宮本武蔵

円明の巻

吉川英治




春告鳥はるつげどり



 ここは、うぐいすの名所。
 柳生やぎゅうの城のある柳生谷――
 武者溜りの白壁に、二月の陽がほかりとして、槍梅やりうめの影が一枝、静かな画になっている。
 南枝なんし梅花うめは誘っても、片言かたこと初音はつねの声は、まだ稀にしか聞かれないが、野路や山路の雪が解けると共に、めっきりえ出してくるのが、今、天下にあまねき武者修行と称する客で、
 ――頼もう。頼もう。
 の訪れだの、
 ――大祖石舟斎せきしゅうさい先生に一手。
 だの。また、
 ――てまえこそは何のなにがしが流れ汲む、何の誰それ。
 だのといって、例の石垣坂の閉まっている門を無益に叩く者が、まことくびすを接して来るのである。
「どなたの御添書ごてんしょでお越しになろうと、宗祖は老年ゆえ、一切、お目にかかりませぬ」
 と、ここの番士は、十年一日のごとく同じ言葉で、そういう客を謝辞している。
 中には、
「芸道には、貴賤の差も、名人と初心の差も、道においては、ないはずでござろうに」
 などと小理窟こねて、憤々として帰る武芸者もあるが、何ぞ知らん、石舟斎はすでに去年、世に亡き人になっていた。
 江戸表にある長子の但馬守宗矩むねのりが、この四月中旬にならなければ公儀からいとまをとって帰国できない事情にあるため――まだを発せずに秘めてあるのだった。
 心なしか、そう思って、吉野朝以前からというここの古い砦型とりでがたの城を仰ぐと、四山の春は迫って来ているにかかわらず、どことなくしいんとして冷寂な感がある。
「お通さま」
 奥の丸の中庭に立って、ひとりの小僧が、今、彼方此方あちこちの棟を見まわしていた。
「――お通さま。どこにおででございますな」
 すると、一つの屋の障子があいた。室の中にめられていた香の煙が、彼女と共に外へ流れた。百日のを過ぎてもなお、陽に会わないでいるせいか、梨の花のように白いうれいを顔にたたえている。
「持仏堂でございます」
「お。またそれへ」
「御用ですか」
兵庫ひょうごさまが、ちょっと、来て欲しいと申されまする」
「はい」
 縁づたいに、また、橋廊下を越えたりして、そこから遠い兵庫の部屋へ訪ねてゆく。――兵庫は縁に腰かけていたが、
「オオ。お通どの、来てくれたか、わしの代りになって、ちょっと挨拶に出てもらいたいが」
「どなたか……お客間に?」
先刻さっきから通って、木村助九郎が挨拶に出ておるが、あの長談義には閉口なのだ。殊に、坊主と兵法の議論などは参るからな」
「ではいつもの、宝蔵院様でいらっしゃいますか」


 奈良の宝蔵院と柳生ノ庄の柳生家とは、地理的な関係からも、遠くないし、槍法と刀法の上からも、因縁が浅くなかった。
 故石舟斎と、宝蔵院の初代胤栄いんえいとは、生前親しい間がらであった。
 石舟斎の壮年時代に、真に悟道の眼をひらかせてくれた恩人は、上泉かみいずみ伊勢守であったが、その伊勢守を、初めて柳生ノ庄へ連れて来て紹介ひきあわせた者は、胤栄であったのである。
 ――だがその胤栄も、今は故人になって、二代胤舜いんしゅんが、師法をうけ、宝蔵院流の槍なるものは、その後愈※(二の字点、1-2-22)、武道興隆の時潮に乗って、時代の一角に、一つの大淵叢だいえんそうをなしているのだった。
「兵庫どのが、お見えにならぬが、胤舜が参ったこと、お伝えくだされたかの」
 今日しも、書院の客座に、二人の法弟を従えて、先刻から話している者が――その宝蔵院の二世権律師ごんのりっし胤舜で、その応接に、下座にあるのが、柳生四高弟の一人、木村助九郎なのである。
 故人との関係から、よくここへは訪れるのである。それも、忌日や法事などでなく、どうも兵庫をつかまえて、兵法を談じたいのが目的めあてらしいのだ。そしてあわよくば、故人石舟斎が、
(叔父の但馬も及ばず、祖父のわれにもすぐれたるやつ)
 と、眼の中へ入れても痛くないほど鍾愛しょうあいして、上泉伊勢守から自身が受けた新陰しんかげの相伝、三巻の奥旨おうし、一巻の絵目録など、すべてこれを生前に授けたと聴く、故人の孫の柳生兵庫に対し胤舜が自ら奉じるところの槍をもって、一手の試合を望んでいるらしい気ぶりも仄見ほのみえるのである。
 それを悟ったか、兵庫は、彼の訪れにもここ二、三回、
(風邪ごこちにて)
 とか、
(やむなき差しつかえで)
 とかいって、避けている。
 きょうも胤舜は、なかなか帰る気ぶりもなく、やがて兵庫が、席に見えるのを、何となく期待しているらしい。
 木村助九郎は、察して、
「はい、最前、お伝えしておきましたゆえ、お気分さえよろしければ、ご挨拶に見えましょうが……」
 と、何とつかず、いい濁していた。
「まだ、お風邪気かな?」
 と、胤舜はいう。
「は、どうも……」
「平常、お弱くおられるか」
「御頑健なたちでおられますが、久しく江戸表にござって、山国の冬を越されたのは、近年ないことなので、馴れぬ寒さがこたえたのかも知れませぬ」
「頑健といえば、兵庫どのが、肥後の加藤清正公に見こまれて、高禄にてへいせられた折――お孫のために故人の石舟斎様が、おもしろい条件をつけられたそうですな」
「はて。聞き及んでおりませぬが」
「拙僧も、先師胤栄から聞いたのですが、肥後殿へここの大祖がいわるるには、孫は、殊のほか短慮者ゆえ、御奉公を過っても、三度まで死罪のおゆるしをお含みおき下さるなら、差出しましょうといわれたそうな。……はははは、そのように、兵庫どのは、御短慮と見えるが、大祖にはよほどお可愛かったものとみえますな」


 そこへ、お通が出て、
「これは、宝蔵院様でいらっしゃいますか。折悪く、兵庫さまには、江戸城へさしのぼす何やらのお目録とかをしたため中で、失礼ながらお目にかかりかねる由にござりまする」
 そう告げて、次の間まで用意して来た菓子、茶などを整え、
粗葉そはでござりますが……」
 と、胤舜へ先に――居並ぶ法弟たちの前へもすすめた。
 胤舜は、落胆顔して、
「それは残念な。――実はお目にかかってお告げ申したい大事があるのだが」
「何ぞ、てまえでりる儀なればお伝え申しておきますが」
 と、木村助九郎がわきからいうと、
「やむを得まい。では其許そこもとからお耳へ入れておかれい」
 と胤舜は、やっと用談の本筋へはいった。
 兵庫の耳へ入れたいというのはこうだ。この柳生ノ庄から一里ほど東――梅の樹の多い月ヶ瀬の辺りは、伊賀上野城の領地と、柳生家の領と、ちょうど境になっているが、その辺は、山崩れやら、縦横の渓流や、部落も飛々とびとびで、確かな国境というものがない。
 ところが。
 伊賀上野城は従来、筒井つつい入道定次さだつぐの所領であったものを、家康が没取して、これを藤堂とうどう高虎に与え、その藤堂藩は、昨年、入部してから、上野城を改築し、年貢ねんぐの改租やら治水やら国境の充実やら、目ざましく新政をいている。
 その勢いが余ってか、月ヶ瀬の辺りへ近頃たくさんな侍を派し、勝手に小屋を建てたり梅林を伐採したり、勝手に旅人をはばめたりして、柳生家の領土を侵害しているという噂が頻りと聞えてくる。
「――思うに御当家が喪中もちゅうにあるのをよいおりとして、藤堂家がわざと国境を押し出し、やがて勝手な所へ関のさくでも構えてしまおうという考えかもしれぬ。いささか老婆心に過ぎたるようじゃが、今のうちに、抗議なさらねば、悔いても及ばぬことになりはしまいか」
 胤舜いんしゅんの話に助九郎は家臣の一人としても、
「よいお知らせを賜わりました。早速、取りただして抗議いたしましょう」
 と、厚く礼をのべた。
 客が帰ると、助九郎は、さっそく兵庫の部屋へ出向いた。兵庫は聞いたが、一笑に附して、
ほうっておけ。そのうち叔父が帰国した時、処理するだろう」
 と、いった。
 だが、国境沙汰となれば、一尺の地でも、問題はゆるがせに出来ない。どうしたものか、他の老臣や四高弟の者にも計って、対策を講じなければなるまい。相手は藤堂という大藩だし、大事を取ってかかる要もある。
 そう考えて、翌日を待っていると、その日の朝。
 新陰堂の上の道場から、いつものように家中の若者へ一稽古をつけて、助九郎が出て来ると、外に立っていた炭焼山の小僧が、
「おじさん」
 と、後からいて来て、彼の腰へお辞儀をした。
 月ヶ瀬からずっと奥の服部郷はっとりごう荒木村という僻地から、常に炭だのししの肉だのを――城内へ大人と一緒にかついでくる――丑之助うしのすけという十三、四歳の山家の子だった。
「おう、丑之助か。また道場をのぞきおったな。きょうは自然薯やまのいも土産みやげはないか」


 彼の持って来る山芋やまいもは、この附近の山芋よりうまかった。で、助九郎が戯れ半分に訊くと、
「きょうは芋は持って来なかったけど、これをお通さんに持って来た」
 と、丑之助は、手に提げていた藁苞わらづとを上げて見せた。
ふきとうか」
「そんなもんじゃねえよ。生き物だ」
「生き物」
「おらが、月ヶ瀬を通るたんびにい声して啼くうぐいすがいるんで、眼をつけといて捕まえたんさ。お通さんにやろうと思って――」
「そうだ。そちはいつも、荒木村からこれへ来るには、月ヶ瀬を越えて参るわけだな」
「ああ、月ヶ瀬よかほかに道はねえもの」
「では訊くが……。あの辺に近ごろ、侍が沢山入り込んでおるか」
「そんなでもねえが、いるこたあいるよ」
「何をしているか」
「小屋あ建って、住んで、寝てるよ」
「柵のような物を築いておりはせぬか」
「そんな事あねえな」
「梅の樹など伐り仆したり、往来の者を調べたりしておるか」
「樹を伐ったのは、小屋あ建てたり、雪解ゆきげで流された橋を渡したり、たきぎにしたりしたんだろ。往来調べなんか、おらあ見たことねえが」
「ふうむ……?」
 宝蔵院衆の話とちがうので助九郎は小首をかしげた。
「その侍たちは藤堂藩の人数と聞いたが、然らば何のために、あんな所へ出張ってたむろしておるのか。荒木村などでの噂はどうだ?」
「おじさん、そりゃあ違うよ」
「どうちがう」
「月ヶ瀬にいる侍たちは、奈良から追われた牢人ばっかしだよ。宇治からも奈良からも、お奉行にわれて、住むとこがなくなったから、山ン中へ入って来たんさ」
「牢人か」
「そうだよ」
 助九郎は、それで解けた。
 奈良奉行として、徳川家の大久保長安が着任してから、関ヶ原の乱後まだ仕官もせず職にもつかず、町で始末に困っていた遊民の侍を、各地から追ったことがある。
「おじさん。お通さんはどこにいるね。お通さんに、うぐいすを上げたいんだけど」
「奥だろう。――だが、こら丑之助。御城内を勝手に飛びあるいてはいかんぞ。貴様、百姓の子に似あわず、武芸好きだから、御道場を外から見ることだけは、特別にゆるしておくが」
「じゃあ、呼んで来てくれないかなあ」
「オ……。ちょうどよい。お庭口から彼方むこうへ行くのは、それらしいぞ」
「あっ。お通さんだ」
 丑之助は、駈けて行った。
 いつもお菓子をくれたり、優しい言葉をかけてくれる人である。それに山家やまがの少年の眼から見ると、この世の人とも思えない神秘な美しさを感じるのであった。
 その人は振向いて、遠くからにこと笑った。丑之助は駈け寄って、
「鶯をって来た。お通さんに上げるよ、これ――」
 と、つとを出して見せた。
「え。鶯……」
 さぞ欣ぶかと思いのほか、彼女が眉をひそめたまま手を出さないので、丑之助は不平顔をした。
「とてもい啼きをする奴なんだぜ。お通さんは、小禽ことりを飼うのは嫌いかい?」


「嫌いではないけれど、つとに入れたり、籠に入れたり、鶯が可哀そうですもの。籠に入れて飼わなくても、ひろい天地に放しておけば、いくらでもを聞かしてくれるでしょ……」
 彼女が、さとすと、自分の好意を受けられなかったように不満だった丑之助も、
「じゃあ、放しちまおうか」
「ありがとう」
「放したほうが、お通さんは、うれしいんだろ」
「ええ。おまえが持って来てくれた気持は受けておきますから」
「じゃあ、逃がしちまえ」
 丑之助は、晴々といって、藁苞わらづとの腹を破った。その中から一羽の鶯がね出した。そして征矢そやみたいに、城の外へ飛んで行った。
「ごらん。――あんなに欣んで行ったでしょ」
「鶯のことを、春告鳥はるつげどりともいうんだってね」
「おや。誰に教えてもらいました?」
「そんなことぐらい、おらだって知ってらい」
「オヤ。ごめん」
「だからきっと、お通さんとこへ、何かいい便りがあるよ」
「まあ! わたしにも春を告げて来るような、よい便りがあるというの。……ほんとに心待ちに待っていることがあるのだけれど」
 お通が歩み出していたので、丑之助も歩いた。けれどそこらは本丸の奥のやぶだたみなので、
「お通さん、何処へ、何しに行くつもりだったんだい? もうここはお城の山だぜ」
「余りお部屋にばかりおりますから、気を晴らしに、そこらの梅花うめを見に出たのです」
「そんなら、月ヶ瀬へ行けばいいじゃないか。――お城の梅花うめなんか、つまらないや」
「遠いでしょ」
「すぐさ。一里だもの」
「行ってみたい気もするけれど……」
「行こう。――おらがたきぎを積んで来た牛が、この下に繋いであるから」
「牛の背へ」
「うん。おらが曳いて行くで」
 ふと、彼女は心がうごいた。つとの鶯のように、この冬は、城の外へ出なかった。
 本丸から山づたいに、搦手からめて雑人門ぞうにんもんの方へ降りて行った。そこの城門には、常詰じようづめの番人がいて、いつも素槍を持って歩いているが、彼女の姿を見ると、番人も遠方から笑ってうなずいただけである。丑之助はもちろん鑑札かんさつを持っている。だが、その鑑札を示す必要のないほど、彼も番人たちとは親しかった。
被衣かつぎを着てくればよかった」
 牛の背に乗ってから、彼女はそう気づいてつぶやいた。知ると知らぬにかかわらず、道ばたの軒から彼女を仰ぐ者や、行き会う百姓たちは、
「よいお日和ひよりさまでございます」
 と、ていねいに挨拶した。
 だが、しばらく行くと、城下の家々もまばらになった。――そして後ろに柳生の城が山のすそに白く振り返られた。
「黙って出て来てしまったけれど、陽の明るいうちには帰れますね」
「帰れるとも。おらがまた、送って来るから」
「だって、おまえは、荒木村へ戻るのでしょ」
「一里ぐらい、何度往き来したって……」
 話しながら行くうちに、城下端れの塩屋の軒で、塩と子猪こじしの肉とを交換していた牢人ていの男が後からのそのそ追いついて来た。

奔牛ほんぎゅう



 道は、月ヶ瀬の渓流に沿って行くのである。行く程にまた、その道は悪くなるばかりだった。冬を越えた雪解ゆきげのあとは、通る旅人も稀れだし、この辺りまで、梅花うめを探りに来る者などは殆どない。
丑之助うしのすけさん。おまえ村から里へ来る時は、いつもここを通って来るの」
「ああ」
「荒木村からは、柳生へ出るよりも、上野の御城下へ出たほうが、何をするにも、近いんでしょ」
「けれど、上野には、柳生様みたいな剣法のお屋敷がないものなあ」
「剣法が好きかえ」
「うん」
「お百姓には、剣法はいらないじゃないか」
「今は百姓だけど、以前は百姓じゃねえもの」
「お侍」
「そうだよ」
「おまえも、お侍になる気?」
「アア」
 丑之助は、牛の手綱をなげうって、渓流のふちへ駈け下りた。
 岩から岩へけ渡してある丸太の端が、渓流に落ち込んでいるのを直して、戻って来た。
 すると、後から歩いていた牢人ていの男が、先へ橋を渡って行った。橋の途中からも、向うへ渡ってからも、お通のすがたを、何度も不遠慮にかえって、すたすたと山間やまあいに隠れて行った。
「誰だろ?」
 お通は、牛の背で、ちょっと不気味な気もちに襲われてつぶやいた。丑之助はわらって、
「あんな者恐いのか」
「恐かないけれど……」
「奈良から追われた牢人だよ。この先へ行くと、山住居やまずまいしてたくさんいるぜ」
「大勢?」
 お通は、帰ろうかと惑った。梅花うめはもう眼をる所に咲いていた。けれど山峡やまあいの冷気が肌身にみて、梅花に楽しむよりも、心は人里にばかりかれていた。
 だが、丑之助の引く手綱は、無心に先へ先へ歩いている。そして、
「お通さん、後生だから、おらを木村様に頼んで、お城の庭掃にわはきでも水汲みにでも、雇ってくれねえかなあ」
 などといった。
 丑之助の日頃の望みは、それにあるらしかった。祖先の名は菊村といい、親代々、又右衛門またえもんを名乗って来たから、自分も侍になった上は、又右衛門と改める。そして菊村という名からは、偉い先祖が出ていないから、自分が剣法で家を立てたら、郷土の名を取って荒木を姓にし、荒木又右衛門と名のるつもりだ――などと姿に似げない抱負を述べる。
 お通は、この少年の夢を聞くにつけ、城太郎はどうしたろうと、弟のように、別れた彼の身が考え出された。
(もう、十九か二十歳はたち
 城太郎の年をかぞえると、ふと彼女は堪らない淋しさに駆られた。自分の年を思い出したからである。月ヶ瀬の梅花うめはまだ浅い春だったが、自分の春は過ぎようとしている。女の二十五を越えては――。
「もう帰りましょう。丑之助さん。元の道へ、返っておくれ」
 丑之助は、飽気あっけない顔したが、いわるるまま牛のかしらを向け直した。――と、何処かで、オオーイと呼ぶ声がその時聞えた。


 さっきの牢人と、ほかにもう二人、同じ風体ふうていの男が近づいて来て、お通の乗っている牛のまわりに、腕拱うでぐみして立ったのである。
「おじさん達。呼び止めて、何か用があるのかい」
 丑之助はいったが、丑之助へは振り向く者もない。三人が三人とも、いやしげな眼をお通へ集めて、
「なるほど」
 と、うめき合っている。
 そのうちに、一人がまた、
「ウーム、美人だ」
 と、不遠慮にいって、
「――おい」
 と、仲間を顧みた。
「おれはこの女を、どこかで見た覚えがあるぜ。多分、京都だと思うが」
「京都にはちがいあるまい。見るからに山里の女とはちがう」
「町でちらと見ただけか、吉岡先生の道場で見たのか、覚えはないが、たしかに見たことはある女だ」
「おぬし、吉岡道場などに、いたことがあるのか」
「いたとも、関ヶ原の乱後、三年ほどはあそこの飯を喰っていたものだ」
 ――何の用事か分らない。人を止めておいて、こんな雑談をし――そしてはじろじろとお通の体から顔を、さもしい眼で撫で上げている。
 丑之助は、腹を立てて、
「おい。山のおじさん。用があるなら早くいってくんな。かえみちの陽が暮れちまうから」
 ぎょろりと、牢人の一人が、初めて丑之助を見、
「われやあ、荒木村から出て来る、炭焼山の小僧じゃねえか」
「そんなことが、用なのかい」
「だまれ。用事は、れにあるわけじゃない。汝れは、さっさと帰る方へ帰れ」
「いわれなくても、帰るさ。退いてくんな」
 牛の手綱を曳きかけると、
「よこせ」
 と、一人がその手綱をつかみ、そして恐い眼を丑之助へして見せた。
 丑之助は、離さず、
「どうするのさ」
「用のある人を借りて行くのだ」
「どこへ」
「何処だろうが、黙って、手綱をよこせ」
「いけねえ!」
「いけないと」
「そうさ」
「こいつ、恐いということを知らねえのか。何か、つべこべいうぞ」
 すると、他の二人も、おどしの眼を揃え、肩をいからせ、
「何だと」
「どうしたと」
 丑之助のまわりにかたまって、松瘤まつこぶのような拳を突きつけた。
 お通は、ふるえあがって、牛の背へしがみついた。そして、丑之助の眉に、ただならぬ出来事が起りそうな気色を見たので、
「――あれッ」
 と、それに対して、制止しかけたが、丑之助はかえって彼女のそれに感情のつるを切って、いきなり片足あげて、前の男を蹴とばしたせつな、彼の石頭は、斜めにいた牢人の胸いたへつけて行って、その胸から敵の刀を抜き取るが早いか、自分のうしろへ向って、盲打ちにぎ払った。


 お通は、丑之助が気でもちがったかと思った。丑之助の動作は、それほど、はやくて、向う見ずな仕方だった。
 だが、自分よりずっと上脊丈うわぜいのある三方の大人にむかって、彼がやった一瞬の身の動かし方は、同時に平等な打撃を相手に加えていた。
 かんの働きといおうか、少年の無鉄砲といおうか、理や法を持った大人がそれに出し抜かれた形であった。
 うしろへ無法に振った刀は、うしろに立っていた牢人の胴へ強くぶつかった。――お通も何かおどろきを叫んだが、その牢人が、怒って吠えた声は、彼女の乗っていた牛を驚かすに足りる程だった。
 しかも、仆れたその牢人の体から噴いた血が、牛の角から顔へ、霧のように走ったのである。
 傷負ておいうめきにつづいて、一声、牛が吠えた。丑之助は、二度めの刀で、牛の尻を撲りつけた。牛はまた、大きくえて、彼女を乗せたまま猛然と駈けだした。
「うぬ」
「餓鬼っ」
 二人の牢人は丑之助を追うのに急だった。丑之助は、渓流へ跳び下り、岩から岩へ逃げ移って、
「おらは、悪くねえぞ」
 と、いった。
 大人の飛躍は、到底、彼の比でなかった。
 愚を悟って、
「小僧は後にしろ」
 と、二人は急に、お通を乗せて行った牛の後を追い出した。
 それと見ると、丑之助はまた、その後からどんどん駈けて、
「逃げるのかっ」
 と、二つの背へ、声を投げた。
「何ッ」
 口惜しげに、一つの顔が止まって振向いたが、
「小僧は後にしろ」
 と、連れがまた、同じ言葉を繰返して、ひたむきに先へ跳んで行く奔牛ほんぎゅうへ、足幅をばし続けた。
 彼女が先に手綱を引かれて来た時の道とちがって、牛は、闇夜を眼をつぶって駈けるように、渓河たにがわ沿いの道を離れ、低い山の背や尾根をめぐって――笠置かさぎ街道とよんでいる細道を果てなく駈けて行くのだった。
「――待てっ」
「待てえっ」
 彼らは、牛よりはやい自信を持っていたが、平常の牛に対する考えは当らなかった。
 奔牛は、またたく間に、柳生ノ庄に近く――いや柳生よりも奈良に近い街道まで、息もつかずに来てしまった。
「…………」
 お通は、眼をふさいだきりだった。もし牛の背に、炭俵や薪を付ける荷鞍がなかったら、振り落されていたに違いない。
「おお、誰か」
「牛が狂うて行く」
「助けてやれ。女子おなごが可哀そうな」
 もう人通りのある街道を駈けているものとみえ、うつつな彼女の耳に、すれちがう往来の者の声は聞えるが、
「あれよ」
 と、いうのみな、そうした人々の騒ぎも、忽ち、後へ後へと、流れ去ってしまうのだった。


 もう般若野はんにゃのに近かった。
 ――生ける心地もないお通であった。止まる所を知らない奔牛の勢いであった。
 どうなることか?
 と、往来の者も、後振り向いて、お通の代りに声を揚げ合っていたが、その時、彼方の辻から、胸に文筥ふばこを掛けた何家どこかの下郎が、牛の前に歩いて来た。
「――あぶないっ」
 と、誰か注意したが、その下郎はなお真っ直に歩いていた。当然盲目的に進んで来た奔牛の鼻づらと、下郎の体とは、恐ろしい勢いでつかったように見えた。
「ア。牛のつのに突かれた」
「あほう!」
 同情の余り、見ていた者は、かえってその下郎のぼんやりをののしった。
 だが、奔牛の角に掛けられたと思ったのは、路傍の人たちの錯覚さっかくだった。ばん――と何か音がしたのは、下郎の平掌ひらてが、途端に牛の横面をつよくりつけたのだった。
 よほどな強打であったとみえ、牛は太いのどくびを横へ上げて、ぐるりと半廻りほど廻ったが、猛然と、角を向け直したと思うと、前にも増した勢いで、また、駆け出した。
 ――けれど今度は、十尺とも進まぬうちに、奔牛の足は、ぴたと止まってしまった。そして口からおびただしい唾液だえきと息を洩らして、巨きな体に、あえぎの波を打たせておとなしくなっていた。
「お女中。はやく降りたがよい……」
 下郎は、牛の後ろからいった。
 この驚くべき働きに驚いた往来の者たちは、すぐわらわらと集まって来た。そして皆、下郎の足元に眼をみはった。――その片足が奔牛の手綱を踏んでいたからであった。
「……?」
 何家どこ下僕しもべだろうか。武家の仲間ちゅうげんのようでもなし、町家の下男しもべともみえない。
 まわりにたかった者は、そんなことをすぐ考えている顔つきだった。――そしてはまた、下郎の足と、踏んでいる手綱を見て、
「えらい力じゃな」
 と単純に舌を巻いていた。
 お通は、牛の背から降りて、下郎の前に、頭を下げていたが、まだわれにかえり切れない容子ようすだった。それに周りの人だかりにも気を縮めてしまい、その顔にも姿にも、容易に落着きがもどって来なかった。
「こんな素直な牛が、どうして暴れたものか」
 下郎はすぐ牛の手綱を取って道ばたの木へくくしつけた。そして、初めて合点のいった顔をして、
「おう、尻に大怪我をしておるわ。刀で撲ったような大傷。……道理で、これでは」
 牛の尻を眺めて、彼がそうつぶやいているであった。辺りの人だかりを叱って、追い払いながら、
「や。そちはいつも、胤舜いんしゅん御坊の供をしてみえる、宝蔵院の草履取ぞうりとりではないか」
 と、そこへ立った侍がある。
 急いで駈けつけて来たものとみえ、その言葉も息喘いきぎれにはずんでいた。柳生の城の木村助九郎なのである。


 宝蔵院の草履取は、
「よい所でお目にかかりました」
 と、胸に掛けていた革文筥かわふばこはずし、自分は、院主のお使いで、この書面を、柳生までお届けにゆく途中であるが、おさしつかえなければ、ここで御披見ごひけんくだされまいかとて、それを手渡した。
「わしへか」
 助九郎は、念を押して、手紙をひらいた。きのう会った胤舜からの物で――読んでみると、
月ヶ瀬にいる侍どものことについて、昨日申し上げた儀は、その後よく取糺とりただしてみると、藤堂家の侍ではなく、浮浪の徒が冬籠りしていたものらしい。どうか拙僧の前言は誤聞として、取消していただきたい。念のために、取りあえず右まで。
 といったような文意であった。
 助九郎は、たもとに納めて、
「ご苦労。書面の趣は、当方でも取調べたところ誤聞と相分って安心しておる程に、お案じないように――と、告げてくれい」
「では、道ばたで失礼でございましたが、てまえはこれで」
 別れかけると、
「あ。待て待て」
 助九郎は呼び止めて、やや言葉を改めていった。
「おぬし、いつ頃から、宝蔵院の下郎に住みこんだか」
「つい近頃の、新参でございます」
「名は」
寅蔵とらぞうといいまする」
「はてな?」
 じっと見すえて――
「将軍家御師範の小野治郎右衛門先生の高弟、浜田寅之助とらのすけどのとはちがうかの?」
「えっ」
「それがしは、初めての御見ぎょけんだが、お城のうちに、薄々お顔を知った者があって、胤舜御坊の草履取は、小野治郎右衛門が高弟の浜田寅之助じゃが? ――どうもそうらしいが? ――と噂をしていたのをちらと承ったが」
「……は」
「お人ちがいか」
「……実は」
 浜田寅之助は、真っ赤な顔してさし俯向うつむいた。
「ちと……念願の筋がござりまして、宝蔵院の下郎に住み込みましたなれど、師家の面目、また、自分の恥。……どうか御内分に」
「いや何、さらさら御事情を伺おうなどとは存じも依らぬこと。……ただ日頃、もしやと思っていたので」
くお聞き及びと存じまするが、仔細あって、師の治郎右衛門は道場を捨てて山へ隠れました。その原因は、この寅之助の不つつかにあったことゆえ、自分も身を落し、薪を割り水をにのうても、宝蔵院でひと修行せんものと、身許をかくして住み込んだわけ。――お恥かしゅう存じます」
「佐々木小次郎とやらのために、小野先生が敗れたということは、その小次郎が吹聴ふいちょうしつつ、豊前ぶぜんへ下って参ったので、隠れもない天下の噂となっておるが、さては……師家の汚名をそそがんための御決心とみえる」
「いずれ。……いずれまた」
 心から赤面に堪えぬように、草履取の寅蔵は、そういうと、にわかに別れて、立ち去ってしまった。

