人間生活の矛盾

丘浅次郎





 今日の世の中ほど人間のすることが互いに矛盾した時代はかつてあったであろうか。新聞紙は世間を写す鏡であるというが、日々の新聞に出て来る記事を比べて見ると、実に相矛盾することばかりである。賭博の最中へ警官が踏み込んで数名を捕えたという記事に並んで、十円の債券で千円の割増金をかち得た仕合せ者の肖像が出ている。わずか十円の才覚ができぬために母子三人が水に飛び込んだという項の隣りに、何とかの茶碗が一万円で売れたと書いてある。一方で支那の有名な小説を忠実に翻訳すると、他方では風俗を害するからというてその発売を差し止める、兵式の教師が国防のゆるがせにすべからざることを説くと、学生らは国際精神に反するというてこれを排斥する。ダンスがはやれば、剣舞で驚かし、祭りの寄附金を出さぬと御輿みこしで店先をこわす。数え上げたら際限がないほどに人間社会は矛盾で満ちているが、さて、一体これは何故であるか。かような世の中へ生れて来て初めから世の中はかようなものと思うている人々には何の不思議でもないかも知れぬが、少しく生物学でも修めて、他の社会生活を営む動物の生活状態を見聞した者にとっては、これは確かに大いなる疑問である。
 私はこの問題を解くために、いろいろと考えた結果、すでに二十年ほど前に一つの学説を思い付いた。その要点を掻摘かいつまんでいえば、次のごとくである。人間は原始時代には皆、今日の野蛮人や多くの猿類のごとくに小さな団体を造って相戦うていた。優った団体が勝って栄え、劣った団体が敗けて亡びることが絶えず繰り返されている間には、自然淘汰の結果として、社会本能や階級本能のような人間の団体生活に必要な本能が次第に発達した。ここに社会本能というのは、生れながらに社会奉仕をせずにいられぬという本能で、階級本能というのは生れながらに目上の者を崇めずにはいられぬという本能である。これまで団体的精神とか服従本能とか称えてきたが、誤解を招く虞があることに心付いたから右のごとくに名を改める。さて、団体間の自然淘汰がつづく限りは、これらの本能はどこまでも発達するはずであったところ、人間だけは他の動物と違うて、何ごとをするにも道具を用ゆるために、人間の団体はその後、次第に大きくなり、終にあまり大きくなり過ぎて、団体間の自然淘汰が中絶した。その結果として、以上の本能は次第に退化するを免れ得なかったが、社会本能が退化すれば人は自己本位となり、階級本能が退化すれば人は自由解放を要求する。団体生活をする者の一人一人が自己本位になり、階級制度で治まっていた世の中に自由解放を叫ぶ者が出て来ては、いずれの方面にも矛盾の出ずるのは当然で、時の経るとともに、矛盾がだんだんいちじるしくなり、終に今日の状態までに達したのである。
 以上は私が懐手ふところで式に思いついた学説で、根拠もすこぶる薄弱であることは、私自身も充分に承知しているから、その誤りであることが解りさえすれば、いつでもこれを引込めるつもりである、今まではなはだ簡単ながら何回か発表したことはあるが、あまり人の喜ぶような目出たい説でもないゆえ、たいがいは黙殺せられた、ただ小野俊一君、川村多実二君、土田茂君などが、その存在を認めて反駁してくださったに過ぎぬ。しかして、これらの諸君の反対説を読んでみても私の説の誤りであることが私にはさらに納得ができぬのみか、日々見聞きする事件はことごとく私の説を裏書きするように思われ、人間生活に矛盾の多い理由は、私の説によればきわめて容易に了解ができるが、私の説によらねばほとんど解釈の仕方がないように感ぜられるゆえ、なお一度要点だけを披露してみようかと考えたのである。
 前に述べた概略からでも知れるとおり、私の学説は、自然淘汰説を基として、その上に自身独創の説を積み立てたものであるから、もしも自然淘汰説が成り立たぬものと定まれば、私の説は当然倒れてしまう。また、自然淘汰説を認めるとしても、人間の団体が大きくなり過ぎて、団体間の自然淘汰が中絶し、そのため社会本能や階級本能が退化したという私の独創の説に対しては、無論反対の考えを持つ人もあるであろう。されば、私の学説は、あたかも二階造りの建築物のごときもので、一階が崩されれば無論全部が倒れる、また二階だけを毀して一階を残すこともできる。とにかく、一階がなければ、二階をその上に載せることができぬゆえ、議論の順序として、まず何故、私が自然淘汰説を、もっともたしからしい仮説として採用するかを述べる。


 世の中には未だ生物進化論と自然淘汰説とを混同している人さえある。生物進化論とは生物の各種は長い間には次第に変化するもので、後の子孫に比べると初めの先祖は大いに違うていたと唱える論であるが、このことは今日ではもはや確かな事実として知られ、後日に至ってまたくつがえされるようなことはけっしてない。アメリカのある州では昨年の春から、これを学校で教えることを禁じたが、ちょうど地動説を教えてはならぬというのと同じで、いずれも事実である以上は、とうてい押え通すことはできぬ、生物進化の事実を知るに至ったのは、生物学が次第に進歩し来った結果であるから、誰の説などと名づくべき性質のものではないが、自然淘汰説の方はこれと違い、生物進化の事実の因って起る理由を説明するためにダーウィンが考え出した説であるゆえ、これはダーウィン説と称して差支えはない。十人十色というて人の考え方は一人一人で違うから、ダーウィンの説に対して反対の考えを持ち自説を発表する人も無論あるわけで、実際今日までに幾人もあった。しかし、かような学説がいくつあって、互いに相戦うていても、またその中のどれが勝って、どれが敗けても、生物の進化という事実に何の影響も及ぼさぬはいうまでもない。先日どこかで「ダーウィンの生物進化論を葬る」という演題を見たが、この中には、二つの誤りが含まれてある。第一には「ダーウィンの生物進化論」であるが、前に述べたとおり、生物進化の事実は生物学の進歩によって次第に知り得たことで、今日ではけっして論などと名づくべき性質のものでない。第二には「生物進化論を葬る」であるが、生物の進化はすでにあった事実であるから、これを葬って、なかったものとすることは誰にもできぬ。これを葬り得ると考えるのは、ただ無智な者だけである。「ダーウィンの自然淘汰説を葬る」ならば演題としては正しく、かつ実際に、そのとおりの意見を持っている学者も幾人かあろう。
