日を愛しむ

外村繁




 妻、素子が退院し、二ヵ月振りでわが家へ帰ったのは、四月中旬のことである。曇った日で、門前の吉野桜の花はすっかり散り落ち、枝には赤い萼が点々と残っている。素子は桜の梢の方へ目を遣ってから、門を入った。玄関では、満八十二になる、私の母が背を円くして、その妻を迎えた。私は運転手と自動車から荷物を運んだ。
 素子は乳癌にかかった。その上、発見が遅れたため、癌は腋下から頸部にまで転移してい、二度の手術と、放射線の治療を受けた。しかし放射線の照射量が人体にかけ得る限度に達したので、一まず退院が許されたまでである。素子の顔に格別喜色が浮かばないのも当然である。
 現在の医学では、癌に関する限り、全治ということを考えてはならないのかも知れない。先年、私も上顎腫瘍にかかり、入院して、放射線の治療を受けた。以来、既に二年以上になる。しかし未だに病院通いを止めることは許されない。妻もあの凄惨な癌病院から辛うじて逃げ帰ったが、漸く目前の危機を脱し得ただけである。あの恐しい奴は妻の体内で、暫く息を潜めているに過ぎないのかも知れぬ。いつまた暴れ出さないとも限らない。
 しかし私はやはり嬉しかった。今夜は妻が坐るべきところに、妻が坐っているのである。老母もいる。三人の子供も妻に呼ばれ、食卓についている。私が差し出したコップに、妻はビールを注ぎ、更に自分のコップにも注ごうとする。
「おや、ビールはいけないよ」
「ほんの、一杯だけ」
 気丈な妻も自分の退院をやはり祝おうとするのか。哀れである。
「じゃ、きっと一杯だけだよ」
 二人は乾杯する。乾いた喉に極めて快い。が、次ぎの瞬間、そんな行為がひどく馬鹿らしく思われた。不意に、激しい寂寥感が込み上げて来る。
 不思議である。この二月、妻の座に妻の姿のなくなった最初の夜、私はやはり突然、相似た感情に襲われ、子供達の去った、食卓の上にうつ伏した。私は既に先妻を亡くした経験者である。が、その感情は時に起伏しながらも、いつか消えた。或は消えたのではなく、寂然と鎮っていたのかも知れない。その感情が、酔いに乗じて、意外な新鮮さで突発したのである。しかし、妻への愛が、と言ってよい、私を思い返させた。茶の間の、妻の姿のない構図の中で、それ以来、私は私の姿を崩すようなことはなかった。
 が、久しくその姿のなかった妻の座に、妻の姿がある。妻は笑っている。時時、口を動かしている。その妻の姿には、絶えずあの私の感情が山霧のように纏わりながら流れて行く。突然、水を浴びせられたように、私は恐怖を感じる。その恐怖は、丁度、高所恐怖症の者が断崖に立たされた時のような恐怖に類している。全身は戦慄し、冷汗が噴き出る。
 いつかはなくなるはずのものが、ないのである。その寂寥感は酷しいが、恐怖はない。が、なくなるはずのものが、あるのである。私の恐怖はこの存在することの不安から発しているようである。
 素子は二ヵ月の闘病生活にもかかわらず、その肉体は少しも衰えを見せていない。その体格は大きく、むしろ肥満している。が、外見は健康そうな妻の肉体が、内部から崩壊して行く過程を想像する時、私は絶望的な恐怖を覚える。
 しかし酔いは私の思考力を薄弱にする。更に感情の感度も鈍くする。私は側近く妻を坐らせて、盃を傾け続けている。少くとも昨夜までの様子とは大分異っている。私は快い酔いに助けられて、他愛なく、次第に一応は幸福なように思われて来る。また、そんなことを考えてみても、どうなるものでもない、と思われて来る。
 暖い晩である。穏かな晩である。風もなく、戸外にも騒音は全くない。或は空にも星はないかも知れない。が、闇の中で、密かに花花の受精が行われているような晩である。
「とにかく、あの病院は精神衛生上よろしくないよ」
「そうね、恐しいところね」
「しかし、上顎の人が、あんなに多いとは知らなかったね」
「それに、あれは、直ぐ転移するらしいの。よかったわ、ねえ、お父さん」
「お互に、まずは目出たしだ。今夜は、酒が格別うまいよ」
 母は既に床に就き、子供達はテレビの前にいるらしい。時時、一番年少である、女中の綾子の開け放しな笑声が聞こえて来る。
「昨夜までのように、ここで、一人で飲んでるのは、侘しいもんだよ。もっとも、退屈すると、直ぐ山形へ飛んで行ったがね」
「飛んで行ったって?」
「いや、酔ってくると、天神山や、太子堂などの、山形の景色が直ぐ浮かんで来るんだ。でも、やっぱり一人だもんな。つまらんよ。そうだ、この夏は、二人で山形へ行こうよ」
「二人で、行きましょう」
 素子の故郷は山形の蔵王山中の一峰、竜山の山腹にあって、壮大な眺望をほしいままにすることができる。しかし、いつか、どこかで、私は妻と同じような会話を交したように思う。が、私の酔った頭はそんなことは一向に頓着しない。
「二人で行くんじゃない。職場の人達には迷惑のかけついでだ。この一夏を、山形で暮そうよ」
「そんなに長くですか」
「山形へ旅行したって、つまらんよ。あの風と光の中で、生活しなくっちゃ、その愉しさは判らんよ」
 私は妻の存在を確認するかのように、妻の膝の上に手をおいた。その時、不意にトタン廂の鳴る音が聞こえる。猫であろう。が、よほど大きい奴に相違ない。トタン廂を踏みしめる足音は重く、鈍く、やがて闇の中に消えて行ったことだろう。が、酔夢朦朧とした私の頭の中には、足音はいつまでも鳴り響いているかのようである。

 素子は毎日病院へ通っている。日曜日に、その傷口のガーゼの交換をするのは、私の役目である。
 素子の肩、首根のところに径、二・五センチ、深さ、一・五センチばかりの傷口が開いている。手術の傷が癒着しないうちに、放射線をかけたためである。
 乳房を切除した左胸部には殆ど傷痕は残っていないが、放射線のため薄黒く焼かれている。腋下から左腕にかけて、同じく放射線で焼け焦げた傷痕が、醜い凸凹を作っている。いかにも惨禍の跡を見るようで、極めて無惨である。しかしこのように過ぎ去ってしまえば、むしろ荒涼たる感じである。
 片肌を脱いだシャツの下から、右の乳房が覗いていることもある。危く焼け残った一軒家のように、激しい孤立感を呼びおこす。しかし、女性の乳房が美しいのは、左右に描かれた均斉美にあるのだろう。或は先入観からであるかも知れないが、仮にまん中にあるとしても、一個だけの豊満な隆起は奇怪ではないか。まして左を欠いた、右だけの白い隆起は。却って全体をアンバランスにし、片輪ものを感じさせる。私は妻の乳房から急いで目を逸すより他はない。
