歴史の矛盾性

津田左右吉




 歴史の領域は過去にある。これは何人にも異論のないことであろう。しかし、過去は過去として初から固定しているものではなく、断えず未来に向って推移してゆく現在の一線を越えることによって、未来が断えず過去に化し去るのである。これもまた明白なことである。ただ歴史の取扱う過去は、単なる時間としての過去ではなくして、過去となった人の生活である。ところが、生活は未来に向って進んでゆくのがその本質である。断えず未来を領略してゆき、未来に向って自己を開展してゆくのが生活である。だから、歴史は未来に向って進んでゆくものを過去としてながめねばならぬ。未来に向って進んでゆく生活が過去となった時、いいかえると生活が生活でなくなった時、はじめてそれが歴史の領域に入るのである。けれども、歴史の取扱うものは生活でなければならぬ。だから、そこに矛盾がある。問題はこの矛盾から生ずる。
 歴史の第一の任務は、過去の生活を生活として叙述し描写することであると、余は考える。生活は刹那の間も静止することのない不断の動きであり進展であるから、生活を生活として叙述し描写するということは、その動きその進展の過程を過程として叙述し描写するということである。過去となった生活の過程を、その過去の時間において未来に向って進んでゆきつつある生活の過程として、意識の上に現前させるのが、この意味においての歴史の任務である。この場合において、歴史家はその生活の過程の中に身を置き、その生活の進展と共に未来に向って歩いてゆかねばならぬ。この未来は現実においては既に過去となっている。従ってそれは既知の世界である。しかし、過去の生活の過程の中に身を置く歴史家にとっては、それはどこまでも未来とせられ、従って未知の世界とせられねばならぬ。が、これは果して可能であろうか。
 人の生活は、未来の予見せられないのがその本色である。もしそれが盲目的な生活である場合には、未来の生活が如何いかなる姿を現ずるかは初から問うところでないかも知れぬ。何らかの目標が前途に置かれ、それに向って進もうとする場合においても、いかなる道程がそこに開展せられて来るか、その志向するところに果して到達し得るかどうかは、予め知ることができぬ。どうしようという、もしくはどうなってほしいという、欲求なり志向なりがあるのみであって、事実それがどうなってゆくかは、わからぬ。過去の経験から得た知識によって、極めて漠然たる或る傾向を予想することは、なし得られないでもなかろう。が、具体的には明日のことをも予見し得られないのが、事実である。そうして、その欲求といい志向というのも、刻々に進展してゆく生活の過程そのものにおいて、またそれによって、そのうちから、生じたものであり、従ってまた、その進展によって断えず変化してゆくものである。そういう過程の最も単純な場合を考えて見ると、極めて短時間のうちにおけるおのれひとりの心生活によっても、それを知ることができよう。ここに一場の講演を試るとする。説かんとするところの要旨は定まっていて、論述の順序もほぼ結構せられていたとする。しかし、一度ひとたび講演を始めると、語は語を生み思想は思想を生んでゆくのみならず、その語その思想とその開展とに伴う何らかの気分とその推移、講演そのことから生ずる一種の心情の昂奮、あるいはまた聴衆の態度とそれから醸成せられる場内の空気とに対する反応などが、一方では新しい思想と新しい語とを生み出す縁となると共に、他方では予定の径路によって予定の論歩を進める機会を失わせてもゆき、気候の寒暖乾湿、風雨陰晴の状態やその変化などさえ、何らかの影響を及ぼすので、よしその根本の思想と大体の論旨とは変らないにせよ、予期せざる言説が予期せざる調子によって述べられるのが常であり、場合によっては、根本の思想が何らかの程度において変更せられることさえも、ないではない。講演の進行する間に、もしくは進行そのことによって、説いてゆく思想の不完全なところや欠点が覚知せられることもある。講演は他人に対するものであるから、この点において純然たる自己のみの生活ではないかも知らぬが、書斎のうちに静座して独り一篇の文を草する場合においても、またそれと大差はなく、如何なる語を着け如何なる章句をなしてゆくかは、書いてゆく時になって刻々に定めてゆく外はなく、そうしてそれは、書いてゆくことによって思想が次第に開展せられるからであるのみならず、その間に生ずる感興の強弱やその変化や、文字や語句からの聯想によって限りなく喚起せられて来る種々の事物や思想やは勿論、偶然耳目に触れる窓外の鳥声人語、雲烟の揺動によってすらも、影響せられるからであり、一の語をつけ一の章句を成すに当って、次につける語の何であり次に形づくる章句の何様であるかは、全く予知し難いといわねばならぬ。