余が友
徳富猪一郎君さきに『将来の日本』と称する一冊子を編著し、これを余に贈り、あわせて余の一言を求めらる。余不文といえども君と旧交のあるあり。あにあえて君の好意を空しゅうすべけんや。余これを読み、その第一回より第十六回に至る、毎回あたかも新佳境に入るの感なきあたわず。けだしその論や卓々、その文や
磊々、余をしてしばしば巻をおおい覚えず
快哉と呼ばしめたりき。それ君の著書たる、広く
宇内の大勢を察し、つまびらかに古今の沿革に徴し、いやしくも天意の存するところ、万生の望むところ、早晩平民主義をもって世界を一統すべくこれに抗するものは亡び、これにしたがうものは存し、一国民一個人のよくその勢いに激し、その力に敵すべからざるを説き、これを過去現今の日本に論及し、ついに将来の日本を図画し、その取らざるべからざる方針を示すに至り筆をとどむ。
これを要するに、君の図画するところは他なし。すなわち公道正義をもって邦家の大本となし、武備の機関を一転して生産の機関となし、圧抑の境遇を一変して自治の境遇となし、貴族的社会を一掃して平民的社会となすにあり。しかして君の論旨中含蓄するところの愛国の意は全国を愛するにあり。全国を愛するは全国民をしておのおのその生を楽しみそのよろしきを得せしむるにあり。これ実に君の活眼大いにここに見るところあり。
満腔の
慷慨黙々に付するに忍びず、ただちにその血性を

べ発して一篇の著書とはなりしなり。しかしてこの書初めて世に公布する客年十一月にあり。いまだ四ヵ月を経ざるにすでに再版に付し、またこれを三版に付せんとす。なんぞそれ世人購求の神速にして
夥多なるや。けだし君が
論鋒の卓々なるによるか、はたその文章の磊々なるによるか。しかりしこうして余は断じていわん。君がこの論を吐く徒論にあらず。君がこの文を作る徒文にあらず。天下の志士汲々これを読む徒読にあらず。これ天下大勢のしからしむるゆえんなり。ああこれ天下の大勢今すでにここに至れるなり。
明治二十年二月
西京 新島襄