灰色の姉と桃色の妹

小川未明




 あるところに、性質せいしつちがった姉妹きょうだいがありました。おなはははらからまれたとは、どうしてもかんがえることができなかったほどであります。
 いもうとは、つねに桃色ももいろ着物きものをきていました。きわめて快活かいかつ性質せいしつでありますが、あね灰色はいいろ着物きものをきて、きわめてしずんだ、口数くちかずすくない性質せいしつでありました。
 二人ふたりは、ともにうちますけれど、すぐ門前もんぜんからみぎひだりわかかれてしまいます。そして、いつもいっしょにいることはありませんでした。いもうとは、広々ひろびろとした、のよくたる野原のはらにいきました。そこには、みつばちや、ちょうや、小鳥ことりなどが、彼女かのじょのくるのをっているように、たのしくはなうえったり、そらけていいこえでないていました。
 いろいろないろはなまでが、彼女かのじょ姿すがたると、いっそうあざやかにかがやいてえるのでありました。
 いもうとは、やわらかなくさうえこしろしました。そして、しばらくうっとりとして、周囲まわりいているはなや、ちょうにじっと見入みいっていましたが、しまいには、自分じぶんもなにかのうたくちずさむのでありました。そのうたはなんのうたであるからなかったけれど、きいているとたのしくうきたつうちにも、どこかかなしいところがこもっていました。
 いもうとは、うたにもあきてくると、ふところから、あか糸巻いとまきをして、そのいといて、ぎんぼうみはじめていました。ぎんぼうひかりにきらきらとひらめきました。あかいとは、けては、みどりくさうえにかかっていました。
 あねは、いもうとわかれて、ひときたほうあるいていきました。そこは、一だんひくくがけとなっています。がけのしたにはさびしいがあって、そこには、二、三ぼん憂鬱ゆううつ常磐木ときわぎそらにそびえていました。そして、そのくろずんだ木立こだちあいだじって、なんのらないけれど、しろはないていました。
 そのしろはないろは、ほかのいろとちがって、つめたく、ゆきのようにえたのであります。あねは、がけをりていきました。あやうげなみちが、がけにはついていたのであります。
 そのには、ふゆのこっていました。ひかりすらさすのをけているように、さむかぜが、くろずんだ常磐木ときわぎえだをゆすっています。あねは、しろはないたしたにたたずんでいました。そこには、なくとりこえもきこえなければ、またびまわっているちょうの姿すがたえませんでした。あたりは、しんとしている。あねは、なにをおもい、なにをかんがえているのか、身動みうごきすらせずに、だまってしろはなしたにたたずんでいました。
 あねは、ずっとせいたかかった。そして、くろかみが、なが肩頭かたさきかられていました。彼女かのじょは、指先ゆびさきでそのかみをいじっていました。そのくろかみは、つやつやしなかったけれど、なんとなくくろいへびのからんだように、気味悪きみわるられたのであります。
 陰気いんきあねは、少時しばしいもうとのことをわすれることができなかった。たとえ気質きしつちがっていても、そして、こうしているところすら、別々べつべつであっても、いもうとのことをわすれることができなかった。それは、快活かいかついもうとにとっては、迷惑めいわくにこそおもわれるが、すこしもありがたくないばかりでなく、できるものなら永久えいきゅうに、あねからわかれてしまいたいとおもったこともあります。
「おまえは、まだとしがいかない、いつかはわたしのいったことがわかるときがある。」と、あねは、かつていもうとかっていったことがあります。
ねえさん、どうかわたし自由じゆうにさしてください。わたしは、ねえさんについていられるのがくるしくてなりません。」と、いもうとがいいました。
 すると、あねは、さびしそうなかおをして、しずんで、すきとおるようなこえでいった。
「いつ、わたしは、おまえをそんなに束縛そくばくをしましたか。おまえは、どこへなりとかってにいくがいい。けれど、おまえはしまいにはわたしのところへかえってこなければならない。」と、あねはいいました。
ねえさん、なぜわたしは、あなたのもとへかえってこなければならないのですか。わたしは、それがわからないのです。わたしは、かってなところへいきます。そして、もうけっして、あなたのもとへかえってはきません。あなたはわたしとは、まったく性質せいしつわないじゃありませんか。」と、いもうとこたえた。
「いえ、それはなりません。たとえ、おまえがどこへいっても、わたしは、おまえをさがします。かくれても、げても、それはだめです。わたしはおまえがどこにいるか、じきにさがすことができる。」と、あねがいった。
 なんという執念深しゅうねんぶかあねだろうと、いもうとは、そのときふるえあがらずにはいられませんでした。
 まれつき快活かいかついもうとも、あねのあることをおもったときには、うたうこともいつかくもらざるをなかったのである。
 あねしろはなしたで、なにかふかく、みみましてかんがえていました。そのとき、いもうとは、そんなこととはらずに、熱心ねっしんぎんぼううごかしていた。
 広野ひろのえてかなたには、まちがありました。
 そっちからは、たえずにぎやかな物音ものおとが、かすかにそらながれてきこえてきました。
 いもうとは、それにみみかたむけていたが、がりました。そして、野原のはらあるいて、そのおとのきこえるほうあるいていました。
 そのとき、がけのしたの、しろはなしたにたたずんでいたあねは、そらあおいで、
いもうとは、まちへいった。」といいました。
 あねしろはなしたからはなれて、自分じぶんまちほうあるいていきました。
