金の魚

小川未明




 むかし、あるところに金持かねもちがありまして、なんの不自由ふじゆうもなくらしていましたが、ふと病気びょうきにかかりました。
 世間せけんに、そのこえたほどの大金持おおがねもちでありましたから、いい医者いしゃという医者いしゃは、いずれも一んで、みてもらいました。けれど、どの医者いしゃにも、その病気びょうきがわかりませんばかりでなく、それをなおす見込みこみすらつきませんでした。そのうちに金持かねもちはだんだんからだわるくなるばかりでありました。
 そのとき、たびからきた上手じょうずうらなしゃがありました。そのおとこは、過去かこいっさいのことをあてたばかりでなく、未来みらいのこともいっさいを秘術ひじゅつによってあてたのでありました。
 金持かねもちは、せめてものおもに、自分じぶん不思議ふしぎ病気びょうきについてみてもらうことにいたしました。うらなしゃは、金持かねもちの病気びょうきうらなって、いいますのには、
「こんな病気びょうきは、またと世間せけんにあるような病気びょうきでない。どこがわるいということなく、だんだんからだからなくなってしまって、そして、ばたりとたおれてんでしまうのだ。この病気びょうきは、どんな名医めいいにかかってもなおらない。ただ一つこの病気びょうきのなおるくすりがある。それは、めったにられるものでないが、金色こんじきうおべるとなおってしまう。このうおは、まれにかわなかにすんでいるものだ。」と、そのうらなしゃはいいました。
 金持かねもちは、金色こんじきうおべれば、この病気びょうきがなおるということをきますと、絶望ぜつぼうのうちにかすかな希望きぼうみとめたのであります。かねはいくらでもあるから、かねちからで、この金色こんじきうおさがしだそうとおもったのであります。
 そこで、国中こくちゅうに、
金色こんじきうおらえてくれたものには、千りょうのおれいをする。」といいふらしたのであります。
 世間せけん人々ひとびとは、このうわさをみみにするとおおさわぎでありました。そこにもここにも、あつまって金色こんじきうおはなしをしたのであります。
金色こんじきうおなんてあるものかい。」と、こうがいいますと、
「それは、あるそうだ。あるとき、おんなかわあらっていると、まえ金色こんじきうおいてしずんだことがあるそうだ。そればかりでない、むかしから、幾人いくにん金色こんじきうおたものがあるということだ。」と、おつがいいました。
「五、六年前ねんまえも、このまちのはずれをながれているかわ金色こんじきうおたものがあるそうだ。」と、へいがいいました。
 そこで、金色こんじきうおはかならずしもいないわけではないというので、まち人々ひとびとはもちろん、むら人々ひとびとまでみな金色こんじきうおらえて金持かねもちのもとへってゆこうとおもわないものはありませんでした。
 河辺かわべには、毎日まいにちいくにんということなく、無数むすう人々ひとびと両岸りょうがんならんでりをしました。そして、金色こんじきうお自分じぶんろうとおもったのでありました。
 毎日まいにち毎日まいにちなかには自分じぶん仕事しごとまでやすんでかわにやってきていとれているものもありました。
「なに、仕事しごとぐらいやすんでも、金色こんじきうおったら千りょうになるんだ。そうすれば、一しょうなにもせんでらくらしてゆけるから。」というのでありました。
 金持かねもちは、また、毎日まいにち毎日まいにち今日きょうはどこからか金色こんじきうおらえてってきてくれはしないかと、そればかりちあぐんでいました。けれど、どういうものか、金色こんじきうおはなかなかれませんでした。
 河辺かわべへゆくとおおくの人々ひとびとが、口々くちぐち金色こんじきうおは、まだれないだろうかといっていました。
「まだ、れたというはなしかない。」と、一人ひとりがいいますと、
「それなら安心あんしんだ。金色こんじきうおは、おれらなけりゃならぬ。」と、一人ひとりはいって、自分じぶんがその千りょうかねをもらう覚悟かくごで、根気こんきよくいとれているのであります。けれど、そこにも、ここにもれるうおは、みんな黒色こくしょくのものばかりであって、一つとして金光きんびかりをはな大魚おおうおはかからなかったのでありました。
 一ぽう金持かねもちの病気びょうきはだんだんわるくなるばかりでありました。うらなしゃきんうおべればなおるといったけれど、そんなきんうおは、このなかんでいないのかもしれない。たとえんでいても、自分じぶん不運ふうんのために、そのうおはりや、あみにかからないのかもしれないと金持かねもちはなげいていました。
