我らの哲学

丘浅次郎




一 はしがき


 このたび本書の新版を出すにあたって、書肆しょしからなるべく多く追加原稿をそろえてつけるようにとの要求を受けたが、前版以後におりおり雑誌上にかかげた文は別に「煩悶と自由」と題して、最近に出版したゆえ、本書に追加すべきものはほとんど一つも残っていない。ただしせっかく新版を出すにあたって、全く旧版のままにしておくことは、なんとなく思想発表の好機をいっするような心持ちを禁じえぬゆえ「煩悶と自由」の終りに特に一篇を書きそえた例になろうて本書にも新たに一文を書きつづって巻末に追加することとした。
 ここに「われらの哲学」という題目を選んだが、これは決して今日新たに思いついたものではない。実は今より三十六年も前から夢みていたことで、いつか一度は自身の考えの全部を一つの哲学系統として整理してみたいとの希望は、すでにそのころからわれらの胸中にあった。また、ある時は「(独孤遺書)想邪乃話」という表題で、世人が理由をたずねず、ただ言い聞かされるままに信じている事柄を、根柢こんていから掘り返して論じてみようかなどと考察をめぐらしたこともあった。これらはいずれも若い時の空想に過ぎず、今日となってはもはやそのようなものができぬは明らかであるが、われらの思想の基礎観念は今日といえども少しも変わらず、かつこれまでに読んだ少数の哲学書には、それと全く同じような考え方はどこにも見当たらなかったゆえ、次にひととおりその要点だけを述べ、それを基礎とした物の見方をいくつか掲げておこう。
 われらは今日までに何冊かの哲学書を読んでみた。中にはおもしろいと思うて数回読み返したものもある。しかるに一冊としてそのまま取って自分の哲学とすることのできたものはない。これはおそらく読む前から自分自身の哲学を持っていたからであろう。徳利でも空のものには水を注ぎ入れることができるが、水がいっぱいにはいっている徳利にはもはや水がはいらぬごとく、自身にすでに一人分の哲学を貯蔵している者は他人の哲学を読んでみても、ただ面白おもしろいとかつまらぬとか感ずるだけで、決してそれによって、自分の思想界を占領せらるるごときことはない。われらの哲学の骨子は次の三節に述べるとおりであるが、かようなことを考え始めてからのちは、何物を見ても何事を聞いても、いつも必ずその見地から判断を下し、今日にいたるまで、物の考え方ははなはだしく変わらなかった。われらがいかなる書物をも鵜呑うのみにすることができず、いかなる学者をも崇拝するにいたらなかったのは全く自分の哲学を尺度として、他人の説の寸法を測ったからである。また実際に照らしてみても、われらの哲学から見て誤っていると思われる説は、たとえ一時世間から持てはやされることはあっても、時の経るにしたがいその誤りなることが暴露したものがすこぶる多い。それに反しわれらの哲学に基づいて立てた論は、その当時はげしく駁撃せられたにかかわらず、後にいたって着々事実によって証明せられた。さればわれら自身からみれば、われらの哲学がむろん一番正しいもののように思われるが、さらに翻って身を第三者の位地において側面から観察すると、自分の哲学だけが正しくて他の哲学はことごとく誤っていると堅く信じている人間が何千人も何万人もいる中に、自分もその一人として加わっているに過ぎぬゆえ、正しいくじを引き当てるプロバビリテは実に薄弱であることを充分に承知せざるをえない。

