人魚

火野葦平




 草の葉に巻かれた生ぐさい一通の手紙を、私はひらく。

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 あしへいさん。
 また、お手紙さしあげます。先便では失礼いたしました。小説「昇天記」を送ったりなどして、あわよくば芥川賞をと考えたわけでしたが、あとで赤面する思いをいたしました。もう二度と小説などかこうという野心はおこさないことにしました。したがってこんどは新作ができたから見てくれなどというのとはちがいます。どうぞ、あのことはお忘れください。
 さて、きょうはどうしてもあなたにお話しをして、御意見をうけたまわりたいことがありますので、とつぜんお手紙をさしあげるわけです。実はじきじきに参上してお話し申しあげるとよいのですが、あの日以来(どの日なのか、それはあとでお話ししますが)頭痛がして起きられませんので、手紙で失礼いたします。ずきんずきん蟀谷こめかみがうずき、頭の皿の皮がつっぱってしめつけられるようで、この手紙をかくこともやっとの思いです。したがって頭も混乱しておりますし、文脈もみだれ勝ちになると思いますけれど、なにとぞ御寛恕ごかんじょくださいますよう。わたしがこんな無理をしてまであなたに手紙をかくわけは、わたしの現在のなやみを一日もはやく解決したいのと、そのわたしのなやみというのはあなた以外にはわかってくださるまいかと思うからです。われわれ河童かっぱにたいして、あなたほど深い愛情と理解とを示してくれるひとはほかにありませんし、わたしのいまの奇妙ななやみも、あなたなら解決してくださるように思うのです。おいそがしいでしょうが、まず、ひととおりおききください。
 一週間ほど前のことでした。夕ぐれどきになって、わたしは棲んでいる山の池を出て、ぶらりと海岸の方へ行きました。わたしはぶしょう者で、めったに外出をしたことはなかったのですが、その日はなぜともなくふと久しぶりに波の音がききたくなって、海の方へ出かけたのです。もう秋のちかいころですから、たそがれどきになると、ひやりとした風が吹くようになっていて、わたしの棲んでいる池のおもてに散る木の葉のいろも、季節のうつりかわりをあらわしていました。わたしが波の音をききたくなったというのも、単調な池の底にあって、やはり海にひろびろとした秋の気配をさぐりたくなったのかも知れません。そんな飄然ひょうぜんとした思いが、わざわいとなって、現在こんな苦痛をなめなくてはならなくなるということが、そのときにどうしてわかりましょう。
 あまり遠くはないので、まもなくわたしはなぎさちかくへ出ました。まだすっかり陽はおちていずに、水平線のうえにうずくまりかさなりあった鰯雲いわしぐもはまっ赤に染まり、雲と雲とのすきまから、金色の放射線が紺碧こんぺきの中天へつきささるようにのびだしています。すみきった濃いあいのいろにひろがった海ははるかのかなたまで鷹揚おうようなうねりをたたえ、しずかに渚にうちよせ、うちかえします。銀線の曲折をながながとつづかせて、白砂の浜の波うちぎわは眼のとどかぬところまでかすんでいます。ここの海は荒れることで有名なのですが、風がなければ、こんな静かなときもあるのでしょう。さらさらと竹林のさやぎに似た波の音がこころよく耳にひびいてきます。
 ところが、防風林の砂丘をこえたとき、わたしはたちすくんでしまいました。浜辺には人かげもなく、かもめが二三羽とんでいるほか海上にも一隻の舟のかげも見えなかったのですが、ふと渚ちかくになにか白く光るもののあることがわたしの眼にはいったのです。二町ほどもはなれていたでしょうか。その白いものはうちよせかえす波にもまれただよっているようですが、なになのかはじめはわかりませんでした。わたしはいったんこえた砂丘をあとがえり、防風林の裏をまわって、その白いものを正面に見ることのできる位置へ移動しました。そうして、大きな松のかげに身をひそめて、そっと顔をだしました。かるい叫びがおもわず出て、わたしの眼はその白いものに釘づけになりました。
 波にただよっているのはひとりの人間の女でしたが、そのうつくしさはなんにたとえればよいでしょう。とてもわたくしにはその女のうつくしさをあなたにつたえる筆をもちません。年のころは十七八かと思われますが、一糸をもまとわぬ裸身で、すきとおるように白い肌はあたかも大理石のようになめらかに光っています。どこひとつ角ばったところのないなだらかな身体の曲線は、縦横にうねりまじわり、ぷっとふくらんだ二つの乳房のさきにある薄桃いろの乳首が、紅玉こうぎょくをちりばめたようにみえます。ゆたかな顔、弓なりのまゆ、ながい睫毛まつげのしたにある二重ふたえまぶたのすずしい眼、端正な鼻、二枚のはなびらのような唇、わたしが画家であったならば、生命をかけてでもかきたいと思うようなうつくしい顔です。ときほぐされたながい漆黒しっこくの髪はその白い身体になだれまつわり、その女が波にただようときには、海藻のように水面にうきます。女は夢みるような眼をして、夕焼の空をあおいだり、はるかの水平線をながめたり、鴎のとぶあとを眼で追ったり、防風林の方を見たりします。わたしは自分のほうに顔がむくとはっとして首をひっこめました。