 私は指先をオキシフルで拭い、ピンセットを取って、妻の傷口からガーゼを取り出す。赤い傷口が口を開く。ガーゼには淋巴液の粘液が附着していることもある。素子は眉をしかめて言う。
「また、こんなべろべろ、いやになってしまうな」
 私は傷口の周囲にマーキュロを塗る。傷には疼痛はない。しかし、不器用な私はマーキュロを妻の肌に垂らし、下着を汚すこともある。髪の毛の上に絆創膏を貼って、妻の顔をしかめさすこともある。日曜のことであるから娘もいる。若い綾子も私より器用であろう。が、妻のために、娘達の前に、その醜い肌を曝させたくない。また娘達のためにも、その目に同性の無惨な姿を見せたくない。この役目を果せるのは、私一人であろう。私には妻の無惨な姿も、少しも醜いとは見えないのであるから。
 最後に、私はピンセットでリバノールガーゼを撮み出す。しかし老眼の私には、その一枚を挟むのがかなり困難なのである。私は漸く三枚のリバノールガーゼを詰める。そうしてその上に白いガーゼを当て、絆創膏で押える。それから私はベンジンを含ませた脱脂綿で、妻の胸や肩をこする。放射線で焦げた汚れは、それくらいのことで容易に取れるものではない。が、絆創膏の後の痒みなどもあって、妻は快いらしい。私も僅かに黒くなった脱脂綿を見て、妻の肌も少しは白くなったかと、悪い気持はしない。
「今日は、これで終りだ」
 素子は気分の好い時には、
「サンキュー」などと言って、片肌を袖に入れようとする。しかし素子の左手は三分の一直角以上には挙げることはできない。私は後に廻って、妻の左手に袖を通してやらなければならなかった。
「山崎さん、やっぱり亡くなりました」
 ある日、病院から帰って来た素子がそう言った。妻の病床は、書斎の、私の机の横に敷いてある。しかしその上に坐った妻の顔には、それほど動揺した表情はない。
「山崎さんって、後から同室だった方だね」
「そうよ。手術して、開腹なさったけれど、手のつけようがなかったので、そのまま塞いでしまったのですって。それから直ぐでしたわ。退院なさったの」
「そうか。そんなことだったね」
「今日、息子さんが、病院へ挨拶に来てなさったわ」
「そうか」
 今日は素晴らしい好天気である。青い空は深深と霞み、その薄絹のベールの中には、金色の春光が満ち溢れている感じである。小庭の木木の葉にも、柔かい陽光が降り注ぎ、その緑蔭の中には葉洩れの光線を受けた、一枚の硬質の葉の反射光が、むしろ白色に近い光を放っている。赤い、小さな竹トンボのような実をつけた楓の若枝が微かに揺れているので、微風のあることが判る。
 庭の椿は花期が長く、その下枝にはまだかなり多くの花をつけている。紅色の大輪の花であるが、あまりにも豊かな光を浴びて、却ってその色彩を放散させてしまった感じである。地上には既に褐色に変色した花が落ちている。その中に、まだ痛ましいほど鮮かな色をした落花も交っている。一輪は俯伏し、二輪は黄色の雄蘂を上に向けている。花公方ももう盛りを過ぎ、木の下に紫紅色の小さな花を散りこぼしている。
 静かである。珍しくラジオも停止している。まるで総べてが弛緩してしまったような静けさである。また、あまりにも適当な温度のため、感覚が鈍化するのか、ともすると自分の存在さえ見失いそうになる。それを防ぐためには、全く意味のない声でもよい、一声叫び上げなければならないような衝動にかられるほど、静かである。
 素子は私の傍の床の上に横になって、雑誌を読んでいる。勝気な素子は入院中の仕事の遅れを取り返すため、退院後は無理をするのではないか、と私は心配していたが、その恐れはないようである。自分の経験からも、放射線の反応は極めて強い。外見は元気そうでも、そのスタミナはかなり衰えているのではないか。読書にしても、まとまったものを読もうとする気力はない。
 老母は隣りの部屋で居眠りでもしているのであろうか。母は永年、頑固に郷里の家を守っていたが、去年、神経痛を病み、漸く上京した。しかし仏壇のある郷里の家のことが、寸時も母の頭から離れないらしい。毎日、母は散歩に出て、密かに足を訓練している様子である。
 縁側の籠の中で、十姉妹が高く囀り出した。雄が雌を求める時の鳴き方である。雄は白いおきあがり小法師のように羽毛を逆立てて、雌に迫っているのだろう。雌は軽く雄を避けた様子であるが、再び雄は囀り出し、荒々しい羽音が聞こえた。
 いつか素子は眠った様子である。雑誌は開かれたまま彼女の手から離れている。素子は軽い寝息を立てて、眠っている。


 口腔外科の診察室は三階にあるので、絶えず清々しい風が吹き入っていて、微熱のある頬に快い。窓近く、プラタナスの若葉がそよぎ、柳の枝が揺れている。空は極めて青く、鴎が一羽、緩く羽を動かして、飛んで行く。
 道路と、濠を隔て、国電のホームが見えている。ホームの上には、大勢の乗降者がそれぞれの姿勢を取っている。先刻、私もその一人であった。そうして誰かがこの診察台の上からその私を見ていたのであろう。少し妙な気になる。
 駅向こうの家並の一部も見える。どの家の裏窓にも夥しい洗濯物が干してある。青い空の故か、私は「今日は青空」という、小学校時代の唱歌を思い出した。そうして五月の太陽を浴びながら、洗濯をする極めて健康な女の姿を想像する。
「熱は、まだ取れませんか」
 治療を終った時、柳田医師が言う。
「はあ」
「では、念のため、内科の方へ行ってみますか」
 先日、私は冗談ごとのように、妻の枕許の体温計を使ってみた。意外にも、三十七度四分あった。翌日も熱は変らない。その翌日の午前中は三十六度八分、午後は三十七度五分である。私は担任医である柳田医師にその由を告げておいたのである。
 私は口腔外科へは三年近く通っている。小使さんまで懇意である。が、初めての内科は要領の悪い私には苦手である。漸く私は名を呼ばれて、診察室へ入る。口腔外科から内科へ私の診察を依頼する形式で、その依頼状には私の前病歴が記されてあったらしく、内科の医師の態度がひどく慎重であることが、一見してよく判る。医師は前の病状、殊に放射線をかけた状況を委しく聞き取る。それから現在の病状を聞き、それをカルテに書き入れてから、医師は言った。
「では、お腹を診せて下さい」