生活としては極度に単純な、そうして一定の意図があってそれを実行することのほぼ可能な場合を見てもこうである。歴史の取扱うような多数の民衆によって組織せられる一国民なり或る社会なりの複雑なる生活において、未来の予見せられざることは、いうまでもなかろう。個人なり権力ある家なりまたは或る階級なりには、各々その生活を伸張し拡充せんとする欲求があって、それによっておのずから国民なり社会なりの全体が動いてはゆくが、国民や社会の全体としてその生活を如何に進展させてゆくべきかの志向がなく、そういう自覚の生じなかった時代においては、勿論である。時代が進んで、民衆全体の生活を如何にすべきかの或る志向が生じ、国民一般の生活を導く何らかの精神が形成せられ、それによってその生活が開展せられてゆくようになっても、個人的の、あるいは階級的の、あるいは地方的の、あるいはその他の雑多の、特殊の志向と生活とがそれと共に存在し生起し、そうしてそれらが相互の間に、また全体の志向や生活との間に、複雑なる交響を生じ、それがために国民の生活の開展をして無限に多趣ならしめ多様ならしめると共に、かかる生活の開展の過程において生起する凡百の事件や、それによって醸成せられる空気とその動揺とが、更に、その生活とそれを導く志向とに反応して、それを動かしてゆく。他の国民の生活や、世界の動きや、自然界の状態とその変化やが、外部から間断なき刺戟と影響とを与え、それがまたこの志向と生活とを変化させてゆくことは、勿論である。そうして、それらはすべて一日の前に予見するを得べからざるものである。事態の急激に変化する特殊の時期においては、このことが一層明かである。日常生活の間から生ずるその生活に対する漠然たる不満、隠約の間に養われて来る、権威の抑圧に対する、何となき反抗の情、世に変化あらんことを欲するおぼろげな気分、かかる微細な感情の集積せられ化合せられるところから何時いつとなく醗酵する「時代」の空気、それが濃厚になって来ると、現実の生活、現実の政治的社会的規制から国民みずからを解放せんとする漠然たる志向が生ずるのであるが、それが発展して政治組織なり社会組織なりを変革せんとする意志が明確に現われ、如何に変革せんかの欲求が具体的な形を具えるようになると、一面には空想の力がそれを客観化して美しき幻影を前途に描き出すと共に、他方では知識がそれに思想としての形を与えるようになり、そうしてそれが時の経つに従って、それみずからの裡に一種の力を生じ、またそれが広く世に承認せられて来ると、その思想に道徳的権威がついて、欲求はいつの間にか倫理的義務となる。かくして、それが一世の指導精神におし上げられ、それに対して一種の信仰さえも生ずる。かかる欲求は、機会が来ると、それを実現せんとする行為に移るのであるが、そうなると、みずから知らざりし力がそこに現われ、事の進行と共にその力が加わってゆく。その傍には、この運動に反対しそれを阻止し抑圧せんとする力が存在し、それとの間に争闘が生ずるが、抑圧に逢えば逢うほどそれを排撃して我が道を進まんとする意気と力とが増す。そうして、そこから幾多の波瀾が起り、一世の空気が混乱する。その混乱の空気に刺戟せられて、国民は益々昂奮する。その間には意見が分れて党争が起り、事に当るものの事功欲や私情もはたらいて、紛乱が増大する。事態が事態を生んで底止するところがない。大勢のおもむくところはおのずから定まるにしても、時には順行し、時には逆行し、時には停滞して、人みないずれに向って進むべきかを知らざるようになる。その間わずかに途が開かれると、あるいは勢に乗じみずから知らずして遠く突進し、あるいは激せられるところがあって予期せざる方面に奔馳ほんちする。そうして、かくごとく新しき事態が間断なく継起し、新しき問題がそれと共に続出して来ると、はじめの志向や欲求はそれによって漸次変化を受け、あるいはそれが真の志向するところ欲求するところでなかったことが感知せられ、多年自覚せられなかった自己の真の欲求が漸くその形を露わし、時には事態の急転と共に従来の指導精神が俄然として一変し、予想せざりし世界が忽然として開展せられることがある。あるいはまたそれに反して志向するところ欲求するところに背馳はいちした世界が現前し、更にそれに向って変革を要求せざるを得なくなることもある。ここにおいてか、或るものは意外の成功に誇り、或るものは幻滅の悲哀を感ずる。誰かかかる転変と、かくして現出せる新しき世界の状態とを予知し得るものがあろうぞ。これは抽象的な言いかたであるが、世にその例の多い革命の歴史、または我が国における幕末維新史の如きを回顧すれば、この間の消息はおのずから明かになるであろう。
