日本精神について

津田左右吉




「日本精神」という語が何時いつから世に現われたのか、確かには知らぬが、それがひどく流行したのは最近のことのようであり、いわゆる「非常時」の声に伴って急激に弘まったものらしく思われる。断えず高い調子で叫ばれ、何となく物々しいところがあるのみならず、いいようにより聞きようによっては一種の重苦しい抑圧的のひびきさえも感ぜられるのは、この故であろう。平安朝の昔にいわれた「やまとごころ」または「やまとだましい」は別としても、徳川時代の国学者の歌った「しきしまのやまとごころ」には勿論のこと、明治二十年代に唱えられた「国粋」にも、その後いろいろの形で時々に現われた「日本主義」の語にも、これはなかったことである。語気の強い点では、幕末のいわゆる志士がともすれば口にした場合の「大和魂」に幾らかの似よりがあるが、それはもとより一定の意図をっての宣伝なり運動なりではなかった。しかし、この語が、かかる状態で世に喧伝けんでんせられているにかかわらず、それが何を指しているかは、実は明かに示されていないといってもよい。人々は各々その好むところに従って任意にこの語を用いているようであり、従ってその間には往々齟齬そごし矛盾するところさえもありげに見える。あるいは初めに唱え出された時の意義と、後になって広く用いられるようになった場合のとの間に、いくらかの変化があったかも知れぬ。これは流行語には通有な状態でもあるが、特にこの語について考えると、それには種々の理由があろう。それを知るには、この語の唱え出されたのがどの方面からであるか、その動機がどこにあったか、如何いかにこの語が世に迎えられ、如何なる状態で世にひろがったか、ということを考えてみなければならず、それはまた今日の思想界の一側面を明かにするにも必要なことであるが、余はここでそれを試みようとするのではない。ただこの語がかなり多義に用いられていることを一応指摘するまでである。なおこれについては種々の興味ある問題が提起し得られるので、「やまとごころ」とか「大和魂」とかいう語があるのに、何故にことさらに「日本精神」というような語が作られたのか、日本の精神という意味を表現するのに、日本語でなくして漢語を用いたことに如何なる理由があったのか、というようなこともその一つである。偶然のことかも知れないが、偶然そうなったのは、どこかにそうなるべき理由があったに違いないから、それが問題になる。あるいはまた、上に述べた国粋主義日本主義などの主張乃至ないし宣伝とどこに違いがあるのか、何故にそういう違いが生じたのか、ということも考えてみるべきであろうし、この語の主唱者及びそれぞれの方面の宣伝者追従者の心理を観察することも一つのしごとであろう。が、根本的には、もっと広汎な問題がその底によこたわっている。日本精神という語の作られたのは、一般に一つの民族もしくは国民にはその民族精神もしくは国民精神がありまたはあるべきであるという予想の上に立っているかと思われるが、もしそうならば、そういう民族精神または国民精神というものが如何にして形成せられ、またそれが如何にその民族生活または国民生活の上にはたらいてゆくものであるか、ということの社会的心理的考察が必要だからである。日本精神というものを説くには、これについての確かな見解を基礎としてその上に立つことが要望せられるであろう。特に今日の如く、人の生活がすべての方面において世界的となっている時代においては、民族もしくは国民としての生活が単にそれだけでは成り立たないので、その点からこの問題に一層の重要性が加わって来る。従ってまた日本精神についても、そのことが考えられねばなるまい。しかし、これらのことも余の今立ち入ろうとする領分ではない。ただ余は世に既にかかる語の行われている以上、如何にしてそれを正しく理会し得べきかについて、一、二の所見を述べて見ようと思うのみである。今日のこの声高い叫びは、かかることの常として、遠からずおちついてゆくであろうが、おちついた後に何が残されるかということが実は問題であるので、できるだけよい遺物の残されるようにするには、日本精神そのものを正しく理会してかかることが必要である。しからざれば、却って予期せざる結果が生じないにも限らぬ。人々はこころ静かに何を日本精神とすべきかを深省し、如何にして正しき道に日本精神を導いてゆくべきかを熟慮すべきである。