 自然淘汰の大要は今日たいがいの人が知っているからくわしく説明する必要はないが、その骨子だけをかいつまんでいうと、この説は、遺伝と変異と淘汰との三つの事実を認めて、その上に立つものである。遺伝とは子が親に似ることで、これは目前の事実である。変異とは同じ親から生れた兄弟でも[#「兄弟でも」は底本では「兄第でも」]かならず少しずつ違うことで、これまた目前の事実である。残るところは淘汰だけであるが、これは生物の蕃殖する率と、実際に生き残る子供の数とを比べ、生存には競争が伴い、優った者が勝ち劣った者が敗けて、多数の中から少数のもっとも優った者だけが生き残ると推断した結論である。さて、これだけの事実があるとすれば、これに基づいて生物の進化し来った道筋を容易たやすく説明することができる。例えば、ここに何疋かの兎がいて、狼に追われたとすると、足の遅いものは皆喰い殺されて、もっとも足の速いものだけが生き残る。これが子を生めば遺伝によって足の速いという性質を子に伝えるが、子供同士の間には変異によって多少の優劣があり、足の大いに速いものと少しく速いものとができる。これらがまた狼に追われると、またもっとも足の速いものだけが生き残って、その性質を子に伝える。かようなことが何代もつづけば、一代ごとの変化はいささかであるとしても、終には重なっていちじるしい相違が現われ、先祖に比べると子孫の方がはるかに足の速いものになる理窟である。
 以上は簡単に説明するために想像の例を挙げたのであって、すべての場合が、このとおりに簡単なわけではけっしてないが、この説は、初めて聞くと、いかにももっともに思われ、とくに動植物に一般に見られる適応の性質が発達し来った因縁を心持よく了解することができるので、生物学者仲間からは非常に歓迎せられ、一時は学界を風靡する勢いであった。適応の性質とは、各種の動植物が、その生活状態に応じて備えた必要な性質で、つねに敵に追われる兎の足が速いのも、生きた鳥を取って食う鷹の眼と爪と嘴とが鋭いのも、樹の上に住む猿が手足で枝を握り得るのも、海中を泳ぐ鯨が魚のごとき形をしているのもその例である。適応の性質を備えていねば生きてはいられぬゆえ、いかなる動植物でもこの性質を持たぬものはないが、これが自然淘汰説で面白く説かれたゆえ、この説はしばらくは極度に持てはやされ、生物進化の現象は、この説のみでことごとく説明せられるというて、自然淘汰万能を唱える学者までができた。しかし何ごとも極端に走ると、かならず反対者が現われるもので、自然淘汰説に対しても、その後種々の攻撃の声が起り、何か新しい学説が発表せられるごとに自然淘汰説は根底から覆されたという評判が立ち、アメリカの新聞などで見るとすでに何回葬り去られたか解らぬ。しからば、この説は今日ではいかなる状態にあるかというに、イギリス、フランス、ドイツなどの代表的動物学者の最近の著書や講演から察すると、事の大小軽重を慎重に吟味して説を立てる落ち付いた学者たちは今でも充分にその価値を認め、これを捨てては、その代りとなるべき学説はないと考えているようである。


 私は今から二十二年前に著した『進化論講話』にも書いて置いたとおり、自然淘汰説をもってもっとも真実に近い仮説と認め、自然淘汰をもって、生物進化の起った原因の中のはなはだ重大なものと考えている。しかしすでに同書の中にも断わっておいたとおり、私は自然淘汰をもって生物進化の唯一の原因とは思わぬ。仮に一対の動物があって、代々二疋ずつの子を生み、生れた子が皆育って、少しの淘汰もなしに、子孫が連綿とつづいたとしても、長い間には次第に変って行くであろうと考える。このことについては、横道にわたるゆえ、今は論ずるのを見合せ、単に私が今もなお自然淘汰説を採る理由をいうてみると、それは未だこの説に代るべき適当な学説を見出さぬからである。私はこの方面には大いに興味を持っているから、異なった説が発表せられるごとにかならずこれを読んでみたが、未だ一回も、そのために自然淘汰説を捨てねばならぬと感じたことはない。
 多くの場合には、論者がこの説をあまり狭く考えたり、誤解したりしているのであって、もしも真にこれを了解していたならば、何もかれこれというに及ばず、双方を両立させて置いて何の差支えもないと思うた。自然淘汰説を捨てると説明のできなくなる現象が生物界には無数にある。前に述べたいわゆる適応の性質はことごとくそれであるが、代々優ったもののみが生き残って、その性質を子に伝えたとすれば各種の動物に餌を取る装置や、敵から逃れる能力がよく発達しているのは当然と思われ、漠然ながらも、一応はわけが解ったような心持ちがする。これに反して、もしも自然淘汰というようなことが全くなかったとすれば、木の葉と寸分も違わぬ木の葉蝶や、桑の枝と少しも見分けがつかぬ枝尺取りなどのごとき、無心ながら巧みに敵の目をくらましているものがいかにして生じたやら、全く不可思議というの外はない。