 しかし、此の如くみずから造り出した時勢にみずから反応し、みずから知らざる世界をみずからのうちから刻々に開展して来た生活を、一たび過去として眺めることになると、眼界は忽ち一変する。高きに登って登り来たったところを回顧すれば、丘陵をじ谿谷に下り左曲右折した跡は歴々として指掌の中にあるであろうが、時と共に消え去った過去の生活の過程は、そうはゆかぬ。再び単純な形においてそれを考えるために、或る事件の一段落を告げた時に、そこまで到達した過程を追憶して、それを検討してみるがよい。その追憶には必ず、事件の成果によって、変形せられ潤色せられているところの多いことを発見するであろう。というよりも、特殊の証跡によってそれを発見しない限りは、それが発見せられずに終る場合の多いことを知るであろう、といわねばならぬ。記憶が過去の心象のありのままなる再現ではなくして、知らずらずの間に撰択せられ淘汰とうたせられ整理せられているものであることは、少しく自己の心生活を内省するものの何人も知悉するところであり、次から次へと刻々に継起する心象は、刻々に過去の心象を変化させつつ過ぎゆくのであるが、事件の成果の知識がその進行の過程に関する記憶をゆがめたり色づけたりすることの最も重大なるものであることも、また日常の経験によって知り得るところである。のみならず、成果の知られた後の追憶は、その成果に注意の焦点を置くことから、そこに到達した過程がおのずから軽視せられ、従って動的のものが静的となり、幾多の変化を経て来た事件が固定していたものの如く意識せられると共に、その成果には種々の意味が含まれているにかかわらず、その中で著しく目立って見える一面の意味のみに心がひかれ、従って複雑な過程が単純化せられ、すべてがその一面の意味においての成果を導いた径路としてのみ感知せられ、あるいはまた明かな意図なくして事に当り、もしくは事件の進行の間において漸次その意図が形を具えて来たものを、初から、後になって知られた如き成果を予想し、それを実現せんとする一定の目的を以て行動した如くあやまり認められるのが、常である。歴史の取扱う複雑な事件、複雑な生活に対する場合に、こういう心理のはたらくことはいうまでもなかろう。そこには動かし難き史料があるという。しかし文字に記されていることは、それに関する事態の僅少の部分なり方面なりに過ぎないのが常であり、そうして史料として遺存するものは、文字に記されたものの全体から見れば九牛の一毛であるのが例であるのみならず、その史料もまたおおむね追憶によって成ったものであり、しからざるものも事態の本質がさながらにそこに表現せられているとは限らない。文を草する過程が上記の如きものであるとすれば、そこに現われているところは、筆者の筆を執った場合における特殊の気分によっておのずから撰択せられ淘汰せられ色づけられ調子づけられているものである。そうして、史家が史料を見るには、史料に存せざる知識を以て史料を解するのであり、その知識には、史料の書かれた時には未来であり未知の世界であったものが過去となり既知の世界となったことによって生じた分子が含まれている。さすれば、史家が真に過去の生活の過程のうちに身を置くことは、極めて困難であるといわねばならぬ。
 歴史の第二の任務は、過去の生活の過程を反省して、その間から、そういう過程が開展せられて来た理路を看取すると共に、その間に起伏し消長して来た事件、そこに流れている思潮など、要するに歴史上の種々の事態、種々の現象と、その過程のうちの或る時期とが、その前後の事態もしくは時期との関聯において、更におし拡めていうと歴史の全過程において、そうしてまた断えず推移し生成し開展することにおいて、如何なる意義と価値とを有するかを、考察することである。ここに理路を看取するといったのは、普通に因果の関係を明かにするといわれていることであるが、因果という語を用いるのは、原因と結果とが固定したものである如く、またそれが互に分離して存在する如く、誤解せられ易いおそれがあるから、ことさらにそれを避けたのである。生活が不断の創造、不断の開展の過程であって、その或る状態がそれみずからのうちから、それみずからの力によって、次の状態を生み出してゆくもの、あるいはそれみずからがいつのまにか次の変った状態となってゆくものであるとすれば、よしその過程を分解して、その間に起伏した種々の事態を因果の関係にあてはめることが可能であるにせよ、少くとも余はかくいうことを好まぬものである。(上文に或る事件といい或る事件の成果といいまたは或る時期というようなことをいったが、これも実は妥当ならぬ用語である。不断の開展である実際生活そのものにおいては、前後の連絡から分離せられた或る事件というものはなく、従ってその成果というものもなく、前後の時期から区劃せられた或る時期というものもない。これはやむを得ずして通俗の表現法に従ったまでである。)さて、上に述べた歴史の第一の任務が叙述にあり描写にあるとすれば、この第二の任務は反省であり考察であって、従って、かれは心理的であるが、これは、いわば、哲学的である。が、歴史のかかる任務は如何にして遂げられるか。