 最初に日本精神という語そのものが、種々の意義に用い得られるものであることを考えて置く必要がある。「日本」を国家としての称呼とする場合には、国家存立の根本原理、または国民全体として日本人の意欲すること、あるいはまた特にその対外的意義に重きを置いて、国家を国家として立ててゆく、あるいはそれを強めてゆく、意気、熱情、もしくはその誇り、というようなことなどが、いずれも日本精神といい得られるであろう。また国家としてよりはむしろ民族としての名とする場合には、文化的意義において日本の民族生活の或る著しい特色もしくは傾向というようなものを歴史に求め、それを民族生活に内在するものと見て、この語をあてはめることができよう。あるいはまた個人として有する日本民族に特異な気質、習性、能力、趣味、または生活のしかたとでもいうべきことに日本精神があるというようないいかたもある。その他、特殊の内容のあることでなく、ただ日本人が日本人であることを強く意識するという意義にも用いられているらしい。精神という以上、生活の内面に動いている何ものかを指すには違いないが、それがこういろいろに考え得られるのは、精神という語が、本来、多義を含んでいるためである。しかし、多義に用いられるところから考えかたの混乱が生じ易いことを注意しなければならぬので、現にそういう事実があるらしい。例えば日本人の気質なり習性なりに日本精神があるというようないいかたをする場合には、その意義での日本精神は必しもよいこと美しいことばかりではないはずである。けれども、もともと日本精神というような語の用いられたのは、日本精神がこうであるというよりは、こうでなければならぬという主張からであり、従ってそれは日本人のよい美しい一面を強調していい、または日本人のすべてにそれがなくてはならぬものとして要求せられることをいったものと解せられる。従ってそこから、ややもすれば日本人の気質や習性のすべてをよいもの美しいものとして考える傾向が生ずる。そうしてそれが国家の対外的態度の問題に適用せられると、自国の行動はすべて批判を超越するものとなり、あるいはそこから危険なるジンゴイズムの展開せられるおそれさえもある。だから日本精神を考えるについては、如何なる意義でこの語を用いるかを明かにしてゆくことが必要である。日本精神の何であるかを具体的に考えるのではなく、ただ如何にしてそれを知り得べきかについての一、二の用意を述べようとするに過ぎないこの小稿においては、それを一々弁別して説くいとまはないが、これだけのことを思慮のうちに加えるではあろう。
 日本精神を知ろうとするものは過去の歴史にそれを求めるのが普通のようである。日本の民族生活に長い歴史があるとすれば、日本精神の語が如何なる意義に用いられるにせよ、それは歴史的に漸次養われて来たものに違いないから、何を日本精神とすべきかを知るに当って、歴史による外に道のないことは明かである。けれども歴史は発展を意味する。民族生活そのものが歴史的に発展して来た以上、その生活の内面に動いて来た精神も、また発展して来たとしなければならぬ。勿論、それには歴史の全体を通じて一貫した発展の過程がある。それは一つの生命過程である。けれども、日本精神という或る固定したものが、古今を通じて動かずに変らずに、存在するというのではない。だから日本精神を正しく理会しようとすれば、この歴史の発展の全過程の上にそれを求めねばならぬ。その歴史の発展が、民族生活の全体もしくは全面において認識せらるべきものであることは、いうまでもない。民族生活の種々の側面または時代々々の特殊な様相にそれぞれ日本精神のはたらきもしくは発現があると見るのも、一つの理会のしかたであるが、そう見るにしても、それが民族生活の全体に対して有機的関係を有するものであることと、歴史的発展の過程において或る任務をっていたという点において意味のあるものであることとを、忘れてはならぬ。或る側面、或る時代の様相がそれぞれ独立した意味のあるものでないことを注意しなくてはならぬのである。だから、任意に過去の時代の或る事象を取り出し、そうしてそれだけを全体の民族生活とその歴史とから切り離して考え、そこに日本精神の何ものかを認めようとするのは、正しい方法とはいい難かろう。神道、武士道、儒教、仏教、多趣多様の文学芸術、その間には由来と本質とをことにしまた過去において互に相排撃して来たものもあるに拘わらず、それらが種々の人々によって何れも日本精神の発現として説かれているようであるが、その説きかたを見ると、ここに述べた用意のない場合が甚だ多いのは遺憾である。甚しきは、その間に起源を支那印度に有するものがあるために、東洋精神というような語を用いて、それが即ち日本精神である如く宣伝せられることさえもある。