 口腔外科の診察では帯を解くことはない。極めて初心な羞恥が湧く。私は少年の頃から、極端に言えば、自分の肌を空気に触れさすことを好まない。ましてまん中に各人その形を異にする臍がついている。自分の腹部を人の目に曝すのはあまり見よいものではない。少年の頃、郷里の医院の、黒いリノリュームを張った診察台の上で、柿の花のような臍のある、白い腹を剥きだしにされて、ころころと恥しがっていた自分を思い出す。が、この年をした自分が、そんなことを言えば、むしろ不様である。診察台の上に、私は仰臥する。
「膝を立てて下さい。おや、大分、慄えますね。酒ですか。煙草ですか。それとも両方ですか」
「酒です」
「毎晩ですか。どれほど上がるんです」
「ビール一本と、酒を四合ばかりです」
「随分、飲むんですね」
 奇妙なことに、羞恥が薄らぐとともに、慄えも少くなった。医師は意外に強く腹部を押える。
「痛くありませんか」
「はあ、痛くはありません」
 更に私の体を少し横に向けさせ、医師は脇腹近くを強く触診する。しかし今日の医学は聴診器はあまり重視しないのか、胸部の診察はなく、処置室で採血され、体重、血圧を計られる。最後に、胸部のレントゲン写真を撮られ、病院の玄関を出たのは、一時を過ぎていた。
 外には、初夏の陽光が眩しく照り輝いている。芝生の庭には、赤や、紫や、白や、斑入りのつつじが、同じ色彩を重ね、燃えているように咲いていた。
 次ぎの日、私が内科病棟の玄関に入った時、その目前に香川完子が立っている。完子は素子の山形高女での先輩で、戦前、素子は完子の家に寄宿していた。見ると、完子の首筋にも白いガーゼが貼ってある。
「これは、一体、どうなさったんです」
「私も、何だか怪しいんですの。ですから、私はここへ入院して、検査してもらってるんです」
「入院ですか。それは大へんだ」
「あなたは内科へもいらっしゃるんですの」
「それが、この間から、微熱がとれないものですから。何しろ前科があるもんですから、お医者さんの方が大へんなんです」
「全く散散ですわね」
 完子は素子の病状などを聞き、二人は別れた。その日も、私は診察後、耳と腕から血を採られ、検尿のため、私の名前が貼ってあるガラス器に尿をとった。
 私が病院から帰ると、素子は既に蒲団の上に坐っていて、私の顔を見るなり言う。
「お父さん、怖かった」
「どうした」
「また、何やら、できたらしい。傷口の中の粘膜、採られちゃった」
「そうか。しかしくよくよ思ったって始まらないよ」
「でも、怖いわ」
「それより、病院で完子さんに出会ったよ」
 私は完子との一部始終を話した。
「ほんとに、どうかしているわ。私達の周囲って、癌ばかりじゃないの」


 素子の細胞検査の結果はマイナスであった。
 本家を継いでいる、私の兄は名古屋に住んでいる。故伯父の法要を営むから、出来れば母にも参詣してほしいと言って来る。私達夫婦は行けない。が、東京にいる弟が参詣するという。故伯父は母の実兄に当る。更に母のよい気保養にもなると思い、弟に同行してもらうことにする。母は内心では郷里の家へも帰るつもりらしい。が、あの広い家、高い縁側、重い釣瓶のついた井戸などを思うと、私は同意し難い。
 ある日、打合わせに来た弟に、母が大きな風呂敷包みを渡している。私は思わず見咎めた。
「その風呂敷包みどうなさるんです」
「これかいな、これは古いもんやがな」
「古いものなら、綾ちゃんに始末してもらいます」
「ほんなもん、手がつけれんほどひどいもんやでな、私がぼつぼつとな」
「すると、やっぱり江州へお帰りになるおつもりなんですか」
 母の肩はひどく曲っている。そんな姿勢の母は顔を上げて、暫く無言のまま目を瞬いている。が、急にひどく不満気に言う。
「ほやけど、去年の約束とは、大分違うもんやでな。去年は寒い間だけ、ということやった」
「約束とおっしゃるけれど、去年は素子がこんな病気になるとは、夢にも思いませんでしたからね」
「ほれに、夏のもんも取って来たいしな」
「そのお気持はよく判りますよ。しかし若しものことがあれば、今の家の状態では、どうしようもありませんからね」
「ほんなもん、大丈夫やわいな」
「そりゃ、大丈夫でしょう。だから若しも、と言っているんですよ」
 今日はかなり蒸し暑い。外には鈍い陽光がさしている。空には雲が多いようで、陽は急に翳ったりしている。ガラス戸越しに、私は、松葉ぼたんの赤い花に目を遣っている。先日、私が買って来て、日あたりの良い場所を選んで、植えたものである。昨日、初めて花が開いた。一日草で、今日は三輪咲いている。可憐である。
「物は相談やがな、兄さんが帰ってもよいと言いやしたら、よろしいおすやろか」
「兄さんが責任を持って下さる以上、私は何も申しませんよ。しかしそれはおばあさんと兄さんとの間だけのことですよ」
「ほらほうどすわいな。ひとつ兄さんに頼んでみよ」
 その夜、素子は憤りを含んだ口調で言う。
「私達が、今どんな状態にあるか、全く理解して下さらないんですもの」
「一から十まで、あんたの言う通りだよ。しかし今のおばあちゃんには、何を言っても通じないんだよ。つまり帰りたい一心、なんだよ」
「そんな無茶な話ってありませんよ。なんぼおばあちゃんでも、気まま過ぎますよ」
「しかしあの家にはおばあちゃんの八十二年の生活があるんだよ。しかもあの家以外にはないんだからね。無理ないかも知れないがね」
「だって、うちの玄関でも、逼ってでないと上れないのですもの。万一のことがあったら、どうするんです。殊に今は農繁期ですよ。おすまさんだって、来てもらえやしません」
「全く、同感。しかしね、事によると、おばあちゃんは、あの『お壇さん』のある江州の家こそ、自分の死場所と、きっと思い定めているのじゃないか」
「仏壇なんか、下らん、だから、宗教なんか、いやだわ」
「おいおい、女史よ、少し話が飛んだんじゃないかな」
 翌日、私は母を東京駅まで見送った。丁度、安保条約反対のストの当日である。しかし東京駅へ私達が着いたのは、ストの解けた直後であった。間もなく列車も動き出す。しかもストのため、却って列車はひどく空いている。母と弟は窓辺の席に向かい合って坐ることができた。
「ほんまに、極楽やがな」などと、母は言っている。やがて列車は発車する、母は窓から頻りに手を振っている。この物情騒然たる中を、母はとうとう汽車に乗って行ってしまったか、と、何だか馬鹿にされたようでもある。が、母が、ひどく哀れなようにも思われる。
 それから暫くの後、私はベッドの上に、胸を開いて、仰臥している、胸骨の骨髄穿刺を受けるためである。
