エリザベスとエセックス

ELIZABETH AND ESSEX

リットン・ストレチー Lytton Strachey

片岡鉄兵訳




第一章


 イギリスにおける宗教改革は、単に宗教上だけの事件ではない。それは社会的な事件でもあった。中世紀精神のカビが払い落とされると同時に、それにむすびついた革命が、同様の完成度と同様の深達度をもって、俗世の生活にも、権力の座の組織のなかにも起こった。幾世代かにわたってこの世を支配した騎士と僧門は没落し去り、彼らの位置は新しい人間階級に移った。武士でもなく、聖職でもないその階級の、実力もあり活力もある手のうちに、政治の手綱は、そのおいしい利益とともに落ちていったのである。ヘンリー八世の政略の産物であるところの、この驚くべき新興貴族階級は、ついには自分を創ってくれた権力を逆に征服してしまった。王座の人物は影のごとく薄れ、一方で、ラッセル家、カベンディッシュ家、セシル家等々が最高の強固性をもってイギリスを支配し始めた。何世代もの間、これらの貴族がすなわちイングランドであって、彼らを除いてはイングランドの幻想さえ浮んでこないこと、現代においてなお然りである。
 これらの変化は急速にやってきた――それはエリザベス女王の時代に完成された。一五六九年における北方大名伯爵の反逆は、旧勢力がその運命を避けようための最後の大きな足掻あがきだった。それが失敗に終わった結果、ノウフォークのみじめな公爵――スコットランドの女王マリーとの結婚を夢見たあの貧弱なホワアドは、首を断たれた。とはいえ、古き昔よりの封建精神が、まったく跡を絶ったわけではない。もう一度、エリザベスの世が終わるまでに、それは燃え上がった。ただ一人の人物、――ロバアト・デヴルウ、すなわちエセックスの伯爵という一個の人物を化身として燃え上がった。――古代の武士道と、過去のはなばなしい紳士道とにさまざま彩られながら照り輝いたにもかかわらず、なんの実質的な根拠ももたなかった悲しさは逞しく燃え上がり、風に揺らめいた、と思うまに、また突然に消え失せてしまった。あのようにも紛糾した経緯と、絶望的な混乱を経て、ついに恐ろしい結末を告げたエセックス伯の歴史のなかにこそ、われわれは逆運と闘う一個の人間の悲劇的な面貌を見、かつ没落世界のあの世からの呻きをさながら聞き分ける思いをするであろう。
 父の代にはじめてエリザベスによって、エセックス伯爵の称号を設定された彼の家は、中世イングランドのあらゆる名族の血脈を引いている。ハンチンドンの伯爵、ドウセットの侯爵、ロオド・ヘラアズ――ボウアン家、リバア家等々、エセックスの[#「エセックスの」は底本では「エックスの」]家系の根原には、それらの名門が群をなしている。先祖のなかの一人、ボウアンのエリイナはヘンリー四世の妃マリーの妹だった。もう一人、アン・ウッドヴィルは、エドワード四世の妻エリザベスの妹である。ウッドストックのトウマス、すなわちグロウスター公を通してさらに遡れば、エセックス家はエドワード三世の子孫にもあたる。父初代エセックスは、夢想家であり――道徳的で、しかも不幸な人だった。十字軍精神をもってアイルランド鎮圧に向かったが、宮廷内の陰謀と、女王の経済と、そして、アイルランド農兵の蛮勇が彼にはあまりに苛烈だったわけで、なんの成果をあげることもできず、結局、失意の人として絶望のうちに死んだ。
 息子のロバアトは一五六七年に生まれた。七歳のときに父が死に、この少年は、イングランドにおけるもっとも有名にしてもっとも貧しい伯爵を継いだのであった。が、それは総べてではない。彼の運命を形づくった複雑な影響は、すでにその生誕に見ることができる。父が古い貴族の代表であったごとく、母は新しい時代の代表者であった。彼女、レッテイス・ノリイの祖母は、アン・ブウリンの姉妹であり、したがってエリザベス女王は、エセックスにとって再従姉妹のなかのもっとも近い人となるわけである。さらに、もう一つ重大な関係が生じたというわけは、初代伯爵の死の二年後に、レスターの伯爵なるロバアト・ダッドレイに母のレッテイスが再婚したことであった。この再婚を知ったときの女王さまの怒りや、世のとかくの陰口は、やがては忘れられる一つの雲行きにすぎなかったが、エセックスが女王の輝かしき寵臣レスター伯の継子になったという事実だけは、あとあとまで残ったのである。レスター伯は、エリザベスの即位と同時に、彼女の宮廷を牛耳っていた人であった。これ以上エセックスの出世にとって、有利な通路が望まれるであろうか。すべての要素は備わった――身分高き生まれ、偉大な伝統、宮廷内の勢力、そして貧乏さえも――すべては立身出世につごうのいい条件ばかりであった。
 若い伯爵は、バアリイ後見のもとに育てられた。十歳のときにケンブリッジの、トリニテイ・カレッジに遊学し、そこで一五八一年十四歳のとき、マスタア・オブ・アーツの学位を与えられた。青春期は田園で送り、遠い西方の荘園をあちらこちら移り住んだものだった――ペンブルックシャーのランフェイや、またはそれよりも、スタホウドシャーのチャアトレイなどである。チャアトレイには昔からの家があった。彫刻された材木といい、鋸壁のある塔といい、デヴルウ家とヘラー家の紋章や図案が賑やかに飾られた窓といい、いかにもロマンチックなその家は、アカシカ、マダラシカ、アナグマ、イノシシやらを思いのままに狩り出すことのできる広漠たる狩猟場の真ん中に建っていた。青年は、狩猟を楽しみ、男らしいあらゆるスポーツを嗜んだ。ラテン語も正しく書くし、英語も美しく綴ることができた。もし貴族の気質にそんなにも生まれついていなかったならきっと学者になっていたであろう。貴族と学者との二重の気性は、成長するに従って彼のからだつきや容貌に反映するように見えた。血は彼の血管中に溌剌たる生命をなして流れた。非常な元気で走ったり、槍を振ったりするかと思うと、突如として健康の消え衰えた者のように、青白い身は部屋のなかに幾時間も横たわって、あやしくも憂鬱な顔で、ヴァージルの詩集に読み耽るという調子であった。
 十七歳のとき、そのころオランダ遠征軍を率いていた継父レスターがエセックスを騎兵隊指揮官に任命した。この地位は、外見のはなばなしさに比べると責任の軽いものであったが、エセックスはその職能を完全に演じた。戦線の後方で催物として行われた擬戦では、記録家によると、「武技における貴族にふさわしい熟練は、あらゆる人に多大の希望を持たせた」のだったが――その希望は連日の戦争において裏切られなかったわけである。ズッフェンの物狂おしい攻撃で、彼ももっとも勇敢な一人であって、その戦いのあとで彼はレスターから騎士の称号をもらった。
 フィリップ・シドニイよりも、もっとしあわせなことに、――しあわせに見えたといったほうがいいかもしれぬが――エセックスは、無疵でイングランドに帰還した。そのときから彼は、宮廷への精勤人となった。女王は、彼の幼年時代も知っていて、たいへんなお気に入りかたであった。継父はだんだん老い込んできている。ここの宮殿では、白髪頭と赫顔とが好ましからぬハンディキャップであった。だから、この年老った廷臣にとっては、寵遇を蒙る若者と親子関係にあることが、彼自身の位置の擁護になったと察しられる。とくに、当時日の出の勢いであったウォタア・ラレイとの勢力関係の均衡上に役立ったにちがいない。――このきれいな魅力ある青年が、あけすけな態度と子どもっぽい心意気と、詠嘆的な言葉や目つきをもって、そして、その背高い姿も、きゃしゃな両手も、あるいは、そんなにもうやうやしくお辞儀する頭の赤毛も、すべてなにもかも、エリザベス女王をうっとりさせたということである。女王と若い伯爵とは、いつもいっしょにいた。彼女は五十三歳だった。そして彼はまだやっと二十歳にもならなかった。年齢と年齢との恐ろしい連結であった。しかも、さしあたっては――一五八七年三月のことであるが――すべては平和に滑らかに進行している。ロンドンをめぐる公園や森のなかの、長い散歩や乗馬が続いた。そして夜は、もっと長い対話と笑いと、それから音楽が始まり、最後に、白宮殿ホワイトホールの部屋部屋に人影もなくなると、やっと二人だけになり、差向いのカルタ遊びが始まる。――当時の京童に聞こう。「若さまは、毎朝、鳥が啼きださなければ、お邸にお帰りになりません」まずこのような状態で一五八七年の五月、六月はすぎていった。青年は昂奮して夜明けの家路を辿り、女王は微笑む闇のなか……二つの意識は、一歩一歩緊張の度を加えながら接触の白熱点に近づき、やがて避くべからざるクライマックスを導きださずにはおかない。漸次昇音クレセンドオをたたく指は、かならずその頂音に届かなければならぬ。そして、そのときはじめて、主題の、待ちに待たれた解決は明白になるのである。

第二章


 エリザベスの時代(一五五八―一六〇三年)は二つの部分に分かたれる。スペインの無敵艦隊アルマダを打ち破るまでの三十年間、そしてその後の十五年間、この二つである。最初の時期は一種の準備期であって、イングランドを確固たる国家となし、大陸から独立した存在として、国内の全精力を思いのままの方向に国政のために傾けうるというすばらしい仕事が完成されたのは、その準備の後のことであった。時代は、治国のことの他の、あらゆるものを顧みる暇がなかったほど困難を極めていた。一代を通じて、バアリイの広汎にわたる配慮がイングランドを支配する最高の勢力であった。バアリイ以下の重臣はみんな歴史のうえでぼんやり影の薄い人物になってしまっている。ウォルシンガムは、地下に影を消しているし、レスターも、そのはなばなしさにかかわらず、人物がわれわれに見えてこない。大法官ハットンはダンスをした、ということのほかにわれわれは彼についてはなにも知らない。ところで、万華鏡が突然変わったのである。古い演技や、古い俳優たちはスペイン無敵艦隊の撃滅とともに、舞台の背後に追いやられた。バアリイ一人が残った――ただし古い過去の記念碑としてである。レスターとウォルシンガムの位置には、エセックスとラレイとが替わった。若い大胆な、はなばなしくまたきらびやかな人物であるこの二人が、政治の舞台の立て役者となったのである。国家精力の他のあらゆる分野においても同様であった。萌え出る前の冬を蔽う雪はすでに解けてエリザベス朝的文化の眩しい春が、生活のなかへ噴き出てきたのだった。この時代については――マアロオとスペンサーの時代であり、初期シェクスピアと批評家フランシス・ベエコンの時代であって、いまさら私が描き出すまでもなく、その外観ならびに内心の文学的表現については、あらゆる人が知っている。そういう物を描き出して見るよりも、三世紀も昔のあの人たちの心持を、想像的にでも現代人の心に理解させてくれるような方法はなにかないものだろうか。が、通路は塞がれているらしい。どのような術をもってわれわれはあれらのふしぎな精神へじりじりと入り込むことができるだろう。はっきり見つめるほど、あの奇妙な世界はいよいよ遠ざかっていく。ほんのすこしの例外――おそらくはただ一つ、シェクスピアという例外――を除けば、あの世界に生きていたあらゆる人物が、幾度出あってみてもわれわれには親しめないのである。なるほどわれわれは、彼らの外観を視覚に浮かべる。その意味では彼らを知っているのにちがいないが、それでは彼らを理解したとはいえないのである。
 たとえば、ジョン・ダンのなかに、知的な手くだと理論的な幼稚性とがたがいに絡み合っているのは、どのような意地悪な魔術によるものだろう。フランシス・ベエコンの性格を説明しえたものがあるだろうか。清教徒が剣劇役者の兄弟であることを、どんな方法で理解させられるだろう。その経糸たていとに十六世紀ロンドンの汚物、野蛮性を習性として持ち、その緯糸よこいとに「タンバアレン」の光彩や「ヴィナスとアドニス」の技巧に熱狂的な愛着を持つ、そういう頭脳の織物というものは、いったいどんな種類のものだったであろう。居酒屋の美少年がリュウトに奏でる聖なる舞曲にいま恍惚としているかと思うと、またたちまち荒イヌどもが一匹のクマをずたずたに引き裂く見せ物に心を奪われるというような鉄の神経の持主を、誰が描き出しうるだろう。鉄の神経である、たぶん。しかも、ズボンの縫付袋コッドビイズですばらしい蕃殖力を示す当時の洒落物しゃれものは、同時に波打つ髪に耳飾りの宝石を飾った柔弱人士ではなかったか。そしていろいろの空想や美技を愛する奇妙な社交界は――いかにすみやかに相貌を変じて手当りしだいの犠牲に悪口存分の残虐を加えたであろう! 運命の変化はスパイの一言にある。そしてその一言を聞いた同じ耳が、首手かせのなかで群集の笑い物にさらされながら、ぎ落とされるのであった。
 それは、怪奇バロックの時代だった。おそらくは、エリザベス朝の人々の神秘の原因をもっともよく説明するものは、彼らの構造と装飾との矛盾ということであろう。彼らの装飾のおびただしさから、彼らの内部生命の陰険で巧緻な組織を計量することはじつにむずかしい。たしかにそうしたものの実例の一つに、王冠をかぶった一人がここにいる。――たしかにこれ以上複雑怪奇な姿は、かつてこの地上に足跡を印したこともない、――すなわち、エリザベス女王その人である。彼女のうわべの姿からその内奥の相にいたるまで、あらゆる部分は真実と見せかけのまどわしに充ちた不調和で滲透されている。着ている衣裳の二重三重ものややこしさ――巨大なフウプ(鯨骨で腰周りを提灯のようにふくらませた、あれ)、堅い襟襞、ふくらんだ袖、ちりばめた真珠、ひらひらとした上に金色を染めたガアゼ――そういう衣裳の下に女の形は消え失せて、人はそのかわりに一つの幻像を見る――壮大で、ものものしく、そして自己創造的な幻像を――後代の人はこのような幻像のまやかしに惑乱させられた。そうして想像に描くまま偉大なる女王、シシの心を持つ女傑、スペインの傲慢をたたきつけ、ローマの暴逆を押しひしぐになんのためらいも示さなかった女王などといったって、着物を着せたエリザベスが裸体の女王に似ないごとく、けっして真相には迫らないのである。しかし、結局後代の人は次のような特権を持つであろう。すなわち、もうすこし近づいて観察できるという特権である。着物の下を見るならば、われわれはけっして女人を見誤ることはないであろう。
 シシの魂、すばらしい身ぶり――そのような英雄らしさは、もちろんあった――しかし、彼女の性格の一般図式が持つ真の意義は、目の届かないところに、しかも、混乱してある。鋭い、敵意あるスペイン大使たちの目は別なものを見ている。彼らの意見によればエリザベスの顕著な特質は、臆病だというのである。その見かたは間違っているが、これらスペイン大使は、女王の内心にある諸力と交渉を持つにいたり、偶然にも、その諸力に、死命を制せられた。そして、女王のその勝利はヒロイズムの結果ではない。じつはその正反対なのである。エリザベスの一生を通じての大政策は、人間に考えられる範囲で最大の非英雄主義であり、彼女の真の歴史は政治術のメロドラマ作者にとって永久の研究題目として残っている。現実に、彼女の成功は、英雄ならばけっして持ってはならぬすべての性質――言い抜け上手、瓢箪鯰ひょうたんなまず、不決断、狐疑、吝嗇などのおかげなのである。
 実際、アンジュウ公と恋愛関係があるかのように十二年間も世間に信じ込ませたり、無敵艦隊を打ち破った兵隊の糧食に節減を命じたりするには、シシのように強い心臓が要ったはずである。がそういう種類のことにかけては、真実どんなにでもやりとおすことのできる彼女だった。物凄い緊張をもって勢力を張り合っている暴力的な気ちがいどもの世界、――フランスとスペインの国家的対立、ローマとカルバンの宗教的対立などの間にあって、彼女はただ一人の健全な精神の持主だった。長い間、今年こそ彼女は、それらのなかの何者かに粉砕されざるをえないだろうとあやぶまれながら、しかも最後まで生き延びた、というのは、偶然にも彼女の理知のずるさがちょうど環境の複雑さに適合したのだった。フランスとスペイン間の力の平衡、フランスとスコットランドとにおける党派争いの均衡、どっちつかずのオランダの運命、それらが、今日の目ではとうてい解き難いひねくれた彼女の外交に、働く余地を与えたのだった。バアリイは彼女の選り抜きの助力者で、彼女の御意にかなう用心深い御用掛でもあったが、そのバアリイさえ、女主人の本心がどこにあるかの謎を解く望みを放棄したことも、一度や二度ではなかった。――それは男性的と女性的、活発としぶとさ、堅忍不抜と優柔不断などの混合物であって――問題がなんであろうと、はっきりした決定を与えることは、彼女の奥深い本能にとってはほとんど不可能なことだった。あるいは、たとえ決断を与えても、すぐ次の瞬間には、力いっぱいそのいったん決めた決心に反逆しているのだ。そしてなおそのあとで、決心の反逆にさらにいっそうの馬鹿力をもって反逆するというわけでとどまるところを知らなかった。
 不決断の海の上に、静かなるときは漂い、風起こるときは、熱狂的にあちらへこちらへと帆を操る。そうでなかったなら――あの一定の方針を固持する能力が彼女にあったら――彼女は没落していたであろう。彼女を包囲する諸勢力のなかに、解き難くもつれ込まれ、たちまち破滅するのが、おそらく必然だったろう。ただ女のみがそんなにも厚かましく物事にぐずつくことができるのであり、ただ女のみがそんなにも無遠慮な惜し気のなさで、誠実はもとよりのこと、威厳や名誉や当りまえの気品の最後の一片さえうっちゃってまで、現実に何事か決断しなければならぬといういやな必要から身を回避するのである。だが、それがどんなふうに彼女に価値があったかは――これこそ彼女の経歴の最後の謎であるが、――それらの性質が、向かってくる攻撃に対して、度し難い頑固さでくるりと背中を向けるだけの力を、彼女に与えたという点にあるのだった。
 当時の信心深い人々は、こうした彼女のやりかたを悲しみ、後代の帝国主義的歴史家たちも、いつも、かかる彼女について痛憤の手を絞るのである。なぜ彼女は大胆に、明快に、ヨーロッパ新教徒の盟主として一歩を進めて、オランダの王位を取らなかったのか、なぜまた、旧教徒を打ち破ってスペイン帝国をわがイングランドの統治の下におくための善き戦いを闘わなかったのであろうか? 答えて曰わく、そんなものは一つも彼女は欲しくなかったのである。新教徒の盟主だったのは、偶然そんな生まれ合せだったというにすぎない。その心情において彼女は深刻に俗人であった。そして宗教改革ではなく、他のもう一つのさらに偉大なるもの――文芸復興の選手であることが彼女の運命であった。彼女がそのふしぎな行動をなし遂げたとき、イングランドには文明というものがあった。すなわち、彼女は時の運に恵まれつつ、ああいう行動がとれたのである。そして、時こそ、彼女の目的にとって総べてであった。一つの決断は、戦争を意味する――戦争は彼女の心のなかにあるいっさいに対して反対物である。その気質においてのみならず、その実践においても、歴史上のどんな偉大な政治家とも違って、彼女は平和好きだった。理由は戦争の残酷性に心が乱されるというのではない。――彼女はセンチメンタルからは絶対に遠い。あらゆる理由で彼女は感傷を憎む――戦争がいやなのは、お金がたくさん要るからであった。けちん坊なのは、物質的と同様に精神的にもそうだった。そして、彼女が手に収めた収穫は、あの大いなる「時代」である。正当に彼女の名を冠せられた時代、エリザベス朝時代である。なぜなら、彼女という耕地なくしては、あの特殊な文明世界はけっして成熟しなかったであろうし、きっと大英国主義者や理論家の闘争に踏み荒らされたでもあろうから。彼女は三十年間平和を保ち続けた――ともかく彼女は平和を維持した。で、それでエリザベスには満足だったのである。
 決断の日を、明日へ、さらに明日へ、と引き延ばしてゆく――それが彼女のただ一つの目的であるように見える。だが、この点でも外見は人の目をあざむくものであること、彼女の敵が痛い目とともに思い知ったとおりである。振り子が右や左に揺れた幾年かの後、延引がゴマ塩頭に年取ったとき、待ち遠しさが鞘のなかに萎み込んだとき、そうした終局に……何事か恐ろしいことが起こった。「神さまもおとぎ話に出るお化け」としか目に映らない狡猾な、レシントンのメートランドは、軽蔑の口調で、イングランドの女王は恒の心なく、決断力のない臆病者だといい、そして彼は、ゲームの勝負が終わらぬまえに「競争犬のように彼女をそのしっぽの上に坐らせ、キャンキャン鳴かせて見せよう」と宣言した。何年もたった後に、突然エジンバラのお城の石垣は、エリザベスの指の動くままに砂のように崩れ落ちた。そしてメートランドはこのどうにもならぬ破滅から逃げ出して、ローマで死ななければならなかった。マリー・スチュアートは、エリザベスを敵として、フランス流の毒々しい侮蔑を浴びせたが、十八年の後に、ホザーリンゲイの城のなかで、マリー自身の失敗を認めなければならなかった。同じ戒めを学ぶために、スペイン王フィリップは三十年を費やした。というのは、それほど長い間彼はその義妹の処分を延ばしたあとで、ようやく彼女を処刑しようと宣言した。それによって彼の無敵艦隊がイギリス海峡に進航したというのに、まだ、世界平和のための交渉を続けようという愚痴な女を、微笑みながら見守ったものであった。いうまでもなく、不吉な影が、彼女にも漂っていた。しかし、それは一片の影であって、――人をして彼女の血管のなかにもイタリア人の血が流れていることを思い出させるに充分だという程度の影だ――しかしその血こそ、陰険で残酷なヴィスコンチの血だったのである。全体としては彼女はイギリス人であった。限りなく陰険ではあったが、彼女はけっして残酷ではなかった。その時代としては、人情的でさえあった。
 そして彼女の野蛮性がときどき爆発するのは、恐怖か激情かの結果だった。外見だけはそう見えても、内実は彼女の危険極まりない敵――スペイン離宮に巣を張るクモとは正反対な人間だった。二人とも、言抜けの大将であり、延引の愛好者であったけれど、フィリップ王の鉛色の足は瀕死の生き物の兆候を示すに反し、一方エリザベスは、その反対の条理に歩調を合わせた――恐るべき老鶏は全英国民を羽育はぐくみながらじっと腰を据えている。その羽根の下で全国民の成長力は急速に、成熟と統一を遂げつつあったのである。けれども羽毛は一つ一つ逆毛立っていた。彼女はすばらしく元気なのだった。彼女のあり余る生命力は、驚異に値すると同時に、歓喜にも充ちたものだった。スペインの大使が、彼女に十の悪魔が取りついていると口外する一方で、普通のイギリス人は、このハル王の血をいっぱい受け継いだ娘に、王の心情をそのまま受け継いだ女王を見たのであった。彼女は呪った。彼女は唾を吐いた。彼女は怒りにまかせて拳でなぐった。彼女は面白がるときには大声で笑った。ユーモアの輝かしい雰囲気が、彼女の運命の荒々しい線を、色づけ柔らげ、その恐ろし気な一生のジグザグの道から、彼女をやんわりと浮かび上がらせている。目前の不条理に対して、いろいろの大事件の紛乱や恐怖に対して、彼女の心は溌剌と、放縦に、そうする自分の姿をちゃんと意識しながら跳びかかってゆく。
「変化極まりなきゆえに、自然は美しい」というのが、彼女のお気に入りの格言の一つであった。
 彼女自身の行状の変化も、自然の変化に劣るものではなかった。遠慮なく振るまう冗談、明けっ放しの物腰、狩猟熱心、そうしたものとともにこの荒々しい熱病的な女は、突如としてむずかしい顔つきの女事務家に変じ、秘書官たちと何時間も一室に閉じこもったまま、命令書を読んだり口述したり、計算書の隅から隅までを鋭い正確さでほじくったりする。と思うと再び突如として文芸復興期の教養ある婦人として照り輝きながら現われるのである。自国語の他に、六カ国語を自由自在に操り、ギリシア学の学徒であり、一流の能書家であり、優秀な音楽家であり、そして、絵画と詩との鑑識家でもあった。彼女はフロオレンスふうのダンスを、傍人を瞠目せしめる高雅さで踊った。会話はユーモアのみならず、光彩と機智にあふれて、充分にそのセンスは社交性をはずれることなく、人を魅する美しさを持っていた。彼女を、歴史上の最高の外交家に仕立てたのはこの精神的多芸多才である。敵のなかのもっとも明敏な相手を迷わせ、もっとも用心深いものを欺いた。しかし、妙技のなかの妙技は言葉の資源が掌の内にあったところにある。そうしたいと思えば、彼女はいつでも振りおろす言葉の槌の柄に、いいたい意味を打ち込めることができ、またかつて誰も故意に曖昧な味をつけた言葉のお菓子を彼女より上手につくった者はなかった。もっともすばらしい瞬間は、公的な謁見で、彼女の希望や意見や、世界に対する考察を発表するときにくるのだった。さようなときは凄い文句があとからあとから、しっかりした能弁で流れ出し、ふしぎな頭の働きを示しながら、力強く人を魅惑してしまう。その間にこの女の内奥の熱情は、何物をも打ち負かそうとする声高々の言語と、言葉の響きの完全なリズムに、おのずから魔術めきつつ震動するのだった。
 このような錯綜した対照の妙は、単に彼女の精神内にのみあるのではなかった。それは彼女の肉体のうえにも見られたのである。リュウマチでも苦しんだし、がまんならぬほどの頭痛は、あまりの痛さに枕にしがみつくほどだった。そしていやらしいおできが何年もなおらなかった。そのからだはまるで病的徴候の巣だった。だからその時代の人たちは恐ろしい想像を逞しゅうするし、現代にいたっても彼女はお父さんの血から病毒を遺伝しているのではないかと疑う研究家もあるほどである。しかし、すくなくとも次のことは確実であろう、長いさまざまの病苦はあったにしても、エリザベスは芯は強壮な女だったということである。彼女は七十歳までも生き伸びた――当時としてはたいへんな長寿である――そして死ぬまで政治の労務から離れなかった。一生を通じて彼女は日々の肉体的な運動に耐えた。疲れることなく猟もすればダンスもした。そして――奇妙な事実だが、知られる限りの病的徴候のどれにも当てはまらぬことに――彼女はじっと立っていることに特別な愛着を持った。そのために、何時間も謁見したあとで、疲労を愚痴りながら脚をよろめかした気の毒な大使も、一人や二人ではなかった。彼女の鉄の体質は神経病の餌だった。彼女が一生のうちに経験した危険や憂慮は、それだけでもっとも強壮な人間の健康を掻き乱すに充分だったにちがいない。だが、エリザベスの場合では、じつは神経状態にある特殊な由縁ゆかりがあって、そのために彼女の性的組織の病状は、重態を示すものだったのである。
 彼女の感情生活は、最初から法外な緊張を課せられた。緊張した感動だらけな何年かが、彼女の幼女時代に続いた。それは彼女にとって興奮と恐怖と悲劇の期間だった。アラゴンのカサリーンの葬式の日のことである。彼女のお父さまは帽子の羽毛一つを除いては頭から足の先まで黄色ずくめの衣裳を着て、彼女をラッパの鳴り響くミサの式場に連れていった。そんな日のことも彼女はおそらく記憶していたであろう。が、同様にずっと幼いころの記憶は、もっと別な種類のものだったかもしれない。二歳八カ月のとき、そのお父さまは、彼女のお母さまの首を刎ねたのである。それから後の年月は、混乱と不安を極めたものだった。お父さまの政策と結婚がつぎつぎと変わるごとに、彼女の運命も刻々変わっていった。ときには愛撫され、ときには放っておかれた。イングランドの王座の相続者であったと思うと、次の瞬間には単なる私生児として投げ出されたりした。そして、老王の死去とともに、新しい、危険な刺激が、ほとんど彼女を征服しようとした。
 そのとき彼女はまだ十五歳になるやならずで継母のカサリン・パアラの家に引き取られていたのだが、このカサリンは、摂政サンマアセットの兄弟の、海軍卿シイモアと結婚していた人である。海軍卿は綺麗で色っぽくて、おまけにむちゃな人だった。カサリンが死ぬと、海軍卿はエリザベスに結婚を申し込んだ。この男、野心満々たるたらし屋で、ねらうところは最高権力にあった。王家の娘との婚姻によって、兄の摂政と勢力を張り合おうという気持だったのである。この計画は暴露され、彼はロンドン塔のなかに投げ込まれた。そして摂政はエリザベスをも謀叛の罪に連坐させようとした。受難の娘はしょげなかった。トウマス・シイモアのようすや手くだは、なるほどおもしろうございました。でも、摂政の同意がなくて、あの人と結婚しようなどと誰が考えましょう。それが答えだった。なおやかな手で書いたくせに文章は昂然とした手紙で、摂政サンマアセットの糺弾を端を撥き返しながら彼女は主張している、噂によれば彼女は「海軍卿の子どもを宿した」ということになっているが、これは「恥知らずな陰口」にすぎない。それだからこそ、宮廷への出入りを許してもらい、あらゆる人々にそういう陰口がどんなに恥知らずであるかを思い知らせたいのであると。そこで摂政はこの十五歳の仇敵を結局どうすることもできなくなり、ただ海軍卿の首だけを斬ることで満足した。
 それは、エリザベスの心情が、氷のような貞潔で満たされていたから、というようなわけのものでもなかった。それとはまるで違う。男たちのきらびやかな姿から受ける甘美な煽情で彼女はいつもいっぱいだった。レスターに対する彼女の情熱は、彼といっしょにロンドン塔に投げ込まれた瞬間から、彼が命を終えるまで、エリザベスの身をも支配した。いったいレスターという人は肉感的な美を持っていた。しかも、レスターばかりが、彼女の星座のなかにいたのではない。他にもたくさんの星があって、ときどきはレスターを凌駕するものもあった。たとえば堂々たる風姿のハットンがある。ガリアードを踊るときのいかにも楽しそうな男だった。反ハンサムなヘニイジ、それからド・ヴェールは槍仕合いの勇敢な花形だったし、若いブラウンドは、「トビ色の髪で、かわいい顔をして、誰よりもきちんと落ちついて、背が高い、そして」おまけに女王の目が注がれるたびに、さっと頬を染める美しさ、そんな男が、うようよしていたのである。彼女はそれらをみなかわいがった、とは敵も身かたも噂してよかったであろう。エリザベスの行動は、むろん大きな疑問で蔽われている。彼女の敵なるカトリックたちは、彼女はレスターの情婦であり、子どももできたがこっそり闇に葬ったなどと、盛んにいいふらした――それに反してぜんぜん逆な噂話も流布されている。ホウソウンデンでの晩餐の後に、ベン・ジョンソンは、ブラウントにこんな話をしている。
「彼女には、男性を受けつけない粘膜があるので、幾度愛戯を試みてもだめなのだ」ベンの無責任な言葉には、もちろんなんの権威もない。それはただ当時のゴシップを伝えるだけで、もっと重要な意見は、真実の発見に適切な手段を持っていた人――スペイン大使フェリアの考え深い意見である。注意深い探求のあとで、フェリアはフィリップ王に結論としてエリザベスは子どもを産まないだろうと報告している。もしそれが真相だとすれば、もしエリザベスがそんな女だとすれば、彼女の結婚嫌いは釈然としてくる。夫を持って子を産まないのは自分の個人的権威を失うことにすぎない。子がなければ新教徒をもって相続せしめる望みは依然として保証されず、おまけに彼女自身御主人を持つためにいつまでも苦労しなければならないだろう。
 性的不全に関するろこつな噂話の、発する源はもっと微妙な、しかも相当具体的な事実にある。この種の事がらは、肉体におけるがごとく精神にも大きな影響を持つものである。恋愛の決定的行為に対する潜在的な嫌悪の情は、その行為が行なわれようとするときヒステリックな痙攣状態を引き起こし、それがまたあるときは強度な苦痛を伴うものである。あらゆるものがさような結論への材料である。――彼女の幼年時代に受けた深刻な心理的攪乱の結果であるが――それがエリザベスの症状なのだった。「わたしは結婚というものは考えるのもいや」と彼女はロード・サッセックスに語っている、「なぜってね、自分の片身であるような相手なら、つい秘密を打ち明けてしまう惧れもあるのだから」彼女はそれを嫌う。だが、それを弄ぶのは彼女だって差し支えないだろう。その抜群な知性と、政策的な瓢箪鯰でごまかす機会を見つける最高の本能で、彼女は世界の目を前にして結婚を延ばし続けたのだった。スペイン、フランス、そして大帝国を――幾年も彼女は、結婚という食べられもせぬ餌を、彼女の外交饗宴のなかに見せびらかしながら、諸王を釣ってきた。幾年も彼女はその神秘な生き身を、全ヨーロッパの運命の廻転軸たらしめたのである。そしてまた、諸国が争って働きかけてくるという状態は、いっそう彼女をつけ上がらせて、ゲームをいよいよ本当らしく装わしめる結果となった。彼女の存在の中心では、欲望は嫌悪に変じているくせに、ぜんぜん消滅しているわけでもない。値うちの高い城砦はけっして蹂躙されてはならないくせに、しかも城の周りでなら激戦が戦われてもいいし、ときどきは攻撃軍に占領されてもかまわない地域や櫓や堡塁もあるわけだ。諸王からの求婚はますます勢いを加え、処女王は、ひそやかな思いのうちに、かわるがわる微笑んだり、眉をしかめたりした。
 結婚するともしないとも、はっきりしない年月が経過して、やがて年齢的に結婚など諦めねばならぬときとなってしまった。けれど、女王の奇妙な気質はまだ残っていた。でもやっぱり、その激情は不可能な謎であった。エリザベスはもともと魅力のある少女だった。それから何十年か美しい女としての時期が続いた。が、ついに顔の美は跡形もなく固い線に変わってしまい、わざとらしく彩り、グロテスクな誇張でごまかしたものになってしまった。そのくせ魅力を失えば失うほど、いよいよ顔のことでやっきになった。若いときには、同時代の人々の熱誠な尊敬を一身に集めることに満足したが、年とった彼女がお取巻きの若い男たちに要求し――そして受け取ったものは、ロマンチックなくぜつであった。政治上のことも、女王さまはお美しいという、嘆息や法悦が舞踏する間に、進行する有様だった。人々は彼女に謁見するとき、なにか超自然的な人物の前にあるような気持にさえなった。どんなうわ言の夢だって、そんなにも神聖な女体を思い浮かべるほど野放図にはなれない。
 これは伝説だが、あるすばらしい青年貴族が、彼女の前にうやうやしくお辞儀した拍子に、つい不運なある音を発したために、外国に逃げて七カ年も放浪したあとで、やっと女王さまの御前に伺候する勇気を取り戻したという話がある。女王讃美という、それも見え透いた一種の政策ではあるが、しかしぜんぜん政策だとばかりはけっしていえないのである。彼女の明察力、あれほどすばらしかった明察力も、自分の内側に目を向けるときは、ひどく薄弱なものとなってしまうのだった。だから彼女はあたかも、ある鋭敏な本能に導かれて、いつかもっとも偉大な世界的リアリストになり上がったかに見える。もっとも聡明な君主が、非常識なほどの虚栄心に取りつかれたままに、なにからなにまで虚妄なバラ色の空想と、きわめて冷酷な事実との、二つをもってできあがった宇宙に存在したわけだった。法外な精神が、ある瞬間にはびくともせず静止し、次の瞬間には、残りなく羽ばたいた。年とって、再び彼女の美は、人々を征服した。再び彼女の魅惑力は、避け難く人々の反応を呼び起こした。彼女は、一生懸命に、自分を讃美する者たちの、念入りな讃め言葉を摂取し、同時に、幸運と狡猾とを尽くした最後の仕上げでそれらの讃め言葉を、有利で実益的なものに導いていった。
 このふしぎな宮廷は、謎と曖昧との住み家であった。そこの女神は、金色に輝く後光に乗って動いている、年とった生き物だった。お伽噺の世界の着物を着て、背は高く、けれども前屈みで赤毛は青白い顔の上に艶を失っていた。そして長い黒く澄んだ歯並み、高く聳えた鼻、たちまちにして深い色をたたえて前方に瞠く眼――たけだけしい恐ろしげな眼である。その深い青さの底には、なにか気ちがいめいたもの、――ほとんど偏執狂にも近い何物かが潜んでいる眼であった。彼女の月日はすぎていった。
 絶ゆる時なき、荒っぽい声が聞こえてくる――かん高い声である。叱りつける声だった。一人の大使がいいたしなめられているのだ。ときには、インド遠征が停止になったのだ。あるいは、イングランド教会法についてなにか改定されたのだ。と思うと、疲れることを知らぬ姿が、やっと現われ出て、ウマに飛び乗り林間を駆けめぐる。それも一時間もやれば、処女には充分な運動ゆえ、彼女は満ち足りて帰ってくる。食事はけちな御馳走だった。――鳥の片翅と、僅かの酒や飲物で腹を洗う――それが済むと老グロリアナ姫はダンスするのだった。ヴィオラが鳴り、若者たちは、彼女のぐるりに群れながら、これからの出世を待ち望むのだった。ときどきはエセックス伯爵が留守のときもある。そうだとすれば、彼女のあのすばやい敏感性、わがままいっぱいな気紛れから、自分たちにどんな仰せがおりかかってくるやらわからないではないか、興奮した御神体は、若者たちを次から次へと荒っぽくからかったであろう、そしておしまいに、なかでもからだつきの頑丈な若者を選って、自分の部屋へ話にこいとのお声がかかったでもあろう。彼女の心は、その男のおべっかに、すっかり上機嫌になる。そして長い指さきで相手の頸を、ぽんぽんとたたくとき、彼女の全存在は説き難い快感でいっぱいになっているのだった。彼女は女である――ああ、もちろん! 魅力のある女であった――だが、それでいてやはり、処女であり同時にお婆さんでもあった。けれどもすぐまた他の感情の流れが逆流して、彼女をまき込んでしまう。彼女は飛び上がる。もっと高いものに化す――それを彼女は知っていた。ではそれはなんであるか? 彼女は男だったのか?
 彼女は身のまわりの小人物たちを眺め渡し、微笑を禁じえない。ある意味では自分はこれらの者どもの女主人であるかもしれないが、また他の意味ではけっしてそうであってはならない――その反対こそ真実なのだ、そう考えて、微笑を禁じえなかった。かつてヘルキュレスとハイラスの物語を読んだとき、彼女は一種白昼夢のなかの半意識で、あの異教徒的な男性の持つものに魅惑されたと思いはしなかったか。そのハイラスはお小姓だった。彼は彼女の前にいる……だがこのような空想も突然の静寂に破られた。我に還って振り返ると、エセックスがはいってきたのだった。彼は急ぎ寄り添ってきた。そして、この瞬間、女王はなにもかも忘れた。エセックスが、わが前にひざまずいている。

第三章


 夏は物憂げに滑らかに過ぎてゆき、そして、七月の暑い日がきた。そこに霹雷のごとき事件が持ち上がった。女王の部屋で、エセックス伯がお話をしていたとき、親衛指揮官が役目により、戸の外に立っていた。この親衛指揮官は、大胆な顔をした紳士の――サア・ウォルタア・ラレイだった。ウェストカントリイの代官の息子だったが、君寵によって数年の間に富と権力を併せ持つ出世ぶりだった。いろいろの特許や専売権が、降るように彼の一身に集まった。そして、イングランドとアイルランドとの両方に、大きな領地を所有する身分となり、錫鉱山の経営者であり、コオンウォルの副総督であり、騎士ナイトであり、海軍中将であった。年は三十五――冒険好きで、威厳逞しい男だった。そのりっぱな態度といい、企業的精神といい、彼をここまでの、予期さえしなかった地位に導いたものが、これ以上どこまで昇進させてゆくだろうか。「宿命」は光と影に縺れた糸を、すでに彼のために織っていた。運と不運は、均等な重みとふしぎな緊張とをもって、彼の手のうちにあった。
 彼の一生に影さした不幸の最初の打撃は、あの若いエセックスが宮廷に現われたときだった。時も時、ラレイが、自分のほうへ女王の興味が振り向けられたと思ったにちがいないちょうどそのとき、ちょうどレスターの衰頽が彼のために輝かしい未来の道を開けてくれたと思われたそのとき――その瞬間に、あの古い寵臣(レスター)の継子が少年らしい魅力を持って登場し、エリザベスをまいらせてしまったのである。ラレイは、突如としてわが身を、一度はあらゆるものを征服したはずだのに、いつの間にか魅力の衰え果てた美人の位置に置いて眺めねばならなかった。女王は、斬首した謀叛人の、三つか四つの領地を彼に投げ与えるかもしれぬ。あるいは彼の栽培したタバコを彼女の鼻で嗅いだときのしかめっつらで、彼のおいもを噛んでさえくれるかもしれない――が、そんなことはなんにもならない、彼女の心は、彼女のからだは、あの扉の向こう側に、エセックスとともにあるのだ。彼は暗く眉毛をしかめながら、戦わずして誰が退こうと決意するのだった。
 女王がロオド・ウォリックの山荘へ臨行して滞在しているとき、ラレイはエリザベスの心を掻き乱すことに成功した。ウォリック夫人は、エセックスの妹ドロシイ・パアロット夫人の親友だった。ドロシイは勅許を経ない結婚をしたために、宮廷への伺候を差し止められていたのだが、軽率な女主人ウォリック夫人は、もう女王さまのお腹だちも鎮まっているころだろうと信じて、女王滞在中の邸へ、ドロシイ夫人ならびにその兄エセックスを招待したのであった。ラレイはエリザベスに、ドロシイ夫人の出現がエセックスたちの腹黒い不敬の現れであると吹き込んだのである。そこでエリザベスはドロシイ夫人に、一室のなかに蟄居するよう命じた。はやくも事情を悟ったエセックスは、なんの躊躇もしなかった。夕食の後、女王とウォリック夫人との三人だけになると、彼は激烈な諫言を始めて、妹を弁護し、そして(その直後に彼自身友人に報告した手紙によれば)次のようにいい張った。
 エリザベスのやったことは「ただ単に悪漢ラレイのごきげんとりにすぎなかったのである。ラレイのためには彼女は、私のみならず私の愛情をもあえて苦しめ、世間の目のまえで私の顔に泥を塗って憚らないのである」と。エセックスの手紙によると「思うに彼女はラレイについてはどんな誹謗を聞くにも耐えられないのである。私のいった侮蔑という一言をとって、彼女は私が彼を侮蔑しなければならぬ理由などなにもないというのだった」女王のこの言葉は、「私をこのうえもなく掻き乱したので、私は、できるだけ詳しくあの男の経歴を説明せずにいられなかった」怖れを知らぬ若者はそれだけではまだいいたりなかった。「あんな男を怖れている女王さまにこの身を捧げて奉仕したって、私になんの慰めがあるのでしょう?」これらの会話が進行している間、親衛指揮官は役目についてすぐ扉の外にいた。エセックスの手紙は続く、「私は口惜しまぎれに、また、腹だちまぎれに、できるだけあの男の悪口をいってやった。そして、私は思うのだ。あの男はその間扉の外に立っていて、私のいったいちばんひどい悪口を、かならず聞き洩らさなかったにちがいない」しかし彼の極言もむだだった。口論はしだいに激しくなっていった。そして女王がラレイを弁護するついでに、エセックスの母であり、女王がとくにきらっているレスター夫人の攻撃を始めると、エセックスはもうなにも聞いてはいなかった。彼はいった、それほどおっしゃるなら妹を帰しましょう、夜中ではあるが、「私自身で」彼女を送ってやりましょう。そして気のたってるエリザベスに「私はどんなに出世したって嬉しいことは一つもありません。女王さまのお側にいると胸がむかむかするばかりです。なにしろ私の愛情がこんなに蔑ろにされ、卑しいラレイがあんなに尊敬される世の中でございますからね」これには女王はなんの答えもせずに、「ウォリック夫人のほうへ振り向いてしまった」そこでエセックスは部屋から飛び出すと、妹を武装した従者に守らせながら、この邸を去らせておいて、自分はマーゲイトへウマを走らせた。海峡を渡って、オランダ戦争へ身を投じる決心だったのである。「生還すれば、私は歓迎されるだろう」とエセックスは当時の手紙に書いている。「生還しなくてもいい、煩わしい生存よりも勇敢な死こそ望ましい」しかし、女王はもっと早手まわしだった。ロバアト・キャリイが、命によってウマを馳せて彼のあとを追い、まさに乗船しようとしているところを捕らえて、女王の御前に連れ戻った。妥協が成立し、君寵は再び燃え上がった。一、二カ月の間に、エセックスは騎兵指令官となり、ガアタア勲章の騎士となった。そのうえに、もう一つエセックスは、その若さにもかかわらず、女王にいい逆らって、なんら罰せられずにすむということを発見した。エリザベスは怒った、不快も感じた。そして、ラレイを擁護して譲らなかった。それでありながら、エセックスの不敵な抗弁をやめろとは命じなかった。抗弁を聴くのが嬉しそうでさえあった。

