは不可能であるが、それを除けば全部河床を歩くことを得るのは、不思議と称してよい程である。法螺ノ貝というのは丁度鶏冠山の南側に在って、河が大きな淵を成している。其上を高さ一丈か一丈四、五尺位の岩のまる天井が掩うている。天井の何処かに穴があって、其穴からさし込んだ光線は、※(「靜のへん+定」、第4水準2-91-94)らんてんの水を透して底に達し、それが更に反射して下から天井を彩どり、※(「王+干」、第3水準1-87-83)ろうかんのような色が洞内に漂うている。其奥の方に瀑があるらしく、飛沫の躍るのがほの白く目に入るが、瀑の姿は見られない。私達は偶然此処に下り込んだのであった。法螺ノ貝とはうまく付けた名で、全く珍しい形である。
 法螺ノ貝から上流は、一旦開けた河原が再び狭くなって、磨いたように滑かな絶壁に両岸を取り囲まれる。殊に鶏冠山の側は、五、六十丈を超えた壮大なものである。両岸から落ち込む沢は、皆落ち口に滝を懸けている、高いものは四、五丈もあろう。そして沢の屈曲が多いから、少しの弛みもない。それでいてこの屏風を建て廻したような河床を楽にあちこちと徒渉としょうしながら通行し得るのは、何たる幸福なことであろう。
 この附近は谷幅も狭く、一面に黒木青木に被われているから、昼もの下闇が谷底を薄暗くめている所さえある。ただ岩崖に咲く日蔭躑躅ひかげつつじの上品な黄花がほのかに明るい色を浮べ、小岩桜こいわざくらの紅花が時に眼を楽しませる外に、盛り上るように花をつけた石楠しゃくなげや躑躅の大群落が思わず足をとめて眼を見張らせるであろう。
 信州沢は唯美しい沢であるという外に適当な言葉を見出せない。傾斜の少し急な一とつづきの花崗岩から成る白い河床を、谷水は瀬となり滝となり淵となって、楽しげに躍りつ滑りつして来るとでもいうたら、幾分想像がつくかも知れない。水は如何にも清冷で、岩面に水垢が着かないから少しも滑るおそれがない、それで極めて安易に水の中を登って行かれるのである。其処の落葉松の一叢茂った林の中で飯を炊いて、暢気のんきに昼食を済した時の愉快さは忘れられない。
 釜沢には二、三丈から四、五丈程の瀑が五つ六つある。其外一、二丈のものは十以上もあろう。第一瀑と両門瀑が最も見事である。第一爆は高四丈位であるが、瀑壺はこの瀑には勿体ない程素晴らしいものだ。両門瀑というのは、一の大釜へ左右から瀑が躍り込むので、向って右は低いが幅は広く、左は高いが幅は狭い。又落下の途中一枚岩にせかれて、抛物線ほうぶつせん状にはね上っている珍しい瀑もある。所謂ヒョングリの瀑である。この沢を遡って甲武信岳に登ることは、深林と渓谷と二ながら豊に味い得る点に於て、秩父の登山の中で最も変化に富んだものの一であると称してよい。
 両門瀑の少し下手から西の国境山脈を望むと、黒い岩壁が高く幕を張ったようにつらなっているのが眼につくであろう。之は両門岩の名があるそうであるが、其上からは東沢の全部が殆ど一目に見られる。そして脚下に近い黒木の茂った深い谷間の稍開けたらしい河原のほとりに立ち並んでいる浅緑の色鮮かな落葉松の木立は、一きわ人の眼を惹くことと信ずる。

入川谷


 東沢西沢が甲州方面の秩父を代表しているものとすれば、入川谷は武州方面の秩父を代表しているものと称してよい。甲武信岳の頂上から東の谷に向って驀地まっしぐらに下り込むと、間もなく真ノ沢の水源に達する。河床は花崗岩の一枚岩であることは、釜沢や信州沢と同様であるが、この岩は水垢が多いのでく滑る。少しも油断はならない。これから木賊谷の合流点迄は、幾つかの瀑があり淵があっても、河床を辿って難なく下れる。谷の姿態は東沢に較べて、おおいに劣っているけれども、森林の美に至っては東沢といえども能く及ぶ所ではない。木賊谷の合流点から三町ばかり下った所に有名な木賊瀑が懸っている。上下二段を合せて二十丈を下らないであろうが、周囲が狭く、全容を仰ぎ見ることを得ないのは遺憾である。
 入川谷の深林美を俯瞰する地点として、両門岩に比すきものに、十文字峠途上の白妙しろたえ岩がある。入川谷の支流赤沢の谷を埋むる闊葉樹の深林を脚下に眺め、南方破風山から甲武信、三宝さんぽうの二山にわたる針闊混淆林、針葉樹林と、帯のように整然たる深林を見渡したる見事さ。これにも増して更に入川谷の全景観を支配する場所は、股ノ沢の岩峰である。真ノ沢はその右から股ノ沢は其左から来て、岩峰の東正面直下で合流してから、多少の曲折はあっても、殆ど一直線に走る谷筋を縦に眺めて、栃本の森までも達する視界の広さは、他に比す可きものがない。この長い谷筋を林道に沿うて、若葉の風に吹かれながら歩いていると、みどりの濃い谷間の空気は水のように冴えて、深淵の底から知らぬ世界をうかがい見ているような気がする。赤沢の合流点附近に於けるぶな水楢みずならの深林は、なんという潤いにみちた豊麗な色沢をもっていることであろう。この谷で聞く杜鵑の声ほど場所にふさわしいものはあるまいといつも想うのである。
 秩父の渓谷美に就ては、お書く可き多くのものが残っている。荒川の滝川谷、大洞おおぼら川。千曲川の上流梓川、川端下かわはげ川。昇仙峡上流の荒川。多摩川上流の吉野谷等は、皆夫々それぞれ特長を持っているものではあるが、秩父渓谷美の一斑はほぼ紹介し得たと信ずるから、其他は次の機会を待つことにする。
(大正一五、六『太陽』)





底本:「山の憶い出 下」平凡社ライブラリー、平凡社
   1999(平成11)年7月15日初版第1刷
底本の親本:「山の憶ひ出 下巻」龍星閣
   1941(昭和16)年8月20日再刷
初出:「太陽」
   1926(大正15)年6月
入力:栗原晶子
校正:雪森
2014年6月12日作成
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