屍体と民俗

中山太郎




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 栃木県足利郡地方の村々では、死人があると四十九日の間を、その死人が肌に着けていた衣類を竿に掛け、水気の断えぬように水をかけるが、これを『七日晒し』と云うている。俚伝にはこの水がきれると、死人の咽喉が乾いて極楽に往けぬから、こうするのだと云うているが、元より信用することの出来ぬ浮説である。私の考えるところでは、この民俗はかつて同地方に住んでいたことのあるアイヌ族が、残して往ったウフイと云う蛮習が、こうした形で面影を留めているのだと信じたい。それではウフイとは如何なるものかと云うに、大昔のアイヌは死人があると、刃物を以て死者の肛門を抉り、そこから臓腑を抜き出し、戸外に床を設けてその上に置き、毎日婦人をして水をそそぎ遺骸を洗わせ、こうすること約一年を経て四肢身体が少しも腐敗せぬときは、大いに婦人を賞し衣服煙草の類を与えるが、もしこれに反して腐敗することがあると、たちまち婦人を殺して先に葬り、その後に死人を埋めるが、これをウフイと称えている。アイヌ族では棺及び葬具に、その家々の格式による彫刻を入念にするので、一年位を経ぬとこの彫刻が出来上がらぬので、屍体をこうして保存するのだと云うことである。即ち知る足利地方の七日晒しは、このウフイの蛮習が形式化されたものであることを。そしてこうした先住民族の間に行われた民俗が、今に各地に残存していることは決して珍しいものではない。その一例として次の如きものもある。
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 福島県平町附近の村々では、妊婦が難産のために死亡すると、その妊婦の腹を割き胎児を引き出して妊婦に抱かせて埋葬する民俗が、五六十年前まで行われていた。さらに愛媛県ではこうした場合には、胎児を妊婦と背中合せにして埋葬したと云うことである。妊婦の腹を割くことは産道が活力を失い、ここから引き出すことが出来ぬからだと聞いている。そして、こうした事はアイヌ族の間には、つい近年まで実行――勿論それは秘密ではあったろうが――されていたのである。近刊の「アイヌの足跡」と云う書によると、妊婦が産死した折には墓地において、気丈夫なる老婆が鎌を揮って死者の腹を截ち、胎児を引き出してから埋葬する。残忍なる所業は正視するに忍びぬと云う意味のことが記してある。これによって彼れを推すとき、内地の民俗がアイヌ族の残存であることが会得される。なおこの機会に言うて置くが、奥州の安達ヶ原の鬼婆とて、好んで妊婦を殺し胎児を取ったと云う伝説は、この民俗から出発していると云うことである。
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 石川県の富来トギ湾は同県でも有名な漁場であるが、漁場の習いとして毎年のように、漁船の幾艘かが海上で暴風雨の為めに遭難し、稀には五人七人の漁師が屍体となって浜に打ち揚げられることもある。それも遭難後四日か五日なら甲乙が直ぐ知れるが、もし十日も二十日も経過し、膚肉が腐爛しては容易に判別することが出来ぬ。殊に漁師の常として海上で働くときは、丸裸の犢鼻褌ふんどし一つであるから、持物で誰彼を知ることは困難である。それではこうした場合に、如何にしてその溺死体の甲乙を判別するかと云うに、親は子と思う屍体を、姉は弟と信ずる屍体を、妻は夫と考える屍体を、ともに自分の舌で舐めるのである。それがもし血縁あり姻縁あるものならば、舌が屍体に引ッ附くので、それを証拠としてそれぞれ屍体を引取るのだと、同地出身の文士加能作次郎から聴いたことがある。
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 屍体の一部を遺族の者が食う民俗は、昔から今に至るまで、多少その形式は異っているが、各地に行われているようである。琉球では大昔は死人の肉を遺族または親族が食ったものであるが、現今では人肉に代えるに豚肉を以てするようになった。しかしながらこの民俗は今に親族の親疎を言い表す語となって残っている点からも、在りし昔の事実が窺知される。即ち琉球では死人の肉を食うべき権利――であると同時にまた義務でもあった――を有する者を骨肉親族マツシシエーカと称して、その家に対して重大なる交渉を有し、これに反して死人の肉を食うことの出来ぬ者を脂肪親族ブトブトエーカと云うて、その家からはやや疎遠の地位に置かれているのである。人肉を食うか否かで親族に等級があったのである。