 それにしても、この女はなにものでしょうか。もう海の水もつめたいことでしょうに、いっこう気にしている様子もなく、たのしげに波にただよっているさまはまったく海と同化しているみたいで、海が自分のすみかのようにさえ感じられます。わたしはあたりを注意してみましたが、どこにも着物をぬいでいる様子がありません。家とてふきんには一軒もないのですから、家から裸のままできたとも思われないのです。不思議なことに思っているうちに、わたしの疑問はまもなく氷解いたしました。女は渚からあまり遠くないところで波に浮いたりしずんだりしていましたが、ふとこれまでは見なかった身体の下半分がちらと波のうえにあらわれました。わたしはさっきからまっ白いふくらはぎを想像していたのですが、波のうえにあらわれたのはうろこにつつまれた魚の尻尾で、ああ人魚だったのだとはじめて悟ったのです。そうとわかればさっきからのさまざまのこと、海と同化しているようなたわむれのありさまなども当然のこととわかります。人魚というものは話にだけきいていましたので、わたしはさらに好奇心をそそられ、ついに、姿をかくして、人魚のかたわらにちかよりました。わたしたちが必要に応じて姿を消すことのできることは、あなたも御承知のことと存じます。わたしは姿を消すと、人魚にちかづいてゆき、波のなかにもぐりました。
 人魚はそういうことは知りませんから、前とすこしもかわらずに、うねりにつれて波のうえをただよい、やがてなにか歌をうたいはじめました。その声はあまり高くはありませんでしたが、風鈴ふうりんが風にそよぐようにすずしい声で、波のうえをながれてゆきます。高くひくく抑揚よくようをつけてうたうのですが、もとよりわたしは歌の意味などわかるはずもありません。ただそのたえいるようなしらべにうっとりとなるばかりです。水中にもぐって人魚のまわりをめぐっていますと、うたうたびにかすかに胸がふくらんだりちぢんだりし、二つの乳房が息をしているようにふるえます。腰から下はすずきによく似たこまかい鱗におおわれ、そのびいどろのようないろの鱗は一枚々々みがかれたようにつやつやしく、うごくたびにきらっきらっと光ります。扇がたにひろがった尾はかじをとるようにものやわらかにくねり、ときにはげしくうごいて人魚のからだを急激に推進させます。ときに人魚のからだは夕焼雲のいろを吸いとるようにうす紅にそまり、人魚がもぐりますと、長い黒髪が水中にみだれよって、昆布こんぶがゆらぐようにあやしいうごきかたをします。人魚のからだのまわりに生まれた水泡が真珠の玉をまきちらすようにくるくると舞いあがります。
 わたしはこういう人魚の姿態にみとれながら、いつか切なく胸くるしい思いにとらわれておりました。人魚があまりにうつくしすぎるからです。わたしはたびたびなめらかな人魚の肌に手をふれたい衝動にかられ、ふっくらとした乳房をくわえてみたい慾望を感じました。また黒髪の林のなかにもぐったり、腰のうえに馬のりになってみたいなどとも考えました。しかし、わたしはまるで射すくめられたようになにをすることもできず、かなしさに泣きたい思いがしてきたのです。わたしはわたしのみにくさがたまらなくなって、羞恥しゅうちのおもいにもはや長くそこにいることすらつらくなってきました。河童とうまれた宿命をこれまでいちどもくやんだことはなかったのですが、このときになって自分のうけてきた血の宿命をうらむこころがわいたのです。青みどりいろの身体、毛ばだった頭髪とそのまんなかにある皿、背の甲羅、みずかきのある手足、とがったくちばし、そういう一切のものがすべてきたならしく、けがらわしいもののように、嫌悪の感情をもよおしてきました。河童としてこれまでもっていた矜恃きょうじなどはあとかたもなく消えてしまい、わたしは自分の不運をかこつこころさえ生じて、切なくかなしくなりました。わたしの愚かさをわらってください。もはやもってうまれた絶対の宿命として、河童として生きる以外のどのような生きかたもできないことがわかっているのに、わたしはそのとき、なにかの奇蹟があらわれて、ふっと人魚にうまれかわることがあるのではないかというような、途方もない妄想に瞬時とらわれていたのです。