道順は彼女に訊く

片岡義男




第一章 五年前のこと



 三日前に引っ越しは完了した。住むための部屋ではなく、仕事場としての部屋だ。だから家具その他、日常のこまごましたものはほとんどなかった。いくつもの本棚とそのなかに詰まるべき本。数多くの資料とそのファイル。コピー機やファクシミリ、ワード・プロセサー、プリンターなどの機器。そして必要に応じて買い足して来た結果の、いくつかのデスク。
 主たるものはすべて収まるべき位置にすでに収まっていた。事務機器の配置を正午過ぎにきめたあと、日比谷昭彦ひびやあきひこは部屋を出て駅の近くまで歩いた。ベーカリーの二階の気楽なレストランで、サンドイッチとコーヒーの昼食を彼はひとりで食べた。そしてふたたび部屋に戻った。六階建てのさほど大きくはない集合住宅の、三階の西端にある3LDKの部屋だ。
 玄関を入ると正面に廊下が奥に向けてまっすぐにのびている。この廊下によって、3LDKの間取りは左右に振り分けてある。廊下を奥まで歩ききると、突き当たりはバルコニーだ。そしてそのバルコニーに面しているのは、フロアが板張りになったいわゆるリヴィング・ダイニングのスペースだ。十畳ほどの広さだ。
 リヴィング・ダイニングの手前左側がキチンで、そのさらに玄関寄りにトイレット、そしてそこから玄関まで、壁面が廊下に沿っていた。壁面には本棚を置けるだけの奥行きがあり、壁面の広さとともに、それは日比谷のような仕事をしている人にとっては魅力的だった。この壁面に、望んでいたとおり、彼はすべての本棚を収めることが出来た。廊下の東側は、バルコニーから順に、八畳の和室、その押入れ、浴室と洗面、クロゼットのある主寝室、そしておなじくクロゼットのついた、ひとまわり小さい洋室だ。
 主寝室を執筆の部屋に、そしてひとまわり小さい部屋を執筆の準備のために使うことに、日比谷はきめていた。そのふたつの部屋の外にもバルコニーがあった。これまでの仕事場から移ってきたばかりの部屋のぜんたいを、日比谷は観察しなおした。そしてバルコニーに出て、手すりの前に立った。五月の晴れた日の午後、知らなければそれがいまの日本のどことも正しく見当をつけることの出来ない、特徴のなにもない、なかば住宅地そしてなかば商業地区のような一帯を、彼は見渡した。
 部屋は気にいった。場所も総合的にいってたいへん有利だ。だからここで、これからの自分はさらに何年か、仕事をすることになる、と彼は思った。あと三年で彼は四十歳だ。四十歳になるときには、まだこの部屋でノンフィクション・ライターとしての仕事をしているはずだ。完全に徒手空拳としゅくうけんと言っていい、フリーランスの仕事および生活だ。この先どのようなことになるのか見当も予測もつかないが、興味の持てる対象を見つけては、ひとりで調査を重ねていくノンフィクションの作業は、充分に楽しく快適だし彼はそれが好きだった。他のことはもう出来ないだろうな、というのが三十七歳の彼による自分自身の評価だ。他のことが出来ないなら、少なくともこれだけは出来るということだ。
 バルコニーからリヴィング・ダイニングに入り、そのまんなかに立ち、彼は周囲を見渡した。配膳はいぜんのカウンターごしにキチンを見た。廊下からキチンのなかへ彼は入った。流し台とは反対の壁に、奥行と幅のぴったりと適合した作業テーブルがあった。ごく簡素な作りの、しかし丈夫そうなテーブルだ。昨日、なんのあてもなしに入った家具店で見つけた。夕方には配達してもらった。そのテーブルの上に、エスプレッソ・マシーンとドゥミタスが一客、置いてあった。
 エスプレッソ・マシーンの使用説明書を彼は読んだ。コーヒーの粉とミネラル・ウォーターを冷蔵庫から取り出し、彼は一杯のエスプレッソを作った。香りと見た目はたいへんエスプレッソらしく、ほとんど瞬時にして、ドゥミタスのなかにエスプレッソが満ちた。出来ばえを彼は試してみた。まずは上出来と言ってよかった。
 ドゥミタスを持ってキチンを出た彼は廊下から玄関へ歩いた。本棚のなかの本と資料だけが、まだ整理されないまま残っていた。手のつけようがない、と思うほどの大量さでも乱雑さでもないが、ひとつの壁面にすべてを収めて見渡すとかなりの量だ。本と資料を見るともなく見ながら、彼は一杯のエスプレッソを飲んだ。そしてキチンへ戻り、もう一杯作った。キチンを出て配膳のカウンターに腰をもたせかけ、十畳のスペースごしにバルコニーのほうに視線を向け、彼はエスプレッソを飲んだ。
 飲み終わってキチンに入り、ドゥミタスを、そしてエスプレッソ・マシーンのフィルターを、彼は洗った。さて、と彼は思った。仕事をするか、それとも当面の資料だけでも整理しなおすか。彼は本棚の前へ歩いた。資料を眺め渡した彼は、書類ファイルを入れておくためのボール紙の箱をひとつ、本棚からかかえ出した。それを廊下に置き、しゃがんで箱のなかを見た。
 買い置きの新品のファイルが、いくつも箱のなかにあった。書類をただはさんでおくだけの、もっとも簡単なファイルだ。項目別にたくさんファイルを作り、専用の箱の内部へ横に立ててならべていた時期が自分にあったことを、彼は思い出した。いまの彼はそのようなファイルの作りかたをしていなかった。彼は本棚を見た。専用の箱はいくつもあった。この箱に新品のファイルがあるからには、棚の箱のなかはすべて項目別に仕分けしたファイルが詰まっているはずだ。
 そう思いながら日比谷昭彦は、箱のなかの新品のファイルを見た。いちばん端にあるファイルは、それひとつだけ、見出しの部分に文字が書いてあることに彼は気づいた。自分の字だった。そのファイルを抜き出し、彼は見出しの文字を読んだ。「個人的な出来事」と書いてあった。自分自身のことだと思った彼は、不思議な気持ちでそのファイルを開いた。週刊誌のページを切り取ったものが二ページ、ファイルのなかに入っているだけだった。見開き二ページで完結している記事を、そのまま切り取ったものだ。立ち上がった彼は、ファイルとともに持って準備室に入った。
 部屋の中央に作業テーブルがあった。ディレクターズ・チェアを引き寄せてそれにすわり、彼はテーブルに両足を上げ、ファイルのなかにあった週刊誌の二ページをひざの上に広げた。右のページは右手に、そして左のページは左手に持った。右のページの肩に、その週刊誌名と発行年月日が自分の字で書き込んであるのを、彼は見た。五年前の八月に発行された号だった。
 記事を彼は最初から最後まで読んだ。見出しに書いてあった「個人的な出来事」とは、いわゆる社会問題ではなく、あるひとりの人の身の上に起きた個人的な出来事、というような意味であることを彼は知った。
 その記事が書かれたときから見て三か月前、つまり五年前の五月の、あるウイーク・デーの夜まだ早い時間、独身のOLが自宅のすぐ近くまで帰って来て、そこから自宅には戻らず行方不明になった、という内容の記事だった。そのOLには、記事のなかでは中西啓子なかにしけいこという仮名があたえてあった。
 勤めている会社からの帰り道、中西啓子は高校時代の同性の友人と会い、ふたりで世間話に興じつつ軽く夕食をとった。そしておなじ電車を乗り継ぎ、いっしょに帰って来た。中西啓子が先にその電車を降り、友人はさらに先までいく。降りた啓子がプラットフォームを改札口に向けて歩いていくのを、電車のなかの友人は振り返って窓ごしに見た。彼女は手を振り、啓子も笑顔で手を振った。
 啓子は自宅へ帰るはずだったが、夜のあいだずっと帰らず、明くる日の午後、そして夕方になっても帰らず、なんの連絡もなかった。夜、父親が警察へ届けた。五日、そして一週間たっても、啓子は消えたままだった。捜索願いを警察は受理し、手順どおりの手配はした。しかし捜査はしようがないままに三か月が経過し、忽然こつぜんと消えた中西啓子から連絡はいっさいなく、手がかりもなかった。
 両親が駅を中心に聞き込みに歩いたが、いっしょに電車で帰って来た友人のほかには、有力な目撃情報はなかった。娘の身辺を両親がどう調べても、なんの前触れもなしに突然行方不明にならなければならない理由や状況は、なにひとつ見つからなかった。東京の片隅で、ある日、二十五歳の女性がひとり、かき消えた。中西啓子は身長百六十五センチ、着やせして見える魅力的な美人であったということで、「しかし、しきりに気になるのは、消えたその独身OLが、妙齢の美人であるという事実だ」と、その二ページの記事は結んでいた。
 いまから五年前、まだ三十二歳だった自分は、おそらくたまたま手にした週刊誌でこの記事を読み、興味をひかれてページを切り取り、単独の項目としてファイルに入れ、「個人的な出来事」というタイトルまでつけた。そしてそれっきり、忘れてしまった。五年前という時間が現在からどれくらい前なのか、距離感が正しくはつかめないまま、五年くらいあっという間だ、と平凡なことを日比谷は思った。
 二ページの記事の内容に、あらためて強く興味がひかれるのを、彼は感じた。この個人的な出来事は、その後どうなったか。美人の啓子は自宅に帰ってきたのか。彼女は発見されたのか。その週刊誌の編集部に、彼はすぐに電話をかけた。昨年の一年間、ノンフィクション・ライターの日比谷昭彦は、その週刊誌に記事を連載した。ニュースの裏面を読む、という内容の記事だった。そのとき担当となった編集者にいてみようと思ったが、彼は外出して留守だった。一時間ほどで帰社するということだったので、折り返し電話をかけてもらえるよう、日比谷は頼んだ。
 続けてもう一度、彼は電話をかけた。ある公の機関にある部署に、大学のときの友人が勤務していた。その友人の部署を経由すると、日本の公の機関が持っているあらゆる情報のうち、公開されているものあるいは公開していいものはどのようなものでもすべて、簡単に手に入れることが出来た。個人的に内緒で便宜をはかってもらうのではなく、完全に正式なルートだ。一般的には知られていないが、日比谷のような仕事の人にはたいへん便利だ。
 友人は席にいた。週刊誌で読んだ記事の内容を、日比谷は彼に説明した。捜索願いが正式に出されたはずだから、その後どうなったかを含めて、失踪者しっそうしゃとその家族について基本的な情報を教えてほしい、と日比谷は依頼した。電話を終わった日比谷昭彦は週刊誌の記事をコピーし、玄関のコート・ツリーにかけてあるジャケットの内ポケットに入れた。記事を戻したファイルをテーブルに残し、新品のファイルの入った箱を彼は本棚へ持っていった。あったところにその箱を収めた。
 彼は執筆室に入った。バルコニーに面したガラス戸のわきの壁に向けて、ライティング・ビューローがあった。彼が原稿を書くときの机がこれだ。その机から見て、彼の右後方にあたる位置に、すべて壁に向けて、机やテーブルが三つならんでいた。三つならべてひとつとして機能している作業テーブルだ。その三つのなかから、丸い褐色のカフェ・テーブルを、彼はリヴィング・ダイニングへ持っていった。スペースの中央にテーブルを置き、椅子いすを取りに戻った。そして椅子を持って来て、テーブルのかたわらに置いた。
 三杯めのエスプレッソを彼は作った。ドゥミタスを持ってカフェ・テーブルへいき、椅子にすわり、バルコニーとその外へ彼は視線をのばした。この椅子とテーブルを考えごとのための場所にすればいい、などと思いながら彼はエスプレッソを飲んだ。初めのうち、彼はほとんどなにも思わずに、ぼんやりとしていた。やがて思いはさきほど読んだばかりの、二ページの記事に戻った。自宅の最寄駅まで戻り、そこで消息を絶ったひとりの若い美人について、彼は考えた。
 エスプレッソを飲み終え、ドゥミタスとフィルターをさきほどとおなじように洗い、彼は執筆室に入った。壁に寄せてあるふたつの机をひとつにつなげた。片袖かたそでに引出しが四つあるなんの変哲もないデスクと、白木の丸いテーブルだ。そこへさらにカフェ・テーブルをつなげ、三つでちょうどよい大きさとなっていた。しかしカフェ・テーブルはリヴィング・ダイニングに出してしまった。代わりはなにかひとつ、新たに買わなくてはいけない、と彼は思った。
 カフェ・テーブルに戻り、考えごとの続きをおこなった。外出の時間が少しずつ接近していた。ほどなく電話のブザーがなった。キチンのカウンターの端にも電話機があった。彼はそこで電話に出た。さきほど彼が電話をかけた週刊誌の、矢野やのという編集者からだった。矢野は日比谷より二歳か三歳だけ年上の、きわめて気さくな男だ。
「お電話を」
 と、矢野は言った。お電話をいただいたそうですが、という言葉の彼なりの省略型だ。
「五年前の夏の合併号」
「うちの、この雑誌の」
「そう。二ページの記事」
 記憶しているページ数を、日比谷は矢野に伝えた。五年前の夏の合併号、と復唱しながら矢野は電話の向こうでメモを取った。
「連載物ではなく、単独にある二ページの記事」
「便利なんだよ、二ページというのは」
 矢野が言った。
「まずちらっと書いておく、というような場合」
「この記事は、そうではない。実際にあった出来事だけど、機能としては読み物だね」
 記事の内容を日比谷は矢野に説明した。聞き終えた矢野は、
「二ページには値するね」
 と言った。
「ネタの出どころはどこだと思う?」
 と日比谷が訊いた。
「おそらく、クラブだよ」
「新聞は?」
「という可能性もある。新聞に小さく出て、それを追ってみたという」
「書いた人は自分でも取材してるよ。コメントを述べた人が五人出て来る。すべて仮名だけど。彼女が勤めていた会社の上司の話もある。取材して書いた人を知りたい」
「なんでまた、いま頃になってこれを」
「シングル・モルトの十二年ものというように、これは二ページの記事の五年ものだよ」
 日比谷の言いかたに電話の向こうで矢野は笑った。
「モルトならおいしく飲めるけど」
「古い週刊誌の記事も、なかなかいける」
「五年前というと、おれはこの編集にいたかなあ。俺は五年前の秋からだ。だからこの記事が出たときには、まだここにはいなかった。でも訊いてみるよ」
「取材して記事を書いた人」
「訊いておいて、FAXでも」
「新しい仕事場のほうへ」
「うん」
 電話はそこで終わった。
 畳の部屋へいき、靴下とスラックス、そしてシャツを、彼は着替えた。財布その他、ポケットのなかにいつも入れるものを入れて玄関へいき、ジャケットをはおって部屋を出た。駅まで歩き、上りの急行に乗った。途中で地下鉄に乗り換え、それを日比谷ひびや駅で降りた彼は、地上に出て銀座まで足早に歩いた。四丁目の交差点の近く、建物の四階にある喫茶店に、彼はエレヴェーターで上がった。広い店のおもて側の奥、数寄屋すきや橋の方向を斜めに見下ろす窓に向かい合った席に、高村恵子たかむらけいこがすでに来ていた。差し向かいの席ではなく、隣あわせにすわる席だった。だから彼は恵子の左隣の椅子に座った。
 かつての高村恵子は民放のラジオ局に勤め、アナウンサーをしていた。担当していたいくつかの番組のなかに、『この本を読みましたか』という番組があった。自分で読んだ本を何冊か取りあげて紹介する番組だ。著者がゲストで招かれることもあった。日比谷昭彦も彼女の希望でゲストで登場し、ふたりの関係はそのときから始まった。
 現在の彼女はラジオ局を辞めていた。詩人を志していた彼女は、詩の分野ではもっとも有名な賞を受賞し、詩人であると同時に小説も書いていた。かつての勤務先のラジオ局では、深夜の番組をひとつ持っていた。ジャズのレコードをかけながら自作の詩を読む、という番組だ。
 午後のコーヒーでも、と先週から彼は恵子に誘われていた。引っ越しで時間を取られ、会うのは今日となった。文字どおりコーヒーだけだ。新しい仕事場のエスプレッソ・マシーンは彼女からの贈り物だ。会話がひとしきり続いてから、週刊誌の記事のコピーを、彼はジャケットの内ポケットから取り出した。
「確認のために年齢をくけど、いま高村さんは三十歳だったね」
「そうです」
 と答える彼女の顔を見ながら、美人というならこの女性もたいへんなものであり、五年前に行方不明になった仮名・中西啓子と偶然にもおなじ年齢なのだ、と日比谷昭彦は思った。彼はコピーを恵子に差し出した。受け取って読む恵子の、鼻柱や頬骨ほおぼね、そしてあごの出来ばえなどを、彼は観察した。読み終わった彼女は、
「これは日比谷さんが書いたの?」
 と、記事に目を落としたまま訊いた。
「書いたのは僕ではない。今から五年前、たまたま読んだ週刊誌から僕が切り取って、ファイルに入れておいた。そしてそれっきり忘れていた。今度の引っ越しが終わって、大きな物の整理はついた。残ったのは本棚の本と資料。資料から手をつけようかと思い、なにげなく手に取ったファイルのなかに、これがあった」
「この記事に書いてあるのは、五年前の出来事なのね」
「そう」
「解決したのかしら」
「いま調べてもらっている」
「あなたはこの出来事に興味を持ってるの?」
「だからこそ、切り取ってファイルまで作って保管した」
「ノンフィクションの材料?」
「そうなる以前の、興味の対象としての、ネタのひと粒。その記事が伝える出来事について、どう思う?」
「想像は自由に可能です」
 恵子は答えた。思考経路とそのあらわしかたにおいて、くっきりと明快でありつつ自在にしなやかであるという特徴を、高村恵子は持っていた。
「どんなことを思うのか聞かせてほしい」
「暗い方向へは、考えたくないの。私の気質的な方針として」
「暗い方向とは?」
「殺されてどこかに埋められ、いまはもう白骨だけというような」
「それは、想像として、つまらないね」
「それでいきどまりになってしまうから」
「いきどまりにならない方向で想像すると、どんなふうになるだろう」
「奇想天外がいいわ」
「たとえば?」
「彼女はかぐや姫」
「月へ帰ったのか」
「かならずしも帰らなくてもいいのよ」
「詩人の発想だね」
「では、ノンフィクション・ライターの発想は?」
「彼女がいまも失踪しっそうしたままであるなら、たとえば彼女の写真を、可能なかぎりたくさん集めてみたい」
「資料ね」
「その記事によれば彼女は美人だということだ」
「ええ」
「ほんとに美人なのかどうか」
「写真を見て確認したいの?」
「どの程度の美人なのか。どのような質の美人なのか。この出来事に対する僕の興味は、そのあたりから始まる」
「美人ではなかったら?」
「別な興味を持つだろう。たとえばひとりの人が、日常のまんなかでふっといなくなってそれっきりとは、いったいどういうことかという視点」
「いなくなった理由や原因は、他律あるいは自律の、どちらかでしょう」
「それこそが、最初の大問題だね」
「私の結論を出すなら、彼女はどこかで元気なのよ。それが私の好みです」
「高村恵子のフィクション世界」
「そうね」
 恵子はコピーに視線を伏せた。記事の最後の文章を、彼女は声にして読んだ。
「しかし、しきりに気になるのは、消えたその独身OLが、妙齢の美人であるという事実だ」
 恵子は日比谷に顔を向けた。
「美人は気になるものなの?」
 彼女が訊いた。
「なるさ」
「なぜ?」
「美人だよと言われれば、この目で見てみたい。きみも、美人だね」
「そう?」
「文句なしだ」
「気になる?」
「なるよ」
「それほど気になるなら、早いとこなんとかしてくださればいいのに」
「なんとかするとは?」
「私を秘書に雇って、日頃の労をねぎらうためにまず温泉に連れていって。秘書の私が旅館の部屋を予約しますから、あとはもう時間の問題よ」
「今後の課題にしよう」
 と答えた日比谷は、
「高村さんと僕が知り合ったのは、いつだっただろうか」
 と、訊いた。
「五年前の五月」
「ちょうどその出来事があった頃だ」
 恵子が手に持っているコピーを彼は示した。
「そして高村さんは、消えたその女性とおなじ年齢だ」
 ほどなくふたりは店を出た。エレヴェーターで降りていき、建物の外へ出た。五月の夕方の銀座だった。晴海はるみ通りの歩道で、ふたりは左右に別れた。その場所に立ったまま、日比谷は高村恵子を見送った。歩いて行く彼女のうしろ姿を、彼は観察した。
 恵子は、ふと振り返った。日比谷が自分を見ていたことを知って、彼女は笑顔になった。見ているような気がしたけれど、やはり見ていたのね、という意味の笑顔だ。彼は手を振り、彼女も手を振った。そして建物の向こうに見えなくなった。
 それから三十分後、日比谷昭彦は次の待ち合わせの席にいた。いまいくつか仕事が進行している。そのうちのひとつに関して、担当の編集者と夕食をともにしながら、語り合う。中年の編集者は若い部下をひとり連れて来ていた。コーヒーでしばらく雑談したあと、夕食の店へ移った。
 日比谷には初めての店だった。思いきりのいい小粋こいきな料理は、どれも上出来だった。酒は身の危険を覚えるほどに、澄んだ香りをたたえて清冽せいれつだった。酒がまわるほどに、編集者の世界観の披露となった。いつもどおりだ。その世界観に対して、日比谷や部下がどう反応するか。喧嘩けんかになるほどの世界観ではないから、それはそれで、夜が更ける以前の時間の、小さな出来事としてはかたどおりだった。
 有楽町ゆうらくちょうで彼らと別れ、日比谷昭彦は地下鉄で新宿へ出た。そして小田急おだきゅうの各駅停車で、新しい仕事場のある場所へ戻った。急行の停車駅でもある駅を出て、夜道を彼は部屋のある建物まで歩いた。ロビーの内側のドアを部屋の暗証番号で彼は開けた。そしてエレヴェーターで三階へ上がった。玄関のすぐわき、奥に深い間取りのいちばん手前にある準備室へ、彼は入った。テーブルのファクシミリから、受信した紙きれが垂れ下がっていた。その紙を切り取り、彼は読んだ。出かける前に電話で話をした週刊誌の編集者、矢野からだった。
「先刻お問い合わせの件」
 と、太いソフト・ティップ・ペンで大きく、一行に書いてあった。その下に続く文面は、次のとおりだ。
「事件ものを中心に数人で遊軍を組んでいたうちのひとりが、単独で取材・執筆したものと判明。社外の契約ライターで、男性です。取材の発端は新聞のベタ記事であったと、当時のデスクから確認ずみです。どの新聞かは不明。縮刷版の検索はそちらのこととして、取材・執筆者の氏名・現住所は末記のとおり。以前から東京在住で、家業を継いでいるとのこと。家業は喫茶店。下北沢しもきたざわ。店へ何度かいったことのある人に不正確ながら略地図を描いてもらいました。電話その他、当編集部に連絡はときどきあり、コンタクトは切れていない由」
 男性の氏名と東京の住所と電話番号、そして略地図のあとに、矢野は次のようにつけ加えていた。
「近日中に、一杯から十杯くらいまで、いきましょう」
 繰り返して読んだ日比谷は、自分が五年前「個人的な出来事」と見出しに書いたファイルに、その受信紙を入れた。
 廊下に出て間取りをひととおり見て歩き、洗面室に入って手を洗った。今夜はここに泊まろうか、と彼は思った。畳の部屋にはじつに快適な寝袋が置いてあった。準備室からファクシミリの受信音が聞こえ始めた。彼はその部屋へ戻った。作業テーブルのかたわらに立ち、少しずつ印字されて出て来る紙を、彼は見守った。受信が完了してから、彼はその紙を切り取った。外出する前に情報の提供を依頼した友人からの、ファクシミリによる返信だった。
 消えた女性の本名は、後藤美代子ごとうみよこというのだった。生年月日の次に当時の住所があった。この新しい仕事場のすぐ近くであることに、日比谷は少なからず驚いた。週刊誌の記事では「郊外の私鉄」となっていたが、小田急線だったのだ。この住所なら、彼女が電車を降りた駅は自分がいつも利用する駅から二つと離れていないはずだ、と彼は思った。
 彼女の勤務先は新聞社の調査部だった。その新聞社の名があげてあった。両親およびひとりの弟と、自宅に同居。父親の名は後藤幸吉こうきち、弟は洋介ようすけといい三歳年下。最後にあげてあったのは、捜索願いが受理された日付だった。以上の簡単な情報を、二度繰り返して彼は読んだ。いなくなって五年たったあと、後藤美代子に関して残っていることは、最終的にこれだけでしかない、と彼は思った。
 テーブルの引出しから彼はファイロファクスを取り出した。黒い革表紙のバイブル・サイズだ。なかにリフィルは入っていなかった。白紙のリフィルも取り出した彼は、それをバインダーの直径いっぱいにはさんだ。そして最初のページに、矢野と友人から届いた情報を、すべて書き込んだ。行方不明のままの後藤美代子という女性に関して、自分で独自に取材することに、彼はさきほどきめた。取材を開始すれば、分厚いリフィルはたちまち情報で埋まっていくはずだ、と彼は思った。
 椅子いすにすわった彼は、書き込んだ情報を見た。
 深夜にひとりで静かに興奮している自分を、彼は自覚していた。熱中出来るノンフィクションの発端は、彼の場合、いつもきまってこのようだ。いまはまだほんのわずかでしかない情報に、彼は確かな予感を感じた。
 廊下に出た彼は、本棚から都内の区分地図を出した。部屋のなかに戻り、椅子にすわって世田谷せたがや区のページを開いた。五年前には後藤美代子の自宅があり、引っ越しをしていないかぎりいまもそこにあるはずの場所を、住所を頼りに彼は地図のなかに探した。そしてその場所を略地図としてファイロファクスに描き写した。
 明かりを消してファイロファクスだけを持ち、彼は部屋を出た。ドアをロックし、エレヴェーターで一階へ降りた。
 建物を出て駅へ歩いた。最終のひとつ前の、上りの各駅停車に彼は乗った。そして、後藤美代子が降りた駅で、彼も降りた。改札を出て、ファイロファクスに描いた略図を一度だけ見て確認し、そのとおりに歩いた。駅から七、八分の静かな住宅地のなかに、表札に後藤と出ている二階建ての家を彼は見つけた。
 後藤美代子の自宅がおなじ場所に存在していることだけを確認して、彼は駅に戻った。下りの最終までに数分の余裕があった。それに彼は乗った。多摩たま川を越えてその少し先に、かつて両親が住んでいた家が現在もあった。両親は他の場所へ移り、いまは独身でひとり息子の日比谷昭彦が、自分だけの場所としてその家に住んでいた。
 今夜の彼はその家へ戻った。
[#改丁]


第二章 最初の取材者



 週刊誌の編集部にいる友人、矢野が先日ファクシミリで送ってくれた略地図を、日比谷昭彦は記憶しておいた。次の週の月曜日の午後、外で昼食を終えた日比谷は小田急線で下北沢までいった。駅の北口を出て、彼は記憶している略地図のとおりに歩いた。現在の下北沢ではもっとも静かな場所に、訪ねる喫茶店はあった。日比谷にとっては初めて知る店だった。
 道に面して庭があった。和洋折衷の、さりげなく凝った庭だ。その庭と、そのなかをゆるやかにカーヴしてのびている敷石が、店にとってのアプローチになっていた。この庭はいまのものではない、と日比谷は思った。三十年、ひょっとしたら四十年くらいは昔に造ったものだ。店は平屋建ての民家のような木造だった。一九六〇年代なかばの建物だろう、と日比谷は見当をつけた。当時としてはおそらくきわめて洒落しゃれた建物だ。いまでは充分に古びているそのぜんたいが、いい雰囲気をかもし出していた。洒落かたの質が庭のそれと共通していた。いまこれとおなじように造ろうとしても絶対に造れるものではない、などと思いながら彼は店のドアへ歩いた。
 入ったところは民家なら玄関に相当するスペースだった。ほどよい広がりのなかに、板張りの階段がほんの数段だけあった。それを上がると板張りの広いフロアだ。そのフロアを適正にふさいで、長方形の大きなテーブルがあった。そのテーブルをいくつもの椅子が囲んでいた。テーブルの向こうは横に一列のカウンター、そしてテーブルの左側の奥は、階段を数段降りて広がるテーブル席のスペースになっていた。
 店のなかには数人の客がいた。カウンターには端にひとりいるだけだった。日比谷はカウンターへ歩き、ほぼまんなかの席にすわった。黒いエプロンをつけた若いウエイターが、すぐに水の入った小さなグラスを持ってきた。日比谷はエスプレッソを注文した。カウンターのなかにいた四十代の年齢の男性が、日比谷の前へ来た。軽く一礼をし、
福山俊樹ふくやまとしきです」
 と言った。
 ふたりは初対面の挨拶あいさつをした。昼食を食べに仕事場を出る前、日比谷はこの店に電話をかけ、いま目の前にいる福山と話をした。この時間に店を訪ねるということ、そして訪問の目的を、日比谷は簡単に伝えておいた。日比谷が五年ぶりに読んだ、あの週刊誌の二ページの記事を取材して書いた人が、この福山俊樹だ。
 体重だけを問題にするなら、福山俊樹は誰の目にも肥満体だった。体重は大きく超過している。しかし、むさ苦しさをいっさい感じさせない、見た目に心地の良い肥満というものがあるなら、福山の体型がそうだった。自分の目の前にあらわれる誰をも、おだやかに楽しみつつそのすべてを許容するような、たとえるならクッションの沈みの深さを福山は持っていた。その豊かな体型に肌の色がたいそう白く、縁のない眼鏡をかけ、長くのばしたまっすぐな髪をうなじで束ねていた。束ねるために使っているのは、ドナルド・ダックの頭のついた黒いゴムひもだった。
 背後の棚から福山はドゥミタスを一客、選んだ。エスプレッソ・マシーンは調理台のいちばん端にあった。そこへドゥミタスを持っていき、豆をくための大きな機械で一杯分の豆を挽いた。エスプレッソ・マシーンをセットしてから、福山は日比谷の前へ戻った。
「五年も前のことを、なぜまた」
 というきかたで、福山は日比谷との話を始めた。
「切り抜いて取っておいたものを、五年ぶりに見てあらためて興味を持ったからです」
 日比谷は答えた。
「あの記事は日比谷さんに切り抜いていただけたのですか」
「ひかれるものがありました」
「どのあたりにですか」
「出来事そのものに」
 と、日比谷は答えた。
失踪しっそうものがお好きですか」
 という福山の訊きかたに、日比谷は笑顔で応じた。
 エスプレッソ・マシーンのドゥミタスにエスプレッソが満ちた。好みの色をした細やかな泡立ちを、日比谷は自分の位置から見た。福山はそれを取りにいき、受け皿に載せてカウンターまで持って来た。日比谷の手もとに、おだやかな手つきで静かに丁寧に、福山はそれを置いた。
「あの出来事はまだ解決していないのです」
 と、日比谷は言った。心から途方に暮れた人の表情を、顔だけではなくその豊かな全身に、福山は浮かべた。
「はあ」
 とだけ福山は答えた。そしてしばらく間を置いて、
「お調べになったのですか」
 と訊いた。
「ファイルに入れておいた切り抜きを、つい先日、五年ぶりに僕は見たのです。あらためて興味を覚えたので、あの記事を書いたのが福山さんだということを、編集部の友人に教えてもらいました。出来事はあのまま未解決だということと、彼女が失踪した当時の住所や本名などを調べました」
「五年ぶりに切り抜きをご覧になったきっかけは、なんだったのですか」
「偶然です。仕事場の引っ越しをして、整理をしている途中でたまたま見たファイルのなかにあったのです」
 日比谷はジャケットの内ポケットからカード入れを取り出した。自分の名刺を一枚抜き取り、カウンター越しに福山に渡した。受け取った福山は、名刺に印刷してあることをすべて読み、顔を上げて日比谷を見た。そしてうれしそうに微笑し、
「近くですね」
 と言った。日比谷はうなずいた。そして、
「子どもの頃からずっと小田急線です」
 とつけ加えた。
「僕もなのです。実家が豪徳寺ごうとくじですから。あの記事に登場する失踪女性が住んでいたのも、そしていなくなった現場も、日比谷さんの仕事場からすぐ近くです」
「いま福山さんは、記事を書く仕事はしていないのですか」
 日比谷のその質問に首を振り、
「してません」
 と、福山は答えた。そして両手で店内ぜんたいを示し、
「いまもまだここにかかりっきりです」
 と言った。
「家業をお継ぎになったんですって?」
「違うんですよ。あの編集部の連中はなぜかそう誤解してますけど、それは違うのです。僕は早稲田わせだの学生時代に、この店でアルバイトをしていたのです。ここは古い店なんです。開店したのは一九五五年です。いまのこの建物は、一九六〇年代に入ってから建て換えたものです。うまいコーヒーを出す店が下北沢にある、と父親が言っていたのを子供の頃に聞いたのを覚えてますし、映画を見た帰りに父親に連れられてここに入ったのも記憶してます。昔の下北沢には映画館が四軒あったのです。大学生だった四年間ずっとここでアルバイトして、店主に見込まれましてね。娘さんの婿さんに、というところまで見込まれて、うちのあの娘でどうだい、嫁にもらって店も継いでくれよ、と言われたのです。辞退しました」
「なぜ辞退したのですか」
 と、日比谷は訊いてみた。
「どうだい、といってくれた対象の娘さんは、美人すぎるのです。僕とは釣り合いません。ものにはすべて調和とかバランスというものがあって、それがいちばん大事なのです。断るのはたいへん苦しかったのですが、必死に説明してわかってもらいました。でもそれ以後も店や店主とのつきあいは続いて、客としてよく店に来ましたし、いまの僕はもう四十六歳ですけれど、春と秋には店主は旅行しましたし、お盆には休養してましたから、そういうときは僕がピンチ・ヒッターでここに立ったのです。大学を出てからも、現在にいたるまでずっとですよ。僕は一度も就職したことがないので、そういうことも出来たのですけれど。店主は三年前に亡くなって、店は僕に継がせてください、とお願いしたのです。裏に別棟で住居があって、そこを安く借りて僕はひとりで住んでいます。ですからいまの僕は、喫茶店の雇われ親父おやじです」
 福山の説明はそこで終わった。
「美人すぎる娘さんは、どうなったのですか」
 日比谷はそう訊いてみた。福山はうれしそうに微笑した。
「忘れずにちゃんと質問なさるのですね。楽しいです。僕は以前から日比谷さんのファンで、お書きになったものはずっと読んできました」
 ノンフィクション・ライターの日比谷昭彦にとって、デビュー作となったのは『美人論』というタイトルの本だった。美人とはなになのかについて、きわめて現代的な多視点から説いた力作だ。いまの福山の言葉が、この本のことを念頭に置いたものであることは確かだった。日比谷と語っているあいだずっと、ウエイトレスが小声で伝えるいくつもの注文を、静かに滑らかな手ぎわで福山はこなした。
「美人すぎる娘さんは僕とおない年齢どしで、いまも独身のままです。店主はこの店のほかも不動産をかなり遺されたので、それの管理を娘さんが引き受けてます。ピアノを弾いてさえいれば幸せという人で、箱根はこねに家があって週のうち半分以上はそちらです。この店は水曜日が定休で、僕の休みは年に二回、二週間ずつです。その時は娘さんがここに立ちます。連絡しますから、ぜひおいでになってください」
 五年前のあの週刊誌の記事について、取材の経過などいまも記憶していることを聞かせてもらいたい、と日比谷は言った。うなずいた福山はカウンターの右端に向けて歩いた。そこには小さなドアがあった。それを開けて福山はなかに入り、すぐに出て来た。日比谷の前へ戻った彼は、A4サイズの茶封筒を、日比谷が飲み終えたドゥミタスのかたわらに置いた。そして次のように言った。
「あの当時の僕は、取材一件ごとに一冊の取材ノートを使っていました。たいていの取材は一冊で足りたからです。新書版の本とおなじ大きさのノートです。あの記事のための取材ノートの、書き込みをした全ページをコピーしておきました。日比谷さんに差し上げます。僕以外の人が読んでもわかるように書いてあります。僕が取材した範囲はそれを見ていただければわかりますし、取材で知ったことのすべてがそこに書いてあります」
 封筒は閉じられてはいなかった。だから日比谷はなかのコピーを取り出した。取材ノートが見開き二ページごとに、A4の紙にコピーしてあった。学生が丁寧に取ったノートのように、読みやすい字できちんと書いてあった。会った人ごとに名刺がってあった。コピーすると名刺の周囲が消える。だから福山は、どの名刺にも定規を使いボールペンで周囲を書き込んでいた。後藤幸吉という人の名刺があった。後藤美代子が勤めていたのとは別な新聞社の、文化事業部副部長の肩書だった。
「この後藤幸吉さんというかたは、後藤美代子さんのお父さんですか」
「そうです。会ってはもらえましたけれど、なにひとつ聞き出せませんでした」
 と福山は答えた。
「なぜですか」
「僕に対して最初から喧嘩腰けんかごしで。週刊誌に書かれなければならない理由はどこにもない、ということで」
「当然というならしごく当然ですね」
 日比谷の言葉に福山は微笑してうなずいた。
「そのとおりです。取材するのも書くのもそちらの自由だが、取材に応じるかどうかはこちらの自由だ、とおっしゃって。気持ちはよくわかりましたけれど」
 後藤幸吉の取材に関して、福山がノートに書きとめたことを日比谷は拾い読みした。福山が説明を続けた。
「美代子さんが行方不明になってからちょうど三か月でしたから、お父さんとしてはいちばん腹が立っていた時期です。いっさいなんの手がかりもないことに対しての、どこへもやり場のない腹立たしい状態です」
「わかります」
「すべてに対して腹が立っていて、私に対しては、おまえなんかに用はない、ということでした。週刊誌の記事になることによって、どんなマイナスの作用があるかわからない、という不安もあったようです。ですから私としては、書きかたに気を遣いました」
「美代子さんという女性は、美人だったということですね」
「お父さんからは写真も見せてはもらえませんでした。美人だとお聞きしてますが、と私が言いましたらさらに怒られまして。それとこれとなんの関係があるんだ、ということで」
「取材は福山さんおひとりでなさったのですか」
 日比谷の質問に福山は大きくうなずいた。
「私だけです。そして私が、あの二ページの記事を書きました」
「編集部への、何らかの反響は?」
「私が知るかぎりでは、ゼロでした。ある意味では、ほっとしましたよ」
「いまも行方不明のまま未解決なのです。そのことについて、福山さんになにか意見はありますか」
 福山はしばらく考えた。そして次のように答えた。
「いろんな方向に想像出来ますけれど、それはみな私ひとりの、想像にしか過ぎませんから」
「これはいわゆる事件だと思いますか」
「と言いますと?」
「かねてより何者かにねらわれていて、タイミングを計って拉致らちされた、というような」
 日比谷のその質問に対して、
「うーむ、と考え込むほかないですね」
 と、福山は答えた。
 ノートのコピーを日比谷は封筒に入れた。そしてそれをカウンターに置き、
「詳しく読みます」
 と言った。
「なにかあったら、なんなりとご遠慮なく、いつでもいてください。水曜日は休みですし」
「取材なさっていて、いま僕が言ったようないわゆる事件への方向は、感じましたか」
「いいえ」
 福山は即答した。
「その方向への力は感じませんでした。何者かがやみの向こうで複雑にたくらんだこと、というような不気味さはまったく感じませんでした。もっとも、私が取材した範囲内でのことですけれど」
「福山さんにとって、印象に残った最大のものは、どんなことですか」
 答えにくい日比谷の問いに対して、福山は次のように答えた。
「彼女がいなくなって、そのあとに残ったものがあまりにも少ない、という事実です。はかないというか淡いというべきか。あるいは希薄でもいいですし、危ういという言いかたも出来ます。彼女という一人の人の、存在そのものが。彼女という人が存在していたことの確たる証拠のようなものが、いったんその本人がいなくなってしまうと、ほとんどなにもないという印象を私は受けました。そこのとこの奇妙さみたいなものが、いまも忘れられません。しかし、いなくなった当人は、円満で恵まれた家庭の、普通に育った、二十五歳のお嬢さんです。複雑に入り組んだ暗い背景のようなものは、私はなにも感じませんでした」
「福山さんがお書きになったあの記事の、最後のセンテンスの意図するところはなんですか。気になるのは彼女がたいへん美人であること、という結びです」
「残響をつけただけですよ」
 正直そうに微笑して、福山は答えた。
「二ページの記事として広げた袋の口を、最後にきゅっと締めたつもりです。それ以上でもそれ以下でもありません。たいして意味はないのです」
 アイス・コーヒーを入れたグラスを傾けて持ち、福山はコーヒーの上に丁寧にクリームを注いだ。グラスのなかでコーヒーをふさいだように、きっちりときれいにクリームの層が出来た。
「この出来事を取材されて、本にお書きになるのですか」
 福山は訊いた。
「そこまではまだ考えていません」
「ひとつだけ意見を言っていいですか」
「どうぞ。聞かせてください」
「これから日比谷さんが取材なさるとして、方向はふたつあると思うのです。なぜ彼女はいなくなったのかという方向と、彼女とはいったいなになのか、という方向です」
「おっしゃるとおりでしょう」
「あくまでも私が取材した範囲内での結論ですけれど、どちらの方向にも手がかりは本当に少ないのです」
「奇妙ですね」
「なぜいなくなったのか。いなくなるとはどういうことなのか。そして彼女という人とは、いったいなになのか。そういったことすべてをひとつに重ねると、それにあらわれるのは不思議な奇妙さです」
「興味深いなぞですね」
「はあ」
 ふと頼りない口調になり、福山はそう答えた。そしてしばらく考えたあと、次のように言った。
「彼女というひとりの人の、存在していた証明といいますか痕跡こんせきといいますか、そういったものの少なさを目のあたりにすると、透明な悲しみのようなものを私は感じました。ほんとにいたの、と訊きたくなるのです。そして、彼女という人は、確かにいたのです。ではその証拠はとなると、これがきわめて少ないのです」
「痕跡の少ないタイプ、とでも言うべき人はいますよね」
「私なんか、そうかもしれません」
 問題を自分に引きつけた上で、たとえばいま福山がそうしたように、充分に主観的な結論を言葉にしてしまうと、少なくともその問題に関してはいったんそこで終わりであることを、日比谷は蓄積させた取材体験をとおして知っていた。
「また連絡します」
 と、日比谷は言った。
「さっきおっしゃったとおり、定休日にでもゆっくり会いましょう」
「この店もご贔屓ひいきに」
 そう言った福山はカウンターの端までいき、外へ出て来た。エスプレッソ一杯の代金を日比谷から自分で受け取り、福山は名刺を差し出した。
「この店か裏の住まいに、お電話いただければ。たいていはいますから」
 大きな長方形のテーブルの縁をまわり、日比谷は入口に向かった。福山がドアまで彼を送った。
 日比谷は駅まで歩いた。小田急線の下り各駅停車に乗った。空いていた。席にすわった日比谷は、福山俊樹の取材ノートのコピーを封筒から取り出した。取材経過とその結果が時間順に書き込んであった。取材対象ごとに日付と時間が書いてあった。第一ページから最後まで、日比谷は読んだ。最後の二ページには、週刊誌に掲載された記事を縮小コピーして、福山はっていた。特別なひらめきはないにしても、取材対象をひとつずつ正面から誠実につぶしていくという手法を、日比谷はノートぜんたいから感じた。
[#改丁]