「何でもありませんが、機械が一寸いやな感じですから」
 そう言って、私は目隠しをされる。が、ベッドの上の私は神妙である。先の入院の経験もあり、私は自分を放棄することには慣れている。例えば、痛いか、どうかと臆測はしない。痛い時には、痛がればよいと思っている。
 麻酔の注射が打たれる。ひどく痛い。が、直ぐ麻酔がきいて来る。次ぎに、針が刺されたらしい。麻酔のため痛感はないが、強い圧迫感を感じる。
「少し痛いですが、痛いと思った時は、もう終りですから」
 この医師はひどく親切である。瞬間、思わず体が反りかえるような激痛を覚える。骨の中には麻酔はきかないものらしい。が、針は直ぐ引き抜かれたようである。医者の言葉通り、痛みは一瞬のことであった。私は目隠しを解かれ、看護婦に言われるままに、暫くベッドの上で休んでいた。
 名古屋から帰って来た弟が、報告に来る。法要には江州から僧が招かれ、母は水を得た魚のようであった、という。


 この頃、素子は横になると、首が痛み、長くは寝ていられない。夜もよく眠られないらしく、朝、私が目を覚ますと、風呂敷で遮光した電灯の下で、素子は新聞を読んでいたりする。
「どうしたんだろうね」
「放射線で、首の神経が痛められたのですって。でも、先生に言っても、あまり相手にされないの」
「そうか。すると、あまり心配しなくてもよいらしいね」
「昨日なんか、もっと左の手を動かさないと、『先になって、困ることになりますよ』って、叱られちゃった」
 私は急に、少くとも目前が明るくなったように思う。思わず顔に喜色が浮かぶ。が、素子はまるで触れてはならないものに、触れようとするかのように、奇妙な表情を作って言う。
「だって、私にも、先があるのか知ら」
「どうやら、あるらしいじゃないか。先になって困るといけないから、これからは、上衣を着る時のお手伝いは、御免蒙ることにしようぜ」
 そんなある日、名古屋の兄から来信があり、母が兄の家の廊下で転び、左の腕を骨折したので、近くの病院に入院させた、という。私は唖然として、直ぐには言葉にならない。素子は手紙を読み出したかと思うと、いきなり言う。
「だから、言わないことじゃない。でも、お兄さんには悪いけど、まだ名古屋でよかった。これが若し江州だったら、どうすればよいの」
「全くだ。文字通り、万事休したところだったね」
 母は何とかして兄を口説き落し、江州へ帰るつもりだったように思われる。無理に喜びを押し殺そうと努めながらも、子供のように上機嫌だった母の顔が目に浮かぶ。目的を達しようとした寸前に、事は破れ去ったのである。母の悔しさは、私にも解る。
「カソリック系の病院らしいが、おばあちゃん、どんな顔しているかな」
「それに、完全看護のようでしょう。何も彼も黒衣の天使さんよ。一寸、驚きでしょうね。おばあちゃん、少しかわいそうになって来たわ」
「おばあさんには、生れて初めての入院なんだよ。しかしこればっかりは、『やっぱり長生きはせんならんもんや』とも、言ってられないしね」
 私は兄夫妻へ礼状、母には見舞状を書く。レントゲン写真の結果、私の胸部は健康であった。血液検査の結果も異状なかった。殊に私の肝臓は飲酒家とは思えないほど、丈夫であるという。思わず微笑を禁じ得ない。先日の骨髄穿刺の結果、私の骨髄の中の血液もきれいであるという。依然として微熱は取れないが、一まずその旨の報告書が認められる。私はそれを口腔外科の柳田医師に渡した。
「何、大したことはありませんよ」と、柳田医師は磊落に笑った。
 素子の頸部の痛みは、暑さとともに、日毎に激しくなって行った。この頃では、麻痺薬がなくては、殆ど横になっていることができない。夜は麻痺薬を用い、辛うじて二、三時間の睡眠を貪るらしい。朝、私が目を覚ますと、素子は蒲団の上に坐り、両手を机の上に置き、その上に顔を伏せている。
 頸部の疼痛が、本病には直接の関係も、影響もないことは、素子にも判っている。が、不断の肉体的苦痛は、あらゆる分別に絶するのであろう。疼痛と、睡眠不足と、暑熱とで、再度の手術にも弱音を吐かなかった素子も遂に悲鳴を上げる。
「こんな状態のうちに、再発したら、どうしよう。悔しいな」
「仮定は止そうや。再発するかも知れない。しないかも知れない。それこそ、お釈迦さまでも御存知あるまいからね」
 毎日、酷しい暑さが続いている。今日も空は紺青に晴れ、強烈な太陽が照りつけている。机に向かっている私の手にも汗が滲み、ともすると原稿用紙の字を汚す。汗を拭っていては煩に堪えないので、私は原稿用紙の上に反故を敷いておく。蝉が鳴いている。
 素子は蒲団の上に坐り、机に凭りかかって、スポーツ誌を読んでいる。その左手は丸太棒のように脹れ上ってしまった。皮膚の抵抗力も弱っているのか、その左手には、手の甲の上にまで汗疹が出来ている。軒端に吊した籠の中で、先刻からきりぎりすが鳴き頻っている。私の脳裏には夏草の長けた、妻の郷里の風景が頻りに想い描かれる。が、今年の夏も、妻の郷里を訪れるのは断念しなければなるまい。
 素子は、雑誌を離し、右手を蒲団に突いて、倒れるように横になる。が、忽ち激痛に襲われるらしく、直ぐ起き上ってしまう。初めから駄目と判っていることである。それでも無性に横になりたいのだろう。
 麻痺薬の袋の服用時は「疼痛時」となっている。しかしその乱用は勿論、厳禁されている。素子も強く自戒している。が、これ以上、私は見るに堪えない。
「母さん、もうそろそろ疼痛時にしないかね」
 見ると、素子の顔に一筋の涙が伝い落ちている。素子は沈痛な口調で言う。
「どうしても、横になれないな。私って、それほど、悪いことを、した覚えもないのに、どうして、こんなひどい目に、遇わんならんのだろう」
「ねえ、母さんよ、悪いことをした覚えのない人は、皆幸福だときまっていたら、問題はないんだよね。しかし人間の運命は、そう簡単ではないらしい。むしろ複雑怪奇、人間の手には負えないもののようだね」
「ほんとに、人間って弱いもんですね。不断、私はあんまり丈夫だったもんだから、偉そうなこと言ってたけれど、若しもお父さんがいてくれなかったら、私、どうなっていたでしょうね」
「そんなことはない。実によく我慢するものね」
 私は危く涙を怺えて、立ち上り、コップに水を汲んで来る。
「さあ、疼痛時、疼痛時」
