小ざかな干物の味

北大路魯山人




 干ものの美味いのに当ったよろこびは格別である。ことに中干しとか、生乾しとか言った類いの最上物に当るうれしさは、筆に尽しがたい。東京近くで言うと、熱海の干ものがなかなか評判だ。もともと熱海の漁場に揚がるあじ・いか・かれい・あまだいなど、さかなの種類も相当のものだが、干上がりの条件として、もってこいの浜風と気温に恵まれている点が、味をよくする最大原因となっているらしい。干ものの完成、これには気温と浜風の和合がなにより肝心だ。
 干ものは朝食に適するところから、熱海では朝食の膳の一部に必ずと言ってよいほど干ものを添えて、自慢することを忘れていない。
 ところが近頃では、浴客の数に反比例して漁獲量が不足し、ときには場違いの魚類が加わるのみか、雨天などには、乾燥機がどんどん仕上げるものもあるらしいから、評判通りのものが、いつでも手に入るとはかぎらない。あじ・かれい・うるめ・きす・あまだい、いずれも本格の干し加減で食わしてくれるとすばらしく美味い。だが、中干し干ものというものは、今日美味かったからと言って、それを翌日に残し、前日のよろこびを繰り返そうと思っても、先通りの美味さが得られるとはかぎらない。まあ、その場きりの美味さと覚えておけば、まちがうことはない。
 あまだいの干もの、これは乾し切ったものが特殊な味を持ち、素敵な美味さを発揮している。興津の浜でも乾しているが、これも最高の干ものとしての権威を充分に持っている。あまだいを上方ではぐちと言って、若狭小浜産を第一と称賛しているが、ぐちとやなぎがれいだけは、むしろ興津地方が優っている。
 ただ興津のあまだいは若狭ものに較べて、ウロコが食えない恨みがある。ウロコごと焼いて食べるあまだいは、また格別の風味を持つものであるが、興津にはそれが期待できない。
 うるめとかかますの干もの、これは京阪に出回っているものに、特筆すべき美味さがある。焼けば激しい油がにじみ出て、その舌に残る後口に、たまらないものがある。やなぎがれい、これは静岡以東が本場らしく、目板がれい、すなわち上方でいう松葉がれいは、だんぜん若狭ものを逸品とする。これは干もの中でも、とりわけ美味いものである。京阪方面では、人等しくその美味さを知っているが、ただ価格が他の干ものに較べて高価である。従って、そうざいにはならないが、酒の肴にはこの上なしと言えるだろう。
 しかし、この干もの、松葉がれいは難を言えば美味すぎることである。およそなんでも美味すぎるということは、特等品にはならない。美味すぎるために、特等を下って一等品となる。総じて美味すぎるものは、最高級美食とは言いがたい。その点では、関東方面にあるやなぎがれいなど、実に特等品の座を占めるだろう。と言っても、松葉がれいは、その漁獲がやなぎがれいのごとくおびただしくないから、その美味さと漁獲の少なさから、いやおうなしに、松葉がれいが特等の王座を占めるといったふうな干ものである。
 伊豆諸島出来のクサヤの干もの、これは上方の食通には、嗅覚が堪えられないと敬遠されるものであるが、美味さにおいて干もの中の白眉であると言えよう。この干もの、近頃は昔のような製造法をもって生産されず、通人を淋しがらせている。
 富山方面の氷見ひみいわしの丸干しなども、いわしとしては優れた美味さを持つものであるが、所詮いわしの味としての美味さにすぎない。ところがクサヤの干ものとなると、あじにしてあじの味にあらざるまでアクの抜けているところに、妙味が存し、独特の立場を堅持していると言えよう。
 上方で一流のきすの醤油干し、若狭の松葉がれい、興津、熱海のあまだい、静岡のやなぎがれいなどが、なんと言っても干もの中での高級に属し、他はやや下手ものに属するものであるかも知れない。
 ふぐの干もの、これなども美味そうなものであるが、ただの一度も私の舌をよろこばしてくれたことがない。最後に忘れてならないものに、関西のうるめ、関東のあまだいの干ものがある。過ぎし日の体験を想い起こして、食指の動くことしきりである。
 さけの丸干しは一見燻製に似たものであるが、風味に至っては、だんぜんたる相違がある。越後の人は地川と呼んでいる。土地の人の地川の自慢ときては大変なものであるが、無理もないと得心の行くもの。しかし、燻製に較べて、風味の程度が格段に相違するものであることを、しかと認識することは、よほどの食通でないかぎり区別がつきかねるかも知れない。焼いて食うべきものではない。
(昭和十三年)





底本:「魯山人味道」中公文庫、中央公論社
   1980(昭和55)年4月10日初版発行
   1995(平成7)年6月18日改版発行
   2008(平成20)年5月15日改版14刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年8月20日作成
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