 未来に向って生活の歩みを進める時、そこには意志がはたらく。意志がはたらくとすれば、そこには右せんか左せんか如何に動き如何に歩まんかの撰択の自由があるとしなければならぬ。一歩をふみ出した時、次の歩みにおいて如何なる方向をとり如何に動いてゆくかは予知することができないが、進みゆく一歩ごとにその歩みを支配する意志はある、少くとも保留せられている。勢に乗じて急坂を下るが如く、我れと我が造り出した勢に制せられて我れ我が意に従わざることもあり、突如として現出した障害によって衝動的に歩を転ずるようなこともあり、その他、種々の刺戟に対する反応から意志せざる歩みのとられるようなこともあろうが、それとても意志が意志として表に現われないだけである。だから、未来にどうなってゆくかが予知せられないというのは、畢竟ひっきょう、如何に意志してゆくようになるかが予知せられないということである。明かな志向をたない生活とても、生を維ぐがためには、刻下の行動に対して刻下の意志があるといわねばならぬ。これを要するに、未来を展望する時、そこに自由の世界が開かれているのである。しかし、此の如き生活が過去となった時に、その開展せられて来た理路を討尋して見ると、その理路には動かすべからざる必然性が存在する。その時々には自由に意志せられたことが、そう意志しなければならなかったこととして考えられる。どうなってゆくか予知せられず、その時々の意志で行動して来たことが、そうなって来なければならず、そう行動しなければならなかったこととして認知せられる。之を要するに、過去を回顧する時、そこに必然の世界がよこたわっているのである。かかる世界を認知するのが余のいわゆる理路を看取するのいいなのであり、そうして、それは人の理性の要求でもあり、また現代の学術眼から視て許容せらるべきことでもある。が、それは生活が過去になった時、即ち生活でなくなった時、更に換言すると歴史として回顧する時に、はじめてなし得ることである。生活が生活である当時においては、人は自由の態度で意志し行動する。少くとも主観的には、そう感知するのである。さて、この自由の世界と必然の世界とは、視るものの方向の相違から生じた同じ世界の両面であって、第一の任務における史家は絶えず自由の世界を前途に望みつつ進んでゆくのに、第二の任務における史家は、之に反して、常に必然の世界を回顧している。が、史家がもしこの二つの任務を二つながら併せ負うものであるならば、その任務は互に衝突し互に相妨げるものではなかろうか。生活の過程を過程として叙述する場合には、そこに存する必然の理路を認知することによって、累せられる虞がある。(人生を機械視し、本来不合理的な人間生活を合理化する弊は、ここから生ずる。)と共に顧みて過去に必然の理路を看取せんとする場合には、その過去に身を置いて自由なる未来を想望しつつゆくことによって、わずらわされるのではあるまいか。なお、この必然の理路を看取することに伴い、歴史上の種々の事態が、前後の事態との推移の関係と歴史の全過程とにおいて有する意義と価値とを考察するのが、歴史の第二の任務の一つであるが、これもまた、かかる立場にある史家の眼には既に過去となっていることが、歴史の進行の過程のうちにあるものにとっては、ならびに第一の任務における史家の立場から見れば、なお未来であるがために、換言すれば現在の生活が未来の生活において何の意義をなすかは到底予見すべからざることであるがために、此の如き考察と生活の過程の心理的描写とが果して調和せられ得るかどうか、そこにも問題があるといわねばならぬ。過去の生活を超越して過去を過去として見る史家の態度と、過去の生活の中に沈潜するを要するそれとが、調和せられ得るかどうかが問題なのである。畢竟、余のいわゆる歴史の二つの任務の間には矛盾があるのであるが、それもまた、未来に向って進んでゆく生活を過去として見なければならぬ歴史の本質から生ずるものである。