第三章 裸婦は語る



 地下鉄を降りて日比谷昭彦は地上へ出た。地上は午後の銀座だ。先日、高村恵子と会った喫茶店へ、彼は向かった。歩きながら彼は腕時計を見た。ちょうど約束の時間だった。エレヴェーターで店のあるフロアまで上がり、店に入って彼は見渡した。
 目につきやすい席に、ひとりのきれいな女性がいた。彼女の端正なスーツ姿に、落ち着いた自信のようなものを、日比谷は感じた。いまのようにひとりでやや緊張ぎみにしていても、華やいだ雰囲気が基本として存在しておもてに出ている、気さくな感触のある美人だった。おそらくこの人だろう、と思いながら彼は彼女の席へ歩み寄った。
 彼女も彼を見た。反射的に笑顔になった彼女は、きれいな身のこなしで椅子いすを立った。接客業として鍛えられた人のような雰囲気を、日比谷は彼女に感じた。
中野玲子なかのれいこです」
 かたわらに立ちどまった彼に、彼女が言った。
「日比谷昭彦です」
「初めまして」
 中野玲子、三十歳。五年前に行方不明になったままの後藤美代子が、行方不明になったその日の夜、おなじ電車で帰った高校生のときからの友人だ。小さな四角いテーブルをあいだにはさんで、ふたりは差し向かいにすわった。ウエイトレスが来た。彼はエスプレッソを注文した。
「僕からの突然のリクエストに、時間を取っていただいて有り難うございます」
 意識的にやや丁寧に、彼はそう言った。
「美代子のことでしたら、いつでも」
 中野玲子は答えた。涼しい響きとつやのある、きれいな声だった。
「ご本は何冊か読ませていただいています」
 玲子が言った。日比谷は名刺を彼女に差し出した。受け取って両手の指先に持ち、彼の名前をあらため、住所に視線を落とした。その視線を上げて彼をまっすぐに見て、
「私が住んでいる家の、おそらくすぐ近くです」
 と、彼女は言った。彼はうなずいた。
「五年前の中野さんの住所を僕は知っていますが、いまでもそちらなら、僕の仕事場はすぐ近くです。引っ越して来たばかりです」
 玲子はバッグから名刺入れを取り出した。気の利いたデザインの薄いケースだった。一枚を指先につまみ、彼に差し出した。
 福山俊樹の取材ノートに中野玲子の電話番号が書いてあった。だから彼はその番号に電話してみた。電話に出た人も中野と名乗ったが、玲子はいまほかの番号になっていますと言い、その番号を教えてくれた。かけなおすと玲子が電話に出た。名前と職業と明らかにしたのち、後藤美代子について話を聞かせてもらえないかと日比谷は頼んだ。玲子は承諾してくれた。会う日と時間は玲子が指示した。場所はどちらでもと言う玲子に、この喫茶店を彼が提案した。店の名と場所を彼女は知っていた。
「駅の北口を出てすぐのベーカリーの二階で、よくお昼のサンドイッチを食べます」
 日比谷が言い、玲子は笑顔になった。
「私もときどき」
 笑顔でそう答える彼女の、かたちのいい唇の動きに彼は注目した。唇の動きに独特な表現力がある、と彼は判断した。鍛えられた接客業の人という印象を、劇団の女優という印象へと、彼は修正した。彼のエスプレッソがテーブルに届いた。
 要件を簡単に繰り返したあと、
「本に書くのではないのです。いまはまだ、そこまで考えてはいません。自分で取材をしてみたいのです。美代子さんのご両親にお目にかかる前に、中野さんにはお会いしておきたかったのです」
 脚を組み、ひざの上に両手を重ねて、中野玲子は彼の説明を受けとめた。
「後藤美代子さんとおなじ高校を卒業なさって、十二年になりますね」
 日比谷がいた。
「そうです」
「中野さんは、お仕事をされているのですか」
 五年前の福山俊樹の取材ノートには、「高校から銀行へ。一年で辞めていまは無職?」と、書いてあった。
「しております」
 麗子は答えて脚を組み換えた。
「一種のサーヴィス業です。あるいは、接客業のヴァリエーションかしら」
 彼女のそういう言いかたに、彼は彼女の性格の反映を見た。
「モデルです。裸の。ヌード・モデルです」
「こうしてお姿を拝見していますと、お仕事の選択には納得がいきます」
 と、日比谷は言ってみた。中野玲子は面白そうに笑った。笑いかたにも彼女の性格の奥行きが出ている、と彼は思った。そしてその奥行に彼は期待した。
「キャリアは長いのですか」
 彼は訊いてみた。
「高校を出て銀行に勤めました。三年は仕事をしてみようと思ったのですが、最末端ですから三年は必要ないと思いなおして、一年で辞めました。モデル住宅の案内とセールスのような仕事を一年しまして、そのあと高校の先輩の女性の事務所に勤めることになりました。いまでも基本的にはそうなのです。先輩は私より十歳年上の、高名な写真家です。そのかたの事務所です。撮影の助手やモデル、あるいは雑用、そして自分でも写真を撮ります」
「楽しそうですね」
「女性下着の通信販売に使うカタログのモデル撮影を、先輩が個人的な人脈のなかで頼まれたのです。モデルになってと言われてモデルをつとめたのが、二十三歳のときです。いまでもそのカタログの仕事は定期的に続いています。ヌード・モデルの経験はそれ以来で、七年になります」
「ヌード・モデルは仕事として成立するのですか」
 個人的な興味から、彼は訊いてみた。
「いちばん最近の仕事は、ダンベル体操の本でした。いまさらレオタードでもないよ、原点に帰ろうと編集のかたがおっしゃって、大胆なビキニの水着にヒールのあるサンダルというスタイルでした。三百カットくらい撮影して、先週終わったばかりです。いまでもOLをしていたとして、お給料の三か月分くらいの報酬でした。その前は、先輩から来た仕事で、完全にヌードの仕事でした。かつて先輩が男と女の仲だった作家がいるのです。私の父親より少し下の年齢で、名前を言えば知っている人の多い流行作家です。そのかたは写真も撮るのです。写真の本もお出しになっていて、なかなかうまいのです。ヌードを撮りたくなった、良いモデルを紹介してくれよ、と先輩のところに話があって、よく聞いてみるとかなり本気なので、先輩は私を紹介してくださったのです。『裸婦が来た日』というタイトルがきまっていて、白黒の写真に文章を添えて、本になさるということでした。ご自宅でヌードを撮りたい、というご希望だったのです。その先生の自宅で。先輩といっしょにレストランで夕食して、そのとき初めてお目にかかって、お見合いですよね。先生には気にいっていただいて、ご家族がオーストラリアへいってらっしゃるあいだに、撮影しました。撮影は家族には内緒ですって。本になっても家族は僕の本を見ないから平気だよ、とおっしゃってました」
 中野玲子は話をそこで切った。反応しなければならないと思った日比谷は、
「その仕事も面白そうですね」
 と、微笑とともに言った。
「その先生にとってご自宅はいつものご自分と家族の場所で、慣れ親しんだ日常生活の場です。かなり気さくというか、見てくれは構わずに自由に住んでらして、大きなお家なのですけど、あらゆるところがごちゃごちゃしてて、ほんとに日常の場なのです。そこに私というヌードをさりげなく配置して、写真を撮りたいということでした。ご自分の日常の場と、私というヌードとの対比や取り合わせが面白いとおっしゃって、撮影する行為も出来た写真も、先生には充分に楽しんでいただけました。これは特別なケースですけれど報酬は百万円でした」
 長い説明が必要なときには、必要にして充分なだけ説明したのち、最後のセンテンスで相手の質問に端的に答えるという癖ないしは発想が、玲子のパターンなのだと日比谷は思った。
「一日で終わったのですか」
「そうです。午後一時におうかがいして、応接間で脱いで。全身の写る鏡やコート・ツリーなどが用意してあって、こまごまと気を遣われるかたなのです。撮影のあいだ、私は裸かハイレグのショーツ一枚でした。居間から撮影を始めまして。そこはキチンとつながっていて、居間であると同時に食事をする場所でもあるのですけど、カウンターといいテーブルといい、あるいは居間のスペースの周囲ぜんたいが、ほんとに雑然としているのです。けっして汚い雑然ではないのですけど、先生も奥様も、そしてふたりいらっしゃる息子さんたちも、細かいことは気にしないというかたらしくて。自分の家にいるつもりで、いろんな場所でなにげなく日常的なポーズをしてくれとおっしゃって、そのとおりにしました。キチンでお茶を入れたり、冷蔵庫を開けてなかを見たり。ソファにすわってぼんやりしてみたり。裸とショーツ一枚を、一定の間隔で交互に繰り返して。一階にはご夫婦の寝室があるのですけれど、そこは使わずに、廊下や納戸そして洗面室や玄関でも撮影しました」
「自分の日常の場に、若く美しい裸の女性がひとりいるという光景そのものが、新鮮だったのですね」
「そうなのです。私もプロのはしくれとして写真を撮りますから、気持ちはよくわかりました。二階への階段、そしてお二階でも撮りました。息子さんたちの部屋ふたつは使わず、物置みたいになってる部屋と、両側にタンスが並んでいる部屋と。バルコニーに面した広い和室、それから先生の部屋がふたつ。本や資料でごちゃごちゃなんですよ。ほんとにひどいのですけど、慣れてくるとなんとなく居心地が良くて、何十本も撮影しました」
「バルコニーは」
「家をぐるっと取り巻いていて、いろんな方向から見えるのです。和室に面した広いところは、隣の家の二階から見えます。死角になっているほんの少しの場所で、なんとなく立っている場面を撮影しました」
「庭も面白いのではないですか」
「広くてとてもいいお庭なのです。手入れはあまりなさってないらしくて。でも、庭のあちこちや家の周囲では、ヒールのあるサンダルを履いて、ショーツも履き替えて、たくさん撮影しました」
 そこまで語って、中野玲子は組んでいた脚を降ろした。日比谷に向けて上体をかすかに傾け、次のように言った。
「美代子のことではなく、私のことになってしまいました。方向を変えましょう」
「暗くなりかけた庭でストロボを使って、というのもいいのではないですか」
 日比谷の言葉に玲子は笑った。
「それも撮影しました。バルコニーでも、夜になるとほかからは見えませんから、裸体でそこに出て、ストロボで。七時に切り上げて、八時からご自宅の近くのイタリー料理のお店で、いっしょに夕食でした。ハイヤーを呼ぼうかとおっしゃるのを断って、電車で帰りました。というのが、最近のヌードの仕事です。立て込むときは立て込んで、間があくときはあきますね。ヌード・モデルになるもうひとつのきっかけは、セルフ・ヌードを先輩に見せたことです」
「これからも続きますか」
「内側から若さで強力に支えられて維持されていた、つるっとした張りはなくなっていきますから、筋肉をつけてそれを陰影にしようかなと思ってます。本来は水泳が好きなのですけど、プールの塩素が嫌いで、自宅の庭で縄跳びや腕立て伏せ、それにごく軽いボディ・ビルディングをしています。効果はあらわれていて、うまく維持していくならあと五年は裸でもいけるかな、と思ってます」
「六年目は?」
「なにも考えてないんですよ」
 そう答えて玲子は笑った。
「今日が最初だとして、これから何度か会っていただけますか」
 という日比谷の質問に、
「お電話をください」
 と、玲子は答えた。
「後藤美代子さんとは、クラスがおなじだったのですか」
「三年のときおなじ組になりました。一年のときは私が一組で彼女は五組でしたし、二年の時は美代子は六組で私は一組のままだったのです。町で見かければ、ああ、あのこだ、とわかる程度だったのですが、組がおなじになってからは親しくなりました」
「高校三年の一年間に範囲を限定して、美代子さんの印象をひと言で言うと、どんなふうになりますか」
「なんてきれいな人、という印象です」
 即座に、玲子はそう答えた。そして日比谷の反応を待った。
「そんなにきれいな人でしたか」
「彼女の席は私の左隣でした。なにかといえば顔を左に向けて、美代子を見ていた自分を記憶しています。おなじクラスになってもまだよく知らないし、美代子はとても静かできっちりと端正で、私のような女が入っていけるすきはないと思っていましたから、見てるだけでいいという気持ちでした。夏休み前のある日、いまでも覚えてますけれど、国語の授業中、いつものように私が美代子を見ていたら、美代子はゆっくりと私に顔を向けて、ほんとに心から、ものすごくきれいに、にっこりと笑ってくれたのです。親しくなったのは、そのときからです。その日は、ふたりで歩いて帰ったのも覚えてます。駅のすぐ近くに美代子の自宅があって、その自宅から高校まで、彼女は歩いていました。歩いていけるのです。裏道がとても静かで。バスがあるのですけど、混んでますから。電車では私は彼女よりひとつ先の駅です。その駅からだと、ルートの違うバスがあるのです。いくときはそのバスで、帰りはいつも美代子と歩いた、という記憶を大事にしてます」
 深く息を吸い込み、その息をいったん止めてから、玲子はゆっくりと吐き出した。笑いの消えた、やや沈みぎみな表情を、彼女は初めてみせた。
「こんな話でいいのでしょうか」
「興味深くうかがってます」
「きりがなくありません?」
 玲子の言葉に日比谷は首を振った。
「ジグソー・パズルにたとえるなら、五千ピースです。いまやっと、小さなかけらがひとつ、手に入ったところです」
「どんなかけらですか」
「後藤美代子さんはたいへんきれいな人だった、という事実です」
「私の感じかた、そして私の言いかたになりますけど」
「それこそを望んでいます」
 と、日比谷は答えた。そして次のようにきなおした。
「クラスがおなじだった高校三年生の一年間で、もっとも記憶に残っていることを、いくつか順番にあげてください」
 中野玲子の反応は速かった。言いよどんだり頭のなかで手さぐりするようなことが、彼女にはなかった。
「さっきも言いましたとおり、ものすごくきれいな人、という記憶があります。ほんとに良く出来ているのです。文句なしの美人で、洒落しゃれた顔立ちで、どんなアングルや表情にも耐えられるし、なんといっても体の良さは、素晴らしいですね。プロポーションが良くて、あらゆる部分に意味の深い表情があって。私はヌード・モデルをしてますけど、私の裸の写真を男の人が見ますと、いい体してるなあ、と言ったりしますでしょう。確かにそうなのですけど、美代子のほうがはるかに良くて、私はいつもうらやましく思ってました」
「たいへんきれいだとは、ものすごくセクシーだということですか」
 日比谷は質問をはさんでみた。
「そうです。静かで端正で、どんなときも絶対に崩れませんから、なおさらセクシーなのです。ただそこにいるだけで、あるいは、ただ椅子いすにすわっているだけで」
「色気のある女性、ということですか」
「ちょっと違います。彼女のセクシーさは目につきやすいものではなくて、秘めたものなのです。でも、無理して秘めているわけではないですし、色気をふりまくなんて思ってもみない人ですから、自分がどれだけ魅力があって美しくてセクシーなのか、気づいていないし関心もさほどなかった人だ、と私は結論してます」
「ジグソー・パズルのふたつめのかけらが見えてきました」
「どんなかけらですか」
「後藤美代子さんは、わかりにくい人ですか」
 という自分の質問に、日比谷はかなり自信があった。しかし、
「いいえ」
 という玲子の即答で、その自信はいったん消されてしまった。
「とてもわかりやすい人です。裏表がなくて、言葉の裏の意味などもいっさいなしで、額面どおりの女性です。でも、彼女の外見的な魅力のすさまじさに気づく人はたくさんいたはずです。たとえば私とふたりで銀座を歩いていると、すれちがう女性が美代子を見るんですよ。この人はなんなの? という表情で。隣にいる私はよくあるタイプですから、ちらっと見てもらえるだけでしたね」
「後藤さんに、恋人あるいはそれに近い男性は、いたのですか」
 日比谷の質問に玲子は首を振った。
「私の知るかぎりでは、いませんでした。そんな話は一度も聞いたことがありません。高校のときから、男性とのつきあいはなかったのです。私もそういうタイプなので、よくわかります」
「高校を卒業してからも、おふたりはずっとつきあって来たのですね」
「そうです」
「かなり親しい仲ですね」
「恋人はいないの? と訊いたことがあります。いないのよ、と笑ってました。軽くてほんとにさらっとした、悲しくなるほどに澄んだ笑顔で」
「高校生のときのことで、ほかになにか語ってもらえますか」
「美代子は一年生のときから演劇部で活動してました。演劇や文芸活動の盛んな私立高校なのです。私は写真部で、校内で写真が必要なときには、すべて写真部が撮っていました。演劇部では、一年生と二年生のときは、舞台に立つ以外のことをするのです」
「三年が舞台に立つのですか」
「そうです。三年生になったときの公演で、三年生が演技者になります。先輩をたどっていくといろんな人脈があって、いいホールを格安で借りることが出来たりして、本格的な公演なのです。三年生のときの公演を見ましたけど、見ごたえがありました。美代子は主役だったのです」
 ジグソー・パズルの、三つめのピースだった。
「主演女優ですか」
「ひとりふた役でした。シナリオも良くて、美代子は素晴らしくて。それっきり演劇には進まないのは、ほんとにもったいないと私は思ったのです。卒業して美代子は短大へいきました。公演のヴィデオがあります。私が撮影した写真も、たくさん。稽古けいこ風景からリハーサル、そして当日の舞台写真や楽屋の様子も」
「そのうち見せていただけますか」
「見てください」
 福山俊樹の取材ノートには、高校における後藤美代子の演劇活動について、いっさい書かれていなかった。玲子への取材がそこまで展開していかなかったのだろう。しかし福山は取材の最初に美代子の父親に会い、その次に会ったのは中野玲子だった。そして取材のしめくくりにも、彼は彼女に会っていた。
「美代子が行方不明になって三か月後に、中野さんは週刊誌の取材を受けましたね」
「日比谷さんがお読みになった、あの記事ですね」
「そうです」
「取材の男性のかたにお会いしました」
「覚えてますか」
「長くした髪をうしろで束ねた、眼鏡をかけた色の白いふっくらとしたかた」
 福山だ、と日比谷は思った。
「いまうかがっているような話は、なさいましたか」
 日比谷の質問に玲子は首を振った。
「いっしょに帰った当夜のことに、質問は集中してましたから。あの日、美代子と夕方に落ち合って夕食を食べ、おなじ電車で帰るまでのことです。時間を追って、こと細かに。私が美代子と過ごしたあの時間のなかに、失踪しっそうなぞがあるときめているみたいでした」
「その週刊誌の取材は、一度だけですか」
「二度です」
 と、玲子は答えた。
「美代子の写真を見せてほしいとおっしゃって」
「見せたのですか」
「はい。貸してほしいとおっしゃったのですが、使わないという約束を反故ほごにして使われてしまうと困りますので、お見せしただけです」
 二度めに中野玲子を取材したときのことについて、福山の取材ノートのなかには、「写真を拝見」という書き込みがあった。拝見とはそういう意味なのか、といま日比谷にはわかった。
「五枚、お見せしました。私が撮った写真です」
「僕にも見せてください」
「いつでも」
「短大を出た美代子さんは、新聞社に就職したのですか」
「そうです」
「新聞社に五年勤務して短大と合わせると七年ですね。高校を出てからの七年間に、話の範囲を広げましょうか」
「私のほうが忙しくて、会いたくても会えないことが多かったのですが、それでも月に一度は会ってました。多いときには毎週」
「七年間という時間は、短いですかそれとも長いですか」
 という日比谷の質問に、
「長いでしょう」
 と、玲子は答えた。彼女の言葉の続きを、日比谷は待った。
「私にもいろいろありましたから。銀行を辞めて。モデル・ハウスに勤めて、そこも辞めて。先輩の写真家のオフィスに、アルバイトで置いてもらって。雑用をしながら撮影助手の仕事をして、モデルをするようになってヌード・モデルに定着して、自分でも写真を撮るようになったのです。これだけの変化が、二十五歳までのあいだにあったのですから」
「高校生のときから現在まで、中野さんはいまとおなじところにお住まいですか」
「場所と所番地はおなじですけれど、建物は違います。以前は三階建ての家で、私は三階を使ってました。シャワー・ストールもトイレットも小さなキチンもあって、三階だけでも人は生活出来るようになってました。敷地の隣の小さな家が売りに出て、両親はそれを買ったのです。敷地が広がったのを機会に、家を建て換えました。屋根のある短い渡り廊下でつながった別棟の離れを造って、いまの私はそこにいます。そこが私の家です。その別棟に関しては、私が資金を用意しました」
「その七年のなかで、後藤美代子さんとの関係でもっとも印象深い出来事をひとつ、つまみ出すことは可能ですか」
 という日比谷の質問に、
「一度だけキッスしたことです」
 という答えが返って来た。
「家を建て換えたのは三年前です。まだそれ以前の家、つまり私は三階の部屋に住んでいて、美代子も私も二十四歳だった六月の雨の日、土曜日の午後、美代子が部屋へ来てくれたのです。私の部屋で少しでいいから写真を撮らせて、という私の頼みを美代子は聞いてくれて、部屋へ来たのです。いつもは自分だけがいる見慣れた場所に、美代子のような女性のいる光景が写真的にものすごく新鮮で、私はほんとにどきどきしながら美代子の写真を撮りました。自宅で私のヌードを撮りたいとおっしゃった、さきほどの作家のお気持ちがよくわかります」
「美代子さんのヌードを撮ったのですか」
「裸にならなくても、ただそこにいるだけで、充分に新鮮なのです。さきほど言いました下着の通信販売のカタログ・モデルの仕事が入ってるときでしたから、モデルとして身につける下着が山のように部屋にあったのです。こういう仕事もしてるのよと言ってその下着を彼女に見せて、ふたりで笑ったのを覚えてます。通信販売といっても、主なお客さんは男性だという種類のものです。これを身につけてみて、と私が冗談半分に言ったら、美代子は応じてくれました。その写真をお見せしますよ。ポーズと道具立てのせいもあって、ものすごい迫力です。美貌びぼうと体の魅力は、ただごとではないのです。撮り終わって私は美代子に歩み寄り、私を抱いてみて、と言ったのです。彼女は抱いてくれて、一度こうしてみたかったのよと私が言うと、彼女は笑ってました。しっかり抱き合ってごく自然に唇を重ね、私はすぐに本気になって舌を入れからめたりすると、美代子もちゃんと応じてくれました。力を込めて私を抱いて、体を押し付けて。でも、それっきりです。そこからなにがどうなったわけでもありませんし、私が彼女をどうしたいと思ったわけでもなくて。そのことに関して私の印象にいちばん強く残っているのは、美代子に対する安心感です。ああ、安心してまかせられる人なんだ、という気持ちですね」
 自分の話の帰結点まできちんとしゃべりとおす玲子は、取材して話を聞き出す相手としては、もっとも手間のかからない部類の人だった。そのような玲子に対して、日比谷は日比谷で安心感を覚えた。
「なにか共通の話題は存在してたのですか。ふたりでおなじように興味を抱いている対象とか」
「それはいっさいありませんでした」
 と玲子は答えた。
「いま振り返ってみると、私たちが会うことに目的はなかったですね。会って話をして、夕食をいっしょに食べて、帰っていくのです。おなじ電車で何度もいっしょに帰りました」
「どんな話をしたのですか」
「とりとめのない話です。一貫したテーマがあったわけではなくて、ふたりでいっしょに追いかけていたものがあったともいえません。なんとなく会うのです。会えば話はたくさんあって、会話が途切れて困るような体験は、一度も記憶してません。なにか盛んに語り合うのですけど、なにについてでもなく、美代子はそういうのが好きだったみたいです。私もそうです。いつもふたりだけだった、ということも特徴としてはっきりいえると思います。美代子と会うときはいつもふたりだけでした」
「高校生の頃からですか」
「最初からです。それでなんにも不足はないので、そのままずっとそれが続いた、ということです。ほかに人がいたことが、一度もありませんでした。不思議と思われるかもしれませんが、なんにも不思議ではないのです。私と会うとき、美代子は人を連れて来なかったし、私も連れていきませんでした。私とふたりだけでなく、ほかにも人がいた場合、つまり三人以上でいっしょにいたときの美代子というものを、私は知らないのです」
「おふたりを仲立ちしていたものは、なんだったのですか。なにがふたりの仲を取り持っていたのですか、という意味です」
「美代子を写真に撮りたい、と私は思っていました。いろんな服を着せて、きれいな場所になんとなくいて、おとなしくポーズしているというような美人写真でも、充分に面白いと私は思っていたのです。使い道はあるんですよ。先輩の写真家の事務所はフォト・エージェンシーでもあって、貸出し用のポジを大量に管理しています。そこに入れておけば、雑誌の記事の飾りに写真を探しに来て、買ってくれるかたがいるのです」
「実現はしなかったのですね」
「美代子に提案して、彼女は承諾してくれていました。そこから派生するなにかがあるかもしれないと思って、私は楽しみにしていたのです。私が多忙で、実現しませんでした。残念です」
 このあたりでひと段落かと日比谷は思った。あと二十分も引き延ばせば、中野玲子を夕食に誘ってもおかしくはない時間になる。彼女が誘いを受けてくれるなら、ふたりでいくべき店を日比谷はすでにきめていた。ここまで玲子はかなり喋った。それを文字原稿に起こすなら相当な量だ。しかしそのなかに、後藤美代子の言葉がひとつもないことに、さきほどから日比谷は気づいていた。
「美代子さんが言ったことで、なにか記憶に残っていることはありますか」
 という日比谷の質問にも、
「なにもないのです」
 と、玲子は即答した。
「週刊誌のかたにも、それはかれました。ふたりで黙っている時間はいっさいなかったほどに、私たちはいろんな話をしたのです。特になにかに関して、ということはありませんでした。私は自分のことについて喋ることが多く、自分についてなんでも喋ってしまうのです。それに対して美代子は反応してくれて、その反応がとても良くて、その反応のしかたが、ある意味では美代子が自分について語っていたことになるのではないか、とも思っています。理屈になりますけれど」
「後藤さんが自分を話題にすることはありましたか」
「ありませんでした。隠し立てする性格とか、自分については明らかにしない方針というようなことではなくて、自分について語る必要がなにもないみたいな人です。私が自分のことをなんでも喋るのは、喋って確認したり、相手から返って来る言葉をきっかけにして、それまでは見えなかった筋道を発見したりするためなのです。美代子には、そんなことをする必要がなかった、と私は思います。秘密や悩みを聞いた覚えは一度だってないですし」
「家庭については?」
「週刊誌のかたも、それについては質問してました。お母さんは家にいて、とてもいいかたです。お父さんは別の新聞社にお勤めで、美代子より三つ年下の弟さんは、美代子が行方不明になった年に大学を出て会社に就職し、四月のなかばには寮に入ったと聞いてました」
「行方不明になったときには、自宅には美代子さんとご両親との三人だけだったのですか」
「確認はしてませんけれど、そうだったはずです。そのことになにか意味があるのでしょうか」
「いいえ」
 後藤美代子が行方不明になった夜、弟は自宅にいなかったという事実は、福山俊樹の取材ノートにも書いてあった。中野玲子という女性をとおした後藤美代子について、ごく基本的な粗筋は聞くことが出来た、と日比谷は思った。中野玲子が知っている後藤美代子の、しんは出来た。玲子がさらになにを語ってくれるかにもよるが、芯に少しずつ肉づけしていく作業がこれから始まることを、彼は期待した。
「このあとなにか予定がおありですか」
 と、日比谷は訊いてみた。
「今日はこれ以外には予定はありません」
「よろしかったら、早めの夕食にしましょうか」
 自分のその提案に対する玲子の反応に、日比谷は少なからず驚くこととなった。玲子の顔から笑みが消えた。なにか非常に落胆したような、絶望と言っていいほどに気持ちの沈んだ人の表情になった彼女は、日比谷をまっすぐに見つめた。
「ラ・シャンブル・ノワールですか」
 玲子は静かに訊いた。
 福山の取材ノートには、ル・シャンブル・ノワール、とフランス語で書いてあった。シャンブルは女性名詞のはずだ。そのとおりだ。たったいま、中野玲子は「ラ」と言った。
「そうです」
「あの週刊誌のかたに、日比谷さんはお会いになったのですね」
「つい先日、下北沢で。彼はいまはあの週刊誌の仕事をしていません。下北沢の昔からある喫茶店の、雇われマスターです」
「私のこともあのかたからお聞きになったのですか」
 玲子の質問に日比谷は次のように答えた。
「後藤さんが行方不明になってそれっきりというこの出来事に僕が最初に興味を持ったのは、あの週刊誌に掲載された二ページの記事でした。ですから、あの二ページのための取材をして記事を書いた福山というフリーランスの記者に、まず会ってみたのです。取材ノートのコピーを彼からもらって来ました。中野さんのお名前や住所は、そのノートから知りました」
 玲子は一度だけうなずいた。表情は変わらないままだった。いまのような悲しげに沈んだ顔もまた風情がある、と日比谷は思いながら彼女を観察した。
「ラ・シャンブル・ノワールは、美代子が行方不明になった夜、私とふたりで夕食を食べた店です。私たちはその店の常連でした。ふたりで夕食といえば、まずその店でした。気楽なフランス料理およびイタリー料理の店です。いまでも私はその店へいくのですけど、美代子とふたりでよくいったという過去と、美代子がいなくなったきりという現在とが、等距離に私の前にならんでつらくて悲しくなります。でもいったん店に入ってしまえば過去は遠のきますけれど、美代子はいったいどうなったのだろうかと思うと、やはりつらいです」
「今日はお嫌ですか」
 日比谷の問いに玲子はゆっくり首を振った。そして次のように言った。
「ごいっしょします。いまでも私はあの店へいきますけれど、先輩に紹介して好いてくださって、先輩のほうが常連になっています。先輩に夕食を誘われると、十回のうち七回くらいまではあのお店です」
「店を最初に知ったのは後藤さんですか、それとも中野さんでしたか」
「美代子が連れていってくれました。会社の人に教えてもらった、と言っていました。そのしばらくあとで美代子とお店へいったとき、ほかの席に会社のかたがいらして、あのかたにここを教えてもらったの、と美代子が言ったのを私は覚えています」
「ご無理でなければ、ぜひ中野さんといっしょにその店へいってみたいと思うのです」
 という日比谷の言葉に、
「それは取材の一環ですか」
 と、玲子は訊いた。
「それもあります」
「日比谷さんはノートを取らないのですか」
「このくらいなら覚えてますから、あとでノートに整理して書きます」
 すべてをあきらめた人のような、きわめて受動的な一瞬の表情をへて、玲子は笑顔の多いもとの表情に戻った。
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第四章 暗室で夕食



 喫茶店を出る前、入り口の近くにある電話ブースに入り、中野玲子はラ・シャンブル・ノワールに電話をかけて席を予約した。ラ・シャンブル・ノワールとは、暗室という意味だ。地下鉄に乗るならひと駅だった。ふたりは歩くことにした。歩きながらふたりは話をした。
「福山俊樹はラ・シャンブル・ノワールも取材しています」
「そうでしょうね」
「収穫はこれといってなにもなかったようです」
「きっとそうだったと思います」
「中野さんが最初にその店にいかれたのは、いつでしたか」
「二十四歳になる少し前です。それから美代子がいなくなるまでの一年ちょっとのあいだ、ふたりでよくいきました」
「美代子さんが誰かほかの人とも、その店へいっていた可能性はありますか」
「お店でおきになればいいわ」
 彼女の明快な返答に対して、日比谷は、
「そうですね」
 と答えることしか出来なかった。
「とてもいい店なのです。あの店を美代子が気にいったということは、そのまま美代子の好みや性格の反映だと思います。小ぢんまりしていて、静かで落ち着くことが出来て、料理は素晴らしく気が利いています。外国の女性が料理人なのです。ふたりいまして、ひとりは強い風がなにより嫌いという人で、世界じゅうを旅してまわって日本を発見したのです。日本ほど風のおだやかに吹く国はないと言って、日本に住みついています。料理の腕と才能だけで、世界を歩いて来た女性です。お店の女主人と知り合いになって、毎週木曜と金曜が、そのかたの料理です。月曜から水曜までは、別なかたになります」
 最初の交差点までふたりは歩いた。向こうへ渡る人のための信号は赤だった。ふたりは肩をならべて立ちどまった。玲子は彼に顔を向けた。そして微笑した。深いところでなにかを決定的にあきらめた人のような、寂寥せきりょう感に指先で触れることが出来るほどの、寂しい微笑だった。
 二本だけ裏通りに入った小さな建物の二階に、その店はあった。階段を上がってドアを入ると、店ぜんたいの長方形のスペースの、ちょうど中間に立つことが出来た。配膳はいぜんのカウンターが仕切りのようにまんなかにあり、その奥は厨房ちゅうぼうだ。残った正方形のスペースにテーブルと椅子いすが配してあった。
「あっら、珍しい」
 女主人が玲子そして日比谷を迎えた。四十代なかばの、判断が明快で迅速そうな、行動力を感じさせる美人だった。身辺に美人がふえていくのを、確かな兆候として日比谷は受けとめた。
「ほんとに、珍しい」
 振り返って玲子にそう言いながら、彼女はふたりを席へ案内した。窓辺の席に壁を背にして玲子がすわった。向き合ってすわった日比谷がことのほか気にいったのは、照明の柔らかさとほのかな明るさ、そして適正なテーブルの大きさだった。周囲のテーブルとの距離もよかった。
「久しぶりなのですか」
 日比谷が訊いた。
「珍しいというのは、そういう意味ではないんですよ」
 玲子が笑顔で答えた。さきほどの喫茶店でこの店のことを話題にしたときから、店へ歩いて来るまでの彼女が浮かべていた、絶望の底であきらめたような悲しい表情は消えていた。
 女主人がふたりのテーブルへ来た。赤いワインのハーフ・ボトルを玲子に見せ、日比谷にも笑顔を向け、温かい視線を玲子に戻した。
「男性といっしょに来るなんて、ほんとに珍しい」
 澄んだ華やかな笑顔で、玲子は彼女をふり仰いでいた。
「男性と来てくれたのは、これが初めてでしょう」
 女主人の言葉に、玲子の笑顔はさらに広がった。主人は日比谷に目を向けた。
「僕は光栄な人ですか」
「幸福なかた」
 という言葉に玲子が笑った。持っていたハーフ・ボトルを店主は玲子に見せた。
「リストには高い値段で出てるの。売りたくないから。でも、プレゼントしますから、ぜひ飲んで」
 ボトルをさらに玲子に見せ、彼女は日比谷にもラベルを向けた。一九八九年、シャトー・ラスコムプ、と彼には読めた。女主人は今日の料理の説明をした。彼らふたりはそれぞれに選んだ。店主がカウンターへ戻ってから、
「僕もこの店の常連になります」
 と、日比谷は言った。受けとめて少し間を置いた玲子は、
「私を誘ってください」
 と言った。
「後藤さんの話をしていいですか」
「どうぞ」
「福山俊樹の意見なのですが、後藤さんの存在の痕跡こんせきがあまりにも希薄だ、と彼は言うのです。後藤美代子という人は果たして本当に実在したのか、と真面目まじめに問いたくなるほどに、いったん消えてしまうとそのあとは、はかないというか淡いというか、ほとんどなにも残っていず、そのことに衝撃すら覚える、と彼は言うのです」
 玲子が愉快そうに笑って反応したのは、日比谷にとって意外だった。
「知らないから、そういうことが言えるのね」
 と、彼女は言った。そして次のとおり補足した。
「福山さんは美代子に会ったこともなければ見たこともないのです。後藤美代子という女性は、たいへんに素晴らしい実体のある、確固とした堂々たる存在です。もの静かで端正ですから目立たない、ということはありましたけれど」
「取材してもなにもわからないから、彼はことさらそんなふうに感じたのかもしれませんね」
「美代子に会ったことのない人が、自分の得意な理屈の領域に引っぱっていって、そこで文芸的な感慨にひたっているだけのような気がします」
 玲子のそのような言いかたに、日比谷は肯定の気持ちでうなずいた。しかし福山の意見も捨てがたい。これから取材していけば、おそらく自分も福山とおなじような感じかたをすることになるだろう。充分に信頼するに足りるとすでに自分が判断している中野玲子という女性は、いまは福山の意見をほぼ完全に否定する側に立っている。その玲子の見かたも、少なくともいまのところは、福山の意見と同じ程度には尊重しなくてはいけない。彼の目の前に早くも分岐点が出現していた。ただしいまはまだそれを眺めているだけでいい。
「福山が週刊誌に書いた二ページの記事は、もう覚えていないでしょうね」
 という日比谷の質問に対して、
「嫌いな記事だったということは記憶してます」
 と、玲子は答えた。
「なぜ嫌いですか」
「OLが美人だとこういう事件に遇う、というような書きかたでしたでしょう」
「それは最後のワン・センテンスだけです。行方不明になった彼女が美人であることが気になる、と最後のワン・センテンスで言っていたに過ぎません」
「そのワン・センテンスで、読む人にとってぜんたいの印象を決定づけていたのです」
「美人だからよけい気になる、と言っているだけです」
「読んでとても不愉快でした」
「もう一度、読んでください。次にお会いするとき、コピーを差し上げます」
「名前は仮名で場所はすべてぼかしてありましたけれど、事実を伝えていたとは思います」
「福山の主観としては、ひとりの若い女性がかくも手がかりを残さずに消えたままとなり得るとは、いったいどういうことなのかということです」
「彼は驚いているわけね」
「さきほど話に出た、ひとりの人の存在の痕跡の希薄さ、淡さ、危うさ、などにつながる驚きです」
「ですからあの記事は福山さんの作品なんですよ」
 女主人がワインを持って来た。ふたりのグラスに注いだ。
「この次に別の男性と来たら、もう一本プレゼントしてあげる。というのは、うそ
 そういって女主人は笑い、ほかのテーブルへ歩いていった。玲子と日比谷は乾杯した。きわめて好ましい赤ワインだった。夜遅く仕事を終わったとき、いまの仕事場のバルコニーへ出て、ひとりでこのようなワインを飲むことについて、日比谷昭彦はほんの一瞬、夢想した。
 夕食のあいだ、ふたりは後藤美代子の話をしなかった。日比谷の仕事について玲子は質問し、彼はそれに答えていった。彼の本への感想も彼女は語った。打てば即座にしかも正確に響く人である玲子は、その響きに余韻の深みを持っていた。この女性は会話の相手としてたいへん上質であると、日比谷は判断した。
 九時前にふたりは店を出た。おもての通りへ歩きながら玲子は腕時計を見た。そして彼に顔を向け、
「ちょうどこんな時間でした」
 と、低い声で言った。
「五年前のあの日」
「はい。いまとおなじ季節でした」
「そのときとおなじルートで帰ってみませんか」
 ふたりは地下鉄の駅へ歩いた。銀座まで地下鉄でいき、地下道を地下鉄の日比谷の駅まで歩いた。そこからふたたび地下鉄に乗り、代々木上原よよぎうえはらで下車した。小田急の各駅停車に乗り換えた。いちばん前の車両に、ふたりは入った。空いていた。ふたりはならんですわった。
「ずれたとしても前後十分と違っていない、こんな時間のこのような電車でした。いちばん前の車両の、ほぼこの位置にすわりました。美代子が降りる駅まで、私たちはずっと話をしていました」
 いつもとなんら変わったことのない、ごく平凡な家路だったという。美代子の降りた駅が近くなるまで、中野玲子は自分の裸体を材料にして自らが継続させている、セルフ・ヌード撮影について日比谷に語った。一冊の本にすることを目的にしたセルフ・ヌードだ、と彼女は言った。
 美代子の降りた駅に電車は接近していった。減速が始まり、玲子は席を立った。
「いっしょにここで降りてください」
 促されて彼も席を立った。二人はドアへ向かった。電車はやがて停車し、ドアが開いた。ふたりは電車を降りた。電車から離れたのち、電車に向かって玲子は立ちどまった。
「席にすわっていた私が、振り返ってガラス越しに見ると、美代子はこんなふう立っていました」
 玲子が言った。電車のドアが閉じた。
「私は右手を上げ、美代子に向けて指をこんなふうに動かして、手を振るかわりにしました。美代子も手を振ってくれて、電車は発進していきました」
 ふたりの目の前で電車は動き始めた。
「いちばん前の車両にいましたから、発進するとすぐに駅を出てしまって、美代子の姿は見えなくなりました。私が美代子を見たのは、それが最後です」
 最後部の車両がふたりの前を通過していった。電車はかなりの速度に達していた。電車が遠のいていくのを、ふたりは見送った。走り去っていくその電車とは反対側、新宿の方向に向けて、玲子は足早に歩き始めた。線路の向こう側へ渡るための階段が、プラットフォームのなかほどにあった。下りの電車を降りた人は、その階段で反対側へ渡らないと、駅を出ることは出来なかった。
 うしろから歩いていく日比谷は、伏せた顔を玲子が両手で覆っていることに気づいた。彼女は泣いている、と彼は思った。玲子は階段をとおり過ぎ、人のいないプラットフォームをさらに歩いた。好ましい鋭い怜悧れいりさや、開放的な気さくさ、あるいは気丈な側面だけを見せていた中野玲子は、いまは顔を両手で覆って泣いている。
 ひとりにしておくべきか、それともついていくべきか。少し距離を置いて、日比谷もおなじ方向へ歩いた。いちばん遠いベンチまで歩き、玲子はそこにすわった。ひざをきれいにそろえ、両手を顔に当てて彼女は泣いた。かたわらにすわった日比谷は、彼女の泣く声を聞いた。ひとしきり泣いたあと、両手を太腿ふとももに降ろし、
「美代子」
 と、顔を伏せたまま玲子は言った。
「どこへいったの?」
 人がなにごとかに関して完全にあきらめているときの口調というものを、日比谷は久しぶりに聞いた。バッグからハンカチを取り出した玲子は、それを広げた。一枚に広げたのち、それを両手で顔に押し当て、ハンカチのなかに向けて彼女はさらに泣いた。このようにして泣く人を日比谷は初めて見た。
 彼は彼女の足もとに視線を落とした。きれいな色の初夏のパンプスが、おなじ角度で右へ向き、そろっていた。小粋に引き締まったくるぶし、そしてまっすぐにのびている向こうずねを、彼の視線はたどった。スカートのすそによって縁取られた、鋭角さを残してほどよく丸い両膝で、彼の視線は止まった。やがて中野玲子は泣きやんだ。涙をぬぐってハンカチをたたみ、バッグに入れた。そして立ち上がった。日比谷も立った。
 深く息を吸い込んだ彼女は歩き始めた。電車を降りた位置まで戻り、電車が走り去った方向を彼女は示した。
「私は次の駅で降りました。ここで降りた美代子は、あの階段へ歩いたのだろう、と思います」
 振り向いて彼女は階段を示した。ふたりは階段へ歩いた。階段を上がり、線路を越え、反対側の階段を降りた。
「この階段を美代子が下りたかどうか、あるいはそもそも階段を上がったかどうか、私にはわかりません。推測も不可能です」
 玲子の言うことは理にかなっていた。階段を下りたふたりは改札口へ歩いた。まっすぐに歩いていき、三段だけ下りると目の前が改札口だった。ふたりはそこを出た。
「福山俊樹の取材によれば、電車を降りてからの後藤さんに関して、目撃情報その他、いっさい手がかりはないのです」
 日比谷の言葉に玲子はうなずいた。駅の前と平行に歩道のない道路があった。道路は踏切で線路を越えていた。そして踏切のすぐ手前で、駅とは反対の方向に向けて、直角に曲がっていた。立ちどまっているふたりから右へ二十メートルほどずれたところに、横断歩道があった。
「配置は以前とおなじです。昔からこのとおりです。ここの駅前は狭いですから、変えようがないのね」
 玲子が言った。
「美代子さんが駅からここへ出て来たとして、自宅へ向かうにはこの道を向こうへ渡らなくてはいけませんね」
 日比谷の言葉に玲子はうなずいた。そして右手を上げ、道路の斜め向こうを示した。
「美代子の自宅は、この方角です」
「いつもあの横断歩道を渡っていたのでしょう」
 玲子は横断歩道に視線を向けた。そしてふたたびうなずいた。
「いつもここからどのルートで自宅へ帰っていたか、中野さんはご存じですか」
 日比谷の質問に玲子は首を振った。
「高校から歩いて帰るときには、ずっと向こうで脇道わきみちに入り、裏道を歩いていました」
「駅からだと、どう歩いたでしょうか」
 途方にくれた人の表情を玲子は浮かべた。そして日比谷に顔を向け、
「わかりません」
 と答えた。
「奥へ入っていく道は基本的には碁盤の目ですから、彼女の自宅までのルートは何とおりかありますね」
「はい」
 ふたりは横断歩道へ歩いた。そして道路の向こう側へ渡った。駅を中心にした商店街は、ほとんどの店が今日の営業を終わっていた。しかし人はまだ歩いていた。酒の店は明かりがいていた。
「ここから先は、私にはわかりません」
 玲子が言った。シャッターが降りている薬局の軒下に、ふたりは立ちどまった。
「後藤さんは事件に遇ったと思いますか」
 と、日比谷はいてみた。
「力ずくで車に押し込まれた、というようなことですか」
 玲子の質問に日比谷はうなずいた。
「それはないと思います」
 玲子は答えた。
「後藤美代子は、そんなに頼りにならない人ではないのです。自分の体は、とっさの場合でもちゃんと使えますし、抵抗して切り抜けたはずです。いきなり誘われてついていくということは、まず絶対にない人ですし。事件と言っても、起ったことの可能性は、そのふたつだけですよね。力ずくで連れ去られたか、誘われてついていったか」
 玲子の論理に日比谷はひとまず賛成するほかなかった。下りの各駅停車がふたたび駅に停車し、階段を越えた人たちが改札口を出て来た。駅前という中心から三つの方向へ、そのひとたちは散っていった。
「送ります」
 日比谷は玲子に言った。ふたりは横断歩道を渡って駅へ戻った。彼が切符を買った。改札を入ってプラットフォームに上がり、階段へ歩いた。階段を上がり、向こうへ渡り、階段を下りた。そしてそこで次の下りを待った。
 急行や特急が通過していった。さらに準急が通過してから、各駅停車が来た。ふたりはそれに乗った。空いていたがふたりはドアの近くに立ったままでいた。玲子はバッグから手帳を取り出し、ページを開いた。そしてすぐにバッグに戻した。
 次の駅でふたりは降りた。階段を上がり、その上にある改札を出て、南口へまわった。
「来週の火曜日、午後いっぱい、私は予定が空いています」
 階段を下りながら玲子は言った。
「会いましょうか」
「お会い出来ますか」
「来週の火曜日、午後一時に、ベーカリーの二階で」
 日比谷の提案に、
「そうしましょう」
 と玲子は答えた。
「美代子と私が卒業した高校へ、いってみましょう」
 そこへいく理由を語ってくれることを、日比谷は無言でいることで促した。
「校長室の壁に油絵が掛かっています。美代子がモデルになった絵です」
 そう言って彼女は日比谷を見た。
「ご存じですか」
「知りませんでした」
「その絵を見にいきましょう」
 日比谷は玲子を自宅まで送った。道路から少しだけ高くなった場所に彼女の自宅はあった。石を胸の高さあたりまで斜めに積んだ擁壁の上に、深い生け垣が見えた。その奥に、二階建ての家の二階の部分だけを、道路から見ることが出来た。敷地へ上がる階段の下で彼は彼女と別れた。
 中野玲子の自宅から日比谷昭彦の仕事場まで、歩いて五分とかからなかった。彼の仕事部屋のある集合住宅は管理が厳しかった。ロビーに入るには、暗証番号その他のデータを記憶させたカードが必要だった。ロビーの奥の壁に郵便受けがならんでいた。郵便物の束を取り出してかかえるようにして持ち、エレヴェーター・ホールへのドアを暗証番号で開いた。彼はエレヴェーターで三階へ上がった。
 部屋に入った彼は、執筆の準備をするための部屋に入った。明かりを灯け、椅子いすにすわって作業テーブルに向き合い、ファイロファクスを手もとに引き寄せた。後藤美代子に関して専用に使うためのファイロファクスだ。中野玲子の名刺を彼はジャケットの内ポケットから取り出した。
 横に長いそのテーブルの左斜め向こうには、現在の彼にとって進行中の仕事に関するファイルを収納した箱が六つならんでいた。そのうちのひとつ、いちばん手前の箱には、ファイルがひとつ入っていた。週刊誌の切り抜きだけが入っていたファイルだ。いまは福山俊樹からもらって来た取材ノートのコピーがそこに加わっていた。ファイロファックスを開いた彼は、中野玲子の名刺を新しいページに両面粘着テープでりつけた。そしてその下から、玲子が語ったことを短い箇条書きで、整理しながら書き込んでいった。自分自身の主観に関しては、ページをあらためてそこに書いた。
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第五章 写真と油絵



 中野玲子に会って二日後、玲子からB5サイズの封筒が日比谷あてに速達で届いた。仕事場で執筆していた彼は、それを受け取った。折れないように入れたボール紙が、封筒ぜんたいを固く支えていた。後藤美代子の写真だ、と日比谷が思ったとおり、なかには写真が五枚入っていた。小さなカードに万年筆で書いたメモが添えてあった。『美代子の写真をお届けします。すべて私が撮影したものです。日比谷さんのファイルに加えてください』と、中野玲子は書いていた。
 いちばん上にあったのは、後藤美代子の全身をとらえた白黒のプリントだった。マットの印画紙に柔らかい調子でプリントしてあった。スポーツ・ウエアとしての下着、あるいはそれだけでスポーツ・ウエアとして成立するボトムとトップを身につけた美代子は、細いヒールのサンダルを履いていた。
 履き込みの深い灰色のボトムに、タンクトップのすそを胸のふくらみのすぐ下で切り取ったような、おなじ灰色のトップだ。彼女の左右は壁だった。さほど幅のない廊下のような空間に、美代子は骨盤を正立させて腰をきめ、脚を開いて仁王立ちしていた。レンズをまっすぐに凝視し、表情を消していた。無理にポーズや表情を作った結果のぎこちなさのようなものを、日比谷はその写真からいっさい感じなかった。
 美代子の右手にはピストル・クロスボウ、そして左手にはその矢が三本、握られていた。片方の壁からバウンスしたストロボの光を、美代子の全身が受けとめていた。壁は焼き込んで影に近い状態まで落としてあった。断面が縦長の長方形であるトンネルのなかに立っているような効果が、視覚的に達成してあった。
 たいへん良く出来た若い女性の体だった。いい体、と玲子は言っていた。まさにそのとおりだ、と日比谷は思った。見事なプロポーションのなかに息のつまるような容積感が、ぜんたいの印象にとっての源を形成していた。彼女の体のあらゆるトポロジー、つまり白黒のプリントの無限階調が表現する曲面のすべてに、雄弁でしかも静かな影が、緊迫感をたたえて宿っていた。この影はただごとではない、と日比谷は思った。性的な魅力は当然のこととして、それをはるかに越えた美しさとして、日比谷は受けとめた。
 二枚目の写真は白黒のプリントのバスト・ショットだった。後藤美代子の顔だちが良くわかった。美代子はもの静かでいつもきっちりと端正だった、と中野玲子は言っていた。そのとおりだ。文句なしの美貌びぼうは冷たくて同時に優しく、固く跳ね返す力と同時に、どこまでも深く受けとめる許容力を、日比谷に感じさせた。顔だちと表情から日比谷が最終的に抽出したのは、美代子の顔立ちのさまざまな細部にひそむ、異なったふたつの命題というものの危険さだった。
 下手にさわると怪我けがをする、というような通俗的な次元の危険さではなかった。最初から攻撃的に構えているという、幼稚な危険さなどでもない。わかりにくい危険さ。あるいは、わかりにくいことから生まれて来る危険さ。この美しい顔の内部になにがあるのか、まったくの未知数で見当もつかないことを当然の前提とするはずの、ある種の危険さ。後藤美代子の写真を見ながら、日比谷昭彦は一例として頭のなかでそのように言葉を操ってみた。
 三枚目の写真も白黒だった。一枚目とおなじ下着的なスポーツ・ウエアを身につけ、クロゼットのドアらしいものに軽く背を預けて立っている、後藤美代子の全身像だ。まっすぐにのばした左脚で体を支え、力を抜いた右脚は足首を左の足首の前で交差させていた。腰に両手を当て、後頭部も背後のドアにつけ、胸の位置から自分をとらえるレンズに、美代子は微笑していた。太腿ふとももの魅力に目を取られることを避け、この写真での後藤美代子の印象をたとえるなら、格闘技の選手だった。
 四枚目のカラー・プリントは、見たような街角が背景になっていた。銀座だ、と日比谷はすぐにわかった。銀座通りを京橋に向けて左側の歩道を歩いていき、首都高にさしかかる少し手前だ。歩いていく美代子のうしろ姿のぜんたいが、その画面のなかにあった。中野玲子はしゃがんで撮影したはずだ、と日比谷は思った。撮影者の視点は歩いていく美代子の腰のあたりだ。どんなに端正に引き締めてもおもてに出てしまう、うしろ姿の風情というものがそこにあった。
 五枚目のカラー・プリントは、レストランのテーブルについている美代子の、そのテーブルと手もとを、テーブルの向かい側から斜めにとらえたアップだった。おそらくラ・シャンブル・ノワールだろう。テーブルには食器が出ている。たたまれたナプキンがそのままある。食前酒が出た段階だ。その細いグラスに、美代子は右手を添えていた。食前酒は半分ほど飲んであった。レストランの夕食のテーブルにおける、差し向かいの人が見るはずの美代子の両手の魅力。中野玲子にこの写真を撮らせたのは、その魅力だったに違いないと日比谷は思った。
 何度も繰り返して、日比谷はその五枚の写真を観察した。そして彼が得た最終的な感慨は、被写体の美しさやその魅力よりも、それをとらえる中野玲子の写真的な感覚ないしは才能に対してだった。被写体との正しくて緊密な呼応の関係のなかに、撮影者の中野玲子は自分を置いていた。その玲子に美代子は気持ちを許し、自分をあたえていた。自分を全開にし、その内部を提供していた。
 五枚の写真を日比谷はコピーした。三枚の白黒のプリントは普通のコピー機で、二倍に拡大してみた。オリジナルの印画紙プリントとはまったく異なった風合いの、別な作品のような仕上がりとなった。二枚のカラー・プリントはカラー・コピー機で拡大複写した。この二枚も印画紙のプリントよりもはるかに質感の高いものとなった。
 次の週、火曜日の午後、約束の時間が近くなって、日比谷昭彦は仕事場を出た。駅まで歩き、階段を上がって改札の前を抜け、北口の階段を下りた。ベーカリーの二階にある店に彼は入った。壁に囲まれてアルコーヴのようになっているふたり用の席に、中野玲子の姿があった。今日もよく似合うスーツを着ていた。テーブルには一眼レフが置いてあった。差し向かいにすわり、日比谷は写真の礼を言った。彼女の腕前を彼は褒めた。
「被写体があれほど素晴らしければ」
 と、彼女は言った。
「その被写体との良き関係を作るのは、写真家の才能でしょう」
「美代子が撮らせてくれたのです」
「いただいた写真を僕は何度も見ました。後藤美代子さんに関して僕が下したひとまずの結論は、彼女は危険な人である、ということです」
 中野玲子は笑った。その笑いに逆らうように、彼は言葉を補った。
「あくまでも静かに、奥深く、なにかがたいそう危険なのです。だからといって、その危険さでなにをどうしようというわけでもなく、少なくともいまはただそういう人であるだけという状態の、ほんとに危険な人です」
 日比谷の説明に対して、玲子は次のように言葉を返した。
「信頼関係は持てる人なのです。少なくとも私は、持てていたと思います。美代子も私を信頼してくれていたと思っています。おたがいに信頼の関係があれば、なにひとつ危険ではないのよ」
「信頼関係がなければ危険ですか」
「危険そうだという印象は確かにありますけれど、美代子との関係を作っていく上で、それがさまたげになったりはしません」
「わかりにくい人、とりつく島のない人、という印象を持った人は多いのではないですか」
 日比谷の言葉に玲子は首を振った。
「ぜんぜんそんなことありません。いつでも静かで端正ですから、建物にたとえるとアプローチが深くあって、アプローチの深さのぶんだけ、ほとんどの場合、人とのあいだに距離があるというような言いかたは出来ます。でもその距離は、意図してなにかの目的のために作っているのではなく、ただそうなっているだけです。そしてそれを、他の人たちが自分の好みに合わせて解釈することは、いろんなふうに可能です。日比谷さんは美代子のことを危険な人と読んだのね」
 テーブルに彼のエスプレッソが届いた。受け皿を手もとに引き寄せ、把手とってをつまむようにして持つ日比谷に、彼女は次のように言った。
「高校へはバスでいきます。近くに停留所があります。学校には連絡しておきました。今日は校長先生がいらっしゃるそうですから、お目にかかることになると思うわ」
 おたがいにエスプレッソを一杯だけで店を出た。バスの停留所まで数分歩いた。そしてそこで待ち、やがて来たバスにふたりは乗った。前を向いてならんでいるひとりがけの席に、ふたりは前後してすわった。玲子の髪の作りやスーツの下にある肩の出来ばえなどを、うしろから日比谷は観察した。
 四つ目の停留所でふたりはバスを降りた。交通量の多い道路だった。そこから脇道わきみちに入り、まっすぐにいくとやがて高い金網で囲ってある校庭が見えて来た。校舎はその校庭の向こうにあった。フェンスに沿って歩き、正門へまわり、花壇のなかを抜けて正面の入り口から、ふたりは建物のなかに入った。漠然とした玄関ホールから板張りの廊下に上がったところに、受付があった。広いガラス窓の向こうに中年の女性がいた。玲子がその女性に用件を伝えた。
 中年の女性は外へ出て来た。ふたりの先に立って階段を上がった。途中に踊り場のある階段を上がると、そこから長くまっすぐに、廊下がのびていた。廊下のこちら側の端は、校長のための応接室と個室になっていた。応接室は仕切りの壁が天井から三分の一ほどの高さまで、透明なガラスだった。なかに人がいるかどうか、のび上がらなくとも見えた。白いクロスを掛けた長方形のテーブルを、いくつかの椅子いすが囲んでいた。奥の壁のまんなかに、額に入れた油絵が一点、掛けてあった。椅子にすわった若い女性を描いた絵だ。
 校長室は応接室と隣接していた。応接室に入った受付の女性は、個室との仕切りの壁にあるドアをノックした。そしてドアを開き、来客を告げた。ふたりを彼女は応接室に入れ、お待ちくださいとだけ言い、外へ出て階段を下りていった。テーブルのかたわらで待っていると、校長が個室から出て来た。気むずかしさが第一印象となっている、小柄な年配の男性だった。歩み寄る彼に玲子が礼をした。そして次のように述べた。
「こちらの高校を卒業しました中野玲子と申します。一年ほど前、やはり卒業生で私の先輩にあたります写真家がこちらで講演をなさったとき、私は秘書役でついてまいりました」
「覚えてますよ。お目にかかりました。ここでね」
 と、校長は足もとのフロアを示した。気むずかしそうな外見と気さくな口調との落差を、日比谷は面白いと思った。
「そのとき、こちらの絵が私の目にとまりまして」
 玲子は奥の壁の油絵を示した。校長は絵に顔を向けた。そして絵を凝視した。かなり長いあいだ凝視は続いた。そしていきなり顔を彼女に向け、
「いい絵ですよ」
 と言った。
「私もそう思っています」
「ずっと以前から、これはここに掛かってるなあ。私が校長になったときには、もうここにありましたよ」
「あの絵に描いてあります女性は、私とおなじ年に卒業しました後藤美代子という同級生が、モデルなのです」
 校長はふたたび絵に顔を向けた。しばらくそのまま見続けた。さきほどとおなじようにいきなり玲子へ顔を戻し、
「ほほう」
 とだけ言った。ひと呼吸置いてから、彼はテーブルを示した。
「おかけになってください」
 と彼は言った。
 テーブルの向こうにまわって椅子を引き出し、玲子と日比谷はならんですわった。テーブルのこちら側にあった椅子を持ち上げた校長は、テーブルをへだてずにふたりと斜めに向き合う位置に、その椅子を降ろした。なぜだか素早い動作で椅子にすわり、玲子に視線を向け、
「ほほう」
 と、校長は繰り返した。
「後藤美代子と言います」
「あの絵のモデルさんが」
「はい」
「そうでしたか。知りませんでした。卒業生がモデルでしたか。とすると、描いたのはうちの先生ですかな」
「卒業して十二年を過ぎましたが、当時は美術の講師でこちらにいらしてた、矢沢千秋やざわちあき先生というかたです」
「いまは、おりませんな」
 受付の女性がお茶を持って来た。茶托ちゃたくにのせた湯飲みを三つ、テーブルに置いていった。吟味して選んだ茶托ではないのか、と日比谷は思った。湯飲みも品がいい。その湯飲みのなかに、うそのように華やかな黄緑色の緑茶が注いであった。色の調和を問題にするなら、お茶の色に対して、茶托は渋すぎた。
「じつは」
 と、玲子が言った。
「あの絵のモデルを務めました後藤美代子は、五年前に行方不明になりまして、現在もそのままなのです」
「ほう。行方不明に」
「そうなのです」
 いきさつを玲子は簡単に説明した。日比谷が関係して来るところまで、要領良く説明をつなげた。校長は日比谷に顔を向け、気むずかしい表情のまま、
「ほう」
 とだけ言った。
「取材の一環として、あの絵を拝見しに参りました」
 と、日比谷は言ってみた。
「ほう」
「取材のぜんたいにとって、あの絵を見ることがどのように役立つのか、まだわかりません。彼女は行方不明のまま、なんの手がかりもないのです。写真だけがその人物の外見を伝えてくれます。中野さんが撮影なさった写真を、私は見せてもらいました。そしてこちらにはこの絵があるということを中野さんから聞きまして、ぜひ拝見したいと思ったのです」
 ほう、と校長がもう一度言うのを日比谷は期待した。しかし彼はそうは言わず、いきなり椅子を立った。そして壁の絵に向けてまっすぐに歩いた。絵の前に立ちどまり、校長は絵を凝視した。全神経を集中させてその絵を見ている状態が、彼のうしろ姿にあらわれていた。突然に三歩だけ下がり、さらに彼は絵を観察した。
 椅子へ戻って来た彼は、すわりなおすやいなや、湯飲みを片手でわしづかみにした。そしてなかのお茶を半分ほど、いっきに飲んだ。茶托に湯飲みを戻し、ひざに両手をついて上体を前に倒し、テーブルのなかほどの一点を校長は見つめた。ひとつひとつの動作のタイミングが芝居のようで面白い、と日比谷は思った。日比谷もお茶を飲んだ。熱いとはいえないがけっしてぬるくもなかった。お茶に似た香りではあるけれど、正式なお茶の香りではないような香りが湯に溶いてあるもののように、彼には思えた。
「お待ちください」
 校長は日比谷に言った。そして玲子に顔を向け、次のように言った。
「重大な出来事のための大切な資料ですから、あの絵をお持ちになってください」
 玲子は中立的な淡い笑顔でその言葉を受けた。充分に場数を踏んだ、したがってすべてを心得てきわめて有能な秘書のような玲子のさばきかたにまかせてかたわらにいるのは、明らかに一種の快感であることを日比谷はさきほどから感じていた。
「お言葉に甘えてよろしいものでしょうか」
 彼女が言った。
「それがいちばんだと思います」
 校長が答えた。
「本校の卒業生が行方不明のままである。あなたがたはその事件を調査していらっしゃる。そしてその行方不明の女性は、本校に在学当時、この絵のモデルを務めた。してみればこの絵は、貴重な資料です。お持ちください」
「ご両親が関心を示すのではないでしょうか」
 日比谷の言葉にうなずいた彼女は、
「ご両親はまずこちらでご覧になりたいかとも思います。そのあとで、もしいただけるものでしたら、お言葉に甘えさせてください。後日、ご両親を連れて参ります」
「いいでしょう」
 校長は結論を下した。
「あの絵を写真に撮らせてください」
 玲子の言葉に校長はうなずいた。
「どうぞ」
 ふたりは作業を始めた。額を壁から降ろし、窓辺へ持っていった。ガラスにも額にもほこりはなかった。日比谷がさまざまな角度で額を支え、彼女が一眼レフのファインダーごしに絵を見た。ガラスが反射するので絵を額からはずした。カンヴァスの裏に署名があった。どちらかと言えば西洋ふうの矢が一本、横長に流麗に描いてあり、その上に漢字で千秋と読めた。玲子は何ショットか撮影した。額に収めなおし、壁に掛けた。ふたりは席に戻った。校長は立ち上がった。
「ご両親がご覧になりたいとおっしゃったなら、いつでもお連れください。私が不在でも、受付にはわかるようにしておきます。ご両親が所望されるなら、絵は差し上げます。お持ちください。そのほうが作者としても本望でしょう」
 応接室を辞するタイミングだった。玲子は名刺を出した。日比谷も自分の本に名刺を重ねた。ふたりの名刺を校長は受け取った。本は書店のカヴァーをはずし、丁寧に見た。例を述べる校長に挨拶あいさつし、ふたりは応接室を出た。ふたりの名刺と日比谷の本を持って、校長は個室に戻った。ドアが閉じた。
 階段まで歩いてから、玲子はそこに立ちどまった。応接室に向きなおり、日比谷に説明した。
「卒業する年の二月なかばだったと思うの。美代子とふたりでこの廊下の向こうから歩いて来たの。三年生のときの教室は、この廊下のいちばん端にあったのよ。この応接室の前で、階段に向けて曲がるとき、あの絵は私なのよ、と美代子は言ったの。絵を指さして。しばらく立ちどまって。ガラス越しに見たわ。モデルになってくれないかと頼まれて承知し、一時間ほど椅子いすにすわっているのを、二週間のうちに四回繰り返したと美代子は言ってました」
「いい絵だよ」
「校長先生も、そうおっしゃってましたね」
「もらっておいたほうがいいと思う」
「私も」
「美代子さんの両親は、この絵のことを知らないのだろうか」
 階段を下りながら日比谷は言った。
「知らないか、あるいは、当時聞かされたとしても、とっくに忘れてるでしょう。私もずっと忘れていたから。それに、少なくとも私からは、この絵のことをご両親にしゃべってはいません」
 階段を下りて、玲子は受付に寄った。
「十二年前にこちらに美術の講師で見えていた矢沢千秋先生が、いまどちらにいらっしゃるか連絡先はおわかりでしょうか」
 彼女はさきほどの女性にそう言った。調べて連絡する、と受付の女性は答えた。問い合わせにはすべて書面で答えることになっていると彼女は言った。玲子は日比谷に名刺を出させた。
「矢沢さんという美術の講師の居どころがわかれば、会って話を聞くことが出来るでしょう」
 うなずき、日比谷は受付の女性に名刺を渡した。
 ふたりは玄関ホールから外へ出た。花壇のなかを正面へ向かった。
「絵の写真をください」
 日比谷が言った。
「送るわ」
「矢沢講師は美代子さんの魅力に目をとめたのだろうか」
「絵に描いたほどですものね。それに、いやしくも美術の講師なのだし」
「当時のほかの先生たちにも、話を聞いてみるべきだろうか。十二年前に卒業した、ひとりの女子生徒について」
「この出来事について本格的に取材するとなると、取材相手の重要度にしたがって、端から順につぶしていかなくては」
 彼女の言うとおりだった。
 ふたりは正門を出た。振り返った玲子は、
「十二年前には、私はここで高校生だったのよ。それがいまでは、三十歳」
 と言った。
「僕は高校を出て二十年近くなる」
「美代子のご両親には、お会いになったの?」
「まだです。手紙は出しました。明日にも、会社へ電話をしてみます。お父さんが勤めている新聞社。取材は断られるかもしれない。許可してもらえないかもしれない」
「そうなった場合、取材はどうなさるの?」
「そのとき考えます。断られるにしても、一度ぐらいは会うことが出来ると思う。いま見て来たあの絵について、いつ語ればいいだろう。初対面のときの話題に、ふさわしいだろうか」
「私の推測としては、さっきも言ったとおり、ご両親はあの絵についてご存じないと思うの。モデルになったことを美代子が喋っていれば、しばらくは覚えていたとしても、いまはもう忘れてるでしょう。私も忘れてました」
 玲子の歩幅と喋るテンポが、きれいに一致しているのを日比谷は感じた。
「先輩の写真家が、一年前に母校で講演したのよ。卒業生講演会というシリーズがあって、ずっと続いてるのですって。後輩の私が秘書役でついて来て、いまの応接室にとおされる直前、ガラス越しにあの絵を見て、十年ぶりくらいで思い出したの。久しぶりに美代子に再会したみたいで、うれしかったわ」
 京王けいおう線の駅まで歩き、踏切を渡ってふたりは切符売り場の前に立ちどまった。
「これからどうしますか」
 と、日比谷はいた。
「日比谷さんは?」
「僕は明大前めいだいまえで乗り換えて下北沢までいき、そこでまた乗り換えて仕事場へ帰ります」
「私も帰ります」
「ベーカリーの二階でもう一度コーヒーを」
 日比谷の提案に玲子は賛成した。彼が切符を買い、ふたりは改札を入った。プラットフォームを西側の端に向けて歩いた。ずっと以前から知り合いで、いまはたがいに快適な関係に到着している者どうしの感触を、日比谷はならんで歩く中野玲子に対して覚えていた。
「写真を撮らせて」
 西日を受けとめている顔を日比谷に向けて、玲子が言った。
「僕の?」
「ええ」
「どうぞ」
 プラットフォームの端の西陽のなかで、玲子は何ショットか日比谷昭彦を写真に撮った。
「ポートレートがご入り用の節は、私にご用命を」
 ほどなく電車が来た。ふたりはそれに乗った。明大前で、そして下北沢で、乗り換えた。ウイーク・デーの午後、まだ夕方とは言えない時間、ふたりは待ち合わせをしたのとおなじベーカリーの、二階の店に入った。もっとも奥まった場所にある、片側が壁になったふたり用の席で、彼らは差し向かいとなった。ふたりともエスプレッソを注文した。
「中野さんは、気分に波はあるのですか」
 と、日比谷は聞いた。
「ありません」
「なぜ気分に波がないのですか」
「もっとも自分らしいところで、気持ちの振幅を一定に保つという方針なのよ。無理してそうしてるのではなく、そうするのが自分だから。自分が自分であるかぎり、結果としてそうなるのね。子供の頃から」
「今日の気分は?」
「いいわよ」
「僕がこれからなにかつまらないことを言っても、怒ったりしないでください」
 日比谷のその言葉に、玲子は首を振った。
「怒ったりしないわ」
 丁寧な口調から親しい口調へと、彼女の喋りかたは少しずつ変化していた。丁寧な言葉遣いのときには、好ましい女性らしさで彼女のぜんたいがくるみ込まれる。親しい口調だと、彼女の本質がすっきりと前面に出て来る。彼女の本質は、即決即断を旨とした小気味よい切れ味だった。
「誰でも気づくはずのことに、僕も気づいたのです。ですからそのことを、僕は中野さんに言ってみたいのです」
 そこで彼は言葉を切った。
「おっしゃって」
 という玲子のひと言が、鋭いジャブのように返って来た。
「行方不明になった夜、後藤美代子さんは仕事のあと中野さんと落ち合ってあのレストランへいき、夕食をともにしていっしょに帰り、おなじ電車であの駅まで来て、美代子さんはそこで降りたということです。レストランを出るところまでは別にして、そこから以後の時間に関しては、中野さん以外に証言者はいないのです。中野さんは、どんなふうにでも、言えるのです。どこをどう変えようと自由ですし、言いたくないことは言わずにおくことも自在です。ひとりは電車を降り、ひとりはそのまま乗っていく。窓ごしに手を振り合ってそれっきり。という話が、そもそも本当なのかどうか」
「そのことには、私も気づいています」
 玲子がそう言ったところで、ふたりのテーブルにエスプレッソが届いた。ウエイターが去ってから彼女は次のように続けた。
「週刊誌の福山さんの言葉の裏にも、私を疑っている様子を感じました。美代子が会社の仕事を終えたあと、落ち合ってラ・シャンブル・ノワールへいき、夕食をしていっしょに帰ってあの駅で別れるところまで、現実は私の語ったとおりに進行したのです。レストランを出てからあの駅まで、一時間あるかないかです。そのあいだ、美代子といっしょにいたのが私だけということは、以前にもよくあったことで不自然でもなんでもないのです。私は現実にあったとおりに語っています。作り話の部分はありませんし、言わずにいる部分もないのです」
 玲子の言葉を受けとめながら、日比谷はエスプレッソを飲んだ。しゃべり終えて、玲子も小さなカップに指先を触れた。
「これが二流以下のミステリー小説なら、中野さんがなにか決定的なことを知っていながら言わずにいたということが、最後の謎解なぞときの段階で判明したりするのです」
「これは二流以下の推理小説ではなくて、事実なのよ」
「美代子さんの両親から取材してもいいという許可が出たなら、たとえばラ・シャンブル・ノワールへいって店主から話を聞きたいのです。そのとき僕につきあってくれますか」
「喜んで」
「ほかにどんなところへ、つきあってもらえますか」
「美代子に関して?」
「ええ」
「私の部屋へ来てください。午後いっぱい、時間を取って。高校生のときの写真や、三年生のときの演劇部の公演のヴィデオを見てください」
「両親の許可が出たら、僕は取材を開始します。段落ごとに報告しますから、聞いてくれますか」
「聞かせて」
 中野玲子がエスプレッソを飲む様子を日比谷は観察した。観察する彼の視線と、その視線のなかでエスプレッソを飲むという彼女の小さな行為は、ある瞬間、きれいに均衡を保った。その均衡に載せて、彼が言った。
「意志の強い人、弱い人、という言いかたがありますよね」
 玲子は顔を上げた。
「後藤美代子さんは、中野さんからいただいた写真から判断すると、たいへん意志の強い人です。中野さんが語ってくれたことから判断しても、彼女は意志の強い人だという言いかたは成立します」
「美代子は意志の弱い人ではありません」
「つまらない事件に巻き込まれた結果の、つまり力ずくで連れ去られて殺されたというような被害者としての行方不明に、美代子さんの総合的な強さは調和しないと僕は思います。行方不明のまま、なんの手がかりもなしに五年が経過しているという現状は、美代子さんの強い意志の結果ではないのか、と僕は思い始めてもいます。中野さんの意見を聞かせてください」
 心の底から困惑した人の表情を浮かべて無言のまま、彼女はドゥミタスを受け皿に戻した。両手の指を組み合わせ、ゆっくりと太腿ふとももに降ろした。視線をテーブルに伏せ、彼女は考え込んだ。頭の中をさまざまに手さぐりして結論はつかめないまま、自信のなさを初めてあらわにして、中野玲子は次のように答えた。
「それは解釈ですよ。ノンフィクション・ライターの日比谷さんが、そう解釈なさったのよ」
 視線を伏せたまま彼女はそう言った。相手の顔を見ることなく、こんなふうにあやふやに答える玲子を日比谷は初めて見た。いま自分が言ったのとほぼおなじことを玲子も思っていながら、彼女はそれを言葉には出来ずにいる状態なのだと、日比谷は見当をつけた。
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第六章 父親の見識



