「プラーゲ旋風」の話

山下博章




 神風の日本にも、今は「プラーゲ旋風」とやらが吹きまくる――と云っても、楽壇人を除いては「プラーゲ旋風」とは何か御存じのない向も多かろう。
 楽壇人でも「プラーゲ旋風」と云う名前だけは知っていようが、其の正体を理解している人は少ないようである。プラーゲ旋風が果して国難的旋風であるか、楽壇啓蒙の薫風であるか――それとも国辱的旋風であるか――の正体を掴み、其の捲き起こる原因を究明して、之に対処していたならば、今頃は旋風一過して太陽の慈光が遍照していよう筈なのに、旋風が益々力を加えつつある所を見ると、日本楽壇に人無きの嘆に堪えぬ。此の稿が楽壇啓蒙の一端ともなれば、筆者の本懐は之に過ぎない。

一 プラーゲ旋風とは

 修正ベルヌ条約に対する音楽的著作権に関する留保が昭和六年七月十五日外務省告示第六〇号を以て抛棄されて以来、ドイツ人のドクトル・プラーゲが欧米各国の外国著作権の日本に於ける管理者として、外国著作権の保全と実行のため、縦横無尽に活躍を始めた。従来外国著作物を縦横無尽に利用していた楽壇人にとっては、之が重大な脅威と為り、何時の間にか之にプラーゲ旋風なる尊称?を与えるようになった。最初に此の尊称を奉ったのは東京朝日や読売の記者であったろう。

二 無軌道蹂躙戦法

 プラーゲ旋風を如何にして退治しようかと苦心した結果、楽壇人とジャーナリストが提携して実行したのは、無軌道の蹂躙戦法であった。楽壇人が一致してプラーゲ管理の楽曲に対し一文も使用料を支払わず、滅茶苦茶に其の権利を侵害することにすれば、プラーゲも兵糧が欠乏して日本国を退去するであろうと云う、非日本的な楽壇人の脳味噌から捻出された策戦であった。そこで東京音楽協会では、昭和九年になってから、プラーゲとの従来の協定を破棄し、プラーゲの権利を否認すると云う態度に出て、会員に対して其の旨の指令を発した。其の結果外国著作権の侵害事件が頻出するに至ったが、いずれも裁判所の仮処分命令で上演を差止められたり、著作権侵害の告訴を受けたりして、屈伏するの余儀なきに至った。
 東京音楽協会員の協会に対する不平と不満とは、漸く爆発しそうな形勢になった。万事協会で責任を持つからプラーゲの権利を否認せよとの指令を出すものだから、プラーゲに挑戦したら、一たまりもなく惨敗の苦杯を喫した。然るに協会では何等為す所もなく之を傍観している。こんなことでは協会頼むに足らぬ――と云う声が充満して、東京音楽協会なるものは無為無力にして無意味な存在と化し、奥田良三氏や照井栄三氏は、同志を糾合して新協会を結成すると云うような事態にまで発展した。

三 白旗を掲げた読売新聞

 プラーゲの旋風退治に最も勇敢なのは読売新聞であった。楽壇人の「無軌道蹂躙戦法」に相呼応して、読売新聞は昭和九年三月十五日の其の紙上に、プラーゲはパリの著作権聯盟(カルテル)の真正の代理人に非ずして贋者なりとの趣旨の記事を掲載して、楽壇人の著作権侵害を声援し且つ煽動した。
 プラーゲから名誉毀損の告訴を受けるに及び、百方手を尽して応戦していたが、遂に万策尽きた。東京音楽協会からパリの著作権聯盟に対し、プラーゲの代理人たることを拒否する旨を打電したが、パリからは、プラーゲは日本に於ける唯一の代理人なりとの返電があった。そこでさしも鼻息の荒かった読売新聞も、昭和九年十一月八日の紙上に、「ドクトルプラーゲは法定代理人」と云う見出しで次のような記事を掲載した。
○社団法人東京音楽協会では著作権使用料問題からパリ著作権聯盟(カルテル・デ・ソチエテー・ドツエル)の代理人ドクトル・プラーゲの代理人たることを拒否する旨通告したのに対して去る十月四日パリのカルテルから東京音楽協会宛に次の如き入電があった。「プラーゲ氏は著作権聯盟の日本に於ける唯一の法定代理人である、プラーゲ氏は演奏禁止の権利を持っている、聯盟はプラーゲ氏に料金の基準を立てる事を委任する。聯盟は直接の支払を拒否しあらゆる無承認の演奏を禁止する」
従って去る三月十五日本紙に掲載した「洋楽放送に福音」の記事中ドクトル・プラーゲに関して「ローマ条約による国際著作権協会の代理人と自称する」云々と記載したのは今日に於いてはそれが誤解と判明するに至ったのである――