そうしてわたしのからだをふりむいてみて、やはり河童であることを知ったときには、かなしみといきどおりで、みずからのからだをうちくだきたいような狂おしい思いにかられました。すると、わたしをこのような悲歎におとしいれた人魚へいきどおりのようなものがわいて、ふと憎悪の思いで、人魚をながめましたが、わたしのその思いなど、たちまちふきとんでしまいました。このようにうつくしいものをどうして憎むことなどできましょうか。わたしの心の変化などはすこしも知らない人魚は、相かわらず白いからだを光らせ、うろこをきらめかせてはおよぎ、真珠の玉につつまれながら水中にもぐったりします。わたしもやがてあきらめるこころが出てきて、身のほどしらぬ自分の見栄坊をわらう余裕も生じ、ただ人魚のうつくしさのみをたのしむゆとりができました。
 夕焼雲がしだいにあかねのいろをおとしてゆき、海上には夜をまねくたそがれのけはいがながれはじめました。すると、これまではただたのしげにうたったり泳いだりしていました人魚の様子がにわかに変りました。うっとりしたまなざしが消えて、急になにかをさがすようなせわしげな眼になりました。これまでのような波にたわむれている風情がなくなり、人魚は用事を思いだしたように、水中をあちらこちらと眼を八方にくばって泳ぎはじめました。わたしにはその変化の理由がわかりませんでしたので、ひょっとしたらわたしのいる気配に感づいて、そのあやしいものを探しているのではないかとひやりとしました。姿のみえない確信はもっているのですが、むこうも化生けしょうのものですから、どんな秘法をこころえているかもわからないし、わたしはすこし遠ざかっていつも逃げられるように警戒はおこたらなかったのです。
 ところがそういうわたしの解釈は杞憂きゆうにすぎなかったことがすぐにわかりました。すこし沖に出て、てんぐさ、みるめ、昆布こんぶなどの海草がしげり、赤い星のような人手が、岩のあいだによこたわっているところで、人魚はいっぴきのさばをとらえました、それまで、海中に群れていた多くの魚たちは人魚が突進してくると、木の葉をふきちらすようにして逃げてしまったのです。鈍重ないっぴきの鯖がとうとう人魚につかまりました。すると、人魚は鯖の頭と尾とを両手につかんで、いきなり口にもってゆきかぶりつきました。そのときのわたしのおどろきを想像してください。わたしはあっけにとられて、ぽかんと口をあけたまま、人魚のそのはしたない動作を見つめていました。人魚が急に用事ありげに泳ぎだしたのは、空腹を思いだしたからだったのです。人魚はその鯖をむしゃむしゃと食べてしまいますと、のこった頭と骨とを投げすてました。そうしてさらにつぎの餌をもとめてまたけわしい眼つきで泳ぎだしました。これまでうっとりとした眼にすんでいた瞳にはなにかいやしげないろが浮かび、あちらこちら魚を追いまわす姿は、うつくしいだけにざんにんな不気味さをはなちます。またとらえられたいっぴきの縞鯛しまだいが人魚の食膳にのぼりました。ほくそんでむしゃむしゃと生身なまみの魚をかじる人魚の口は、耳まで裂けているようにみえました。人魚はこうして貪婪たんらんにひかる眼つきをしてしきりに魚をとらえて食べましたが、ついに、巨大な昆布の林のなかにはいっていって、そこへ脱糞をこころみました。尻尾にちかいところから黄いろくながいものが縄のようにいくすじもおしだされてきて、ちぎれるとながれにつれて底の方へしずんでゆきます。そうしながら人魚は口では魚をんでいるのです。
 もはやわたしは見るにたえなくなって、※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)そうそうに海を出、重いこころをいだいて、山の池にかえりました。そうして、その日からわたしはえたいのしれぬ懐疑にとざされ、頭痛がしてきておきあがれなくなってしまったのです。
 あしへいさん、
 わたしの経験したことというのは以上のようなことですが、あなたはどう思われるでしょうか。わたくしはうつくしさというものに対する疑念が生じたのです。うつくしさを思い、うつくしさにあこがれる心は日ごろからわたしたちにあるわけなのですが、しからばそんなわたしたちを満足させるようなうつくしいものが実際にあるだろうか。人魚をはじめ見たときには、わたしはそのうつくしさに身ぶるいがし、日ごろの念願が達しられたよろこびにふるえたのです。ところがその人魚は、のちにはそのはしたないありさまでわたしをおどろかし、せっかくのわたしのよろこびを木っ葉みじんにうちくだいてしまいました。昆布の林で脱糞したときの人魚ののうのうとした表情、あられもない女だてらの動作にすこしの羞恥をしめさない無智、それはわたしに一種のおそれをすらいだかせました。わたしははたして人魚がうつくしいかどうか、その日から考えはじめてとうとう病気になり、わからなくなってしまったのです。