二 出発点


 哲学は先から先へと連続した思想の一系統であるが、多くの哲学者はまず議論の出発点となるべき基礎を探り求め、それを土台としてその上に理屈を築き上げようとつとめる。河に鉄橋をかけるときには、橋杭をだんだん深くまで打ち込み、もはや決して下るところのない堅固な岩に達すると、それで安心して、杭の上に橋桁をおいたり、欄干をつけたりするが、これはもっとも千万なことで、土台の定まらぬ間は、もちろん重い物をその上に積むことはできぬ。砂の上に楼閣の築かれぬはだれも知っているとおりである。哲学者もこれに見習うたものか、まず押してもたたいても決して揺らぐことのないようなある物を求め、これを考えの基礎に用いようとするが、たいがいの物は疑えば疑えるもので、ありと思えばあり、ないと思えばないとも言えるゆえ、決して疑うことのできぬというような物をしいて求めると、結局はデカルトのごとくに「われは考える、ゆえにわれはある」というようなところに達する。十人十色で物の考え方は一人一人に違うても、何か動かぬ基礎の上に考えの一系統を組み立てようと欲することはほとんどすべての哲学者に共通の心理であるようにみえる。ところがわれらの考えによるとこれが多くの誤謬の源である。
 物は何でも手近にあるほど確かに知ることができる。たとえば物の大きさを測るにしても、机や本箱ならば物差しをじかに当てることができるゆえ、その物差しの示す程度においてはすこぶる正確に測れる。すなわち幾人が測っても、何度測っても結果はまず同一であって、同じ机が二尺五寸になったり二尺六寸になったりすることは決してない。しかるに道路の長さを測る場合には、長い物差しを一度に当てて測るわけにはゆかぬゆえ、比較的はなはだ短い物差しで一小部分ずつを継ぎ継ぎに測り、のちにこれを合計して全部の長さを出さねばならぬが、わずかにこれだけの手数がかかってももはやその結果はやや正確でなくなり、二度測れば二つ、三度測れば三つの相異なった長さが出るゆえ、結局はこれを平均した長さを採用しておくよりいたし方はない。物差しをじかに当てずに他の方法によって測量する場合には、手数を重ねることがさらに余計よけいになるだけ、正確の程度がさらに減ずる。富士の山の高さが海面上一万何千何尺と何寸何分というような計算が出ても、最後の三けたか四桁は実は何の意味もない。ガリバー探険物語にある学者の国のごとくに仕立て屋が六分儀や水準器を持ち出し、角度から割り出して仮縫いの寸法を取るようではいかなる洋服ができ上がるか分からぬ。
 小さなほうもこれと同様で、じかに物差しの当てられぬ場合には間接の測定法によらねばならぬが、方法が間接であればあるだけ、結果は不正確にならざるをえない。最高度の顕微鏡でなければ見えぬような微細なバクテリアの長さが〇・〇〇三五ミリメートルあるとか、顆粒の直径が〇・〇〇〇八ミリメートルあるとか書いてあるが、実際にこれを測るにあたっては、実物からきた光線も、ミクロメートルからくる光線もいくつものガラスを通って屈折し、いくつもの鏡に当たって反射してくることゆえ、どこに少しの誤りがあってもじきに結果が狂うて、決して正確なことが知られぬわけである。まして幾回も数字を寄せたり、引いたり、掛けたり、割ったりして、ようやく出てきた計算の結果である場合には、その正確の程度は大いに怪しいものと考えねばならぬ。物の目方のごときもそのとおりで、牛肉を一斤とか、パンを半斤とかいうときにはまず誤りはないが、地球の重さが何千何百万トンなどという計算になると推測や仮定を幾段もくぐってきているゆえ、どのくらいまで信じてよろしいやらほとんど見当がつかぬ。
 その他、空間においても、時間においても、また原因結果の連鎖に関しても、最も正確に知ることのできるのはいつも自身に最も近く、かつ取扱いに最も手ごろな部分だけに限られる。目の前に見えるところにくらべると、隠れたところはよく分からず、遠くて見えぬところはさらによく分からぬ。町をへだて国をへだてれば、遠ざかるだけ、知りうることが正確でなくなる。実際行なわれていることはただひととおりよりないことが明らかであるにかかわらず、その報道は実に区々である。何某が過激派のために捕えられたと言うかと思えば、すでに国境を越えて某所にかくれていると説く者がある。某所のストライキが無事に落着したと報ずる者があれば、また一説には、なおますます盛んで、いつ治まるか見込みが立たぬと言うている。同一の人間が同時に二ヵ所にいることはできず、同一のストライキが同時におさまりかつ盛んになることは不可能であるゆえ、いずれか一方は誤りに違いないが、距離が遠いとこれを鑑別すべき道がない。時間についてもこれと同じく、昨日や今日のことならば真偽を見分ける途もあるが、古い昔のことになると、あったことやらなかったことやら容易に分からぬ。長い間だれもが確かに生きていたと信じていた有名な人物が歴史家の研究の結果、実はいなかった人であると抹殺せられることさえしばしばある。窓の下を呼んで歩く号外売りの言うことが区々であるのを聞いて、今日起こった事件の報知でさえ、かくさまざまである以上は、昔の話などはとうてい当てになるものでないと言うて、手に持っていた歴史の書物を破り捨てた人があるというが、現在からへだたればへだたるほどその時に関する知識が不正確であるはやむをえない。すでにすんだ過去でさえそのとおりであるから、これからのちの未来に関して予想的知識の不確実であるべきはもとよりいうにおよばぬ。
 かくのごとく人間の有する知識なるものは、自身に接近したところがいちばん確かであって、自身から遠ざかるにしたがいだんだんと不正確になり、一定の距離を超えれば全く皆無となる。そのありさまはあたかも暗夜に提燈を下げて立っているに異ならぬ。光は発光体から遠ざかるにしたがい、距離の自乗に反比例して力が減ずるが、知識の確実さの程度もおそらくこれと同じか、あるいはそれよりもなおいっそうはなはだしい割合で、自身から遠ざかるだけ減じてゆくごとくに思われる。特に原因結果の鎖を手繰たぐって、先から先へと考えを進めてゆく場合には、鎖の輪から輪に移りゆくたびごとに誤りの滑り入るべき隙があるゆえ、いくつかの輪を手繰っている間にはずいぶん多くの誤りが混ずるを避けられぬ。仮に推理の一段ごとに一割の誤りがはいり込むと想像しても、五段目には約半分の誤りを含むことになるが、たいがいの場合には誤りの量はなかなか一割くらいではすまぬゆえ、二段三段と理を推していると、当人の知らぬ間にほとんど全部が誤りとなり終わるおそれがある。さてかように考えながら従来の哲学書を読んで見ると、いずれも出発点の選み方を誤っているように思われる。議論の立て方は人びとによってまったく違うが、いずれの哲学者も推理によって先から先へと考え込み、かくしてようやく到着しえたところを基礎として、その上に一組の議論の系統を築き上げようとしている。しかるにわれらのごとく、人間の知識なるものはあたかも闇夜の提燈と同じく、ただ近いところが見えるだけで、遠いところほど光が怪しくなると考えるものから見ると、これは全く順序を転倒したやり方で、一番不確実なところに土台をおいて、それによって万事を了解しつくそうと苦心しているのである。しこうしてなぜそのような愚かなことをなすのかというに、その理由は確かに類推の誤りにあるらしい。すなわち前に述べた鉄橋、その他の土木建築では、まず土台を固めてすべての物をその上に積み上げるが、人間の知識もその流儀でゆかねばならぬと思い込んだゆえである。われらはかような考え方の哲学を総括して橋杭哲学と名づけるが、実際の橋杭のほうは深く打ち込むほど堅固になり、ついには土台の岩石に達するに反し、哲学の橋杭は深く打ち込むほど確実性が減じ、ついには雲をつかむごときことになるゆえ、かれとこれとを同様にくらべるのは大きなまちがいである。今後の哲学は、よろしく出なおしてまず提燈の光のもっとも明るいところを出発点とし、それより次第に半径をのばして周囲の暗黒界に知識の領分をひろげゆくようにとつとめねばならぬ。
 しからば光のもっとも明るいところとはどこかというに、われらの考えによれば、これはいまだ哲学などに捕えられぬ子供の心である。哲学などを考えぬ前の子供たちがだれもあると信じていることは、まずあると見なしてかかり、あるともないともまるで問題にしていないことは、まず問題にせずに捨ておき、かような状態を出発点として、次第に知識を増補したり、誤りを正したりしてゆけば、おそらくはなはだしい誤謬におちいらずに進んでゆくことができよう。子供らには自分の目の前の見えている人が、はたして真にいるものか、それとも、ただ自分がかく感ずるだけで、実際にはその人は存在しておらぬのではなかろうかなどとむだなことに頭を悩ます者は一人もない。目の前に見える人間はたしかにそこにいると信じて、これについて疑うてかかるような隙人ひまじんがあろうとは夢にも思わずにいる。青い木でも、赤い花でも、堅い石でも、柔かい豆腐でも、みな、見えたとおりのその物が確かにそこに存在していると固く信じて少しも疑わぬ。提燈の光のもっとも明るいところはすなわちここである。何を信じ何を疑うかは人々の勝手であるが、われらから見れば、子供らのこの状態のほうが幾段も推理を重ねた哲学者の結論よりもはるかに誤りをふくむことが少ないように感ずる。天国に入るには子供の心に立ち帰らねばならぬとキリストは説いたが、哲学にはいるにも、いったんまず哲学などを考えぬ子供の心に立ち帰りさらにあらためて出なおす必要があろう。八幡やはたやぶ知らずで路に迷うて行きづまった場合には後へもどって別の道を試みるよりほかにいたし方がないごとく、哲学者も一度入り口までもどって、別の出発点から新たに研究を始めるのが得策ではなかろうか。われらの哲学は子供の心を出発点とし、それより上下、左右、前後に考えをひろげてゆくことを主張するだけで、別に確固不抜の基礎を求めぬゆえ、土台を持たぬという点からは、あるいは風船哲学と名づけてもよろしいが、考えて見れば、地球自身も一種の風船に過ぎぬから、従来の橋杭哲学にくらべても何も遠慮しておるにおよばぬと思う。