 後藤幸吉への手紙を彼の自宅あてに、日比谷昭彦は一週間前に投函とうかんした。簡単に自己紹介した上で、五年前に週刊誌に掲載された二ページの記事を引っ越しをきっかけにして五年ぶりに読み返し、ノンフィクションの書き手として後藤美代子の失踪しっそうに興味を持っていることを、日比谷は手短に述べた。
 一冊の本にまとまるかどうかはまったく未知数だが、取材だけはしてみたいのでその許可をいただけるかどうか、近いうちにお目にかかった上でお話をお伺いしたい、と日比谷は書いた。この手紙をお読みいただけた頃こちらから電話をします、と彼はかたどおりに結んだ。
 その手紙を投函してから今日がちょうど一週間めだった。後藤幸吉が勤務している新聞社のすぐ近くに、午後二時過ぎのいま、日比谷昭彦は仕事に来ていた。その仕事はすでに終わった。歩道をいくと電話ブースがあった。日比谷は後藤幸吉の勤務する新聞社に電話をかけた。大代表にかけると交換手が出た。
「五年前に文化事業部にいらした後藤幸吉さんは、いまでもそちらでしょうか」
 という日比谷の質問に、交換台の女性は一泊の間も置くことなく、次のように答えた。
「おなじ部署に在籍しております。おつなぎいたしましょうか」
「お願いします」
 名を聞かれた日比谷は、ノンフィクション・ライターの日比谷、と答えた。電話はすぐにつながった。中年の男性の声が、
「はい、後藤です」
 と言った。
「先日、ご自宅に手紙を差し上げました、日比谷昭彦と言います」
「日比谷さん。お手紙は読みました」
「仕事の場所へ電話をしまして、申し訳ありません」
「ご遠慮なく」
「他の用でたまたますぐ近くまで来ていまして、お会いできるかもしれないと思い、電話をしてみました」
「会いましょう。いらっしゃる場所は、どこですか」
 日比谷は場所を後藤に伝えた。
「それはほんとにすぐ近くだ。そのままそちら側を交差点に向けて歩いていただいて、陸橋を渡ると目の前にある建物です」
「うかがってよろしいでしょうか」
「お目にかかりましょう。受付で私の名を言ってください。とおしておきます」
 電話はそこで終わった。ブースを出て日比谷は交差点へ歩き、陸橋を渡った。
 建物の正面の入り口からホールに入った。がらんとしたスペースのなぜか中央に、仮に設置したもののように受付のカウンターがあった。制服の警備員が三人、あちこちに立っていた。受付の女性に名を告げ、面会記録という小さな紙に名前と住所を書き、胸にクリップで止めるプラスティックの札をもらった。
「エレヴェーターを七階でお降りくださいませ。後藤がお待ち申し上げております」
 背後のエレヴェーターの列を片手で示しながら、受付の女性は抑揚をつけてそう言った。この新聞社へ日比谷は仕事で何度来たかわからない。エレヴェーターを七階で降りろという指示は、常におなじだった。一般的な来訪者のための応接室が七階にあるからだろう、と日比谷は思っていた。エレヴェーターに乗り、彼は七階で降りた。中年の男性がひとり、エレヴェーター・ホールに立っていた。エレヴェーターを出た日比谷に歩み寄り、
「後藤です」
 と、その男性は言った。
 ふたりは挨拶あいさつを交わした。後藤は日比谷を廊下の奥へ導き、いくつもならんでいる応接室のひとつへ自分から先に入った。小さな応接室だった。丸いテーブルをあいだにはさみ、ふたりは椅子いすをうしろにして立った。後藤が名刺を出し、日比谷は自分の名刺と交換にそれを受け取った。後藤の肩書は五年前とおなじ副部長だった。ふたりは椅子にすわった。
「絵の展覧会の主催とか後援とか、そういうことをやる部署です。いくつかのセクションに分かれていて、セクションごとに横ならびに何人も、副部長というのがいるんです」
 気どりも構えもない口調で、後藤はそう言った。
「私の来意は先日の手紙に書いたとおりです」
 と、日比谷は事務的に言ってみた。後藤はうなずいた。
「取材の許可はいただけますか」
 意図してもっとも端的に、日比谷はそう言った。返って来たのは、
「いいですよ」
 という言葉だった。そしてその言葉に、
「許可には協力も含まれますね」
 と、後藤幸吉はつけ加えた。
「そう願えれば」
「いいですよ。協力します」
 態度、つまりものの考えかたのはっきりした男だ、と日比谷はひとまず判断した。
「五年前のあの週刊誌の記事を取材して書いた福山という人に、私は先日会いました。後藤さんには会うなり怒鳴りつけられた、と彼は言ってました」
 後藤は深くうなずいた。中年男性の正直な苦笑を浮かべ、
「充分に後悔しています」
 と、彼は言った。
「なにしろあのときは時期が悪かった。いなくなって三か月後で、いっさいなんの手がかりもないときてるから、あらゆることに腹が立ちましてね。週刊誌がなにしに来るのか、という態度で待ちかまえていて、確かに私は怒鳴りました」
「なにひとつ取材出来なかった、と福山は言っていました」
「そのとおりです」
「私には、なぜ許可していただけるのですか」
 日比谷昭彦の言葉に、後藤幸吉は視線をテーブルの縁に伏せた。そしてさらにフロアへ視線を落とし、そのままの姿勢で、
「五年という歳月ですよ」
 と、やや重く言った。五年という時間に歳月という言葉を合わせるから口調は重くなる、と思いながら日比谷は後藤のその言葉を受けとめた。後藤は顔を上げて日比谷を見た。そして次のように言った。
「結論から言いますとね、私たちはもはやすべてあきらめてるわけです」
「はあ」
「娘に関しては、いまだになんの手がかりもないのです。かき消えて、それっきりです。初めのうちはとにかく心配でね。どこでどうしてるのかと思うと、眠れませんでした。その時期が終わると、今度は腹が立ってきまして。誰かに力ずくで連れ去られたのなら、なんというドジな娘なのか、という腹立ちです。もし自分の意志で消えたのなら、そのことについてひと言くらいあってもいいだろう、という腹立ちがその次に来ました」
「わかります」
「いったいこれはなになのだ、といういちばん漠然とした、その意味ではもっとも範囲の広い怒りがその次に来て、そのあとはもうなにもないのです。あれから五年ですからね。消えた娘は、当時は二十五歳でいまは三十歳です。いま言ったとおり何段階か腹を立てまして、そのあと諦めました。現在は冷静です」
「自分の意志で消えたのなら、とおっしゃいましたが、その方向でなにか思い当たることはおありなのですか」
 日比谷の質問に後藤は首を振った。
「二流や三流の推理小説ではないんだから、力づくで拉致らちされて殺され、どこかに埋められていまは白骨というのだけは、なしです。僕の願望としても、それだけはなしです。それは考えないことにしてます。思い当たることはなにもありません。いっさいなしの、完全なゼロです。生まれてからずっといっしょに暮らして来た親として、それまで続いて来た自分の生活から、あるときを境にして完全に消えなくてはならない理由や動機の心当たりは、皆無です」
「そうですか」
「これも、五年後にたどりついた結論のひとつです。さっきも言ったとおり、拉致されていまや寂しい白骨というのをなしにすると、残された可能性は、自分の意志や判断で消えたということだけでしょう。しかし、その方向にも手がかりはないのです。ないとは言っても、私たちが知らないだけであるのなら、それはそれでいい、好きなようにしなさい、という結論に私は到達しています」
「取材者としては気が楽です」
 と、日比谷は言ってみた。後藤幸吉は小さく笑った。
「日比谷さんが取材なさるということは、最終的には一冊の本にまとまるということですか」
「まだそこまでは考えていません。可能なかぎり取材をしてみたい、という段階です」
「どうぞ、やってみてください。なにか発見があるかもしれないし」
「期待はなさらないでください」
「なにも期待しないというのは無理ですが、日比谷さんを頼って当てにする、というようなことはありません」
「私は専門の調査機関ではなく、個人の取材者ですから」
「だからこそ面白いかもしれない」
 と、後藤は言った。
「行方不明になられた夜、おなじ電車でいっしょに帰った中野玲子さんには、二度お会いしました」
 日比谷のその言葉に、
「私はもうずいぶん会っていませんよ。怜悧れいりな娘さんです」
 と、後藤は言った。そして視線をテーブルに伏せ、
「私は彼女を泣かせてしまった」
 と、つけ加えた。
「もっとなにか知ってるだろう、なにか隠してるのではないか、という意味の言葉で語気強く詰問しましたから。あのときは、そうする以外にどうにも救いのない心理状態だったもので」
「彼女は泣きましたか」
「私はなにも知りません、隠してもいません、と言って両手で顔を覆って泣きました。さすがに私はあとで謝罪の手紙を出しておきましたけれど」
「美代子さんはたいへんな美人だったそうですね」
 父親である後藤幸吉とのここまでの会話のなかに、美代子という名が彼の口からは一度も出ていないことに日比谷は気づいていた。
「親の目から見れば、普通の娘ですよ」
 おだやかな口調で、後藤はそう答えた。
「中野玲子さんから聞いたことですが、高校三年のとき、美代子さんは絵のモデルを務め、その絵がいまも高校の校長室の壁に掛けてあるのを、ご存じですか。絵を描いたのは、当時の美術の講師でした」
 後藤はしばらく考えた。そして、
「そうでしたか。初めて聞きました」
 と答えた。
「中野さんも長いあいだ忘れていたのです」
 彼女とふたりでその絵を見にいったことについて、日比谷は簡単に説明した。
「この絵について、美代子さんからお聞になったことはありませんか」
「聞いてません。私の記憶のかぎりでは、初めて聞くことです」
「絵のモデルになった話を、当人から夕食の席で聞くというようなことは、ありませんでしたか」
「ないですね。初めて聞きます。妻も知らないはずですよ」
「その絵を、ご覧になりたいですか」
 日比谷の質問を受けとめて、後藤はしばらく思案した。思案の結果、後藤は、
「そのままにしておきましょう」
 と言った。
「ご両親から希望があれば、その絵は進呈してもいい、と校長は言っていました」
「そのままにしておきましょう」
 と繰り返したあと、後藤は次のとおり説明した。
「その絵をもらい受けると、娘は絵になって帰って来てそれでおしまい、という気持ちになるでしょう。高校へ見にいっても、家路につくときにはおなじ気持ちになるのではないか、と懸念します。いまさら落ち穂拾いをしても、どうなるものでもないですよ」
「わかりました」
「日比谷さんはこれから何度も中野さんに会うでしょうから、無理なくチャンスが作れるときがあったら、私も中野さんに会わせてください。謝りたいですから」
「近いうちに」
「無理はしないでください」
 この数日というもの日比谷が考え続け、もう結論を出さなければならない問題がひとつあった。後藤美代子の行方不明をこれから取材していくにあたって、女性のアシスタントをひとりつけたい、という問題だ。
 彼女が分担してくれる部分に関して、日比谷が個人的に正当な額の報酬を支払う。誰がいいか、つまりふたりのうちどちらがいいか、日比谷は迷っていた。詩人、作家、そしてDJでもある、かつてはアナウンサーだった高村恵子。行方不明の後藤美代子とおなじ三十歳だ。アシスタントは一種の探偵役であり、そのための鋭さは恵子には充分すぎるほどにある。
 そして中野玲子もなかなかいい。高校生のときから美代子を親しく知っている、という土台を彼女は持っている。直感力にも分析力にも、玲子がすぐれたものを持っていることを、日比谷はこれも充分すぎるほどに感じていた。美代子を知っているということが、どこまでプラスに作用するか。恵子は美代子をまったく知らない。知らないことから生まれて来るプラスが、どこまであるか。後藤夫妻の気持ちも考慮しなくてはいけない。高村恵子にしよう、と日比谷は最終的な結論を下した。
「取材は私ひとりではなく、女性のアシスタントがひとりつきます」
 日比谷は後藤にそう言った。
「なるほど」
 後藤は答えた。
 高村恵子について日比谷は簡単に説明した。
「私としては、なんの異存もありません」
 と後藤は言い、腕時計を見た。
「一度、私の自宅へ来てください。ゆっくり話をしましょう」
「高村恵子をともなって、お邪魔します」
「私の都合としては、週末がいいかな。早ければ今週の週末」
「うかがってよろしければ」
「来てください。妻には話しておきます。今度の土曜日。どうですか」
「うかがいます」
「午後の二時、三時という時間に」
「三時に訪ねます」
「日比谷さんと、そのアシスタントのかたと」
「そうです」
「お待ちしてますよ」
 そういって一拍の間を取った後藤は、
「取材は気を遣うことなく、存分になさってください」
 と言った。
「私も妻も、すでにあきらめていますから。娘はいなくなったまま、これからもずっとこうなのだ、と結論してます」
「いまはご夫妻おふたりの生活ですか」
「そうです。息子も大学を出て就職しまして。外国への出張ばかりで。しかも別のところに住んでいます」
「私の新しい仕事場は、小田急線の次の駅で降りてすぐなのです」
「いただいた名刺の住所だとそうだな、と思いました」
「何度もお訪ねすることになるかもしれません」
「遠慮なく。娘の部屋はそのままにしてありますから。クロゼットも本棚も、なにもかも。その部屋を中心に、娘のものはすべて二階にまとまってます。五年前のままにしてあって、手をつけてありません」
 女性のアシスタントが役に立つのは、その部屋の観察に関してだ。高村恵子は後藤美代子の部屋に何度も通う。二、三日は泊まる必要があるかもしれない。高村恵子がなにをどう観察するか。後藤美代子の取材に関して、最初の本格的な期待が高まるのを日比谷は自覚した。
「あなたのようなかたに興味を持っていただいて、光栄ですよ」
 五十代後半の後藤幸吉は、少なくとも二十歳は年下の日比谷に、そう言った。屈折したものを感じさせない口調だった。日比谷は笑顔でそれにこたえた。そしてそれをタイミングとして、日比谷は椅子いすを立った。後藤も立ち上がり、席にドアへ歩いてそれを開いた。応接室を出て廊下を歩き、エレヴェーター・ホールへいき、ふたりはエレヴェーターを待った。エレヴェーターのなかに入ってから、
「それをお預かりしましょう」
 と、日比谷が胸につけているプラスティックの札を、後藤は示した。札をはずして日比谷は後藤に手渡した。一階ロビーの受付のカウンターまで、後藤は日比谷を送った。
 いまの自分の体はコーヒーを求めている。歩きながら日比谷はそう思った。この界隈を彼は詳しくは知らない。いいコーヒーを出してくれる店はきっとあるはずだが、どこにあるのか彼にはわからなかった。彼は腕時計を見た。午後四時にはラ・シャンブル・ノワールというレストランへいく予定だ。店は五時から開店だ。その前、小一時間ほどなら、店で話をするための時間を取ることは出来る、とあの魅力的な女性の店主は言った。コーヒーはそれまで待ちたまえ。日比谷は自分で自分にそう言った。
 彼は銀座へ出た。適当に寄り道して時間をやり過ごし、午後四時ちょうどに、彼はラ・シャンブル・ノワールへの階段を上がった。店主が彼を迎えた。日比谷が店へ来るのはこれで二度めだが、昔からのなじみのように接する能力が、彼女には無理なくそなわっていた。下ごしらえの作業から発生する、食欲を刺激してやまないにおいが、店の内部に漂っていた。
 カウンターの端にすわった日比谷は、
「エスプレッソをねだっていいですか」
 と、店主に言った。
 彼女はカウンターのなかに入り、きわめて迅速にエスプレッソを作った。それを持って来て彼の手もとに置き、彼と斜めに向き合うかたちでストゥールにすわった。生地のたっぷりある長いスカートの下で、彼女は脚を組んだ。
 かつてこの店の常連だった後藤美代子という女性が、五年前に行方不明になった。現在もそのままであり、彼女に関して自分はノンフィクション・ライターとして取材を始めていることを、今日のこのアポイントメントのための電話で、日比谷は彼女にすでに説明してあった。
「後藤美代子さんについてです」
 一杯のエスプレッソを味方につけて、日比谷昭彦は店主に言った。
「彼女について少しでも語っていただけることがあれば、ぜひ聞かせてください」
 日比谷の言葉、そしてその言葉を発した日比谷自身を正面から受けとめて、彼女は天井を仰いだ。天井の一角をしばらく見つめていた。そして顔を降ろし、視線を日比谷に向けた。
「うちのような店にとっては、理想的なお客さんのひとりと言っていいわね」
 と、店主は答えた。
「若い女性の、上等な部類の人たちが常連でついてくださると、たいへんいいの。そのような客として、まるで絵に描いたようなかた」
 エスプレッソを飲みながら、日比谷は彼女の説明を受けとめた。相槌あいづちを打ったり先を促したりする手間の必要な女性ではないことは、最初に会ったときすでに日比谷にはわかった。
「ちゃんと仕事をしていて、もの静かで、頭が良さそうで。会話が好きで服の好みが良くて、あれだけきれいな人。店が華やぐんですよ。あまりにも普通すぎるOLがいる場合とをくらべると、店の印象が大きく違って来るの。視野のなかに入るたびに、私としてはうれしくてしかも安心なのよ」
 そこまでしゃべって、彼女は日比谷の反応を待った。
「特に気づいたり記憶なさっていることは、ありますか」
 日比谷の質問に店主は首をかしげた。
「どんなことかしら」
「たとえばですが。まったくの仮定として、ここで夕食を食べているあいだに、いつもかならず席を立って電話をかけたとか」
 店主は考えた。そして、
「ミステリーね。なぞね」
 と言った。
「彼女に謎はありましたか」
「ないわ」
 と、店主は即答した。即答に次のような言葉が続いた。
「裏にある謎、というものは感じなかったわ。そもそも、裏があるのかどうか。ないとは断言出来ないでしょうけれども、隠しごとや内緒の話がある人とは思えないの。ストレートな人。彼女には裏表なし、と私は感じてました」
「不思議なこと、奇妙なこと、なぜ? と思うようなことは、ありませんでしたか」
「いちばん最初にいらしたとき、三人だったのよ。はっきり覚えてるの。なぜかと言うと、それ以後は中野さんとふたりだけだったから。いつも中野さんとふたり。先日の中野さん。これは断言出来るわ」
「最初のときの三人のうち、後藤さん以外は常連ですか」
「同じ会社のかた。四十代の男性に、三十代の女性。おふたりとも、いまでも見えていただいてます。それ以後は、中野さんとふたり」
「食べかたは、どうでしたか」
「楽しんで食べてもらえたと思ってます」
「残す人でしたか。たとえば、サラダはつつきまわしただけでろくに食べないとか」
 店主は首を振った。
「残すような人ではないのよ。自己管理がきちんとしてるから、体はいつも健康で、食べるとなったらかなりいけるのね。今日は食べられないとか、私これは駄目、というようなことはいっさいなかったわね」
 いろんな意味で強い女性であるはずの店主と話をしていて、彼女の強さが自分に向けて発散されて来るのを、日比谷は感じていた。その強さに対して、彼は自分を完全に受け身の位置に置いた。水が高きから低きへと流れるのとおなじに、能動の人の力は受動の人に向けて自動的に発揮される。つまり、そうしておいたほうが自由に喋ってもらえる。
「でも。料理は出来ない人」
「そうですか」
「きっと。私の直感。けなしたりけちをつけたりするのではなく、後藤さんはカレーライスも作れないのでは、と私は思ってます」
「根拠は?」
「うちの料理が魅力的であることにかけては、私は絶大な自信があるの。その自信を支えてくれるものとして、作りかたをお聞きになるお客さんが多いの。後藤さんは一度も聞かなかったわね。中野さんは料理が好きで、相当な腕なのよ。中野さんは作りかたをよく聞いたけれど、後藤さんは一度もなし」
「それは発見です」
「だからと言って、嫌な感じとか、つまらない人、駄目な女、というような印象を持ったことは、絶対にないのよ。そのような印象を私がもし持ったなら、中野さんも抱いたはず。もし中野さんが後藤さんに関して、なんらかの否定的な印象を持っていたとするなら、あんなに何度もふたりだけでここへ来ることはあり得ないと思うのよ。それに中野さんとは、いつも話が弾んでいたし」
「そうですか」
「小さな店だから、客の全員がほとんどいつも、私の視野のなかにあるのよ。ふと彼女たちに目をとめると、いつ見ても楽しそうに、しかも熱心に、なにか語り合ってるの。あのふたりは、おたがいによほど相性がいいのね。黙って向き合ってるのを見たことがないから」
「まとめさせてください。後藤美代子さんは、頭のいい人。静かな人。きれいな人。内も外もきっちりとまとまった人。健康な人。食べ物を残さない人。中野玲子さんと相性のいい人。料理の出来ない人」
「あるいは、しない人」
 と、店主は言い、
「興味がないのよ」
 と補足した。
「ほかのなにごとかに関して、特別の興味を持ってる人でしたか。店の主と常連客との関係のなかで、店の人が客の意外なことを知ってたりすることはありませんか。店の人だからこそ、思いがけなくわかること」
「なにもないわね」
「中野玲子さんとは、なにについてそんなに熱心に語り合っていたのですか」
「わからないわ」
「会話の断片が、ふと耳に入ったりしませんでしたか」
「そのときは確かに耳へ届いても、内容がなにだったかはすぐに忘れてしまうような話ね」
「後藤美代子さんはどんな女性だったと思いますか」
 日比谷の質問に、店主はしばらく考えた。そして次のように言った。
「いつも中野さんといっしょだったから、そのことの延長として中野さんと比較してみましょうか。中野さんは、いい女なのよ。私は個人的なつきあいはないけれど、つきあえばつきあうほど、中野さんはきっといい女なのね。後藤さんは、外見は文句なし。素晴らしいの。ただし、中野さんをいい女と言うのとおなじ意味で、後藤さんをいい女と呼ぶことは、私には出来ないの。それだけの材料がないから」
「中野さんのようには、いい女ではないかもしれない。たとえば料理に興味がないから、ということですか」
「自分の世界がはっきりあって、それだけですでにとっくに完結してる人なのよ」
「では、その世界とは?」
 店主は首を振った。
「わからないわ。知りません。でも、懐かしいわ。彼女の姿を、また見たいわね」
 ひとまずそれが結論だろう、と日比谷は思った。この店で今日は少し早めに、午後六時、高村恵子と落ち合って夕食、という約束が日比谷にはあった。四時にここへ来て店主から話を聞き、そのまま六時まで店にいて恵子を待つ、という予定だ。その予定のとおりに進行しつつあった。
「六時に連れが来ます。僕たちの席はどこですか」
 奥の窓辺の席を店主は示した。
「いまからそこにいていいですか」
「どうぞ」
 ふたりは立ち上がった。
「僕も常連になりますから、後藤さんのことでなにか思い出すことがあれば、教えてください」
 うなずく彼女を厨房ちゅうぼうから料理人がフランス語で呼んだ。彼女はカウンターのなかへ入り、厨房へ姿を消した。日比谷は席へ歩き椅子いすにすわった。後藤美代子専用のファイロファクスをテーブルに置いてそれに片手を載せ、彼は窓の外を見た。
 店主は二杯めのエスプレッソを持って来てくれた。それを飲みながら、店主から聞いたばかりのことを、日比谷はファイロファクスの新しいページに整理した。アシスタントの高村恵子がまず取材すべき領域が、少なくともその一部分は、すでに日比谷には見えていた。それについて箇条書きに書き込んだ。中野玲子に聞くべきこともかなりあった。それについても日比谷は書いた。
 後藤美代子の全体像について書き込んだページもあった。箇条書きにした末尾には発言者の名が括弧かっこに入れて添えてあった。店主の発言をいくつかに分けて、日比谷はそこに書き加えた。やがて六時になった。高村恵子が店にあらわれた、差し向かいにすわった彼女を、日比谷は店主に紹介した。店主は今日の料理について説明した。料理とワインをふたりは選んだ。店と店主を恵子が気にいっていることは、彼女の態度で日比谷には明白だ。後藤美代子について取材していくためのアシスタントを引き受けてもらえないか、と日比谷は恵子に頼んだ。
「私で役に立ちそうなら」
 というのが、恵子の返答だった。
「きみは後藤美代子とおなじ年齢だ」
「それは大事なことなの?」
「いまはなんとも言えない」
「あなたのアシスタントは、以前からしてみたかったのよ。この件のアシスタントだと、一種の探偵ごっこになるのかしら」
「シャーロック・ホームズとワトソン博士」
「そうね」
「きみがホームズになることだって、あり得なくはない」
「面白そう」
「取材に割いた時間は、メモしておいてほしい。その時間になにをして、どのような収穫があったかも」
「私はあなたにレポートを提出するの?」
「時間単位で正当な報酬を支払う」
 日比谷の言葉に、恵子は楽しそうに笑った。
「それは必要ないわよ。でも、報告はきちんとします。性格がそうなってるから、その点は心配しないで。ここで定期的に報告しますから、伝票を払ってくれればそれでいいことにしておきましょう。温泉でねぎらっていただいてもいいのよ」
「週刊誌のコピーは読んでくれたかい」
「ええ。この件に関していまの私が持っている知識は、あの記事を出てません」
「僕はすでに取材を開始している。ここにすべて書いてある。コピーはあとで送るし、今日のこの夕食の席で、すべて説明する」
 ファイロファクスを示して日比谷はそう言った。
「今日の午後、後藤美代子の父親に会って来たよ。取材を許可してくれた。協力も惜しまない、とも言ってもらえた」
「よかったわね」
 後藤幸吉が自分に語ったことを、日比谷は恵子に説明した。聞き終えた彼女は、
「いまはすべてあきらめているという結論は、父親としての見識でしょうね」
 と言った。
「今週の土曜日、午後三時、自宅を訪ねてさらに話を聞く。つきあってほしい」
「つきあいます」
「後藤美代子の部屋が、そのままになっているそうだ」
「私にとっての、最初の取材対象ですね」
「それと、お母さん。後藤百合子ゆりこ。五十歳」
「私という探偵は、なにを捜せばいいのですか」
 恵子の質問を受けとめ、彼女を正面に見ながら、日比谷は次のように答えた。
「特にここを、という部分はまだない。ぜんたい。いまはそこにいないひとりの女性について、さまざまな断片やいろんな側面を、可能なかぎり集めてみる。わかりやすくたとえるなら、ジグソー・パズルだね。隅っこのほうがまとまって来るかもしれないし、まんなかあたりがいくつか組み合わされるかもしれない。それに、相手はひとりの人という三次元だから。ジグソー・パズルのような二次元ではない。いまは目の前にいないひとりの人が、いろんなふうに浮かび上がって来るはずだ。部分的にせよ、ある程度までは浮かんで来ると思う。どんなものがそこに見えるか」
 自分の説明を聞いている高村恵子の、少なくとも外見的にはすきなどまったくない様子に期待をかけている自分を、日比谷は自覚した。
「五年前に行方不明になってそのままという空白がありますね。その空白のなかに私が自分を置いてみるという方法は、有効だと思うわ」
 高村恵子の感覚や才能を力として感じつつ、日比谷はうなずいた。ひととおり説明したらあとはすべてまかせておいて安心という、そのような安心感を彼女の力は日比谷に感じさせた。
「その空白が具体的なかたちとなっている場所は、自宅の部屋だろうね」
「私もそう思います。彼女の痕跡こんせきがもっとも多く残っているはずの場所ですから。痕跡だけがあって、主はいないのですから。そこには空白だけがあると言っていいわね」
[#改丁]