 人魚はうつくしいのですか。みにくいのですか。どっちですか。
 わたしはもう二度と海岸へ出まいと決心しました。しかしまたあの渚での濃艶のうえんな姿態が眼に浮かんできて、出てみたい誘惑にかられます。あのうつくしい姿はわたしの網膜にこびりついてしまってはなれません。そうしてあとの半分をわすれてしまおうと必死の努力をしてみるのですが、あせればあせるほどその方もいっそうつよく浮かんできて、これも焼きついたように消えません。わたしはどうしたらよいのですか。この同じ人魚の二つのことなった姿のどちらを信じたらよいのですか。どうぞ、わたしに教えてください。

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 あしへいさん。
 御返事ありがとうございました。おいそがしいのに、さっそく返事をいただいて恐縮しました。しかし、あなたの手紙はわたしをおどろかせました。あなたは人魚のことはそっちのけにして、わたしのことばかり、かいていらっしゃる。
 ――うつくしさをもとめ、うつくしさをうたがう心、人魚がほんとうにうつくしいかどうかについて真剣になやみ、とうとう病気にまでなる心、その君のほうが人魚よりもよっぽどうつくしい。
 こんな一節がある。なにをいってるんです。そんなことは聞きたくない。
 わたしはまもなく死にます。この手紙をかいていても手がふるえ、だんだん弱ってゆくのがわかります。もう頭の皿の水もひからびてしまって、しめつけられるようにいたいのですが、しかしいまわたくしはふしぎなよろこびにとざされています。こういう死にかたをすることは満足です。
 わたしは、やっぱり人魚のうつくしさを信じることができるようになりました。人魚はつねにうつくしい。なにもうたがってみることなんてすこしもなかった。そうしてそのうつくしい人魚を見たことをわたしはほこりとし、わたしの一生を人魚にささげて悔いのない思いになりました。あなたもその人魚を見たいと思われますか。きっと思われるでしょう。しかしけっしてごらんにならないようにわたしはすすめます。つまり人魚のうつくしさのみに一生をささげて悔いないような御覚悟が、あなたにあるかどうか疑わしいからです。
 あの日以来、わたしは病気になりましたが、それはわたしの懐疑となやみからきたものではありませんでした。あなたがいうように、病気になるほどなやんだなんてことではなかったのです。なにをおっしゃる。あなたにほめてなんか貰いたくない。わたしが病気になり、死ななければならないのは、単なる伝説のおきてにすぎないのです。はじめ、わたくしはそれを知りませんでした。この前の手紙のときにはまだ知らなかったのです。見舞いにきた古老が、わたくしにそのことを教えてくれました。つまり人魚を見たものは死ななければならないのです。これはゆるがすことのできない伝説の掟でした。どうしてそんな残酷な掟ができたのでしょうか。なにもわざわざ見にゆくわけでもなく、ふとゆきずりに出あうにすぎないのに、どうして死をもって罰せられなければならないか。秘密をのぞかれた人魚の復讐であろうか。しかしながら死を眼前にみて、わたくしはその意味をはっきりと知ることができます。わたしがいまよろこびをもって、この復讐をうけいれていることを申しあげれば、あなたにはすべてがおわかりでしょう。
 いや、あなたなんかにはわかるまい。あなたはまたいうにきまっている。――うつくしさにじゅんじて悔いない君のほうこそ、人魚よりよっぽど美しいなんて。
 ああ、あなたもその人魚をいちど見るとよい。そうすればそんな馬鹿なことはいわなくなるにちがいない。道を教えます。ここに地図をいれておきます。ときどきはきっとあらわれるにちがいないと思いますから、なるだけ風のしずかな日のたそがれどきに、そこへ行ってごらんなさい。
 もう手がしびれてきました。眼さきがくらくなってきました。たれかが呼んでいるような気がします。眠るような、夢みているようなよい気持です。ではおわかれいたします。さようなら。





底本:「書物の王国 ※(丸18、1-13-18) 妖怪」国書刊行会
   1999(平成11)年5月24日初版第1刷発行
底本の親本:「河童曼陀羅」国書刊行会
   1940(昭和15)年3月
入力:川山隆
校正:noriko saito
2014年11月19日作成
青空文庫作成ファイル:
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