三 方法


 さて、出発点だけはまず子供の心と定めたが、それより少しずつ半径をのばしてだんだん周囲のほうに考えをひろげてゆくには、いかなる方法によるかというに、われらの考えによると、ここにもっとも注意せねばならぬのは言葉の羈絆きはんから脱するということである。今の人間は言葉を用いてでなければ物が考えられぬゆえ、言葉の羈絆から脱するというても実は程度の問題であって、絶対に脱することはもとより望まれぬ。しかしながら初めからその心持ちで言葉を使用したならば、いくぶんか自由に考えることができよう。前に考えの出発点を子供の心におくがよろしいと言うたが、それから徐々と考えを進めてゆくにあたっても、まず一度は子供の境遇まで立ちもどり、子供が言葉を用いると同様の態度で言葉を用い、その後はただ必要なだけ新たな言葉を追加してゆけば、余計な誤りを引き入れずにすますことができよう。欲をいえば言葉などのまだなかった時代まで一度立ちもどって、さらに出なおして全く言葉などの助けを借りずに考えることができたならば、もっとも妙であるが、これは少し無理な注文のようであるから、せめては言葉にとらわれることのいまだ浅い子供の言葉の遣い方をまねて、どこまでも言葉にとらえられぬようにと注意しながら考えを進めてゆかねばならぬ。
 言葉にとらえられたために起こるまちがいの第一は、境界のないところに境界ありと思い誤ることである。元来物の名前は他と区別するためにつけられたものゆえ、差別に基づいているはいうまでもない。互いに相違のある物を一つ一つに別の名をつけて呼ぶことは日々の生活上、便利でもあり必要でもある。子供が言葉を用いるにあたっては、ただ差別をいい現わすだけで、別に境界があるかないかは考えていない。腹が痛むとか、背がかゆいとか、足をくじいたとか、膝をすりむいたとかいうて、不便なく意を通じているだけで、腹とはどこからどこまでをいうか、腹と背との境はどこにあるか、どこまでが膝の領分でどこから先が、足の範囲かというようなことはまるで考えずにいる。子供は物の名を単に他と区別するための方便として用いているが、こうしている間ははなはだしい誤りは生ぜぬ。しかるに人間が哲学をやり始めると、そのままでは承知せず、必ずひとつひとつの言葉に定義を下さずにはおかぬが、これはよくよく誤謬ごびゅうの始まりである。なぜというに定義を造ることはすなわち境界のないところに便宜上境界を定めることであるが、これを用いつづけている間にはかかる境界が初めから存在していたかのごとくに思い込みやすい。解剖学の書物を開いて見ると人体の表面を若干の区域に分け、赤い線でいちいち、その境界を画き、上腹区、中腹区、下腹区、乳腺区、胸骨区、前頸区などと各区域に名称がつけてあるが、実物の人体の表面にはむろん何の境もない。いかにていねいに探して見ても、上腹区と中腹区との間にも中腹区と下腹区との間にも、判然たる境界線は決して見いだされぬ。そのありさまはいかに地面を探しても下谷区と浅草区との境界線がなく、いかに隅田川の底を調べても日本橋区と本所区との境界線が見当たらぬのにひとしい。されば頸とはどこからどこまでを言うか、腕とはどこからどこまでを言うかと尋ねられると、解剖書の図版の上では答えられても、実物を突きつけられてはたちまち閉口する。かような次第で、およそ物の名前の定義は、みな、人間が自身の都合で勝手に境界を定めたものに過ぎぬが、実物のある場合には、このことはただちに知れる。これに反して実物について検査してみる便宜のない抽象的の言葉であると、自分で造った境界線が真にそこにあるごとくに考えるくせがついて容易なことではこれが抜けぬが、これはすでに言葉にとらえられている徴候である。自分の地面と隣の地面との間には明らかな境界線を定めておかねば気がすまず、わが国と隣の国との間には溝を掘って境をあきらかにしておかぬと安心ができぬが、この心持ちが、言葉の方面にも働いて一つ一つの言葉の間に繩張りをしておかぬと、観念の整理ができぬごとくに感じ、なにはさておいても言葉の定義を造ることに骨を折るのであろう。しこうして、いったん、おのおのの言葉の領分の間に繩張りをすると、後にはこれに捕えられて、繩張りのあるところには必ずこれに相当する自然の境界が実際にあるものと信じて疑わぬにいたる。昔から哲学者の間に言葉の繩張りに関する水かけ論のすこぶる多かったのは、いずれも言葉に捕えられていながら、自身にこれに心づかなかったゆえである。
 言葉に捕えられたために生ずるまちがいの第二は事物を模型化しながらこれに心づかぬことである。自然物を手に取って調べて見ると一つとして絶対に相ひとしい物はないが、それに一つ一つ別の名称をつけて区別することはとうてい不可能であるゆえ、やむをえずある程度まで互いに相似た物を集めて一組とし、これに対して一つの名をつけた。犬とか猫とか、松とか竹とかいうのはかくしてつけた種類の名であるが、このような名称を用いつづけていると、ついには同じ名で呼ばれる物はみな同一であるごとくに思い、その中の一つ一つが、互いに相異なるという事実を忘れやすい。また同じ名で呼ぶ物の間の相違を忘れる結果として、別の名で呼ぶ物と物との間の相違を常に一定量であるごとくにみなすにいたる。たとえば同じく犬というても一匹一匹にかならず違うものであるに、犬という言葉をつかっていると、犬をすべて同じ物と見なして、その間の相違を無視する傾きが生じ、猫という言葉を用いれば、猫をすべて同じ物と見なしてどの犬とどの猫とでもその間の相違の量はいつも同じであるごとくに感じやすい。これは実際に相違のあるところを相違のない形になおし、凸凹のあるところを平面に造り変えたのであるゆえ、明らかに事実の模型化である。もっとも同じ名で呼ぶ物の間の相違が目立つ場合には、さらにこれを細別していちいちに名称をつけるが、かくしても、ただ階段が一つ下がっただけで取り扱う心持ちは少しも変わらぬ。すなわち犬をセッター、ポインター、テリヤー、グレーハウンド等に分けて、これらの名称を用いればまたセッターをすべて同じ物、ポインターをすべて同じ物と思う傾きが生ずるゆえ、事実を模型化するという点は前にひとしい。一方の高い端から、他方の低い端まで連続している斜面には、高さの同じ部分は決してないが、すべての部分にことごとく名称をつけることはできぬゆえ、その中から最も特徴のいちじるしい点を若干だけ選んでこれに名称をつけて満足するのほかはないが、かくしていちいちの名称の範囲に繩張りをし、繩張り内を水平であるごとくに見なせば、斜面はそのため階段の形に造り変えられる。無限に変化のある物にはそのままでは名がつけられぬゆえ、便宜上これをいくつかの部分に分かち、それに名をつけておくよりほかにいたし方はないが、これはあたかも斜面を階段に造り変えたことにあたる。果物屋の亭主が最大から最小まで漸々ぜんぜん移りゆく数多くの林檎りんごを自分の見計らいで、これは一個六銭の部類、これは一個七銭の部類と便宜幾組かに分けるのも、鉄道の係りが、初生児から老年まで次第に移りゆく人間の年齢を、ここまでは無賃の部、ここまでは半額の部、ここからが全額の部と便宜三組に分けるのも皆これと同様の扱いをしているのである。にじの色を七つに分けるのも、もしも、各色の範囲を定めるならば、境界のないところに境界を造って、一種の模型に直したことにあたる。
 また物に名称をつけると、その物を静止し固定せしめる傾きが生ずる。絶えず動いて変じゆく物にはそのままでは名がつけられぬゆえ、随時にある瞬間をとらえ、これをしばらく静止するものと仮定して名をつけるよりほかにいたし方がない。そうしてかく飛び飛びにいくつかの瞬間をとらえてこれに名称を付し、隣接する名称との間を繩張りで仕切ると、繩張り内だけでは動かなかったごとくに感じ、時の流れはあたかも静止の時期と、一足飛びの瞬間とが互いに相交代するごとき形に模型化せられる。歴史をいくつかの時代に分けて、各時代に、それぞれ名をつけるとややもすれば、かような感じを起こさしめるおそれがある。天地間にある万物はいずれも変化せぬものはないが、名称のほうは固定しているゆえ、名称をつけられ、それで呼ばれると、その物までが固定せるごとくに見なされるをまぬがれぬ。常に変じつつある物を暫時ざんじ固定せるごとくに考えきたった例は、昔からずいぶんたくさんにあるが、これには言葉が大いに手伝っていたと思われる。
 以上述べたとおり、言葉を用いて物を考える場合には、勢い境界のないところに境界を造ったり、言葉に合わせて事物を模型化したりすることを避けられぬが、このことはむろん有形の物質に限ったわけではなく、無形の抽象的方面にも通じたことである。しこうして有形物のほうでは実際境界があるかないか、模型と実物とが一致するか、せぬかを実物について直接に検査して見る便宜があるから、誤りを見いだすことが、比較的に容易であるが、無形の事物になると、かような検査がすこぶる困難であるために、まるで誤った議論でもなかなかばけの皮が現われず長く生命を保つことができる。また有形物のほうでは実際にない物に名をつける気遣いはないが、無形の議論においては、ない物を想像して、これに名をつけることがしばしばあり、しかも、いったん名がつけられるとその物があるかのごとき心持ちになる。名さえつけてなければ初めから全く問題にものぼらなかったはずの想像物が、名があるばかりに、多数の人々にやかましく論ぜられるのを見ても、いかに今日の学者が言葉の奴隷となっているかが知られる。されば物の理屈を考えるにあたっては、できるだけ言葉の羈絆きはんを脱し、決して言葉にとらえられて、むだなことに頭脳をなやまさぬように充分注意せねばならぬ。