 また、自然淘汰説を採る以上は、生存競争の際に勝敗の標準となった性質が次第に発達し来ったと論ずるがごとくに、勝敗の標準とならなかった性質はだんだん退化し来ったとみなされねばならぬが、その実例と思われるものは数多く知られてある。恐ろしい敵がいないために飛ぶ必要のない所では、鳥の翼の優劣は勝敗の標準とならぬが、かような鳥の翼は次第に退化する。現にニュージーランドの鴫駝鳥しぎだちょうの翼はかくしてほとんど見えぬほどに小さくなってしまった。年中真闇な洞穴の中では眼の優劣は勝敗の標準とならぬが、かような所に住む動物は眼が次第に退化する。アメリカのマンモス洞に住む盲魚や盲エビはかくして終に眼を失うに至った。このような例はなおいくつでも挙げることができるが、これらから見ると、淘汰が行なわれぬ場合には、今まで淘汰によって発達し来った性質もたちまち退化し始めるのが、生物界に通じた規則であるごとくに思われる。
 なおここに一つ自然淘汰説に関連して私が数年前に考え出したことがある。誰も未だ発表したことのない、全く私自身の独創的の考えであるゆえ、本来ならば充分に思想をまとめてから専門学上の報告として公けにすべきはずであるが、ちょうどよい機会であるから一言その要点だけをここに述べる。それは自然淘汰とホルモンとの関係についてである。動物の身体各部の間には思いがけぬ関係があって、ある器官に変化が起ると、遠く距った所にいちじるしい影響を及ぼすことが稀でない。例えば、男の子の若い中に睾丸こうがんを切り除くと、成長しても鬚が生えぬ。牡鹿ならば角が生ぜぬ。甲状腺が不完全であると赤ん坊がいつまでも大きくならず、下垂体が異常に発達すると手足ばかりが無暗に大きくなる。胸線が早く変質すると、五六歳の子供が大人のとおりに成熟し、副腎に故障があると、皮膚に色素が溜って、唐金色になる。これらは皆ホルモンの働きによることで、鬚や角が生えるのは睾丸の中にできたホルモンが血液とともに顎や額まで廻って行きそこの組織を刺戟するからであり、子供が身体の小さい中に早くも大人のごとくに成熟することのないのは、胸線の造ったホルモンが生殖線まで達して、その早熟を制止しているからである。かように、全身の成長も、一部の発達も、付属物の形状も、皮膚の色も、みなホルモンの司配をうけ、あるいは促進せられあるいは抑制せられている。されば自然淘汰によってある性質が発達するという場合には、多くはそれと同時に、その性質の発達を促したホルモンを生ずる器官の発達もしくは、その発達を止めていたホルモンを生ずる器官の退化を意味する。ここに一種の獣類があって、その獣類にとっては、角の大きなことが例えば生存競争上に有利であったと仮定すると、長い間には自然淘汰によって角は次第に大きくなるのであろうが、それと同時に角の発達を促したホルモンを生ずる器官は発達し、角の発達をその程度までに止めさせていたホルモンを生ずる器官は退化する。いくら角の大きいのが競争に勝つに都合がよいというても、これにはもとより際限があることで、ある程度に達した後には、これ以上に大きくなることはかえって生存上不利益になる。普通の自然淘汰だけではけっしてある器官が過度に発達する気遣いはないように思われるが、自然淘汰によって角の大きさと同時に、角を大きくするホルモンを生ずる器官が発達したとすれば、後に至って、角が過度に大きくなることは、あり得べき理窟になる。またそれと反対に、もしも角の大小が生存競争における勝敗の標準でなくなったとすれば、角は次第に退化して小さくなるであろうが、この場合にもホルモンのことを考えに入れると、自然淘汰の働きの範囲が広くもなり、かつ大いに解りやすくなるように思う。従来は古代の絶滅した動物に見るごときある体部の過度の発育や、不用器官が次第に退化して終に影をも止めなくなることは、自然淘汰説によって説明することの困難なものの一つとみなされていたが、ここに述べた私の説は、この点で従来の自然淘汰説の足らぬところを補い、力を添えて難関を無事に超させてやることができる。
 以上の私が懐手式に考えだした独創の理論で、根拠の薄弱なきわめて頼りないものではあるが、また、あり得べきことのように感ずるから、ついでをもって、表して置く次第である。自然淘汰説に関しては、これだけで止めとして、次に人類の過去に属する私の学説に移る。


 原始時代における人間の生活状態は、今日から調べてもなかなか確かなことは解らぬが、まず下等の野蛮人やある猿類に見るごとくに数多くの小さな団体を造り、団体と団体とが絶えず争いながら生活していると仮定する。もっとも絶えず争いというても争わぬ時が一刻もなかったものという意味ではない。ちょうど、日本には絶えず地震があるというても実際に揺りつづけてはいないのと同じに、烈しい戦いは恐らく何年目に一回かあった位であろう。しかし、その時にはずいぶん争いが激烈でとくに飢饉でもあれば負けた方は皆食われてしもうたかも知れぬ。長い年月の間にかようなことが何回となく繰り返され、毎回勝った団体が生き残り敗けた団体が死に亡びたとすると、自然淘汰の結果として、勝った団体をして勝たしめた性質が次第に発達したに違いない。個体と個体との戦いには優った方の個体が勝ち、団体と団体との戦いには優った方の団体が勝つは当然であるが、いかなる団体が優って勝つかと尋ねると、もしも他の条件がことごとく対等である場合には、相手の団体に比べて少しでも、よりよく協力一致の実を挙げ得たものの方が勝つに定まっている。しかして協力一致の実を挙げるには自身のことは捨ておいて、まず団体のために働かずには居られぬという本能が、生れながらに各個人に備わってあることが必要である。この本能を社会本能と名づける。