四 皇族の袖に隠れんとした東京音楽学校

 無軌道蹂躙戦法の波に乗った者は新聞社や民間の楽壇人だけに止まらず、文部省直轄の東京音楽学校にも及んだ。
 東京音楽学校では、昭和九年二月十七日と同年十月三十一日の両度に亘り日比谷公会堂で、同校の年中行事たる演奏会を開催して、外国著作権を侵害した。プラーゲからの抗議に対して「無礼者下れ!」と一喝した。其の理由は、
一、本校ノ演奏ハ一般民間ニ於ケル個人又ハ音楽団体等ニ依ル演奏トハ全ク其性質ヲ異ニシ……
二、当日ノ参聴者ノ大部分ハ上ハ畏クモ久邇宮殿下ヲ始メ奉リ文部大臣ヲ始メ政府要路者外交団貴衆両院議員全員……ノ招待者ニシテ……
等々であった。
 筆者は、東京音楽学校の態度に対して公憤なきを得なかった。苟くも日本帝国の締結した国際条約は、国内法と同様に之を遵奉することは日本国民の義務であり、文部省直轄学校の如きは、率先して国民に範を示すべきであるに拘わらず、外国著作権を侵害する旨を揚言するのは怪しからぬと感じたことは勿論であるが、筆者が最も憤りを覚えたのは、官立学校の演奏は民間の演奏と異なり、切捨御免が出来るように思い上がった官僚根性と、其の演奏会に出席する者が貴顕の士であるならば、戒慎に戒慎を重ね、献上する御馳走の材料をも吟味して、清浄潔白ならしめねばならぬ筈なるに、盗品を献上して迄も忠義振らんとする下素根性とであった。
 そして東京音楽学校を被告として提起した著作権確認訴訟の訴状の末尾には、
 文教ノ第一線ニ立ツヘキ文部省直轄ノ学校カ其ノ最モ重ンスヘキ日本国ノ国法ヲ無視スルニ止マラス恐レ多クモ 宮殿下ノ台臨アラセラルルコトヲ理由トシテ著作権ノ侵害ヲ為スコトヲ書面ヲ以テ明示スルニ至リテハ実ニ 宮殿下ノ袖ニ隠レテ非理不法ヲ行ハントスルモノ皇室ノ尊厳ヲ冒涜スルノ罪断シテ許スヘカラス大義ヲ四海ニ布クコトハ実ニ日本国ニ於ケル歴代一貫ノ聖旨ナルニ此ノ大御心ヲ体セサル吏僚カ国法ヲ無視シ国際条約ヲ蹂躙シ徒ラニ外国著作権ヲ侵害シテ第一流国ノ襟度ヲ汚辱スルカ如キハ日本国ノ名誉ノ為メ遺憾ニ堪ヘス
と記載されていた。
 此の訴状は提出の翌日被告東京音楽学校に送達されたが、其の後数日にして被告は兜を脱いだ。筆者は今日でも、其の引責辞職を未然に防止した東京音楽学校長は賢明であったと考えている。

