冬の山

木暮理太郎




 都大路に木枯がおとずれて、街路樹の梢が日に増しあらわになりまさる頃になると、濁りがちな空の色も流石さすがに冴えて、武蔵野をめぐる山々の姿が、市中からもあざやかに望まれる日が多くなる。雪の富士、紫の筑波は言うに及ばず、紫紺の肌美しき道志どうし御坂みさかの連山の後から、思いも懸けぬ大井川の奥の遠い雪の山がソッと白い顔を出して、このほこらかな文化の都を覗いていることさえも珍しくはない。その鋭い白冷の光は、煤烟と騒音との真中に閉じ込められて、恐らく神経が痲痺まひするであろう都の山岳宗徒に取りても、高鳴る胸を押し鎮めながら、有りし日の懐しき憶い出――過去の登山――にのみ空しく陶酔しているには、余りに堪え難き刺戟でなければなるまい。少しでも多く山に近寄りたい、否、出来るだけ深くその懐にもぐり込みたい、あの栄光に輝く高嶺の雪!
 こうして冬の山の旅は始められるのであろう。

 想えば冬の登山、一層適切に言えば積雪期に於ける高山の登攀は、山登りに足を蹈み入れた熱心な人のついに辿るき道程に外ならぬのであろうが、夏季に於けるよりも数倍の危険が伴い、其上氷や雪に対する知識と技術とを強く要求するものであるから、今の所まだ少数の人々の間に限られている有様である。夏の登山は都会人にあっては既に年中行事という程度にまで進んでいるとしても、一般に普及されたとは考えられない、即ち登山の民衆化という点から観れば漸く半途まで漕ぎ付けた位のものであろう。登山の民衆化などというと、人に依りては或は好んで山を俗化するものであるといきまく向きがあるかも知れない、しかし指導と設備さえ誤らなければ、登山の民衆化は決して山を俗化するものではない。山の俗化に名をりて、一般の登山者を排しようとするのは、寧ろろうとす可きであると共に、登山の民衆化を口実として、目前の利益の為に自然を破壊するが如き行為は、厳にいましむ可きものである。私は少くとも我国の夏の山は登山の民衆化に天与の道場であると信ずるものであるから、其健全なる発達を希望して止まない。
 斯様かように夏の登山は民衆化すべき可能性が充分にあるが、冬山の登山はどの点から考えても、まだ其民衆化は容易に実現されようとは想われない。異常な寒気に抗する為の完全な防寒具、時としては旬日にわたる大吹雪の突発に対する周到な用意、氷雪に耐える特別な靴、凍結しない食料品の選択など、数え立てれば一として一般民衆に縁のあるものはない。これでは高い山への憧れが、またその純白な雪のもつ魅力が如何に強くとも、全く泣寐なきね入りの外詮方せんかたないことになる。
 勿論冬の高山は、健闘努力して其頂上を窮めた時に、無限の愉悦があり、四周の光景は全然夏と趣を異にした新なる世界を現出するものであるにせよ、劃然と描き出される其輪廓の美と色彩の雄渾ゆうこんとは、平地又は丘陵から山を仰望することを知る者に与えられた礼讃の標的であるといえる。就中輪廓の美は、多く岩石の裸出した雪の山に於て、雄渾なる色彩は黒木の乏しくない長大なる連嶺に於て、極度に発揮される。いつぞや冬の初めに、筑摩山脈の美ヶ原に近い一峰に登って危峭きしょう天を刺す槍穂高の連峰が新雪に輝く白無垢に近い姿を眼の前に屏風だちに立ちはだからせているのを眺めたことがある。あれ程綺麗でそして雄勁ゆうけいな山の膚や輪廓を見たことがない。野辺山原から雪の晴れた朝、眉を圧して聳え立つ八ヶ岳の群巒ぐんらんを額越しに見上げて、其瑰麗かいれいな姿に満足しない者があるだろうか。松本平から振り仰ぐ北アルプスは言わずもがな。日本海の沿岸から立山連峰を望む時、或は伊那盆地から木曾駒、赤石の両山脈を仰ぐ時、真に息がつまるような感じがする。秩父連山の素晴らしい色彩は、中仙道を上下する汽車の中から、一度でも其方へ眼をやった人に忘れ得ぬ印象となって残るであろう。山を展望するということは、極めて簡単で無造作ではあるけれども、これは愛山家に取りては、冬の重要なる行事の一に加えらる可きものであろう。
 一般に夏山に登る人は残雪の多い山を好む。残雪が無いと高い山へ登っても何だか平凡なような気がする。夏の最中に冬の物である雪を見るということが非常に登山者を喜ばせる。南アルプスに登山者が少ないのは残雪に乏しいことが最大の原因であるとさえいわれている。
 夏の残雪を喜ぶ心は、やがて冬の間全山白雪に埋められている時の壮観を想う。雪中登山がやって見たくなる。スキーが近頃になって非常ないきおいで流行するようになった一半の裏面には、斯様な心理状態が手伝っていることも事実であろうし、又雪中登山が行われるようになったことは、スキーの流行に負う所あるも事実であろう。それはかく、今日冬山の登山を行っている人達は、殆どすべてスキーを用いないものは無い。スキーを用いての登降は、雪の状態さえ甚しく不良でないならば、殊に降りに際しては、これに及ぶものはない。然しスキーのみが雪中登山の唯一の道具という訳のものでもない、在来の輪カンジキと金カンジキとがあれば、スキーで登れる所ならば先ず何処へでも登れる。トリコニーとかクリンカーとかいう釘を打った登山靴でなくても、藁で造った雪靴で寒さを凌げぬことはないのである。雪中に野営するような高い山へ登るのでなければ、これで結構間に合って行く。ただ多くの場合に於て、行動が著しく敏活を欠くことを免れない。従って新時代の嗜好に適しないのは是非もない。