同じく西洋に対立する概念として日本と東洋とが同じ地位に置かれまたは混同せられるという事情も、それを助けていようが、根本は日本人の精神活動の或る一面のみを全体の生活から取り離して見るからである。それと共に一方では、支那や印度の思想の入らない前の日本に純粋の日本精神、日本固有の精神があるとして、それを日本の古典に求めようとするものもあるが、かかる考えかたをするについても、そういうものが歴史的発展の全過程において如何なる地位を占め如何なるはたらきをしているかは、明かに思慮せられていないようである。日本精神が多義に用いられる理由の一つはここにもあるが、それは主として考えかたの不用意によるものである。
 日本精神は日本の民族生活の歴史的発展の全過程の上に求めらるべきものであるという一つの事例を、その最も顕著なる表徴とせられていることについて説いてみよう。或る時代の何らかの事情から発生した状態が、次第に展開せられる歴史の動きにおいて、変らずに継続して来た。それは、そういう状態の発生した事情とそれを導いた過去の民族生活の長い歴史との故でもあり、その状態に内在する力の故でもあるが、それと共に、その時代の日本民族の生業の性質や、文化の程度や、日本の地理的形態や、その位置や、または民族の同一であることや、附近の民族の状態や、あるいはまたそのころの東方アジヤの形勢や、それらが互にはたらきあったためでもある。日本の上代においては、国内には勿論、国外との関係においても、戦争が稀であり、従って戦勝者の勢威を振う場合のなかったことに重要なる意味があるが、それは主としてここから来ている。そうしてそれはまたおのずから武力よりも他の方面、いわば精神的なところ、にすべての本源を認めることにもなる。かくしてこの状態が長く継続せられるに従い、その基礎も漸次固められ、それが定まった形態として考えられる。そうなると、そこから更に長く永久にそれを継続させようとする欲求が形態そのものの内部から生じ、次にはそうすることが道徳的義務とせられ、進んではそれが一つの信念となる。時にそれを妨げんとするものが生ずると、それに対抗しそれを排除することによって、この信念がますます鞏固きょうこになる。そうしてその信念が次第に一般化し国民化する。支那の知識の学習に導かれた文化の発達と共に、それに思想的根拠が与えられる。時が経つに従ってその淵源が益々遠く感ぜられ、無始の昔からの存在として、それが日本民族には本質的のことと思惟せられる。従ってそれが確乎不抜のものとして国民の間に信ぜられる。ただ根本の形態は動かないが、そのはたらきかたは時勢の推移に順応しておのずから変化し、その思想的根拠とても一般の思想の動きにつれて同じく変化する。動いてやまぬ時勢に順応してそのはたらきかたが変化するからこそ、根本の形態が動かずして益々固められるのである。固執するところがない故に損傷することがないので、たまにそういう場合が生じても、久しからずしてそれが止みそれがえたところに、重要なる意味がある。権力の存するところは常に別にあって、すべての責任がそこに帰すると共に、権力の直接に行使せられないあたりには人が圧迫を感ぜず、却ってそれをなつかしみ、また上代文化の面影がそこに認められることと相俟あいまって、それを詩と美との雰囲気に包む。そうしてその精神的意義が益々深められる。かくして、この遠い昔からの形態は、時と共に漸次養われて来た歴史的感情によってその内容を豊かにし、それを無窮に持続せんとする国民の信念もまた益々強められて来たのである。要するに、それは民族生活の歴史的発展であり、そうしてそれによっていわゆる日本精神の重要なるものが養成せられたと共に、かかる発展を遂げたところに日本精神の活動があるのでもある。日本民族が一つの国家に統一せられたこととても、それがその前からの長い民族生活の歴史的発展の成果であり、そのこと自身が歴史的過程を有するものであることは、いうまでもあるまい。要するにすべてが歴史的であり、歴史的でないものはないのである。