四 用心


 われらの哲学は以上述べたとおり、子供の心を出発点とし、できるだけ言葉にとらえられぬように注意しながら論を進めてゆくことを主張するが、その際いかなる心持ちで事物を見るべきかというに、これには子供の心とは正反対の態度を取ることを要する。子供は自分の分からぬと思うことは、何でも親や付き添いの人に尋ねるが、何とでも答えてもらいさえすればそれで満足する。すなわち聞いたことを何でもそのままに信ずる性質を備えているが、これは哲学には絶対に禁物である。見ずして信ずる者は幸なりなどというて、宗教は初めから信ずることを要求するが、哲学は何ごとをも批評し研究するつもりで取りかからねばならぬ。われらの考えによれば、およそ一派の哲学を組み立てようとする者には、あたかも五十年の一生を絶えずだまされ続け、世の中にはすでに愛憎をつくしている老人のごとくに、何ごとをもただでは信ぜぬという態度が必要である。今日までの人間の知識の歴史が、誤っては改め、誤っては改めることの連続であるのを思えば、何ごとでも軽々しく確信するのは大いに考えものであるが、特に先から先へと物の理屈を考えてゆく哲学においては、どこに一つのまちがいがはいりこんでも、それから先が全部だめになるところがあるゆえ、議論の一段ごとに、厳重な用心をせねばならぬ。
 人のいうたこと、書物に書いてあることをそのままに信ぜぬのみならず、自分で直接に見たと思うこと、さわったと思うことでも一応は確かめてみる必要がある。生理学の書物を開いて見れば、錯覚や幻覚の例がいくらも出ているが、特別の注意を怠ると、そのためずいぶん誤ったことをそのまま信ずるにいたらぬとも限らぬ。並行線でもこれに若干じゃっかんの斜線を画き加えると不並行線に見え、一個の豌豆えんどうでもこれを中指を人差し指の上に折り重ねてなでると確かに二つあるごとくに感ずる。ただしこれは物差しで測るとか目で見るとか、手のひらでふれるとかすれば、線の並行せること、豌豆の一つよりないことが容易に知れるゆえ、錯覚のままに誤り信ずるにはいたらぬ。また同じ大きさのゴム球でも、短い棒の先でなでれば大きく感じ、長い棒の先でなでれば小さく感ずるが、目を開いて見ればただちにその誤りを訂正することができる。人間には感覚の器官が幾種類もあるゆえ、たとえ一種の感覚器で誤り感じても、他の感覚器で調べてみれば、その誤りなることに気がついて決してまちがいのままには終わらぬ。ただし注意を怠ると、繩が蛇に見えたり、すすきが幽霊に見えたりして、これを見た当人は確かに蛇や幽霊を見たと信じている例はいくらでもある。
 ない物が見えたり、ある物が見えなかったりするのが幻覚であるが、熱病などにかかるとこのことは決してまれでない。もしも世間の人間がことごとく同じ熱病にかかり、同じ幻覚を持ったならば、これを訂正する道はないわけであるが実際にはさような場合は決してあるはずはなく、一人の熱病人の周囲には、数十人数百人の健康な人が控えているゆえ、これとくらべて、病人の幻覚の誤りなることはただちに確かめられる。ガスをかいだり、薬を飲んだりすれば、神経系統にある変化が起こって、幻覚が生ずることのあるべきはだれにも理解せられるであろうが、病気や薬によらずともずいぶん幻覚を生ぜしめうる場合があろう。たとえば日常普通の生活状態とは大いに異なった境遇に身をおいたり、つねには決してせぬような変わったことをなし続けたりすれば、神経系統の具合が変わって、そのため他人には見えぬ物が見えたり、他人の感ぜぬことを感じたりするようになることもあろう。このような場合に、その当人は幻覚を幻覚と思わず、これを真実と確信してその上に勝手な人生観を立てることが多いが、われらから見ればこれは熱病人の幻覚と同一に取り扱うべきものである。インドの宗教信者の行なうような、難行苦行をすれば、ずいぶん光明を放った仏の姿がありありと目の前に見えることもあろうが、これはその当人限りに見えるものでだれにもその存在を信ぜしめるわけにはゆかぬ。特殊の一個人が特殊の修行を積んで、初めて達しえた神経系統の特殊の状態は、普通の健全な人間と異なるという点においては、熱病人とごうも異なるところはない。
 しからば、われわれは何を信ずべきかというに、われらの考えによれば、普通の健全な人間が、普通の境遇にあって、甲の感覚器の誤りを乙、丙、丁の感覚器によって検査するというだけの注意を払うて見聞したことを信じておくのがいちばん安全である。疑い始めれば、際限がないゆえ、やむをえずどこかでがまんして、信じておかねばならぬが、前に述べた病気や薬による幻覚のことなどを思えば、まず、病気にもかからず、薬の影響をもこうむっていない普通の健康者を標準として、それらの人間が見たと信じ、聞いたと信じていることをともに信じておくのほかはなかろう。われらの哲学は子供の心を出発点とし、言葉の羈絆きはんから脱するように努めながら、一歩一歩誤りの入りきたらぬように注意して進むつもりであるが、これは従来の哲学を全く眼中におかず、新たな道を進むことにあたる。一面にむずかしい文句の書いてある黒板を一度きれいにぬぐい去って、新規にこれをよごそうと試みるのである。これまで人々の崇めきたった偶像をことごとく打ちこわして、できるならば今後は偶像なしにすましたいのであるが、いかがなものであろうか。とにかく、この方針によって一種の哲学系統を組み立ててみたならば、従来のとは違うたものが何かできそうに思われるが、われらにはもはやそのようなことをなすべき時間もなければ望みもない。それゆえただこの方針で考えたことを二つ三つだけ書きつづって、次にかかげるにとどめる。