 歴史がもし果して上記の如き矛盾を有するものであり、従ってまた上記の困難を有するものであるとすれば、歴史は果して成立するものであるか、成立するとせば、それは如何にしてまた如何なる意味においてであるか。生活の過程の叙述と描写とにおいて、それを単なる知識の問題とすれば、上記の困難は避け難い。ただ史家の心生活の全体を過去の生活に向ってはたらかせることによって、それが救われるであろう。史家が過去の生活に対するのは、生活と生活との、人と人との、接触であり抱合であり渾融である。史家は過去の世界に生活し、その時代の空気を呼吸し、その時代の人と共に苦悩し歓喜し意欲し空想し、時勢を動かすに最も大なる力である漠然たる「時代」の空気とその動揺とを感知し、時と共に移り行く微細なる心理の変化をみずから体験する。この場合において最も必要なるは、史家の心生活に溌溂はつらつたる生気があり、その感受性の鋭敏なることであって、この点では、史家の資質には詩人のそれに同じきものが要求せられる。死せる史料を生かすとは自己の生活感情を史料に移入するの謂であるが、それはまた史料に潜む生活感情を鋭敏に感受することでもある。更に歴史の他の一面においてはどうかというに、上に説いた如き反省と考察とはその根柢に、自覚せられているにせよ、いないにせよ、史家の社会観、国家観、人生観、世界観がなければならぬ。ところが、かかる社会観、国家観、人生観、世界観は独り理性によってのみ形成せられるものではなく、単なる知識の所産でもない。それは史家の全人格の現われ、全体としての心生活の結晶でなければならず、従ってそれには意志も感情もはたらいているのであり、史家みずから当時の現実の社会を如何に観るか、その間に立って何事をなさんとするか、あるいはまた世を如何に導かんとするかの、欲求や志向がそれを形成する重大の要素であることはいうまでもなく、そうしてそれには、史家の生活する時代の志向、その漠然たる気分、彼の属する国民の一般的感情、階級的欲求などが、個人の性格をとおして現われるのであるから、畢竟、それは史家の個性の現われであるといわねばならぬ。史家は此の如き社会観、国家観、人生観、世界観によってすべてを考察するのであり、極言すれば、一つの史料を取扱いその一語一字を解釈するに当っても、またそれがはたらくのである。(史家が史料を取扱うのは、知られたところを以て知られざることを判断するのでなくして、知られざることを以て知られたところを判断するのであるともいえる。明かに文字に記されていることの意味は、文字の上に求むべからざる史家の見解によって、始めて知り得られるのであり、そうしてその見解を形づくるものは、必しも明確なる知識のみではなくして、漠然たる感じや気分となって現われる場合の多い史家の心生活の全体である。)もしそうとすれば、歴史の二つの任務の間に存する矛盾は、史家の全き心生活を以てその何れにも対することによって、おのずから融解せられるのであろう。しかし、史家の態度をこう考えると、その任務の一たる叙述の一面においては、一方では史家によってその取扱う主題に適否があると共に、他方では同じ主題を取扱いながら史家によってその描写をことにするものであることが、当然の事実として許されねばならぬ。史家には個性があり、性癖があり、各々その感受するところを異にするものだからである。そうして、これは他の任務である考察の一面においても、同様である。社会観、国家観も人生観、世界観も史家によって同じからず、従って歴史は史家によって一々異彩を呈し、異なった世界を現前するものだからである。もし果してそうとすれば、同じ過去の生活を取扱う歴史が断えず新しく描かれ、またそれに断えず新見解が現われ、歴史が永久に新にせられる理由がここにある。(歴史上の新見解は史料の新発見によっても生ずるが、然らざる場合でも、ここに述べた意味において、それは断えず現われるはずである。)ただ歴史をかく見る時、それには一定不変の準則がないことになり、従ってかかる歴史に何ほどの価値があるかという問題がそこに生じよう。が、それは種々の詩人の作品が種々の詩人の作品として、種々の哲学者の思想が種々の哲学者の思想として、それぞれに価値を有すると同じ意味において、それぞれに価値を有するものと見ることができよう。