 今の素子にとっては、この麻痺薬は唯一の貴重品のようである。いかにも嬉しそうに薬を取り出し、素子は口に水を含んで、薬を飲んだ。
 遠く雷鳴がしている。
「せめて、夕立でも来てくれないかな。少しは楽になるでしょうに」
「いや、怪しいね。しかし名古屋は格別に暑いらしいが、おばあさん、どうしてなさるかな」
「ギプスはもう取れたのでしょうか」
「それがまだらしいんだよ。高齢だから、骨も弱っているだろうしね」
「御不自由でしょうね。おばあさんも、大へんだわ」
 私は机に向き直る。素子は用心深く横になる。私は気が気でなく、横目使いにそれを見ている。薬が効いて来たのか、素子の起き上る気配はない、私は初めてほっとして、ペンを取り直す。素子の軽い鼾が聞こえて来たのは、それから間もないことである。
 入浴後、私は糊のきいた浴衣を着て、庭に面して腰を下していた。入浴前に水を打っておいたので、狭い庭ではあるが、幾分、涼しそうである。去年の夏は、一鉢の夕顔を買って来て、その花の咲くのを随分と楽しんだが、今年はそれどころではなかった。
 庭には、私の娘が種を播いた黄蜀葵とろろあおいが、かなり大きくなっている。が、まだ蕾は小さい。紅蜀葵は真夏の花であろうが、黄蜀葵は初秋の方がふさわしいかも知れない。不意に、けたたましくひぐらしが鳴く。門前の桜の木に留っているらしい。それを機に、私は立ち上り、浴衣を脱いで、例の前割れシャツと、ステテコ姿になる。左手の不自由な妻の背中を流すためである。
 浴室の戸を開く。西の空がまっ赤に夕焼けている。その深紅の空には、金色の火箭が幾条も噴き上げている。私が体を屈めると、妻の裸身は金と赤との光炎に被われているようで、思わず私は息を詰める。
「すみません」
 素子の体は今のところでは少しも衰えを見せていない。
「このデブガン奴が」
 私は左手を妻の右肩に当て、その背中を擦る。黒い垢が、れて出る。窓は開いているが、浴室の温気のため、私の肌に汗がにじむ。
「ああ、よい気持。オーチャン、サンキュー」
「オーチャン」とは、私の子供達の幼い時の「お父ちゃん」の愛称である。今も甘える時などに用いられている。妻もよほど気分が好いのであろう。
 蜩が頻りに鳴いている。西の空は刻刻その光彩を変じている。今は金色の光芒も消え、隣家の屋根の上に僅かに赤色を残して、樺色と水色の空が融け合っている。極めて静謐な感じである。


 颱風の余波を受け、暗雲が垂れ籠めている。かなり強い風が木木の枝を振り乱し、時時、激しい雨が降った。しかし暑気は幾分和いだようである。
「恐しいもので、汗疹が少し引いたようですわ」と、素子は言っていたが、麻痺薬を飲んだのか、今は床の上に横になって、眠っているようである。
 物の飛び落ちる、高い音が聞こえる。思わず妻の方を見る。が、素子は微かな寝息を立てて眠っている。そう言えば、素子は外部の音は比較的気にしないが、家の中の音には、玄関の扉の開く音にも、ひどく敏感なようである。
 白い花房をつけた百日紅の枝が、風の中で立ち騒いでいる。いかにもしどろもどろと言った感じである。地上にも多くの花を散らせている。また雨が繁吹きを上げて降って来る。木の葉に溜まった水滴を、風が忽ち吹き飛ばす。水滴はピカッと光っては、直ぐ消える。が、雨はまた止んだ。
 素子が緩り起き上った。ひどく怪訝そうにその身辺を見廻している。
「今日は、かなりよく眠れたね」
「そう、そんなに眠ったのか知ら」
「かれこれ五時になるだろう」
「そう。すると、随分、眠れたわけね。嬉し。そう言えば、起きた時、体の調子がいつもと少し違っていたわ」
 その翌日から、また暑い日が続いた。しかし、既に立秋は過ぎた。気の故かも知れないが、どことなく秋の気配の流れるのを感じた。門前の桜の落葉もめっきりその数を増した。庭にはいかにも秋の花らしい、黄蜀葵の淡黄色の花が咲き続いている。秋海棠も桜貝のような薄紅色の蕾を脹らませた。
 あの颱風の日以来、日毎に、素子の頸部の痛みは、不思議なように薄らいで行くようである。昼の間は麻痺薬を用いない。それでも横になっていられるようになる。そのまま、浅いながら眠りに落ちてしまうこともある。夜の睡眠時間も長くなったらしい。肩の傷はまだ癒着しないが、その傷口はずっと浅くなった。
 ある残暑の酷しい日、久振りに勤めに出た素子は、四時頃、早退きして帰宅した。
「お父さん」
 書斎に入るなり、素子はそう言って、私の横に坐った。
「花井さん、お亡くなりになった、そうよ」
「病院で、最初に、同室だった方だね」
「そう、十二年前の乳癌が再発して、肋膜に水が溜っていたのでした」
「病院でも思ったことだが、十二年前のものを、再発と言えるか、どうか」
「それは、どうか知りませんけれど」
「アメリカからの注射とかを、打ってられたのだったね。血色もよくなり、元気になられたようだったがね」
「ひどく病気馴れた方で、退院なさる時、私がお祝を言うと、『どうですか。でも、これで二年ほども持ってくれたら、また新しい薬もできるかも知れませんからね』って、言ってられたものでしたが」
 素子は先に亡くなった山崎さんの場合より、強い感慨を懐いたようである。この頃、素子はもう夜も麻痺薬は用いていない。それまでは、彼女の神経は、頸部の疼痛にその総べてを奪われていたに相違ない。その痛みが消えたのである。彼女の歓喜は言葉に絶するものがあろう。その喜びの間隙から、不意に、素子は深淵を覗き見た思いがしたのではないか。
 花井さんの夫君は大学教授である関係から、素子はその職場で花井さんの死を聞いたのであろう。が、私も始終同じ恐怖に脅されている。強いて、私は花井さんの夫君のことには触れなかった。
 幾分、日も短くなった。漸く一日の仕事を終り、私は茶の間に入る。北の窓から、清涼な風が微かに流れ入るのを、肌に感じた。


 内科の診察や、検査が終ると、処方箋を薬局の窓に出してから、私は口腔外科へ行く。薬を貰うのにひどく時間を要するからである。
 今日も残暑はかなり酷しく、太陽の直射を受けて歩くと軽く汗ばむ。私はいつものように、口腔外科診療室の椅子に腰をかける。この診療室は南面してい、総べてガラス窓になっているので、いつも涼風が吹き入っている。しかし庭のプラタナスには鮮かな黄葉も幾枚か見える。一声、法師蝉が鳴いている。しかし網竿を持った子供の姿はもう見えない。
 私の治療は主として、歯茎と、放射線をかけた跡にできている竅穴の洗滌である。時には顎下や、首筋の淋巴腺も検べられることがある。