第四章


 スペインの無敵艦隊アルマダは撃破することができた。そしてレスターは死んだ。いまや新しい世界が、若者と冒険家たちのために開けたのである。ドレイク将軍の首唱に従って、スペインを反撃することが決議された。コルンナを攻略し、リスボンを占領して、ポルトガルをフィリップの影響から引き離し、ドン・アントニオをポルトガルの王座に据えるための軍備が、着々と進行した。ドン・アントニオは、かねてよりポーランドの王冠の権利を主張している人である。激情、戦利品、名誉、そんな夢があらゆる武人の胸を掻きたてた。エセックスもまたその仲間の一人だった。だが女王は、彼の出征を差し止めた。彼は彼女の命令を無視するだけの大胆さを持っている。ある木曜日の晩、ウマでロンドンをひそかに発足すると、土曜日の朝は、プリムスに着いていた。二百二十マイルの距離であった。今度はエセックスのほうが早手まわしだったのである。老将サア・ロオジャー・ウィリアムスの指揮下にある一支隊とともにただちに乗船し、スペイン海岸目指して帆をあげ去った。エリザベスは激怒した。次から次へとひっきりなしにプリムスへ飛脚をたて、伝馬船隊をして海峡中を捜査せしめた。ドレイクへあてての怒りにあふれた宸翰のなかで彼女は、哀れなサア・ロオジャーを次のように弾劾している。
「ロオジャー将軍の不法は、死に値するほど重大なるものなり。卿等いまだ彼を死をもって罰せずば、よろしく彼の職権を褫奪して、彼を軟禁し、後の命を待つべし。もし卿にしてこの命に従わざるときは、卿を同罪と見なすものなり。朕に最高の統帥権ある限り、この命令は遵奉されざるべからず」エセックスについては、彼女は続けて書いている。「エセックスがもし艦隊のなかに今いるならば、安全に宮廷に送り届けらるべきこと、朕は厳命す。もし、この命を怠るときは罰するところあるべし。こは児戯に類することにあらず。この点、重ね重ね、銘記すべし」けれども、エセックスは、なんの躊躇もなく遠征軍の主力に加わって、いくたの小戦闘に参加し不名誉に終わった進撃に従軍した。それは侵略軍を撃退することのほうが、侵略するよりもたやすいということをいまさら教えるものだった。幾隻かのスペインの船は焼かれたが、ポルトガル人は呼応してたたなかった。そしてリスボン市は、ドン・アントニオと、イギリス軍の前にその城門を閉じて拒んだのである。軍を引くにさいして、エセックスは、それらの城門の一つへ自分の槍を突っ込みながら、退陣の身ぶりを示して声高らかに叫んだものである。「城中にただの一匹でもミウミウと啼くスペイン犬あらば、出でて汝の恋人のために、我と槍を合わせよ」なんの答えもなかった。そして、遠征軍はイギリスに帰った。
 この青年は、すぐ女王と仲直りした。サア・ロオジャー・ウイリアムスもまた許された。宮廷生活の楽しい日々は狩猟や、饗宴や、馬上試合とともに再び還ってきた。ラレイは、ふふんと肩を一つすぼめてアイルランドに去っていった。一万エーカーの彼の土地を経営するためである。そこでエセックスには競争者ライバルの影さえなくなった。
 いや、チャールス・ブラウントも、競争者ではなかったか? ブラウントは美少年である。エリザベスから彼女の将棋の駒の一つの黄金の女王を頂くために、槍試合の功を建てた。そして、獲ちえたトロフィを真紅のリボンで腕に結びつけた。エセックスはこれを見て、あれはなにかと問い、わけを聞くと、「ああわかった。ネコも杓子も御寵愛が要るというわけか」と叫んだ。そこで、アリイ・レボーンでブラウントとの決闘が行なわれ、エセックスは傷ついた。「なんということでしょう」と、この報告に驚いたエリザベスはいった。「すこし痛い目に遭わせて、あの人の行儀をなおしてやらねばならぬと、考えていたところなのだわ」彼女は、自分の美のために、二人の青年に血まで流させたと思うと内心おおいに嬉しかった。が、後日彼女は二人の青年を強いて仲直りさせた。その命令がとおると、ブラウントはエセックス伯の熱烈なる崇拝者となった。エセックスは浪費家なので、二万ポンド以上の借金があった。女王は心ひろく三千ポンドも彼に前貸しを許して、借金払いを助けてやった。そうしておいて、突然に、即時その三千ポンドを返済しろと迫った。エセックスは延期を願ったが、現金か――でなければ相当額の土地でもいい――ともかく今すぐ返してくれというのである。悲愴な文句で仰せを畏む旨を答えた彼の手紙がある。「いまや女王陛下には、臣に下しおかれたる恩寵を御後悔遊ばさるやに拝するゆえをもって、所有するあらゆる土地を売り捨てて、陛下の御酷薄によりて受けたる心の傷を癒やすに急なること、わが貧しき領土の一部分を売りて、もって下賜されたる金額を償わんとするに急なるになんぞ劣らん、黄金と土地は、それ卑俗に属す。されど愛と慈しみは、愛と慈しみ自身をもってせざれば、これを量るをえざるなり」女王はこの美文を讃美したが、経済的な譲歩はしなかった。しばらく後に「私の祖先代々の財産」であるハンチンドンシャーのキーストンにある領地が、バアリイに与えた彼の手紙によれば「小作のとりたてにも故障のない、広々とした肥沃な土地であるのに」王室の手におちたのである。
 彼女は、もっとも実利的な形で、寛大を示したかったのである。ある年限を定めて、エセックスに、甘ブドウ酒の輸入税のとりたて請負権を売ってやった――この関税から、どうでも甘い汁を吸うがよい、という権利である。彼は、もちろん甘い汁を吸った――しかし、期限が切れたとき、その権利が更新されるか否かは、ひとえに女王の御意に俟つという条件だった。
 彼は、その崇拝の情を――その讃美を――そしてその愛情を表わすに、惜しげもなく言葉を浪費した。またそのようにも意義曖昧なラヴという便利な単綴語は、永遠に彼の唇の上にあって、あらゆる手紙のなかにその捌け口を見出すのだった――それらの高雅な、感動的な、また上品な手紙は今も残っている。それに、一度はエリザベスの長い指で解かれたであろう金の紐も残っている。女王がそれらの手紙を読み、言葉を聞くときの満足の情の、世にもたとえようのないふしぎさは、彼が結婚したと聞いたときに、わずか二週間しか彼女は怒らなかったという事実にも表われている。エセックスは理想的な嫁選びをしたもので――相手はサア・フィリップ・シドニイ未亡人であり、サア・フランシス・ウォルシンガムの娘であった。ときに彼は二十三歳、美丈夫で、元気で、子孫に伝える伯爵位を持っている。エリザベスといえども、この結婚にいつまでも本気で反対しきることはできなかった。自分と臣下との間がらは、独自なものであり、家庭生活を営むというわけにもいかないではないか。結婚後も、この魅力ある花婿は今までと同じようにロマンチックに、熱烈にこちらに執着してもくれるし、ごきげんをとってもくれるのである。そして彼女は、一個の女王が、一個の人妻を無視する能力を持つことを感得した。
 まもなくエリザベスの御寵愛をうるには、個人的な歓楽と同様に公の義務をも怠ってはならないということを、世間に示す機会が持ちあがった。フランスのアンリ四世が、ほとんどスペインとカトリック連盟に征服されようと喘ぎながら、懸命にイングランドの救いを求めてきたのである。数カ月間の逡巡の後に、エリザベスは、もっともけちな費用において、アンリは救わなければならぬという結論に達した。新教徒軍ユウグノオの援軍としてノルマンディに四千の軍を送ることに同意したのである。エセックスは、この軍の司令官たらんことを女王に乞うた。女王は、三度までこの希いを退けた。おしまいに彼は彼女の脚下に二時間もひざまずいた。それでもまだ拒み続けていたが――やがて突然、許可を与えた。伯爵は意気揚々と出発したが、一五九一年の秋から冬にかけて戦地における彼の身のまわりには、困難と紛乱とが群がり集まった。彼は性急で、無分別で、そして軽はずみだった。みずから軍の主力から抜け出し、少数の先導兵とともに、ウマを馳せて敵地をよぎり、ルウアン市包囲について軍議すべく、フランス王に逢いにいったが、その帰途はカトリック軍のために危うく遮断されようとしたものである。イギリスの枢密院は、不必要に生命の危険を冒した廉で彼を叱責してきた。「名もなき雑兵のごとく、槍を振りまわす」がごとき、あるいは敵の群がる地方へタカ狩りに出るがごときは、もっての外だというのである。女王もまた、怒って幾通となく手紙を書いた。なにもかも気がかりなことばかりだ。エセックスは無能なのではないか、フランス王は裏切るのではないか、彼女は国内のあらゆる不慮に備えて、いつも忙しいのだった。ここでもう一度、ポルトガル遠征のときのように外国遠征は困難で不利益なことがわかったのである。
 エセックスはある戦闘で自分の愛する弟を失った。そのうえに女王の手きびしさに悩まされなければならなかった。軍隊は戦病死やら逃亡やらで一千人に減少した。イギリス兵はルウアン市に無鉄砲な攻撃を加えたが、オランダ地方から進軍してきたパルマ公の軍隊は、アンリの軍をしてルウアンの囲みを解くのやむなきにいたらしめた。若い伯爵はおこりに苦しみながら、突然、絶望に陥った。彼は女王に手紙を送って「陛下の御不親切とお嘆きは、私の心と智慧を破滅させてしまいました」それから、ある友人には「私は命にかけてもこの牢獄から脱出しなければならぬ」と書いた。とはいえ、彼に対する世評は、その個人的な勇敢さによって、とり返された。彼はルウアンの総督に向かって、一騎打の勝負を――これがいつもながらただ一つの彼の駆引きだが――衆人の喝采裡に挑戦した。それを聞いた女王は、しかし、いささかひにくなことをいっただけであった。ルウアンの総督のごときは、単なる謀叛人にすぎないではないか、私はそんな者相手に挑戦を受けたり、与えたりする手はないと思うね、と。けれどもエセックスは、遠征の結果がなんであろうとも、その最後はロマンチックに飾らなければならぬ。そこで、イングランドに帰る日がついにきたとき、彼は古めかしい騎士道の身ぶりをもってそれを果たした。まさに乗船しようとして、フランスの岸辺に立ち、厳かに剣の鞘を払い、刃に接吻したのであった。

第五章


 青春はすでに尽きんとしている。この時代では、二十五歳といえばたいがいの男が壮年に達したものである。エセックスは、最後まで少年らしい影を失わなかった人であるが、その彼にしてなお、時の流れの影響力から免れることはできなかった。そしていまや新しい情景が――男を飾る危険と荘重の情景が、彼の前に開けてきた。
 一家族の境遇が――英国史には一度ならず現われたことであるが――それが政情を左右した。ウィリアム・セシルすなわちバアリイ卿が、総理大臣の椅子を占めていたのであるが、彼もすでに七十歳を越えていた。もう長くは続かないであろう。誰がその椅子を継ぐであろうか。彼自身は、自分の息子ロバアトに自分の位置を譲るようにしたいのであった。そういう目論見のもとに、息子を教育してきたのでもあった。病弱な一寸法師であるこの息子は、数々の教師について慎重に仕込まれ、大陸に遊学させられ、そして下院に送り込まれた。そのうえに、外交も見習わさせられた。目立たぬように、しかし執拗に、有利なあらゆる機会を見のがさず、女王のお目に留まるように仕向けられた。生まれや地位にごまかされることのないエリザベスの鋭い目も、この小さな傴僂せむしが偉大な才能を持つことを見のがしはしなかった。一五九〇年ウォルシンガムが死ぬと、彼女は手を伸ばしてサア・ロバアト・セシルを、ウォルシンガムの職に引き上げた。そこで二十七歳の若者は、職名はともかく、事実上の侍史(内大臣)になった。肩書と俸給はいずれ後日下されるであろう――彼女のことだからすぐには決断しかねたことである。バアリイは満足した。彼の努力は報いられ息子の脚は、しっかりと権力への第一歩を踏んだのだった。
 ところで、バアリイ夫人に、妹があった。この妹は二人の息子を持っていた。――アントニイとフランシスの、ベエコン兄弟である。兄弟は、従弟のロバアトより三つ四つも年上で、ロバアト同様、繊細で才能に恵まれ、そして野心的であった。彼らは大きな希望を持って人世に出発した。父は、大法官であり――司法職の長でもあった。伯父は女王の下にあってイングランド最高の役人である。だが父は、年若い子らにほんの僅かな世襲財産を残しただけで死んでいった。そして伯父さんは、あれほどの権勢家であるにも拘らず、ベエコン兄弟の孤独の訴えにも、近親の申立てにも耳をかさないもののようであった。なぜであるのか。アントニイとフランシスには、その理由ははっきりわかっていた。つまり、兄弟はロバアトの出世のためを考えて、おっぽり出されたわけであろう。老人は兄弟に嫉妬を持ち、――彼らを恐れているのだ。ロバアトに競争するものがないように、ベエコンたちの能力は押えつけておかねばならないのだった。それにまたおそらく、彼は甥たちの奇妙な性格にも純粋に信をおけないものがあったにちがいない。それがなんだろうとも、ともかく彼らの間に、深刻な疎隔が生じたのは事実である。表面だけの尊敬と愛情とは形を保っていたが、ベエコンたちの深い失望はにがい怨恨に変わり、一方セシル父子は日ましに疑い深く敵意をつのらせていった。ついにベエコン兄弟は、無用の他になんの値うちもない伯父とのつながりを断ち切ることに心をきめ、彼らの才能を正当に鑑識してくれる親分へ身を捧げようと思うにいたった。彼らは周囲を見回した。そしてエセックスがはっきり選ばれたのである。エセックス伯は若く、能動的で、華やかだった。
 すくなくとも、アントニイはそう思った。――若いくせに通風病患者で、気むずかしやの一徹者であるアントニイだった。しかしフランシスの想像力はもっと複雑なものだった。彼の驚嘆すべき精神には人の目の届かぬ淵があり、見せかけの浅瀬があって、それが奇妙なもつれかたをしながら、このうえもなく後世の探求的観察家の目をくらますのである。しばしばフランシス・ベエコンを描写するに、極善か極悪か、いずれかのどぎつい色をもってするが、実際としてはそのような方法は、きわめて異常な彼の場合には、妙に当てはまらないのである。彼の精神組織は、高度に変化した諸要素の厖大な織物であった。彼は縞羅紗ではなく綾絹だった。瞑想的な超越、個人的矜恃の強さ、官能の不安定、野心の執着、鑑賞力の豊富――これらの諸性質が、混合し、撚り乱れ、ともどもに閃光を発しながら、彼の神秘な精神に、ヘビのように微妙に光る皮膚を与えたのだった。一匹のヘビこそ彼の選択すべき紋章であって――神秘にして美しき土の子なのである。音楽が聞こえてくる。すると大蛇は身をもたげ頭をひろげ、もたれかかる姿勢でじっと聴き入りながら、恍惚として身を振る。そのようにして賢明な司法大臣さえも、フランシスの大文章、高い智慧に満ちた弁論を聞きながら、純粋な文体スタイルの美しさに陶然とする至福の境地に、引き込まれ、思わず息をのむのだった。ルネサンスの嫡子としての彼の複雑性は、単に精神的な完成にのみあるのではなく、生活そのものにもあるのだった。――高度な消費生活の華やかさ――宮廷陰謀の紛乱、――書物のえもいえぬおもしろさ――小さな色コップの中にきらめく液体、すべてが彼の心をひく。同時代のあらゆる大精神と等しく、彼もまた本能的に、そして深刻に一個の芸術家だったのである。この審美的性質こそ一方で彼の哲学認識に大を加え、他方で彼を最高著述家たらしめたのである。とはいえ、彼の技能は非常に特殊なものであって、彼は科学者でもなければ詩人でもなかった。数学の美については盲目だったし、文学では、文体の色彩的で豊富であるにも拘らず、その天才はとくに散文のうえにあった。感情ではなく、知性! それが彼の精神のあらゆる変形に共通の動因であり、驚くべきヘビの背骨でもあった。
 悲惨な終局――それはかならずわれわれの目に浮かんでくる性格と生活を彩るはずである。しかし終局というものは、出発において暗示されているのであり――生まれながらの諸性質の必然の結果でもある。ベエコンに完全な散文を書かせたのと同じ能因が、あの世俗的なまた精神的な破滅を彼にもたらしたのである。おそらく詩人でないということは人間にとってつねに惨めな不幸にちがいない。彼の想像力は、あれほど荘重であったにも拘らず、充分なものではなかった。とりわけて自分自身の心が彼にはわからなかったのである。彼の心理的利刃は致命的にも外面的なものであって、彼は自分がどんなに根強く人間的であるかを夢にも知らなかった。だから彼の悲劇は痛ましくもアイロニカルであって、人は無意識な裏切者、高い精神を持ちながらのお追従者、自分自身の張ったクモの巣に落ち込んで身を藻掻く鋭い知性などからは、目をそむけたくなるのである。「我ら人間は、いかに天国を望みつつ生くるといえども、しかも我らの精神は我ら自身の顔色と習慣とその穴を一にするがゆえに、我らは窮まりなき過失と空論に導かれざるをえず」そのようにベエコン自身が書いている。だからたぶん、おしまいには彼も実際にわかったであろう――年老いて、辱しめられ、閉め出され、寂しく取り残されて、ハイゲイトの丘の上に、死んだ鳥に雪を詰めながら、思い知ったであろう。
 けれども、そのようなことはすべて、昂奮と希望とであんなにも満ち満ちた、多忙な十七世紀初頭という遠い将来のことである。目下の情勢を簡単に説明すればラレイの名誉失墜と禁錮である。ラレイは女王の侍女の一人エリザベス・スログモオトンとの情事で、女王の忌避に触れたのだった。あとの戦野は相争う二つの党派のために解放された。一方はエセックスとその追随者との新しい党で――攻勢的で冒険的である。また一方は旧勢力の城砦に放列を敷く古きセシルの一味である。十六世紀が終わるまでの、これがイギリス政情の精髄であった。しかし、それも妥協と激闘の混交で複雑化していることにおいて、当時の時代色から免れてはいない。今日なら政府党対反対党として集団的に抗争するのが、そのころは政治執行の支配という一点を目指して、肩を並べて闘争したのである。一五九三年の初めエセックスは枢密院議員に任ぜられることによって政敵の同僚となった。議員を選ぶのは女王の権限にあった。いっさいは彼女自身の心の風の吹き次第であって、それが国政の方法なのだった。それだからこそ彼女は国を治めるという乙な味覚を充分に楽しむことができ、潤沢な権力を思うさま使って事を決裁することもでき、それゆえにまた、いつまでもはかりを水平に保ちながら、とほうもない足拍子をとることもできた。
 ベエコン兄弟を帷幕に加えてからのエセックスは、急に大を増して寵臣以上の何ものかになり、大臣として、政治家として目だつ存在となった。彼は枢密院の会議にけっして欠席しなかった。上院の会期中は、その日の会議が始まるや否や――朝の七時であるが――かならずその席に彼の姿が現われた。とはいえ彼の主要な行動というのは、もっと他の場所にあった。――エセックス邸、ストランドにあって川を見おろす、大きなゴシック建の私邸の、板張りの広廊下や壁掛けに飾られた密室のなかにあった。そこでは、アントニイ・ベエコンが、脚をフランネルで巻きながら、忙しくペンを走らせているのである。大きな企画が考え出され実行に移されるのも、その部屋のなかなのであった。セシル父子は、彼ら自ら選んでいる根拠のうえでたたき伏せられねばならない。その根拠というのは外交権で――すでにこれはバアリイ(セシル)が一世代以上の長きにわたって指導権を持っているのだが、――それをこっちの手におさめようというのである。セシルらの集める牒報は不正確であることを証拠だててやり、反対の政策に変わらしめなければならないのだった。アントニイはこの思惑が成功することを疑わなかった。かつて何年間か、彼は外国を放浪したことがある。あらゆる処で友だちをつくった。外国の情勢や外交の手口を、その鋭い、休息を知らぬ精神の全精力を傾けて研究してきた。もし彼の知識と智謀とが、エセックスの地位と富とによって支えられるならば、その組合せはすばらしいものとなろう。
 一方エセックスもなんの躊躇もしなかった。彼は大喜びでこの計画に飛び込んだ。広範囲の通信網がやがて張られた。伯爵の費用で、密使はヨーロッパの隅々に送られた。そして、手紙は、スコットランドから、フランスから、オランダから、イタリアから、スペインから、ボヘミヤから、王侯たちがなんといった、軍隊がどう動いた、それからまた、国際陰謀の錯綜したあらゆる動きの綿密な日常報告を書きつらねながら、エセックス邸に流れ込むようになった。アントニイ・ベエコンが、その中枢にあって、報告を受け取り、吟味し、交換した。この仕事はしだいに大きくなり、まもなく、助手として四人の秘書を使うほどになった。四人のうちには智謀のヘンリイ・ウォットンや、皮肉屋のヘンリイ・カッフがいた。女王はたちまち、外交問題の論議に際して彼が持つ自信のほどを察知した。彼女はエセックスの覚書を読み、彼の提議に耳を傾けた。そしてセシル父子は一度ならず、自分らが注意深く集めた情報が無視されたのを知った。エセックスが、ほとんど代行的な外務大臣の地位を占める形になったのである。いろいろの大使たち――トオマス・ボドレイもそのうちの一人であるが――が彼の影響下に集まった。彼らは公的にはバアリイに通信を送りながら、いっそう打ち明けた連絡をアントニイ・ベエコンに通じるのであった。たとえ公務へ伝えた収穫が不確かであっても、エセックスに伝えたものには、明瞭な収穫が示されているという調子だった。そうした匂いを嗅ぎとったときセシル父子は、はじめてストランドのエセックス邸を油断してはならぬと気がついたのである。
 フランシス・ベエコンのエセックスに対する関係は、兄におけるほど密接ではなかった。一個の弁護士として、また下院の一議員として、彼には彼の生活があったのである。それでもやはりエセックス邸とは親密な接触を保っていた。伯爵はフランシスのパトロンとなり、フランシスはまた、伯爵の必要に応じて、いつでも助力に馳せつける身構えだった――助言とか、公文書の草稿とか、念入りな象徴的祝辞文(つまり女王の御機嫌をとるための、長たらしいエリザベス朝一流の謎文書の羅列)とか、そういったものにフランシスの助力が要ったのである。彼より七つ若いエセックスは、はじめて逢った瞬間から、この年長者の輝かしい知性に眩惑されてしまった。そして自分に心から奉仕してくれる驚嘆すべきこの人に、かならず高貴な報酬を与えねばならぬと心に誓った。ときに検事総長の椅子が空いた。エセックスはただちに、この椅子はフランシス・ベエコンをもって埋めるべきことを声明した。フランシスはまだ若く、その職業にもまだ秀でているわけでもなかった――が、それがなんであろう。彼はそれどころか、もっと大きな地位にも値する。そしてもし、エセックスになんらかの権勢(女王を動かす力)があるなら、その手によって適当な人が一たび抜擢されたとてふしぎはないのである。検事総長の椅子はむろんもらって嬉しい御褒美であるにちがいない。それをエセックスの手から受け取ることは、バアリイ卿の甥にとっては特殊な満足でもあった。――伯父さんの力をかりなくても、このとおり名誉を手にすることができるということを、思い知らせられるではないか。空想の行く手に大きな出世の道が開けたのである――司法官――国家の高官――親父と同じイングランドの大法官職も目の前にぶら下がっているではないか。貴族階級!――ヴェルラム、聖アルバンスそしてゴオランベリイ――称号の耳に響く快さはどうだ? わが「ゴオランベリイの荘園」――という言葉が舌の上にまろぶ、と思うと彼のカメレオン的な心は、さっと色が変わるのだった。彼はすばらしい行政の才を持っていると信じる。だから自分の国の運命を指導するであろう。すると世界中が彼の価値を知るにちがいない。
 自分の地位と権力を、教養の普及のために、新しく力強い知識の創造のために、広範な善徳のために利用して、それらをしだいに広く大きく全人類の上に波及せしめることができたならば……これまた光輝ある実現にちがいない!――と考えるとき、また新しい色が彼の空想を染めて――検事総長の職は断然便利であろう。彼はひどく現金の不足に悩んでいる。浪費家なのである。貧乏に引っ張られて、みみっちい生計を送るのはいやだった。贅沢屋の彼には物質的な快楽という慰安が要ったのである。綺麗な着物は必需品であった――そして音楽も――またある程度には堂々とした住居もほしい。普通の革の臭いはたまらぬといって、召使どもにはスペイン革の長靴をはかせた。味覚に堪えるただ一つのビールだというある特殊なビールの小瓶を、手に入れるためには、あらゆる労力を惜しまなかった。彼の眼は――微妙な、淡褐色に生き生きと輝く眼だったが――「それは毒蛇の目に似ていた」とウィリアム・ハアヴェイがいっている――一群の美青年を――まだなんの肩書もない無名にすぎぬジョオンズだの、パアシイだのを――お取巻きとして、いつも側近においていた。そういう怪しげな連中に交じって、思いもかけない満足を見出すのだった。しかし彼らの生活程度は、ベエコンの世帯に驚くべき失費を課した。彼はすでに借財を背負い、貸付人たちはようやくつむじを曲げようとするころだった。どういう角度から眺めても、検事総長になるのは、らくな身分になる最高条件であることに、今はなんの疑いもないのだった。
 エセックスは最初、検事総長の任命は速やかに許可されるものと信じて疑わなかった。女王の御機嫌のよいのを見計らってベエコンの名を持ち出したのだったが、すぐ彼は自分の希望の行く手に容易ならぬ障碍が横たわっているのに気がついた。おりあしくも二、三週間前のことだが、ベエコンは下院における議席から、女王の要求によるある補助税の採決に反対したものである。税額が過重であるし、徴収期間も短すぎると、彼は演説したのだった。上院が調停を試みて、下院を招いて協議しようと企てた。それに対してベエコンは、上院議員たちに財政問題に容喙させる機会を与えることの危険を説いて、上院の企てを挫折せしめた。エリザベスは激怒した。そのような問題について、一下院議員ふぜいが妨害するのは、不忠義以上のものだと、彼女は感じたのである。以来、女王はベエコンが御前に伺候することを差し止めた。エセックスが、彼女の感情をなだめようとしてもだめだった。ベエコンがなんと弁解しようとも、許しはしないと、彼女は思うのだった――ベエコンの弁解は、自分は単に義務感からのみ、ああしたのだというにあった。補助税に対する反対演説は、このうえもなく理に適っていた。しかし、そんな演説をやらないほうが、いっそう理に適ったことだったのである。ベエコンはあまりに経験が浅い、彼は理論家にすぎぬ、それよりも、エドワアド・コオクこそ健全な司法官だと、女王はいうのである。何週間、何カ月が過ぎ去り、そしていまだに検事総長の椅子は宙にぶら下がったままだった。それゆえベエコンの夢見る人類の復活は未払いの借用証文の山の頂に、しだいに影の薄いものとなった。彼は掻き集められるだけの金をあらゆる処から掻き集めた。アントニイも土地を売って、収入を弟に提供した。フランシス自身もその土地を売ろうと決心した。だが、売っていいのはただ一つの不動産であって、しかもそれは、母の賛成がなくては処分することができないようになっていた。土地を売ろうという息子のフランシスに、彼女は猛烈に反対した。反対したが、気の荒い婆さんもさすがに、自分の感情を真っ向うから表現するのは悧口でないと考えた。そういう場合には、いつも兄のアントニイのほうへ感情を差し向けたくなるのだった。彼女の悩乱を、弟の目よりもっと静かな兄のほうの目に向かって吐き出し、その悩乱の幾分でも目指す岸に届くことを望むのだった。彼女は長い掴みかかるような腹だちの手紙をアントニイに書いた。
「むろん、わたしはお前の弟をかわいいと思いますよ。でも、あの子が自分自身をかわいがらないで、パアシイなどという乱暴者を、あのときあの子にもいったように、馬車のお伴か寝床のお伴かのように養っている間は――なにしろあのパアシイといったら威張り屋で、冒涜家で、おまけに贅沢な男ですからね、あんな男を連れているならば、きっと神さまのお叱りによってあなたの弟は信用を失うか、でなければ健康をだめにするかしてしまうだろうと思って、わたしは気が滅入るのだよ……お取巻きのうちジョオンズだって実際あなたの弟を愛してはいないのです。ただ、彼の信用をいいことにして、あなたの弟を食いものにしながら、大ぼらだけは吹くが、恩はすこしも知らない男です……あのうす穢いむだづかい屋のエンニイをはじめとして、次から次へ食いつめ者が集まってくるばかりで――一人がいなくなれば、いっそう悪い奴たちがわんさと押しかけてきますからね――あの子はもともと素直な若紳士であったし、信心にかけても希望ゆたかな息子だったのに」とベエコン老夫人は怒りに任せて書いている。彼女はフランシスの借財の明細書を渡してもらい、自分に支払いのいっさいを任せてもらうという条件でない限り、けっして土地は手離さない決心だという。「なぜなら、わたしはフランシスの欲深な悪友どもや悪魔サタンの手先たちに、お金を使われたくないからです。そのお金であの人たちは、きっとばからしい罪を犯しますから、神さまのお怒りに触れ、フランシスの信心がそこなわれるにちがいありません」と、これが彼女の結論だった。そこで、土地はどうなったかというと、老ベエコン夫人は結局、息子たちに敵わなかったわけで、条件なしに承諾してしまった。そこでフランシスは、すくなくともその当座だけは、借財の心労から解放された。
 一方でエセックスは、ベエコン推挙の手を女王に向かって緩めなかった。それについてアントニイは母親にあてて書いている、「伯爵がわれわれ兄弟のために親切を尽くしてくださる恩徳については、どんな言葉でいい表わしてよいかわからないほどです。いずれにしても伯爵は今、崖っぷちに立っていられるのですが、神さまのおかげによって凱歌をあげてくださることは、もう目に見えています」伯爵は長い御前会議が終わるごとに、兄弟のいずれかに手紙で報告した。いつの会議でも、エセックスはエリザベスに例の任命を迫ったのである。けれども「凱歌」はなかなか挙がらなかった。検事総長の椅子が空いたのは一五九三年の四月であったが、いま冬もこようとしているのに、椅子は塞がらないのだった。彼女はあらゆる種類の疑惑と故障を持ちだし、それに対するあらゆる答えにたちまち調子を合わせる、と思うとまた突然に逡巡し始め、もうひと息で決定に傾こうとするようなようすを見せるくせに、次の瞬間にはいきなり怒り出しておいて、またかわいらしい女になりながらダンスのなかに紛れ込んでしまうのだった。いいだしたことが、拒まれようとはどうしても信じられぬエセックスは、ときに自分のほうがほんとうに腹をたてることもあった。すると彼女は嘲弄の針でエセックスをちくりと刺しておいて、男の目から流れ出すじれったい涙を見物するのだった。検事総長の椅子とフランシス・ベエコンの運命は、見え分かぬ愛情のクモの巣のなかで、手も足も出ないのである。ともすれば戯れが化して激情となることもある。その冬の間、一度ならず若き伯爵は突如として、ふてくされてなんの前ぶれもなく宮廷に姿を見せなくなってしまうこともあった。すると暗いげっそりした影がエリザベスの顔の上に落ちかかってくる。するとまた、やはり突如として彼は宮廷に帰ってくる。そして女王の軽蔑をこめた悪態やら、鳴り響くほどなお叱りにさんざんやっつけられる。喧嘩は短いし、仲直りはおいしいし、である。十二日節の前夜、白宮殿ホワイトホールではお芝居と舞踏会があった。美しく飾られた高い玉座から、女王はお祭りを眺めおろしながら、お側に控えたエセックスをときどき顧みては「あでやかにも美しい御様子にてお言葉をかけ給うのだった」と情景を描写したアントニイ・スタンデンという老臣の手紙が今も残っている。幸福と平和のほかにはなにもないときであった。そして、金銀珠玉の輝く間に、この世の者とも思われぬ女王さまはすでに六十回めの誕生日を経た身でありながら、ほとんど若き春にも紛う美しさに照り映えて見えるのだった。お側に控えたあの騎士が、かかる奇跡をつくり上げたのであり――いまわしい年月の長い歴史を、瞬間の無為に微笑みとともに投げ込んでしまったのである。延臣たちは、なんの矛盾も覚えずに、驚嘆の目を瞠った。アントニイ・スタンデンは書いている。「おん美しさは、わが老いぼれの眼にも昔のままのおん美しさに拝せられ」たのである。
 そのような夜の立て役者ヒイロオがいいだして拒まれる何ものがありうるだろうか? 任命決定の日はいよいよ近づいた気配であった。バアリイは女王に決断をうながし、エドワアド・コオクこそ適任であると献言した。彼女はコオクを選ぶだろうとは、セシル父子の信じて疑わぬところであった。が、ある日サア・ロバアト(息子のセシル)は、エセックスと馬車をともにして市街を通りながら、ここ一週間たらずの間に、任命は決定を見るだろうと語った。「どうぞ閣下、誰を任命したいと思っていらっしゃるのですか、おっしゃってください」と息子のセシルがいうと「あなたは私がフランシス・ベエコンを支持していることをよく御存知のくせ」にとエセックスは答えた。するとサア・ロバアトは「閣下! あなたがそのように常識にない、また不可能なことに、労力を費やされているのがわたくしはどうにも腑に落ちかねるのです。もし閣下が検事次長を、とでもおっしゃるのなら、陛下も、もっと消化し易いことに思し召すだろうと思いますがね」そこでエセックスは笑いだした。「どんな消化し易いものだって、私に消化させないでくださいよ」と彼は叫んだ。「フランシスのための検事総長の椅子。それがぜひ私の手にしなければならぬものなのです。そのためには私は自分のあらゆる権力と威力と勢力と、そして友情とを浪費するつもりです。相手が誰であろうと、私は歯と爪とをもって彼のためにその椅子を守りもし、獲得もしてやります。だからあなたも、用心していてくださいよ。とくにサア・ロバアトよ、私はふしぎでならないのですが、あなたにしろ、お父さまの大蔵大臣閣下にしろ、あなたがたにあれほど近い親類であるベエコンよりも、赤の他人を選ばれるという心理は、いったいどういうんでしょう」サア・ロバアトは、なんとも答えなかった。そして馬車は、怒れる大臣たちを乗せたまま、音高く走った。二つの党は、たがいに目をむいて向かい合った。コオクかベエコンか、力比べをやろうじゃないか。
 だが、エリザベスの態度はいよいよもって、曖昧になるばかりだった。問題の一週間はたったが、任命の気ぶりさえ見えなかった。ハップトンの宮廷で、のらりくらりと精神的麻痺にかかったような彼女だった。彼女はウィンザアへ居を移そうかと思った。そしてその命令を発しながら、しかも沙汰やみにしてしまった。毎日毎日彼女の心は変わった。いったい移転したいのか今の場所にとどまっていたいのか、それさえ決定するのが不可能だった。女王専用の荷馬車の馭者が、彼女の御物を運ぶべく三度も喚ばれて、三度とも用はないから帰ってよろしいといわれた。「これでわかったよ」と馭者は叫んだものだ、「女王さまだって、俺の女房と同じように婦女子の一人にちがいないや」女王は、ちょうどそのとき窓ぎわに立っていてこれを洩れ聞いた。そうして大笑いに笑いだした、「なんというこれは、下郎でしょうね!」彼女はそういい、馭者の口を封じるために、金貨を三つ送ってやった。おしまいに彼女は移転した――ノンサッチへである。さらに二、三週間すぎて、一五九四年のイースタアであったが、彼女は突如として、コオクを検事総長に任命した。打撃は深刻だった――ベエコンにもエセックスにも、そして彼らの一党すべてにも、セシルの勢力が直接挑戦したあげく、彼らが打ち勝ったのである。とはいえ、ベエコンに関する限り、事態を救う可能性はまだ残っている。コオクが検事総長になったのに従って、検事次長の椅子が空いたわけであった。その椅子にベエコンを、とは衆目の見るところだった。セシル父子さえそれを黙認した。エセックスも今度こそはと自負しながら女王のもとに馳せつけたが――女王は非常なよそよそしさで、わたしはベエコンに反対するとの仰せだった――彼を支持するのはただエセックスとバアリイだけではないかというふしぎな理由からだった。それに対してエセックスの抗弁があまりに執拗だったので、とうとう女王は怒ってしまった。すぐそのあとでエセックスはベエコンにあてて次のように書いている。「女王さまは真っ赤になって、他に話題がないのなら帰ってお寝みとおっしゃった。私もむっとして退出したのですが、腹がたっていたので、御前に罷り出る限り私はどこまでも自分の崇拝する人を推挙せざるをえません、ですから申し上げることをもうすこし御寛大に聞いていただけるようになるまでは、二度と御前に伺候しないほうがいいようでございます、といってしまった。それで謁見は終わったのです」検事総長の任命を一カ年近くも拒絶し続けたエリザベスだからとて、次長の選択まで同じように長びかせるだろうと誰が考えるだろうか。いつものぐずぐずをやはり繰り返して、どこまでもどこまでも人々を引っ張ってゆくことが、いくら女王にだってできるものだろうか。
 もちろんそれは、あまりにもできうることだった。検事次長の椅子は十八カ月以上も空のままで残った。その間、エセックスはつねに力を落とさなかった。二六時中しょっちゅう女王を攻撃し続けた。宮内大臣パッカリングにもベエコン推挙の手紙を書き、同じ目的でロバアト・セシルにさえ書いた。その手紙はいう「枢密院議員としてのあなたにこの書を呈して申し上げたいのは、もしベエコンを登用されるならば、陛下の御即位以来、光栄ある御用に対してかつてこれほどまで有能な適材はなかったということになるでしょう」あの老人のアントニイ・スタンデンも、伯爵の粘り強さには驚かずにいられなかった。はじめ老人の見込みでは、伯爵は追求の根気のない人で「伯爵はド、レ、ミ、ファを習う子どものように、しょっちゅう耳を引っ張らなければならない人だ」と書いているほどだったが、いまや老人は、伯爵に極端な粘着力のあることを、ひとりでに認めるにいたった。一方で、ベエコン老夫人の意見を聞いてみると、彼女はゴオランベリイでぷすぷす燻りながら「伯爵があんまり騒ぎたてなさるから、なにもかも打ち壊しになってしまうのだ」というのである。女王さまだって、フランシスとあべこべの精神の持主のお口添えでは、いきおいフランシスの値打ちを低く見ておしまいになるのだとも未亡人は考えるのだった。たぶんそうだったであろう。だが、一度ならず彼女は今にもエセックスに同意しそうな気配を見せた。ファルク・グレヴィルが謁見したとき、彼が友人ベエコンの名を持ちだす機会を捉えると、彼女はすこぶる「御機嫌斜めならぬ」ようすだった。エリザベスは「そうね。だいぶ見込みはできてきたようだわ」この表現は強情なウマが、どうやら馴らされてきたというときに使われる表現ではなかったろうか。しかし、グレヴィルは、今度こそ友だちは成功すると信じて疑わなかった。「五十ポンドに対して百ポンドでも賭けよう。検事次長には君がなるのに決まっている」と彼はフランシスに書いた。
 友だちがみんな希望に輝き元気になってくる一方で、フランシス自身はすっかり神経焦燥に陥ってしまっていた。いつまでも緊張したままいることは、敏感な体質には耐えられないことだった。それでいてなんのきまりもつかずに月日はたってゆく、彼の兄と母も、同じように神経質になり、別々の方法で悩乱を訴えている。兄のアントニイが感情を牒報の海のなかに溺れしめることによって忘れようとしている間に、老ベエコン夫人はあの発作的なわがままな怒りに、け口を見出していた。アントニイの一人の召使が、ゴオランベリイの老夫人宅に滞在していたが、ある日彼は、雌イヌのグレイハウンドについて、いとも悲しい物語を、主人アントニイに書いてきた。「御後室さまは、イヌを御覧になるや否や、締め殺してしまえとおっしゃいました」召使の男は躊躇した。しかし「すぐまた、御後室さまは私に御伝言なさいまして、もしイヌを追い出さないなら、いつまでも寝床のなかでお寝みになれないとおっしゃるのです。むろん、私はイヌを絞め殺しました」ところが、「御後室さまはたいへんなお腹だちで、お前は気ちがいだ、早くお前の主人のところに帰って、せいぜい主人をばかにするがいい。わたしにはいらない男だよと、おっしゃいました。……それ以来、御後室さまは私にお言葉もかけてくださいません。私も御後室さまを怒らせるつもりはないのですが、でも、誰だって御後室さまの御機嫌を、とりむすび続けることはできないのではないかと、拝察いたしました」とはいうものの、この当惑した男も、一つの思いつきに慰められている。「雌イヌは役にたつしろものではございませんでした。役にたつ奴なら、締め殺すのではなかったのですが」未亡人は未亡人で、心の落ちついたときには、なんとか気を変えようと試みる。息子の心をも、俗世間から引き離してやろうと試みる。「ほんとに悲しいことです」と彼女はアントニイに書いている。
「あなたの弟は内心の苦悶でだんだん健康を害しています。誰に聞いても彼は痩せ衰え、青ざめてきたといいます。どうぞあの子が神さまをあがめ、説教を聞き、聖書を読むようになってくれまして、おかげをこうむりますように」
 しかし、この忠告もフランシスを動かしはしなかった。神よりももっと他の方向へ彼は目を向けたいのだった。彼は女王にりっぱな宝石を献上したが、それはいと鄭重に突っ返された。彼はまた外国へ旅行したい気持を女王に通じた。が、それもまた、今度はかなり手ひどく、禁じられた。神経は荒れすさび、彼は、自分の志望を邪魔したと信じる宮内大臣パッカリングに手紙を送って、怨みつらみのありったけを述べた。そして同じく雌ネコを思わせるような文体の手紙で従弟のロバアトを攻撃した。「卿よ、私はある聡明な、あるあなたのお身かたでない男から、次のような事実を、これはほんとうの話だといって聞かされました。閣下はコヴェントリイ氏に、二千アングルの金で買収されていらっしゃるという事実です……その友人はなおつけ加えてこうもいうのです、あなたの召使や、奥さまや、それから私の事件に対するあなたの態度を見知っている議員たちの話で、彼はあなたがこっそり私に反対の糸を繰っていられることを知っていると。そんな話がほんとうであろうとは、私には信じられませんが」任命はなおどっちに傾くとも決まらないでいた。そして、それは、聡明で機敏なベエコンが自分自身の出世のためになして受けた損害を、短期で軽率なエセックスが巧みな外交辞令とともに賠償せざるをえなくなったような、傾きかたをした。
 一五九五年の十月、フレミング氏が任命され、エセックスは敗北した――二重の敗北だった――彼自身の威信の失墜は甚だしいものである。けれども彼は慇懃な貴族だった。敗れてまず気にしたのは友だちのうえだった。この友を彼は希望で釣ってきた。しかも、友は彼をあまり信じすぎたために、あるいは見込みを誤ったために、かえって失敗したのだった。任命が決まるや否や、彼はフランシス・ベエコンを訪れた。「ベエコン氏よ、女王はあなたを斥け、他の人を任命されました。あなたの失敗があなたのせいでないのを私は知っています。ただ手段として私のような者を選んでたよられたのがいけなかったのです。私のためにあなたは時間と心労を浪費されました。もしあなたの損害をなにほどか償うことができないのなら、私は死ななければならない。私はほんのすこしですが土地をあなたに差し上げたいと思う。受け取ってくださるでしょうか」ベエコンは辞退した。しかしすぐ彼は受け取った。伯爵が贈与した土地は後日ベエコンが売って千八百ポンドの金にしたが、それは今日の金の値だんにすれば、すくなくとも一万ポンドに当たるものである。
 たぶん、全体から見れば、このような成行きもベエコンにとってはしあわせな終りかただったのかもしれない。人は、いずれにしてもブウス氏でなかっただけでもしあわせだったといわねばならない。ブウス氏は、アントニイ・ベエコンの下まわりの一人だったが、気の毒にも、突然大審院の法廷で、苛酷な罰金と、禁錮と、そして両耳を削がれる刑をいい渡されたのだった。一人として彼がそんな判決に相当する罪を犯したと信じる者はなかった。だが、この事件の真相を究明しようと決意した者も幾人かあった。私たちはここで、アントニイが残している通信文をたよりにして、司法当局を相手に闘われる英雄的な闘争と同時に行なわれた、小さな薄汚い、そして滑稽な密謀に一瞥を投げてみようと思う。
 エドモンズ夫人という官女があった。ブウス氏の友人たちが、彼女に近づいて百ポンドを握らせた。ブウス氏の赦免について、女王に取りなしてもらうためである。彼女はただちに女王の御前に出ていった。女王はことごとく御機嫌だった。が、つごうの悪いことに、陛下の仰せによれば、ブウス氏の罰金は、すでに女王の厩の馬丁頭にくれてやる約束になってしまっている――「ずっと以前から仕えている男でね」――だから罰金については、もういかんともし難い。「あの馬鹿者は、なんとかして懲らさなければならないとわたしは思っているのだよ。だから牢屋にはぜひ入れなければなりません。だけれどね」と彼女は急に慈愛深い調子になって、エドモンズ夫人にいった、「もしお前が、このことでなにかよい便利にありつけるとおいいなのなら、牢屋に入れることだけは許してやってもいいんだがね。あの耳はそうねえ……」そこまでいったとき、女王はひょいと肩をすぼめた。そして対話は終わった。エドモンズ夫人はこの事件で「よい便利」にありつくことになんの疑惧も持たなかった。そして値だんを二百ポンドに吊りあげたのである。彼女は事態をよくするかわりに、いっそう悪化させることもできる、なにしろ彼女は女王に信任があるばかりでなく宮内大臣にだって信用があるのだからと、嚇しつけたものである。これはたいへんな女だと驚いたアントニイ・スタンデンは、値だんを百五十ポンドに妥協しましょうよと提言した。しかし、ついに罰金は支払わなければならぬ、同時に、エドモンズ夫人にも百五十ポンドを支払うという条件で、投獄だけは免除されたらしいのだが、卑俗な事物のうえにも高い事物のうえにもこの朦朧時代の性格ははっきり現われている。そして偉大な人物の心理の神秘や、女王のふしぎな欲望が、どんなに研究してもわれわれにわからないごとく、その後のミスタア・ブウスの耳の運命についても、われわれはなんら知るところはないのである。

