その経験でいうと、良寛様とて未熟時代があって、若かりし頃の書(屏風に書かれている書の時代まで)は、別段のこともないが、後年六十歳頃にもなられてからは、俄然妙境に入り、殊に
道風の「
学者として、宗門の人として、また人格者として稀に見る美的偉人である。それら総てが内容となって、晩年の書はまさしく天下一品、美の化身といえよう。美しく気高き内容を持つ作品、それは主として人格の所産であって、人品骨柄の顕現である。
しかも、良寛という人、単に技能面からいっても、過去何者に対比してみても、類例なしと叫びたいまでにうまいのである。うまいものはうまい、ただのうまさではないのである。至妙といってよいか、デリケートと
書道観の労苦をつぶさになめていない者は、ともすると軽率な批判を下し、甚だしきは価値なきもののように語る者もないではないが、それらは冷笑して可なるものである。ひとり書に限らず、知らざればこそなに恐れずに軽率にするものである。いわゆる
それはさておき、晩年における良寛様の書の芸術価値は実に大したものである。外観的に俗僧の書に見るようなスケールが大きいものはないが、豊かな点では徳川期のナンバーワンである。ことに感服することは、筆を取って一切の計画がない。筆を走らして丁と出るか、半と出るか、成行である。ここが達人芸なのである。
由来、最高と称う芸術は、絵であっても、書であっても、いと事もなげに無造作にできているものである。無法の法を悟っているからであろう。美的達人にして、はじめてできることである。
次に良寛様の絵となると、世間では全く識るところがないが、自画像その他、チョコチョコ存在するが、いずれを見ても絵画として敬服に堪えないものばかりであって、その詩、その歌とともに感激させられる。書ばかりが優れているのではない。なにもかもである。こうなってはじめて万法帰一が
もし日本の新三筆を選定せよと依頼されるなら、漫然たる仮定ながら、一休・秀吉・良寛の三人を私は見立てるであろう。書道観にいささかの誤りがなく、立派な理解の上に、正しい
(昭和二十七年)