 歯鏡を持った柳田医師が、小さく「え、え」と言ったように思った。が、柳田医師は雑談を交えながら、いつものように治療を進めて行く。
「残暑がなかなかきついですね。私は太ってるもんだから、暑いのは、どうも苦手でしてね」
「しかしここはいいですね。夏は涼しく、冬は暖い」
「全くですよ。下手な避暑地より涼しいですからね」
 が、脱脂綿の丸めたのを屑入れに投げ捨てると、柳田医師はさりげなく言う。
「では、写真を一枚、撮って来て下さい。そこのレントゲン室で結構ですから」
 私は歯科のレントゲン室で、口中の写真を撮ってもらい、診療室へ立ち寄ると、柳田先生は言った。
「では、明後日、金曜日に来て下さい」
 私は帰宅し、私より早く病院から帰っていた素子に言った。
「また少し怪しいらしい。レントゲンを撮られちゃった」
「そう? でも、お父さんはきっと大丈夫ですわ」
「まあ、腹の底では、そう心配してないんだが」
「そうそう、おばあさんが退院なさったんですって。丁度、二ヵ月以上になりましたわね」
 机上には、私達宛の兄からの手紙が置いてあった。
 金曜日はまっ直ぐに口腔外科へ行く。が、柳田医師はレントゲン写真の結果については、何も語らない。私も医師の語ろうとしないことを、強いて聞き出そうとはしないことにしている。が、いつものような治療を終った時、柳田医師はいかにも自然な口調で言う。
「ああ、丁度、放射線の木村君が来ました。一寸、診せて下さい」
 木村医師は診療室に入ると、一直線に私の診療台へ来たようである。がそんなことも同じく問題ではない。木村医師は先年、放射線をかけた際に私がかぶった、石膏のマスクを作った医師である。
 木村医師は私の口中に歯鏡をあてながら、柳田医師と頻りにドイツ語を交えた会話をしている。直ぐ二人の医師の意見は一致したようである。私は命じられたように四階の検査室へ行く。私の左右の上顎の細胞が採られ、長方形のガラス片を合わせて、プレパラートが作られる。先年も、この検査を受けた翌日、私は入院を言い渡されたのである。
 私はお茶ノ水駅のホームに立っている。濠の堤の夾竹桃の赤い花が風に揺れている。真正面に病院の三階の診療室の窓も見えている。濠の水はいつものように汚れ、濁っている。聖橋が半円形の橋桁の影を映しているので、逆にその水面には明るい半円を描いている。一般の伝馬船が極めて緩く動いている。流木や、塵芥を拾っているらしい。
 死のことを思うと恐しい。しかし物質的なものへの愛着のためではない。名誉欲のためでもない。また自分の分限もわきまえたつもりでいるから、自分の仕事への未練でもない。所詮は、親しい人との永別が名残り惜しいのである。しかし心身の苦しみがどんなものかは知らないが、死ねば皆無に帰すだろう。後に残った者の悲しみがどんなものか、亡くなった妻に先立たれて、私は知り過ぎるほど知っている。不意に、自分ながら極めて奇怪な感情が湧いて来る。
「どちらが先に駆けつくか」
「なんとおっしゃる兎さん」
 空耳に、妻のような声を聞いたと思う。
「馬鹿、馬鹿、馬鹿もん奴が」
 私はあわてて自分の心を叱りつける。白昼、私がそんな悪ふざけに耽るのも、或はそれほど死を恐れているのかも知れないが、そのいずれにしても、極めて愚劣なことであるには相違ない。
 月曜日に、私は口腔外科へ行った。細胞の検査の結果は異状なかった由で、いつものように治療を受ける。治療後、柳田医師が言った。
「今日は、放射線科へ行かれますか」
「はい。まいりましょう」
「では、これを持って行って下さい」
 私の最近の状態を記した紙片を渡される。
 放射線科の診察室は二階にある。薄暗い廊下の椅子には、数人の患者が順番を待っている。以前には、先輩や、入院当時の同輩もいたが、今は見知らぬ顔ばかりである。あの人達はどうなったか。私は看護婦に紙片を渡し、椅子に坐る。
 隣りに坐っている二人の話を聞いていると、どうやら乳癌と上顎癌とであるらしい。
「そんなところにも癌ができるのかね。何か別のもんじゃないのかね」
「いや、癌だな」
「そうかね。全く、いやっけな病気だね」
「乳癌は一番直り易いというじゃないか。わしは風呂屋で、うちへも取った人が来るが、ひどく達者なようだぜ」
 初めて放射線をかける人らしく、他科から附添って来た医師から、入院を勧められている。
「一時は、声も今より出なくなるでしょう。皮膚も焼け、食欲も減退するかも知れません。一時は、かなり苦しくなるものと思ってもらわなくっちゃなりません」
 やがて私は名を呼ばれ、診察室に入る。先刻の婦人が肌脱ぎになっている。直視する勇気はない。私は直ぐ目を伏せる。
 私は三雲教授の前の椅子にかける。教授は私の口中に歯鏡をあて、懐中電灯で照らしながら、何かドイツ語を交えて言う。助手がそれをカルテに記入する。
「はい、きれいです」
 三雲教授はそう言ってから、私の顎下の首筋を強く押える。教授は一寸改った風に手を離し、またドイツ語で言う。その後に立っていた木村医師がやはりドイツ語で答える。
「いっそ取ってしまったって、いいじゃないか」
「以前から、×××(ドイツ語)はないようですが」
「じゃ、暫く様子を見ることにしましょう」
 教授はその先がコの字型になっている測定器で、私の首筋のしこりの大きさを測り、カルテに記入させた。
「では、また序のよい時に来て下さい」
 病院から帰って来た素子は、いきなり言った。
「どうでした」
「検査の結果はマイナスだったよ。ゲシュールも、今日はなくなっていたらしいな」
「そう、よかった。あなたは大丈夫だとは思っていましたけれど」
「でもね、首筋の痼をね、取ってしまおうかって、三雲教授に言われたよ」
「すると、あなたでもまだ無罪放免ってわけにはいかんのね」
「そうらしいね、でも、口腔外科では心配ないと言われてはいるのだがね。そうそう、おばあちゃんがね、早く東京へ帰りたいのだって」
 母は最近、兄の家から、亡くなった姉の長男、つまり母の孫のところへ移った。その甥からの来信を私は素子に渡した。
「へえ、珍しいこともあるもんね」
 この一夏を鳴きあかしたきりぎりすは、先日、死んだ。今、庭には蟋蟀が盛んに鳴いている。短い撥音を単調に繰り返しているのもいる。語尾を高く張り上げて、旋律の美しいのもいる。