第六章


 ブウス氏事件も残酷な喜劇ではあった。が、ここにまたもう一つ、ブウス氏の場合と同様に朦朧たる、しかしそれよりも遙かに凄愴で重大な犯罪疑獄が持ちあがった。それは突如としてごうごうたる世論を捲き起こすとともに、伯爵の全関心を吸収してしまった――医師ロオペの、無残な悲劇がそれである。
 ルイ・ロオペは一介のポルトガル人的ユダヤ人だった。そういう生まれのために、宗教裁判によって本国を追放された。そこで彼は、エリザベス朝の初頭にイギリスに亡命して、ロンドンで医術を開業した。医者は大成功だった。セント・バアソロミウ病院の常番医となり、上流人士の掛り医者となった。レスターもウォルシンガムも彼の患者だった。ロンドンに滞在すること七年の後に彼はついに、女王の侍医頭じいのかみという、医師としての最高の地位を獲得したのである。
 ユダヤ系外人医師に対して、彼に負かされたイギリス人医師がとかくの風評をたてたのもきわめて自然であろう。曰わく、彼の出世は医術が優秀だからではなく、巧みな社交術と自家宣伝のおかげだと。だが、ロオペ博士は女王の寵に隠れて安全だったし、また、そんな悪意は無視してよかった。一五九三年の十月には、博士はすでに富裕な老人であった――実践的なクリスチャンであり、一人息子をウインチェスターにおらせ、自分の邸をホルボオンに持つ。財産といい、境遇といい、申し分もない身の上であった。
 おりから、彼の同国人、ドン・アントニオもまた、ポルトガルの王冠を主張しつづけてイギリスに亡命していた。四年前のスペイン遠征のとき、惨めにもリスボンでつまずいて以来、この不幸なドン・アントニオは急速に没落してゆき、四面楚歌のなかで貧窮に苦しむ身の上であった。ポルトガルの大衆が自分のために蜂起するだろうという彼のはかない望みをエリザベスはもう信用しなかった。イギリスへ亡命するとき持ってきたすばらしい宝石の数々が一つから一つと売られてゆくし、取りまく侍臣たちはがつがつ飢えている。彼は息子ドン・マノエルとともどもに追いたてられて、イートン・カレッジに宿を借りることとなった。爾来、女王がウインザアに滞留するたびに、人々は彼が宮廷の近所へうろつきに出るという、寒々とした光景を見るようになった。
 とはいうものの、ドン・アントニオとて、対スペインの勝負に、またいつか、役にたつ質物にならぬとも限らないのである。エセックスは、彼のうえに友情の目を注ぎ続けた。なぜなら、伯爵は反スペイン党の先鋒だったからである。一方、セシル父子は当然平和論者だった。両国のどちらに利益を齎らすという理由からでなく、ただ戦争のための戦争が切迫しつつあると見て、彼らはかかる危機の一日も早く解消することを望むようになった。そのセシルの態度だけで、エセックスを好戦的ならしめるに充分だった。しかしセシルに反対したいためばかりに動いているのでもない。休息を知らぬ、そしてロマンチック気質が、彼を切ないまでに戦争の冒険に駆りたてるのだった。かくしてはじめて彼の天性は発揮される。かならず彼は敵を持たなければならぬ。
 内には――誰がこれを疑おう――セシルを、外には――これも明らかに――スペインを! そのようにして、エセックスはエリザベス朝の新しい国粋派の中心人物になってしまったのである。宗教的でも政治的でもない。一種の国粋主義は、何十年も長い狐疑と準備の後、硝煙晴れた海の上に敵の無敵艦隊が撃破されてあるのを見た瞬間にイギリスが獲得した、不屈の剛気と華麗な自信と胸躍る挙国一致の感激の表現だった。その瞬間、タンバーレンの壮大なリズムをもって、新精神は鳴り響いた。
 エセックスこそ、その新精神の権化だったのである。彼は決定的にスペインをたたきつけることにより、イングランドの偉大さを確立すべきであった。そのような企業にとっては、たとえ見るかげもなくなったドン・アントニオだって、使いようによってはまだまだ役にたつであろう。ひょっとしたら、もう一度ポルトガルに遠征の軍を催すかもしれぬ。今度は、この前よりもっと運のいい遠征になるだろう。すくなくともスペイン王フィリップも同じ意見にちがいない。彼もまたドン・アントニオをなんとかしてこの世から葬りたいものだと、このうえもなく神経質になっていた。一再ならず、アントニオ暗殺の計画が、ブリュッセルとエスキュリアル(スペイン王宮)とで計画された。物ほしさからなんだってやりかねぬ輩がフィリップの手先となり、スペインの金で買われて、殺意に溢れながら、イギリスとフランダースの間を、いったりきたりした。そのようなとき、全欧州にわたるスパイ網を通して、アントニイ・ベエコンの眼が光っていた。ポルトガル王冠の主張者は保護されなければならぬ。長い間、なんの確報もはいらなかったが、彼はじっと待った。ついにある日彼の心労の報いられる日はきた。
 一つの情報がエセックス邸にはいってきたのである。ポルトガル人、エステバン・フェライラと称する紳士。右は主人ドン・アントニオを熱烈に支持したために破産して、目下ホルボオン街のロオペ博士邸に寄寓している。しかるにこの紳士はおのれの旧主ドン・アントニオに対して謀叛の志を生じ、スペイン王に内通を申し入れた、というのである。この報告は充分に信ずべきふしであるので、エセックスはただちにエリザベス女王に乞うてフェライラ逮捕の命を受けた。はっきりした罪名は被せないで、すぐ身がらをイートンのドン・アントニオの邸内に監禁することとした。同時に、ライ、サンドウィッチ、そしてドオヴアの諸港には、ポルトガルからはいってくる手紙や文書はいっさい抑留して検閲すべしという命令が飛んだ。フェライラ逮捕さると知ったロオペ博士はただちに女王に謁見して、同国人の釈放を願った。「ドン・アントニオはいけない人でございます。侍臣たちの取扱いは悪いし、陛下の御恩も忘れております」エリザベスはただ耳を傾けていた。もしフェライラの釈放をお許しくださいますなら、と彼は懸命に説く、「この男はイギリスとスペイン両国の和平のために奔走いたしますでしょう」この暗示がたいしてエリザベスの心を動かさないと見るや、「それとも、もしも陛下が、その方面のことをお望みでないのでございましたら……」彼はちょっと口をつぐんだ。それから、非常に謎めかしいいいかたで「瞞着人を瞞着してやるということはいかがなものでございましょうか」この謎の意味は、なんとも解しかねる。ただ博士は万一の場合のいいのがれを用意したいいかたをしているのだということだけはわかる。――彼女は――ベエコンの記録によれば――「嫌悪と不許可の言葉をもって答えた」女王を動かすことはできなかった。そう思い知り、博士はうやうやしく頭を下げて御前を退出した。
 二週間後に、かねてよりロオペ邸の近くに住んでいたポルトガル人、ゴオメ・ダヴィラという生まれの低い男が、サンドウィッチ港で逮捕された。身体検査の結果、ポルトガル語の手紙を一通携行していることが発見された。差出人の名も、あて名の名前も、イギリス官憲にはわからなかったが、手紙の内容は、怪しいふしぶしの充分にある文句だった。「この手紙持参の者は、閣下の真珠が幾ばくに値ぶみされ候かを、閣下に告げ参らすべし。余は、それらの宝石について一ペニイの駆引きもなき、ぎりぎりの値ぶみをお耳に入るる者にて候。……なおこの書持参の者は、かの少量の麝香クスマ竜涎香アンパアについて、余らの間に決定を見たる買取り値だんを御報告申し上ぐるはずに候。……されど、当方の差し値を決する以前に、いちおうそちら側の希望値だんも承りて宜しく候。しかして閣下もし共同出資者たることを諾したまわば、お互いの儲けの莫大ならんことを、余は信ぜざらんとするも能わざる者に候」これらの文章のどこかにもっと隠された意味はないか? ゴオメ・ダヴィラが告白するはずはない。彼は厳重な監禁のもとにロンドンに送られた。係官に取り調べられるまえに、控室にしばらく待たせられた間、彼は一人のスペイン語の話せる紳士を見かけた。そして、この紳士に、自分が逮捕されたことを、ロオペ博士に通知してくれるようにと頼んだのであった。
 一方、フェライラは、ある日、李下で冠を脱ぐ以上のことをやってしまった。すぐ近くに住んでいるロオペ博士へ一片の書付を届けるような工作をやったのである。「神かけて、ゴオメ・ダヴィラが、ブラッセルから帰ってこないように手配ありたし」と彼はその手紙のなかで警告している。「もしゴオメが捕えらるるならば、博士よ、貴下は永久の破滅に陥らるべし」ところで、ロオペ博士は、まだダヴィラが捕まっていることを知らなかったので、ただちに返事を紙片に書いて、ハンカチに包んで届けてきた。「小生はすでに二度も三度もフランダースにあてて、ゴオメに帰るべからずという指令を発している。たとえ三百ポンドの費用を要しようとも、彼の帰朝は差し止めたいと思う」
 二つの手紙は、途中で政府のスパイの手にはいった。スパイは、書写しを取ったあと、なにくわぬ顔で、あて名人にそれぞれ渡したものである。それから、フェライラを呼びだして、彼の手紙の写しを見せながら、お前は、こんな手紙をロオペ博士に送ったろう。博士がお前を裏切って訴え出たのだぞと教えると、フェライラはたちどころに博士は何年も前からスペインから手当をもらっていると断言した。彼の告白によると、ドン・アントニオの相続者である息子を誘拐してスペイン王フィリップに売り渡す陰謀は、かねてから計画されているので、その実践を指導しているのが、ロオペ博士だというのだった。三年前にロオペは牢にいたが、スペインにいってドン・アントニオ毒殺の手配をするという条件でポルトガルのスパイから釈放を許されたのだった。というようなことまでフェライラは陳述した。同時に、ゴオメ・ダヴィラは、ロンドン塔のなかで、拷問にかけられた。力尽きて彼が告白するところによれば、彼の役目は仲介役だった。ブラッセルにチノコと称するポルトガル人がいる。これはスペイン政府から給料を受けている男で、彼はこのチノコと、イギリスにいるフェライラとの間の通信を、持ってきたりいったりするために雇われた者であり、麝香と竜涎香の手紙は、チノコが書いたもので、あて先は変名になっているが、フェライラであるという。けれども官憲は、さきのフェライラの告白を基礎として、さらに追及をきびしくした。ドン・アントニオの息子を売る陰謀があるというのは、たしかに事実だと、彼は肯定した。この息子の値だんは五万クラウンであって、麝香と竜涎香の手紙もこの取引に関するものにほかならない。今度はフェライラが、右ゴオメの陳述に基づいて訊問され、そのとおりであると告白した。
 二カ月後である。ブリュッセルのチノコと称するポルトガル人から、権勢家バアリイに一通の訴状が届いた。その申し分は、イギリスの安危に関し、きわめて重大なる秘密を、ブリュッセルで聞き込んだ。ついてはこの秘密を、女王陛下に奏上したく存じるゆえ、イギリス領土内の安全通行券をもらいたいというのである。安全通行券は送られた。バアリイが後日語ったところによると、この通行券には「巧みな仕掛けが施してあった」つまりイギリス領土内にはいってくる自由は保証してあるが、出てゆくときの安全についてはなにも書いてない通行券であった。まもなく、チノコはドオヴアをのこのこ渡ってきた。すぐ逮捕されロンドンに送られた。身体検査をすると、巨額の金の為替券と、フランダース駐在のスペイン総督からフェライラにあてた二通の書状が出てきた。
 チノコは、いろいろの経歴をくぐった青年だった。幾年間かはドン・アントニオについて、運命の浮沈を分かち合ったこともある。続いてモロッコ戦争に従軍し、ムーア人の捕虜になって四年の苦役を果たした後に、イギリスに渡って主人ドン・アントニオに合流したものであった。貧窮の果てに分別を失って、とうとう仲間のフェライラと同様に、身を昨日までの仇敵スペインに売り渡してしまった。しかし、若く、強く、力あるチノコにとっては、裏切りと冒険の人生もまた大きな魅力だったのかもしれない。恐怖にも味な趣がある。それに「運命」という奴が気紛れもので、若い、大胆な無法者の陰謀家は、いつ富籤から黄金を、あるいはいうにいわれぬさいの逆転を、抽き当てるかわかったものではない。
 身体検査で発見された二通の手紙は、わけのわからぬ神秘なもので、なんとか魔法めいた判読法でなければ解決されそうもない。そこで、二通とも、自分でこの若者を取り調べようと決心したエセックスの手もとに送られた。取調べはフランス語でなされたが、チノコはちゃんと陳述を用意していた。彼はいう、自分がイギリスにきたのは、ゼスイット教徒が、エリザベス女王を亡きものにしようと計画していることを聞き込んだので、それを女王さまに密告するためなのだと。しかし、伯爵の急追にかかるとたちまち、チノコは窮し、苦しまぎれに、いうことが裏返ったり、矛盾したりし始めた。翌日、チノコは、バアリイに手紙を書いて自分の無実を訴えた。「エセックス伯爵の訊問があんまり狡猾なので、すっかり面くらい、頭が混乱してしまいました」なにしろ自分はフランス語は不得手で訊問の趣旨を取り違えたり、自分のいいたいことをいいまちがったりした。どうぞ、お願いですから、フランダースに帰らしてくださいというのであった。この手紙の唯一の効果は、いっそうきびしい監禁を齎らしただけである。もう一度、彼はエセックスの取調べを受けた。そして誘導訊問にせきたてられて白状したことは、左のごときものである。「私の渡英は、スペイン政府の命によって、フェライラと会い、彼と一緒にロオペ博士を説得して、スペイン王に忠義させるためでした」あらゆる調査の糸は、一路ユダヤ人ロオペにつながる。エセックスの頭にピンときたのはそれである。第一、フェライラへの秘密通信がすでに深刻な犯罪行為である。そのフェライラをはじめとして、ゴオメ・ダヴィラ、そしていまやチノコまで、すべていうことが、ロオペ博士をスペイン陰謀の中心人物となす点において一致するではないか、彼らの言をそのまま信じるとすれば、陰謀はドン・アントニオに差し向けられているようだが、彼らのいうことなど、はたして信用できるだろうか。真相はどん底まで究明されなければならぬ。エセックスは女王に謁見した。そして一五九四年一月一日、ロオペ博士、女王の侍医頭であるところのドクタア・ロオペは逮捕されたのである。
 博士はエセックス邸に連行され、そこで厳重に監禁された。その一方でホルボオンの留守宅は隈なく捜査されたが、怪しいものはなにひとつ出てこなかった。やがて博士は大蔵卿、ロバアト・セシルおよびエセックス伯の手で訊問されたが、陳述のいっさいは条理だって嫌疑のかかるような筋はさらにない。セシルらの考えによると、彼の眼にはなにもかもスペイン的な陰謀に見え、またあらゆるところにスパイがいるとおびえるのだ。それで今度はこの不幸なユダヤ人に、ばかげた昂奮の快をえようと焦り始めているのにちがいない。女王に何年も忠実に奉仕したユダヤ人ではないか。訊問に答うるところ、いっさいの嫌疑を払いのけているし、態度が終始りっぱであることだけで、この医師に対する今度の打撃が、まったくエセックスの無分別と悪意の結果にほかならないことを保証するに充分であると、セシル父子は確信したのだった。そこで訊問が終わるや否や、彼らは父子ともにロオペの無罪を確信すると申し上げた。しかし、エセックスはすこしも動揺しなかった。彼は反対意見を固持した。女王はそのとき、ロバアト・セシルと御一緒で、ひどく怒っており、エセックスの姿を見るや否や、さっそくの毒舌だった。エリザベスは断言した。
「お前は軽率だよ。無鉄砲な子どもだよ。博士を告発したって、なにも証拠は突き止められなかったではないか。わたしは、可哀想に、むじつだと、はじめからよく知っていたのです。わたしは嫌いだ。こんな事件を起こしたために、わたしが笑いものになるじゃないか」罵言は彼のうえに氾濫した。エセックスは歯を食いしばって直立している。この情景を、ロバアト・セシルは、静かな満足の情をもって眺めていた。おしまいに、エセックスもなにか弁駁しようとしたが、お黙り! と激しくたしなめられて、そのまま退出を命じられた。すぐ御殿を出ると、邸に急ぎ帰り、ひとり一室に閉じこもった。そして憤怒と屈辱に虐まれる身を、寝室のうえにどっと投げ出した。二日間、黙々と、ただ怒りの焔を燃やし続けた後、やっと出てきた彼の形相は、一つの決意で引きしまっていた。笑いものになろうとしているのは女王の名誉ばかりであろうか。いっさいを賭して、セシルの意見のまちがいを、うんと証拠だててやらなければならぬ、ロオペ博士を、法廷にひきずりださなければならぬ。
 奇妙なことに、女王のお叱りとセシルの嫌疑にかかわらず、博士の事件は済んだことにならなかった。彼はまだエセックス邸に監禁されたままであり、他の三人のポルトガル人とともに、とどまるところなく訊問され続けた。かくて、ヨーロッパのあのふしぎな呪わしい取調べ法の一つが始まったのである。ほんとうの正しい刑法学と原理が考えだされたのは、過去二世紀間の徐々な成果の蓄積であって科学の進歩とともにその認識は成長したのである。――つまり証拠の性質についての理解や、人間の心理習性のなかに、経験や理性の整理を徐々に獲得するとともに刑法というものができあがった。誰だって、人間である限り、自分の判断を真に正しいと自認することはできない。そして、何百年の間人類の正義の判断は、恐怖と愚劣と迷信とのスポーツであった。エリザベス朝のイギリスでは、重大事件において、裁判の処理を愚弄に変えるという特殊な風潮が、権威をもって行なわれていた。それは法律からくる理由ではなく、御都合主義からくる理由だったのである。エリザベスの生命のうえに、国のいっさいの組織は依存している。彼女の治世の最初の三十年間では彼女の死は旧教カトリックの君主への譲位を意味し、そうなれば必然政府の組織も完全に革新され、同時に当時政権を持つ者たちは殺されるか没落するかに決まっていた。この事実は、イギリスの政敵にもよくわかっているにちがいないのだから、敵が目的を達するために女王を暗殺するかもしれないという怖れは、きわめて現実的なものだった。邪魔になる王侯を殺してしまうことは当時のヨーロッパの習慣の一つであった。オレンジ公ウィリアムも、フランスのアンリ三世も、フィリップと旧教徒の一味によって、うまうまと抹殺されたものである。エリザベス自身だって、――もっとも、じつは半分のまじめさであったが――スコットランドの女王マリーを、秘密に始末する道はないものかと考えたほどである。
 そのような状態だから、防衛の処置としては、ただ一すじの道が役だつのみである。他のあらゆる考慮は、女王の生命を護るという最高の必要の前には無力たるべきであった。正義の判断などを云為するのはむだだった。なぜなら、正義の判断そのものが、その性質上、不正確を含蓄するからであり、そして、政府は絶対に危険を冒してはならないからだった。古来の諺は逆になった、「十人の無辜が虐げられようとも、一人の犯人を取りのがすよりは好い」嫌疑を起こすことがすなわち犯罪それ自身になったのである。犯行の証拠は審査するのではなく、拡大しなければならない――スパイによって、煽動刑事によって、拷問によってである。白洲に引き出された囚人は鉄心臓の判事の苛酷や、当時の老練極まる法官の悪意に対してどんな弁護士を頼むことも許されなかった。判決はもっとも恐ろしい刑罰を伴うに決まっていた。エリザベス女王のもとにおいては、叛逆罪の世界を支配するものは法律ではなかった。法律に変わる恐怖が、そこを支配するのであった。その感じのもっとも顕著に出ているのは、当時の証拠の収集法である。事件の組立てが、しばしば政府に雇われたさくらどもの根も葉もない陳述によって、でっち上げられているばかりではない、拷問台が存在するだけで、あらゆる証人の言はとほうもなく歪曲されるようになっている。どんな特殊な場合でも、それを使用すると否とに拘らず、えられる結果は同じことだった。拷問にかけるぞ、とおどすだけで、そう仄めかすだけで、あるいは、証人の頭に、今にも拷問にかけられるぞという惧れがあるだけで。――それだけで、まちがいなく致命的な強圧になり、真実と嘘が取返しのつかぬほど混乱して、囚人の口から洩れるのである。そんな方法でえられた告白にこれっぽっちだって信用がおけるだろうか――ただ一人牢屋にいたのが突如大勢の敵意ある判官、老獪な判官たちの前に引きだされ、せわしない誘導訊問を受け、今にも死ぬほどの痛い目にあわすぞとおどされた人間の口から洩れた告白ではないか。
 そして、どれが判官に媚びたい欲望から出た言であり、どれが他人に罪を嫁したい本能から出たおしゃべりであり、どれが手足をもぎ取られるのを防ごうとする衝動からきた、出まかせの告白であるかを、誰が識別しえよう。イギリス政府はいかなる事件をも、有罪と立証することができるわけだった。十人の無辜に対して、罪の刻印を押すことなどいとも容易だ。そして政府は、それを実行した。なぜなら、その他には、一人の実際の犯人を必罰する方法がなかったからであり、十人のうちに、ひょっとしたら、その一人の真犯人がいないとも限らないからであった。このようにして、エリザベスは傷一つ負うことなく、生き延びえたのである。そしてこのようにして、もしウォルシンガムがスパイを用いず、ロンドン塔の湿っぽい牢屋がなく、苦痛に絞る叫喚の合間合間に、判官たちが静かに聴取書を取った被告の陳述がなかったなら、はなやかなエリザベス朝の文化もけっして存在せずに終わったであろうという想定が成り立つのである。
 もちろん、このような裁判にたずさわった人たち自身は、その無茶を自覚しなかった、というのがこの裁判方法の本質的な一面でもあった。拷問は不快だが、やむをえないものと考えられていた。だが、誰一人として、拷問が一部分を受け持つ裁判方法を、それゆえに無価値だとは夢にも思わなかった。当時のもっとも聡明でもっとも有能な法官――ベエコン、あるいはウォルシンガムのごとき――でさえ、彼らが集めた証言によっていきおい到達せざるをえなかった形の結論が、単に彼らの組み立てたからくりの産物であったにすぎないことには、ぜんぜん気がつかなかった。拷問台上の犠牲は、あに一人被告のみならんや。裁判官もまた犠牲だったのである。
 ロオペ博士の事件は、その典型的なものである。彼はセシルの徒を信用しない。スペインに油断することができなかった。おまけに彼は、ロオペという男に――これこそ真相だと思われるが――魚くさいものを感じ取った。そして彼の智慧に対して女王から浴びせかけられた罵詈は最後の拍車だった。全力をあげて、事の真相を底の底まで洗い上げて見せなければ納まらなかったのである。この目的には方法はただ一つある。――むろんポルトガル人たちをあくまで糺明して泥を吐かせようのみ。ロオペは彼を煙に巻いたが、まだフェライラとチノコが残っている。しかも、この二人はすでに組しやすそうなところを見せている。そこで、二人はべつべつの檻房で無慈悲に追及された。両方とも自分の無実をかばうために、やすやすと仲間の罪をいいたて、やがていっそう苦しい拷問をかけられると、ついにロオペ博士こそ陰謀の中心人物であると証言してしまった。では陰謀の性質はなんであるか? もし目的がドン・アントニオの生命にのみあるなら、なんのためのこのぎょうぎょうしい神秘であるのか? だが、他のもっと重要な人物を狙っているとすれば? もしや……? これしきの謎を解くに天才を必要とはしない。ただ四囲の情勢さえ説明すれば、解決はひとりでに心に浮かんでくるのである。スペイン――陰謀――陛下の侍医、それらの物を結びつけて考えてみるがよい。フィリップ王がもう一度イングランドの女王を暗殺しようとしている、ということがおのずから明らかとなろう。訊問のある点に調子を合わせてフェライラは、ロオペ博士がスペイン王に、どんな御指図をも謹んでお受けするという手紙を奉ったと陳述した。そこで訊問は「もしスペイン王が命令すれば、博士は女王に毒を差し上げるようなことも、したであろうか」とくる。フェライラは「もちろん」とうなずく、同じ順序は、チノコの上にも適用され、そして同じ結果に到達されたのである。エセックスが、アントニイ・ベエコンに手紙を書いている。――「私は、もっとも危険にして絶望的な謀叛を発見した。謀叛の目的は、女王の御生命にある。下手人はロオペ博士たるべく、方法は毒害。私はここまで調査した、事件の全貌はやがて白日下に曝されるであろう」
 幸運は博士を見放した。彼の告発事実は、フェライラとチノコの二人の無頼漢の、偽証――拷問の恐怖で吐き出された偽証の構成で作り上げられた。こういった、ああいった、の総和であり、何年も前のある日の会話やら、けっして書かれたことのない手紙の寄せ集めであった。親スペイン、反エセックスのセシル父子の偏見は、この虚偽を洞察するに充分なほど鋭いはずだった。が、ただ一つエセックスに対して反対できぬ不運な事実があった。それはフェライラの陳述のなかに、はやくもアンドラダというポルトガル人スパイの名が出ていたからである。フェライラによれば、このアンドラダはロオペの命令で、ドン・アントニオ暗殺の打合せのためにスペインに渡ったことがあるという。ところで、アンドラダは、バアリイがよく知っている人物なのだ。フェライラがいうとおりの年別に非常に曖昧な理由で彼がスペインに渡っていったことも事実であった。名目はドン・アントニオの御用でゆくということであったが、彼がスペインに買収された人物であったことはバアリイもよく察している。今はブラッセルにいるが、彼とロオペとの間に連絡があったとすれば、究極のところ、博士にとって不利な事実が嗅ぎだされずにはおかないだろう。審問が続行するにつれて、アンドラダの名はいよいよ頻繁に出るようになった。どうやらアンドラダこそは、スペイン宮廷とフランダースの陰謀家たちをつなぐ連絡の中心人物だったらしいのである。
 チノコは繰り返して――あるいは強要されるままに繰り返して――アンドラダがマドリッドのスペイン宮廷に参内したときの光景を彼から聞いた話として長々と描写した。フィリップ王は彼を抱擁し、この抱擁をロオペ博士に伝えよと訓令せられた。王は、そして同じ訓令とともに、ロオペへの下されものとしてダイアとルビーの指輪を、アンドラダに託せられた。エリザベスは、この話を聞いて、今から三年ほど前に、博士からダイアとルビーの指輪を奉呈されて、拒んだことのあるのを想い出した。そこで、博士は再び査問に掛けられることとなった。博士は荒い激しい呪いの言葉で、頭からなにも知らぬと否認したが、それではと、指輪の件できびしく問われると、たちまち彼の語調は変わってきた。なるほど、アンドラダのスペイン行きを、自分もそっと知っているのは事実である。しかし、スペインにやった理由は、そちらで聞かれるような種類のものでは絶対にないといい張るのだった。アンドラダはウォルシンガムから給料をもらっていたもので、マドリッドに派遣されたのは和平交渉を口実として、スペイン宮廷内の気配を探偵するためであった。自分は、当時、ウォルシンガム閣下の特別の乞いにより、使者が自分の名を使うことに同意を与えたのである。それによって和平交渉にほんとうらしい色彩を添えるためであった。つまり、アンドラダは和平を熱望しかつ女王の信任厚きロオペの使としてきたという名目のもとにフィリップに伺候するはずだった。フィリップはすっかり乗ぜられ、例の指輪は、ロオペに贈られたのではなく、女王さまへとて渡されたものである。右はウォルシンガム閣下もいっさい御存知のことだから、あらゆるディテイルを立証されるであろう。もちろん、立証されるというのは、ただ、もし閣下が……と、博士が口ごもると、エセックスは高らかに笑った。セシル父子は、アンドラダが、スペインに買収されていたと信じるゆえ、ロオペ博士を怪しまずにはいられなくなった。博士のお話はおもしろい――あまりにうまくつくられすぎている。お話のすべてが――御覧のごとく――ウォルシンガムの証言いかんの一つにかかっているではないか。そしてウォルシンガムは死んだ人である。
 奇しくもまたひにくなことである。セシルをしてついにロオペの弁護を諦めさせた右の事情が、かえって後世のわれわれをして博士の無罪を主張せしめる根本資料となろうとは。というのは、近ごろになって、スペインの記録保存庫のなかから、一つの書類が発見された。それによって、ロオペ博士の話は実質的に真実であったことが明らかになったのである。アンドラダは王に直接謁見することは許されなかった。したがって抱擁云々のチノコの陳述は嘘っぱちである。だが、ダイアとルビーの指輪は、内閣秘書の手をとおしてたしかにスパイに手渡された。和平の件のほかにもいろいろの交渉が行なわれた。そして、ドン・アントニオがイギリスにおいて監禁されるか、あるいはイギリスから追放されるか、どちらかに処理されるよう、ロオペ博士に一肌脱いでもらおうではないかという意見の一致も見た。だが、エリザベス毒害などという点については、それを暗示しているのかもしれぬと疑わしめるような言葉の一片さえ出なかった。この記録で見ると、実際のところ、――ロオペのうぬぼれとは反対に――スペインはすこしも「瞞着されて」いないのである。このことは、ロオペは永遠に知らないで死んだわけである。彼らスペイン人どもは、ウォルシンガムの政略をちゃんと見ぬいて、敵の仕掛けた爆弾で相手自身を爆破してやろうと立ちまわっただけであった。おまけにアンドラダは金をつかませられ、彼氏はダブル・スパイと化してしまった。イギリスに帰朝後は、うわべは和平のための奔走という名目で、じつはイギリスの情勢をスペインに牒報する、そういう役目をうけおったのだったが、この計画はウォルシンガムの死でおじゃんになってしまった。アンドラダは、立場をかしてくれる人を失い、それゆえセシル(バアリイ)もだんだんアンドラダをスペインに買収された男と睨むにいたったのである。かかる事情は、もし、ウォルシンガムが、ほんの二分間だけ、地球上に生き返られるものだったら、いっさいを説明してくれたであろう。
 セシルの意見がエセックスの意見に敗北したとき、博士の運命についての決定書は封印された。あれほど富裕に心地よく安定していた生活から、エセックスの邸内に監禁され、そしておどされ、苛責され、凌辱され、結局ふと抵抗力を失った瞬間からまったく平静を失ってしまった。なにか良心にやましいものを持っていたことは疑えないようである。フェライラとの秘密通信がなによりもの証拠で、ドン・アントニオを破滅させるような陰謀に加担していたことは十中八、九確実であろう。あるいはスペイン人にたんまりもらった御礼にドン・アントニオに盛る毒は準備していたのかもしれない。けれども女王を毒殺する計画があったかどうかについては、証拠も不充分であるし、それに現実の事情を考えてみればとうてい着手されうる計画でないことは今の目にもわかるのである。エリザベスをうまく殺したって、彼にどんな利益がもたらされるというのだろう。なにかお情けばかりの御褒美が、フィリップからもらえるとでもいうのか。それをもらうかわりにはいっさいを失わなければなるまい。そんな嫌疑を博士にかけるのがそもそも気ちがい沙汰であるのに、気負いたって彼を取り囲んだ迫害者たちは、博士自身の口からどうしても犯意を告白させようということの他には、なにも考えなかった。拷問の攻め道具の二つ三つで、そんな告白はわけもなくえられるだろう。拷問をほのめかすほんのちょっとした目つきで、おそらくはほんの身ぶりで、または意味ありそうな沈黙、といったようなものだけで、こっちの思うとおりの告白をさせるわけにはゆかないものだろうか。たいした時日もかからぬうちに事は成就した。絶えまない訊問が、スペインとの約束で女王を毒害しようとはしなかったかと、繰り返されては、何週間もの間の苦悩で、さすがに心労の精も根もつき果てて彼は突如として崩れ、そして罪を肯定した。それで充分である。事実、勝負の相手は断然けた違いだった。片方は、アントニイ・ベエコン、フランシス・ベエコン、バアリイ卿、サア・ロバアト・セシルに、エセックス伯爵である。そして他の片方は、ポルトガル生まれの、一ユダヤ人にすぎない。
 形式により裁判が始まった。フェライラとチノコは、博士の罪をあばいた功で許されるどころか、かえって博士の共犯者として法廷に並ばせられた。チノコは安全通行証を楯に抗告したがむだだった。三人とも謀叛人として死刑をいい渡された。民衆の昂奮は大変だった。せっかくおさまりかけていたスペインへの敵愾心は、エセックスの思う壺にはまって、再び全国にわたり熱狂的に燃え上がった。ロオペがユダヤ人だったのが単なる偶然の異常事であったことによって、スペイン陰謀に対する憎悪の中心にいっそう暗い陰影を添えたのであった。現代のわれわれは、このときから数年後に上映されたシェクスピアの「ヴェニスの商人」の舞台においてシャイロックのモデルをロオペに見ることができる。しかし、それも的をはずれた想像であろう。事実、シェクスピアがシャイロックの性格を描きながら、すこしでもロオペを参考にしたというなら、それは彼が「ヴェニスの商人」の大人物に似ているからでなく、似ていないからにちがいない。二つの性格は正反対である。シャイロックの全本質は彼の巨大な、悲劇的なヘブライズムにある。それに対してロオペ博士はヨーロッパ化され、クリスチャン化された人物で――弱々しい、哀れっぽい人間である。その招いた破滅は、けっして周囲の紳士社会に反抗したのが原因ではなく、あまりに深く致命的にそのなかに入り込みすぎたのが悪かったのである。しかし、シェクスピアが、この放逐されたヴェニス人の悲劇のなかで、ちょっとした色っぽい身ぶりの下に巧みに陰蔽しながら、ロオペ事件というもう一つの悲劇に秋波を送っていることに注目するのも、はなはだ興味の深いことであろう、「えっ」とポルシャがバッサニオにいう一連の文句――

「あなたは拷問台に立ったつもりでおっしゃってるんじゃないかしら。
それだからなにをおっしゃるやらわかりませんわ」

 聖なる詩人の慈愛と智慧とは、この軽い言葉のなかに微妙に輝いているのである。
 エリザベスは死刑の宣告に勅許を与えるまでに、いつもより、もっと躊躇した。スペインやフランダースから承認、または抗議がくるかもしれないと待っていたとも思われる。彼を無罪なりとする自分の本能的直感を捨てきれなかったこともあろう。法の執行に勅許を下すまでには、四カ月もかかっている。そして――一五九四年の六月――三人の男は橇につながれて、ホルボオンの博士邸の前を通ってチパーンの刑場に引かれていった。この見世物を楽しもうとて、数万の群衆が馳せ集まった。そのどよめきのなかからユダヤ人の医師がいまもなお女王をクリストよりも敬うと演説するのが聞こえたとき、彼らは大笑いに喚きたてた。あとはなにも聞こえなかった。そして老人は首吊り柱の下にせきたてられ、柱に吊るし上げられ、そして、当時の刑の習わしで――まだ生きながらに切って落とされた。それから時好に適った刑罰が続いた――去勢、内臓抉出、四つ裂き――それが済むと、今度はフェライラが苦痛の呻きを発する順番となった。次がチノコである。彼はやがて自分にめぐってくる運命の図を、すでに二度も繰り返して目のあたりに見せつけられている。彼の耳のなかは同輩の叫喚と呻きの声で溢れており、彼の目には、彼らの藻掻きや血潮が灼きついていた。このようにして――ついに若者の冒険は終末を告げた。いや、まだ残っている冒険があった。というのは、吊るし上げてからあまりに早く切り落とされたために、絞首から息を吹き返して、すっと立ち上がったのである。元気のままに、やけっぱちのままに、彼は絞首役人の上に踊りかかった。群衆は凶暴に昂奮し、この勇猛な外国人に歓呼を送りながら、警備を突破して、チノコと役人の組打ちのぐるりを囲んだ(これがイギリス人である!)が、まもなく法と秩序の本能が蘇ったと見えて、二人の壮漢が飛び出し、組み敷かれた役人を援けてくれた。チノコは、頭に一撃を食い、どっと倒れた。今度はしっかり縛りつけられて、そして――去勢、臓腑の抉出、四つ裂きである。
 エリザベス女王はロオペ博士未亡人に慈愛をそそいだ。公権喪失を宣せられた故人ではあるが、その遺品、動産のたぐいは、すべて未亡人に下げ与えられた。――しかしただ一つだけ、例外の品物がある。それはフィリップ王からロオペがいただいたという例の指輪であった。彼女は、この指輪をそっと抜き取った――どのような慈愛の心に出たことであるか、誰が知ろう――そして、女王臨終の日まで、この指輪は彼女の指に輝いていた。

第七章


 スペイン問題はしだいに急迫してきた。エリザベスの気質に一番よく合うのは、戦争のない戦争である。しかし、エセックスにとって、そんなものは汚辱であった。またスペインに国の北境を脅かされ、カトリック連盟に領土内を荒らされているフランス王アンリにとっても同様にそれは好ましからぬことだった。フランスの王とイギリスの貴族とが奇妙な結びつきをしたのである。彼らの一致した目的というのは、エリザベスを動かしてフランスと同盟を結ばせることであり、そのことはまたイギリスをしてスペインに対する攻撃を実行せしめることを意味するのであった。両者の間を嵐の使者のウミツバメが彼らのエネルギーを結合させつつ、燃え立たせつつ、頻々として往来した。このウミツバメの名はアントニオ・ペレズといい、スペイン王フィリップに狂的な憎悪を持つ男であり、一たび生死の関をあやうく越えてきた男であった。
 数年前、ペレズは万死の間をのがれて、スペインから渡ってきたものだった。フィリップ王の侍従長だった彼は、殺人事件を起こして王と衝突し、生まれ故郷のサラゴッサ市に逃亡したが、王の差し金により、その町で逮捕され宗教裁判に送られた。彼の運命はそれで決まったかに思えたが、思いもかけない力に救われた。そしてペレズは、一たび宗教庁ホリイオフイスの掌中に落ちたにも拘らず皮膚を全うして行きのがれたただ一人の人間として、史上に残った。彼の告発理由は、もちろん容易ならぬものだった。牢獄のなかで心荒だちながら、この不心得な侍従は、憤怒にまかせて、王のみならず宗教議会をも罵り喚いた。「神は眠っている! 神は眠っている!」そう叫ぶ一語一語が聞き取られ書き留められた。裁判調書はいう「神は眠るというがごとき言葉は異端の表現なり。聖書も教会も神は人類をみそなわすと明言せるに拘らず、あたかもそれを否定するがごとき口吻なり」それだけでも罪に値するのに、「もし王をしておれに対するこのような不届きなことをさせる者が、父なる神だというならば、父なる神の鼻の先を、おれは引っ張ってやろう!」とほざいたのである。
「かかる言葉は」と調書はいう「信心深い耳には冒涜的に、汚辱的に、また反逆的に響くのみならず、神は人間の手足を備うる肉体的存在なりと主張するヴォドアの意見を彷彿たらしむるものなりと信ず。キリストが人の子として生まれ、鼻をもちたらんというとも、弁解たりえず。なんとなれば、彼の言は三位トリニテイの長たる、父なる神を指すものなればなり」火炙りの刑がこのような不届者に適用されるのは明らかだった。それに必要な準備が着々と用意されつつある最中に、サラゴッサの市民が突然、武器をとって蜂起したのである。アラゴンの古き自由、その大昔からの裁判権が、王と宗教裁判の手で蹂躙されたと彼らは叫んだのである。一揆は牢獄のなかへ雪崩れ込み、ペレズを釈放した。彼はフランスにのがれたが、逃がしたサラゴッサの市民は酷薄な復讐を受けなければならなかった。そしてアラゴンの古き自由はこのときを最後として剥奪され、市民党の七十九人は生きながら市場で焼き殺された。この火刑は朝の八時に始まり、松明たいまつに照らされながら夜の九時まで続いた。
 この事件の異教徒的主人公は、いまや追放者としてまた陰謀家としての生活を送っていたのである。明らかに彼は無頼漢であった。けれども、いずれにしても当座は用にたつ無頼漢にちがいなかった。その建前で彼はエセックスとフランス王アンリの重宝ものとなったのである。無数の経歴を持つ男で、それがスペイン王にはことごとく信用ならぬものだった。また彼はラテン華麗体の書翰文の名人で、それでもってその時代の偉人たちの鑑識を即座に掻きたてることができたのである。
 エセックス邸における秘密会議が、時到れりと判断するや、一通の書状が、伯爵からペレズに送られた。手紙はいう、もしフランスのアンリがエリザベスとの同盟を本当に希望するのなら、アンリはかってにスペインと講和するぞといって女王をおどかすのが最上の策である。もしフランスがジュノオであり、フィリップが地下の王神だとすれば、その結論は火を見るより明らかではないか? なぜなら誰が、いくら助けを呼んでもむだだったとき、ジュノオが「天の神々に諾かれざるか、われはアケロンを嗾かさんのみ」とおしまいに叫んだことを知らないほど無知であろうか? 「おっと、私のペンよ、気をつけろ! そしてアントニオ・ペレズ君、しゃべるまいぞ? どうやら私は詩の文句を読みすぎたようだから」
 ペレズはさっそくこの手紙をアンリに見せた。アンリとても、手紙の意味を呑み込むに、のろまではなかった。イギリスの友の忠告に従って、彼は特別の使者をエリザベスに送って、スペインから有利な条件で講和を申し込まれたゆえ、応じたいと思っている旨を通達した。エリザベスは、表面この知らせに動揺したようには見えなかった。彼女はアンリに諫告の手紙を書いて、でもわたしはこのうえあなたをお助けすることはできませんと宣言した。とはいえ、それからまもなく今度は自分のほうから特使をフランスに送った。フランス王の真の要望がどこにあるかを探索して女王に報告するのが特使の役目だったのである。
 特使はサア・ヘンリイ・アントンであって、政府とエセックス邸との両方に忠誠を分かっている有数の大使のなかの一人だった。彼はエリザベスの訓令のみならず、アントニイ・ベエコンの訓令をも、身いっぱいに帯びながら、フランスに渡っていった。ベエコンからアントンにあてて事細やかに教示した手紙がいまも残っている。フランス王に頑張るように伝え給え、そして特使はアンリ王への公式謁見でいかにも冷淡に迎えられたように当方へ報告し給え。そう指令したあとで手紙は次のように書かれてある。「当方へ、いかにも激怒したような調子の報告を送って、わが国の人々がフランスへ援助を申し出でざるをえなくなるようにしてくれ給え」アントンはそのとおりにした。そして激怒した調子の手紙は、いうまでもなく本国に届いた。一方でペレズは「アントンをフランスに送ったために、フランスの感情はいっそう悪化したという意味を書いた手紙」そのような手紙を伯爵にあてて送りくるようにと指令された。ペレズもまたことごとく従順だった。彼は丹念なラテン語で、いまやアンリ王の意がスペインとの講和のほうに傾いていることを申し送ってきた。ペレズ自身は、イギリス政府の政策を諒解しかねるが、たぶん表面に出ぬ神秘な事情が伏在しているものと考えている――「なにしろ帝王の計りごとは、すべて一種の深淵ですから」とも彼は書き添えた。
 ペレズの考えは完全に真相を穿っている。手紙はすべて女王の御覧に供えられた。女王は注意深く読み終わり、ペレズのラテン語に特別な感興を覚えた。それはともかく、彼女は冷静にアンリへ次のような返事を送った、彼女は兵隊と金とをもってアンリの対スペイン戦争を援助するであろう――ただし一つの条件がある、それはカレイ港を彼女の管理に任せることである。この魅力あるエリザベスの提議をフランスは歓迎しなかったのである。「ネコに掴まれるのがいやなら、イヌに噛まれるのが、おれという紙きれさ」と腹だちまぎれのベアルネが絶叫したものであるが。数週間たたぬ間に、彼はそういった自分の言葉が、思ったより以上に真理であったことを知った。スペインの一軍がフランダースから進撃してきた、カレイを包囲し、外郭を破壊したのである。攻囲軍の銃砲の唸りは――カムデンの記録によれば――グリイヌイッチの王宮にまで、はっきり聞こえてきたという。
 これはエリザベスの好まぬところだった。銃砲の音が神経にさわったばかりではない、海峡に睨みを利かす港が、スペイン人に占領されることになれば、明らかに不便利だったからである。次にきたのは、カレイはついに陥落したが、城砦はまだ頑張っているという報告だった。城砦が陥らなければ、まだ遅くはない。ロンドンで愴惶として徴募された兵は、エセックスの指揮下に、全速力でドオヴアに送られた。運がよければ、これでフランスは救われ、状態は回復されるだろう。しかるに、やはり運のいいことにエリザベスの考えが突然変わった。フランスは自分で自分を救うがよかろうし、それに、いずれにしても費用が大変だというのである。そんなわけで軍隊は事実もう船に乗り込んでしまっていたのに、一騎の伝令が海岸に駆けつけてきて、遠征停止の女王の命令書を届けた。例によってエセックスは精力的に喚き愬えたが、そのためにドオヴアとロンドンの間を伝令たちが幾往復かする間に、スペイン軍は城砦を占領してしまった(一五九六年[#「一五九六年」は底本では「一九五六年」]四月十四日)。
 これはひどすぎる。彼女自身、すくなくとも今度だけは、失敗だったことを自分自身に誤魔化すことはできなかった。彼女の政策を貫く大綱であるところの、あの美しき取引が、彼女を見放したばかりでなく、紛れもない事実として、承認せざるをえなかった。彼女は、ひどく立腹したが、ようやく主戦論党の意見に耳を傾け始めた。
 攻撃には、二つの可能性がある。真に実力のある軍隊をフランスに送れば、アンリをしてよくスペインに対抗せしめることができよう。ペレズが、ブウイヨン公とともに急拠海峡を渡ってきたのは、燃えるような熱弁でこのことをエリザベスに掻き口説くためだった。だがこの二人の特使がイギリスに着いたとき、風模様はすでに変わっており、二人は唖然とせざるをえなかった。他の作戦がすでに緒についていたのである。数カ月前からアイルランドで叛乱が湧きたっていたが、カトリックであるその叛乱軍を助けるために、フィリップが着々として軍隊を派遣する準備を進めていることには、信ずべき理由が充分にあった。それゆえに、フィリップの攻勢に先まわりしてスペインに、こちらの海軍をもって一撃を見まうほうがよかろうという提議が出たのである。エセックスは突然にこの作戦に改宗した。アンリ王も、ペレズも、とんと念頭から追っ放り出して、彼は、強力な艦隊を組織して、カレイではなく、キャデイズに派遣することを女王に促したてた。エリザベスは同意した。
 エリザベスは、そのように同意したが、エセックスが留守になると、またペレズのいうことが耳に甘美に響いてくるのだった。再び彼女は迷いだした。たぶんともかく、フランスの王を救うほうが悧口かもしれない。のらネコ退治に艦隊を送るのは、たしかに危険極まる――艦隊なるものは、スペインの侵寇してくるのを防禦するための、彼女のただ一つの武器なのだから。そんなふうに女王が迷いだしたという情報はエセックスにも届いた。彼はいらだった。彼は書いている「女王は我らの行動に異議を起こされている。理由は行動が始まりかけているということの他に、なにもないのである。もし、この軍隊がフランスへ向けて出発し始めたら、すぐまた女王は、今のわれわれの遠征に対して抱かれると同様の恐怖を感じられるだろう。陛下の御意に逆らってなすことの他に、御奉公の道は、私にはけっしてないであろう」 彼は智慧のありったけを絞って、スペイン遠征に賛意していただくように努力したが、もし今にいたって女王を説伏することに失敗するなら、「失敗する一時間もまえに、私は坊主になっちまう」と書き加えている。
 真に一触即発の形勢だった。次にきた情報はフランスとの間に攻守同盟が成立したというのである。その数日後に女王はプリムスにある二人の司令官に宸翰を送った。手紙は誰か下級の士官に司令官の職を譲って、二人の将軍は陛下の御前に帰るべしと命令している。――「閣下らは女王のおぼえ目出たき重要人物なれば、女王は閣下らの海外に出ずることを好み給わざるなり」という文句である。決断しなければならぬという恐ろしい瞬間が近づき、エリザベスの心は独楽こまのようにまわった。彼女は激情と激怒でいっぱいになってきた。彼女は、わたしの意志に逆らって、こんなことをむりじいにわたしにさせたのはお前だよといって、エセックスを呶鳴りつけた。年とった廷臣たちは蒼くなり、なかでもバアリイは震え声で神々しい格言などを持ちだしながら、女王の気持をなだめようと骨折ったがむだだった。情勢は、ウォタア・ラレイの再登場によっていっそうこんがらがったものとなった。彼はそのころ以前にも増して元気に、たけだけしい男になって、語るも尽きぬ富と冒険のみやげ話を携えながら、グイアナから帰ったばかりで、女王には一種黙許の形で迎えられていたのだった。エセックスとホワードとの召還は、ラレイへの司令長官任命の前触れである、ということも可能ではなかろうか? だが遠征そのものは、たとえ裁可されても、また誰が司令官になろうとも、けっして出発できそうもなかった。なぜなら、人もたりなければ金もなく、軍需品もたりなかった。あたかも艦隊は使っても、もう遅すぎる時機にならなければ、けっして出発できないもののように見えた。
 が、真に突如として、霧は晴れた、そして確実性がくっきりと現われた。エリザベスは、それが癖の、疑惑の海の上に、長い長い間信じられぬほどの奇妙な格好で漂ったあげく、遠征軍は出発すべし――ただちに、である。エセックスとホワードが元どおりに任命され、ラレイは副役ではあったが、やはり高い指揮権を与えられた。イギリスの新しい政策方位は、奇妙な事態を生んだ――アントニオ・ペレズの没落がそれである。この気の毒な男は、宮廷への出入りを拒まれ、仏英協約にも決定的な段階には関与することを許されなかった。セシル父子も、彼に言葉をかけてくれなくなったゆえ、失望したあげく、アントニイ・ベエコンのもとに隠れ家を求めた。アントニイ・ベエコンは不承不承な親切を示した。フランスに帰るとそこでも彼を迎える目は冷たく、かすかな敵意さえ浮かんでいた。影は薄れ、消えてゆき、そして沈んだ。
 プリムスで軍備に狂奔している最中、エセックスは、フランシス・ベエコンから一通の手紙を受け取った。大法官のパッカリングが死んだので、記録裁判長のエガアトンが後任された。そこでベエコンは、エガアトンのあとを襲いたいというのである。エセックスはただちに承諾した。軍の組織に大童になっている一方、女王の意志ははっきりしないし、自分の職務には気を配らなければならないし、四方八方からせきたてられて疲労困憊しながら、それでもエセックスは時間とエネルギーの僅かな余裕を見出して、司法部内の大官へ三通の手紙を書いて、如才ない、熱をこめた文章で、自分の友だちを推挙した。フランシスはむろん感謝した。「閣下が今日まで私に賜いました数々の御恩は」と彼は手紙に書いている「私を鼓舞し、私の精神を奮起せしめて次のような熱望を起こさせました、すなわち精神自らこの御恩に恥じぬ値うちあるものになり、そのようにして御恩に酬い、お役にたつものになりたいという熱望です」 しかし、はたして御恩が返せるかどうか「私の誓いの果たされるか否かは、思召しのなかにそれを蓄え給う神様におまかせするほかはありません」
 遠征軍をめぐるいろいろな混乱のうちで、エセックスとホワード卿は角突き合った。二人は陸軍と海軍の対立的な立場での主張をたがいに譲らないばかりか、司令官としての席順にまでいい争った。ホワードは海軍卿であり、エセックスは伯爵である。どちらが高位であろうか? 連名で女王に奉る報告書に署名するときなど、エセックスが、ペンを引ったくってまず自分の名を書く、するとホワードがしかたなくその下に自分の名を書かざるをえなくなるのであった。だが、エセックスが、あっちへいってしまうと、海軍卿はナイフを取り上げて憎らしい署名のところを切り捨ててしまう。そんな奇妙な恰好で、報告書はエリザベスのもとに届くのだった。
 ついにいっさいの準備は整った。出発のさようならを告げるべきときがきたのだった。女王は部屋に閉じこもり、文学的な作文に忙しかった。その作文はファルク・グレヴィルに託される、彼は最後の命令書とともにウマでプリムスに馳せつけエセックスに渡した。命令書に交じって女王からエセックス将軍にあてた私書は、次のような荘重なものだった――「朕は、あらゆるものを創り行ない給う神にこのささやかなる祈りの書を奉らんとす。神の仁慈の手もて汝の上をかざし給い、災いの光を避けしめ給わんことを。かくて、よき事のみ汝の上にあらんことを。願わくは、汝いよいよ健やかにして還り、わが歓びを大ならしめよ」もう一つ、ロバアト・セシルからの手紙があって、友情とともに女王の最後の嬉しい御意を伝えてくれた。「女王は、あなたが貧乏だからとおっしゃって、五シルリングお恵みになります」 それに加えて、軍隊の集合する前で、声高く朗読せよとて、戦勝祈願のための女王の祈祷文もあった。「世界の衆生に君臨し給う全能の神よ! あらゆる心と理解の奥底を測り照らし、あらゆる行動の目指す真の動機を見とおし給う唯一の神よ……精神に霊感を給いし神よ、我ら膝まずき、つつしみて祈り参らす、願わくばわが軍の作業に栄あらしめ、順風をもってその航海を導き給え。勝利を速やかならしめ、凱旋によりて、わが国土を飾る神の栄光と保証とを、いよいよ大ならしむるために、イングランドの血の最少を流さしめ給え。この熱き願いに、神よ、祝福の御許しを給わんことを! アーメン」
 なにはともあれ、遠征は夥しい成功を齎した。どこを目指す遠征であるかの秘密はよく保たれ、それゆえ、一五九六年六月の末近く、イギリス艦隊が、キャデイズ湾頭に現われたのは、スペインにとってまったく寝耳に水だった。最初の瞬間、作戦の誤謬による不幸をもうすこしで招きそうであった。司令官たちは、陸上に向かって危険極まる攻撃を加えよと命令したのである。しかし、ラレイがやっとのことで彼らを説得して、作戦を変更せしめ、海上を攻撃したのだった。それ以後は、万事滑らかに進行した。「進め、進め!」 エセックスは、彼の船が波止場に近づくや、帽子を海に投げつけて絶叫した。十四時間にして、いっさいは終わった。スペイン艦隊は撃滅され、キャデイズの街は武力も財宝もともどもに、すべてイギリスの手に落ちたのである。因縁深くも時のアンダルシア総督は、かつて無敵艦隊を指導したメディナ・シドニア公爵だった。
「これは汚辱でございます」と彼はフィリップ王に報告している。「私はすでに何度も兵隊と金を送っていただくのが、どんなに必要であるかを、陛下に申し上げました。にも拘らず陛下には、御返事さえくださいませんでした。もはや私の力でどうにもなりませんのがむりでございましょうか」 ちょうどそのとき、西インドから帰ってきた五十隻の商船隊が、財宝を満載しながら、内海のある波止場に逃げ込んで、終局の運命を待っているのだった。エセックスはこの商船隊を拿捕することを命じたが、属僚たちの間で事は延び延びになっていた。そして不幸な公爵は、この間に乗じてなすべき事を思いついたのである。彼はただちに命令を与えて全艦隊に自ら放火せしめた。ほのかな微笑が、無敵艦隊破滅の後七年めの今日、メディナ・シドニア公の顔の上をはじめてかすめた。ついに、この劫火のうちの、我慢ならぬ大量焼棄をもって、彼は敵をだし抜くことができたのだった。
 海戦の勝利の栄誉がラレイの手中に落ちる間に、陸戦の英雄はエセックスだった。しかも勝利をおさめるや否や、このような場合にありがちの習いである過度な行動を、即時禁止するだけの人道主義を持っていた。牧師と教会には手をつけず、三千の尼僧は、きわめて鄭重に奥地へ送還させられた。スペイン人自身が、彼らにとって異教徒である将軍の騎士道に魅惑されてしまったほどである。フィリップもまた「こんな貴族は異端者には珍しいね」といっているし、海軍卿ホワードさえも、バアリイに与えた手紙のなかで「世界に伯爵ほど勇敢な軍人はありません。僣越ながら私は判断するのですが、伯爵の行動は偉大な秩序と訓練とで成りたっています。じつにりっぱな武将だといわざるをえません」と書いている。
 エセックスは、女王の思召しを聞くまで、この都市を防備して踏みとどまろうという意見を出した。作戦会議でこれが否決されると、ではスペインの奥地へ進軍するのはどうかと提議した。それもまた賛成されなかったので、今度は、艦隊を沖合に出して、西インドから帰ってくる商船隊を待ち伏せ、彼らが母国へ持ち帰る財宝を掠奪しようではないかと力説した。もう一度、彼の意見は誰の支持するところともならなかった。ただちにイングランドへ凱旋することに、軍議は一決したのだった。キャデイズの市民たちから莫大な賠償金が徴発されたばかりでなく、市街は丸裸になったうえに破壊され、そしてイギリス軍は帆を上げ去った。艦隊が海岸線に沿ってポルトガルの沖合まで帰ったとき、彼らはそこの不運なファロの街を荒涼しようとする自らの欲望に抵抗することができなかった。掠奪は相当なものだった。一つの思いがけもない品目は――僧正ゼロオム・オゾリウスの厖大な蔵書であって、その値うちは測りしれないほどのものである。貴重な書物が山をなす壮観は伯爵の文学魂を有頂天ならしめた。戦利品の個人的な分けまえとして、伯爵はこれらの書物を取得することに決めた。とはいえ、おそらく、彼はそれらの一ページも読みはしなかったであろう。おそらく、勝ち誇ってイングランドへ帰る伯爵の胸のなかの気紛れは、思いがけもない憂愁にふと沈み込んだであろう。なにもかもいやになり、遠くあらゆるものから逃げ出したい――永遠に! 遠く栄誉と闘争から逃げ出して――家庭に帰りたい、再びチャアトレイの少年の日に帰りたい――二度と呼び戻されぬ遠くへ、いつまでも清い孤独と、無為と、夢に埋もれて! 戯れに、自らの名を署名して――半ば微笑み、半ば哀しげに――彼は次のような詩を書いた。単純な言葉言葉は、記憶と予感の合流にせきたてられて、おのずからなる哀感に染められている――

ひろ野の果てに友もなく
世を終わるこそさちならめ、
交わりも、愛も憎みも他所よそにして、
わが眠りぞ安からむ。
さて、ふと目覚めては、神を讃め、
ノバラの実、クロイチゴをまば満ち足らん。
黙想の明け暮れに余世楽しく、
聖なる思い日々に新し。
かくて死すれば墓の小藪に、
優しのコマドリ、ツグミとともに来鳴かんを。
――あわれこのさち