あさ胚子たね



「まだ帰らぬか」
 柳生兵庫ひょうごは、表の中門まで出て、お通の身を案じていた。
 お通が、丑之助の牛に乗って何処かへ行ったまま、だいぶ時間が経ってからの騒ぎなのである――。
 そのお通が、城内に見えないと気がついたきっかけも、江戸表から一通の飛脚状が兵庫の手に届いて、兵庫がそれをお通に見せようと姿を探し出したことからであった。
「月ヶ瀬の方へは、誰と誰が見に行ったか」
 兵庫の問いに、
「大丈夫です。七、八名駈けって行きましたから」
 と、側にいる家来たちが、ひとしく口をそろえて答えた。
「助九郎は」
「御城下へ出ております」
「探しにか」
「はい。般若野はんにゃのから、奈良まで見て来るといって出られましたが」
「どうしたろう?」
 少しくと、兵庫は大きな息をしていう。
 彼は、お通に対して、清廉せいれんなる恋を抱いていた。特に、清廉なる――と自覚しているのは、お通が、誰を愛しているか、お通の胸をよく知っているからである。
 彼女の胸には、武蔵という者が住んでいる。しかも兵庫は、彼女がすきだった。江戸のくぼから柳生までの間の長い旅路に――また、祖父の石舟斎が臨終いまわのきわまで枕辺まくらべについて世話してくれた間にも――兵庫はお通の性質を見とどけていた。
(かほどな女性に想われている男は、男の幸福の一つを持った者だ)
 と、武蔵をうらやましくさえ思っているのである。
 だが、兵庫は、他人の幸福をひそかに奪おうなどという野心は抱けなかった。彼の考えや行動のすべては、武士道の鉄則にってなされていることなのである。恋をするにも、武士道を離れてはできなかった。
 まだ相見たことはないが、お通が選んだ男性というだけでも、兵庫は、武蔵の人物を、想像できる気がした。――そして何日いつかは、お通を無事に、彼の手に渡してやることが、祖父の遺志でもあったろうし、自分の武士――武士のほのかな恋の遣り場とも――独り考えていたところである。
 ところで。
 きょう彼の手に届いた飛脚状は、江戸表の沢庵から出た手紙で、日付は去年の十月末に出ているが、どうして遅れたのか、年を越えて、今日のたった今、彼の手に届いたばかりなのだった。
 それを見ると、
武蔵事、叔父御の但馬どの、矢来の北条どのなどの推挙により、愈※(二の字点、1-2-22)、将軍家御師範座の一人に御登用と相極まり候て……云々。
 の辞句が見える。
 それのみか、武蔵も就任すれば、さっそく屋敷を持ち、身のまわりの者もなくてはかなわぬ――。お通一名だけでも、先へ早々と、江戸表へ下向あるよう、諸事また次便に――というようなことが、書きつらねてあるのだった。
(どんなに欣ぶか!)
 と、兵庫が、わが事のように、その手紙を持って彼女の部屋へ訪れたところが、お通の姿が、何処にも見えなかったという次第なのであった。


 そのお通は、ほどなく助九郎に伴われて、帰って来た。
 また、月ヶ瀬の方へ行った侍たちは、丑之助と出会い、これも丑之助を連れて、やがて戻って来た。
 丑之助は、自分が罪でも犯したように、
「堪忍してくんなされ。済まねえことをしたで」
 と、一人一人へ、謝ってばかりいる。
 そして直ぐにまた、
「おっかあが案じるで、おら、荒木村へもう帰りてえ」
 と、いい出したが、
「ばかを申せ。今から帰ったらまた途中で、月ヶ瀬の牢人どもに捕えられ、生命いのちはないぞ」
 と、助九郎にも叱られ、侍たちにも、
「今夜は、御城内に泊めてやるから、明日帰れ、明日帰れ」
 と、いわれて、小者と共に、外曲輪そとぐるわ薪倉まきぐらの方へ、追いやられた。
 一室では、柳生兵庫が、江戸表からの便りをお通に示して、
「どう召さるか」
 と、彼女の胸を問うている。
 やがて四月の頃ともなれば、叔父の宗矩むねのりが、賜暇を得て、江戸表から帰国する。その折を待って叔父と共に江戸へ下るか――それとも、直ぐにも一人で立つ考えか。
 そう訊ねるのだった。
 沢庵の便りと聞くからにその墨の香さえ彼女にはなつかしい。
 ましてや、その消息によれば、武蔵は近く幕府に仕え、一戸を江戸に構えることになろうとある。
 巡り会えぬ幾年よりも、そう便りの知れたからには、一日も千秋の思いである。どうして、四月まで待てよう。
 彼女は、飛びたつような心地を、頬の色にも秘め切れず、
「……明日にも」
 と、此所ここを立ちたい希望を小声に洩らした。
 兵庫も、また、
「さもあろう」
 と、うなずくのだった。
 自分も、永くはここに留まっていない。年来、招かれている尾張の徳川義直公のへいに応じて、ともあれ一度、名古屋まで行くつもりである。
 ――だがそれも、帰国の叔父を待って、祖父の本葬をした上でなければ去り難い。なるべく途中まででも送ってやりたいが、そういう訳だから、其女そなたが先に立つとすれば、一人旅をせねばならぬが、それでも、よいか。
 去年の十月末に出した江戸の便りが、年を越えて今頃やっと着くほど、道中の駅逓えきていも、宿々の秩序も、表面は穏やかに見えながら、まだ完全でない社会である。女のひとり旅は、覚束おぼつかない気もするが、それも其女そなたに覚悟があることならば――
 こう兵庫が、念を押すと、
「……はい」
 お通は、彼の親身も及ばない好意を、沁々しみじみ、胸に受け取って、
「旅には、馴れておりますし、世間の辛さにも、少しは覚えがございまする。その辺のことは、どうぞお案じ下さいませぬよう」
 さらば――と、その夜は彼女の身支度と、ささやかな別れの宴に送って翌る日の朝。
 きょうも、梅日和うめびよりだった。
 助九郎やら誰やら、馴染なじみの家臣たちは皆、彼女の旅立ちを見送るべく、中門の両側に立ち並んでいた。


「そうだ……」
 と、つぶやいて、助九郎はお通のすがたを見ると共に、側の者へいった。
「せめて宇治あたりまで、牛の背で送って進ぜよう。ちょうど、ゆうべは丑之助も、御城内の薪倉まきぐらに泊っている筈――」
 と、直ぐ呼びにやった。
「それはよい所へ思いつかれた」
 と人々もいって、別れのことばわしたが、しばらくお通を引き止めて、中門のほとりに待たせておいた。
 だが、やがて戻って来た侍のことばには、
「丑之助は、見当りません。小者に訊くと、ゆうべのうち、あの闇夜を、月ヶ瀬を越えて荒木村へ帰ったということでございます」
「……えっ。ゆうべのうち帰ってしまったと」
 助九郎は、呆れた声を放った。
 きのうの事情を聞いた者は、誰もみな、丑之助の剛胆さに、驚かない者はなかった。
「では、駒を曳け」
 助九郎のいいつけに、小侍の一人はすぐうまやへ飛んで行った。
「いいえ、女の身で、お鞍などいただいては、勿体ない」
 と、お通は辞退したが、兵庫もいてすすめるので、
「では、おことばに甘えて」
 と、小侍の曳いてきた一頭の月毛のうえに身を預けた。
 駒は、お通を乗せて、中門から大手のゆるい坂を降り始めた。もちろん、宇治うじまでは、一名の小侍が、口輪をって駒にいて行く。
 お通は、駒の背から、人々の姿を振向いて、礼を返した。その顔に、崖から伸びている梅の横枝がさわった。二、三輪、匂って散った。
「……おさらば」
 と、声には出さなかったが、兵庫の眼はいっていた。坂の途中で散った梅のにおいが、その辺りまで微かにうごいて来た。兵庫はたまらない寂しさと――同時にその苦しい気持とは反対な彼女の幸とを祈っていた。
 ――見ているうちに、彼女のすがたは、城下の道へ小さくなって行った。兵庫はいつまでも立っていたので、彼のみをそこに置いて、辺りの者はみな去ってしまった。
(武蔵とやらはうらやましい)
 寂しい胸の裡で、われとも非ずつぶやいていた。――すると、彼のうしろに、いつの間にか、ゆうべ荒木村へ帰ったという丑之助が立っていた。
「――兵庫様」
「オ……。わっぱか」
「はい」
「ゆうべ、帰ったのか」
「おっかあが、案じますで」
「月ヶ瀬を通って?」
「はあ。あそこを越えずにゃ村へ行かれねえで」
「恐くなかったか」
「なんにも……」
「今朝は」
「けさも」
「牢人どもに見つからずに来たか」
「おかしいのだよ、兵庫様。山住居やまずまいしていた牢人どもは、きのう悪戯わるさをした女子が、後で柳生様のお城にいるお女中と分って、きっとこの後では、柳生衆が押しかけて来ると騒いで、夜のうちに、みんな山越えして何処へか行ってしまったとさ」
「ははは、そうか。……して、わっぱ。おまえは今朝、何しに来たな?」
「おらかい」
 と、丑之助はやや羞恥はにかんで――
「きのう木村様が、おらっちの山の自然薯じねんじょめてくれたで、けさ早く、おっ母にも手伝ってもらって、山芋を掘って持って来たんさ」
 と、いった。


「そうか――」
 兵庫は初めて、寂しさを顔から払った。お通を失った瞬間の空虚うつろを、この純朴な山の少年に忘れ得たのである。
「ではきょうは、美味うまいとろろ汁が喰えるというものだな」
「兵庫様も好きなら、またいくらでも掘って来るが」
「はははは。そう気遣うには及ばん」
「きょうは、お通様は」
「今し方、江戸へ立った」
「え。江戸へ。……じゃあ、きのう頼んでおいたこと、兵庫様にも木村様にも、話しておいてくれなかったかなあ」
「何を頼んだのか」
「お城の仲間ちゅうげんに使ってもらいたいことを」
「仲間奉公をするには、まだ小さい。大きくなったら召使ってやる。どうして奉公したいのか」
「剣道が習いたいんだ」
「ふム……」
「教えて下さい。教えて下さい。おっ母が生きているうちに、上手になって見せなければ……」
「習いたいというが、そちはもう誰かにまなんでおるだろう」
「木を相手にしたり、獣を撲ってみたり、独りで木刀をって見たりしているだけだ」
「それでいい」
「でも」
「そのうちに、尋ねて来い。わしのいる所へ」
「いる所って何処」
「多分、名古屋に住むことになるだろう」
「名古屋。尾張の名古屋か。おっ母が生きているうちは、そんな遠くへは行けない」
 おっ母、ということばを洩らすたびに、丑之助の眼には涙が見える。
 兵庫も、何がなし、ひしと胸にこたえ、率然と、いった。
「来い」
「……?」
「道場へ通れ。兵法家として一人前になれるたちか、なれない質か、見てつかわす」
「えっ?」
 丑之助は、夢かと、疑うような顔をした。このお城にある道場の古い大屋根は、彼の幼いたましいが、生涯の憧憬あこがれをもって常に仰いでいる希望の殿堂なのだ。
 ――そこへ通れ、という。しかも柳生家の門下でも家臣でもない一族の人から。
 丑之助は、うれしさに、ただ胸がふくらんで口もきけなかった。兵庫はもう先に立っている。丑之助はちょこちょこ追いかけた。
「足を洗え」
「はい」
 雨水の溜めてある池で、丑之助は足を洗った。爪についている土まで気をつけてこすり落した。――そして生れて初めて踏む、道場というものの床に立った。
 床は鏡のようだった。自分の姿が映るかと思われる。――四面のたくましい板張、頑健な棟木むなぎ。彼は威圧をうけてすくんだ。
「木剣を持て」
 兵庫の声までが、ここにはいると違うような気がした。正面脇の侍溜さむらいだまりに、木剣のかかっている壁が見える。そこへ行って、丑之助は一筋の黒樫くろがしを選んだ。
 兵庫も取る。
 兵庫はそれを、垂直に下げて、床の真ん中へ出た。
「……よいか」
 丑之助は、持った木剣を、腕と平行に上げて、
「はいっ」
 と、いった。


 兵庫は木剣を上げなかった。右の片手に提げたまま、少し体を斜めに開いたのみである。
「…………」
 それに対し、丑之助は木剣を中段に向け、体じゅうを、針鼠のようにふくらました。そして、
(何を!)
 ときかない顔に、眉をあげ、少年の血をみなぎらした。
 ――行くぞ!
 と声ではない、瞳でくわっと、兵庫が気を示すと、丑之助はぎゅっと肩をめて、
「うむっ」
 と、うなった。
 とたんに、兵庫の足が、だだだッと床を鳴らして、丑之助を追いつめ、片手の木剣は、丑之助の腰のあたりを、横撲よこなぐりに払った。
「まだッ」
 丑之助は、呶鳴った。
 そして、彼の足からも、後ろの羽目板でも蹴ったような響きを発し、どんと、兵庫の肩を跳び越えた。
 兵庫は、身を沈めながら、左の手で、その足を軽くすくった。――丑之助は自己の迅業はやわざと自己の力で、竹とんぼみたいにまわったまま、兵庫の後ろへもんどりを打った。
 カラカラ――と、手から離れた木剣が、氷の上をすべるように、彼方へ飛んでしまった。跳ね起きた丑之助は、なお屈せず、木剣を追いかけて、拾い取ろうとした。
「もうよい!」
 兵庫が、此方こなたからいうと、丑之助は振向いて、
「まだッ」
 と、いった。
 そして持ち直した木剣を振りかぶって、今度はわしの子のような勢いで兵庫へむかって来たが、兵庫が、ひたッと木剣の先を向けると、丑之助は、その姿勢のまま、途中で立ちすくんでしまった。
「…………」
 くやし涙を眼に溜めているのである。兵庫はじっとその様子をながめ、心のうちで、
(これは、武魂がある)
 と、見込んだ。
 だが、わざと眼を怒らせて、
わっぱっ」
「はいっ」
不埒ふらちな奴だ。この兵庫の肩を躍り越えたな」
「? ……」
「土民の分際で、れるにまかせて、不届きな仕方。――直れ。それへ坐れ」
 丑之助は、坐った。
 そして、何かわけは分らないが、謝ろうと手をつかえかけると、その眼の前へ、兵庫はカラリと木剣を捨て、腰の刀を抜いて丑之助の顔へ、突き出していた。
「手討ちにする。さわぐと、これを浴びせるぞ」
「あっ。おらを」
「首を伸べろ」
「……?」
「兵法者が、第一に重んじるのは礼儀作法である。土百姓のわっぱとはいえ、今の仕方は堪忍ならぬ」
「……じゃあ、おらを、無礼討ちにし召さるというのけい」
「そうだ」
 丑之助は、兵庫の顔を、しばらく見つめていたが、観念のていをあらわして、
「……おっ母。おらあお城の土になるそうな。後で嘆かっしゃることだろうが、不孝者を持ったと思って、堪忍してくんなされ」
 と、兵庫へつく手を、荒木村の方へついて、さて、静かに、斬られる首をさし伸べた。


 兵庫はニコとんだ。そしてすぐ刀をさやにおさめ、丑之助の背を叩いて、
「よし。よし」
 といってなだめた。
「今のはわしの戯れだ。なんでそちのようなわっぱを手討ちになどするものか」
「え。今のは、冗戯じょうだんなのけ」
「もう、安心するがいい」
「礼儀を重んじなければいけないといったくせに、その兵法者が、今みたいな冗戯じょうだんをしてもいいのけい」
「怒るな。おまえが、剣で立つほどな人間になれるかなれないか、試すためにいたしたのだから」
「だって、おら、ほんとだと思った」
 丑之助は初めてほっと息をついていった。同時に、腹が立ったらしいのである。無理もないと、兵庫も思い、なだめ顔にまた訊ねた。
「そちは先刻さっき、誰にも剣術は習わぬといったが、嘘であろう。――最初、わしがわざと羽目板の際までおまえを追いつめたが、たいがいの大人でも、あのまま、板壁を背負って、参ったという所なのに、そちはバッとわしの肩を越えて跳ぼうとした。――あれは三年や四年木剣を持った者でも、できるわざではない」
「でも……おいらは誰にも習ったことはないもの」
「嘘だ」
 兵庫は信じない。
「いくら隠しても、誰か、そちには良い師匠があったに違いない。なぜ、師の名を申せぬのか」
 問い詰められて、丑之助はだまり込んでしまった。
「よく考えてみい。誰かに、手ほどきをしてもらった者があるだろう」
 ――すると、率然と、丑之助は顔を上げた。
「アア。あるある。そういわれれば、おらにも、教えてくれたものがあったっけ」
「誰だ」
「人間じゃないんだ」
「人でなければ、天狗てんぐか」
あさだよ」
「何」
「麻の実さ。あの鳥の餌にもやるだろ。あの麻の胚子たねさ」
「ふしぎなことを申す奴。麻の実がどうしてそちの師か」
「おらの村にゃいねえが、少し奥へ行くと、伊賀衆だの、甲賀衆だのっていう、忍者にんじゃのやしきが幾らもあるで――その伊賀衆たちが、修行するのを見て、おらも真似して、修行したんだ」
「ふウむ? ……麻の胚子たねでか」
「あ、春先、麻の胚子をくんだよ。すると、土から青い芽がそろって出て来るがな」
「それをどうするのか」
「跳ぶのさ――毎日毎日、麻の芽を跳ぶのが修行だよ。あたたかくなって、伸び出すと、麻ほど伸びの早いものはないだろ。それを朝に跳び、晩に跳びしてると――麻も一尺、二尺、三尺、四尺とぐんぐん伸びて行くから、怠けていたら、人間の勉強の方が負けて、しまいには跳び越えられないほど高くなってしまう……」
「ほ! 貴様は、それをやったのか」
「アア。おらあ、春から秋まで、去年もやったし、おととしも……」
「道理で」
 兵庫が、膝を打って感じ入っていた時である。道場の外から木村助九郎が、
「兵庫様。また江戸表から、このような書状がとどきましたが……」
 と、いいながら、手にそれを持ってはいって来た。


 書面は、やはり沢庵からで、
 前便の件
 にわか模様更もようがえ相成あいなり
 と、書き出してある通り、先に出した手紙の追いかけの第二便だった。
「助九郎」
「はっ」
「まだお通は、いくらも道ははかどっておるまいな」
 読み終ると、兵庫は何か、気のおももちで、急にいった。
「さ……。駒に乗っても、徒士供かちどもの付き添い、まだ二里とも参っておりますまい」
「では、すぐ追い着こう。ちょっと行って参る」
「あ。……何ぞにわかな御用でも」
「されば、この書面に依れば、将軍家でお召抱えの件は、何か、武蔵どのの身状に御不審とやらで取止めになったとある」
「え。お取止めに」
「――とも知らずに、江戸の空へ、あのように欣んで立って行ったお通へ、聞かしとうもないが、聞かせずにもかれまい」
「では、手前が追いかけて参りましょう。その御書面を拝借して」
「いや、わしが行く、……丑之助、急に用事ができたから、また参れよ」
「はい」
「時が来るまで、志を磨いておれ。よく母親に孝養をつくして」
 兵庫の身はもう外に在る。うまやから一頭曳き出して、それへ乗ると、宇治のほうへまっしぐらに駈けていた。
 だが――
 彼はその途中で、ふと考え直した。
 武蔵が、将軍家師範に成る成らないなどということは、彼女の恋にとっては何らの問題でもない。
 彼女はただ、ひたむきに、武蔵と巡り会いたいのである――
 ああして、四がつも待たず、ひとりで立ったのを見ても。
 書面を示して、
(一度、戻っては)
 とすすめた所で、むなしく戻るはずもない。ただいたずらに、彼女の心を、折角な旅を、暗澹あんたんと、沈ませてしまうに過ぎまい。
「……待てよ」
 兵庫は、駒を止めた。柳生城から小一里も来てからであった。もう一里も駈ければ、或は、追いつきもしよう。――だが彼は、その無益を悟った。
(武蔵と会って、二人が会った欣びのうちに語りあえば、こんなことは、些細ささいな問題)
 彼は、のどかに駒を柳生のほうへ引っ返した。
 いや、路傍に芽ぐみ出した春の色はうららかだし、彼の姿ものどかには見えたが――彼のみが知る胸にはまた、纏綿てんめんたる後ろ髪を引くものがないではなかった。
(もう一目でも)
 その未練があるからこそ、彼自身、駒をとばしてお通のあとを追ったのではなかったか。
 そう問う者があれば、
(否――)
 と兵庫は潔く顔を横にふることはできなかったに違いない。
 さあれ兵庫の胸は、彼女の多幸を祈る気もちでいっぱいなのだ。武士にも未練はあり、また、愚痴がある。――だがそれは、武士道的に諦観ていかんしきってしまうまでのあいだの瞬間にすぎない。煩悩の境を、一歩転じれば身は春風に軽く、柳の緑はひとみまし、またべつな天地がある。――恋のみが青春を燃やすものかは! ――時代は今、おおきなうしおの手を挙げて、世の若者輩わかものばらを呼んでいるのだ。路傍の花に眼をくれるな! 日を惜しめ、そしてこの潮に乗りおくれるな! と。

草埃くさぼこり



 お通が、柳生を去ってから、はや二十日の余も過ぎた。
 去る者は、日々にうとく、える春は、日々に濃くなる。
「だいぶ、人出だな」
「されば、今日あたりは、奈良にも稀れな日和ひよりですから」
「遊山半分か」
「ま。左様なもので」
 柳生兵庫と、木村助九郎とであった。
 兵庫は編笠をかぶり、助九郎は法師頭巾に似た物を顔に巻いている。元より微行しのびである。
 遊山半分か――といったのは、自分たちのことをさしたのか、道行く人々のことをいったのか、どっちにも聞えるが、二人の顔にはかるい苦笑がながれ去った。
 お供は荒木村の丑之助うしのすけ。――近ごろ丑之助は、兵庫に愛されて、前よりも※(二の字点、1-2-22)しばしば城へ見えるが、きょうは二人の供について、背に弁当の包みを負い、兵庫の換え草履一そく腰に挟んで、なりの小さい草履取――という恰好して後から歩いてゆく。
 この主従も、往来の人々も、いい合せたように皆、やがて町中のひろい野原に流れこんだ。野のそばに興福寺の伽藍がらんがあり森が囲み、塔がそびえてみえる。
 また、野から彼方の高畠たかばたけには、坊舎や神官の住居がみえ、奈良の町屋は、その先の低地に昼間もかすんでいた。
「もう済んだのかな?」
「いや、食休みでございましょう」
「なるほど、法師ばらも、弁当をつこうておる。――法師も飯を喰うものとみえる」
 兵庫がいったので、助九郎はおかしくなって笑い出した。
 人はおよそ四、五百名もこの野に集まっていたが、野が広いので、まばらにしか見えない。
 ちょうど、春日野かすがのの鹿のように、ある者は立ち、ある者は坐り、ある者はぶらぶら歩いている。
 だが、ここは春日野ではなく、もと平安三条の内侍ないしはらであった。その内侍ヶ原には、きょうは何か興行があるらしい。
 興行といっても、都会をのぞいたほかは、小屋掛などすることは稀れにもない。めずらしい幻術師が来ても、傀儡くぐつ師が来ても、賭弓かけゆみや賭剣術が催されても、野天のでんであった。
 きょうの催しは、そういうただの人寄せではなく、もっと真面目なものだった。宝蔵院の槍法師たちが集まって、年に一度、公開してみせる試合日なのだ。この試合に依って、平常の宝蔵院のゆかに坐る席順がきめられるというので、大勢の法師や侍は、衆人の前でもあるし、ずいぶん烈しい戦闘をするということだった。
 けれど今は、からんとして、野づらの空気は、至って長閑のどかであった。
 ただ、野の一方に三、四ヵ所張ってある幕のあたりで、法衣みじかからげあげた法師たちがかしわの葉でくるんだ弁当の飯を喰べたり、湯をのんだりしているだけである。悠長な――という言葉がそのまま当てはまる景色だった。
「助九郎」
「は」
「わしらも、何処かへ坐って、弁当でも解こうか。……だいぶ間がありそうだ」
「お待ちください」
 助九郎は、手頃な場所を見まわしていた。
 ――すると、丑之助が、
「兵庫様、これへお坐りなさいまし」
 と、何処からか、早速に一枚のむしろを持って来て、程よい所へ敷いた。
こころきたる奴)
 何かにつけ、兵庫は彼の機敏なことに感心したが――また、その気のくことが、将来の大成という上には、すこし懸念される点でもあった。


 主従三人は、むしろの上に坐って、竹の皮をひらいた。
 玄米くろごめのにぎり飯。
 梅漬と味噌が添えてある。
美味うまい」
 兵庫は、青空を喰うように、野天の弁当を楽しんだ。
「丑之助」
 と、助九郎がいう。
「へい」
「兵庫様に、白湯さゆを一椀上げたいな」
「じゃ、貰って来て上げようか。あそこの法師衆がいる溜りへ行って」
「ム。もらって来い……だが、宝蔵院衆へ、柳生家の者が来ているということは、黙っておれよ」
 兵庫も、側から注意した。
「うるさいからなあ。挨拶にでもやって来られると」
「はい」
 丑之助は、むしろの端から起ちかけた。――すると。
 先刻から、彼方で、
「オヤ?」
 と、野の芝地を見まわして、
むしろがない。莚がない」
 と、探している二人の旅の者があった。兵庫たちのいる所から、十間ほど離れた場所で、そこらには牢人者だの、女だの、町の者などが、まばらにいたが、旅の者がくした莚は、誰も敷いていなかった。
「伊織。もういい」
 探しあぐねて、一人がいった。
 がっちりと、丸こい顔と固い筋肉をして、四尺二寸のかしじょうを提げている男だった。
 伊織の連れとあれば、これはいうまでもなく、夢想権之助むそうごんのすけ
「もうお止し。探さないでもいい」
 重ねて、権之助はいったが、伊織はなお諦めきれぬ顔して、
何奴どいつだろ。誰かがきっと、持って行ったにちがいないよ」
「まあいいよ。たかがむしろ一枚」
「莚一枚でも、だまって持って行った心根が憎いもの」
「…………」
 権之助はもう忘れて、草の上に坐りこみ、矢立を出して、昼前の旅の小遣帳こづかいちょうをつけていた。
 彼が、旅の間にも、こういうことを克明にけるようになったのも、伊織と旅をし、伊織に感心してからのことである。伊織は、時には、子どもらしくなさ過ぎるほど、生活には用意ぶかかった。物を無駄にせず、几帳面きちょうめんたちで、自然、一わんの飯にも、毎日の天候にも、感謝を知っていた。
 ――だからまた、人にも、違ったことは、許さない潔癖がある。この潔癖は、武蔵の手を離れて、人中へ出るほど育てられて来た。――で、一枚のむしろといえど、ひとの迷惑を思わず、無断で持って行った人間の心根を、伊織は憎んでやまないのであった。
「ア。――あいつらだな」
 伊織は、遂に見つけた。
 権之助が旅に持ち歩いている寝莚ねむしろを、平気で敷いて、弁当を喰べている三人の主従を。
「もし。――おいっ」
 伊織は、そこへ駈けて行った。だが、十歩ほど手前で先ず立ち止まって、抗議の文句をまず考えていると、折ふし、湯を貰いにった丑之助が、出合いがしらに、胸を寄せて、
「なんだい」
 と、彼に答えた。


 伊織は、明けて十四。丑之助は取って十三だった。しかし丑之助の方が、ずっと年かさに見えた。
「何だいとは、何だい」
 伊織は丑之助の不作法をとがめた。丑之助は、土地の者らしくないこの小さい旅人を鼻先で迎えて、
「そういったのが悪いか。てめえから呼んだから、何だと訊いたんだ」
「ひとの物を、黙って持って行けば、盗人ぬすびとだぞ」
「盗人。――こいつめ、おらを盗人だといったな」
「そうさ。おらの連れの人が、あそこへ置いたむしろを黙って持って行ったじゃないか」
「あの莚か。あの莚は、そこに落ちていたから持って来たんだ。なんだ莚の一枚ぐらい――」
「一枚の莚でも、旅人の身にとれば、雨をしのいだり、夜のふすまになる大事な物だ。返せ」
「返してもいいが、いい方がしゃくさわるから返さねえ。盗人といった言葉をあやまれば返してくれてやろ」
「自分の物を取返すのに、謝るばかがあるものか。返さなければ腕にかけても取るぞ」
「取ってみろ。荒木村の丑之助だぞ。てめえッちに、負けてたまるか」
「生意気いうな――」
 と、伊織も負けていない。小さい肩をそびやかしていった。
「こう見えても、わしだって兵法者の弟子だぞ」
「よし、後で彼方むこうへ来い。まわりに人がいると思って大口を叩いても、人中を離れたら立対たちむかえまい」
「何を。その口を忘れるな」
「きっと来るか」
「何処へさ」
「興福寺の塔の下まで来い。助太刀など連れずに来い」
「いいとも」
「おれが手を挙げたら、来るんだぞ。いいか覚えてろ」
 口喧嘩だけで、一時は別れた。丑之助はそのまま、湯を貰いに行ったのである。
 何処からか彼が土瓶どびんの湯を提げて戻って来た頃、野の真ん中には、草埃くさぼこりが煙っていた。法師たちの試合が始まったのである。群衆は、大きな輪を作って、それを見物に詰め寄った。
 輪のうしろを、土瓶を提げた丑之助が通った。権之助と並んで見ていた伊織は、振向いて、丑之助のほうを見た。丑之助は、眼でいどんだ。
(後で来い!)
 伊織も眼で答えた。
(行くとも。覚えてろ)
 内侍ないしはらののどかな春も、試合がはじまると一変して、時々あがる黄色いほこりに、群衆は、武者押しのような声を揚げた。
 勝つか負けるか。
 勝つ位置へ自己を躍り上げる。
 試合はそれだ。
 いや時代がそれなのだ。
 少年の胸にもそれが反映している。時代の中に育てられた彼らである。たとえ生れ出ても、生れながらの虚弱では一人前に成って行けないように、十三、十四の頃からして既に、うなずけない屈伏はできない気骨に養われている。一枚のむしろが問題なのではない。
 だが伊織にも、丑之助にも、大人の連れがあるので、しばらくは、その人達の腰について、野試合のさまを見物していた。