 次には、或る時代における或る特殊の生活なり思想なりを日本精神の発現として見ることについて考えてみよう。その一つは古典に用いられている一、二の語句、それに現われている何らかの思想をそう見なして、それがそのまま現代にも存在しまたは復活し得られるもののように説くことである。古典の時代と現代とは遥かにへだたっていて、その間には長い歴史があり、民族生活の状態が全く違っている。だから、そういう思想が歴史の過程において断えず発展しつつ持続せられ、そうしてそれが現代人の生活にも力強くはたらいているものならば、それは日本精神の現われとして見らるべきであろうが、然らざれば、それは古典時代の特殊の事情の下に生じた特殊の思想に過ぎないものであろう。中間の長い歴史の発展を無視し、卒然として古典の思想と現代とを結びつけるのが無意味であることは、いうまでもなかろう。ただしこういう考えかたをするものは、古典の記載に彼らみずからの或る特殊の解釈を加えるのが常である。それがために、現代の世界でなくては考え得られず、現代人でなくては思惟し得られないようなことが、古人の思想においても存在することになる。かかる解釈を加えられた思想であるから、それはそのまま現代に結びつけて考え得られるのである。あるいは寧ろ、その解釈は説くものみずからが現代に対して要求するところを古典の上に反映せしめたものであるから、そう解釈せられた古典の思想が彼らの要求と一致することになる、というべきであろう。かかる解釈のしかたが正当な方法でないこと、それが歴史を無視するものであることは、いうまでもあるまい。近ごろ、しばしば人の口にする「神ながらの道」の如きはこれとも違い、古典には全く見えない語でありながら上代人の思惟したことのように説きなされ、それから逆に、古典にもかかる語が存在する如く考えられる傾向さえも生じたものであり、またその解釈とても必しも現代思想によって施されたものとはいい難く、畢竟ひっきょう説くものの恣意しいな附会に過ぎないが、上代人の思想でないことをそうである如く解釈する点は同一である。古人が明かに意識せずまたは自覚せずして言説し行動したことについて、それに潜在する思想なり気分なりまたはその心理の動きなりを、現代人が明かな形で認識することは必要であるし、また歴史の発展の過程とその意義とを現代人の思想によって解釈することは当然であって、歴史の学はそこに成り立つのであるが、しかし、それは古人の思想を現代化して取扱うことではない。古人の思想は、どこまでも古人の思想として理会しなければならず、それは古代人の生活とその歴史的展開とを、具体的にまた全面的に、把握することによって始めて可能である。古典の文字や記載を全体の民族生活と歴史とから取り離して見るために、恣意な解釈がそれに附会し得られるのである。徳川時代の儒者や国学者の上代思想の解釈もまたこの点において同様であったが、これは学問の方法の知られなかった時代のことである。然るに、不思議にも今日の一部の思想家には、こういうことが怪まれずに行われている。そうしてそれが日本精神の名を以て宣伝せられているのである。
 特殊な解釈を加えるのではなく、古典の文字をそのまま受入れる場合にも、同じことがある。上代の学者が支那の典籍から学び得た知識をそのまま書きあらわしている場合が古典には多く、政治的権威を有する公文においても同様である。それらは日本人の思想とはいい難いものである。日本人の思想となっているものならば、それは歴史の発展と共にその思想にも新しい展開があるべきであるのに、それがなく、何時も同じことが反覆せられている一事を見ても、そういうものが文字の上の知識に過ぎないことは知られる。それにも拘わらず、ただ文字のみを見て当時の日本人の生活の全体をもその歴史的発展をも考えないもの、特に支那思想に親しみのあるものには、それを日本人の思想とし、従って日本精神の現われとして取扱おうとする癖がある。東洋精神というような語を用いて日本精神とそれを一致させようとするのも、一つの由来はここにある。支那思想は支那特有の風土とその上における生活とその歴史とによって形成せられたものであるから、全く風土を異にし、生活状態を異にし、社会組織政治形態を異にし、独自の歴史を展開して来た日本人には、それはあてはまらないものであり、知識としては学び知られても日本人の思想とはならないものである。日本人の知識に存在したにしても、日本精神の現われとして見るべきものでないことは、いうまでもない。だから東洋という地理的称呼に支那と日本とを含ませていうならば、東洋精神というものは初めから存在しないもの成り立たないものである。然るに、そういう無意義の語が用いられ、それが日本精神と曖昧あいまいな形で混同せられもするのは、支那についても日本についても、民族生活の実際状態とその歴史的展開とを考えないからのことである。支那から学ばれた知識が日本人の生活の坩堝るつぼの中で熔解せられ、そこから日本人の思想として新なものが形成せられて来ることは勿論あるが、そうなれば、それはもはや支那思想ではない。仏教思想についてもまた同じことがいい得られる。教理上の或る見解が或る上代の有名な著作に現われているという理由から、そこに日本文化の根本精神があるというようなことがいわれてもいるが、開三顕一が何を意味しようとも、一大乗の語に何の義があろうとも、それが日本の民族生活とその発展とにどれだけのかかわりがあったというのか。仏教だけの問題としても、事実、かかることに何のかかわりもなく、その種々の宗派が伝えられも弘まりもし信仰せられもしたではないか。仏教が日本の文化に大なるはたらきをしたことはいうまでもないが、この類の経典の解釈や教祖の判釈に日本精神の淵源なり発現なりを見ようとするのは、民族の生活が如何に動き歴史が如何に展開せられるかを考えないものであろう。
 文字にのみ現われている思想でなく、実生活の上において重要なるはたらきをしたものについても、また同じことが考えられねばならぬ。例えば武士道、武士の精神というようなものである。武士道は武士の社会が世襲的主従関係によって組立てられ、その主従関係が知行ちぎょうによって維がれていることと、その時代の戦闘の方法による戦争の体験とによって、養成せられたものであるから、そういう組織が維持せられ、そういう戦争を体験する機会が多い時代においてのみ、力のあるものである。だから戦乱が止んで、ただ彼らの地位とその組織とのみが維持せられていた徳川時代になると、それはおのずから頽廃しなければならぬ。のみならず、そういう組織そのものの生命が戦場のはたらきによって恩賞の与えられることにあるのであるから、平和の時代にはそれが漸次形骸化するので、そこからも武士道の弛緩が誘われる。強いてそれを緊張させようとしても、それは不可能であったことが、明かなる歴史的事実である。だから、かかる組織が破壊せられ、武士という特殊地位そのものがなくなった明治時代以後に武士道が亡びたのは当然である。それは或る時代の特殊状態の下においてのみ意義のあったものである。勿論、武士道としては消滅しても、それによって養われた或る気風なり習性なりが、或る程度に後までも遺存してはいるが、それが新に展開せられた新しい時代の生活に適合するには、一般の道徳にまで高められ得るものであることを要する。然らざれば、それは却って新しい生活の障害となるのみである。全体からいうと、主従の関係、人と人との間の道徳であり、集団生活、社会生活の道徳でない点において、武士道は現代生活の根本精神とは一致せざるものである。あるいはまた、家族生活の特殊形態の如きものもこの例であろう。家族生活は如何なる時代にもあるが、その生活の形態なり様式なりは時代によって変化するので、徳川時代のそれは平安朝のそれとは遥かに違ったものであり、そうしてそれは徳川時代の民族生活、徳川時代の社会組織や経済機構の下において、始めて成り立ちもし維持せられもするものである。それとても、遠い昔の家族形態から民族生活の変化に応じて歴史的に発展して来たものであるには違いなく、それと共にまた、徳川時代の家族形態によって馴致じゅんちせられた家族感情というようなものが、徐々に変化しながら今日までも或る程度に遺存してはいる。ただしそれが現代生活において如何なる意義を有するかは、武士道の場合と同じである。だから、武士道とか或る時代の家族生活の形態とかに日本精神が現われているというような考えかたは、日本精神という語に特殊の制限と意義とを加えて用いない限り、許され得ることではない。他の民族にはなくして日本民族にのみ生じたものであり、その意義で日本精神をそこに認めることはできようが、その精神は何時の時代にも同じようにはたらくものとはいわれぬ。それは過去の或る時代の民族生活から生まれまたそれを導いて来たものであり、そうしてそういう生活から現代の生活が歴史の過程によって展開せられて来たとすれば、その意味でかかる精神も現代に関与するところのあることはいうまでもないが、直接に実生活の上にはたらいたのは過去の或る時代だけのことであり、それだけでその任務は終ったのである。