 金持かねもちは、そとかわのほとりへいってみますと、どこの河辺かわべひとでいっぱいでありました。みんな金色こんじきうおらえようとしているのです。
「これほどまでにしても、きんうおがかからないなら、まったく、おれうんがつきたのだ。」と、金持かねもちはつくづくとうえかなしんだのでありました。
 金持かねもちは、これだけのかねち、土地とちち、なに不足ふそくなくらすことができ、そのうえに、としも、まだそうったわけでないのに、これをみんなのこして、自分じぶんひとんでいってしまうことは、なんというかなしいことだろうとおもいました。
「どうしたら金色こんじきうおらえられるだろうか。」と、金持かねもちはおもまどいました。
 名人めいじんうらなしゃは、もはやこのまちにはいませんでした。たびからたびへ、わたどりのようにあるうらなしゃは、どこへかいってしまったのです。金持かねもちは、いまさらそのことをうらなしゃにたずねることもできなかったのであります。
 ある金持かねもちは不思議ふしぎゆめました。自分じぶんは、とおみなみたびをしたのであります。それはあたたかな、あかるいくにでありました。いろいろなまちとおり、いくつかのふねのたくさんまっているみなとぎました。そして、あるのこと、まえに、みかんのなっているやまをながめました。
 旅人たびびとは、あるときはふねったり、あるときはうまったり、またあるときはあるいて、ここまできたのであります。やまはそんなにたかくありませんでした。ふゆ季節きせつでありましたけれど、はやししたには、みどりくさが一めんにしげっていました。このくにには、ふゆというものがなかったのです。そのやまのぼりますと、あなたにうみがありました。うみうえねむるようにおだやかでありました。うみのほとりに、まちがありました。いろいろの建物たてものがそのいただきあおそらにそびえていました。つばめがさえずりながらまちうえんでいました。
 そのまちなかに、あかはたが、ながいさおのさきにひらめいています。それは、万病まんびょうなお不思議ふしぎ温泉おんせんのわきるところでありました。
 その温泉おんせんへいってはいって、病気びょうきがみななおってしまったのです。そんなゆめ金持かねもちはたのでありました。
 がさめてからも、金持かねもちは、ゆめ景色けしきがありありとのこっていてわすれることができませんでした。
「ほんとうに、そんなところがあるのではなかろうか。」と、かんがえていました。
 すると、ちょうどまちはいってきた薬売くすりうりがありました。金持かねもちは、くすりがきいても、きかなくても、薬売くすりうりがはいってくれば、かならずったのであります。
「おまえさんは、諸国しょこくたびしてまわんなさるが、もしやみかんのなるやまのふもとで、うみのほとりにまちがあって、そこからよくきく温泉おんせんるところをおりになりませんか。」と、金持かねもちは、薬売くすりうりにたずねたのであります。
「そういうところは、わたしは、いくしょました。みかんのそのやまにあって、そのしたうみがあって、まちのあるところで温泉おんせんるところは、いくしょました。」と、薬売くすりうりはいいました。
「なんでもわたしゆめたのは、あかはたがひらひらとひるがえっていましたが。」と、あわれな病人びょうにん金持かねもちはいったのです。
あかはたのなびいていると、ああ、それはここからたいへんとおみなみくにでありますよ。わたしが、たしかに見覚みおぼえがあります。しかし、そのまちぎたのは、三年前ねんまえでした。」と、薬売くすりうりはこたえました。
 金持かねもちは、いろいろそのまちのことを薬売くすりうりからいてふかおもいにしずんでいました。
 ある金持かねもちは、たくさんのおかねうまんでひとらぬに、みなみくにして、今生こんじょうおもあさはや旅立たびだちをしたのでありました。
 それともらずに、人々ひとびとは、なお毎日まいにちかわのほとりにきて、りをしていました。
「いつになったら金色こんじきうおがかかるのだろう。」と、口々くちぐちにあくびをしながらいっていたのであります。千りょうかねになれば、いくら仕事しごとやすんでもけっしてそんにはならないとおもったからでありました。
 けれど、金色こんじきうおは、ついにかかりそうもありませんでした。
 あまり性質せいしつのよくない、こうおつへいは、ある、三にんあつまって、