 歴史をいたずらなる懐古の料としたり、過去を固定したものと誤想し、かかる固定した過去の姿を未来にも持続させようとするが如き妄想を懐いて、その支持を歴史に求めたりするものは、初から論外である。歴史の取扱うものは生活であるが、生活とは断えず未来に向ってその新しい姿を開展してゆくことであり、新しい生活を開展してゆくことは、現在の生活を変革してゆくことである。だから、現在の生活が未来に向って断えず、また無限に、永遠に、変革せられてゆくことを最もよく知るものは、歴史家でなければならぬ。ただ、如何なる径路、如何なる方式により、如何なる心理がはたらいてかかる変革が行われるか、また如何に変革せられ如何なる点において現在の生活と異なる生活が造り出されるかは、その時々の生活の状態によって定まるものであって、必しも常に同じではない。歴史の過程に或る公式をあてはめ、もしくはそれを公式化せんとする見解は、この意味において、余の賛同する能わざるところである。生活はその生活のために、その生活のうちから、常に生活そのものを拘束し抑圧するものを作り出しつつ、また常にそれを排除し破壊し、それによって生活の自由を保ってゆこうとするものであって、そこに生活の根本的矛盾があり、その矛盾から生ずる苦悩があり、そうしてその苦悩を経由しつつ新しい生活を開いてゆくところに、生活の進展がある。余は生活をく観る。そうしてそれは一般に適用せられ得るものと考える。しかし、これは生活の進展の意義であって、生活が如何に進展するかの論理でも方式でもない。あるいはまた、歴史を概念化し抽象化することを以て史学の本色とするが如き傾向が、もし世にあるならば、それもまた余の見るところとは一致しないものである。歴史は、その本質として、過去の生活の過程を、特殊なる過程として、具体的に観るを要するものである。上に第二の任務といったのも、具体的の過程を具体的に見てのことであり、決してそれを抽象化するの謂ではない。心理的観察、従って叙述描写の重要なることを説こうとしたのも、ここにその根拠がある。しかし、歴史の用は単に過去を過去として見るにはとどまらぬ。過去の生活は過ぎ去って跡なきものではなくして、現在の生活において、現在の生活の中に生きている。過去の姿がそのまま現在の生活の要素として存在し、過去の生活の精神がそのまま現在にはたらいているというのではない。過去の生活から開展せられたものが現在の生活であるから、この意味において現在の生活に過去が生きているというのである。だから、過去を見ることは現在を見ることであり、現在を見ることによって、現在を如何に転化さすべきかを見ることができる。未来に如何なる世界を開展させようとするかの志向も欲求も、そのいわゆる指導原理も、この間から生れ出るのである。ただし、これは過去の歴史に類例を求めたり、それから一般的法則を帰納して来たりして、それに準拠して未来に対する志向を定めるというのではなく、現在の生活の真の欲求の何であるかを正しく感知するには、現在の生活そのものを正しく理解しなければならず、それには現在の生活を開展して来た過去の生活とその径路とを正しく諦視するを要するということである。現在をいかに転化さすべきかの指導原理は、どこまでも現在の生活そのものの中から生れ出ずべきものである。その指導原理の基礎として或る歴史観の提供せられることにも理由はあるが、それは歴史観そのものが、一面の意味においては、現在の生活の欲求の反映であるからである。未来に新しい生活を開展させてゆくための指導原理は、畢竟、欲求の現われであって、予見から出るものではなく、必然的の帰趨を示すものではなおさらない。欲求であるからこそ、それに力が生じ、それを実現しようとする意気も生ずるのである。そうしてまたそれには多分の空想分子が存在する。何らかの目標が未来に置かれるに当って、それに何ほどかの幻影が伴わないことはなく、それが伴ってこそ、前途を指示するの用をなすのである。が、此の如き指導原理を提出し此の如き幻影を描き出すのは、必しも史家の本務ではない。史家も、未来に向って生きんとするものである点において、それに関心を有することは勿論であり、あるいはおのずからそれを提出しそれを描き出さんとするに至るでもあろう。過去の生活に対して溌溂たる心をはたらかせ、鋭敏なる感受性をはたらかせる史家は、現代の生活に対してもまた同様であるはずであり、従って現代の生活に何らかの転化を与えて新しい世界を開いてゆこうとする欲求も、また強かるべきはずだからである。しかし、それは史家としてではなくして、実行を以て世を動かさんとするものとしての態度である。





底本:「津田左右吉歴史論集」岩波文庫、岩波書店
   2006(平成18)年8月17日第1刷発行
   2006(平成18)年11月15日第2刷発行
底本の親本:「史苑 二ノ一」
   1929(昭和4)年4月
初出:「史苑 二ノ一」
   1929(昭和4)年4月
入力:門田裕志
校正:フクポー
2017年3月11日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード