エレオノラ・デュウゼ

和辻哲郎




 ロシアの都へ行く旅人は、国境を通る時に旅行券と行李とを厳密に調べられる。作者ヘルマン・バアルも俳優の一行とともに、がらんとした大きな室で自分たちの順番の来るのを待っていた。
 霧、煙、ざわざわとした物音、荒々しい叫び声、息の詰まるような黄いろい塵埃。何とも言いようのない沈んだ心持ちが人々を襲って来る。女優の衣裳箱の調べが済むまでにはずいぶん永い時間が掛かった。バアルは美しい快活な少女を捕えてむだ話をしていたが、その娘は何の気なしにこういう話をした。「昨晩私のそばにいた貴婦人がひとり急に痙攣ひきつけちゃって、大騒ぎでしたの。そのかたも喜劇をりにペテルスブルグへいらっしゃるんですって。デュウゼとかって名前でしたよ。ご存じでいらっしゃいますか。」そういってその娘の指さす方を見ると、うなだれた暗い婦人が、毛皮にくるまって、自分の荷物のそばに立っている。初めてこの時ヘルマン・バアルはエレオノラ・デュウゼの蒼白い、弱々しげな、力なげな姿を見たのである。
 一週間の後にバアルは彼女を舞台の上に見た。いっしょに行ったのはヨゼフ・カインツとかわいらしい女優のロッテ・ウィットであった。この晩の印象はどうしても忘れる事ができないほど強烈である、三人とも夢中になって、熱病やみのように打ち震えた。カインツは馳け回って大声に歓呼しながら帽子を振り、ロッテはもう役者をめるといって苦しげに泣いた。劇場を出た時には三人とも歓びのあまり、酔いつぶれた人のように、気の狂った人のように、恥も外聞もなく、よろめいて歩いた。バアルはその夜徹夜して書きたいような心持ちになったが、筆をとってみると一語さえも書くことはできない。デュウゼについて初めて何か書けそうになったのはそれから四週間の後である。それまでは旅行から得る新しい刺激によって、わずかに頭の整理を続けていた。――これは一八九一年、バアルがロシアに遊んだ時の事だ。

 Luigi Rasi のデュウゼ伝によると、デュウゼの血は劇場の内に流れていた。彼女は「劇場の子」である。
 彼女の祖父はヴェネチアで評判の役者だった。そのころは幕がおりてから、役者が幕外へ明晩の芸題の披露に出る習慣であったが、祖父はこの披露をしたあとでしばしば自分の身の上話やおのろけや愚痴などを見物に聞かせた。見物はそれを喜んで聞くほどに彼を愛していたのだそうだ。この祖父を初めとして一族の内には役者になったものが二十六人あるという。彼女の父アレサンドロは役者としては大して成功しなかったが、絵画に対しては猛烈な愛情を持っていた。
 エレオノラの初舞台は一八六一二年、彼女が四歳の時であった。十四になった誕生日には初めてジュリアをつとめたが、そのころは見すぼらしい、弱々しげな、見ていて気の毒になるような小娘であった。人を引きつける力などは少しもない。暇さえあると古い彫刻と対坐していつまでもいつまでもじっとしている。
 一八七九年、ようやく二十を越したばかりのデュウゼは旅役者の仲間に加わってナポリへ行き、初めてテレエゼの役をつとめたが、二三日たつと彼女の名はすでに全イタリーに広まっていた。一か月の後にはツェザアレ・ロッシ一座の立て女優としてチュウリンへ乗り込む。この初陣に当たって偶然にも彼女はサラ・ベルナアルと落ち合ったのである。舞台監督はこの新しき女優を神のごときサラと相並べることの不利を思って一時彼女を陰に置こうとした。しかしデュウゼはきかない。なあに競争しよう、比較していただこう。私は恐れはしない、Ci Sono auch' io なあに私だって女優だ。――そこでサラのあてた「バグダッドの王女」をデュウゼも取った。世界の女優はここに競争を開始した。
 今宵チュウリンの街を貫ぬく叫び声は C'※(グレーブアクセント付きE小文字) auche lei……ベルナアルのほかになお一人あり。
 一年もたたぬ間にイタリーは小さいデュウゼに充ち充ちた。頭髪をかきむしり、指を噛み、よろめき泣く。彼らは彼女の芸術を見るばかりでなくその人をまねた。世間の人は毎日毎日彼女を夢に見てあくがれているように見えた。

 ヘルマン・バアルは露都で得た芸術の酔いごこちをフランクフルト新聞に披瀝して、神のごときデュウゼをドイツに迎えようと叫んだ。これが導火線となって翌九二年デュウゼは初めてウィーンへはいった。彼女が空虚なるカアル劇場に歩み入った時には一人として彼女を知る者はなかったが、その夜、全市の声は彼女の名を讃えてヴァイオリンのごとく打ち震い、全市の感覚は激動の後渦巻のごとく混乱した。
 やがて彼女はベルリンに現われたが冷静なるハルデン氏は自然に偏しておると言って頌讃の声を惜しんだ。ハウプトマン氏は衝動的の演技だと言った。パリの批評家にしてウィーンの青年文学者に愛慕せられたサルセエ氏もこの年初めて彼女を見て、芸術ではない恐ろしい自然の力だ、と言った。お世辞のよいサラ・ベルナアルでさえあのひとは天才ではないと批評した。イギリスにおける第一印象は、激烈なる感動にもかかわらず、大芸術をもって目せられなかった。九三年正月初めてニューヨークに現われた時には、ヒュネカアの語を藉れば She attracted a small band of admirable lunatics who saw her uncritically as a symbol rather than as an actress であった。
 ウィーン市民のデュウゼに対する狂熱は、かくして多くの批評家から怪しまれたのである。

 当時のデュウゼは強い情熱が芸の大部分であった。彼女は機械的に何の特長もない演技をもって芝居を初める。やがて時が迫って来て彼女の特有な心持ちにはいると、突如全身の情熱を一瞬に集めて恐ろしい破裂となり、熱し輝き煙りつつあるラヴァのごとくに観客の官能を焼きつくす。その感動の烈しさは劇場あって以来かつてない事である。この瞬間には彼女は自己というものを離れ去り、また外界の何物にもわずらわされずに、衝動がはたらくままの行動をする。この内部の力に対しては自分も非常な恐怖を抱いていながら、その魔力に抵抗することはできないのだ。これがデュウゼをして半狂のヒステリカルな女を得意とせしめたのである。
 デュウゼを見た多くの人はその芸を芸術としては見なかった。苦痛のために烈しく悩んでいる女が、感覚を失って悲鳴をあげているとしか見えない。恐ろしい現実そのものなのである。彼女は舞台の上で全然裸になっているのだ。
 ヘルマン・バアルは考え込んだ。デュウゼの芸は全く謎である。同じ椿姫をやってもベルナアルは終わりの二幕に成功する、デュウゼは初めの二幕で成功する。あらゆる芝居において彼女の成功する所は他の女優とはちがっている。ことに彼女の成功するのは文学的価値の最も少ない部分なのである。ベルナアルの椿姫、カインツのロミオ、ムネのハムレットなどは幾度見ても飽かない、見るたびごとに新鮮な感興が起こる。しかるにデュウゼのは四五度以上同じ物を見ると感興が薄らいでしまう。デュウゼの芸には解すべからざる秘密がある。
 バアルはこの秘密を技巧テクニックに帰した。デュウゼは方法を誤った技巧を有しているのだ。
 デュウゼは一般の女優の持っている技能を持っていない。他の女優と同じ方法をもって同じ事を現わす事ができないのだ。彼女の体には欠点がある。体の線、声の調子等が十分でない。頸、肩、腕なども尋常ではない。そこで彼女は在来のあらゆる演劇術を投げ捨てて、何事を現わすにも新しい方法を取った。
 元来芸術家という者はその人に独特の色があるとともに一般的な性質がなければならない。そして一般的な所は伝統に従って表現し、独特な所には新しい表現法を用いる。ところがデュウゼは一般的な所をも自分の新しい方法で表現した。それゆえに彼女は徹頭徹尾独特の芸を有するがごとくに見え、また他人の成功しない所で成功するのである。これが彼女の秘密だ。
 例をもって説明しよう。今諸君の前に一人の音楽の天才が現われたとする。彼は普通の人のごとくに歩み、語り、食い、眠る。この点においては彼は常人と区別がつかない。けれどもひとたび彼を楽器の前に据えれば彼はたちまち天才として諸君に迫って来る。しかし諸君の前に一人の黒人こくじんが現われたとする。一眼見れば直ちにその黒人である事がわかるだろう。デュウゼは黒人である。
 また足をもって名画をかくラファエロが現われたとする。足を手と同じように使う点においては彼は古今独歩である。しかしその名声を慕ってその門に入る人があればそれはばかだ。この足の天才はただ一人寂しい道を歩ませておけばよい。デュウゼは足で画くラファエロである。
 露都の一夜、なつかしきエレオノラのために狂舞したヘルマン・バアルはかくして世評に対する彼の論理的欲望を充たした。

 やがてデュウゼの一身には恐ろしい変化が来た。彼女はもはや情熱の城に立てこもろうとはしない。彼女は若い時の客気にまかせて情熱を使いすぎたのである。並みはずれた感激に対する熱情もようやく醒めて来た。ここにニイチェのいわゆる Die Trene gegen die Vorzeit が萌す。
 ついに彼女は偉大なる芸術の伝統に対する Heimweh を起こした。古来の芸術の手法を恋い初めた。かくて彼女は暗い恐ろしい時期に襲われたのである。悩乱、苦悶。香は失せ色は褪せてほとんど狂気になるばかりであった。彼女は己が踏む道の上にあって、十字架を負った人のように烈しくあえいだ。今にも倒れそうな危うい歩きようである。
 風聞が伝わった。「彼女病めり。」
 彼女はこの時より一層高いある者を慕い初めた。烈しい情熱の酔いごこちよりも、もっと高い芸術がほしい。ただ人を悩乱せしめるばかりでなく、大きい人生に包まれたる力というものの千種万様な現われを捕えて、形、釣り合い、あるいは美しい気分の平衡より来る喜悦、情熱を内心に押え貯うる時の幸福、そういうものを現わそう。もう破裂的な芸のみで満足する事はできない。かくて彼女は自らを彫刻し初めた。ゲエテがイタリー旅行によって得たような変化はデュウゼの身の上にも起こった。
 Form の神秘。彼女はそれを悟った。彼女は Stil を貫徹した。元来スチルというものは学校の先生が言うように古えの芸術家から学ぶべきものではない。人間の奥底にひそんでいるのだ。自分の胸から掘り出すべきものだ。デュウゼはそれを知っていた。自分の芸によって観客の感激――有頂天、大歓喜、大酩酊――の起こっている時、彼女は静かに、その情熱を自己の平生の性格の内に編みこむため、非常なる努力をしていた。この「貴い時」の神聖と喜悦と自由とを自己の第二の天性にしようとしていた。そしてついにその目的を達した。
 彼女はすでに機械的の演技と衝動的の発作から離れた。彼女は自己を支配する。自然を支配する。自己の霊魂を支配する。彼女はもう黒人でもなければ足をもって画くラファエロでもない。真の芸術家である。彼女がある役を勤める時には意志の力によって自己をその女に同化してしまう。彼女の感情はその女の感情と同一である。悲しむべき時には泣くまねをするというのではなく、真に感情が動き、真実なる表情となるのである。劇場的身ぶり、誇大したる表情は彼女に見いだすことはできない。彼女の顔には絶えまなく情熱が流れている、顔の外郭は静止しているけれども表情は刻々として変わって行く。しかもその刻々の表情が明瞭な完全な彫刻的表情なのである。言いかえれば彫刻の連続である。
 たとえば在来は、苦痛の時には激しい悲鳴をあげていた。しかし今は、内部に狂おしき苦痛がひそむ時にも外形は「痛ましさ」の像となって現われる。昔の荒々しい調子、鋭き叫び声は消え失せて柔らかい静けさに変わっている。白い額に起こる影、口のあたりの痙攣、美しい優しい柔らかい声の中の、静かに流れて行くような屈曲。まことに静寂な清浄な、月の光のような芸である。

 偉大なるエレオノラ・デュウゼ。
 かの皮肉なバアナアド・ショオをして心からの讃美と狂喜とをなさしめたエレオノラ・デュウゼ。
 僕はシモンズ氏によって今少しくこの慕わしい女優の芸術を讃美しようと思う。
 デュウゼは世界のあらゆる女優よりも複雑な底のある性格をもっている。そして世界のあらゆる女優よりも単純な演じ方をする。ゆえに彼女の芸は深い底から湧いて出るようで、胸の奥にある深い秘密の一部分しか現わしていないように思われる。従って泣いたり怒ったりした後にその顔に残っている幽鬱メランコリイな感じがたまらなくよい。
 デュウゼは意識した美辞レトリックによって見物を刺激するのではない。舞台に出た時には吾人はデュウゼを見ずしてジョコンダを見、アンナを見る。自分を全然見物に忘れさすのは彼女の第二の天性である。舞台の上ではその役の性格に恐ろしく忠実であってその人の通りに生きている。この点において彼女はいわゆる演技(Acting)と正反対の道を歩いているのだ。例としてアアヴィングを引こう。彼にとっては演技は Sharp, detached, yet always delicate movement である。独特な所もなければ新しい所もない。全力を集中した技巧に過ぎない。すべてレトリック、すべて外形的。彼の情熱は緩き音楽の調子によって動き、角々かどかどのきまりとなり、永く引き伸ばしたことばに終わる。この劇的雄弁術を演技だと考えていた吾人は、デュウゼが新しい考え方と演じ方とをもって出現するに及び革命に逢着した。デュウゼにとっては動作は終局でない。真の演技の邪魔となるに過ぎない。彼女にとっては最も大なる瞬間は最も深い静寂の時である。情熱を表現するにはこれを抑制した所を見せる。内心の擾乱をじっと抑えて最後に痛苦を現わす眼のひらめき、えくぼの震えとなる。ベルナアルのように動作と叫び声とで見物の官能を掻き乱し、Shudder を送るというような事はしない。この暗示的な、多くを切り離して重要な一部分を示すという演り方、古い形式と束縛とを脱して美しい新形式を征服した、内より外に向かうという演り方、これがアアサア・シモンズを喜ばせた重大な点である。これが彼の象徴主義と合致した点なのである。古い演劇は外形的模倣的、ただ平凡な意味における幻影イリュウジョンを目的とし、誇大によって勝利を得ていた。デュウゼは演劇を暗示と神秘と芸術的省略とに充ちた複雑な精神的な芸術となしたのだ。