 古典とか中世の思想とか徳川時代の風習とかいう現代とは縁の遠い過去の生活に日本精神を求めるのは、一見、歴史を尊重するからのようであるが、その実、歴史を解せざるものであるということは、これまで述べたところで、ほぼ明かになったであろう。上代人の思想がそのまま後世までの民族生活を支配しているように考えたり、すべての伝統は皆な遠い上代からのであるとし、そうしなければ伝統に重要性がないように思ったりするのは、なおさらである。上代人の思想のうちで民族生活の発展に適合するものが発展して現代に至り、上代に無かったことが新しく興ってそれが伝統となったところに民族生活の意義もあり歴史もある。そこで起る疑問は、何故に人々が日本精神を説くに当ってかかる遠い過去の時代をのみ顧慮するかということである。過去を顧慮することは、それによって日本精神の由来なり発展の径路なりを知るに必要であることはいうまでもないが、現代において日本精神を説くのは現代の日本のためであろうから、同じく過去を顧慮するにも、もっと近い過去、現代と離れない過去に一層の注意を向けるのが適切ではないか。歴史という語を用いる場合にはそれは現代史である。過去というよりも寧ろ現代である。現代が歴史の頂点なので、上に歴史的発展の全過程といったことには、この意味もある。日本民族が現代においてかくごとく生活し是の如く活動しているのは、そこに精神がはたらいているからである。生活のあるところ精神があり、精神のない生活はない。さすれば、現代の生活にはたらいている現代の精神こそ、最も直接なる意味においての日本精神ではないか。それは日本精神の種々の意義においていわるべきことであるので、国家的意義においては、日本の国家の存在の根本原理を、法制の上でも思想の上でもまた日常生活のすべての方面においても、明確にしたのは現代であり、世界に対して日本の地位を確立しまたそれを高めてゆくことの欲求と努力とも、日本が列国の間に活動するようになった現代に至って、始めて生じたものである。日本精神は現代において最も旺盛にはたらいているというべきであろう。それにも拘わらず、日本精神を説くものが遠い過去にのみ注目するのは何故であるか。
 思うに、これには種々の錯覚や考えかたの混乱から来ているものがあろう。国家としての日本が世界もしくは世界の列国、特に欧米の諸国に対立するものであるということから、日本精神を世界的もしくはいわゆる欧米的な文化に対立するものとして考えるようになり、従って現代の日本は欧米文化、西洋文化に圧倒せられて日本の文化とそれに伴う日本固有の精神とが衰えたとし、そこから日本精神は欧米文化、西洋文化の入らない前の日本に求めねばならぬとしたのであろう。ここに既に一つの錯覚がある。いわゆる東洋精神が日本精神の味方になり、もしくはそれと混同せられる理由の一つは、ここにもあるので、この意味では、支那または印度伝来の文化が日本固有のものとせられるのであるが、これもまた一つの錯覚である。今日の日本精神運動が事実こういう考えかたからのみ出発したというのではなく、またこのかんがえは日本精神という語の用いられない前から存在したものではあるが、日本精神運動にもそれが含まれまたは合流して来たことは疑がなかろう。そうしてそれは、現代の政治及び社会上の種々の弊害を西洋から学ばれたそれらの機構とその基礎となっている思想とにあるとして、その改新の精神を日本の過去に求めようとする思想と、相応ずるもの互に結びつくものである。この意味では、日本精神運動は現代に対する一種の反抗的態度から出たものである。それが一種の主張であり、日本精神が新に要求せられるものの如く説かれるのも、この故であろう。ところで事実を見ると、現代の日本の文化は、そのうちに古くから伝えられた分子と欧米に源を発して世界化した分子とがあって、それがいろいろの形で結びつき絡みあってはいるが、その全体をおおうもの、もしくはその主潮となっているものは、いうまでもなく後者であり、それがなくては日本の民族生活は全く失われてしまう。例えば、現代の科学文化を日本から除き去ることができるかと考えれば、このことは明瞭である。だから、それは西洋の文化でも欧米の文化でもなくして、日本の文化である。源流を欧米に発したものではあるが、それが世界の文化となり、その世界の文化の日本での現われが現代の日本の文化なのである。この科学文化が日本の民族生活に深く浸潤し、それによって現代の日本が活動し、我々の生活が日々に新しく展開せられている以上、そこに日本精神のいろいろの意義においてのはたらきがあるとしなければならぬ。日本人が科学をかくまでに領略しそれを活用するようになったのは、日本人の熱情なり意気込みなり長い歴史によって養われた能力なりの故であるとすれば、それはその意義での日本精神の現われであり、また科学によってこれまでになかった新しい心のはたらきや生活のしかたや従ってそれから馴致せられる習性などが養われていることを思うと、それもまたその意義での日本精神が新に生じたことに外ならぬのである。