五 人間


 まず人間について論じてみるに、子供の心に立ち帰ったとすると、確かと思われるのは次のごときことである。自分と同じような人間がたくさんにいる。一人一人をくらべてみるとむろん違うところがあるが、大体においては似ている。身体の形のみならず日々することも大体は相同じである。そのような人間が地面の上に建てた家に住み、毎日食物を食うて生きている。物を食わねば腹が減ってたまらぬ。また人間のほかには犬とか猫とかいうような動物があって、毎日食物を食うている。かれらも食物を食わずには生きておられぬ。このようなことは子供らが固く信じて疑わぬところであるが、われらの哲学によればこれは従来の哲学が脳髄を絞って考えた結論よりもはるかに確かなことと思われる。また男女の交わりによって女が妊娠し子が生まれることは、子供に知らせぬゆえ子供は知らずにいるが、もしも大人の有するだけの経験を持たせたならば、子供は必ずこれを信じて疑わぬであろう。犬や猫の生殖についても同様である。その他人間でも犬でも猫でも、殺されて死に、病気で死に、年をとって死ぬものなることも子供が確かに知っている。なお人間や、犬猫について子供が確かに知っていることはたくさんにあるが、これらの知識を出発点とし、一歩一歩実験的に調べてゆくとついに次のごときことを知るにいたる。
 人間の各個体の始まりは男親の※(「澤のつくり」、第4水準2-82-7)こうがん組織から離れ出た精虫の一と、女親の卵巣組織から離れ出た卵細胞の一とが合して生じた一個の細胞である。この細胞が分裂して多数の細胞となり、細胞は次第に組み合うて各種の器官を造り、ついに小さな人間の形ができる。子宮の中にとどまり、母体からの滋養分に養われ、最初きわめて小さかった胎児も漸々ぜんぜん成長し、月満ちて生まれるころにはすでに相応な大きさの赤子となる。また生まれた後は、初めは乳により、後には食物によって盛んに大きくなり、生殖腺が成熟すれば自然に男女相求め、幾人かの子を生み、泣いたり笑うたりしている間にいつか年をとって、くだらぬ病気で死んでしまう。しこうして死んだのちはいかになりゆくかというに、焼かれて灰になるか、埋められて腐るか、いずれにしてももはや元の人間ではなくなる。人間の各個体の始めから終わりまでを簡単に述べれば右のとおりで、これだけは、まず確かなことのように思われる。
 しからばかような人間の集まりなる人類はいかにして生じたものかというに、これは昔はさっぱり見当もつかなかったが、生物学の進歩によって今ではある程度まで推察することができるようになった。これを論ずるのは生物進化論であって、詳しく説けば、それだけでも大部の書物になるゆえ、ここにはとうてい述べるわけにはゆかぬが、その大要だけをつまんでいえば次のごとくである。すなわち人間も他の動物も元はみな同じ先祖から起こった。犬でも猫でも馬でも牛でも、ある時代までさかのぼれば先祖は同じであるが、同じ一族の人間にも兄弟もあれば、従兄弟もあり、従兄弟の子もあれば、従兄弟の孫もあるごとくに、動物各種の間にも互いに縁の遠い者もあれば縁の近い者もある。縁が近いとは共同の先祖から分かれ降ってからまだあまり間のないものをいい、縁が遠いとは共同の先祖から分かれ降ってからすでに長い年月を経たものをいう。縁の近い者ほど身体の形状構造が似ている。縁の遠い者はこれにくらべると身体構造の相違がいちじるしい。ところで人間に最も似ているのは猿であり、猿の中でもアメリカの猿よりは東半球の猿のほうが人間によく似、その中でも猩々しょうじょうやチンパンジーのごとき大猿がもっともよく似ている。さればすべての動物の中で人間と最も縁の近いものは猿類で、特に猩々などとはきわめて近親の間柄である。言いかえれば、猿と人間とは少しく昔にさかのぼれば一つの先祖に合する。すなわち人類なるものは、数多くある動物の中の一種で比較的新しい時代に猿と共同の先祖から分かれ降り、その後すべて他の動物に打ち勝って、今日のごとき偉大な勢力を有するにいたった。これはむろん、側に見ていた証人があるわけではないが、かく考えねばならぬ証拠は生物学の各方面に無数にあり、それがみな実物であって、子供にも根気こんきよく話したら確かに得心とくしんのゆくべき性質のものゆえ、今日のところではまず誤りを含むことのもっとも少ないものと認めねばならぬ。

六 霊魂


 人間の身体は死んで腐っても魂だけは長く後まで残ると信じている人がすこぶる多いようであるが、われらから見れば、これは全く言葉にとらえられた誤りである。生きた人間と死んだ人間とをくらべてみると、生きた人間は身体が温かく、よく運動し、呼吸もすれば、脈搏みゃくはくもあり、また事物を識別する。死骸のほうはこれに反して、冷たくて動かず、呼吸も脈搏もやみ、識別の力もないらしい。生きた人には命があるといい、死んだ人は命を失うたという。生きるとか、死ぬとか、命があるとか、ないとかいう言葉を単に両者の間の相違を言い現わすものとして用いている間は誤りにおちいらぬが、命という言葉の定義を造り、その範囲を定め、周囲に繩を張って隣との境界を明らかにすると、そこにまちがいが始まる。しこうしてこれには算術が大いに手伝っている。
 自然界には数もなければ、寄せ算も引き算もない。数を寄せたり、引いたり勘定するのは、人間が勝手にすることである。しかるに十から三を引けば七が残り、七から二を引けば五が残るというように数を勘定する習慣がつくと、何物にもこの方法をあてはめる癖が生じ、生きた人間と死んだ人間との間に、若干じゃっかんの差があるのを見ると、ただちに引き算や足し算を始め、生きた人マイナス死んだ人は命、死んだ人プラス命は生きた人というように考え、生きた人が死んだ人になる時には、命だけがどこかへ逃げていったものとみなす。これは境界のないところに勝手に境界を造り、切り離すべからざる物をしいて切り離しているのであるから大きなまちがいである。覚めた人と、眠れる人との差別を言い現わす言葉とすればまちがいは起こらぬが、引き算式に覚めた人マイナス意識は眠れる人として、意識だけがあたかも独立して存在しうるもののごとくに考えたならば、これまた前のと同じ誤りにおちいっている。あるとき、何かの書物に、物から色を去れば形が残り、形を去れば性が残ると書いてあるのを見て、このような頭で考えられては、いかなる名論が出てくるか分からぬと恐ろしく感じたことがあるが、これなどはプラス、マイナスに捕われたもっとも好い標本である。おそらく染物屋が白木綿を紺で染めたり、紺木綿の色を白く抜いたりするのを見て、このような考えを起こしたのかもしれぬが、形を抜いて性だけを残すことはすこぶる困難であろう。人間が死ぬと身体から魂が抜け出すごとくに考える人らは、つねづね生きた人生をもって、死骸の魂染めであるごとくに見なしているわけであるが、その源は前に述べたとおり言葉にとらえられて、境界のないところに境界を造り自分の張った繩に自分で引っかかって迷うているにほかならぬ。
 かような下地したじのあるところへ、霊魂なるものが、別に存するごとくに思わせる事情がたくさんにあるので、だれもかれもがかく考えるようになった。その事情とは、人間の知識では解釈しかねることが天地間に無数に存することである。人間の素性を考え、昨日までは猿のごときものであったことを思えば、人間の知恵で分からぬことが無数にあるのはもとより当然であるが、そこには心付かず、分からぬことには何とか理屈をつけて分かったごとき心持ちになりたがるゆえ、いよいよ霊魂が必要になってくる。何か不思議なことが起こった場合に、これを霊魂の仕業とみなせば、それでひとまずわけが分かったごとき心持ちになることができる。木が倒れても、家が焼けても、子供が怪我けがしても、犬が死んでもみな霊魂がしたことにすれば、とにかく説明はつく。特にそれがもしも亡者が生きていたならば、必ずかくしたであろうと思われることである場合には、いっそうもっともらしく聞える。たとえば酒飲みの老爺が死んだ日に、酒樽のせんが自然にはずれて酒があふれ出したとか、意地の悪い姑が死んで七日目に棚の徳利が落ちて嫁の頭に当たったとかすれば、いかにも霊魂がいまだ家の中に留っているごとくに感じ、かようなことがたびかさなれば、霊魂はいよいよあるものに違いないと確信するにいたる。一年じゅう、毎日晴天と予報しても五割以上は適中するというが、偶然の適中ということは、もとよりいくらもあるべきはずゆえ、もしもはずれたほうを度外視し、あたったほうだけを数え上げれば、あたかも立派な証拠のごとくに見える。かような次第で霊魂なるものが存在するということはすでに野蛮時代から一般に信ぜられ、人が死んでも霊魂は残ると信ずる以上は、それに基づいたいろいろの儀式や習慣が生ずる。目にも見えず呼んでも答えぬところから、霊魂はよほどの遠国に住んでいるもので、死ねばそこまでゆかねばならぬと考えるゆえ、死人には旅装束をさせ、つえを持たせ、草鞋わらじをはかせ、若干じゃっかんの旅費まで添えて出立させる。今ならば、トランクや帽子箱を添え、急行切符や領事の裏書きした旅行券を持たせてやるところである。かく遠方にいると思いながら、また自分の側にいるごとくにも考えて、毎日食物を供えたり音楽を聞かせたりして、その間の矛盾には気にとめずに平気でいる。世の中の文明が進んだというても、普通の人間の頭はあまり進歩せず、かような幼稚な考えが、ほとんどそのままに今日まで伝わって、種々さまざまの儀式や風俗が依然として残っているのである。
 霊魂があると信ずる以上は、死んだ人々と意見の交換をしたい場合もときどき起こるが、そのときにあたって、媒介の役をつとめる特殊の人間がおいおい出てくる。野蛮国や半開国には巫子みことか魔術師とかいう者が必ずあるが、これが通辯となって、霊魂のいうことを生きた人間に翻訳して聞かせる。そのいうことにはむろん当たることもあり、当たらぬこともあるが、五割当たったことや、三割当たったことまでも拾い集めてみると、何ごとをもかるがるしく信ずる頭を持った未開の人間を驚かしめるに足りる場合も決してまれではなかろう。霊魂の存在はかくしてますます深く信ぜられるようになった。今日のいわゆる文明国にも心霊研究と称して、霊魂の仕業を研究し、死人と話したとか、幽霊の写真をとったとかいう報告を公にする者が幾人もある。
 われらの考えは前にも述べたとおり、霊魂ありとの信仰は、応用すべからざるところに引き算を応用した結果で、その原因はやはり言葉にとらえられたためである。同じ論法を用いれば、蝋燭ろうそくについては次のごとくに考えねばならぬ。燃えている蝋燭と消えた蝋燭とをくらべてみると、燃えている蝋燭には炎があり光を放つが、消えた蝋燭には炎がなく光を放たぬ。それゆえ燃えている蝋燭から光を引けば消えた蝋燭となり、消えた蝋燭に光を足せば燃えている蝋燭となる。また燃えている蝋燭から消えた蝋燭を引けば光だけが残る。それゆえ蝋燭とは離れた光なるものが存在し、蝋燭はなくなっても光だけは永久に残る。このように論ぜねばならぬ理屈であるに、世人がこれには一向かまわず、蝋燭の火を吹き消しても決して今まで見えていた光が見えぬ光となって、永久に存在すると考えぬのはなにゆえかというに、これは自身とあまり直接の関係がなく、かつ見えぬ光が存在すると思わせるような事情に出あわぬからである。単に論法だけをくらべれば、人間が死んでも霊魂が残るというのは、蝋燭が消えても見えぬ光が残るというのと少しも違うたことはない。燃えている蝋燭とか、消えた蝋燭とかいうのは、ただ蝋燭の存在状態の差別をいい現わすための言葉であるゆえ、甲から乙を引けば差額が出るごとくに勘定するのがよくよくまちがいである。これと同じく生きた人間とか[#「人間とか」は底本では「人生とか」]、死んだ人間とかいうのも、単に人体の存在状態の差別を言い現わす言葉に過ぎぬゆえ、どこまでもそのつもりで使用しなければならぬ。一杯目には人、酒をのみ、二杯目には酒、酒をのみ、三杯目には酒、人をのむというが、言葉もそのとおりで、人が手綱を持って制御している間はよろしいが、ややもすれば言葉のために引きずられ、ついには全く言葉の奴隷となって、何ごとも言葉の命ずるままに考え信ずるにいたりやすい。身体から離れた霊魂の存在を信ずるのはかかる成り行きの結果である。