人間のすることは、意志によって、するかせぬかを決し、智力によってその方法を工夫するように見えるものが多いから、団体内の協力一致のごときもただ決心一つで行なわれ得ると思う人があるかも知れぬが、それはけっして実行のできるものでない。人間のすることを総括して考えてみると、意志はただ本能の許す範囲内においてのみ自由で、その以外には出で得ない。智力の方も、それと同じく途中の理窟は何とこじ付けても結論だけは初めから本能によってきまっている。畢竟智力なるものは無意識的に本能の命令を受け、意識的にその方法を研究するもので、結局、本能の実行機関に過ぎぬ。団体的精神というと、何となく、当人の意識している部分が大いに加わっているように聞えるが、自然淘汰によって、発達するのは、ただ基礎となる社会本能だけであって、けっして外に現われた意識的の精神ではない。さて社会本能が次第に進歩して終に完全の域に達すると、その団体はいかなる状態になるかというに、それは今日の蟻や蜂の社会に見るごとくに、各自はまったく社会奉仕の念に満たされ、そのなすことはことごとく社会にとって有利なことばかりである。誰も彼もがただ社会の利益をはかり皆同一の目的を狙うて行動すれば、その間に矛盾の起るべき理由は少しもない。
 蟻や蜂の社会では社会本能だけが発達すれば、それで、完全な社会生活を営むことができるが、人間の蕃社では相手の蕃社と競争するにあたってなお一つ必要なことがある。蟻や蜂が習うことも覚えることもなしに誰も生れながらに、一疋だけの仕事ができるのと違い、人間は幼いときには力も弱く知慧も足らず、とうてい一人前の働きはできぬのが、成長するにしたがい、他人の真似をして経験の積るとともに力も強く利巧にもなり、初めて完成した戦闘員の資格を備えるに至るのである。そのうえ、生れ付きによって、武勇抜群のものもできれば、一生陣笠で終るものもあろう。かように戦闘力のさまざまに違うものが大勢集まって敵なる蕃社と戦う場合には、たとい、社会本能が発達してめいめいは自分の蕃社のために討死する覚悟であっても、一人一人が随意の行動を取っては、全体としての統一が保てず、したがって能率が上がらぬは明らかである。かような場合に、全体の統一をはかり、各員の力をできるだけ有効に用いしめるには、蕃社中のもっとも力が強く、もっとも知慧があり、もっとも経験に富んでもっとも戦争に巧みな一人を大将と仰ぎ、皆の者がその指図に従うのが一番得策である。仮に、ここに二つの蕃社があって、一方の蕃社では、めいめいが随意の行動をとり、他の蕃社では一人の大将があって残りの者はことごとくその指図に従うて進退するとしたならば、戦争していずれが勝つかはいわずとも知れている。少しく蕃社が大きくなると一人の大将では全部を直接に指図することができぬから、部下の中からもっとも適任と認める者を数名選び出して、これに補佐の役を命じ、蕃社がさらに大きくなると、大将の補佐だけでは手が足らぬゆえ、さらに補佐の補佐を任命し、かくして命令を下す側にも若干の階級ができるが、かように蕃社内の制度がやや複雑になっても各自がおのれの目上の者に服従していさえすれば、蕃社はりっぱに統一せられ、戦争の場合にはもっとも有効に戦うことができる。しかしてこのことが行なわれるには、各自が生れながらに目上の者には服従せずにはいられぬという本能を備えていることが必要である。この本能を階級本能と名づける。蕃社と蕃社とが相戦うていたような時代が長くつづき、その間に、階級本能の少しでも多く発達した蕃社がいつも勝って栄えたとすれば、自然淘汰の結果として、この本能は次第に進歩し、初めは模倣、次には服従、終りには崇拝として現われるに至ったであろう。
 前に社会本能についても述べたとおり、人間の意志は本能の許す範囲内においてのみ自由で、当人はいかに自分の勝手に考えたり行なうたりしているつもりでも、やはり無意識に本能の命令には服従している。それゆえ、階級本能の発達した社会では、哲学でも道徳でも、宗教でも教育でも目上の者に服従することを人生における最上の善とみなし、目上の者を極度に崇拝して、その者にほめられるのを何よりも名誉、その者に叱られるのを何よりの恥辱と考える。目上の者からほめたしるしの物を貰えば有難くて堪らずつねにこれを帯びて人に誇り、貰えなかった連中は、これを見て非常に羨しがる。幾人か集まればいつも話の題は階級のことにきまっている。階級本能が発達すると、人間の頭は生れながらに、全く階級の観念に司配せられ、目上の者には服従せずにはいられず、子は親に服従し妻は夫に服従し、幼者は老人を敬い、弟子は師匠の影を踏まぬ。団体間の競争の結果として社会本能が発達すれば各人は一点の私心をも挾まず、ことごとく、蕃社全体の利益のためのみに行動し、またそれと同時に階級本能が発達すれば、蕃社内の上下の区別が判然と定り、下は上を敬うて忠勤をつくすから、その間になんら矛盾の起るべき道理がない。その当時の蕃人らは何とも思わずに暮していたであろうが、後の世から振り返って見ると、実に黄金時代ともいうべき状態であった。もしも団体間の自然淘汰がいつまでもつづいたならば、さらに完全な黄金時代に到着したでもあろうが、人間の団体は、そのようにはならなかった。


