昼のお月さま

「万歳（ばんざい）！」と、いう声（こえ）が、どこか遠（とお）くの方（ほう）から、きこえてきました。
「兄（にい）ちゃん、停車場（ていしゃば）だね、また、兵隊（へいたい）さんが出征（しゅっせい）するんだよ。」と、良二（りょうじ）が、いいました。
「いってみようか、良（りょう）ちゃん。」
　兄（あに）の太郎（たろう）は目（め）をかがやかして、青々（あおあお）とした、秋（あき）の空（そら）を見（み）やりました。
「ばんざい、ばんざあい。」と、いう声（こえ）が、また、きこえました。
「兄（にい）ちゃん、いこう。」
　二人（ふたり）は、往来（おうらい）を駅（えき）の方（ほう）に向（む）かって、駈（か）け出（だ）したのです。電線（でんせん）の上（うえ）に、白（しろ）い月（つき）が、ぽかりと浮（う）かんでいました。これを見（み）つけた、良二（りょうじ）が、
「なあんだ、いま時分（じぶん）、お月（つき）さまが出（で）ているよ。」と、走（はしり）りながら、笑（わら）いました。
「ああ、苦（くる）しい。良（りょう）ちゃん、ちっと休（やす）もうよ。」と、太郎（たろう）が、いいました。
「兄（にい）ちゃん、僕（ぼく）より、弱虫（よわむし）だなあ。」
「だって、僕（ぼく）、こんなげたをはいているんだもの。」
　太郎（たろう）は、げたで、良二（りょうじ）は、運動（うんどう）ぐつをはいていました。やっと停車場（ていしゃば）へ着（つ）くと、もう出征（しゅっせい）の兵士（へいし）は立（た）ってしまった後（あと）とみえて、あたりは、しんとしていました。たすきをかけた、国防婦人（こくぼうふじん）の人（ひと）たちの姿（すがた）も見（み）えませんでした。事変（じへん）がはじまってから、毎日（まいにち）のように、この駅（えき）から出征兵士（しゅっせいへいし）が立（た）ったので、駅（えき）の入（い）り口（ぐち）には、白（しろ）い布（ぬの）へ、「祝（しゅく）壮途（そうと）」と、大（おお）きな字（じ）で書（か）いた額（がく）がかかっていました。
「良（りょう）ちゃん、もう、立（た）ってしまったんだね。」
「せっかくきたんだから、汽車（きしゃ）を見（み）ていこうよ。」
　二人（ふたり）は、線路（せんろ）のそばのさくにもたれて、シグナルや、石炭（せきたん）の山（やま）や、トロッコのある、構内（こうない）の景色（けしき）をながめていました。
「天（てん）に代（か）わりて不義（ふぎ）を討（う）つ、忠勇無双（ちゅうゆうむそう）の我（わ）が兵（へい）は……。」と、日（ひ）の丸（まる）の旗（はた）を持（も）った、子供（こども）がうたっていました。きっと、さっき立（た）った兵士（へいし）を見送（みおく）った子供（こども）たちでありましょう。
　ボーウと、高（たか）く汽笛（きてき）の音（おと）がしました。
「貨物（かもつ）だ。長（なが）い貨物（かもつ）だなあ。」
　良二（りょうじ）は、伸（の）びあがって、ながめていました。いくつかの箱（はこ）に、日（ひ）の丸（まる）の旗（はた）が立（た）っています。
「あっ、馬（うま）が出征（しゅっせい）するんだ。」
　どの箱（はこ）の中（なか）にも、馬（うま）が入（はい）って、兵隊（へいたい）さんがついていました。
「万歳（ばんざい）！」と、良二（りょうじ）が、叫（さけ）びました。
　汽車（きしゃ）は、駅（えき）には停車（ていしゃ）せずに、そのまま過（す）ぎてしまいました。
　秋風（あきかぜ）が吹（ふ）いています。かなたの森（もり）が、黄色（きいろ）くなってきました。白（しろ）い雲（くも）が、空（そら）を飛（と）んでゆきます。
「お父（とう）さんは、どうしていらっしゃるだろうか。」
　兄弟（きょうだい）は、戦争（せんそう）にいっている、父親（ちちおや）のことを思（おも）い出（だ）しました。
「良（りょう）ちゃん、お宮（みや）へいってみない。銀杏（ぎんなん）の実（み）が落（お）ちているかもしれないぜ。」
「神（かみ）さまに、お父（とう）さんのことを拝（おが）んでこよう。」
　兄弟（きょうだい）は、きたときとちがった道（みち）を歩（ある）いていくと、坂（さか）のところでおじいさんが、重（おも）い荷物（にもつ）をつけた車（くるま）を引（ひ）きあぐんでいました。
「てつだってやろうか。」と、太郎（たろう）が、先（さき）に車（くるま）のうしろへ駆（か）けつけると良二（りょうじ）も、つづいて、車（くるま）につかまりました。そして、二人（ふたり）は、うん、うん、うなって押（お）し上（あ）げてやりました。
　坂（さか）を上（のぼ）りきると、おじいさんは、額（ひたい）の汗（あせ）をふいて、喜（よろこ）びました。
「ありがとうございました。」と、いって、幾（いく）たびもはげた頭（あたま）を下（さ）げました。二人（ふたり）は、ただ笑（わら）って、それに答（こた）えたのでした。それから、話（はな）しながら、あちらの森（もり）の方（ほう）へ、歩（ある）いていきました。
「お兄（にい）ちゃん、まだお月（つさ）きまが出（で）ているよ。」
「こんな昼間（ひるま）なんか出（で）て、おかしいな。」
「お父（とう）さまも、この月（つき）をごらんかしらん。」
「支那（しな）の塹壕（ざんごう）の中（なか）で、お友（とも）だちと見（み）ていらっしゃるかもしれないよ。」
　兄弟（きょうだい）は、こういって顔（かお）を見合（みあ）わせて笑（わら）いました。