 モチ竿のような長い槍を立てて、原の真ん中に先刻さっきから立っている法師がある。
 その法師にむかって、幾人も幾人も、槍を合せに出たが、みんなね飛ばされたり、叩き伏せられたり、ほとんど手に合う者がなかった。
出合いであたまえ」
 法師は、後の者を、うながしているのだ。
 が、容易に出ない。
 この際は、出ないことを賢明としているように、東のとばりでも、西のたまりでも、固唾かたずをのんで、ただ法師に物をいわせていた。
「――つづく者がなくば、野僧は退がり申すぞ。きょうの野試合において十輪院の南光坊が第一のこと御異存ないかな」
 いいらすように、西に向い、東へ向って、法師は挑んでいる。
 十輪院の南光坊は、宝蔵院の流れを先の初代胤栄からかにうけて、いつか一派を興し、十輪院の槍ととなえ、今の二代胤舜とは、反目している者だった。
 怖れてか、争いを避けてか、胤舜は、きょうは姿を見せていない。病気ということが理由になっていた。南光坊は存分に、宝蔵院の現門下を蹂躙じゅうりんし尽したかのように、やがて立てていた槍を横に直した。
「では、わしは退がろう。――もはや敵なしじゃ」
 すると、
「待った」
 ぱっと、一僧が、槍をしゃに持ったまま、躍り出した。
「胤舜の門下、陀雲だうん
「お」
「お相手に」
「ござれ!」
 二人のかかとからぱっと土が煙る。跳び別れた途端、槍と槍は、もう生物のようにっている。
(終りか)
 と、失望していた見物は、歓呼をあげて狂った。
 だが、群衆はすぐ、窒息ちっそくしたように黙った。カーンと強い音響を聞いた時、それは槍が槍の柄を打ったのかと思ったら、陀雲という法師の頭が、南光坊の槍で撲り飛ばされていたのである。
 風に打たれた案山子かかしのように陀雲の体は横にたおれていた。わらわらと、たまりから三、四名の法師が駈け出たので、さては喧嘩かと思っていると、陀雲の体をひっ担いで退がって行ったのである。
 ――後はまた、誇りに誇った南光坊が、いよいよ肩をげて立っている姿しかなかった。
健気者けなげものが、まだ少しは、いるらしいな。――ござるならはやくござれよ。三人四人、束となってかかっても苦しゅうないが」
 その時である。
 溜の幕の陰に、おいをおろした山伏がある。身軽になって、宝蔵院衆の前に出て、
「試合は、院中のお弟子方に限りましょうか」
 と訊ねた。
 宝蔵院の者は、口を揃えて、然らず――と答えた。
 東大寺前と、猿沢の池のほとりに、高札を立ててある通り、道に志す武芸の道友とならば、何人なんぴとといえど、手合せにかまいはないことになっているが、往古いにしえの荒法師以上、槍修行の荒法師ぞろいと聞えている宝蔵院の野天行のでんぎょうに当って、
(われこそ)
 などと自分から人前に恥をさらし、揚句に片輪者にされて悄々すごすご引っ込むような愚かなまねを――敢て自分からすすんで求めるような馬鹿者はいないのだ、という説明であった。
 山伏は、列座の法師ばらに、一応の辞儀をして、
「然らば、やつがれが一つその馬鹿者となってみとうござるが、木太刀を御拝借願われましょうか」
 と、いった。


 人の輪にまぎれて、彼方かなたの野試合を眺めながら、兵庫は、
「助九郎。おもしろくなったな」
 と、顧みた。
「山伏が出て来たようで」
「されば。もう勝敗は見えたも同じだの」
「南光坊がまさっておりましょうか」
「いや、多分、南光坊は試合うまいよ。試合えば、彼も至らぬ奴じゃ」
「はて? ……左様でございましょうか」
 助九郎には、せない面持である。
 南光坊の人物は、よく知っている兵庫の言ではあるが、なぜ、今出てきた山伏と試合えば、至らぬ人間だろうか。
 不審に思っていたが、ほどなく助九郎にも意味が分った。
 その時、彼方では――
 山伏の男が、借り受けた木剣を手にひっ提げ、南光坊の前へ進んで行って、
(いざ)
 と、挑んでいた。そのていを見て、助九郎にも、初めて分ったのである。
 大峰の者か、聖護院しょうごいん派か、見知らぬ山伏だが、年ごろ四十前後の男で、鉄のような五体は、修験しゅげんぎょうきたえたというよりは、戦場で作ったものである。生死しょうじの達観のうえに出来上っている肉体なのである。
「お願いいたしましょうか」
 山伏の言語は穏やかである。まなこも柔和であった。だが、この男は生死の境から外の物だった。
他者よそものか」
 と、南光坊は、新手あらての敵を見直して、そういった。
「は。飛入りではござるが」
 と、会釈すると
「待たっしゃれ」
 南光坊は、槍を立ててしまった。これはいけないと悟ったらしいのだ。わざでは勝てるかも知れないが、絶対に、勝てないものを、この新手に感じたのである。――それに当今の山伏には、氏素姓をかくして身を韜晦とうかいしている人間も多いし、避けたほうが賢明と、考えたのであろう。
他者よそものとは立合わぬ」
 と、南光坊は、首を振った。
「いや、今あちらで、おきてを伺ったところによれば」
 と、山伏は、自分の出場が不当でない点を、穏やかにいって、なおもいたが、南光坊は、
「人は人、拙僧は拙僧。――拙僧が槍は、いたずらに、諸人に勝たんためではおざらぬ。槍の中に法身ほっしんを鍛錬しているこれは一つの仏行でござる。余人との試合は、好むところでおざらん」
「……ははあ?」
 山伏は苦笑した。
 何かまだ物いいたげであったが、人中でいうことを好まないふうで、然らばぜひもないことと、溜場たまりばの法師に木剣を返し、素直に何処へか立ち去ってしまった。
 それをしおに、南光坊も退場した。彼の逃げ口上を、溜の法師たちも見物も、卑怯だとささやいたが、南光坊は気にもかけず、二、三の法弟をつれて、凱旋の勇将のように、帰ってしまった。
「どうだ、助九郎」
「御明察の通りでしたな」
「その筈だ」
 と、兵庫はいった。
「あの山伏は、おそらく九度山くどやまの一類だろう。兜巾ときん白衣びゃくえ鎧甲よろいかぶとに着かえれば、何のなにがしと、相当な名のある古強者ふるつわものにちがいない」
 群衆は思い思いに、散らかりかけていた。――試合が終りを告げたからであろう。――助九郎はまわりを見まわして、
「おや、何処へ行ったか?」
 と、つぶやいた。
「何だ、助九郎」
「丑之助の姿が見当りませんので――」

童心地描図ちびょうず



 約束だ。ふたりだけで出合う約束だ。
 連れの大人たちが皆、野試合に気をとられている隙に、丑之助から、
(来い!)
 と、眼合図をすると、一方の伊織は、連れの権之助にも黙って、人ごみから抜け出した。
 同時に、丑之助もまた、兵庫や助九郎に悟られぬように、そこから駈け出して、興福寺の塔の下まで行った。
「やい」
「なんだ」
 高い五重の塔の下に、小さい二人の兵法者が、睨み合った。
生命いのちがなくなっても、後で恨むな」
 伊織がいうと、丑之助は、
なまアいうな」
 と棒を拾った。
 刀を持たないからである。
 伊織は、持っていた。その刀を抜くや否、伊織は、
「こいつめ!」
 斬ってかかった。
 丑之助は跳び退いた。伊織は彼がひるんだと思って、ぶつかるようにまた、追いかけて斬りつけた。
 丑之助はその途端に、伊織を麻の胚子たねと思って跳び上がった。そして足は、伊織の顔を、宙で蹴とばしていた。
「わっ」
 伊織は、片手で耳を抑えた。転んだ勢いはすぐ起きた勢いだった。
 立ち直ると、刀を振りかぶった。丑之助も棒を振りかぶっていた。伊織は武蔵の教えも、平常、権之助から学んだことも忘れてしまった。こっちから打って行かなければ、彼から打たれると思った。
 眼。眼。眼――とあれほど武蔵からやかましくいわれたことなどはもう念頭にもなく、その眼をつぶって、盲目的に、刀と共に相手へぶつかって行ったのである。待ち構えていた丑之助は、身を避けて、ふたたびしたたかに、伊織を棒で、なぐり伏せた。
「ウウム……」
 伊織は、もうてなかった。刀を持ったまま地にしてしまった。
「勝ったぞ。おらが」
 丑之助は、誇っていったが、伊織が動かなくなったので、急に、恐いものに襲われたように、山門の方へ駈け出した。
「――こらっ!」
 四方の木立がえたように、誰かが彼の背へ向ってそう呶鳴った。また――声と一緒に四尺ばかりのじょうが一本、風を切ってびゅッと泳いで行き、丑之助の腰の辺に杖の突端がコツンとあたった。
「痛っ」
 丑之助は、横に転んだ。
 すぐ杖の後から駈けて来た人間がある。いうまでもなく、伊織を探しに来た夢想権之助である。
「待て」
 声が近づくと、丑之助は、痛む腰を忘れて、脱兎だっとみたいに跳ね起きた。そして、十歩も駈けたかと思うと、その時、山門からはいって来たべつな者に、正面からぶつかった。
「丑之助ではないか」
「……あっ?」
「どうした」
 木村助九郎であった。丑之助はあわてて、助九郎の後ろへかくれた。――で当然、彼を追って来た権之助と助九郎とは、何の予告もなく、いきなり眼と眼をまず激突させて、とたんに対峙たいじの姿勢になってしまった。


 眼と。そして、眼と。
 そう二人のあいだに、けわしい一瞬が発したせつなは、どんな争闘を捲き起すかと思われた。
 助九郎の手は刀へ。権之助の手は杖へ。双方とも、ぴたと。しかし――
 しかしそれが事なく、次のような会話へ移って、この場の真相を知りあうことができたというのは、相手の人間を観てとる鋭い直観力を、幸いにも二人が持ち合せていたためだったといえよう。
「旅の者。――仔細は知らぬが、何でこのようなわっぱを、大人げもなく打ちのめそうといたすか」
「異なお訊ね。その前にあれなる――塔の下に仆れている連れの者を御覧ごろうじ。その童のために、したたかに打たれ、気も失うて苦しんでおる」
「あの少年は、そちの連れの者か」
「されば――」
 と、権之助はいってすぐ、言葉をほうり返すように、
「その小童こわっぱは、おてまえの召使でござるか」
「召使ではないが、拙者の主人が目をかけておる丑之助という者。……これ丑之助。何であの旅の人の連れ衆を打ちすえたか」
 背中へ廻ってさっきから黙ってっている彼を顧みて、
「正直に申せ」
 と、助九郎が詰問すると、その丑之助が口をあかぬうちに、塔の下に仆れていた伊織が首をもたげて、彼方から、
「試合だよっ。試合だよ!」
 と、さけんだ。
 伊織は痛そうな体を、その言葉とともに起して歩いて来ながら、
「試合して、おらが負けたんだから、その子が悪いんじゃない、おらが弱いんだ」
 と、いった。
 助九郎は、伊織が負けたことをひるまず負けたといった姿へ、感嘆でも浴びせたいような眼をみはったが、
「おお。では約束のうえで尋常に打ち合ったのか」
 微笑の眼をほそめ、一方の丑之助を顧みると、丑之助も今となってはややがわるそうに、
「おいらが、あの衆のむしろを、あの衆のもんと知らねえで、黙って持って来たから悪かっただ」
 と、事情わけを話した。
 打たれた伊織ももう元気にかえっている。訊いてみれば子どもらしい経緯いきさつだ。ほほ笑ましくさえなるものを、もし最前、権之助がここへ追い、助九郎が駈けつけて来た出合いがしらに、大人と大人とが、一歩退くことなく、武器で物をいったとしたら、可惜あたら無用の血が、今頃はそこらを染めていたに違いなかった。
「いや、失礼いたした」
「お互いです。手前こそご無礼を」
「では、主人も彼処あちらで待っておるゆえ、ここで御免――」
「おさらば」
 笑い合って、山門を出た。助九郎は丑之助を伴い、権之助は伊織を連れて。
 興福寺の門前から、右と左に別れかけたが、権之助はふと戻って、
「あ。ちょっとお訊ねします。柳生ノ庄へは、どう参りましょうか。この道を真っ直でよいでしょうか」
 助九郎は、振向いて、
「柳生の何処へ行かれるか」
「柳生城をおたずねつかまつります」
「えっ、お城へ?」
 と、止めた足をまた、助九郎は、権之助のほうへ戻して来た。


 こうしたことから、計らずもお互いの身分と、身の上が知れた。
 べつな所で、助九郎、丑之助のふたりを待ちつつたたずんでいた柳生兵庫も、やがてここへ来合せ、事情を聞くに及んで、
「さてさて、惜しいことを!」
 と、嘆息した。
 そして遥々はるばる――江戸からこの大和路まで来た権之助と伊織を、いたわりの眼でながめて、
「せめて、もう二十日も早く来たら」
 と、何度となくいう。
 助九郎も、頻りと、
「惜しい、惜しい」
 を繰返して、今は何処やら知れぬ人の行方ゆくえを雲にながめるのだった。
 もういうまでもないが、夢想権之助が伊織を連れてこれへ来たのは、柳生城にいると聞いたお通を訪ねて来たのである。
 そのお通には自分の用向きではなく――先頃、北条安房守の宅で計らずも、伊織の姉なるものが話題にのぼり、それこそ実にお通という女性であると――同席の沢庵に教えられてから、思い立って来たことであった。
 ところが。
 かけちがって、そのお通は、およそ二十日ばかり前、武蔵を訪ねて、江戸へ立った。――悪い時にはぜひもないもので、今、権之助に江戸の消息を聞けば、武蔵その者もまた、権之助の立つ前に、すでに江戸を去ってしまい、知己身辺の者にすらその行方は知れていないという。
「迷うていような」
 ふと、兵庫はつぶやく。
 そして何日いつか、一度彼女を宇治の途中まで追って行きながら、呼び戻さずに帰ったことを――軽く悔いたりしながら、
「あわれ、どこまで不幸な」
 と、わが淡い未練を人の恋に寄せて、何がなしばし物想わせられた。
 ――が。あわれはここにも一人いた。それらの話を、側で聞きながら、しょんぼり側に立っていた伊織。
(生れたっきり知らない姉)
 と、観念していたうちは会いたくも淋しくもなかったが、
(世にある人)
 と、教えられ、
(大和の柳生にいる)
 と聞いてからは、ただよう海に一つのくがを見つけたように、生れてから一遍にあふれわいた思慕と肉親への肌恋しさが――これは抑えるべくもなく、ずいぶん連れの権之助をも困らしたほど、きょうまでは楽しみにして、此処まで来たに違いないのである。
「…………」
 今にも泣きたそうな顔しているが、伊織は泣かない。
 泣くには何処か人のいない所へ行って大声で泣きたいのだ。――権之助が兵庫からたずねられて、いつまでも江戸の話をしているので――伊織は辺りの草の花など眼に拾いながら、大人の側からだんだん離れて行った。
「何処へ行くだい」
 丑之助も、後から来た。なぐさめ顔に、伊織の肩へ手を廻して、
「泣いてんのけ?」
 伊織はつよく首を振った。眼から涙が飛び散った。
「泣くもんか。そら、泣いてなんかいないよ」
「オヤ。山芋やまいもつるがあるぜ。山芋掘るすべ知ってるか」
「知ってらい。おらの故郷にだって、芋はあら」
「掘りくらしようか」
 丑之助にいわれて、伊織もつるを見つけて、蔓の根にしゃがみこんだ。


 叔父宗矩むねのりの近状やら、武蔵の事ども。
 それから、江戸の街々の変りようだとか、小野治郎右衛門じろうえもん失踪しっそうのうわさだとか。
 訊けば、りもなく、語れば語り尽きない。
 この大和の山里では、たまたま江戸から来た者とあれば、その者の一語一語が、すべて耳新しい社会の知識であった。
 ――が、思わずも時を過ごしたので、兵庫も助九郎も、陽脚ひあしに気がつき、
「ともあれ、城内へ来て、当分のうち逗留とうりゅうなすっては」
 と勧めたが、権之助は深く謝すのみで、
「お通さまがおでにならぬ上は――」
 と、このまま、先の旅へむかいたい希望を告げる。
 先の旅といっても、元より修行一筋の身ではあるが、実は、木曾の故郷で亡くした母の遺髪と位牌いはいを今もなお肌身に持っていて、何かにつけ気がかり。この大和路やまとじまで来たのを幸いに、ついでといっては勿体ないが、紀州の高野山こうやさんか、河内の女人高野という金剛寺か、いずれかへ行って、位牌を預け、かたみ髪を仏塔へ納めなどして置きたいという。
「それもまた、名残惜しいことではあるが――」
 強いて止めもならぬ気がして、さらばと別れを告げかけた時、ふと気がつくと、側にいたはずの丑之助がいない。
「おや――」
 と権之助も見直して、これも伊織を探している。
「オオ、あんな所におる。二人とも、何を掘っているのか、地へしゃがみ込んで」
 助九郎が指さす所を見遣みやると――なるほど伊織と丑之助が、すこし間をへだてて、わき目もふらずに、土を掘っている。
 大人たちは微笑んで、そっとその背後うしろへ立っていた。
 ふたりは気がつかない。先刻さっきからつるの根を掘り下げ、折れ易い自然薯じねんじょを折らないように、芋のまわりを大事にかばって、片腕が地へはいり込んでしまうほど、もう深い穴を作り合っていた。
「……あ」
 そのうちに、背後うしろでする人の気配に、丑之助は振向いた。伊織も笑い顔を向けた。
 自分達の競争を大人達が見ていると意識すると、二人はよけい熱を出したが、すぐ丑之助が、
「抜けた」
 と、長いいもを、地上へほうり出した。
 伊織は、肩先まで入れて、黙々とまだ土の穴を掻いている。果てしのない様子に、権之助が、
「まだか。行ってしまうぞ」
 と、いうと、伊織は老人のように腰を叩いて立ちながら、
「だめだめ、この芋は。晩までかかるよ」
 と、未練を土の中に残して着物の泥をはたいた。
 丑之助が、のぞいて見て、
「なんだ、こんなに掘れてるくせに。臆病な芋掘りだなあ。おらが抜いてやろうか」
 手を出しかけると、
「いけないいけない。折れちまうよ」
 と、伊織は拒んで、折角八分ぐらいまで掘り下げた穴へ、まわりの土を足で寄せ落し、元のようにけてしまった。
「あばよ!」
 丑之助は、った自分の芋を、自慢して肩へかついだ。だが、その芋の先は完全でなかった。折れ口が白い乳を出していた。
「丑之助。負けたな。――打ち合ではそちが勝ったそうだが、芋掘りではそちの負けだぞ」
 兵庫は、彼の頭を、ぐいとした。伸び過ぎる麦の育ちを踏んでやるように――ぐいと首根をしていった。

大日だいにち



 吉野の桜もせたろう。みちあざみも咲きほうけて、歩くには少し汗ばむほどだが、牛の糞の乾くにおいにも、寧楽ならのむかしや、流転るてんあとしのばれたりして、歩き飽かないこの辺りの道だった。
「おじさん。おじさん……」
 伊織はうしろを振向いて、権之助の袖を引きながら、頻りと気にかけて、
「また、いて来たよ。ゆうべの山伏が」
 と、ささやいた。
 権之助は、わざと、彼の注意に従わず、真っ直に向いたまま、
「見るな、見るな。――知らん顔をしておれ」
「だって、変だよ」
「なぜ」
「きのう柳生兵庫様達と、興福寺の前で別れた時から、間もなく、後になったり先になったり……」
「いいじゃないか。人間みな、思い思いに歩いているのだから」
「そんなら、宿屋なんか、べつな家へ泊ればいいのに、宿屋まで一つ所へ泊って」
「いくら尾行つけられても、盗まれるほどな金も持っていないし、心配はない」
「でも、命という物を持ってるから、空身からみとはいえないよ」
「ははは。命の戸締りはわしもしている。伊織は確かかな」
「おらだって」
 見るな――と止められるほど、つい後ろが振向きたくなる。伊織は、左の手を、野差刀のざしつばの下から離さなかった。
 権之助にしても、余りいい気持はしない。山伏の顔には見覚えがある。それはきのう宝蔵院の試合興行の折に、飛入りを望んで出て断られたあの山伏なのだ。どう考えてもこっちには付きまとわれる覚えがない。
「おや、いつのまにか、消えちまった」
 また、伊織が振向いていう。権之助も振顧ふりかえる。
「多分、飽きてしまったのだろう。やれやれ、さっぱりした」
 その晩は、葛木村かつらぎむらの民家に泊めてもらう。翌日は早目に、南河内の天野郷あまのごうにはいり、清流に沿っている門前町の低い軒ならびを覗き歩いて、
「木曾の奈良井から、この土地の酒醸さけづくりの杜氏とうじへお嫁に来ている、おあんさんという人の家を知りませんか」
 と頼りない手がかりを頼りにして尋ね歩いた。
 おあんさんというのは彼が故郷いなかで知っている人だった。この天野山金剛寺の附近にとついでいるというので、彼女が分ったら、亡母の位牌いはいかたみ髪を金剛寺へ納めて供養して貰おうという考え。
 もし分らなかったら高野へ行こう。高野は貴人の供養所として、余り名だたる大家の霊が寄っているそうなので、旅人の貧賤では心もとない気もするが、ここが駄目だったらともかく高野山へ預けに行こう。
 そう思っていたところ、
「ああ、おあんさんかね。おあんさんなら杜氏屋敷のお長屋にいるがな」
 と、案外早くそれが知れた。
 門前町の何屋かの内儀かみさんである。親切に先へ立って、
「この門をおはいんなすったら、右側の四軒目で、杜氏の藤六さんのお家かとお聞きなされ。おあんさんの御亭主じゃげな」
 と、教えてくれた。


 どこの寺でも、「葷酒クンシユ山門ニ入ルヲ許サズ」は、法城のおきてみたいになっているが、この天野山金剛寺では、坊舎で酒を醸酒つくっている。
 もちろん、世上へ出しているわけではないが、豊臣とよとみ秀吉などが、ここの寺製てらづくりの酒を賞美して、諸侯のあいだにも「天野酒」といって知れ渡っているので、秀吉の亡き後は、その余風もだいぶすたっていたが、まだ年々つくって乞われる檀家だんかへ贈るならわしは残っていた。
「――そんなわけで、わしを始め十人ほどの職方が、お山に雇われて来ておりますのじゃ」
 おあんさんの御亭主である杜氏の藤六は、その夜、客の権之助の不審を解いて、そんなことも話した。
 それから、権之助の頼みについては、
「おやすいことじゃ。御孝心に依ることでもあれば、明日、僧正さまにおねがいして上げよう」
 と、いってくれた。
 翌る日、その家の一間ひとまに起き出た頃は、もう藤六は見えなかったが、やがてひる少し過ぎ姿を見せ、
「僧正さまにお願いしたら、さっそく承知して下された。わしにいておでなされ」
 と、いう。
 案内されて、権之助は藤六の後ろに従い、伊織は権之助の腰にちょこちょこついて行った。四方あたり幽翠ゆうすいな峰で、散り残った山ざくらが白く、七堂伽藍がらんは、天野川の渓流がめぐるふところ谷にあり、山門へ渡る土橋から下をのぞくと、峰の桜が片々へんぺんと流れにせかれて落ちてゆく。
 伊織は、えりを合せた。
 権之助も、身がまった。何とはなく、山巒さんらんの気と、坊舎の荘厳に打たれたのである。
 ところが、存外にも、
「お前様か。母御の供養をしてくれというのは」
 と、本堂の上から気楽な調子でいった僧がある。
 肥えて、背も高く、大きな足をした坊さんである。僧正というからには定めし金襴きんらん袈裟けさ払子ほっすを抱き、威儀作ろった人かと思えば、これはこのままがさと杖をもたせて、世間の軒端に立たせても、恥かしくないそのままの人だった。
 だが、藤六は、
「はい、お願いの儀は、この人でございまする」
 と、堂下の大地にぺたりとぬかずいて、権之助に代って答えてるさま――やはりこの人が僧正だとみえる。
「…………」
 権之助も、何か、あいさつをいって、藤六と同様に、ひざまずこうとすると、僧正はもう大きな足を、階段の下にありあわせた汚い藁草履わらぞうりへのせて、
「じゃあ、大日様だいにちさまのほうへお越し……」
 と、数珠じゅずひとつ持って、先へ歩いてゆく。
 五仏堂だの、薬師堂だの、食堂じきどうだのの堂塔のあいだをめぐって坊舎からすこし離れると、そこに金堂こんどうと多宝塔があった。
 遅れて、後ろから追いかけて来た弟子僧が、
「お開けいたしますか」
 と訊ね、僧正のうなずいた眼をみると、大きな鍵をもって、金堂の大扉をひらいた。
「お着座を」
 と、うながされて、権之助と伊織とは、二人きりでひろい伽藍がらんの中へ坐った。仰ぐと、台座からなお一丈の余もある金色こんじき大日如来だいにちにょらいが、天井で微笑をふくんでいた。


 やがて内陣のうちから僧正は袈裟けさをつけ直して出て来た。そして台座に坐って朗々ときょうをあげた。
 先には、藁草履の見すぼらしい一山僧にしか見えなかったが、そこに坐ると、運慶ののみの力にも劣らない権威を背なかに示している。
「…………」
 権之助は、を胸にあわせ、亡き母の姿をまざまざと描いていた。
 すると、一の白雲が、まぶたを流れた。――そしてそこに塩尻峠の山や、高野の草が見えた。――武蔵はそよぐ風をふんで、剣を抜いて立っている。自分は、じょうを取って、それに対している。
 野中の一本杉の下に、地蔵様のように、ちょこなんと坐っている老母がある。
 老母の眼のいかにも心配そうな――。そして今にも、剣と杖の間へ、跳びつきそうなその光。
 子を案じる愛の眼。その時、母のすさまじい助言の一声から教えられた「導母どうぼじょう」の一手。
「……おっさん、今もあなたはあの時のような眼で、私の前途を案じて見ておいででございましょうな。だがご心配くださいますな。その折の武蔵どのは、幸いに私の乞いをれて、お教えを下されているし、私もまだ一家を成す日は遠いかもしれませぬが、たとえ今がどんな乱世でも、子の道、世々の道は、踏みはずすことはいたしません」
 こう念じつめて息をもじっとひそめていると、身の前に高々と在る大日如来のお顔が、母の顔そっくりに思われ、その微笑ほほえみまでが、生ける日の母の笑いとなって胸に沁みてくる。
「……お」
 ふと気づいて、たなごころを解くと、僧正はもういない。読経は終ったのである。傍らにいる伊織も、ぽかんと大日のお顔をふり仰いだまま起つのも忘れている様子なので「伊織」と、呼び醒まし、
「なんでそんなに見恍みとれている」
 と訊ねたところ、われに返ったような顔して、伊織がいうには、
「だって、この大日様は、おらの姉さんに似てるんだもの――」
 権之助は思わず、からからと笑って、まだ会ったこともないお通さんとかいう其方そちの姉の顔がどうして分る? また、大日様のお顔は大日様のお顔で、こんな慈悲円満な具相をもった人がこの世にあろうはずはない。これは独り運慶のような名匠の精進しょうじんが、たまたま、のみの先に現し得た奇蹟のようなもので、決して俗界にあるものではない。
 いうと――伊織は「だって、だって」となお強くかぶりを振って、
「おらは一度、江戸の柳生様のお邸へ使いに行って、夜半よなかみちに迷ってた時、そのお通様っていう人に会ってるもの。――あの時姉さんだと分っていたら、もっとよく見ておくんだったけれど、今じゃ思い出せなくなっちまった。……そう思ってたら、今、僧正さんがお経を上げているうち、を合してると、大日様が姉さんの顔になったんだよ。ほんとに、何かおらへいったような顔をしたよ」
「……ふうむ」
 権之助は、もう否定できなかった。そして、いつまでも金堂の縁から離れがたいここちがした。
 ふところ谷は日暮れが早い。峠のかげにもう陽は沈み、多宝塔の屋根の水煙すいえんだけが、七宝の珠でちりばめたように、燦々きらきらと夕陽の端をうけている。
「ああ。死んだ母へ、及ばぬ回向えこうだが、きょうは生きてる身にも、善根のよい一日を送ったなあ。……血臭い世間は嘘のようだ」
 薄暮はくぼのあいろに向って、二人はなお、そこの縁に腰かけていた。


 どこかでサラサラと落葉を掃くような音がする。権之助が、
「おや」
 と、右の崖を仰ぐと、崖の中腹に、室町風の古雅な観月亭とびょうがあって、狭い石ころ道はこけむして見え、その辺を縫ってなお、幽翠ゆうすいな山の上へつづいている。
 ひとりは上品なあまとも見える年とった婦人。
 またひとりは、肉づき豊かな五十がらみの人物で、つつましき木綿着物に、袖無そでなし羽織を着、小桜の革足袋かわたびに新しい藁草履わらぞうりをはき、鮫柄さめづかの小脇差を一つ横たえて、武士とも町人ともみえず、ただ何処やらゆかしげな風格のある人が、竹箒たけぼうきを持って――ふと、腰をのばして立っている。
 老尼のほうは、白練しろねりの絹の頭巾をかぶり、これも竹箒を手にして、
「……ほ。少しはきれいになったかのう」
 と、掃いて来た山道や崖の其処此処そこここを見まわしているらしい。
 そこらは滅多に人も踏み入らなければ、かまう者もないとみえ、冬中の雪折れやら朽葉やらまた、鳥の空骸むくろやらが、農家の堆肥つみごえのように春とも見えず腐り積っているのであった。
「お母さん、だいぶおくたびれでしょう。陽が暮れましたし、あとは私がやりますから、もうお休みなされませ」
 肥えた人のほうがいう。
 老尼は、五十にも近いその者の母とみえるが、息子のことばをかえって笑って、
「わしは家にいても、働きつけておるせいか、つかれもせぬが、そなたこそ肥えてはいやるし、このようなことはしつけぬゆえ、土に手が荒れたであろう」
「はい。仰っしゃる通り、一日箒を持っていたので、まめができました」
「ホ、ホ、ホ、ホ。……よい土産みやげのう」
「けれどお蔭で、きょう一日は、何ともいえぬ清々すがすがしい心で送りました。私たち母子おやこの貧しい御奉仕も、天地の御心にかなったしるしでございましょう」
「いずれ、こよいももう一夜、御本房に泊めていただくのじゃから、後はあしたにして、そろそろ戻りましょうかの」
「暗くなりかけました。足もとをお気をつけなさいまし……」
 いいつつ、息子は、母の尼の手をとって、観月亭の小道から、権之助と伊織のやすんでいる金堂の横へ降りて来た。
 人もなしと思っていた黄昏たそがれの金堂の縁に、ふと、人影が起ったので、老尼もその息子も、
「……誰?」
 と、驚いたように、立ちどまったが――老尼はすぐ眼元にやさしい笑みをたたえ、
「御参籠でございますかの。今日も一日、よいお日でございましたの」
 と、旅の者と見て、行きずりの挨拶をした。
 権之助も、辞儀して、
「はい。母の供養にともうでましたが、あまり静かな夕暮なので、何か、空虚うつろになっておりました」
「それはそれは御孝心な」
 と、いいながら老尼は、伊織のすがたへ眼を移して、
「よいンち……弟御かの」
 と、つむりを撫でて息子のほうを振顧って、
光悦こうえつ、山で喰べた麦菓子が、まだ、そなたのたもとに、すこし残っていたであろ。この子にやって下さらぬか」
 と、いった。

