おば金成マツのこと

知里真志保




 おば金成マツが老衰でなくなった。たまたま僕は数日前からがん固なしゃっくりで病床に伏しているのだが、朝から報道関係諸氏の来訪で身動きもできないありさまである。無形文化財とか、紫綬褒章とかいうものの偉力を身をもって体験させられた。これらのものが本人の生きている間に、せめてこの半分ぐらいでも偉力と功徳を発揮してくれたらもっといいのにと思った。
 金成マツはユーカラの筆録者としては絶好の条件を備えていた。まず郷里でも第一等のすぐれた家系に生まれ、近親にはユーカラの伝承者として有名な人々が雲のごとくいたし、ことにその母のモナシノウクばあさんは、胆振地方の津々浦々に名をはせた有名な伝承者であった。
 第二に、金成マツは当時の婦人としては第一級の教養を身につけていた。有名なジョン・バチェラー博士が、将来アイヌの布教師たるべき人材を養成するために、函館の谷地頭に愛隣学校という土人学校を設け、全道各地から優秀な児童を集めて教育した。おば(金成マツ)もその妹のナミ(私の母)もそこの卒業者であった。
 この学校では日本人小学校で教える一般課程のほかに英語の教育も施した。当時流行のナショナルリーダーが四巻そろって私の家にあったのを、中学時代の私が興味深く手に取って読んだのを記憶している。私の幼少時代とおばと母の間にかわされる手紙やはがきはすべてローマ字であった。部落の日本人たちはそれを英語の手紙と呼んで尊敬していたようである。後年おばがユーカラをローマ字で筆録する場合も、おそらくローマ字で物を書くということはなんの苦にもならなかったであろう。
 第三に、おばは少女時代に不慮のケガで両足を折ってしまい、それ以来生まれもつかぬいざりになってしまった。このことはおばをして結婚をあきらめさせ、一生をキリスト伝道者として送ろうと決心させ、ひいては後年ユーカラの筆録に余生をささげるようなめぐりあわせに導いた動機となった。おば個人にとって痛ましい出来事だったが、アイヌ研究にとっては皮肉にもそれが幸いになったのである。
 おばの布教は平取、近文と大正11年まで続いたが、どこの布教地でも、部落の小路をまわって部落全体の生活にとけこみ、そこで神の教えを説くということは肉体上の欠陥から不可能であった。それでいつも部落の中にある小さな教会に引きこもって、日曜には日曜学校を開き、女子供に説教するのがせいいっぱいであった。しかし、ふだんの日でも、夕方になれば部落の人々がよく遊びに来た。
 部落で新聞をとっていたのはわずか数軒にすぎなかったので、おばのところへ新聞のニュースや小説を聞きに来たり、またおばが不自由な身なので、祖母がいつも身の回りの世話をしていたのであるが、その祖母からユーカラを聞いて楽しんだりしたのである。こうしておばはその間にユーカラに関する知識をたくわえていったらしい。
 大正11年、女学校を終えたばかりの養女ユキエが、アイヌ文学の紹介を一生の仕事と決めて上京したのであるが、こと志とちがい、一冊のアイヌ神謡を残したきりで宿痾の心臓病で19歳のつぼみの生涯を終えると、まもなく祖母もあとを追うように死に、その養女の七年忌に上京したおばが、いまさら養女のやりかけた仕事の重大な意義に気づき、自分の余生をアイヌ文学の粋であるユーカラの筆録にささげようと決心して、戦前、戦後にかけて独力で一万数千頁のユーカラをローマ字で書き残したのは周知のとおりである。
 その功績によって昭和31年無形文化財保持者に指定され、紫綬褒章を授けられた。おばとしては望外の光栄に感泣したことであろう。ただ、そのころからおばに老耄の気がみられ、われわれがユーカラ採集に行っても支離滅裂なところがみられてきた。
 ところがいったん無形文化財に指定されるや、全国の心なき観光客がワンサと押しかけてきて、いよいよおばの記憶をこんらんしたようである。僕なぞはもうそのころから登別へ出かけてもおばにあいさつに顔を出すだけで、学問的な採集は全く断念してしまった。すなわち、そのころではおばのユーカラ伝承者としての価値も使命も全く終わっていたのである。おばの側近の者はただなんの用もありげもない旅行者のわがままな要求と対応に右往左往するのみで、無造作に文化財なぞに指定され、それらの人々のいわば玩具になってやや得意のようにも見えるおばの態度にハラハラしたものである。
 ただ頭の弱くなっていたおば自身はおそらく幸福であったかもしれない。不幸は不幸と自覚しえる人間にのみ不幸なのだから。おばは話ずきだし客ずきだし。功成り名とげて天寿をまっとうして大往生をとげたのだから。いまはそれを虚心たんかいによろこんであげたい。
〈『北海道新聞』昭和36年4月9日朝刊〉





底本:「和人は舟を食う」北海道出版企画センター
   2000(平成12)年6月9日発行
初出:「北海道新聞」
   1961(昭和36)年4月9日朝刊
※底本は横組みです。
入力:川山隆
校正:雪森
2015年5月24日作成
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