 人間がすべての動物に打ち勝ったのは脳と手との働きによって道具を作り用いたからであるが、人間同士が相戦うにあたっても無論道具を用いた。他の条件がことごとく同じである場合には少しでも精巧な道具を用いる団体の方が勝つ見込が多いわけであるゆえ、長い間には道具はますます精巧なものとならざるを得なかったが、道具が精巧になるにつれて、人間の団体と他の動物の団体との間に、大いに趣きを異にする点が生じた。それは人間の団体だけは他の動物の団体と違いどこまでも大きくなり得たことである。およそ動物の団体には種々の理由のために大きさは一定の際限があって、それを超えて、大きくはなり得ない。蜜蜂の団体が大きくなるとすぐに分封を始めて、いくつにも分れるのは、その例である。人間も原始時代にはあまり大きくなることができず、いつまでも、小さいままに止まっている。野蛮人の蕃社が大きくならぬのは、あまり大きくなり過ぎると、全体としてまとまりがつかず進退に統一を欠き、かえって不利益なことが起るからであろう。しかして、その際、統一の保てぬ主な原因は、通信と運輸との不便である。しかるに道具が次第に進歩し、精巧な器機が発明せられ、終には電信や電話で命令を伝え、汽車や自動車で兵粮を運ぶようになると、いくら団体が大きくなっても、統一にはなはだしい困難を感じない。ところで、昔から衆寡敵せずという文句のとおり、他の条件がすべて同じであるとすれば、一人でも人数の多い方が強くて勝つにきまっているゆえ、団体は、次第に大きくなり、通信や運輸の便が開けるとともに、その大きさが増して、終に今日の文明国に見るごとき、数千万人または数億人を数うるほどの大団体となった。
 さて団体がある程度以上に大きくなると、団体間に争いが絶えずあったとしても、その勝負は団体が小さかったときのごとくに徹底的ではあり得なくなり、たとえ負けても、ただ一部分の者が命を落すだけで、大多数の者は平気で生存しつづける。勝った者も敗けた者も同様に生存しては、自然淘汰は行なわれぬが、自然淘汰が止めば、その時まで、自然淘汰によって養われ来った性質が退化し始めるのが、生物界に通じた自然の法則である。人間も団体の大きさが、ある程度を超してからは、団体間の自然淘汰が行なわれなくなり、その時まで、自然淘汰のために発達し来った社会本能や階級本能は、その時から退化し始め、その後は次第に退化の度を増して、終に今日までに達したのである。以上述べたとおりであるから社会本能や階級本能の発達の程度を標準として測ると、人間の過去の歴史は、初めは上り坂で後には下り坂になり、その中間にはいくぶんか、やや平らな所があって、全体の形はほぼパラボラに似ていたろうと思われる。今日の人間は遺伝によって、上り坂時代の性質をなお相応に備えて居りながらも、下り坂時代の新しい性質を[#「上り坂時代の性質をなお相応に備えて居りながらも、下り坂時代の新しい性質を」は底本では「上り坂時代を下り坂時代の新しい性質の性質をなお相応に備えて居りながらも、」]重ね備えているゆえ、同一人が考えること、なすことの中にも、互いに矛盾する分子が含まれてあるを免れぬ。また、初め発達した本能が後に退化する程度は、変異性によって、一人一人に違うから、これらの人々がめいめいに考えること、なすことの間にははなはだしい矛盾が生ずるのは当然である。上り坂の頃には社会本能や階級本能が発達したために、人間の考えることも、行なうこともすべて、それに基づいていたが、下り坂になってからは、これらの本能が退化して、その反対の自己を中心とする本能や、自分の頭の上に他人を戴くことを潔しとせぬ本能が芽を出し、そのために、人間の物の考え方がいちじるしく変って来た。ただし、誰もの考えが歩調を揃えて変化して行くわけではなく、方向だけは同じであっても遅速には非常な相違があって、今日でもなお、階級本能を多量に備えている人もあれば、これを大分失うた人もある。これらの人々がめいめい勝手に物を考えれば、その考え方が大いに相違するのはもとより当然であって、そのため、ここにもかしこにも意見の衝突が起る。現代の人間生活に現われている矛盾は皆かくのごとき理由で生じたものである。かように素性が分ってみると、毎日の新聞に出て来る無数の紛擾も、その基づくところが明瞭になり、いずれもけっして偶然に発したものではなく、避けようとしても避けることができぬ生物学上の深い根底のあることが知れる。今日の社会の組織は社会本能や階級本能が未だ退化しなかった頃にできたもののそのままの引きつづきであるから、これらの本能があまり退化していない人間がその中に住めばあたかも魚が水の中に住むごとくに、少しの無理をも感ぜぬであろうが、社会本能が退化すれば、上に位する者はかならずその地位を悪用して下の者を圧制し始め、階級本能が退化すれば、下にある者はかならず上の者を戴くことを嫌うてこれに反抗し始める。今日到る所に見られる新旧思想の衝突とはすなわちこれである。社会本能の退化に基づく損失は、全団体が一様にこれをこうむるゆえ、誰もとくにかれこれとはいわぬが、階級本能の退化によって直接に損失をこうむるものは、無論上に位する者だけであるゆえ、これらは極力、旧制度の維持を計り、その城廓に立て籠って、下の者の侵略を防ぎ止めようとする。どこの国でも、現に権力を握っている者は旧思想を尊重し、圧迫を受けて苦しんでいる階級の者は新思想を歓迎し、往々極端なことを考えたり、実行したりする者が出て来るが、これは階級本能がすでに余程まで退化してからでなければ夢にも思いつかぬことである。