五 無軌道判決

 楽壇人の無軌道蹂躙戦法も万更馬鹿には出来ないもので、此の戦法の尻馬に乗って拍車を掛ける判事様が東京区裁判所に出現した。
 幕末文久二年には薩摩の奈良原喜左衛門が生麦事件を惹起し、明治になってからも、露国皇太子に切り付けた津田三蔵や、李鴻章を狙撃した平山六之助などと云う、エライ愛国者が飛び出していたが昭和の聖代になると愛国者は日本刀やピストルを棄てて、官権を振翳す。いずれが危険であるかは識者の判断に俟つこととして、先ず問題の判決を紹介して置こう。
 松竹少女歌劇団が外国の歌劇(アルト・ハイデルベルヒとマダム・バタフライ)を無断上演したため、外国著作権者から告訴され、松竹の責任者は、東京区裁判所の検事局で略式で罰金の言渡を受けたが、之に対し正式裁判を求めた結果昭和十一年の十二月二十八日に言渡された判決が所謂「問題の判決」なのであって、其の要旨を摘記すると、
一、我著作権法第二十八条ニ依レハ「外国人ノ著作権ニ付テハ条約ニ別段ノ規定アルモノヲ除クノ外本法ノ規定ヲ適用ス云々」トアリ而シテ……ベルヌ条約中ニハ著作権譲渡ノ効力乃至其ノ対抗力ニ関スル問題ニ付テハ何等別段ノ規定ト目スヘキモノヲ設クルコトナキカ故ニ著作権譲渡ノ効力乃其ノ対抗力ニ関スル問題ニ付テハ我著作権法ノ規定ヲ適用スヘキコト当然ニシテ…
二、我著作権法第十五条第一項ニ依レハ「著作権ノ相続譲渡質入ハ其ノ登録ヲ受クルニ非サレハ之ヲ以テ第三者ニ対抗スルコトヲ得ス」ト規定セリ
三、左レハ……告訴人ハ我国土ニ於テ著作権法並著作権法施行規則ニ則リ其ノ登録ヲ為ササルヘカラス……然ルニ右著作権譲受ノ登録ヲ為シタル事実ヲ認ムルニ足ル証拠ナシ然ラハ告訴人等ハ右譲受事実従テ右主張ノ如キ著作権被侵害当時ノ著作権者タリシ事実ヲ以テ被告人其他ノ第三者ニ対抗スルコトヲ得サルコト勿論
であるから、日本国で登録を受けていない告訴人等は、著作権法第四十四条に所謂被害者でなく、被害者でない者の為した告訴は無効だから、公訴を棄却(有罪無罪を決する前の玄関払い)すると云うのである。