第七章 二階の部屋



 仕事場の準備室でテーブルに向かって椅子にすわり、日比谷昭彦は反省していた。福山俊樹からもらって来た取材ノートとコピーと、後藤美代子専用のファイロファクスが、彼の目の前に広げてあった。取材ノートのコピーは、福山がラ・シャンブル・ノワールを取材した部分が開いてあった。「ラ」を「ル」と間違えた上で、ル・シャンブル・ノワールと店名をフランス語で書いた福山は、「当日は店主不在」と、いちばん最初に記入していた。この記入を自分は何度も見たはずだ、と日比谷は思った。
 何度も見て頭のなかに刻みつけたつもりだ。ファイロファクスには中野玲子にくべきことを列挙したページがある。後藤美代子と中野玲子が最後にふたりでその店へいった日、つまり後藤美代子が行方不明になった日には、ラ・シャンブル・ノワールの店主は不在だったことをめぐって、玲子に質問すべきことをいくつか、日比谷は専用のページに書いておいた。
 ラ・シャンブル・ノワールの店主に最初の取材をしたとき、問題の日に彼女が店にいなかったことについて訊くのを、日比谷は完全に忘れた。魅力的な女性に会うと、本来の目的や用件を、第二義的な位置へ置いてしまう癖が日比谷にはある。本人はそのことをよく自覚している。今回もおそらくその癖が出た、と彼はいま反省していた。
 店主から自分が聞いたのは、彼女が記憶している後藤美代子一般についてであり、中野玲子と夕食をともにした、行方不明になった当日の美代子についてではなかった。その日の店主は店にいなかったのだから、その日の美代子については聞きたくてもなにも聞けないのだが、取材の主題のひとつとして忘れてはいけないことだった。
 後藤美代子を材料にして最終的に一冊の本を書く計画は、まだ日比谷にはなかった。本にするあてがないと、取材にとって大事なことを自分は忘れるのか。これまでの日比谷昭彦は、取材活動をすべて最後には本に結実させて来た。取材の蓄積が一冊の本となることが、自分にとってはすでに習性のようになっているのではないか。今回のようにその習性からはずれたところで取材をしていると、重要なことをうかつにも落としてしまう。
 珍しく自分を戒める気持ちを高めながら、日比谷は福山俊樹の取材ノートを点検していった。「当日は店主不在」と書いた次の行に「料理人(外国人女性)が接客代行」と、福山は書いてた。中野玲子によると、ラ・シャンブル・ノワールには料理人がふたりいるという。どちらも外国人女性で、それぞれが週の後半と前半を受け持っている。本来なら休みの人も店へ出て来て、その日だけは店主代理で接客をおこなったということか。
 自分に関する反省の延長として、日比谷は中野玲子に関する整理もおこなった。五年前、行方不明になったあの日、勤務先の新聞社の仕事を終えた後藤美代子は、中野玲子と落ち合ってラ・シャンブル・ノワールへいき、ふたりで夕食を食べたのち、ともに帰宅した。おなじ電車にふたりは乗り、美代子が先にその電車を降りた。誰をも疑ってかかる方針を選択するなら、まず誰よりも先に中野玲子の言っていることを疑わなくてはならない。勤務先を出てから行方不明が確定するまで、後藤美代子について証言出来るのは中野玲子ひとりだけなのだから。
 中野玲子の証言はすべてうそかもしれない。あくまでも仮定の話だが、落ち合ってラ・シャンブル・ノワールへいき、ふたりで夕食をしていっしょにおなじ電車で帰った、という証言の全部が嘘である可能性もある。もしそうなら、ふたりであの店へいき、夕食をともにしておなじ電車で帰った、と言わなければならないなんらかの理由が存在することになる。どこか一部分が嘘であるという可能性、さらには、言わずに隠している部分がある可能性なども、当然のこととして浮かび上がって来る。
 美代子と最後の夕食をともにしたときのことについて、中野玲子は語ってくれた。その日は店主が不在だったことは、彼女の話のなかに出て来なかった。店主が不在だった事実は、彼女にとってさほど意味を持たないことなのか。店主がいないのは、よくあったことなのか。このことは店主に確認しなければならない。ファイロファクスのなかには店主のためのページもあり、さきほどそのことを日比谷はそのページに書き込んだ。
 当日の後藤美代子は、勤務先を出て中野玲子と落ち合い、あの店へいって夕食をともにし、ふたりで同じ帰路につき、美代子が先に電車を降りたという。その間の所要時間は三時間から四時間のあいだだろう。その時間に関しては玲子しか知る人はいず、玲子の証言しかない。その証言は本当なのか。あるいは、玲子が言わずにいることは、果たしてあるのかないのか。
 現在の日比谷は、中野玲子の言っていることに嘘はない、と判断していた。しかし仮定の話を立ち上げると、そこにはかなり広い謎の空間がある。そしてその謎は気になる。後藤美代子という謎がいちばん外側のもっとも大きな枠だとすると、その枠の内部には中野玲子という謎がある。
 中野玲子という謎とは、彼女だけが知っていて言わずにいること、というようなものだ。そしてその謎は、言わずにおかなければならない理由というもののみによって、発生して来る。中野玲子の言っていることに嘘はひとつもない、といういまの自分の判断どおり、謎は美代子の行方不明だけであり、それ以外には謎はどこにもないのかもしれない。謎はいたるところにあるかもしれない、という可能性がいっぽうにあり、もういっぽうには、美代子当人以外に謎はなにひとつない、という可能性が立っている。そのふたつの可能性は、やじろべえの両端だ。注意深くバランスを計らなくてはいけない、と日比谷は自分に言った。
 今日は土曜日だ。午後三時に高村恵子とふたりで、後藤幸吉の自宅を訪ねる約束だ。日比谷昭彦は椅子いすを立った。手首の時計を見た。あと二十分で恵子との待ち合わせの時間だ。彼は準備室を出た。廊下を居間へ抜けた。十畳よりひとまわり広い居間は、食事のためのスペースも兼ねていた。東側の壁の右側、つまり南へ寄った位置に、窓がひとつあった。その窓の左側は、キチンのカウンターまで壁だった。その壁には途中に段差があった。段差と窓との中間に、額に納めた油絵が立てかけてあった。
 日比谷はその絵を観察した。高校三年生のときの後藤美代子が、美術の講師のためにモデルを務めて出来た絵だ。あの高校へ出かけていき、日比谷がもらい受けて来た。そのあとで玲子に連絡を取った。仕事で今週いっぱいは留守にしている、というメッセージが彼女の留守番電話に入っていた。この絵をもらって来たこと、そして来週ないしは再来週さらいしゅう、ラ・シャンブル・ノワールで夕食をともに出来れば、と伝える葉書を彼は玲子あてに出しておいた。
 玲子とともにあの高校を訪ねてこの油絵を初めて見たとき、いい絵です、と校長は言った。日比谷もそう思った。単にいい絵なのではなく、これはたいへんいい絵なのではないか、といまの日比谷は考えをあらためていた。ひとりの若い女性の身の上に連続している日常のアクションの、ふとした途切れ目が描かれていた。途切れ目にいたるまで続いたアクションの余韻が、まだ消えていない。と同時に、途切れ目のあとにすぐまた始まるはずのアクションの予感が、若い彼女の全身にはっきりとあった。アクションのそのような豊富さは、ふとした途切れ目の静かな官能を増幅していた。
 背もたれだけのある簡素な椅子に、腰を中心にして微妙に体をひねって、絵のなかの後藤美代子はすわっていた。右肩の下から肩甲骨のぜんたいを背もたれに預け、上体はやや右に傾いていた。右のひざをかなり深く曲げ、膝から下は椅子に向けて引き込んであった。その右脚との対比でいうなら、左脚はのばしているといっていい状態だ。両手は右の太腿ふとももの上で無理なく静かに重なっていた。
 前に向けてのびていく彼女の視線が、自分の左肩をかすめる位置に画家は立っている、と日比谷は見当をつけた。その位置から画家は彼女を見て描いている。光はトップ・ライトだけだ。場所はどうやら画家のアトリエのようだ。美代子がモデルを務めた場所がどこだったか、中野玲子が知っているかどうか訊いてみなければならない。
 ひやっとした感触が、画面の内部に描かれた空間のぜんたいに、きれいにいき渡っていた。描きとめられた時間は彼女のアクションの途切れ目であり、場所は日常からふと切り離された場所だ。どう動いてもいっさいなんの苦にもならないはずの若い体の滑らかなアクションの連なりという暗示のなかに、彼女の体温があった。
 人物画としてきわめて高度な完成ぶりなのではないか、と日比谷は何度めとも知れず思った。描いた講師の腕前は相当なものだ。矢沢千秋という名のその講師に関して、あの高校からまだ文書による連絡は届いていなかった。玲子がこの絵を複写したカラー・プリントは、駅のプラットフォームで彼女が撮影した日比谷の写真とともに、すでに後藤美代子のファイルのなかに入っていた。
 絵の観察が終わった日比谷は玄関へ出た。玄関から廊下に上がってすぐ左に、彼の執筆のための部屋があった。その部屋のクロゼットからジャケットを出してはおり、玄関にすわって彼はトレッキング・シューズを履いた。そしてドアを開き外に出た。
 駅まで彼は歩いた。南口の階段を上がり、改札の前を抜け、北口の階段を下りた。下りてすぐのところに待ち合わせの場所であるフロリストがあった。花を選んでいる高村恵子の姿を彼は目にとめた。彼はしばらく彼女を観察した。
 気温の高い快晴の日の陽ざしを、店のおもていっぱいに並べてある花が受けとめていた。膝のかなり下まである丈のプレイドの、大きなプリーツのスカートにジャケットを、今日の恵子は身につけていた。プレイドのなかにあるいくつかの色から、ブルーを拾い上げて明るく増幅させたのが、ジャケットの色だった。ジャケットの下は白いTシャツだ。斜めうしろから、日比谷は彼女に接近した。彼は彼女の肩先に手を触れた。彼に顔を向けて恵子は、
「私のことを見てたでしょう」
 と言った。
「気づいてたのか」
 後藤幸吉の家へ持っていく花をふたりは選んだ。意見はまとまり、その結果としてかなり大きな花束が出来た。日比谷が支払いをし、ふたりは駅の階段を上がった。彼が二枚の切符を買い、ふたりは改札を入った。プラットフォームに下りると上りの各駅停車が停まっていた。ふたりはそれに乗った。
 次の駅でその電車を降り、彼らは改札を出た。横断歩道を渡った。
「自宅のある場所は、知ってるの?」
 恵子が聞いた。
「この取材のごく初期、後藤美代子の住所が判明した夜、確認しておいた」
 その確認どおりに歩き、約束の時間ちょうどに、ふたりは後藤幸吉の自宅前に立った。敷地を低い金網の塀が囲み、そのすぐ内側は生け垣になっていた。金網の延長として、門の左右の塀がおなじ高さにあった。門は黒く塗った鉄の鋳物だった。胸の高さのその門の内側に手をまわし、日比谷が鉄製のかんぬきをはずした。ふたりは敷地に入った。玄関のドアの前に立ち、恵子がチャイムのボタンを押した。ドアの内側から男性の声で返事があった。後藤幸吉の声だ。
「こんにちは、日比谷です」
 と、日比谷は言った。ドアが開いた。半袖はんそで横縞よこじまのポロ・シャツにチノ・パンツの後藤幸吉が、ふたりを迎えた。
「いらっしゃい」
 日比谷と恵子を等分に見くらべ、後藤は笑顔で言った。彼は自分たちを待っていた、そして自分たちはいま充分に歓迎されている、と日比谷は感じた。日比谷は高村恵子を後藤に紹介した。ふたりは挨拶あいさつを交わした。日比谷と恵子は玄関で靴を脱いだ。恵子が廊下に上がってから、
「うちの新聞の最近の書評に、高村さんの作品が登場しませんでしたか」
 と、後藤はいた。
「とりあげていただきました」
「覚えてますよ」
「ありがとうございます」
 玄関ホール右側の開いたままの観音開きのドアから、中年の女性があらわれた。後藤とおなじ背丈、あるいはひょっとしたら少しだけ高いかもしれない、魅力的な女性だ。
「家内です」
 と後藤は言い、日比谷と恵子を彼女に引き合わせた。今度は三人で挨拶を交わし合った。
「我が家には応接間というものがないんですよ。ですからいきなり茶の間へ」
 後藤百合子がいま出て来たドアへ、後藤幸吉は日比谷と恵子を導いた。全員がなかへ入った。
 リヴィング・ダイニング、と一般には呼ばれている広いスペースだった。南はいっぱいにガラス戸で、西側にもガラス戸があった。ガラス戸の外は、南と西をL字型におさえているバルコニーとなっていた。東側はキチンだ。食事のためのテーブルがキチンのカウンターの前にあった。そのテーブルから対角線で離れたところに、ソファと低いテーブルがあった。恵子が差し出す花を後藤百合子が受取り、四人はソファにすわった。
「詩人で小説家の高村恵子さんと、ノンフィクション・ライターの日比谷昭彦さん。我が家は久しぶりに文芸的な格調を高めたね」
 後藤が妻に向けてそう言い、四人は笑った。居間ぜんたいに漂う、なにひとつ無理をした部分のないことによる居心地の良さを、日比谷は気にいった。所帯じみないための工夫が、ほどよく効果を上げていた。
「長いおつきあいですか」
 日比谷と恵子のふたりを示して、後藤が訊いた。
「はい」
 とだけ答えて日比谷は次の言葉を考えた。
「おさしつかえのないところだけ、お聞かせください」
 後藤が笑顔で促した。
「さしつかえは、どこにもないのです。知り合ったきっかけがすぐには思い浮かばないような、ずいぶん以前から知っているような錯覚があるのです」
 そう答えた日比谷は、高村恵子がラジオ局のアナウンサーをしていた頃、彼女の番組にゲスト出演して知り合ったことを、後藤とその妻に説明した。
「それ以来の、つかず離れずの友人関係です」
 と日比谷は言い、さらに次のようにつけ加えた。
「高村さんは勘がいいのです。直感力が鋭く、洞察力は深く広く、分析力は信を置くに充分です。今度のこの件にかかわる僕のアシスタントとはいっても、ある部分では彼女が主役です。取材対象がひとりの女性ですから。それに高村さんは美代子さんとおなじ年齢です」
 日比谷の説明を受けて、
「お生まれ月は?」
 と、後藤百合子が訊いた。そっと置いて優しくくるみ込むような彼女の口調に、日比谷は注目した。優しさのずっと奥に、固いしんの存在を彼は感じた。後藤美代子の口調がこんなだったのではないか、と日比谷は思った。高村恵子の生まれ月は、後藤美代子のそれと同じだった。誕生日は恵子が一週間だけ早かった。
「ずっと東京?」
 百合子が重ねて訊いた。
「はい。目黒区の生まれです。ひとりっ子です。三歳のときに父が病死しまして、母とふたりになるとすぐに、母は自分の妹に私を預けたのです。預けたという言いかたよりも、進呈してしまったと言ったほうが正確だと、いまの私は思ってます。妹夫妻には子供がなくて、私はいわゆる実の子同然に、大事に育てられたのです」
「お母さんは、どうなさったの?」
「秋田の出身で、三歳のときから一年に二、三度しか会わないという状態が十年も続きますと、忘れてしまいます。いまでは母のことはどうでもいいと思っています。この十数年、会っていません」
「お母さんは、秋田へお帰りになったの?」
「もともと民謡歌手なんです。民謡を歌って民謡の世界にいれば、それが人生のすべてという人です。秋田を本拠地にして、いまでも民謡を歌ってるはずです。連絡先くらいはわかるのですが、いまの私の住所も電話番号も、母は知らないと思います」
「初めて聞く話だ」
 日比谷は言った。
「こんな話、してませんものね」
「いまは、おひとり?」
 後藤百合子の質問が続いた。
「高校生のときからひとり暮らしを始めまして、それ以来、私ひとりです」
「お母さまの妹さんご夫妻は?」
「ずっとおなじ場所に住んでいて健在です。私にとっては親子同然というよりも、きわめて親しい友人ないしは知人、あるいは親戚しんせきという関係です。最初からそうでした。預けられたその日に、今日から私は親子でない人たちと仲良く暮らしていくのだ、と認識しましたから」
「三歳のときに」
「はい。三歳で私は自分の家庭がなくなり、世のなかに出たのです」
 百合子は理解と同情を示した。夫の後藤幸吉は、
「我々とは違うんだよ。さすがは詩人になる人だ」
 と、平凡なことを、しかし感慨を込めて、言った。
「高校から大学を出るまで、ずっとおひとりだったの?」
 ひき続き興味を示す後藤百合子に、高村恵子は自分について簡明に語った。
「短大は国文だったのです。日本や日本語のことを、きちんと知っておきたいと思いまして。四年制の大学へいきたい気持ちはありませんでした。ほんとに勉強するつもりでしたから、二年で充分なのです」
 恵子の言葉を受けとめた後藤百合子は、
「美代子とおなじね」
 と、夫に言った。
「美代子さんも、短大で国文を勉強なさったのですか」
 日比谷がいた。
「そうです」
 後藤幸吉が答えた。
「高村さんは短大を出たあと、ラジオ局に入ってアナウンサーになったのだったかな」
 日比谷の質問に恵子は首を振った。
「いいえ、短大と並行して料理の学校に通っていて、短大を卒業すると同時に料理の先生の助手になりました。それを五年続けたのです。アナウンサーになったのはそのあとです」
「それも知らなかった」
 日比谷の言葉に、
「知らないことばかりですよ」
 と、恵子は言った。
「なぜだろう」
「訊いてくださらないからです」
 という恵子の返答を、後藤が受けて日比谷に返した。
「まずアシスタントを取材しなくてはいけないみたいだね、日比谷さん」
 四人は笑った。
「とすると、料理は専門家なのだ」
 という後藤の言葉に、
「はい」
 なんのてらいもなく、恵子は答えた。
「まあ、うれしい。手伝っていただける」
 後藤百合子が言った。感情の率直な表現はこの女性の魅力のひとつだ、と日比谷は思った。
「日比谷さん、今日のこのあとの予定は?」
 後藤にそう訊かれた日比谷は、
「僕も高村さんも、このあとはなにも予定していません」
 と答えた。
「だったら我々ふたりと、ここで夕食をともにしてくださいよ」
「はあ」
「このところずっと私たちふたりきりで、欲求不満なんです」
 言葉の後半では妻を示しながら、後藤が言った。なにが欲求不満なのだろうかと日比谷は思ったが、恵子には意味が通じていた。後藤百合子に向きなおった恵子は、
「なにをお作りになる予定なのですか」
 と訊いた。そのひと言をきっかけにして、ふたりの女性たちは料理の話を始めた。情熱を込めて語る百合子に、恵子は的確な受け答えをした。ふたりはたちまち意気投合した。その様子を日比谷は観察した。年齢のかなり離れた初対面のふたりの女性が、このように意気投合していくのを日比谷は初めて見た。
「奥様は料理がお得意なのですね」
 日比谷は後藤に訊いてみた。
「そうなんですよ」
 得意なのはいいけれどこちらは辟易へきえきしてもいる、という意味を込めた後藤の口調を日比谷は笑顔で受けとめた。
「しかし、いまここに住んでいるのは私たちふたりだけでしょう。ふたりだけだと、さすがに作りがいがないみたいで。今日は午後から四人になるけれど、食べていってもらえるのだろうかと、昨日から僕にうるさく訊いていました」
「四人で夕食のテーブルを囲みましょう」
「ぜひとも、そう願いたいです。ま、とにかく、コーヒーにしましょう。うちはコーヒー豆はフレンチ・ローストなんです」
 後藤幸吉がキチンへいき、コーヒーをいれる準備を始めた。ふたりの女性たちは料理の話に熱中していた。後藤そしてふたりの女性たちを、日比谷は等分に観察した。ラ・シャンブル・ノワールの女主人が言ったことを、日比谷はふと思い出した。後藤美代子がカレーライスも作れないのではないか、という直感的な指摘だ。今日、ここで両親に確認してみよう、と日比谷は思った。
「日比谷さん、ご両親は?」
 コーヒーの準備をしながら、キチンのカウンターのなかから後藤が訊いた。
「健在です」
 と、日比谷は答えた。
「父は公認会計士という職業の人で、母親もそうです。僕はひとりっ子で、両親はずっと仕事をして来ました。いまは引退してますが、昔から続いている仕事は、友人の事務所に引き継がせて、そこで自分が引き受けたりしてるみたいです。ふたりとも忙しくしてます。小田急線のもっと奥に住んでいます」
 やがてコーヒーが出来た。日比谷が受け取りに立った。ドゥミタスに満ちた香りの高い、きれいにつやを放っている熱いコーヒーを、ソファのテーブルまで運んでいった。四人はコーヒーを飲んだ。上出来のコーヒーが体のなかに入っていくことと連動して、日比谷は福山俊樹と彼の喫茶店について思った。取材の経緯を自分は福山に報告すべき責任も義務もないが、これまでのところをあらまし伝えておくといい、と日比谷は思った。簡単な文書にし、後藤美代子の写真のコピーも添えよう。
「今回の取材に関してですが」
 コーヒーの途中で日比谷は後藤に言った。
「僕がすでに知っていることは、すべて高村恵子さんに教えてあります。ですからふたりとも、いまは同じ次元に立っています。今日からは、ふたりが、それぞれに取材を始めます。僕は中野玲子さんに会っていますが、高村さんは彼女をまだ知りません。近いうちふたりを引き合わせておきます」
「無理なく会えるようなチャンスがあれば、私も中野さんに会わせてください」
 後藤との受け答えをしながら、日比谷は中野玲子についても思った。玲子はなにかを言わずにいる、という仮説についてさきほど仕事場で自分は検討した。なにかを言わずにいる、という仮説を逆の方向から見ると、行方不明になった当日の後藤美代子についてもっとも多くを知っているのは、玲子だということになる。なにかを言わずにいる、という仮説をもてあそぶよりも先に、彼女が知っていることを可能なかぎり聞き出しておくべきではないのか。たとえば、その日の美代子の服装だ。
「五年前の当日、お嬢さんが行方不明になられた日、お嬢さんがどんな服装だったかご存じですか」
 後藤夫妻に向けた日比谷の質問を、後藤百合子が受けとめた。
「見てないんですよ。私はこのキチンの隣にありますあのユーティリティに入っていて、洗濯の準備をしていました。美代子はしたくを整えて二階から下りて来て、玄関で靴を履いてから、いって来ます、と私に声をかけたのです。玄関のドアを開ける寸前になってから、いって来ます、と言う癖が小学生の頃についてしまって、ずっとそのままでした。いってらっしゃい、と私が返事をする頃には、ドアを出てるのです。それが日常になっていて、すっかりそれに慣れてしまって、その日だけではなくほとんど毎日、自分の娘がどんな服装で会社へいってるのか、母親の私は知らないんです。どんな服装でしたかと、あらたまって質問されると、自分は知らずにいたのだということに気づきます」
「ましてや私なんか、もっと知らない」
 後藤が言った。そして次のようにつけ加えた。
「ただし三日後に、私は娘の職場の人たちに、話を聞きにいってます。新聞社の調査部です。上司に会ったし、娘のデスクの周囲の人たちにも、聞くべきことは聞きました。当時のメモが保管してあります。あとで出しますから、お持ちになってください。グレーのスカートに白いシャツにジャケットですよ。いつもそんな服でした。これといって目立つ特徴はない服です。職場の人たちも、おなじような年齢の女性たちですら、たとえばスカートにベルトはしてたかというような点になると、はっきりは覚えてないんですね」
「地味というか、よく言えば端正でしょうか。ほんとに目立たない、当たり前の服を着てました。もう少し華やかにしてみたら、と言ったことも何度かありますけれど、飾ることに興味がなかったみたいです。装身具はほとんど持ってませんし、スカーフだって二枚あるかないか、というような状態です。親のひいき目かもしれませんけれど、そういった目立たない服がよく似合って、これはこれでなかなかだな、と女親の私は思ってました」
「私、美代子さんに似てませんか」
 高村恵子が言った。その言葉を後藤百合子が熱意とともに受けとめた。
「じつは私、さっき玄関で初めてお姿を拝見したとき、そう思ったの。あ、似てる、と思ったの。うかがってみるとおなじ年齢で生まれ月がおなじで、背丈もおそらく五ミリと違わないでしょう。体つきもよく似てるわ」
「うちのはもっとふとってたよ」
「肥満はしてませんよ」
「肥満とは言ってないけど、重さを計ったなら高村さんのほうが軽い」
「体のつくりがよく似てます」
「髪が似てるかなあ、と僕はさっき思った」
 後藤幸吉とその妻の百合子を、日比谷は見くらべた。後藤美代子を自分は写真と絵でしか知らないが、彼女は両親のどちらに似ているのか、と日比谷は思った。どちらにも似ていない、というのがひとまずの結論だった。高くまっすぐに通った鼻すじは母親と共通しているかなという程度で、あとはふたりのどこにも似ていないと言いきってよかった。写真をまた観察しよう、と日比谷は自分に言った。
 恵子を相手にふたたび料理の話をしている後藤百合子を、日比谷は見た。彼女は美人だと言っていい。しかし顔の造作の良さを越えて魅力的なのは、人にあたえる感じの良さだった。明るくて気さくで頭が良く、会話はよく弾んで広がっていく。なにかといえば笑うのが性格の一部分らしい。玄関で初めて会ってからここまで、後藤百合子はずっと笑顔だった。
 母と娘との知られざる対立、というような方向へ日比谷の思いはふと動いていった。ひとりの娘は、もし対立するとしたなら、この母親とどのように対立するのか。この母親は、すでにとっくに出来上がっている。完成品だ。方向も質も、一定のところで固まっている。その自分に合わないものや人を、この女性はどこまで許容するか。合えばじつにいい関係となる。しかし、合わない人への許容力は、ありそうで意外にないのかもしれない。
 では後藤幸吉とは合うのか。後藤はリベラルだ。論理の筋道は明快だ。単純と言ってもいい。根拠のない主観にこだわったり、やっかいな屈折のなかに身を置いている人ではない。わかりにくい部分はなさそうだし、内向もしていない。なにか自分のなかにあれば、それを外に出してしまうタイプだ。出せばそれで終わりであり、妙に根に持ったり尾を引いたりはしない。ふたりはいい夫婦なのではないか。
「取材は僕あるいは高村さんのペースで進めることになると思います」
 日比谷は後藤に言った。うなずいた後藤は次のように言った。
「すでに申し上げたとおり、存分に取材なさってください。全面的に協力します。全面的になどというと大げさですが、それは駄目、これは勘弁してください、と言わなければならないような、人に隠す領域が私と家内の生活にはないということです。こうして申し上げる意見は家内の意見でもありますから、遠慮なしになんでも聞いてください」
「美代子さんは料理をなさいましたか」
 相当に唐突な日比谷の質問に、後藤夫妻は顔を見合わせた。軽く当惑した表情をうかべたままでいる夫にくらべると、妻の反応のほうが早かった。笑顔になり、声を上げて笑った百合子は、
「ほら、カレーライス」
 と、夫に言った。夫は文字どおりの苦笑を浮かべ、
「カレー・スープひたしご飯だったな、あれは」
 と言った。残念さの余韻が、彼の口調のなかにかすかにあった。カレースープひたしご飯。意味はよくわかる。たいそう水っぽいカレーライスだ。
「得意な料理はなかったのですか」
 日比谷の質問に母親は首を振った。そして笑顔のまま、
「なにもありません」
 と答えた。
「カレーライスがやがて上手に出来るようになったとか、そのようなことは」
「一度作ったきりでしたね」
 後藤美代子はカレーライスも作れないはずだし、料理には興味がないのではないか、とラ・シャンブル・ノワールの女主人は日比谷に言った。少なくともその小さな一点に関しては、彼女は後藤美代子という女性を正確に見抜いたようだ。女主人から取材して得たことを、日比谷はたったいま両親から聞いて確認してみた。取材して得たことの正しさは、ひとまず確認された。後藤美代子に関する取材は、基本的にはこのようにして進行していくのだ、と日比谷は思った。
「娘はずっとこの家で育ちました。産院で生まれて、ここへ帰って来て、それ以来ずっとここです。ここ以外の場所にも家にも、住んだことはないのです」
 後藤幸吉が言った。彼は続けた。
「娘の部屋は二階です。二階がひとり用にまとまっていて、小学校に入ると同時に、二階のぜんたいを自分の部屋および場所として、娘にあたえました。それまでは私の書斎があったりしたのですが、いいチャンスだから二階をあたえ、自分のことはすべてまかせようということになったのです。したがって娘のものはすべて二階にあります。いまでもそうですよ。いっさい手をつけてないのです。何度でも、どこをも、自由に見てください。いまご覧になっておきますか」
「まず一階の間取りを」
 と日比谷は言った。
「いいですよ、どうぞ」
 後藤はソファを立った。そして妻に顔を向け、
「ご案内しよう」
 と言った。立ち上がった日比谷に後藤は笑顔を向けた。
「ご案内という言いかたが、正当かどうか。ぐるっと見渡せばそれでおしまいですけど、私たちは気にいっています。住みやすい家ですよ」
 後藤は日比谷の先に立ち、そのあとに百合子に導かれて恵子がしたがった。後藤は居間の南へ歩いた。ガラス戸を開け、サン・デッキへ出た。ほどよく幅のある木製すのこ張りのデッキは、居間の南側から西側へまわり込んでいた。西側には道路との境界となっている金網と生け垣まで、庭と呼べるか呼べないかぎりぎりのスペースがあった。南側もおなじだ。隣家の敷地との境界はブロック塀になっていて、それを隠すための植え込みが一列に続いていた。
「ここに洗濯物を干すんですよ。ユーティリティからすぐだし、陽当たりもいいので。普通だったら二階のバルコニーだけど」
 四人はサン・デッキから居間に戻った。後藤はキチンに入った。
「ここがご覧のとおりキチンでして、こっちがいまの言葉で言うところのユーティリティです。つまり、洗濯場とそれ関係の収納」
 キチンから出て来た後藤は、ホールと居間とをつなぐ観音開きのドアの前に立った。
「居間とキチンそしてユーティリティへの出入りは、このドアだけなんです。外は玄関ホールで、こういうL字型のスペースの取りかたは、使いやすくていいですよ。こっちを奥へいくと、突き当たりがトイレットで、その手前の右側に息子の部屋のドアがあります」
 説明したとおりを後藤は案内した。トイレットのドアを開けてみせたのち、息子の部屋のドアを開き、日比谷と恵子になかを見せた。
「いまは息子はここにはいませんけど、いたときのままになってます。その点は娘の部屋とおなじですね」
 トイレットの隣は洗面と脱衣、そしてその奥が浴室だった。すべてを後藤は日比谷と恵子に見せた。玄関ホールに戻り、居間とは反対へ歩いた。二階への階段の上がり口が、玄関ドアの正面にあった。そのわきに、一本の柱を中間において、和風の引き戸がふたつならんでいた。
「八畳の畳の部屋がふたつ、東西にならんでいます」
 引き戸を開けて後藤はなかを見せた。
「押入れがあって、床の間があって。かたどおりですけど、使い勝手はいいですよ。ふたつの部屋はふすまでつながってます。西側の部屋には広縁があって、そちらが夫婦の寝室で、奥の部屋はまあクロゼットがわりですかね、簡単に言うなら。夫婦ふたりのクロゼット」
 四人は階段の前に立った。
「よく出来た間取りですね」
 恵子が感想を述べた。
「住みやすいですよ」
「玄関の靴脱ぎの四角いスペースをホールがL字型に囲んで、その延長として、二階への階段が奥にあって。居間と和室が左右に振り分けになっていて、階段の反対側の奥には洗面や浴室、そして息子さんのお部屋」
 位置を指で示しながら、恵子はそのように復習した。
「この玄関ホールの置きかたがひとつのポイントなんだね。ホールなんて言うと、客席はいくつだろうなんて思ってしまうけど」
 そう言って後藤は自分から笑った。
「では、二階へ」
 後藤は階段を上がっていった。日比谷、後藤百合子そして恵子と、そのあとに続いた。階段を上がりきったところは、まっすぐにのびている廊下の途中だった。
「左の端からいこうかな」
 と後藤は行った。階段を上がって廊下を左へいくと、すぐに突き当たりだった。どちらの側にもドアがひとつあった。
「こちらは納戸。かなりの収容力なんですよ。そしてこっちはトイレット」
 左右のドアについて、後藤はそう説明した。
「廊下をここから奥へ向かいますとね、上がって来た階段の前を抜けて、まず右側にあるこのドアは、ふたたび収納スペースです。その反対側にあるドアのなかは部屋です。なにに使ってもいいけれど、娘にとってはクロゼットでしたね」
 ドアを開いてその部屋に入り、後藤は日比谷と恵子に内部を見せた。
「こちらの壁はぜんたいがクロゼット、そしてそちらは壁いっぱいに棚です。あれやこれや荷物が置いてあって、まんなかには作業テーブルがあります。要するに、そういう部屋です」
 その部屋からさらに奥へいくと、廊下が左へ直角に曲がる手前、右側に、出窓があった。そして廊下の突き当たりにドアがひとつあった。そのドアを後藤は開いた。
「娘の寝室です。ベッドがあって、クロゼットも少しあって。南に面してて、外にはバルコニーがあって、なかなか快適ですよ」
 後藤の言うとおり、八畳ほどの広さの、居心地の良い明るい部屋だった。二十五歳の女性の寝室にしては、その女性当人の肉体的な存在を暗示するものが少ない、と日比谷は反射的に思った。
「時間をかけて子細に検討してください」
 高村恵子に後藤は言った。廊下を左へ直角に曲がると、途中にドアがあった。それを開くと奥にまだ少し廊下があり、縦に長いドアのある収納スペースが正面にあった。その手前を右へ入ると、バルコニーに向けて細長く部屋があった。
「書斎ですね。娘が小学校に入るまでは、僕がここを書斎にしてました」
 縦に長いその部屋の、隣の寝室との壁は本棚になっていた。反対側にはライティング・ビューローと片袖かたそでの平凡な勉強机が、東に向けて開いている窓に接してならべてあった。勉強机のほうにZランプが取り付けてあった。
「ここも居心地はいいです」
 ぜんたいを見渡しながら、いまも行方不明のままの娘の父親は言った。
「小学校一年生から、この家の二階は娘の場所でした。小学生のあいだは小学生の部屋、中学生になると見るからに中学生の部屋、そして高校をへて短大、それから新聞社勤務の若い女性の部屋、と変化していったのです」
「すっきりしてますね。間取りもいいのでしょうけれど、使いかたがきれいです」
 と、恵子が言った。ぜんたいにわたってがらんとしている、という印象を日比谷は持った。ほぼおなじ印象を、恵子はそのような言いかたにしたのだ、と彼は推測した。
「娘のものはすべてこの二階にあります。靴もですよ。ご自由に取材してください」
「僕も来ますけれど、ここへは高村さんが何度もおじゃますると思います」
「どうぞ。どこをどうご覧になってもいいです。ただし、物はもとの場所へ、あったとおりに、戻しておいてください。条件はそれだけです」
「何日か泊まってみたいです」
 恵子が言った。
「どうぞ、いつでも」
 と生真面目きまじめに答える後藤と、優しい笑顔で恵子を見ている百合子のふたりが、日比谷の視界に入っていた。
痕跡こんせきの宝庫ですね」
 日比谷が言った。三人はそれぞれにその言葉を受けとめた。どこから手をつければいいのか、日比谷は考えた。この二階の部屋を中心に、自宅ぜんたい、両親、さらには近所といったものを、ひとまず恵子にまかせる。鋭い直感と正しい分析力に支えられた彼女の観察は、かならずやいくつもの興味深い点を見つけ出すことだろう。そのつど、それらについてふたりで検討していけばいい。
 自分が担当するのはここ以外の部分、つまり自宅から離れた場所で後藤美代子がなんらかの関わりを持った人たちを、ひとりずつ当たっていく作業だ。中野玲子。校長室の絵。ラ・シャンブル・ノワール。次は勤務先だ、と日比谷は思った。
 高村恵子と自分が、ふたとおりの取材を重ねていく。結果を突き合わせてみる。交錯するところに、ひとつずつ、なにかが浮かび上がるはずだ。行方不明のままという事実にとって、それらがどのように関係して来るか、いまはまだなにも予測出来ない。しかし、ひとまずは五千ピースほどのジグソー・パズルとして設定してある後藤美代子の、ひとつひとつのピースになり得る可能性は充分にある。百合子と恵子は階下へ下りていった。後藤と日比谷は書斎から廊下に出た。ふたりは寝室のドアの前に立ちどまった。
「何度も言いますけれど、二階は娘の場所なんですよ。僕にも家内にも、そして息子にも、この家の二階はないも同然です。自分の場所ではないし、したがって用はありませんから、めったに上がって来ないのです。洗濯物や布団は一階のサン・デッキに干せますし」
「しつこく観察しに来ることになると思います」
「なにをどう詮索せんさくしていただいても結構です。ほんとに遠慮なく」
「助かります」
「しかし、行方不明の手がかりがここにあるとは、私には思えないんです」
「父親のご意見として、うかがっておきます」
 ふたりは階段へ歩き、階下へ下りた。
 後藤百合子と恵子はキチンのなかにいた。楽しそうに、そして熱心に、今日の料理について、ふたりは語り合っていた。ソファに戻ってそこにすわり、日比谷は彼女たちを見るともなく見た。
 料理のこれほど好きな母親。そして、水びたしのカレーライスを一度だけ作ったその娘。母親は娘に料理を教えようと、何度も試みたはずだ。その試みをそのつど、娘はかわしたのか。そのような娘に対して、母親は不満を覚えないだろうか。しかし、料理を学ぼうとしない娘は、料理の好きな母親よりも興味深い。そんなことを思っているところへ後藤幸吉が戻って来た。
「庭や家の周囲を拝見したいのですが」
 日比谷は言った。
「どうぞ」
 日比谷はソファを立ち、ふたりは玄関へ歩いた。後藤はスニーカーを履き、日比谷は木靴のようなかたちをしたガーデン・サンダルを借りた。
 長方形の敷地は西側に私道があった。金網と生け垣、そしてさきほど日比谷と恵子が入ってきた丈の低い門扉が、敷地の西側をおさえる縁取りだった。正面の門が敷地への唯一の入り口だ。東、北、そして南は、どちらも隣家と接していた。隣家との境界は、三辺ともブロック塀だ。ブロック塀の殺風景な様子を隠すために、塀に沿って植え込みがあった。東側にならんでいる金木犀きんもくせいなど、植え込みは大きく成長していた。ぜんたいの印象として、敷地は植え込みの縁で囲まれていた。
 建物の周囲を、日比谷は後藤とともにひとまわりした。敷地の北側には、ふたつの和室の境目あたりに、金属プレハブの物置がひとつあった。一階の南と西をおさえているサン・デッキの角をまわり、玄関まで来てふたりは立ちどまった。二階を見上げた後藤幸吉は、
「建て替えようかという計画があるんですよ」
 と、日比谷に言った。
「建ててから早くも三十年以上になりますからね。住みやすい家ですし、使い勝手のいい間取りですけれど、建物としてはもうとっくに限界です。いまあるこの間取りのとおりに建て替えようかと、家内と話をしてるところです」
「いまの間取りのとおりに、というのは面白い試みですね」
「多少は修正しますけどね。キチンはいまより大きくしないと、家内に許してもらえない」
「周囲は民家ですね」
「南側に三階建てが出来たりしたら、もうおしまいですよ。南側のあの家のご主人はいま四十代なかばですから、これから二十年近くは変化はないかな、などと心配したりしてね。いろいろ考えてるんですよ。ほかの場所へ移る意味はほとんどないし、どこへいっても似たりよったりでしょう。住み慣れたところだし、いいと言うならこれで充分だし」
「チャンスですね」
「ちょうど家内とふたりきりですし。余計な荷物はトランク・ルームに預けて、ふたりでどこかのマンションの2DKに半年もいれば、それでいいのですから」
「いまのうちかもしれませんね」
「建物は限界を越えてます。それに、私の年齢を考えても。来年は実行に移すかもしれない。あるいは、いっそのこと今年の後半」
 五十代なかばの所帯主は、三十七歳の独身男性に、住居計画を披露した。ふたりは玄関から家のなかに入った。居間へ戻ると、ふたりの女性たちは依然としてキチンのなかだった。これから作ろうとしている料理をめぐって、彼女たちが完全に対等な関係のなかにあることを、日比谷は感じた。
「夕食は期待出来そうですね」
 日比谷が言った。大きくひとつ、後藤は肯定的にうなずいた。
「料理好きが一方的に作ってひとりで満足してる、という料理ではないんです。食べておいしくて楽しく、結果としてすべてが程よいのです。保証しますよ、この私が」
 後藤幸吉のこの言葉でひと区切りついた、と日比谷は感じた。ふたつめの区切りはひとりで過ごしたい、と彼は思った。だからそのとおりを、彼は後藤に言った。
「小一時間ほど、二階にいていいですか」
「どうぞ」
 日比谷は居間を出た。階段を二階へ上がり、間取りのぜんたいをもう一度見てまわった。そして書斎に入り、ライティング・ビューローと向き合って椅子いすにすわってみた。ビューローはどこかの民芸家具のような、重厚な作りだった。椅子はそれとそろいのものだ。ビューローの右側に、折りたたんだディレクターズ・チェアが立てかけてあった。
 椅子にすわった位置から、日比谷は書斎の空間を見渡した。細長く引き延ばされた八畳のスペースだ、と彼は見当をつけた。ライティング・ビューローの上に、そして左隣にならべてある片袖の机にも、ほこりはなかった。おそらく母親が、少なくとも週に一度は、軽く掃除をしている。定期的に掃除されている感触は、部屋ぜんたいにあった。窓も閉めきったままではなく、天気のいい日には開けるのではないか。
 ライティング・ビューローのデスク面の手前半分は、本体と蝶番ちょうつがいでつなげてあり、持ち上げて斜めに本体のふたのように閉じることが出来た。左右にならんでいるふたつの引出しの両側に、本体から引き出す支えのアームがあった。開いてあるデスク面は、その二本のアームで支えられていた。
 ビューローのいちばん上は幅の狭い台のようになっていて、そこにはなにも置いてなかった。その台の下、つまりデスク面の奥のスペースは、左から三分の一の位置で縦に仕切ってあった。その仕切られたスペースの上部、台のすぐ下が、小さな引出しになっていた。日比谷はその引出しを開いた。なかにはなにもなかった。
 引出しの下の、小さなアルコーヴのようになった直方体の空間には、奥の壁に寄せてカレンダーが立てかけてあった。一枚ずつ開いていく、スパイラルでじた厚紙のカレンダーだ。五年前の五月が開いてあった。カレンダーの右脇みぎわきには、てのひらに入るサイズの卓上時計があった。端正に引き締まったデザインの、美しい日常の品物だ。日比谷はそれを手に取ってみた。裏を見るとドイツ製であることがわかった。もとの位置に戻した。クオーツの小さな作動音を聞き取りながら、彼は五年前のカレンダーを見た。
 これはなぞだ、と日比谷昭彦は思った。これとは、いまの自分が身を置いているこの部屋を発生源として、どこへとも知れず広がっては消え続けている、後藤美代子という女性の存在の痕跡こんせきだ。自分の右側にある窓へ彼は顔を向けた。ライティング・ビューローのデスク面とほぼおなじ高さの窓から、彼は視線を外へのばした。奥行きのさほどないバルコニーが、二階の南側いっぱいに作ってあった。その下に一階の居間やキチンが張り出していた。
 わずかな庭のスペースをへて、敷地の南側で接している隣家との境界だ。境界にはブロック塀がまっすぐに立ち、それを隠す目的で植え込みが連なっていた。南側で境界を接している二階建ての隣家のこちら側の壁には、階段のスペースの上方に設けた小さな明かり取りの窓があるだけだった。ビューローやその隣の机が面している窓もおなじ高さであり、その窓のガラスは細かく模様の入ったすりガラスだった。そしていまはレースのカーテンが引いてあった。
 デスク面を持ち上げ、日比谷はそれを閉じてみた。デスク面の下には引出しが三段あった。いちばん上は左右にふたつならんでいる引出しだ。左側の引出しを彼は開いた。揃いの封筒とレター・ペーパーのパッド。レター・ペーパーは葉書をひとまわり大きくしたほどのサイズだ。絵葉書が数枚。掌サイズといっていいノートが五冊。そのうち三冊がまったくおなじ種類で、残りの二冊はそれとは異なるが、二冊ともおなじものだった。
 ディヴィッド・ホックニーの絵をカードにしたものに封筒を添えた箱入りセット。もうひとつ、ウイーンの花模様というタイトルの、カードと封筒のセット。これも箱に入っていた。それから、ゴロワーズのカポラールと、フィルターのついたジタンが、ひと箱づつ。どちらもセロハンの包装が開かれないままの状態だ。
 引出しのなかにそれらの物がある光景を、彼は見下ろした。これは謎だ、とふたたび彼は思った。この謎は解けるのか。解いてどうするのか。そもそも、この謎は解こうと試みていいものなのか。絵葉書はすべて外国製だった。五冊の小さいノートはフランス製。ゴロワーズとジタンは、日本で売っているものではなく、フランス国内のものだった。レター・ペーパー、そしてふたつの箱に入ったカードと封筒のセットも、外国のものだ。
 外国製、という統一がぜんたいにおよんでいる、と彼は思った。きれいで気にいったから、おそらく後藤美代子は自分で買ったのだ。あるいは人からもらったか。たまたまそれらが外国製だったにすぎないのだろうか。五冊のノートはグリーンの色が気が利いていた。ふたつの箱においても、中心となっている色は微妙な色調のグリーンだ。煙草はブルー。そしてそこですべては行き止まりだ。ホックニーのカードは半分ほど使ってあり、もうひとつのほうはセットのまま一枚も使用されていなかった。
 謎はこうして自分の目の前で謎のままだ、と日比谷昭彦は思った。どうすることも出来ずに自分は引出しのなかを見下ろすのみだ。五冊のノートに書き込みはいっさいなく、新品のままだった。引出しのなかにそれらの物がある光景は美しかった。そのことだけを最終的に確認して、日比谷は引出しを閉じた。右の引出しは開かずにおいた。ふたつの引出しの下には、ビューローの横幅いっぱいの引出しが二段あった。それも日比谷は開けてはみなかった。
 椅子の背もたれに体を預け、脚を組み、彼は両腕も組んだ。そして考えた。この取材は無謀なことなのかもしれない。自分はなにをしようとしているのか。なにをどうすれば、この取材は意味のあるぜんたいとなっていくのか。行方不明の謎が解ければそれでいいのか。その謎は解けるのか。解いてもいいのか。堂々めぐりの始まりのように、さきほどとおなじ思いへ、彼の思考は戻っていった。
 この取材のぜんたいに対して、日比谷はいま初めて、漠然とした不安感を抱いた。自信の持てない状態に陥った。中心となる謎が持っている、当てのなさ、そして手がかりのなさを、彼はあらためて感じた。取材の意義を確認しようとすると、そんなものはじつはどこにもないようにも思える。かなりの難題を何冊かの本にまとめあげ、そのことによってある基準を越えた評価を得て来た日比谷昭彦にとって、初めて体験する奇妙な気分だった。これまで自分がして来た仕事とは完全に反対の側にある出来事が、この取材であり後藤美代子という謎なのではないか。
 いったいこれから自分はなにを体験するのか。積み重ねていく取材をとおして、どのようなことを自分は作り出していけるのか。椅子にすわったままの状態で、十五分、二十分と経過していった。そして彼がひとりでこの二階へ上がってから四十五分ほどのち、彼は廊下に足音を聞いた。
「日比谷さん」
 後藤幸吉が叫んだ。
「はい」
 と答えた日比谷は、
「ここにいます」
 とつけ加えた。
 後藤が書斎に入って来た。
「好奇心にかられて、来てみました」
 という言葉どおり、好奇の方向へ熱意を発揮している笑顔で、後藤は日比谷を見てそう言った。
「居心地の良い部屋ですね」
 椅子いすにすわったまま日比谷は言った。
「それは私が独身の頃に買ったライティング・ビューローですよ。娘が生まれたとき、そのことを友人や知人に伝える葉書を、その椅子にすわってそのビューローで、私は書きました」
 日比谷は椅子を立った。そして後藤に向きなおり、次のように言った。
「ここは痕跡の宝庫だとさきほど僕は言いました。間違いなく、痕跡の宝庫です。痕跡はあり過ぎるほどに、たくさんあります。少なくともまだいまのところは。しかし、痕跡というものは、第三者の目にはまったくばらばらなのです。当人というひとつの存在によって、たとえばこの部屋に残っている痕跡は、ひとつに矛盾なくまとまるのです。しかし、いまその当人はここにいませんから、残されているどの痕跡も、それぞれにばらばらなのです。どれもがみな対等に独立しているかわりに、相互の連関が見えて来ません。痕跡はどれもみな、ひとつずつ切り離されて存在しています。僕という第三者がそれらをひとつに結びつけていくことによって、いまはここにいない当人というものがほのかに浮かび上がって来るかもしれません。しかしその作業は至難の技だろう、といまひとりで思っていたところです」
[#改丁]


第八章 上司や同僚たちが語る



 後藤美代子が勤務していた新聞社の、調査部の直属の上司は、当時とおなじ村田むらたという人だった。私が連絡をして話をとおしておくと後藤幸吉は言い、そのとおりにしてもらい、日比谷昭彦は村田に会った。夕方、その新聞社を訪ね、受付での手続きをクリアしたのち、指定された階のロビーで待っていると村田があらわれた。少人数用の応接室に案内され、そこで名刺を交換し、ふたりは差し向かいにすわった。いきさつを日比谷は簡単に説明した。
 村田は四十代後半の、ごく普通の体型の、人当たりの柔らかな男だった。人と話をするときには、眼鏡を中心にして常に笑顔になっているような印象があった。会社という組織のなかで、自分の仕事として生まれて来る職務を遂行することに、無常の喜びを感じている人という印象を、日比谷はその笑顔に重ねた。
 質問に対する答えは丁寧で的確だが、言葉の遣いかたは明らかに饒舌じょうぜつの一種だ、と日比谷は思った。規模の大きい会社組織を取材すると、かならずこのような人に会うことになる。日比谷のこれまでの体験では、たとえば技術部に付随する補助的な事務職の場などに、村田のような人がかならずいた。日比谷の質問に対して、すべての答えを村田は用意していた。ワード・プロセサーで打ったB5サイズの紙を見ながら、村田は日比谷の質問に答えた。
「当日の後藤美代子さんは、午前九時に出社して午後五時に退社されています。タイムカードが保管されていまして、この場合は日付が特定できますから、捜し出すのは比較的簡単でした。もちろん、私が勝手に捜すわけにはいきませんが、人事上の書類を管理している部署に、可能なかぎり範囲を細かく特定した上で、アクセスのリクエストを出します。五月は当日まで一週間ないですから、参考までにその前の月である四月の勤務状況をひと月分、リクエストしておきました。ここにコピーがございますので、差し上げます。少なくともこの範囲内では、後藤さんの勤務状況はまったく普通です。欠勤も遅刻も早退もありません」
 向きを変えて差し出されたコピーを、日比谷は見た。日付と出勤時刻、そして退社時刻の数字が、縦にびっしりとならんでいた。村田が説明した。
「後藤さんには夜勤はありませんでした。職務のなかに夜勤は含まれていない、ということです。正式にフレックス・タイムというわけではないのですが、時差出退勤と言いますか、午前九時の出勤なら午後五時の退社、そして午前十時の出勤なら午後六時の退社、という二重のシステムを調査部では採用しています」
 村田はいったんそこで言葉を切った。眼鏡に指先を触れ、レンズ越しに日比谷の反応をとらえなおし、笑顔のまま次のように続けた。
「出社のときも退社のときも、中間の時間はなしです。九時なら九時、十時なら十時ということです。出勤時刻が中間に向けてずれていきますと、遅刻とおなじルールで裁定されます。退社についてもおなじです。堅苦しくて細かいようですが、細かく規定しておきませんと、会社組織というものはそこから崩れていきますから」
 村田の楽しそうな笑顔を見ながら、日比谷は彼の説明を受けとめた。村田は後藤美代子の出退勤状況をあらわす数字を眺めた。
「九時ないしは十時の出勤で、それに合わせた退社です。会社としては、なんら文句のない勤務状況です」
「行方不明になった当日は、九時の出勤ですね」
「はい」
「なにか理由があるのでしょうか?」
「と言いますと?」
 村田は問い返した。
「ここにある数字を見るかぎりでは、後藤さんが九時に出社するのと十時に出社するのとには、ランダムで法則性はないと思うのです」
「おっしゃるとおりだと私も思います」
「九時に出て来るときと十時のときとでは、意味の違いがあるのでしょうか」
「社内的にですか」
「たとえば、社内的に」
「ないと断言していいと思います。調査部の通常の状況では、いつも十時に出勤している人が、ある日だけは九時に来なければならないという事情が発生することは、まずないからです」
「個人的には九時と十時を、後藤さんはどのように使い分けていたのでしょうか」
「それについては、なんとも申し上げられませんですね。こうして数字を見ていきますと、一律に十時出勤というわけではないですから、そのときどきの、なんらかの個人的な理由で、使い分けていたと推定されます。あくまでも推定ですけれど、九時に出るということは五時に帰ることですから、たとえばコンサートへ行くので今日は五時に出たい、というような理由ですね」
「使い分けに関して、後藤さんと話をされたことはありますか」
「ありません。中間でなければどちらでもいいのですから。当日は午後五時二分にタイムカードが押されていますけれど、私自身の体験から言いますと、この時刻に社を出たとは言いきれないと思うのです。タイムカードは押したものの、用事を思い出して職場へ戻り、小一時間ほどそこにとどまるということは、けっしてなくはないですから。当日の後藤さんについても、おなじことが言えると思います。理屈になりますけれど」
「勤務の内容といいますか、質に関しては、いかがですか」
 日比谷の質問に村田は次のとおりよどみなく答えた。
「能力の評価について報告書を書くのは、私の職務の一部分なのです。後藤美代子さんの仕事ぶりは、求められている範囲内で、最高の内容でした。調査部に在籍して仕事をしたのは三年とちょっとでした。その間、私は報告書を三度書きました。全員に関して、報告書は一年に一度です。三度とも、後藤さんは最優秀という評価でした」
「そんなに優秀なかたでしたか」
「新聞社の調査部の仕事は、求められて発生する仕事なのです。この本社だけではなく、国内のあらゆる支局から調査の依頼は届きますし、国外からも頻繁にあります。なんらかの情報を、知りたい、確認したい、データが欲しい、写真が欲しい、というような要求ですね。それに調査部がすべてこたえていくのです。範囲は無限大で、なにを要求されるか見当もつきません。まずとにかく大事なのは、なにを要求されているのか、そのことに関する的を絶対にはずさない、正しい理解です。後藤さんは、ここがたいへんにしっかりしていました。短大では図書館情報も学んで司書の資格がありましたから、一般的な補助事務の女性社員という立場よりは、もっと踏み込んだ専門職でした。捜す範囲や方向、捜しかたなどについては、最初から安心していられたのです。学校ではよく勉強なさったようですね。どの範囲をどう捜せばいいか、自分ひとりで正しく見当がつきますし、たどるべき経路も見えてますし、勘もいいですから、調査部で仕事をするひとりの存在としては文句なしでした。ノンフィクションをお書きになる日比谷さんですから、資料調査がどのようなことか、よくわかってらっしゃると思いますけれど」
「知らなければならないこと全体のなかの、知り得ることのすべてです」
 日比谷の言いかたに村田は声を上げて笑い、深く共感を示した。
「情報を紙で保管しますと、大変なことになります。昔は資料といえばまず分厚くふくらんだ大きなスクラップ・ブックでしたが、いまでは縮刷版はマイクロ・フィルムですし、切り抜きは光ディスクへと完全に換わっています。写真と単行本についてはデータベースになっています。完成してますからオン・ラインで検索が可能です。ちなみに、日比谷昭彦さんの写真を検索しますと、三十八点あります。デビューなさった当時から最近のまで、そろっています。学生時代のも、二点だけですが、あります。日比谷さんとおなじ大学で友人どうしだった男が社にいまして、彼の提供です。日比谷昭彦さんの、いちばん若い写真、出来れば学生の頃のもの、というリクエストが来ますと、うちの調査部はそれに応えることができます」
 村田はうれしそうに笑い、思いがけない展開に日比谷も笑顔になった。そしてその笑顔のまま、日比谷は次の質問をした。
「後藤美代子さんについて、仕事の上で村田さんがご記憶になっていることを、なにかひとつ教えてください」
 質問を受けとめた村田は、用意してきた紙に視線を落とした。そして顔を上げ、眼鏡に片手の指先を触れ、次のように語った。
「今日という日、というタイトルの囲み記事が、朝刊に連載されています。もう二十年を越える連載だと思いますが、なかなか人気がありまして、お蔭様かげさまでいまも続いています。たとえば二十年前の今日はなにがあったかとか、そういう記事がよくありますでしょう。普通はごく短い記事で、二十年前にこんなことがあったという、ほんとにそれっきりの豆知識みたいな記事になるのが普通なのですが、うちのはそうではなく、囲みは囲みでもいま少し長くて、ふくらみをつけようという試みです。毎日の連載で、一年分ずつ本になっていまして、こちらも好評です。本にするときには、記事のときよりも写真を多くする、というようなプラス・アルファの工夫をしています。この記事のひとつを、後藤さんが初めて書いたときのことを、私はよく覚えています。国鉄の駅の売店や売り子が、戦後初めてアイスクリームを売ったのは、何十年前の今日でしたという内容です。それはいくらだったか、どんな味がしたのか、パッケージはどんなふうだったか、どこで作ったのか、売れ行きはどうだったのか、それを買って食べたことを思い出として語ってくださるかたはいないか、などということを中心に、当時の日本の人たちはなにを思いどんなふうに暮らしていたのかを、鉄道のアイスクリームをめぐって語ろうという内容です。ミニ・ノンフィクションですよ」
「ほんとに、そうですね」
「いきなり考え出すのではなくて、年度別に一月一日から日付順に、出来事がいくつも列挙してあるデータベースがあって、それを見ながら発想するのです。そのベースを作るのもじつは調査部の仕事なのです」
「その記事ひとつ書くだけで、何日もつぶれませんか」
「調査はお手のものですから。旧国鉄現JR関係の、紙に印刷されたものならすべて収集しているというコレクターがいまして、戦後初の駅売りアイスクリームのパッケージを何とおりも見せてもらいましたし、写真にも撮って記事に使いました。ちょうどミュージック・カセットのテープの箱とおなじようなサイズの、片木へぎで出来た四角な平たい箱なのです。そこにアイスクリームがぎっちり詰めてあって、おなじく片木から打ち抜いた小さなへらをその上に直接に置き、さらにその上に、ぺらっと一枚、紙のカヴァーが掛けてあったというパッケージです」
 こうして語るのがたいへん楽しそうな村田は、その楽しさを長く引きのばすための本能的な工夫として、話の段落をうまくつかまえては小休止とし、日比谷の反応を見た。
「当時の日本映画に、ひょっとしたらちらっとでも描かれていないだろうか、などと私が思いつきを言いまして、後藤さんは映画評論家に聞いて調べたりしたようです。結局、わかりませんでしたけれど。小津おづの『東京物語』で、尾道おのみちから出て来た老夫婦が、東京から尾道へ帰っていきますよね。東京駅を夜の八時に出発しています。描写はしてありませんが夜が明けるのは岐阜あたりで、尾道に到着するのは午後一時くらいです。たとえば十時のおやつに、あの夫婦はアイスクリームを買って食べたかどうか、などと私が後藤さんに言ったのをいまも覚えています。あの汽車が午前十時前後に停車するのは、どこの駅かを当時の時刻表で調べたりするのです。ほとんど探偵小説です」
「後藤美代子さんがその記事を書いたのですか」
「そうです。調べて取材して、ひとりで書きました。そして、なんら問題はないということで、書いたとおりそのまま記事になったのです。これはお祝いをしなければということになって、アイスクリームからの連想ですけど、いいレストランをたまたま私が知ってまして、女性の店主がご自分で作るアイスクリームが絶品なのです。その店でお祝いの夕食をしました。私と後藤さんと、さらにふたり女性を加えて四人でいきたかったのですが、ひとりだけあいにく時間が取れなくて」
「ラ・シャンブル・ノワールという店ですか」
「そうです。ご存じですか。後藤さんも、それ以来、常連になったみたいで」
「後藤さんが書いたのは、その記事ひとつだけですか」
「いいえ。いくつも書いています。すでにすべて本に収録されていますから、どれがそうか明記した上で、全冊を日比谷さんあてにお送りします。昭和十一年に、若い男女が東京でデートするとどんなふうか、という記事も私は覚えています。『東京ラプソディ』という歌がありますでしょう。その歌のレコードが発売された日、という情報から発想した記事でした。今日は昭和十一年に大ヒットしたそのレコードが発売された日ですけれど、その頃の東京でのデートはどんなだったでしょうか、という内容です。あの歌では、東京は若い人にとっての夢の町のように歌われていますから、後藤さんはそのあたりに興味を持ったようでした。歌にあやかった映画が公開されて、それがヴィデオになっているのです。銀座に実在した喫茶店が出て来ます。客がなにか食べているんですよ。コーヒーや紅茶があるのは当然として、食べてるのはあんみつだろうか、アイスクリームだろうか、というようなところから調べていきます。デートの必要経費の細目を出して、最後に合計したりしました。この記事も、後藤さんが書きました」
 村田は説明を次のように締めくくった。
「地味でいわゆる縁の下の仕事で、しかも終わりがなくて範囲は無限大なのです。そういう仕事のなかで、後藤さんはたいへん優秀なかたでした。いっさい問題はありませんでしたし、失敗、苦情、あるいは文句など、なにひとつ聞いておりません。いまここに後藤さんがいないということは、たいへんにもったいない気がします。最終的に絞り込まれていった彼女の守備範囲は、戦後の国内の社会一般の生活です。経済や政治、産業なども含めて、世相とか社会などと呼ばれている領域ですね」
「後藤さんに関しての、村田さんの個人的な感想をお聞かせ願えませんか」
「二十代前半で独身の、地味と言っていいほどに静かな、仕事のよく出来る、なかなかきれいなかたです。私の感想をひと言にまとめますと、この仕事がよく似合ってるな、ということにつきます。似合っているとは、質が合っていることだと思いますし、だからこそ仕事をうまく進めていくことが出来たわけで、安心してまかせられましたから、私としては満足度は高いです」
「後藤美代子さんに関して、不思議だなと思ったり奇妙に感じたことが、なにかありますか。小耳にはさんだうわさとか」
 という日比谷の質問を、
「いっさいなにもありません」
 と、村田は否定した。
「行方不明になられてすぐに、後藤さんのお父さんが訪ねてらして、私が面会してお話をしました。後藤さんの机の周囲にいた五人の女性たちも、私とともにお会いしてます。そのとき私がしゃべったことを、あとで整理してワープロで打っておきました。これがそのコピーです。差し上げます」
 差し出されたB5サイズの紙を三枚、日比谷は受け取った。
「今日、日比谷さんがお見えになる前に読み返しましたが、そこにつけ加えることはなにもありません。五年前に後藤さんのお父さんと会ってもらった女性社員がまだ三人いますので、日比谷さんも彼女たちにお会いになってください。六時過ぎにここへ来ます。まだ少し時間がありますから、仕事場をご覧いただきたいと思うのです」
「拝見させてください。もうひとつうかがいますが、当日の後藤さんの服装をご記憶ですか」
「いま差し上げたコピーで触れていますが、正確に断言することは出来ないという程度の記憶です。白い長袖ながそでのシャツは確かで、それにおそらくはグレーのスカートです。後藤さんはいつもそのような服装でしたから。当日は姿を何度か見かけた、という程度の接触でした」
 自分の説明を受けとめた日比谷がうなずいているあいだ、村田は段落としてそれを利用した。うなずき終えた日比谷に、村田は段落をしめくくった。
「カラー写真で撮っても黒白のフィルムで撮っても、おなじに写る後藤美代子のファッション、と社内報に書かれたことがあります。もちろん、善意のユーモア記事ですけど」
 そう言って村田は椅子いすを立った。日比谷も立ち上がった。
「またここに戻ってまいりますけれど、かばんはお持ちになってください」
 日比谷は鞄を持ち、村田はテーブルに広げていた紙をひとまとめにファイルに入れた。ふたりは応接室を出た。廊下を何度も曲がったのち、調査部、と標識の出ているドアの前にふたりは立ちどまった。
「調査部のための部屋や施設は、ほかにもたくさんあるのですが、本拠地としてのオフィス・スペースはここなのです」
 そう前置きして村田はドアを開けた。導かれるままに日比谷はなかに入った。強力に空調された抵抗感のない空気が、大きな部屋のスペースを満たしているのを日比谷は感じた。
 スペースのほぼぜんたいが、蜂の巣の入り口のように、いくつものブースに仕切られていた。仕切りは低く、椅子いすにすわれば視界は自分のブースのなかだけとなり、立ち上がれば部屋ぜんたいを無理なく見渡すことが出来た。ブースは基本的には五角形で、ひとりにつきひとつだ。仕切りに沿って折れ曲がっている横に長いデスクがあり、みるからにすわり心地の良さそうな椅子に、調査部の人たちの誰もがすわっていた。ブースごとにPCの端末やプリンター、電話、ファクシミリなど、必要なものはすべてそろっている様子だった。
「五年前とは配置が異なるのですが、基本的にはこれとおなじレイアウトのしかたでした。後藤さんのブースがあったのは、あのあたりです」
 部屋の中央、やや窓寄りの位置を、村田は示した。
「ブースに入って椅子にすわると、自分ひとりになれます。ブースごとに角度が工夫してありまして、他の人の姿は目に入らないようになっています」
「よくある大部屋とはまるで違いますね」
「調査部という仕事の性質からの必然です。調査部の誰もが、依頼主から調査を請け負った、独立した調査人のような性質を帯びますから。仕事の能率を上げるには、こういうブース式はたいへん効果的なようです」
「後藤さんのデスクやロッカーにあったものは、どうなさいましたか」
 と、日比谷はいてみた。
「後藤さんのブースの近くの女性ふたりに立ち会ってもらって、私が整理しました。私物と判断出来るものは、ひとまとめにすべてお返ししました」
「不思議なものは、ありましたか」
「ロッカーにはレインコートや傘などで、デスクについてもおなじでした。理にかなったものと言いますか、よくあるごく普通のものばかりでした」
「当然、後藤さんはもはやこちらの社員ではないですよね」
「三か月間は休職扱いで、そのあと、お父さんのご希望で、退職ということになりました」
「差出人の書いていない絵葉書が届く、というようなことはありませんでしたか。私は元気にしております、とひと言だけ書いてあるような」
 なかば冗談であることを伝えるため、笑顔で日比谷はそう言った。村田は初対面のときからずっと、ほとんど笑顔のままだった。
「そうなりますと、ほんとに探偵小説ですね」
 と、村田は答えた。
「もしそういうのが届けば、かならず私に提出されます。これまでは、ありませんでした」
 調査部員たちのブースのある部屋を出て、ふたりはさきほどの応接室に戻った。日比谷と差し向かいにすわりなおし、村田は次のように言った。
「いまさらになりますけれど、ひとつだけ注文めいたことを言いますと、なにかひとつでいいですから個人的に得意な分野があったら、もっと良かっただろうなと私は思っています」
「後藤美代子さんにですか」
「はい。たとえば、やや古くなりますけれど、歌謡曲好きと言われていた男性がいまして、物心ついたときから定年まで、ずっと歌謡曲を好いていたのです。ただ単にそういう歌が好きということではなく、時代や世相のひとつひとつの鏡としての、歌謡曲なのです。ですから、あの時代ならこの歌、この歌ならあの時代のこの年齢の人たちで、価値観はこんなふう、といった手がかりとして機能するのです」
「なるほど」
「そういう分野が個人的にひとつでもありますと、仕事で年月を重ねていくうちに、ひと味違って来ますから」
「おっしゃることはよくわかります」
「ビートルズが最初にアメリカ公演をおこなった年に大学を卒業したというロック音楽好きの男がいまして、彼がまさにそういう手がかり足がかりを持ってるわけです。しかしその彼も、定年までの年数を数えるところまで来ています」
 ドアにノックの音があった。
「どうぞ」
 という村田の声にこたえて、ドアが開いた。三人の女性が入って来た。村田と日比谷は立ち上がり、三人の女性たちは村田のかたわらで横に一列となった。村田が彼女たちを日比谷に引き合わせた。それぞれが椅子にすわってから、村田が言った。
「三人とも後藤さんと同僚でした。三年から五年の間隔で、後藤さんの先輩にあたります。特に親しい関係があったというわけではなく、ブースが近かったということです。さきほども申し上げましたとおり、ひとりひとりが独立した資料調査事務所のような存在ですから、いつもお菓子を食べてお茶を飲んで、世間話をしていっしょに社を出てカラオケへ繰り出す、というようなことはないのです」
 三人の女性たちは、村田の言うことに表情で賛同していた。
「私の分担はひとまずここまでということにさせていただきまして、私は先に失礼させていただきます。そのほうが話も出やすいでしょうから」
 そう言って村田は立ち上がり、ファイルをかかえて日比谷に挨拶あいさつをした。
「なにかあったら、呼んでください」
 かたわらのひとりに言い残し、村田は応接室を出ていった。
「五年前の当日の、後藤さんの服装からうかがいましょうか。白い長袖のシャツに、おそらくはグレーのスカートだった、と村田さんからうかがっています」
 日比谷は三人に向けて均等にそう言った。三人の女性たちには、体つきや容貌ようぼうを越えて、質的に共通したものがはっきりとあるのを、日比谷は感じ取った。もの静かな印象は寡黙さを思わせたが、三人とも屈託なしに自由に喋った。
「白いシャツは確かに長袖で、ボタンダウンなのです」
「好きだったわよね、ボタンダウンが」
「男性のビジネス・シャツとおなじような作りのシャツです。いちばん上のボタンをはずして」
「生地は木綿ですか」
「オックスフォードの、いちばん糸の細いものと言えばいいかしら」
「そうね。しゃきっとした生地です」
「スカートは」
「グレーのスカートです。当日、私は後藤さんを近くで何度も見ていますから」
「どんなグレーですか」
「それが困っちゃう。微妙なグレーなんですよ。ちょっとどこにもないような」
「でも、普通の既製服だと言ってたわ」
「スカートはいつもグレーね」
「いろんなトーンのグレー」
「たとえば赤いスカートの後藤さんを、見たことはないのですか」
 ふと思いついて、日比谷はそう言ってみた。三人は声を上げて笑った。
「おかしいですよ。見たら笑ってしまいます」
「考えられないですね」
「タイトぎみの、微妙なグレーのスカートでした。ぴっちりではなくて、どちらかと言うならタイト、としか言えないような。プリーツではないし、八枚はぎなんかでもなくて」
「スカート丈は?」
ひざのまんなかです。いつもそうでした」
「三センチくらいのヒールの、微妙な色の靴。白っぽい靴、と言ってしまうとそれっきりですけど、けっして白ではなくて、スカートとおなじでグレーから始まる色なのかしら」
「そうね」
「あるいは白から出発して、この方向へここまで来たところの色、というような。なに色、とはっきり言えないような色です。でも、けっしてベージュではなかったし、黒のパンプスなんてさっきの赤いスカートとおなじで、笑うほかないし。ブルー・グレーです。いろんな色調のブルーとグレーをそのつど使って、微妙に混合して出来た色。深めの色のときもあれば、浅くて淡い色のときもあるし。当日は淡いほうのブルー・グレーです」
「ストッキングを履かない人でした」
「いつも素足ね。ストッキングを履くと気分が悪くなって脱いでしまうと言ってました」
「装身具は」
 と、日比谷は訊いた。
 いっさい見たことがない、という点で三人の意見は一致していた。
「ほんとに気楽な指輪すら、してるとこを見たことがありません」
「あれだけきれいでスタイルが良くて、端正にきりっとまとまっていれば、装身具は必要ないのよ。頭は良くて仕事は出来るし。それに、静かな人だったでしょう」
「自分もこんなだったらいいなあ、と思うことはあったわね。その意味で、うらやましい点はありましたけど。でも、距離があるような、ないような。けっして冷たくはないし、いわゆるお高くとまった人でもなかったけれど」
「三年とちょっとだから、わかりかけて来たようで、まだよくわからないような」
「後藤さんは、わかりにくい人でしたか」
 日比谷のその質問に、三人の女性たちは次のように反応した。
「変わった人かな、と思ったことはあります。のちに修正しましたけれど」
「ものすごく地味な性格と生活の人」
「でも、切れ味は鋭いのよ」
「方向と程度がいつも正しいと言うか」
「無理してない人です」
「無理をする必要がないのね。彼女がすでに獲得していた範囲内で、すべて間に合ってたから」
「こういう人、となかなか言えない人」
「こういう人、ときめつけると、それがじつは見当違いで」
「あれだけきれいで、静かで、妙に派手なところがいっさいなくて、性格はいいし頭は良くて、仕事が出来て」
 後藤美代子を評する三人の先輩たちの意見は、そのように一致した。
に落ちないこと、奇妙なこと、あれっ、と思ったこと、そう言えばあのとき、というようなことは、ありませんか」
 日比谷の質問に三人はそれぞれに考えた。そしてもっとも年かさとおぼしき女性が、
「腑に落ちないというなら、後藤さんのぜんたいが腑に落ちません」
 と、代表して意見を述べた。他のふたりが静かに笑った。
「世の中にはこういう女性もいるのだな、というひと言になりますね、結論は」
「そのあたりで止めておくのが、いちばん正しいのではないかしら」
「後藤さんが、なにかに関して特別に興味を示したことはありましたか」
 日比谷の質問に三人はふたたび考えた。今度も三人の意見は同一だった。
「なにかひとつのことに関して、興味が突出するということは、ありませんでした。すべてに対して、一定しているのです。比喩ひゆになりますけれど、メーターの針が左右にせわしなく振れる、ということのない人です」
 彼女たちとの会話を、日比谷はほどなく終えた。三人それぞれに名刺を渡し、なにか思いついたことがあったら、電話でもファクシミリでもいいからぜひ教えてほしい、と日比谷は頼んだ。村田さんによろしく、と彼は言い、三人とともに応接室を出た。外の廊下で彼女たちと別れ、日比谷はエレヴェーターで一階へ降りた。受付で手続きをすませ、彼はその新聞社の建物を出た。
 歩きながら彼は考えた。村田から聞いたこと、そして彼の部下である三人の女性たちから聞いたことを、少なくともいまの自分は、そのとおりに受けとめなくてはいけない、と彼は思った。後藤美代子という女性は、いっさいなんの無理をすることもなく、村田や部下の女性たちが語ったような人であり得たのだ。美代子がいくつも書いたという、『今日という日』の記事を読むのが楽しみだ、と日比谷は思った。娘が新聞に書いた記事のことを、両親は知っているのだろうか、と日比谷はふと思った。
 裏の通りに入ってすぐに、雑居ビルディングの一階にその喫茶店があった。今日も営業していた。日比谷はその店に入った。コーヒー豆のにおい、そして開店してから三十年という年月の蓄積から生まれる種類の匂いが、七月初めの午後の冷房された店内の空気のなかに、濃厚にあった。奥の左側にL字型のカウンターがあった。カウンターの角は、ゆったりと丸くカーヴしていた。そのカーヴの向こうのストゥールに、日比谷はすわった。カウンターにはほかにひとりだけ客がいた。カウンターの丸くカーヴした角には、開店した当時の時代が残っている、と日比谷は思った。このようなカウンターのある店は、当時としてはおもいっきり洒落しゃれた店であったはずだ。そしていまこのカウンターは、時代の流れというせわしなさの外にしばし身を置くための場所として、機能していた。
 中野玲子が教えてくれた店だ。行方不明になった五年前の当日、新聞社の勤めを終えた美代子は、この喫茶店で玲子と落ち合ったという。落ち合った時間は六時三十分だった、と玲子は言った。日比谷は腕時計を見た。美代子が勤務していた新聞社からこの喫茶店まで、日比谷の足で普通に歩いて八分だった。
 メニューにはストロング・コーヒーという名で出ているコーヒーを、日比谷は注文した。当日、美代子は玲子とここで六時三十分に待ち合わせをし、七時にはふたりでラ・シャンブル・ノワールの客となった。美代子は新聞社を五時に出ている。玲子との待ち合わせまでに、単純に引き算をして、一時間三十分の余裕があった。その時間を、後藤美代子はどう使ったのか。
 ひとりで考えをめぐらせていると、やがてコーヒーが彼の手もとに置かれた。ドゥミタスを右手に取り、カウンターにひじをついて左手を添え、日比谷は濃いコーヒーを飲んだ。そしてさらに考えてみた。この取材はうまくいっているのだろうか。手順がよくないのではないか。進展は遅すぎるのではないか。もっと早く進めれば、意外な展開があるのではないか。自問はいくらでも可能だが、それに対する答えはなにもなかった。村田からもらって来たコピーをかばんから取り出し、すべて読んでみた。すでに知っていることの確認だけをおこなうことが出来た。新しい発見はなかった。コピーを鞄に戻し、後藤美代子専用のファイロファクスを取り出した。すでに何ページにもおよんでいる書き込みを読みなおしながら、彼はコーヒーのあるひとときを過ごした。
[#改丁]


