子供の時分の話

小川未明




 あめりのく、チャルメラのこえくと、子供こども時分じぶんのことをおもい、按摩あんまふえくと、そのひとなみだぐみました。そのはなしかせたひとたびひとです。そして、その不思議ふしぎはなしというのはつぎのような物語ものがたりです。
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 まちからすこしばかりはなれた、ちいさなさびしいむらでありました。むらにはむかし城跡しろあとがありました。ちょうどわたしおなじい七つ、八つばかりの子供こどもが、毎日まいにち五、六にんあつまって鬼事おにごっこをしたり、こまをまわしたりしてあそんでいました。
 ずっと以前いぜんから、このむら一人ひとりのあめりじいさんがはいってきました。チャルメラをいて、ちいさな屋台やたいをかついでまちほうからやってきました。子供こどもらはみんな、このおじいさんのかおをよくっていました。
 わたしは、昼寝ひるねをしている時分じぶんに、ゆめなかでこのチャルメラのこえいたこともあります。またそとあそんでいる時分じぶんに、かなたの往来おうらいにあたっていたこともあります。
 かぜひかっていたり、とんぼがんでいるのをるよりほかに、変化へんかのない景色けしき物憂ものうく、単調たんちょうでありましたから、たまたまあめりのふえくと、たのしいものでもつかったように、そのほうけていったものです。
 このあめりじいさんは、城跡しろあとぐちのところに、いつも屋台やたいろしました。そして、むらじゅうの子供こどもせるように、遠方えんぽうのぞんで、チャルメラをらしました。じいさんは、もういいとしであったとみえて、のしょぼしょぼとしたじわのたくさんなかおけて、くろいろをしていました。
 けれど、わたしは、またこんな無愛想ぶあいそうなじいさんをたことがありません。おおくの子供こどもが、こうしてなつかしそうに、したわしそうにそのそばへってきましても、つい一としてわらったかおせなければ、戯談じょうだんをいってよろこばせてくれたこともなかったのです。
 こうして、そこに二、三十ぷん屋台やたいろしてやすんでいますが、もうあめをってくれる子供こどもがいよいよないとわかると、じいさんはだまって屋台やたいをかついで、おしろなかとおって、かなたのむらほうへといってしまいます。わたしは、いつもさびしそうにして、おじいさんのえてゆく姿すがた見送みおくりました。
 むかしからある、しろもんの四かくおおきい礎石そせきは、ひかりびてしろかわいていました。くさ土手どてうえにしげっていました。そして、小鳥ことり四辺あたり木々きぎのこずえにまってないていました。きたほうから、かなしいかぜいてきて、ほおをなでたのであります。
「さあ、うちほうかえろうよ。」と、ともだちの一人ひとりがいいますと、
「ああ、かえろう。」と、みんながいって、うちのあるほうへとかえっていきました。
きみかわおよぎにいこうか。」と、なか一人ひとりがいいますと、
「ああ、およぎにいこう。」と、あるものは同意どういしましたけれども、また、あるものは、
ぼくかわへいくとおかあさんにしかられるから、いやだ。」と、ゆくのをこばんだものもあります。
弱虫よわむしだなあ、じゃ、ぼくらだけおよぎにいこうよ。弱虫よわむしなんかこなくてもいいや。」と、二、三にんが、一つになって途中とちゅうからわかれて、田舎道いなかみちあるいてかわのあるほうへといったのであります。
 わたしは、いつもその弱虫よわむしなかはいっていました。わたし祖母そぼ母親ははおやが、かわへいくことをあぶないといってきびしくしかったからです。そして、わたしはいつも弱虫よわむし仲間なかまはいって、うちほうへとかえっていきました。
 そればかりでありません。わたし祖母そぼや、母親ははおやは、わたしいえまえからけっしてとおくへはやらなかったのであります。
一人ひとりで、とおくへゆくと、ひとさらいがきてれていってしまうから、うちまえからとおくへいってはいけない。」と、つねにいいきかされていたのであります。
 だから、あそともだちのない、ただ自分一人じぶんひとりのときは、ぼんやりとして、たるみちうえっていました。そして、だれかいっしょにあそともだちがてこないものかとっていました。
 あるのことです。わたしは、やはりこうして一人ひとりさびしく往来おうらいうえっていました。けれど、いぬ一ぴきその姿すがたせなかったのです。ただみちうえには、なにかちいさないしらされてひかっていました。そして、とんぼが、かなたのはたけうえんでいるのがえたばかりです。
