平原の木と鳥
小川未明
春の先駆者であるひばりが、大空に高く舞い上がって、しきりにさえずるときに、謙遜なほおじろは、田圃の畦道に立っているはんのきや、平原の高い木のいただきに止まって、村や、野原をながめながらさえずりました。
「もっと高く上がって、鳴いたらいいじゃないか? 春の魁となるくらいなら、おれみたいに敵を怖ろしがらぬ勇気がなければならない。おれは、高く、高く、できるだけ高く上がって、声をかぎりに鳴くのだ。野原や、村にばかり、呼びかけるのじゃない。遠く町にも、海にも呼びかけるのだ。どこからでも、おれの姿は見えるだろう。敵は、いつでもおれをねらうことができる。おれは、春の先駆者なんだ。君たちも、もっと勇気がなければいけない。」
ひばりは、こう、ほおじろに向かっていいました。おとなしいほおじろだったけれど、卑怯者と見られたことが残念だったのです。
「ひばりくん、それはちがうでしょう? なるほど、君は海に、野原に、町に、村に、呼びかけている。そして、雲の上まで高く昇って呼びかけている。みんなは、君の姿を見ようとするけれど、あまりに、地上から距離がはなれています。君を捕らえようと思うものまで、あきらめてしまうものが多い。だから、君の評判は、高いけれど、かえって、安全なのです。これに反して、私たちは高く上がらないでしょう。あるいは、性質上できないのかもしれません。いつも、こずえのいただきから、いただきへと飛びまわって叫んでいます。そして、君のいわれるように、私の声はあちらの町や、海の上にまで達しないかもしれない。けれど、野原に生活するいっさいのものに、村で働くすべてのものに、春の魂をふき込んでいます。君の叫びと私の叫びと、叫びがちがうとはけっして思っていない。敵にねらわれるということからいえば、地上にいるだけにどれほど、私たちのほうが、危険であるかしれないでしょう。」
ほおじろは、こう、傲慢なひばりに向かって、答えました。ひばりは、この言葉をきかぬふりして、あざけりながら、空に、吸い込まれるように舞い上がって、姿を消してしまったのです。しかし、その朗らかに、歌う声だけはきこえてきました。
ほおじろは、先刻から、同じ田の畦道に立っているはんのきにとまって、あたりを見まわしながら、くわを取る百姓に、すきを引く牛に、馬に、勇気と、自由の精神をふるいたたせようとさえずっていたのです。
それは、白い雲の、あわただしく流れる日でした。この雄のほおじろは、このあいだから、つけねらっていた町の鳥刺しのために、すこしの油断を見すかされて、ついに捕らえられてしまいました。
もう、翌日から、ふたたび彼のさえずる声をきくことができなかった。
「きょうは、あのほおじろが鳴かないが、どうしたろうか?」
百姓たちは、なんとなく、もの足りなく思いました。そして、腰を伸ばして、あちらのはんのきの方をながめたのです。
どこからともなく、ひばりの声がきこえてきました。ちょうど、このとき、雄のほおじろを失った雌のほおじろは、ひとりやぶのしげみで悲しんでいました。
彼女は、やがて、産まれる子供たちのために、自ら巣を造らなければならなかった。
「どこがいいだろう……。私は、子供をたいせつに育てなければならない。子供たちが、大きくなるまでは、いくら悲しくても、また、気があせっても、どこへもゆくことはできない。」
雌のほおじろは、うつぎの木の花が咲く、やぶの中に巣を造りました。そして、その中へ、かわいらしい卵を三つ産み落としたのです。彼女の仕事は、これらの卵を、りっぱなほおじろにかえすよりほかにはなかったのであります。
その長い間には、いい月夜の晩もあれば、風の日もあり、また、雨の日もありました。なにかにつけて、昔の日が思い出されたのでした。
「夫は、どこへつれられていったろう? もう、帰ってくることもあるまい。」
こずえの先が、風に揺れるのを見ては、小さな胸がさわぎました。いつも、あんなようにしてふいに飛んできて、夫は近くの枝にとまったからです。
春の終わりのころに、三つの卵は、かわいらしい三羽のひなにかえりました。
「なんとみごとなせがれたちだろう!」
母鳥は、三羽の子供を見るたびに、父鳥にひと目でも見せてやりたく思いました。それは、畢竟、むなしい願いであると知りながら……。
子供たちは大きくなりました。夏のころには、もう、ひとりで付近を飛び歩けるようになりました。
「お母さん、あちらの高い木の方へ飛んでいってもいいですか?」と、子供たちは、ききました。
