絶望より生ずる文芸

小川未明




 私にとっては文芸というものに二つの区別があると思う。即ち悶える文芸と、楽しむ文芸とがそれである。
 吾々の此の日常生活というものに対してうたがいをもさしはさまず、あらゆる感覚、有ゆる思想を働かして自我の充実を求めて行く生活、そして何を見、何に触れるにしても直ちに其の物から出来るだけの経験と感覚とを得て生活の充実をはかる、此れが即ち人間のなすべき事であり、又人生であると解する。そして此の心を持って自然を見主観に映じた色彩、主観に入った自然の姿、此れが即ち人間生活の絶対的経験という立場からすべての刺戟を受け入れて日常生活の経験を豊富にするという、それが為めの努力、此れが人生を楽しむ努力であると思う。
 併し、如上の事だけに満足が出来なく、自己の存在を明にする唯一の意識、即ち感覚そのものに疑を挾む事も出来得るのである。只だ人生の保証として、又事実として自分の有して居る感覚に何程どれほどの力があるか、此れを考えた時に吾々は斯く思わずには居られない。いやしくも吾々の肉体に於て、有ゆる外界の刺戟に堪え得るは僅に廿歳より卅歳位迄の極めて短かい年月ではないか、そして年と共に肉体的の疲労を感じて来て何程思想の上に於て願望すればとて、しまいには外界の刺戟は鋭く感覚に上って来なくなるのは明かな事実である。此の如きは実に人間として感覚の悲哀を感ずべき事ではあるまいか。
 又一方より云えば、吾人の感覚に、何程多くの経験を意識する事が出来るか、殆んど数うべからざる程の多くの外界的刺戟に対して感ずる感覚は、極めて単調であるとしか見られない。要するに人間の感覚に限りのある事は明かな事実である。そして又此れは独り能力のみに限らず時間的にも相当の際限は免れないのである。斯く思えば感覚の生活もやがて亡びて了うという事実も予想せずには居られない。
 人間として生れて来た以上は、肉体に於ても、又精神に於ても各々其の経験を出来得る限り多く営みたいという事は誰しも常に思いこいねがうところであり、又此れが生活として意義ある事であろうと思う。併し其の本能の満足を遂げつゝある間に、人間は自己の滅亡という事を予想せずには居られない。此に於てか痛切に吾々の脳裡に『何処いずこより何処へ行くか』という考えも起るのである。又『此の地上に生れ出でゝ果して何を為すがために生活するか』という様な問題も考えられるのである。そしてついに、肉体と精神とを挙げて犠牲にするだけの偶像を何物にも見出し得ざる悲しみを感ぜずには居られないのである。

 そして其処には只だ一つ宗教というものがあって、其所そこへ逃げて行く事は出来るけれども、又一面より見れば此の宗教という者も、一種の禁欲主義に外ならないではないか、人間的な生活――此の煩わしい現実の生活から離れて、特殊な欲望を禁じて強いて自らを其の上に置くという事は苦しい生活に外ならないではないか。真の宗教家には或はそれが快よい事であり、幸福な事であるかも知れない。併し第三者の私には実に冷たい悲しい事に感ぜられるのである。此所が私にとって、文芸の二者が分岐する道であると思われるのである。
 即ち一は此の生活の根柢の何であるかを問わず、只管ひたすらに日常生活の中に経験と感覚とを求めて自我の充実を希い、一は色彩的な、音楽的な生活の壊滅、死に対する堪えがたき苦悶を訴えんとする二つが出て来ると思う。そして其れ等の何れの芸術に於ても此を一貫するものは誠実であると思う。此の色彩的な、音楽的な世界に立って楽しむという心、そこにも我等の胸にみ入る誠実と淋しき喜悦とがある。又或るものは洗礼を受くべき暗黒轟々として刻々に破壊に対して居るという事実、此にも人生の誠の悲しい叫びがあると思う。
 更に最後に言って置くべきは、此のきょくついに死を讃美する、そして此れを希うという事が出来るのが当然である。けれども此の死を讃美し此れを希うという事は既に或る解決であって、最早煩悶の時代を去った、そして宗教に合致したのであって真のもだえというべきは此に達する間の苦しみでなくてはならぬ。
 今一つ言うべきは、現実という事である。此れも極めて物質的、具体的のものをのみ云うのは褊狭ではあるまいか、吾人は何程立派な形体があればとて此れを取扱うに生命なき場合は、決してそれを現実とは思わないのである。此れに反し、縦令たとい形体はなくとも作者の主観なり神経なりが通って居ればそれは現実である。故に一人に対して現実に触れて居るとか触れて居ないとかいう事を眼に見えると否とに(取扱上に)依って云々する事は甚だ不合理の事であって、人間のセンチメント、即ち作者の神経、感情の貫くところ――努力の通ずるところがこと/″\く現実の世界であるという事は明かである。そして作家の努力は即ち神経、感情のエキセントリックな者であってかつて人間の達しなかった眼に見えなかった感情、人の達しない境に入るところに在ると思うのである。





底本:「芸術は生動す」国文社
   1982(昭和57)年3月30日初版第1刷発行
底本の親本:「夜の街にて」岡村盛花堂
   1914(大正3)年1月5日初版
入力:Nana ohbe
校正:仙酔ゑびす
2011年11月30日作成
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