 今日の世の中で第一に気のつくのは形式と精神との矛盾である。「人間万事嘘ばかり」という古い本を読んだことがあるが、社会本能が退化してからの社会では精神がすでに変っているから、いかなる形式もすべて嘘とならざるを得ない。例えば代議士制度のごときも、本来ならば、選挙人が自分でこの人をと思う人を選び、その人に頼んで代りを務めて貰うべきはずであるのに、今では誰からも頼まれもせぬ人間が自分で勝手に候補者と名乗り、なにとぞ私を選んでくださいと有権者の家を戸別に訪問して、平身低頭して頼んで歩く。また有権者の方では、この人をと思うような人がなかったり、たといあっても、とうてい出てくれそうもなかったりして、止むを得ず気に入らぬ人間に投票するか、棄権するかのいずれかにする。これが何で代議制と名づけられようか。しかも税を取りに来るときには、これは君らの選んだ代議士が可決したことであるから、君ら自身が可決したのも同じである、ぐずぐずいわずに早く出せというて請求する。運動費に何万円も費すところを見れば、当選してからかならずその何倍かの儲けがあるものと思われるが、かような自己本位的の行為は、社会本能がよほど退化した後でなければとうてい誰にもできぬことである。
 社会本能が未だ退化しなかった頃には、一国内は真に挙国一致で愛国心が充満していたろうが、この本能が退化し始めてからは、愛国心も次第に変化して、本能に基づいた無意識的のものからだんだん智力に造られた意識的のものに移って来た。つねには容易に持ち上らぬ箪笥が火事のときには楽々と運べるごとく、非常の際には思いがけぬ力が出るもので、戦争でも始まると、今まで隠れていた社会本能がにわかに働いて、国家のためには身命をなげうつ特志家が幾人も続出するが、かようなときでさえ、大多数の人々は、わが国が敗けては自分が困る、それゆえ是非ともわが国を勝たせねばならぬと、心の中で意識的に理窟を考えた結論の愛国心より外は持たぬ。しかして平時には、社会本能の退化につれて頭を擡げ出した自己本位の本能が、無意識ながら有力に働くゆえ、めいめいが意識的に考えることも、皆この本能の命ずるところに従うてことごとく自己本位になり、その結果として、口に唱えることと身に行なうこととが全く矛盾するに至る。とくに車夫が車賃を貰うて車を引くように、愛国賃を貰うて愛国する者や、愛国を売り物にして強請ゆすって歩いたり無銭飲食をしたりする輩に至っては、言行不一致もまたすこぶるはなはだしい。しかして、これらは皆社会本能の退化したために生じた人間生活の矛盾である。
 社会本能が充分に発達すると、国内は完全に協力一致するが、その代りに国と国とはことごとく敵同士となる。蟻や蜂の団体では実際そのとおりになっている。人間も小さな団体を造って相戦うていた頃には、やはり、そのとおりであったろうが、国が大きくなり、社会本能が退化して、国内の人々の間に種々の矛盾や衝突が生じてからは、国の勢力の大部分は国内で消費せられ、それだけ外国と戦う気分が薄らいだ。国としては相変らず敵愾心を備えていても、個人と個人とが出遇うたときにかならず相殺し合わねばならぬという必要がなくなり、境を接したところでは、そろそろ平気で交際し始めるに至った。これはすなわち社会本能の退化のために、国のたがが緩んだのである。その後、交通の便が開けるにしたがい、国と国との関係が密接になり、汽車や汽船が到着するごとに多数の外国人が入り込んで来るようになると、人々の考え方にもだんだんと変化が生じ、初め何ごとにも自国本位であったのが、少しずつ国際関係をも尊重するようになり、終には、国などという面倒なものは廃して、誰も彼もが単に世界人となった方がよろしくはなかろうかなどと考える者までが生ずる。しかしながら、現在の世の中には、未だ民族の区別もあり、国の区別もあって、強い国から侮辱や圧迫をこうむることも絶えずあるから、世界人では安心ができず、やはり国を強くして置かねばならぬとも考える。この点においても思想が二派に分れて互いに衝突するを免れぬ。
 国際の関係が多くなり、広くなるにしたがい、国際間の相談もたびたび開かれ、国際間の約束もしばしば結ばれる。万国為替かわせというような便利なものができて、外国へ行っても電報一本で何千円の金でもすぐに受け取れるから、地球上のどこへ行っても何の不便もなく、あたかも世界中が一か国になったごとくに感ずることもある。これから推して世界が真に一国になってしまうことも不可能ではない。かつ実際一か国になってしまえば、戦争などという嫌なものがなくてすむであろうと考える人もできる。しかしかような便利な方法も元来が相互の利益のために智力で工夫したもので、その点では汽車や汽船の発明と同じ種類に属するから、けっしてこれをもって、国と国とが仲好しになったしるしとみなすことはできぬ。容貌も気質も、風俗、習慣もいちじるしく違うた人間がことごとく世界人として同列に並ぶことは、外国を敵視した社会本能が全く消えた後でなければ、実現は覚束ないようであるが、これらの点に関してもずいぶん相矛盾した思想が世に行なわれている。


 現今の人間生活に見られる矛盾の中に、もっとも多数を占めているのは、階級本能の退化に基づくものであろう。これも一同の者が歩調を揃えて退化すれば何の矛盾も起らぬが、速く退化するものと、遅く退化するもの、多く退化した者と少なく退化した者とがあって、これらが同時に相隣りして生活しているゆえ、そこにはなはだしい矛盾が生ずる。今日の社会制度は大体において階級本能の盛んであった頃にでき上ったものゆえ、この本能をなお多量に備えている人間の考えたり行なうたりすることはちょうどよくそれにあてはまる。したがっていずれの方面でも、今日成功する人間は皆この本能のあまり退化していない連中ばかりである。階級本能の退化せぬ人間は社会を幾段かの階級に分け、一段でも下の者は一段でも上の者に絶対に服従し、その奴隷となることを当然として、少しもそれが苦にならぬから、自然その間に親分と子分との関係が生じ、親分は子分を引立て、子分は親分の知遇に感じて、さらに気に入るように務め、次第次第に高い階級まで達することができる。これに反して、階級本能の退化した人間は他人に頭を下げることが辛いから、とうてい他人の子分になる資格がなく、したがって、時の権力者から引き立てられる見込がない。それゆえ、いつまでも低い階級に留らねばならぬ。自分が低い階級にありながら少しも高い階級の者を尊敬する心が起らぬから、そのいうことは、無論上の階級の人々の気に入らぬ。新旧思想の衝突はかようにして生ずるが、思想の基礎となる本能に相違がある以上は、何と理窟で責めても、考えの一致する望みはきわめて少なかろう。