 いもうとは、どこへいったか、その姿すがたえませんでした。今度こんどばかりは、あねから永久えいきゅうわかれて、もういえには、けっしてかえってきまいとおもったのでしょう。それで、あねづかれないように姿すがたかくしてしまったのです。
 まちはにぎやかでした。うつくしい、そして快活かいかついもうとは、だれからでもよろこばれたにちがいありません。人々ひとびとは、みんないもうと歓迎かんげいしたにちがいありません。
 これにはんして、陰気いんきな、さびしいあねは、またけっしてだれからもあいされなかったにちがいない。あねひとまちなかをさまよって、いもうとのいる場所ばしょさがしていました。
 ひろい、往来おうらいかどのところに花屋はなやがありました。温室おんしつなかには、外国がいこく草花くさばなが、みだれていました。また、店頭てんとうのガラス内側うちがわには、あかあおしろむらさきのいろいろのはなが、いい香気こうきはなっていました。そのみせまえにいくと、あね内側うちがわをのぞきました。はな大好だいすきないもうとは、ここにったにちがいがないとおもったからであります。
 けれどそのときは、内部ないぶはしんとして人影ひとかげがなかった。ちょうどそこへ、五、六にん子供こどもらがやってきて、ガラス内側うちがわをのぞいていました。みちうえには、黄色きいろなちりほこりが、かすかなかぜにたっていました。
 あねはその子供こどもらをながめていました。そのなか一人ひとり、かわいらしいおとこがありました。だまって、真紅まっかほこったぼたんのはなていました。あねは、なんとおもったか、足音あしおとのしないようにしずかに、その子供こどものそばにちかづきました。そして、こおりのようにやかなくちびるで、子供こどものりんごのようなほおに接吻せっぷんしました。ほかの子供こどもらは、そのことにはづかなかった。すると、たちまちその子供こども顔色かおいろさおわってきました。
気分きぶんわるくなった。」といって、子供こどもは、みんなにわかれていえかえって、そのままたおれてしまった。
 あねは、ひとこころうち微笑ほほえんで、まちしずかにあるいてりました。
 そこには、おおきな呉服屋ごふくやがありました。たり、はいったりする人々ひとびとで、そこのかどは、黒山くろやまのようにぎわっていました。あねは、おおくの人々ひとびとあいだじって、いもうとは、そのなかにいないかとさがしたのであります。派手好はでずきな、そしてこういうところをこのいもうとは、きっとここにったにちがいないとおもったからであります。
 いもうとは、もはや、ここからほかにったのちであったか、その姿すがたえなかったが、ちょうどわかい、うつくしいおんな反物たんものって、それをかかえてよろこびながらてきたところでした。
 あねは、なんとおもったか、そのおんなのそばにちかづいて、ひとみなかをのぞきました。すると、なが黒髪くろかみおんなかたにかかりました。いままで、いきいきとしてうれしそうであったおんなは、きゅうにしおれてしまいました。そして、かおからせて、病気びょうきにかかったように、ひとにたすけられてかなたへれていかれました。
 このとき、あねは、残忍ざんにんわらいをかおにうかべました。そして、勝利者しょうりしゃのごとく、どこかへってしまいました。
 その晩方ばんがたあねは、いもうとさがして、あるカフェーのまえにきかかりました。そのなかでは、わかおんなや、おとこが、はしゃいで愉快ゆかいそうにうたをうたい、ビールや、西洋せいようさけんでいました。あねは、こういうところをきないもうとは、きっとこのなかにいるだろうとおもったのです。あねは、ガラスにぴったりとかおをつけて、ひかつきでなかをのぞいていました。
 そのとき、往来おうらいで、おじいさんが急病きゅうびょうにかかってくるしんでいた。とおりかかった人々ひとびとが、そのまわりにあつまって、わいわいといっていました。あねは、こころなかで、もうすこしいもうと自由じゆうにさしておいてやろう。せめて今夜こんやだけは、かってなまねをさしておいて、明日あしたは、そのかわり、身動みうごきのならないように束縛そくばくをしてやろうとおもいながら、カフェーのまえはなれたところです。
 こっちにきかかったあねは、くるしんでいるおじいさんをました。あねはさっそく、そのおじいさんにちかづいて、しろ脊中せなかをなでてやりました。すると、おじいさんは、しずかになって、永久えいきゅうやすらかにねむってしまったのです。
 不思議ふしぎあねは、まちなかとおって、いつしか、さびしいみちを、きたほうかってあるいていました。よるになって、そらにはほしまたたいています。とおりかかる人々ひとびとは、あねいろひかるのをて、おもわずなんとかんがえてか、近寄ちかよるときゅうみずびたように身震みぶるいをしました。あねとおるところにはふゆのようなかぜいたのです。





底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社
   1976(昭和51)年12月10日第1刷
   1982(昭和57)年9月10日第7刷
初出:「愛国婦人 470号」
   1921(大正10)年6月
※表題は底本では、「灰色はいいろあね桃色ももいろいもうと」となっています。
入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正:江村秀之
2013年11月1日作成
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