日本精神の代表的のものの如くいわれている日本の軍人精神というようなものも、日本が新しく世界列国の間に入り込んで行ったことによって発達した国家観念と、近代科学の所産である武器と、それによる戦闘の方法と、またそれに伴う部隊組織とによって、新しく訓練せられたものではないか。科学の取扱いかたに日本人的な特殊なところがあるということも考え得られるが、科学とそれによってつくり出された生活とから新しい精神が生まれるのでもある。科学に関してばかりでなく、いわゆる西洋に源を発した現代文化のすべての方面において同様である。さすれば、この新しい日本の文化とそれによって新しく展開せられて来た生活とを、日本精神に対立するものとするのは、本来、何の意味もないことであり、現代日本の民族生活そのものを直視しないところから生じた考えかたの混乱である。現代文化の内容は複雑であり種々の側面を具えていて、その間には互に密接の関係を有しながら相反する思想、もしくはその上に立つもの、歴史の発展の過程において異なれる段階にあるものが、さまざまにからみ合っているに拘わらず、それを西洋文化というような名称で単純にかたづけるのも、これがためである。外来思想ということもいわれているが、こういう称呼にもし意味があるとすれば、それは現実の民族生活から生れ出たものでなく、単に知識として外から学び知られたものをいうべきであり、そうしてそういうものが現実の生活にはたらきかける思想として存在するのは、文化の程度が低く、知識を外に仰ぎ思索の準拠を外に求める民族においてのみのことである。だからそれを排除するには、全体として日本の文化を高め知識生活を高めることに努力する外はない。
 現代の文化、現代の生活と日本精神とを対立するものとする考えかたに根拠がないとすれば、日本精神を現代から離れた過去にのみ求めることの不合理はおのずから知られる。過去に求めながらその過去の思想なり事象なりに何らかの解釈を加えて、そのものには存在せざる意義を附与するのも、実はこれがためである。要するに、過去のそれぞれの時代の生活において日本精神がはたらいた如く、現代には現代の生活においてそれがはたらいている。それを見るのが日本精神を明かにする最も適切な方法である。国家存立の原理とても、現代の要求する政治機構によって現代的にそれが確立せられたので、そこにその意義での日本精神の新しい発現があるではないか。もし現代生活の内面に動いている精神を日本精神として認めず、過去にのみそれを求めようとするならば、それは精神というものを現実の生活から離れて存在し、如何なる時代にも同じようにはたらくものと考えるからであるが、生活から離れているかかる精神というものがもしあるとしても、それは現実の生活を指導する何らの力のないものである。一時は現実の生活に何らかのはたらきを及ぼすように見えても、生活そのものの根づよい力がいつしかそれを反撥してゆく。例えば、徳川時代の家族生活の形態を良風美俗とし、そこに日本精神があるとしてそれを鼓吹するものがあるとしても、現実の生活は事実においてそれに背反していることを知らねばならぬ。今日の勤労階級に属するものは、徳川時代とは違って、父子兄弟各々業を異にし生計を異にして生活するのであるが、かくしてこそ初めて現代の社会が活動しているではないか。国家の制度においても、また昔の家族生活の精神とは矛盾するものがあるので、官吏の恩給とか遺族扶助とかいう規定の如きはその顕著なるものであり、種々の社会的施設とてもまた同様である。現実の生活そのものがそれに適しない思想を反撥してゆくのである。一面においては過去の遺習がなおつきまとっていて、それがために現代社会の機能を十分にはたらかせないようにしていることも多いが、人々は今それを排除するに努力している。そうしてその反撥の力こそは日本精神のはたらきである。あるいはまた世界と離れた民族生活の成り立たない現代において孤立時代の精神が適用せらるべきでないことは明かである。日本精神の振興を説くものは、世界的関聯においての民族生活、世界人としての日本人の生活を見ようとせずして、世界に対して特異の地位を占めるものとしての日本民族、世界に対立しまたは対抗する日本をのみ認めようとするらしいが、それが徹底的に主張し得られないことは、彼らみずからの運動が最近のヨオロッパにおける、そうして日本にはあてはまらないところの多い、種々の意義においての民族主義国家主義の影響をうけ、またはそれとの間に思想的関聯がある一事によっても知られるのではあるまいか。日本人の思想とても世界の思想と離れて存在し得るはずがないのである。