六 ベルヌ条約の規定

 右の判決では、著作権の譲渡の効力や対抗力に関しては、ベルヌ条約に何等規定がないから、日本の著作権法の規定を適用すると判示しているが、ベルヌ条約の第四条の第一項では、条約加盟国に属する著作者は、其(1)未だ公にせざる著作物及び(2)同盟の一国に於いて初めて公にしたる著作物に関し、同盟国の国内法及びベルヌ条約による権利を享有する旨を規定し、其の第二項の冒頭には、「右権利ノ享有及行使ハ何等方式ノ履行ヲ要セス…」と明記してある。外国著作権は登録其の他の手続を践まなくとも、著作権法及び条約による保護を受けると云うのが、其の趣旨であって、斯る規定が設けられたのは事情不案内な外国で煩雑な形式的手続の履践を要求することの極めて困難である事情と、斯る手続履践のために手数を掛けたり、費用を支出させることにしては、著作権保護の実を挙げ得ないと云う事情を考慮したものである。
 外国著作権の行使を簡易且つ迅速ならしめるがためには、右の如く権利の享有及び行使に関し方式の履行を要求しないばかりでなく、民事及び刑事の訴訟に於ける立証方法に関しても、深甚な注意が払われ、条約の第十五条第一項には「本条約ニ依リ保護セラルル著作物ノ著作者カ反対ノ証拠アル迄真正ノ著作者ト看做サレ従テ同盟ノ諸国ノ裁判所ニ於テ偽作者ニ対シテ訴訟ノ提起ヲ許容セラルルカ為ニハ其ノ名カ通例ノ方法ニ依リ其ノ著作物ニ表示セラルルヲ以テ足ル」と規定されている。此の規定は原著作者を標準として立言されているけれども、前記の如き権利の推定を受ける者を原著作者のみに限定するの趣意ではなく、原著作者の権利を承継した者も同様に其の保護を受けるのである。唯原著作者が右のような権利の推定を受けるがためには、著作者の名が通常の方法により其の著作物に表示されているだけで足りるのであるが、承継的著作権者の場合には之れ以外に、相続したとか、譲受けたとかの事実を立証せねばならぬ(アルフレッドの著作権法註釈四五三頁、ゴールドバウムの著作権法及ベルヌ条約註釈三〇八頁参照)と云う点が異なるだけである。
 然るに右のような規定や、斯る規定の出来た理由などを毛頭考えず、条約中には何等別段の規定なしとして、前示の如き判決を下すことは、勇敢と云えば勇敢であろうが、寔に危険千万ではある。
 ベルヌ条約の第四条や第十五条では、著作者(Urheber)と云う言葉が使用されているが、此の言葉が原始的著作権者の意味で、相続人や譲受人のような承継的著作権者を包含しないものだとしても之は条約が規定の便宜上、著作権の移転の行われていない、最も通常な場合を標準として立言しただけのことであって、承継的著作権者が、原始的著作権者の一切の権利を承継(承継不可能な人格的権利は除外せねばなるまい)して、著作者としての保護を受けることに関しては、毫も異論の存しない所である。従ってベルヌ条約中の「著作者」に関する規定は特に之を原始的著作権者のみに限局する特段なる理由の存しない限り、原始的たると承継的たるとを問わず、一切の著作権者に適用さるべきこと勿論であって、著作権の譲受人が其の権利を行使する場合にも、ベルヌ条約の第四条第二項や第十五条の適用があるのである。

七 登録に関する大審院判例

 著作権者が偽作者(不法行為者)に対して、損害賠償を請求したり、偽作を差止めたり、告訴を提起したりする等、其の権利を対抗する場合には、登録しなくともよいと云うことは、古くからの大審院判例であって、昭和七年の七月九日にも同様な判例が出ている。
 土地や家屋の登記に就いても、数十年来同一趣旨の判例が繰返されて居り、学説の上でも何人も異論を挿む者はない。乙が甲から家屋を買受けて所有していた所、丙が其の家屋に放火したので、乙が丙に対し放火に因る損害賠償を請求した場合に、丙が乙に対し「お前は家を買ったと云うけれど登記をしていないから俺は損害賠償を支払わぬ」と主張することが許されない位のことは、判例とか法律とかを持出さなくとも、常識で判断の出来ることである。
 他人の著作権を侵害して損害賠償の請求を受けた場合に、侵害者が著作権者に対して、著作権の譲受に関し登録のなかったことを理由として、損害賠償金の支払を拒絶し得るものだと仮定すれば、果して如何なる結果になるであろう。原著者から賠償を請求すれば、「お前の権利は既に他人に譲渡したのであるから、其の譲受人からの請求があれば格別、お前に支払うべきでない」と支払を拒絶するに相違ない。譲受人が其の後になって登録をしても、登録以前に於ける損害は賠償せぬと云うことになり、結局登録のない場合には、権利侵害は御勝手次第になって、悪人に凱歌が挙がろう。
 然るに我が勇敢なる東京区裁判所判事は、右の如き大審院の判例と云うよりも一般取引上の常識を無視し、著作権につき登録がしてないから、侵害(偽作)につき告訴しても駄目だとの判決を言渡した。判事は裁判に関しては何人からも制肘されることなく、不羈独立の地位を有しているのだから、大審院の判例だからと云って、必ずしも之に盲従すべき義務はない。――実の所一般の判事諸公が「上級審で破られないように」と云うことを目安にせず、「事案の真相を究明して事案に妥当する裁判を」目標に努力することは大いに望ましい。そのためには大審院の判例に対しても再検討を加え、其の誤謬を正す位の意気込は是非あって欲しい。――だが然し、大いに自負せんとする者は、其の自負に相応しい努力をしなくてはならない。其の努力が伴わなかったら自負病患者に堕する。例の判事の勇敢さは何人も之を認めるであろうが、其の自負に相応しい努力の跡の見るべきものがなくて、寧ろ努力を為さざりし形跡の顕著なるものあるを筆者は遺憾に思う。