第九章 それまでの一時間三十分



 喫茶店を出て日比谷は腕時計を見た。銀座まで歩いた。中央通りを四丁目の交差点に向かい、夕方の交差点を人々とともに越え、さらに京橋に向けて歩いた。七時ちょうどに、ラ・シャンブル・ノワールのある建物に入った。
 店に入ると女主人が笑顔で迎えてくれた。大きな身ぶりで彼女は店の奥を示した。奥のテーブルに中野玲子がひとりでいた。ただ単に美人で魅力的であるというだけではなく、美しさや魅力が力として外に向けて放たれている様子を、日比谷は受けとめた。その力に牽引けんいんされて、いま自分は彼女に向けて歩いている、などと彼は思ってみた。差し向かいにすわった日比谷は、彼女から自分に向けて発散される魅力という力の有効半径のなかに、自分が完全に取り込まれるのを感じた。そしてそれは快適な状態だった。
 尋問になってはいけない、と彼は自分に言い聞かせた。問い詰めたり尋問したりせずに、なおかつ充分に玲子から聞き出さなくてはいけないことがある。息を深く吸い込み、いったんそこで止め、彼は笑顔で彼女を見た。そして息を吐き出し、
「写真をありがとう。それから、絵の写真も」
 と、日比谷は言った。
「絵はもらって来たのですって?」
「仕事場に置いてあります。いつも見てますよ」
「なにか発見はあったかしら」
 彼女の質問に日比谷は首をかしげた。
「いい絵だということは、ますますよくわかって来ました。人物画の傑作、と言ってもいいです。本の表紙に使いたいほどの気持ちになってます」
「美代子についての本の?」
「もし本を書くとしたら。なにかまったく別の本の表紙でもいい」
「いまどんな本を書いてらっしゃるの?」
「日本の国家予算について。国家予算とはなにか。それはいまどんな状態にあるのか。ということをわかりやすく具体的に解きあかすと、国家とはなにか、そしてそのなかに生きているこの自分とはなにか、ということにまで話は緊密につながっていきます」
 玲子は笑った。
「その本の表紙には、ならないわね」
「あの絵を見たくなったら、いつでも」
「うかがうわ」
「高校からはまだ連絡がありません。あの絵を描いた美術の講師についての、文書による連絡」
「どうしたのかしら」
「その講師は当時で何歳くらいの人でしたか」
「四十代後半でしょうね」
「描いた場所、あるいは美代子さんがモデルを務めた場所は、どこだったか聞いてますか」
「知らないわ。美術の絵屋ではないかしら。本職の画家がうらやむほどの、いいアトリエがあるのよ」
「そこにはもちろんトップライトはあるでしょうね」
「あります」
「早くその画家に会いたい」
「高校の事務に催促してみましょうか」
 店の店主がワインを持ってふたりの席へ来た。そのワインを店主は日比谷と玲子に見せた。そして料理を説明した。魅力的に聞こえるいくつかの料理のなかから、ふたりはそれぞれに選んだ。後藤美代子の自宅を訪ね、両親と会って話をし、夕食をともにしたことについて、日比谷は玲子に語った。アシスタントに選んだ高村恵子についても彼は説明した。
「近いうちに高村さんに会ってください」
「楽しみだわ」
「高村さんは料理のプロでもあって、美代子さんのお母さんとは相性がいいようです」
「お母さんのお料理は私も何度か食べてます」
「後藤さんが中野さんに会いたいと言っていました。もっとなにか知ってるはずだと問い詰めて泣かせたことを、謝りたいそうです」
「謝っていただいたのよ。たいへん丁寧なお手紙も、すぐあとに頂いたし」
「よかったら、近いうちに、後藤さんの自宅に集まりませんか。高村さんにもそこで紹介出来るし」
「夕食を食べないと、百合子お母さんは帰してくれないわよ」
「食べましょう。いい料理ですよ」
 と言った日比谷は、ふと思いついて次のようにつけ加えた。
「美代子さんのお母さんは、この店を知っているだろうか。料理の好きな人にとっては、この店はたいへんに魅力的なはずですよ」
 日比谷の言葉を受けとめて彼女は考えた。その様子を見ながら、これは中野玲子が即答しない珍しい場合のひとつだ、と日比谷は思った。考えるとは、いまの場合は、論理の筋道をたどることだ。自分の知っている後藤美代子が、この店について母親に語るかどうか、美代子の論理に沿って判断をしてみることだ。
「ご存じないのではないかしら」
 という言いかたで、彼女は答えた。
「美代子がいなくなった日に、私は彼女といっしょにここへ来てますから、その関連で私からこの店の名が何度も話に出ました。でも、美代子がお母さんにこの店について熱心に語り、たとえばお母さんを連れて来たということはなかったと思うの。そんな話、一度も聞いたことがないですし。もしあれば、私との話のなかにかならず出て来るはずですから」
「勤めていた新聞社から、中野さんが美代子さんと待ち合わせをしたあの喫茶店まで、歩いて七分か八分です。さっき僕も歩いてみました。そしてあの店でコーヒーを飲んだのです。当日の美代子さんは九時に出勤して五時に社を出ています。中野さんとの待ち合わせが六時三十分でしたから、単純に引き算すると、美代子さんが社を出てから中野さんと落ち合うまでに、一時間三十分もあります」
 そこまで説明した日比谷は、尋問になることだけは避けなくてはいけないと思いつつ、
「この一時間三十分について、中野さんはなにか知ってますか」
 と、いた。
 中野玲子はきわめて魅力的に首を振った。
「なにも知りません」
 というのが、彼女の答えだった。
「美代子さんが五時に会社を出たことは、知ってましたか」
「美代子のお父さんから聞いたわ。美代子は五時に社を出てる。あなたと待ち合わせたのは六時三十分だ。一時間三十分、娘がどこでなにをしてたか、あなたこそ知ってるはずだ、と私は言われました。なにも知りませんとお答えしてたら、あなたはなにか隠してると言われてしまって」
「そして中野さんは泣いたのでしたね」
「泣きました」
「なにか隠してる、とまで言われなければならない理由は、思い当たりますか」
「いなくなって三日めのことですから、混乱なさってたのね。ずいぶん苛立いらだっていました。気持ちはよくわかるわ」
「中野さんと会うまでの一時間三十分という余裕ないしは空白について、美代子さんからなにか聞かされましたか」
「いいえ。なにも」
「ごく普通に考えて、それだけ時間があれば寄り道しますね。買い物とか、中野さんと会う前に別な人に会うとか」
「なにも聞いてません」
「買ったものを、たとえば紙袋に入れて、持っていましたか」
「いいえ」
「中野さんと待ち合わせて夕食をともにし、おなじ電車でいっしょに帰って行き、あの駅で美代子さんが先に降りて別れるまでの美代子さんについて知っているのは、中野さんだけなのです」
「そうですね」
「頭のてっぺんから足の先まで、という言いかたがありますけれど、当日の美代子さんそのものについて、復習しておきたいのです。足の先からいきましょうか」
「シャツからにしてください」
 即座に彼女はそう言った。
「シャツが中心ないしは要だ、と私は思ってますから。というのは、いまも思い出したのですが、自宅で二階の部屋にいるときにはシャツ一枚のことが多い、という話を美代子から聞いたことがあるの。裸の体にシャツ一枚で、冬でもそうだと言ってました。私は美代子の裸を知ってますから、あの顔立ちであの裸の体にシャツ一枚でいる様子が、目に見えるのね。そしてその光景は、ああ、まさに美代子だな、と納得がいくの」
「では、シャツから」
「当日のことに絞っていいですか」
「そうしましょう」
「白い長袖ながそでの、ボタンダウンのシャツです。ピンポイントのオックスフォードで、きりっとしたきれいなラインの、ビジネス・シャツね。のどもとのボタンをはずして。美代子の服は、このシャツが中心なの」
「スカートは」
「ひと言でよければ、グレーのスカートです。ひと言でいけなければ、なんと言っていいのかわからないほどに微妙な、しかし灰色のスカートです。いつもなんらかのグレーのスカートで、ほかの色はないんですよ。黒白の写真のように、灰色の無限階調のなかの、いろんな段階の灰色です」
「スカートの丈は」
ひざのまんなか。いつもそうでした。そしてそれが良く似合うの」
「ベルトは」
「なしです。当日だけではなく、いつも」
「ジャケットは」
「当日はギンガム・チェックの、軽くて薄い夏のコットンのジャケットでした。ややくすんだ淡いブルーの、細かいチェックです。男物のようなジャケットですが、これも良く似合うの」
「靴は」
「シャツが白で、スカートはグレーのいろんな階調で、靴はひと言ではブル・グレーです。ブルーにグレーが入ったような。当日のはほんとに微妙な、薄いグレーと薄いブルーの溶け合った、ブルー・グレーでした。ヒールは三センチ。これもいつもそうときまってました。美代子がパンプスを履いてるところを、私は見たことがないわ」
「ストッキングは」
 という日比谷の質問に、玲子は首を振った。
「ストッキングは履かない人でした。締めつけられる圧迫感が嫌いで、気持ちが悪くなるからと言ってました。いつも素足です。圧迫感と言えば、セーターを持ってないし絶対に着ないのだとも言ってたわ。セーターを着ると上半身が包み込まれて圧迫され、病気のような気分になると言ってたのを私は覚えてます。寒い季節には、アウトドア用の薄くて温かいヴェストを、ジャケットの下に着てました。シャツを厚めの生地のものにしたり」
 中野玲子が語る内容を、日比谷は頭のなかでひとつの具体的なイメージにまとめてみた。そのイメージをもとに、彼は次のように言った。
「会社で一日の勤めを終わって、夕方の銀座を歩いているいわゆるOLたちとは、ずいぶん違った服装ですね」
「でも、違っているということ自体、美代子の場合はあまり目立たなくて、そのかわりいつもきりっとしてて、とても良かったわ」
「当日の美代子さんは、なにか持ってましたか」
 日比谷の質問に玲子は笑顔になった。そして次のとおり答えた。
「美代子はバッグを持たない人でした。特にハンドバッグ。嫌いだと言って。財布だけのときも多かったのよ。三つ折で、少し長めの。あるいは、それが入るようなクラッチ・バッグ。普通の単行本の、横幅を二センチほど短くしたようなサイズの。ほんとに小さなクラッチです。そして、かばん。鞄は好きでした。小さな鞄。B4をひとまわり小さくしたようなサイズの。厚さはせいぜい五、六センチ。これで間に合う生活なのよ。材料は革のときもあれば、黒いナイロン・クロスのときもあって、いろいろです。私がよく覚えているのは、私が連れていった写真機材の店で見つけた、黒いナイロン・クロスの手さげ鞄です。ちょうど彼女の好みのサイズで、厚さは五センチほどで、把手とってから五センチほど下がった位置に、背面を残してそれ以外の三方に、ぐるっとジッパーがまわっているの。気にいってその場で買って、よく持って歩いてました」
「当日は?」
「クラッチ・バッグでした。黒い革の。よく似たのを、いくつか持ってるのよ。さっき言ったような、単行本の幅を少しだけ詰めたようなサイズの。片手にそれだけをさりげなく持って、格好いいんですよ」
「アクセサリーは」
「なにもしない、という方針の人です。なにひとつ持っていなかったのではないかしら。指輪にしろイアリングにしろ、してるところを見たことがないですから。興味もなかったのだと思うわ。しかし、選ぶ目はあるんですよ。私がなにか買いたくていっしょにいくと、玲子ならこれよと言って選んでくれるのが、いつも正解ばかりでしたから。彼女に言われて買ったものが、いくつもあります。アクセサリーなんかなにもしなくても、人の何倍もきれいな人です」
「香水」
「使いません」
 と、玲子は片手を小さく振った。
「化粧は」
「じつに巧みな薄化粧でした。きれいな白い肌。生活に乱れはいっさいないし、食事はきちんと食べるから。それに、当時はまだ二十五歳ですし」
「髪は?」
「日比谷さんに差し上げた写真と、おなじです。ずっと変わることなく、一定していました」
「あの絵のなかでは、もっと短い髪ですよ」
「高校のとき、少なくとも私とおなじクラスだった三年生のときには、あの絵のとおりでした。卒業してから、写真のあのスタイルのように、長くしたのです。長くとは言っても、肩に届くか届かないかの。いつもその長さでしたから、気は遣っていたのだと思うわ」
「当日の彼女に、いつもと変わったところはありませんでしたか」
 なんという漠然とした、しかも下手な質問だろうかと思いつつ、日比谷はそう聞いた。
「ありません。いつもどおりでした。いつもの美代子」
 玲子の返答をうなずいて受けとめながら、週刊誌の記事に美人OLと書いた福山俊樹のことを、日比谷はふと思った。美人OLという平凡な言葉から連想する女性とは、後藤美代子はその外見も内容も、まるで異なっていたようだ。
「美代子さんは、手帳を使っていましたか」
 と、日比谷は質問した。
「使ってたわ」
「どんな手帳でしたか」
「ここでも美代子は独特なのよ。本来は革表紙の手帳のためのリフィルなのですけど、それを表紙なしで使ってました。革表紙の裏ポケットに差し込んで使うリフィル。スパイラルでじてあって、六センチに九センチという小さなサイズです。白紙と方眼と横罫よこけいの三種類があるのですけれど、美代子は白紙を好んでました。私がパリへ旅行したとき文具店で箱ごと買って来てあげたの。喜んでたわ。そのようなものを以前から美代子が捜してたのを知ってましたから」
「それはいつ頃のことですか」
「いなくなる一年半ほど前。それ以前はブランド物の手帳のリフィルを、美代子は使ってました。よく似たのがあるのよ」
 美代子の部屋にあるライティング・ビューローの引出しのなかを、日比谷は思い出した。フランス製の小さなノートが五冊に、ゴロワーズとジタンがひと箱ずつあった。引出しを開いたときに見えたその光景を思い起こしている日比谷に、玲子はさらに語った。
「私は手帳やノート類が好きで、よく文具店へいきます。美代子ともいっしょに何度もいって、そのとき彼女は自分の手帳をクラッチ・バッグから出して見せてくれたの。それを私は覚えていて、パリで買って来たのです」
 美代子のビューローの引出しのなかにあったものについて、日比谷は説明した。聞いている玲子の顔に微笑が広がっていった。
「私が美代子にあげたものだわ」
「パリのおみやげですか」
「おみやげ、というほどのものではなくて。でも、買ったのはパリなの。私の撮る写真の小道具です。きれいな小物をきれいに写真にとっておくと、需要があるんですよ。雑誌のページの片隅に飾りとして使ってもらえたり。あるいは、なにかの記事のイメージ写真として、大きく使ってもらえたり」
「なるほど」
「撮ったあと、私が美代子にあげました」
「ノートは新品のままでしたし、煙草はどちらもセロファンに包まれたままでした」
「美代子らしいわね」
 そういった彼女は、次のようにつけ加えた。
「小さなリフィルを手帳に使うというのも、美代子らしいのよ」
「なぜですか」
「用が終わったはじから、ページをちぎって捨てていけるから。そこが大事だったみたい。過ぎ去ったことが手もとに残るのは嫌だ、という意味のことを言ってたのを私は覚えてます。だから、終わったらちぎって捨ててたのです。終わったページはちぎって捨ててしまい、まだなにも書き込まれていない白紙の部分だけが残っている、という状態のときが多かったのではないかしら」
「捨てられないページは、どうするのですか」
「ちぎりはしても、とっておくほかないわね。あるいは、部屋に置いてある手帳やノートに、書き写しておくとか」
「いつも持って歩く住所録や電話帳のようなものは?」
「小さな電話番号帳を使ってたわ。外国製の。イギリス製だったと思います。手帳代わりのリフィルよりもふたまわりほど小さくて、薄いの。私はこういうことが大好きだから、よく覚えてます。名前と電話番号だけを、一ページに五件ずつ書けるようになっていて、とても小さくて薄いのに、全部で二百五十件も記入出来るのよ。縦位置ですけれど、開くと横位置になっていて。それを左手に持って、左の拇指おやゆびだけでページを繰っていくの。美代子のスタイル。格好良かったわ」
 後藤美代子という女性は、自分のスタイルというものを、さりげないけれども強く持った人だった。聞けば聞くほどそのことがわかってくる、と日比谷は思った。そして美代子のスタイルは、一般的に連想されるOLのスタイルとは、まったく異なっていたと言っていい。
 変わった人、という判断をしてもいいが、もう少しだけ踏み込んで評価するなら、彼女は手ごわい人なのではないか。手ごわい人という評価は、後藤美代子を知っていく上で、確かな足場になるのではないか。そう考えながら、中野玲子が送ってくれた美代子の写真を、日比谷は思い出した。あの写真のなかの女性には、手ごわい女性という言葉が、もっとも無理なく重なるのではないか。
 後藤美代子は、少なくとも複雑怪奇な存在ではない。むしろその逆に、単純明快なのだろう。しかしその単純明快さは、彼女なりのものであり、それはどのようなものかと言うなら、けっして一筋縄ではいかない種類のものだ。そしてその意味で、彼女は充分に手ごわい。手ごわさという糸口がやっとひとつ、手に入ったと言っていい、と日比谷はひとりで思った。
「中野さんの手帳は?」
 日比谷は話題の方向を変えてみた。足もとにおいてあったバッグを持ち上げ、彼女はなかから手帳を取り出した。きれいなグリーンの革表紙の手帳だった。
「これまでにいくつ浮気したかわからないですけど、いまはこれです」
 そう言って玲子は表紙を開いた。細かなスパイラルでじたリフィルが、表紙の裏側のポケットに差し込んであった。開いた手帳をテーブルに置き、まだなにも書き込まれていない九月のページを彼女は開いた。一週間七日が、合理的なサイズの二ページに、きれいにレイアウトしてあった。
「美しいですね。しかも、使いやすそうだ」
 と、日比谷は言った。
「ウイークデーの一日のスペースは、これだけで充分なのよ。ページの下には、左右ともに、日付から独立したメモのスペースがあるし」
 差し出されたその手帳を日比谷は受け取った。ページの下の隅には、ページの角を囲むように、弧を描いてミシン目が入っていた。一ページが終わると、その片隅を切り取ることが出来る。手帳全体のページ数の半分は、フランス語によるさまざまな情報と、世界地図のページだった。
「その部分は、日本にいるかぎりでは、無駄と言えば無駄なのね。でも、地図を見てると面白いわ」
 玲子の言葉を日比谷はうなずいて受けとめた。
「東京がトキオになることは誰でも知ってますよね。四国はシコックなのね。そして九州は、キウシウ。でも北九州は、キタキュウシュウとなってます。小笠原おがさわらは、イル・オガサワラ」
 うしろから前方に向けて、日比谷はページ全体を見ていった。地図の部分、情報の部分、そしてまだなにも書き込みのないページをへて、どの日のスペースにもびっしりと記入のある部分。
「書いてあることを、お読みになってもいいのよ」
 笑いながら彼女は言った。日比谷はそのフランス製の手帳を彼女に返した。受け取って、玲子は手帳をバッグに戻した。そしてそこからは、夕食がエスプレッソの段階に到達するまで、日比谷は会話の話題を玲子自身のことに移した。時間は楽しく経過していった。エスプレッソを前にして、次に会う予定について、ふたりは話し合った。
「美代子さんの自宅で両親も交えて、というのはどうでしょう。高村さんにも、そこで紹介出来ますから」
 と、日比谷は提案した。
「次もここにしませんか。高村さんを加えて、三人でここで。そのあと、美代子の両親に会いましょう」
 提案が彼女によってそのように修正されるのを、日比谷は受け入れた。
「高村さんの都合を聞いて、中野さんに僕から連絡します」
 彼女の都合のいい日を列挙してもらい、それを日比谷はファイロファクスに書き込んだ。
 ふたりの夕食は楽しい時間として終わった。店を出たふたりは銀座まで歩いた。さらに日比谷まで歩き、そこから地下鉄に乗った。代々木上原で小田急線の各駅停車に乗り換えた。プラットフォームの最前部までいき、いちばん前の車両に彼らは入った。下北沢で空席が出来た。ふたりはならんで座席にすわった。
 五年前のあの日、後藤美代子がひと駅だけ先に降りたとき、自分がしたとおりのことを中野玲子は再現してみせた。これで二度めだ。電車のドアが閉じると、座席の彼女は振り返った。プラットフォーム側の座席だった。発進していく電車の窓ごしに、玲子は片手を上げた。彼らが乗っている最前部の車両は、すぐに駅を出ていき踏切を越えた。電車は次の駅に向けて加速した。
「五年前、美代子がいなくなった夜、私はいまとおなじように、電車のなかから美代子に手を振ったのよ」
 ひとり言のようにそう言った彼女の横顔を、日比谷は見た。
「その五年間ずっと忘れていて、いきなり思い出すことはありませんか。自分はなぜこれを忘れていたのだろう、と驚くようなこと」
 日比谷の言葉を彼女は横顔で受けとめた。横顔を見せたまま、彼女は首を振った。
「なにもないわ」
 彼女は答えた。そして日比谷に顔を向け、深く微笑した。
「その微笑の意味は、いったいなにですか」
 日比谷の言葉に、中野玲子は声を上げて笑った。向かい側の席にすわっている人たちが、ふたりに視線を向けた。
「面白い人。その微笑の意味、というフレーズは素敵よ。短編小説のタイトルに使えそう」
「僕の質問に答えてください」
「意味はおそらくなにもないのよ。少なくとも、意識的には。無意識の領域では、なにかあるかもしれないわね。微笑が癖になっているとか」
「なぜ微笑を癖にまでしたか」
「それが私の歴史の全体です」
 電車はふたりの降りる駅に入った。速度を落とし始め、やがて電車は、停止してドアが開いた。ふたりは電車を降りた。階段まで歩き、それを上がっていき、改札を出た。そして南口へ下りた。
 途中までふたりは肩をならべて歩いた。別れるとき、彼女は日比谷に片手を差しのべた。彼はその手を取った。適正な力を指にこめて彼の手を握り、すぐに彼女はその手を離した。
 日比谷は仕事場のある建物へ歩いた。後藤美代子に関しての取材の経過、そしてそのなかで発見していくことについて、たとえば自分が高村恵子に報告しているのとおなじように、中野玲子にも伝えるべきだ、と日比谷は考えた。あれほど鋭い女性だから、伝えればかならずなんらかの反応があるはずだ。彼女の反応と引換えなら、伝える意味は充分にあるのではないか。
 たとえば、美代子の料理の腕前について。ラ・シャンブル・ノワールの女主人は、美代子はカレーライスも作れないのではないかと言い、料理には興味のない人だと言い切った。母親の百合子は、娘が一度だけ作った水びたしのカレーライスについて、日比谷と恵子に語った。こういうことに対して玲子はどう反応するか。
 建物に入った日比谷は郵便受けから郵便物を取り出した。かなりの量だった。それをかかえるように持ってエレヴェーターに乗り、部屋のある階まで上がった。部屋に入った彼は郵便物とかばんとを準備室のデスクにおいた。畳の部屋で服を脱ぎ、トランクスとそでなしのTシャツだけになり、準備室へ戻った。
 ファクシミリの受信した紙が、長くつながったままひとかたまりに、テーブルの上にあるのを彼は目にとめた。歩み寄って切り取り、巻紙を見るように、最初の受信から彼は見ていった。後藤美代子が行方不明になったことについて、二ページの記事を掲載した週刊誌編集部の友人から、その後の進展を問いつつ酒に誘っている通信があった。進行中の仕事に関して六件の通信がそのあとに続いていた。ひととおり読み終えて、彼は受信紙を長いままテーブルに置いた。
 郵便物は紙のひもでひとつに束ねてあった。紐をはさみで切り、私信から先に日比谷は見ていった。高村恵子からの封書があった。封筒はかなり厚く、なかに入っているものが手紙だけでなはいことは、触覚でわかった。彼は封を切った。万年筆でレターペーパー一枚に書いた手紙にくるまれて、ポラロイド写真が七枚あらわれた。一枚ずつ見ては彼はそれをテーブルに置いていった。右に向けて横にならべた。
 高村恵子の裸を日比谷昭彦はまだ見たことがない。裸同然と言っていい彼女の下着姿の全身が、七枚の写真のどれにも、とらえられていた。軽くポーズをした立ち姿だ。背景にベッドが見えた。彼女の寝室だろうか、と彼は思った。そしてすぐに訂正した。高村恵子が下着姿で立っているのは、後藤美代子の寝室だった。性的な暗示力のもっとも高い種類の下着、という言い方が簡単でしかも的を得ている、と日比谷は思った。男性の性欲に視覚的に呼応する意図の女性下着。
 あるいは、男性の性欲を視覚を通してかき立てるのを目的とした下着。誰が見てもそうとしか見えない種類の下着を、写真のなかで高村恵子は身につけていた。いったいどうしたのかと日比谷は思いつつ、恵子にはこのような姿もよく似合う、とも彼は思った。知的な美人が下着姿で自らの性的な意味を高めてあまりある様子が、七枚の写真としてテーブルの上に横一列にならんだ。
 レターペーパーに一枚だけの手紙を日比谷は読んだ。
『この一週間というもの、後藤さんのとこに泊まりこんですっかりなじんでしまい、早くも自宅のようです。美代子さんの部屋を私の部屋として使っています。彼女のベッドに寝ています。彼女と私はほんとに体型が同じだったみたいで、彼女の服をすべて私は着ることが出来ます。いくつか発見がありました。伝えたいと思います。私からも連絡しますから、日比谷さんからも連絡をください。週末は自分の部屋に戻ります。同封してある写真は私が三脚を立ててポラロイドで撮ったものです。美代子さんのクロゼットのなかにあった下着のうち、この七枚の写真で私が身につけているものが、別扱いのようにビニールの袋に入っていました。美代子さんが自分のものとして日常的に使っていた下着はもっと普通のものばかりですが、写真のはまるで目的が異なりますね、ご覧になればわかるでしょう。美代子さんはおそろしく理知的な人、という結論を私はすでに持っています。地味で静かな生活をしていたようです。そしてそのような生活あるいは彼女の資質に、写真の下着はまったく調和しません。なぜこんなものを彼女は持っていたのでしょうか。ビニールの袋に入れて、明らかに別扱いで。特定の意味があったからこそ、別扱いなのだと思います。彼女の服についての発見を伝えたいと思っています。彼女の服を、すべて、何度も、私は着てみたのです』
 七枚の写真を日比谷は観察しなおした。そして手紙をもう一度、読んだ。高村恵子が書いているとおり、彼女が写真のなかで身につけている下着は、これまでに自分が知り得た後藤美代子にはまるでそぐわないものだ。しかし、現実に身につけたなら、恵子の場合がそうであるように、美代子にも似合いすぎるほどに似合うのではないか、と日比谷は思った。
 服に関してはほかにも発見がある、と景子は書いている。いったいどのようなことなのか。恵子に会わなくてはいけない。そのためにも今日の取材の結果を彼女に伝えておくべきだ。そう思った日比谷はキチンへいき、一杯のエスプレッソを作った。カフェ・テーブルに向かって椅子いすにすわり、考えをまとめながら彼はエスプレッソを飲んだ。
 村田からもらって来たものをコピー機で複写した。執筆のときに使うのとおなじ機種のワード・プロセサーが、準備室のテーブルにもあった。そのプロセサーに向かった日比谷は、村田から聞いたこと、村田の部下である三人の女性から聞いたこと、そして中野玲子が語ったことを、それぞれの人の語り口調で文章にまとめた。この程度の取材ならディテールもそのままに、彼はメモなしで正確に言葉で再現することが出来た。
 プリント・アウトして読み返し、少しだけの修正をほどこしてから、日比谷はそれもコピーを取った。さきほどのコピーといっしょに封筒に入れ、高村恵子あてに上書きを書き、速達の印を押し、重さを計って必要な額の切手をった。
 畳の部屋に入った彼は、さきほど脱いだスラックスを履き、カード入れだけを持って部屋を出た。エレヴェーターで一階へ降り、建物を出た。そして駅に向けて歩いた。駅のすぐ近くに郵便ポストがあった。そこに彼は高村恵子宛の速達を投函とうかんした。恵子は今日も後藤家に泊まっているのだろうか、と彼は思った。週末には部屋へ帰る、と手紙に書いてあった。いま出した速達は、そのタイミングにちょうどいいだろう。そんなことを考えながら、日比谷は部屋に戻った。
 準備室のテーブルの前に立ち、下着姿の恵子の写真七枚を、彼はあらためて観察した。写真家としての中野玲子のことを彼はふと思った。高村恵子ほどの被写体なら、玲子は写真に撮りたいと思うのではないか。女性の体が持っている性的な魅力を、限度いっぱいに演出するためであるはずの下着と恵子の体との調和を、彼は全面的に認めた。彼女が身につけている下着が、じつはたいへん良く出来た、したがって相当に高価なものなのではないか、という点に最終的に彼は注目した。
 高村恵子からの手紙と七枚の写真を、日比谷は後藤美代子のファイルに収めた。中野玲子が送ってくれた五枚の写真を、彼は観察しなおした。おなじ写真資料を、一定の時間的な間隔を置いて繰り返し観察するのは、ノンフィクションを書く人にとって、守るべき鉄則のひとつだ。
 五枚の写真を彼は丁寧に観察した。初めてこの写真を見たとき、写真のなかの後藤美代子は、若い女性として、きわめて良く出来た体と顔立ちの、美しく魅力に満ちた造形でしかなかった。いまこうして見なおすと、その造形には、まだ少しではあるが、意味としての陰影が加わっていた。美代子という人のありかた、物の考えかた、好み、性格などが、その陰影を作り始めていた。
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第十章 髪を切った女