金色こんじきうおがあるなんて、うそのことだ。ほんとうにいまいましい。ひとつみんなをだましてやろう。そして、もし、金色こんじきうおがここにいる三にんのだれかにかかったら、千りょうもうけて三にんけることにしよう。」といって、三にんは、ふなをらえてきて、それに金箔きんぱくって、いくひきもかわなかはなったのです。
 あるかわばたでさわぎがありました。
金色こんじきうおがかかった。きんさかながかかった。」と、りあげたものがいいますと、
きんうおれた、金光きんびかりのする、ほんとうのうおれた。」と、口々くちぐちにいって、みなそこにあつまってきました。
 すると、また、おな時刻じこくに、
「ここでもきんうおれた。」というこえがした。
 人々ひとびとおおさわぎをして、
「あすこにも金色こんじきうおれた。」といって、そのほうはしってゆきました。
 みんなは、金色こんじきうおらえたひとをうらやみました。そして、わいわいとそのひときながら金持かねもちのいるまちほうしてゆきました。
二人ふたりに、金色こんじきうおがかかったから、金持かねもちは二千りょうすだろう。」と、あるものがいいますと、
「なに一人ひとりにしかすまい。それともおならえたのだから、五百りょうずつであるかもしれない。」といって、わいわいといってゆきました。
 みんなは、金持かねもちのうちまえまでゆきますと、そのうちはあきになっていました。
大金持おおがねもちが、どこかへいってしまうようなことはない。ちょっと近所きんじょへいったので、すぐにかえってくるだろう。」といって、みんなはうちまえっていました。けれど、れかかってもかえってきませんでした。
 きんうおった二人ふたりのものだけは、まだうちまえってっていましたが、あとのみんなは、いつしか自分じぶんうちかえってしまいました。
 二人ふたりのものは、てんでに自分じぶんらえたきんうおなないように大事だいじにして、それをまもって金持かねもちのうちまえっていました。そして、こころなかで、どうかして相手あいてきんうおんでくれればいいといのっていました。そうすれば、とどこおりなく、千りょうかね自分じぶん一人ひとりちるとかんがえたからであります。
 二人ふたりのものは、たがいにかおをにらみあってものもいわずに、一夜ひとよ、そのうちまえちあかしました。
 けれど、翌日あくるひになって、はいつしかたかがったけれど、金持かねもちのかえってくるけはいはなかったのです。そのうち二人ふたりのものははらってがまわってきました。
 そんなこととはらず、金持かねもちは、みなみみなみへとたびをつづけていました。
 二人ふたりのものは、きんうおころさないように、大事だいじにして、毎日まいにちひるよるも、金持かねもちがかえってきたらさききんうお金持かねもちにわたそうとおもってうちまえっていました。すると、だれいうとなく、きんうおは、ふなに金箔きんぱくってかわはなしたのだということがわかりました。二人ふたりはたいへんがっかりして、らえたうおかわててしまいました。
 金持かねもちは、いつまでたってもきませんでした。そして、あきになったうちはいつしかれはててしまいました。ひろ屋敷やしきにはくさがしげって、あきになるとむしき、はるになるといろいろのはなきました。
 その金持かねもちのうえについては、だれもっているものがありませんでした。おそらく、みなみほうらないまちをたずねてゆくうちに、どこかで病気びょうきおもくなってんだのだろうということです。
 しかし、不思議ふしぎなことに、かわには、それからというものは、金色こんじきうおがたくさんにふえました。人々ひとびとりをしていると、たびたびそのいとにかかりました。またあみにもかかってきました。
 けれど、金持かねもちのような病気びょうきが、またとそのまちにはなかったから、きんうおべたものがありません。そればかりでなく、きんうおは、べるものでないといういいつたえになりました。
 いまでも、そのまち名物めいぶつは、かわ金色こんじきうおがしぜんにたくさんんでいるということであります。





底本:「定本小川未明童話全集 1」講談社
   1976(昭和51)年11月10日第1刷
   1982(昭和57)年9月10日第7刷
初出:「面白倶楽部」
   1921(大正10)年1月
※表題は底本では、「きんうお」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:江村秀之
2013年12月14日作成
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