読んできかせる場合

小川未明




 お母さんたちが、何か心配なことでもあって、じっと考えていられるとします。いつもなら、快活にお話なさるものが、その時ばかりは、全く、言葉さえなく口をつぐんで、そして、いつもにこ/\として、やさしい顔から、笑の影の絶えなかったものが、なんとなく打ち沈んで、瞳をひとゝころに落していられたとします。
 たとえ、その様子に対して、何人もが、注意しなくとも、かならず、あなた達の小さな坊ちゃんや、お嬢さんは、眼敏く、お母さんの顔色を読むにちがいありません。そして傍に寄って来て、
「どうしたの? お母さん。ねえ、どうしたの? お母さん」
 こう言って、問うでありましょう。そうして、小さな心を満足するだけの返事をきかぬうちは、その言葉をくり返えすにちがいありません。
 いったい、これ等の事実は、何を物語るものでしょうか。こうした場合に於ける、お母さん達の態度は、また、いろ/\であると思われます。たとえば、あるお母さんは、
「いま、ちょっと、お歯が痛んだものだからこうしていたのですよ」と、さりげなく言って子供に安心を与えるでありましょう。また、あるお母さんは、
「うるさいから、あちらへ行っておいでなさい」と、つっけんどんに、答えたでありましょう。そして、また、なかには子供が、しんけんで、きいているにかゝわらず、お母さんは、返事もせずだまっているにちがいない。
 けれど、子供たちは、答えがあるまでは、おなじことを何遍もくりかえして、その傍を離れようとはしないでありましょう。しかも、最後に、罪もないのに、怖しい眼でにらまれ、もしくは、叱られるようなことがないとは限りません。
 以上のことは、大人が、自分達の身の上に起った問題を、子供等に言っても分らないときめることからはじまります。成程、子供達には、その問題を現実として解決する、何ものゝ力をも有しないのは勿論でありましょう。けれど、問題の意味と性質さえ分れば、共に悲しみ、共に喜ぶことだけは、いかなる他人が寄せるよりも、もっと深く、且つ殉情的であるかは、すでにお母さん達が、自分の子供等についてよく知っていられる筈であります。
 私は、子供程、敏感なものはないと考えます。よく親の顔色を見、その心持を察するばかりでなく、嘘と真とを聞き分ける能力を持つことに於て、まことに驚かされるものがあります。
 また、これに反して、たとえば、お母さん達が、子供を訓戒するための方便として、空涙を出されても、或は、いかに上手に芝居をなされても、ついに子供の眼を、心をあざむくことはできなかったにちがいない。たとえ、一時はあざむくことがあったにしても、後になって、あざむいたということが分り、却って、悪い反動を来たしたことによって、後悔なされたことがあったにちがいありません。
 もう一つ、異った例を挙げます。
 お母さんや、お姉さん方が、何か子供たちにとってためになるお話が見付かると、
「さあ、みんな、こゝにきてお坐んなさい。いま、あなた方のためになるお話を読んできかせてあげますから」と、おっしゃるでありましょう。そして、そういう場合、子供達が、はたして、だまって、しまいまでよくお話をきいたでありましょうか? なぜなら、がまんして、正しく坐っているからといって、ほんとうによくきいているとはかぎらないからです。或は、他のことを考えたり、或は、別のことを思ったりしていたら、結局欠伸あくびをしたり、横を向いたり、つゝき合ったりしている、お行儀の悪い子供たちと、どこにもちがいがないでありましょう。
 凡そ、お母さんや、お姉さんが、真理に対して功利的に考えず、真に自身が感心して、つい声を出して、新聞なり、書物なりをお読みになっているとする。たま/\そこに子供さん達が居合して、
「なにを、お母さんや、お姉さんは、あんなに感心なさるのだろうか?」と、その様子で察して、騒ぐのをやめて、傍に来て坐り自分も耳を傾ける。たとえ読まれる事柄の細かな筋はよく分らなくとも、部分、部分に、空想を逞うして同じく心を動かす。
「お母さん、そして、どうなったのですか?」
 こういう風に、自発的に、お母さんや、お姉さんの感動されたものを知りたいと希うでありましょう。これが、一般に、子供というものゝ心理であります。
 これを要するに、大人が、功利的に、機械的に、強制的に、はじめから教育することを目的としてなされたものは、何一つとして、人格を養成する上に効果のなかったのを知らなければなりません。そして、子供達は、親達さえ、また、教える者さえ、真面目であり、真剣であれば、いつでも、共に悲しみ、共に喜び、考えるものです。このことは、即ち、親達が、そして教える人達が、先ず真理の熱愛者でなければならぬことを語るに他ならないと思うのであります。





底本:「芸術は生動す」国文社
   1982(昭和57)年3月30日初版第1刷発行
底本の親本:「童話と随筆」日本童話協会出版部
   1934(昭和9)年9月10日初版
入力:Nana ohbe
校正:仙酔ゑびす
2011年11月30日作成
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