 しかしこの考えかたは、日本精神というものをその存在するがままに認めようとするものであり、同時に現代生活そのものをも肯定するものである。これが現代に対する一種の反抗的態度から日本精神を過去に求めるものと違う点である。国家的意義においての日本精神は過去に養われたものを一層明確にしまたは発達させたところに現代の特色があるので、日本精神を過去に認めようとするものも、それを尊重しなければならぬが、過去に心をひかれるために却ってそのことを軽視する傾向があるように見える。が、問題は別にある。現代生活にもその基礎をなす現代の世界文化にも、幾多の、あるいはむしろ根本的な、欠陥があり、それから生ずる弊害が日々に加わって来ていることは、明かな事実である。さすれば、かかる生活の内面に動いている精神にもまた欠陥があるはずであり、そうして欠陥のあるものは日本精神と称するわけにゆかぬではないか、ということが考えられるのである。これは上に述べたような日本精神という語の用いかたにもよるのであるが、そういうことを除外して見ても、ここに問題はあるに違いない。そこで、この意義においてのあるがままの日本精神は批判せられねばならぬことになる。けれども、生活も精神もつねに動いてゆく。現実の生活を克服しつつそのうちから新しい生活を展開してゆくのが生活でありその精神である。現代生活は克服せられねばならぬが、それを克服するものは現代生活そのものなのである。現代から離れた過去にその精神を求むべきではない。あるいはまた日本の文化を世界化しつつそれに民族的特色を与え、日本の民族的文化を創造してゆくことも、かかる精神に期待すべきである。民族としての生活が重要である現代においては、世界的文化にもそれぞれ民族的特色がある。あるいは文化がいよいよ世界的になるに従ってその民族的特色もまたますます濃厚になるという、逆説めいた考えかたも成り立つであろう。この意義において日本の民族的文化が創造せられねばならぬ。ただし外国文化の日本化というようなことが、文化が世界的にならなかった時代に行われたような意義で行われるものではない。採長補短というような久しい前に流行したことのある考えかたも、また無意義であるので、長短は抽象的に定めらるべきではなく、機械的に分離し得られるものでもない。西洋の文化を物質的としそれに対して日本に精神文化があるというような考えかたに至っては、もとより論外とする外はない。けれども、日本民族が一民族として存在し、それが特異の風土の上に立ち長い歴史を有っている限り、日本の民族文化もまた生ずべきであり、そうしてそれは現代生活そのものによって現代の世界化した文化そのもののうちから造り出されねばならず、それを造り出すところに日本精神があるべきである。ただこれがためには、断えず自己の生活を反省してその内面に動いている精神を探究検討し、みずからも明かには意識していないものを明かな形で認識することが必要である。それは自己批判の意味においてである。自己の精神を自己みずから批判するところに、一層高い精神のはたらきがある。日本精神運動はかかる精神をよび起すところに終局の任務がなければなるまい。
 勿論、民族としての生活が現代において重要なるものである限り、民族生活もしくは民族精神に或る誇りを有つこと、従ってそれを美化して観ることに、少からざる意味はある。かくして美化せられたものを遠い過去にまで反映させ、民族史はかかる誇るべき生活と精神とを以て貫通する如くに思いなすことさえも、必しも無意味ではない。けれども、それは寧ろ詩的な芸術的な気分からである。それをそのまま現実の問題にあてはめたり、またはそれを歴史的事実と見なしたり、あるいはまた強いてそれを合理化しようとして恣意な解釈を加えたりするようなことがあるならば、それは恐らくは「日本精神」を正しく導いてゆく所以ゆえんではあるまい。





底本:「津田左右吉歴史論集」岩波文庫、岩波書店
   2006(平成18)年8月17日第1刷発行
   2006(平成18)年11月15日第2刷発行
底本の親本:「思想(特輯 日本精神) 一四四」
   1934(昭和9)年5月
初出:「思想(特輯 日本精神) 一四四」
   1934(昭和9)年5月
入力:門田裕志
校正:フクポー
2017年10月25日作成
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