 八月の暑い日、外で昼食を終えた日比谷明彦は、まっすぐ仕事部屋へ戻った。今日は仕事場で朝から執筆し、お昼になって駅の近くまでいき、さきほど昼食をひとりで食べた。そしていま、こうしてふたたび自分は仕事場へ帰っていく。そのような行為に、いったいどんな意味があるというのか。部屋のある建物のロビーに入ったとき、あまりの暑さに彼の思考はそのような段階に到達していた。
 郵便受けをのぞいてみた。いまのように郵便受けをのぞくことを、自分はこれまでに何度繰り返したことか。その繰り返しに、いったいどんな意味があり得るのか。ロビーは冷房が効いていたが、涼しいのは彼の体のいちばん外の薄い表層だけだった。そこから内部は、うだるように暑いままだ。
 郵便物はすでに配達されていた。いつものとおり量は多かった。かかえるように持ってエレヴェーター・ホールまで歩き、待っていたエレヴェーターに乗って部屋のある階まで上がった。彼の部屋も冷房が効果を上げていた。しかしロビーやエレヴェーター、あるいは他の部屋のように、内部の空気がただ冷えているのではなかった。彼の部屋の空気は外から間断なく取り込まれ、フィルターで漉されたのち熱交換装置をとおり、間取りのなかのさまざまな部分の給気口から流れ出ていた。そして給気口とは別に吸気口があり、そこからは間取りのなかの空気がくみ出されては、常に建物の外へ吐き出されていた。快適さは普通の冷房とは質が違っていた。
 顔と手を洗った彼は、服を脱いでタンクトップとショートパンツに着替えた。黒いタンクトップにハイキング用のカーキー色のショートパンツだ。彼は冷蔵庫から水を出して飲んだ。暑い体の内部に冷たい水が入っていく快感を楽しみながら、彼は準備室で郵便物を見た。
 日比谷昭彦様、と毛筆で巧みに宛名を書いた和風の封書が一通あり、それが彼の手を止めさせた。筆ペンではなく、細い毛筆だ。筆の使いかたは、たいへん熟練した達者なものだった。このような私信はめったに来ない。雰囲気のやや重いその封書を、彼は手に取って観察した。
 これまでの日比谷昭彦の、ノンフィクション・ライターとしての経験によれば、いま彼が手に持っているような封書は、彼が書いたものに対する苦情や文句、あるいは抗議などの手紙であることが多かった。これもそうかな、と彼は思った。封書を彼は裏に返した。差出人の名は矢沢富美子とみことあった。住所は彼にとってなじみのない場所だった。おそらく苦情だろう、と自分に確認するように思った次の瞬間、彼にはひらめいた。
 矢沢千秋と関係のある、矢沢富美子という人なのではないか。この仕事場の居間の壁に立てかけてある、後藤美代子の油絵を描いた矢沢千秋だ。その矢沢と関係のある人なのではないか。日比谷はその封書をはさみで切って開いた。折りたたまれた便箋びんせんを取り出した。便箋は四枚あった。毛筆による流麗な文字で、四枚とも過不足なく埋まっていた。最初の一枚を彼は読んだ。
『矢沢千秋がかつて美術の講師を務めておりました私立高等学校より、矢沢の現住所その他について、お知りになりたいかたがいらっしゃるという内容の手紙を、数日前、私が開封し拝見いたしました。私は矢沢千秋の妹でございます。矢沢千秋は五年前に病没し、この世を去っております。矢沢の画業を見渡す個展に、矢沢を代理するかたちでかねてより私は参画しており、そのため多忙な日々が連続し、何日も続けて留守にすることもしばしばでございました。留守中に郵便物がたまってしまい、手つかずのままの状態が重なり、返信を差し上げるのも、さらには高校からの問い合わせの手紙を拝見しますのも、たいそう遅くなってしまいました。事情をおくみとりの上、どうかご容赦くださいませ』
 改行なしでそこまでが一枚の便箋につづってあった。伝えたいことの筋道が文章のなかをきちんと通っている様子を、日比谷は受けとめた。次の段階は、二枚めの便箋に展開してあった。
『私立高校からの問い合わせ状には、あなた様のお名前とおところが記してございました。私立高校宛に返信を出しますと、あなた様への回送その他で、さらに三、四日は余計な日が重なるかと思い、こうして直接に返信を差し上げる次第です。私立高校の卒業生が矢沢千秋の現住所と現況をお問い合せとのことですが、どのような用件がおありになってのことなのでしょうか。あなた様はその問い合わせに対する返答の、お受け取り人とのこと、いきさつはのみこめませんが、ひとまずこのように回答させていただきます』
 さらに三枚めの便箋に書いてあることを、日比谷は読んだ。
『お問い合わせの目的は、私の願望も含めまして、矢沢の画業と関連することかもしれぬと推測いたします。もしそうでありましたら、どうか個展へお運びいただきたく存じます。開催地、開催美術館、所在地、交通の便、日時などを、別紙に記しておきます。けっして長い生涯ではございませんでした矢沢ですが、その画業のごく初期から寿命的に最晩年まで、過不足なく見渡すことの出来る個展になろうかと、自負いたしております。個展に向けてこれからも多忙で、留守がちとなりますゆえ、思いがけない失礼をいたすかもしれませんが、その折りはお許しください』
 ここで初めて、唯一の改行があった。改行して矢沢富美子は次のように書いていた。
『あなた様のお名前は心にとめておきますので、さらにお問い合わせのお手紙などいただくことがあれば、拝見次第迅速にご返信申し上げます。私宛のお手紙その他、封筒裏の所番地にお願いいたします。以上ひとまずお問い合わせにはお答えできたことと思います』
 四枚めの便箋は、矢沢富美子が言う別紙だった。個展のタイトル、それが開催される美術館、その所在地、電話番号、交通の便、日時などが列記してあった。四枚の便箋を日比谷はテーブルにならべて見下ろした。うまい字だ、と彼は思った。字の形と配置のしかたが流麗だ。しかし、性格は強い。その強さは、ともすれば相手を、ぐいぐいと押しかねない。毛筆による文字の流麗さによって、性格の強さが、少なくとも見た目には、かなり中和されている。とりとめもなく、彼はそんなことを思った。
 なるほど、こういう展開になるのか、と日比谷昭彦は自分で自分に言った。中野玲子とともに、あの私立高校を訪ねたときのことを、日比谷は思い出した。校長に会って壁の絵を見るという用件を終わって帰りぎわ、玲子は受付の窓口に寄り、矢沢千秋に関する問い合わせの手続きをおこなった。その様子を、日比谷は斜めうしろから見ていた。たいそう美しくて魅力的な、そして現実問題の処理能力の高い世話女房のような雰囲気が、そのときの彼女の全身に一瞬だけ漂って消えるのを、日比谷は見た。
 矢沢千秋の妹、矢沢富美子からの手紙を、日比谷は読み返した。画業、という言葉を矢沢富美子は三度使っていた、もっとも頻繁に使っている言葉が、書いた当人にとってはもっとも重要なことである、という初歩的なルールをあてはめるなら、いまの矢沢富美子にとっては、画家としての兄がその生涯のなかで遺した作品が、なによりも重要なものとなっていると言っていい。
 この個展には取材としていくべきだろう。矢沢富美子に会うといい。矢沢千秋について、無理なく聞き出せる範囲でいいから、話を聞きたい。個展の絵のなかに、なにか発見があるかもしれない。個展には中野玲子を誘うべきかどうか。いっしょにいきませんか、と言うべきか。まだそこまでの義務はないはずだ。彼女から誘われれば検討すればいい、と日比谷は考えた。
 矢沢千秋についての問い合わせに対して返事が届いたことを、日比谷はFAX通信紙に簡単に書いた。そして矢沢富美子からの手紙とともに、中野玲子の専用FAXあてに送信した。その手紙を後藤美代子のファイルに収めているとき、FAXが受信を開始した。受信はすぐに終わった。彼はファクシミリのあるテーブルにいった。高村恵子からの通信だった。
 切り取った日比谷は、恵子の手書きの通信文を読んだ。
『電話をしたのですが、お留守のようでした。昼食ですか。私も午前中は外出していました。先日の下着姿の写真も含めて、美代子さんの衣服に関して、私の結論がまとまりました。話したいと思っています。あくまでも推論ですけれど、推論のなかでの、私の結論です。午後、私は後藤宅へいきます。その前に、日比谷さんの仕事場を訪ねることが出来れば、好都合です。いかがですか。また電話しますので、出来ればそこにいてください』
 このFAX通信も、日比谷は後藤美代子のファイルに入れた。そして廊下へ出て居間へ歩いた。壁に立てかけてある絵を彼は観察した。この絵をかつて描いた人は、すでに五年前にこの世を去っている。モデルを務めた女性は、五年前のある日を境にして、完全に行方不明となったままだ。どちらも五年前だが、なんらかのかたちで両者には関係があるのだろうか。その思いを日比谷はひとまず否定した。
 自分はいまエスプレッソを必要としている、と彼は思った。恵子が来てからにしようと思いながら、執筆のための部屋へいった。デスクに向かって椅子いすにすわり、ワード・プロセサーのスイッチをオンにした。そしてその動作の連続として、彼はキーをたたき文章を画面に書き始めた。ここがワープロのいいところだ、と彼は思った。原稿を手書きする場合は、手描きの作業を開始するまでに、準備的な儀式のような行為を何段階か必要とする。午前中からの執筆の続きへ、彼はいきなり復帰した。そしてそれから一時間を、文章を書く行為に気持ちを集中させて過ごした。
 電話のブザーが鳴った。中断するのは残念だと思うほどの集中のなかから、日比谷は出た。そして椅子を立ち、電話機のあるところまで歩いた。電話は恵子からだった。
「いま駅にいます。あなたの乗降駅」
「僕はここにいます」
「訪ねていいかしら」
「どうぞ」
「すぐにいきます」
 というだけのやりとりの電話を終わって、日比谷はこの一時間でワード・プロセサーを使って書いた文章を、プリントアウトした。そしてフロッピーに移したあと、メモリーのなかにある文章をすべてクリアした。
 着替えるべきだろうか、と日比谷は思った。姿見の前に立ち、自分の姿を検討した。黒いタンクトップにカーキー色のショートパンツ。これで充分だろうと思っていると、ブザーが鳴った。ロビーからのインタフォンのブザーだ。恵子に応答し、ドアロック解除のボタンを彼は押した。
 やがて部屋のドア・チャイムが鳴った。日比谷は玄関へ歩き、ドアを開いて高村恵子を招き入れた。彼女は夏のサンダルを脱ぎ、廊下へ上がった。
「きみは、ここへ入る初めての女性だ」
 日比谷が言った。廊下を奥へ向けて歩きながら、
「光栄なのかしら、それとも私では不吉かしら」
「どっちでもいい」
 そう答えた日比谷に、恵子は振り向いて笑った。
「あなたの面白いところは、そういう部分ね」
 日比谷も笑った。
 持ってきたかばんを居間に置き、恵子は日比谷に案内されて間取りをひとわたり観察した。
「使いやすそう」
 というひと言が、恵子の結論だった。
「空気が素敵」
 彼女が言った。
「単なる冷房だけではないでしょう」
「よくわかるね」
「私のとこもそうなのよ」
「タンクトップにショート・パンツ。許してほしい。これ以外の服装には、今日は暑すぎる」
「それで充分です」
 恵子は半袖はんそでのシャツに膝上ひざうえのスカートを身につけていた。素足だった。
「じつは私も、ショート・パンツを持って来てます。ここで着替えてしまおうかしら。これからママのところへいきます。キチンにも居間にも冷房はあるけれど、正解はショート・パンツだと思ったから」
「ママとは誰だい」
「ママよ。後藤百合子さん」
「彼女のことをママと呼んでいるのか」
「そう呼ぶのがいちばん自然だから。一度そう呼んでしまえば、あとは繰り返しの記号や符丁みたいなものでしょう」
「ママがいるならパパもいるだろう」
 日比谷の言いかたに恵子は笑った。
「だからパパと呼んでます」
「後藤さんは、きみのことをなんと呼んでるんだい」
「恵子さん。恵子ちゃん。お恵ちゃん。恵ちゃん。マナーとして、まだ恵子と呼び捨てにはしていない、ということ」
「後藤百合子さんをきみはママと呼ぶ。そして後藤幸吉さんをきみはパパと呼ぶ。ということは、あのふたりにとってきみは、早くも娘同然だと言っていい」
「そうね」
 当然のことのように、恵子は答えた。そして次のとおり、つけ加えた。
「私は美代子さんとよく似てるのですって。体型は、ほんとに、よく言ううりふたつなのだなと、自分でも思います。身長から腰まわり、そして足のサイズまで、ぜんたいが、そしていたるところが。数字に還元出来る抽象的な体型だけではなく、体つきもよく似てるらしいの。体つきとは、体のかたちとその動きが作り出す、ふとした表情や雰囲気」
「なるほど」
 としか言いようがなかったから、日比谷はそう言った。
「それに、すっかりなじんでしまって」
「後藤さんの家に」
「家に、そしておふたりに。ここは自分の家だと思うことに、なんの無理もないの。二階の美代子さんの部屋は、もう私が住んでるのも同然。あの部屋で、すでに短編小説をひとつに詩を七編、私は書いたわ」
 恵子が語る事実に対して、自分の気持ちが遅れをとっているのを日比谷は自覚した。
「ひとり暮らしの部屋を引き払って、引っ越してらっしゃいよと言われてます。そうするつもりよ」
 鞄を置いたところまで歩いた恵子は、鞄を持ち上げた。
「着替えさせて」
 と、彼女は言った。
「畳の部屋を更衣室に使わせて」
「どうぞ」
 恵子は畳の部屋に入って障子を閉じ、日比谷はキチンのカウンターのなかに入った。エスプレッソ用のコーヒー豆をミルでき、恵子がこの新しい仕事場のために贈ってくれたエスプレッソ・マシーンで、彼は二杯のエスプレッソを作った。それが出来上がるよりも先に、恵子が畳の部屋から出て来た。彼女が身につけているショート・パンツはラグビーのためのショーツだった。カンタベリーのマークが見えた。そして彼女は花模様の袖なしのシャツを着ていた。
「たいへんなものだね」
 そのような姿の恵子に対する感想を、日比谷はひと言でそう述べた。
「なにがたいへんなの?」
「それはそれでよく似合う、というような次元を越えて、大きな吸引力を僕は感じる」
「私があなたを吸引してるの?」
「そうだよ」
 いつもは自分だけの場所に、いきなり高村恵子が存在していることの奇妙な快感を、さきほどから日比谷は感じていた。そして着替えた彼女の魅力は、その質と方向が変化していた。恵子が履いている黒いショート・パンツのすそには、左右の両側に、三センチほどの深さのスリットがあった。白い太腿ふとももの円柱とつかず離れずに添いながら、スリットはほどよく開いて小さな三角形を作っていた。
「スリットが僕を誘う」
「これが?」
 指先で恵子はスリットに触れた。
「そう。それが」
「誘われてください」
「女性の服にあるスリットは、男を悪の世界へ引き込む役を果たすものだ」
「そうでしたか」
「そうだよ」
「知らなかったわ」
「きみはスリットのある服によって自ら身を持ち崩し、僕はスリットによって悪の道に入り、ふたりとも破滅に向かう」
「それもいいわね」
「スリットをテーマに詩を書くといい」
「なにか出来そうな気もします」
「僕にはエスプレッソが出来た」
 ふたつの受け皿に載せたドゥミタスを、彼は居間のまんなかにある丸いカフェ・テーブルまで持っていった。
「この絵なのね」
 壁に立てかけてある絵を、恵子は示した。
椅子いすはひとつしかない。きみがすわれよ」
「私は立ってますから、あなたはすわって私のスリットを見てて」
 ドゥミタスを片手に持った恵子は、絵から数歩だけ離れて立った。絵に視線を向けたまま、ドゥミタスを唇へ運んだ。そしてエスプレッソを飲んだ。
「きみが贈ってくれたマシーンで作った。豆は僕の見立てだ」
「たいへん結構です」
 恵子はしゃがんだ。彼女の太腿に対するショート・パンツのスリットの様相が変化した。
「そしてこれはいい絵よ」
「僕もそう思う」
「高校三年の美代子さん?」
「そう」
 恵子はエスプレッソを飲み、絵の観察を続けた。
「絵というものは、不思議だわ」
 恵子が言った。
「どんなふうに?」
 日比谷は問い返した。
「この絵に即して言うなら、モデルになった人とそれを描いた人とが、合体してひとつになってこの絵を作っています」
「描いた画家は、このモデルを見た人だ」
「そうね」
「描いていくプロセスのなかで、モデルが目の前にいるときには、自分が描く人を画家は常に見ている。少しずつ絵が出来ていくと、その絵のなかの人をも同時に画家は見る。完成すると絵が残る。モデルはどこかへいってしまう。この絵の場合のように、完成した絵も自分の手を離れてどこかへいってしまうと、それ以後はいろんな人がその絵のなかの人を見る。自分が見たモデルを絵のなかの人物に作り換えて、画家はそれを人に見せる」
「モデルは画家の内面をかいくぐって、カンヴァスの上にあらわれて来るのね。そして画家もモデルにからめとられて、絵のなかの人の一部分になるのよ」
「この絵の場合でも、モデルを務めた高校三年生の後藤美代子は、充分に画家の内面をくぐっている」
「いい絵だわ」
 しゃがんでいた恵子は立ち上がった。何歩かうしろへ下がって絵を見た。そしてカフェ・テーブルのかたわらへ来た。
「すわれよ」
 そう言って日比谷は椅子を立った。恵子はその椅子にすわり、日比谷はかたわらでフロアに腰を降ろした。
「ママと料理を作って食べていたら、私は少し体重が増えました」
「そうかな」
 ショート・パンツとそでなしシャツで椅子にすわっている恵子の姿を、日比谷は低い位置からとらえた。
「私はますます美代子さんに似て来たみたい。もう少しだけ体重が増えると、残っている美代子さんの服が、ほんとに私にぴったりになるはずなのよ」
「美代子さんの服についての、高村恵子の推論としての結論を聞かせてほしい」
 日比谷のその言葉に恵子は椅子を手前に引き、カフェ・テーブルと深く向き合った。両肘りょうひじをテーブルに置き、両手を組み合わせ、その上に彼女は軽くあごを載せた。
「後藤美代子さんというひとりの人を、肉体としての存在、というふうに私はまずとらえてみたの。いなくなった頃の、彼女という肉体的な存在。二十五歳の女性という、ひとつの体。裸の彼女、というもの。彼女についての考察を、私はそこから始めました」
「面白い視点だ」
「彼女の部屋に寝泊まりしている私は、彼女の体にもっとも近いものとして、下着から観察していきました。パンティストッキングを一本も持ってなかった人なのね」
「気持ち悪くて履けないと言ってたそうだ。だからいつも素足。そういう証言がいくつかある。きみにも知らせてある」
 うなずいた恵子は次のように言った。
「美代子さんの下着は、理にかなった端正なものばかりです。余計な飾りのない、たいへんにストレートなもの。身につけたときの心地よさと機能だけを基準にして、すべての下着が選んであります」
 聞いている日比谷の反応を恵子は確認した。そして説明を続けた。
「これは具体的な事実として、私なら私が証言出来ることだわ。非常に理にかなった下着ばかり。華麗なものはいっさいないの。女の下着ではあるけど、いわゆる女らしさを過剰に出したものは、ひとつもありません。下着に関しては、そんなふうに合理的な統一が取れています」
「きみが身につけてインスタント写真で撮って送ってくれた下着は、どういう位置にあるものなのだろう。あの写真のなかの下着は、女らしさを過剰に出したものばかりだった」
「美代子さんにとっても、あれはすべて別扱いだったのよ。ビニールの袋にひとまとめに、丁寧に入れてありました。全部で二十万円くらいはする高価なものばかりで、どれもみな充分に美しい出来ばえなのね。女の体の性的な魅力をさまざまに増幅した上で、それを人に見せるための下着。人とは、多くの場合、男ですけど」
「いつもの自分の下着とは、別扱いだったのか」
「目的が違うということでしょう」
「どんなふうに?」
「身につけて誰かに見せた、というふうに」
「男に?」
「と考えるのが、いちばん普通ね。洗濯した形跡がないのよ。ほんのちょっと身につけて、そのまま袋に入れてしまっておいた、という印象があるわ。あるいは、誰かにもらって、そのままひとまとめにしておいた、というような」
「なるほど」
「輸入下着の店を三軒まわって、いてみたの。本格的な取材行為よ。いまから見て少なくとも六、七年は前のものですって。だから、美代子さんがいなくなったときから見ると、二、三年前のものということになるわね。その当時、なにかのことに、ほんのちょっとだけ、彼女はその下着を使ったのよ。あの下着に関しては、そこまでです。そこから先は、空想の領域になります」
「残されている服に関しては?」
「いま季節は夏でしょう。だから私は、美代子さんの夏服を、すべて着てみました。ほんとにそっけない服が好きだった人なのね。でも、それはそれでよく似合っていたはずだ、と私は思います。一枚ずつ自分で着てみてその姿を姿見に映すと、鏡のなかの自分はとても珍しい自分なのよ。こういう服を着ると自分はこんなふうにもなるのか、という発見があるの。私の体とその雰囲気は美代子さんとよく似てるかもしれないけど、私はいろんな方向の服を着るのが好きです」
「確かにそうだね」
「でも、そっけない服の魅力というものを、美代子さんに教えてもらったような気がします。これから、そういう服を着てみようと思ってるの」
「楽しみだ」
「夏服については、それ以上の発見はなかったわ。秋になったら秋の服を、そして冬には冬の服を、私は着てみます。だから秋と冬は手つかずですけれど、夏服から春に向けてさかのぼることは、してみました。いなくなった頃の季節まで。あなたからの取材報告にあったとおり、たとえばさまざまな色調のグレーのスカートがたくさんあるし、いろんなニュアンスの白いシャツも数多くありました。いなくなった日の服装をあなたが私に報告してくれたのを参考にして、私はあれこれ見当をつけてみたの。組み合わせはたくさんあるのよ。おそらくこれだろう、と見当をつけることすら不可能なほどに、組み合わせは多いの。スカートを一枚選ぶと、たとえばシャツの候補が何枚も上がって来るのね。就職してから買い整えたとしても、いつもかなり気にして店をまわってないと、あんなふうにはそろわないのではないか、とも私は思うのよ」
 そこでひと区切りした恵子は、フロアにすわっている日比谷を見た。
「面白い」
 と、日比谷は言った。
「じつに興味深い。続けてくれ」
「いなくなった日の服について、ひとつだけ、たいへん確かな発見をしました。いなくなった日、美代子さんはこのシャツを着ていたのではないか、という私の推論を支えてくれる発見」
「いなくなったその日に着ていたものなら、着たままいなくなったはずだから、部屋には残っていないことになるけれど」
「その問題まで、私の推論はつながっています。まず、そのシャツについて。その頃の季節の服をすべて何度も着てみた私は、襟の裏側や肩に当たる内側の部分がちくちくするシャツを一枚見つけました。ルーペで拡大して観察してみると、短い髪が何本もついてるの。髪を切ったときに出来るような短い髪。特に、短く切ったとき。うしろを短く切るから、短い髪がたくさん落ちるのよ。私がルーペで見つけたのは、まず間違いなく、それです。いなくなった当日、美代子さんは髪を短く切ったのではないか。それが私の、推論としての結論の、第一項目です」
「その日、美代子さんは五時に新聞社を出ている。中野玲子さんとの待ち合わせは六時三十分だった」
「どこか近くで、たとえば銀座で美容院を予約しておけば、一時間三十分は髪を短く切るだけなら充分すぎるほどの時間ですね。いなくなったその日、美代子さんはそのシャツを着ていて、会社が終わってから髪を短く切りました。それが私の推論。合わせていたスカートを特定することは出来なかったわ」
「なぜそのシャツが、美代子さんの部屋のクロゼットにあるのだい」
「中野玲子さんとおなじ電車でいっしょに帰って来た美代子さんは、玲子さんよりひと駅だけ先に降りました。玲子さんの証言どおりにおたがいに手を振ったあと、美代子さんは階段を上がって反対側に下り、改札を出て道を渡り、自宅へ戻ったのよ。当日のその時間、後藤夫妻は十一時すぎまで不在でした。家を新築した知人のお披露目に招待されていて、ふたりが自宅へ帰ったのは十一時過ぎだったのよ。美代子さんの弟さんはすでに就職していて、会社の寮に入ってました。だから自宅には誰もいなかったの」
「なぜ彼女はいったん自宅へ帰ったのか」
「区切りだから、と言っておきましょうか。自宅へ帰って、かねて用意の服に着替えて、すぐに自宅を出ました。そしてそれっきり。その日に着ていたというジャケットも、おそらくクロゼットのなかにあるはずよ」
「ブルー・グレーの細かいギンガム・チェックのジャケット」
「似たようなジャケットがたくさんあります。玲子さんに見てもらえば、特定できるのではないかしら」
「バッグは? 中野さんの言うところによると、横長の小さなクラッチ・バッグだった」
「それも似たようなものがかなりあるの。玲子さんに見てもらえば、これです、と特定出来るものがそのなかにあるかもしれないわね。ないかもしれないし。玲子さんの記憶のありかたにもよるわ」
「バッグの中身は?」
 と、日比谷は訊いた。そして次のように補った。
「定期入れや財布。社員証。クレジット・カード。ハンカチ。小さなブラシに口紅ぐらいは持っていたはずだし。それから手帳」
「口紅やハンカチのように、いくつもあるもののうちのひとつという性格のものは、たとえばハンカチならハンカチがまとめて置いてあるところに戻してしまえば、その日の彼女が持っていたものだということは誰にもわからなくなるわね。しかし、社員証や定期券のように、ひとつしかないものは、持って出たのではないかしら」
「なぜ?」
「だって、置いていったらせっかくの工作が台無しでしょう。いったん帰って来たということが、はっきりわかってしまうから」
「そのとおりだ」
「会社を五時に終わって、彼女は髪を切ったのよ。そして玲子さんと別れたあと、いったん帰宅して、あらかじめ用意しておいた服に着替え、いま言ったようなひとつしかない決定的なものは、すべて持って出たのね」
「なぜ着替えをしたのか」
「髪を短く切ったことと関係してきます」
「どんなふうに?」
「さっきも言ったとおり、ひとつの区切りでしょう。あるいは、ひとつの終わり。それまでの自分というものの、決定的な終わり」
「区切りを作ることになんの意味があるだろう」
 日比谷の言葉に恵子は首を振った。
「わからないわ」
 日比谷はしばらく考えた。そして、
「女が髪を切るとき」
 と言った。その日比谷の言葉を、恵子は次のように引き取った。
「女が髪を切るとき、という平凡な言葉に、私は過剰な意味を持たせたくないです。切りたくなれば切る。ただそれだけのことですけど、切ることに意味が託されている場合というものも、確実にあるのよ」
「たとえば?」
「ふっきれたとき。ふっきりたいとき。なにかを決意したとき。出直しだ、と判断したとき。それまでの自分を変えたいと思ったとき。自分を変えようと思ったとき。ほかにも、いろんな場合があるでしょう」
「美代子さんの場合は?」
「私の推論の、最終的と言っていい結論を言うことになるわ。言ってもいいかしら」
「聞かせてくれ」
「別人になるために」
「説明してほしい」
「ひとつふたつの小さな発見をもとに、私は推論を展開してるだけです。仮説です。ママにいたら、美代子さんの髪は短大の頃からずっとおなじだったと言ってらしたから。いなくなったあの日を限りに、それまでの後藤美代子という人は、終わったのよ。いなくなったの。消えたの。髪を短く切り、自宅に戻って着替えているときの彼女は、いったん誰でもないひとりの女に戻っていたのね。そしてそこから、彼女は別の人になったの」
 恵子の話はそこで終わった。
 椅子いすにすわっている彼女のショート・パンツ姿、特にその両脚のかたちを、日比谷は眺めた。恵子の話に完全に引き込まれていた自分を、彼は自覚した。彼はフロアから立ち上がった。そしてキチンのカウンターへ向けて歩いた。二杯めのエスプレッソを作るという具体的な行為をとおして、恵子の推論という一種のファンタジーを脱して現実に戻ることを、彼は実行に移した。
「ひとつひとつ反論してみるよ」
 と、日比谷は言った。
「反論ないしは質問。いま聞いた推論には敬意を表している。信じていない、というわけではない。きみの推論のとおりであってほしい、と思っている部分だってある。確実な反証がないかぎり、あらゆる仮説は敬意の対象となるべきだ。もしきみの推論のとおりなら、行方不明は美代子さんの意志によるものであり、したがってそのかぎりにおいては、美代子さんはどこかで無事である、ということにもなるのだから」
「どうぞ、反論して」
「当日、勤めが終わってから、美代子さんは美容院で髪を短く切ったとする。六時三十分に彼女は中野玲子さんと待ち合わせた。当日の美代子さんの髪について、僕は中野さんに質問した。いつもとおなじだった、と彼女は答えた」
「そう答えただけなのよ」
「中野さんは僕にうそをついたのか」
「積極的に嘘をついた、という種類のことではないはずです。美代子さんが髪を短く切ってあらわれたことについて、なにも言わずにいるというだけ」
「なぜ?」
「玲子さんは美代子さんの味方ですから」
「行方不明の真相を、中野さんは知っているのか」
「ぜんたいを詳しく知っている、というわけではないと私は思うの。行方不明になってから、おそらく玲子さんは必死に考えたのよ。その結果、行方不明の裏に美代子さんの意志を感じ取ったのね。その意志を、彼女は尊重しています。だから当日の美代子さんの、大きな変化である短い髪については、なにも言わずにいるのよ」
「という話に、論理の道筋はとおっている、と僕は思う。しかし、困るなあ。この次に会うとき、当日の美代子さんの髪について、僕はまた中野さんに質問しなくてはいけない。彼女は鋭い人だから、僕がふたたび髪のことを聞いたら、そこまでたどり着いたのだな、と思うはずだ。そしてそれは、中野さんにとって、気持ちのなかで負担になるに違いない」
 エスプレッソ・マシーンの細いノズルから、ふたつのドゥミタスのなかにエスプレッソが噴き出て来るのを、日比谷昭彦は見守った。ふたつのドゥミタスはすぐにいっぱいになった。彼はマシーンのスイッチをオフにした。日比谷は言葉を続けた。
「僕は中野さんを詰問したくない。知ってるのに言わずにいるでしょうとか、僕に隠してることがありますね、などと僕は言いたくない」
「なぜ?」
「僕は、中野さんを困らせたくない。もしきみの推論のとおりだとすると、髪について僕から質問されて中野さんは多少とも動揺するだろうし、僕に対する隠しごとをひとつ自覚させられるのは、けっして楽しいことではないはずだ」
 ふたつのドゥミタスを彼はカウンターの上の受け皿に置いた。椅子を立った恵子がカウンターまで来て、受け皿とその上のドゥミタスをカフェ・テーブルへ移した。恵子は椅子にすわり、そのかたわらに日比谷は立った。
「椅子をもうひとつ買いなさい」
 恵子が言った。
「カタログを見て買った椅子だけれど、そのカタログを捨ててしまった」
「カタログはまたそのうち届くでしょう」
「気をつけていよう」
 日比谷は話題をもとに戻した。
「きみの推論に沿って話を進めていくとして、中野さんはどこまで知っているのだろうか」
「私としては、さっき言った程度だと思うの。でも、すべてを美代子さんから教えてもらっているという可能性が、一方にはあるわね。それはまだ否定出来ないわ」
「察しがついてはいる、という程度がもっと現実的かな」
「美代子さんがいまどこでなにをしているのか、というようなことはおそらくいっさい知らないのよ。でも、美代子さんは自分の意志で消えたことはわかっていて、だから誰にもいっさいなにも言わずにいるのが、美代子さんに対する玲子さんのマナーなのよ」
「マナーは守ってるわけだ」
「そうね」
「僕もマナーは守りたい。僕は中野さんと美代子さんの関係を、乱したくない。ふたりの関係に乱入したいとは、これっぽっちも思ってはいない」
「でも、そうしなければいいのよ」
「やがてきみは中野さんと会うことになる。いま僕に語った推論は、まだ中野さんには語らないほうがいい、と僕は思う」
「私も同感です。推論を誰かれなしに語って聞かせるほど、私は軽率ではないわ」
「しかしこれからのきみはほぼその推論にしたがって、美代子さんについて考えたり調べたりすることになる、と僕は思う」
「それが私の役目だ、ということにしておけばいいのよ」
 二人はエスプレッソを飲んだ。そして恵子は次のように言った。
「いなくなった明くる日、鏡のなかに美代子さんが自分を見るときのことについて、思ってみて。久しぶりに髪を短くした自分を見ると、気持ちのふっきれかたが違うと思うのよ。昨日までとは別の自分、という気持ちになりやすいでしょう」
「その意見は僕にも理解できるし、なかば同意もする」
 両手の指先を使って恵子はドゥミタスを受け皿の上でゆっくりとまわしていた。
「なるほど」
 と、日比谷は言った。恵子が語ったことすべてに対する、彼のひとまずの結論的な反応だった。恵子は顔を上げた。そして日比谷を見た。恵子は静かに次のように言った。
「あなたに伝えたかったことすべてを、ひとまず私は語りました。語りたかったことは、以上です」
「まだきみだけのことにしておいてほしい」
「もちろんよ」
「誰にも言わないでほしい。少なくとも、いまのところは」
「言いません」
「きみは早くも結論に達した」
「あくまでも、推論としての結論です」
「しかし、論理の筋道はとおっている。事実は自分が考えているとおりに違いない、ときみは思っているはずだ」
 日比谷のその言葉を、高村恵子は微笑でかわした。
「僕はいま到達しているひとまずの結論は、きみの結論にくらべるとずっと手前の、後藤美代子さんという人は手ごわい人だという認識だ。僕としてはまだその段階にしか到達していない」
「手ごわい人ですよ」
「と言うよりも、一筋縄ではいかない人だ」
「でも悪い人ではないのよ」
「悪い人だとは言ってない。怖い人だ。きみが到達した結論によれば、後藤美代子さんという女性は、まったく別な人になるために、ある日を境にいなくなった。それまでの日常生活の場から、忽然こつぜんと消えてしまった。すべては彼女の意志にもとづいて、周到に念入りに計画されたことらしい。計画したとおりに、美代子さんは実行した。そしてそれっきりだ。それっきりとなって五年が経過している。どうやら美代子さんは、別人になることに成功したらしい」
「そのとおりよ」
「そのとおりよ、ときみはショート・パンツ姿で涼しく言うけど、それは大変なことだよ。自分という存在はそのまま自分として続いていくけれど、それまでの自分を自分たらしめてきた二十五年の歴史や日常生活の連続を、すべていっきに捨てなくてはいけない。それまでの自分は、自分の肉体というもの、そして脳のなかの記憶以外は、すべてなくなってしまう。後藤美代子さんが消えてから五年間というもの、いっさいなんの手がかりもない。ということは、別人になりきることに彼女は成功した、とひとまず考えていい。きみの推論を無理なく延長させるとそうなる」
「私もそう思っています」
 そう言った恵子はカフェ・テーブルの椅子いすを立った。バルコニーへ歩いていき、ガラス戸を開いた。そしてバルコニーへ出て、すぐなかに戻った。ガラス戸を閉じた彼女は、
「外はものすごく暑いわ」
 と言った。そこに立ったままの恵子に、フロアに座っている日比谷は向きなおった。彼女を低い位置から見ながら、彼は次のように言った。
「二十五年間つきあって来た両親を、ある日を境に完全に捨てなくてはいけない。彼らにはなにひとつ伝えず教えず、さようならすら言わずに、捨てなくてはいけない」
「別人になるという冒険のスリルにくらべたら、それは小さなことなのよ」
 という恵子の反応に対して、日比谷は言葉を続けた。
「自分の決意によって引いた一本の線を、一歩向こうへ越えたなら、それまでのすべては消えてしまう。ゼロになってしまう」
「めったに出来ない体験よ」
「両親だけではなく、弟だって捨てた」
「弟さんが、いったいどんな意味を持つの。捨てる捨てない以前の問題でしょう」
「そうなのか」
「そうだったはずだ、と私は思ってます。自宅に戻って着替えた一枚のシャツとも釣り合わないほどに、それは小さなことなのよ」
「ほんとに、まだ誰にも言わないでくれ」
「言いません」
 優しい口調だがはっきりと、恵子はそう約束した。
「でも、両親はもうあきらめているみたいよ。いなくなったあとの空白というものは、ずっと存在してはいると思うけど」
「その空白へ、ある日、高村恵子という人が登場した。高村恵子は後藤美代子さんと体つきがうりふたつで、その体が作るふとした表情や風情まで、よく似ているという」
「ほんとによく似ているみたいよ」
「そしてその高村恵子は、後藤美代子さんの両親を、いまやパパ、ママと呼んでいる」
「確かにおふたりは私を歓迎してくれています。ひとり暮らしを引き払って、引っ越して来なさいと言われています。ひょっとしたら、私は身代わりかもしれないわ」
「美代子さんとおなじ年齢だし。両親といえどもどうにも手の出しようがなかった美代子さんの失踪しっそうに、高村恵子は結論を出してしまった。内面においても、高村恵子は後藤美代子さんとよく似ているのではないか。よく似ている内面が、いま語ったような推論へ、きみを導いたのではないか」
「なんとも言えないわね」
「美代子さんの部屋に残された物が、きみになにを語るのか。美代子さんの痕跡こんせきとして、そこになにが読めるのか」
 日比谷の言葉を受けとめ、恵子は考えた。考えている恵子の立ち姿を日比谷は観察した。恵子はやがて次のように言った。
「部屋に残されている物品はすべて見ましたけれど、いま語った結論ほどには、物品に関しては私の考えはまとまってないの。物というものは、あくまでも物なのよ」
 今度は日比谷が考える番だった。恵子が言ったことの意味を、彼なりに解釈しようとした。その行為を追いかけるように、恵子は説明を重ねた。
「どの物品も、それ単独では、あるいはいくつ集まっても、それぞれの物でしかないのね。そういう言いかたで伝わるかしら。たとえば美代子さんは、サングラスをひとつだけ持ってたの。普通の眼鏡のように、ふたつのレンズがあるサングラスではなく、フレームの溝にシールドをはめ込むタイプのサングラス。一枚のシールドが目の前をぐるっと覆うのよ。透明とグレーとアンバーの三枚のシールドがあって。いくら私がそれを観察しても、私がいくらそのサングラスをかけて外を歩いてみても、それはなにも語ってはくれません。それはそういうサングラスであるに過ぎなくて、誰にとってもただサングラスであるだけなのよ。私のものでもいいし、あなたのものでもおかしくないし、誰のものであってもいいの。私にぴったりでよく似合うと思うから、いまは私が使っています。グレーのシールドをつけて」
 そう言った恵子は畳の部屋へ歩いてなかに入った。かばんのかたわらにしゃがむ彼女を、日比谷は背後から見た。鞄からソフト・ケースに入ったサングラスを彼女は取り出した。ケースから出して顔にかけ、しゃがんだままの姿勢で彼女は日比谷を振り返った。
「よく似合う。と言うよりも、後藤美代子さんだ」
 立ち上がった恵子は畳の部屋から出て来た。カフェ・テーブルの椅子まで歩き、彼女は腰を降ろした。サングラスをはずし、それを彼女はテーブルに置いた。
「これはただのサングラスであるだけなのよ。美代子さんについて、これはなにも語ってくれません」
「物品を環境から切り離してそれだけを観察すれば、確かにそのとおりだね」
 日比谷は平凡な言いかたでそう言った。
「あなたの部屋にある物品も、あなたについてはほとんどなにも語らないと思うのよ。誰のところにあってもいい物品が、たまたまあなたのところにあるに過ぎないから。あそこにある本棚の資料でさえ、あなたを知らない人が見たら、単なる本やコピー、切り抜き、そして写真でしかないのよ。あなたが興味を持った対象のごく一部分ではあるけれど、あなたのぜんたいではないわ」
「美代子さんのぜんたいについて語っているような物品は、部屋にないのかい」
 日比谷の質問に恵子は首を振った。
「いまのところ、なにもありません」
「それも妙だな」
「物を選ぶときの趣味くらいなら、見当はつくわ。きっちりと端正にまとまった、無駄のないきれいなものが好みだったみたい」
「それは美代子さん自身だ」
「きっちりと端正にまとまった、無駄のないきれいなものに自分はかれるから、自分もきちっと端正にまとまった、無駄のないきれいな存在になっていくという、相関の関係は読めると言っていいわ」
 恵子の説明を受けとめ、咀嚼そしゃくして飲み込み、日比谷は長く息を吐いた。
「僕が受けた印象では、美代子さんの部屋はがらんとしていた。妙にがらんとしていた、と言ってもいい。ごく基本的なものだけ残して、余計なものはすべて運び出したあとのような」
「それに関してはママの証言があるのよ。小学生や中学生の頃の美代子さんの部屋は、足の踏み場もないほどだったのですって。いろんなものがいっぱいあって。少しの期間でも自分の身辺にあった物品を、捨てることができない性格だったとママは言ってます。いま残っている美代子さんの部屋の様子からは、部屋にある物を出来るかぎり少なくしようとした意志を、私は感じます。高校に入った頃から美代子さんの部屋から物が少なくなり、短大生のときにはすでに決定的で、部屋のなかがあまりにもがらんとしているのに驚いた、とママは証言しています」
「残されている物を、ひとつひとつ詳しく観察してほしい」
「そうするつもりです」
「観察結果を僕は期待している」
「発見したことはすべてあなたに伝えます」
「それにしても」
 と、日比谷は言った。
「きみの推論の延長線上に立って言うけれど、美代子さんはいったいなぜ、そしてどんな別人に、なったのだろうか」
 日比谷の質問に恵子は首を振った。
「わからないわ」
 あっさり降伏するかのように、恵子はそう言った。
「それを判明させるのが、この取材の目的だろうか」
「そうでしょうね」
「今年の春から始めたこの取材は、ここに至って方向を少し変えたね」
「方向を変えさせるだけの、判明した事実があるということでしょう」
「いったいなぜ、別人にならなければいけなかったのだろう」
「わからないわね」
「いまのところ、それはまだ完全ななぞだよ」
「髪を切ったというような推論が事実だとしても、謎を解くためにはなんの足しにもならないかもしれないわ」
「そのとおりだ」
「昨日や今日に思いついて実行したことではないのよ」
「準備のための期間が充分にあった、という意味かい」
「それも含めて。かなり長いあいだ考え続け、考えれば考えるほどそれは魅力的になっていった、という仮説はさほど無理がないはずよ」
「長いあいだとは?」
「当てずっぽうに言って、たとえば十年」
「あり得なくはない」
「いなくなったとき二十五歳だから、十五歳くらいの頃から始めたとか」
 日比谷はフロアから立ち上がった。
「高校生の頃の美代子さんをかなりよく知っている人に、僕は取材する必要がある。中野玲子さんのほかには、そういう人に僕はまだひとりも会っていない」
「私は私で、取材を続けます。判明したこと、考えたことなど、すべて報告します」
「僕もきみに報告することがある」
 そう言った日比谷は、居間の壁に立てかけてある油絵を指さした。
「この絵を描いた人に関して判明した、新たな事実」
「矢沢さんというかたね」
「この絵を複写したカラー・プリントは、きみにあげたよね」
「持ってます」
「美代子さんの両親に見せたかい」
「いいえ。見たくないようだから見せないほうがいい、とあなたが言ったからそのとおりにしてます」
「これからも、そのとおりに」
 日比谷は恵子を準備室に連れていった。後藤美代子のファイルを取り出し、受け取ったばかりの矢沢千秋の妹からの手紙を、彼は恵子に読ませた。
「矢沢さんという手がかりは、これで切れるのかしら」
 読み終わって恵子が言った。四枚ある便箋びんせんのうちの四枚めを、日比谷はコピーした。それを恵子に手渡しながら、彼は言った。
「この個展へいけば、矢沢富美子さんに会えるよ。なにか聞き出せるかもしれない。それに、絵がもっとあるかもしれない。美代子さんをモデルにした絵が」
「そうね」
 後藤美代子のファイルをもとに戻した日比谷は、
「その個展へいっしょに出かけてみようか」
 と言った。便箋に書いてあることを見ながら、恵子は答えた。
「期間中にかならずいくということにしておいて、別々にいきましょう。そのほうが、ふたつの視点としておたがいに独立するでしょう。あとで語りあって、重ね合わせればいいのよ」
「では、そうしよう」
 中野玲子ともおなじようにしたほうがいい、と日比谷は思った。
 廊下に出て本棚の前に立った日比谷は、半分ほど本がならべてある棚のいちばん端にあった本を抜き取り、恵子に手渡した。中野玲子がビキニ姿でモデルを務めたダンベル体操の本だ。中野玲子が送ってくれた。
「ビキニの人が中野さん。裸や着衣のモデルのほかに、自分でも写真を撮る仕事をしている」
「きれいな人ね」
 恵子はその本のページをくった。そして、
「私も撮ってもらおうかしら」
 と言った。
「それはいいアイディアかもしれない」
 恵子が見終わったその本を彼は棚に戻し、ふたりは居間へ歩いた。中野玲子はいま仕事で四国へいっている。
『ヌードの仕事で四国の太平洋側へ撮影にいきます。いまの私の裸体が、真夏の陽ざしとどこまで張り合えるかが、個人的な楽しみです』
 と、玲子からFAXによる連絡があった。それからすでに二週間近くが経過していた。
「中野玲子さんに会ってもらわないといけない」
 日比谷は言った。
「きみを彼女に会わせなくてはいけない。会うのはラ・シャンブル・ノワールがいい、と中野さんは言っていた」
「いいわね、ぜひ。私はいつでもいいのよ」
 という恵子の返答を聞きながら、突然のひらめきのように、日比谷はひとつ思い出した。
 後藤美代子がいなくなった当日、ラ・シャンブル・ノワールの女主人は休んで店に出ていなかった、という事実だ。ふたりいる外国人女性の料理人のうちのひとりが、その日は接客した。恵子が言うようにその日の美代子が髪を短く切ったのなら、女主人は偶然にもその美代子を見ていない。中野玲子だけが見て、彼女だけが知っていることだ。
「私はこれからママのところへいきます」
 と恵子が言った。
「僕は原稿を書く」
「夕食には来て」
「電話をもらえると、ありがたい」
 畳の部屋に入った恵子は、かばんを持って出て来た。そして絵の前までいき、
「この絵の背景には見覚えがあるわ」
 と言った。
「この絵の背景、つまりこのアトリエのような場所。ヨーロッパの名のある画家の、有名な絵で見たような気がするの。部屋に帰ったら画集にあたってみるわ。モデルは美代子さんで、場所は名画のなかから借りたのよ」
 居間から廊下をまっすぐに玄関まで歩き、サングラスをかけてサンダルを履いた恵子を、日比谷は送り出した。キチンへいき、冷蔵庫から冷えているミネラル・ウォーターを取り出した。グラスに一杯、彼は冷たい水を飲みほした。
 そして執筆のための部屋に入り、椅子いすにすわってデスクのワード・プロセサーに向きあい、中断した部分の文章を、画面に出した。そしてその瞬間から、彼は文章を書くことに集中した。六時すぎに電話のブザーが鳴るまで、その集中は続いた。電話は恵子からだった。
「そろそろ来て」
 電話の向こうで恵子は言った。
「まもなく部屋を出るよ。後藤さんは?」
「もう帰宅しています」
「これから向かう」
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第十一章 ひとり二役



 矢沢千秋の個展を日比谷昭彦は初日に見た。会場の美術館は山口県の宇部うべ市にあった。東京から日比谷は飛行機を使った。この個展に関して、高村恵子と中野玲子がそれぞれどのような予定でいるのか、日比谷は知らないままだった。
 何年か前、高齢で他界した宇部出身の著名な画家が、すぐれた絵画作品を数多く遺した。簡単に言うと彼は郷土の誇りであり、彼の描いた絵は郷土の文化遺産であるということになった。その画家の絵、そして遺品などすべてを収集して管理し保管することを目的に、彼の名を冠した美術館が何年か前に建設された。
 遺された多数の作品を、テーマや視点を変化させつつ、常設展としてその美術館は一般に公開して来た。美術館本来の中心となるその常設展のためのスペースに付帯して、その画家以外の芸術家もとりあげる企画展のためのスペースも、美術館のなかに作られた。そこに身を置いていると気持ちのいい、かなり広いスペースだ。山口県出身の芸術家が優先的にとりあげられて来た。矢沢千秋の個展は、その企画展のひとつとして実現した。
 初日に日比谷昭彦がそこで見たのは、盛況と言っていい様子だった。幅の広い年齢の人たち多数が会場に入っていた。帰っていく人たちと入れ替わりに、あらたに入って来る人たちが絶えることなく続いた。展示してある絵を、日比谷は何度か繰り返し見た。それに値する出来ばえの絵ばかりで、絵画展として日比谷はたいそう満足を覚えた。
 後藤美代子に関して、いくつかの発見があった。高校三年生のときに美代子は矢沢千秋のためにモデルを務めた。彼女が彼のためにモデルを務めたのは、そのときだけではなかったことが、明らかになった。それ以後、何度も、少なくとも数年にわたって、彼女は矢沢の絵のためにモデルとなったのだ。
 裸体でモデルを務めた大きなサイズの作品を、日比谷はもっとも気にいった。画面の背景である高い壁のぜんたいをふさぐようにして、大きな鏡がある。その鏡に向かって裸の美代子が立っている。鏡のなかには彼女の正面全身像が虚像として映っている。その虚像と、実像のうしろ姿とを同時に見ながら、画家の矢沢千秋は彼女を絵に描いた。描いているカンヴァスの右端が、その作品の左端に描き込んであった。
 裸婦を壁いっぱいの鏡の前に立たせ、そこに映る虚像とうしろ姿という実像を同時に見てひとつのカンヴァスに描いていく画家は、カンヴァスの一端を描き込むことをとおして、それを描く自分をもおなじ画面に描いて遺した。自分が見た裸婦だけではなく、それを描いた自分をも、画家は作品として不特定多数の人々に見せようと試みた。『裸婦のいる部屋』という、いささか平凡な題名をつけてあるその作品を、日比谷はそのように解釈した。
 その絵のために裸でモデルを務めている女性は、まず間違いなく後藤美代子だった。高校生ではない。体もそしてその雰囲気も、ずっと成熟していた。二十二、三歳の頃ではないか、と日比谷は見当をつけた。高村恵子が美代子の部屋で目にとめた高級な下着の問題も、個展の会場内で解決した。恵子が自ら撮影したインスタント写真のなかで、彼女が身につけていたのとおなじ下着姿で、後藤美代子は矢沢千秋の絵のなかにいた。大きなカンヴァスのなかに、美代子をモデルにして、五点の絵が描いてあった。五点でひとつの作品を意図したのだろう。『架空の人のカタログ』というタイトルがつけてあり、タイトルのあとには(未完)という二文字が添えてあった。
 美代子がモデルになっている絵はもうひとつあった。『架空の人物画』というタイトルだ。画面のいちばん手前、左側半分ほどの面積に壁が描いてあり、その壁には鏡が取り付けてあった。鏡の前には女性が立っていて、彼女の顔そして肩から上あたりまでが、その鏡に映っていた。うしろ姿は実像として描いてあり、壁は誇張された遠近法のデ・キリコの建物のように、画面の奥に向けてのびていた。明るい陽のしている、物音のなにひとつ聞こえないような、静かななぞの午後の屋外だ。その建物の壁に沿って、向こうからひとりの若い女性が、こちらに向けて歩いていた。鏡の前に立っている女性と同一人であることは、その絵を見る人にはすぐにわかった。モデルは明らかに美代子だった。
 コーヒー・ショップでひとりコーヒーを飲む時間をはさんで、日比谷はその個展ぜんたいを何度か繰り返して見た。そのあとで彼はクロークへいき、預けておいた荷物を受け出した。高校三年生の後藤美代子をモデルにして矢沢千秋が描いた油絵だ。かさばらないように要領よく梱包こんぽうし、機内に持ち込む荷物として日比谷は持って来た。
 受付へいった彼は矢沢富美子に面会を求めた。近くに何人かの人の輪があり、受付の女性は小走りにそこへいった。そして着物姿の初老の女性に用件を伝えた。受付の女性とともに歩いてきた矢沢富美子に、日比谷は自分の名前と来意を告げ名刺を渡した。矢沢富美子は彼の名を記憶していた。ふたりは初対面の挨拶あいさつを交わした。
 簡単な立ち話以上の時間と場所が必要だ、と矢沢富美子は思ったようだ。戻って来るまで誰も取り次がないで、と受付の女性に言い、矢沢富美子は日比谷をコーヒー・ショップへ連れていった。窓辺の席でふたりは差し向かいとなった。彼はコーヒーを、そして矢沢富美子はカモミールのハーブ・ティーを注文した。
 自分についてあらためて手短に語った日比谷は、それを後藤美代子につなげた。彼女が行方不明であること、高校生のときに彼女が矢沢千秋のためにモデルを務めた絵を、その高等学校からもらい受けて来ていまここに持っていることなどを、彼は語った。
「ずいぶんスリリングなお話だこと」
 というのが、富美子が最初に見せた反応だった。楽しんでいるような口調で明るく、彼女はそう言った。
「後藤美代子さんは、確かに矢沢が教えていた高校の生徒さんでした。矢沢の気にいっていたモデルでした。卒業なさってからも、何度もモデルになっていただいたわ」
「この個展でも、作品をいくつか拝見しました」
「まだほかにもあるのよ。矢沢が亡くなる半年前くらいまで、モデルで来ていただいてたの。矢沢のアトリエと住まいは世田谷にあって、美代子さんは自宅から電車ですぐ近くとおっしゃってたのを、私は記憶してます」
 その場所を富美子は説明した。いま日比谷の仕事場にしている部屋から、歩いて十五分以内でいけるところだった。
「矢沢の死因は心臓疾患でした。半年ほど療養したあと自宅へ帰って来てアトリエで倒れて、それっきり。アトリエだったから、最期としてはとても良かったと私は思ってます。五年前の一月。ちょうど六十歳。そしていまの私が、その年齢」
「六十歳でお亡くなりになるのは、早過ぎましたね」
 と、日比谷は言ってみた。返って来たのは次のような言葉だった。
「早いか遅いかは、寿命や運命があることですから、私たち人間にはきめられませんでしょう」
 その言葉を受けとめる日比谷に、
「ところで美代子さんは、いま行方不明なのですって?」
 と富子はいた。
「五年前の五月に行方不明になりました。二十五歳のときです。会社の勤めを終わって、自宅のすぐ近くまで帰って来たとこまでは判明しています。そこから先は、なんの手がかりもないままです。当時の週刊誌に掲載された記事で私は興味を持ったのですが、この五年間、すっかり忘れていました。いまになって取材を始めています。けっして調査ではありません。ノンフィクションの書き手としての取材です」
「行方不明なんて、どういうことかしら」
「わかりません」
「いいお嬢さんよ。世田谷の家には私もいっしょに住んでましたから、モデルで来ていただいたときには私が応接してました。ノートに記録してあります。とてもきちんとした、見れば見るほどきれいなお嬢さん。単なる美人は退屈で飽きてしまうけれど、若いのに奥行きがあって。なんだかよくわからないけれど、不思議な奥行き」
 日比谷に渡した自分の名刺を取り出させ、その裏に富美子は世田谷の住所と電話番号を日比谷のボールペンで書いた。
「長いこと留守にしてますから、気がかりで。見回りに来てくれる人が、なかに入って窓を開けたりしてくれてますけれど。警察にも、留守宅ですからと頼んであります。アトリエがそのままなのよ。アトリエはなんとか保存したくて。画集も作りたいし」
「なにかご協力出来ることがあれば、ぜひとも参加させてください」
「よろしくお願いします。アトリエをさまざまに写真に撮って、画集のうしろのほうにつけたいと思ってるのよ」
 日比谷はうなずいた。その写真を撮る人として中野玲子が推薦出来る。あるいは、玲子の先輩の写真家だ。
「世田谷の家に戻りましたら、かならず日比谷さんに連絡いたします」
 富美子はそう言い、日比谷が仕事場から持って来た絵のことに話題は移った。
「高校三年生のときの美代子さんを、矢沢千秋さんがお描きになった油絵です。美代子さんの同級生から私はこの絵の存在を知りました。矢沢千秋さんが教えてらしたあの高校の、校長室の壁に掛けてありました。矢沢さんが講師でいらした頃からずっと、そこに掛けてあったのだそうです」
「矢沢の作品を、集められるだけ集めようと思って、あの高校にも問い合わせをしたのよ。作品はないという返事だったけれど、こういうことは自分で出向かないといけないということね」
「校長に会いまして、もらい受けて来ました。私が保管していたのですが、いい機会だと思ってお持ちしました。差し上げる、という言いかたは正確ではありませんが、もっともふさわしい場所にあるべきだと思いますので、お受け取りください」
「私にとっては、たいへんうれしいことよ、それは」
「簡単にほどけるようになっていますが、ご覧になりますか」
「見ましょう」
 日比谷は梱包をほどいた。そして彼はその絵を富美子に向けて、テーブルに立てて支えた。
「まさに矢沢の作品だわ」
 富美子が言った。
「いい絵だと僕は思っています」
「ありがとう」
「背景は有名な絵画からの引用だと言った人がいます」
「そのとおりね。有名な絵からの引用は、矢沢がよくやったことのひとつなのよ。広く知られた絵に描かれているものを、角度を変えて描いたり。でも、ほんとに不思議なお嬢さんね」
 絵を指してそう言った富美子は、苦笑に近い微笑を浮かべて日比谷を見た。
「間接的な取材をとおしてですけれど、私もおなじ不思議さを感じています」
 と、日比谷は答えた。日比谷の顔を見てしばらく考えたあと、矢沢富美子は次のようにいった。
「それがあのお嬢さんの魅力だとすると、矢沢は彼女が高校三年生のときに、早くもそれを見抜いたことになるわね。彼女にモデルを頼んだということは、そういうことだから。単なる顔立ちや姿かたちの良さだけでは、絵のモデルには使えないわね」
 矢沢富美子という六十歳の、しかし十歳は若く見える女性に関して、日比谷昭彦は肯定的な判断を下していた。現実問題の処理能力の高い、機転と応用の効く、明らかに気さくなタイプの女性だ。手紙の文面の、どちらかと言えば固い枠にはまった調子とは、ずいぶん違っていた。
「モデルをする楽しみは別の人になれること、と美代子さんは言ってたわ」
 と、富美子は言った。
「別な人にですか」
「そうよ。モデルの仕事が終わったあと、お茶とお菓子を出して雑談してたときに」
「そう言いましたか」
「私はよく覚えてます」
 日比谷は高村恵子のことを思った。後藤美代子は行方不明になったのではなく、別人になったのだ、と恵子は語った。
「それはどういう意味でしょうか」
 という日比谷の質問を受けとめ、微笑して富美子は答えた。
「いちばん普通に考えれば、モデルを務めたのは自分なのに、完成した絵のなかの人はまるで別人に思える、ということでしょう。自分を材料にして画家は別の人を作ってくれる、という解釈も成立するわね。さらには、モデルを務めているあいだの自分は別な人、という解釈だってあるでしょうし」
 後藤美代子というひとりの女性が、その深い部分で感じていた、別人になることの魅力。ピース数の多いジグソー・パズルの片隅が、少しだけではあるが正確に組み合わされていくのを、日比谷は感じた。
「後藤美代子さんに関して、矢沢さんがご記憶になっていることを、後日いつでもいいですから、お聞かせ願いたいのです」
「思い出して手帳にメモしておきますよ」
 富美子は答えた。
「でも、しばらくあとになるわね。ここが終わって世田谷へ戻ってから。この展覧会の準備のために、ずっとこちらだったのよ。家を借りて、そこに住んでます。さし上げた手紙に書いた私の住所がそこなの。すべて終わったら、世田谷へ帰ります」
「矢沢さんの絵には遊び心がありますね」
 という日比谷の言葉に対して、富美子は次のように語った。
「ポール・セザンヌの絵で、『林檎りんごとビスケット』という絵はご存じかしら。いくつもの林檎が主題になっていて、画面の右端にはビスケットを載せた皿が半分だけ描いてあるの。矢沢は角度を大きく右へずらさせて、林檎をほとんど画面の左から外へ出してしまって、ふたつか三つ残したあとに、ビスケットの皿を画面のまんなかに描いたの。そしてタイトルは『ビスケットと林檎』としたのよ。セザンヌそっくりと言うよりも、私の見るところではセザンヌそのものなのだけど、こういう遊び心がほとんどの絵に出てるから、矢沢はなかなか評価されなかったの。年配の美術評論家には、怒る人さえいるのね。こんなふざけた絵をなぜおれに見せるんだ、ということなのよね」
 語り終えた富美子は、日比谷が支えている絵をしばらく観察した。そして、
「ほんとにいただいていいの?」
 と聞いた。
「どうぞ」
 日比谷は絵を梱包こんぽうしなおした。
「画集を作るときには、美代子さんがモデルになった絵で、何ページかをまとめるといいわね。この個展に出ているもののほかにも、いくつかあるのよ」
「それらを見ることは出来ますか」
「矢沢の全作品をこの美術館に永久保存してもらえることになったの。現物はいずれご覧いただくとして、ひとまずカラー写真ではいけないかしら」
「充分です」
「ネガはみんな私のところにあるから、紙焼きして日比谷さんあてにお送りします」
 矢沢千秋の個展を見ること、そして矢沢富美子に会って話を聞くことのために、ひょっとしたら宇部に二泊する必要があるかもしれない、と日比谷は思っていた。しかしその必要はなかった。午後のまだ早い時間に、彼はその美術館をあとにした。
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第十二章 ふたたび最初の取材者



