八百長くづれ

栗島山之助




 八百長くづれ――と唱へる新語が出来たのは、明治四十三年一月、太刀山対駒ヶ岳の立合ひに、其結果が七面倒な預り勝負になつた事に依つてである。この問題は相当な大波紋を相撲界に捲き起こした。何といつても当時人気の焦点である両力士が、複雑怪奇な噂の中に包まれて、天下晴れての土俵場裡に、複雑怪奇な立合を、正々堂々とやつたのであるから、苟しくも相撲を彼是かれこれと論ずる手合は、昂奮の青筋を額へ立てゝ論争したのも尤も千万であらう。
 そも/\太刀山と駒ヶ嶽とは、明治三十七年の五月場所、各々前頭筆頭の力士として、位置の均勢を示してゐたのに拘らず、土俵上の成績は太刀山優勢を以て、其大場所に勝星を獲得した。然るに次場所の位置は逆比例して、駒は小結に昇進し、太刀は居据ゐすわりとなつてゐた。次いで翌三十八年の一月には、預りの勝負を遂げ、以来二場所は駒の勝利となつて、彼は早くも大関に進み、太刀は関脇に踏止ふみどまつた。此状勢で明治四十年一月の引分勝負。四十一年五月と翌四十二年一月の引分勝負。都合三回に互角のかたちを保持したが、此間このかん、明治四十年の五月に於て、駒が一点の勝星を収めてゐるから、太刀と駒とが幕内力士としての星比べは、互に三点の勝星を備へて、全く同等の成績を対比してゐたのであつた。そこへ明治四十二年の夏場所が来て、而も此時は太刀山が新大関の栄位につき、駒ヶ嶽の東方ひがしがた正大関と肩を双べる地位に迄迫つて来た。時なるかな相撲道の為めにかがやかしい初夏の光は、新設された国技館の宏大な建物を照らして、気運は絶好の機会を孕んでゐる。才智にすぐれた協会の幹部たる者。活眼をひらいて相撲道の前途を観測したら、ジツクリと大きな腕を拱いて、名案良策を編み出さずにはゐられなかつたのである。
 協会幹部会議は、先づ現横綱の二大力士梅、常陸に代つて、人気満点の太刀、駒二大力士を、其後継者に推戴すゐたいして、飽く迄持続し得べき相撲道の隆運を、弥が上にも昂騰させようと企てたのである。そこで太刀、駒を同時横綱にするためには、双方に花を飾らせる事はいふ迄もないが、先づ強味のある太刀山の方に、ある意味の同意を得ておかなくてはならない。こゝで土俵上の妥協が成立した訳である。前に私が解説した『強い者と強い者との八百長』――これが暗黙の間に承認された次第である。
 斯くて明治四十三年一月第九日目の土俵場へ、大剛太刀山と駒ヶ嶽との雄姿が出現する事になつたが、此立合は凄じい勢を以て立上ると、一二合突合つてカツキと四つに引組んだ。左四つの褌の引き合ひ、先づ駒より下手投を打つて太刀が残し、続いて太刀の上手投を酬いて、駒又これを残した。かくして一呼吸の後、再び駒の下手投、残りは大刀の上手投と、一上一下虚々実々、絢爛眼を奪ふが如き華麗無比の争ひを現出したので、只情景の壮大に酔ふ者は、狂喜して歓呼喝采を浴せかけたが、相撲に通ずる一部の人々は、此立合を臭しと見て、聊か憤懣の声をもらす者さへ現はれた。殊に当日駒ヶ嶽の為めに、声援の団体を組織して来た早稲田天狗倶楽部の人々の中には、『フレー/\八百長』などと皮肉な罵声を放つ者さへあつた。かゝる程に両力士の投の打合は、正面土俵の一角に於て、駒の仕掛けを太刀外掛そとがけに禦ぎ、同体割相撲われずまふの坪に篏つた。
 然るところ、同体に落つべき太刀山が、極めて瞬間の活らきとして、左の手先を土俵へ突いた。斯くと見て取つた行司の軍配は、仕掛けし方の有利と認めて、駒に颯と軍配を揚げたが、これは行司の作法上常式の差し方で不思議が無い。
 併し四本柱の検査役中にも、『太刀の突手が早い』という主張者があつて、西溜の物言に対する東溜の反駁を至当なりと断定した。これで事態は紛糾して、土俵の混乱は頂点に達したが、協会捌きの窮策で、兎にも角にも其場を納め、結果は駒への丸星を太刀への半星を協会から支出して、負無し勝負の珍決例を出した。太刀山の墳懣は抑へ切れない。『協会は星蔵ほしぐらでも持つてゐるのか、そんな出所のわからない星は貰ひたくない』と警句一番。大むくれにむくれて仕舞つた。大山鳴動して半星一ツ転がり出した土俵異変――これを名付けて『太刀、駒の八百長崩れ』といつたのである。





底本:「日本の名随筆 別巻2 相撲」作品社
   1991(平成3)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「相撲百話」朝日新聞社
   1940(昭和15)年1月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:浦山敦子
校正:noriko saito
2014年12月15日作成
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