雪割草の花

石川欣一




 もう一月ばかり前から、私の庭の、日当りのいい一隅で、雪割草がかれんな花を咲かせている。白いのも、赤いのも、みんな元気よく、あたたかい日の光を受けると頭をもたげ、雪なんぞ降るといかにもしょげたように、縮みあがる。この間、よつんばいになってかいでみたら、かすかな芳香を感じた。蝶もあぶもいないのに、こんな花を咲かせて、どうするつもりなのか、見当もつかぬが、あるいは神の摂理とかいうものが作用して、これでも完全に実を結ぶのかもしれぬ。

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 この花、本名は雪割草でないらしい。別所さんの「心のふるさと」には、
 植木屋さんが雪割草というのは、スハマソウのことである。福寿草とともに、お正月の花のようにいわれるけれど、自然のままでは、東京の三月に咲く。
 と書いてある。

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 去年の十一月、私はわずかな暇をぬすんで、信州へ遊びに行った。まったく黄色くなった落葉松の林、ヨブスマの赤い実、山で焼いた小鳥の味、澄んだ空気、それから、すっかり雪をいただいた鹿島槍の連峰……大阪に帰って来てからも、しばらくは仕事に手がつかなかった。万事万端、灰色で、きたなくて、わずらわしかった。これは山の好きな人なら、だれでも経験する気持ちであろう。

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 このような気持ちでいたある日、五時半ごろに勤めさきの会社を出ると、空はすっかり曇って、なんともいえぬ暗い、陰湿な風が吹いている。ますます変な気持ちになってしまった。そこで、偶然いっしょになった同僚のN君と、一軒の居酒屋へ入り、ここで酒を飲んだ。で、いささか元気がついて、梅田の方へ歩いて行くと、植木屋の店頭で見つけたのが「加賀の白山雪割草、定価十銭」

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 十銭といったところで、単位が書いてないから、一株十銭なのか、一たば十銭なのか、わからない。とにかく五十銭出すと、小僧さんが大分たくさんわけてくれた。新聞紙で根をつつみ、大切にして持って帰った。

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 あくる日は、うららかに晴れて風もなく、悠々と草や木を植えるには持ってこいであった。私は新聞紙をとき、更に根を結んであった麦わらを取り去って、数十本の雪割草を地面にならべた。見るとつぼみに著しい大小がある。今にも咲きそうなのが五、六本ある。
 そこで私は、この、今にも咲きそうなのを鉢に植えて、部屋の中で育てようと思った。そうしたら、年内に咲くかもしれぬ。私の家は東南に面して建っているので、日さえ当たっていれば、温室のように暖かい部屋が二つあるのである。

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 私は去年朝顔が植えてあった鉢を持ち出して、まずていねいに外側を洗った。次にこの鉢を持って裏の畑へ行き、最も豊饒ほうじょうらしい土を一鉢分失敬した。だが、いくら豊饒でも、畑の土には石や枯れ葉がまざっている。それをいちいち取りのけて、さて植えるとなると、なかなかめんどうくさい。
 雪割草を買った人は知っているだろうが、ちょっと見ると上に芽があり、下に長い根がついているらしいが、よく見ると下についているものの大部分は、根でなくて、葉を押しまげたものなのである。おそらく丈夫な葉が、スクスク延びているのを、そのままでは送りにくいので、無慙むざんにも押っぺしょってくるくると縛りつけたのであろう。
 私が第一に遭遇した問題は、この葉をいかに取り扱うべきかであった。取ってしまうと、根らしい部分がほとんどなくなる。さりとてそのままでは、バクバクして、いくら土を押えても、根がしまらない。二、三度入れたり出したりしたが、結局めんどうくさいのをがまんして、葉をつけたまま植えた。たっぷり水をやって、ガラス戸の内側に入れる。なんだか、大きな仕事をやりあげたような気がした。これだけで、大分ウンザリした。したがって、残り何十本は、庭のすみに、いい加減な穴を掘って、植えた。

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 それから、寒い日が続いた。一体、私の住んでいる所は寒いので有名だが、この冬はことに寒いような気がした。毎朝、窓ガラスに、室内の水蒸気が凍りついて、美しい模様を描き出した。
 だが部屋の中は暖かかった。雪割草のつぼみは、目に見えてふくらんで行った。ただ、一向茎らしいものが出ない。きっと、福寿草のように、土にくっついて花が咲き、あとから茎がのびて葉を出すのだろう。それにしても、早く咲きそうだ。このぶんなら、お正月には確かに花を見ることが出来るだろう。と、私は大いによろこんでいた。

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 ところがある朝ふと気がつくと、一番大きなつぼみが見えない。チラリと赤い色を見せていたつぼみは、きれいにもぎ取られている。さてはねずみが食ったなとその晩から、夜はねずみの入らぬ部屋に置くことにした。

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 それにもかかわらず、つぼみはドンドン減って行く。もともと数えるぐらいしかなかったのだから、四、五日目には、一つか二つになってしまった。毎朝、私は雪割草の鉢を間にして、女房とけんかをした。
「おまえ、またゆうべ忘れたな」
「忘れやしません。ちゃんと入れときました」
「だって、また一つ減ってるぞ」
「でも、ゆうべだってしまいましたよ」
「ほんとうか」
「あなたは酔っぱらって寝てしまうから知らないんです」
「ばかなことをいえ」
「そんなら自分でおしまいなさい」
「やかましい!」

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 ある朝、例の通り寝坊をして、目をこすりこすり起きた私は一年半になる私の長女が、雪割草の鉢の前にチョコンとすわって、口をモガモガさせているのを見た。わきへ行くと、くるりと横を向いて、いきなりチョロチョロ逃げ出した。二足三足で追いついて、
「陽ちゃん、なにを食べている?」
 と聞くと、いつでも悪い物を口に入れて発見された時にするように、アーンと口をあいて見せた。みがき上げた米粒のような歯に、雪割草の赤い花片と黄色いしべとがくっついている。紛失事件の鍵はきわめて容易に見つかった。陽子が毎朝、おめざに一つずつ食っていたのである。

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 私が夫婦げんかをしてまで大事にしていた鉢の雪割草は、この小さな野蛮人――美食家なのかもしれぬ――のために、ついに一つも咲かずにしまった。だが、こんな騒ぎをしているうちに庭に植えた分は皆、スクスクと健全な発育をとげて、毎日、次から次へと新しい花を咲かせている。





底本:「日本山岳名著全集8」あかね書房
   1962(昭和37)年11月25日第1刷
底本の親本:「山へ入る日」中央公論社
   1929(昭和4)年10月
初出:「家事と衛生」家事衛生研究会
   1927(昭和2)年4月
入力:富田晶子
校正:岡村和彦
2016年6月10日作成
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