第八章


 エセックスがキャデイズの港を出帆した同じ日に、イングランドではあるもっとも重大なモメントが完了されたのだった。エリザベスが、ロバアト・セシルを彼女の侍史に任命したのである。名実備わる侍史だった。他にもその地位を望む候補者がいた。一群の候補者のなかでも、トマス・ボドレイはエセックスが例の熱烈さで推挙する人物だった。――その熱烈さが、ここでもまた終局には敗北したのである。いまやセシルが決定的にこの高位を占めた以上、この役目につきものの、あらゆる外面上の威信も、内面上の勢力もしっかりと彼のものになったのである。
 彼はテーブルについて、なにか書いている。いかにも優しく、また威厳のある風格である。慇懃な物腰に、一種物静かな説明口調があり、一たび口を開くと、みごとな弁舌で、いうことの意味が溌剌と生きてくるのであった。すくなくとも、ひょいと椅子から立ち上がって、一寸法師の恰好の悪さを、思いがけなく暴露するまでは、そう見える。この美しく明朗な容貌と、あの恥ずかしい佝僂せむしの姿との組合せは、いったいなんの意味を物語るのであろうか? 彼はテーブルに帰り、再びガペンを取り上げる。すると、どこから見ても、やはり明朗に澄みわたる姿だった。彼は身のまわりの騒々しい喧騒の真ん中に――エセックス等々、ラレイ等々の活力や、廷臣たちの右往左往や、エリザベスの口喧しい激情発作や、そうしたなかに、ただ一人黙々とすわっているのだった。鋭い観察者は、この男の辛抱づよい顔の上に、愁いと諦めの色のあるのを、きっと読み取ったであろう。当時の世界の、あの狂気沙汰や野蛮性をまざまざ見せられて、彼は、どうなったか。
 ひにくな目でものを見る癖になったのではない――そうなるに充分なほど、その世界から離れて生きているのではなかったから――ひにくになるかわりに、彼はただ悲しくなったのである。――彼自身その世界の生き物ではなかったか? 彼にはなにもできなかった、全智全力を尽くして、彼のなしうることとは、ただ辛抱づよく働き、待ち、見守ることだけだった。その他のなにができるというのか? 彼は異常な関心を持って、エセックスの行動に詮索の目を注いだ。しかも、彼だってたぶん、思い設けぬ形で、ときどきは――あるいはきわめて稀に――いやほとんどしないといったほうがいいのだが――何事か積極的にしなければなるまい。つまり危機のたびに人知れず、そっと有るか無きかの刺戟を相手に与えるだけのことである。それも瞬きなどで人に気取られるようなものではない。テーブルにすわりながら、手は物を書き続けている。だから手ではなく、テーブルの下の足で小突くだけである。やっている自身、やっているとは意識していないのかもしれぬ。だが結局、全世界を思うままに動かせ、偉大な人物が得意の地歩を占めるのは、そのようなささやかな、目に見えぬほどな動作がもとなのではないだろうか。
 それは外観からいって、この人物の謎を解く緒口ではあるかもしれぬ。しかし、依然としてわれわれにはわからない。ただわれわれは彼のあの物静かで慇懃な態度とともに、次のような人物を見るだけである――公務に非常に忠実だった末に、ついに、幸運にも人臣の位を極めた人、大きな仕事を果たして、イングランド最高の伯爵ソウルスベリとなった人を見るのみである。
 勝利と栄光に飾られてエセックスは凱旋した。彼は時の英雄だった。そして世間の評判では、今度の勝利を齎したものは、あんなにも勇敢で、騎士的で、ロマンチックだった若い伯爵だということになった。戦争の危機に、もしラレイの意見が用いられなかったら、全遠征軍は敗北したであろうという事実は、誰も知らなかった。事実、エセックスの凱旋姿をなんの興奮も示さずに眺めた人物は、全イングランドにただ一人しかなかったといってよい。そのただ一人の人物こそは、女王であった。寵臣の凱旋を有頂天な歓びで迎えるかわりに、彼女は苦々しげな焦躁をもって迎えた。実際、彼女としてはなによりも怒るにふさわしい問題に際会しているのだった。つまり金の問題である。彼女は遠征の費用として五万ポンドを放資したのだった。それで手に戻ってきたのはなんであるか? ただ、水夫たちの給料として、もっとお金が要るというだけの結果ではないか。彼女はいう、初めから、皆がそれぞれに戦争でお金を儲けるだろう、儲けないのはわたし一人だということはちゃんと知っていたのだ。そういいながら、いとも渋々と、彼女はあわれな水夫たちを飢えさせないために、もう一度お金を二千ポンド吐き出した。しかし、この取返しはどうしてもつけなくてはならぬ。その責任はエセックスよ、お前にあると思い知るがよい。ほんとの話スペインから持ち運んできたものの額は莫大だったのである。スペイン人自身は数百万の損失を公表している。にもかかわらずイギリスが取ってきた戦利品の価格は、政府の計上では僅か一万三千ポンド以下としている。無数の真珠の糸やら金鎖やら、金の指輪やらボタンやら、砂糖の櫃、水銀の樽、ダマスク絹にポルトガルのブドウ酒、そんなものが突如としてロンドンに現われると、流言蜚語が盛んに飛び始めた。枢密会議の席上で凄まじい論争が続いた。キャデイズ市から数名の財産家が人質として拉致されてきていたが、彼らの身代金は自分のポケットに収めることにすると、女王は宣言した。それでは兵隊たちの行賞の費用の出所がなくなるとエセックスが反対したって、耳をかす女王ではなかった。兵隊たちが無能だったからこそ、戦利品が思ったより少なかったのではないか、なぜ彼らは西インドから帰る商船隊を拿捕しなかったのだと女王はいうのだった。不愉快な質問についてセシル父子は女王を支持した。新任の侍史ロバアトがとくに強硬だった。
 エセックスは、それだけにまたたいへんな憤激を感じずにいられなかった。彼はアントニイ・ベエコンに次のような手紙を書いた。「私には、このような一種の奉公の報いがなんであるか、よくわかった。そして私はあなたに断言しますが、さきにある廷臣の幸福を想像して感じたと同様の不快を、今日もう一人の他の寵臣の大きな光栄というものに感じさせられます。そして、古今を通じてもっとも聡明な人がかつて人間と事業について『虚栄のなかの虚栄、すべては虚栄の他の何ものでもない』と叫んだ言葉を思い出さざるをえないのです」 女王の不機嫌は、もう一つのことを考えていっそう深くなった。というのは、伯爵をめぐって燃え立った人気の炎が、彼女のお気にいらなかったのである。彼女は誰だって自分でない他人が民衆の人気を博することには賛成しなかった。キャデイズ戦勝の感謝祭を、全国にわたって行なおうという議が持ち上がったとき、女王はその祝祭はロンドンに限るように発令した。聖ポウル寺院で説教が行なわれ、エセックスが、古代のもっとも偉大な英雄たちに比較され、「彼の正義と、智慧と、勇気と、気高い行動」がひどく褒め讃えられたとき、エリザベスは苦い顔をした。「私は意地悪な運命に悩まされどおしだ」とエセックスは書いている「あまんじて消化しなければならぬ苦い食物で、気持は、だんだん悪くなっている」 奇妙な予感だった。しかしどうあろうとも、彼は気持を爆発させないように努力しなければならないと思った。そして「敵に対して身を守ると同様の用心深さで、わが身でわが身を壊さないように気をつけている」
 彼の忍耐、辛抱づよさは、まもなく酬いられた。スペインの西インド商船隊が、二千万デュカツの金塊を積んで、イギリス艦隊が立ち去った僅か二日後に、タグスの港へ入港したという情報がはいったのである。もしエセックスの熱心な提議が採決されていたなら――彼が主張したように艦隊がポルトガルの沖に待伏せしていたならば――巨大ないっさいの財宝を奪取することができたにちがいないということである。エリザベスのエセックスに対する態度は、急転回した。エセックスはたちまち君寵の頂に登りつめた。そして女王の怒りは、ぐるりと一まわりしてエセックスの競争者のうえに吐き出された。伯爵の伯父サア・ウイリアム・ノリスが枢密院の一員に加えられたうえに、王室の会計検査官に任ぜられた。セシル父子は深い驚きに打たれた。そして父のバアリイは、いまさらの風向きに帆を整えながら、この次の御前会議では、スペイン人身代金問題でエセックスの意見に賛成するほうが悧口だと考えるようになった。エリザベスはとほうもなく怒って、「大蔵卿よ、エセックス卿が怖いのですか、それとも、おべっかなのですか、あなたはわたしよりエセックス卿のほうが大切だとみえる。あなたは異端者だ、臆病者だ!」 気の毒な老人は、がたがた震えながら出てゆくと、伯爵にあてて謙遜極まる諫言の手紙を書いた。
「私の手は弱く、私の心は震えています」まるでシイラの巨岩とキャリプジスの鳴門の間にいるよりも、いっそう苦しいもので「私の不幸といったら、この両方に呑まれてしまわなければならないからです。……女王陛下は、陛下よりも閣下に私がお身かたするからとて、私をお叱りになり糺弾なさるのです。そして閣下は私があなたの意に逆らって、陛下の御機嫌に従うといって、私をお嫌いになる」 彼は今こそ自分の引退の機だと本気で考えている。
「おふたかたのどちらの御機嫌にも逆らわずに済まされるような道はとうてい見つかりません。ただいまとなっては隠遁者として余生を送るか、なにかそうした私生活の保証をいただいて退くほかはありません。でもお双かたの御機嫌を損じることによって、私の天国へ参る道が塞がれるというようなことはけっしてございますまい」エセックスは適当に、手紙で威儀のこもった同情を表した。けれども、アントニイ・ベエコンの感じかたは違っていた。彼は怨みの晴れる思いをかくし切れなかった。「われわれの伯爵はすばらしい!」と彼はイタリアにある文通者に書いている「伯爵は輝かしい勇気と徳性をもって、邪悪な敵意が伯爵の比類なき勲功に向かって湧きたたせた暗雲を一掃された。それで、あの古ギツネはしっぽを垂れて、クンクンかざるをえなかったのだ」
 バアリイは、実際ひどく狼狽した。結局自分の失策は、ベエコン兄弟の取扱いかたにあったらしいと結論した。自分の甥であるあの兄弟の助力がなくて、はたして若い伯爵が自分にとってこれほど危険な出世をするだろうか。あの不安定な気質に、正確にも知的強固性を与え、感覚と性格の厚みを加ええさせたのは、彼ら兄弟の供給によるのではなかったか。伯爵から兄弟を離間するのは、もう遅すぎるか? やってみるほかはないのだった。アントニイのほうがとくに積極的でけんのんだ。で、もしこの男をこちらに誘い寄せることができたら……彼は自分の妻とベエコン老夫人の妹であるラッセル夫人を使者として、妥協しようという言伝てに、就職と報酬の申出を添えたのだった。が、成果は何もえられなかった。アントニイは、一インチも動きたくない。自分は抜き差しならぬほど、伯爵にむすびついてしまっている。それに自分の伯爵に対する尊敬の情は、病人めくほど深刻でもある。伯父さんの昔示した冷淡な態度は忘られもせぬし、許すこともできない。従弟のロバアトに対しては、その憎しみの深さは、その軽蔑の深さとのみ等しいのである。
 ロバアトは実際に、アントニイに対して「毒々しい敵意を宣言した」と彼ははっきりいった。「ああ、だだっ児! そんなこと、あるかしら」とラッセル夫人はいった。アントニイは笑いながらガスコンの諺をもって答えた――「ロバの粕めが、天国に昇ることはない」「とんでもない。あの人はロバではありませんよ」と伯母がいうと「じゃあロバにしておきましょう、伯母上。こいつは獣のなかでも一番悪い奴ですよ」 伯母さんがいってしまうと、この会見の模様を詳細に書いて、彼は後援者エセックスの所へ送ったが、手紙の末は、彼のよき旦那に対する次のような誓いの文句でむすばれている「心をこめて閣下に忠誠を捧げます。すでにこれまでにも長い間、私は喜んで、また肚を据えて、あなたに完全な従順を捧げています。そしてあなたのもっとも気高い真実な愛情に対する私の信頼の念が不変であることをお信じください」 彼が不変でないことなどありえようか。いわんや、長年の奉仕はいまや崇拝の情に高められようとしているとき――いまや、エセックスのためになした長年の労作が、まさに成功の実を結ぼうとしているときに!
 というのは、実際に、アントニイの夢は、そのときまさに実現の間際にあるといってよかったからである。エセックスがまもなくイングランドの真の支配者になることを邪魔する者があろうとは、想像もされなかった、彼はエリザベスを完全に牛耳ってしまっているように見えるのだった。彼女の彼に対する熱情は時とともに減るということはなかった。セシル父子はエセックスに頭を下げるし、ラレイは陛下に伺候することを差しとめられた。御前会議を支配しながら、彼は活力と確信にあふれて大官としての任務と責任を背負うのだった。彼はいっている「アイルランドを救うために、フランスを満足させるために、オランダを今よりもっともっと完全に手の内のものにするために、そして、このごろとくに危険の度を増した国内の陰謀や策略を発見し撲滅するために、いろいろ忙しいことだらけだ」そのようなたくさんの仕事や成功の間にあっても、彼は友人たちを忘れはしなかった。トマス・ボドレイの一件を考えると、彼は良心の針に痛めつけられるのだった。ボドレイを彼は女王の侍史として推挙しながら失敗した。その損失に対して、なにをもって賠償してやるべきだろう。それを思うたびにゼロオム・オゾリウス僧正の蔵書が頭に浮かんできた。例のファロ荒涼の夏の日に思いがけなく手に入れた書籍の山である。ボドレイにこれをくれてやろう――賠償にはちょうどいいものではないか。そしてボドレイは、それをもらった。これが今日のボドレイ大図書館の奇妙な縁起なのである。
 成功、権力、青春、君寵、人気――このすばらしい伯爵の幸福になんの欠くることがあったろう。たぶん、ただ一つだけ――だが、それも今は与えられた。「芸術」への永遠の献身がそれである。ここに魅力ある言葉をもって、ひとときの美と、人間の運命の広さ大きさを構成しえた最高の詩人が、エセックスという「気高い貴族」に、すばらしい不朽の姿を与えている。

……気高き貴族よ、
ついこの間、あなたの名を恐れて全スペインが震撼した。
その近くにあってヘルキュレスの二柱さえあなたの名に慄え上がった。
永遠の美しき枝、騎士道の花は、
イングランドを勝利の輝きに満たして、
あなたこそ気高い戦勝の歓びを持つ人!

とはいえそこに一対の目があった――ただ一対だけ――それが瞬きもせずに、じっとこの壮観を見守っていたのである。フランシス・ベエコンの冷ややかな毒蛇の目だった。物の内的本質を透視する目だった。彼はおのれの庇護者パトロンの立場に、不安と危険の他の何物をも見なかったのである。いまや伯爵に警告と諫言を与える時なりと規定した。長い手紙にこまごまとした配慮をこめると同時に、四囲の情勢に対するいともゆき届いた洞察と、実生活の在りようについての完全な知識と、ほとんど超人的な未来の見とおしとを示しながら、彼は伯爵に、伯爵が現在置かれている立場の困難や、未来に伯爵を待ち設けている危険を教え、それらの危険を避けるためには、いま伯爵はどういう道を選ぶべきかを説いたのだった。ベエコンの見るところでは、女王は半意識のうちにエセックスをこう考えているだろう――「人に支配されるのを好まぬ性質を持つ男、わたしの寵をいいことにし、それを自分でも知っている男、おのれの偉大さによって今日の地位を築いたわけではない男、民衆の人気に誇る男、兵馬の権に依存する男」 そういう考え方から、なにかが生まれて来えないか? 彼の手紙はいう「私は聞きたいのです、世に生きているどんな君主にとっても、まして君主が女性であらせられる場合、とくにとくのその女性がエリザベス女王陛下である場合に、右のごとく考えられる人物ほど恐ろしいものがありましょうか」とそのような疑惑をエリザベスの心から一掃するための努力で、エセックスのいっさいの行動を制御すること、それがこのさいなによりも肝要である。彼はけっして「いいだしたらきかぬ男」でもなければ「人に支配されるのを好まぬ男」でもないことを女王に示すためには、最大の苦痛も惜しんではならない。
 彼は「女王さまの御前ではあらゆる機会に人気だの、民衆の利益だのに反する言葉を猛烈にお吐きなさい。そして同様に民衆に負担をかけるようになさいまし」 なによりも第一に、伯爵はもっぱら「兵馬に依存する」ような姿勢を捨てることである。「この兵馬云々の点にこそ」とベエコンは書いている「閣下の危険は大きいので、私はどうにも心配でならない。……というわけは、第一に女王陛下が平和の愛好者であらせられるからです。第二に陛下は軍費をお好みにならない。第三には、そのような兵馬への依存は、大きな嫌疑の的となるからです」だが、もっと重大なことがある。ベエコンはエセックスが将軍として生まれついていないことを、はっきり知っていた。キャデイズの攻略は、もちろんうまくいった。しかし、数度の遠征に対して、ベエコンは充分に成功だったとは認めないのである。「噂によれば伯爵は兵站総監たろうと望んでいるそうだが、それこそもっとも愚かな思いつきである。伯爵はもっぱら枢密会議に精力を集中するのが一番いいのであって、そうすれば、自ら剣を取ることなしに兵馬を動かすこともできるではないか。もし彼が新しい役目を望むのなら、その性質として純粋に文官的である椅子が、いまちょうど空いている。すなわち伯爵をして女王に内大臣への補任を乞わしめよ」
 ベエコンの理解力はある方向にあっては絶対であるにもかかわらず、他の方向ではそれと同じ程度の完全さでだめなのだった。女王の寵を保持するためにエセックスに奨めた実践方法は、初めからしまいまで伯爵の気質に当てはまらぬものだった。そういうものはベエコンの精神には自然であっても、伯爵にはできない相談である。エセックスは細心な注意をもって阿諛と偽善と引込み思案の世界にはいらなければならぬ。むろんレスタアやハットンの卑屈を学べというのではない――むろん!――しかしあらゆる機会を捉えて、エリザベスに彼もまた、これらの貴族を見本とするものだと信じさせなければならないというのである。「なぜなら、あなたがおとなしくなられたと陛下に信じていただくためには、これ以上の便法は考えられないからであります」 伯爵は、自分の顔つきに注意深くあらねばならぬ。たとえば、論争のあとで女王の言い分をとおすときなど、「あなたの顔色に、みじんも形式張った影があってはなりません」そして「第四に、閣下はいつも何事か特別な計画を心中に持っていらっしゃるようなようすをなさることです。そして、いかにもそれを愛情と熱意をもって追及しているように人に見せるのです。そうしておいて、陛下がそれをお好みにならない、反対なさると知ると同時に、その計画はあっさり思いとどまった顔をなさるがよろしい」
 たとえば、彼は「御自分の会計や領地を検分のために、ウェールスへ今にも旅行しようという顔をなさる」 そして、女王の希望によって、ただちにやめる、というふうにである。どんなにものが「些細であろうとも」けっして軽視してはならない――「服装や、着物や、持物や、身ぶりや、その他それに類するいろいろのものに気をつけなければなりません」 それから「民衆の人気が目だつという問題」については、それは「それ自身結構なことです」のみならず「うまく取り扱えば、あなたの偉大さを飾る現在ならびに未来を通じての、もっとも美しい花でもあります」 だからその取扱いは手荒であってはならぬ。「ただ一つの方法は、実質的にでなく、ただ言葉のうえでのみこれを鎮圧することです」 現実の問題として、伯爵は民衆の寵児であるという位置を、放棄しようなどと夢見る必要はなく「あなたの名誉ある社会生活を、依然としてお続けになってよろしい」
 そのような諫告は、無益でもあるしまた危険でもある。直情径行のエセックスにそのような狡猾な行動がとれようなどとは夢にも考えられないことではないか。誰だって――ただ一人ベエコンを除いては――伯爵にそのような芸当のできないことを知っている。「彼は何事をも心にかくしておくことのできない人である。愛も憎しみも額に貼りつけて歩いている」とヘンリイ・カッフがいっている。そんな性質にもっとも背馳するもの――なにか深く計算された策略をたわみなく実践しろとか、卑小な狡さをときに応じて発揮しろなどということを奨めるのはもってのほかであった。 「服装や、着物や、身ぶりや!」すこしでもその種の退屈きわまる些細事にエセックスの気を向けようとしたのは、なんというむだであったろう。いま自分がなにを飲んでいるかも知らずに食卓にすわりながら匙を使っているかと思うと、突如として食べるのをやめて、長い沈思に落ちてしまうエセックス――ヘンリイ・ウォットンの記録によれば「手や足や胸は家の召使たちに投げ出してボタンを掛けさせ、着物を着せ掛けてもらい、すこぶる無関心である。そうしながら、頭と顔は床屋に任せ、目は手紙の上にさらし、耳は請願者の陳情に傾けている」そんなふうで、なにを着たかも知らずに外套をあわただしく引っ掛けると外に出る、奇妙な大きな足どりで、顔は真っ直ぐ女王に向かって急ぎゆく、それがいつものエセックスだった。
 エセックスは、もちろん、讃嘆と感謝を持ってベエコンの手紙を、繰り返し繰り返し読んだ――しかしおそらく、思わず知らずの嘆息も洩らしたであろう。だが、彼はまもなく同じベエコン家の一員から、別なひどく違った諫言を受け取ることとなった。老ベエコン夫人が、いつものあの鋭い目を、居村ゴオランベリイから宮廷に向かって注ぎ続けていたのだった。伯爵がキャデイズから凱旋してまもなく、彼女は彼の行状についてすばらしい良い報道を聞かされた。伯爵は忽然として――とはアントニイの表現であるが――放蕩癖を捨てて、「クリスチャンの道に熱心に従い、宮廷における祈祷や説教の席には、かならず姿を見せるばかりでなく、浮気もとんとやめて、奥さんへ気高い親切を示すようになられた」というのである。そこまではたいへんよろしい。しかしこの改悛の状は、どうやら長続きはしなかったらしい。一、二カ月もせぬうちに、はやくも京童きょうわらんべは伯爵とある貴夫人との仲を、とやかくと伝えるような有様だった。ベエコン老夫人は胸を打たれた。が、深く驚いたわけではなかった。
 なぜなら、そのような振舞いが、ロンドンという神も仏もない世界であったとて、すこしもふしぎではないと、老夫人はいうのである。手紙を書く時はきた。問題の貴夫人については、かかる生き物を、どんな苛烈な言葉で形容したとて苛烈すぎはしない。彼女は「汚らわしく、淫らがましき女にて、そのうえに申せば、矯風の道もなき、無恥厚顔の人にて候」 彼女はまた「人にきたなく眺められ、世の物笑いにて候」 そこで夫人は祈る「神さま。み力によりてすみやかに彼女を正しくし給え、さなくば」―― 「神さま、彼女を何事か突然の事故にて葬り去り給え」 エセックスについては、むろん彼の罪を貴夫人より軽いとはいわないけれど、彼にはまだまだ行状建直しの望みがある。彼をして『新約』の「テサロニケ前書」四章の三を読ましめよ、次の言葉に出あうだろう、「それ神のみ旨は、なんじらの清からんことにして、すなわち淫行をつつしみ、云々」そればかりではない。「私通し密通する者は神に審かれ、彼ら罪人は追放されんとの大いなる威嚇を見出し給うべく候。それらの罪は、神の怒りを招く行いなりとは、使徒たちの申すことにこそ」 だから伯爵は気をつけなければならぬ。くれぐれも「神の聖き思召しを怨み給うなかれ」最後に老夫人は結論して「心の奥なる愛情のままに、差し出がましきこと書きつづり申し候えども、自らのあやまちも数々これあるべく、お羞しく存じまいらせ候」
 エセックスは、ただちに返事を送った。例によって悲壮な、威厳の美に匂う文体は、お手のものだった。「私を諭されるために、あなたのような善良な天使を送られたことは、私に神寵のあることの偉大な証拠だと思います。同時にそれは私の品行の良かれと祈ってくださるあなたの、淑女としての配慮のなみなみならぬことの立証でもあります」 そういって、まず世間の噂をいっさい否定したあとで「近ごろの私に対するこのような誹謗が根も葉もないことは神も照覧あれと申しましょう。スペインに向けて出陣して以来、私が、この世に生きている限りの、どんな婦人とも道ならぬ仲に落ちていないことを誓わせていただきましょう」 すべての噂を捏造した者は彼の政敵であると、伯爵は断言する。「私はいつ誰に陰謀を仕かけられ、迫害を受けるかわからない位置におります。彼らは世間に信用させることのできないものを、彼らは自身に注ぎ込む、女王にいってもだめなことを、世間に向かっていい拡げるのです。……」 二伸として、彼は手紙を焼いてくれるようにと頼んでいる。しかし彼女は焼かないことにした。彼女は意地悪の指で丹念に手紙を畳むと、脇にしまった。後の証拠のためにである。老夫人の耳に届いた噂話が、どの程度に真実であったかが問題ではなく、彼女は明らかにこの手紙の相手の性格を、弟息子のフランシスの性格に対する場合と同様に、理解しえなかったのである。
 彼は宮廷の美人たちとの、危険な戯れに時を過ごす、と思うと、神性とはなんであるかについて何時間も沈思するために、冷たい聖ポウル寺院に出かけていった。行動と権力の道をいやがおうでも辿らせられるのが、彼の生まれ合せらしかった。にもかかわらず、なお彼はそれがはたして自己の運命の、真の方向であるとは確信しきれないのだった。女王のお召しによって御前に出る。するとまた他の一群の逆の感情が彼を征服してしまう。愛情――讃美――激怒――嘲弄――それらのすべてを彼はつぎつぎに感じる。ときには同時にさえ感じるように見えた。年齢の持つ威厳、王威、成功の眩ゆさ、女王のあの世にも稀な知性の魅惑、人の心を刺すあてこすり、しかしその言いかたは溌剌として、あっといわせずにはおかない、そういうものから逃げ出すことは不可能だった。そして彼は、結局男性だった。男の洞察力と決断力を持つ、男性だった。もし彼女が従順であったら、彼は彼女を導いてゆくことができたであろう。だのに宿命は役割を逆に与えた。その自然において主人であるべき者が、召使の役割を与えられたのだった。おそらく、ときどきは彼も彼女に自己の意志をしいたこともあろう――だがそうするまでには、どんな精力の浪費と、おれは男だという認識の長い躊躇を要したであろう!
 一人の女対一人の男! むろんこのことは、あまりにも明らかな事実である。彼がかくのごとく現在の到達点にいる所以はなんであるか。なぜ彼は多少でも彼女に影響力というようなものを保つことができたか。その答えは明らかであり、滑稽であり、そしていやなことでもあった。つまり六十三歳の処女の特殊な要求を彼が満たしていたからだった。この終局はなんであろう? 彼の心は沈んだ。そして御前を退ろうとするとき、彼はあの異常な目が、一種謎のような光を浮かべるのを見るのだった。彼は家路を急ぐ――妻の所へ、友人の所へ、そして姉妹たちの所へ。すると、川岸の大邸宅のなかで、子どものときからかつて長くは彼を見捨てたことのない持病の一つが、痛み出す。おこりでぶるぶる震え、考える力も動く力もなく、憂鬱の暗がりのなかで、何日も何日も病臥した。けれども、結局彼は、環境に、時代の性格に、そして、行動し指導せんとする欲求に、背くことができなかった。スペインは依然として地平線の上に、ぼうっと大きく見えている。キャデイズですっかりまいったというわけではなかった。ヘビはまだ放ってはおけない。もう一度半殺しの目にあわせてやらなければならぬ。またもや遠征だという流言が拡まった。フランシス・ベエコンはいいたいことをいうがいい。しかし結局、あの「歓婚歌プロサレーミアム」で歌われた「気高き貴族」が、どうして遠征から身を引くことができるだろうか。どうして彼が、昂奮と勝利を、ウォタア・ラレイに一任することができようか? そういう情報が、八方に拡がり始めたので、フランシス・ベエコンはいよいよ不安になった。いまに事実が、彼の忠言がどう取り扱われているかを示すであろう、岐路はまさに目前に迫っていると、ベエコンは考えるのだった。
 そういうとき、未来はいずれに傾くともなく平衡を示しているとき、ベエコンの多角才能は、他のもう一つの方向にも働いていた。一五九七年一月、彼の著になる小冊子が現われたのである――かつて印刷本として世に出たもののうちでもっとも注目さるべき書物であった。全六十ページのうちの最初の二十五ページは、十編の「エッセイ」で占められている。――エッセイとは、イングランドでこれが最初の言葉だった。
 ――そこには、比類なき観察者の感想が、不朽の形式で表現されてある。世界の動きについての感想と、またとくに数々の宮廷の動きについての感想である。後年、ベエコンはこの感想集の収録を拡げ、題目の数を大きくすると同時に、装飾と色彩を加えて、文体を豊富にしたが、この初版ではすべてが簡潔であり、赤裸々であり、実際的でさえあった。力づよく要点に触れるほかは、いっさいの美辞麗句を駆逐した格言体が、どこまでも続く文章で「訴願者」「式典と崇敬」「追随者と友人」「支出」「取引」などという話題について彼は感想を述べている。「書物のうちのある物は味わい読まるべきであり、他の物は呑みこまるべきであり、そして少数のある物は咀嚼し、かつ消化されなければならぬ」と彼は書いているが、彼自身の著作がこのなかのどの範疇に属するかは、おのずから明らかである。そこで人は、書いてある政治的処世の方法のみならず、著者その人の性格をも、これを咀嚼しつつ、多くのものを学ぶであろう。したがって、ベエコンが生まれながらに持つ大胆と慎重の混合たる、あのふしぎな性質をも理解するであろう。「小人は党派的執着の強いのが常である」と彼は「党派」と題する感想のなかで書いている。「しかし、自らの力を恃む大人物は、周囲にかかわらず、中立を持して自己の道を進むがいい」そして「初心者といえども、他人に通用するなんらかの党派の一員である場合は、党派的執着は、できるだけ控えめにしたほうが、一般的に得策である」といい添えている。書物は「著者の親愛なる兄、アントニイ・ベエコン氏に捧ぐ」とあるが、しかしアントニイは、あの非妥協的な熱意に燃えた本能で、この書物の格言気取りをなんと眺めたことであろう。
 アントニイがなんと考えようとも、フランシスにはフランシスの道がある。女王と伯爵の仲に水をさす危機が周期的に訪れ、訪れるたびにその強度を増す、そうした危機の一つが、またもや急速に迫りつつあることを、ベエコンははっきり感じ取った。スペイン攻撃は海軍をもってする議に決定したと、一般に伝えられてきた。だが、司令官には誰がなるか? 二月の初め、エセックスは病臥した。女王は彼の邸に臨幸された。そして、それほどにも深い君寵を示されて、病気も癒ったと見るまもなくすぐまた病床についた。二週間、彼は外に出なかった。女王はとげとげしくなり、宮廷内は流言蜚語の持ちきりだった。どうやら闘争だ――喧嘩だ――誰の目にもそれがわかった。女王は彼に、ラレイとトマス・ホワアドとお前との三人で、司令官の職を分かち持てとおっしゃった、そこで伯爵はそんなばかなことは断じてできませんと答えた、というような噂が相当権威ある筋から聞こえてきた。ついにエリザベスの困惑は言葉となって爆発した。「わたしはあの男の意志を、粉微塵に砕いてやろう」と彼女は叫んだ「そしてあの男のお高くとまった心を、引きずりおろしてやるのだ!」いったい、彼の頑固性は、どこから発するのだろうと彼女はいぶからずにはいられなかった。それはもちろん、あの男の母親から――彼女の大嫌いな従妹レッテイス・ノイリズ、レスタア未亡人から遺伝しているのにちがいないと思うのだ。ときに情報は、伯爵が病勢衰えて、起き上がれるだけにはなったが、宮廷生活はさらりと捨てて、即刻ウェールスの領地に旅立とうとしている旨を伝えた。
 もはやベエコンには、これらのことの結着が、あまりにもはっきり見え透いてきた。彼は決心した。彼は初心者であり、そして「他人に通用するなんらかの党派の一員である場合は、党派的執着はできるだけ控え目に」せよとは、彼自身にいい聞かすべき言葉だった。彼は党派心を捨てて伯父バアリイすなわち父セシルに手紙を書いた。熟慮と絶妙の心配りをもって書いた。「この手紙は私の確然たる義務の念から書かれるものでありまして、けっして一時の刺戟に促されたものではございません。ですから申し上げたいことはいっさい披瀝するのが一番よろしいと、私はさように考えるものでございます」阿諛と感謝とこもごもに交えながら、彼は「閣下の秀抜なる理性に」訴えていうのである「わが唯一の御主人よ、大なる感謝を持って、私はいかに深くまた多方面にわたって、閣下がこれまで私に限りなき御愛顧を賜わったかを、思わずにはいられません」語調に深い尊敬と卑下とをこめながら、彼は自分のサアビスを伯父さんに押しつけるのである、「でありますから、私は七重の膝を八重に折っても、閣下に信じていただきたいことがございます、それは、閣下は私の所有、あえて才能とは申しませんが、ともかく私が神に与えられていますちっぽけな物、そのすべてを御利用なさる資格がおありになる、そう信じていただきたいのでございます。この才能をもって私はいつでも喜んで御用にたちたいものと、熱望いたしております」 彼は兄のアントニイと自分とを――括弧つきの修正を添えて――区別してもらいたいとさえ願っている。「同じく恐縮なお願いではございますが、私のこれまでの過失はどうぞお許しくださいまし。そしてもう一人の男の過失(それさえもう今は悪かったことに気がついているだろうと思いますが)をもって私をお責めくださいませんように」 そして文章の荘重なリズムのなかに投げ出すごとき最後の主張と、品のよい感動的なむすびとで、この手紙は終わっている。「そして再び、このような長い手紙に対する閣下の御寛容を願い上げつつ、またそのようにも無力な奉仕をはかなくも捧げることを、まごころの偽りなき証しとし、もしくは誠実な義務の誓いとして、ここに筆とめながら私は、閣下に神護あることを讃え上ぐるものでございます」
 バアリイの返事は、いま残っていない。しかし彼が舞い込んできた利益を追い払わなかったことも、また手紙に暗示された意味を掴みそこなわなかったことも、われわれは充分信じていいだろう。いまやいろいろの事件が急速に起こっていた。ロオド・コオバム老が、五港総督の椅子をあけて死んだ。老人の息子の新しいロオドが、その職を継ごうと望んだが、彼を憎むエセックスが熱烈にサア・ロバアト・シドニイの任命を主張した。競争は一週間続いたが、やがて女王は彼女の決定を公表した。総督職は息子のロオド・コブハムが継ぐべきであると。そこでエセックスはもう一度、宮廷を去ると声明した――ウェールスの領地に火急の用事があるというのである。旅立ちのすべての用意は整い、人とウマとはまさに出発しようとしていた。ただバアリイに別れの挨拶をすることだけが、伯爵に残っていた。そのとき彼は女王のお召しをこうむったのである。個人的な謁見は完全な妥協で終わった。そしてエセックスは兵站総監に出世したのである。フランシス・ベエコンの忠告の成果がこれであった! 伯爵に旅行するふりをなさいと奨めたのは、女王の要求によって行儀よく思いとどまる可能を示すためだった。だのに馬鹿者めが、――それを大権を動かすための恫喝の具に供したのだ。――そればかりか、選りに選って自分があれほどまでやめたほうがいいといった兵站総監の職を、あの男は手に収めてしまった。
 バアリイに手紙をやってよかったと、今しみじみ思う。「初心者」にとっては、前途怪しいエセックスから提供されるものだけでは困る。どうしても、この世の甘い汁にありつくためには、もう一人別の人間の助力を獲得することが、いまや絶対に必要となった。とはいうものの、古くからのエセックスとの関係を絶ってしまうのも、悧口とはいえないであろう。まだまだ方法次第で、利用価値は見出せるはずである。
 たとえば、サア・ウイリアム・ハットンが死んだので、たいへんお金持の未亡人が一人できあがった――お金があって、若くて程がよい。彼女と結婚すれば、いまもなおベエコンが苦しんでいる、財布の貧血病を癒やすにはすばらしいお薬になるだろう。話はすらすらと運んでゆくかに見えたが、ただ未亡人の父、サア・トマス・セシルだけが賛成してくれなかったのである。ベエコンはエセックスの勢力でこの話を纏めてもらいたいと頼んだ。エセックスはサア・トマスに手紙を書いて、彼の「親愛にして尊敬すべき友人」の才能を詳しく説明したあとで、聞くところによればベエコン氏は目下「あなたのお嬢さまであるハットン夫人に求婚しているそうですが、この求婚に対しては、ぜひともあなたの御賛成をいただかなければなりません。そのために私がつけ加えて申しあげたいことは、もしお嬢さまが私の妹であるか娘であるなら、私はあなたにもただいまお奨めしたごとく安心してこの縁談を取り決めますでしょう。それに、たとえ私の彼に対する友情が過剰であろうとも、彼を見る私の判断力にはいささかの不公平もございません。なぜなら彼を私同様知る人は、誰の判断も私と同じようにならざるをえないのですから」 しかも今度もまた伯爵の影響力は功を奏しなかった。縁談とは別の意味で、人知れずベエコンは失望した。そしてハットン夫人は、検事総長の椅子と同様に、エドワアド・コオクの手に落ちたのである。
 エセックスは兵站総監になったばかりでなく、スペイン遠征軍の司令権を与えられた。スペインが、近接したその二つの大軍港、コルンナとフェロオルとで、一大海軍軍備に没頭してることは、何カ月も前からわかっていた。新しい無敵艦隊がどこに向けて出港するかは、不明だった――目指すはアフリカか、ブリタニイか、またはアイルランドか。だが、執拗に繰り返されてくる情報は、スペインの攻撃目標がワイト島であることを告げるのだった。そこでエセックスはラレイとロオド・トマス・ホワアドを下に従えながら、艦隊ならびに強力に武装された軍隊を率いてフェロオルに向かい、そこで見つけるあらゆるものを破壊しようということになったのである。要するに、キャデイズの冒険をもう一度繰り返そうというにほかならない。女王自身さえやってしまえとおっしゃる――なるべく費用をかけずに、効果的に、そして素早く、とおっしゃる。セシル父子までが賛成だった。バアリイ自身が調停役を買って出て、息子と伯爵を会わせた。エセックスは自邸でささやかな宴会を開き、ロバアト・セシルのみならず、ウォタア・ラレイをも招待した。二時間の密談の後に、三人の偉大な人物は友情をもってむすばれたのだった。善意の徹底的な現れとして、ラレイが再び君寵にあずかるように、女王にお取りなししようと話が決まった。彼女は怡々いいとして、二人の寵臣の二重の懇願に口説き落とされた。御前に召し出されたラレイは、御機嫌麗わしく迎えられながら、再び親衛隊司令として働くがよいとの仰せをこうむった。ラレイはこのさいの記念に、銀の鎧を新調した。そこでもう一度白宮殿ホワイトホールの女王の控えの間に、恐ろしい男が美々しく光り輝きながら立つということになった。
 すでに夏だった。大艦隊の出動準備は、まさに整わんとしている。エセックスは海岸にあって、最後の軍備を指揮していた。女王へのお別れの挨拶はすでに済んでいたが、それからイングランドを発つまでには、まだ二週間あった。いましばしの別れとなって、はじめて感じが出てきたような気がする。彼女は彼に贈物と手紙を川のごとく注いだ。あるいは自らの肖像を贈り、あるいは、間断なく自らの手で手紙を書いた。エセックスは幸福だった――偉大なる女王は、彼女のすべての威厳と、すべての愛情に溢れたつ姿で、どこかの輝かしい仙女のように、「もっとも親愛な、もっとも讃美する君主」であった。どうしてこの感情をうまく表現したらいいだろう、だが「言葉に私の気持を伝える力がないとしましたら、私はあなたさまの御心に直接すがりうったえましょう。御心は、私が無言でいても、正しくすっかり私をわかってくださいますから。天と地とが私のまごころを照覧ましますでございましょう。こんなにも崇高な恩寵と、こんなにも祝福された幸福とにふさわしい者となるべく、私は一生懸命になります」
 彼が彼女に縛りつけられてあることは、「かつていかなる王侯といえども、これほど堅く臣下を縛りつけたことはございません」ほどである。彼の魂は「もっとも忠誠な、信実な、そしてもっとも愛情豊かなといってもたりないほどの願望とともに、噴き出しているようでございます」彼は彼女の「じつに叡智のなかの叡智をもってお書きくだすった匂い優しきお手紙に」感謝した。彼の船に水漏れがしたという報告を聞いたとき、彼女は愕然として、危険に対してもっと用心深くしなければだめではないかと書き送った。彼はプリムスにいた。その手紙が届いたのは、明日は出航という日の夜だった。「御宸翰拝読いたしました」と彼の返事はいう、「限り知らぬ御愛情によって、陛下はいまや私をして御恩寵のゆえに自愛せしめようとの御意にあらせられる。されば、わが女王よ、み心安くお待ちくださいまし、あなたさまが私を役にたつ男たらしめたいと思し召すとおりに、私はかならず無事に凱旋いたしますことにおいてお役にたちますでございましょう」 なにも危険なことはない、風は追手である、用意は整った、まさに船出のときである、そう書いたあとで、「うやうやしく、やんごとなき美しき御手に、接吻いたします」と彼はむすんでいる、「陛下の懐かしきみ心に生きる私こそは、陛下のみ前に、もっともへりくだるまことの忠義者、臣エセックス」
 艦隊は、漂渺たる海に出ていった。

第九章


 大王キングフィリップは自身のために建てた巨大なる宮殿――エスコオリアルの一室に坐して忙しく働いていた。この離宮は岩多きガダラマの荒寥たるなかに、遠く、高く聳える全石造のビルディングだった。その机に坐ったままスペイン、ポルトガル、それにイタリアの半分、オランダ、西インド諸島を併せた一大帝国を統治した。働くうちに年は取り、髪も白くなった。彼は痛風に悩み、皮膚は腐っており、そのうえに得態の知れぬ猛烈な麻痺の患者だった。しかし、彼の手は朝から夜中まで、書類の上で動き続けた。いまはもう人前に出ることもやめている。――濃緑の壁掛けの垂れ下がった小室のなかで――秘密に、ひっそりと、けっして疲れず、しかし日に日に死に近づきながら、統治を続けた。彼には一つの気晴らしがあった。ときどき、低いくぐり戸を通って、よろめき、よろめき、隣接の小礼拝室にはいっていくのである。そこで膝まずき、奥に向かって開く小さな窓から、そっと覗くと、ちょうどオペラの特等席ボックスから見おろすようなぐあいに、広々とした大教会堂の内部が眺められるのだった。この会堂は、半ば宮殿であり半ば僧院でもある大ビルディングの中央に設けてあって、そしてそこに、法服といい、動作といい、奇妙な合唱といい、これまたすこぶるオペラ的なる一群の僧侶が、王の覗いている窓のすぐ下の祭壇にかしずきながら、聖なる勤行に余念もないのだった。王の仕事とてもやはり聖なるものであった。神聖相続権は彼の血のなかにある。彼の父シャルル五世が、その薨去のとき天国に、そして「三位一体トリニチイ」(神とキリストと聖霊との三位一体)に歓び迎えられたことについては、なんの誤解もあってはならぬ。チチアンがその情景はちゃんと絵に描いている。彼もまた父と同じ栄光にあずかろうと思っている。だが、いまではない。まずこの地上における義務を仕上げてしまわなければならない。フランスと和平をむすぶ義務がある。娘を結婚させる義務がある。オランダ人を征服する義務がある。あらゆる所にカトリック教会の主権を樹立する義務がある。しかも残る時間はいくらもないではないか。――彼は急いで机にかえった。なにもかも自分でしなければならぬのだ、自分のこの手でしなければならぬのだ。
 彼の思念は数々の重みに混乱しながら、八方を駆けまわった。アランジュエの泉もエボリの王女の瞳もすでに忘れていた。――宗教、矜持、失望、休息欲、復讐欲。彼の前にはイングランドの女友だちシスターがすっと立っている――一つの恍惚たる眺めであった。彼も彼女も、お互いに年をとった。彼女はいつも彼から逃げたものだった。――彼の愛からも憎しみからも逃げた。だがまだ時はすこしばかり残っている。いままでよりいっそう無慈悲に彼は闘うであろう。そして彼女に教えてやる――あの異教徒めく笑いかたをする、いうにいわれぬ女に教えてやる――おれの死なない間に、教えてやる、永遠に笑えなくなるように。
 それこそじつに極楽で、「三位一体トリニチイ」にお目にかかるときに、なによりもふさわしい手土産であろう。幾年も、この目的のために、努力を重ねながら、彼は働き続けてきているのだ。彼の偉大なる無敵艦隊がその使命に失敗したことは事実である。しかしこの逆運はけっして致命的なものでもなかった。もう一つ無敵艦隊を再建して、神の祝福により、目的を遂行しなければならなかった。すでにすでに、彼は再建の大部分を完成している。キャデイズが落ちて数カ月も経たないうちに、彼はアイルランドへ、そこの反乱を援けるために、強力な艦隊と大軍団を送ることができたではないか? もっとも、艦隊はついにアイルランドに到着しえなかったが、それは北の暴風が災いしたのだった。二十隻以上の船が沈み、この第二無敵艦隊の生き残りは、ほうほうのていでスペインに帰った。だが三位一体トリニチイがお身かたしてくださっている限り、フィリップよ、なにを絶望することがあろう。信じ難いほどの精励ぶりを示しながら、彼はフェロオルの港における艦隊再建に采配を振った。彼の目論見は、彼ひとりの胸のなかにあった。誰にも打ち明けてはならなかった。マルタン総督さえも、たとえ聞いてみたところで、艦隊の目指す地点は教えてもらえないに決まっている。だが延引ももうたくさんだ。無敵艦隊アルマダはただちに出動しなければならぬ。
 そんなときに、このうえもなく人を混乱せしめるニュースが届いた。イギリス艦隊が軍備を整えている、いまやプリムス港に集合して、外洋に出動せん形勢だというのである。出動の目的については疑問の余地がない。すなわち、フェロオル港に来航しきたって、そしてもう一度――何物がこれを妨げえよう?――キャデイズの物語を繰り返すつもりにちがいなかった。総督は声を大にして、いまはいかんとも方法のないこと、こちらから波止場を出てゆくことの不可能なこと、そして、実際彼はなにもかも不足で、敵に立ち向かう力のないことを声明した。それは人々を驚動させた――信仰厚き総督が、まるでメディナ・シドニアの声調を受けついでいるではないか。人々は敵襲に直面するほかはない、三位一体トリニチイに信頼するほかはないのだった。つづいて情報は、イギリス艦隊がプリムスを出港したことを告げた。ところが――一つの奇跡が起こった。海上は吹き荒れて南西の颶風がイギリスをほとんどたたきつけたという牒報が到達したのだった。その艦隊は十日の難航の後に、からくも逃げ帰ったという。そこで、キング・フィリップの無敵艦隊アルマダもまた助かった。
 暴風は実際激烈なものだった。宮殿で恐ろしい風の話を聞いたとき、女王もぶるぶる慄えたほどである。エセックスさえも、何度か魂を神に捧げようと思った。やっと港に帰ったことは、エセックスにとって思ったほど幸運事ではなかった。彼は、暴風よりもいっそう恐ろしい災難に圧倒されねばならなかった。運命的な微風が海上に戻るとともに、彼の幸運は終末を告げた。その瞬間から、不幸の影はくっきりと、彼を染めたのである。そんなにも恐ろしい結果を齎した暴風の光景は、ふしぎな偶然から、一種特別な形で永遠に伝えられることとなった。というのは、伯爵とともに、冒険と富を求めて船出したたくさんの若紳士のなかに、ジョン・ダンがいたのである。彼も嵐にひどく酔った。しかし、この不快な感覚を、まったく思いがけもない何物かに変えようと決心した。海上の嵐の暴虐を材にとって、彼は一篇の詩を作った。――粗い、モダーンな、ユーモラスな、そして現実的な暗喩と複雑な機智に満ち満ちた詩である。

最後の日に、罪の重荷に喘ぐ魂が、墓場から匐い出るのにも似て、
誰やら船室から外を覗いている。
そして慄えながら、どうだと問い、こうだと聞いているのは、
知らぬは亭主の、その亭主のようだ。
ある者は、艙門ハッチの上に坐り、怨めしそうに、ぼんやり眺めて、恐怖を恐怖で消そうとしている。
やっとみなにわかった、船は病気なのだ。だからマストも、
ぶるぶるなのだ。船艙も、胴の間も、
塩っぱい水腫でふくれたなかで、われわれは跳びつく、
しがみつく、引っ張りすぎた三縄紐のように。
そして、ぼろぼろの帆布から、落ちてくるぼろ切れは、
まるで、一年前の首縊りから落ちてくるように。