古今逍遥ここんしょうよう



 光悦とよばれた老尼の息子は、紙につつんだ菓子を、袂から取出して、伊織に持たせ、
「残り物で失礼だが、よかったら喰べておくれ」
 と、いった。
 伊織は、に乗せたまま、どうしていいか、分からない顔つきで、
「おじさん、これ、貰っといてもいいの」
 権之助にたずねた。
「いただいておけ」
 と、権之助が、伊織にかわって、礼をのべると、老尼はまた、
「おことばの様子では、御兄弟でもないようじゃの。関東のお方らしいが、旅の道を、どこまでお越しなされるのか」
「果てない道を、果てなく旅しておりまする。お察しの通り、ふたりは肉親ではござりませぬが、剣の道においては、年はちがいまするが兄弟弟子でしの仲でござります」
「剣をお習いなされますか」
「はい」
「それは一方ひとかたならぬ御修行。師のお方は、どなたかの」
「宮本武蔵と仰っしゃいます」
「え。……武蔵どの?」
「ご存じですか」
 答えを忘れて、老尼は、
「ほう……」
 と、ただ眼をみはり、何か思い出の中にいる様子、武蔵と知らぬ仲の人とは思われなかった。
 するとこの老尼の息子も、なつかしい人の名でも聞いたかのように寄り添って来て、
「武蔵どのは今、どこにおられますな。その後のご様子は……」
 などと、いろいろ訊ねだし、権之助がそれについて、知る限りの消息を話して聞かせると、いちいち母なる老尼と顔を見あわせて、うなずくのであった。
 そこで、権之助から今度は、
「――して、貴方様は」
 と、訊ねると、
「申しおくれました」
 と詫びて、
「わたくしは京の本阿弥ほんあみの辻に住む光悦という者。また、これは母の妙秀みょうしゅうでして、武蔵どのとは六、七年前に、ふとお親しくしていただいたこともあり、何かにつけ、日頃、おうわさ申し上げているものですから」
 と光悦は、その頃の思い出ばなし二つ三ついつまんで話した。
 光悦の名は、く、刀の上において権之助も知っている。また、武蔵との交渉は、その武蔵から草庵の炉べりで聞いたこともある。思いがけぬ所で、思いがけぬ人に会うものかな。――と権之助も驚いた。
 その驚きのうちには、京都でも然るべき家がらの母堂といわれる妙秀尼やまた、本阿弥光悦ともある人の母子おやこが、なんでこの山里の人もわぬ伽藍がらんなどに来て、しかも寺の雑人ぞうにんすら怠っている山の朽葉などを、竹箒たけぼうきを持って、こんな暗くなるまで掃除しているのだろうか?
 その不審も、無意識のなかに、手伝っていたにちがいない。
 ――いつかおぼろな月が、多宝塔の水煙のあたりにさし昇っていた。行きずりの人でも人恋しい夜頃ではあるし、権之助は、去りてな心地になって、
「おふた方には、この上の山や崖道を、終日ひねもす、お掃除なされていた御様子。どなたか、御縁をひくお方のでもあるのですか。それとも御遊山のつれづれにでも……?」
 と、訊ねてみた。


「なんの。なんの」
 光悦はこうべを振っていう。
「このおごそかな聖地で、気まぐれなどと、勿体もったいない」
 相手の権之助が、何も知らずにいったにせよ、その曲解を甚だおそれるもののように、彼は、徒然つれづれの腹ごなしにほうきなど持っていたのではないことを弁明に努めて、
「あなたは、この金剛寺へは、初めてのおもうでか。そしてこの御山みやまの歴史について、山僧から何もまだお聞きになっていないのか」
 権之助は、ありのまま、
 ――然り。
 そんなことの無智は、べつに武辺者の自己の恥辱とも考えず答えると、光悦は、
「では、烏滸おこな沙汰ですが、私が山僧にかわって聞きかじりの請売うけうりを少しご案内いたしましょうか」
 と、四辺あたりを見まわし、
「よいあんばいに、おぼろつきがさし昇って来ましたから、ここに立ったままでも絵図をさすように、この上の院のお墓、御影堂みえいどう、観月亭。――また彼方の求聞持堂ぐもんじどう護摩堂ごまどう、大師堂、食堂じきどう丹生高野にうこうや神社、宝塔、楼門など、ほぼ一望にすることができましょう」
 ひとわたり指をさして、光悦も共に、寂土のおぼろひたり入ったていで説くのであった。
 ――御覧ごろうぜよ。あの松あの石。一木一草といえど皆、どこかにこの国の民くさと等しく、不屈な志操と伝統の優雅を姿にもち、また何かを訪う人に語らんとしているではありませんか。光悦は、草木の精に成り代って、草木がいわんとすることを述懐じゅっかいしてみたいと思うのでございます。
 それは。
 元弘、建武の頃から正平年間にわたる長い乱世にかけてこの御山みやまが、時には、大塔宮護良だいとうのみやもりなが親王の戦勝祈願をこめらるる大炉たいろとなり帷幕いばくの密議所となり、また時には、楠正成たちの忠誠が守るところとなるかと思えば、京六波羅ろくはらの賊軍が、大挙して攻めせる目標となったり、下って足利氏あしかがしが世を暴奪ぼうだつなし終った乱麻らんまの時代となってはしのび上げるも畏れ多いことながら、後村上天皇は、男山御脱出以来、軍馬の間を彼方此方あちこち御輦みくるま漂泊さすらいを経られて、やがてこの金剛寺を行宮あんぐうに年久しく、山僧の生活も同様な御不自由をしのんでおで遊ばした。
 なお。それより前には。
 この御山には、光厳こうごん光明こうみょう崇光すこうの三上皇も、御幸みゆきしていらせられたので、一山には、守護の武士たちや、公卿くげたちも、おびただしい数にのぼり、賊軍の襲来に備える兵馬兵糧のしろはもとよりのこと、永い年月のうちには、供御くごかしぎに奉る朝夕のものにも事欠いて、当時の様をのあたりに見た禅恵ぜんえ法印のしるしたものを見れば、
坊舎ボウシャ山房皆切払イ
損亡申スバカリ無シ
 と、嘆いております。
 しかもその間、主上には寺の食堂じきどうを政庁にてられ、寒日も火なく、炎日もおいこいなく、政務をおとり遊ばしていたとやら。
 光悦は、そこでふと、声をのんで、
「この辺り、あの食堂といい、摩尼院まにいんと申し、皆そうした御遺跡でないものはございません。この上にある、院のお墓というのも、光厳院こうごんいん法皇の御分骨をおさだめしてある霊地といい伝えておりますが、足利の世このかた、御垣みかきは仆れ、朽葉にうずもれ、あまりに荒れはてておりますので――今日はふと、朝から母といいあわせて、院のお墓のあたりからそここことなく、お掃除をさせて戴いていたわけなのです。――もっとも、それも徒然つれづれであろうといわれれば、それまでのことですが」
 と、みを含んでいった。


 われ知らず権之助は、身のちぢまる思いをこうむり、えりを正して聞き入っていた。いや、彼よりも、伊織はもっともっと厳粛なものにひきめられた顔して――語る人光悦のおもてからわき目もふらない。
「――ですから北条氏から足利氏への長い長い乱世のあいだ、あの石、そこらの草木までみな、一系の皇統を護るため戦った物でしょう。石は、護国のとりでとなり、木々は、天皇の供御くごの薪となり、草は兵のふすまとなって」
 光悦もまた、真摯しんしに聞いてくれる語り相手を見出して、鬱懐うっかいの至情を吐きつくすように――去るに忍びない面持おももちで夜空と寂土の万象を四顧しながら、
「――多分、その頃、賊軍と戦って、ここで草の根を喰べながら立てこもっていた御親兵の一人か、或は、降魔ごうまの剣をって兵の中に働いていた僧兵のひとりかも知れません。……というのは、きょう私たち母子おやこが、院のお墓のあたりから山道を掃除して参りますと、とある藪中やぶなかの石に、誰が刻んだか、こんな歌が彫ってあったのがふと見出されたのです。……
百年ももとせいくさもなさん春は来ぬ
   世の民くさよ歌ごころあれ
 と、いうのです。――これを見て私はなお胸を打たれました。何十年といういくさの中の春秋に、何というゆとりでしょうか。強い護国の信念でしょうか。七たび生れてこの国を護らんと仰っしゃった大楠公の御心みこころは、名もない一兵にまでとおっていたものとみえまする。また、この優雅と、心のひろさがあったので、遂に、百年のいくさを経ても、ここの堂塔は今もなお、皇土のうえに厳然と在るのでございます。有難いことではございませんか」
 と、いいむすぶ。権之助は、ほっと、息づきをし直しながら、
「いや、ここの御山みやまが、そういう尊い戦のあととは、はじめて承知しました。知らぬことといいながら、先ほどは、卒爾そつじなおたずねを致しおゆるし下さい」
「いいや、もう……」
 光悦は手をふって、
「実をいえば、手前こそ人恋しくいたところで、きょうもきのうも胸にうっしていたものを、誰かに語りたくてならなかった折なのです」
「また、つまらぬお訊ねをして、お笑いを受けるかも知れませぬが、光悦どのには、もうこの寺に永くご逗留でございますか」
「されば、今度は、七日ばかりになりまする」
「やはり御信仰で」
「いえ、母がこのあたりの旅が好きなのと、自分もこの寺に参ると、奈良、鎌倉以後の、やら仏像やら漆器しっきやら、いろいろ名匠の作品を見せていただけるので……」
 おぼろな地に影をいて――光悦と妙秀尼、権之助と伊織、ふた組になって、いつか金堂から食堂のほうへ歩いていた。
「――ですが明日あしたの朝はもう立とうと存じます。武蔵どのにお会いになったら、どうぞまいちど、京の本阿弥ほんあみの辻へ立ち寄ってくださるようお伝えおきを」
「承知いたしました。では、ごきげんよう」
「オ。おやすみ……」
 山門の陰の月ささぬ闇を境にわかれて、光悦と妙秀尼は坊舎の方へ。――権之助は伊織と共に、山門の外へ出た。
 土塀の外は、自然のほりめぐらしたような渓流であった。そこの土橋へかかるや否、何か白いものが、物陰からさっと権之助のうしろへ襲いかかり――伊織はあッという間もあらず、土橋の外へ足を踏みはずしていた。


 ――ざんぶ!
 飛沫しぶきのなかに、伊織ははね起きていた。流れははやいが、水は浅い。
(何だろ?)
 咄嗟とっさなのだ。どうして墜ちたのか、自分でもわからない。
 だが、土橋の上を仰ぐと、そこから自分をほうり飛ばした勢いのものが、何ものをもまじえず、真空の一圏内けんないを作って対峙たいじしていた。
 その一方は、権之助へふいに襲いかかった白いものだ。伊織がはね飛ばされて落ちたせつな――白いものと見えたのは、彼の白衣びゃくえであった。
「あっ、山伏?」
 伊織は、さてこそ、来るものが遂に来たなと思った。何のゆえか、おとといから自分たちをけていたあの山伏なのだ。
 山伏のじょう
 権之助も手馴れの杖。
 ふいに打ってかかったが、権之助がさはさせじと、とたんに身の位置を変えたため、山伏は土橋をはさんで往来側の口に立ちふさがり、権之助は山門を背なかにして、
「何者っ?」
 と、一かつを発し、
「人ちがいすなっ」
 と、声するどく、たしなめていた。
「…………」
 山伏は何もいわない。人ちがいなどするかといったていである。背にはおいを負い、軽捷けいしょうを欠いた扮装いでたちに見えるが、踏んまえている足は木が生えているようにたしかである。
 この敵、ただ者に非ず――と見ながら権之助は、満身を気にふくらませて、杖をうしろにしごきながらもう一度、
「だれだっ。卑怯だっ。名を申せ。さもなくば、この夢想権之助へ、何の意趣で打ってかかるか、理由をいえ」
「…………」
 山伏は、耳がないように、ただまなこだけにらんらんと、人をほうむるような炎をたいている。金剛わらんじの足の指が、百足むかでの背みたいに、一しゅく一縮地をにじり詰めてくる。
「うぬ。もはや」
 これは権之助が丹田で堪忍をやぶったうめきである。――彼の丸ッこい五体は、闘志に節くれだって、詰めよる山伏に対して、彼のほうからもりつめて行った。
 ――がつッと、物音が発したとたん、山伏の杖は、彼の杖のために、真二つに折られて、宙へすっ飛んでいた。
 だが山伏は、手に残った杖の半分を、権之助の面部へ向ってすばやく投げつけ、権之助が、顔をふと交わした一瞬、腰の戒刀かいとうを抜いて飛燕のように躍りかからんとするかに見えた。
 その時、その山伏が、
「あっ」
 といったのと、伊織が渓流の瀬で、畜生っとさけんだのと、同時であって、山伏の足は五、六歩ほどそのまま、だだだだと土橋を往来のほうへ踏み退いた。
 伊織の投げた石つぶてが、山伏の面部へ、したたかにあたったのである。悪くすれば左の眼であったかもしれない。とにかく山伏としては、思わざる方角から、致命的な傷手をうけたため、しまったと思ったに違いない。崩れた体勢をそのまま一転、足を変えるが早いか、寺の土塀と渓流のながれに沿って下町のほうへ征矢そやのごとく逃げ去ってしまった。
 岸へ跳び上がった伊織は、
「待て」
 と、手の中に、まだ石を握っていて、追いかけそうにしたが、権之助に止められて、
「ざま、見ろ」
 と、その石を、もう人影のないおぼろへ向って遠く投げた。


 杜氏とうじ屋敷の藤六の家へもどってから、程なく、二人は寝どこへはいったが、さて二人とも、なかなか眠れない。
 ぐわうぐわうと、峰の夜あらしが、むねめぐって、けるほど耳につくせいばかりでもない。
 眠りとうつつの境で、権之助は、光悦の言葉を脳裡にくりかえし、建武、正平のむかしを思い、また、現在の世へ思い到って、
(応仁の乱れから、室町幕府のくずれ、信長の統業、秀吉の出現と時勢は移り、――そしてその秀吉の亡い今は、関東大坂のふたつが、次の覇権をめぐって、あしたも知れぬ風雲をはらんでいるが――おもえば、世の中は、建武、正平のむかしと、どれほどな相違があろう)
 そう考えるのだった。
(北条、足利の徒が、国家の大本をかきみだした最もむべき時代には、半面にまた、楠氏一族のような、また諸国の尊王武族のような、真の日本武士やまともののふがあらわれたが――今は――今の武門は――また武士道は?)
 これでいいのか。
 民心は、天下の司権が、信長、秀吉、家康とあわただしく、争奪されるのをながめているまに、まことの主上のわすをすら、いつか思わぬようになり、民の帰一というものが、総じて、はぐれているような。
 武士道も、町人道も、百姓道も――すべてが武家の覇権のためにあって、天皇のおおみたからである臣民の本分を、見失って来ているような。
 気がつくと、彼は、
(社会は賑わしくなり、個々の生活は活溌になって来たろうが、この国の根本のものは、建武、正平の頃から、大してよくなって来てはいないのだ。大楠公の奉じた武士の道――抱いたであろう理想とは、まだまだ遠い世の中なのだ)
 と、夜具の中に、横たえている身も熱くなり、河内かわちの峰々や、金剛寺の草木が、夜半よわを吠えたけぶも、何やら、心あるもののように夢へ聞えてくるのだった。
 ――伊織は伊織でまた、
(何だろ、さっきの山伏は?)
 と、あの白い幻像が、まぶたから消えないらしい。
 そして、明日の旅が、何だかしきりと気づかわれ、
こわいなあ)
 と、つぶやいて、峰のあらしに蒲団ふとんの襟をひきかぶった。
 そのため、夢に大日様のお微笑ほほえみも見ず、尋ねる姉の面影もあらわれず――朝もぱちりとはやく眼がさめてしまった。
 おあんさんと、藤六は、二人が今朝早く立つとのことに、暗いうちから朝めしや弁当の支度などしておいてくれて、いよいよ此家ここの門から立つとなると、
「喰べながらお歩き」
 と、伊織へ、酒のかすの焼いたのを、紙につつんでべつにくれた。
「お世話になりました。御縁もあらばまた――」
 立ちでると、峰には虹いろの朝雲がうごきかけ、天野川の流れからは、湯気のような水蒸気が立っていた。
 その朝靄あさもやをついて、ぴょいと、そこらの家から飛び出して来たひとりの身軽な旅商人たびあきんどは、権之助と伊織のうしろから、
「よう。お早いお立ちで」
 と、元気よく、いかにも朝らしい声で、ことばをかけた。

ひも



 見も知らぬ男なので、権之助は、よい程にあいさつを返したのみ。伊織も、ゆうべのことがあるので、無言を守って歩いていると、
「お客さまは昨夜ゆうべ、藤六どんの所へお泊りでございましたな。藤六どんには、てまえも長年、お世話になっておりますよ。ご夫婦ともまことによくできたお人で」
 などと旅商人の男は、もう連れになった気で、いよいよ馴々なれなれしくなる。
 それもよい加減に聞きながしていると、また、
「木村助九郎さまにも、ごひいきになりまして、柳生のお城へも、時折には、御用を伺いに出たりいたしますが」
 と、しきりに話の糸をひく。
「――女人高野の金剛寺へおまいりになりました上は、ぜひ紀州高野山のほうへもお登りでございましょうが、もう山道の雪はございませんし、道の雪崩なだれもすっかり直っておりますから、お登りには今がよい季節。きょうは天見あまみ紀伊見きいみなどの峠をゆるゆる越えて、こん夜は橋本か学文路かむろでゆっくりお休みになるとちょうどよい頃合で――」
 いうことがいちいち、余りこちらの消息に通じ過ぎているので、権之助は不審に思って、
「おぬし、何屋じゃな」
「てまえは、打紐うちひもの売子でございます。この荷の中に――」
 と、背に負っている小さい包みに首を曲げ、
組紐くみひもの見本を持ちまして、近国遠国を注文を取って歩いておりますもので」
「ははあ、紐屋か」
「藤六どんの手づるで、金剛寺のお檀家だんかなども、たくさんお世話していただきましてな。きのうも実は、例に依って、藤六どんの家へ泊めて貰うつもりでお寄りしました所が――こん夜はよんどころないお客が二人あるから、御近所の家で厄介になってくれと申され、同じ杜氏とうじ長屋の一軒で寝かして貰いましたわけで。……いえいえべつに貴方方あなたがたのせいじゃございませんが、藤六どんとこへ泊ると、いつもよい酒をのませて貰えるので、寝るより実は、それが楽しみなんで……。はははは」
 そう聞いてみれば、べつに不審に思う筋はない。権之助はむしろこの男が、附近の地理や風俗にくわしいのを幸いに、後学のため耳袋みみぶくろを養っておこうとするらしく、歩きながらの道々を、なにかと訊ねたり探ってみたり、いつか相手になっている。
 すると天見の高原にかかって、紀伊見の峠から高野大峰のすがたが正面に見えてきた頃である。――おおウい、と後ろのほうから呼ばわる者がある。振り顧ると、連れの紐売りと同じような恰好をした旅商人の者がまたひとり、駈けて来て、
「杉蔵。ひどいじゃないか」
 追いついて来るなり、息をいていう。
「――今朝立つ時誘ってくれるというで、天野村の口で待っていたに、何で黙って行っちまうだ」
「アア源助か。……いや、すまないすまない。藤六どんとこのお客と連れになったもんで、うっかり声をかけるの忘れちもうた。ははは」
 と、頭を掻いて、
「あまり旦那と、話がもててしまったもんで――」
 と、権之助の顔を見て、また笑った。
 やはり打紐うちひもの売子仲間とみえ、その男と、旅先の売上だの、糸の相場のことなど、頻りと喋舌しゃべり合っていたが、そのうちに、
「ア。あぶねえ」
 と、二人とも立ち止まった。
 太古の大地震で割れたあとのような断層のに、無造作な丸木が二本渡してあった。


「どうしたのか?」
 と、二人の後ろへ寄って、権之助もそこに立つ。
 旅商人の杉蔵と源助は、
「旦那、ちょっとお待ちなさいまし。ここの丸木橋が壊れていて、ぐらつきますで」
「崖崩れか」
「それ程でもありませんが、雪解ゆきげに石ころが落ち込んだまま、直してもないのでさ。往来人のため、ちょっと、動かないようにしますから、少し休んでいてください」
 と、ふたりは早速、断層の崖ぎわへ身をかがめ、架け渡してある二本の朽木橋くちきばしの土台へ、石を噛ませたり、土を築いたりしている様子。
 ――奇特な心がけよ。
 と、権之助は心のうちで感じていた。およそ旅の困苦は、常に旅をしている者ほど分っている筈だが、その旅馴れている者ほど、他の旅人の困苦などはかえりみもせぬのが多い。
「おじさん達、もっと石ころを持って来てやろうか」
 と、伊織も、二人の善行に手伝いを申し出て、せっせと、そこらの石など抱えて来たりしている。
 断層の谷は、かなり深い。のぞいてみると二丈の余もありそうだ。高原なので、水は流れていないで、岩石や灌木かんぼくで底は埋まっている。
 そのうちに、
「よさそうだ」
 と、旅商人の源助は、朽木橋の端にのって、足踏みして試みている。そして権之助へ、
「――ではお先に」
 といい残し、ひょいひょいと身振りしながら、体の中心を取って向うへ素早く渡って見せた。
「さ。どうぞ」
 残った杉蔵にうながされて、次に権之助が歩み、その腰について、伊織も渡って行った。
 そして――朽木橋のうえ足数にして――三歩か五歩も出たかと思うと、ちょうど断層の谷の真上のあたりで、
「あッ?」
「きゃっ!」
 と伊織と権之助は突然、絶叫して、お互いの身を抱きあいながら立ちすくんでしまった。
 ――何となれば、先に渡って行った源助は、かねて備えておいたものらしく、そこの草叢くさむらのうちから一本の槍を取り出し、それを持ったと思うと、何げなく越えて来た権之助の方へ向けて、ぴたと白い穂先を突きつけていたのである。
 ――さては野盗か。
 と、とむねをたれて、振りかえると、後になった杉蔵も、いつのまにどこから持ち出したか、同様に素槍を持って、伊織と権之助の背後をおどかしているのだった。
「しまった!」
 さしもの権之助もいの唇を噛みしめて、刹那の当惑に、髪の毛をもそそけだてた顔色だった。
 前にも槍。
 うしろにも槍。
 二本の朽木は、からくもおどろきにおののく身を、断層の宙に支えているに過ぎない。
「おじさん! おじさん!」
 無理もないが、伊織は絶叫をしつづけて、権之助の腰につかまっている。権之助はその伊織をかばいながら、瞬間、眼をとじて、一命を天意にまかせてしまい、さて、いった。
鼠賊そぞくども! はかったなっ」
 すると何処かで――
「だまれっ、旅の者」
 と、太い声でいった者がある。それは彼をはさんで槍を向けている源助でも杉蔵でもなかった。
「……やっ?」
 権之助がふと仰ぐと、向いの崖の上に、左の眼の上にれ上がった青痣あおあざのある山伏の顔が見えた。その痣は、ゆうべ金剛寺の渓川たにがわから、伊織の投げた石つぶてを、直ぐ二人に思い起させた。


あわてるでない」
 伊織へそういって、その優しさとは、別人のように、権之助は、
「くそっ!」
 すさまじい敵意を吐いて、橋の左右へ、ぎらぎら眼をくばりながら、
「さては、昨夜の山伏の詭計きけいだったか。浅ましくもまた、卑劣な賊めら。人を見損のうて、可惜あたら一命をむだにするな」
 ――彼と伊織を、左右から挟んでいる槍の持手は、その穂に気をこめて、狙いすましたまま、あぶない朽木橋くちきばしの上へは、一歩も出て来ないし、先刻さっきから口もきかないのである。
 絶体絶命、身うごきのつかない谷間の空の朽木橋に置かれた権之助が、怒髪天をいて、死地から叫ぶすがたを、山伏は一方の崖から冷ややかに眺めて、
「賊とは何」
 と、するどくとがめた。
「程の知れた汝らの路銀などに目をくるる徒輩とはいと思うか。さような浅い眼では、敵地へ隠密に来る資格はないぞ」
「なにっ、隠密だと」
「関東者っ」
 山伏は、大喝だいかつして、
「谷へ、その棒を捨てろ。次に腰の大小を捨てろ。そして両手を後ろへまわし、おとなしく縄目にかかってわれわれの住居までついて来い」
「――ああ」
 権之助は大きな息をついて、とたんに闘志の大半を失ったように、
「待て、待てっ。今の一言で初めて解けた。――何かの間違い事だろう。わしは関東から来た者に相違ないが、決して、隠密などではない。夢想流の一杖を一道として、諸国を修行しあるく夢想権之助という者」
「いうな、くどくどとそんないい抜け。どこに、自分は隠密なりと名のって歩く隠密があろうか」
「いや、まったく」
「耳はさん。このになって」
「では、あくまでも」
「ひッくくった上で、くことは訊く」
「益もない殺生したくない。もう一言申せ。何でわしが隠密か、その理由を」
「怪しげなる男、童子一名つれて、江戸城の軍学家北条安房あわの密命をうけて上方へ潜行す――と、関東の味方の者から通牒つうちょうのあったことだ。しかもここへ来る前、柳生兵庫ひょうごや家臣の者とも、忍びやかにしめし合せて来たことまで見届けてある」
「すべて、根から間違いだ」
有無うむはいわさん。行く先へ行ってから、いくらでも申せ」
「打く先とは?」
「行けばわかる」
「わしの意志だ。行かなかったら……?」
 ――すると。
 橋の左右をふさいでいた旅商人たびあきんどの杉蔵、源助と称するふたりが、槍の穂先へ、キラとを吸って、
「突き殺すまでだっ」
 と、にじり寄った。
「何を」
 いうとすぐ、権之助は、側へかかえよせていた伊織の背なかを、平手でどんと突いた。わずかにやっと、足を乗せて渡れるだけの幅しかない二本の丸木から、伊織は身をのめらしたので、
「――アッ」
 声もろとも、二丈の余もある断層の底へ、自分から飛んだように、墜ちて行った。
 咄嗟とっさに、また、
「わうっ」
 吠えた権之助は、かざし上げた杖から風を起して、一方の槍へ、われとわが五体を、たたきつけるように、飛びかかって行った。


 槍が槍の働きを十分に示すには、秒間の時と、尺地の距離とがる。
 構えてはいたが――
 また、せつなを外さず、繰手くりてを伸ばしはしたが。
「しえっッ――」
 と、のどでわめいたのみで、完全に、杉蔵は空を突いてしまった。そして途端に、体ぐるみ自分へぶつかって来た権之助と、折り重なったまま、
 ――どさっ
 と崖へ尻もちついた。
 転がり合ったせつな、権之助の杖は左手にあった。杉蔵が跳ね起きようとする時、彼の右手の拳は、杉蔵の顔の真ん中を、一撃で突きへこました。
 ぐわっ
 面部のどこからか血をふいて、歯ぐきをいて見せた顔は、実際、へこんだように見えた。権之助は、その顔を踏みつけ、一跳躍して、高原の平地へ立った。
 そして、髪を逆立てて、
「来いっ」
 と、杖を、次の者へ備えたが、死者の運命を打開したと思ったその瞬間こそ、実は、彼を待っていたほんとの死地だったのであった。
 そこらの草むらから二筋三筋――ひゅっと、さなだ虫のようなひもが、草を撫でて飛んで来たのである。一筋の紐の先には、刀のつばいつけてあった。また一筋の紐には、さやぐるみの脇差がしばりつけてあった。分銅の代りに用いたのであろう。勢いよく走って来たそれは、権之助の足元だの、首のあたりへからみついた。
 仲間の杉蔵が不覚を取ったと見て、すぐ断層の橋を渡って来た源助と山伏のほうへ向けて、咄嗟に構えていた杖とその手元へも、一筋、くるくるっと、つるのように巻きついた。
「あッ」
 蜘蛛くもの糸から脱れようとする昆虫のように、権之助の全身は、本能的に暴れたが、わらっと寄りたかって来た五、六名の人間は、完全に彼のもがく姿を、おおい隠してしまった。
 手取り足取りである。――その人々が彼の体から離れて、
「さすがに手強てごわい」
 と、ひと汗、拭き合った時には、もう、権之助はまりのようにくくられて、どうでもしろというように大地にまかせられていた。
 その両手と胴とを幾重にも巻いたいましめのひもは、この近郷で――いや近頃はかなり遠国まで知れて来た丈夫な木綿の平打紐ひらうちひもで、九度山くどやま紐とも、真田さなだ紐ともよばれ、製品の販路を拡げて歩く売子も、何処へ行っても見かけるほど手びろく売り出されている紐だった。
 今、草むらから不意に起って、権之助を陥穽かんせいに落して顔見あわせている、六、七名も、すべてその紐売りの旅商人拵たびあきんどごしらえの者ばかりで、ただひとり山伏扮装いでたちの男のみが、違っているだけだった。
「馬はないか、馬は」
 山伏はすぐこう気を配って、
「九度山まで、引っ立てて歩くのも、途中がわずらわしい。馬の背にくくりつけて、むしろでも引っかぶせて行くとしては?」
 とはかると、
「それがいい」
「この先の天見村まで行けば」
 と、一同異議なく、権之助を追い立て追い立て、真っ黒にかたまって、雲と草の彼方へ、急いで行ってしまった。
 ――だがその後。
 地の底から、冷たい風のふき上がるたびに人の声が、この高原の空をながれていた。断層の谷へ墜ちこんだ伊織のさけびであることはいうまでもない。