七 宇宙


 ある哲学書に次のようなたとえ話しがあった。フランス語の少しも分からぬ支那人が二人パリに来て、芝居を見物した。その中の一人はしきりに舞台や楽屋の仕掛けを見て歩き、幕はいかにして上げるか、光はどこから照らすか、なみは何で動かすか、風の音は何で鳴らすかというごときことをつまびらかに知ろうとつとめた。他の一人は静かに座席に腰をかけたままで、熱心に役者の所作を見て、狂言の筋を了解しようと試みた。前者は自然科学者が宇宙に向かう態度であり、後者は哲学者が宇宙に向かう態度である。これはちょっと考えるとすこぶる巧みなたとえのようであるが、われらから見ると、類推の誤りが根本に潜んでいるゆえ、決して真実を示しているとは思われぬ。このたとえはまず第一に宇宙には芝居の狂言と同じように一定の筋が必ずあるものと見なしてかかっているが、これはそもそもいかがであろうか。何ごとをも用心してまず疑うてかかる者から見れば、これが第一に疑問である。またかりに一歩を譲って、宇宙の狂言の筋があるものとしたところで、それが人間に了解せられうべき性質のものか否かが、大いに疑わしい。マーテルリンクの蜜蜂の本を一冊読んでみても知れるとおり、人間以外の世界には、われわれの了解とはまるで性質の違うた了解が幾通りもあるように思われるが、もしもさようとすれば、了解を人間の専売のごとくに考え、わが有する種類の了解のほかには了解はないと独断するのは少しく早計ではあるまいか。このような果てしのないことを論ずるのは全くむだなようにも思われるが、世間には宇宙には一定の目的があって、その方向に狂言が進んでゆくものと信じている人も多いようであるゆえ、ここにはただ子供の心を出発点とし、一歩一歩まちがいの入りきたらぬように充分に注意して、理屈を考えたのでは、決してそのような決論には[#「決論には」はママ]到着せぬということを述べるだけにとどめる。
 また目に見える宇宙のほかに、別になお一つ目に見えぬ宇宙があると信じている人がすこぶる多い。「見えぬ宇宙」という書物をむかし読んだことがあるが、霊魂があると考える人は、霊魂の住宅として、見えぬ宇宙を認めるのほかに道はなかろう。形もなく、物質もなく、見える宇宙に例外なく行なわれている、物理学や化学の法則を超越したある物が存すると信ずる以上は、見える宇宙のほかに、それとは性質を異にした別の宇宙が存すると考えねば、そのものの入れどころがない。見える宇宙のほかに見えぬ宇宙を想像する人は、頭の中に二階造りの宇宙を画いている。すなわち下の座敷は見える宇宙であって、われわれは現にそこに住んでいる、二階の座敷はすなわち見えぬ宇宙であって、そこには霊魂が大勢下宿している。人間は死ぬと身体だけは腐ってなくなるが、霊魂は早速梯子はしごを登って二階にゆき、前からそこにいた連中の仲間に加わる。いったん二階に登った以上はふたたび下へは降りてこられぬ。それゆえ、二階に登ることを帰らぬ旅に立ったとも言う。昔のエジプト人は、霊魂はふたたび二階から降りてくるものと信じたゆえ、そのさい自分の身体がなくなっては困るであろうとの心配からきわめて念入りに死骸を保存した。これがすなわち数千年後の今日まで残っているミイラである。宴会の帰りに、外套や靴が見えなくても大いにまごつくことを思えば、自分の合い札の身体が見つからぬときの霊魂の迷惑はまったく察せられる。とにかく、身体から離れた霊魂なるものがありと信ずる以上は、宇宙を二重に考えることを避けることはできぬ。
 あの世とか、未来とか、天国とか、霊の世界とか名はさまざまに違うても、見えぬ宇宙は要するに見える宇宙の二階である。しこうしておもしろいことには、二階座敷はいつも下の座敷によく似ている。人は想像によってすでに知っていることをいろいろに組み合わせることはできても、全く別の物は考え出せぬものとみえて、天国はどこの国でも、下界にあるだけの物で造り、ただそれが理想化せられてある。ある農夫は、もしもオレが王様になったら、肥桶のたがを黄金で造ると言うたそうであるが、天国もそのとおりで、エスキモーの天国にはにしきのごときアザラシが泳いでい、インドの天国には車輪のような蓮花れんげが咲いている。アフリカの天国ではおそらくゴリラや獅子ししが温順で、南洋の天国では多分空いっぱいにバナナがぶら下がっていることであろう。すべてかような具合に、霊の世界の材料は自分の手近にある見える宇宙から取ってある。そのありさまは、低能な作者がいかに努力しても低能な小説より書けぬのに異ならぬ。されば虚心平気に、世界各民族の天国を比較研究したならば、その想像物なることは明らかに知れよう。
 前にも述べたとおり、われらの考えによれば、身体から離れた霊魂なるものがあると思うのがまちがいである。しこうしてかかる物がありと思わねば、二重の宇宙を想像する必要は全く消滅する。目に見える物だけをありと信ずる子供の心を出発点とし、言葉に捕えられぬように用心しながら確かに知り得たことだけを考えに入れて論を立てると、見える宇宙のほかになお一つ別の宇宙を想像せねばならぬ理由は少しも出てこぬ。実をいうと、もしも今までの伝統的の考え方をことごとく忘れて、初めから全く新しく考えなおしてみたならば、宇宙は一重か二重かというようなことは問題にものぼらぬ。われらがここに宇宙を二重に考える必要はないというのは、決して宇宙は一重か二重かという問題を研究の価値あるものとしてとり上げ、充分に研究をとげた結果、二重と考えるにおよばずとの結論に達したわけではない。かかることを念頭におかぬ子供の心のそのままの引き続きとして、念頭におかずにいるだけである。