八 無軌道判決の影響

 右の判決が新聞紙上に大々的に報道され、「プラーゲ旋風終熄」が伝えられたため、外国著作権の侵害は激増した。和解話のほぼ纏っていた分も悉く掌を返すが如く、其の態度を一変した。然し自ら種を播いた者は自ら刈取らねばならぬ。右の判決に煽動されて行われた無軌道的侵害は、軌道ある法律の力で次から次へと征服された。今日になって見れば、無軌道判決を怨む者は、プラーゲ自身ではなくて、之に煽動されて著作権を侵害した人達であった。
         ×        ×        ×
 以上述べたような次第であるから、プラーゲ旋風は起るべくして起っており、然して之を起している者はプラーゲ自身ではなくて、寧ろ楽壇人であると云える。プラーゲは単身日本に乗込んで、孤軍奮闘を続けているが、其の武器は法律と条約であり、其の戦術は飽迄も合理合法である。然るに楽壇人の遣り口は何うであるか? 徹頭徹尾非合理非合法である。沢山の頭数を並べて騒ぎ立てるだけで、何等為す所もなく、プラーゲに順次征服されている為体は日本人の恥曝しだ。昨年プラーゲが一寸帰国したら、之を機会に再入国を禁止せんと策するが如き心術では、プラーゲに征服されて悲鳴を挙げる位が分相応であって、プラーゲ旋風は、筆者をして言わしむれば、国辱的旋風である。
 惟うに、プラーゲ旋風を捲起している者は、プラーゲではなく実は楽壇人自らであるのだから、此の旋風を解消させるには、先ず以て楽壇人が反省しなくてはならぬ。そして合理合法な対策を講ぜねばなるまい。日本人の魂を置き忘れたような連中が、外国音楽の糟粕を嘗めているのさえ、少なからず疳に触っているのに、犯罪を犯してまで糟粕が嘗めたいと云うに至っては、最早や我慢が出来かねる。幕末に勝海舟は、和蘭から買入れた咸臨丸を日本人のみの手で運転し、太平洋を横断して米国に渡っている。楽壇の人達にも此の位の心懸けは望ましく、洋楽をやるにしても、日本人の作曲で日本独特の発達を遂げしめるよう努力して貰いたいものだ。外国音楽の糟粕を嘗めていたのでは、日本人の生活は美化されもせねば豊富にもならぬ。日本人が紅毛碧眼に染色したら、醜悪以外の何者でもなかろう。然るに徒らにプラーゲ旋風を恐怖するのみで、毫も為す所を知らぬ現状は、腑甲斐なき限りであって、筆者がプラーゲ旋風を国辱的旋風だと云う理由も茲にある。





底本:「戦時下の人権擁護 ―弁護士山下博章の論争―」研文社
   2000(平成12)年6月20日初版発行
初出:「法律新聞 第四一四五、四一四六号」
   1937(昭和12)年7月3日、5日
入力:鈴木厚司
校正:クッキー缶
2013年6月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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