 先年、素子の郷里の天神山の草叢で、私は鈴虫の鳴くのを見ていたことがある。私の足音に声をとめた鈴虫は長い髭を緩く動かしていたが、やがて夕風に誘われるように、翅を慄わせて、鳴き始めた。よほど激しく翅を打交わすからであろうか、翅の輪郭は目に霞み、却って静止しているかに見えた。
「流石のおばあさんも、よほどお懲りになったのでしょうね」
「田舎の家こそ死に場所と、気持は張り切っていても、人間というものは肉体的苦痛には至って弱いものだからね」
「全くそうね。でも、これで安心しました。やはり敬三さんに迎えに行っていただくより、他にありませんわね」
「弟のところへは、兄からも手紙を出してくれられたようだが、私も頼みに行ってくるよ」
 庭には、既に夕闇が漂っている。虫はいよいよ盛んに鳴いている。いろいろの音色が重り合ってなかなか賑やかである。


 母は弟に伴われて、帰京した。私は東京駅に出迎えた。母の左手は殆ど使用に堪えない。足つきも至って覚束なく、私に抱えられて、漸く、ホームの階段を降りた。初老の痩せた男に辛うじて抱えられた老婆の姿は、見るからに哀れを催させたのであろうか。
「いや、御苦労さんでした」と、改札員が声をかけた。
 漸くわが家に帰り、居間に通った母は崩れ落ちるように坐って、言った。
「ああ、やれやれ、もうこれでどこへも動かいでもよい。みんなのお蔭さんでな」
 母はかなり疲れたらしく、その翌日も床の中で休んでいたが、翌翌日からは寝たり、起きたりの日が続き、数日後、床を上げさせた。しかし母はもう散歩に出るようなこともなく、テレビを見たり、時には、陽溜りで座蒲団を敷いて横になり、そのまま眠ってしまうこともあった。が、食欲はしっかりしてい、何かと註文を出しては、素子達を笑わせていた。
 私は三雲教授の前に腰かけている。教授は口中の診察を終り、測定器で私の首の痼を測る。例によってドイツ語の入る会話を交してから教授は私に言った。
「心配いらないようです。殊に、この頃、この辺の皮膚がつやつやして来ましたね。いや、結構でしょう。では、次ぎは、来年になってからでいいでしょう」
 帰路を急ぐ私の足が自然にいそいそとなって来るのを、私はどうしようもなかった。
 朝食の時、母は茶碗を手に取り、箸を運ぼうとして、また茶碗を食卓に返した。
「今日は、御飯を、おいときますわ」
 そう言って、母は立ち上る。
「気分がお悪いですか」
 私も素子も立ち上る。母はよろけるように居間の方へ行こうとする。女中の綾子が急いで床をとる。母はその上にくの字型に倒れる。直ぐ母が言う。
「胸がむかつきそうやがな」
 私は急いで洗面器を持って来る。母はその中にかなり大量の血を吐いた。
 北海道から帰っていた長男を医者の許へ走らせる。杉本医師を伴って、長男は帰って来る。杉本医師は母を診察してから、別室で洗面器の血を視ながら言う。
「喀血か、吐血か、どちらですか。喀血なら肺、吐血なら胃、潰瘍か、癌でしょうね。しかし心臓は割にしっかりしていますよ」
「そうですか」
「とにかく今日は安静にしておいて、経過によって、明日でもレントゲンを撮ってみましょう。でも、多分喀血でしょう。血がかなり赤いですからね」
 そう言い残して、杉本医師は帰って行った。杉本医師を送りに出た私も、素子も、長男も暫く物を言わなかった。
 しかし母は続いての喀血はなく、比較的安らかな表情で寝ている。
「もうどうもしてもらわいでも、よろしいほんな。何一つ、思い残すことはあらあへんでな」
「それは一寸、気がお早いようですね。とにかく静かあに、休んでて下さいね」
「はいはい」
 母はその後も喀血はなく、翌日、胸部のレントゲン写真を撮ることになる。が、私も素子も病院へ行く日である。後を長男に任せて、家を出る。
 病院から急いで帰って来て、私は母の枕許に坐った。母は割合元気そうである。
「今日は、まるで北海道行みたいなつもりで、行って来ましたわ。兄ちゃんや、綾ちゃんまで、親切にしてくれやはるので、有難いことどす」
 翌日、私は杉本医院へ行く。杉本医師は机の上に母のレントゲン写真を立て、電光で照明しながら言う。
「肺はきれいですね。しかしその後、血が出ないのですから、胃でもありませんよ。老人性鬱血でしょう」
 杉本医師はレントゲン写真の黒くなった部分を指し示しながら言う。
「こう、血管が膨脹しています。しかしそれほど心配することもないでしょう。息苦しがられるようなことがあったら知らせて下さい。食物などもぼつぼつ不断にかえしてよいでしょう」
 私は杉本医院の扉を開いた。空はまっ青に晴れ渡り、秋の妙に明るい光線が道に、屋根に、木木の葉の上に降り注いでいる。どこからともなく木犀の香りが漂って乗る。空気が湿っていないためか、一入香りは高く、快く鼻の粘膜を刺戟する。私はいつも母が口にするように、
「一日喜び、一日喜び」と、呟きながら、帰って行った。
 母はその後も不思議なほど順調に回復して行った。食欲も旧に復し、
「さすがに、固い御飯をよばれると、しっかりしますわいな」などと言っている。顔色も帰京した当時よりずっと好くなり、唇なども鮮かに紅い。
 素子の傷口はまだ完全には癒着しないが、非常に浅くなった。素子も血色は好くなり、むしろ少し太ったようで、外見上だけから言えば、健康者と殆ど違わない。病院へ行かない日は、私の手当てを受けて、勤務にも出ている。
 私も気力はかなり充実しているつもりでいる。仕事にも自分なりに打込むことができる。殊に仕事を終った後の晩酌は、一入楽しい。
 近年、事の多かったわが家にも、一応は平安な日日が過ぎ去って行くようである。


 昨夜のことである。
 素子が素早く銚子を取って、コップに酒を注いだ。
「いけないよ。まだ傷口が塞がっていないんだから」
「いいの。いいのよ」
 既に快い酔いを発していた私には、記憶はないが、素子は私を責め続けている。私は頻りに弁解していたらしいが、素子は全然聞き入れない。また、素子がコップに酒を注ぐ。
「いけない。ほんとに、そんな無茶をしちゃ、駄目じゃないか」
「いいの。構ってくれなくってもいいの」
 素子はコップの酒を呷り、盛んに私を攻撃する。勝手な仮定を設け、独断的に極めつけるのである。もっとも肝腎の内容は記憶にないが、その感じだけが強く頭に残っている。しかも素子は私の揚げ足を取ったりして、執拗に絡んで来る。私は次第に不愉快になって来る。が、その不快さは、むしろ肉体的な苦痛から来ているらしい。丁度、その頃の私の頭の中では、酔いと眠りが快い戯れに耽っている最中なのである。つまり私はひどく眠いのである。が、素子はいっかな私を離そうとしない。