 今の世の中には、未だ階級本能のあまり退化せぬ人間が多数を占めていることは、いずれの方面を見てもすぐに知れる。社会の制度が階級的にできているゆえ、公けの役に階級の別があって、これがすこぶる重大視せられるのは止むを得ぬが、それと何の関係もない方面でも、人間に等級を付けて各等級ごとに取扱いを異にすることが広く行なわれている。有名な坊主が地方を巡回すると、その入浴した湯を竹筒に貰うてありがたがるという話を聞いたが、およそ階級本能の退化せぬ人は上の等級の者と幾分かでも関係することがありがたくて堪らず、せめてはその肉体に触れた湯でも拝もうと思うのであろう。いわゆる英雄崇拝の心理はこのとおりである。しかし今日では、かような人間のたくさんいる中に交って、階級本能の大分退化した人たちもおいおい現われ、遠慮なく従来の階級制度を攻撃し、上の等級の者に対してわざわざ軽蔑の意を表するようになったが、そのためにも人間生活の矛盾が一つ殖えた。先日ロシヤの学士院の人から郵便物を受け取ったが、その封筒は帝国時代の残り物で、表面に皇立学士院という文字があり、「皇立」だけはとくに頭文字で印刷してあったのを墨黒々とていねいに消してあった。しかしてその隣りのペトログラードという字をレーニングラードに直してあったのを見ると、階級の破壊を実行した革命派の人々でも、心の奥には、やはり偉人を崇拝せずには居られぬ階級本能が、依然としてなお残っているものと思われる。本能の退化がなかなか手間の取れることはこの一事をもっても明らかである。
 階級本能の退化せぬ人間が今もなおいかに多いかは、馬鹿馬鹿しい迷信が相変らず跋扈しているのを見ても知れる。そもそも宗教なるものは階級本能の全盛であった時代に脳の働きの副産物として生じたもので、神とか仏とか教祖とかを自分の頭の上に戴いてありがたがるのであるから、階級本能の退化した人間にはとうてい信ぜられるものではない。とくに何の根拠もない馬鹿げた迷信を、ただ他人から聞いてそのままに信ずるのは何ごとにも他人を頼らずには居られぬ階級本能を多量に備えた人間でなければできぬことである。怪しげな宗教の宣伝広告に高位高官の人々の名前が並んでいるのを見て、こんな偉い人らがどうしてこんな馬鹿げたことを信ずるのかと不思議がる人もあるが、実はこの位不思議でないことはない。現在の階級制度の下で高位高官に上るのは、階級本能の未だ退化していない人々に限るが、階級本能の退化していないことは馬鹿げた迷信を信ずる唯一の資格であるゆえ、ちょうどその人らが選にあたったのである。どこの神様などと呼ばれる山師らがまず第一に目を付けるのはかかる人らである。安産の御守りや火除けの御札がすこぶる盛んに売れるのを見ても、階級本能の退化は一様には行なわれず、あたかも盲腸の虫様突起が人によって、一寸のもあれば七寸のもあるごとくに、すでにいちじるしく退化した人と、未だ一向に退化しない人があり、しかもあまり退化しない人の方がなかなかに多数を占めていることがわかる。
 階級本能がとくにいちじるしく退化すると、いわゆる天才なるものが生ずる。同じ種類の植物を何千本も培養すると、その中にかならず一本や二本は目立って他と異なったものができるが、かような変異を突然変異と名づける。天才は突然変異による階級本能の異常の退化に基づくものが多い。天才は他人のいうたことやなしたことを真似するだけでは満足ができず、是非とも自分で新たに道を開いて進まねば承知せぬが、これは階級本能の退化せぬ人々の夢にも企てぬことである。されば天才は平均の人間よりはいくらか価値の多い人間とみなさねばならぬが、その実際の生涯を見ると、多くはあまり出世もせず、一生低い地位に止まり、不遇のうちに不平で死んでいる。かつて大西祝君であったか誰であったか、「人生れて天才たる幸か不幸か」と題して論じたことがあるが、親分子分の関係で成り立っている階級制度の世の中に天才が出世せぬのは当然のことで、その理由も考えてみればきわめて明白である。すなわち天才は階級本能が異常に退化しているから、他人を自分の頭の上に戴くことを欲せず、したがって他人の子分となる資格がない。子分となる資格がなければ無論親分を持つことができず、親分を持たねば抜擢して貰える望みがない。千里の駒も一生肥桶を挽かされては、その天分を発揮することができず、自分より劣った者の出世を眺めながら我慢していなければならぬ。ショーペンハウエルは大学の教授を務める哲学者に帝大哲学者という綽名をつけて、その御用学者ぶりを盛んに罵倒したが、大学の教授に滅多に天才のないのは右のような理由によるらしい。研究にもっとも便宜のある位地を凡庸の者が占め、優った者がそのため便宜のない所で苦しまねばならぬのは一つの矛盾であるが、右のとおりの理由がある以上は、如何ともいたし方がなかろう。
 階級本能の退化には種々の程度があり、一方には未だに目上の者を崇拝せずには居られぬ人があるかと思えば、また他方には、いかなる者でもこれを軽蔑せずには置かぬ人があるが、大多数の者は今日その中間に位する。しかして、これらの人々の階級本能の退化は、年々少しずつその度を高めて行くようである。その結果は毎日の新聞紙上に出てくるとおり、下の者が上の者を敬わなくなることで、けっして昔のように何ごともご無理ごもっともでは通さず、少しでも自分らの得にならぬことにはたちまち同志を集めて反抗する。子は親に対し、生徒は教師に対し、傭人は主人に対し、労働者は資本家に対して一歩も譲らぬ態度を示し、そのため、紛擾の絶える時はない。しかしてその紛擾は、階級本能の退化とともに、今後も次第に殖え、解決もだんだんむつかしくなり行くように見える。