 この詩は、原稿のまま方々へ持ちまわられ、ひどくおもしろがられた。これが、時熟して聖ポウル寺院副僧正の職をもって終わった彼の、情熱と詩との、偉大な生涯の出発だった。
 ダンが、そのように軽業的アクロバチク対句カブレットを夢中にひねくっている一方で、エセックスはダンの対句に材料を提供したこの損害の回復のために、ファルムスとプリムスにあって最善を尽くした。宮廷から、彼に慰問の使が送られた。セシル父子は鄭重な手紙をくれた。エリザベスは案外なほど優しい気持を示しているのだった。「女王陛下には目下」と、ロバアト・セシルの手紙はいう「私どもが貴兄を敬愛することを熱望あそばされております。陛下と私とは、毎夜毎夜、まるで貴兄のための二人の天使のごとく、貴兄のお噂ばかりいたしております」ちょうどいま起こったばかりの一事件が、女王をひどく悦ばせたので、おかげで彼女はこのたびの海軍の災難を、いつもに似合わぬ冷静さで眺めることができた。――一人の大使が、ポーランドから来朝した。黒ビロオドの長服に、宝石のボタンをつけるなど、いかめしい人物だった。彼女は公式の謁見を許した。侍女や、枢密議員や、側近の貴族らを従えながら玉座に坐って、彼女は大使の念入りな奏上に、いと優雅に耳傾けていた。大使はラティン語を使った。それが非常にうまいようすで、聞いているうちに、彼女は愕然としたらしかった。さすがの彼女もぜんぜん予期しないことを彼は話している。けっして挨拶の辞ではなく――それどころか、抗告だった、諫言だった、批判であった、そんなことができるとは?――恐喝でさえあった! あなたは傲慢だと説教し、ポーランドの通商を破壊したのはけしからんと叱り、ポーランドの陛下が、あなたを長くのさばらせてはおかぬだろうとおどすのだった。愕然とした彼女は、やがて憤然と居直った。ようやく大使が口を噤むや否、彼女はさっと立ち上がった。
 そして、“Expectavi orationem, mihi vero querelam adduxisti !”と、叫んだ。続いて、息もつがず、毒々しいラティン語の奔流を、轟くばかりに浴びせ始めた。叱責と、怒罵と、苛烈な揶揄とが、驚嘆すべき流暢さで、こもごも口をついて出るのだった。取り巻いていた者どもは恍惚となった。みんな女王さまの教養については知っていたが、こうまでとはまったく意外だった。あんなに無準備エクス・テムボレな演説が、ちゃんと法にかなって舌の上に踊る。哀れな大使は降参した。ついに、最後の終止符をまん丸く打ち終わると、彼女はちょっと口を噤み、それから侍臣たちを顧みた。「やれ、やれ、みなの人よ」と、彼女は満足げな微笑みとともにいった「わたしのラティン語も、長いこと放っておいたので錆びかかっていたからね。今日は久しぶりに引き出させられて、おかげで錆を落とすことができましたよ!」あとで彼女はロバアト・セシルを召し寄せて、彼女のラティン語を、エセックスがいたら聞かせてやりたかったのに、ともいった。セシルは如才なく、この出来事の詳細を伯爵に書き送ろうと、女王に約束した。そして実行した。おかげで、ポーランド使節謁見の興味ある情景は、彼の手紙とともに後世にまで残ったのである。
 多少、いやいやそうではあったが、彼女はもう一度スペインを襲撃することを、艦隊に許した。しかし、すでに艦隊はフェロオルに兵を上陸させるだけの力を失っていた。ただ船を燃やして波止場に突入させ、敵の船舶を焼く程度のことしか、してはならなかった。そのあとで、西インドから財宝を満載して帰る船隊を待ち伏せてみるくらいのことはできよう。海上の風位は再び彼に災いした。やっとスペインの海岸に辿り着いたと思うと、東の颶風がフェロオルへの進航を妨げたのであった。彼は母国に通信して、自分の不運を報告し、そして、スペインの艦隊が財宝運輸の護衛のためにアゾレ群島に向けて出帆したという情報をえたから、これからただちにその追跡に向かうつもりでいると書いた。それに対するエリザベスの返事は、彼女らしい、謎めかしいもので「讃美すべき東風の仕業かな。そは季節を超えてなお吹き続くとかや。朕これを知るや、水晶のなかを覗くごとく、朕が愚かさを知れり。狂気をいいのがるる具に、あえて超自然事を恃みし、わが愚かさを」 他の言葉でいえば、彼女はもっとよい思慮があったにもかかわらず、偶然を恃んで冒険しすぎたことを、いま思い知ったというのである。彼女はあたかも「しし座の太陽に恵まれて(ときに八月であった)いままで幸運なりしに味をしめて、おのれの気ちがいめく気まぐれをなお捨てかぬる男にこそ」似ている。
 エセックスよ、このうえわたしの愚かな寛容につけ上がるなかれ。「正気の沙汰にもあらぬ朕のお人よしが、御身を放胆ならしめざるよう……御身がいよいよ失策を重ねて我らの憐れみとならざるよう自らを警戒せん。……御身は、朕をあまりにも悩ます人なり、朕がなにをいとい、なにを命じるかをいささかも顧慮せぬゆえに」彼もまた用心深くあらねばならぬ。「一たび奇跡を冒したる御身なれば、これを再びして、かの善き貯えをも泡と化する、季節はずれの時化しけに遭う危険を重ぬるなかれ。このことのみぞ、いまは御身のなすべき務めなり、そはかつて御身のものたりしことなき性格を役だたしむることにて、かくて一身の安きをえば、もって事たれりとすべきのみ」ほんの一触か二触で、彼女は相手の失敗を衝いておいて、さて「もはや責めまじ、されど朕が思いはなおいいたらじ。朕が憂いは、ひとえに万全なる軍備の補強にありてひと時も忘れざるなり。同じ切なる願いのなかに、御身の恙なき帰国をこそ。なおまた、御身よく胸に手をあてて、見せかけの真実と、有効目標とを見分け給え」そして、この親書は、愛情の誓いをもってむすばれている。「善良なるトマスと、忠誠なるマウントジョイに、わが心からなる挨拶を伝うることを忘れ給うな。朕が受けしものについて、彼らに感謝を与うるを忘るるは、あまりにも党人輩に似るものとせむ。されど、朕は、感謝するをほとんど忘れんとせしほど、それを受くるを好まざりしかど、いまは受納するによろずの感謝をもってしてなお余れるを、最愛の人には捧げん」
 これらの言葉は、洋上を渡って彼を捜しまわった。やがて彼の手に届いたが、そのとき伯爵はもっと注意深く読むべきであった。アゾレ群島にきてみると、スペイン艦隊の影もなかった。が、待っておれば財宝船はいつなんどき現われるかわからないのである。群島の中心堡塁をなすテルセイラは、あまりにも堅固すぎて攻撃できない。だから、アメリカからの航路の西方に封鎖線を敷いて彼らを待ち伏せるのが、イギリス艦隊の作戦であることは明白であった。そこで、ファヤル島に上陸することに評議が決まった。この島が監視の中心としてすこぶるよかろうというのだった。全艦隊はそのほうに向かって進航したが、途中で分艦隊同士がばらばらに離れてしまい、ラレイの艦隊が集合所についたときには、エセックスその他の艦隊は彼も形も見せなかった。ラレイは四日間も待った。それから、給水のために、部下をファヤル島に上陸させ、島の街を襲撃、これを占領してしまった。ラレイの指揮は巧妙を極め、厖大な戦利品が彼とその部下の手にはいった。そのとたんに、他の分艦隊たちが姿を現わしたのである。一部始終を聞いたエセックスは激怒した。ラレイは掠奪と功名心のために、計画的に彼を出し抜いたものであり、総司令官の到着を待たずに島を襲撃したことは、命令違反であると、エセックスは声明した。エセックスの一味のなかでも智慧たらずの面々には、この機逸すべからずと彼を促したてた者さえあった――軍法会議に付して、ラレイを処刑しろというのである。いくら腹のたったエセックスであっても、これは大事すぎる。「彼奴がおれの友だちだろうとかまいはしない。やっつけてやるんだ」と彼はそのときいった、と伝えられている。最後に、協定がついた。ラレイは遺憾の意を表すること、彼の成功に満ちた行動については、なんら公の報告書に記録せぬこと、彼は今度の功名についてはなんの保証ももらわぬこと、そういう条件で、彼の非行は許される、仲直りの形はなされたが、エセックスの心中はなお穏やかではなかった。――一つの戦利品も、一人の俘虜も、彼は持たないのだった。が、彼は、雑作なく取れる島が、もう一つあることを教えられた。
 よし、ラレイがファヤル島を取ったというなら、おれはサン・ミゲル島を取ってやろう。そして、サン・ミゲルを指して、彼はただちに帆を上げた。「見せかけの真実と、有効目標と!」女王の手紙のなかのこの言葉を、なぜ彼は注意しなかったのだろう? サン・ミゲルへの襲撃は、一場の愚挙だった。というのは、この島はテルセイラ島の東方にあって、そこへゆくことは、護衛なしで帰ってくる財宝船の航路をそれることだったのである。イギリス艦隊がサン・ミゲルへ進んでいった間に、インド諸島から厖大な貢物船は無事テルセイラの波止場に走り込んだのだった。サン・ミゲルは、結局のところ、断崖だらけで上陸の不可能な島であることを思い知らせてくれた。しかもテルセイラは不抜の要砦である。すべては終わった。いまはなにもすることはなかった。ただ、母国に帰ることのほかには。
 それはわかった! だが、これらの出来事の間に、スペイン艦隊はどこにいたのか? 彼らはフェロオルの港にじっとしていた。いまそこでは、幾年もの戦争準備が、ついに、熱狂的な速度で完了したところであった。フィリップ王が、次から次へ、奔流のごとく命令を発して彼らを激励している最中に、イギリス艦隊はアゾレ群島に向かったという情報がはいった。機会はきた、憎々しいイングランドは、開けっ放しの無防備のまま、彼の目の前に横たわっている。彼は無敵艦隊に即刻の出動を命令した。総督が、せっかくの武備を用にたたなくしているお恥ずかしい欠陥について陳述するといえども、そしてついに、これではとても責任を持てません、お役御免をと哀願するといえども、いっさいはむだだった。むだである――信仰厚き総督マルタンは、その艦隊を率いてビスケイ湾に乗りだすの余儀なきにいたった。そのときになって、はじめて、彼は王の命令書の封を切ってよいことになっていた。命令書に曰わく、彼の艦隊はまっすぐにイングランドに進航すべし、ファルムスを襲撃し、その地を占領すべし。しかして、敵の艦隊を撃破した後に、ロンドンに攻め上るべし。無敵艦隊は帆を揃えて北上した。だが、シリイの近くまできたとき、北風が吹きつけてきた。船はみなよろめき、漂った。艦長たちの心は沈んだ。フィリップ王の準備は現実に不充分だったのだ。軍艦は散り散りに、そして沈み始めた。風は暴風の様相を帯びてきた。絶望的な軍議が開かれ、総督は信号を発した。かくて無敵艦隊は匐うようにして、フェロオルの港に逃げ帰った。大王キングフィリップは、憂慮と病苦とでほとんど失神状態だった。そのオペラ特等席ボックスから、高らかな祭壇を眺めおろすとき、彼は休みなく祈った。突如として麻痺の発作に打ちのめされ、食物も喉を通らなくなった。姫君が、その上に身をかがめ、管をもって流動食を、王の喉のなかに吹き込んだ。すでに、総督マルタンの艦隊が帰ったという報告はきていたが、彼は目をかっと開いた。意識を取り戻したのである。「マルタン総督は、どうしても出動せぬか?」これが彼の最初の言葉だった。廷臣どもの、目前の役目はつらかった。彼らは大王キングフィリップに、信仰厚いマルタンは、すでに出動したのみでなく、同じくすでに、港に帰っていることを、申し上げなければならなかった。

第一〇章


 エセックスもまた、その母国に帰ってきた。しかし、彼が拝謁しなければならなかったのは、けっして死にそうもない女王さまだった。帰りの航海で、偶然拉致するをえた数隻のスペイン商船、そればかりか、莫大の費用を要したのみならず、イングランドを外敵侵略の危険に晒したという彼のお手がらの申開きをしてくれるものだった。エリザベスは、大暴風のあとで艦隊を出航させることは、最初から気が進まなかったのだ、それをエセックスたちに無理やりせがまれて許した結果が、こんなことになってしまった。彼女は怒らずにいられないのである。不始末は――大きく、そして弁解の余地もない。物資と国威との、二つながらの大損失、領土に招いた危急、それが今度の外征の決算だった。
 氷のような叱責で迎えられて、エセックスは、弁解これ努めたが、むだだった。そして屈辱と憤怒にまみれながら宮廷から退ると、ロンドンの東郊なるウォンステッドの別荘に引き籠もってしまった。そこから、彼は女王に悲愴な手紙を書いている。「私は、この病める身と傷つける心を、どこか休息の場所に匿したく存じます。そのほうが御前にありながら、いまのようにただ遠方からのみ陛下を仰ぎ見る連中に成り下がっているよりか、どんなに嬉しうございましょう」 彼は口説きたてる「いつもながらの私の心情のほど、かよわせ奉ります。いまは御無情に打ち萎れているとは申せ、なお昔のごとく、陛下の美に征服されている心情でございます。たぶんまだ二、三日は起き上がれますまい寝床にて、今宵日曜日の夜、陛下の下僕、あなたさまの御冷酷に傷つくといえども、真心は元のままなる、R・エセックス」
 わたしの美に征服されたって! エリザベスは微笑んだが、まだ許す気持にはなれなかった。とくに業腹なのは、大将軍としてのエセックスの人気が、すこしも衰えていないことである。群島襲撃の失敗の因を、公衆一般は、不運だ、天候に恵まれなかったのだ、ラレイが悪かったのだというふうに、あらゆる見当違いな見かたはしているが、唯一の真相だけを――総司令としてのエセックスが、無能だったという真相だけを看のがしていた。公衆はばかなものだ、真相を知っているのは、わたしだと女王は思った。そのくせ、その真相が逆であれかし、とも祈りたいのだ。ある日、白宮殿ホワイトホールの庭のなかで、以上のような感想を彼が述べていると、サア・フランシス・ヴェアがあえて進み出て、その場にいぬ人(エセックス)のために弁護に努めた。彼女は御機嫌うるわしく耳を傾け、二、三抗弁し、それから急に調子を変えて、サア・フランシスを小路の果てまで連れてくると、長いことエセックスについて――静かに、慈しみをもって話した。その後まもなく、彼女はエセックスに見舞いの手紙を送った。
 心ひそかに御身の帰りこん日を待ち候。御身なくして人生は侘びし。過去はさらりと水に流すべく候。もう一度、彼女は許しを仄めかす手紙を書いた。「尊き最愛の人よ」とエセックスの返事がきた。「優しきたびたびのお消息に、病める男はあたためられました。いえそれどころか、彼は半死の床から、生命へと、立ち上がらせられました。愛とはなんであるかを思い知った最初のあの幸福だった日からこのかた、私はすっかり希望と嫉妬のとりことなって、一日として、ひと時として、それから解放されたことはございません。この希望と嫉妬は、あなたさまが私を正しくお扱いくださいます限り、永久に私に取りついた伴侶でございます。もし陛下が、みこころの甘露もてこの希望をお養いくだされ、愛の正しさもてこの嫉妬の暴虐から私をお救いくださるならば、それこそ私の真の幸福と申すもの……さらば、もっとも思召しにかなう者の御主人にてあらせ給えかし。かく祈りつつ、美わしきみ手に、うやうやしく接吻しまつる」彼女は恍惚となった。――彼女の心のわだかまりの、最後の一滴をも溶かし去ってしまった。すぐにも彼を呼び返さなければならぬ。彼女は自ら仲直りの、感動的な、なにからなにまでゆきわたった場面の準備をした。だが、彼女はそれほど早く幸福にはなれなかった。いまは疑う余地もなく、彼女は自分を待っていると察すると、彼は自分の態度を急によそよそしくし、腹の虫のおさまらぬ様子を示した。お取巻きには、フランシス・ベエコンより悧口でない連中が大勢いて――そういう人たちに煽てられるままに、女王に対する、不得要領なゲエムの開戦とはなった。群島攻撃にさんざん失敗したという後ろ暗さが、かえって彼をして依姑地に自己主張させるのである。純粋な悔恨と、技巧だけの媚辞コケトリを搗きまぜた手紙は、思ったとおりの効果を女王に与えた。女王は帰ってこいと熱望する。大変よろしい。お望みはかなえて差し上げるであろう――だが、そのためには、支払うものを支払ってもらわなければならぬ。自分の外征の留守中に、ロバアト・セシルはランカスタア公領司に任命されている。凱旋する一週間前には、エッフィンガムのホワアド卿がノッチンガム伯爵の創立を仰せつかった。これはあまりにも我慢のならぬことだった。創立免許状は、はっきりと、授爵理由の一つとして、キャデイズ占領の功によりと書いている。だが、キャデイズの占領が、ひとりエセックスの功にあることは、全世界のひとしく承認するところではないか。
 もっとも、免許状には、ホワアドが無敵艦隊を撃滅したこと、すでに六十歳を超ゆること、そして、彼の長年のすばらしい奉公に酬ゆるに伯爵を与えるのはもっとも当をえた恩賞であること、なども書いてはある。そんなことはどうでもよい。目前、ここにもう一つ重大な疑点がある。エセックスを取り巻く人々の、くゎっとなった頭は断定する――いっさいはエセックスに対する巧妙な蔑視の現れで、とっくの昔から用意されていたことにちがいない。ホワアドはすでにキャデイズ遠征の前々から、海軍卿として、エセックスの上席に坐ろうと試みていた。当時エセックスは、伯爵として、かたく相手の主張を退けたのであった。海軍卿の上に伯爵位が加わると、法によって席順はあらゆる伯爵の上にある――もっとも、大侍従長グレイト・チャンバレン宮内卿ロオド・ステュワートと、伯爵元帥アール・サーシャルとは別であるが、しかし、いずれにしてもエセックスは、この新華族のノッチンガム伯爵に席を譲らざるをえなくなるわけだった。こんな情勢のもとで、もし彼が宮廷に帰ることを拒絶したって、誰がいぶかるであろうか? もし女王が真に彼の謁見を望まれるなら、なにか御恩寵の証拠を示して、エセックスの地位が、群島襲撃の件で弱まるどころか、反対に、以前よりいっそう強固に確立されたことを、世間に思い知らせてくださるのが宜しい。
 彼の病気は、まだ快方から遠い――そう公表された。エリザベスは苦い顔をした。彼女の即位記念式――十一月十七日――はやがてくるが、例によっての祝祭に何物かを欠くことになりそうである。――たしかに何物かを欠く――誰かの欠席で――彼女はいらだち始め、宮殿内は、雷雨で蔽われたようであった。エセックスに帰ってもらうことが、誰にとっても最重要のこととなった。ハンスドン卿が、お世辞たらたらな慰撫状を伯爵に送ったが、だめだった。そこでバアリイが書いた――多少のユウモアも含めた手紙である。「報告によれば、閣下には御重病の由なれど、それはきっと暖かい召し上り物があれば、お治りになる御病気かとお察しします」けれども、即位記念式はついにき、エセックスの出席を見ずして済んでしまった。バアリイは再び手紙を書いた。新伯爵ノッチンガムさえ、エリザベス朝一流の美文書簡で、友情を申し立てていう、疑うらくは「何物か卑劣漢が、術策を弄して、閣下に私を中傷したらしいのですが、しかし、閣下よ、もしあなたに関して執った私の言動が、あなたの立場に立たされたとき同じく執るであろう私の言動と違っていたならば、私は天国の歓びから追放されても構いません」この一斉射撃に、――もし女王がほんとにそれをお望みなさるならば、と折れて出るところまできた。そうなると、今度はエリザベスが、お高くとまる番になった。考えなければならぬことは、他にたくさんある。彼女のいっさいの注意力は、フランス大使との商議に向けられなければならぬ。
 また実際、フランス大使の扱いかたには、熟練を要したのである。当時、新しい外交情勢が展開し、どちらに転んでいいものか、エリザベスもいままでになく去就に迷っている最中だった。フィリップ王が、彼の海軍がフェロオルに帰港したあとで案外にも生き返ったのである。王は総督を召し寄せた。これで総督は御前からただちに絞首台に送られるに決まったと、廷臣どもは推察したものだった。ところが、予想に反して、この謁見は、来年の春を期して行なわれようという、対英侵寇の評定に終始しただけだった。第四無敵艦隊が出現しようというのだ。今度こそ成功疑いないであろう。教書が起草された。「まず第一に」と、この注目に値する文書はいう「事の進行は神の思召しにあり、かつ、我ら罪のあがないに急なるを要す。されど、陛下はすでにこの心得につき、一般命令をくだし給えるのみならず、そはまた、陛下が任命し給う司令官のつねに主張するところの心得にてもあれば、いまはその命令の遵守さるべく注意を深め、再びそれを宣布するにとどめて宜しかるべし」 第二段には、巨大な税金の徴収が必要で、それも「大々的の速度をもって、しかして、考えらるる限りのあらゆる適法名目のもとに徴収すべし。いかなる名目が適法なるかを調査するために、理論家の委員会をつくるを要す。これほどの大事を委託するにたる理論家を選び、彼らの意見を採用すべきなり」 もちろん、当局首脳部の智慧がこの程度なのだから、企画の成功については、それがなんであろうと、疑問の余地はないのだった。
 しかし、一方で対英戦争の機が熟するに従って、フィリップ王はいよいよフランスとの和平を熱望するようになった。フランスのアンリ四世は徐々に地位を固めていた。妥協開始の機はいたったのだった。フランス王はフランス王で、やはり、平和を望んでいたのである。しかし、それを決意する前に、二つの同盟国――イングランドとオランダの意を打診する必要があった。これらの同盟国を説いて、世界平和に賛成させよう、という見とおしのもとに、アンリ王は、ド・メッスを特使として、ロンドンに派遣したのだった。
 もしド・メッスが、その提議に即刻の返答がえられるものと期待してきたとしたら、運命は彼を失望させたであろう。彼はうやうやしく、鄭重にイギリス宮廷に迎えられた。エリザベスには何度も謁見した。御託宣は、実際の話、――あらゆる話題に触れながら、ただ一つ肝腎な用件を避けるだけである。女王が、話題から話題へ、音楽から宗教へ、ダンスの話からエセックスの話へ、キリスト教界の現状から、彼女自身の教養へと、しゃべりにしゃべりぬく前で、フランスの特使は煙に巻かれ、驚嘆し、そして、うっとりさせられた。彼女はフィリップ王についても触れた。なんでもフィリップはこれまで十五度も彼女を暗殺しようと試みたというのだ。「なんてかわいがりかたをしてくれるんでしょうね」 そういい添えて、彼女は笑い、溜め息を吐いた。宗教の宿命的な相違というのも困ったものだ、そのじつはたいがいくだらないところにあるのだが、と彼女は嘆いても見せた。彼女は人民を愛しており、人民は彼女を愛している。この相互愛が、これっぽちでも衰えることがあれば、彼女はむしろ死にたい。おっと、ド・メッスに諫言を差し挟む隙も与えず、「ノオノオ」と彼女は叫んだ。「などというほど、早く死んでしまうとも思っちゃいませんよ! これで、あんがい若いんですから、大使閣下ムシウ・ランバサドウルよ! あなたが想像なさってるよりわね」
 女王の衣裳は、ド・メッスにとって連続的な驚異だった。彼は日記のなかに、絶えまもなく、彼女の衣装についてノオトを取っている。彼が聞いたところによると、女王は、こしらえた着物は、生きている限り一枚だって捨てたり遣ったりしたことがない。衣裳箪笥のなかには約三千枚もぶら下がっているそうである。あるとき、大使は、驚異以上のものを経験した。エリザベスは窓のそばにこのうえもなく異様な服装で立っていた。黒い甲斐絹タフタをイタリア風に裁断したドレスが、広幅の黄金の帯で飾られ、開きオープンにした袖には、緋縁どりが施してあった。このドレスはずっと裾まで前が開いていて、下にもう一つ、白いダマスク絹のドレスを重ねているのが見える。この白いドレスは、腰まで襟が開いているゆえ、そこでその下からさらに、白のシュミーズが覗いて見えるわけで、シュミーズもまた開き襟になっていた。びっくりした大使は、目の向けどころに困った。彼女が物をいいながら頭を反らせるたびに、前襟が重なるのに気をつかい、ときどき両手でその重なりを左右に拡げることだった。それで、彼の記述によると、「おなかが丸見えになる」さて、着付けは、あとは赤い仮髪かつらで完璧なものとなる。その仮髪の毛は、すばらしい真珠をいっぱいに鏤めながら、長く肩まで垂れ下がり、一方、両腕は真珠の糸でぐるぐる巻かれ、手くびは、宝石の腕輪で蔽われていた。彼女は自分を魅惑しようと試みているのだと、フランス大使は思い込んだことである。たぶん、そうだったであろう。あるいは、たぶん、この解き明かし難い女は、そうした衣装を着たこの朝、ちょっぴり乙な、幻想的なものを感じた、というだけのことだったかもしれない。
 エセックスの不在が、宮殿内の諸事万端に影響しており、ド・メッスも、雰囲気から、一種の緊張状態を嗅ぎ出しえないほど、鈍感ではなかった。偉大なる伯爵は、自分で自分に押しつけた名目不分明な流謫生活を、ロンドン郊外に送るともなく送りながら、いつの心も怖れと、望みと、打算でいっぱいだった。女王はこの問題をどう考えているのか、彼女が大使に説明して聞かせたところによれば、彼女は、もしエセックスが本当に群島襲撃で、任務に誤るところがあったのなら、容赦なく彼の首を刎ねてやったであろう。だが、よくよく調査した結果、エセックスにはなんの罪もないことがわかった、というのだった。そう話す様子は平静らしく見えた。首を刎ねる、などという言葉も、冗談半分の、強がりの一句でもあったろう。しかも、彼女はすばやく話題を他に持っていった。廷臣どもは、もっと昂奮させられた。外では奇妙な流言がたっていたのである。伯爵は、近く西部地方に向けて出発する旨を声明した、その旅には、適当な恩賞をいただかなかった不平武士が、このうえロンドン近くに置いてはどんな危険を醸し出すかわからぬほど大勢、お伴してゆくだろう、そうも伯爵は宣言したそうだ、などと耳から耳へ伝わっていた。
 この早合点の噂は、エセックスの敵によって、あらゆる所で繰り返されたが、エセックスは依然として、ウォンステッドにいた。この声なき嵐は、一方でド・メッスがエリザベスからなにか一言でも断定的な言質をえようとこれ努めている間、十二月いっぱい続いた。なにかのとき、エセックスは、自分とノッチンガムの確執は、二人の決闘をもって決をつけようかと暗示した――が、ノッチンガム自身も、しだいに過敏になり、ふせってばかりおり、田舎にでもゆこうかといい出すしまつだった。最後に、まったく不意打ちに、エセックスは宮廷に現われた。すると早くも彼の勝利が宮廷中に知れわたった。十二月の二十八日に、女王は彼をイングランドの元帥伯に親補したのである。多年の間、元帥伯アールマアシャルの官は中絶していたのだから、それをとくにこのさい復活して与えるということは実に驚くべき君寵の現れであって、この任命の作用によって、エセックスはノッチンガムに対する上席を回復したわけだった。海軍卿と元帥伯が、官職令のうえで同格であり、しかも二人とも伯爵アールであるとすれば、当然、早く伯爵になっているほうに上席権があるという結果にならざるをえなかった。
 数日後、ド・メッスは帰国の用意を始めた。使命はついに果たしえなかったのである。彼は訣別の挨拶にエセックスを訪問した。エセックスは、陰気な鄭重さで迎えた。彼はスペインとイングランドの間に平和が可能であろうとは信じない。それに、そんな商議に一役買うのも好まない、それはむだだと思う――そんなお話に乗り気になるのは、あの親父さんと息子さん(セシル父子――訳者)くらいのものだろう。そういって、彼はちょっと口を噤んだが、すぐ憂鬱そうに言葉を続けた「廟議は二つの鬼に食われている――延引策と不安定の二つの鬼です。その原因というのも、君主のセックスにあるんですがね」ド・メッスは、心中ひそかに相手の落胆と憤怒と野心の奇妙な混合を看取しながら、うやうやしく辞し去った。
 伯爵がいくら渋面を作り続けようと、エリザベスはもっとも高揚した気分でいた。エセックスは再び宮廷に帰ってきたのである。新しい、喜ばしい情趣が、日常生活のうえに奔騰しつつある。フランスは待たせて宜しい。彼女はロバアト・セシルを遣わしてアンリ王と談議せしめよう。同時に――彼女は愉しげに周囲を見まわした。なにか精力のけ口にかなうものはないかしら、そうだ、スコットランドのゼエムス王がいる! あのおかしな若者は、またしても小細工をやりおった。ゼエムスが、イングランドの王座の相続権を主張して、大陸の諸宮廷に使節を送っているという事実を、彼女は耳にしたのだった。もし、この女王がもう死んだとでも思っているのなら、いまに痛い目に遭おうから覚えておれ。彼女は、得々としてわが身を陽気な憤りに駆りたてながら、ペンを執ってスコットランドの親類ブラザアに手紙を書いた。いかにも相手を靴のなかまで戦慄させようと、練りに練った文章だった。
「はじめて奇々怪々の噂の風が、私の耳をかすめたとき、私はペンに任せて中傷の限りを書く恥知らずが、いいかげんな報告を寄越したのだと想像しました」だが、その想像は間違っていた。「私はお気の毒に堪えません」と彼女の手紙は続く「あなたが、そんなにも喜んでいままでの絶好の立場をお捨てになったことがお気の毒です。そんなにして、底知れぬ不信用の吹雪溜りへ、御自身落ちこんでおしまいになった。それほど破滅に、急いでゆきたかったのですか。……特使にあなたの猿智慧を授けて、諸外国の王室を訪問させますか? 私は断言しますが、あなたの皺だらけな言葉は御苦労にも、あそこもここもと、とほうもない遠い国々まで深入りしてゆかなければならないでしょう。そんな無考えな深入りも、つねにあなたの安全と名誉を守るための私の誠意ある処理と、法外な配慮が、まことの太陽としてこの宇宙にあまりに洪大に拡がり、ゆけどもゆけども、おぼろに怪しい一片の雲にすぎぬあなたの毒口の上を蔽うてやまぬからだと弁解しながらね。……で、しっかり覚えておいていただきたいのは、あなたが相手にしている王は不正を許したり、汚辱を我慢することは絶対にできない質の者であることです。実例は最近にあり、まだ人々の記憶になまなましく残っているはずです。ヨーロッパ列強中でも遙かに群を抜いて実力も権勢もある王さまが、どんな目に遭ったか。あのような失礼を、うんと懲らさないで私がおしまいにするとは、くれぐれも期待しないでください。……ですから、私はあなたにお奨めする、もっと善良な精神と、お悧口な結論を持つほうがお身のためでしょうと」
 ゼエムス王はこれで片付いた。お次は、もう一度アンリ王に歯をむいて見せてもよさそうだと、彼女は感じた。彼女はロバアト・セシルに、特使としてフランスにゆくように命じた。侍史は、欣然として仰せを承った。しかし、自分が海外にある長い留守中、国内にエセックスを残しておけば、競争場は彼の一人舞台となる。そう思うと、喜んでばかりもいられないのである。彼は執るべき手段に迷った。そうだ、あっさり胸襟を開いてみよう――政敵に手を差し伸べてみようとついに決め、それを実行した。するとエセックスは、自分が留守の間に、どんなにして侍史の椅子と、ランカスタアの公領司の職がセシルの手に落ちたかを、微笑とともに思い出しながら、けっして空巣狙いはいたすまいと誓約した。にもかかわらず、セシルはまだ安心できなかった。ときにあたかも、女王の私託品として大量高価の燕脂染料がインドから到着した。セシルは、この全貨物をエセックスに五万ポンドの値で払い下げられてはどうかと提議した。目方一斤につき十八シリングスの割になる。当時の市場価格は、三十ないし四十シルリングスの間を上下していたものである。そのうえにセシルは、右の貴重な現品のうち、七千ポンドに相当する量は、エセックスに無料で下賜されんことをも女王に奨めた。エリザベスは喜んで同意した。そこでエセックスは、なんとなく侍史に、気ばかりの騎士道以上のもので繋がれた自分を感じた。――その繁りを結びつけるものは、たんまりもらった感謝の情であった。
 セシルがフランスに向けて乗船したばかりのとき、驚天動地の一ニュウスが、ロンドンに到着した。五千の軍隊と三十八隻の快速艇になるスペインの一艦隊がいまや海峡を押しのぼりつつあるというのだ。エリザベスの胸にまずきたのは、侍史の身の上だった。彼女は急使を派して、セシルがイングランドを離れることを差しとめた。だが、彼の船はすでに出帆していた。すでにスペイン艦隊の目をくぐり抜け、そして安全に、ディエプに入港した。その港から、彼は即時、父のバアリイにあてて、彼が見た敵艦隊の装備状態を詳細にわたり報告した。この報告書の封筒には「命がけ、命がけ、まさに命がけ」という文句に添えて、絞首台の図を書いた。これは飛脚への嚇しであって、もし途中で道草食ったら、お前を見舞う運命はこれだぞという意味だった。一刻の躊躇も示すロンドンではなかった。政府の協議は簡単に一致した。あらゆる方向に命令が飛んだ。カンバアランド卿が、集めえられるだけの船をもって、敵を追跡すべきを命じられた。ノッチンガム卿は、急拠グレエヴセンドに、ゴバム卿はドオバアに、それぞれ赴いた。ラレイは全海岸に軍備を敷く任務を与えられた。エセックスは、敵襲をどこに受けようともただちに出動、これを撃滅する態勢で待機するのだった。だが、カンバアランド卿の分艦隊は、スペイン艦隊をカレイの沖合で発見し、快速艇の十八隻を撃沈した。残りの艦は、押し合いへし合い波止場の内に逃げ込んだが、再び港外に出てくる元気はなかった。
 エセックスは、侍史の留守中、うまく立ちまわるような卑怯な真似はしなかった。もっともちょうどその頃の彼は、政争よりも、情事のほうにもっぱらだったのである。一五九八年が明けたばかりの冬の日々、浮気の数々が噂にのぼり、いずれも顰蹙ものであった。彼がエリザベス・サウスウェル女史に子を産ませたことは有名な話である。マリイ・ホワアド夫人に一方の情熱を注ぎ、他の一方の情熱をラッセル女史に注いでいる、という嫌疑も受けた。宮廷内のゴシップは、「かの麗人、ブリッジス」が再び伯爵の心を捉えたことを、確実なりと伝えた。エセックス夫人と女王とは、二人ながら心配でいっぱいだった。エリザベスの誇らかな心意気は、突然にも崩れた。もはやヨーロッパも白宮殿ホワイトホールも、彼女になんの満足感を与えるものではない。
 彼女は日に日に気むずかしく、疑い深く、荒々しくなった。ほら、エセックスとマリイ・ホワアド夫人が、色目を交わしたぞ、と思ったとたん、彼女は怒りを抑えかねた。その場は、しかし、胸をさすったが、返報の機会は、マリイ・ホワアド夫人が、ある日、特別きれいに着飾って出仕したときに掴むことができた。夫人の着物は豊かな縁取りに飾られ、真珠と黄金を鏤めた、とても美しいびろうどのドレスだった。女王はなにもいわなかった。が、明くる朝、女王はマリイ夫人の衣装箪笥から、ひそかに例の着物を抜き取ってこさせた。その夜のこと、女王はマリイ夫人の着物を自ら着ながら、ひょっくり現われて、宮廷中をわっと湧かせた。その恰好のグロテスクなこと、なにぶんにも彼女はマリイ夫人より遙かに背が高いので、ドレスは脚を蔽うにたりるだけの長さもなかった。「どう、淑女たち」と女王はいった。満場、息を呑んでひっそりとなったなかを、彼女は、つとマリイ夫人の前に肉迫した。「ああ、夫人よ。あなたの感想は? わたしには短すぎて似合わないじゃないの?」哀れな女が口ごもりながら、同意の呻きを発すると、「あら、そう、もし、短すぎて、わたしに似合わないのなら、あなたにだってけっして似合わないのじゃないかしら。あなたの御嫖緻では着物のほうが美しすぎるのよ。どちらにもこの着物はだめね」いい終わると、彼女は再び室外に歩み去った。
 そのような瞬間は、みんなが困る。しかしエセックスは、女王の焦燥を宥める手を心得ていた。とろりと御機嫌のいいときに伯爵はついに女王を説き伏せて、特別の恩寵を許されることになった。つまり彼の母の謁見を許していただいたのである。――女王にとってはいやな女、すでに何年も御前から閉め出されているレッテイス・レスタア夫人だった。だが、いよいよ何日にというときになって、エリザベスは後退りし始めた。何度も何度も、レスタア夫人は内所の廊殿まで召し出された。そこに彼女は立ちながら、女王のお通りを待つという仕組みだったのだが、どういう理由か、女王はいつも他の通路から出てゆかれた。最後に、チャンドオズ夫人が大饗宴を張って、どうしても女王とレスタア夫人と対面せざるをえぬように取り計らおうということになった。すべての準備は整い、女王のお馬車もお召しを待つとき、レスタア夫人は入口に、三百ポンドもした美わしい宝石を手に捧げながら立っていた。しかもその段になって、宮中から、臨幸沙汰やみの綸旨が齎された。その日、朝から病床にあったエセックスは、これを聞くや起き出して、夜着を羽織ったまま、裏御門から女王の前に馳せつけた。女王は頑として動かず、チャンドオズ夫人の夜会は無期限に延期された。ところで、たちまちまたエリザベスは慈悲深くなった。レスタア夫人は、宮廷の出入りを差し許されたのである。女王の前に伺候した彼女は、み手に、またみ胸に接吻し、かつ彼女を抱擁した。それから、接吻のお返しをお受けした。仲直りの場面は、たいへん可憐なものだった。だが、この麗わしい日が、いつまで続くことやら。
 そのころセシルはフランスで、あたかもド・メッスのイングランドにおけるがごとく、完全に失敗していた。彼は、なにひとつ仕上げえずに、母国に帰ってきた。されば、五月の初め、――アンリが、同盟国から離脱したのである。そして、ヴェルバン条約によって、彼はスペインと講和した。これに対するエリザベスの批評は、あのフランス王は、忘恩の反クリスト人である、あの男の王冠は、彼女の助力のおかげであるにもかかわらず、いまや彼は後足で砂をかけたよと、彼女はいった。しかし狡猾なベアルネ(アンリ)にしてみれば、自分自身のための勝負を、いろいろ試みていたにすぎないのである。しかし、そういう毒口を聞かせるよりも、事態はもっと別の処理を要求しているとは、バアリイの確信するところだった。彼は平和を欲した。フィリップだって、条件さえ合理的なら、きっと和平に飛びついてくる。エセックスはこれに猛烈に反対する。彼はその正反対の政策――大々的な軍事行動をもってスペインを膝まずかせようといってきかないのだった。その手はじめとして、ただちに西インド諸島に急襲を加えることを、彼は提議した。そこでバアリイは、物柔らかに先般の群島襲撃の失敗をあてこすってみた。かくて伯爵とセシル父子との間に、またしても激烈な闘争が捲き起こされた。――その間、一段高い椅子に坐った女王は、あるいは傾聴し、あるいは賛同し、あるいは猛然と反対し、つねに熱意を持って、一方から一方への心変りを示しながら、しかもけっして、いずれをも採決しなかった。
 日はこの闘争のうちに、一週間二週間と経っていった。エセックスの切り札はオランダ問題だった。われわれは、アンリがわれわれに為したと同じ裏切りを、オランダ人に対してなすべきであろうかと。われわれは、われわれ新教同盟国のすべてを、スペイン人のお情けに任せて恥ずかしくないのか? バアリイは答えていう、オランダ人もまた世界和平に参加したらいいではないか。そして彼は、オランダを、アイルランドに対比せしめて、次のように指摘した。イングランドの財源を枯渇せしめている目下の宿痾は、アイルランドの反乱であるが、それを完全に掃蕩する唯一の望みは、スペインとの講和に存している。同時にイングランドは、全アイルランドの平定に、もっぱら力を集中することもできる。これらバアリイの言葉は、ぴったり当時の情勢にあてはまるゆえ、いっそうの重みを持って聞こえるのだった。アイルランド総督ボラウが突然死んだ後で、当時ダブリン(アイルランドの首都)は混乱に陥っていた。そして反乱の指導者としてアルスタアにいるチロオヌは、いったんまに合せの休戦をした後で、急にまた兵をあげたのだった。六月になると、アイルランド北部地方におけるイギリス城砦の一つである、黒河河畔の街がチロオヌの軍に包囲され、駐屯軍の旗色悪しという報告が来た。アイルランド総督の新任は、まだ行なわれない。このもっとも困難な役目に、誰を親補すべきであろうか? エリザベスは思い煩い、誰と決定するのも不可能なことを知った。いまにアイルランド問題もスペイン問題同様、面倒極まるものになりそうである。ある日、エセックスが、その固執する論題――対スペイン和平は屈辱なり――について一場の熱烈な演説を試みると、バアリイはポケットから一冊の祈祷書を取り出し、「詩篇」五十五章の一節を、震える指先で示した。エセックスが読むと、「血を流すものと、詭計たばかり多きものとは、生きておのが日の半ばにもいたらざるべし」とある。彼は荒々しく、この糺弾を払いのけた。だが、一座の人々は深く心を打たれた。そして、なかの幾人かは、他日にいたって、畏れと驚きとともに、老大蔵卿(バアリイ)が示した予言的お題目を思いだしたであろう。
 みんな自分を誤解している。そう思ってエセックスは、意見を詳述したパンフレットをつくった。堂々たる述作だったが、これで説伏させる力はなかった。女王はいまだに迷っている。オランダが特使を送ってき、もし彼女が戦争を続けてくれるなら、巨額の戦費を提供してもいいと申し出ている。これは耳寄りの話である。そして彼女は、どうやら、ぐるりとまわった最後に、スペイン征伐論に落ちつくらしい気配だった。だが、これはあくまで気配にとどまって、彼女は再び元の不決断に、針路をはずしてしまった。
 神経はいよいよ混乱し、恐ろしいほど腹だちやすくなった。そして、みんなが怯えながら待っている間に、その終局は果然、やってきた。アイルランド総督の任命がいよいよ急迫した問題となり、エリザベスもいまはなにか具体的に決定しなければならぬのを痛感しながら、いざという間際になると、いつも問題を後戻りさせるばかりで、一歩も進まなかった。最後に、エセックスの叔父、サア・ウイリアム・ノリスが適当ではないかと考えた。それを口にしたのは、エセックスと、海軍卿と、ロバアト・セシルと、御璽尚書のトマス・ウィンデバンクが列席する御前会議の席上であった。彼らはみな起立していた。叔父にゆかれると宮廷での身かたが一人減るので、エセックスは、叔父よりもサア・ジョオジ・カリウが宜しかろうと提議した。カリウはセシルの子分だから、アイルランドにやってしまえば、侍史にとっては打撃だろうと考えたのだった。エセックスは頑固にいい張り、彼らはたがいに自分の推薦する者を押しつけ合い、争う声はだんだん高く大きくなった。ついに女王は断乎として宣告した。お前がなんといおうと、ノリスをゆかせると。エセックスはくゎっとなり、嘲るような目つき身ぶりで、女王に背を向けた。ただちに、女王は彼の耳を打つや否「悪魔の所へ帰れ!」そう叫び彼女は怒りで真っ赤になった。その瞬間、狂熱の若者は、すっかり理性を失ったか、鳴り響くような怒号とともに、佩剣に手をかけた。「これは乱暴を召さる」と彼は女王の顔に吐きつけた「我慢なりませぬ。たとえあなたの父君の手から受けたとて、許してはおけない」――彼はノッチンガムに抱きとめられ、エリザベスは身動きもしなかった。息づまるような沈黙。そして彼は室外に走り出た。
 エセックスの行動は類を超えたものにちがいない。しかし、さらにもう一つ、みんなを驚かせるものを、宮廷は蔵していた。というのは、女王がなにもしなかった、というのが驚異なのである。ロンドン塔の幽閉――それから斬首台――それが当然エセックスの運命であるはずだった。にもかかわらず、何事も起こらなかったのである。エセックスは田園にかくれ、女王は、測り知れぬ神秘につつまれたまま、日常のごとく政務を行ない気晴らしを続けている。彼女の頭はなにを考えているのか? 恐怖のあまり、腑抜けになったのか? なにか恐ろしい復讐を狙いながら、日を過ごしているのか? 裳裾もながく、彼女は歩く……もちろん、歩く途上を遮るものははたして出てきた。大きな、しかし避け難い不幸がついにきた。すなわち、バアリイの臨終である。老年と痛風と、重臣としての心労に疲れ果てて、彼は急速に墓場へと沈んでいった。すでに四十年以上も、彼は彼女のもっとも信任厚い顧問官だった。まだ彼女がイングランドの女王でなかった昔から、そうであった。わたしの魂、そう彼女はいつも彼を呼んでいた。絶え絶えの希望を掻きたて、そして祈り、毎日見舞って、洪大な愛情――一種ふしぎな老仙女の慈しみをもって、死の病床を看護した。サア・ロバアトが、狩りの獲物を父に贈ってきたが、彼は食べものを持ち上げる気力さえ失っていたので、女王自らの手で、彼の口に入れてやるのだった。「息子よ、願わくば」と、バアリイは書翰を送っていう「陛下は世にも有り難き御慈愛をもて、余をあまりにも打ちたまいしゆえ、余が御遠慮申し上ぐべき臣魂こそ挫け候え、この段、宜しく御納得給わるよう、お身より懈怠なく天聴に達せらるべく候。陛下には皇子みこをも持ち給わで、なお、微臣に食物をはぐくみ給うことをもって、乳人の優しさをお示しあそばされ候。もし幸いにして離乳期を迎え、余みずから物を食らう日あらば、いよいよこの世にて臣道のまことを尽くさん。さあらずば、天にあって、陛下の神の教会のための下僕たるべく候。故をもって、おん身心づくしのシャコに多謝、かくのごとくに候」
 すべてが終わったとき、エリザベスの、その涙のまだ流れ尽きぬとき――バアリイの死から僅か十日後に――なおもう一つの不幸が彼女を襲った。サア・ヘンリイ・ベエジナルが、黒河河畔の城砦救援のため、強力な軍隊の先隊に立って進軍する途中、チロオヌに襲われた。彼の軍隊は潰滅し、彼自身、戦死した。それで北部アイルランド全体が、反乱軍の蹂躙に任される有様となった。これこそ、その統治の全期間を通じて、エリザベスを見舞った逆運の、最大なるものだった。
 この情報は、いちはやくも白宮殿ホワイトホールに齎せられた。同じくそれはまた、スペインの離宮エスキュリアルにも齎せられた。キング・フィリップの苦悩は、ついに終末を告げるときに達した。頭から足の先まで化膿した腫物に蔽われながら、いうにいわれぬ苦痛の身を、瀕死の床に横たえる彼だった。彼の病床は、例の小礼拝房のなかに吊り上げられ、それゆえ、その死にかかった目は、最後の瞬間まで、大会堂の高らかな祭壇の上に注ぐことができる仕組みになっていた。生きていたときの形が、死んでゆくときの形でもあった――絶対敬神の形である。良心は、はっきりしていた。神の恩寵と栄光のもとに生きた人であった。一つだけこの世に残す妄執がある。おれには異教徒を焼き殺す誠意がたりなくはなかったか? もちろん、彼はたくさんの人間を焼き殺した。だが、もっともっと焼き殺すべきではなかったろうか。それは確かに神秘だ――彼はそれを理解できなかった――彼の帝国にも、なにかたらぬところがあった。――一度だって充分の資金はなかったのだし――オランダが――イングランドの女王が……そう、うつらうつらと考えているとき、一通の書状が届いた。チロオヌの勝利を告げる、アイルランドからの文書だった。再び枕のなかに沈んだ彼の顔は、輝いていた。なにもかも、うまくいっている。彼の祈りも、彼の美徳も酬いられ、ついに運命の潮はわがほうへ逆流し始めたのである。彼はチロオヌに与える祝賀と激励の手紙を口述して筆記させ始めた。手紙は、援軍の即時派遣を約束し、異教徒の崩壊と、異教徒の女王の没落を予言した。第五次の無敵艦隊アルマダを……そこまで、もう口述する力もなくなった。苦しい麻痺に落ち込んだのである。我に還ったときは夜だった。聞け、下のほうから、祭壇の合唱が漂ってくる。神聖なる蝋燭に灯がともり、王の手に握らせられた。ひとすじの炎は、彼の顔の上に青ざめた影を、ゆらゆら投げる。そのようにして、法悦と苦患のなかで、非理と偉大のなかで、幸福なる、悲惨なる、嫌悪すべき、そして聖なる大王キング・フィリップは、天なる三位一体に謁見すべく、この世を去っていった。