「もうそんな馬鹿なことを言ってないで、早く寝ようよ」
「寝よう。だけど、馬鹿なことって、馬鹿なことって、何だい」
 酔った頭にも、私がひどく自暴自棄的な感情に襲われたことは覚えているが、この時であったかも知れない。しかし快い眠りを逃がさないために、私は始終酒を飲み続けていたので、その後は全く記憶を残していない。
 今朝、私は目を覚した。少し睡眠が足りなかったようである。確かな記憶はないが、私の頭の中には、あまり愉快でない沈澱物が残っているようである。
 素子も同じ思いのようである。素子は床の上に起き上ると、沈痛な表情で言った。
「昨夜『早う癌で死んでしまえ』って、おっしゃったのよ。あなたにそんなこと言わせるなんて、私って、よっぽどいけない女ですのね」
 今、私はいつものように机に向かっている。先日、素子が張り替えた、まっ白い内障子に、ガラス戸越しに柔かい陽ざしがあたっている。その明るい障子の上には、黒い枝影が映っている。
 庭には、いつか虫の音は絶えた。先日、私はそれと気がつき、軽い感懐を催していた時、不意に、また弱弱しい虫の音が聞こえて来たものである。が、今日はいつまで耳を※(「奇+支」、第4水準2-13-65)そばだてていても、遂に、その声は聞こえて来ない。今は山茶花の花盛りである。その花の色が、内障子にまっている磨ガラスの花模様の透しを通して、赤く映っている。八つ手もその先きに蕾の丸い総をつけた花柄を伸した。いかにも冬の花らしい、小さな純白の花を開くのも、間もないことであろう。
 しかし昨夜のことが、私の頭から寸時も離れない。昨夜、素子はどうやら平塚礼子のことで、私を責めたようである。平塚礼子は素子の旧い友人で、今度、私の娘の縁談を知らせてくれた人である。その礼子を私が軽蔑していると、昨夜も素子は私を難じ続けたように思われる。
 そう言えば、以前、礼子が初めて素子の病気を見舞った時、素子は貰い合わせた品物を土産に持たせて帰したことがあった。いかにも手当り次第といった感じで、私は素子に注意を与えたことがある。が、生憎、それがかなり珍重な品であったので、素子は私がそれを惜しんだものと解し、酔った素子に、私が礼子を軽蔑しているという口実を与えたのではないか。
 しかしそんなことは凡そ無意味である。問題は、何が、素子に、あんなに酒を求めさせたか。そうしてあのような乱暴な振舞に陥らせたか、にある。ふと、そこに思い至って、私は慄然となる。
 人間は誰でも彼奴に見られているのに違いない。ただ多くの人はそれを意識しないだけである。素子ももとより自ら求めて意識しているわけではなかろう。意識しないわけにはいかないのである。しかしあんな奴の視線を常住坐臥に意識していなければならないとすれば、たまったものではない。
 しかし僅かな酔いが却ってその恐怖を甚しくする場合のあることは、私も経験している。素子は彼奴の目を意識しないためには、あんなに頑是なく、より深い酔いを求めなければならなかったのではないか。
 更に、彼奴がこんなに恐しいのは、人を愛するからである。その恐怖から脱するためには、素子は私を憎むより他はなかろう。その挙句、激しい酔いに助けられ、素子は悪魔を呼ぶことに成功した、と考えられなくもなかろう。
 しかし私も酔っている。快い酔いが、彼奴に見られている恐怖など、すっかり忘れさせている。が、同時に、素子は片時も彼奴の恐怖を忘れることはできないのである、という分別も失われている。
 私の側に坐って、先刻から執拗に責め立てているのは、素子ではない。最早、悪魔にその身を売った女であるに違いない。こんな女のために、私が彼奴を恐れる必要は少しもない。まして娘の縁談に関してもいる。悪魔はどんな魔手を伸さぬとも限らない。
 深く酔った私の頭にも、突然、あの捨鉢のような激情が湧いた、その記憶は残っている。決して酒の上の暴言と言い逃れることはできない。こんな悪魔に憑かれたような女を振り切るためには、私もやはり悪魔を呼ぶより他はなかったのである。
 陽は大分西に廻ったようである。きららな光線が斜に差し入り、原稿用紙の上に磨ガラスの花模様を映している。外には微風もないらしく、障子の枝影も動かない。先刻まで、綾子が庭を掃いていたようであるが、今はその落葉の音も止んだ。
 静かである。時間が進行を停止したのではないかと思われるほど、静かである、とも言えなくもない。が、逆に、あまり静かであると、却って時間が極めて静かに過ぎ去って行くのが判るようでもある。
 素子は今のところでは何の異状もなく、先ずは平穏な日日を送っている。が、そんな安らかな一夜の微酔が、却って不意に、あの恐怖を呼び覚したのではなかろうか。私もあの時は、毒をもって毒を制するつもりであったのであろう。すると、あの恐怖は潜在意識となって、いつも私の頭の中にも潜んでいるもののようである。
 しかし今日は至って穏かな日である。障子には明るく、晩秋の陽があたっている。気温も暖く、微風さえもない。そんな静けさの中を、極めて緩い速度で時が経って行くのは、障子に映っている枝影が徐徐にところを移すので判る。しかし私自身も静けさの中に摂取されたようで、私の心も静かである。まるで私は時の車に乗せられたようで、むしろこの一刻、一刻が頻りに愛しまれてならない。
 太陽が向かいの家の屋根に隠れ初めたようである。障子の陽ざしが下段の方から消えて行く。私は障子の陽ざしをじっと見つめている。こうして陽ざしをじっと見つめていると、太陽の沈むのは存外早いようである。やがて、最後の仄かな微光がすうっと消えた。
 急に障子の白さが浮き出したようである。しかし私は何かの余韻を愉しむかのようにそのままじっと動かなかった。





底本:「澪標・落日の光景」講談社文芸文庫、講談社
   1992(平成4)年6月10日第1刷発行
底本の親本:「外村繁全集 第四巻」講談社
   1962(昭和37)年3月20日
初出:「群像」
   1961(昭和36)年1月
入力:kompass
校正:門田裕志
2013年10月11日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




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●図書カード