 以上述べたとおり、今日の人間生活には、限りなく矛盾が含まれてあるが、これは何と解釈すべきであるか、他の人々の考えは知らぬが、私一個の学説によれば、これは当然かくあるべきはずで、実は矛盾でも何でもない。矛盾の生ずべき理由がないのに、しかも矛盾が生じたのならば、これこそ真の矛盾であるが、矛盾の生ぜざるべからざる原因があって、その当然の結果として、矛盾が生じたのならば、これは少しも矛盾ではない。前に述べたとおり私の学説によれば、人間の過去の歴史には社会本能と階級本能とが発達した上り坂の時代と、その退化した下り坂とがあり、現今はその下り坂の途中にあってさらに下に向って降り行く所である。今日の人間をかような歴史の所有者として観察し、本能退化の程度が各個人によって一様でないことを考慮すると、その生活に現われる数多くの矛盾は、いずれもかくあるべきはずで、とうてい避けることのできぬものであったことが明らかに知れる。
 昔からいつの代にも世は澆李ぎょうきであるとか、世が末になったとかいい来ったが、私の学説によればこれは実際をいうたもので、けっして厭世家の感傷的な嘆息のみではない。二千年前も千年前も、百年前も、今日もいつもその時が世の末であるというのはすなわち全部が下り坂であったからである。階級型の社会を造っている動物に社会本能と階級本能とが退化すれば、その生活に破綻の生ずるのは当然のことで、退化の度が進むにしたがい、破綻はますます顕著にならざるを得ない。社会本能が退化すれば、相互扶助の行動が減って、自己本位の行動が増し、階級本能が退化すれば下は上を敬わずいよいよ治め難くなって行く。その時に澆季という昔を今から振り返って見れば、今の澆季よりは人情風俗に、はるかに奥床しいところがある。憂しと見し世も後に恋しくなることは千年前も今日も変りはない。思想の悪化ということは、生活難などのために、近頃になっていちじるしく目立ち始めたかも知れぬが、実は何千年も前からすでに緒が開かれてあったのである。
 本能の退化ということに心づかぬ人たちは、社会生活に何らかの破綻が現われるごとに、これを制度に不条理な点があるためと解釈し、その改革をはかった。もとより階級本能の盛んな頃に造られた制度は、この本能の退化につれて、おいおい時勢に適せぬものとなったから、これを適当に改正することは必要であったろうが、制度さえ改めたら、それで社会生活が完全に行なわれると考えるのは大間違いである。いくら制度ばかりを改良しても、肝心な社会本能が退化しては、めいめいの了見が自己本位的になるために、満足な結果は得られぬ。何度も姑息な改良を施しても社会生活が相変らず思うようにならぬのを見て、これは一回全部を覆して根底から新たに築き直さなければ駄目であると考える人も出てくるが、かような人が殖えると実際に革命が行なわれるに至る。しかし革命が行なわれた後の状態は如何というと、一時だけ幾分か胸の透いた感じはあるかも知れぬが、社会生活の不完全なことは、やはり従前のとおりで苦しさは増すばかりである。これでは革命などはなかった方がましと考える人が無論出てきて、これが相当な数に達すると、革命派を倒そうと企てる。革命の直後にいつもかならず反革命の起るのは右のごとき理由による。階級本能が復旧せぬ限りはいかなる改革を試みてもとうてい理想的な社会生活に戻すことはできぬ。
 社会生活の破綻がだんだんと顕著になってきては誰も彼も苦しみに堪えぬゆえ、何とかしてこれを押え防がなければならぬが、その役にあたったのが教育家と宗教家とである。その中で宗教家の方は、階級本能の盛んであった頃にはすこぶる勢いが強くて、ほとんど抵抗し得る者がなかったが、この本能の退化とともに次第に衰え、しばらくは上に位する者の手先となって服従と諦めとを説法しつづけた後、今日では、とうてい昔の面影はなくなった。もっとも今の世の中にも階級本能のあまり退化せぬ人間はたくさんにあるゆえ、宗教家の働く範囲も未だ相応に広くはあるが、この本能は一代ごとに少しずつ確かに退化して行くから、今後はけっして昔のごとくには働けぬに定っている。残るところは教育家であるが、これまでの成績から判断すると、社会生活を理想に近づけるために、何ほどの効果を挙げ得たやらすこぶる疑わしい。教育家が次代の人間をいかようにも注文どおりに造り得るようなことをいうのを聞いては、いささか片腹痛く感ぜぬでもないが、社会本能や階級本能の退化に基づく少年青年の悪変化を、世間では皆教育の行き届かぬ結果と解釈し、その尻をことごとく教育家のところへ持って行くのを見ては大いに同情に堪えぬこともある。教育家の今後の務めは、無意識ながら有力に働く社会本能や階級本能の退化に対し、智、情、意の意識的訓練によってその欠陥を補い繕うことであるが、それがいかなる程度まで成功するかは、今後の世の成り行きを見て初めて知ることができるであろう。
(大正十四年十一月)





底本:「現代日本思想大系 26 科学の思想※(ローマ数字2、1-13-22)」筑摩書房
   1964(昭和39)年4月15日発行
初出:「中央公論」
   1926(大正15)年1月
入力:川山隆
校正:雪森
2015年9月1日作成
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