「もうすこし大きくならなければ、そして、羽が強くならなければ、おまえの敵に襲われたときにどうすることもできない。それまで、このやぶの中から、あまり遠くへいってはいけません。」と、母鳥は、諭しました。
あちらを見ると、こんもりとした、高いかしの木が、野原のまん中に立っていました。彼らの父鳥は、その木のいただきにとまって、さえずったのです。また、それから離れて、田の畦のたくさんの並木の間にまじって、はんの木立が、かすんで見えました。そこで、彼らの父鳥は、狡猾な人間のために捕らえられたのでした。
「お父さんは、どうされたでしょう?」
母鳥から、父鳥の話をきかされていたので、子供たちは父鳥を思うてたずねました。
「どうなされたか? お父さんがわるいのでない。お父さんは、正直だった。お父さんは正しかったのだよ。」
「僕たちも、時節がきたら、お父さんのように、だれにきがねすることもなく、朗らかに歌うつもりです。すべてのものが勇気をもつように、また、正しく働くように……。」
子供たちは、思い思いのことを、母鳥に訴えるごとく語りました。そして、正しい父鳥が、罪もなく、殺されるとは、どうしても考えられなかったのです。
「お母さん、どうして、罪もないのにお父さんは、捕らえられたのですか。」
「お父さんが、みんなのために、いい唄を歌ったのを、その人間は、自分だけで、その唄をきこうとしたのだよ。」
「じゃ、お父さんを捕らえて、殺しはしないんですね。」
「人間が、生かしておこうとしても、自由がなければ、なんでお父さんが生きていられるものか。ああ、あちらの町がうらめしい!」
母鳥は、うつぎの木の枝から、枝を飛んで、小さな胸のうらみにこらえかねていました。
「なぜ、お母さん、私たちも、人間の手のとどかない、大空高く舞い上がって鳴かないのです?」と、子供たちが、たずねると、
「それは、勇気のある鳥のすることですか。」と、母鳥は、しかるごとくいったので、子供たちは、くびをすくめて、だまってしまいました。
子供たちは、毎日、あちらの高いかしの木の方をながめていました。
「あすこまで、どれほどあるだろう?」
それは、たいへんに遠いようにも思われました。あるときは、その木のいただきの空に、星がぴかぴかと輝いて見えました。また、あるときは、あちらの空に電光がして、雷が鳴り、しばらくすると、黒い雲が野原の上に垂れ下がって、雨風が襲い、あの木をもみにもんだのです。すると枝についている、すべての葉が白い裏をかえして、ふるいたつかと見る間に、雲の中にかくれてしまったこともあります。そのとき、
「あの木は、どうかならなかったろうか。」と、心配するほどのこともなく、また、たちまち、けろりと晴れた、水色の空の下に、なつかしい木は、こんもりとして、昔のままの姿で立っていたのでした。
夏も、やがて、逝こうとする日のことでした。
「さあ、みんな飛んでごらん。あの野原の高い木のところまで!」と、母鳥は、三羽の子供たちに自由に飛ぶことを許したのでした。
いまは、一人まえとなった、三羽のほおじろが、野原の高い木立を目がけて飛び立ったのであります。そして、そのとき、村を見、また、町を見、あちらの地平線から白くのぞいた、海をはじめて見たのであります。
三羽の子供たちは、日の暮れるのも忘れて、あたりを飛びまわって、待ちに待った、自分たちの日がついにきたのを喜んだのでありました。そして、お母さんを思い出して、やぶの古巣に帰ってみると、どこにも、お母さんの姿は見えませんでした。
「おまえたちが、ひとりだちができるようになったときに、私は、お父さんの後を追ってゆくから……。」と、日ごろいった、お母さんの言葉が、ひとりでに思い出されたのです。そのとき、野原の上の空には赤い雲が火のように飛んで、その下には、黒く、かしの木が、巨人のようにそびえて見えました。
底本:「定本小川未明童話全集 8」講談社
1977(昭和52)年6月10日第1刷発行
1982(昭和57)年9月10日第6刷発行
底本の親本:「青空の下の原っぱ」六文館
1932(昭和7)年3月
初出:「黒色戦線 第2次」
1931(昭和6)年9月
※表題は底本では、「平原の木と鳥」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:津村田悟
2021年3月27日作成
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