 静岡県の沼津近在の村々、及び同県賀茂田方二郡の村落では、死人を焼いた骨を、遺族または親族の者が噛じる民俗が今に行われている。先年故人となられた皇典講究所の講師青戸波江翁のむすめが沼津在に嫁して居られたが、不幸にも病死されたので翁も葬儀に列すると、火葬場において会葬の遺族や親族が、死んだ女の骨を噛じるのを見た翁は大いに驚き、その理由を訊ねると同時に、かくの如き所為は死者に対して失札であるとなじると、会葬会者かいしゃの答えに、これは決して左様な失礼の意味ではなく、死なれたお方が温順で貞淑で、如何にも婦人の鏡とも云うべき為人ひととなりであったから、せめてはそれにアヤかるようにこうするのだと言うたと翁が語られたことがある。死人の肉を食うと云う民俗の起原は全くこれに存していて、英雄の肉(生前なれば血を飲む)を食えば英雄に、大力を有する者の肉を食えば大力持になれると云う俗信に由来しているのであって、さらにこれに親愛の意味が加わっていたのである。鳥取県の村々で昔は死人があると、それに最も縁の近い、例えば親なれば子、夫なれば妻が、一晩その屍体を擁して眠る民俗のあったのも、その名残りを留めたものと見ることが出来る。沼津辺の屍体の骨を噛じることが、古くは人肉を食うたことの形式化されたものであることは、言うまでもあるまい。
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 変死した者の屍体を凶霊のあるものとして、特別の取扱いをしたことは古くからの民俗である。水死や焼死や縊首や自刃やの屍体は、一般の墓地に葬ることを許さず、屍体を棺にも入れず菰にも包まず、そのままで橋の袂か道の辻に、多くはサカサにして埋めるのが習いとなっていた。これは橋畔や道辻なれば通行人が多いので、絶えず屍体の上を踏み固めるので、凶霊が発散することが出来ぬと云う信仰から来たのである。これが宇治の橋姫の古い信仰であり、また辻祭や辻占の俗信の起原である。それと同時に我国の各地に倒に歩く幽霊の出ると云う伝承の由来である。沖縄県の嶋々では近年まで、変死者を道の傍らに倒にして埋めたものである。
 こうした俗信から導かれて、変死者の屍体を幾つかに斬り放して、各所に埋めて凶霊の発散を防いだ民俗もあった。即ち支解しかい分葬がそれである。古く鳥取部万ととりべのよろずの遺骸を、朝廷の命令で八段に斬り八ヶ所に埋めたのもその一例であり、さらに平将門の首を、腕を、脚を祀つたと云う神社が各地に在るのも、またこの俗信に由来しているのである。京都府北桑田郡周山しゅうざん村の八幡宮の縁起に、康平年中に源義家が反臣安倍貞任を誅し、屍体を卜部ウラベ勘文かんもんにより四つに斬って四ヶ所に埋めたが、それでも祟るので鎮護のために宇佐から八幡宮を勧請したのであると伝えている。これなども支解分葬の一例と見ることが出来る。
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 屍体の或る部分が呪力を有し、または薬剤として特に効があると考えた民俗も、かなり大昔から行われたことである。勿論これには容易に手に入れることが出来ぬと云う点に、多くの俗信が繋がれていたことも見のがす訳には往かぬが、とにかくこうした事実のあったことは疑う余地はない。例えば我国の古代において男女ともに胸間にさげていた曲玉マガタマなども、その起原は腎臓を生命の源泉としたところから、これを乾し固めてさげていると、災厄を払うと信じていたのか、後に玉を代用するに至ったもので、その形ちは元のままを残していたのである。さらに卜占ウラナイの呪術を行う者が、俗に外法頭ゲホウガシラと称する――福助のような頭をした者の髑髏を有していると、呪術が思うように行えるとて、これを所持していた話が沢山に残っている。殊にこの外法頭の所有者であった大臣が死んだ折に、それを発掘して首を斬って盗んだ者があったと正史に載せてある。今でも各地に残っている梓巫女アズサミコと云う者は、人頭が獲れなくなったので犬や狐の髑髏を持っていると云う話も伝わっている。しかしこれらが迷信であるのは言うまでもないことである。
 死人の頭を黒焼にして服すると、病気に利くと云う迷信も近年まで行われていた。俗にこれを「天印テンシルシ」と云い黒焼屋で密売し、それが発覚して疑獄を起したこともある。または屍体を焼くときこれに饅頭を持たせ、屍脂の沁み込んだのを食うと治病するとて、同じく処罰された迷信家もあった。明治四十年頃のことと記憶しているが、大阪の火葬場の※(「火+慍のつくり」、第3水準1-87-59)おんぼうがこの種の犯罪を重ね、大騒動になったことがある。さらに極端な迷信家になると屍体を焼くとき脂をとり、飲むやからさえあったと当時の新聞に載せてあった。まだこの外に人胆じんたんを入れた売薬があるなどと云われているが、そうなると民俗でなくして全くの迷信となるので、省略する(春風秋雨亭主人談)。





底本:「タブーに挑む民俗学 中山太郎土俗学エッセイ集成」河出書房新社
   2007(平成19)年3月30日初版発行
底本の親本:「随筆耳のあか」象文閣
   1936(昭和11)年
初出:「デカメロン 第一巻第五号」
   1931(昭和6)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:しだひろし
校正:門田裕志
2012年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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