八 神


 神にはいろいろある。石や木を神として拝むところもあれば、狐や狼を神に祭っている国もある。生きた人間を神として崇める人種もあれば、死んだ酋長の霊魂を神と仰ぐ民族もある。ただし今、ここにはかような野蛮国や半開人種の神について論ずることをはぶいて、単にいわゆる文明国の人々が長い間信じきたった天地の造り主なる神だけについて考えてみよう。
 朝、目が覚めたときに枕元に一つのりんごがあるのを見たなら何と思うか。りんごが自然にそこに生じたと思うか、それともまた自分が眠っている間にだれかが持って来てくれたと思うか。よく考えてみよ。りんごがひとりでそこにできるはずはないから、これは必ず、母か姉かが持ってきたものに違いなかろう。わずかに一個のりんごでさえ、だれかが持って来てくれなければそこにあるはずはない。しからばこの世界はいかに。われわれに食物を与え、われわれに衣服を与え、われわれに住居を与えるこの世界は決してひとりで生じたものとは思われぬではないか。しこうしてこの広大無辺な天地を造った者があるとすれば、それは実に知らざることなく、あたわざることなき神でなければならぬ。以上はわれらが子供のとき熱心なキリスト教信者から聞かされたところであるが、造物者ありとの信仰はおそらくかような論法からきているのであろう。しかしわれらの考えによれば、これまた前の支那人の芝居見物と同じく、全くまちごうた類推である。
 目に見えぬ神があるという信仰は、むろん目に見えぬ霊魂があるという信仰と密接に関係している。人が死んでも霊魂が残るという信仰がもしもなかったならば、目に見えぬ神の存在だけを信ずることはよほどむずかしい。なぜといえば、ほかにこれと比較すべきものが見当たらぬからである。これに反して、目に見えぬ霊魂なるものがあると信ずる以上は、目に見えぬ神があると信ずることには何のめんどうもない。特に宇宙を二階造りにして、霊魂を二階の座敷に住まわせてある場合には、目に見えぬ神もそこに同居させれば、きわめて好都合である。かような次第で、神のいるところはいつも霊魂のいる場所と同じであり、人が死ねば霊魂だけが神の側へゆくことになる。現に西洋の子供らは親や教師から教えられて、実際このとおりに信じているが、おとなの考えも大多数はあまりこれと変わらぬ。すなわち神はいつも自分の頭の上に位する天にいるものと思い、人が死ねば霊魂は天に昇るものと定め、神を呼ぶには、天にますわれらの神と言うて、それからめいめいのいのりをささげる。
 ヨーロッパやアメリカでは昔から今日までたれもかような天地の造り主なる神があるものと信じ、日々の生活もときどきの儀式もみなこの信仰に基づいて定められた。それゆえ、今日の文明はほとんど神の信仰とは離るべからざるほどに密接な関係を持っているように見える。何ごとも原因なしに生ずるわけはないゆえ、神の信仰がかく広く長く続いているのは、むろん相当の理由がなければならぬが、われらの考えによれば、これは決して実際に神があるからというわけではなく、単に人間の頭が、かかることを信じ得るようにできているのと、さらにかかることを信ぜしめるような事情があるためである。しかし、いずれにせよ、長い間かく信じきたったことゆえ、この信仰はすでに深く人間の心にしみ込み、いまさら理屈によって、かく信ずべき理由はないと思うても、なんとなくその跡に空虚が残るごとくに感じて、不安の心持ちを禁じえぬかもしれぬ。これは一種の惰性の結果として避けがたいことではあるが、純理によって先から先へと考えてゆく哲学においては、全く顧みずにおいてよろしかろう。