春・雨を帯ぶ



 鳥のく音も、啼くところ聴くところによってちがう。また、人の心によってもちがう。
 高野こうやの奥の高野杉には、天上の鳥という頻伽びんがの声が、澄みぬいている。ここでは、下界でいうもずも、ひよどりも、あらゆる雑鳥も一様に迦陵頻伽かりょうびんがのさえずりであった。
縫殿介ぬいのすけ
「はあ」
「……無常だなあ」
 迷悟の橋とかいうり橋の上にたたずんで、老武士は、供の縫殿介という若党を顧みた。
 どこの田舎の武士ざむらい。――一応はそうとしか見えない手織木綿のごつい羽織に野袴のばかまという旅拵たびごしらえ。――けれど大小が図ぬけていい。立派な差料さしりょうである。それから供人の縫殿介なる若党の骨がらもよく、いわゆる雑人ぞうにんずれのした渡り奉公人とはちがって、子飼こがいからのしつけがみえる。
「――見たか。織田信長公のお墓、明智光秀どののお墓、また石田三成どのや、金吾中納言きんごちゅうなごこん様や、こけむした古い石には、源家の人々から平家のともがらまで。……ああ数知れぬ苔の人間が」
「ここでは、敵も味方もございませぬな」
「一様に皆、じゃくたる一つの石でしかない。さしもの上杉、武田の名も夢のような」
「変な気がいたしまする」
「どういう心地がするの?」
「何だか、世間のことがすべて、ありえない嘘のような」
「ここが嘘か。世間が嘘か」
「わかりません」
「誰がつけたか、奥の院と外院げいんとの、ここの境を、迷悟の橋とは」
「うまくつけましたな」
「迷いも実。悟りも真。わしはそう思う。嘘とたら、この世はないからな。――いや御主君に一命をさし上げている侍奉公の身には、かりそめにも虚無観があってはなるまい。わしのぜんは、ゆえに、活禅かつぜんだ。娑婆しゃば禅だ、地獄禅だ。無常におののき、世をいとう心があって、侍の奉公が成ろうか」
 といって、老武士は、
「わしはこっちへ渡る――さあ、元の世間へ急ごうぞ」
 足を早めて先に立つ。
 年のわりに足がたしかである。えりくびにかぶとしころずれらしいあともみえる。山上の名所や堂塔の美もすでに一巡し、奥の院の参詣もすまし終ったものとみえ、その足どりはもう真っ直に下山口げざんぐちへかかる。
「よう、出ておるな」
 下山口の大門まで来ると、老武士は遠くからつぶやいて、ふと迷惑そうな眉をひそめた。そこには、本山青巌寺せいがんじ房頭ぼうとうから学寮の若僧たちが二十名以上も、列を左右に割って、待ちうけていた。
 老武士の見送りにである。老武士はそんな手数をわずらわすことを避けるために、すでに今朝立つ時、金剛峰寺こんごうぶじで一同にわかれの辞を尽して出たのであるから、重ねてまた、ここで大勢の見送りをうけたことは、好意には感謝しても、かえって微行しのびの身には、有難迷惑と思ったにちがいなかった。
 ――が、そこの儀礼やあいさつの取りりも済まして、九十九谷という谷間谷間を眼の下に、降り道を急いで来ると、やっと、気もらくになりまた、彼のいわゆる娑婆禅や地獄禅も必要とする――下界のにおいや、その身自身の人間くさい心のあかも、心にいつか戻っていた。
「あっ。あなた様は?」
 とある山道の曲りかど。
 出あいがしらに、体つきの大きな色の白い――といって美少年では決してないが――いやしくない若侍が眼をみはって立ちどまった。


 や、あなた様は?
 と声をかけられて、老武士と若党の縫殿介ぬいのすけも、はっと足をとめ、
「どなたでござるか」
 たずねると、
「九度山の父から申しつかって、使いに参りました者にござりますが」
 と、その若侍は、いんぎんに礼儀をした後、
「もし、間違いましたら、おゆるし下さいまし。みちで失礼にございますが、尊台はもしや、豊前ぶぜん小倉よりお越しの、細川忠利ただとし公の老臣長岡佐渡様ではござりますまいか」
「え。わしを佐渡と――」
 老武士は、さもおどろいたらしく、
「かような所で、ご存じの其許そこもとは、いったい誰じゃ。――わしはその長岡佐渡にちがいないが」
「ではやはり、佐渡様でございましたか。申しおくれましたが、わたくしは、このふもとの九度山に住居しておる隠士月叟げっそうの一子、大助めにござります」
月叟げっそう。……はて?」
 思い出せない顔すると、大助は佐渡のその眉を仰いで、
「もはや父が、くに捨て去りました名にござりますが、関ヶ原の戦いまでは、真田左衛門佐さなださえもんのすけと名乗りおりました者で」
「やあ?」
 と、愕然がくぜん
「では真田殿――あの幸村ゆきむら殿のことか」
「はい」
「其許は御子息か」
「はい……」
 と、大助は、その逞しい体に似合わず、はじらい顔に、
「けさほど、父の住居すまいへ、ふと立寄りました青巌寺の坊さまのおうわさに、ご登山のよしを知り、ご微行びこうとは伺いましたなれど、他ならぬお方のたまたまなご通過――それに道とてもこのふもとのお通りがかり、何も、おもてなしはござりませぬが柴の門べで、粗茶一ぷく、さし上げたいと父が申しまする。そのためお迎えに参じましたので――」
「ほ。それはそれは」
 と、佐渡は眼を細めて見せたが、供の縫殿介ぬいのすけをふり顧って、
「――せっかくなご好意であるし、どうしたものか」
 と、はかった。
「さようで」
 と、縫殿介も、うかとは答え兼ねていた。大助は重ねて、
「なお、およろしければ、まだちと陽は高うござりますが、一夜お泊りでも下されば、願うてもない仕合せ。父もさだめしよろこぶかと存じますが」
 ――考えこんでいた佐渡は、何やら心をきめたように、われとわが身へうなずいて、
「では、ご厄介に相なろう。泊めていただくか否かは、その時として。――のうぬい、ともあれ、お茶をひとつ」
「はい。お供いたしましょう」
 主従は、それとなく、眼を見あわせて、大助の案内に従って行った。
 ほどなく九度山の里だった。その里の民家からは少し離れて、小高い山の瀬にり、土止めの石垣をたたみあげて柴垣をめぐらした一構えがある。
 ちょうど土豪の山屋敷といったふうな作りだった。しかし、柴垣も門造りも、背が低く、風雅を失っていない。隠士の家と聞けば、なるほどと、どこか床しい閑雅かんががあった。
「門前に、父が出て、お待ちしておりまする。――あの茅屋ぼうおくでございます」
 大助は指さした。そしてそこから客を先に立て、自分は後にいて、わが家の前へ近づいた。


 土塀の囲いのうちには、朝夕の汁へみ入れるほどな菜だとか、ねぎなどの野菜が畑につくってある。
 母屋は、崖を負い、座しきから九度山の民家の屋根や学文路宿かむろじゅくが低い彼方に見える。曲り縁の横は青々と竹林が水のせせらぎを抱き――その竹林の向うにも、住居があるとみえて、二棟ほどな家がいてみえた。
 佐渡は、通されて、閑雅な一室に坐り、供の縫殿介ぬいのすけは、縁の板の間に、端居はしいしてかしこまっていた。
「おしずかだのう」
 佐渡はつぶやいて、室内のくまにまで眼をやった。――あるじの幸村とは、土塀の門をくぐる時もう会っている。
 しかし、案内をうけて、ここに坐ったきりで、挨拶はまだ交わしていない。改めて、客の前に出直して来るのであろう。茶は、息子の大助の嫁らしい婦人が今、しとやかに置いて退がった。
 だいぶ待つ……
 しかし、飽かなかった。
 ここの客間の、何くれとない物すべてが、主の席にない間も、客をなぐさめている。庭ごしの遠い眺め、水の姿は見えないが水のせせらぎ、茅葺かやぶき屋根の廂先ひさしさきから咲いている苔草こけぐさの花。
 また、客の身近には、これとて綺羅きらな調度は何一つないが、さすがに上田城三万八千石の城主真田昌幸まさゆきが次男の果て――そこはかとなくくんじる香木のにおいも民間にない種類の名木らしい。柱は細く、天井は低めに、びたる荒壁の小床には、蕎麦そばの一輪ざしに、梨の花が一枝、投げてあった。
 梨花りか春帯雨はるあめをおぶ
「…………」
 客の佐渡は、白楽天の一句を想い起し、そして長恨歌ちょうごんかにうたわれた楊貴妃ようきひと漢王との恋など、声なき嗚咽おえつを聞く心地がしていたが――ふと、眼はそこに懸けてある一聯の書に、はっと打たれた。
 五字の一行物である。筆太に、濃い墨で、とっぷりと大胆に――が、どこか無邪気で、おさないところをみせ、一気に、
 豊国大明神ほうこくだいみょうじん
 と書きくだしてあるのである。そしてその大字のわきに小さく「秀頼八歳書」としてあった。
 ――道理で。
 佐渡は、それへ背を向けて坐っている身をおそれて、すこし座の位置を横へ移した。名木をきこめてあるのも、客のために今にわかに焚いたのではなく、朝暮ちょうぼに、ここをきよめ、これへ神酒みきを捧げる時のものが、いつかふすまにも壁にもみているのであろう。
「……ははあ、さてはやはり、噂にたがわぬ幸村の心がけよな」
 すぐ佐渡は、そこへ思い当ったのである。九度山の伝心月叟でんしんげっそうこと――真田幸村さなだゆきむらこそは油断のならぬおとこである。あれをこそ、まことの曲者くせものとはいうべきだろう。いつ風雲によって、どう変じるかも知れぬ惑星だ。深淵しんえんりゅうだ。――と世間の噂はなかなかにやかましく、よく耳にすることなのである。
「……その幸村が」
 と、佐渡は、あるじの肚を悟りかねていた。本来、努めて、隠すべきことを、客の目にふれるような所へ、何で懸けておくのだろうか。――ほかになんぞ大徳寺物の墨跡でも懸けておいたらよかりそうなものなのに。
 ――その時、板縁をふんでくる人のけはいに、佐渡はさり気ない眼をそらしていた。さっき門前で、無言のまま出迎えた、体の小兵な、肉づきも痩せ形な人物が、袖無そでなし羽織に、短い前差ひとこしを差して、至極、腰ひくく、
「失礼いたしました。せがれをさし出して、お旅先を心なきお引留め、おゆるしを」
 と、ぶるのであった。


 ここは隠士の閑宅。あるじは牢人。
 元より、社会的の地位は取りのけられている主客の間とはいえ、客の長岡佐渡は、細川藩の家老である。陪臣ばいしんである。
 伝心月叟でんしんげっそうと今は名まで変えたりとはいえ、主の幸村は、真田昌幸が直子ちょくし、その実兄の信幸のぶゆきは、現に、徳川系の諸侯のひとり。
 その幸村が、あまりに腰ひくい挨拶に、佐渡は甚だしく恐縮して、
「お手を。……お手をお上げくだされて」
 と、頻りに辞儀を返し、
「――さてもきょうは、計らざるお目もじ。お噂を耳にするは常々ながら、ご健勝のていを見て、よろこばしゅうござる」
 佐渡がいえば、
「御老台にも、愈※(二の字点、1-2-22)
 と、幸村は、客の恐縮がるままにくつろぎを示して、
「御主人、忠利ただとし公には、おつつがもなく、先頃は江戸表より御帰国とのこと。よそながら祝着のいたりと存じおりました」
「されば、今年はちょうど、忠利様の祖父の君にあたる幽斎ゆうさい公さまが、三条車町の御別邸でおかくれ遊ばしてより三年ののお迎えと相成るので」
「もうそうなりまするか」
「かたがた御帰国。この佐渡も、幽斎公、三斎公、ただ今の忠利公と――三代の君にお仕えもうす骨董物こっとうものとなりおってござる」
 この辺まで、話がくだけて来たところで、主客一緒に、ははははと笑い合って、どうやらお互いに、世事を離れた閑居の主客らしくうちけてくる。迎えに出た大助は初めて知った客であったが、幸村と佐渡とは、きょうが、初対面ではないらしい。四方山よもやまのはなしのうちに、
「近ごろは、和尚にお会いなされますかな。花園の妙心寺の愚堂和尚に」
 幸村が訊くと、
「いや、さっぱり、御不音ごぶいんをつづけておる。……そうそう、幸村どのを初めてお見かけ申したのは愚堂和尚の禅室でござったな。お父上昌幸どのにかしずかれて。――てまえは妙心寺地内の春浦院しゅんぽいん建立こんりゅうの主命で、あのころは絶えず訪れておったもので。……いや、だいぶ以前のことじゃ。あなたもまだ、お若かった」
 と、佐渡の追懐ついかいが、なつかしい思い出として語られるし、幸村も、
「あの頃はよく、暴れ者が、つのめるために、愚堂和尚の室にあつまりましたなあ。和尚もまた、諸侯と牢人、長者と若輩じゃくはいのさべつなく、相手になってくだされた」
「わけて世の牢人と、若い者を愛された。――和尚がよくいったことでおざった。――浮浪の徒は、あれは浪人じゃ。真の牢人とは、心に牢愁ろうしゅうのなやみを抱き、意志の牢固な節操をもった者じゃ。……真の牢人は名利を求めず、けんびず、世に臨んでは、政治まつりごとを私に曲げず、義にのぞんでは私心なく、白雲のごとく身は縹渺ひょうびょう、雨のごとく行動は急、そして貧に自楽することを知って、まとを得ざるも不平を病まずなどと……」
「よう御記憶ですな」
「だが、そうした真の牢人は、蒼海そうかいたまのように少ないともよく嘆かれておった。しかしまた、かつてのふみけみすれば、国難の大事に当って、私心なく、身を救国の捨て草にした無名の牢人は、どれほどあるか知れぬ。じゃに依って、この国の土中には、無数の名なき牢人の白骨が、国柱となっておるが……さて、今の牢人は如何に、などとも仰っしゃった」
 佐渡は、語りながら、幸村の顔を、敢て直視した。だが幸村はその眼を感じないもののように、
「左様。そのおはなしでふと思い出しましたが、あの頃、愚堂和尚の膝下しっかにいたひとりで、作州牢人の宮本なにがしという年少の者がおりましたが、御老台には、御記憶はございませぬか」


「作州牢人の宮本といえば? ……」
 と佐渡は、幸村のたずねを、そのままつぶやき返して、
「武蔵のことじゃないかな」
「そうそう。宮本武蔵。――武蔵と申しました」
「それがどうしたので」
「当時まだ二十歳に満たない年少でしたがどこか重厚な風があり、いつもあか汚れた服装して愚堂和尚の禅室の端に来ておりましたが」
「ほ。あの武蔵がの」
「では、お覚えでございましたかな」
「いや、いや」
 佐渡は、かぶりを振って、
「てまえが心に止めたのは、つい近年で――それも江戸在府中のこと」
「江戸におりますか今は」
「実は、御主命もあって、それとなく尋ねてはおるが、どうも居所が知れぬのでおざる」
「あれは見所がある。あれの禅は物になろうと、愚堂和尚が申されたことがあるので、それとなく、私も見ておりましたが、そのうち忽然こつぜんと去ってから幾年いくとせもなく――一乗寺下り松の試合に、彼の名を、うわさに伝え聞き、やはり和尚のお眼はたしかなものと、思い合せていましたが」
「てまえはまた、そういう武名とはことなって、江戸在府のころ、下総しもうさの法典ヶ原と申す土地で、土民を育成し、荒蕪こうぶの地を開墾しておるめずらしい心がけの牢人があると耳にして、会ってみたいと、探してみたところ、もう土地におらぬ。――それが後で聞けば、宮本武蔵という者と聞き、いまだに心に留めているのでおざる」
「何せい、私の知るうちでは、あのおとこなどが、和尚の申す、真の牢人。いわゆる蒼海の珠だったかもしれませぬ」
主殿あるじどのも、そう思われるか」
「愚堂和尚のお噂に、ふと思い起したのですが、どこか心の隅に残るだけのものはあるおとこでしょう」
「実はその後、手前から主君忠利公に御推挙はしてあるのじゃが、蒼海の珠はなかなか会い難うて」
「武蔵なら、私も、御推挙申してもよいと思いまする」
「――とはいえ、そういう人物となると、仕官の先にも、ただろくばかりでなく、自身の目ざす働きばえに、望みを抱いているにちがいない。――案外、細川家よりの迎えよりも、九度山くどやまからのお迎えを、待っておろうも知れませぬぞ」
「え?」
「ははは」
 佐渡はすぐ笑い消した。
 だが今、不用意のうちに、幸村へいった佐渡のことばは、必ずしも、不用意な言とはいえない。
 悪くいえば主の肚をさぐろうとして鋭鋒の先を、ちらと見せたものと取れる。
「……おたわむれを」
 と、幸村も、笑い顔だけではらしかねて、
「なかなか、若党ひとり、今では召抱えられる身ではなし――何で名だたる牢人衆などを、九度山へ迎え取りましょうぞ。もっとも、先でも来もいたしますまいが」
 言い訳に落ちるとは知りながらも、ついいい足してしまったのである。佐渡は、このしおと、
「いやいや、お包みあるな。関ヶ原の合戦に、細川家は東軍に御加勢、徳川方と旗幟きしはすでに鮮明でおざるし――また、其許そこもとにおかれては、故太閤さまの遺孤秀頼ぎみが、唯一の味方とお頼みの人とは世上にかくれもないことよ。……最前もふと、とこのお懸物かけものを拝すにつけ、ふだんのお心がけもゆかしゅう覚えていましたわえ」
 と、壁の秀頼の書を顧みながら、戦場は戦場、ここはここと、胸をひらいていったのであった。


「そう仰っしゃられると、この幸村、穴にも入りたい心地がいたす」
 と彼は、佐渡のことばを、思いのほか迷惑そうなていで、
「秀頼公のその御書ごしょは、太閤さまの御影みえいと思えとて、大坂城のあるお方より、わざわざ下された物とて、粗末にもならず、かかげてはおきまするが……すでに太閤さまも亡き今日では」
 と、さし俯向うつむいたまましばし声をのんでまた、
「――うつりゆく世はぜひもござらぬ。大坂の御運がどうなるか。関東の勢威がどこまでゆくか。賢者でのうても、今は誰の目にも見えて来た時勢。――というて、にわかに節を曲げて、二君に仕えもならず――というのが幸村のあわれな末路。おわらい下されい」
「いや、御自身でそういわれても、世間は承知いたしますまい。あけすけに申そうなら、淀殿よどどのや秀頼君より、年々莫大ばくだいなお手当もひそかにみつがれ、この九度山を中心に、其許そこもとが手ひとつ挙げれば、五千六千の牢人は物の具とってすぐ馳せあつまるだけの手飼の衆もあるとやら――」
「ははは、根もないことを……。佐渡どの、人間、自分以上に、自分を買われている程、辛いものはございませぬ」
「じゃが、世間のそう思う方がむりもない。お若い頃から、太閣さまにも、側近くおかれて、人一倍お目をかけられた其許。その御恩顧やらまた、真田昌幸が次男幸村こそは当代のくすのきか孔明かと、嘱目しょくもくされておられるだけに」
「おやめ下さい。そう聞くほど身が縮みまする」
「では、誤聞かな?」
「願わくはのりの御山のふもとに余生の骨を埋め、風流は身にないことながら、せめては田でもやし、子の孫を見、秋は新蕎麦しんそば、春は若菜のひたし物を膳にのせ、血ぐさい修羅ばなしやいくさのことは松吹く風と聞いて長命をしとう存じまする」
「はて。御本心で」
「近ごろ、老荘の書物など、暇にあかして読みかじるにつけても、この世は、楽しんでこそ人生。楽しまずして何の人生ぞや、などと悟りめかしておりまする。……おさげすみではあろうなれど」
「……ほほう」
 真にはうけないが、佐渡は真にうけた顔して、わざと呆れ顔をつくって見せる。
 ――かかるうちもう半刻はんとき
 主客の間には、幾たびか茶がつぎ代えられ、そのたび大助の嫁らしい女性が見えて、何くれとはなく気をくばって退がってゆく。
 佐渡は、菓子台の麦落雁むぎらくがんをひとつつまんで、
「だいぶ、いらざるおしゃべりをして、おもてなしにあずかった。……縫殿介ぬい、ぼつぼつおいとましようか」
 板縁を顧みていうと、
「あいや、もうしばらく」
 と、幸村はひきとめた。
「――嫁とせがれどもが、あちらで今、蕎麦そばなど打って、何やら支度しておるそうな。山家やまがとて、ろくなおかまいもなりませぬが、まだ陽は高いし、学文路かむろへお泊りとすれば御悠ごゆるりでよい筈。まず、暫時ざんじは」
 そこへ大助が、
「父上。どうぞお越しを」
「できたのか」
「はい」
「座敷も」
「あちらへしつらえておきました」
「そうか。では……」
 と、客をうながして、幸村は、縁づたいに、先へ立った。
 せっかくの好意、佐渡もこころよく後について行ったが、その時ふと、不審な物音を、裏の竹林の彼方むこうに聞いた。


 その音は、はたを織る音かとも思えたが、機よりも大きな音で、調子もちがう。
 竹林を前にした裏座敷に、主人と客に供える蕎麦そばが出ていた。
 酒の瓶子へいしも添えてある。
「不出来でございまするが」
 大助がいって、はしをすすめる。まだ人馴れない嫁が、
「おひとつ」
 と、瓶子を向ける。
「酒は」
 と、佐渡は杯を伏せて、
「こちらがよい」
 と、蕎麦そばに向う。
 いてはすすめず、大助も嫁もほどよく退がる。――その間も、竹林の彼方から、はたに似た音がしきりに耳につくので、佐渡は、
「あれは何の物音で」
 と、訊ねた。
 幸村は、客にきかれて、客の耳ざわりになっていることを、初めて気づいたように、
「お。あの音でおざるか。あれはお恥かしいが、生活たつきたすけに、家族どもや子飼いの召使どもにやらせておる組紐くみひも打ちの細工場で、紐打ちの木車もくしゃを掛けている音でござります。……自分たちは、職業でもあり、朝夕耳に馴れていますが、お客には、おうるさかろう。……早速、申しつかわして、木車のはたを、止めさせましょう」
 手をたたいて、大助の嫁をよびかける容子ようすに、
「いや、それには及ばぬこと。お職所のさまたげしては、かえって居辛うおざる。ひらに、平に」
 と、佐渡は止めた。
 ここの裏座敷は、母屋の家族たちがいる所に間近いとみえて、出入りの者の声や、くりやの音や、どこかで銭をかぞえる音や――前の離室はなれとはだいぶ空気がちがっている。
(はて? ……。こうもしなければ食えないほどな境遇だろうか)
 佐渡は怪訝いぶかったが、まったく大坂城からのみつぎがないとすれば、落魄おちぶれた大名の末路はこうもあろうかと思わぬでもない。家族が多い、農事には馴れない、ある限りの品は、売喰いしていつかは尽きてしまう。
 あれこれ、思いすぎたり、惑ったりしながら、佐渡は、蕎麦そばをすすった。だが蕎麦の味から、幸村の人間を、噛みわけることはできなかった。総じて、
ばくとしたおとこ――)
 という感じであった。十年ほど前、愚堂和尚の膝下しっかで知った頃の印象とは、どこか勝手がちがっていた。
 しかし、こっちで独り角力ずもうを取っているまに、幸村は、自分を通して、細川家の意志なり、近状なりを、雑談の端からでも、ぎ取っているかも知れない。
 ――探りがましいことは、彼の口からは、ちりほども、訊かれていないが。
 訊かないといえば、第一、自分が何の用務を帯びて、高野山へ来たのか。――それすら幸村は訊ねようとはしない。
 佐渡の登山は、もとより主命なのである。故人の細川幽斎公は、太閤在世中にも、して青巌寺へ来たことがあるし、山上に長くいて、歌書の著述などを書いていた一夏もあるので、青巌寺にはその折のままになっている幽斎公の直筆の書物や文房の遺物かたみやらが何かと置いてある。その整理と、受取の打合せに、ことし三年の忌会きえを前に、豊前の小倉からわざと身軽で来たわけだった。
 ――そんなことも、幸村はただそうともしない。迎えの大助がいったとおり、門前を通りすがりの客へ茶一つの饗応をするのが、裏も表もない彼の真意でありまた、好意としか思えなかった。


 供の縫殿介ぬいのすけは、先ほどから縁端に畏まったままでいたが、奥へ通された主人の身が、不安でならなかった。
 いくら表面は歓待しているようでも、ここは、敵方の家である。徳川家にとっては、油断のならない大物として、注意人物の第一にている人間の家。
 紀州の領主浅野長晟ながあきらは、そのために徳川家から特に九度山の監視をいいつけられているとも聞えている。相手が大物だし、つかみようのない幸村という人物なので、手古摺てこずっているといううわさもかねがね聞くところだし、
「……よいほどに、お帰りなさればよいのに」
 と、縫殿介は、気をむのだった。
 この家にどんな詭計きけいがないとも限らないし、またそんなことはないとしても目付役の浅野家から、徳川の方へ、細川家の藩老が微行しのびの途次に立寄ったと報告されるだけでも徳川の心証を悪くしよう。
 関東と大坂のあいだは、事実、それほど険悪なのである。そんなことにお気づきなさらぬ佐渡様でもないのに。
 ――などと縫殿介は、奥のほうばかりうかがって、案じていたが、ふと、縁の傍らの連翹れんぎょうや山吹の花が、ゆさと大きく揺れたかと思うと、いつか墨をながしていた空から、板廂いたびさしをかすめて、ポツリと雨が落ちて来た。
 彼はふと、
「よいしお――」
 と、思いついて、縁を下り、佐渡が饗応されている部屋の方へ庭づたいに歩み、そこから、
「雨が来そうでございます。御主人様、お立ちなれば、今のうちにと存じますが」
 声をかけると、先刻さっきから話にとらわれて起ちかねていた佐渡は、心ききたるやつと、直ぐ応じて、
「や、ぬいか。……何、降って参ったと。今のうちなら濡れもしまい。どれどれ、早速お暇しよう」
 幸村へあいさつして、気短きみじかに立ちかけると、幸村も、せめて一夜はお泊りをとある所だったが、主従の気もちを察してか、強いてともいわず、大助と嫁を呼んで、
「お客に、みのをさしあげい。そして大助は、学文路かむろまでお送り申しあげて――」
 といいつけた。
「はい」
 大助は、蓑を持ってくる。それを借りうけて、佐渡は、門を辞した。
 はやい足の雲が千丈ヶ谷のふところや、高野の峰々から空をけてくるが、雨はさしたることもない。
「ご機嫌よう」
 幸村とその家族たちは、門の辺りまで、客を送っていった。
 佐渡も、いんぎんに礼を返し、そして幸村へは、
「いずれまた、雨の日か、風の日か、お目もじいたす日もおざろう。ご健勝に――」
 と、いった。
 幸村は、ニコとうなずいた。
 やがてまた。
 やがてまた。
 お互いに馬上長槍の姿を、その時ふと描いて胸につぶやき合ったであろう。だが、塀ごしのあんずの花は、しとどに散って、送るあるじと、去る客の蓑を、惜しむ行く春のにしらじらといろどった。
 大助は、送って行きながら、その途々みちみち
「さしたる降りはありませぬ。晩春の空癖そらくせで、山には一日一度ずつ、きっとこんな疾風雲はやてぐもが通るのです」
 と、いった。
 だが雲脚に追われて、おのずと足も急いで来ると、やがて学文路かむろの宿の入口あたりで、彼方から駈けて来る一駄の馬と、白衣びゃくえの山伏に行きあたった。


 荷駄の背には荒菰あらごもおおいかけてある。そしてがんじがらみにした男の体を鞍の上にくくしつけ、両側から柴の薪束まきたばを抱き合せてある。
 山伏は、先に駈け、旅商人たびあきゅうどていの男が二人、ひとりが手綱を持ち、ひとりは細竹を持って、馬の尻を打ちたたきながら、急ぎに急いで来たのだった。
 ――と。その出合いがしら。
 大助のほうは、はっと眼をらし、わざと連れの長岡佐渡へ、何か話しかけたが、その眼に気づかず、山伏のほうは、
「おうっ、大助様っ」
 と、はずみ声で、呼びかけた。
 にも関わらず、大助はなお、聞えぬふりをしていたが、佐渡と縫殿介ぬいのすけとは、異な顔をして、すぐ足を止め、
「大助どの、誰か呼んでおりますぞ」
 と教えつつもそれへ眼をそそぐ。
 ぜひなく、彼は、
「おお、林鐘坊りんしょうぼうどの。何処へ」
 さりげなくいい寄ると、山伏は、
「紀見峠からいっさんに――これから山のお屋敷へ直ぐ参ろうと思って」
 と、声高に立話をし始め、
「先頃、知らせを受けていた怪しげな関東者を、奈良で見つけ、やっと紀見の上で、生擒いけどったのでござる。人なみすぐれて、つらだましいの剛気なやつ、月叟げっそう様の前にひきすえて、泥を吐かせたなら、関東方の反間はんかんの機密などが、或はこの者の口から……」
 黙っていれば、問わぬことまで、立板に水のような調子で誇り顔に喋舌しゃべり出すので、大助も遂に、
「これこれ、林鐘御坊、何をいうのか。わしにはいっこう分らぬが」
「ごろうじませ。馬の背を。――その馬の背に引ッくくってある奴こそ、関東者の隠密で」
「ええ。ばかな」
 たまらなくなって、もう眼や顔つきでは、間に合わなくなったように、大助は一かつした。
「往来ばたで――しかも、わしのお供いたしておるお客を誰ぞと思う。――豊前小倉の細川家の御老臣、長岡佐渡様。滅多なことを……いや戯れも、ほどにいたしたがよい」
「えっ?」
 林鐘坊は、はじめて、眼をべつな方へった。
 佐渡と、縫殿介とは、耳のないような顔して、彼方此方あちこち、眺めていたが、その間も、はやい雲脚は頭のうえを越えて行き、雨まじりの風の落ちて来るたび、佐渡の着ているみのは、さぎの毛のように、風にふくらんだ。
 ――あれが細川家の?
 と、林鐘坊は、口をつぐむと、さも意外らしくおどろきと怪しみを湛えた横目づかいで見ていたが、
「……どうして?」
 と小声で、そっと大助へ、訊ねていた。
 ふた言三言。何かささやいて、大助はすぐこっちへ戻って来たが、それをしおに長岡佐渡は、
「もうここで、お引取りくだされい。これ以上は、かえって恐縮」
 と、強いて大助とたもとをわかち、会釈もそこそこ立ち去った。
 大助は、是非なげに、なおたたずんだまま見送っていたが、その眼を荷駄馬と山伏のほうへ返すと、
迂濶うかつな」
 と、たしなめて、
「場所がら、人がら、よう眼をあいて、物はいうものぞ。お父上のお耳へでもはいったら、ただ事にはかれまいぞ」
「はっ。……よもやと存じて」
 山伏は面目なげに謝った。あれよ真田さなだの郎党鳥海弁蔵とりうみべんぞうと、この辺では知らぬ者もなかったが。