第一一章


 すでにウォンステッドの荘園に引き籠もったエセックスは、悩乱と動揺と不幸にまみれた男だった。ときどきは、いまにも女王の脚下に身を投げだしたく思う。なにはともあれ、彼は彼女の愛情と、彼女という伴侶と、そして、そんなにも長い間彼の物だった役得のあらゆる甘い汁を取り戻したいのだった。彼は、自分が悪かったとは考えられない――考えたくない。彼女が加えた侮辱は忍び難いものである。胸は怒りに燃え上がってくるのだった。自分は彼女をどう考えているか、偽らぬところをいってやりたい。――もはや十年以上も昔のこと、ラレイを戸の外に立たせながら、あんなにも激しく彼女を面罵して以来、いつもいわなかったろうか? いまだって、同じような激しさで、しかしいっそう適切に、そしてさらに深刻で悲痛な声音をもって面罵していいであろう。
 「マダムよ」と彼は手紙を書き始めた。
「世のあらゆる物にまして、私が望むものは、あなたさまの美であります。そしてあなたさまの寵遇の深まることのほかに、私の生き甲斐はございません。この事実に思いいたるとき、あなたさまに一日も離れて暮らす力が私のどこにあろうかと自らに問い、私は愕然といたします。にもかかわらず、陛下が、愛情の全法則をお破りになったのみならず、ご自身のセックスの名誉をも冒し給いしことを思いだすとき、私は他のどんな冒険にだっていまなら喜んで飛び込もうと考えざるをえないのでございます。……かつて私の愛情に悔いのなかったごとく、これからはこの絶望にこそ悔いのない私でございましょう。……この誠実を、あらゆる心を裁き給う神の裁きにお任せしましょう。陛下にこの世のすべての安楽と歓喜のあらんことを。また、私にお加えあそばした邪悪の懲らしめとしては、ただ、あなたさまがお捨てあそばした男の誠実と、あなたさまがお庇いになる者どもの卑しさとを、お悟りあそばすだけの、ただそれだけの罰を受け給えかし。
 陛下のもっともつつましき下僕 R・エセックス」
 黒河河畔の敗戦の報が彼に届いたとき、彼はもう一度手紙を書いた。そして、急いで白宮殿ホワイトホールに参内した。しかし、昇殿は許されなかった。「ずいぶん長い間、わたしを手玉に取ったではないか。今度は、しばらく、わたしがあの男を手玉にとってやりましょう。あの男が、あの男の胃袋の上に立って手向かったように」彼はホレエスからの引用や義務の誓言などを交えた、長い切諫の手紙を書いた。「この荘園に滞留しながら、私の待望するものは、ただ御命令を接受せんことのみでございます」彼女はその返答を口授した使者を送った。「伯爵に伝えよ、朕が自らを高価と見做すこと、卿自身を評価するに異ならず」 エセックスは再び手紙を書いた「男としての告白を申し上げますれば、じつは私は、王公としてのあなたさまの権力に従順であった以上に、あなたさまの天然の美に従順でございました」 そこで一度、謁見を許された。傍見する者はみな、それを首尾よき仲直りと見た。が、それは違っていた。彼はいままでよりいっそう暗い不興げな顔で、ウォンステッドに帰ってきた。
 エリザベスの待っているものが、お詫びであることは明らかだった。ところでエセックスがなかなかお詫びしそうもない限り、状態は手も足も出ないところまできているのが誰にもよくわかる。よって大判事エガアトンは念入りな忠告状を書いた。彼は問う、エセックスは現在その身に迫る危険を理解しないのではないか? 彼のなすことがかえって政敵を悦ばせていることを知らぬか? 君は友人を忘れ給うや? 祖国を忘れ給うや? エセックスのなすべきことはただ一つあり――女王のお許しを乞うことである。曲直の彼にあるなしはこのさい問題ではない。そして、エガアトンは手紙をむすぶ「困難は、善良なる閣下よ、御自身にお克ちになることです。克己こそあらゆる真の勇気、真の磐石心の最高峰であり、あなたの潔き行動は、何事もこの峰から流れ出たものである、克己をもって事をなさるべく、しからば神も歓び給い、女王は御満足に思し召し、祖国は福を受け、友らは慰められ、あなた御自身が名誉に飾られるに反して、あなたの敵は、きっと甘にがい希望を裏切られて失望するにちがいありません」
 それに対するエセックスの返事こそ、着目すべきものであった。彼は自分に対しても友人に対しても、悪いことをしているとは認めない。彼は態度をあらためようにも、女王のやりかたではあらためようがない、女王が彼を「一種の私生活に追い込んでしまった」いま――彼女が彼を「閉めだし、解雇し、彼の力を取り上げた」とき、どうして祖国のために働くことができるのだ? 「不滅の義務を、私は女王に対して負うものですが、しかしそれは、女王に対して、私は一個の伯爵としての、またイングランドの元帥としての義務を負う者です。いままで、私は陛下に、一書記として奉仕することに満足を感じてきましたが、しかし一個の俗物として、あるいは一個の奴隷として奉仕するのは絶対に御免蒙りたい」 書いているうちに、だんだん心は熱くなる「だが、あなたはおっしゃる、私は、負けなければならぬ、従順でなければならぬと。私は罪を負うために負けるのも、罰をのがれるために罪名を被るのも、どちらもいやだ。そして敏感に、すべての物を、この汚名を与えられたとき受けたすべての物を味わいしめるものです。もうたくさんです」――ここで彼は自分を制御する力をすっかり失ってしまった――「いっさいの屈辱のなかでも、もっとも卑しむべきものを身に受けた私に、なんの義理で宗教が哀訴嘆願しろと強要するのです?」 彼の憤怒は白熱に達してぎらぎら光る「神がそれを強要するのか? この強要に従わざれば不信仰だというか? 許し給え、許し給え、善良なる閣下よ。これらのお題目に、私はどうしても賛成できないのです。私は屈辱を受けた。そのことを痛感しています。私の曲は正しい。私はそれを知っています。そして、私を圧迫してくるものがなんであろうと、あらゆる苦難を耐え忍ぶ私の力と、根気を凌ぐことはできないのです」
 まさに堂々たる言い分である。しかし、それだけ危っかしく、不吉で、あまりお悧口な言葉でもない。一チュウドル娘の冷静な鼻の前で、共和主義的感情を見せびらかすことから、なんのよい収穫が齎されるだろう。そのような気焔をあげるのは早すぎる、また遅すぎる。しかし、ロバアト・デブルウ(エセックス)の怒れるペンにものをいわせているものは、実際は未来であるよりも過去であった。――中世紀の最後の余焔が、エセックスという尖端的な文芸復興期の児の貴族の心中にまだ燃えて熄まないのだった。現実は消えた。屈辱にまみれた彼の思想は、むしろ現実を抹殺したかったのである。なぜなら、結局、実際にはなにが起こったというのだ? ただただ、彼は、女王でもある一老婦人に粗野だった、そこで耳を引っぱたかれた、というだけのことではないか。単に虫の居どころが悪かったのと、個人的な立腹とで起こったことにすぎなかった。
 現実主義の観察者は、エセックスとしては、このさい二つの立場のいずれか一つを選ぶほかはなかったことを看破したにちがいない。――潔く謝って、女王と純粋に仲直りしてしまうか、でなければ、完全に隠遁して再び公的生活に現われないか、どちらかであった。一度ならず、彼の心は傾いた――後者のほうの解決にである。けれども、彼は現実派リアリストではなかった、彼はロマンチックだった――すなわち、情勢の教えるごとく、もし彼がいわゆる「王公から私利を収める」輩に堕することを潔しとしないなら、たしかに彼はチャアトレイの荘園に引き込んで読書と狩猟の余生を選ぶべきだったという、この明らかな事実に目を閉じたのだった。フランシス・ベエコンはもう何カ月も前から、エセックスの一団から逃げている。アントニイは、まだ熱烈な帰依者だった。ヘンリイ・カッフは向こう見ずでひにくやである。伯爵の姉妹たちはあまりにも野心家であり、彼の母は、女王との生涯にわたる確執で、エセックスの宥め役になるには、あまりにも片意地だった。もう二人の追随者を加えて、それで伯爵の親密な家庭的交遊の全員が揃う。母の良人――なぜなら、レスタア夫人は三度も結婚したのだから――はクリストファ・ブラウントである。頑丈な軍人であり、珍しくもローマ旧教の信者だった。いままでも義理の子エセックスの誠実な追随者だったが、将来もまた、なにが起ころうと最後まで、エセックスについてくる人と見てよい。それよりも、あらゆる点で怪しいのは、若いチャアルス・ブラウント、すなわちマウントジョイ卿の存在であった。すらりと背の高い、トビ色の髪ときれいな容貌を持ったこの青年は、かつて槍仕合いの殊勲でエリザベスにかわいがられた。また、女王から黄金の将棋の駒をもらったのが原因で、エセックスと決闘騒ぎを演じたこともある。それが、すっかり成長して、年とともに栄達した。兄の死によって、彼も華族の仲間入りしたのである。エセックスのあらゆる外征に副将として従軍し、そのたびに功名をあらわし、いまもエリザベスの寵を失うことはなかった。けれども、彼をエセックスにむすびつけるものは、――奇妙なロマンスだった。伯爵の愛妹、ペヌロオプ夫人は、かつてサア・フィリップ・シドニイが空しく懸想したステラだった。彼女はリッチ卿と結婚した。一方シドニイはウォルシンガムの娘と結婚した。このウォルシンガムの娘は、サア・フィリップの死後、エセックス夫人となった人である。ペヌロオプ夫人は幸福ではなかった。リッチ卿はいとうべき良人だったのである。そこで彼女は、マウントジョイ卿を愛慕するようになった。一種の友好が生じた。明白な――生涯の友好が――そういう関係が、エセックスの親友と、エセックスの妹との間に生じてしまった。そんなわけで、エセックスとのむすびつきが二重になり、マウントジョイは、もっとも忠実な追随者となった――あるいは、なったように見えた。小さなグルウプ――エセックス、エセックス夫人、マウントジョイ、そしてペヌロオプ・リッチ夫人――それだけの小さなグルウプは、欲望と愛情のもっとも深い感情でかためられた。
 そこで、愚行と激情に出すぎようとするエセックスを、引き戻す障碍はすこしもない。それどころか、もっと遠方からも、同じ方向に働きかけてくる力があった。全国にわたって、伯爵に対する人気は、しだいに盛り上がる勢力となっていた。彼の垢抜けた容姿が、民衆の幻想を捉えたためだと見える。彼は寛大だし、親切だし、おまけにいたるところで嫌われ者のラレイの敵だった。そして、いまや彼は女王の寵を失い、はなはだ不遇のように見える。とくに清教徒的なロンドンのシチイが、宮廷に敵意ある気勢を見せながら、再起せぬエセックスに見当はずれな肩入れを示した。彼は新教会派プロテスタンチスムの支柱である。バアリイの死に当たって、ケンブリッジ大学が故人の残した総長の椅子を継ぐ人として、ただちにエセックスを選挙したことも、彼の別方面の人気を立証するものだった。この厚情を彼は歓び、感謝のしるしとして、珍しい型の銀製カップを大学に贈った。奇妙なこの杯は、いまも副総長室のテーブルの上に置かれ、これを見る世々のイギリス人に、過去の騒擾と、国史の悠久を思い起こさせる物となっている。
 内輪の熱意と公衆のひいきに煽られ煽られ、その爆発の一つが、ちょうどサア・クリストファ・ブラウントがウォンステッドの荘園を訪れている最中に起こった。そして、義理の息子の言葉は旋風のように取りとめないものだったにもかかわらず、老ブラウントの胸には驚くべき溌剌さをもって、彼が、後で語ったブラウントの言葉に従えば、「危険きわまる不平」に満ちた心境でいることが諒解されたのだった。隠退か、屈従か、挑戦か――その一つ一つが、他の一つ一つに比べて卑小である。そして、女王はまだなにもいってくれない。
 実際は、エリザベスも同じく動揺しているのだった。彼女は大胆な布陣を敷いている。今度こそ本当に強く出てやるのだと、会う人ごとにいい、自分自身にもいい聞かした。だが、彼女にはだんだんすばらしい男の失喪がたまらないものになってきた。彼女はウォンステッドの荘園を想った――そんなにも近いそんなにも遠方の――そして降参してしまいたくなったが、待てしばし、ほんのもうしばらく辛抱すれば、たぶん、降参は向こうのほうから申し出てくるにきまっている。そこでわれわれがおぼろげながら察知しうることは、彼女が虚勢を張り、闘っている間に、いままでの要素にさらに一つの新しい不吉な曖昧の要素が加わり始めて、彼女の精神的不安定はいよいよ拡大したであろうことである。しかも彼女のぐるりはよけいなおしゃべりをする者に事を欠かない。そして彼の近来いよいよ高まる人気――全国にわたる彼のすばらしい人気について事こまかに語るのだった。ある日、例のエガアトンに対するエセックスの返書の写しが女王の手にはいった。それを読んで、彼女の心は沈んだ。感情は用心ぶかくかくしたけれど、いまこの手紙で知った事実こそ緊急事であり、それが自分にとって一つの恐慌であることを自分自身にかくすことはできなかった。
 もし彼がそんな心境だというなら――もし彼の全国における位置がそれだというなら……伝説のいわゆる獅子心の女傑は、そんな場合になんの躊躇もしないはずだった。勇猛なる一撃をもって、立ちどころにさような形勢を一掃したであろう。だが、危険や敵意に直面したとき、真に彼女を動かすものは、天賦の日和見性だった。もしウォンステッドの方向に当たって真に危険が存するなら、――彼女は相手をなだめる。だまして眠らせる。ぬらりと身をかわす、くらりと遁れる。それが彼女の本能だった。それでいて、性格の矛盾した旋回のうちに、もう一つの、そしてまったく反対な性向も現われる。――人間の精神機構のふしぎといおうか――彼女という存在の奥の奥で、一つの凄愴な精力が、彼女をしっかりと掴まえている。からだの中心を取り、かつ、もしある日、自分は綱渡りの奇才を深淵の上で実演しているのだと気がつくのだったら――いよいよおもしろい! すべてはやがて好転するだろう。彼女はいちいち味わって食う。――危険の徐々な削減とそれを支配するうまさを。そうして彼女は進行する。火を消すことか? 火と遊ぶことか? 笑って答えず。いずれかを決定することは、彼女の任ではない!
 そんなわけだから、おきまりの仲直りはきたが、完全なものではありえなかった。ただ私どもは、仲直りの口実が、アイルランドにおけるまたしてもの不幸にあったことを知るだけである。サア・リチャアド・ビンガムが、軍隊の司令官として派遣されていたのであるが、十月の初め、ダブリンに到着する早々、彼は陣没した。事態は再び混乱に陥った。エセックスは再び出仕を願い出、このたびはそれが許容されたのであった。すぐ、女王と寵臣はこれまでと同様に、形影伴う仲となった。――例によって例のごとく――まるで喧嘩などどこにもなかったかのようだった。が、現実の事情は、そんなものでなかった。形勢は一変していた。相互の信頼は失われたのだった。はじめて二人は、めいめいの背後に何物かを蔵しながら相対するようになった。エセックスは、口でなにをいおうと、どんな顔いろをしようと、かつてエガアトンに返事を書いたときの害意と敵愾心を、その心緒から棄てきれはしなかった。いまのいままでの不穏な、割りきれぬ気持のまま、宮廷に帰ってきたのは、ひとえに盲目的に、権力欲に駆りたてられてのことだった。一方、エリザベスはエリザベスで、こんりんざい、既往を忘れるものではなかった。あのときの光景は、まだ胸に痛みを残している。相手の殺し文句に毒があるのを感じ、昔ながらのくぜつと媚に耽りながら、彼女の日和見の目は大きく開いて、雲行きを見守り続けた。
 けれど、それらのことは、白宮殿と、グリンヌイッチと、ノンサッチの、諸城をめぐる月日の旋風のなかにあって、とうてい説き難い微妙に属する。フランシス・ベエコンさえも、この事態はなにがなにやらわかりかねるのだった。たぶん、エセックスは、現実に得意の壇場に帰ったのであろう。たぶん、バアリイに死なれたセシルの運勢は、衰微に向かっているのであろう。と、ベエコンは思うのだった。今日まで、一年間以上も、彼は一歩一歩セシル家に接近してゆくとともに、伯爵との関係は絶ってきた。この努力は、深い感謝のこもった形で報償される日がきた。新しい暗殺計画――旧教徒の新しい謀叛が発覚して、嫌疑者が逮捕された。その事件究明のため政府に助力すべきことを、ベエコンが命じられたのである。これは彼にもってこいの仕事だった。一方で自分の才学を振りまわすすばらしい機会が控えていたと同時に、高位高官の人物どもと、緊密な接触を行なうことができたからであった。接触してみると、自分には特別これらの人物の引立てが必要だったことが、よくわかった。記録保存裁判所長(控訴院長)の職と、ハットン未亡人とは、どちらも彼の手から逃げてしまった。だから、宮廷法院スタアチャムバアの弁護官の椅子の予約で満足するの余儀ない有様だった――現在の収入に不満なかわりに、増収の見込みに満足しよう。しかもこの見込みは、あんがい早く実現しそうな気配を、しばらくして見せてくれた。というのは、現在の弁護官が公金費消の廉で告発されたのである。
 事件の審理を命じられた者のなかに、大判事エガアトンがいた。彼はエガアトンにこっそり手紙を書いた。彼はこの唐突の手紙のなかで約束する。エガアトンのほうで、償いになるなんらかの位置をベエコンのために極力奔走してくれるという諒解のもとに、自分はその職をエガアトンの息子に譲るであろうと。この企画は失敗した。なぜなら、弁護官は更迭されなかったからである。そして十年間、弁護官の椅子は彼にまわってこなかった。その間に、恐慌的な貧乏がベエコンに付き纏った。絶えず彼は借りた――兄の金を、母の金を、トロット氏の金を。ついに、ある日、例の暗殺未遂事件の取調べの後、ロンドン塔から帰ってくる途上を借金不払いの廉で逮捕されてしまった。しかし、彼はただちにロバアト・セシルとエガアトンに助け船を求めたので、この二人がともどもに彼をこの受難から救ってくれ、以後、彼は公務に支障の起こることはなくて済んだ。
 とはいうものの、侍史が役にたつなら、伯爵もまた役にたって然るべきであった。手紙をやっても損はない。「いまや閣下が」とベエコンは書いた「再び宮廷の第一線にお帰りになりましたにつき、私が誰よりも大なる歓喜を覚えます所以は、むしろ、日蝕のごときあなたの不在が、今までにおいてもっとも長期なものであったゆえに、これが最後のものであることを信じて疑わないところにあります」 さらに彼は希望する「このうえに、経験がいっそう完全な智慧を発見し、智慧のうえにいっそう真実な企画が生じますように……まず陛下に対し奉りて、次に捧ぐる第二の義務を、あらゆる公人に先んじて閣下に負う私は、閣下に対して、厚き愛慕の祝意を表せざらんとしてもえない者でございます」
 まずこれくらいで宜しかろう。だが、せっかく新しい嵐を孕む雲が、地平線の上に群がり、絶対の必要として、誰かがアイルランド総督に任命されなければならないのだった。去る夏の不祥事件以来、アイルランドに対しては、何事もなされていなかった。任命問題は急迫している。女王は、自分では適任者を見つけたつもりでいる――マウントジョイ卿である。彼の容姿に烈しい魅力を感じるほかに、彼女は彼の能力も高く買っていた。――マウントジョイこそ、アイルランドのみならず、かくも紛糾した白宮殿にも、平和を齎すであろうときの氏神かと思われた。だのに、風位は再び変わった。エセックスがもう一度、彼自身の支持者の一人であるマウントジョイの任命に苦情を出したのである。彼は断言する、マウントジョイは、そのような役に適せぬ者である――彼は将軍であるよりも、むしろ学者であるというのだった。では、とエセックスは聞かれた。お前は誰を推薦するのか? 幾年か前に、ベエコンが手紙で、ほかならぬこのアイルランド問題について彼に忠言を与えている「思うに、この問題に閣下の声望をもって望まれるなら――というのは、閣下が任をお受けになると仮定すれば、という意味ですが――閣下の声望はチロオヌを、その随喜する和協のもとに処置するうえに、おおいに役だつにちがいありません。そしてあなたは、やすやすと大いなる勲功をお収めになるでしょう」ただ一つだけ、このやりかたの途上に横たわる障碍がある、とベエコンは考える。「そのような場合に、閣下はあまりにも早合点でいらっしゃるゆえ、嘘から誠をだしておしまいになるのです」われわれは、御前会議のテーブルをかこみながら、紛糾し、陰蔽され、白熱した動きの、すべてを再現することはできない。
 しかし、エセックスが、マウントジョイがいけなければ誰にするかと問い詰められたとき、ベエコンのこの忠告を思い出しただろうことは充分推察しえられるのである。彼はベエコンの言を、自分の意見のごとく、会議の席上に持ちだした。カムデンの記録に従えば「アイルランドへ派遣すべきものは、貴族のなかの一流人物であり、権勢と名誉と富においても、また軍人仲間の人望においても、同様に強力な人物でなければならぬ。そう主張するときの伯爵は、あたかも指先で自分自身を指さしているかのように見えた」 侍史は、誠実の溢れたおとなしい顔で、黙って会議の卓に坐っていた。彼の考えはなにか? もし伯爵が本当にアイルランドにゆくということになれば、――おそらくそれはいっそう好いだろう。セシルは、慎重な考えかたで、未来を吟味した。イングランドを留守にするのが、彼にとってどんなに危険であるかを知らぬはずはなく、ただ大向こうを唸らせようとしているだけのことではないか。だが、セシルは、従兄のベエコンと同様に、あの勇敢な人物が持つ弱点を知っている。――あの「嘘から誠をだす」性向を知っている。未来にどんなことが持ち上がるか、セシルには、はっきり見えるような気がした。当時彼は、打ち明けた文通者に次のように書き送っている。「マウントジョイ卿が指名された。しかし、あなたにとくに秘密に、侍史としてでなく友人としてお話するが、私の想像するところでは、エセックス伯が、アイルランド代官として現地にゆくであろう」 ほかにどういう微かな、人目につかぬ動きかたをしたかについては、われわれはなにも知らない。御前会議では、伯爵の自己推薦は反対され、もしくは無視されたこと、そして、サア・ウィリアム・ノリスの名が、候補者として突然再登場したこと、等である。
 反対に出あえばかっとなるのが、エセックスの常だった。マウントジョイを持ちだされてさえ激しく怒った彼である。ノリスの名がもう一度出るなどは、溺れるための、最後の藁だった。彼はノリス説に対して呶罵を浴びせかけるとともに、ひょいと論鋒を変えて――あとで彼自ら呟いていうに、これは容易な、ほとんど不可避的な論鋒転換だったそうだが――自分こそ適任だと主張し始めた。議員のなかには、支持する者も幾人かあった。女王は胸を打たれた、エセックスはすでに熱ある刃の鞘を払った。――自らを駆ってノリスとマウントジョイに取り組ませた。とすれば、彼は勝たざるをえないだろう。フランシス・ベエコンの予言は、あまりにも真実だった。女王は討論を打ちきるとともに、彼女の決を宣した。エセックスがアイルランド鎮圧の確信を持つ限り、その職は彼に与えられるべきであり、したがって彼女は彼をアイルランド総督に任命するものであると。――勝利に気負う大股で、彼は議場を出ていった。そして同じく――けれどもこれはよたよたの足どりと、静かな淑やかさをもって――ロバアト・セシルも議場を出るのだった。
 出来事を、エセックスが、冷静に振り返ったのは、長い時間の後だった。目前の瞬間においてもまた将来の見とおしにおいても、ともに勝利であった。その勝利感に浮かされて、彼は盲進した。「私は御前会議で、ノリスとマウントジョイを打ちのめした」と彼は友人であり追随者であるジョン・ハリントンに手紙を書いている。「そして、神助により、チロオヌを戦場で打ちのめすでしょう。この勲功に対しては、女王陛下のどんな礼遇も、いままでの限度では、御褒美とも申せないだろう」
 このさい、またしてもの慣例が蒸し返されたのは、いとも自然である。エリザベスは、あらゆる細目に文句をつけ、自分でよしとする兵器の寸法や性質について、日に日に考えが変わり、そして、新アイルランド総督に付与すべき権限につき猛烈に論争した。エセックスの高揚した意気は徐々に、憂鬱に消沈し始めた。悔恨が胸を打ってきた。未来は真っ暗であり、困難だらけであろう。自分はどこに頭を向けているのか? しかし、いまはもう後退するには遅すぎる。避けられぬ運命に、勇気を持って立ち向かうほかはないのだった。「余はアイルランドに赴くべく候」と彼は、自分の忠実な弟子となった若いサザンプトン伯に書いた、「すでに女王がそれを宣し給ううえは覆すに由もなく御前会議また熱烈にそのことを促し候。かつは、民衆の人気に縛められたれば、いまさら逃避もなり難き儀に候。苦しければとてカラアをはずすは、礼を失すると同様に、安全をも失することに候わん。もしアイルランドを失わんか、たとえその消滅が余儀なき運命の結果たらんとも、ひとり責は余に帰すべく候。すでに火の手のあがるを見、消防を託されながら、なにも助力せざりしと、人にそしらるべく候」彼はいう、――「余が留守は絶好の機会なるべく候、抜け目なき政敵どもにとりても」また「その下に仕うる臣は、人気あることを病気にかかるよりも恐れざるべからざる、そのようなる王公気質にとりても、そは絶好の機会なるべく候」 彼はそれをいちいち列挙しながら「すべてこれらの困難は」と声明する「もとより余の喜んで直面するところ、ことごとくいまより予見するところにて候」しかし、「『不成功でありすぎるは危険なり』というか――『偉功をたてすぎるものは嫉妬を招く』というか――されど余は、追放を恐れて武勇を禁断するがごとき卑怯はけっして致すまじく候。『宮廷は生活の中枢なり』とは申せ、余にとりてはユウモアを駆使するよりも、軍隊を指揮するほうが潔く候」……「以上はみな個人的の問題に属し、夜ばなし的愚痴のたぐいに候えども、余が片身とも頼む君なれば、格別お耳に入れ申し候」と彼はむすんでいる。
 ときどきは、憂鬱を散じ、希望が甦ることもある。一五九九年の「十二夜祭」当日、デンマアク大使のために大夜会が開かれ、女王とエセックスは、群臣の前で、手に手をとって踊った。はやくも流れた五年の昔の、幸福の頂上だったもう一つの「十二夜祭」の夜の幻が、たくさんの思い出を貫いて、二人をこの踊りに導いたのにちがいない。早い五年の月日――あのころと今日との間に、なんという大きな溝ができてしまったのだろう! それでありながら、二人の男女はヴィオルが美しい音いろに鳴り、宝石が松明たいまつに輝くうちで、情熱と秘密を共にしている。たぶん、あのふしぎな御一緒同士コムパニオンシップには歓楽があったであろう、昔のままの……そして、これを最後の。
 エリザベスには、心配事がたくさんあった――アイルランド、エセックス、戦争か平和かの永遠の課題――だのに彼女はそれらのいっさいを閑却して、「アルス・ポエチカ」(詩術)を英語に翻訳した。アイルランドについては、もう彼女は馴れすぎてしまった。エセックスは、あんなにいらいらしているが、要するにアイルランド総督として、一生懸命ただ人目にたちたいのにすぎないようである。――残るはスペイン戦争であるが、これも放っておけば、ひとりでに大満足に値する解決に辿りつくだろう。戦争は、合戦も出費もなしに宙にさまよっている。本当は、戦争ならざる戦争なのだった。――正確に、彼女の好みにもっとも叶う戦争だった。
 しかし、一日、彼女は衝撃を受けた。一冊の本が手にはいったのである。――『ヘンリイ四世伝』と題する書物だった。一見すると――エセックスに対する献詞が、ラテン語で書いてあった。「名誉世にかくれなきエセックスとユウの伯爵、イギリス元帥卿、ヒアホオドとバウアシアの子爵、チャアトレのフェラ男爵、バウアシアとルウエン卿なるロバアトの君にこの書を捧ぐ」――これは、なんのことだろう? 彼女は本のページを繰ってみた。すると、内容の一節に、リチャアド二世の敗北と廃位に関する丹念な記述のあるのがわかった。――明らかに、イングランドの王座から君主を退位せしめることの可能性を主題に含めたもので、かかる可能性は彼女がとくに反対するところであった。カアリスルの僧正が置いてあるのは、その任として、王の万一の廃位に際して精妙な抗告を述べるためであるのは、もちろん、事実である。だが、このろくでもない著作の目的として、なにがありうるだろう? 彼女はもう一度、本の献詞を読んだ。読んでいるうちに、くゎっと頭に血がのぼった。献詞には次のような、もっとも醜悪な構成を暗示する一句があった。「世にかくれなき伯爵よ、君が名もて我らのヘンリイのフロントを飾りたれば、この書の読書界への進出もめでたく円滑なるべし」
 作者は、もちろん、「我らのヘンリイ」とは、この書物を意味するのだと釈明するつもりだろう。だがそれは、誰にもすぐわかるもう一つの意味に翻訳できないだろうか――というのは、もしヘンリイ四世にしてエセックスの名と称号を所有していたとしたら、彼の王座への権利はもっとりっぱになり、もっと社会の認識をえたろうという意味である。これは反逆だ! 彼女はフランシス・ベエコンを召し寄せた。「この本の作者は、ジョン・ヘイワアドという男ですが――大逆罪で告発することはできないものかねえ?」と彼女は聞いた。「大逆罪、とも考えられませんでございますが、女王さま」というのが答えだった。そしてベエコンは「しかし、重罪でございます」と断定した。「どういうわけで?」「この作者はタキトスの文章をたくさん盗んでおりますから……」「わたしは大逆罪を嗅ぎ取りますよ。きっと白状させなければならない。拷問台です――」そこでふしあわせなヘイワアドは、拷問台だけは免れたけれど、ロンドン塔に送られ、女王の治世の終わるまで幽閉され放しになった。
 彼女の猜疑は、こんな予想外な形でいったん燃え上がったが、そのあとで再び鎮静に帰した。ついに、エセックスのアイルランド総督任命に署名した。三月の終り、彼は、ロンドンの市街を、市民の歓呼のうちに通過して、外征にたった。大衆の期待するところでは、アイルランド問題も好転するだろうと思われた。けれど、宮廷内には、それとは違った未来の予想を抱く者もたくさんあった。そのなかの一人はベエコンである。そして現実にエセックスが出征の途についたとき、彼は自分の危惧や疑念に触れることなく、ただよそよそしい激励だけの手紙を送った。彼の確乎たる内心の信念がいまさら伯爵にどんな警告を与えたってむだだと教えるのであった。「私は次のことをじつに判然と見ることができた」と、ベエコンは後日書いている。「いわば、彼は自ら運命の鎖に縛られて、身を遠征に投げだしたのだった。それは、見る者に、未来の大椿事を判じだすよすがを与えずにおかぬ、そのような身の投げだしかたであった」

第一二章


 アイルランドの事態は思ったほどひどくは悪化していなかった。黒河河畔ブラックワタアのイギリス軍の敗戦後、全島にわたる諸所に一揆が勃発し、遠隔地方の反乱は公然のものであった。それだのにチロオヌは好機を充分に利用することなく、ダブリンにも侵入してこなかった。そして、彼は戦争に剛なるものというよりは、瓢箪鯰の駆引き上手であった。――ずるい取引や、一寸伸ばしの術に長け、盟約も破約も御都合次第。アイルランドで生まれ、イングランドで育ち、半分野蛮で半分紳士だった。半分旧教徒カトリックで半分懐疑家の、策士であり、怠け者であり、冒険家であり、夢想家であった。そしてついに、とにもかくにも、一国の民の指導者となり、ヨーロッパ政争の渦巻きの、芯軸の一つと成り上がったのだった。静寂な生活こそ、彼の渇仰するものである――そう彼は宣言した。新教派からの圧迫も、戦争の野蛮性も、同じく忘れた静寂な生活。そして、静寂な生活なるものは、まことに奇妙なことに、最後には彼に与えられたものだった。だが、その最後はまだきていなかった。いまはただ、混乱と不安定があるばかりだった。
 イギリスにおける伯爵位と、オネエルの隊長職を、矛盾なく兼ねることが、彼には不可能だった。サクソン民族に忠実な封臣たろうとした逡巡ためらいがちな意志は、やがてアイルランド愛国主義の圧力に屈した。彼は陰謀を企て、叛を起こした。そして、スペインのフィリップの輩下となった。一度ならず、イギリス人は彼の首ねっこを押え、降参を受け入れてやったうえに、名誉と本領の安堵を与えた。一度ならず彼は、相手の保護によって与えてもらった権力と勢力を武器として、イングランドに向かって反逆の歯を剥いた。今度こそイギリス政府は、どんな妥協をも聞きいれまい。ついにチロオヌの粉砕される日はきたのか。だが、チロオヌ自身の見解は、だいぶ違っていた。彼は極端を好まない。昔ながらの抵抗法、取引、妥協、屈服、仲直り、いままで何度も彼に甘い汁を吸わせたこれらの方法が、もう一度役にたつことが、いまにわかるさ、そう高をくくる彼だった。
 しかし、次のことは明らかだった。もしイギリス政府が、チロオヌの急速な破滅を望むなら、かかる望みを実践に移すことにおいて、今度のアイルランド総督以上に熱心な総督はけっして選びえなかったろうということである。エセックスにとって、アイルランドに勝利することが死活問題であるのは、明白であった。はたして彼は勝利をうるか? この主題に対して悲観論を抱く観測者は宮廷に一人フランシス・ベエコンがあったのみではない。そこの空気は、暗い虫の知らせに満ちていた。ジョン・ハリントンが、騎兵司令官として、親分エセックスの後を追うてアイルランドにたとうとするとき、彼は、当時宮廷の一役人だった親戚のロバアト・マアカムから、忠告と教示の部厚な手紙をもらった。ハリントンは教えられる、アイルランド駐屯軍のなかにはスパイがいるはず。それが国内の、不吉を願う重臣たちに、細大洩らさず諜報を送ってきている。
「何事も、総督の御意のままになさるべく」とマアカムは書いている。「けっして足下の意見はお吐きなさるまじく候。一言一句、国内の耳に届くべく候えばなり」一般情勢には恐怖すべきものがある。「注意し給え」と手記はいう「指揮するもの、しかも、彼自らも指揮さるるこの男は、女王の領土に奉仕する心にて進軍する人にてはこれなく、ただおのれ自らの復讐心の満足のために動くのみ」……「もし、かかるアイルランド総督が、御前会議にて誓い候とおりを戦場に実現いたし候わば、結構ならん。しかし、彼が御前に演じ候過般の非礼につき、女王はすでにお許しを賜い候とは申せ、御真意ははたしていかがにや。どの方面より見るも女王の御信任は、いと最近より著しき御殊遇を蒙れる、御存じの人物のうえにこれあるかに窺われ候。アイルランド総督を待つ運命については、ただすべてを知り給う神のみの知るところならんも、目に見ゆる友と目に見えざる敵を、ともに数多く持つ人の末路を、誰かよく知り候わん?……サア・ウイリアム・ノリス悦ばず、女王悦び給わず、ただただアイルランド総督一人に悦んでもらうようなことをなさらば、足下のお身のため、災いたるべしと、心痛いたし候」
 そのような警告に対して、疑いもなく、ハリントンは――これは陽気なおっちょこちょいだった。アリオストを英語に翻訳したり、ラブレエ気取りの便所讃を書いたりした男である――彼はたいして気にもかけなかったが、本当のところ、警告は、予言的な正確さで、情勢の的をつくものだった。もしエセックスがアイルランドで勝てば、彼はイングランドでも勝つこととなる。だが、骰子さいは彼のほうによっぽど大きな目が出なければ勝てぬようになっている。もし失敗したら……この遠征のために徴集された一万六千の歩兵と一千五百の騎兵は、エリザベス朝の軍隊としては、装備の豊かな精兵だった。が、それはアイルランド総督の持った有利条件の始まりであってかつ終りであった。
 エリザベスは彼を信用しない――いまや御前会議を牛耳っている侍史は、彼の敵でないとするも、競争者ではあった。彼の希望は絶えまなく、はねつけられ、彼の決意は撤回をしいられた。すでに彼がイングランドをたつ直前に、深刻な軋轢を起こしている。彼はサア・クリストファ・ブラウントを参謀の一員に、サザンプトンを騎兵司令官に任命したのだったが、どちらの任命もエリザベスによって取り消させられた。――おそらく彼女は、クリストファが旧教徒カトリックであるという事実を、アイルランドで高位に就かせることの障碍と考えたのであろう。だが、サザンプトン。これは彼女の侍女の一人であるエリザベス・バアノンとの密通によって女王の大不興を蒙ったくせになおその女との結婚を策した男――このサザンプトン。エリザベスが立腹のあまり、その花嫁とともどもに牢屋に打ち込んだ男である――エセックスが、厚顔にもそのような無頼の若者を、高い司令官の位置に推薦して憚らなかったということは、彼女には意識した不敬と映らざるをえなかった。そこで、クリストファとサザンプトンの二人は、ただ単に個人的な友人として、エセックスに同伴してゆくこととなった。そして、アイルランド総督は、ダブリンに着いた――一五九九年の四月である――重い憂鬱と、腹だたしさをもって。
 到着早々、彼は決定的に重大な作戦的岐路に直面した。ただちにアルスタアを攻め、チロオヌを料理すべきか、あるいは、島の他の方面に当たって湧きたっている一揆を、まず鎮圧すべきか? ダブリンにおけるイギリス軍参謀会議は、後者の作戦を採り、エセックスまたこれに同意した。だが、そう決めるなら、小敵の処理に、あまりに多くの時間と精力を浪費することは、無益以上の悪結果を招く。そして、イングランドの強力な軍隊をもって、少数の頑迷な主族どもを征伐する仕事は、朝飯前の観があった。エセックスは、レインスタアに軍を入れた。――何物も抵抗しえなかった。が、彼はある抵抗以上に危険なものに遭遇した――この謎めいた国土の、じんわりと、いつ知らず身に沁みこんでくる、潜行的な雰囲気だった。この雰囲気の危険なことは、四分の半世紀以前に、エセックスの父を絶望と死に導いたほどであった。
 ふしぎの国――愛らしく、野蛮で、神話的な国土は、物憂い安逸に、彼を誘った。裸を包むマント。顔面にまで垂れかかる長い髪たば。突撃のときのたけだけしい叫喚。泣くときの気味悪い呻き。匪兵ガログラス農兵カアン。道化と門付けの楽人。その祖先は誰であったか? 黒海からきたシキア人か? スペイン人か? あるいはゴオル人か? 主族民がジプシイと雑居し、生垣囲のなかでは、ぼろを着た女たちが終日笑いながら寝そべり、ぼろを着た男たちは、お互いのぼろ着物をかけて、いや、ぼろ着物どころか、お互いの前髪、お互いの……もっと大切な急所まで賭けて賭博しており、そして魔法使いが旋風に乗り、ネズミどもが笛に釣られて滅亡したという、この社会状態はなんであろうか? 説き難い謎だった。そして総督は、緑の荒野を、奥へ奥へと分け入りながら、彼もまた――しだいに環境の毒気に感染し始め、物事のはっきりした識別を失い、なにが空想であり、なにが現実であるかもわからぬ混迷に陥っていった。
 彼の軍隊は、連戦連勝で、いたるところのイギリス居留民に歓呼をもって迎えられた。彼はレインスタアから、ムンスタアに入城した――くる日もくる日も、ろくでもない市城の攻略にすぎていった。エセックスは、なんの軍事的天才も発揮しなかった。――発揮したのはただ、軍事的趣味にすぎなかった。費用は莫大だった。そして、このように時を浪費している間に、事故や、脱走兵や、病気や、それから遠い前哨への兵の配置や、いろいろの原因が重なって、彼の軍隊は融けるように減少した。ついに、三カ月近くも、敵の主力軍を遙かにはずれた所で意味のない努力を費やした後、七月にダブリンに帰ったときは、彼の指揮下にある部下は半分にまで減っていた。
 ここにいたって、幻影の霧は消え、彼の眼前にあるものは、嘆かわしい現実だった。かく時を遅れて、かく残り尠なの軍隊をもって、まだチロオヌを粉砕する確信が持てるであろうか? 気ままな激怒と、物狂おしい讒謗と、惨めな絶望の発作と、そしてエリザベスへの熱情的な手紙とで気を紛らせるにいたった。数百人になる一支隊が、戦場で臆病を示したとき、彼はすべての仕官を放逐、または投獄し、一副官を死刑に処したうえ、下士兵の十分の一を殺した。彼は病気で倒れた。そして死にそうでもあった。死はむしろ歓迎しよう。彼は病床から起き上がり、女王に長い手紙を書いた。弁明の手紙であり、切諫の手紙でもあった。
「げにや、なんの理由で、私が勝利だの成功だのについて申し上げましょう? 私が内地から受け取るもののことごとくが、不愉快と傷心の種であることを誰も知らないでございましょうか? 軍隊内では、陛下の寵が私から去っていること、そしてあなたさまがすでに私と軍の、どちらを見放しておしまいになっているかを、もっぱら噂していないでございましょうか?……コオバムなる者、あるいはラレイなる者(他の名はその人々の位置に免じて、あえて列挙いたしますまい)さような、陛下にとってもっとも重要な軍事行動の、失敗を望んでいるごとき人物が、陛下の御信任と御寵愛をえたにちがいないと申すのが、現地ならびに内地の、もっとも忠誠なる臣民らの愚痴ではないでございましょうか?……我をして、いとわしき生を、忠義と渇仰のうちに終わらしめ給え。他の奴らをして、欺瞞と不誠実のうちに楽しく生かしめ給え。我は矢おもてに立ちて、勲とともに死なんのみ……なおしかも、私は神とその天使の前に誓って、本当にあなたさまに心酔する者であることを申し立てさせていただきます。これを書くものの手は、むかしあなたさまの最愛のものとして生きさせていただき、いまあなたさまの忠義者として、死なせていただこうとする者の手でございます」
 一度鎮圧したはずのコンノオトに、突然の一揆が起こった。暴徒はサア・クリストファ・ブラウントの手で征伐されたが、そのときにはもう七月はすぎ、総督はあい変らずダブリンから動かないという有様だった。その間、内地では、月日ばかり経って、アイルランドからはなんの決定的行動の報告もはいらないというので、人々の心は危惧と期待の二つに割れた。宮廷では、物のいいかたも辛辣だった。「エセックスはなにもしない。彼はダブリンでぐずぐずしている」 兵士の十分の一を死罪にしたことは「たいして喜ばれなかった」そして、アイルランド総督が、女王からいただいた特権を濫用して、五十九人の多数に騎士の称号を授けたという報告が届いたときには、大笑いするやら肩をすぼめるやらの騒ぎが起こった。が、ロンドン市民は、まだ彼らの人気者に大なる希望をつないでいた。――その希望は、ちょうどこの時期に当たってシェクスピアが地球座で演出した劇のなかで、せりふ化せられた。この新進劇作家は、この機会を利用して、自分の友人であり庇護者であるサザンプトンのそのまた庇護者であり友人である伯爵のことを、公衆の前に光彩ゆたかに仄めかしたのである。
どんなにたくさんの市民を、わがロンドンは吐き出すでございましょう――
と、「ヘンリイ五世」の口上役コオラスは、ヘンリイ王がフランスから凱旋する光景を述べていう――

たとえば、これは王さまではありませぬが、うれしい譬えとして申しますれば、
いまや我らの女王陛下の将軍が、
近く華やかなる日に、アイルランドから、謀叛人の首を剣に串刺しにしながら帰られんとき、
いかに多くの市民が、この平和な都から躍り出て、将軍をば迎えましょうぞ!
(第五幕のプロロウグ――訳者)

 エリザベスは、いまにチロオヌ壊滅の報告がくるかといらいら待つにもかかわらず、受け取るものは手紙につぐに手紙をもってする、エセックスの怒りに満ちた愚痴と絶望の喚きばかりなので、いまは腹にあることを、側近の者にかくしきれなくなった。「わたしは、事を運ぶように、総督には毎日、千ポンドも送ってるんだがねえ」彼女は彼に手紙を書いて、ただちに敵の首都アルスタアに向かって進軍すべきことを命じた。返事はきた。曰わく、軍隊の人員が致命的に減少している――イングランドをたったときの一万六千人が、いまは四千人しか残っていない。彼女は援兵を二千人送った。しかし、その費用は彼女にとって、肉を切るほど痛かった。この浪費にして、しかもこの遅滞は、なんの意味があるのだろう! 彼女は手紙で、チロオヌを攻撃すべきこと、それをなさずしてはけっしてアイルランドから帰ってはならないことを、いとも厳然とエセックスに命令した。「御身が北部地方を討伐し、かつその成果を我らに承認せしめたる暁は……我ら取るものも取りあえず、帰還許可状を御身に与え取らすべし。それまでは、御身、我らに恭順の者ならば、既往のいかなる口実のもとにも、一歩もその地を離るるがごとき不謹慎を犯すなかれと、右、きっと申しつくるものに候」
 彼女の焦燥は深くなった。ある日、ノンサッチの宮殿で出会ったベエコンを、彼女は側近く召し寄せた。そして、たぶん、彼に聞けば、現在の実情のうえに一条の光明を投じるような、何物かを引き出すことができようと思った。――アイルランド総督のやりかたをどう思う? と聞いた。ベエコンにとって、これは昂奮に値する瞬間だった。この光栄は偉大でもあり、意表外でもあり――なんの官職的な根拠もなしに、こんなにも打ち解けた形で御相談を受けているのだ。なんとお答えすべきであろう? かれは次のような注目すべき答弁をつくった。
「マダム。もしあなたさまが、ここでエセックス閣下に、ちょうど故レスタア閣下にもお持たせになりましたような白杖をお持たせになって、ただいまもなおあなたさまの御社交のために、また、あなたさまの御側近や宮廷の一種の光栄と装飾のために、臣民や外国使臣の目にお供えになっていますのでございましたら、たぶん、あのかたの好いところは発揮されていると存じます。ただいまのようにあのかたを御不満な所におかれまして、そのうえに兵馬の権力をお握らせになっているのは、あのかたを荷やっかいな越権者にさせるにもってこいの、誘惑のようなものでございましょうから。でございますから、もしあなたさまがあのかたをお召し還しになり、そしてもし、あなたさまがたの御事情さえ許しますなら――あのかたの御満足のゆきますように、お側に礼遇をもってお迎えあそばしますならば、思うに、それが一番お宜しいのではございますまいか」彼女は有り難うといって、向こうにいってしまった。事態の真相とは、これであったか!「兵馬の権力……誘惑、荷やっかいな越権者!」煽られた猜疑は、いまや灼熱した。
 そのすこし後に、ヘンリイ・カッフが、総督の女王あての信書と伝言を持って、アイルランドから帰ってきた。彼が持ってきた話というものは、どういう意味からでも、楽観的なものではなかった。軍隊は、病気と脱走とでいよいよ兵力を弱め、憂うべき状態に陥っている。悪天候が軍の活動を困難ならしめている。そしてダブリンの陣中会議は、再び、断々乎としてアルスタアの攻撃力を拒否するというのである。エリザベスは峻烈な手紙を、彼女の「正しくして信じるにたる、いとしの従弟」に書いた。その手紙では、もはや彼女はなにも命令しまい、ただ、次に彼はなにをするつもりか、聞かせてほしいだけだと彼女はいう。「もし軍隊に病気がはやっているというのが理由ならば、なぜ軍隊がまだ健全であったころに行動をとらなかったか? もし冬が近いというのが理由なら、なぜ七月と八月の夏を無為にすごしたか? もし春が早すぎ、そして次の夏は他のことで費やし、そのまた次の収穫の秋にはなにもしなかったほど怠けたというなら、御身と御身の参謀会議にとって、わたしたちがあんなにも厳命しているチロオヌ追及を決意するにいい時機は、一年の四季のうちに一つもないということになるわけだね」 そのあとで、手紙の相手を充分ぎょっとさせるように練りに練った一句を、彼女は突き刺した「わたしたちが御身に要求したいことは、御身の目的は戦争を終わらせないことにあると考える私たちが間違っているかどうかを、御身に考えてもらいたい、ということです」 彼女は、彼がなにをしようと万一のときの用意はちゃんとこっちでは整っていることを、彼にはっきり知らせておこうと腹を据えたのだった。
 彼は女王に従順なるべきか。そのために自己の判断と参謀会議の忠言を無視して、危険に突進すべきであろうか? あるいは彼は彼女に従わず、私は敗軍の将ですと告白すべきであろうか? 冬は目近まできていた。だから、もし出て戦うなら、いま即刻戦わなければならない。なおも躊躇しているとき、数通の手紙がイングランドから届いた。ロバアト・セシルが、あの役得の多い官職、エセックス自身望んでやまなかった宮廷警士総監に任命されたことを伝えるものだった。彼はブラウントと、サザンプトンの所へ駆けつけた。おれは決心した、アルスタアなどへゆくものか。軍隊の先頭に立ってイングランドに侵入しよう、おれの力を思い知らせてやろう。セシルとその一党を追い出してやるのだ。そして女王は爾後、行なって然るべきことと、おれが望むこと以外には、なにも行なってはならぬということを、はっきりさせてやろう。破れかぶれの言葉は吐き出された。だが、それだけでおしまいだった。そして、協議のまだ終わらぬうちから、いっそう冷静な提言にすべては圧倒された。伯爵が提議するような行動――小なりといえども一軍を率いて、イングランドに進軍するなどとは――内乱を意味するものだ、と、サア・クリストファが指摘した。それよりもむしろ、一身の護衛として、随身の精兵数百を従える程度で、ノンサッチにクウ・デタを行なうほうが賢明であろうと彼はいうのだった。が、突然、風向きが変わり、エセックスは、女王の命を奉じてアルスタアにチロオヌを打とうと決断した。
 まず準備行動として、彼はサア・コニアズ・クリフォドをして、選抜隊を率いてコンノオトから敵に向かって行進を起こさせ、もって敵を牽制しようと試みた。そのとき、新しい破局が起こった。クリフォドが、沼のなかの堤防を通過するところを、敵に掴まれ、たたきつけられ、敗北し、そして戦死した。が、もはやエセックスも、二の足を踏んでいるときではなかった。そして彼は、八月の終り、ダブリンを進発した。
 同時に、彼は短い手紙をつくって、女王に発送した。これほど彼の言葉が華麗であり、文章のリズムが煽情的で、苦悩と切諫と愛着の楽音が、これほどロマンチックに協和したことはかつてなかった。
「悲しみのなかに微笑めるこの心より、激務と心労と悲哀とに消えゆくこの魂より、おのれ自らのみか、おのれを生かせおくいっさいの物をも呪うこの男より、なんの奉仕か女王よ、刈り取らんとはし給う? すでに臣が過去の奉仕は、かかる屑の屑なる国への追放と流竄るざんのほかの何物にも値せざりしを知るとき、なんの憧れとなんの望みとをもちて、臣はながろうべき? ノオノオ! この謀叛人ら驕り勝たんか、臣は自らが――わが魂が、みにくき牢屋ひとやなるこの現し身を抜け出ずるに道理をうべし。かくてあらば、女王よ、みこころ安くおわせ、いかに臣が生くるを好み給わずといえど、臣が死にざまをも好み給わずという理はあらじかし。女王の流人、エセックス、恐惶謹言」 だが、その実演セケルは、それほどすばらしくはなかった。もしこの絶望の武士が、士人らの矢のなかに本当に身を投げ出したのだったら……数日後に、彼はチロオヌの軍に出会したが、相手はこちらの軍勢より数においてまさるにもかかわらず、手合せを拒んだ。それからチロオヌは軍使をもって、談判を申し込んだ。そこで、川の両岸からお互いの軍勢が見守るなかで、エセックスとチロオヌの二人だけ、ウマを浅瀬に乗り入れて会見した。チロオヌは、いつもの古い手を使って、妥協条件をだした――自分は、書類に記録しないほうがいいと思うと、チロオヌはいうのだった。そして、彼の提議した休戦は、期限を六週間とすること、そして、来年の五月一日までは、六週間ごとに期限を更新して戦いを続けること、かつ、あらかじめ二週間前に通告せずしては、お互いにこの協定は破棄しえざることを条件とするものだった。それでいっさいはおしまいだった。
 ありうるいっさいの結末のなかで、これは確かに、想像を越えた、もっとも無収穫な結末だったにちがいない。大遠征軍、貴公子の御大将、艱苦、希望、大見得――そのすべてがついに、むなしい屈辱と、無限に中途半端な睨み合いの底に沈み――つまり、瓢箪鯰の、チロオヌ一流の勝利へと、まるめこまれたのだった。いまはエセックスは、この成果の情けなさが意識に浸み込むにつれて、棄てばちの気分が再び甦ってきた。こうなってはもう、女王にお目にかかるほかはない、と彼は肚を決めた。だが――彼女の御前には哀願者として帰るべきか、主人として帰るべきか、彼はわかりかねた。わかっているのはただ、アイルランドはもうもう堪らないということだけだった。ブラウントの仄めかしたクウ・デタの一言が、胸のなかに宙ぶらりんに揺れているまま、彼は家族の全員を取り纏め、彼らと大多数の士官と紳士を引きつれながら、九月二十四日ダブリンを出帆した。二十八日の早朝、舞台はロンドンにウマを乗り入れていた。
 宮廷は、当時なおロンドンから約十マイルの南、サレイなるノンサッチ離宮であった。その間に、テームス河が流れている。もしそこに一撃を加えるのだったら、この騎馬隊は市内を横断してテームスのロンドン橋を渡らなければならなかった。けれど、このときには、計画的武断行為は、頭のなかで、とても実現できぬと諦められていた――そのかわり頭のなかは、一刻も早く女王の側にゆきたいという、ただ一すじせつない欲望でいっぱいだった。
 彼らはすぐ後ろからきたセシル一味の一人グレイ卿ウィルトンに追い抜かれた。乗っているウマは、一行のウマより元気がいい。エセックス一行のなかのサア・トマス・ゼラアドが、ウマに拍車をいれて、彼の後ろに迫って「閣下、どうぞ伯爵とお話なすってください」といった。「御免ください、私は宮廷に用事がありますので」というのが、返事だった。「では、お願いしますが」とサア・トマスは「エセックス閣下を、お先にゆかせていただけませんか。御帰還は、誰よりも先に伯爵御自身で御報告なさるようにいたしたいのです」「というのは、伯爵のお望みで?」「ではありません」「じゃあ、私は急ぎますから」そういい、いっそうウマを速めていった。トマス・ゼラアドが右の会話を一行に報告すると、サア・クリストファ・ロウレンスは、よし、ではウマに一鞭くれてグレイ卿を、それから次に侍史めも殺してやるんだと、罵り叫んだ。しかし、エセックスはそれを阻止した。それは単なる暗殺にすぎぬ。彼は彼の機会を掴むのが肝要だった。
 ノンサッチに着くとただちに、グレイ卿はセシルの室にいって、この驚愕すべきニュースを報告した。侍史は平静だった。彼はなにもしなかった。――ときに階下の私室でお化粧中の女王にも伝えなかった。――セシルは椅子のなかで、静かに待った。十五分後に――それは十時だった。――伯爵は城門をはいった。彼は、一秒の躊躇もなく、急ぎに急いだ。そしていま――おお!――そこはもう謁見の間だ。すぐ大奥の広間、すると、女王の寝室が目の前にある。彼は長い旅の果て、泥まみれになり、粗服に乗馬靴、乱れた姿だった。そんなことはなにも忘れ、彼は目の前の扉を力いっぱい引きあけた。そして見よ、すぐの身近に、エリザベスだ。侍女に囲まれて、部屋着のまま、まだ白粉も塗らず、仮髪かつらもかぶらず、彼女のごま塩の髪は、ばさりと顔に垂れていた。そして、二つの目が、額ごしに、ぎょろりと光った。