 わたしは、退屈たいくつでしようがなかったのです。このとき、とおくでチャルメラのおとこえました。わたしは、びたつように勇気ゆうきづけられました。いくらそのおじいさんが無愛想ぶあいそうでも、ずっとむかしからこのむらにくるので、まったくのかおなじみであったから、けっして他人たにんのような気持きもちがしなかった。そのそばへいって、屋台やたいにさしてあるいろいろな色紙いろがみつくられた小旗こばたかぜになびくのをたり、チャルメラのおとこうとおもいました。また、きっとよそからも、ともだちがそこへあつまってくるにちがいないとおもったので、わたしは、さっそくけだしました。
 城跡しろあとのところにいきますと、いつもおじいさんが屋台やたいろす場所ばしょ屋台やたいいてありました。そこからチャルメラのこえこえてきました。そして、今日きょうはいつもより、紫色むらさきいろかみ小旗こばたがたくさんにちらちらとえましたので、はやわった光景こうけいをながめたいとはしっていきました。
 すると、それは、いつものおじいさんじゃありませんでした。わたしは、このはじめてるおじいさんを不思議ふしぎおもいました。おじいさんは、こっちをいて、にっこりわらっていました。そして、わたしがだんだん不思議ふしぎおもいながらちかづくと手招てまねぎをしました。そのおじいさんのかおは、しろくてひかっていました。わたしは、このおじいさんが、いつものおじいさんとちがって、愛嬌あいきょうがあるのにもかかわらず、なんとなく気味悪きみわるおもいました。
「さあ、おいでよ、おいでよ。」と、おじいさんはいいました。わたしは、自分じぶん一人ひとりだけで、ほかにともだちがなかったから、あまり屋台やたいには近寄ちかよらずに、はなれてぼんやりとっていますと、
「ここまでくると、おもしろいからくりをせてやる。さあさあはやくおいで、一人ひとりのうちはおあしをとらない。さあさあ、はやくおいで。」と、おじいさんはいいました。
 わたしは、からくりをたさに、だんだんと近寄ちかよっていきました。
「さあ、そのあなからのぞき。だい一はあねおとうととが、母親ははおやをたずねて旅立たびだつところ。さあさあのぞき。一人ひとりのうちはおあしらない。」
 わたしは、屋台やたいにかかっているはこあなをのぞいてみました。すると、旅姿たびすがたをしたあねと、おとうと二人ふたりうつったのであります。
「つぎは、途中とちゅうで、二人ふたり悪者わるものあうところ。」
と、おじいさんがいっていときますと、あおい、あおい、海原うなばらえて、おそろしい姿すがたをした悪者わるものが、まつかげかくれて、かなたからあるいてくる二人ふたりのようすをうかがっていました。
 これから、どうなることだろうとおもっているうちに、おじいさんはあななかくらにしてしまいました。
「さあ、これから二人ふたりが、人買ひとかぶねせられておきしまへやられるところ、もっとさきまでいくとせますよ。さあ、いっしょにおいでなさい。」と、おじいさんは屋台やたいをかついで、おしろなかはいっていきました。
 わたしは、悪者わるものが、あねおとうとをどんなめにあわせるだろうとおもうと、かわいそうになって、ついそれがたくて、あめりのあとについていきました。あたりはまったくはたけで、人一人ひとひとりとおらなかったのであります。
 不意ふいに、おじいさんは屋台やたいろすと、わたしらえました。わたしはびっくりしてこえをたてるひまもなく、おじいさんはわたしくちぬぐいをて、もののいえないようにして、
「いいところへれていってやるから、おとなしくして、このはこなかはいっているのだ。」と、わたしはこなかれてしまいました。それをかついでおじいさんは、とっととみちあるいていきました。
 せまい、身動みうごきもできないようなくらはこなかしこめられて、わたしはしかたなくじっとしていました。おじいさんは、どこをとおっているのだかわかりませんでした。そののちはチャルメラもかずに、さっさとあるいていました。
「あんまり、一人ひとりとおくへゆくと、ひとさらいにれられていってしまう。」といった、祖母そぼ母親ははおや言葉ことばおもされて、わたしは、しみじみかなしくなっていていました。
 おじいさんは、どこをどうあるいているのだかわたしにはわかりませんでした。だいぶんながあいだあるいたとおも時分じぶんに、おじいさんは屋台やたいろしました。そして、はこなかからわたしそとしました。このときよくると、おじいさんのかおは、まったく気味きみわるいほどいろしろく、ひかっていました。わたしはいつもむらにやってくる無愛想ぶあいそうな、あめりじいさんをおもして、どれほど、そのひとのほうがいいかしれないとおもいました。
「さあ、なんにもこわいことはない。わたしといっしょにくるのだ。」と、おじいさんは、屋台やたいしたいたままさきってあるきました。わたしは、そこがどこだか、ちっともわかりませんでした。さびしいやまあいだで、両方りょうほうにはまつや、いろいろな雑木ぞうきのしげったやまかさなりっていました。そして、ただ一筋ひとすじほそみちたにあいだについていました。