 エレオノラ・デュウゼのことば。
――演劇を今日の堕落から救うには、劇場を皆こわしてしまい、役者を皆殺してしまうよりほかに仕方がありますまい。
――詩人には、惑心しない時でも、やはり従わなければなりませんのね。詩人なのですもの。何かそうものをご覧なすったのでしょう。Vision である以上は従わなくちゃなりません。
――昔の人で逢ってみたいと思うのは沙翁シェクスピアとヴェラスケスです。
――私イブセンは大嫌い。私の望みは美と生の焔です。メエテルリンクは好きですけれど、少しぼんやりしているようですね。
――私の試みは失敗でした。何を言ってもサルドゥやピネロを演らなければならないのですもの。いつか若い美しい火のような焔のような女が来て私の夢みていたことをやってくれるでしょう。私はもう疲れました。
――私が舞台へ上らないで暮らせるかですって。そんな事を聞くものじゃありません。私は三年間芝居をしないでいた事がありました。芝居をするのはほかの事がしたいからです。思うようになるなら私は船の中に住んでいて人間の世界に近寄りたくないと思います。

 デュウゼは薔薇の花を造りながら、田舎の別荘で肺病を養っている。僕はどうかして一度逢ってみたいと思う。でなくとも舞台の上の絶妙な演技を味わってみたいと思う。
 シモンズの書いた所によると、デュウゼは自分の好きな人と話をする時には、椅子から立ち上がって、その人のそば近くに腰を掛け、ほとんど顔が相触るるまで接近して、眼は広く見開く。大きな鳶色の瞳を囲んでいる白い所がすっかりと見えるほどだ。時々身ぶりをするけれども決して相手に触れたり、腕に手を置いたりなどはしない。深刻な眼は相手の人の額の後ろに隠れている思想を見徹しているようだ。肉体と肉体とがいかに接近してもそれは彼女には気にならないので、ただ魂と魂との接近のみ感じるのである。官能は眠っている。彼女は常に「女」であるけれども、それは抽象的である。
 彼女は芸術と美とを熱烈に愛している。音楽を聞く時には魂の滋養物を吸っているような態度である。花の匂いをかいだり、書物や画を見たりなどする時には、我れを忘れて非常な勢いで近寄って来る。彼女が美しい物の話をする時には内面的に顔が輝いて来る。暗い蒼白い額はセンシチヴな皺をつくる。ほとんど色のない小さい薄い唇は半ば優しく半ば皮肉に、自分があまり喜悦に心を奪われているのを笑うような表情をする。そして微かに震える。やがて自由に華やかに、にっと笑って、白い歯がきらきらと光る。話を初めると美しいことばが美しい動作に伴なわれて、急調に、次から次へと飛び出して来る。
 舞台にのぼる三時間は彼女の生活の幕間なのである。彼女は生活の全力を集めて舞台に尽くしているのではない。意味のあるのは舞台外の生活だ。……美しい手確乎しっかと椅子の腕を握り、じっとして思索に耽っている時のまじめな眠りを催すような静寂。体は横の方へ垂れ、頭は他方の手でささえて、眼は鈍い焔のように見える。「全身が考えている。」Whole Body thinks. そして思索のために物悲しい影の浮かんでいるその顔は、人の世のあらゆる情熱が彼女の血と肉とによって幾度となく通り過ぎた戦場なのである。
 ああ、エレオノラ・デュウゼ。





底本:「偶像再興・面とペルソナ 和辻哲郎感想集」講談社文芸文庫、講談社
   2007(平成19)年4月10日第1刷発行
初出:「スバル」
   1911(明治44)年1月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2011年5月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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