(――おらは、気がちがったのかな?)
 伊織はときどき、そんな恐怖に襲われた。水溜みずたまりを見ると、自分の顔をうつして、
(顔はわかる)
 と、いくらか心を安めた。
 きのうから歩いている。――どう歩いているのか、見当もつかない。
 あの断層の底を這い上がってからずっとのことなのだ。
「来いっ」
 発作的に、いきなり空へ向って、呶鳴ったり、
「畜生ッ」
 と、地を睨んで、その気力が抜けると、ひじを曲げて、涙を拭いたりした。
「――おじさアん」
 権之助を呼んでみる。
 やはりこの世にはもういないのだと思う。はかられて殺されたのだと考える。あの附近に散らばっていた権之助の遺品を見てから、伊織はそう思いこんでしまった。
「……おじさアん。おじさーん」
 多感な少年のたましいは、むだと知りながらも、呼ばずにいられなかった。きのうから歩きつづけている足のつかれも知らない。その足にも、耳の辺へも、手にも血がついている。着物が裂けている。しかし、何もかえりみようとしない。
「どこだろ?」
 ときどき、われに返る時は、胃のから空腹を訴えられる時だった。何かは喰べていたが、何を喰べて来たか、よく覚えてないのである。
 おとといの晩泊った金剛寺へなり、或は、その前の柳生ノ庄なりを思い出せば、歩む目的めあてもつくわけだが、伊織の頭には、断層以前の記憶は、まだ何もよみがえって来ないらしい。
 ばくとして、
(生きている――)
 身を感じ、急に独りぼッちになった身の、生きる道を、探り歩いている形だった。
 バタバタと虹のように眼をさえぎった物がある。雉子きじだった。山藤の香りがする。伊織は坐りこんで、
(何処だろ?)
 もいちど、考えた。
 ふと彼はすがるものを見つけた。大日様の微笑ほほえみである。大日様は、雲の彼方にも、峰にも谷にも、何処にでもいるものと彼には思われたので、山芝の上にぺたんと坐ると、
(わたしの行く先を教えてください――)
 と、を合せた。
 眼をつぶっていた。
 そしてしばらくして、顔を上げると、山と山のあいだに、遠く海が見えた。ッすらと、あおもやのように見えた。
「……坊んち」
 さっきから彼の背後うしろに立って怪訝いぶかしげに眺めていた婦人がある。娘と母であろう、二人とも軽い旅装たびよそおいはしているが身綺麗にして、男の供も連れていない様子。近国に住む良家の者の、神詣かみもうでか仏参か。徒然つれづれの春の旅か。そんなふうに見うけられる。
「……何?」
 伊織は、振向いて、御寮人ごりょうにんと娘の顔をじっと見た。まだどこか、眼がうつろなのだった。
 娘は、母を見――
「どうしたんでしょう?」
 と、ささやいている。
 御寮人は、首をかしげていたが、伊織のそばへ寄って来て、手や顔の血に、眉をひそめながら、
「痛くないのかえ」
 と、訊いた。
 伊織が、顔を横にふると、御寮人は娘のほうを顧みて、
「分ることは、分るらしいよ」


 どっちから来たのかえ。
 生れは何処。
 名は何というのか。
 そして一体、こんな所に坐って、何を拝んでいるのか――などと御寮人とその娘に訊ねられて、伊織はようやく、われとわが身を取り戻し、平常の彼にも近くなった容子ようすで、
「はい、紀見の峠で、連れの者が殺されました。そしておらは、山の割れ目から這い上がって、昨日からどっちへ行こうかと迷ってしまい、思い出して大日様を拝んでたら彼方むこうに海が見えて来た――」
 初めは、不気味がっていた娘のほうも、伊織の話を聞くと、かえって母らしい御寮人以上に、同情をよせ、
「まあ、可哀そうな子。おっ母さん、さかいまで連れて行ってやりましょうよ。もしかしたら、ちょうど年頃だし、お店で使ってやってもいいじゃありませんか」
「それはいいけれど、この子が来るかしらね」
「来るだろ。……ねえ?」
 伊織が、うんというと、
「じゃあお出で。その代りこのお荷物を持ってくれるかえ」
「……うん」
 まだどこか、肌馴れない気がするとみえ、連れになって歩いても当分のうち伊織は何をいわれてもただ、うんとのみしかいわなかった。
 だが、それも長いあいだではない。山を降り、村の道が尽きると、やがて岸和田きしわだの町へついた。さっき、伊織が山から見た海は、和泉いずみの浦であったのだ。人間の多い町中を歩くうち、伊織は、母娘おやこの連れにも馴れて、
「おばさん、おばさんは何処だえ」
さかいだよ」
「堺って、この辺」
「いいえ、大坂の近く」
「大坂はどの辺」
「岸和田から、船に乗って帰るんですよ」
「え。船に?」
 これは伊織に取って、思いがけない歓びらしかった。その歓びにはしゃいで、問わず語りに彼が喋舌しゃべるには――江戸から大和まで来る間、川の渡船わたしに幾たびも乗ったが、海の船にはまだ乗ったことがない。おらの生れた下総しもうさには海はあるけれど船には乗ったことがない。――それに乗れるんならほんとにうれしいなあ。と他愛もなくいいつづける。
「伊織や」
 と、娘はもう名を覚えて、
「おばさん、おばさんって、呼ぶのは、おかしいから、お母さんのことは、御寮人ごりょうにんさまとお呼び。わたしのことは、お嬢さんと呼ぶんですよ。――今から癖をつけておかないといけないからね」
「うん」
 と、うなずくと、
うん……もおかしいよ。うんなんていう返辞はありませんよ。はいと仰っしゃい。これからは」
「はい」
「そうそう、お前なかなか良い子だね。お店で辛抱してよく働けば、手代に取立てて上げますよ」
「おばさんは……あ、そうじゃない、御寮人さまの家は、いったい何屋なの」
さかいの廻船問屋さ」
「廻船問屋って」
「おまえには、分るまいが、船をたくさん持って、中国、四国、九州のお大名方の御用をしたり、荷物を積んで、港々に寄ったりする……商人あきんどなのさ」
「なアんだ。――商人あきんどか」
 伊織は急に、御寮人さまやお嬢様を、下に見るようにつぶやいた。


「なアんだ、商人かって? ――。まあこの子は、生意気な口をきいて!」
 と娘は、母と顔を見あわせ、そして拾ってやったつもりでいる伊織の小さい体を、少し小憎らしいように見直した。
「ホ、ホ、ホ、ホ、商人といえば餅売りか、そこらの呉服商ごふくあきないが、精々みたいに考えているからだよ」
 御寮人は、聞き流して、むしろ愛嬌に取っていたが、娘は、堺商人の誇りをもって、一応いってかなければ気がすまないような容子ようす――
 その自慢ばなしに依ると。
 廻船問屋の店は、さかい唐人町とうじんまちの海岸にあって、三戸前みとまえの蔵と、何十そうの持船がある。
 また店は、堺のみでなく、長門ながと赤間あかませきにもあるし、讃岐さぬきの丸亀にも、山陽の飾磨しかまの港にも出店がある。
 わけて小倉の細川家からは、特に藩の御用も仰せつかっているので、お船手印ふなてじるしもゆるされ、苗字みょうじ帯刀もいただいて、赤間ヶ関の小林太郎左衛門たろうざえもんといえば、中国九州きって知らない者はない。
 等々々、ならべたてて、
商人あきんどといってもお前、ぴんからきりまであるよ。廻船問屋というものは、いざ天下の大戦とでもなってごらん。薩摩さつま様でも細川様でも、藩のお手船だけでは足りはしない。だからふだんはただの問屋でも、いざとなれば、御合戦の一役をするのですからね」
 と、その小林太郎左衛門の娘であるお鶴は、口惜しがって、頻りと説く。
 御寮人は、お鶴の母であり、太郎左衛門の妻でもあって、名はおせい様という――ことなども、やがて伊織に分って、伊織もすこしいい過ぎたと思ったか、
「お嬢さん。怒ったの」
 と、機げんをうかがう。
 お鶴も、お勢も、笑ってしまいながら、
「怒りはしないけれども、おまえみたいな井の中の蛙の子が、あまり小癪こしゃくな口を、きくからですよ」
「すみません」
「お店には、手代だの若い者だの、それから船がつくと、水夫かこ軽子かるこがたくさんに出入りするから、生意気なことをいうと、らしめられますよ」
「はい」
「ホホホホ。生意気かと思うと、素直なところもあるね、おまえは」
 と、よい玩具おもちゃにして扱う。
 町を曲がると、海のにおいがじかおもてに打って来た。岸和田の船着場である。この地方の産物を積んだ五百石船がそこについていた。
 お鶴は、指さして、
「あれへ乗って帰るんだよ」
 と、伊織へ教え、
「あの船だって、うちの持船なんだからね」
 と、誇る。
 そこらの磯茶屋から、その時彼女たちの姿を見かけて、駈けて来る三、四人があった。船頭や小林屋の手代らしく、
「お帰りなさいまし」
「お待ちしておりました」
 と、こぞって出迎え、
生憎あいにくと積荷が沢山で、お席も広く取れませんが、彼方あちらへ支度もして置きましたから直ぐにどうぞ」
 先に立って、船の内へ導いて行ったが、見れば、とも寄りの一かくとばりをめぐらし、緋毛氈ひもうせんをしき、桃山蒔絵まきえの銚子だの、料理のお重だの、水の上とも思われない、豪奢ごうしゃな小座敷がこしらえてある。


 船はとどこおりなく、その晩、堺の浦につき、小林の御寮人とお鶴様とは、船が着いた川尻のすぐ向いにある大きな間口の軒へ、
「お帰りなさいませ」
「ようお早く」
「きょうはまた、お日和ひよりもよくて」
 などと老番頭から、若い者にいたるまで、出迎える中を、奥へ通りながら、
「そうそう、お帳場どん」
 と、店と奥の中仕切なかじきりで、御寮人は、老番頭の佐兵衛を顧みていった。
「そこへ立っている子だが」
「へいへい。お連れになった汚いわっぱでございますか」
「岸和田へ出る途中で拾って来た子なんだけれど、気転がききそうだからお店で使ってみてごらん」
「道理で、変な者が、くッついて来たと思いましたら、道で拾っておいでになったんで?」
「しらみでもたかっているといけないから、誰かの、着物をやって、一度、井戸端で水をかぶせてから寝かしてやっておくれ」
 中仕切の内緒暖簾ないしょのれんから先は、ちょうど武家の奥向と表のような区別があって、番頭でもゆるしがなければはいれない。いわんや拾われて来た風来の子に過ぎない伊織においては、その晩から、店の片隅に置かれたのみで、御寮人とお鶴様の顔を見ることも、それきり幾日もなく日はった。
「いやな家だな」
 助けられた恩よりも、伊織には商家のしきたりが、事々に窮屈だし、不満だった。
 丁稚でっち丁稚と、ひとを呼ぶ。
 あれをしろ、これをしろ。
 若い者から老番頭まで、犬ころのように追い使う。
 それらの人間がまた、奥の者とかお客とかいうと、ひたいがつかえる程、頭ばかりぺこぺこ下げる。
 そういう大人達はまた、明けても暮れても、金々々と、金のことばかりいってるし、仕事仕事と、人間のくせに仕事にばかり追われている。
「いやだ、逃げ出そうか」
 伊織は、何度も思った。
 青空が恋しい。土に寝た日の草のにおいが懐かしい。


 いやだ。逃げ出そうか。
 そう考える日は、伊織の胸に、武蔵のはなしや、心を磨く道の語らいをしてくれた、師の武蔵の姿や、別れた権之助のことが、ひしひし慕われていた。
 そして、自分の実の姉と聞きながら、まだ行き会えぬお通の面影だのが――
 けれど。
 そう思いつのる日もあり、夜もありつつも、少年の一面には、この泉州せんしゅうさかいという港場のもつ絢爛けんらんな文化だの、異国的な街だの、船舶のいろだの、そこに住む人たちの豪奢な生活だのにも、ただならぬ目をみはって、
(こんな世界もあるのか)と、心から驚いた。
 また、憧憬あこがれや、夢や、意欲をも抱いて、いつとはなく日を送っていた。
「おいっ、伊!」
 帳場で、老番頭の佐兵衛がよんでいた。伊織は、広い土間と納屋蔵なやぐらの露地を掃いていた。
「伊!」
 返辞をしないので佐兵衛は帳場から立って来て、けやきの角材が、うるしで塗ったように黒くなっている店先のかまちまで出て来て、呶鳴りつけた。
「新参の丁稚でっちっ。呼んでるのになぜ来ないのか」
 伊織は、振向いて、
「は。おらか」
「おらという奴があるかっ。わたくしといえ」
「はあ」
「はあじゃない。へいというのだ。腰をひくく」
「へーい」
「おまえ、耳がないのか」
「耳はある」
「なぜ、返辞しない」
「だって、伊お伊おと呼ぶから、自分のことじゃないと思ったんだ。おらは――わたくしは、伊織という名ですから」
「伊織なんて、丁稚でっちの名らしくないから、伊でいい」
「そうですか」
「こないだも、あれほどわしが禁じておいたのに、また、変な物を持ちだして、腰に差しているな。……そのまきざッぽうのような刀を」
「へい」
「そんな物、差してはいけないぞ。商家の小僧が、刀など差すなんて。――ばかっ」
「…………」
「こっちへ出せ」
「…………」
「何をふくれている」
「これは、お父っさんの遺物かたみだから、離せません」
「こいつめ。よこせというのに」
「わたしは、商人あきんどなんかに、成れなくてもいいから」
「商人なんか――だと。これ、商人がなかったら、世の中は立ちはしないぞ。信長公がお偉いの、太閤様がどうだのといっても、もし商人がなかったら、聚楽じゅらくも桃山も、築けはしない。異国からいろんな物もはいりはしない。わけてもさかい商人はな、南蛮なんばん呂宋ルソン、福州、厦門アモイ。大きな肚であきないをしているのだ」
「わかってます」
「どう分ってる」
「――町を見ますと綾町、絹町、錦町などには、大きな織屋はたやがありますし、高台には、呂宋屋のお城みたいな別室があるし、浜には、納屋衆なやしゅうというお大尽だいじんのやしきや蔵がならんでいます。――それを思うと、奥の御寮人さまやお鶴様が、自慢たらたらのここのお店も、物の数でもありません」
「この野郎」
 佐兵衛は、土間へ、跳んで降りた。伊織はほうきを捨てて、逃げ出した。


「若い衆っ。その丁稚でっちをつかまえろ。つかまえてくれっ」
 佐兵衛は、軒から呶鳴った。
 河岸で荷揚の軽子かるこをさしずしていた店の者たちが、
「あ。伊公だな」
 追っ取りまいて、すぐ伊織をとらえ、店の前へ引きずって来た。
「手におえん奴じゃ。悪たいはいうし、わし達を小馬鹿にはするし。きょうはうんと、らしてやってくれ」
 佐兵衛は、足を拭いて、帳場へ坐ったが、またすぐ、
「それから、伊が差しているその薪ざッぽうを、こっちへり上げておきなさい」
 と、いいつけた。
 店の若い衆たちは、伊織の腰からまず刀を取上げた。それから後ろ手にくくって、店先に幾山も積んである荷梱にごうりの一つへ、飼猿みたいにくくしつけ、
「少し人様に笑われろ」
 と笑いながら、立ち去った。
 恥は、伊織がもっとも尊ぶところだし、武蔵からも、権之助からも恥を知れとは、常々聞かされていたことである。
 ――恥曝はじさらしだ。
 と自分を思うと、伊織は、少年の烈しい血を狂的にたかぶらせて、
「解いてくれっ」
 と、さけび、
「もうない」
 と、謝り、それでも許されないと、今度は悪たいに代って、
「ばか番頭。くそ番頭。こんな家なんかにいてやらないから、縄を解けっ。刀を返せ」
 と、わめいた。
 佐兵衛はまた、降りて来て、
「やかましい」
 と、伊織の口へ、布をまるめて押しこんだ。伊織が、その指へ噛みついたので、佐兵衛はまた、若い者を呼びたてて、
「口を縛ってしまえ」
 と、いった。
 もう何も呼べなかった。
 往来の者が皆、見て通る。
 わけてこの川尻と、唐人町の河岸すじは、便船に乗る旅客だの、商人の荷駄だの、物売り女だのと、往来がはげしかった。
「……く。く。……くっ」
 猿ぐつわの口のなかで、伊織は声をもらしていた。そして身をもがき、首をふり、やがては、ぽろぽろ泣いている。
 その側で、荷を積んだ馬が、とうとうと尿いばりをしていた。尿の泡が、伊織のほうにながれて来る。
 刀も差さない、生意気もいわないから、もういましめだけ解いてもらいたい、と伊織は心から思ったが、その訴えも叫べない。
 ――すると。
 もう真夏に近い炎天を、市女笠いちめがさに陽を除けながら、細竹を杖に、麻の旅衣を裾短すそみじかにくくりあげて――ふと、荷馬の向う側を通り抜けた女性がある。
(……あっ。おやっ?)
 伊織の眼は飛びつきそうに、その人の白い横顔へ耀かがやいた。
 どきん! と胸が鳴って、体じゅうがくわっと熱くなって、気もみだれてしまいかけた刹那に、その人の白い横顔は、わき目もせず、店の前を過ぎて、後ろ姿になってしまった。
「ね、ねえ様だっ。――ねえ様のお通さんだっ……」
 首を伸ばして、伊織は、絶叫した。いや、彼だけは、絶叫をもって、その人の背後へ呼びかけたつもりであろうが、声は誰にも、聞えてはいなかった。


 泣きぬいた後は、声も出ない。ただ肩で嗚咽おえつしているきりだった。
 伊織は、わめけど声も出ない猿ぐつわを、涙でぬらしながら、
 ――今行ったのは、姉さんのお通さまに違いない!
 ――会えたのに。会えもしない。おらがここにいるのも、知らずに行ってしまった。
 ――何処へ。どっちへ?
 と、思いみだれ、胸の中で、泣きさわいでいたが、誰ひとり顧みる者もない。
 店頭みせさきは、荷揚げの船がついて、いよいよ混雑して来るし、ひるさがりの往来は、暑いのとほこりで、人の足も早かった。
「おいおい。佐兵衛どん。何だってこの丁稚でっちを、熊の子の見世物みたいに、こんな所へ縛っておくのだ。無慈悲な人づかいするようで、見ッともないじゃないか」
 主人の小林太郎左衛門は堺の店にはいなかったが、その従兄弟いとことかいう南蛮屋なんばんやの某――黒あばたがあってこわらしい顔をしているが、いつも遊びに来ると、伊織に、菓子などくれる気のいい人物があって――その南蛮屋が、怒っていった。
「こんな往来先へ、こんな小さい者を、いくららしめにせよ、小林の外聞がいぶんにもさわる。はやく解いてやんなさい」
 帳場の佐兵衛は、伊織が、はしにも、棒にもかからないことを、
「はい。はい」
 と、服従しながらも、一方でくどくど告げ口していたが、南蛮屋は、
「そんな持て余す小僧なら、わしの家へもらって帰るよ。きょうは一つ、御寮人やお鶴にも、話してみよう」
 と、耳にもかけず、奥へ通ってしまった。御寮人に聞えてはと、佐兵衛はひどくおそれていた。そのせいか、にわかに伊織へ当りがよくなったが、伊織の泣きじゃくりは、いましめを解かれても、小半日は止まなかった。
 大戸がりて――
 店も閉まった黄昏頃たそがれごろ。南蛮屋は、奥で馳走になったらしく、微酔びすいをおびて、いい機げんで帰りかけたが、ふと伊織を土間の隅に見つけて、
「わしがお前を、貰ってゆこうと、掛合ったところがな、御寮人もお鶴も、何といっても、いやだという。やはり可愛いのだよ。だから辛抱せい。……その代りにな、明日からはもう、あんな目には、会わしゃあせんで。……よいか、おい、大将。はははは」
 彼のあたまをでて、そういって、帰ってしまった。
 嘘ではなかった。南蛮屋がいってくれたであろう。その翌日から、伊織は店から近所の寺子屋へ通って勉強することを許された。
 また、寺子屋へ通う間だけ、刀を差すことも、奥からの言葉で、免許になった。――佐兵衛もほかの者も、それからは余り辛く当らない。
 だが。だが。
 伊織はそれ以来、どうもまなざしが落着いていなかった。店にいても、往来ばかり見ているのだ。
 そしてふと、心にある人の面影に似ているらしい女性でも通ると、はっと、顔のいろまで変えるのだった。時には、往来まで飛び出して、見送っていたりする――
 それは八月も過ぎて、九月の初めだった。
 寺子屋から帰って来た伊織は、何気なく、店さきへ立つと同時に、
「おやっ?」
 と、そこへすくんでしまった。その時も、彼の顔いろは、ただならず変っていた。

熱湯



 ちょうどその日は。
 朝から小林太郎左衛門の店と河岸の前には、おびただしい行旅こうりょの荷物やらこうりやらが、淀川から廻送され、それをまた、門司もじせきへ行く便船に積みこむので、ひどく混雑していた。
 荷物には、どれにも、
 豊前ぶぜん細川家内某。
 とか或は、
 豊前小倉藩何組。
 とかいう木札が見られて、そのほとんどが、細川家の家士の行李こうりなのであった。
 ――ところへ今、伊織が外から戻って来て、軒先に立つと共に、あっ? といって血相を変えた、というわけは、広い大土間から軒先の床几しょうぎにまであふれて、麦湯を飲んだり、おうぎづかいしたりしている大勢の旅装の武士たちのなかに、佐々木小次郎の顔がちらと見えたからであった。
「店の者」
 と小次郎は、こうりの一つに腰かけて、帳場の佐兵衛をふり顧りながら、扇を胸にうごかしていた。
「船が出るまで、ここに待っておるのでは、暑うてかなわぬが――便船はまだ着いていないのか」
「いえ、いえ」
 と、送り状にせわしい筆をうごかしていた佐兵衛は、帳場ごしに川尻を指して、
「お召しになる巽丸たつみまるは、あれに着いておりますが、積荷よりは、お客様方のお越しのほうが、滅相めっそうおはやく見えられましたので、船方衆にいいつけて、ただ今あわててお坐り場所を先に整えさせておりますので」
「同じ待つにも、水の上はいくらか涼しかろう。はやく船へ行って休息したいものだが」
「はいはい。もういちど手前が行って急がせて参りましょう。しばらく、御辛抱を」
 佐兵衛は汗をふく暇もない顔つきして、すぐ土間から往来へ駈け出したが、そこの物陰にたたずんでいた伊織のすがたを横目で見ると、
「伊じゃないか。この忙しいのに、棒を呑んだように、そんな所に突っ立っている奴があるか。お客様たちへ、麦湯でも上げたり、冷たい水でも汲んで来てさしあげろ」
 と叱り捨てて行った。
「へい」
 と、答える振りはしたが、伊織はついとそこから駈けて、土蔵のわきの露地口にある湯わかし場の陰へ来てまた、たたずんでいた。
 そして眼は――大土間の中にいる佐々木小次郎の姿から放ちもやらずに、
(おのれ)
 と、めつけて。
 だが小次郎のほうでは、一向気づかない容子ようすらしかった。
 細川家に召抱えられて、豊前の小倉に居を定めてから、彼の恰幅かっぷくや容子には、一倍と尾ヒレがついて来たように見られた。わずかな間だが、牢人時代のようなするどいまなざしも、落着きをもった深い眸にかわり、元から色の小白いおもてには豊かな肉もついて、触れれば触れるものを舌刀で斬り返すような皮肉もあまりいわなくなった。総じて重々しい風采となり、そのうちに養われて来た剣の気稟きひんというものが、ようやく人格化して来たものと見てよかろう。
 そのせいもあろう、今も、彼のまわりにいる円満の家士はみな、
巌流がんりゅう様――)
 とか、
(先生)
 とか、うやまって、新参の師範とはいえ、軽んじるふうは誰にも見えなかった。
 小次郎という名は廃したわけではないが、その重い役目と、風俗とに、漸くふさわしくない年配にもなったためか、細川家へ行ってからは、名も巌流と称していた。


 汗をふきふき、佐兵衛は船から戻って来て、
「お待たせいたしました。胴の間のお席はまだ片づきませぬので、もうしばらくお待ちねがいますが、みよしにお坐りの組は、どうか船へお移り下さいまし」
 と、触れた。
 みよしへ乗る組は、軽輩と若侍たちであった。各※(二の字点、1-2-22)の荷や、身支度を見まわして、
「では、お先に」
「巌流先生。お先へ」
 ぞろぞろと、一群れは店口から立って行く。
 巌流佐々木小次郎と、そのほか六、七名が後に残っていた。
「佐渡どのが、まだお見えなさらぬの」
「もう追ッつけ、着かれようが」
 残った組は、みな年配で、服装から見ても、藩の然るべき要職にある者ばかりらしい。
 この細川家家中の一行は、先月、陸路を小倉から立って、京都に入り、三条車町の旧藩邸に逗留して、そこで病歿された故幽斎公の三年忌のいとなみやら、生前幽斎公と親しかった公卿くげたちや知己へのあいさつやら、また、故人の文庫や遺物の整理など悉皆しっかいすまして、きのう淀川船で下り、きょうは海路の旅へ、初めての夜を送ろうという旅程にある人々であった。
 今思い合せると、この晩春ごろ、高野を下り九度山へ立寄って去った長岡佐渡の主従は、その八月の営みの準備のため、あれから京都へ廻って、その経歴と顔の古い関係からも、一切の奉行をつとわし、今日まで同地に止まっていたものであろう。
「――西陽がさしこんでまいりました。皆様、巌流様にも、どうぞ、まちっと奥のほうでお休みくださいまし」
 佐兵衛は、帳場へ返っても、のべつ気をつかって愛想をいっていた。巌流は西陽を背にしながら、
「ひどいはえ
 と、扇で身を払いながら、
「口ばかりかわく、最前の熱い麦湯を、もう一碗、所望したいが」
 と、いう。
「はいはい。熱い湯では、なおなおお暑うございましょう。唯今、冷たい井水せいすいを汲ませまする」
「いや、道中、水は一切飲まぬことにしておる。湯が結構だ」
「これよ――」
 と、佐兵衛は坐ったまま首を伸ばして、湯沸し場のほうをのぞき、
「そこにいるのは、伊じゃないか。何をしている。巌流様へ、お湯をさしあげい。各※(二の字点、1-2-22)様にも」
 と、どなった。
 それなり佐兵衛はまた、送り状やら何やらに眼を忙しげに俯向うつむけていたが、返辞のなかったのに気づいて、もう一度呶鳴るつもりで顔を上げると――伊織は盆に五ツ六ツの茶碗をのせて、眼をそれにそそいで、おずおずと大土間の一方からはいって来た様子。
 で――佐兵衛はまた、それには無関心になって、送り状を書いていた。
「お湯を」
 と、伊織は、ひとりの武家の前でお辞儀をし、順に、
「どうぞ」
 と、またお辞儀をして行った。
「いや、わしはいらぬ」
 という武家もあって、彼の捧げている盆には、まだ二ツの茶碗が熱い麦湯をたたえて残っていた。
「お取り下さいまし」
 伊織は、最後に、巌流のまえに立って、盆を向けた。巌流はまだ気づかず、何気なく手をのばしかけた。


 ――はッと、巌流は手をひいた。
 触れかけた熱湯の茶碗が熱かったためにではない。
 手が、そこまでゆかない間に、盆を捧げている伊織の眼と、彼の眼とが、かちっと、火華ひばなを発したように、出会ったのであった。
「あっ。そちは――」
 巌流のくちが、こうおどろきを洩らすと、伊織はそれとは反対に、噛んでいた唇をややゆるめて、
「おじさん。この前会ったのは、武蔵野の原でしたっけね」
 にっと笑って見せたのである。――おさない、まだ小粒な歯を見せて。
 その、小癪こしゃくな不敵さに、
「何!」
 巌流が、思わず、大人げもない声を釣り出されて、何か、次のことばでも吐こうとしたらしく見えたせつな、
「覚えているかっ!」
 と、手に捧げていた盆を――それに乗せてある茶碗も熱湯も共に――がらっと、巌流の顔を目がけてほうりつけた。
「――あっ」
 巌流は、腰かけたまま、顔をかわし、途端に、伊織の腕くびを引っつかんでから――
「ア! ……」
 片目をつぶりながら、憤然と、突っ立った。
 茶碗も盆も、うしろへ飛んで、土間の隅柱に当って一箇は砕けたが、こぼれた熱湯のしぶきが、顔、胸、はかまにまでかかったのであった。
「ちイッ」
「このわっぱめが」
 時ならぬ二人のさけびと、茶碗の砕けたひびきとが、一つになって、居合す人々の耳をおどろかした時、伊織の体は、巌流の脚下きゃっかへ、叩きつけられた小猫のように、もんどり打って投げられていた。
 起き上がろうとすると、
「うぬ」
 と、巌流は、伊織の背を、手間ひまなくふみつけて、
「店の者っ」
 と、どなった。
 片目をおさえながらである。
「このわっぱは、当家の小僧か。子どもとはいえ、ゆるし難いやつ。――番頭っ、ひっ捕えろ」
 仰天した佐兵衛が、飛び下りて来て抑えるいとまもなかった。巌流の脚の下に這いつくばっていた伊織は、
「なにを」
 どう抜いたか――いつもその佐兵衛から禁物にされている刀を抜き払って、下から巌流のひじを狙い上げた。
 巌流は、またも、
「あ、こやつ」
 と、まりのように、伊織の体を大土間へ蹴転がして、身を一歩、うしろへ退いた。
 佐兵衛が、そこへ、
阿呆あほうッ」
 絶叫して、飛びついて来たのと、伊織が跳ね起きたのと、同時であったが、伊織は、狂せるもののように、
「なにをッ」
 と、なおいいつづけ、佐兵衛の手が、自分の体にふれると、振りほどいて、
「ざまア見ろ! ばかっ」
 巌流のおもてへ、そうののしったかと思うと、ぱっと戸外おもてへ向って逃げ出して行った。
 ――だが。
 軒先から二間も駈けると、伊織はすぐ前へのめって仆れていた。巌流が土間の中から、有り合う天秤てんびんを取って、その脚もとへ投げつけたからであった。