 山を展望しているだけでは物足りない、少しは奥へ入って峠の一つもえて見たいという程度ならば、防寒具も特別に用意する必要を認めぬ、一度踏み出して見れば、火鉢に暖りながら考えていた程の苦労はないものである。尤も二千米前後の山であれば案内者を要するが、さもなくて単独旅行でない限り必ず案内者を伴うにも及ばないであろう。
 十二月から一月、しくは二月にかけての降りたての雪であると、表面がまだ凍結しないので、一歩ごとに踏み入るものである、かようにして一尺以上の雪の中を辿ることはスキーを着けていても輪カンジキを穿いていても、楽な仕事とは言い兼ねる。曾て奥上州の山名を確めたいという希望から、暮の二十八日に赤城山へ登ったのであるが、其日の夕方から降り出した雪は、山では大吹雪となって、二日三晩というもの小止みもなく降り続け、風呂場で体にかけた湯が流し板の上でぐ氷るという寒さ、展望どころか一歩も外出することが出来ず、三十一日の朝になって漸くれ上ったものの、この日はもう帰京しなければならない。身仕度して午前十時に家を出た。近い鳥居峠までも楽ではなかったが、峠から一歩下りに向うと、吹溜りの斜面は六、七尺という雪量なので、わずか半里に足らぬ下り坂に三時間を費してしまった。此時は足拵あしごしらえがよかった為めに凍傷にもかからずに済んだが、一月の中旬、金峰きんぷ山麓の増富鉱泉から、木賊とくさ峠を踰えて黒平くろべらへ出た時の旅では、何等の用意もしないで、三日の間二尺に余る積雪中を辿り歩いた報いは覿面てきめんで、今だにきずあとが寒さに痛む程の凍傷を受けた。秩父の雁坂かりさか峠や十文字峠なども雪崩の危険はないにしても、此頃通過を企てるのは少し無理である。
 三月から四月になると、雪の表面はなり堅く締って、容易に落ち込まなくなる、高い山であると雪崩の危険に脅され勝ちであるが、二千米程度の山ならば、其心配も殆ど無い。秩父や日光や奥上州から奥羽へかけて、丁度それ位の高さの山は、灌木と共に根曲り竹や熊笹などが茂っていて、夏は通過するのに非常に困難であるが、早春の頃三、四尺から五、六尺も雪の積っている時であると、凍結した雪の上を楽に歩き得るので、夏ならば一日を要するであろう行程を二、三時間で通ってしまう。会津から越後にかけての猟師は、歩行に楽な冬の間しか山に入らぬので、夏山の案内に頼むと飛んでもない失策を演ずることがある。若干軽装してこの雪の上を羚羊かもしかのように駈け廻る時の愉快は、到底筆や言葉にあらわせるものではない。
 或年の四月の上旬、桜咲く富士の裾野を南から西に廻って、麓の部落から天子てんし山脈の最高峰大方おおがた山に攀じ登り、全山霧氷に飾られた樹林の間から、南アルプスの雪山の壮観を眺め、三尺の積雪を踏んで尾根伝いに本栖湖畔に下ったまでは無難であったが、日暮れて精進湖のほとりに路を失い、余り騒いだお蔭でホテルの娘さんにボートで宿屋へ送られたおかしかりし旅。豊脆な独活うどわらびの味噌汁に舌鼓を打ちつつ、雪の峠を横断しては温泉から温泉へと辿り歩いた奥上州の暢気だった旅。山の上で大吹雪に遭い、危うく不帰の客となろうとして、辛くも青根温泉にころがりこんだ四月の蔵王越えの苦しみ。四尺に余る雪庇せっぴを割り崩して、上越界の三国峠に其年に於ける初めての足跡を印しつつ、四月というに脚下の浅貝の谷から、目も遥かな苗場山の頂上まで、春とは名のみ多量の積雪に驚嘆のひとみを転じて、漸く屋根のみを露わした古駅の人家を雪野の一隅に見出した折のはかない喜び。数え来れば手軽な雪の山旅も、それから夫と想い出されるのであるが、私は唯だ冬の山の如何なるものであるかを知らない人に紹介して、それでは出懸けて見ようと藁靴の紐を結ぶ人が一人でも多くあれと念じつつ、筆をくことにする。
(大正一五、一『旅』)





底本:「山の憶い出 下」平凡社ライブラリー、平凡社
   1999(平成11)年7月15日初版第1刷
底本の親本:「山の憶ひ出 下巻」龍星閣
   1941(昭和16)年8月20日再刷
初出:「旅」
   1926(大正15)年1月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:栗原晶子
校正:雪森
2015年10月31日作成
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