 福山俊樹に会うべきではないか、と日比谷昭彦は思った。下北沢のあの喫茶店にはいつでもいける、という思いは思いだけであり、現実には福山が希望したように、ふらっと立ち寄ることを自分はあれから一度もしていない、と日比谷は反省した。中野玲子がくれた五枚の写真のコピーを福山に送った。その返礼に、この写真は自分なりに考えていくためのきっかけになりそうだ、と福山はファクシミリで伝えてきた。福山はいったいどんなことを考えたか。
 山口県宇部市から日比谷が東京へ戻った日は火曜日だった。日比谷は福山の喫茶店に電話をかけた。福山は店にいた。会って話をしたいという希望を伝えた日比谷に、
「明日はいかがですか」
 と、福山は言った。
「水曜日」
「はい」
「店は定休の日でしたね」
「そうです。もしおいでいただけるのでしたら、店でお待ちしています。どこかほかの場所がよろしければ、僕はどこへでも出向きます」
 福山の提案を受けて、日比谷は定休日の店へいくことにした。午後の適当な時間を選んだ。
「お待ちしてます」
 と福山は言った。
 次の日、水曜日、約束した時間どおりに、日比谷は福山の喫茶店へいった。本日は定休です、と書いた札がドアにかかっていた。しかしそのドアは開いた。日比谷はなかに入った。カウンターの照明だけがともっていた。そして福山俊樹はひとりでカウンターのなかにいた。生真面目きまじめな表情で福山は日比谷に礼をし、長方形の大きなテーブルの手前の角を片手で示した。
「いまエスプレッソをお作りします」
 と、福山は言った。
「ダブルで」
 日比谷は注文をつけ、福山はうなずいた。長方形のテーブルの、福山が示した角の右側の椅子いすに、日比谷はすわった。エスプレッソ・マシーンで一杯のエスプレッソを作るのは、ごく簡単な作業だ。無駄のいっさいない動きでその作業を滑らかにこなしていく福山を、日比谷は見守った。
「夏も峠を越しましたね」
 福山は言った。
「どんな夏でしたか」
 なかば冗談として、日比谷はそう聞いた。
「後藤美代子の夏でした」
 と、福山は答えた。
「日比谷さんが写真を送ってくださってから、ずっと彼女のことを考えていました。美人OLなんて言葉を僕はあの週刊誌の記事のなかで遣いましたけれど、絶対に単なる美人OLではないですね、後藤さんは。それではいったい彼女はなになのかということをめぐって、考えごとばかりしていた夏でした」
「夏はもう少し残ってますよ」
 日比谷の言葉に福山はうなずき、微笑した。そして、
「だから僕はもっと考えます」
 と答えた。エスプレッソはダブルで完成した。受け皿に載せてカウンターに置き、福山は外へ出て来た。カウンターのエスプレッソを日比谷の手もとへ運び、テーブルの角をはさんで椅子にすわった。
「取材は進んでますか」
 福山は言った。
 高村恵子が展開してみせた推論を、日比谷は福山に語ってみたいと思った。しかし、語りたいという気持ちを彼は抑制した。宇部の美術館で矢沢千秋の個展を見て来たことについて、日比谷はあったとおりすべてを語った。高校三年生のときに美代子が矢沢のためにモデルを務め、二十代になってからも何度かモデルになったことを、日比谷は福山に語った。
「僕が最初に取材したとき、中野玲子さんという同級生から、美代子さんの写真を見せてもらいました」
 と、福山は言った。
「福山さんの取材ノートに、写真を拝見、と書いてあったのがそれですね」
「いくら頼んでも、写真を貸してくれないんですよ。ここで見るだけにしてくれと言い張って。だから、拝見としか書きようがなかったのです」
 そう言って福山は苦笑した。
「写真で拝見したかぎりでは、後藤美代子さんはじつに美しい人です。あれだけ美しければ絵にも描きたくなりますね。日比谷さんがコピーを送ってくださった写真は、初めて見るものです。中野さんが私に見せてくれたのは、行方不明になった時期に近い、その年の三月から四月にかけて中野さんが撮影した、スナップ・ショット三枚でした」
 福山はそうつけ加えた。取材の結果として浮かんで来た美代子の性格の輪郭、彼女の自宅や両親のこと、そして自分のアシスタントとして取材をしてくれている高村恵子について、日比谷は語った。週刊誌のあの二ページの記事のために取材をしただけの福山にくらべて、日比谷はすでにはるかに多くのことを知っていた。自分たちのあいだに存在するその段差を、日比谷は軽い障害物のように意識した。世間話の域を出ないなら、段差は邪魔にはならない。しかし、それ以上に踏み込んだ話をするには、福山は知らなさ過ぎる、と日比谷は思った。その思いをいっきに帳消しにするようなことを、福山はなにげなく言った。
「中野玲子さんは、かなりのところまで知ってますよ」
 日比谷はしばらく無言でいた。どのように答えればいいのか、とっさには判断がつかなかったからだ。福山がこのように言うときの、その根拠について質問すべきだ、という正しい方向を日比谷はやがて見つけた。
「そこまで言い切るからには、後藤美代子さんの行方不明事件の本質が、福山さんにはかなりのところまで見えているわけだ」
 日比谷の言いかたに、福山はうれしそうな表情となった。何度かうなずき、微笑をさらに深め、ひとまず次のように言った。
「といういまの日比谷さんの言いかたは、中野玲子さんがかなりのところまで知っているということを、日比谷さんも認めた言いかたになりますよ」
「僕はなにも認めてはいない」
 日比谷の反応に福山は笑った。
「では僕が考えたことをしゃべります」
 と、福山は言った。そして次のように続けた。
「美代子さんの行方不明は、突発的に起きた出来事ではないということです。何者かに力ずくで拉致らちされ、どこかで殺されてそれっきり、というような事件ではないのです。けっしてそうではない、というのが僕の直感です。とすると、理屈で追い込んでいくと、行方不明になってそれっきりという状態は、美代子さんの意志こそが作り出したものだ、ということになりませんか。そしてその方向で考えていくと、その考えかたは、行方不明という出来事のぜんたいに、感触的にしっくりとなじむのです。突発した事件とは、さっき言ったことを言い換えると、たとえば誰かにその美貌びぼうに目をつけられていて、生活の時間帯を調べられ、待ち伏せされてワゴン車に押し込められ、どこかへ連れ去られたというようなことです。こういう出来事というものは、ざらざらとした荒い感触をかならず持っていますし、もっと言うなら、暗く殺気立って荒涼とした手ざわりをしています。美代子さんの出来事には、こういう荒い手ざわりは感じないし、ふさわしくもないのです」
「美代子さんの意志として考えていくと、ぜんたいはしっくりと落ち着くということですか」
「そうですね。第三者の暴力が介在するような、荒っぽい出来事ではないんですよ。それとは反対の、綿密で緻密ちみつで、繊細でしかも強靭きょうじんな、複雑なニュアンスに富んだ出来事です」
「なぜそこまで言い切れるのですか」
「ある日を境にいなくなって、それっきり五年間、なんの手がかりもないんですよ。美代子さんが自分の意志で消えたからこそ、そうなるのです」
「具体的な証拠は?」
 という日比谷の言葉に福山は笑った。相手である日比谷を軽く諭すような笑いだった。
「そんなことを言ってはいけませんよ」
 福山は言った。
「理屈を追い込んでみているだけですから、具体的な証拠はなにもありません」
「福山さんがそんなふうに思うようになったのは、いつからですか」
「取材しているあいだ、なんとなく感じてはいたのです。日比谷さんにお会いしてから、そして写真のコピーをいただいてから、意識的に考え始めました。考えてみた結果、いま喋ったようなところへ落ち着いたのです。僕が感じた感触というものに論理をあたえるとそうなる、と言ってもいいですね」
「感触という主観に、理屈をつけたわけだ」
 福山をある程度まで刺激する目的で、日比谷はそう言ってみた。福山は苦笑した。
「日比谷さんは、わざとそう言ってるでしょう」
 福山は言った。
「いまの僕には、こういう理屈しか言えないのです。しかし、その理屈のなかに見えて来る美代子さんというものは、取材をとおして日比谷さんに見え始めて来た美代子さんと、合致しませんか」
 ストレートに答えるほかない、と日比谷は思った。だから彼はそのとおりにした。
「けっして悪い意味ではなく、美代子さんは一筋縄ではいかない、怖い人です」
「強い意志の力を持った人、と言い換えていいですね」
 福山の言葉に日比谷はうなずいた。福山は言葉を続けた。
「昨日ふと思いついて今日すぐに実行した、という性質のものではないのです。根が深い、という言いかたはあまり適切ではありませんが、時間的にそして意志的に、根は深いのです。いくつかの理屈をきちんとたどっていくと、そうなります」
「行方不明という出来事の発端は、かなり遠くにあるという意味ですか」
「ほら、日比谷さんもそう思ってるじゃありませんか。隠さないで喋ってくださいよ」
 福山のその言葉を、日比谷は表情を変えることなく受けとめた。そして日比谷は考えた。考えた結果として、彼は次のように言った。
「推論の段階だから、誰にも言わないでほしい」
「言う相手がいませんよ」
「相手がいれば、喋るのですか」
「そういう意味ではなくて」
 高村恵子の推論を、順を追って日比谷は福山に語った。
「さすがに、面白いなあ」
 というのが福山の反応のしかただった。
「僕は高村さんの詩と小説を読んでいます。熱烈なファンです。さっき名前が出たときには、びっくりしました」
「僕はあくまでも推論のひとつとして受けとめています」
 と言った日比谷に、福山は答えた。
「まさに推論ですけれど、短い髪がいくつもついているシャツは、動かしようのない具体物ですからね。女性でも髪を短くすると、襟足を男とおなじように切りますから、男の昔ふうの散髪みたいに、短い髪がいっぱい落ちます」
 髪を短くした美代子を見たのは中野玲子だけである、という推論も日比谷は語った。福山の理解を助けるために必要な周辺の情報も、すべて彼はつけ加えた。
「中野玲子さんがかなりのところまで知っているという福山さんの論は、なにでどのように支えられているのですか」
 と、日比谷は質問した。
「これも感触の問題です」
 福山はそう答えた。そして次のように説明した。
「後藤美代子さんと中野玲子さんは、仲良しなのです。高校を卒業したあとも、しばしば会っています。いつも会っていた、と言っていいのだと僕は思っています。根が深い、と僕はさっき言いましたけれど、具体的にそれは長い助走路のことです。どんなかたちにせよ、長い時間のなかで考え続け、少しずつ準備を重ねないと、出来ないことです。そういう助走路に、仲良しでしかもあれほどに鋭い中野さんが気づかないはずはない、と僕は考えます。美代子さんがどの程度まで中野さんにしゃべったかどうかは、問題ではないのです。もし喋っていたとしても、中野さんの知っていることが少し増えるだけですから」
「福山さんの感触で判断すると、どうなりますか」
「美代子さんは玲子さんに具体的にはなにも言ってはいません。玲子さんに自分の計画をある程度まで明かすのは、ある日を境にして完全にいなくなって別人になるという作業の、基本的な性格に反するからです。いくら玲子さんが親友でも、この人にだけは教えておくという例外を、美代子さんは作りませんよ。美代子さんはそういう性格の人です。いかがですか」
 日比谷は福山の意見に賛成だった。
「玲子さんは、具体的にはなにも教えられてはいないけれど、美代子さんがしたことの輪郭くらいには、気づいているのです」
「どこへ消えて誰になったのか」
 と、日比谷は言ってみた。福山の返答は、たいそうまともだった。
「いちばんすんなりした理屈を、とにかく端から追っていくほかないですね」
「福山さんの考えたことを、聞かせてください」
「どこの誰になろうとも、たとえばあなたはどこの誰ですかと正式に聞かれたなら、私はこういう者ですと証明してくれる、身元証明や身分証明のような書類が必要です。会社の身分証などではなく、もっと正式なもの、つまり国家の証明書類です。日本の現実のなかでは、戸籍の謄本や抄本、住民票、印鑑証明といったものですね。美代子さんはいまはもう三十歳の女性ですから、こういったものなしではきちんとした生活は出来ません。どこで誰になろうとも」
「そのとおりですね」
「自分自身のそのような書類を、いまもそのまま使っている可能性については、日比谷さんは調べましたか」
「謄本や住民票などの請求記録に関しては、美代子さんの誕生日ごとに、父親が恒例として区役所で調べています」
「なにもないですか」
「ないと聞いています」
「当然でしょう」
 と福山は言った。
「美代子さんは、二重の意味で、別な人になったのです。国家が保証する身元に関する書類は、誰か別な人の正式な書類を使っている、という可能性のほかに道はありません。その書類の人に美代子さんはなりきっているかもしれませんけれど、そうではなく、書類としては便宜的にはその人であり、美代子さん自身は、あらたに作りなおす自分自身として、どこかに生きているのです」
 福山による以上のような説明を、
「書類の上では誰かになりすましている」
 と、日比谷は単純に言い換えてみた。
「そうです。すべてを偽ってその人になるとか、その人とすり替わる、というようなことではなく、なにか正式な書類が必要なときには、その人のを用いている、ということです。理屈として考えていくと、そのかたちがもっとも簡単ですから。実際はもっと複雑なのかもしれませんけれど」
「自分はこの人だ、と偽るのが目的ではなく」
「そのとおりです。そして美代子さんは美代子さんですけれど、別な新しい美代子さんなのです」
「便宜的に使っている誰か他人の身元証明のような書類は、必要なときにはいっさいなんの支障もなしにいつでも自分のものとして使えなくては意味がないね」
 日比谷のその言いかたを、福山は次のようにふたつにみ砕いた。
「正式に生きた書類でないといけません。そしてもうひとつの条件は、必要なときにはいつでも、美代子さんがその人の書類を行使して、なんら怪しまれたり問題が生じたりしないことが、まず絶対の条件だと言っていいですね」
「誰かにそれを提供してもらっている」
「それもあり得ます」
「要するに誰かの正式な書類を借用していながら、誰にもそうとは見抜かれないまま、という状況だ。それがもっとも便利だ」
「基本的にはそうなります」
「中野さんのを借りてるのかな」
 ふと思いついて、日比谷はそう言ってみた。福山はしばらく考えた。そして、
「あり得なくはないです」
 と言った。
「中野さんなら頼みやすいはずだ」
 という日比谷の言葉に、福山は次のような反論を試みた。
「とは言え、中野さん自身も社会とつながって、さまざまに活動しています。中野さんの正式な書類はまさに生きていますけれど、それを美代子さんに貸すと、必ず重複しますよ。おなじ人がふたりいることになります。そしてそこから発覚していくというか、面倒なことになりませんか」
「この五年間というもの、そんなことはなにひとつ起きていない。なにかあってとしても、中野さんがすべて処理しているのかもしれない」
 日比谷の言葉に福山俊樹は首を振った。柔和な笑顔を日比谷に向け、彼は言った。
「美代子さんになってみてください。現実問題として、中野さんからの借用は、かなり不便ですよ。理屈の上ではすべてが二重になるのですから、危険です。さらに理屈を言ってもいいですか」
「どうぞ」
「いちばん便利というか、もっとも都合がいいのは、書類としては正式に生きているけれど、その書類を証明する当人は、まったく社会的に活動していない、という場合です」
「美代子さんは書類上ではその人になりきれるね」
「しかも二重になりません。美代子さんだけが、その書類を自由に使うことが出来るのです」
「日本の国籍であるかぎり、どこでなにをしていても、日本国家の正式な書類がついてまわる」
「繰り返しますけれど、その書類の人になることによって社会を欺くのが目的ではないのです。その書類を完全に自分だけのものとして、ほぼ自由に使いながら、新しい自分として美代子さんはどこかに生きているのです」
「ただし、具体的な証明は、いまのところなにひとつない」
 と、日比谷は言ってみた。
「なんらかの手がかりになりそうな出来事が、行方不明になってから五年間なにひとつなかったという事実が、少なくとも理屈の上ではなによりの証拠になりませんか」
「その後の美代子さんには、少なくとも書類の上では、いっさいなんの問題も起きていない、ということだと読んでいい」
「という抽象的な世界です。現実にはたいそう具体的なのですけれど、たとえばいまここでこうして考えている僕たちとしては、抽象的な筋道を見つけるのが先決です。そのあとで具象を拾っていけばいいのです」
 日比谷は答えた。福山の理屈に穴はないか。どこにもなさそうだ、という結論に日比谷はやがて到達せざるを得なかった。
「日比谷さんも理屈は得意でしょう」
 福山は言った。
「日本語で理屈を言うと、良くない意味や否定的な意味がつきまといますけれど、いまここでの僕は、思考のための純粋な筋道、というような意味で使っています」
「僕もだ」
「そういう意味での理屈が、日比谷さんは得意ですよ。お書きになったものを読めば、そのことはよくわかります」
「福山さんの理屈をさらに展開すると、どんなことになるのだろう」
 自分のそのような質問に対して福山がどう答えるか、日比谷は期待した。
「日比谷さんは、たとえば今月末を期して、まったくの別人になれますか」
 と、福山はいた。
「なれない」
 と、日比谷は即答した。語ろうとしている福山に弾みをつけるためだ。
「ひと月やふた月の準備では、人は別人にはなれないのです。一年や二年でも無理でしょう。さきほど言いましたけれど、いつもの日常の自分と並行させて、長い期間にわたって助走路を引いていく作業が必要なのです。必要にして充分な期間、たとえば十年くらいにわたって。そして助走路とは、別人になったときの自分の、身元や生活のしかた、意識のあり方など、すべてのことです」
「十年あれば助走路は出来るだろうか」
「時間としては充分でしょう。あくまでも僕の理屈ですけれど。時間だけではなく、意志の問題もありますね。意志の質です」
「美代子さんのような」
「はい。そして助走路が充分に出来たなら、ある日のこと、なにげなくふとそちらへ、乗り移ればいいのです」
「なるほど」
「次には、助走路の具体的な完成度の高さが問題になります。それまでの自分とその生活を、乗り移ったその日から、完全に捨てることが出来るかどうか、という難問です」
「美代子さんの場合のように」
「行方不明になってから五年間、なんの手がかりもないということは、彼女がそれまでの自分を完全に捨てることが出来たことを意味してませんか。ということは、助走路は充分に作ってあった、と解釈出来ます」
「意志とその質が充分だとすれば、助走路とはあくまでも具体的な事柄だよね」
 受け皿に指先をかけ、日比谷は言った。エスプレッソがまだ半分残っているドゥミタスが受け皿に載っている。その受け皿に指先をかけるとき、自分のぜんたいのなかに心地良い余裕が生まれる。その気分を日比谷は好いていた。
「福山さんが言うとおり、身元や身分を証明する正式な書類は、助走路作りにとっては最初から必要だ。というよりも、まず最初に、それが必要だ。いつ、どこで、誰の正式な書類への自由なアクセスを、美代子さんは手に入れたのだろうか」
「それはまだまったく不明なのですか」
「まったく不明です。僕の取材はまだその段階まで到達していないから」
 そう答えて日比谷はエスプレッソを飲んだ。
「行方不明になったとき、美代子さんの年齢が二十五歳だったという事実も、手がかりというなら確かに手がかりなのです」
 福山は言った。日比谷は彼に顔を向けた。
「どんなふうに?」
「助走路へ移って別人になるにあたって、二十五歳という年齢はぎりぎりのところかな、とも思うからです」
「若すぎてはいけない、しかし年齢を取りすぎていても駄目だ」
「二十五歳はちょうどぎりぎりのところですよ」
「二十五歳を区切りの目標にしていたとしたら、すべては完全に計画的だったということになる」
「おそらく、そうだったのです」
緻密ちみつに、入念に、長期間にわたる計画だった」
「人知れず練り上げた計画です」
 福山の言葉を受けとめながら、日比谷はエスプレッソに助けを求めた。上出来のエスプレッソを体のなかに入れてから、彼は次のように言った。
「助走路を作るために使った期間が仮に十年だったとして、二十五歳から十年さかのぼると十五歳だ。まだ彼女は中学生だよ」
「高校の三年間を対象にして、取材されたらどうですか。大人になってからの美代子さんに関しては、かなりのところまでわかって来たでしょう」
「どこまでをかなりと言うべきか。しかし、すでにわかっていることは多い」
「そこまでの取材を周辺取材と考えて、次の段階はもっと絞り込んで小さな円を作り、その円のなかに高校の三年間を入れてみるのです」
「高校三年生のときの、たとえば同級生名簿は、資料として基本中の基本だろうね」
 そう言った日比谷に、
「お持ちですか」
 と、福山は訊いた。日比谷は首を振った。
 基本的な資料をまだなにひとつ手に入れていない自分について、日比谷は思った。その思いは中野玲子へとつながった。彼女なら持っているだろう。後藤美代子の部屋にも、ひょっとしたらそれは残されているかもしれない。部屋に残っている資料について、高村恵子に取材を頼まないといけない。
 玲子について思ったのをきっかけにして、高校三年生のときの美代子が演劇部の活動として主演した芝居について、日比谷は思った。そのときの舞台を撮影したヴィデオがある、と玲子は言った。ぜひとも見せてもらわなくてはいけない。舞台で役を演じることは、少なくとも舞台に出ているあいだは、別人になることではないのか。
 小さくひとつ明かりがともるかのように、日比谷には思い出すことがあった。銀座の喫茶店で中野玲子に初めて会ったとき、美代子が演じたその役はひとり二役だったと玲子は言わなかったか。確かに彼女はそう言った。ファイロファクスに自分はそのとおりに書き込んだはずだ。現在から高校三年生の美代子に向けて、一本の線がのびてつながるのを、日比谷は自分の頭のなかに見た。
 福山俊樹に会ってこうして話をするのは、たいへんいいことだ。美代子が女優の道へ進まなかったことを残念に思っている、とも中野玲子は言った。女優とは役ごとに別人を演じる人だ。美代子について語ったとき、玲子が女優の話を持ち出したのは、深読みするなら遠まわしのヒントだったのではないか。そう思う自分を笑顔で自ら中和しつつ、日比谷は福山に顔を向けた。
「後藤美代子さんは女優に向いていると思いませんか」
 と、日比谷は言った。
「女優ですか」
「そう」
「あれだけ美人なら、外見的には充分すぎるほどですね。直感は鋭く正しく、頭はいいようだし」
「女優になるのはいいけれど、いまの日本ではふさわしい活躍の場がないかもしれない」
「TVドラマに出ても、どうなるものでもないですし」
「ほんとだね」
 そこに至って初めて、ふたりの会話は途切れた。その途切れた時間を賞味するような表情でいた福山は、
「女優はいつだって別人なのです」
 と、言った。
 その言葉に促されて、日比谷はふたたび高校三年生の演劇公演について思った。シナリオは出来が良く、その芝居は好評だった、と中野玲子は言った。そのシナリオを書いた人がいるはずだ。誰が書いたのか。あの私立高校の演劇部の資料として、そのシナリオは保存されていないか。演出家もいたはずだ。その舞台を演出したのは誰なのか。美代子につながる一本の線が少しだけ太くなっていくのを、日比谷は感じた。
「つきとめますか」
 と、福山はいた。どういう意味だろうか、と日比谷は考えた。その考えのままに、
「美代子さんの所在を?」
 と、日比谷は訊き返した。
「はい」
「美代子さんが自分の意志と計画とによって消えた結果の行方不明なら、それを暴くというようなことは絶対にしたくない」
全貌ぜんぼうが明らかになったとき、それを両親に伝えますか。美代子さんを別人としての生活から連れ戻しますか」
 福山のそのような質問に、日比谷は部分的に答えた。
「両親はすでにあきらめてるよ」
「そうですか」
「彼らに全貌を伝えることに、果たしてどれほどの意味があるのか」
 日比谷のその言葉を、
「そのとおりですね」
 と、福山は受けとめた。
「暴くなんて、もってのほかだよ」
「それを聞いて、安心しました」
「取材を続けた結果としてすべてが判明したとしても、美代子さんにはいっさい知られたくない。取材が核心に迫ると、自分が取材されていることに、美代子さんはなんらかの経路をとおして、気づくのではないか」
「あり得ますね」
「気づかれたくない」
「取材の進めかたは、慎重でないといけませんね」
「福山さんも加えるとして、僕と高村恵子の三人だけで、いまは取材している」
「思いがけず核心に接近したとき、気をつけないと」
「美代子さんに気づかれたくないとは、このまま別人であり続けてほしい、ということだ。別人としての生活を、断ち切りたくない。そこへ割り込みたくもない。彼女の所在をつきとめて待ち伏せし、ふと歩み寄って、後藤美代子さんでしょう、などとは絶対に言いたくない」
 それまでは意識化されていなかった自分の気持が、福山との会話をとおして明確になっていくのを、日比谷は第三者的に受けとめた。
「全貌は知りたい。しかし、それは僕なら僕ひとりの興味にとどめたい。全貌を知って、そこで完結させたい。全貌は知らなくても、その寸前でいいかもしれない。僕という人がかなりのところまで知ったことを、美代子さんには知られたくないし、彼女の両親にも教えたくはない。両親は彼女を連れ戻そうとするかもしれないから」
「会いにいくぐらいは、親としてするでしょうね」
「させたくない」
「させないでください」
「僕がなにも言わなければいい。興味がせたので取材は打ち切ります、と言えばそれでいいのだし。なし崩しに沙汰さたやみにするという手もある」
「本には書かないのですね」
「もちろん。最終的な目標としては、出来事のぜんたい像を知った上で、美代子さんの至近距離までいければそれでいい」
「美代子さんをひと目は見たいと思うのではないですか」
「思うだろうね」
「どうします?」
「それはそのとき判断することにしよう。とにかく、美代子さんには、いっさい知られたくない」
 日比谷の言葉に福山はうなずいた。
「これはまったく仮定の話ですが、もし中野玲子さんが美代子さんの協力者だとしたら、中野さんはすでに日比谷さんのことを、美代子さんに伝えている可能性がありますね。私がうまく邪魔するから安心してまかせておいて、というような言葉を添えて」
 日比谷はしばらく考えた。考えた結果を彼は福山にそのまま伝えた。
「中野玲子さんという女性は、そういう二重性に耐えられる人だろうか。ある線から向こうのことは絶対にしゃべらない、という抑制は守り抜ける人だとしても、まかせといてと一方で美代子さんに言い、もう一方では僕をうまくごまかすという作業を、彼女は自分に許す人だろうか」
「僕の受けた印象では、中野さんはそういう人ではないようです」
 と、福山は答えた。
「だったら、中野さんに関しては、安心していい」
「そうもいかないでしょう」
「どういう意味だい」
「もし中野さんが協力者だったら、いまごろはすべてが筒抜けですよ」
「確かに、それはそのとおりだ」
「取材は慎重でなくてはいけないのです」
 ふたたび日比谷は考えた。これからの取材範囲は、美代子が高校生だった時期が中心となる。少くとも三年生のときの同級生には、日比谷は全員に会うつもりでいた。もしそのなかに美代子の協力者がいたら、どうなるか。
「慎重というよりも、取材は不可能に近くなって来るね」
「まったく不可能ではないでしょうけれど」
「アプローチのしかたを、よく考えなくてはいけない。私は後藤美代子の行方不明を取材しています、とは言えないわけだ」
「そうですね」
「これからの取材は難しい。しかし、全貌をほぼ知った上で、美代子さんにはまったくなにひとつ知られることなく、ごく短い時間でいいから、美代子さんの至近距離までいってみたい。たとえば喫茶店のカウンターで、ふたつか三つ間隔を置いた席で、エスプレッソを一杯だけ飲むとか」
「この女性なのか、という実感はあるでしょうね」
「そして、それで充分だよ。それを感じて、すべては終わる」
「賛成です」
 と福山は言った。
「すべてを終わらせるためには、取材を続けなくてはいけない」
 日比谷のその言葉に、
「高校ですよ」
 と、福山は言った。
「ですよ、とはどういう意味なのか、と僕は思う」
「重要な出発点はそこにある、というほどの意味です」
「福山さんの結論ですか」
「あくまでも推論としてですけれど」
「推論ではあるけれども結論が出せるほどに、後藤美代子さんのことがわかって来た、ということだ」
 いまの自分に言い切れることを、日比谷はそのように言った。
「協力者がいるはずです」
 と、福山は言った。日比谷はうなずいた。
「その協力者は、ほとんどすべてを知っています。協力者はおそらくひとりでしょう」
 福山の言うことを、日比谷は別の方向から次のように言い換えた。
「十年にわたって助走路を作っていく作業は、ひとりでは出来ないという意味ですか」
「そうです。美代子さんが書類上はその人になる正式な身元というものを、美代子さんが完全にひとりで手に入れることは、理論的には不可能ではありませんけれど、たとえば新しい身元としてこの人の書類を使ったらどうかという提供を協力者がおこなった、と考えたほうが理屈としてすんなりします」
「そうだね」
 短くそう答えて、日比谷はため息をついた。
「日比谷さんはときどきため息をつきますね」
 福山が言った。日比谷は彼に顔を向けた。
「子供の頃からの癖なんだよ。気持ちの上での間の取りかたみたいなもので、それ以上の意味はないんだ。いまの僕のため息に、しいて意味を見つけるなら、後藤美代子さんの行方不明という出来事はじつに不思議な出来事なのだという、感嘆の気持ちだよ。ある日を境にして別人になりたいという願望の不思議さ」
「十年の助走路があったと仮定すると、ある日を境にして、という言いかたは成立しませんね」
「そのとおりだ」
「助走路を作っているあいだ、自分はそれまでの自分のままなのでしょうか」
 福山の質問に、
「それはまた新たな理屈の領域だね」
 と、日比谷は答えた。
「助走路を作っているあいだ、美代子さんは自分を少しずつ変えていったのではないでしょうか」
「そう考えたほうが理屈に合う」
 福山にそう答えながら、日比谷はまた高村恵子のことを思った。この喫茶店で福山と話を始めてから、高村恵子について思うのはこれで何度めだろうか、と日比谷は苦笑した。高村恵子が語ったことを、日比谷は思い出していた。
 小学生そして中学生の頃の後藤美代子は、物を捨てられない性格だった、と母親が言ったという。したがって美代子の部屋には物がたくさんあった。しかし、彼女が短大生になった頃には、母親がびっくりするほどに、美代子の部屋から物は少なくなっていた。美代子の部屋を見たとき、自分が最初に抱いた印象は、がらんとしている、ということだった。たいていの物はすべてどこかへ持ち出したあとなのか、とさえ彼は思ったほどだ。それまでの自分を少しずつ消していき捨てていくと、それと呼応して、たとえば部屋のなかの物は少なくなっていったのではないか。
「別人になるのはいいけれど、別人にも生活のための資金は必要だね。少なくとも当座は。それは、どのように解決したのだろう」
 日比谷が示した日常の底辺への関心に、福山は次のとおり答えた。
「収入はなるべく使わないようにして、自分しか知らない口座に積み立てておいた、というのがもっとも純粋に自前のやりかたでしょうね。勤務先からの給料は振り込みでしょう。そこから別の口座に移すのです。移した先の口座について記録が残るといけないから、いったん引き出して別の口座に入れなおすのですね」
「給料が振り込まれていた口座の通帳、というものが残されているだろうか」
「通帳そのものはなくても、銀行へいけば記録があります」
「どの銀行なのか」
「勤務先に聞けばわかります」
「理屈ではなく、具体的な書類や物にあたっていくと、動かしがたい証拠と言っていいものが、あるときひとつ、そしてまたひとつと、見つかるのだろうか」
「きっとそうです」
「僕と福山さんが、こうして理屈を突き合わせる。さらに福山さんと高村恵子が、おなじことをする。その結果を僕が受けとめる。理屈というものが持っている純粋な前進力は、何倍にも増幅されていくのではないかと、僕は思う」
「その可能性は充分にあります」
「高村恵子に会ってください」
「会わせてください」
 中野玲子と高村恵子を会わせることも、早急におこなわなければいけない、と日比谷は思った。
「今日は日比谷さんと語り合って、僕の持っている理屈はひとまず尽きました」
「福山さんに会ったのは正解でした。たいへん有益だった」
 そう言った日比谷は、後藤美代子の件に関するおそらく最大のなぞについて、
「なぜ別人になるのだろうか」
 と、福山にいてみた。福山は次のように答えた。
「理屈で押していくなら、別人になることのスリルですね。別人になるのは、おそらく難事業ですよ。しかし仮に十年もの助走路があれば、タイミングを計ってそちらに乗り換えればいいのですから、具体的な作業は思いのほか簡単かもしれないですね」
 福山の言葉を受けて、次には日比谷がかなり長く喋った。
「別人となって、それまでの自分をいっさい捨ててしまう。裸になって鏡と向き合う。そこに映っているのは、生まれてからずっと続いて来た、この世でただひとりの自分だ。そのたったひとりの自分は、後藤美代子としての歴史や生活、そして環境を持っていて、それゆえに後藤美代子その人であり得たけれども、後藤美代子としての歴史や生活そして環境は、すべて捨ててしまった。鏡のなかの自分を見ながらそういうことを思うとき、捨てることにそれほどのスリルがあるのだろうか」
「考えようですね。その人の基本的な資質と深く関係しますよ。たいへんなスリルだと思う人はいるはずです。しかし、いまの僕たちは理屈を言っているのですから、別人になることによって手にする莫大ばくだいな利益、というようなところにまでは考えが及んでいないのです」
「莫大な利益」
「仮の話として」
「そんなものがあるとして、それはいったいなにだろう」
「仮の話です。仮定です。推理小説のような」
「別人になると解放感があるだろうか」
「それも人によりますね」
「なにもなさすぎて、逆に閉塞へいそく感を強く感じるかもしれない」
「それまでとはまったく別な人生を作っていくのですから、それこそ真に創造的なことかもしれませんよ」
 真に創造的なこと、と福山は言った。その言葉がイメージとして現出させる膨大な空間について、日比谷は思ってみた。
[#改丁]


第十三章 詩人は結論を出した



 昼食を終えた日比谷昭彦は、電車に乗って仕事場へいった。準備室にあるファクシミリは受信した紙を自動的に切るタイプではない。受信した紙は巻紙をほどいたように、ファクシミリが置いてある台へ、そしてそこからフロアに向けて、垂れ下がる。十メートルを超える長さの受信紙がファクシミリからフロアへと落ちているのを、日比谷は拾い上げた。
 何人もの人たちからのさまざまな用件のなかに、加藤早苗かとうさなえという女性からの受信があった。後藤美代子がかつて勤務していた新聞社の、調査部で同僚だったひとりだ。日比谷が村田という調査部の男性から話を聞いたとき、村田は後藤美代子と同僚として過ごした三人の女性たちを日比谷に会わせた。加藤早苗はそのうちのひとりだ。
『村田とともに過日お目にかかりました加藤と申します。お留守のようですので、ファクシミリにて失礼をいたします』
 かたどおりの挨拶あいさつに続けて、加藤早苗は次のように書いていた。
『あれ以来というもの、後藤さんについて考えることが多く、それはなにか思い出すべきことがあるからだろうと思っておりましたところ、ひとつ思い出したことがございますので、お伝えしたく思います。お役に立てる内容かどうか、私にはまったくわかりませんが、お手空きの折りに調査部へ電話をいただければ、幸いでございます。私が席におりませんでしたら、電話に出た者におことづけをお願いいたします。私から日比谷様に連絡を取らせていただきます』
 後藤美代子についての資料がすべて入っているファイルのなかから、日比谷は調査部の村田の名刺を取り出した。そしてそこへ電話をかけた。加藤早苗は席にいた。留守中に受信したファクシミリへの礼を日比谷は述べた。出向いて直接に話をうかがってもいいし、電話で語ることが可能なら電話で受けてもいい、と日比谷は言った。すぐに私からかけなおしますので、しばらくお待ちいただけますか、と彼女は言った。仕事場の電話番号を日比谷は彼女に伝えなおした。そして電話を切り、その場で待った。すぐに電話のブザーが鳴った。日比谷は受話器を取り上げた。
「お手数をおかけして申し訳ありません」
 と、加藤早苗は電話の向こうで言った。調査部の部屋を出て、どこか別な場所から電話をかけなおしているのだ、と日比谷は見当をつけた。電話で充分に伝えることの出来る内容だと彼女は言い、次のように切り出した。
「後藤さんはフランス語がたいへんに堪能だった、という事実を思い出しました。私が直接に確認したことではなく、間接的に聞いたことなのですが、まず間違いのない事実です」
「フランス語に堪能だったのですか」
「はい」
「僕は知りませんでした」
「私たち調査部の者は、趣味でもなんでもいいのですが、他の人たちが体験していないようなこと、あるいは人よりも少しは余計に知っていることに関して、公開し合うのです。そのことならあの人に調査を頼むといい、という最初のとっかかりを、可能なかぎり多くしておきたいからです」
「よくわかります」
「後藤さんがフランス語に堪能だということは私は知りませんでしたし、他の人たちも知らなかったと思います」
「つまり後藤さんは、自分のフランス語の能力について、公開していなかったのですね」
「そうだと思います。公開は職務上の義務ではありませんし、自分ではまったくたいしたことないと思っていれば、なにも言わずにいることはあると思います」
「そうでしょうね」
 と相槌あいづちを打った日比谷に、加藤早苗はフランス映画の題名をひとつ、言った。
「一九六〇年代前半の作品です。当時、日本でも公開されました。ご存じですか」
「題名は知っています。有名ですね。しかし、僕は見ていません」
「この映画のなかで描かれている人間関係の配置と、台詞せりふのやりとりの一部分に関して、確認を求める依頼が学芸部の記者から入ったのです。ヴィデオは本国ではかつて発売されたのですがいまはなくて、日本では出ていないのです。とりあえず資料に頼るほかないのですが、たとえば公開当時にシナリオが翻訳されて日本の映画雑誌に掲載されたというようなことはなかったのです。かつて配給を扱った会社がいまも東京にあり、連絡してみたところ、まったくの偶然だったのですが、ニュー・プリントでふたたび公開される予定が出来たばかりのところだったのです。プリントはすでにその配給会社に届いていて、字幕を作成するために原文のシナリオをフランス側に請求している段階でした。後藤さんはその会社の試写室で試写してもらい、記者が依頼してきた調査内容に完璧かんぺきこたえたのです。普通はそこで一件落着するのです。シナリオも字幕もなしに後藤さんが依頼を完全にこなしたことは、誰にもわからないままになるのです」
 そこまでしゃべって加藤早苗はひと区切りとした。感情の抑揚を感じさせない、平坦へいたんに鎮静された喋りかたには、妙な説得力があった。
「たいへん興味深いお話です」
 と、日比谷は反応した。それに促されて、彼女は続きを次のように語った。
「記事を書いたあとでその記者も試写してもらって見たのです。そのときもまだ字幕は入っていなくて、いっさいなにもわからなくて困った、とその記者から調査部に電話がありました。後藤さんはそのとき席にいず、私が電話に応対しました。調査部の女性はすごいねえ、あんなに複雑な映画が字幕なしでわかる人がいるんだねえ、と記者はしきりに驚いていました。フランス語がきわめて堪能でないと、あそこまではわからないはずだ、と記者は言っていました。後藤さんが手に入れた資料は、公開された当時に日本の映画雑誌に掲載された紹介記事くらいのものです。あとで私が後藤さんにいてみたら、いま私が申し上げたようないきさつを教えてくれたのです。フランス語は高校と短大で勉強したと言ってました。高校のフランス語は自由選択科目だったけれど、必修科目の単位としても補填ほてん出来るので、かなり厳しく教えられたということでした」
「短大と合わせて五年間ですね。五年あれば、かなりのところまで勉強出来ますよ」
 そう言った日比谷に、加藤早苗は答えた。
「私は大学の二年間だけでしたけれど、翻訳とつき合わせながら『星の王子さま』を最後まで読むのがやっとでした」
「普通にしてれば、そんなところでしょうね」
 電話の向こうでひとり苦笑している声で、
「ですから後藤さんは、普通ではなかったのです」
 と、彼女は言った。そして、
「いまではその映画のヴィデオが、日本でも発売されています」
 とつけ加えた。
「手に入れて、見てみます。そして、いまのお話と照合して、僕なりの感想を加藤さんにお伝えします」
 日比谷はそう言い、礼を述べて電話はそこで終わった。後藤美代子についての専用のファイロファクスに、日比谷はいまの話を書き込んだ。そしてしばらく考えた。後藤幸吉に電話をすることについて、日比谷は思ってみた。
 美代子さんはフランス語にきわめて堪能であった事実をご存じですか、と父親である後藤幸吉に質問してみる。知りませんでした、という答えが返って来ることはまず間違いない、と日比谷は思った。知りませんでした、という父親の返答を手に入れて、この問題はそこで終わるのか。終わらない、と日比谷は判断した。
 父親が知らないということは、美代子が伝えていなかったということにほかならない。しかし、美代子は隠し立てをしていた、美代子は秘密主義の人だった、美代子と父親とのあいだには会話が成立していなかった、というようなことではない。まったくそうではない。美代子が意識的に伝えなかっただけだ。父親が知らないという事実は、教えずにおいたという美代子の意志ないしは意図として解釈すべきだ。
 では美代子は、なぜ教えずにおいたのか。その点に関しては、次のように考えればいいのではないか。教えないということは、見せずにおく自分というものを確保しておくことだ。自分を部分的にしか見せない。相手が誰であれ、その人に美代子は部分的な自分を記憶させることを心がけた。部分的な自分とは、本当の自分とはかなりなところまで異なった自分にほかならない。
 自分について人に知られる部分を少なく抑制しておくという削除の方式によって、ほとんどいつも美代子は、ある程度まで別人を演じていたのではないか。自分が後藤美代子について知り得たことを念頭に置くなら、そんなふうに考えるともっともしっくり収まることを、日比谷はひとりで確認した。いまのような理屈を福山に語ったなら、彼は賛同してくれるだろうか、とも日比谷は思った。
 日比谷は執筆のための部屋に入り、ワード・プロセサーに向かって文章を書く仕事を開始した。日本の国家予算についての本の、まとめの部分をいまの彼は書いていた。二十年後、三十年後という近い将来において、日本はきわめて厳しい状況のなかへ落ちざるを得ない。あまりにも厳しい状況だから、そのことについて言葉による先取りとして書いていく作業には、倒錯的な快感があった。
 夕方まで彼は仕事を続けた。六時を過ぎた頃、隣の準備室でファクシミリが受信を始める音を彼は聞いた。受信が終わってから彼は椅子いすを立ち、隣の部屋へいってみた。高村恵子からの送信だった。京都のホテルのレターヘッドの、縦に四角いスペースを斜めに倒して、彼女はサインペンで走り書きしていた。それを日比谷は読んだ。
『矢沢千秋さんの個展へ、昨日いって来ました。会場で中野玲子さんに会いました。会場にいる私のうしろ姿を、玲子さんは見たのです。私のことを完全に後藤美代子さんだと思った彼女は、私にあと数歩のところまで接近したのち、なにも言えないままにそこに立ちつくし、私を凝視したのです。視線を感じて振り返った私は、ひと目で彼女だとわかりました。日比谷さんが見せてくれたダンベル体操の本に出ていたあの女性だということは、すぐにわかりました。中野さん? と私は言ったのです」
 恵子が第一節に書いた内容は以上のようだった。まるで小説ではないか、と日比谷は思った。彼は第二節以下を読んでいった。
『私に名前を呼ばれた中野玲子さんは、なおいっそう驚いたようでした。彼女の顔からは血の気が引いていたのですが、さらに青くなり、本当にまっ青になったのです。まっ青になる、という言いかたを私が現実のものとして見たのは、このときが最初です。玲子さんは倒れるのではないかと私は思い、玲子さんに向けて歩み寄った私は、高村恵子です、と言いました。そして日比谷さんのアシスタントの役目のひとつとして、この矢沢千秋さんの個展を見に来たことを伝えました。
 日比谷さんを仲介にして、後藤美代子さんのことを中心に、私と玲子さんとはつながっています。ですから玲子さんにはいきさつを難なく理解してもらえて、そこから先は初対面のふたりがたいへんいい友だちになっていくプロセスでした。私の体つきとそのディテール、ふとした身のこなし、そしてそれが生み出す風情のようなものが、後藤美代子さんと生き写しのように似ているのだそうです。でも顔立ちは違ってますし、性格は私のほうがあちこち飛び散るように拡散していて、美代子さんのように鋭さが一点に集まったようなところはありません。
 私たちはいっしょに個展を見ました。来てよかったと心から思えるほどに満足しました。いくつかの絵のなかに美代子さんが描かれていて、玲子さんにとっては感銘の深いものがあったようです。高校生のときから、その後のかなり長い期間にわたって、美代子さんは矢沢さんのモデルを務めたようです。
 私と玲子さんとはいい友だちどうしとなり、京都まで戻って昨日はここに泊まりました。明日の午前中、私は祇園ぎおんで対談の仕事があります。ホテルの部屋で私はこれを書いていて、その私を玲子さんは写真に撮っています。明日、いっしょに東京へ帰ります。日比谷さんを加えた三人で、ラ・シャンブル・ノワールで会う相談を玲子さんとしました。来週の木曜日はいかがでしょう。もしよろしければ、その日の午後七時、お店で落ち合いませんか。明日の夜は自宅にいます』
 末尾に恵子は自分専用の電話とFAXの番号を書き添えていた。彼女が言う自宅とは、後藤幸吉夫妻の家だ。それまでのひとり暮らしを恵子は引き払い、かつては後藤美代子が両親や弟とともに住んでいたあの家へ、すでに引っ越していた。二階のスペースぜんたいが、美代子に代わっていまでは恵子の専用だった。そして彼女は、後藤幸吉夫妻との生活に早くもなじみきっていた。その生活を当然のこととして受けとめ、楽しんでもいた。
 恵子からのFAXの文面を、日比谷はもう一度読み返した。こういう展開もあるのかという思いに、感銘といっていい気持ちが重なるのを彼は自覚した。来週の木曜日に関する承諾の返信を書き、日比谷はそれを高村恵子あてにFAX送信した。後藤美代子の部屋に残っているはずの、服以外の物についての取材を恵子に頼まなくてはいけない、と彼は思った。頭のなかで飛び石の上を歩くように、彼の連想は福山俊樹まで到達した。来週の木曜日、ラ・シャンブル・ノワールへ福山を誘うことを、日比谷は思いついた。彼を誘う文面を書き、銀座からその店への略地図を添え、福山のFAX宛に送信した。
 しばらくして日比谷は部屋を出た。チーノにトレッキング・シューズ、そして半袖はんそでのシャツで外を歩くと、夏という季節が早くも経過して去ったことを、全身で感じることが出来た。次の季節の始まりの感触は、しかし、それはそれで快適だった。彼は散歩をした。歩きながらいろいろと考えた。その結果として、来週の木曜日以前に中野玲子と会っておくべきだ、という判断に達した。
 自分の側におけるその後の取材の展開に関して、まず玲子に伝えておきたい。知り得たことを彼女に伝え、それに対する彼女の反応を直接に受けとめてみたい。推論としての結論を、高村恵子は玲子に語っただろうか。誰にもまだ語らないでほしい、と日比谷は恵子に言った。口外はしない、と彼女は約束した。だから恵子は約束を守っているだろう。後藤美代子が高校三年生だったときの、演劇部の公演のヴィデオを玲子から借りなければいけない。その公演を中心にして、練習風景や当日の舞台そして楽屋などを撮影した写真が自分のところにたくさんある、とも玲子は言っていた。それらも見るべきだ、と日比谷は思った。
 夕食の店を彼は選んだ。そしてそこへいき、彼はひとりで夕食を食べた。店を出ると日は暮れていた。散歩の続きとして、彼はかなり大きくまわり道をし、部屋へ戻った。来週の木曜日の件に関して、福山俊樹からの承諾の返信が受信されていた。
 次の日も日比谷は朝から仕事場で執筆をした。朝は昼となり、昼食の時間をへて午後が始まった。午後は夕方へ向かい、夕食のあと日比谷は仕事場へ戻り、執筆を続けた。八時そして九時と、夜の時間が静かに経過していった。九時三十分を過ぎて電話のブザーが鳴った。日比谷は電話に出た。電話は高村恵子からだった。
「帰ってます」
 と、恵子は言った。だから日比谷は、
「お帰りなさい」
 と答えてみた。
「じつにいい個展だったわ」
「僕も気にいった。好きな画家のひとりに加えたい。遊びのような態度に僕は賛成だ。遊びとは言っても、絵画としての必然の中心において、きっちりと構成された工夫がこらしてある」
「工夫じたいが遊びなのよ」
 と恵子は言った。
「そこから生まれている余裕が、とても好ましい」
「美代子さんは高校を卒業してからも、矢沢さんという画家のモデルを何度も務めたのね」
 矢沢千秋の妹、矢沢富美子に会ったことについて、日比谷は簡略に恵子に語った。
「僕のこの仕事場から歩いて十五分以内のところに、彼のアトリエがある」
「中野玲子さんについては、FAXに書いたとおりよ」
「面白く読んだ」
「私たちはすっかりいい友だちになりました」
「きみの推論について、中野さんに語ったかい」
「いいえ。あなた以外には語らない約束がしてあります」
「美代子さんについて、語り合ったかい」
「ほとんど話題にならなかったのよ。私が意図的にその話題を避けたわけではないし、玲子さんも避けたわけではなく、話題として出て来なかったのよ。それはそれでごく自然なことだったの。私が後藤家にすっかりなじんで居ついてしまったことを、玲子さんは面白がってたわ」
「中野さんにとっても、ひょっとしてきみは身代わりなのか」
 日比谷のその質問に対して、
「違いますよ、とんでもない」
 と、恵子は答えた。
「体つきがいくら似ていても、それだけでは身代わりにはなれないでしょう。私は私です。ママやパパにしても、身代わりを求めたわけではないですし。美代子さんが空けた空間のなかに、おなじ年齢の私が入って来て、それが楽しくてうれしい、ということなのよ。それ以上ではないし、それ以下でもなくて。でも私にとっても、求めていた世界でもあるのよ。三十歳にしてようやく、家に帰るとパパやママがいます」
「きみはいま、家ではなんと呼ばれているんだい」
「パパはお恵ちゃんと呼んでいて、ママは恵子ちゃんね。これで定着するのではないかしら」
「お恵ちゃんに頼みたいことがある」
「どんなこと?」
「美代子さんの部屋に残されている、服以外の物について、高村恵子の観察眼を光らせてほしい」
 日比谷の言葉に恵子は次のように答えた。
「美代子さんの部屋にある、ライティング・ビューローの椅子いすにすわってみた話を、あなたはしてましたね。左上の引出しを開けてみた話。何冊かの小さなノートと、箱に入ったカードがあった引出し」
「その引出しだけを、僕は開けてみた」
「他に三つ、引出しがあるのよ。でも、三つとも見事に空っぽ。なにも入ってないの」
 受話器から自分の耳のなかに入って来る恵子の声を、日比谷は受けとめた。受けとめて咀嚼そしゃくし、咀嚼したものが思考の経路のなかにいきわたると、彼は無言とならざるを得なかった。順番に開いていく三つの引出しがすべて空である様子を、彼は想像した。三つの引出しのなかには、立方体の空間があるだけだ。その空間を彼は想像のなかに見た。三つの空の引出しのどの空間にも、後藤美代子の意志が満ちている、と彼は感じた。
「なぜ黙ってるの?」
 電話の向こうから恵子がいた。
「空っぽの引出しを三つ、僕は思い描いていた」
 と、日比谷は答えた。
「誰の日常をも埋めるはずの、ごちゃごちゃしたいろんな物を、美代子さんは意識的に持たないようにしたのね。いまそのライティング・ビューローに向かって椅子にすわり、私はこうして電話しています。日常を埋めつくす夾雑物きょうざつぶつを、美代子さんは可能なかぎり削り落としていたのよ」
「短大生の頃から、あるいはそれよりもっと前、高校生の頃から、美代子さんは少しずつ、自分の日常から余計なものを削り落としていった」
「きっとそう。美代子さんは一枚のCDも持ってないのよ。もちろんプレーヤーもなければスピーカーもないし。いまは私のがあって、棚はCDでいっぱい」
 恵子の説明を受けとめて、日比谷はふたたび無言となった。無言でいるのがもっとも正しいことだった。
「また黙ったのね」
 恵子が言った。
「書類のようなものに関して、観察した結果を僕に教えてほしい」
「書類?」
「紙類」
「たとえば?」
「さまざまな印刷物。たとえば、高校生のときのクラスの名簿」
「そんなものがあると思う?」
「そう訊くからには、そんなものはそこにはないのか」
「ないのよ。アドレス・ノートが一冊あっただけ。半分くらいまで記入してあるの。しかし書いてある人の名は、かなりの数よ。全ページをコピーして、あなたに渡します。美代子さんの過去へさかのぼっていくための手がかりとなりそうな紙類は、そのアドレス・ノートだけ。あとはアルバム。写真帳。本棚のいちばん下の棚に六冊。写真はきれいに整理してってあるわ」
「それも見たい」
「訪ねて来て。いつでもいいのよ」
「本棚には本があった」
「かなりあるわね。でもここにある本は、新聞社での仕事のための基礎的な勉強の教材だ、と私は見当をつけてます。いちばん基礎的な見取り図のような知識を得るための本。だから新書が多いのよ」
「部屋に残されている書類的なもの、つまり名簿やリストといった紙類の観察を、僕はきみに頼もうと思っていた」
 そう言った日比谷は、次のような意外な言葉を、恵子から受け取らなくてはならなかった。
「美代子さんの件に関して、私はあなたのアシスタントであり続けてもいいけれど、あなたに頼まれたことだけを、その範囲内で調べてみるだけ、ということにしたいの」
「なぜ?」
「先日、あなたに語ったとおり、あくまでも推論ではあるけれど、私としては結論が出たから。あの推論以上には進展していません。でも、私にとっては、あれが結論なのよ」
 山口県から帰ったあと福山俊樹に会ったことについて、日比谷は手短に恵子に語った。福山を相手に語り合ったことを、日比谷は電話の向こうの恵子に繰り返した。
「美代子さんがどうなったのか、僕は知りたくはあるけれど、知るのはすべてを暴くためではない。本は書かない。僕たちがこうして取材していることを、美代子さんには絶対に知られたくない。美代子さんの意志を尊重したい。彼女をめぐる現状は、そのままにしておきたい」
「しかし、つきとめたくはあるのね」
 つきとめるという言いかたを福山もしていた、と日比谷は思った。
「美代子さんの所在を無理なくつきとめることが出来れば、それに越したことはない。しかし、いま言ったとおり、美代子さんにはいっさい知られたくない。美代子さんの現状を乱したくない。判明したことは、それがどのようなことであれ、ご両親には伝えずにおきたい。しかし、ちらっとでいいから、美代子さんの姿を見ることは、してみたい。そうか、この女性なのか、と思ってみたい」
「気持はよくわかるわ」
 そう言った恵子は、
「でも私は、そこまですら、しなくていいの」
 と、つけ加えた。
「きみなりの結論が出たからか」
「そうよ。でも、あなたの取材には協力します。たとえば高校生のときのクラス名簿、とさっきあなたは言いましたけれど、高校の同級生ひとりひとりに、これからあなたは取材するつもりなの?」
「そうしようと思っている」
 と日比谷は答えた。
「なぜ?」
 恵子は訊いた。
「過去へかなり遠くまでさかのぼるべきだと思うから。二十五年続いた自分というもの、そしてその自分をめぐる生活のすべてを捨てて別の人になる作業は、昨日思いついて今日はもう実行に移すという性質のものではないよ。だから高校まで戻って、そこからたどりなおす。高校生の頃の美代子さんとの接点は、いまのところ中野玲子さんだけだ。中野さんを別にすると、高校へいって校長さんに会っただけだ。もっと早くに、僕は高校までさかのぼるべきだった」
「ひとりひとりコンタクトを取って、会いにいくの?」
「名簿に記載されている順にかたっぱしから、というわけにはいかない。それは効率が悪いから。あらかじめ見当をつけて、その見当順に」
「あなたは玲子さんとしばらく会っていないでしょう」
「夏のあいだずっと、会っていない。彼女にも会わなくてはいけない」
「玲子さんの次には、誰に会うの?」
 日比谷は恵子の質問を受けとめた。そして頭のなかで考えていくとおりに、日比谷は答えた。
「後藤美代子さんは高校生のときには演劇部に所属して活動していた。三年生のときの公演では主役を務めた。演劇部というからには部長がいたはずだ。部長は先生だったかもしれない。だとしたらその先生に僕は会いたい。部長を生徒が務めていた可能性もある。もしそうなら、その生徒に僕は会う」
「玲子さんとよく相談するといいわ」
「僕たちの取材に関して、きみが玲子さんにどこまで語ったのか、教えておいてほしい」
「私の推論としての結論、そしてそれに直接に結びつくこと、たとえば短い髪が襟とその裏にたくさんついているボタンダウンのシャツについては、あなたとの約束のとおり、しゃべってはいません。それ以外のことは、すべて話してあるわ。私の結論に関しては、美代子さんは自分の意志でいなくなった気がする、という言いかたでは伝えてあります」
「中野玲子さんはかなりのところまで知っているはずだ、というのが福山俊樹の意見だ」
「私が玲子さんからき出す役なの?」
「それはしなくていい」
「私もしたくないわ」
「かなり知っているはずだという前提で、それとなくさぐりを入れたりするのは、よくないことだよ」
「賛成です」
 と恵子は答えた。
「この取材に関係しているのは、福山も加えるとして、僕たち四人だ。その四人のあいだに、僕は段差を作りたくない。この人には言うけれど、この人には言わずにおく、というようなことを僕はなしにしたい。なにごとにせよそれは僕の方針だから」
「よくわかるわ」
「きみの推論としての結論を、中野さんに語っておいてほしい。きみはまず最初に中野さんに語り、そのあとで僕にも語った、ということにしよう。うそと言うならそれは嘘だけれど、結果としてこれで段差はなくなる」
「明日にはまた彼女に会うと思うから、話しておきます」
「玲子さんがかなりのところまで知っている、という福山の意見には僕も共感している」
「あなたが言う段差をもっとなくすためには、玲子さんが知っていること、あるいは、こうではないのかなと彼女が思っていることについて、すべて話してもらわないといけないわね」
 高村恵子の論理に対して、日比谷は次のように質問した。
「彼女に話してもらうためには、どうしたらいいだろうか」
「まずあなたから、いまわかっていることすべてを、話して聞かせるのよ。夏のあいだ会っていなかったのなら、いまがいい機会でしょう。ここまでわかったけれど、高校の同級生で親友でもあった中野さんとしてはどう思うか、という訊きかたをすればいいでしょう」
「筋道としては、それしかないね」
「だったら、そうしてみたら?」
 正しい論理がすっきりとまっすぐにのびきった突端で、いまのようにやや突き放したように言うとき、恵子の口調には思いがけず風情が生まれる。色気といってもいい、甘い影のある風情だ。その影を追いかけるかのように、
「中野さんとは、京都からいっしょに帰ったのかい」
 日比谷は訊いてみた。
「そうよ。もう十年以上も前から親友どうしだったような気がしてます」
 後藤美代子のフランス語の能力についての話を、日比谷は思い出した。だから彼は手短にそのことについても恵子に語った。
「フランス語を真剣に勉強した形跡が、美代子さんの部屋に残っているだろうか」
 日比谷のその質問に、
「なにもないわ」
 と恵子は即答した。
「堪能さは中途半端なものではなかったらしい」
「私は驚きません」
「なぜ?」
「美代子さんは、じつはたいへんな人だったのよ」
「それもきみの結論かい」
「そうです」
「フランス語の能力に関して、両親にそれとなく訊いておいてくれないか」
「おそらく知らないでしょう」
 と、恵子は言った。
「僕もそう思う。しかし、訊いておいてほしい」
「訊いておきます」
「では、木曜日に」
「おやすみなさい」
[#改丁]