 佐兵衛は、若い衆と協力して、伊織の両手をとらえ、土蔵露地のわきにある湯沸し場の方へ、引摺ひきずって来た。
 巌流がそこへ出て来て、濡れたはかまや肩を、仲間ちゅうげんに拭かせていたからである。
「とんでもない御無礼を」
「何とお詫び致しましょうやら」
「何とぞ、御寛大に……」
 などと口を揃えながら、伊織をそこにひき据えて、佐兵衛を初め店の若い衆たちは、あらゆる謝罪のことばをならべたが――巌流は耳がないように、見向きもせず、仲間ちゅうげんしぼらせた手拭で、顔など拭いて平然としていた。
 若い衆たちに、両の手をねじ上げられて、地へ顔をこすりつけられている伊織は、そのわずかな間も、苦しがって、
「離せっ。離してくれっ」
 と、もがき叫び、
「逃げはしないよっ。逃げるもんかっ。おらだって、さむらいの子だ。覚悟でしたこと、逃げなんかするか! ……」
 と、いった。
 髪をなで、衣紋えもんまで直してから、巌流はこっちを見て、
「――離してやれ」
 穏やかにいった。
 むしろ意外にして、
「……えっ?」
 と、佐兵衛たちが、その寛大なおもてを仰ぎ合って、
「離しても、よろしゅうございましょうか」
「だが」
 と、そこへ釘を打ちこむように、巌流はいい足した。
「どんなことを致しても、詫びればゆるされるものと考えさせては、却って、この少年の将来のためにならぬ」
「へい」
「元より、取るに足らぬわっぱのしたこと。巌流は手を下さぬが、そち達がこのままにもいたし難いと思うなら糾明きゅうめいとして、そこの湯柄杓ゆびしゃくで釜の煮え湯をいっぱい頭からかぶせてやれ。――命にはかかわるまい」
「……ア。その湯柄杓で」
「それとも、このまま、放してよいと、其方どもが思うなら、それでもよし……」
「…………」
 さすがに佐兵衛も若い衆たちも、顔見合せてためらっていたが、
「どうしてこのままに済まされましょう。自体、日頃からよくない餓鬼がき。お手討となってもせんない所を、それくらいなお仕置で御勘弁ねがえるものなら有難い仕合せ。……野郎、誰のせいでもないぞ。おれ達を怨むなよ」
 と口々にいう。
 暴れ狂うにちがいない。そこの素縄を持って来い。両手を縛れ、膝を縛れ――などと大仰おおぎょうにさわぎだすと、伊織は、それらの手を振り払って、
「何するんだいッ」
 と、いった。
 そして地面に坐り直し、
「覚悟してしたことだから逃げないといってるじゃないか。おらはその侍に、湯をかけてやるわけがあるからかけてやったんだ。その返報に、おらにも煮え湯をかぶせるなら、かぶせてごらん。町人なら謝るだろうが、おらは謝る筋もないぞ。侍の子が、そればかしのことに、泣きなんかするものか」
「いったな!」
 佐兵衛は、腕をまくって、大釜の熱湯を柄杓ひしゃくいっぱい汲んで、伊織の頭の上へ徐々に持って来た。
(……むウ!)
 と、唇をむすんだまま、伊織は両眼をくわっと開いて、それを待っていた。
 ――すると、何処かで、
「眼をふさげ。伊織! 眼をふさいでいないと、眼がつぶれる!」
 と、注意する者があった。


 誰か? と声のほうを見るいとまもなく伊織は、注意された通り、眼をふさいだ。
 そして、頭の上から注ぎかけられる熱湯を待ちながら――その意識も払いのけて――いつしか武蔵の草庵で、ひと夜、武蔵から聞いたはなしの、快川かいせん和尚のことをふと思いだしていた。
 甲州武士がふかく帰依きえしていた禅僧で、織田徳川の聯合軍が、峡中きょうちゅうへ討入って、山門へ火をかけた時、その楼上でしずかに炎に体を焼かせながら、
 ――心頭ヲ滅却スレバ火モマタスズシ
 と、いって死んだという人。
 眼をつぶりながら、伊織は、
(なんだ、柄杓ひしゃくいっぱいの熱湯ぐらい)
 と、思ったが、またすぐ、
(あ。そう思うのが、もういけないんだ)
 と気づいて、頭のしんから体じゅうを、しーんときょにして、形はあれど、迷妄も悩悶のうもんもない、無我の影になろうとした。
 だが。駄目であった。
 伊織には、そうなれない。いっそ伊織が、もう少し年がゆかなかったら、或はなれよう。でなくば、もっともっと年をとっていたら、或はそこに到達されよう。彼ももう、あまりに物ごころがありすぎていた。
 ――今か。……今か。
 ひたいからだらりと落ちる汗も湯玉かと思えた。わずかな一瞬が、百年のように長いのだ。伊織は、眼を開きたくなった。
 ――すると、巌流の声が、
「おお。御老台か」
 と、後ろでいった。
 湯柄杓ゆびしゃくを持って、伊織の頭の上から、浴びせかけようとしていた佐兵衛も、まわりの若い衆達も、往来の彼方から、
(伊織、眼をふさげ!)
 と、注意した者のほうへ――思わず眼をやって――そして一瞬、伊織へかぶせる熱湯を、ためらっていたのだった。
「えらいことが始まったのう」
 御老台と呼ばれた人物は――道の向う側から足をうつして来ていた。若党の縫殿介ぬいのすけひとり召連れて、茶地の麻の小袖に、夏も冬も同じ物かと思えるような野袴のばかまをはき、汗だけは、人いちばい汗性あせしょうらしい顔をした藩老の長岡佐渡であった。
「これは、とんだ所を、お目にかけてしもうた。はははは、らしめております」
 大人げないと思われはしまいか。――巌流は藩の先輩にそう自分ですぐ斟酌しんしゃくしたものか、まぎらすように笑っていった。
 佐渡は、伊織の顔ばかりじっと見て、
「ふむ。懲らしめにな。……理由のあることなら、仕置もよかろう。サササ。やりなさい。佐渡も見物しよう」
 熱湯の柄杓ひしゃくを持ちこらえたまま、佐兵衛は、巌流の顔を横目に見た。巌流は、相手が少年であるばかりに、自分の立場が、不利に見えていることを直ぐ覚って、
「もうよい。これでわっぱも懲りたであろう。――佐兵衛、湯柄杓を退け」
 すると、伊織は、さっきから開くともなく開けたまま、空虚うつろに見つめていた人の顔へ向って、
「あっ。おらは、お武家様を知っていら。お武家様は、下総しもうさの徳願寺へ、よく馬にって、来たことがあるだろ!」
 と、すがりつきそうにして叫んだ。
「伊織。覚えていたか」
「アア! ……忘れるもんか。徳願寺で、おらにお菓子を下さった」
「今日は、お前の先生の武蔵とやらはどうしたな。……この頃は、あの先生の側にはいないのか」
 問われると、伊織は突然、シュクと鼻をすすって、鼻とこぶしの間から、ぽろぽろと涙をこぼした。


 佐渡が、伊織を知っていたのは、巌流にも、意外であった。
 けれどその長岡佐渡は、自分が細川家へ仕官する前から、自分の今の位置へ、宮本武蔵を推挙していた者であり、なおその後も、君公とつがえた約を果さねばならぬとかいって――折あるごとに、武蔵の居所いどころを心がけているとも聞いているので、
(何かの時、伊織を通じて武蔵と知ったか、武蔵をさがすために、伊織を知ったか。とにかく、そんな縁故だろう)
 と巌流は、察した。
 けれど巌流は、
(この少年を、どうしてご存じか?)
 とは、いて訊いてみる気がしなかった。そんな緒口いとぐちから、佐渡とのあいだに、武蔵の名が話に出ることは、好ましくない。
 だが、好むと好まないとにかかわらず、いつか一度は、武蔵と相会う日がきっと来るに違いないことは、巌流もひそかに予期していた。――それはまた、自分と武蔵との従来の経歴が、何となくそうして来たばかりでなく、君公の忠利ただとしも予期し、藩老の長岡佐渡も予期しているところである。いや、彼が豊前ぶぜん小倉へ着任してみると、そういう期待は、果然、中国、九州の民間にも、各藩の剣人たちのうちにも持たれていたのが、意外なくらいであった。
 郷土的な関係もあろう。武蔵の生地も自分の生れた土地も共に中国だし、また、武蔵の名声も自分の名も、江戸にあって考えるのとは想像以上に、郷土や西国一帯には話題となっていたのである。
 なお必然、細川家の本藩支藩を通じても、伝え聞く武蔵を高く評価する者と、新任の巌流佐々木小次郎を偉なりとする者とが、何とはなく対立していた。
 その一方に、巌流を細川家へ斡旋あっせんした同じ藩老の岩間角兵衛がある。だからこの空気は、大きくは天下の剣人達の興味から起ってもいるが、その真因は、藩老の岩間派と、藩老の長岡派との対立がかもしたものだとるものもあった。
 で。いずれにせよ――
 巌流が佐渡に或る感じを持ち、佐渡が巌流に好意をもっていないことも明白なのだ。
「お支度ができました。胴ののお席のかたも、どうぞいつでも、船へお越しくださいまし」
 その時。
 巌流にとっては、折もよく、巽丸たつみまる水夫頭かこがしらが迎えに来たので、
「御老台、ひと足お先へ」
 と、佐渡へいい、他の家中の者をも誘って、あわただしげに、船の方へぞろぞろ立去った。
 佐渡は、後に残って、
「船出は、黄昏たそがれだの」
「へい。左様で」
 と、番頭の佐兵衛はまだ、この場の始末が着ききらないようなおそれを抱いて、店の大土間にうろうろしながらいった。
「ではまだ――休息して参っても、間に合おうな」
「間に合いまするとも。どうぞお茶など一ぷく」
湯柄杓ゆびしゃくでか」
「ど、どういたしまして」
 と、佐兵衛はひどく、痛い皮肉を浴びた顔して、頭を掻いたが、その時、店と奥との仕切暖簾しきりのれんのあいだから、お鶴が顔を出して、
「佐兵衛。ちょっと……」
 と、小声で呼んだ。


 店先では、あまりはしぢか。お手間はとらせませぬゆえ、住居の庭門から奥の数寄屋まで――と、佐兵衛に導かれて、
「では、ことばに甘えよう。わしに会いたいとは、この家の御寮人ごりょうにんか」
「お礼を申したいとかで」
「何の礼じゃ」
「多分……」
 と佐兵衛は、そこでも頭を掻いて、恐縮しながら、
「伊織のことを、無事にお扱い下さいましたので、主人に代ってそのご挨拶を申すんでございましょう」
「オ。伊織といえば、あれにも話がある。こっちへ呼んでくれい」
「かしこまりました」
 庭はさすがに堺町人さかいちょうにん数寄すきをこらしたもの、土蔵一側の隔てだが、店先の暑さや騒ぎは別天地のようだ。泉石も、樹々も打水に濡れ、かすかな水のせせらぎが耳を洗う。
 数寄屋の一間に、毛氈もうせんを敷きのべ、茶菓、煙草をととのえ、火入れには練香ねりこうをしのばせて、御寮人のおせいと、娘のお鶴は、客を迎えたが、長岡佐渡は、
「このほこりまみれに、草鞋わらじがけじゃ。ゆるされい」
 とそこに腰のみ掛けて、茶を喫した。
 お勢からは、改めて、
「ただ今は、何とも――」
 と、雇人たちの無考えな仕方だの伊織についても、詫びやら礼をのべたが、佐渡は、
「いや何。あの子供は仔細あってわしが以前に見かけたことのある者。来合せたのがしあわせであった。それよりは、どうして当家の厄介になっておるか、それはまだ伊織からも聞いてはおらぬが……」
 と、訊ねた。
 御寮人は、大和やまと詣りの途中、ふと見かけて拾って来たわけを話し、佐渡はまた、伊織の師宮本武蔵という者を、年来捜しているところじゃが――などと種々くさぐさの物語も出て、
「――最前、彼が熱湯を浴びせられそうになって、大勢の中に、坐ったところを、往来をへだててじっと見ておったが、なかなか自若じじゃくとして、悪びれぬていには、ひそかに感服した。ああいう性根しょうねの児を、商家に飼っておいては、かえってその性根をゆがめてしまうかもしれぬ。いっそのこと、わしにくれぬか。わしが小倉へ連れ帰って、手飼の者として育ててみたいが」
 佐渡から、望まれると、
「願うてもない……」
 と、お勢も同意し、お鶴もよろこんで、早速、伊織を呼んで来ようと席を立つと、その伊織は、さっきから近くの木陰にたたずんで、そこの相談をのこらず聞いていたらしい。
いやか」
 皆に、意志を訊かれると、もちろん厭どころではない。ぜひぜひ小倉とやらへ連れて行ってくれという。
 船出は間もない――
 お鶴は、佐渡がそこでお茶をんでいるまに、着物よはかまよ、笠よ脚絆きゃはんよと、自分の弟でも旅立たせるようにいそいそした。生れて初めて、袴という物を穿き、歴乎れっきとした武家の随身になって、伊織は、やがてお供をして船へ移った。
 夕焼け雲に、黒い帆の翼を張りきって、船は潮路を豊前ぶぜんの小倉へ立った。
 お鶴さんの顔――
 御寮人の白い顔――
 佐兵衛の顔。たくさんな見送人の顔。さかいの町の顔――
 伊織は、笠を振っていた。

無可先生むかせんせい



 岡崎の魚屋ととや横ちょう。
 そこの一つの露地口に、板の打ってあるのを見れば、佗牢人わびろうにん生活たつきとみえ、
童蒙どうもう道場
    よみかきしなん        無可むか
 と、ある。
 寺子屋であろう。
 だが、その先生の自筆らしい看板の文字からして、はなはだうまくない。横目にみて、苦笑して通る識者もあるだろう。けれど、無可むか先生は、敢て恥としていない。問う者があれば、
(わしも、まだ子どもで、修行中だからな)
 と、いうそうである。
 露地の突当りは、竹やぶだ。竹やぶの彼方は馬場で、天気だと、のべつほこりが立っている。いわゆる三河武士の精鋭、本多家の家中が、騎馬の練磨に日を暮しているのだった。
 で、埃がくる。
 無可むか先生は、そのためか、いつもそっちの折角明るい軒へ、一れんをかけているので、いとど狭い室内は、よけいに薄暗い。
 もとより独り者。
 今しがた、昼寝からさめたとみえ、井戸の釣瓶つるべが鳴っていたが、そのうちに、
 ぱーん!
 と竹藪たけやぶの中で、大きな音がした。竹をった音である。
 叢竹そうちくの中の一本が、ゆさっと仆れた。しばらくすると、無可先生は、尺八にするにしては太すぎるし、みじかくもある一節ひとふしを切って、藪から出て来た。
 鼠頭巾ねずみずきんに、鼠無地の単衣ひとえを着、脇差ひと腰。それでいて、年は若い。そんな地味ではあるが、まだ三十とは思われない。
 一節切ひとよぎりの竹を、井戸端で洗い、文字どおりな裏店うらだなの室内へ上がって来ると、床の間はない――ただ壁の隅へ、一枚の板をおいて、そこへ誰の筆か、祖師像を描いたのを懸けてあるだけの――その置床おきどこの板へ、竹の節を据えた。
 花挿はないけになっている。
 雑草にからんだ昼顔の花を、ぽんと投げてあるのだった。
 ――悪くない。と、自分でも見ているらしい。
 それから机に坐って、無可先生は、習字をし始めた。※(「ころもへん+睹のつくり」、第3水準1-91-82)遂良ちょすいりょう楷書かいしょの手本と、大師流の拓本たくほんが載っている。
「…………」
 ここへ住んでからでも、一年の余になる。日課を務めたせいだろう。看板の文字よりは、はるかに上達していた。
「お隣のお師匠さん」
「はい」
 筆をいて、
「――隣のおばさんか。暑いのう、今日も。お上がりなされ」
「いえいえ。上がってはいられないが……何じゃろ? 今大きな音がしたようだが」
「ははは。私の悪戯いたずらですよ」
「子ども衆をあずかる先生、悪戯しては困ったものじゃ」
「ほんにな……」
「何をなされたのじゃ」
「竹を伐ってみたのでござる」
「そんならよいがわたしはまた――何かあったのじゃないかと、胸がどきっとした。うちの良人ひとがいうことだから、そうあてにはならないけれど、どうもこの辺をよく牢人衆がうろついているのは、お前さんの生命いのちでも狙っているらしい……などと聞かされているものだからね」
「だいじょうぶです。私の首など三文の値もしませんから」
「そんな暢気のんきをいってても、自分に覚えのない恨みで殺される人だってあるからね。……気をつけるがいいよ。わたしはいいけれど、近所の娘さん達が、泣くからね」


 隣家となりは筆職人であった。
 亭主も女房も、親切者で、わけておかみさんは、独り者の無可先生のために、時には炊事煮物の法を教え、時には縫いもの洗濯ものの労まで取ってくれる。
 それはいいが、無可先生を、ややもすると、困らせる一事は、
(いいお嫁さんがあるのだが――)
 である。
 毎度毎度、やたらにそのお嫁に来たい口を持って来ては、
(いったい、どうして女房を持たないのさ。まさか女嫌いでもあるまいに)
 と、問いつめて、時には無可先生をして殆ど、答えにきゅうさせてしまう。
 だが、これは彼女の罪ばかりでなく、無可先生自身も悪いので、
(自分は、播州ばんしゅう牢人、係累けいるいもなく少しばかり学問をこころざして、京都や江戸に学んだから、この土地で行く末は、良い塾でも持って落着きたいと思う)
 などとお座なりをいったことがあるので、年頃も年頃、人品もよし、第一に真面目でおとなしいし……と隣の夫婦がすぐ鍋釜なべかまの次に女房を考えたのも無理ではないしまた、時折出歩く無可先生の姿を見かけ、嫁に行きたい、嫁にりたいと筆職人の夫婦へ洩らして口ききをすがる向きも多いのである。
 そのほか。
 何の祭礼まつり。何の踊り。やれ彼岸ひがんの盆のと――小さな生活を忙しく派手に――悲しみの葬式や病人の世話事までも、寄り合世帯のように賑やかに送っている――裏町住居のおもしろさ。
 その中に、じゃくとして住んで、
(おもしろいな)
 無可先生は、一脚の小机から、世間をながめ、世間に学んでいるらしかった。
 しかし、こういう世間には、ひとり無可先生ばかりでなく、どんな人間が住んでいるか知れなかった。時節が時節でもある。
 先頃まで、大坂の柳の馬場の裏町で、幽夢ゆうむというつむりを丸めた手習師匠が住んでおったが、徳川家の手で身元を洗ってみると、何ぞしらん、これがさきの土佐守長曾我部宮内少輔盛親ちょうそかべくないしょうゆうもりちかの成れの果て――とわかり、大騒ぎしたが、近所に知れた時には、一夜で彼の姿はどこにも見えなかったという噂。
 また。名古屋の辻で、売卜ばいぼくをしていた男を、不審と見て、これも徳川家の手筋が、さぐってみると、関ヶ原の残党毛利勝永の臣竹田永翁えいおうであったとやら。
 九度山の幸村ゆきむら、漂泊の豪士後藤基次もとつぐ、徳川家に取って、神経にさわる人間は皆、世のなかを韜晦とうかいして、そして努めて、人目につかない暮しを、法則としている。
 もちろんそういう大物ばかりが世間に隠れているわけではなく、くだらない物もそれ以上、ごろついているのが世間であり、その真物ほんものとくだらない物とが、渾然こんぜんと、見分けもつかず隣り合っている所に、裏町の神秘がある。
 無可先生についても、近ごろ、誰がいい出したともなく、無可と呼ばずに、武蔵とよぶ者が、ちらちらあって、
「あの若い方は、宮本武蔵といって、寺子屋などは、何かの都合でしていることで、ほんとは一乗寺下り松で、吉岡一門を相手にして勝ちぬいた、剣の名人であらっしゃる」
 と、頼まれもせぬことを、触れてあるく者もあった。
「まさか?」
 と、いったり、
「そうかしら……?」
 と、いったりして、無可むか先生を見ているのが、今の近所の衆の眼で、時折、夜にまぎれて裏の竹藪だの、露地の口だのを、ひそかにうかがっているのが、隣家のおかみさんがよく彼に注意する――彼の生命を狙っている何者かの眼であった。


 そういう危険が、絶えず身をうかがっているのを、無可先生自身は、
(知れたもの――)
 と、およそ多寡たかをくくってでもいるのか、今日も、隣家の内儀に注意されたばかりなのに、晩になると、
「お隣のご夫婦、またちょっと留守にいたすが、頼みまする」
 声をかけて、出て行った。
 筆屋の夫婦は、開け放して、晩飯をたべていたので、その姿が、軒先をよぎる時ちらと見えた。
 ねずみ無地の単衣ひとえに、編笠をかぶり、出て行く時は、大小を横たえてはいるが、はかまもつけず、着流しの素服。
 袈裟けさ掛絡からをまとえば、そのまま、虚無僧こむそうといった風采である。
 筆屋のかみさんは、舌打ちして、つぶやいた。
「いったい何処へ行くんだろうね、あの先生はさ。子供たちの指南は、おひる前にすんでしまうし、午からは昼寝だし、晩になると、蝙蝠こうもりみたいに、出かけて行く……」
 亭主は、笑って、
「独り者だ。仕方がないさ。他人の夜遊びまで、いてたら、りがないぞ」
 露地を出ると、宵の岡崎は、夕凪ゆうなぎのむし暑いほとぼりが冷め切れないうちにも、夏の夜の灯がそよぎ立って、人影の流れの中に、尺八が聞え、虫籠の虫の音が聞え、座頭の節をつけたわめきだの、西瓜売りやすし売りの呼び声や、また、夜歩きに出た旅人の浴衣ゆかたの群れなど――さすがに江戸のような新開地的なあわただしさと違って、落着いた中に城下町風情がある。
「あら。先生が行く」
「無可先生」
「すまして行くこと」
 町の娘達が、眼顔して、ささやきあう。中には、お辞儀する娘がある。無可先生の行く先は、そこらでも、話題であった。
 だが、彼の行く足は、真っ直だった。遠い王朝のむかしから、ここの辺りは、矢矧やはぎの宿のうかたちから脂粉しふんの流れをひいて、今も岡崎女郎衆の名は、海道の一名物であったが、そこの辻を曲がる様子もない。
 ほどなく、城下の西端にしはずれまで行ってしまう。すると、広い闇に、どうどうと、瀬にしぶく水音が聞かれ、暑さもいちどにたもとを払って、橋の長さ二百八間という、その橋桁はしげたの第一柱に、
 矢矧やはぎばし
 と星明りに読める。
 すると、約束したように、そこに待っていた一個の痩法師やせほうしが、
「武蔵どのか」
 と、いった。
 無可先生は、
「おう。又八か」
 近づいて、笑顔を見合う。
 まさしく一方の者は、本位田又八である。江戸町奉行所の前で、百のむちに打叩かれた果て、罪のむしろから放逐ほうちくされた――あの時の姿のままの又八である。
 無可とは、武蔵が、仮の名であった。
 矢矧やはぎの橋のうえ。
 星の下。
 ふたりの間には、かつての旧怨もなく、
「禅師は?」
 武蔵が問うと、
「まだ旅よりお帰りもなし、お便りもない様子」
 と、又八がいう。
「お長いなあ」
 つぶやきながら、ふたりは、背をならべて、矢矧やはぎの大橋をむつまじそうに、渡って行った。


 対岸の松の丘に、古い禅刹ぜんさつがあった。その辺りを八帖山はちじょうさんというせいか、八帖寺と寺の名もばれている。
「どうだな又八。禅寺の修行というものは、なかなか辛いものだろう」
 そこの山門へ向って、暗い坂道を登って行きながら、武蔵がいうと、
「辛い――」
 又八は、正直に、青いつむりを垂れて答えた。
「何度も、逃げ出そうと思ったり、こんなにも、辛い思いをしなければ、人間になれないなら、いっそ首でもくくろうかとさえ考える時もある」
「まだまだおぬしは、禅師へおすがりして、入門の許しを得た弟子ではないから、そこらはほんの修行の初歩だ」
「しかし――お蔭でこの頃は、弱い気持が出ると、これではならぬと、自分で自分を、むち打つことができるようになった」
「それだけでも、修行のかいが目に見えて来たわけだな」
「苦しい時には、いつもおぬしを思い出すのだ。おぬしでさえ、やり越えて来たこと、おれに出来ぬわけはないと」
「そうだ。わしがしたこと。おぬしに出来ぬことはない」
「それと、一度死ぬところを――沢庵坊に救われた生命と思い、また、江戸町奉行所で、百叩きにされた――あの時の苦しみを思い出しては――何を、何をと、今の修行の辛さと朝夕闘っている」
艱苦かんくったすぐ後には、艱苦以上の快味がある。苦と快と、生きてゆく人間には、朝に夕に刻々に、たえず二つの波が相搏あいうっている。その一方にずるって、ただ安閑だけをぬすもうとすれば、人生はない、生きてゆく快も味もない」
「……少し分りかけて来た」
欠伸あくび一つしてもだ――苦の中に潜心した人間のあくびと、懶惰らんだな人間のそれとはまったく違う。数ある人間のうちには、この世に生を得ながら、ほんとの欠伸あくびの味すら知らずに、虫のように、死んで行くのがたくさんいる」
「寺にいると、まわりの人たちからも、いろいろな話を聞く。それが楽しみだ」
「はやく、禅師に会って、おぬしの身も頼みたいし、わしも何かと、道について、禅師にただしたいこともあるのだが……」
「一体、いつお帰りなのだろう? 一年も便りがないといっているが」
「一年はおろか、二年も三年も、飄々ひょうひょうと、白雲のように、居所も知れぬ例は、禅家には珍しくないことだ。――折角、この土地に足を留めたのだから四年でも五年でもお帰りを待つ覚悟でいてくれい」
「その間、おぬしも、岡崎にいてくれるか」
「いるとも。裏町に住んで、世間の底の、雑多な生活くらしに触れてみるのも、ひとつの修行。――空しく禅師のお帰りのみを待っているわけではない。わしも修行と思って、町住居しているのだから」
 山門といっても何の金碧きんぺきもない茅葺門かやぶきもん。本堂も貧しい寺だった。
 又八道心は、そこの庫裡くりのわきにある寝小屋の内へ友を導いた。
 まだ彼は、正式にここの寺籍にはいっていないので、禅師の帰るまでそこにねぐらを与えられていた。
 武蔵は、時々、彼をここへ訪れて、夜更けまで話しては、帰って行った。もちろん二人が、旧交を取りもどし、又八も一切を捨てて、こうなるまでには、――そこに、江戸の地を離れてから以後の話も残ってはいるが。

無為むいから



 話は、以前になるが。
 去年。――柳営りゅうえいに仕官の望みを絶って、伝奏でんそうやしきの半双はんそう屏風びょうぶに、武蔵野之図を一そうに描き残したまま、江戸の地を去った武蔵は、あれからどう道どりを取って来たか。
 時には、忽然こつぜんとすがたを見せ、時には飄然ひょうぜんとすがたを消し、峰のふところに遊ぶ白雲のように、武蔵の足跡は、近ごろ殊に定まらなかった。
 彼の歩みには、確とした一つの目的と、一定の法則があるようであってまた、ないもののようでもあった。
 彼自身は、ひたすら一筋の道をば、脇目もふらず歩いているかに思われるが、はたから眺めると、自由無碍むげな、いかにも気ままな道を歩いたり、止まったりしているようにえるのだった。
 武蔵野の西郊を相模川さがみがわの果てまで行くと、厚木あつぎ宿しゅくから、大山、丹沢などの山々がおもてに迫って来る。
 彼の姿は、そこから先、しばらくのあいだ、どこでどう暮していたか分らない。
 文字どおりな蓬頭垢面ほうとうくめんを持った彼が、約ふた月ほど後、山から里へ下りて来た。何か或る一つの迷いを解くために、山へこもったらしかったが、冬山の雪に追われて下りて来た彼のその顔には、山に入る前より苦しげな迷いが刻みこまれていた。
 解けないものが次々に彼の心をさいなむ。一つ解くとまた一つの迷いに逢着ほうちゃくする。そしてまったく、剣も心も、空虚うつろになる。
「だめだ」
 自分で自分を、時にはまったく、嘆声たんせいのもとに、見捨てかける時すらあった。そして、
「いっそ……?」
 と、人なみな安逸を想像した。
 お通は? すぐ思う。
 彼女と共に、安逸をたのしむ心になれば、すぐにでも出来そうな気がするのだ。また、百石や二百石の、身過みすぎのための食禄をさがす気になれば、それも何処にでもあると考える。
 けれど。顧みて、
 ――それで不足はないか。
 と、自身に問うてみると、彼は決して、そんな生涯の約束を、甘受できなかった。反対に、
懦夫だふ! 何を迷う」
 と、身をののしって、じ難き峰を仰いで、よけいに※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)もがいた。
 時には、さもしい、浅ましい、餓鬼のように煩悩の中に。また時には、澄み返った、峰の月のように、孤高を独り楽しむほどいさぎよい気もちになったり――朝に夕に、濁っては澄み、澄んでは濁り、彼の心は、その若い血は、あまりに多情であり、また、多恨であり、また、さわがし過ぎた。
 そういう心の中の明暗不断な妄像もうぞうと同じように、形に現れる彼の剣も、まだまだ彼が自分で、
「よし」
 と、思う域には達していないのだった。その道の遠さ、未熟さが、自分には、余りに分りすぎているので、時折の迷いと、苦悶とが、烈しく襲ってくるのだった。
 山に入って、心が澄めば澄むほど里を恋い、女を思い、いたずらに若い血が狂いそうになる。木の実を喰べても、滝水を浴びて、いかに肉体を苦しめてみても、お通を夢みて、うなされる。
 ふた月ばかりで、彼は山を降りてしまったのである。そして藤沢の遊行寺ゆぎょうじに、数日足を留め、鎌倉へまわって来た所、そこの禅寺で、はからずも自分以上に苦しみもがいている男と出会った。それが旧友の又八であった。


 又八は、江戸を追われてから、鎌倉へ来ていた。鎌倉には、寺が多いと聞いていたからである。
 彼もまた、べつな意味で、苦悩していたところだった。もう二度と、自分が歩いて来た懶惰らんだな生活へ、戻ろうという意志はなかった。
 武蔵は、彼にいって、
「遅くはない。今からでも、自分をきたえ直して、世に出ればいいではないか。――自分で自分を、だめだと見限ったら、もう人生はそれまでのものだ」
 と、励ましたが――しかし、と付け加えて、
「とはいえ、かくいう武蔵も、実は今、何かまったく、壁のような行止りと、ともすれば、おれは駄目かな? ――と疑いたいような、虚無にとらわれて、何をする気もせているのだ。そういう無為むいやまいに、自分は三年に一度か、二年に一度ずつは、きっとかかるのだが、その時、駄目と思う自分を鞭打って励まし、無為のからを蹴やぶって、殻から出ると、また新しい行くてがひらけてくる。そしてまっしぐらに一つの道を突き進む。――するとまた、三年目か四年目に、行止りの壁につき当って、無為の病にかかってしまう。……」
 正直に、武蔵は告白して、さてまた、又八へ向っていうことには、
「ところが、今度の無為の病は、すこし重い。いつまでも、打開できぬ。殻の中と、殻の外との、境の闇に、もがいている無為から無為の日がつづく苦しさ……。で、ふと思い出したお方がある。そのお方の力をお借りするほかはないと――実は山を下りて、この鎌倉へ、そのお人の消息をさぐりに来た次第だが」
 と、話した。
 武蔵がいう、思い出した人というのは、彼がまだ十九か二十歳の向う見ずに道を求めてさまよっていた時代――京都の妙心寺の禅室へ足しげく通っていたことがあって――その頃、啓蒙の師事をうけたさきの法山の住、愚堂和尚、べつの名を東寔とうしょくともいう禅師だった。
 聞くと、又八は、
「そういう和尚ならば、ぜひおれを紹介ひきあわせてくれ。そしておれを、弟子にしてくれるように、頼んでみてくれ」
 と、いった。
 果たして又八が、そういう本心になったのか否かを、武蔵も初めは疑ったが、又八が、江戸へ出てから会ったの数々を聞くと。――そうか、それほどな目に会ったなら、さもあろう。心得た。きっと弟子入りのことはお願いしてみよう。――と武蔵も誓って、ともども、鎌倉の禅門をさがし歩いてみたところ、誰も知っている者がない。
 なぜならば、愚堂和尚は、数年前に妙心寺を去って、東国から奥羽の方を旅しているとは聞えていたが、至って、飄々たる存在で、時には、主上しゅじょう後水尾天皇の御座ちかく召され、清涼の法莚ほうえんに、禅を講じているかと思えば、ある日は、弟子僧ひとり連れず、片田舎の道に行き暮れて、夜の一飯に当惑していたりしているといった風な人だからである。
「岡崎在の、八帖寺はちじょうじへ行って、訊いてごらんなされ。そこへはよく、脚を留められるから」
 こう、さる寺で教えられて、ではそこへと、武蔵と又八は、岡崎へ来たが、愚堂和尚はやはりいなかった。けれど、一昨年ぶらりとお姿を見せ、陸奥みちのくの戻りにはまた、立ち寄るようなことをいわれていたという話に、
「では、何年でも、お帰りまで待とうではないか」
 と、武蔵は町に仮の家をさがして住み、又八は庫裡裏くりうらの寝小屋を借りて、共に、和尚の見える日を、もう半年以上も、待ち暮して来たのだった。


