山の上の木と雲の話

小川未明




 やまうえに、一ぽんっていました。はまだこのなかまれてきてから、なにもたことがありません。そんなにたかやまですから、人間にんげんのぼってくることもなければ、めったに獣物けもののぼってくるようなこともなかったのです。
 ただ、毎日まいにちくものは、かぜおとばかりでありました。はべつにはなしをするものもなければ、またこころをなぐさめてくれるものもなく、あさからよるまで、さびしくそのやまうえっていました。おなでも、にぎやかな都会とかいなかにある公園こうえんにあったならば、毎日まいにち、いろいろなものを、またいろいろなおといたでありましょう。しかし、このはそんなことがなかったのであります。
 よるになると、とおくで獣物けもののほえるこえと、永久えいきゅうだまってつめたくかがやほしひかりと、いずこへともなくけてゆく、無情むじょうかぜおといたばかりであります。
 しかし、このにただ一わすれがたいおもがあるのでありました。それは、あるとしなつ夕暮ゆうぐがたのことであります。あんなにうつくしいくもたことがありません。そのくもは、じつにうつくしいくもでした。にこやかにわらっていました。からだには、あかむらさききんぎん、あらゆるまばゆいほどのはなやかな色彩しきさいられた着物きものをまとっていました。かみは、ながく、黄金色こがねいろなみのようにまきがっていました。そのくもは、おそらく大空おおぞらとしわか女王じょおうでありましたでしょう。ゆうゆうとそらただよって、このやまぎるのでした。
 は、たましいまで、ぼんやりとして、ただ夢心地ゆめごこちになって、そら見上みあげていました。
「なんといううつくしいくもだろう。あんなうつくしい姿すがたのものが、この宇宙うちゅうにはすんでいるのだろうか?」
と、おもって、ながめていました。
 すると、そのくもは、ちょうどっているやまうえにさしかかりました。は、見上みあげれば、見上みあげるほどうつくしいので、とおくなるばかりでした。このとき、ちょうど、すずるような、やさしいこえをして、くもしたて、
「ああ、まっすぐないいだこと。かぜにも、ゆきにもれないで、よくそだちましたね。ほんとうにつよい、雄々おおしいわかですこと。どんなにこのやまうえに一ひとりっているのではさびしいでしょうね。しかし、忍耐にんたいをしなければなりません。わたしは、また、きっと、もう一ここへやってきますよ。それまでは、達者たっしゃでいてください。いろいろのおもしろいはなしや、めずらしいこの世界せかいじゅうでわたしのてきたはなしをしてあげますよ。」と、かってくもはいいました。
 は、ほんとうにゆめとばかりおもったのです。そして、このときばかりは、自分じぶんほど、幸福こうふくなものはなかにないとおもいました。いつまでもは、このうつくしいくもをばていたかったのです。また、つばさがあったら、自分じぶんんでくもあとって、いっしょにたびをしたいとおもいました。しかし、には、もとよりそれができなかったのです。そのうちに、だんだんくも姿すがたは、とおざかってしまいました。
 そのから、は、このくも姿すがたわすれることができませんでした。そして、もう一ここへやってくるといったくも言葉ことばおもして、毎日まいにちさびしいおくっていました。
 しかし、それからというものは、けっして、そのようなうつくしいくもをばは、なかったのです。なつってしまい、あきにもなったけれど、このうつくしいくもは、ふたたびのとどくかぎり、そら姿すがたあらわしませんでした。
 は、ふかい、ふかい、うれいにしずみました。毎日まいにちやまいただきとおくもは、灰色はいいろ物悲ものがなしいものばかりでありました。
 が、こうしてかなしみにしずんでいましたとき、からすがやってきて、
「なんで、そんなにかなしんでいるのですか?」と、かっていたのであります。
 は、こころなかかなしみをかくしていることができませんでした。そして、からすが、さもしんせつにいってくれましたので、くもはなしをして、
「おまえさんは、はねがあって、とおいところまでたびをしなさるから、もし、そのくもをごらんになったら、わたしおしえてください。」と、はからすにかってたのみました。すると、からすは、
「そうです。わたしは、うみほうへもんでゆきます。またひろ野原のはらへも、ときには、むらへもんでゆきます。けれど、このごろはどこへいっても、これとおなくもった空色そらいろで、かつてそんなうつくしいくもたことがありません。わたしをつけていますが、もしつぐみがここにきましたら、よくいてごらんなさい。あのとりは、諸国しょこくびまわりますから……。」と、かっていいました。
 あわれな木立こだちは、さもたよりなさそうにえました。からすは、やがてわかれをげてってしまいました。それから幾日いくにちもたったふゆのはじめです。つぐみが、どこからかやってきて、このえだまりました。は、からすのいったことをわすれずに、さっそくくもはなしをしました。
「つぐみさん、どこかでこんなようなくもをごらんになりましたか?」と、は、とりかってきました。
 敏捷びんしょうそうなつぐみは、ちいさなくびをかしげながら、かんがえていましたが、
「あ、ましたよ。それは、ここからは、たいそうとおいところであります。うみえて、あちらのにぎやかな都会とかいでありました。ある晩方ばんがたわたしは、その都会とかいそらを、いそいでこっちにかってたびをしていますと、ちょうどあなたのおっしゃるうつくしいくもが、都会とかいそらかんでいました。したには、とがったとうや、たか建物たてものなどがかさなりって、馬車ばしゃや、自転車じてんしゃなどが往来おうらいうえはしっていました。そして、まちなかは、たそがれかかって、燈火ともしびが、ちらちらと水玉みずたまのようにひらめいていました。」と、つぐみはいいました。
 これをいていた木立こだちは、ふかいためいきをもらしました。
「いまは、そんなにとおいところに、くもはいってしまったのですか。」と、は、さびしさにたえられなかったけれど、くも無事ぶじなのをいて安心あんしんいたしました。
「どうか、また、そのくもをごらんになったら、わたしのことをよくげてください。」と、は、つぐみにたのみました。
「きっと、あなたのことをくもげますよ。わたしは、もう明日あしたはここをって、とおくへゆきますから、また、どこかで、あのくもますでしょう。」と、つぐみはいいました。
 は、またこのつぐみともわかれなければなりませんでした。こうして、さびしくやまうえ一人ひとりいつまでものこされたのであります。
 それからも毎日まいにちつれないかぜすりました。ゆきは、ってきてえだにかかりました。そして、けてもれても、灰色はいいろくもは、あたまうえをゆきました。
 いつになったら、は、あのうつくしいくも姿すがたるでありましょう。また、なつがめぐってくるには、なががあったのです。





底本:「定本小川未明童話全集 3」講談社
   1977(昭和52)年1月10日第1刷
   1981(昭和56)年1月6日第7刷
初出:「読売新聞」
   1922(大正11)年3月22〜25日
※表題は底本では、「やまうえくもはなし」となっています。
入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正:本読み小僧
2014年4月23日作成
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