第十四章 彼女が見たはずの恐怖



 中野玲子に会わなければならない。しかし彼女との会話には細心の注意を払う必要がある、と日比谷は思った。美代子の行方不明についてもっと知っているだろう、知っていることを喋ったらどうだ、と問い詰めるような調子を彼女との会話に出してはいけない。しかし、基本的な方針としては、すべてを喋っているわけではない人に、すべてを喋らせるためのアプローチとなる。どうしたらいいか。彼は壁の時計を見た。まだ夜の十時前だった。後藤美代子専用のファイロファクスを引き寄せて開き、彼は中野玲子の電話番号を確認した。その番号に彼は電話をかけた。呼び出し音の三度めの途中で、電話の向こうの受話器が上がった。
「はい」
 とだけ、中野玲子は言った。
「日比谷です」
「あら、今晩は。お久しぶりです」
 自分がかけたこの電話が玲子に歓迎されていることを、彼は彼女の口調にはっきりと感じた。
「いま高村さんと電話で話をしていたのです。個展の会場でのことを、高村さんから聞きました」
 という日比谷の言葉に対して、
「ほんとに驚いたの。あんなに驚いたのは、生まれて初めてです」
 と、玲子は言った。
「恵子さんのうしろ姿は、美代子とまったくおなじなのですもの。五年ぶりに美代子はここへひそかに姿を見せ、それをたまたまこの自分がいま目撃しているのだと思ってしまった私は、心臓の鼓動がひとつにつながったみたいになって、まっ青になりました。顔から血の気が引くと言いますけど、ほんとに顔から血がなくなると、どうなるか日比谷さん知ってます?」
「教えてください」
「顔ぜんたいがぴりぴりと痛いのよ。私がその場に立ちつくしていると、いきなり恵子さんが振り返って、中野さん? と言ったの。この人は美代子だと完全に思い込んでいる私は、いまさら中野さんという言いかたはないわ、なぜ玲子と呼んでくれないの、と思いました。でも、そう思うだけで精いっぱいで、呆然ぼうぜんとそこに立っていることしか出来ないんですよ。そして私は、倒れそうになりました」
 そこでひと息つく玲子を、日比谷は無言で受けとめた。玲子は続きを語った。
「恵子さんが歩み寄って、私を抱きかかえてくれました。体の感触が美代子とはまるで違うので、ああ、美代子ではないんだ、体つきがそっくりの別人なのだと思って、私は冷静に戻ったの」
 おなじ場面を高村恵子は京都のホテルのレターペーパーに書き、FAX送信してくれた。いま玲子が語ったことを重ね合わせると、日比谷には確実にひとつの場面が見えた。
「恵子さんはいきさつを説明してくださって、私はすぐにぜんたいを理解しました。そしてそこからの私たちは、まるで十年来の親友どうしなの」
「高村さんもそう言ってました」
「絵のなかに美代子を見たわ」
「思いがけない再会でしたね」
 矢沢千秋の妹に会ったこと、そして後藤美代子が高校生のときからずっと、矢沢のためにアトリエでモデルを務めたことなどについて、日比谷は玲子に語った。
「アトリエは僕のこの仕事場からも、中野さんのところからも、歩いて十五分以内のところにあります」
「私は知りませんでした」
「美代子さんはひと言も語らなかったのですか」
「なんにも」
「中野さんは美代子さんの親友だったのに」
「ええ」
「親友でもなお、中野さんには教えずにおいたことがあったのですね」
「ええ」
 短い返事を玲子は繰り返した。
「美代子さんが中野さんに教えずにいたことは、ほかにもたくさんあったと思いますか」
「思います」
 という言葉が、即答として玲子から返って来た。
「いちばん初めに中野さんに会ったとき、高校三年生のときの演劇部の公演のヴィデオについて、僕は中野さんから聞きました。そのヴィデオを貸していただけるとか、写真を見せていただけるといった話です」
「いつでもお貸しします。写真も見てください」
「美代子さんについての取材範囲を、高校生の頃にまで戻そうと思うのです。なんの取材にしろ、出だしのところで知ったことをかなりあとまでそのままにしておく癖が、僕にはあります。今回もその癖が出ました」
 日比谷の説明に玲子は微笑した。
「いつお会い出来ますか」
 彼の質問に、
「いつでもいいわ」
 と、玲子は答えた。
「夏の前から仕事が連続したので、この季節はしばらく落ち着いていたいと思ってます。ですから、ほんとに、いつでもいいです」
 来週の木曜日までには会っておきたい、と日比谷は考えた。木曜日から逆算して適当な日をきめようとしている日比谷に、
「いまはどちらなの? 仕事場ですか」
 と、玲子はいた。
「仕事場です」
 と、日比谷は答えた。
「いま、これからは?」
 玲子が重ねて質問した。
「僕はいいですよ。この時間に訪ねて、迷惑ではないですか」
「どうぞ、いらして」
「うかがいます。すぐにここを出て、歩いていきます」
 初めて中野玲子に会ったとき、駅から玲子の自宅まで、日比谷は彼女を送っていった。だから彼女の自宅のある場所は知っていた。
「道路から階段を上がっていただくと、そこに低い門扉があります。内側に簡単なかんぬきがかかってますから、腕をなかへまわしてかんぬきをはずしてください。渡り廊下でつながった別棟の平屋建てが、私の住んでいるところなの」
「うかがいます」
 電話はそこで終わった。仕事場での今日という一日を終わったことにして、玲子を訪ねたあとは自宅へ帰ることにきめ、日比谷昭彦はほどなく部屋を出た。そしてそれから数分後には、中野玲子の自宅の敷地に向けて、日比谷は道路から階段を上がっていた。玲子に言われたとおり、門扉のかんぬきをはずしてなかへ入った。母屋に向かうコンクリート敷きの小径こみちが、平屋建ての別棟に向けて枝分かれしていた。ドアの前へ歩いた彼は、
「日比谷さん?」
 という玲子の声を、ドアの内側に聞いた。
「そうです。今晩は」
 ドアが開き、玲子が彼を迎え入れた。自分ひとりでくつろいでいるときの、部屋着の玲子だった。化粧はしていず、髪はうしろにまとめていた。
 玄関を入ると目の前にあるのは、ひと言で言うなら居間だ。生活のほとんどを、このひとつのスペースのなかでおこなえるようになっていることが、日比谷には見て取れた。中心に作業テーブルが大きくL字のかたちにあった。スペースの東と西の角は大きく斜めに切り落とされ、張り出し窓にしてあった。西の窓の前には丸いカフェ・テーブルとその椅子いすがふたつ、そして東の窓の前には、低い小さなテーブルを角に置いて、簡潔な作りのソファがL字を作っていた。日比谷と玲子はソファにすわった。
「いいスペースですね」
 見渡しながら日比谷が言った。
「奥にキチンとダイニング、それに浴室や化粧室、そして寝室があります」
「ここが中野さんの生活の場ですか」
「そうよ」
 履きやすく身動きの楽そうな、薄い生地のスラックスを玲子は身につけていた。模様は魚の模様であることを日比谷は知った。上半身を腰までゆったりと包み込む大きなTシャツを、彼女は着ていた。Tシャツの首の、スクープの大きな様子を日比谷は見た。玲子の肩幅は広い。そして明らかにいかり肩だから、Tシャツは両肩から滑り落ちることなくその突端にとまっていた。
「ダンベル体操の本を毎日のように鑑賞しています」
 と日比谷は言った。その言葉を玲子は笑顔で受けとめた。
 化粧をして髪を整えスーツを着こなしているときの、気さくな美人でありながら寄らば切るぞという鋭い雰囲気を漂わせた中野玲子とはかなり違った、可愛かわいいとさえ言っていい玲子がいま自分の前にいるのを、日比谷は興味深く受けとめた。
「美代子さんに関して取材を続けています。高校まで戻るべきだと思うのです。そしてそのことに関する、いま僕が持っている唯一の手がかりは、中野さんです。相談に乗っていただけますか」
「なんでもおっしゃって」
「フランスで生活しても言葉にはまったく苦労しないほどに、後藤美代子さんがフランス語に堪能だったことを、中野さんは知ってましたか」
 日比谷の質問に玲子はうなずいた。
「高校の三年間、美代子はフランス語も選択しましたから。私は英語だけで充分に苦労だったのに。フランス語は自由選択科目でしたけれど、あの学校は個性の強い私立高校で、自由選択でもかなり厳しく教えられるのです。短大でも美代子はフランス語を選択したから、合計で五年」
「短大を卒業してからも、勉強は続けたようですよ」
「そうでしょうね」
「そのことについて、美代子さんが話をしたことはないのですか」
「なにも教えてくれなかったわ。でも、一度だけ、こんなことがあったの。話していいですか」
「聞かせてください」
「ラ・シャンブル・ノワールで美代子と待ち合わせをしたとき、先に美代子が店に着いて窓ぎわの席にいて、少し遅れて私が店に向けて歩いてました。店に向けて脇道わきみちがまっすぐにあって、私はその道を歩いていたのです。店に向けて歩いていくあいだずっと、ガラスごしに二階の窓ぎわの席がぜんぶ見えるのよ。席にいる美代子も胸から上が見えていて、料理人のフランス人女性が美代子の席のかたわらに立ってて、美代子としきりになにかしゃべっていました。その女性は自分の言葉、つまりフランス語で喋っているということが、はっきりわかったの。片言の日本語は出来る人ですけれど、美代子との喋りかたはけっして片言ではなく、無理もよどみもなしに、自由に滑らかに喋っていました。ごく自然な光景でした。だから喋っているのはフランス語で、相手の美代子もフランス語で受け答えしてるのだろうなあ、とそのとき私は思いました」
 玲子がさらに続けて語るのを、日比谷は待った。
「料理人の女性が美代子を相手にあまりにも自由に喋っていたので、その光景の自然さに中和されて、そのときにはさほどにも思わなかったのですけれど、美代子のフランス語の理解度は高く、受け答えはたいへん滑らかだったのだな、といま感心しながら思うのよ。私がフランスの人とフランス語で喋っても、相手のかたはあんなふうに自由には喋ってくれないから」
 玲子の説明を受けとめたのち、日比谷は質問した。
「なにを喋っていたのか、中野さんは美代子さんに訊いたりはしなかったのですか」
「二階へ上がっていく階段のところで、外から帰って来た店主といっしょになって、ふたりで階段を上がり店に入りました。料理人はもう美代子のところにはいなくて、厨房ちゅうぼうに戻っていました。だからそのときはそれで終わってしまって」
「美代子さんがフランス語を喋るのを聞いたことがあるとか、そんなことはなかったですか」
 日比谷の否定形の質問に、玲子は首を振った。
「なかったわ」
 後藤美代子のフランス語の能力について自分が知ったいきさつを、日比谷は玲子に簡単に語った。それに続けて、玲子と会わずにいたあいだにおける取材の進展、そしてそのなかで知ったことについても日比谷は語った。ほとんどはファクシミリですでに伝えてあることだった。最後に高村恵子について、日比谷は語った。
「僕のアシスタントとして後藤美代子さんの自宅に何度か通い、美代子さんと同じ年齢の、感覚の鋭い女性の目と感触で、美代子さんのかつての部屋とそこに残されたものを中心に、観察や取材をしてもらうことを僕は期待したのです」
「じつに素敵なかた」
「そしたら、なんのことはない、彼女はその家の人になってしまった」
「愉快だわ」
 楽しそうな笑顔で玲子は言った。
「かつて美代子さんがいた家に中野さんが電話をすると、美代子さんとおなじ年齢の、しかも体つきはそっくりな高村恵子がいます。不思議な気持ちになりませんか」
 日比谷の言葉に玲子は首をかしげた。
「それほど不思議でもないわ。基本的には自分は居候だと恵子さんは言ってますし」
「五年前、週刊誌の取材で中野さんに会った福山俊樹は、美代子さんは自分の意志で消えたと言っています。高村恵子とおなじ意見です」
「日比谷さんは?」
 と玲子はいた。
「僕も美代子さんは自分の意志で消えたと思っています」
 そう答えた日比谷は、玲子を導く順路になればという期待を込めて、さらに次のようにつけ加えた。
「そして消えるためには、長い準備期間が必要だったと思うのです」
「準備?」
 という質問が玲子から返って来た。
「消えるということを最初に思いついてから、そのことについてずっと考え続けた期間です」
 ひとまずそう答え、日比谷は玲子の反応を待った。なにも反応を見せないというかたちで、彼女は日比谷に説明の追加を促した。
「自分の意志で消えるということは、それまでの自分の生活のいっさいを捨てて、別人になって別の生活をするということです。そのためには相当な準備が必要だと思いませんか。準備、とひと言でいまの僕は言ってますけど、それが具体的にどんな内容になるのか、僕にはまだ見当もつきません。そのような準備のことを、福山俊樹は、長い長い助走路、と表現していました。自分の日常のかたわらに並行させて、もうひとつ別の自分を想定し続けるのです」
 日比谷の説明を受けとめ、玲子は考えた。ソファの上にあぐらをかき、顔を伏せ、曲げた両脚のあいだからソファを見ながら、玲子は考え続けた。後藤美代子が行方不明になってから五年という時間が経過している。それだけの時間のなかで、玲子はすでに充分に考えつくしたのではないか、と日比谷は判断していた。彼は玲子の反応を待った。
「別人として生きるために、たとえばどこかに秘密の部屋を持って、生活を少しずつ二重にしていくというようなことなの?」
 顔を伏せたまま、低く落とした声で玲子はそう訊いた。
「という場合もあるでしょう。しかし美代子さんの場合は、そうではなかったと僕は思います。具体的な根拠はなにもないのですが、これまでに知り得た美代子さんをもとに考えていくと、美代子さんは自分の日常を削っていくことをとおして、消える準備をしたのではないかと僕は思っています」
「自分の日常を削るとは、どういうことなの?」
 玲子の声は低いままだった。
「たとえば、消えたあとに残るはずの自分の痕跡こんせきを、可能なかぎり少なくすることです。一例をあげるなら、美代子さんの自宅の部屋です。僕は一度だけ部屋を見ていますが、引っ越しのためにあらかた運び出したあとのような印象を受けました」
 ライティング・ビューローの四つの引出しのうち、三つまでもが空であったことについて日比谷は語った。それに対して玲子は次のように訊いた。
「痕跡を少なくすることが準備なの? 痕跡を少なくすることに、どれほどの意味があるの?」
「自分の痕跡があとに残らないように、自分を削りに削っていくのです。充分に時間をかけ、最小限の痕跡しか残らないようにしておき、あるときふっと、そこから抜け出して消えてしまうのです。痕跡が少ないと、抜け出しやすいはずです」
 ソファにあぐらをかいたまま深く顔を伏せ、曲げた両脚のあいだから中野玲子はソファのクッションの革張りを見ていた。考えているというよりも、気持ちを深く沈めて苦しんでいる、と言ったほうが正確であるように日比谷には思えた。初めて見る玲子の側面だった。その玲子に彼は次のように語った。
「これは福山俊樹もおなじ意見なのですが、別人になるにあたっては別人のアイデンティティが必要です。日本なら日本の国家が証明する、その人にかかわる正式な身分証明ですね。戸籍、住民登録、保険証、運転免許証、印鑑登録といったものです。いくら完全な別人になっても、これなしではまともな生活は送れません。後藤美代子自身のは使えませんし、たとえば中野さんのを使うとしても、中野さん自身も社会活動をしていますから、かならずどこかで重複して面倒なことになります。架空の人を創作することは出来ませんから、誰かのアイデンティティを使っているはずです。使わせてもらっている、と言ったほうが正確かもしれません。ということは、美代子さんには協力者がいるということですね。本来のその人とは重複することなく使うことの出来る正式な身分証明が必要で、なおかつそれを自由に使わせてくれる人が存在しないといけません」
 深く頭を垂れたままの玲子は、日比谷の位置から斜めに見ると、苦悶くもんの底にある人のようにも見えた。いま自分が語っていることに対して、玲子はこのような姿勢や表情で対応しているのだ、と日比谷は受けとめた。そしてそのことに触発された彼は、次のように言ってみた。
「いま僕が言ったことは、美代子さんの行方不明の核心をついていますか」
 おなじポーズで無言のまま、なおも玲子は考えた。彼女がひと言も答えずにいる時間が、かなり長く続いた。あまりにも長くそれは続くから、言ってはいけないことを自分はいっただろうか、と日比谷は思った。もしそうだとして、いまからとりなしても意味はない。このままほうっておくほかないが、続けてさらになにか言うとしたらそれはなにだろうか、と日比谷は考えた。さきほど電話で高村恵子に言ったのとおなじことを、日比谷昭彦は玲子に対して繰り返してみた。
「後藤美代子さんの行方不明という出来事は、ふた月前に思いついて先月に決意し、今月に入ってすぐに実行した、という性質のものではないと僕は思っています。切迫した特別の事情があれば、そのようなかたちで行方不明になることもあるでしょうけれど、美代子さんにはそのような事情はなかったと言っていいようです。美代子さんには、じっくり考え続けるだけの時間があったのです。福山が言う助走路を、具体的な準備として美代子さんがどんなふうに、どの程度まで完成させたのかについては、いっさいなにもわかっていません。もっともすんなりと筋道のとおる理屈としての推論で、もっとも基本となる骨格を組んでみたという段階です。日常の場とは別なところに秘密のもうひとつの生活を作り、それを維持させ続けなければならなかったというような事情も、美代子さんは持っていなかったようです。もしそのような二重生活をしていたなら、そのための時間を工面しなくてはいけません。美代子さんがそれをおこなった形跡はありませんし、美代子さんは自宅にいることが多かったようです」
 そこまでひとりでしゃべり、日比谷は区切りとした。玲子の反応を引き出すためだ。相手の言葉が止まれば、次には自分がなにか喋らなくてはいけない。しかし玲子は、おなじ姿勢を保ったまま、
「私は聞いています。もっと続けて」
 と言っただけだった。
「長い期間にわたって、美代子さんは考え続けたのです。それまでの自分をあるときすべて消してしまい、どこかまったく別な場所で、おなじ自分という素材を使って別人を作っていく、という試みについて。考えれば考えるほど、頭のなかにその別人が出来ていった、という推論は魅力的です。ある程度以上までその別人が出来たところで、現実の自分がその別人に乗り移るのです。長い準備期間があったという福山の説は、こんなふうにみ砕くと、理屈としてきわめてすっきりと成立します。考える作業と並行して、美代子さんは自分を少しずつ削り落としていく作業を開始しました。身のまわりから、余計なものをひとつずつ具体的になくしていく作業です。充分に削っておけば、あるときふと抜け出すとき、身軽で抜け出しやすいでしょう。具体的にも抽象的にも、身軽です。さらにもうひとつ、美代子さんはその作業の途中から、少しずつ演じ始めました。自分の身のまわりを削っていく作業と重なる部分がありますが、この場合の演じるとは、見せない、伝えない、教えない、公開せずにおくという削除の蓄積をとおして、身のまわりの人たちに対して現実の自分のぜんたいを知らせずにおくことです」
 中野玲子はおなじ姿勢を保ち続けた。ソファの上であぐらをかき、深く頭を垂れ、組んでいる脚の足首あたりを見つめている、という姿勢だ。彼女がそのような姿勢でい続けることの意味を、日比谷は頭の片隅で考えた。自分が語っていく内容に玲子が気持ちを集中させていることは確かだ、と彼は思った。もうひとつ確かなのは、自分の喋る内容が核心に触れていることではないか、とも日比谷は感じた。核心に触れているか、さもなければ、玲子が考えて来たことと、大きく重なっているのだ。後藤美代子がいなくなってから、そのことについて考える時間が玲子には五年もあった。
「美代子さんが中野さんに語っていなかったことは、かなりあるはずです。両親に教えていなかったことは、もっと多いでしょうね」
「たとえばどんなことですか」
 低く落としたままの声で玲子は聞いた。
「フランス語のこと、勤めていた新聞社の新聞に、何度も記事を書いたこと。長いあいだ絵のモデルを務めたこと。こういうことを、美代子さんは両親に教えていません」
「ご両親に確認なさったの?」
「部分的には確認しました。高校三年生のときに絵のモデルになったことを、両親は知りませんでした。新聞に記事を書いたことを、お父さんはご存じなかった。お母さんも知らないのだと思います。フランス語のことは、両親ともに知らないでしょう」
 玲子は深くため息をついた。顔を上げて正面の奥へ視線をのばし、それから天井を見上げた。もう一度ため息をつき、彼女は日比谷に顔を向けた。そして、
「現実は日比谷さんの理屈のとおりなのかしら」
 と言った。
「自分について人に教えない、伝えない、公開しないでおく、という部分を厳密に維持してしかもその範囲を広げていく行為は、別人を演じているひとつのかたちではないかと僕は解釈しています」
「そうね」
 日比谷のいまの言葉に、玲子はすんなりと同意した。
「そのような美代子さんとふたりでラ・シャンブル・ノワールで食事をするとき、いったいなにをおふたりは語り合っていたのですか。ふたりに視線がとまるそのたびに、ふたりは楽しそうになにごとかについて熱心に語り合っていた、とあの店の主人は言っていました」
「そのときどきの、どうということもない話題なのよ。だからなにについて喋ったか、とうてい覚えてないわ」
「あの店以外で、ふたりに共通した場所というものは、なかったのですか」
「私の部屋」
「改築する前の」
「ええ。三階の部屋。美代子はよく遊びに来てくれたわ」
「中野さんが美代子さんの部屋へいくことはなかったのですか」
「高校生の頃はよくいったけれど、卒業してからは一年に二、三度」
「美代子さんが中野さんの部屋へ来ることのほうが、圧倒的に多かったのでですね」
「そうよ」
「ラ・シャンブル・ノワールの主人が言ったことですけれど、中野さんは店で出る料理に関して、その作りかたをしばしば質問するから、中野さんは料理に興味があっておそらく作るのも上手なのだろうけれど、美代子さんは料理の作りかたを一度も質問したことがないから、料理には興味もなく、したがってカレーライスもろくに作れないのではないか、ということでした。料理好きのお母さんに確認したら、美代子さんは料理に興味はなく、一度だけ作ったカレーライスはカレー味のスープ、つまり水びたしのカレーライスだったそうです」
 語り終えた日比谷に玲子は顔を向けた。玲子は笑顔になった。その笑顔は広がって深まり、やがて彼女は声を上げて笑い始めた。いったん笑い始めると、止まらないどころか激しさは急速に増していき、ソファの上であぐらをかいたまま、彼女は上体を前に倒して笑った。彼女の肩や背が笑いにつれて揺れるのを日比谷は見た。彼女は笑い続けた。泣いているようにも見え始める頃、笑いは少しずつおさまった。
 深く激しく笑うことで目に浮かんだ涙を、玲子は片手の指先でぬぐった。脚の組み方を変えてあぐらをかきなおし、背をのばして彼女は天井を仰いだ。そして天井に向けて次のように言った。
「抽象論にとどまっているあいだは、筋道はきれいにとおっていたのに、具体的になるとそのとたんに大きくはずれるのね」
 玲子の言葉を日比谷は受けとめた。
「はずれましたか」
 という質問を、彼は返した。
「ええ」
 天井を見上げたまま、玲子は答えた。
「カレーライスのことですか」
「それも含めて、美代子と料理について。人の話を鵜呑うのみにしていると、大きくはずれることになるのよ」
「人の話とは、いまの場合はあの店の女主人と、美代子さんのお母さんのふたりです」
「だから私の話もぜひ聞いて」
「聞かせてください」
「美代子は料理がものすごく上手なのよ。あの店で料理人としてやっていけるほどの腕前。私は作ってもらって何度も食べたわ。作り話ではなく、現実にあった本当の話です。私が撮った、なかば裸の美代子の写真を、日比谷さんにあげましたよね。あの写真を撮った日には、美代子はかにの身を使ったパスタを作ってくれたの」
 そこまで語って玲子は日比谷を見た。現実にあった本当の話、と玲子は言った。玲子の言葉どおりに受けとめなければならない、と日比谷は思った。まだほとんど輪郭だけであり、細部は少ししか描けていない後藤美代子という女性の全体像に、思いがけない細部がごく一部分、いまの玲子の言葉によって描き込まれた。美代子の抽象論な全体像は、かなりのところまで出来上がっている。いま描き込まれたひとつの具体的な細部は、その全体像にじつはたいへんふさわしい、と日比谷は感じた。
「ごく当然なことのように、ほんとになにげなく、美代子は蟹の身を使ったパスタを作ってくれたのよ。作っていく彼女を私は例によって写真に撮ったから、証拠写真もあります。出来たパスタをふたりで食べました。涙が出るほどにおいしかったわ」
「感動的な話だと言っていいですね」
「ほんとの話なのよ」
「信じます。中野さんもおなじように作れますか」
 微笑をともなった日比谷の質問に、玲子は首を振った。
「私が料理好きであることは確かよ。いろいろ作ってみるのが好きだわ。だから作りますけれど、美代子が作ったようには作れないわ」
「美代子さんは蟹の身を使ったパスタだけを、食べると涙が出るほどにおいしく作れて、あとはいっさい作れない、というわけはないですね」
 笑いながら玲子はふたたび首を振った。
「美代子のお母さんは、美代子の料理の腕をいっさいご存じないのよ」
「カレーライスの一件は、どう解釈すればいいですか」
「わざと水びたしに作ったのよ」
「自分の腕をかくすために」
「ええ」
「なぜ、かくさなくてはいけないのですか」
「日比谷さんも言っていたとおり、別の自分というものを少しは演出していたのかな、と私は思っています」
「ラ・シャンブル・ノワールの店主が言った、美代子さんはカレーライスもろくに作れないはず、という意見にはどう対応すればいいですか」
 笑顔でそうく日比谷に、玲子はふたたび笑った。
「店で出る料理について、作りかたをいちいち訊かなくても、美代子はおなじ程度には作れた人なのね。だから作りかたを聞いたりはしないのよ。そのことを店主は間違って解釈した、と考えればいいわ。現実にそのとおりなのだから」
「美代子さんのお母さんも、自分の娘は料理に興味はないし、なにひとつ作れない、と思い込んでいたのですね」
「そうね」
「美代子さんはいつ料理がそれほど巧みになったのですか」
「やろうと思えばたちどころに相当な次元で出来てしまう人がいますよね。なにごとに限らず。美代子はそういうタイプの人の、最上の部に属する人だったのではないかしら。それに、自宅のキチンで、お母さんがいないときに、いろいろと試していたのではないか、とも思うのよ。あのキチンは道具がそろっていて、しかもとても使いやすいキチンなの」
「お母さんに一度も気づかれないままに」
「美代子ならそのくらいのこと、わけなく出来るわ」
 そう言って玲子は微笑した。
「水びたしのカレーライスは、最高。さすが、美代子。拍手したいほど。スタンディング・オヴェイション。喝采かっさいを叫びたい気持ちです」
 と彼女は言った。
「わざとそう作ったのですね」
「演技として」
「その演技のおかげで、少なくとも料理に関しては、本当の美代子さんではない美代子さんを、お母さんは記憶することになりました」
「そのとおりよ」
「しかし中野さんに対しては、美代子さんは料理の腕を公開したのですね」
「ええ」
「なぜでしょう」
 日比谷の質問に、玲子はよどみなく次のように答えた。
「私の部屋のなかというごく限定された場所での、私と美代子のふたりだけの時間だったからだと思うわ」
「そのような時間を、中野さんは美代子さんとふたりだけで、かなり多く持ったでしょう」
「はい」
「料理の腕のほかに、美代子さんが中野さんにふと公開したものはありますか」
「ないわ」
 玲子は即答した。
「中野さんに対しては、美代子さんはさほど演技しなかったのではないでしょうか」
「高校生のときからの友だちですから、それ以後何年にわたってつきあおうとも、最初の頃とおなじでいればそれでいい、ということでしょう。そのような意味でなら、美代子は私にはさほど演技はしなかったと言えるかもしれませんが、行方不明になることに関してはなにひとつヒントすら置いていってはくれなかったので、私といえどもたとえばご両親や職場の人たちと、最終的にはおなじ扱いだったのだな、と私は思ってます」
「美代子さんが行方不明になった日、つまりそれまでの後藤美代子にとっての最後の日に、新聞社の仕事を終わったあとの個人的な時間に、後藤美代子は後藤美代子としての最後の部分を、中野さんとふたりだけで過ごしたのです。その事実になにか特別な意味を読むことは可能ですか」
 日比谷の質問を受けとめて、玲子は彼に顔を向けた。表情のきれいに消えた顔だった。
「そうとは言わないけれど、じつは美代子は私にお別れをしてくれていた、というような意味かしら」
 静かに沈んだ口調で玲子は訊き返した。表情の消えた彼女の顔を、日比谷は見つめた。玲子は目を伏せた。彼女の横顔を彼はなおも見た。今夜の中野玲子は感情にかなりの起伏がある、と彼は思った。彼の知っているかぎりでは、玲子は振幅のきれいに一定している女性なのだが。
「そうとは言わないけれど、といま中野さんは言いましたけれど、美代子さんはほんとになにも言わなかったのですか」
 顔を伏せ、あぐらをかいた姿勢のまま、玲子は黙っていた。黙っているとは、この場合は、考えているということだった。日比谷が見ている横顔を、玲子は小さく左右に振った。そして、
「なんにも」
 と、顔の動きにつけ加えるかのように、彼女は言った。
「今夜でほぼ完全に玲子さんともお別れだと、美代子さんにはわかり過ぎるほどにわかっていたはずです。高校生のときからの親友に、なにか伝えないでしょうか」
「なにも言ってはくれなかったわ」
「中野さんとふたりで夕食をともにし、いっしょに帰って来たという時間の過ごしかたは、いつもとおなじようなおふたりの時間だったのですか」
「ええ」
「その夜以来、美代子さんが自宅へ帰らないままであることを知らされたとき、中野さんはどんなことを思いましたか」
 顔を伏せたまま玲子はなにも答えなかった。その玲子に、日比谷は次のように言葉を続けた。
「中野さんは写真機をよく持って歩き、写真を撮りますね。美代子さんを何度も撮ったはずですし、先日はさっそく高村恵子を写真に撮りましたね。美代子さんと最後に会った日には、中野さんは写真機を持っていなかったのですか」
 この質問にも玲子は答えなかった。問い詰める口調、あるいは詰問するような言葉遣いは避けたいと思いながら、日比谷は次のように言った。
「美代子さんがいなくなってからの五年という時間のなかで、中野さんはずいぶんいろんなことを考えたのではないか、と僕は推測します。考えた結果、どんなことが中野さんの頭のなかで像を結んでいるのか、さしつかえなければ聞かせてください」
 玲子は返事をしなかった。さきほどからおなじ姿勢を保ち、顔を深く伏せたままだ。自分の言っていることが、少なくとも玲子にとっては核心に届いていることを、玲子のそのような様子に日比谷は確認した。
「さしつかえはなにもないのよ」
 低くささやくような声で玲子は言った。彼女のその声は、優しい親密な甘さをまとっていた。相手に自分のすべてをゆだねているときの声だ。
「聞かせてください」
 あぐらをかいていた脚を、玲子はのばした。顔を上げ、背をのばし、フロアに両足を降ろした。そして彼女は立ち上がった。
「いちばん右側のドアが、私の寝室のドアです」
 片手を上げて奥を指さし、玲子はそう言った。
「私が寝室に入ったら、二十まで数えてから日比谷さんも入って来て」
 スイッチのある壁へ歩いた玲子は、居間の明かりを消した。ソファのそばにあるフロア・ランプの明かりだけとなった。玲子は寝室へ歩いていき、なかに入った。ドアをなかば閉じた。寝室に明かりはともることなく、暗いままだった。日比谷は数を数え始めた。二十に到達してから、彼はソファを立った。そして寝室へ歩いた。ドアの前で立ちどまり、
「入っていいですか」
 といてみた。
「どうぞ」
 という返事が、暗い寝室の奥からあった。なにかに軽くさえぎられているような声だった。ドアを開けて彼はなかに入った。ほどよい広さの寝室の左側の奥、壁に寄せて、セミ・ダブルのベッドがあった。広げてある薄い羽根布団の下に、横たわる玲子の体のふくらみを日比谷は見た。
「ドアを閉めて」
 掛け布団の下から玲子が言った。彼はドアをうしろ手に閉じた。半開きになっている窓からの、ほのかな明かりだけとなった。
「ベッドのそばへ来て」
 玲子の声がそう言った。彼はベッドのかたわらへ歩いた。そしてそこに立ちどまり、ベッドを斜めに見下ろした。玲子が泣いていることに、日比谷は気づいた。泣いている人の声と抑揚で玲子は言った。
「話は長くなるから、フロアにすわるといいわ。椅子いすにすわってもいいのよ」
 日比谷はあたりを見まわした。ホテルの部屋にあるような、ひじかけのついたひとりがけのイージー・チェアがひとつ、反対側の壁に寄せて置いてあった。彼はその椅子にすわった。
「ごめんなさい。こうしないとしゃべれないの。知りたいことがあったら、なんでも訊いて。知っていることはみんな喋ります」
 それだけ言うと玲子は布団の下で声を上げて泣いた。その声が少し低くなってから、日比谷はベッドに向けて次のように言った。
「美代子さんの行方不明に関して、僕と福山と高村恵子が協力して組み上げた理屈は、正しいですか」
「正しいかどうかは、わからないわ」
 いまの自分を泣かせている強い感情の隆起を抑えて、玲子はそう答えた。そして次のように加えた。
「日比谷さんたちの理屈は、私が五年も考え続けてたどりついた結論と、完全におなじです」
「美代子さんが人には見せずにいた自分、削っていった自分、あるいは演じていた自分というものは、行方不明になると同時に、つまり別人としての時間へ彼女が乗り移ると同時に、消えてしまうものです。彼女の身辺にいた人たち何人かの記憶に残るだけで、それ以外にはなんの機能も持ちません」
 暗い寝室のなかで、日比谷の語る声に玲子の泣く声が重なった。
「正しいですか」
「正しいわ」
「別人になることについて、美代子さんは長いあいだ考え続けた、という推論は正しいですか」
「そのとおりだと思うわ」
「高校までさかのぼってみるのは、方針として正しいと思いますか」
「正しいわ」
「手がかりがあるなら教えてください」
「初めて日比谷さんにお会いしたとき、私は高校三年のときの演劇部の公演の話をしたでしょう。そのときすぐに、高校までさかのぼって取材をなさっていたら、私はもっと早くに協力できたのよ。でも、高校までさかのぼってする取材は、難しいわ」
「なぜですか」
「三年生のときの公演を演出したのは、おなじ三年生の男の子で、鮫島さめじまくんという人なの。大学では演劇を勉強して、いまは小さな劇団を持って演劇活動をしてます。私にはなんの確証もないですし、確証を得るための行動をなにひとつしてません。ただし、私は五年もかけて考えたの。私の手のなかにあるものだけを素材にして、考えに考えた結果、濾過ろかされて頭のなかにこれが残ったということでしかないのですけれど、美代子の行方不明には鮫島くんが深く関係しています」
「ということは、後藤美代子さんの行方不明を取材していますと言って、正面きって鮫島さんに会ってはいけないということですね。取材が難しいと中野さんが言うのは、そういう意味ですか」
「そう」
 泣きながら玲子は答えた。
「鮫島さんについて、もっと聞かせてください」
「彼には二歳だけ年上のお姉さんがいたの。直子なおこさんというものすごく素敵な人。顔立ちは似てませんけれど、体つきは美代子とそっくりなの。恵子さんよりも似てます。まるでうりふたつ。三年生のときの公演で、美代子は主役でしかもひとりふた役だったの。美代子が早変わりで交互に舞台に出て来るだけではなく、どうしてもふたりが同時に舞台にいて、ふたりとも観客に見えてなければならないいくつかの場面では、美代子といっしょに鮫島くんのお姉さんが舞台に立ったの」
 泣く玲子の声とそれが語る内容とを、日比谷は受けとめた。内容はきわめて興味深いものだった。中野玲子を手がかりに、いちばん初めになぜ自分は彼女たちが高校生だった頃までさかのぼった取材をしなかったのか、と日比谷は思った。
 五年にわたって考え続けて手にした結論のようなものを、いま玲子は初めて人に明かしている。美代子に対する思いがそこに重なると、泣かずにはいられない。泣きながら語るにあたっては、暗くしたままの寝室でベッドに入り、掛け布団の下にもぐっているのが玲子にとってはもっともふさわしい状態なのだ。そのように理解して、日比谷は玲子の言葉の続きを待った。
「観客に背を向けて立っていたり、横を向いていたり、顔を見せずに舞台を横切ったりするとき、鮫島くんのお姉さんはほんとに美代子にそっくりで、みんな驚いていました。顔立ちも化粧や髪の作りもおなじにしてあるから、ちらっと見えるだけだと同一人物にしか見えないの。そのふたりが目まぐるしく入れ替わり、なおかつふたりとも早変わりする場面もあって、観客は興奮してたわ」
稽古中けいこちゅうや公演の日の楽屋風景を、中野さんは写真に撮ったと言いましたね」
「撮ったわ。高校を卒業してからのも含めて、私が撮った美代子の写真の紙焼きをすべてそろえて、公演のヴィデオといっしょに、機内持ち込み用のかばんに入れて用意してあります。持って帰って、ゆっくりご覧になって。鮫島直子さんの写真も入ってます。公演が終わったあと、公演とはまったく関係なしに、直子さんにモデルになってもらって、私は写真を撮りました。高校を卒業して一年後に、直子さんをまた写真に撮りたいと思った私は、連絡を取ってみたの。連絡先は鮫島くんの住んでいるところで、電話には鮫島くんが出て、姉は旅行中だということだったのね。私の電話番号を教えて、お帰りになったら連絡をと、お願いしておいたの。でも連絡はないので、私から電話をしてみました。姉は友人の仕事を手伝っていて忙しい、ということだったわ。それではお暇になってからということにして、そのまま半年ほどしてまた私から連絡してみると、友人の仕事を手伝ってアンティークの買いつけに外国へ行ってるということだったの。卒業してから二年め近くになってまた連絡したら、姉は無理して体をこわしてせてしまい、写真はいまは無理だと鮫島くんは言ったのよ。鮫島くんの劇団の公演のパンフレットの写真や、劇団員たちのポートレートの写真の仕事を頼まれて、私は引き受けてこなしました。それから三か月ほどして、もう一度、私は催促したの。姉の状態はまだ良くなくて痩せたままだよ、と鮫島くんは言いました。それ以来、現在まで、私はお姉さんに関しては、鮫島くんに連絡を取っていません。そして私は、考えたの」
「もう一度だけ、連絡を取ってみませんか」
 日比谷は言ってみた。玲子の反応は彼の予測を越えたものだった。
「嫌よ、嫌、嫌」
 叫ぶように玲子は言った。頭からかぶっている布団ごしに、その声は日比谷に届いた。彼女が本気で嫌がっている必死な様子に、彼は少なからず驚いた。
「どうして嫌なのですか」
「鮫島くんはまたなにか理由をつけて断るだろう、と私は思ってます。その思いが的中するのが、私には怖いの」
「鮫島くんは、中野さんをお姉さんに会わせないようにしている、ということですか」
「会わせないと言うよりも、会うことは不可能なのではないか、と私は思ってます」
「どういう意味ですか」
「美代子が別人になったあと、日本なら日本の国家が正式に保証するその別人の身元について、日比谷さんが言ったのとおなじことを、私もすでに考えつくしたの。その身元は、直子さんではないかと私は思ってます。かならずしも荒唐無稽こうとうむけいな話ではないのよ。自分が知っていることだけを材料にして、考えに考え抜いた結果なの」
「中野さんの知らないことは、たくさんあるはずですよ」
「あるでしょうね」
「たとえば矢沢千秋さんのモデルを、美代子さんが長いあいだ務めていた、というような事実はどうしますか。矢沢千秋さんは完全に除外していいのですか。あるいは妹さんの矢沢富美子さんが、なんらかのかたちで協力しているのかな、と僕は考えてもみましたけど」
「鮫島くんはお姉さんに会わせてくれないのではなくて、誰であろうとお姉さんにはもう会えないのだ、と私は結論してます。お姉さんは、もうどこにもいないのよ」
 そう言った玲子は、今夜の日比谷が体験する、もっとも激しい泣きかたをした。しばらく泣くにまかせたあと、
「生きてはいない、ということですか」
 と日比谷はいてみた。
「当人は生きてはいなくて書類は生き続けている、という状態。だとしたら、美代子は直子さんになれるでしょう」
「鮫島さんの協力のもとに」
「そうよ。自分が知っていることだけを材料にして私は考えたけれど、あらゆる要素がきれいに整合するのよ」
「もっと聞かせてください」
「鮫島くんが美代子を女優にしたがっていたことを私は知ってます。自分で作る劇団の看板女優。女優とは一時的に別人になることでしょう。人生の途中から、二十五歳から、現実の世界で完全に別人になるという道を選んだ美代子に共鳴して、生きてはいないけれど書類上は生きているお姉さんのアイデンティティを、鮫島くんは美代子にあたえたのよ」
「中野さんは、いま言ったことの確認を取ってないのですね」
「取ってないわ。怖いから。それに、鮫島くんには気づかれたくないし。でも、自分ひとりでひそかに確認を取ろうかと、真剣に思ったこともあるの」
「確認は簡単ですよ」
 戸籍や住民票の追跡調査といった仕事を専門にしている人がいる。その人たちに頼めば、鮫島直子が書類上どうなっているかという程度なら、本人にも近親者たちにもいっさい気づかれることなく、たちどころにしかも簡単に判明する。そしてそこから現実の鮫島直子を追っていくのは、けっして難しいことではない。
「確認して」
 真剣で必死な以来として、玲子は布団の下からそう言った。布団が動き、玲子が顔を出すのを日比谷は見た。玲子は彼に顔を向けた。
「確認して」
 と、彼女は泣きながら繰り返した。
「いま美代子は、どこになんという人で、どんなふうに生きているのか、鮫島くんにも美代子自身にも絶対に気づかれずに、確認して。そして私に教えて」
「僕自身、そうしたいと思っています」
「私は日比谷さんを信用します」
「こういう話を最初に聞いていれば、その後の展開は大きく違ったはずですよ」
「初対面のかたに、いきなりこんな話が出来るかしら。ノンフィクションの書き手として、日比谷さんはご本をとおして知ってはいましたけど、信用出来るかたかどうか確かめなくては」
「僕は合格したのですね」
「確認してください」
「しますよ」
「でも、絶対に気づかれないで」
「大丈夫です。慎重に作戦を立てて、あせらずにやります」
「美代子の姿を確認して欲しいの」
「僕も彼女を見たいですよ。なるほど、この女性か、と確認して納得したいです」
「美代子に気づかれては駄目よ」
「僕も気づかれたくはありません。気づかれるくらいなら、確認はしないでおいたほうがずっといいです」
「私は知りたいの」
「気持ちはよくわかります」
「日比谷さんを経由して間接的にでいいから、いま美代子がどこでどんなふうに生きているのか、私は知りたいの。それを知れば、私はほんとに美代子を知ったことになるのよ。だからそこで私は安心して、満足もして、もうなにも考えなくてもすむわ」
「そうなりましょう」
 両手で顔を覆って、玲子はふたたび激しく泣き始めた。寝室に広がっていくその泣き声を、日比谷は受けとめて自分のものとした。
 これは不思議な体験だ、と日比谷は思った。夜遅く、若い女性の部屋、しかもドアを閉じて明かりを消した寝室のなかに、自分はいる。部屋の主である彼女はベッドに横たわり、薄い羽根布団で全身を覆って泣いている。自分はそのベッドのかたわらでひとり椅子いすにすわり、彼女の泣く声を聞いている。
 彼は窓に視線を向けた。もう真夜中を過ぎただろうかと思いつつ、窓のある壁、ベッドを越えた向かい側の壁、そしてドアのある壁へと、日比谷は視線を移動させていった。部屋の空間ぜんたいをそのようにしてとらえなおすと、ベッドで泣いている中野玲子という存在は、よりいっそう際立った。
 泣き終わるまで待つほかない、と彼は思った。彼は待った。やがて泣き声は少しずつ低くなっていき、ついに玲子は泣きやんだ。羽根布団のふくらみを、日比谷は見ていた。視線は無理なくそこに落ち着くから、彼は視線をそこにとどめたままでいた。
「日比谷さん」
 布団の下から玲子が言った。
「はい」
「お帰りになる前にコーヒーをいれます」
「飲みたいです」
 日比谷は答えた。
 布団の下のふくらみでしかなかった玲子の体が、布団ごと起き上がった。起き上がるのとおなじ動作で、彼女は羽根布団を足もとまで斜めに、自分の体からはねのけた。長方形の布団は対角線できれいにめくれた。そこから裸の玲子がフロアに立ち上がった。玲子は完全な裸だった。
 眼の前に立ち上がった彼女の白い裸身を視線でとらえながら、日比谷昭彦は頭のなかで論理を組み立てた。着ていた服をすべて脱いでから、中野玲子はベッドに横たわり、羽根布団にくるまったのだ。五年にわたって考え続けた結果として、自分のなかに結晶のように残ったものについて、初めて他人に語る。胸のうちのありったけを告白するような気持ちだったのではないか。そのためには裸になる必要があった。中野玲子とは、たとえばそのような女性なのだ。
 窓からにじむように入って来るかすかな明かりのなかに、筋肉のよく発達した、絵に描いたようにバランスの良い玲子の裸体があった。優しく白い容積に力強さとしての影が寄り添う魅力的な造形は、ベッドを離れてドレッサーへ歩いた。壁ぜんたいに作りつけてあるドレッサーだ。顔を右へ向けるだけで、日比谷は玲子の全身をその右側から、視界のなかにとどめることが出来た。
 ドレッサーのドアを開いた彼女は、なかの棚からなにかひとつ取り出し、続いてハンガーにかかっていたシャツを手に取った。そしてドアを閉じ、ベッドへ戻った。ベッドの縁に腰を下ろした彼女は、白い半袖はんそでのシャツを裸の上半身にはおった。ボタンを三つだけとめ、立ち上がってショートパンツをはいた。その動作のすべてを日比谷は見た。彼女の体の曲面とのなじみ具合から判断すると、ショートパンツの生地はニットではないか、と日比谷は思った。ショートパンツではなく、男性のトランクスのような下着なのだ、と彼は訂正した。細かな模様がぜんたいに散っていく。
 立ち上がってドアまで歩いた彼女は、ドアを開いて日比谷を振り返った。淡い笑顔の彼女は、
「いらして」
 と、低く言った。
 日比谷は椅子を立ち、玲子の後から暗い寝室を出た。居間のソファの前まで歩いた玲子は、作業テーブルの向こうを示した。そこには黒い旅行かばんが置いてあった。
「私が撮った美代子の写真ほとんどと、高校三年のときの演劇の公演のヴィデオが、あの鞄に入ってますから持って帰って。鮫島くんや彼のお姉さんの写真も入ってます。見ればわかるようになってるわ」
「預かっていいですか」
「どうぞ」
 玲子は日比谷をキチンへ導いた。明かりをつけた。食事のための小ぶりなテーブルには椅子が二脚あった。そのうちのひとつに彼はすわった。玲子がドゥミタスを二客取り出し、コーヒー豆をくところから始まるエスプレッソの準備を、彼は見守った。魅力的に動く玲子の全身が、彼の視界のなかにあった。
 すその短い、ボタンを三つとめただけの白い半袖のシャツは、夜遅いこの時間でも玲子にはよく似合っていた。履いているのはやはりショートパンツではなく下着のトランクスだった。白地のニットに規則的に散っている小さな模様のなかで、中心になっているのは赤いかぶらであることがわかった。抑えた淡い紫色のいちごと、おなじく抑制された薄い黄色のさくらんぼが、赤いかぶらの従者のように機能していた。成熟した女性の体が持つ、ただごとではない奥行きに対して、あどけない模様は中和力とは反対の、奥行きをさらに増幅してやまない方向への作用を果たしていた。
 エスプレッソ・マシーンはかなりの音を立てた。そして二杯が同時に出来た。ふたつのドゥミタスをそれぞれ受け皿に載せ、両手に持ってテーブルへ運び、玲子はふたつを同時に置いた。差し向かいの位置から椅子を移動させ、玲子は日比谷のかたわらにすわった。
「ほんとに鮫島くんを取材するの?」
 玲子が聞いた。
「します」
「気をつけてね。慎重に」
「わかってます」
「気づかれないで」
「まず最初に、お姉さんの背景を調べます」
「背景って、なにかしら」
「住民票や戸籍謄本といった世界です。当人にはなにひとつ知られることなく、そういうものは手に入ります。そういったごく基本的なところに、なにかあるのか、あるいはないのか、調べてみます。なにもなければ、当人に接近します。現住所も当人には知られることなく、すぐに判明します。ですから、そこへいってみます。あれ、おかしいな、というようなことがそこにあれば、何日間か張り込むことになったりします」
「そういうことが、日比谷さんは得意なの?」
「あまりやりたくはありませんが、こういった基本を経由しないことには、なにも始まらないのです」
「ほんとにそこに住んでいるのかどうか、調べるのね」
 玲子のその質問に、日比谷は次のように答えた。
「ほんとにそこに住んでいるのかどうかということは、中野さんが語ってくれたことと付き合わせて言いなおすと、鮫島さんのお姉さんはいまも生きてるのかどうか、ということになります」
 口へ運ぼうとしていたドゥミタスを、玲子は受け皿に戻した。そして、
「怖いわ」
 と言った。
「これからどんなことがわかるのかしら」
「殺人事件がからむ、というような怖さではないと僕は思っています」
 玲子が感じているおびえを、いまの自分は多少は中和しなくてはいけない、と日比谷は思った。
「お姉さんが生きていないとするなら、書類の上では生きていることになっていて、美代子さんが入れ替わったということになります。ただそれだけですよ。ただしそれは、中野さんが五年かけて到達した結論でもあるのです」
「そしてもし私の結論のとおりだとするなら、美代子が行方不明になるにあたっては、鮫島くんの協力が不可欠だったということになるわね」
「取材は慎重におこないます。結果はすべて報告します」
「なんら疑われることなく、日比谷さんが鮫島くんに会う方法はあるかしら」
「あるでしょう。人脈をたどれば、無理のない成り行きとして、僕が鮫島さんと知り合うことは、たやすく出来るはずです。彼とつながる人脈を見つけ、彼の演出する芝居を僕が見にいき、紹介してもらうとか。どんなコネクションがあり得るのか、いまはなんにも思い浮かばないですね。無理はしません。それに、急いで鮫島さんに会う必要もないでしょう」
「手伝えることがあれば、私も手伝うわ」
「取材の対象を、まず鮫島さんのお姉さんに絞ります。段階ごとに中野さんに報告して、相談します」
「私にとっていちばん怖いのは、美代子の気持ちを想像することなのよ」
 と、玲子は言った。そして次のように続けた。
「どんな理由や動機にせよ、ある日を境にして別な人になるのは、考えていると楽しいでしょうし、準備もさまざまにスリリングなはずだと、私は思うの。でも、決定的な一線を越える瞬間というものが、かならずあると思うのよ」
「五年前のあの日、中野さんといっしょに帰って、美代子さんが先に電車を降りた、あのときですね」
「手を振り合って別れたときが、じつは美代子にとっては決定的な瞬間だったのだ、と私は思ってるの。その決定的な瞬間を、美代子は私と共有してくれたのよ。私はそのときはまだなにも知らないけれど、あとでかならず気づいてくれるはずの相手として、美代子は私を選んでくれたに違いないというのも、私の結論のひとつだわ」
「第三者の僕にも、その結論は納得がいきます」
「その一瞬は、外見的にはものすごく平凡なのよ。先にひとりが電車を降りて、ドアが閉まって電車は発進して、電車のなかで私が振り向いて、おたがいに手を振り合って。また会おうと思うなら明日にでも会えるという、日常のなかのなにげない一瞬よ」
「そのとおりですね」
「席にすわっていた私が窓のガラスごしに振り返ると、電車から三メートルほど離れたところに、美代子は電車に向かって立っていたの。私にとっては、ここはとても大事な部分なの。振り返った私と美代子の目があって、ふたりとも笑顔で手を振り合い、電車は発進していき、それっきり。怖さなんてどこにも感じられない、ほんとに日常的な光景だわ。美代子の笑顔はいつものとおり静かできれいで、表面的にはいっさいなにごともなかったけれど、じつはあのとき、自分にとっての決定的な瞬間が目の前に到来し、経過して去っていくのを、美代子は見ていたのよ」
「発進していく電車というかたちで」
「そしてその電車には私が乗っていました」
「美代子さんにとっては、そのときの中野さんは、おそらく見納めでしょうね」
「きっとそうだったと思うの。それに美代子にとっては、そのときがそれまでの自分自身の見納めでもあったはずよ。引き返すことの出来ない一線を、美代子はあのとき越えたのだから。そしてその自分を、美代子は私に見せてくれたの。美しくすっきりと立って、静かできれいな笑顔だったけれど、じつはものすごい怖さを覚えていたのではないかしら」
「それまでの自分という、すべてを捨てるのですからね」
 日比谷のかたわらで脚を深く組み、上にある太腿ふとももに両手を重ね、その両手に向けて玲子は顔を伏せた。そして次のように言った。
「決定的な瞬間を越えてしまうと、それまでの自分はもういないし、慣れ親しんだ人たちも場所も、ほとんどすべて見納めになるのよ。だから美代子がどこかにいるとしても、近くにだけはいないと思うの。ときどきあの電車に乗っているとは、とうてい思えないわ」
「少しずつ自分を削って消していく作業を、たとえば高校生の頃から始めたとすると、五年前にはもうほとんど削りきった段階に到達していたのではないか、とも僕は思います」
「決定的な一瞬は、越えざるを得なかったのね。別人になることの魅力と、走って来た助走路の長さとが、決定的な瞬間の向こう側へ、美代子を押し出したのね」
「そしていったん越えてしまうと、もうなにも怖くはないのではないか、とも僕は思います」
 視線を伏せたまま中野玲子は考えた。キチンのなかで静かな時間が経過していった。やがて彼女は顔を上げ、日比谷を見た。彼の視線をとらえて彼女が言ったのは、次のような言葉だった。
「あの決定的瞬間の美代子を、私は何度も自分でやってみたの。おなじ時間におなじ電車をおなじドアから降りて、美代子があのとき立っていたのとおなじ場所に立って、美代子がしたのとおなじように、発進していく電車の特定の窓に向けて、手を振るという動作。何度も繰り返しているうちに、わかったことがあるの。いちばん大事なのは、美代子は電車に向かって立っていた、という点です。やってみるとわかるけれど、電車に向かって立つという姿勢は、お別れの作法にかなってるのよ。見納めとして私への、美代子にとってはきちんとしたお別れ。ということは、美代子は自分の自由意志で消えたということ。やみくもに消えてもなにも始まらないわけだから、長い準備期間をへて、あのときついに、彼女は一線を向こう側へ越えたのね」
 語り終えて玲子は笑顔になった。ついさきほどまであれほどに泣いたことを、少しも感じさせないすっきりした笑顔だった。
「五年かかってやっと理屈が完成したのよ。私は日比谷さんのそばにいますから、日比谷さんがこの理屈を立証してみて」
(了)
[#改丁]


あとがき



 ひとりの女性が失踪しっそうする。二十五歳、独身、両親とともに住んでいた自宅から新聞社に通勤し、調査部で仕事をしていた。怜悧れいりさを絵に描いたような印象は、そのまま彼女の内面でもあった。そしてつけ加えるなら、たいへんな美人だった。しかしぜんたいとしてはなにがどう特別でもない、自分の現実を無理なく生きていただけの、失踪しなければならない理由など、周囲の人たちにはなにひとつ思い当たらない、そのかぎりでは平凡な人だった。
 ある日ある時を境に、彼女はかき消えたかのようにいなくなり、それっきりだ。いったいどこへいってしまったのか、手がかりや情報などいっさいないままに、すでに五年が経過した。推理小説ふうに考えると、何者かに殺害されたのか、それとも自分の意志で消えたのか、ということになる。殺害されるほどの間抜けではない、と彼女の両親は確信している。両親としては、無理にでもそう思うほかない。自分の意志で消えた、という救いがそこに残るからだ。
 失踪した当時、そのことは小さな新聞記事になった。そしてその記事に触発されて、週刊誌が取材して二ページの記事にした。その切り抜きを、日比谷昭彦というノン・フィクション作家が、自分の資料ファイルのなかに久しぶりに見る。そしてあらためて興味をかきたてられた彼は、失踪したその女性、後藤美代子をめぐって、個人的に取材を開始する。
 五年前にいなくなったきりの、どこにいてなにをしているのかなど、いっさい不明なひとりの女性を主人公にして、この小説はこんなふうにして始まっていく。新聞に連載したのだったから、実際に書き始めたときには、少なくともぜんたいのおおまかな輪郭くらいは、僕の頭のなかに出来上がっていたはずだ。それがどのような輪郭だったか、そしてその輪郭のなかにどんなことが想定してあったのか、書いた当人の僕はすっかり忘れている。いくら考えても思い出すことは出来ない。当人とはそういうものなのだろう。
 消えてそれっきりの後藤美代子があとに残したいくつかの関係の上に、消えてから五年という時間をクッションのように介在させて、日比谷昭彦が開始した取材によって次々に発生していく関係が、重なっていく。新聞連載のあとで一冊の本になったものを、書いた当人の僕がいま観察していくと、ははあ、なるほど、これは関係の物語として書いてあるのだな、ということがまずわかる。
 消えたければ消えなさい、好きにすればいい、という態度でいまはすべてをあきらめているという、両親の後藤幸吉と百合子の夫妻。取材者の日比谷が作る彼らとの関係のなかに、日比谷がアシスタントとして雇った高村恵子という女性が、重なっていく。恵子には日比谷との関係がすでにあり、彼を経由して、美代子の両親との関係を持ち始める。恵子は消えた美代子とおなじ年齢で、姿かたちが美代子とそっくりだ。美人で才媛さいえんであるところも、どこか美代子を思わせる。美代子の自宅にいまもそのままある美代子の部屋、そしてその部屋に残されているもの、たとえば衣服などを、恵子は取材する。その過程で彼女は後藤幸吉・百合子夫妻とすっかりなじんでしまい、その家に居候するまでになり、ついには消えた美代子の代役のような位置におさまる。
 週刊誌の記事を書いた記者をとおして、美代子とはおなじ高校に通っていた頃からの親友だった、中野玲子という女性を日比谷は知ることになる。美代子をめぐるいくつかの過去の出来事を、日比谷は彼女から教えてもらう。たとえば、美術の講師としてその高校で教えていた、矢沢千秋という画家の求めに応じて、彼の描く絵のモデルを美代子がつとめたこと。その絵はいまでも高校の校長室の壁に掛けてあるのだが、美代子の両親はなにも知らない。
 その後の矢沢千秋を日比谷が取材すると、画家として名をなした矢沢はすでに他界していて、郷里の美術館では彼の画業の展覧会が開かれようとしていることを知る。中野玲子がその展覧会へいくと、美代子をモデルにした絵をさらに何点か、見ることになる。取材に来た高村恵子のうしろ姿を会場で見た玲子は、美代子とあまりにも似ている様子に驚愕きょうがくし、まっ青になってその場に立ちすくむ、という経験もする。恵子と玲子はこのようにして知り合い、そこからふたりの関係が始まっていく。
 読者の目の前に次々にあらわれてくる関係を、説明的に列挙していくとかなりの数になる。そしてそれらはすべて、重なり合う。いまはここにいない美代子という女性について、日比谷や恵子が取材を続けていくと、美代子の過去の断片が、ひとつまたひとつと、読者に提供される。と同時に、美代子をめぐる取材を中心にして、何人かの人たちをあらたに結びつけるいくつもの関係が、発生していく。無理した工夫や突飛な展開などは、絶対に避けなくてはいけない。かつての僕はどんなふうに書いただろうかと思いながら読んでみると、抑制はきちんときいていることを発見して、僕は安心したりする。
 かつて美代子を中心に形成されていたいくつかの関係、そしていまはどこにいるかすらわからない美代子をおなじく中心にして、あらたに生まれてくる、いくつもの関係。いまはいない美代子を中心的な重力のようにして、それらの関係すべてが重なり合う。そのなかで少しずつわかってくるのは、中野玲子と美代子の関係が、少なくともこのストーリーにとっては、核心的な柱として機能している様子だ。
 読んでいけばおそらく誰にでもわかることだから、ここでその核心について書いてしまうと、中野玲子は美代子に対する強烈な恋愛の感情を、いまでもそのままに持続させている。そしてその感情に支えられて、美代子が消えてからの五年間、美代子がなぜ消えたかについて、玲子は考え続けた。そして失踪の発端は高校時代のなかにあり、そこからどのような経路をたどって失踪にまでいたったのか、ほぼこうに違いないと確信することの出来る輪郭を、玲子は自分の胸のなかに描ききることに成功している。
 玲子が日比谷に対して最後に語らなくてはいけないのは、その輪郭についてだ。しかしその輪郭は、立証されないかぎり、推論にしかすぎない。玲子ひとりでも立証することは可能だが、そのための行為は、美代子の存在をつきとめることに、そのままつながってしまう。玲子に対する強い恋愛の感情を、その強い純度のままに保ちたければ、美代子が発揮した失踪の意志を、玲子は尊重し続けなければいけない。考えれば考えるほど、輪郭は明らかになっていく。そして、明らかになればなるほど、それについて他者に語ることを、玲子は抑制しなくてはならない。
 こういうダブル・バインドのさなかで、美代子の生まれ変わりのような高村恵子に対して、玲子としてはきわめて当然のこととして、恋愛の感情を抱く。新しく発生したその恋愛は、美代子の失踪の底に横たわる、そしていまも続いているはずの、ひとりの女性との恋愛と均衡して、ちょうど釣り合ってしまう。『道順は彼女に訊く』という小説は、じつはこういう関係の物語だ。

二〇〇一年十一月五日
片岡義男





底本:「道順は彼女に訊く」角川文庫、角川書店
   2001(平成13)年11月25日初版発行
底本の親本:「道順は彼女に訊く」潮出版社
   1997(平成9)年5月
入力:八巻美恵
校正:高橋雅康
2014年3月29日作成
2018年6月17日修正
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