第一三章


 びっくりした。嬉しかった。――瞬間の反応は、それだった。すぐ、しかしきわめて速やかに、第三のリアクションが、彼女に起こった――恐怖であった。これはどういうことであるのか、この前触れもない、禁を犯した帰還は、そしてこの、奇怪な闖入は? どのような手勢を率いて、この男はアイルランドから帰ってき、その手勢をいま、どこに置いているか? すでにもうなにかやった後か? 現にこの瞬間、ひょっとしたら彼女はもう彼の謀叛に負けてしまっているのではあるまいか? どちらを向いても暗黒ゆえ、素早く彼女は、その第二の天性であるお芝居上手に、凌ぎ場所を求めた。彼といっしょにいるのは、本能的にも嬉しいし、彼の様子や物のいいかたは純粋に好きでもあるのだから、お芝居はいよいよ本当らしく見せることができた。そして、顔中に微笑を湛えながら、彼女は彼の口を迸り出るくぜつやら、アイルランドの苦労話やらに耳を傾けた。――じっと傾けている耳には、内心深く、電光石火の暗算と、謀叛の有無の忖度と、片言隻句の暗示も聞き洩らすまいとする努力とが伴っていた。すぐ、さしあたってはなにも危険はなさそうだと推察することができた。彼女は笑いながら、あちらへいって着物を着換えてくるがいい、その間にこちらもお化粧を済ませるからといった。彼は仰せに従い、御前に出直した。そして対話は一時間と三十分続いた。やがて彼は意気揚々と階下におりて晩餐をとりながら、宮女たちに戯れ、そして、昨日まで国外であんな嵐の数々に遭った身が、今日は国内でかように愉しい安楽を見出すしあわせを神に感謝した。食後、もう一度女王に召されてゆくと、彼女は先刻までに、外の情勢を偵察させ、これから執るべき行動の筋道は、すでに心に決めているのだった。彼女はまず、不愉快な質問を、不愉快な顔で発することから開始した。最後に、彼女は彼は御前会議の席上で申開きをなすべきだと宣告した。即時、御前会議は召集された。そして伯爵が、自分の業績について一場の陳述を終わったとき、会議は曖昧な儀礼をもって休会となった。だが女王は、まだ顔をしかめており、近づき難い様子だった。その夜の十一時、伯爵は上使によって、一室に蟄居すべきことを命じられた。
 人々はみな五里霧中の思いをした。最初の瞥見では、いかにもエセックスが完全に勝利したようにみんなの目に映った――ベエコンは早くも祝賀の手紙を送った。「私は、誰のものであるよりも、あなたのものであります。誰にもまさって、私こそあなたのものであります」という文句だった。すぐその後で、女王は御不機嫌であらせられるという情報が拡まり、みんなは、どう考えていいかわからなくなった。いずれにしても、あのたくさんの前任者がやったと同じようなへまを、彼もまたアイルランドでやったという程度の罪にすぎないではないか。と思っている間にも、女王はどしどし計画を実行していった。翌る一日は、なにかロンドンに動揺の徴候はないかと、情報を待つだけにすごし、なにもないと知ると、次の筋書に進んでもいいという自信をえた。彼女はエセックスを大判事エガアトンのもとの監禁に移した。人気はなお平静であり、女王は御満足であった。いまやエセックスは、完全に彼女の掌中に落ちた。どんなふうに料理してやろうか。ゆっくり閑々に、考えていい。
 彼女がゆっくり考えている間に、彼は病気になった。しかも、監禁の身をヨオク屋敷のなかに横たえながら、彼は――いまはただ田園に隠遁したいばかりだと、ときどきは叫ぶものの――まだ君寵を取り返す望みはもとより、アイルランド総督に復帰させてもらう望みさえも捨てなかった。彼は女王に、屈従的な手紙を書いた。しかし、女王はこの手紙を突っ返し、なんのことづても送らなかった。アイルランドでエセックスに騎士の称号を与えてもらったジョン・ハリントンが、ちょうどこのとき、帰還した。エセックスはこのハリントンに頼んで、もう一通の、悔悟と殺し文句に満ちた書簡を、女王に届けてもらうことにした。しかし、この陽気な騎士は、冒険は慎んだほうがいいと考えた。彼はすでに、ロンドンに到着したとき、逮捕の危険に脅かされている。そして彼は「エセックスの浜で坐礁する」欲望はすこしも持たなかった。彼の良心にも、やはり、ぜんぜん無垢とはいえないものがあった。講和の後で、彼はチロオヌを訪問してみたいという好奇心に駆られた。そして実行した。おそらくは変節の伯爵(チロオヌ)に対して、彼は彼のアリオストの一部を取りだして、気にいりの幾節かを朗読して聞かせたうえ、その本をチロオヌの長男に贈った――「行儀よく躾けられた二人の子どもがあって、ビロウドの短衣と金いろのレエスを着、イギリスふうの、貴族の子のような服装だった」――そんなことは彼女のおよそ好まぬところだった。けれども彼は一度謁見を許されさえすれば、御機嫌は取りむすばれると信じていた。彼は女王の名づけ児なのである――そうして彼の幼年時代から彼女になじんできてもいるし、継母がヘンリ八世の御落胤であるという縁は非公式でも、現実には彼女につながりを持つ身だった。やっと彼は、女王に会っていただけるという通知を受けた。そして一歩謁見の間に通るや否や、託されたエセックスの手紙など、持ってこなかった自分の運勢に感謝した。
 が、次に起こった恐ろしい情景を、彼はいつまでも忘れかねるのである。女王の前に、やっと膝まずいたと思うまに、彼女はつかつかと彼の前に進んできて、彼を帯のところで掴んで揺すりながら叫んだ。「なんということだ、わたしは女王でないと見える! この男が思い上がりおる! こんなに早くこの男にこいと、誰がいいました? わたしは、ほかの用でこの男に使いをやったのだ」 彼女はたけだけしく彼に背中を向け、足ばやにかなたこなたと歩き、悩乱を顔に表わしながら見据えた。「なんということだ! お前たち、誰も彼もぐずの悪者だよ。エセックスが一番悪いのです!」 彼は女王を宥めようと努めた。しかし「彼女の激怒は、いっさいの理由の埒外にあった」 彼女はどんな弁解をも聞こうともせず、そして、この名づけ児が、結局、アイルランド総督ではないという事実を忘れたかに見えた。ついに、しかし、彼女の気は鎮まってきた。なにか質問し、ハリントンのちょっとした冗談やお話をおもしろがり、チロオヌとの歓会については不問に付してくれた。彼は、謀叛人とその奇抜な宮廷について、描き出すように女王に物語った――どんなふうに「あの男の護衛兵はたいがい髭のない少年で、シャツも着ていません、それで厳寒の日に、まるで泳ぎイヌのように川を渡ります」 こう説明した。「どういう魅力であんな主人がこの少年たちをひきつけているのでございましょうか、私にはわかりません。しかし、少年たちは彼が帰れといえば帰りますし、ゆけといえばゆきますし、これをしろといえば、それをやります」 それを聞いて女王はにやりとした。それから突然顔色をあらためて、帰れ、といった。すると彼は、記録によれば「二度といわれぬさきに御前を退った」 そして、ソマアセットシャアの邸をさして、ウマを走らせた、「あたかも、アイルランドの全一揆に、追いかけられているかのように」
 エリザベスは、いい忠告者、でなければすくなくともよく聞いてくれる相手は、どこかほかにないものだろうかと見まわした。そして、望みどおりのものを、フランシス・ベエコンに見出した。そして数カ月の密談のうちに、エセックスの運命は、裏に潜む政策的意味も情熱的意味も、あらゆる意味を含めて、これら二人の、世にも異常な精神の標的となった。赦免すべきか罰すべきか。もし罰するとすれば、どのような種類の罰を? ベエコンはというと、彼は得意の壇上だった。自分を取り巻く事情の錯綜を貫いて、手ぎわみごとに、出世の一路を掘り抜くことができるぞと彼は感じた。エセックスに受けた私的な恩義と、女王に仕える公的な義務とを整調すること、政府人としての感情と友人としての感情を兼備すること、廉恥心と野心の間に真の平衡を保つこと――エリザベスと話す間、複雑な問題の取扱いに、彼は鑑識家としての深い味覚を振りまわした。彼はよほど以前から、人間的なあらゆる点で、エセックスを破産者と見ている。自分は伯爵に負うところはある――多大である。だが、望みのない人のために頑張ることによって、みすみす自分の幸運の機会をだめにしたところで、得をするものは一人もないだろう。肝要なことは、ロバアト・セシルの御愛顧にありつくということである。そしていま、この天来の好機――これを見のがしては気ちがい沙汰だ。かつ、そればかりではない――もはやエセックスは有害な人である。彼の突進癖は、国家を危うくするものである。もちろん、自分は個人としてできるだけの援助を彼に与えなければならぬが、同時に自分は、彼のような男の権力挽回のために働く義務は、断然帯びていないのである。かく考え、躊躇を知らぬ巧妙さで、ベエコンは、智慧のクモの巣を紡ぎ始めた。彼は自分の正しさを疑わなかった。――こればっかりも。
 エリザベスは、彼のいうことのすべてを、興味深く傾聴した――どんなに伯爵に同情し、ひかれているかをいうとき、彼は言葉を惜しまなかった。だが、これだけはどうしてもいわなければならないことに、エセックスにはどうも不適任と思われる地位がある。たとえば、アイルランドに復任させることなどで――というベエコンを遮って、「エセックスめ!」と女王がいった。「もしわたしがエセックスをアイルランドにまたゆかせるような日があったら、わたし、お前と結婚したっていいわ。それを、わたしに要求おしよ」そうだとも。アイルランドにゆかせるなど、彼女だって考えてはいない。――むしろ彼女はあの男を裁判にかけようとさえ思っている。が、起訴方法はどうする? 星法院スタア・チャンバア枢密院議員と少数の法官をもって構成する宮廷裁判所)の審問が、彼女の心づもりだった。しかし、ベエコンは反対した。彼はいう、エセックスの人気は、もし不充分な証拠できびしい刑罰を与えるなら、たちまち不祥な事件をひき起こすであろうほど、偉大である。そう聞くと、女王はぎろりと目を光らせた。そしてベエコンを退出させた。民衆の人気を仄めかされることは、彼女は嫌いだった。だが彼女は、公衆の前にエセックスを告発しようという考えは、捨てることにした。なぜなら、時のたつに従って、ベエコンの警告はしだいに本当になってきたからである。伯爵の人気は、彼の病気によってますます高まった。そして、彼は監禁されたまま死にそうな容態に陥っているという囁きが伝わったとき、公衆の怒りは露骨に聞こえ始めた。伯爵を庇い、その政敵を攻撃するパンフレットが秘密に印刷され、世上に流布された。ついには、宮殿の白壁にさえ、悪態の落書きが彫られる有様だった。落書きで、ベエコンは特別な糺弾の的となった。彼は恩人について女王の心に毒を注ぎ込む裏切者だというのである。暗殺してやるぞ、と彼をおどすものもあった――とはベエコンの声明するところである。しかし、これだって、逆になにかの役にはたてられるはずだった。それは彼のセシルに対する忠誠を、決定的にはっきりさせることに役だつであろう。彼は従弟に手紙を書いた、「私が良心という防弾チョッキを着ていますことを、神に感謝いたしましょう」と。思うにこの脅迫は「あなたの名誉ある人格に対する深い悪意に出たものでございましょう。私という、あなたの近親をやっつけることによって、彼らはあなたになんらかの痛手を与えうると考えているらしいのです」
 セシルは、この手紙を読んで、にやりとした。そして使いをもって従兄を呼び寄せた。彼は自分の立場を、はっきりさせておきたいと思った。彼はいう、自分は実際、フランシスが、エセックスに対して、なにか憎まれ役を演じたというような噂を、聞くことは聞いた。しかし……自分は、そんな噂は信じない。「私についていえば、私はエセックスの問題に対しては、単に受動的であって、けっして能動的ではありません。私は女王のなさるままに従うものです。それが私には一番かんじんなことで、そして、……女王は、もちろん私の君主で、私は彼女の御恩に生きている者です。どうぞ、あなたも、私と同様な態度を執っていただきたいと思う」 ロバアト・セシルは実際、単に受動的であり、女王の行動に従うだけの者であった。だが、受動的もまた行動の一種であろう――ときには、行動そのものよりもいっそう大きな成果を伴って見せることもある。それを心得ぬ仲間のなかにはウォタア・ラレイもいる。彼は侍史がなにをしているかを、見抜くことができなかった。セシルは自身の指の間から、せっかくの金色の機会が洩れ出ているのにも、気がつかないのか。――さりとは間抜けなセシル――じつに攻撃の好機ではないか。そう考え彼は次の手紙を、セシルに書いた。
「私はあなたに忠告を差しあげるほど聡明ではありません。しかし、もしあなたが、あの暴虐者には慈悲を与えるのが賢明だとお考えになるのでしたら、後日きっと後悔さきにたたずの思いをなさるでしょう。なぜなら、あの男は、許されたって、あなたの人格のお蔭とは思わず、女王さまが臆病だったのだと考えるだけでしょう。あなたがこのさい彼を無力にしてお置きになればなるほど、彼はあなたならびに御一党に害を加えることができなくなるのです。そしてもし、女王の寵が一たび彼のうえから去れば、彼は元の凡人に帰るほかはないでしょう……あなたの好機をもし失われたら、御後難は目に見えるようです。あなたの永久のお身かた。W・R」 なるほど――彼はセシルに忠告を与えうるほど「聡明」ではなかった。この男には、女王を煽りたてるためにはほんのちょっぴり小突くだけのもっとも目だたぬちょっかいが、致命的な効果を持つことがわからなかったのであろうか。そうだ! もし何事かしなければならぬとあれば、他人のおせっかいを待たず、彼女自身の力と、彼女自身のあの奇妙な意志をもって、彼女自らしなければならぬ。そこで侍史は、じっと坐っている――息をひそめて、待っている、身まもっている。
 エリザベスもまた、もちろん、非常に注意ぶかく見守っていなければならなかった。しかし、いまわれわれの前にいるエリザベスは、ぜんぜん愚劣な追及物に没頭しているようである。即位記念日の式典が、彼女の心を奪ってしまっているのだった。彼女は何時間も坐って、槍仕合いを眺めている。かつてはエセックスが、あんなにもたびたび、光輝燦爛と活躍した槍仕合いを――むとんじゃくそうに、おもしろそうに眺めていた。一週間後に、彼女は突如、一つの決断に到達した。星法院スタア・チャンバアで、枢密議員たちにエセックスの違法に対する声明書を朗読させ、それでエセックスを処理したことに世間態をつくろおうではないか。彼自身は出廷しえない――たいへんな病気だというから。だが彼女にはどうも怪しいと思える。そう考えて、十一月二十八日、午後の六時、ウォリック夫人とウォスタア卿を伴い、彼女は御座船に塔じてヨオク屋敷に臨幸した。エセックスは現実に重態だった――ほんとに瀕死の態だった。彼女の臨幸を意識したのであろうか? あるいは、彼女は来て、見て、それだけで人目につかぬうちにいってしまったのか? 誰にもわからぬ! 十一月の夜はおりた、その暗黒のなかに、彼女の姿を巻き込みながら。
 次の日、星法院の召集をみ、伯爵の罪状を列挙する声明書が朗読された。彼はアイルランドにおける行動を誤り、チロオヌと不名誉な協定をむすび、女王の特禁を破ってイングランドに帰還した、そういう宣言だった。公人たちも傍聴を許されたが、フランシス・ベエコンは出席しなかった。エリザベスは、出席者名簿を一覧して、ははあと思った。彼女はベエコンに書を与えて、欠席の理由を詰問した。彼は、暴行を加えるぞと公衆に脅迫されている身ゆえ、危うきに近寄らぬを賢明と考えて欠席した旨を奉答した。しかし、彼女は、爾後数週間、彼に言葉をかけなかった。
 星法院の宣言はなんの実行をも伴わなかった。ノンサッチ離宮のあの宿命的な夜こそは、ほとんど一年にもなろうとする監禁の第一夜であったことが、いまや思い合わされるのである。それに、その監禁がけっして手緩いものではなかった。伯爵の近親は一人として面会を許されなかった。エセックス夫人さえ、あたかもそのころ女の子を産んだばかりで、哀願者としての痛ましい黒装束に包まれながら宮廷にお百度を踏んだにもかかわらず、何カ月も良人に会うことを許されなかった。いまや、軽蔑と恐怖と憎悪との毒液は滴り落ち、月日の長びくに従って憎いという思いは凝り、エリザベスは怒りを育てた。いったい、あの男の魅力で、こちらは手も足も出ない、などと彼はうぬぼれているのか? そんな魅力は、とくの昔に満腹している。
 新しい年がきた――一六〇〇年、すなわち十六世紀最後の年である――すると、事件は二つの発展を見た。エセックスが快方に向かい、一月の終りには常の健康体に復したのだった。同時に、女王はアイルランド事件の収拾に新工作を加え始めた。これよりさきチロオヌは、九月の休戦に自ら終止符を打って、抗英の蠢動を開始していた。なにか対策が必要とあって、エリザベスは最初から意中にあったマウントジョイをアイルランド総督に任命した。彼はこの有り難からぬお役目をしきりに辞退したがだめだった。エリザベスが決心したのである。ゆけといったらゆくべし。が、ゆく前に、彼はサザンプトンと、ここにもう一人のエセックス崇拝者サア・チャアルス・デエバアスとに相談して、囚われのエセックスに最善の力をかすには、どうしたら一番いいかを聞いた。そして、とほうもない提議が持ちだされた。というには次の事情がある。
 数年前から、エセックスはスコットランドのゼエムス王と連絡があった。そしてマウントジョイ自身は、アイルランドの役の最中に、ゼエムス王に書を送った――その手紙で、彼はゼエムスに、エセックスのためにここでなんらかの行動を取ってもらいたいと頼んだのである。王の返事が満足のものでなかったので、計画は頓挫した。だが、いま、サザンプトンとデエバアスとマウントジョイの密議の席上で、その計画は驚くべくかついっそう正確な形をとって、甦ったのだった。スコットランド王の第一の大望が、イングランド王座の相続であることは周知の事実だった。マウントジョイがその席で持ちだした提議というのは、使者をゼエムス王に送って、セシル党が王の相続に反対であること、そして、もし王にしてエセックス支持の軍事行動を起こされるならば、マウントジョイ自身は四千ないし五千の兵を率いてアイルランドから渡米し、お互いの混成軍の力で、こちらの意志をイギリス政府に強制することができるだろうことを伝えようというのだった。この計画にエセックスの同意があったことにも、疑いの余地はない。使者は、スコットランドに向かって発せられた。そしてアイルランドの統治に出発したマウントジョイの心中には、この棄てばちな謀叛の計画が実際あったのだった。しかし、ゼエムス王の返事は曖昧であり、姑息であった。マウントジョイは敏感である。そして企画は断念された。
 だが、長いことではなかった。というのは、その春、サザンプトンがアイルランドにやってきた。それがエセックスからマウントジョイあての信書を託する好機となったのである。手紙は、ゼエムス王の支援のあるなしにかかわらず、彼の最初の計画どおり、大軍をもってイングランドに襲来することを促すものだった。けれども、マウントジョイは、すでに変心していた。彼はもはや昔日のチャアルス・ブラウントではなかった。彼は突如として自己の天職を発見した。いまは一介の追随者ではない。自分は司令官である。彼以前になにびとも完成しえなかったところのものを、自分は完成することができると感じた。アイルランドを平定して見せよう。チロオヌを退治してやろう。愛人ペヌロオプだって、彼のこの運命を邪魔することは許されぬ。エセックスに対する彼の返事は鄭重で、しかも断乎たるものだった。「兄貴エセックスの個人的野心を満足させるために、この種の企業に参加することは、私は御免蒙る」
 一方エリザベスは、陰でこのような密謀が動いていることは露知らず、暗い顔で、自分はいったいなにをしようとしているのか、ロンドン塔に彼を幽閉する? およそ、そんなことは考えていない。形勢はよくない――もっとも、いずれにしても、犯人はヨオク屋敷から他に移したいと彼女は思った。そこでアントニイ・ベエコンをはじめ他のいっさいの友人たちを追い出したあとの自邸に、エセックスは移され、そこで以前のごとく峻厳に禁錮されることとなった。彼女はベエコンを召したが、彼はもう一度、星法院云々に反対した。――伯爵の違法行為がそんな大仰な一種の告発に値しないことをいったのではなく――民衆にむすびついた伯爵の勢力から見て、そのような告発が危険を招くことを説明したのだった。今度は女王もこの意見に納得した。そして、彼女自身の考案になる一種の懲戒裁判を構成しようと決心した。極悪人は厳格に説教される。謝らされる。ちょっとおどされ、そして――もう行っても宜しい。というふうに彼女がお膳だてすると、みんなもその企画に賛成だった。エセックスはわんぱく小僧である。お行儀が悪いから自分の部屋に閉じこめられ、お叱言の百も食った後で、でもね、お母さんたちは、坊やを打つことだけは許してあげますよと、いい聞かされるときとはなった。
 懲戒式は(一六〇〇年七月五日)ヨオク屋敷で執行され、一回の休息もなしに十一時間も続いた。ありたけの威厳を示しながら列席する枢密議員に取り囲まれたテーブルの脚もとに、エセックスは膝まずき続けていた。何時間かの後、カンタベリの大司教が気の毒がって、伯爵の起立を動議し、許された。後には倚りかかってもよいとされ、最後に腰掛けても宜しいということになった。論告者のなかにベエコンもいた。彼は前もって伯爵に手紙を送って、訴訟の関係者に加わることを容赦されたいといい、しかし、女王の御意である限りこれを拒むことはできないと一本釘を刺しておいたのだった。ベエコンは、ホワアドの『ヘンリイ四世の歴史』の献本を受けた伯爵の不埒に、貴族の注意を集めるように宜しくやれと、彼女から指令されてあった。彼は命ぜられたとおりにやった。すべては円滑に進行し、エセックスも深甚なる謝罪を表しようとする心構えも整ったとき、場面の厳粛さは突然、検事総長エドワアド・コオクの物狂おしい呶声で掻き乱された。エセックスは、自ら呶声をもって報いざるをえなかったほどの打撃を感じた。コオクは喚き返した。セシルがそのとき、なにかじょさいない所見を述べたので、ようやく鎮まった。こうして裁判の判決は下された。一瞬間、伯爵の頭のなかには、ロンドン塔の幽囚と巨大な罰金とが思い浮かんだ。が、いい渡された判決は、自宅に帰り、謹んで女王の思召しを待つべしというのであった。
 一カ月、彼は待ったが、なんの音沙汰もなかった。ついに、監視は解かれたが、八月の終りまで、完全な釈放は許されなかった。夏中、エリザベスは間断なくベエコンに諮問した。ベエコンもいまは女王と伯爵の間の仲介役を承ることとなったわけである。ベエコンは、女王に許しを乞う念入りな手紙を、エセックスのために二通も代作した。いや、それ以上のこともしている。彼は兄アントニイからエセックスにあてたと見せる手紙、および伯爵のその返事を偽作した――綴りかたの優秀なるものである。いかにも伯爵の女王に対する誠忠がにぎにぎしく見せびらかされてある。そういう贋手紙を彼は女王の所に持っていって、御覧に供した。はからずも、それらの手紙のなかには、フランシス・ベエコンの頼もしさがたくさん仄めかしてあった。しかし効果は少なかった。いまさらそんなお芝居に掛けられても、猜疑なしに巻き込まれるには、あまりに馴れすぎていたのであろう。
 しかし、エセックスは、ベエコンのおせっかいに頼りはしなかった。彼は自分自身で手紙を書いて、完全な許しを乞い、「すでに女王さまの御裁判のお声を承りました私といたしまして、このうえ畏み願うところは、女王さまのお生まれながらのうるわしき自然の御声音に接したいことでございます。これをしもお聞き届けいただけませぬならば、せめてお慈悲に、私めをこの世の外にいかせてくださりませ」「私はなんのお声掛りも蒙りません。でも、もし女王さまにおかせられて、私をもう一度だけおん脚もとに膝まずかせ、あなたさまのあやに美しきおん目を拝ませてくださいますならば、たとえその後で私を罰せられ、私を投獄あそばし、私に死刑宣告をお読み聞けくださいましょうとも――これぞ女王さまのお慈悲の頂上、私の歓喜の頂上でございます」というふうに彼は書いた。しかも、手紙を書いたのは、エリザベスばかりにではなかった。これらの悔恨と抗告を氾濫させている間にも、彼の心はアイルランドを振り返り続けていた。ある日、彼はサア・チャアルス・デエバアスを呼び寄せて、もう一度、マウントジョイの誠意を呼び起こす工作を試みてくれぬかと頼んだ。デエバアスは、伯爵に対して心底からの忠義者だった。伯爵は、「拙者の生命を救いしお人でござる。しかも、はなはだ気高き態度にてお救いくだされ候。伯爵は拙者がために苦しみ、数々の縁をもって拙者をおつなぎなされ候。人が義につながるとはかようのことをぞ申すべき。しかるうえは残る財と力はなににまれ、伯爵の御意に任せんとは存ずるにて候」と後日彼は告白している。そしてこの誠忠無二の家来は、即刻、ウマを駆ってアイルランドに向かった。
 一つの危機が切迫しつつあった。それは、いよいよエリザベスの真の心境をはっきりさせる危機だった。彼女が彼に、今日まで十年間与えてきた甘ブドウ酒の収税請負権が、この夏期清算日ミカエルマスに期限満了となる。この収税請負権は、彼に多大の収入を齎すものだった。もし彼女が期限をここで打ち切るならば、彼女は彼を貧乏に投げ込むこととなる。君寵と希望か――失寵と破滅か――彼女はそれをちゃんと知っていた。ベエコンにこんなことをいっている。「エセックスさんがね、なんだかしきりにしおらしい手紙をくれるので可哀想になってよ。でも」――と彼女は気味悪く哄笑して――「でも、この盛りだくさんな純情はなんのためかしらと、よくよく考えてみたら、やっとわかりましたよ。つまり、あの男はただ、甘ブドウ酒の請負を狙っているだけのことだったのよ」
 とはいえ、ここに一つ、たぶんはほかの手紙よりもいっそう彼女の哀れを誘ったであろう手紙がある。「急げ、紙ぎれ、わがふみぎれよ。さちうすくわが追われたる、幸多きかのおん側に急ぎゆけ。よろずを癒やし給う真白のみ手は、わがかりそめの傷に膏薬は塗らせど、いとせめての深傷ふかでには、なんの薬も賜わねば、その真白のみ手にキスをまいらせつつ、汝紙ぎれ、伝えてよ、これはこれ、病みさらばえて身も細る、エセックスよりは参りしと」こうこられては、もう拒み能わぬと彼女は感じたであろうか? たぶん。いま残っている他の手紙のなかの数句から、われわれは一度、会見が実際あったと嗅ぎ取ることもできる。が、彼の情熱こめたくべつの最中に、彼女の胸のなかには怖ろしい苦いものがいっぱいこみ上げてきた。彼女は退れ、と命じ、彼女自身の手で彼を外に突き出した。
 彼女は一カ月躊躇した。その後で、甘ブドウ酒の利得は、爾今王室に属せらるという声明が出た。エセックスに与えた打撃は、落雷のごときものだった。デエバアスもすでに、マウントジョイの、彼の決心は動かずという返事を持ち帰っていた。「マウントジョイさまは、閣下が、令の手段にて、女王の例の寵遇をお取り返しになるよう、そして、たとえ以前ほど寵遇をえられないにしても、閣下はそれに満足なさるほかはない、とおっしゃいました」ちょうどこの瞬間、偶然にも短い訪問をしたために恐ろしい思いをさせられたハリントンの記録によれば「彼の悲哀と悔恨は、たちまち憤怒と謀叛心に変わった。それはあまりにも唐突で、とうてい理性や正気を持つ人とは思えなかった……彼は奇妙なことをしゃべり始めた。それはいかにも奇妙な陰謀に触れそうな口走りようだったので、私はあわてて彼の面前から引き退ったような次第だった……女王さまは、傲慢な心をいかにおとしむべきかを、よく御存じである。そこであの男の魂は、荒海の浪のごとく、荒れ騒ぐというわけである」
 かつて、女王の容姿についての話が出たとき、彼は叫んだものであった。「彼女の容姿かね! それは彼女の死骸のように、ひん曲がっている!」 この堪らない言葉を、エリザベスに伝える者があり、彼女は一生、この不快を忘れなかった。彼女も、おそらくは気ちがいめいていたであろう。彼に自由を与えながら、彼を貧乏におとしいれようと工作している。彼を辱しめながら、しかもなま殺しのままに、放っておく、物を中途半端に扱うのは彼女の一生の得意芸であり、彼女の今日のあらゆる偉大グロオリの淵源でもあったが、それに対する愛着の情は、いまや一種の偏執病と化し、かえってそれが彼女の破滅の因たろうとしている。一種異常な麻痺に巻き込まれながら、彼女は刻々迫る宿命を知らないのだった。
 けれども、かの侍史が知らないものは一つもなかった。彼は、いま、なにが起ころうとしているか、続いてはなにがかならず起こらなければならないかを、はっきり見ていた。彼は、ドラリイ屋敷のサザンプトンかたで行なわれている秘密集会について、なにもかも知っていた。地方から上京してきつつあるたくさんの見馴れぬ顔を、河岸のあたりを肩で風切る紳士らの常ならぬ雑沓を、そして空気に漲る騒擾と不穏の気配を、いっさいを、彼は見て取った。爆発の瞬間を待つ心構えはちゃんとできている。さあ、いつでもやってこい。

第一四章


 なぜなら、エセックスは、いまはすでに身を絶望的な行動に投げ出したにちがいないからだった。アントニイ・ベエコンに死なれて後の彼は、ただ母と、妹のペヌロオプ・リッチとサア・クリストファ・ブラウントの呶声と、ヘンリイ・カッフの遠慮会釈のない助言に、耳を傾けるほかはなかった。マウントジョイはすでに彼を見捨ててしまったが、彼はいまもスコットランドの王と内通を続けながら、その方面からなんらかの救助のくることに、まだ望みをつないでいた。新しい年(一六〇一年)の初め、エセックスはゼエムス王に手紙を送って、ロンドンに密使を送られんことを乞うた。それによって、協同動作の段取りを相談したいというのだった。ゼエムスは、今度は賛成した。そして、マア伯爵にロンドンゆきを命じ、同時にエセックスに、激励の手紙を送った。この手紙は、密使の到着に先だって、エセックスに届いた。彼はこれを小さな黒革の巾着に入れて、人目にたたぬよう、首に掛けながら保存した。
 最後の爆発は、急速に起こった。伯爵の一党は、狂熱と恐怖と怨嗟に沸騰していた。侍史セシルはスペインのイヌだ。彼は現にスペイン王インファンタに内通して、イングランドの王冠を相続させようと企んでいる。が、もっともっと恐ろしいのは、あのいやらしいラレイである。あの男の野心が手段を選ばぬこと、彼が、人間の法も神の法も尊ばぬことは、誰でも知っている。そして――と、口から口へと流言は拡がる――だが、おそらく、伯爵の政敵どもは、女王をうまく煽てて伯爵を斥けることに成功したのにちがいない。二月の第一週は、伯爵はいまにもロンドン塔に送られるだろうという、流言で専らだった。エセックス自身も、おそらくそれを信じたであろう。彼は腹心を集めて協議した。彼らには、このうえスコットランドの密使マアの到着を待っているのは無謀なことに思われた。指導力がまだ彼らの手中に存する間に、たち上がるならいまだと考えた。一味のある者は、宮廷に一撃を加えることを上策と考え、詳細な行動段取りをつくった。宮廷を襲っても、女王の玉体に対しては、手荒な真似は極度に差し控えるという、統制ある行動を保証するためだった。他のある者は、最上の策は市民を背後に持って、はじめて宮廷を威圧することができると信じるのだった。エセックスは、どちらの策とも決しかねた。もし何事か起こって彼を行動に駆りたてなかったなら、彼は最後まで二つの策の間に迷い抜いたあげく、いつもの癖のあの熱病的不能者の状態に陥ってしまったであろう。
 その何事かは起こった。そこにセシルの温和な天才の、あらゆる特質が閃いている。誤謬を犯すことのない本能で、侍史はいまこそ事を爆発せしめる機は熟したと見た。そして、それゆえに、彼は事を爆発せしめた。彼の行動はじつに、あるかなきかの一触だった。二月七日、土曜日の朝、女王からの一人の上使がエセックス邸に到着して、伯爵に御前会議に出頭すべきことを要求した。これがセシルの一触だった。これだけで充分である。陰謀の一味たちには、かかるお召しこそ伯爵を逮捕しようとする計画の現れであり、ここでただちに自分たちが行動を起こさない限り、伯爵の身がらは失われるであろうことが、はっきりわかった。エセックスは、上使に、病重くてとうてい起き上がれないという復命を託した。かくて明朝こそ、侍史の権勢にとどめを刺してやろうという決意は固められたのだった。
 女王の玉体だけは、手荒に取り扱ってはならぬ――彼らのこの意思を疑うものは、よほどの下劣漢か気ちがいかに決まっている。エセックスは終始、この点を強調した。しかも、明らかに、この無謀な一味のなかには、聖なるグロリアナのうえにさえ、冒涜の目を投げる幾人かがあった。
 政府は、なにもかも知っており、はやくも警戒を敷いた。かくて、日曜日の朝、白宮殿ホワイトホールの警衛は倍加された。サア・チャアルス・デエバアスが早朝に偵察に出た。そしてエセックス邸に帰って、彼は伯爵に、ひそかにロンドンを落ちて、ウェルズに赴き、そこで反乱の旗をあげることを進言した。サア・クリストファ・ブラウントは即刻行動に移ることを主張した。この主張は、夜明けごろからエセックス邸に馳せつけ続けている武装の徒の、刻々の増大にいっそう鼓舞されるのだった。十時には集まるもの三百人と注せられた。エセックスはその群集の前に出ていた。そのとき、門の扉をたたくものがあった。脇門が開かれ、そして四人の高官が現われた――大法官と、ウォスタアの伯爵と、サア・ウイリアム・ノリスと、司法長官とである。従者たちは外に待たされ、彼ら四人だけはいることを許された。大判事エガアトンがいうに、自分たちは女王の上使として、この集合はなんのためであるかを聞き、かつ、もしこの集合が、何者かに対するなんらかの不満に発するものならば、その不満の申立てのいっさいを聴取し、相当の判決が与えられなければならぬことを申し渡すためここに派遣されたものであると。エセックスは、書斎にはいって話そうと申し出た。彼らは承諾した。「彼奴らを殺せ! 彼奴らを殺せ!」そういう呶号が起こった。さらに「閉じこめてやれ!」そう叫ぶ声も聞こえる。罵り喚く追随者群に、伯爵は困ってしまった。
「お退きなさい、伯爵! 上使たちはあなたをばかにしている。あなたを売り、あなたを破滅させる奴らです。機会を逃がさないでください!」 伯爵も、この群集には手がつけられなかった。伯爵は扉のほうへ押しだされようとしていた。しばらくこの場所にじっとしていてくれ給え、自分はすぐ戻ってきて、諸君といっしょに女王の御前に出ようと、大声で告げた。そして、彼だけ部屋の外に出た。すると、たちまち扉はぴたりと締まり、枢密議員たちの眼前に錠はおろされた。彼らは「閉じこめ」られた。階段から中庭へ、狂乱の暴徒は流れ出た。彼らは街上に迸り出た。「宮殿へ! 宮殿へ!」と誰かが叫んだ。そして全部隊はエセックスの命令を待った。しかし彼は突然の決意とともに、方向を市内へと変えた。市内へ、宜しい、市内へいこう。けれどこれだけの人数に、この急場でウマがまに合うはずはなく、彼らはみんな徒歩で行進しなければならなかった。全隊の先頭にはサア・クリストファ・ブラウントの背の高い姿が、大股で歩いていた。「ソウ! ソウ! ソラ! トレイ! トレイ!」と彼は叫び、荒い身ぶりと、とりとめもない喚きで、伯爵のためにロンドンをたち上がらせようと努力している。
 反乱部隊は、ラッドの市門から市内に流れ入っていったが、政府はすでに先まわりしていた。これより早く、ロンドン市民に武器を執りながら、屋内に待機していること、けっして街頭に飛び出してはならぬことを伝えてあり、市民はそれを遵奉していた。伯爵は彼らの人気役者にちがいない。しかし、それ以上に彼らは女王の忠誠なる人民なのだった。そこへもってきて、伯爵は大逆人と宣言されたという情報だった。この恐ろしい言葉と、それに伴う刑罰の幻想は、市民の魂を慄え上がらせた。正午になると、エセックスとその手勢は、聖ポウル寺院の前まできた。しかし、市民動揺の徴はすこしも見えなかった。彼はそのほうへ行進しながら、大音声で、余を暗殺せんと企む者がある、わが国の王冠はスペイン王インファンタに売り渡されたぞと呼ばわり続けた。しかし、反響もなければ、一人として行進に加わるものもなかった。しかも、両側の戸や窓の隙間からは、困ったような、あっけに取られたような顔が覗いて、エセックスを見上げているのだった。聖ポウル寺院前の交叉点で、一場の演説を試みるつもりだったが、そんな雰囲気では順序だった演説など思いも及ばぬことだった。彼の自身も、いまはすっかり吹き飛んでしまい、絶望に陥っているのが、誰の目にもよくわかった。憂悶に歪んだ彼の顔には、汗がたらたら流れていた。とうとう彼は知った――おれは破滅だ――彼の全生涯は、この凄惨な失態のなかに、木っ葉微塵と砕け去った。
 ブレエスチャアチの町にくると、彼は友人の一人である区長スミスの住宅に、はいっていった。しかるに区長は、同情は示したが、女王に不忠ではなかった。そして、市長に相談してくるというのを口実に、家を出ていってしまった。エセックスは再び街頭に出た。そして、一味の多数はすでに行進から脱走し去っているのに反して、政府軍はいよいよ対抗姿勢を整えていることを知った。彼は邸に帰ろうと決心した。だが、ラッドの市門まできてみると、通路はすでに封鎖されてあった。ロンドン大僧正と、サア・ジョン・リイヴスンとが、幾人かの兵と善良な市民を狩り集め、門の隘路に鉄条を張っていた。反乱人たちは突撃し、反撃を受けた。サア・クリストファが負傷し、小姓が一人、殺されたほかに、幾人かの瀕死の手負いを出した。エセックスは川におりていった。一隻のボートに飛び乗り、エセックス邸に向かって漕ぎだした。邸内には水門をくぐってはいっていった。見ると、閉じこめてあった枢密議員たちはすでに書斎からのがれ出て、白宮殿に帰ったあとだった。急いで、後の証拠になる書類を、首に掛けた例の黒革巾着のなかの物とともに裂き捨てると、邸に防寨を施し始めた。が、はやくも女王の軍隊は、海軍卿に率いられながら、邸に迫っていた。大砲まで持ってきている。抵抗しても無益であることは明白だった。エセックスは無条件で屈服し、即刻、身がらをロンドン塔に送られた。