九 社会


 以上きわめて簡単に霊魂や神に関するわれらの考えを述べたが、次に人間の社会について一言するに、これも従来の考え方をことごとく捨て去り、何も聞かされなかった昔に帰ったつもりで、根本から新たに考えなおして見ると、現今多数の人びとの信じていることとは大分違うた結論に達する。このことについては、すでに一、二回われらの考えを発表したことはあるが、要点だけをつまんでいうと次のごとくである。
 今の世界には人間を相手として対等の競争をなしうる動物は一種類もない。かくのごとく人間が絶対に優勢な位地を占めえたのは何によるかというに、これは脳の発達と団結の力とに基づくことである。人間と他の動物との身体を比較して見るに、爪でも牙でも肺でも胃でも人間よりは数等まさった動物はいくらでもいる。しかし脳髄にいたっては人間だけが一段飛び離れてすぐれていて、これに接近するほどの者は決してない。かくすぐれた脳をもって、人間は物を考え、種々の道具や器械を工夫し、爪や牙ではとうていかなわぬような強敵をもたちまち攻め滅ぼしえたのである。もちろん、道具や器械を造り、操縦するには、それのできる手が必要であるが、手だけならば、人間のほかにもこれを有する獣類は少なくない。すべての猿類はむろんのこと、擬猴ぎこう類でも、食虫類のあるものや、有袋類のあるものさえも、人間のとおりの手を持っている。されば人間にもしも手がなかったならば、決して他の動物に打ち勝ちえなかったであろうが、手だけがあっても肝心の脳の働きが鈍くては、とうてい何ごとをもなしえなかったに違いない。また脳がよく発達し、手が充分に働いても、一人一人が離れて生活していたならば、強敵に打ち勝つ望みは決してなかったのであろう。もっとも発達した今日の人間でも一人ずつに離せば存外弱いもので、それが有力に働きうるのは全く多数の者が力をあわすからである。要するに人類がすべて他の動物を征服して、今日のごとき全盛時代に達しえたのは実にすぐれたる脳と団結とに基因することと言わねばならぬ。
 しかるに何物でも立派なものが突然生ずるということは決してない。かならず最初いまだ立派でなかった時代があり、それから一歩ずつ進んでついに立派なものまでにでき上がるのである。人間の脳でも団結性でも、そのとおりであろうが、これを絶えず進歩せしめたのは何であるかというに、われらの考えによれば、それは主として、劣った者を滅ぼし、まさった者のみを生き残らせる自然の淘汰であった。特に団結性のほうは団体と団体との競争が長く続いている間には、そのすぐれた団体のみが勝って生き残り、その劣った団体はことごとく負けて滅び失せるに定まっているゆえ、年月をるとともにただ進歩するのほかはなかったであろう。現に団体生活をする動物を調べてみると、いずれも団結性はますます進むばかりで、各個体は完全にその属する団体の一分子となり終わらねばやまぬ状態にある。
 かくのごとく団体動物では団結性が絶えず進みゆく中にまじって、ただ一つ団結性の進歩せぬ団体動物がある。それは言うまでもなく、人間であるが、人間には特殊の事情があるために、この性質の進歩がとまった。特殊の事情とはすなわち、道具や器械が発達したために、各団体が非常に大きくなり、その結果として、団体を単位とした自然淘汰が行なわれなくなったことである。団結性の程度を標準として、人類が今日までに通過しきたった道を図式に画けば、あたかもパラボラのごとき形となり、始め急な上り坂からだんだん傾斜がゆるやかになり、しばらくは絶頂にあるが、後には少しずつ下り坂に変じ、しかもその勾配こうばいは進めば進むほど急になるのではないかと思われる。しこうして、人間の団結性は最初から服従の形で現われ、その形で進みきたったゆえ、団結性の弛緩はすなわち服従性の退歩として現われるが、このことは社会の各方面にきわめて明瞭に見えている。われらは一昨年の一月に「自由平等の由来」および「煩悶の時代」と題する二文を公にして以上のごとき考えを述べておいたゆえ、ふたたびこれを繰り返すことは略するが、われらの見るところによれば、今日の人間社会の真相を了解するにはここに説いたごとき事実を認めることが、何よりもまず必要である。これを認めなければ何ごとも分からぬことばかりであり、これを認めればかれもこれもことごとくかくあるべきはずとうなずかれる。
 人類の歴史に服従性の増加しきたった時代と、服従性の減少しゆく時代とがあったとすれば、今日の人間社会に矛盾の多いことは何の不思議でもない。今日人間のすることの中には服従性の盛んであったころからの引き続きもあれば、服従性が減少してから新たに思いついたこともある。前者は服従性の減少した新しい人々には我慢ができず、後者は服従性になお富んでいるふるい人々にはとても気に入らぬ。今日各方面にやかましい問題は、いずれも服従性の盛んであったころに取りきめた規約に対する、服従性の減少した人たちの反抗に基づいている。かれも人なりわれも人なりと考えるような世の中になっては、他人の足がわが頭の上にのるような条約にはとうてい辛抱はできぬゆえ、その改正を迫るのはもとより当然である。また今までは目上の者の言うことは絶対に服従をしいられ、自分の思うことは全く通らず、子は親に、妻は夫に、弟子は師匠に、雇人は主人に、初めから頭は上がらぬものと定められてあったが、これでは人間やら器械やら分からぬなどと考える者がおいおい出てきて、まず何ごとよりも先に、われわれも人間であることを認めてもらいたいと叫ぶようになった。これも考えようによってはむろん当然のこととして認めねばならぬが、この申し出を聞き届ければだれもかれもが平等となるゆえ、大いに従来の習慣とは矛盾したところが生ずる。実際の問題を尋ねれば一つ一つに内容は違うが、その因って起こるところを探って見るとことごとく同一である。
 一言でいえば、人間の社会なるものは、昔は服従性によって、よく団結していた。しかるに、後にいたって、各団体が大きくなり、そのため自然淘汰がやんで服従性が退歩し始めた。服従性が退歩すれば、物の考え方が変わってきて、従来の制度や習慣には満足ができなくなり、やかましくその改造を迫るという階段までに達したのである。しからば今後はいかになりゆくかというに、団体を単位とした自然淘汰がふたたび起こらぬ以上は、服従性はますます退歩するばかりであろうから、人間の団結はいっそう薄弱になるに違いない。昔の世の中がよく治まったのは、人間に服従性が多量に存していたからであるゆえ、ふたたび昔のような、よく治まる世の中にするには、服従性の復古を図るのほかはない。革命前のロシアのごときは実際この方面に全力を注いでいた。もしもこのことが有効に行なわれがたいとすれば服従性を打ち捨て、自由、平等の関係で一致団結のできるような新案を講究せねばならぬが、そのようなことがうまくできるか否かは、今までの人間のなしきたったことから推し測るとすこぶる疑問のように思われる。

一〇 結論


 以上はわれらのつねづね考えたことの中から二、三を選み出して、きわめて不完全に述べただけであるが、この文の初めにも断わっておいたとおり、他の人々の考えとは大いに異なったところがある。推理の出発点も、考えを進めてゆく方法も、従来の人々がいかにしていたかということにはごうも頓着せず、ただ自分でこれがもっとも良いと思うところを採用した。一体哲学なるものは、すこぶる個人的のもので、十人寄れば十種もできるゆえ、他人の哲学と区別するためにはめいめい自分の哲学には何とか名をつける必要も生ずる。あたかもビールにキリンとか、エビスとか、アサヒとか、サッポロとかいちいち名がつけてあるごとくに、哲学にも、エンピリシズムとか、ラシオナリズムとか、プラグマチズムとか、インチュイショニズムとかさまざまな名がつけてあるが、要するに考え方によって、何とでも考えられるということに帰着する。われらは別に自分の考えと他人の考えとを比較して見る必要を感ぜぬが、われらのここに述べたことを読む人があるいはこれをもって、従来世間に知られていた何々論とか何々説とかの中のいずれかに属すると思うことがあるかもしれぬゆえ、少しばかりその特徴を明らかにしておく。
 われらが神ありと信ずる必要がないというと、ある人はこれを無神論と名づけるかも知れぬ。むろんそれでもいっこう差支えはない。ただし、われらは神はあるかないかという問題を取り上げて、神ありと信ずべき証拠が充分でないと判定したわけではない。考えの出発点が違い、考えを進めてゆく方法が違うので、かような問題に出あわずにいるだけである。火事のあるときに煙を見れば方角だけは知れるが、距離が分からぬために、新宿の火事を江戸川辺かと思うたりすることが往々あるが、世間の人はとかく、自分の考えと一致せぬ考えを聞くと、ただちにこれを自分の考えと正反対の極端のところに位するものと勝手にきめて、そのつもりでしきりに弁駁することが多い。われらは神ありとか神なしとかいう議論には接触せず、ただ側から眺めているだけであるが、有神論者からは極端な無神論のごとくにみなされるであろう。
 またわれらが霊魂ありと信ずるにおよばずというのを聞いて、ある人はこれを唯物論と名づけるかもしれぬ。これも前と同様で、われらはかく呼ばれてもいっこうにかまわぬ。ただしこの場合にもわれらは決して唯心論と唯物論とをくらべてみて、その中の唯物論のほうを採用したというわけではない。考えの出発点が違い、考えの方法が違うために唯心論か唯物論かのうち、いずれか一つをとらねばならぬというような境遇に立ちいたらぬゆえ、そのようなことを知らずにすましているだけである。またわれらが宇宙は二階造りとするにおよばずと説くのを聞いて、ある人はこれを一元論と名づけるかも知れぬ。もしもかような考え方を一元論と名づけるならば、われは一元論者であると言われることを決して拒絶せぬ。ただしわれらの一元論は、二元論を排斥して立った一元論ではなく、子供の心からそのままに延びてきた一元論であって、二元論と対立しているなどとはごうも思うていない。また一歩一歩誤りの入りきたることのないようにと十分に注意し、信ずべき証拠があると認めた上でなければ、考えを先へ進めぬという点では、実証論と見なされてもよろしい。また知り得ぬことは知らぬとしておく点では、不知論と名づけられてもよろしい。われらは哲学の一系統を造ったわけではなく、ただかようなところから出発し、かような方法によって進んだならば、一つ変わった哲学ができるであろうという考えを提出したに過ぎぬ。きわめて不充分な説き方ではあったが、もしもこれが、宇宙のことを深く考えてみようと欲する若い篤学者のためにいくぶんかの暗示ともならば、それでこの文を書いた目的は充分に達せられたわけである。
(大正十年四月)





底本:「進化と人生(下)」講談社学術文庫、講談社
   1976(昭和51)年11月10日第1刷発行
初出:「進化と人生」東京開成館
   1921(大正10)年9月25日増補4版発行
※誤植を疑った箇所を、「進化と人生」東京開成館、1921(大正10)年発行の表記にそって、あらためました。
入力:矢野重藤
校正:y-star
2017年10月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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