 おじいさんについて、どんなところへれていかれるのかと心配しんぱいしながらあるいてゆくと、はや、せみの松林まつばやしいているこえこえました。れたら、どうなるのだろうとおもうと、もう一足ひとあしあるになれなかったけれど、みちがわからないのですこともできなかったのであります。おかあさんや、おばあさんが、わたしをたずねて、心配しんぱいしていなさるだろうとおもうと、わたしむねがふさがるようながしました。
「さあ、このとうげすと、もうじきだ。」と、おじいさんはいいました。
 どんなところへゆくのだろうと、わたしはそればかりおもわれて、心配しんぱいでなりませんでした。
 やがてとうげすと、三、四けんふる粗末そまつうちっていました。おじいさんは、その一けんうちわたしれてはいりました。すると、そこにははだぬぎになって、大男おおおとこが四、五にんで、はながるたをしていました。そして、おおきなをむいて、けんめいにかるたをとっていました。
「こんな子供こどもをつれてきた。」と、おじいさんは、みんなにかっていいました。けれども、だれも相手あいてにならずに、かるたのほうにられて夢中むちゅうになっていました。
「どれ、はいってこよう。」と、おじいさんはいっててゆきました。
 そこはかし湯治場とうじばであったのです。わたしひとりすわって、このものすごいしつうちまわしていました。まだランプも、電燈でんとうもなく、ただふるぼけた行燈あんどんが、すみのところにいてありました。わたしこころで、これはきっと悪者わるものどもの巣窟そうくつであるとかんがえました。そして、このあいださなければならぬとおもいました。わたしは、よくそのときのことをおぼえています。このとき、按摩あんまふえいていえまえとおりました。
 わたし決心けっしんをして、おとこどもにづかれぬように、そっとしつて、下駄げたをはきました。そして、だれかていぬかと四辺あたりまわしますと、勝手かってもとのところで、まだわかおんなが、しろぬぐいをかぶってはたらいていました。わたしは、そのおんなひとがなんとなくやさしいひとえましたので、そのそばへいって、
小母おばさん、どうかわたしうちかえしておくれ。」と、いてたもとにすがりました。すると、やさしそうなそのおんなひとは、じっとわたしかおていましたが、
れるとたいへんだから、はやわたしにおぶさり、あのおじいさんのいないまにげなければならないから。」と、おんなひとはいって、しろぬぐいをとって、そのぬぐいで、わたしかおをわからないようにかくしました。わたしは、をふさがれて、おんなかたにつかまり、そのにおぶさりますと、おんなはすぐにそこからおとのしないようにあるして、きたときのとうげくだりました。
 やがておんなは二、三ちょうもくると、いきをせいて、わたしろしてやすみました。けれど、まだわたしからぬぐいをはずしませんでした。
「わたしは、みんなにれるとひどいめにあいますから、ここからかえりますよ。ぼっちゃんは、いまあっちからくる馬方うまかたたのんであげます。」と、おんなはいって、ガラガラとうまくるまかせてきた馬方うまかたに、なにやら小声こごえおんなはいっていました。
「また、達者たっしゃだったらぼっちゃんにあいますよ。けれど、だれかがとってくれるまで、ひとりでぬぐいをとってはいけませんよ。」と、おんなはいいました。わたしは、だまってうなずきました。そしてなんとなく、このやさしいおんなわかれるのがかなしゅうございました。
 わたしくるまうえせられて、ながあいだらぬ街道かいどうをガラガラとかれていったのであります。どんなところをとおったか、どんな景色けしきであったか、かくされているので、すこしもわからなかったのです。そして、あるところにきたときに、
「ここだ。」といって、馬方うまかたくるまめ、
「さありた。そして、すこしここにってっているのだ。」といって、わたしろしてくれました。
 わたしは、いわれるままにっていました。そのうちに馬方うまかたは、うまいていってしまいました。ガラガラとくるまおとは、しばらくとおくなるまでわたしみみこえていました。
 いつまでっても、いつまでっても、だれもきてくれなかったのです。わたしは、ついにかなしくなってしました。おおきなこえをあげてしました。すると、だれかきて、わたしかくしをってくれました。
 ると、それはわたしのおとうさんで、わたしむらはずれのおおきな並木なみきのかげにっていました。
 は、もうとっくにれていたのであります。





底本:「定本小川未明童話全集 1」講談社
   1976(昭和51)年11月10日第1刷
   1977(昭和52)年C第3刷
初出:「おとぎの世界」
   1919(大正8)年7月
※表題は底本では、「子供こども時分じぶんはなし」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:江村秀之
2013年9月23日作成
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