第一五章


 政府はなんの危険にもさらされなかった。もっとも白宮殿ホワイトホールではいくらか不安な瞬間もあったにちがいない。全市が伯爵の煽動に呼応して、その結果が恐ろしい争乱となる、というようなことも考えられるのだった。だが、エリザベスというかつて人間としての勇気を取り落としたことのない女王は、活気ある平静を持して事件の推移を待った。いっさいが鎮圧されたとの報告を受けたとき、そして、彼女は庶民の忠誠に信頼して宜しいのだと知ったとき、顧みて彼女はなんの混乱も覚えなかった。そして、エセックスとその一味を即刻審問に付すべきことを命令した。
 百人に近い人物が監禁された。枢密院はただちに巨魁らの取調べにはいった。たちどころに、過去十八カ月に渡る陰謀の全貌が、スコットランドのゼエムス王との密通と、マウントジョイの暗々の加担に係る件と併せて、暴露された。二人の伯爵、エセックスとサザンプトンとの審問は二月十八日、上院の貴族の特別委員会の手に託されることに決まった。事件の告発は、いかなる体系のもとになすべきか? スコットランドに関する犯罪事実はなんであれ、いっさい触れないこと、および罪のマウントジョイにある事実については、なにぶんにもアイルランド平定に彼は必須の人物ゆえ、これまたいっさい黙殺することに、とくに決定された。そのように微妙でやっかいな細目は詮索しなくても、大逆罪の証跡はたっぷりあろうというものである。
 ベエコンは幾人かの、それほど重要ならざる犯人に対する予審判事としてすでに起用されていた。そして、いまや事件告発の一委員として活動するよう命じられるにいたった。彼はなんの躊躇も、危惧も示さなかった。このような立場におかれたとき、これがベエコン以外の精神だったら、きっと煩悶したであろう。けれども、彼は完全な明晰さをもって、伯爵の要求と国法の要求とを区別することができたのである。私的な友情と、私的な恩義は一つの物である。国家の要請によって一役受け持つという公的義務は、他の一つの物であった。といって、判事の席に坐るのが彼の役ではない。彼はただ国家の法律家として、しかも上院の貴族らの面前で取り扱ってみせるだけのことである。疑うまでもなく、この訴訟に参加することによって、彼が相当の収穫を刈り取るだろうことは確実だった。単に経済的な見地からのみいっても、この事件は彼にとって神のくだされ物だったにちがいない。それにまた、ここでいっそうある人の御機嫌を取りむすぶ機会にもありつけるというわけであった。
 ある人とは、いまやイングランドにおいてもっとも偉大なる権勢家――彼の従兄、ロバアト・セシルである。だが、そういう理屈だから、なおのこと、お役は御免を蒙ったほうがいいか? などと忖度するのはお笑い草である。法官は国家に給を受けている、という理由から、彼の動機はつねに公明正大だという結果が出てくるだろうか? その他に、もう一つ、こみいった事情があった。政府にとって、政府の支持者の一人にフランシス・ベエコンを加えることの有利であるのは、明白だった。伯爵は彼の保護者パトロンであり、彼の兄の親友だった。そして、もしそのベエコンが、いまや伯爵を告発する者の一人としてたち上がろうとしている、といえば、公衆に与える効果は、たしかに偉大であるにちがいない。もし、その反対に、せっかくのお役を拒絶しようか、たちまち彼は女王の御機嫌をそこね、現実に処罰される危険を冒すこととなる。これは彼にとって、一生の運の終末を意味するだろう。たしかに、こんなとき躊躇するのはあほうだけである。政府の目指すところ奈辺にあるかは、ベエコンの知ったことではない。そして、もし、義務を行なうことによって災いを避けたとなれば――いっそう宜しい! ベエコンにあっては、この区別は白日のごとく明らかだった。
 いままでに、彼の知性がこれ以上の満足と、美しい確実性をもって働いたことは一度もなかった。立場の弁解は完全である。ただ一つこの弁解に弱みの点がある。それはすこしでも弁解をやったという、この一点であった。凡人はもっと正しいやりかたをしたであろう。これは普遍の人情を大きく掴むべき機会であって、鋭利な知能の剃刀を使うべきときではなかった。伯爵の長い友情と高い寛仁と、そして感動的な渇仰を忘れて、その失脚に笞打つ仲間に加わることが、どんなに嘆かわしい破廉恥であるかを、ベエコンは知ることができなかった。サア・チャアルス・デエバアスは賢明な人ではなかった。けれども彼の恩人に対する絶望の帰依心というものは、いまも歴史の枯れ野原のなかで、懐かしくかんばしい。ベエコンの場合では、そのような無考えなヒロイズムが必要なのではなかった。ただ棄権する、それだけで充分だったのである。たとえば、棄権したために女王を怒らせたなら、ケンブリッジに隠遁するがいい、浪費生活から足を洗うがいい、ジョンの徒を解雇するがいい、そして、彼があれほど愛着した科学に精進すべし。もしそういうふうにやったのだったら……だが、これは不可能なことだった。そんな性格でもなければ、運命でもなかった。大判事の法服が彼を待っている。大蛇の精妙な威厳に感染した彼であった。彼は巻いたとぐろの長すぎる長さを、そのままいっぱいに伸ばさなければならぬ。人はぎらぎら輝くいいまわしに目を瞠り、恍惚となる。人は顔をそむけようと焦り、しかも背を向けえない。
 当時の政治裁判は、一種お芝居めく形式事にすぎなかった。司直の手によって判決文はあらかじめ決定しており、訴訟記録は当時の権力者が、被告に対する告発理由を公表できるようにつくられる。――当面のエセックス事件は、法律の適用上有罪であることになんの疑問もなかった。すでに上院の法廷は、判事たちの意見を聞いている。判事たち、答えて曰わく、八日の日曜日におけるエセックスとその一味の行動はその意志のなんであったかにかかわることなく、おのずから大逆罪を構成すると。しかし、市街を歩くだけが、そのような恐怖すべき結果を伴うとすれば、公衆の感情は恐慌を起こすであろう。しかるに告発文の狙いどころは、エセックスは恐ろしい計画的な謀叛によって有罪であるという点を示すにある。事件のもっとも重大な一面――スコットランド王との密謀の件が暗黙に伏せられなければならぬという事実は、王冠擁護の告発官にとっての痛事ハンデキャップであった。被告たちはどんな弁護人をも依頼することを許されなかった。そして、最も重要な参考人の証言は、法廷で朗読された――ロンドン塔の内で聴取されたものであって、いまは照合も査証もする由のない口供書だった。要するに、ほんのすこしばかり上手な処理を加えれば、告発書が世界の賢愚に諒承されるように、被告どもの行為と性格を陰惨化することができる。偶然にもしかし、上手な処理ということこそ、王冠側の大将リーダーであるエドワード・コオクにおいて断然欠くる点であった。先日ヨオク屋敷で演じた頭脳的失態を、検事総長は繰り返した、敵をあまりにも粗野に罵ったために、かえって一般の同情を被告どものうえに呼び集める結果となった。そのうえに彼は、事件の中心論点がうやむやになってしまうほど、とめどなく枝葉の論争に熱中するのだった。
 そうした激論のなかで、エセックスは一度ならず、敵の陣営内に斬り込みを試みることができた。彼は、ラレイがかつて彼を暗殺しかけたことがあると、激越な口調で宣言した。そこでラレイは、この不条理な誹謗を否定するために証人台に立たねばならなかった。そのすこし後に、エセックスは、王座の継承権が侍史によって、スペインに売り渡されているという作り話を持ちだした。すると、幕の後ろで訴訟の進行を傍聴していたセシルが、突然法廷に現われ出たのである。彼は膝をつき、エセックスの讒訴に対して申開きをすることを許されたいと願った。法廷はこの願いを許した。セシルは、相手の讒訴の根拠となっている情報の出所は、伯爵の叔父ウィリアム・ノリスであると暴露した。そこで今度はノリスが呼びだされる番となったが、彼の証言は侍史の無実を釈明した。彼はいう、事実というのは、ただかつてセシルが自分に一冊の本を示したことがあるが、その本では、インファンタの称号がなによりもすぐれたものとしてあった、というだけのことであると、せっかくエセックスの持ちだした糺弾も、これでだめになった。しかし訴訟の進行そのものは、エセックスの犯意を証明する点へは一歩も近づかなかった。コオクが呶鳴ろうがわめこうが、なんにもなるものではない。「君はロンドン塔のみならず、宮廷をも占領したうえ、恐れ多くも女王の玉体を奪い奉ろうとしたのだ――そうだ、女王さまの御生命を害し奉るためだったろう!」 そのような誇張したいいかたは、ただただコオク自身の立場を傷つけるだけのことだった。
 ベエコンはこのような進行を目前に眺めながら、いまやようやく自分が調停に出る幕はきたと判断した。問題の真の係争点――伯爵の動機は正確にいかなる性質のものか――それはいうまでもなく複雑であり曖昧である。彼の精神は極端なもので組み立てられており、おまけに気質が平衡を欠くときている。彼は反対から反対へ突進する。自分の心のうちで、もっとも奇抜な数々の矛盾が根をともにするのを許し、それが並んで生えるのを培い育てる。彼は愛し、かつ憎む。――同時に忠実な下僕でもあり、謀叛人でもあるのだった。
 つねに謀叛の思想を、すくなくとも謀叛の計画を胸に育むが、しかも発作的に、ロマンチックな忠義心と、良心的な後悔をその間に差し挟むのだった。軍隊の先頭に立って、母国イングランドを侵略するのだと鞭をあげた彼が、くるりと回れ右して、軍隊をチロオヌの攻撃に差し向けたではないか。そして、取巻き連にはそそのかされ、女王への怨みには駆りたてられて、彼はついに破れかぶれの行動に飛び込んでしまった。けれども、最後の瞬間まで、その性質には根のある悪意はすこしもなかった。セシルが祖国を裏切っている、そう信じることには、偶然にも、多少の根拠が後年与えられる仕儀となった。というのは、それから四年後に、あれほど忠誠な男ではあるが、セシルはスペインから年金を受ける身となったのである。エセックスが、自分の大望に確信を持っていたとすれば、要するに自分は事をうまく無血革命に導いてやろう、セシルやラレイを、あまり荒々しく突き飛ばしてはならぬ。かくて、彼の真の愛情、真の崇拝心、真の野心への路は、再び開かれるであろう――すなわち、燦爛たる幸福のうちに真に女王は彼のものとなり、彼は女王のものとなるだろう、死が二人を隔てるまで、そういう夢だったにちがいない。そしてフランシス・ベエコンは、この世界においてこのような心理を理解するには最後の男だった。それは、ベエコンの至高なる実証的知性の、輝かしい範囲からもっとも無縁な心理であった。いくら理解しようと望んだところで、「随想集――または助言集」の著者には、支配するものが理性でなく感情であるがごとき心理を、理解しようと望みはしなかった。彼の胸から、同情の念は遠すぎる。現実の事実はなんであるか? ただ事実のみによって、行為の判断は可能なのであった。いまや被告の狡猾な遁辞を、冷静に、しかも断乎と一掃し、判官の、そして公衆の注意力を、現在お互いの仕事の生々しい中枢点に集中せしめるのが、彼の役目であった。――被告の行為の意義はなんであるか、衆目をこの肝要点に集中せしめなくてはならぬ。
 ベエコンはみごとな技巧をもって、列席の上院議員たちの教養に敬意を表するしるしとして、自己の演説を、古典のなかの一事件で飾った。彼はいう、すべての歴史は次のことを明白ならしめている、「どんな謀叛人も、かならず、もっともらしい口実で彼の犯行を彩るということを」 エセックスは「その彩りに、幾人かの大人物と顧問官を君側から引き離すという口実を用いました。さらにまた、彼が敵呼ばわりをしている人々のために、自分の邸で殺されはしないかという恐怖から立ち上がったとも弁解しております。かかるがゆえに、彼は余儀なく市中に飛び出し市民の救援を求めた、とかように申すのであります」 彼はあたかも「ピシストラアッスに似る者でございます。古代の記録によりますに、昔、ピシストラアッスなる人物は、自らの肉を抉り、傷つけ、血だらけになりましてアテネの市中に転がり込み、おれは追跡されている、おれはもうすこしで殺されるところだったぞと、吼えまわったのであります。自らつくりあげた負傷と危険をもって、市民を動かして同情を買い、自己の立場をつくることができると、彼は考えました。すべて彼の目的と企みは、市政府をわが手に収めるところにあり、それによって市政の面貌を変えようとするところにあったのであります。あたかもこのピシストラアッスの場合にさも似たる嘘つぱちの危険と被害を口実として、エセックスの伯爵はロンドン市中に行進したのである」しかし現実には、「彼はそのような敵は持たず、そのような危険になんら迫られてはいなかったのです」犯罪行為は一目瞭然である。「かつ、閣下よ」――と彼は被告のほうに向き直って――「この点については、あなたが用意される回答、あなたがいいえられる弁明がなんであろうとも、それはいっさい無力であります。ゆえに思う、あなたにとって最善の方法は、釈明なさることではなく、告白なさることでありましょう」「私はあえてベエコン氏に訴えて、ベエコン氏を糺弾するものであります」と彼は答えた。そして、ほんの数カ月前に、いまここでエセックスを論告している人が、どんなふうに女王に送るエセックスの手紙を代作したかを法廷にさらけだした。その代作の手紙のなかで、エセックスの立場は「私自身で書いたごとく、巧みに取り繕ってあるのです」するとベエコンは「そのような枝葉末節は」と冷淡にいった「場違いの議論であり、また問題にするにもたりません」いわゆる代作の手紙は無害なものである。「かつ」と彼はつけ加える「私は何事にも増して、いかにして伯爵を女王と祖国に対する善良なる臣民たらしめんと、努力もし、時間も浪費したのでしたが、それがいっさいむだだったわけであります」
 そこで、彼は着席した。審理は再びコオクの司会下に戻った。一揆の共犯者たちの陳述書が読み上げられた。ついに検事総長が、犯人の無信仰についての一場の演説のあとで、反証の供述を差し許すと、もう一度、法廷は混乱に陥り、そしてもう一度ベエコンは中心的争点に注意を集中さすべく立ち上がった。「本官は、いかなる事件においても、かようの特典が被告に与えられたるを見たことがないのであります」と彼はいった。「かくも多くの枝葉にわたる、区々たる反証の供述。この隠れなき大反逆事件にとっては、あまりにも末梢的な抗弁にすぎますまい」 彼は事件に対する判事の法的解釈を高らかに朗読して、言葉を続けた。「秘密に協議したところを実行し、徒党をなして武装し武器を取って市街を行進した――これだけでなんの弁解がありえましょう。どんなのんき者が、これを反逆以下と見るでありましょうか?」そのとき、エセックスは言を挟んで「もし私が自分の個人的敵対者以外の者を狙って行動したとすれば、どうしてあのような取るにたらぬ人数で行動を起こすでしょう」と抗議した。
 ベエコンはちょっと口を噤んだが、やがて伯爵に直接向かって答えた「あなたの率いられた人数が問題ではありません。問題は、あなたが市民に期待し希望された助力にある。パリのバリケード戦の日に、ギイズ公が胴着を着、長靴下を穿いて、自ら街頭に躍り出たとき、公に従う者は僅か紳士八名にすぎませんでした。しかも公は市民のあのような支援をえた。この点あなたはロンドンで(神よ、感謝しまつる)失敗されましたがね。ところで、ギイズ公の行動はどんな結果を生みましたか? フランス王は、市民の狂暴を避けるために、巡礼姿に身をやつして、そっと亡命せざるをえなかったではありませんか。これもまた」とベエコンは貴族院議員たちのほうに振り返りながら結論した、「これもまた、諸卿の深く同意さるるところと信じます。エセックス伯の市民に対する要求も、またここにあったのであります。――市街を大音声で触れて歩き、キスを撒き散らすなど。いずれにしても目的が反逆にあったことは、すでにいままで充分に立証されたとおりであります」
 痛い所を鋭く衝いた。ギイズ公になぞらえたところなど、公の反乱(一五八八年の出来事)がまだ人々の記憶に生きているだけ、いっそう現実性があるわけだった。そんな言いかたをしたベエコンの[#「ベエコンの」は底本では「ベイコンの」]狙いどころは、他にあるはずはない。ただ一つ、つまり女王の心を捉えたいために正確に計算した言いかたであった。そのような適切な譬えで、女王の御覧に供えるなどはまさに誹謗の極地であった。この論告はもちろん、女王の耳に届いたが。現実には、論告は他のある男に聞かせたかったのである――姿の見えぬ聞き手、いかにも劇的に姿を現わしたあと、すぐ垂れ幕の後ろの自分の席に退いたあの男に聞かせたかったのである。侍史の、ベエコンと血のつながる智慧は、論告が絶妙に含蓄するところを残る隈なく鑑賞した。わが従兄のやることはすばらしい。伯爵は黙ってしまった。フランシス・ベエコンの仕事は終わった。二重の舌は一度たたいた、そしてもう一度たたいた。
 エセックスとサザンプトンの二人の被告が、ともに有罪と宣告されたのは不可避的である。そして、大逆罪の起訴理由書が、いつもの形式で発表された。審問の試練を受ける間、エセックスは終始大胆であり、威厳と平静を保持していた。しかるにいま、ロンドン塔に帰るや、彼は物狂おしい反動的な激情に陥った。ある清教派の坊さんが教誨のため彼の檻房に送られたが、このお坊さんは巧みに彼の良心をついた。エセックスはすっかり崩れた。自恃も自尊心も――すべて痛ましい愁嘆の氾濫に押し流されてしまった。彼は枢密院の議員諸公に告白したい一事があるといいだした。議員諸公は監房に来た。そこで彼が告白するに、自分は惨めな罪びとであり、神の審判の座に対して卑しい敗残者である、と。そして、自分の許されえぬ罪悪について泣きかつ叫び、進んで自分の身かたたちの陰謀や、大それた密議や悪行の数々を摘発した。彼は身かたのすべてを罵りたてた――彼の継父を、サア・チャアルス・デエバアスを、ヘンリイ・カッフを――彼らが自分を煽てあげて、この嫌悪すべき犯行に導いたのである。自分の妹だって、同じことだ! 諸公よ! 彼女の犯した罪を数えたら、一つや二つではたりないではないか? 「よくよく彼女に注意し給え」とエセックスは叫んだ「彼女の心は傲慢なのだから!」――この言葉に、マウントジョイについての悪口や、偽りの友情や、結婚の契りの裏切りやらについて、暴露的な数言をつけ加えた。次に、彼は再び自分の大逆罪を振り返っていう「私は私の罪を知っている。陛下に対し、また神に対して犯した罪を知っています。私はあなたがたに、私こそ地上にかつてあった謀叛人のなかの、もっとも大なる、もっとも卑劣な、もっとも忘恩的な謀叛人であることを告白せざるを得ない者であります」
 ロンドン塔のなかで、このような人間的弱点と卑屈の痛ましい披瀝が展開されている間に、一方エリザベスは白宮殿の奥深くに、ひっそり閉じこもっていた。死活の決は、彼女の恐ろしい掌中で、渦巻き震えながら、目前の未来に迫っているのだった。
 最後の決に到着するまでに、彼女がどんな路を辿ったかは想像に難いことではない。彼女が実際にさらされたという危険は――ベエコンがどんなに思い出させてくれたにせよ――彼女にはすこしも事件の持つ重大要素とは考えられなかったにちがいない。――自ら腰がくだけた形で、とても法の極刑に値するとはいえないほどの、薄弱無効果の行為だった。もし、他の理由で、彼女が慈悲を示したい気持ならば、死罪に代えるに、たとえば、幽閉ないし蟄居をもってしたところで、その口実は充分にあるはずだった。なるほど、スコットランド王ゼエムスとの密通が、事の面貌をいっそう深刻なものにしているが、しかし、それが流産的な事実であることは、すでに証明されてある。では、慈悲を示すための、他の理由がなにかあるか? あるとも、なによりも確実に、それはある。だが、それらの理由は、法律的な理由とはならない。政策的な理由にもならない。それは純粋に私情である。そして、私情であるところに、もちろん、それらの理由の根強さがある。
 かりにいま、一とき前の悲惨な過去を水に流すとすれば――もう一度仲直りをし、新しい感激をもって昔の幸福を取り戻すとすれば――どういう邪魔がはいるというのだ? たしかに、邪魔はなにもない。それだけのことをする権力は、彼女にある。彼女は、自分の意志をとおし――出仕差し控えのあとで、あの男は再び彼女のお側に帰るであろう。としたところで、誰が彼女をとやかくいおう。セシルだって、黙々として、事情やむをえずと認めるにちがいないのを、彼女はよく知っている。そんなふうで――彼女は心楽しく欲望の流れに身を浮かばせた。が、長くは続かなかった。空想のなかに無限にとどまることは、彼女には不可能だった。すぐ、具体的事実に対する彼女の敏感性が、ぬっと前面に葡い出てくる。――陰険、しかも、これこそ最高の力だった。それは無慈悲な指先で、空想のバラ色の楼閣を、こなごなにむしり取るのだった。彼女自身の感情がどうあろうとも、彼の感情はいまも分裂し、いまも危険であり、いまも根強く頑迷であることを、そして、たとえ今度の破局は払い清めても、そのあとには再び新しい、いっそう悪い破局が見まうであろうことを、彼女は明白に知る者だった。
 だが、しかしやはり彼女はこの危険を冒してはいけないだろうか? どうして、昔のゆきかたで、昔の冒険を、ほんのちょっぴりも、この老後に楽しんではいけないのか。――むりな帆の曳きかたで、力いっぱい風に逆らいながら、ボートを急転回する、あの快味を、なぜ味わってはいけない? あの男をして、いくらでもスコットランドのゼエムスと密通せしめよ、彼女は取り扱う術を知っている! 彼と角力し、彼を手玉にとり、急所を押え、そしてお慈悲で許してやろう、――荘重に、歓喜のなかに許してやろう、何度でも、何度でも! もしそれで自分のほうが負けたなら、よろしい、それも新しい経験だ。そして――ああ何度繰り返してこれをいうことか!―「変化の多いほど、自然は美しい」 そうだとも。真に彼女と自然は同じことだ――変化が多い、美しい……たちまち、いまいましい記憶が、彼女をはっとさせた。恐ろしい暴言が、彼女の胸に響き返ってきた。「ひん曲がった」――死骸。そんなふうに、彼は彼女を見ているのだ! あの男が、この自分に彼一流の砂糖だくさんの讃め言葉を注ぎかけるその裏で、あの男はこの自分に胸を悪くし、この自分をさげすみ、嘔吐を催していたのだ。そんなことがありうるだろうか? では、二人の長い愛の歴史は、一の長い破廉恥な欺瞞だったというのか? かつて一度は、たぶん、彼は本当に愛してくれたと思うが?――一刻は一刻と、二人の間の絶望的な深淵を拡げてゆく。かつての愛、そんな夢は愚の愚なるものである。彼女は、鏡台を見ないほうがいい――自分の顔がどうなっているかは、知りすぎるほど知っている。もはや、六十七歳の、哀れなお婆さんだった。彼女は真理を潔く承認した――いっさいの真理を――ついに承認した。
 彼女の壮大なる虚栄――はけ口のないロマンチシズムが立てこもる、虚栄という城砦は破壊され、その廃墟の上に、瞋恚と憎悪が、旗をたてたのだった。あの男はありとあらゆる意味で彼女を裏切り――精神的にも、感情的にも、物質的にも、裏切った。女王としての彼女をも、女としての彼女をも裏切った。全世界の面前でも裏切り、心の甘やかな、秘密においても裏切った。それでもたらず、彼はあのような騒擾を犯すものに当然な天罰さえ、免れうると実際にうぬぼれた。――彼女に対抗しうると夢想した。――いまや目醒めて泣いているか? 彼女はなるほどヘンリイ八世の娘だった、いかにして領土を統治し、いかにして最大の寵を仇で返した不忠者を罰するかを、よく心得たヘンリイ八世の、彼女が娘だったことを、エセックスよ、いまこそ思い知ったであろう。
 彼女の父の運命は、一種の深い因縁で、彼女の運命の内に反復された。ロバアト・デヴリウ(エセックス)が、アン・ブウリンの後を追って首台に坐るべしとは、まさに配剤の妙に叶うことだった。彼女の父王……だが、この父と娘は、似るところがあると同じ程度に、違うものを持っていた。これはおそらく父の反復ではなく、復讐であろうか? エリザベスの一生の、長い月日の尽きるとき、驚くべき一生の完成を告ぐるとき、最後に現われ出た者は、彼女の殺された母であったというのか? 旋回は完全に一回転した。男性的気質――魅惑的だが嫌悪すべき本質である、――その男性的気質はついに放棄された。それはあの謀叛人のからだとともにこの世の外に抹殺し去るべきだった。文字どおりに、たぶん――彼女は大逆人に対する刑罰がなんであるかを充分に知っていた。いや、知らないねえ、にやりと彼女は残忍な微笑を洩らした。あの男の貴族としての特権まで剥奪しようとは思わぬ。とてもたくさんの男が、彼より以前にわたしのために苦しんだ――なかんずく海軍卿シイモアはその最たるものだが、そのように、エセックスもまた、わたしのために苦しんだら、それで充分である。首をちょん切ってやったら、それで充分である。
 かくて、これが偶然にもエリザベスが、なんの躊躇をも示さなかったという、一生一度の機会とはなったのである。審問は二月十九日に始まり処刑は二十五日と定まった。もっとも、ほんのすこしの逡巡は、もちろんなければならなかった――にもかかわらず、その逡巡はほとんど目だたないほどのものだった。二十三日になると、勅使を派して、処刑を延期すべきことを命じた。二十四日には、もう一度勅使をやり、やはり処刑は所定の期日たる明日行なうが宜しいといった。そして法の運用に関しては、以後再び妨害しなかった。
 エセックスはなんの愬えも発しなかった。涙の哀訴がなんの役にたつであろう。エリザベスが、おのれの心の叫びに耳を塞いでいる限り、他人の叫びを聞いてくれるはずはないのである。終局は無言のうちにきた。そして、ついに彼は理解した。彼女の手にかかった他のあらゆる犠牲者と同様に、彼もまた、彼女の性格をぜんぜん誤認していたことに、あまりにも遅く気がついた。あまりにも遅く、彼女を支配しようとしたのが大間違いであったこと、あの大仰な逡巡と譲歩の組立ては、単に人の目をごまかす念入りな表玄関にすぎず、一歩はいった内側はすべて鉄壁であったことを、理解したのであった。ただ一つだけ、彼は願い出た――処刑が公開を禁止されんことである。これは快諾された。なぜなら、彼に同情する民衆的動揺の機会は、なお皆無とはいえなかったからである。彼以前のあらゆる政治犯の例によって、彼もロンドン塔の中庭で首を刎ねられることに決まった。
 そして、そこに、一六〇一年二月二十五日の朝、いよいよ行なわれる処刑式典に立会人たるべく指定された者の全員が集合した。そのなかに、ウォタア・ラレイがいた。親衛隊長として、ここに出席するのは彼の義務だった。だが、犯人はたぶん自分になにか言葉をかけるであろう、そこで彼はずっと首切台の近くに席を取った、すると周囲にひそひそ囁く声が起こった。偉大な伯爵が、浅ましくも落ちぶれたからとて、その政敵があんな近くに陣取って嘲弄の凱歌を聞かせようというのか? 胸糞の悪い! それを聞き、ラレイはむっと黙りこんだまま、そこを退いた。彼は白塔ホワイトタウのなかにはいってゆき、塔上の武器庫に上っていった。そこの窓から、帝国主義の予言者は、中庭の情景を眺めおろした。
 式典は短いものではなかった。時代は、このような場合にも荘厳な形式を要求したのである。
 エセックスは黒い帽子に黒い長服の姿で、三人の僧職を伴いながら現われた。断頭台上に上るや、彼は帽子を取り、列席の貴族たちに礼をした。彼は長く熱心にしゃべった――半ば演説であると同時に、半ばは祈祷であった。彼は自分の罪を告白する。一般的な罪と、特殊な罪の二つながらを。彼は若い、と彼はいう――ときに三十四歳だった――そして彼は「その若さを放埓と、色欲と、不浄に投げ与えました」 かつて「傲慢と虚栄と、世俗の快楽に思い上がった私でもありました」 彼の罪は「この頭の毛髪の数よりも多い」 そして彼はいい続ける「うやうやしく、救い主クリストに願うらくは、永遠の神のみ許しを我にもたらす仲だちにてあらせ給え。とくにこのわが最後の罪、この大なる、血なまぐさき、かつ慟哭に満ち、毒性を持つ罪を許し給え。この罪は、私を愛する人々を誘い込んで神を侮らせ、彼らの君主を侮らせ、彼らの世界を侮らせました。せつに神のみ許しの我らにあらんことを、私に――なかんずくもっとも卑しき私にあらんことを」 彼は女王の安寧のために祈った。「かの一揆に当たって、私がけっして女王の死を目的としなかったこと、玉体に障るようなことは、けっして志さなかったこと、このことをあくまで私は主張します」 なお重ねて宣言する、彼は断じて無神論者でもなければ法王支持者でもない。ただひたすら神の救いの、ただ「救世主クリストの情けにのみ縋ってもたらされんことを希う者であります。そして、その信仰のなかに、喜んで死ぬ者であります。願わくば、列席の諸卿、わが祈りに諸卿の魂を和し給え」 彼は息を入れ、長服を脱ごうとした。
 そのとき、一人の僧職が、もう一つ、あなたの政敵のために、神のみ許しを祈ることを忘れてはなりますまいといってくれた。彼はそれを果たし、それから長服と襞襟を脱ぎ捨てると、黒の胴着一つになって、首台の前に膝を折った。他の一人の僧職が、死の恐怖に打ち克ち給えと彼を激励した。それに対する彼の率直で荘重な告白によれば、かつて一度ならず彼は戦場で「肉体の弱さを実感した。それゆえに、今日の偉大なる闘争にさいして、神助をえ、死に打ち克つ勇気を」彼に恵まれんことを望んだ。その後で、天を仰ぎながら、いっそう熱烈に、全能の神に祈った。首斬役人は彼の前に膝まずき、彼の許しを乞うた。彼は許した。僧職たちは「信経クリード」の復誦を彼に要求した。彼はそれをやって退けた。一句一句を順々に反復したのだった。彼は立ち上がり、胴着を脱いだ。するとその下に着た緋の胸衣が同じく緋の長袖とともにむき出しに現われた。されば――すらりとして美しく、無帽の頭の毛は金色に肩まで垂れながら――彼はこれを最後に、世界の前に立つのであった。かくて、振り返り、首台の前に低く低く身をかがめ「両手を伸ばすのが、わが用意の整った合図と知り給え」といいながら、処刑台の上に平らに身を伏せた。「神よ。み前に身を投げ伏す下僕を、憐れと思し召せ!」そう叫び、頭を横にして低い首台の上に置いた。「神よ。おん手のなかに、わが魂を任せまつる」 しばらく息を呑んだ。たちまち袖赤き両手の前に伸びるのが見えた。首斬人の斧は宙に渦巻き、はっしと打ちおろされた。彼のからだはみじんも動かなかった。しかも、そのからだから首が離れて、血が吹き出るまでは、兇暴な打撃はなお二度までも繰り返された。首斬人は身をかがめ、毛髪を掴んで拾い上げた首を、検視人の前に持ち上げながら、絶叫した。
「神よ、女王を恵み給え」(God save the Queen !)

第一六章


 サザンプトンの生命は、助けられることとなった。まだ若いのだし、エセックスへの奉仕もロマンチック以上のものではなかったというのが、彼の不埒に対する酌量材料として認められ、死刑宣告は、ロンドン塔への幽閉に振り替えられた。サア・クリストファ・ブラウントと、サア・チャアルス・デエバアスは首を刎ねられ、サア・ジリイ・メリックと、ヘンリイ・カッフは首を絞められた。他の幾人かの謀叛人が巨額の罰金を徴せられたが、上述のほかに死罪はいい渡されなかった。エセックス邸に兄と同時に監禁されていたペヌロオプ・リッチは釈放された。勝利の日に、セシルが持った一つの望みは、どんな憎悪をも示すまいということだった。彼はその本能的な温良性を思うがままに発揮しながら、エセックス夫人に厚意を示すべき機会がきたときも、彼は猶予なくそれを掴んだ。
 エセックスに身かたした一人にダニエルという者があった。この男はエセックス生前の私書を幾通か手に入れていたので、その文章を改竄して写しを取り、これを公表するぞとおどしながら、伯爵未亡人からゆすり取ろうとしたのだった。彼女はセシルに訴えた。セシルは時を移さず行動した。悪漢は捕縛されて、星法院スタア・チャンバアに送られたが、被告は彼女に二千ポンドを提供するうえに、もう一千ポンドを罰金として政府に収め、なおまた、生涯入牢させらるべきものなりといい渡した。そして――「右ダニエルの上述の犯罪に対する懲罰は、これを単に公衆の耳目に供うるにとどめず、またもってしかと今後の見せしめとなるを要す。この趣旨により当法廷は、上述犯罪の廉をもって、右ダニエルを首手かせに掛け、その耳を枷に釘付けとし、その額には左の文言を認めたる紙片を貼布すべきことをここに宣告し、命令するものなり。――額に貼布する文言に曰わく、私書偽造と、醜悪なる恐喝と、数々の卑劣なる犯行によりて罰せらるる者なり」エセックス未亡人は、当然、感謝に堪えなかった。セシルにあてた彼女の礼状はいまも残っているが、それを読むことによって、この伯爵夫人が、ほんの瞬間、われわれの一瞥の中にはいってくる。眩いほど照明された舞台のうえに、模糊としたものに包まれながら、影のように動く姿、一人のこよなく美しい女、たぐいなき魅力を持つ女――もう一つ、有り余るほどな生活力を持つ女である。というのは、シドニイとエセックスと、二人もの良人を先立たせた未亡人が二年後に、三度目の結婚をしたからである。――相手はクランリカアドの伯爵だった。ここで、彼女は歴史から消え去っている。
 蜂起は民衆の間になんの反響をもひき起こさなかったとはいえ、政府はいささか寝醒めが悪かった。エセックスは政治的陰謀の犠牲者だったのではない。彼は真に恐るべき謀叛人だったゆえに、正当な刑罰を受けたのだ、そういうことを公衆に納得させるのが、焦眉の急だった。聖ポウル寺院の説教者は、右の宣伝を説教に織り込むよう命じられた。が、それだけでは、まだたりない。そこで事件全貌の説明を印刷して頒布することになった。ベエコンこそ、かかる仕事の衝に当たるべき人物にちがいない。彼は命令された。かくて「故エセックスの伯爵ロバアトならびにその一党の謀叛行為に関する声明書……付、被告らの陳述と陳述以外の証言。その一問一答の裁判記録よりの、抜萃」と題する冊子ができあがったのである。蜂起は、長い熟慮の後で慎重に行なわれた計画的反乱だったということに、結論づけられなければならなかった。そういう結論が、じつに巧妙にきれいに導きだされてある。被告の陳述も、ある部分はなにくわぬ顔で抹殺されている。そしてただ一箇所だけ、事実を積極的に曲げた、虚偽の記述があった。アイルランド遠征軍を率いて、イングランドを侵そうとエセックスがいいだした時日が、変改されてあるのである。冊子は、その時日は、チロオヌ攻撃の後であって、それ以前ではないと認めている。それによって、エセックス自身ならびにその計画の浮動性と逡巡性をもっとも雄弁に物語る証拠が、巧みに隠蔽されたばかりでなく、逆にベエコンの論拠を肯定するものと化したのである。伯爵がいかに躊躇逡巡したか――最後の瞬間まで彼は躊躇していた――この事実は抹殺して、ロンドン市中の行進は数週間も前に、固く決断されてあったことになっている。結論に導く手品はそんなにも些細で微妙な点に行なわれてあるので、人はベエコン自身はたしてかかる手品を意識してやったかどうかを疑うかもしれない。しかも、このような甘美な遣繰りエコノミーが――誰が知ろう。ヘビはその秘密を抱いたまま、匐い去ってゆく。
 この奉仕の報酬として、フランシス・ベエコンは女王から千二百ポンド頂戴した。以後みるみるうちに、彼の財的境遇はよくなっていった。エセックスの破局から三カ月をすぎて、兄アントニイ・ベエコンは、この世ではけっして恵まれなかった休息を、ついに見出した。恐ろしい事件の連続――主人を失い、弟を失い、希望は破れ、そして勝ったものはばかと、食欲と、意地悪の徒だった。――そのことごとくが、荒廃した彼の健康の最後の支柱だった精神力を、たけだけしく何物にも屈さぬ精神力を、挫いてしまったのである。彼は死に、そのちっぽけな遺産はフランシスが相続した。未来は輝き始めている。財産――繁栄――官能と知性と二つながらの大なる満足――才能と教養と権力との群がり立つ生活――だが、それがきたときには、喜びを頒つ家族のものは一人としていないのだった。ただ奇妙な喚き声が、ゴオハンベリイの静寂を乱すのみだった。その村の住人、老ベエコン夫人がとうとう正気を失ってしまったからである。狂乱したお婆さんは、よろめき、よろめき、老衰の極に達した。忘却が、彼女の上を蔽った。
 支配権は、ロバアト・セシルの手にはいった。しかし、偉大な政敵がやっと影を消したと思うと、はやくも新しい危機が、一生をとおしてもっとも重大だった危機が、彼に襲いかかってきた。スコットランドからマア伯爵がロンドンに到着したのである。ゼエムス王の使者は、せっかくきてもイギリス宮廷でなすべき仕事はなにもないというわけで、当惑しながら滞在していた。そこへセシルが使者をよこして、密談を遂げたいことがあると申し込んできた。侍史は、未来のキイがどこにあるのかを見抜いていたのである。自分は心からスコットランドの王様のお力になりたいと思っているものである、そういう話をして、セシルはマア伯をすっかり信用させることができた。もしゼエムス王にして、王冠要求の政策とその潜行操作を放棄されるならば、そしてもしこのセシルを信頼されて、事の処理のいっさいを自分に信託されるならば、王はかならず、機到って塾柿の落つるとき、イングランド王冠がなんの危険もなく移動して、御自身の手に渡るのを御覧になるだろう。マア伯は深く心を打たれて、エジンバラに帰り、セシルの申出に従うことがいかに断然有利であるかを、ゼエムス王に納得させることができた。やがて密書がゼエムス王と侍史セシルの間を往復し始めた。セシルの手紙は、用心のために、わざとまわり道して、アイルランドのダブリンを通って届く。それが届くたびにゼエムスは、聡明で穏和なセシルのやりかたに、いよいよひきつけられるのだった。徐々に、辛抱づよく、限りもない静けさで、未来への途上にある障碍は取り払われていった。そして、エリザベスの死という、避くべからざる瞬間が近づくに従って、王の感謝の念は、セシルに対する愛情となり、帰依とさえ高まった。
 見つめ、かつ待っているセシルにとって、なによりも大きな一つの危惧があった。エセックスの没落が、ラレイの勃興を伴った。女王は彼をゼルシイ島の総督に任命したのである。彼女はこの男を外交の舞台に登用しようとしている。結果はどうなることであろう? エセックス事件、この全戯曲の終着が、単に危険な寵臣を一人変わらせたというだけのものであってよいのだろうか。――騒々しいけれど無能であるエセックスのかわりに、陰険な力を秘めたラレイが現われようというのではないか。そして、この不敵な男も、余命いくばくもないエリザベスから、このうえ多くの物を掠め取る余裕はあるまいではないか、とはいうものの、あの空想家で瞞され易いゼエムスに対してどんな致命的な蕩らしかたをするやらわかったものではない。これはたしかに予防する必要がある。セシルはほんの一度だけ、一言、鋭いことをいっただけである。そのかわりに、セシルの腹心として密書往復の片棒をかついでいたヘンリイ・ホワアド卿が、手紙につぐ手紙をもってして毒々しい警告と辛辣な中傷を注ぎ込んだ。ゼエムスはラレイに対して、嫌悪と恐怖のほかの何物をも感じなくなった。ラレイ自身はなにも気づかない。彼と侍史の間には暖かい親交が続いていった。再び、彼は非運の犠牲となったのである。青年時代の希望はエセックスにたたきつけられた。そして、エセックスが破滅した今日は、さらに恐ろしい政敵に直面させられた。彼があんなにも悪を利かして望んだ伯爵の没落は、現実では、彼自身の没落の前口上プロロウグにすぎなかったのである。兵器庫の上から、エセックスの処刑を見おろしたとき、彼の目は涙でいっぱいだった。じつにじつにふしぎなほど、処刑の光景、悲劇の荘厳は、彼を打ちのめした! だが、なにかはしらぬ遠い日の予感もまた、彼を動かしたのではなかったか? 最後には彼自身に巡りめぐってくる運命の図を、おぼろにそこに眺めたのではなかったか。
 偉大な治世はなお二年続いた。が、政務の上を蔽い漂うのは、倦怠と不安の雲であった。かなたの一画にのみ歴史が動いている――アイルランドであった。エリザベスが、マウントジョイを選んだことの正しさは、完全に証明された。無慈悲なまでの熟練と精力とで、彼はすでにチロオヌの軍を衰亡に帰せしめていた。全欧州のカトリックが、反乱のために祈ったのもだめだった。時の法王がチロオヌに不死鳥フィニックスの羽を贈ったのもだめだった。三千のスペイン兵がキンセールに上陸した、それもだめだった。マウントジョイは突撃戦の一挙に勝ちを占め、スペイン軍をして降伏の余儀なきにいたらしめたのである。チロオヌは押し返され、追撃され、急追され、和を提議し、そして降参した。今度こそは、エリザベス王冠の勝利を見たのだった。けれども、チロオヌの奇妙な歴史はここで終りを告げたのではない。大なる殿様として、彼は再びアルスタアのやかたに納まり、突如としてイギリス政府に新しい喧嘩を買って出た。さらにまた突如として、彼は逃亡した――風のごとく消えた。長いこと、家族と随員をつれて、フランス、フランダアス、そしてドイツと放浪しながら彼は絶望の流人であり、曖昧な陰謀の怪奇きわまる焦点、飛んでやまぬ影だった。最後に、法王の懐ろに飛び込み、家をあてがわれ、年金をもらった。このようにして、彼の冒険はこっそり幕を閉じた。――平和と、無聊と、無為の、長いおぼろな歳月のうちに埋もれながら、――ローマの午後の、退屈な時の流れに流されて、忘却のかなたに沈み去った。
 エリザベスは、激情と悲愁の最初の衝撃を、自己の力の限り拒否した。けれども免れようもない反動はすぐきた。エセックス事件をまざまざと思い返す心の重みで、彼女の神経組織はだんだんに崩れていった。気質はいままでにも増して嶮しくなり、移りやすくなった。食事にさえ身を扱いかねた。それもほとんど食べない。「マンチェット(上等のパン)と、キクチサのポタージュ」――サア・ジョン・ハリントンの記録によれば――それ以上のものはほとんど喉を通らなかった。彼女はいつも身辺に一本の剣を備えて放さなかった。そして、神経の暴風に見まわれると、その剣を引っ掴み、狂乱のように飛びまわり、怒って壁掛けを突き刺した。ある日、サア・ジョンが謁見を乞うたとき、取次ぎの侍臣に与えた鋭い返事は「わたしの名づけ児の、あのおっちょこちょいにいっておやり。帰ってゆけ、おっちょこちょいをからかうのは、ここではもう時候遅れなんだよとね」 ときどき彼女は暗くした部屋に閉じこもって、泣きたい発作のままに号泣した。と思うと、ほら、やはり思ったとおりだ、お前たちはあれもしていない、これもしていないと、罵り喚くので、おしまいに侍女たちも泣きだしてしまうのだった。
 女王はあい変わらず日ごとの政務を見るのだけれど、注意は散漫になり、物事を忘れやすくなっていた。側近にあって彼女を見守っている者には、まるで精神のばねが折れたかとも見え、また頭脳をいまも働かせているからくりは、惰性の力にすぎないとも思われるのだった。それと同時に、彼女の体力の衰微も、人を驚かせるものがあった。十月であったが、議会を召集したとき、彼女は痛ましい場面を見せてしまった。重い衣装をつけて、上院下院の議員たちの前に立っている最中に、女王は突然よろめいた。数人の紳士が玉座に走りよって、彼女を支えなかったら、きっと床の上に倒れていたにちがいない。
 けれども実際には、昔ながらの気力はまだ消滅し尽くしてはいなかった。老練な手品師の手は慄えるかもしれない。慄えながらも、その手はしかし、帽子のなかからウサギを取り出して、人をあっといわせる技術をけっして忘れてはいなかった。議会が始まるや、特許権の問題をめぐって一般に深刻な不平のまき上がっていることが明らかになった。ある一定の個人に、一定の品物の専売権を与える、その品物がしだいに多くなり、ようやく人民の負担として感じられ始めたのである。下院で一議員が半畳を入れて「パンも専売にはいっていないのか?」と叫んだ。するとまた他の一人が「いま整理しなければ、パンも勿論さ、次の議会までにくる」と叫び返した。特許権――エセックスの甘ブドウ酒の専売権もその一つであったが――それはエリザベスのけちな根性が考えだした、寵臣や役人に与える恩賞方法だった。それに抗議するということは、大権に対する間接の攻撃にも当たった。このような干渉で、下院から狙われるなど、これまでのエリザベスには、がらにもないことである。だから、いまも、下院議長が玉座に召し寄せられたからとて、議場の誰も驚きはしなかったし、議長は議長で、例によっての大叱責を蒙るものと肚をきめて御前に罷り出た。ところが、彼女は上々の御機嫌で、彼に挨拶を返したのである。そして、彼女もまたこのごろは「朕が差し許した数々の特許権は、さぞかし臣民どもの怨嗟の的になっていることであろう」現にこの件については「朕にとってもっとも煩悶の大きく悩ましかった事件の最中においても」気がかりでならなかったのだと断言して、即刻改正することを約束した。議長は有頂天になって退出した。
 事物を見とおす最高の本能で、あの議会の討論が国内感情を代表するものであることを、彼女は察知したのだった。下院は事の成行きを知って感激してしまった。不平は讃美に変わった。一つの感情は国土に氾濫して、女王に御礼を奏上する下院代表たちが、宮中に伺候すると、彼女は公式にこれを迎えた。「奉仕と感激の念に溢れつつ、陛下のみ脚もとに褶伏しつつ」と代表全員の膝まずくとともに、議長は始めた、「我らのもっとも忠誠こもる感謝の念を捧げまいらせます。しこうして、我らの鼻孔にあらん限りの気力は、捧げてもって陛下の御安泰のために吹き尽くし、吸い尽くすべく誓いまつります」しばらく沈黙が続いた。が女王のかん高い声が、「議長どの。お前たちが、朕に感謝を捧げるために、きてくれたことは、よくわかりました。朕もまた、そのような捧げものをせざるをえなかったお前たちの愛情に劣らぬ歓びをもって、これを受け取るだけの礼を知っています。いえ、朕はかかる捧げものは、どんな宝よりも富よりも尊きものと思います。忠誠とか、愛とか、感謝とかいうものの価値は、とうてい朕には測りきれないほど大きいからです。神は朕を高き位に置き給いました。にもかかわらず朕の王冠の光輝は、ひとえに朕が国民の愛情に沿うて統治してきたというところに発するものと信じます」ここで彼女は口を噤んだ。そして、全員に起立を命じた。
「議会が不平だと聞いたとき、わたしはその法令を改正するまで心が休まらなかった。そして特許権というわたしの御祝儀を罵った下郎や放埓者たちは、この改正でわたしが困りはしないことを思い知るでしょう。なおまた、議長どの。特許権がいけないという知識を、あの人たちから教えてもらったことが、私は有り難すぎるほど身にしみましたと、くれぐれもお礼をいってもらいましょう。これだけはいっておくが、わたしはいままで一度だって、なにもかもわしの物でとおす殿さまでもなければ、浪費家でもなかった。わたしの心はけっして世俗の幸福を追い求めはしなかった。ただ、ただ民の幸福ばかりを思い暮らしたわたしです」と再び口を噤み、それから「人の王として、頭に王冠を戴くこと。それは、はたで見るものの目にあんなにはなばなしく映るほど、本人にとって愉快なものではない。王冠の煩わしさ、厭わしさは、老練な医者がすすめる薬に似るとでもいおうか。なにかおいしそうな香気はつけてある。でなければ、あの鍍金した苦い丸薬です。それで飲みやすいかと騙されて飲むと、もともと苦くて口当たりの悪いのに変りはないのです。もし神に授けられた義務を果たしたい良心、神の栄光を支え国民を安寧におきたい良心、そういう良心さえ問題にしなければ、いつでも喜んで王位を誰かに譲って、仕事ばかり多いこの光栄から御免を蒙りたくてしょうがないのです。というのも、わたしは、自分の生命いのちや統治がお前たちにおもしろくなくなったあとまで、生き残ったり治めたりしたいとは、さらさら願っていないのだからね。あるいは、お前たちは、わたしよりずっと強力な、お悧口な君主をたくさんこの玉座に迎えたことがあったかもしれない。将来もそういう君主は出てくるであろう。けれど、昔も、将来も、わたしほど国民を愛した君主を、お前たちはけっして持たないでしょうよ」
 最後の努力とともに、彼女はすっと聳えて立った。ぎらぎら輝く目だった。ラッパの音が起こり、くるりとまわって背を者どもに向けると、裳裾は長く――後ろ姿の背の高さ、恐ろしさ――彼女は去った。

第一七章


 大詰は徐々に迫ってくる。――この諸事曖昧の宮廷に、いまは掟のように凝り固まったとも見える停滞のうちに、迫ってきた。七十歳を迎えた女王は、政務も処理するし、日課も続けるし、外国使臣に垂れ幕の隙から覗き見させながらダンスも踊るし、すべては昔のとおりだった。活力はだんだん衰退したけれど、ときどきは俄然蘇って、この気紛れな肉体組織に健康と気力が溢れたつこともあった。そんなときには、機智が口に閃き、聞き馴れたあの高らかな笑い声が、白宮殿ホワイトホールに鳴り渡るのだった。が、やがてまた、暗鬱な時間は流れ戻る――生活の恵んでくれるなにもかもが苦くなる。野蛮な喚き、そして愚痴。なにもかも初めからわかっていたことだ――わたしのずば抜けた凱旋が、わたしをゆき着かせたところがこの孤独だった、この廃墟だった。空虚と灰燼の真ん中に、たった一人で坐りながら、彼女は全世界で人が所有するにたる唯一のものを失った女であった。そして彼女自身、その唯一のものを、自らの手から抛ち、放出し、破壊したのではないか。……いや、真相をいえば、それも違う。彼女はどうにもやむをえなかったのである――彼女は、この現実の組織自体が生得しているある悪意ある力、ある嫌悪すべき力に踊らせられた人形にすぎなかった。このような嘆きに満ちて、しかも王侯の遠慮なさで、彼女は伺候してくるあらゆる人間に、重い魂の荷を投げつけた。深い溜め息と、苦悩の身ぶりで、彼女は絶えまもなくエセックスの名を口にし続けた。それから、聞いてくれたってどうにもならぬその人たちを退がらせる――あちらへと、手を振って退がらせるのだった。たった一人でいるのが、一番よかった。
 一六〇二年の冬、サア・ジョン(ハリントン)が再び参内した。今度は名づけ親、エリザベスの謁見を許された。「こんなに憐れっぽい女王さまは見たこともない」と、あとで彼は妻に語っている。ちょうどそのころは、チロオヌとの和議が進捗している最中だったが、女王は、この前のときの会話をすっかり忘れていたと見えて、サア・ジョンに、お前はチロオヌに会ったことがあるかと聞いた。「私は、昔エセックス伯といっしょに、あの謀叛人に会ったことがございますと奉答した。陛下は、はっとお目をお上げになり、お顔にはえもいえぬ癇癖と苦悩が浮かんで『おお、そうだったの。お前は、どこかであの男と会った一人だったの』そうおっしゃって、ほろりと涙をおこぼしになり、御自身の胸をおたたきになった」彼はなんとか女王の心を慰めようと思い、自作の諷刺詩を一つ二つ朗読して聞かすと、女王はかすかに笑って「時の流れがお前の門を忍び足ではいってくるのが、身にこたえて感じられるような年ごろになれば、お前だって、そんな言葉の戯れなどおもしろくもなんともなくなるよ」と彼女はいった、「わたしにはもう、そんな物を味わう時代はすぎた」
 明けて新年になると、彼女の気力は回復して、幾つかの公式な晩餐会にも姿を現わした。そこで気分転換のために、リッチモンドに居を移した。そのリッチモンドで、一六〇三年の三月、彼女の元気は、永遠に彼女を見捨てた。日増しの老衰と、えもいえぬ思い気塞ぎとであった。どんな医者にも近づくことを許さず、ほとんどなにも食べないで、低い椅子の上に長いこと身を横たえている。ついに、危機の迫ったことが誰の目にもわかってきた。彼女は立ち上がろうと身をもがいた。どうしても立てない。そこで、侍臣を呼んで、引き起こしてもらった。お前たち、もう支えなくても宜しいといったまま、じっと動かなくなってしまった。侍臣たちは、ひっそりと見守っている。歩くにはあまりにも衰えた。けれども、こうして立っているだけの力はまだある。もし椅子に帰ったらそれが最後で二度とはそこから起き上がれないだろうことを、彼女は知った。立っている、それはいつも彼女の好んだ姿勢ではなかったか。そこに立って彼女は「死」と闘っているのだった。物凄い格闘は十五時間続いた。そして彼女は負けた。――負けながらなお、けっして寝床には帰らぬといいはり続けた。やがて侍臣たちが彼女を受けとめるべく拡げてくれた、蒲団のなかに倒れ込むと、四日四晩、物をいわぬ口に、指をくわえたまま横たわっていた。空気は重々しく、魔と怖れに満たされたのである。ある宮女は、椅子の下を覗いて、ふと、トランプのハートの女王が一枚、椅子の裏に釘づけにされているのを見つけた。またある宮女は、しばらく休息しようと、女王の病室を出て階下の廊下までくると、影のようなものが、ふわっと彼女をかすめて、女王愛玩の甲冑のなかにはいるのを見た。ぞっとして、あわてて女王の室に飛び込んだ。そして――目を凝らして見たが、女王が枕の上に、指をくわえたまま寝ていることに、なんの変わりもないのだった。
 側近の大官たちはしきりに、医者にも見せ、寝床にも移るようにと彼女に嘆願するのだけれど、だめだった。最後に、セシルが大胆にいった、「陛下。人民たちが安心いたしますように、お寝床にお移りにならなければいけません」「小びとよ、小びと」と女王の答えが聞こえてきた、「しなければいけない、という言葉は、君主に向かっていわるべきではありますまい」 彼女はなにか音楽が聞きたいという意を示した。そこでいろいろな楽器が、病室のなかに持ち込まれた。細々とした憂鬱をもって、音楽は鳴り、しばらく気の晴れる思いだった。お祈りの文句よりも箱風琴ガアジナルの一曲のほうが、つねに彼女の心には魅力があったのである。結局、彼女は寝床の上に運ばれた。
 セシルをはじめ、他の枢密院議員たちがその寝床を取り囲んで立った。王位継承者の件について、なにかおいい残しはございませんかと、セシルが聞いた。答えはなかった。「スコットランドの王さまで宜しゅうございますか」と彼が暗示すると、女王は合図を――セシルには、そう見えたというのだが――肯定を示す合図をした。カンタベリの大司教がはいってきた。――老ホイットギフトである。この人を、今よりずっと楽しかった日に、彼女はよく、わたしの「小さな黒んぼの旦那さま」と呼んだものであった――大司教は女王の傍らに膝まずいた。彼は熱烈に、長々と祈った。すでに夜は更けていた。彼女は眠り続けた。ついに――三月二十四日の朝明けは、まだ冷たくほの暗いころ――容態が変わり、不安の廷臣たちは、病床の上に身をかがめながら、もう一度、あの解き難い謎の魂が、彼らから、すらりと身をかわし去るのを見た。だが、身をかわし去るのも、それが最後だった。痩せさらばえた一個の骸殻なきがら、それが女王エリザベスとして残るすべてであった。
 けれども、そのとき、奥の部屋では、かの侍史セシルが、ただ一人テーブルに坐って、ペンを動かしているのだった。あらゆる出来事は洞察したとおりのきかたをした。あらゆる準備はすでに整っている。残るはただ最後の一触を与えるだけのことである。重大なる王位移動も、いともらくらくと成し遂げられるであろう。ペンの動きとともに動いてゆく心に、思い浮かべる生者必滅の悲しさ。描き眺める国々の隆替の姿。そして彼は静かにはっきりと夢見る、時が、いまこうして書いている瞬間にも、もたらし続けている物を夢見る。それは二つの国家(イングランドとスコットランド)の結合であり、新しい支配者たちの勝利であり、――成功と権力と富も併せて――後代まで栄ゆる名であり、貴き血につながる、偉大なる家門であった。





底本:「世界教養全集 27」平凡社
   1962(昭和37)年9月29日初版発行
初出:「エリザベスとエセックス」富士出版社
   1941(昭和16)年8月発行
入力:sogo
校正:考奈花
2011年1月22日作成
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