「小屋の中は、が多くて」
 又八は蚊やりをきつづけていたが、耐えられない眼をしていった。
「武蔵どの、外へ出ようか。蚊は外にもいるが、少しは……」
 と、いう間も、眼をこすっていた。
「うむ、どこでも」
 武蔵は先に出た。こうして訪れるたびに、少しでも、又八の心に何か不足を足して行ければ、彼の心もちは済むのだった。
「本堂の前へ行こう」
 深夜なので、そこは誰もいなかった。大扉おおども閉まっている。風もよく通る。
「……七宝寺を思い出すなあ」
 階段に足を投げ出し、縁に腰をかけながら、又八はつぶやいた。二人が顔をあわせた時、何ぞといえば、木の実や草の話からでも、すぐ故郷ふるさとの思い出が口に出るのだった。
「……うむ」
 と武蔵にも同じ思い出がわいていた。けれど、それからは、二人とも、黙って、思いを口に出さなかった。
 何時ものことである。
 故郷のはなしが出れば、それにつれて、お通のことが、二人の念頭にうかんでくる。また、又八の母のことやら、苦い数々の記憶が、今の友情をみだして来る。
 今では、又八も、それをおそれるふうであった。武蔵も、いわず語らず、避けていた。
 ――だが、その晩にかぎって、又八は、もっとそれについて話したいような顔つきで、
「七宝寺のある山は、ここよりも高かったな。ちょうど麓には、矢矧川やはぎがわと同じように、吉野川が流れていた。……ただここには、千年杉がない」
 武蔵の横顔を、そういいながら見つめていたが、突然、
「なあ、武蔵どの。いつかいおう、いつか頼もうと思っていたが、つい、いい出しかねていたが、おぬしにぜひ承知してもらいたいことがあるのだ。いてくれるか」
「わしに? ……はて。何をだ? ……。いってみい」
「お通のことだが」
「え」
「お通をっ……」
 という先に、感情のほうが、舌にからんでしまった。そして眼は、泣きそうになっていた。
 武蔵の顔いろも動いていた。お互いに触れまいとしていたものを、又八から急にいい出されて、咄嗟とっさ、その意志をはかりかねたのだった。
「おれとおぬしとは、心も溶け合うて、こうして一つ夜を語り合ったりしているが、あのお通は、どうしてるだろう。――いやどうなって行くだろう。この頃、ときどき思い出しては、済まないと心で詫びているのだ」
「…………」
「よくもおれは、長年の間、お通を苦しめたものだった。一頃ひところは、鬼のように追い廻し、江戸では一つ家においたこともあるが、決しておれに心はゆるさない。……考えてみれば、関ヶ原のいくさへ出た後から、お通は、おれという枝から離れて地へ落ちた花だ。今のお通は、べつな土から、べつな枝に咲いている花だ」
「…………」
「おい武蔵たけぞうっ。いや武蔵どの。……頼むから、お通をもらってやってくれ。お通を救ってやるものはおぬししかないぞ。……それも、以前もとの又八だったら、金輪際こんなことはいいもしないが、おれはこれから今までの取返しを、沙門しゃもんの弟子になってやろうと思い定めた所だ。もうきれいにあきらめた。……だがまた、気がかりにもなるのだ。……頼むから、お通をさがし出して、お通の望みをかなえてやってくれい」


 その晩。――もう夜もけきった丑満うしみつの頃。
 黙々と、松風の闇を、八帖の山門から、ふもとへ降りて行く武蔵の姿が見られる。
 腕をこまねいて。
 俯向うつむいて。
 彼が自分でいうところの無為むい空虚うつろの悩みが足もとにもまつわっているような歩みで――。
 今、本堂で別れて来た又八の言葉が、松かぜに洗われても、いつまでも、耳から離れなかった。
 ――頼むから、お通の身を。
 と、真剣でいった又八のあの声である、顔つきである。
 自分へそういった又八も、いい出すまでには、幾夜となく、もだえたであろう。苦しかったであろう。――と思いやられる。
 だが、より以上、見苦しい迷いと、苦悶とは、かえって自分にあることを、武蔵はいなめなかった。
 ……頼むから!
 を合さないばかりにいってしまった又八は、それまでの、日夜の焔からのがれて、後は却って、解脱げだつの身のすずしさに、泣きぬれて、悲しみと法悦との、二つのふしぎなうずきのなかに、ほかの生きいを、胎児たいじのように、今はさぐっている気もちであろう。
 又八が、面と向って、それをいい出した時、武蔵は、
(それは出来ない!)
 ともいい切れなかった。
(お通を、妻にもつ気はない。以前は、おぬしの許嫁いいなずけだ。懺悔ざんげと、真心を示して、おぬしこそ、お通との仲を取りもどせ!)
 とは、なおさら、いわれなかった。
 では、何といったか。
 武蔵は、始終、何もいわなかったのであった。
 何をいおうとしても、自分のことばは、嘘になるからだった。
 といって胸の底にわだかまっている本当らしいことは、自分に顧みて、いえもしなかったからである。
 それにひきかえて、今夜の又八は、必死だった。
 お通のことからして、解決しておかなければ、沙門しゃもんの弟子になっても、ほかの修行を求めても、一切、むだなものになるから。
 ――というのだった。
 そしてまた、
(おぬしがおれに修行をすすめたのではないか。それほど、おれを友達と思ってくれるなら、お通も救ってやってくれ。それはおれを救ってくれることにもなるんじゃないか)
 と、七宝寺時代の幼な友達の頃の口調そのままになって、果てはおいおいと泣いていったのである。
 武蔵は、彼のその姿に、
(四ツか、五ツの頃から見ているが、こんな純情な男とは思わなかった――)
 と、心のうちで、その必死な言に打たれると共に、
(おのれの醜さ。おのれの迷い……)
 とわが身をさえ恥かしく思って別れてしまったのであった。
 別れる時、又八が、たもとをつかんで最後のようになおいった折――武蔵は初めて、
(……考えておく)
 といったが、又八がなお、すぐ返辞をと求めてやまないので遂に、
(考えさせてくれ)
 と、辛くも、一時のがれをいい残して、山門を出て来たのだった。
 ――卑怯もの!
 武蔵は自分へののしりながら、しかもいよいよ、無為の闇から脱けられない、この日頃の自分をあわれに眺めた。


 無為の苦しさは、無為をもだえる者でなければ分らない。安楽は皆人の願うところだが、安楽安心の境地とは大いにちがう。
 なさんとして、何もできないのである。血みどろに※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)もがきながらも、頭ももうつろにけたここちである。やまいかというに、肉体にはかわりはない。
 壁へ頭をぶつけ、退くに退けず、進むに進めない。にッちもさッちも行かない空間に縛られて、果てもないここちがする。その果てに、われを疑い、われをさげすみ、われに泣く。
 ――浅ましや己れ。
 武蔵は、憤怒してみる。あらゆる反省を自己へそそいでみる。
 が、どうにもならないのだ。
 武蔵野から、伊織を捨て、権之助にわかれ、また、江戸の知己すべてと袂別べいべつして、風のように去ったのも、薄々、この前駆的症状を自分でも感じていたので、
 ――これではならじ。
 と、まっしぐらに、その殻を蹴やぶって出たつもりではなかったか。
 そして半年以上。気がついてみれば、破った筈の殻は、依然として空虚うつろの自分を包んでいる。あらゆる信念を喪失そうしつしかけて空蝉うつせみにも似た自分の影が、今宵もふわふわと暗い風の中を歩いている。
 お通のこと。
 又八のいったことば。
 そんなことすら、今の彼には、解決がつかないのだ。考えても、考えても、まとまらないのであった。
 矢矧やはぎ川の水が広く見えて来た。ここへ出ると、夜明けのように仄明ほのあかるかった。編笠のふちに、川風がびゅっと鳴って行く。
 その強い川風のなかにまぎれて、何か、ぴゅるウん――と唸ってかすめたものがあった。武蔵のからだを、五尺とは去らない空間をつき貫いて行ったのであったが、武蔵の影は、よりはやかったと思われるほど、すでにその辺の地上には見えなかった。
 ぐわうん、と矢矧川が同時に鳴った。鉄砲の音波に相違なかった。よほど火力のある強薬ごうやくで遠方から撃ったものだという証拠は、たまうなりと音響のあいだに、息を二つ吸うほどな時間があったのでも分った。
 武蔵は? ――と、見れば、矢矧の橋桁はしげたの陰へと、いちはやく跳んで、蝙蝠こうもりがとまったように、ぺたと身をかがめていたのである。
「……?」
 隣の筆屋の夫婦が、いつも気に病んでいっている言葉が思い出された。――しかし武蔵には、この岡崎に、自分を敵視する者があることさえ不思議だった。何者なのか、思い出せないのである。
 そうだ。
 今夜はそれを一つ見届けてやろうか。身を橋桁はしげたへ貼りつけた途端に、彼は考えていたことだった。――で、いつまでも、息をこらしてじっとしていた。
 だいぶ間があった。そのうちに、二、三人の男が八帖の丘の方からまつみたいに風に吹かれて駈けて来た。そして案のじょう、武蔵が最前立っていた辺の地上をしきりに見廻している様子なのだ。
「はてな」
「見えんなあ」
「も少し、橋寄りの方ではなかったろうか」
 すでに、狙撃そげきまとは、死骸になって仆れているものと考えて、火縄も投げ捨て、鉄砲だけを持って、やって来たらしいのである。
 鉄砲の真鍮巻しんちゅうまきが、ピカピカ光って見える。それは戦場に持ち出しても立派な物だった。抱えこんでいる男も、他のふたりの侍も、黒いでたちをして眼元だけしか出していなかった。

苧環おだまき



 何者か?
 そこに見えている二、三人の人影には、思い当りもなかったが、いつ何時なんどきでも、自分の生命に対する敵への心構えは、武蔵にあった。
 武蔵ばかりでなく、およそ今の時勢に生きている人間には、すべてに、日常に、その要心があった。
 殺伐さつばつな無秩序な、乱国の余風は決してまだ治まり切っているとはいえない。人は詭謀きぼう反間はんかんの中に生きているので、要心すぎて疑いぶかく、妻にさえ油断せず、骨肉の間さえ破壊されかけた一頃ひところの――社会悪はなお人間のなかによどんでいた。
 まして。
 きょうまでにも、やいばと刃のあいだに、武蔵の手にかかった者、或は、彼のために、社会からも敗北して去った者は、かなりな数にのぼっている。そうした敗者の係累けいるい一門、その家族らまでを合せればどれほどな数かわからない。
 もとより、正当な試合、または非は彼にあって、武蔵にない場合の結果でも――およそ、討たれた者の側からいえば、あくまで、武蔵はかたきよう。たとえば、又八の母などが、そのもっともよい例である。
 だから、このような時勢に、斯道このみちにこころざす者には、たえまなく、生命の危険がともなった。為に、一つの危険を斬り払うと、さらにそれが次の危険を生み、敵を作ったが――しかし、修行する身には、危険はまたとなき砥石といしであり、敵は不断の師であるともいえるのだ。
 寝る間も油断のならない危険にがれ、絶え間もなく生命をうかがう敵を師として、しかも剣の道は、人をも活かし、世をも治め、自己をも菩提ぼだいの安きに到って、悠久の生ける悦びを、諸人と共に汲みわかとうという願いにほかならないのである。――その至難の道の途中で、たまたま、つかれ果て、虚無に襲われ、無為に閉じめられる時――卒然として、めていた敵は、影をあらわして来るものとみえた。
 矢矧やはぎ橋桁はしげたに――
 武蔵は今、ひたと、身を寄せてかがみこんでいたが、その一瞬に、彼のこの日頃の惰気だきも迷いも、毛穴からサッと吹き消されていた。
 素裸になって、目の前の危険にさらされた生命のすずしさである。
「……はて?」
 わざと、敵を近よせて、敵の何者であるかを確かめようと思い、息をこらしていると、その影は、期していた武蔵の死骸がそこらに見当らないので、はっと気づいたらしく、彼らもまた、物陰へかくれて、人なき往来と橋のたもとを、かえって気味わるくうかがい直している様子だった。
 その動作に。
 武蔵が、はて? ――と感じたわけは、怖ろしく敏捷びんしょうなのと、黒扮装いでたちとはいえ、差刀さしものこじり足拵あしごしらえなど浮浪の徒や、ただの野武士とは、見えなかったからである。
 この辺の藩士とすれば、岡崎の本多家、名古屋の徳川家であるが、そういう方面から、危害を向けられる理由が考えられなかった。――不審だ。人違いかも知れない。
 いや人違いにしては、先頃来から露地口をのぞき見したり、裏藪うらやぶから眼を光らしたりする者があると隣の筆屋の夫婦までが感づいていた事実がおかしい。やはり武蔵を武蔵と知って、機をうかがっている者に相違はない。
「ははあ……橋向うにも仲間がいるな」
 武蔵が見ていると、物陰の暗がりへひそんだ三名は、そこで火縄をつけ直し、河の対岸へ向って、その火縄を振っていた。


 そこにも、飛び道具を持って潜んでいるし、橋向うにも敵の仲間がいるとすると、敵は相当、備えを立てて、
(今宵こそは)
 と、手具脛てぐすねひいているものと思われた。
 武蔵の八帖寺通いも幾夜となく、この橋を通ることもしげしげであったから、敵は、それを確かめ、地の利と配置とを、十分に用意しておく余裕もあったにちがいない。
 で――橋桁はしげたの陰から、武蔵は、うかと離れられない。
 おどり出るとたんに、ドンとたまが飛んでくることは知れきっている。そこの敵を捨てて、一散に橋を駈け渡ってしまうのはなおさら危険きわまるといっていい。――といって、いつまで、じっとかがんでいるのも策を得たものであるまい。なぜなら、敵は、対岸の仲間と、火縄で合図をわしているから、事態は、時の移るほど、彼の不利になって迫って来るものと見なければならないからだ。
 が武蔵には、間髪かんはつのまに、処する方法が立っていた。兵法によらず、すべての理は、それを理論するのは、平常のことで、実際にあたる場合は、いつも瞬間の断決を要するのであるから、それは理論立てて考えてすることではない。ひとつの「勘」であった。
 平常の理論は「勘」の繊維せんいをなしてはいるが、その知性は緩慢であるから、事実の急場には、まにあわない知性であり、ために、敗れることが往々ある。
「勘」は、無知な動物にもあるから、無知性の霊能と混同され易い。智と訓練にみがかれた者のそれは、理論をこえて、理論の窮極へ、一瞬に達し、当面の判断をつかみ取ってあやまらないのである。
 殊に、剣においては。
 今の武蔵のような立場に立った時においては。
 武蔵は、身をかがめたまま、そこから大きな声で、敵へいった。
ひそんでも、火縄が見えるぞ。益ないことだ。この武蔵に用事あらば、ここまで歩け。武蔵はここだっ。ここにいるッ」
 川風が烈しいので、声は届いたか届かなかったか疑われだが、その返辞に代えて、すぐ鉄砲の第二弾が、武蔵の声がした辺りを狙って撃って来た。
 もとより武蔵はもうそこに身を置いていなかった。橋桁に添って、九尺もいる所をかえていたが、弾と行きちがいに、彼の体はそこから敵のかくれている暗がりへ向って一躍した。
 次の弾をこめて、火縄の火を強薬ごうやくへ点じている間などなかったので、敵の三名は狼狽を極め、
「や。や」
「う。うぬ」
 刀を払って、おどって来た武蔵を、三方から迎えたが、それさえからくも間に合った姿勢なので、味方と味方の聯繋れんけいは取れていない。
 武蔵は、三名のなかへ割って入ると、こうの者を、大刀で一さつの下に断ち伏せ、左側の男を、左手で抜いた脇差で、横にいだ。
 一人は逃げ出したが、よほどあわてたとみえて、橋桁はしげたたもとへ、盲とんぼのようにぶつかり、そのまま矢矧やはぎの大橋を、のめるように駈けて行った。


 ――それから、武蔵も、常の足どりで、ただ欄干に身を添いながら、大橋を渡って行ったが、何の事も起って来ない。
 しばらくの間、来る者あれば待つように、身をたたずませていたが、かわったこともなかった。
 家に帰って彼は眠った。
 すると、翌々日。
 無可先生として、手習い子の中にじって、自分も一脚の机にり、筆を持って習字していると、
「ごめん――」
 軒端からさしのぞいて、訪れた侍がある。二人づれだ。狭い土間口は、子供の穿物はきものだらけなので、そういってから、木戸もない裏の方へ廻って来て、縁先へ立った。
「――無可むか殿は御在宅だろうか。それがしどもは、本多家の家中で、さるお人の使いとして参ったのだが」
 子供らの中から、武蔵は、顔をあげて、
「無可は、私ですが」
「尊公が、無可と仮名しおる、宮本武蔵どのか」
「え」
「お隠しあるな」
「いかにも武蔵に相違ござらぬが、お使いのおもむきは」
「藩の侍頭さむらいがしら亘志摩わたりしまどのをご存じあろうが」
「はて。存じ寄らぬお人でござるが」
「先様では、よう知っておいでられる。其許そこもとには二、三度ほど、当岡崎で俳諧はいかいの席へ顔を出されたであろうが」
「人に誘われて、俳諧の寄合へ参りました。無可は、仮名に非ず、俳諧の席でふと思い寄ってつけた俳号でござる」
「あ。俳名か。――それはまあ何でもよろしいが、亘殿も、俳諧を好まれ、家中の吟友ぎんゆうも多い。一夜、静かにおはなし申したいと仰せでござるが、お越し賜わろうか」
「俳諧のお招きなれば、他にふさわしい風流者がござろう。気まぐれに、当地の俳莚はいえんへ、誘われたことはあるものの、生来、雅事を解さぬ野人でござれば」
「あいや。何も、俳莚を開いて句をひねろうというのではない。亘殿には、仔細あって、其許を知っておられる。――で会いたいというのが趣旨。また、武辺ばなしなど、聞きもし、話もしたし――というのであろうと存ぜられる」
 手習子たちは皆、手を休めて、先生の顔と庭に立っている二人の侍の顔とを、心配そうに見較べていた。
 武蔵は、黙って、そこから縁先の使いを、正視していたが、考えを決めたものとみえ、
「よろしゅうござる。お招きに甘えて参堂いたそう。して、日は」
「おさしつかえなくば、今夕にでも」
亘殿わたりどののおやしきは、どの辺?」
「いや、お越し下さるとあれば、その時刻に、かごを向けて、お迎えに参ろう」
「然らば、お待ちする」
「では――」と、使いの二人は、顔を見あわせて、うなずきを交わしながら、
「お暇しよう。――武蔵どの、御授業の中、失礼した。では相違なくその時刻までにお支度おきを」
 と、帰って行った。
 筆屋の女房は、隣の台所から、顔を出して、不安そうにのぞいていた。
 武蔵は客が帰ると、
「これこれ、人のはなしに気をとられて、手を休めていてはいかんな。さ、勉強せい。先生もやるぞ。人のはなしも、せみの声も、耳にはいらぬまでやるのだ。小さい時になまけていると、この先生みたいに、大きくなっても手習していなければならんぞ」
 墨だらけな、子供たちの手や顔を、見まわして笑いながらいった。


 黄昏たそがれ――
 武蔵は身支度していた。
 はかまを着けて。
「よしたがよい。何とかいうて、断りなされた方が……」
 その間、隣のかみさんは、縁先へ来て止めていた。果ては、泣かぬばかりに。
 だが、ほどなく、迎えの駕は露地口へ来てしまった。もっこのような町駕ではない。輿こしに似た塗籠ぬりかごである。それにけさの侍二名、小者三人ほど付いて。
 何事やらん――と近所界隈かいわいは眼をそばだてた。駕のまわりに人立ちがした。武蔵が侍たちに迎えられてそれへ乗ると、寺子屋のお師匠さんはえらい出世をなさったと、まことしやかにもう噂する者がある。
 子供らは子供らを呼び集めて、
「先生はえらいんだぞ」
「あんなお駕は、えらい人でなければ、乗れないよ」
「どこへ行くんだろ」
「もう帰らないのかしら」
 駕戸をおろすと、侍は、
「こら、退け退け」
 先を払って、
「いそげ」
 と、駕仲間かごちゅうげんへいった。
 空が赤かった。町のうわさは夕焼に染められている。人が散った後へ、隣のかみさんは、うりの種やら、ふやけた飯つぶのじっている汚水をきちらした。
 ところへ。
 若い弟子を連れた坊さんがそこへ来た。法衣を見てもすぐ分る通り禅家の雲水うんすいさんである。油蝉あぶらぜみみたいな黒い皮膚をし、かなつぼまなこというのか、眼のくぼがくぼんでいて、高い眉骨の下から、ひとみがぴかぴかしている。四十から五十ぐらいな間の年齢であろう。こういう禅家の人の年齢は、凡眼ではよく分らない。
 体は、小づくりで、贅肉ぜいにくが少しもない。痩せッぽちなのだ。しかし、声が太い。
「おい。おい」
 連れている白瓜しろうりみたいな弟子を振顧って、
「又八とやら。おい又八坊」
「はい、はい」
 そこらの軒並びを覗き歩いて、うろついていた又八坊は、蒼惶そうこうとして、油蝉のような顔した雲水さんの前へ来て、つむりを下げた。
「分らないのかい」
「ただ今、さがしております」
「おまえ、一度も、来たことはないのか」
「はい。いつも、山へ足を運んでくれますのでつい」
「訊いてみなさい。その辺で」
「は。そう致しましょう」
 又八坊は、歩きかけると直ぐ、戻って来て、
「愚堂さま。愚堂さま」
「おい」
「分りました」
「分ったか」
「ついそこの、眼の前の露地口に、看板の板が打ってございました。――童蒙どうもう道場、てならいしなん、無可むかと」
「ウむ。そこか」
「おとずれてみましょう。愚堂さまには、ここでお待ち下さいますか」
「何。わしも参ろうよ」
 おとといの夜、武蔵とあんな話をして別れたので、きのうも今日も、どうしたかと気にかけていた又八に、きょうは大きな歓びが降って来た。
 待ちかねていた――二人してしょくを望むように待っていた東寔とうしょく愚堂和尚が、ふらりと、旅よごれのまま、八帖寺へ見えたのである。
 さっそく、又八から、武蔵のことを伝えると、和尚はよく記憶していて、
「会ってやろう。呼んで来い。いや彼ももうひとかどの男。こちらから出向いて行こう」
 と、八帖寺では、わずかの休息をしたきりで、直ぐ又八を案内に、町へ下りて来たのだった。


 亘志摩わたりしまは、岡崎の本多家の内でも、重臣の列にあることは、分っていた。けれどその人物については、武蔵は、少しも知る所がなかった。
 ――一体、何で自分を、迎えによこしたのか?
 それについても、彼には思い寄りもなかった。いて求めれば、ゆうべ矢矧やはぎの辺りで家中らしい黒扮装くろいでたちの卑怯者を、二人も斬り捨てたので、それを取り上げて、何か難題を迫るのではなかろうか。
 または。――日頃から自分をつけ狙っている何者かが、手にもてあまして、遂に、亘志摩わたりしまという背後の黒幕を切って落し、正面からものいおうという陥穽かんせいか。
 いずれにしても、ことであろうとは考えられない。にもかかわらず、身を迎えにゆだねて行くからには、武蔵にも覚悟はあるのであろう。
 その覚悟とは?
 もし問う者があれば、彼は、
 臨機。
 と一語で答えるだろう。行ってみなければ分らないことなのだ。生兵法の推理はこの場合禁物である。機にのぞんで、咄嗟とっさの肚を決めるほかに兵法はないのである。
 その変が、行く途中で起るか、行った先で起るか。
 敵が、じゅうをよそおってくるか、剛をあらわして来るか。
 それも未知数である。
 海の中を揺れて行くように、駕の外は暗く、そして松風の音だった。岡崎城の北郭から外郭の一帯は松が多い。さては、その辺をいま通って行くな――
「…………」
 武蔵は覚悟の人とも見えない姿だった。目を半眼に閉じ、うとうとと、駕の中で眠っていた。
 ギイ、と門の開く音。
 駕をになう小者の足幅はゆるやかになり、そして、家人らの声はかそけく、そこここにす灯影はやわらかい。
「……着いたのかな」
 武蔵は駕を出てみる。いんぎんに迎える家従らは、黙々、彼を広い客間へ通した。れんは捲かれ、四方は開け放たれ、ここも濤音なみおとのような松風のなかにって、夏もわすれる涼しさのかわりに、燭の明滅ははなはだしい。
亘志摩わたりしまでござる」
 あるじは、直ぐ対した。
 五十がらみの人。見るからに剛健で、軽薄の風がない。典型的な三河武士だ。
「――武蔵です」
 礼をる。
「……お楽に」
 志摩は、会釈して、さて――という顔をしていった。
「一昨夜、家中の若侍二人、矢矧やはぎの大橋で、斬って捨てられたそうな。……事実でおざろうか」
 ぶつけである。
 思慮のいとまもない。また、武蔵はそれをつつむ気持も毛頭ない。
「事実でござります」
 さて。――それからどう出て来るか。武蔵は、志摩のひとみを、凝視ぎょうしした。澄み合った二人のおもてに、燭の明滅がしきりとはためく。
「それについて」
 と、志摩は口重く、
「――お詫びせねばならぬ。武蔵どの、まず許されい」
 と、少しを下げた。
 しかし、武蔵は、その挨拶を、まだそのままには受け取れなかった。


 今日、自分の耳にはいったばかりであるが――と亘志摩わたりしまは、前提して、
「藩へ、死亡届が出た。矢矧やはぎの辺で斬られたのだとある。調べさせてみると相手方は貴公との事。貴公の名は、うけたまわっていたが、当御城下にお住いとは、それで、初めて知ったのでござる」
 と、話しだした。
 嘘は、見えない。武蔵も、信じて、聞き出した。
「――で、何が故に、貴公を闇討ちにしようと計ったか、厳重に、調査いたしてみた所、御当家のお客分に、東軍流の兵法家で三宅軍兵衛みやけぐんべえといわるるじんがあるが、その門人と、藩の者四、五名が、はかってやったことが相分った」
「……ははあ?」
 なお、武蔵はせない顔。
 だが、次第にそれも解けた。亘志摩の話によって明確になった。
 三宅軍兵衛の直弟子じきでしのうちに、以前、京都の吉岡家にいた者があり、また、本多家の子弟のうちにも吉岡門流の者が何十人となくある。
 そうした人々の間に、
(近頃、御城下で、無可むかと変名している牢人は、京都の蓮台寺野、三十三間堂、一乗寺村などで、相次いで吉岡一族の者をほうむり、遂に、吉岡家そのものを、断絶にまで導いてしまった宮本武蔵だといううわさだが)
 と、伝えられ出したことから、今なお、武蔵に深い怨恨を抱いている者の口火から、
眼障めざわりだ)
 となり、
(討てぬものか)
 と、ささやかれ出し、遂に、
れ」
 と、なってしまって、かなり根気よく機をはかっていたが、一昨夜のような失敗に帰してしまったわけだというのであった。
 吉岡拳法の名は、今もなお、慕われている。諸国行く先々で聞かぬ所はない。いかにその盛んであった時代には、多くの門下を、諸国に持っていたかも察知できる。
 本多家だけでも、その刀流をんだ者が、何十人もあるというのは本当だろう。――武蔵は、事の真相にうなずくと共に、自分を恨んでいる人々の気持もわかる気がした。しかし、それは武門の上でなく、人間の単なる感情としてのみである。
「――で、その不心得と、恥ずべき卑劣は、きょう御城内で、その者どもへ、きつく叱りおいた。ところが、お客分の三宅軍兵衛殿には、自身の門人も交じっていたことゆえ、いたく恐縮されて、ぜひ其許そこもとへ会って、一言、お詫びしたいとある。……どうじゃな、ご迷惑でなくば、これへ呼んで、お紹介ひきあわせいたすが」
「軍兵衛殿には、ご存じない儀とあれば、それには及びませぬ。兵法者の身に取れば、前夜の事ども路傍ままあること」
「いや、それにせよ」
「謝罪の何のというのでなく、ただ道を語る人としてなら、かねてお名まえを聞いておる三宅殿、お目にかかることに異存もござりませぬが」
「実は、軍兵衛殿も、それを望んでおるのじゃ、――さらば、早速にも」
 亘志摩わたりしまは、すぐ家臣に、その旨を伝えさせた。
 三宅軍兵衛は、先に来て、別の間に待っていたものとみえ、弟子四、五名連れて、ほどなくはいって来た。弟子というのも、勿論、歴乎れっきとした本多家の家中なのである。


 危惧きぐは去った。――とにかく一応そう見えた。
 亘志摩から、三宅軍兵衛とその他の者を、紹介ひきあわせると、軍兵衛も、
「どうか、一昨夜のことは、水に流して」
 と、門人の非を謝し、それからは隔意もなく、武辺ばなしや、世間ばなしに、座は賑わった。
 武蔵が、
「東軍流という御流名は、めったに、世間にも、同流を見かけぬように存ずるが貴方の御創始か」
 と、問うと、
「いや、てまえの創始ではござらぬ」
 と、軍兵衛がいう。
「てまえの師は、越前の人、川崎鑰之助かわさきかぎのすけと申し、上州白雲山にこもって、一機軸を開いたと、伝書にはあるなれど、実は天台僧の東軍坊なる人から、技をまなんだものらしゅうござる」
 と、武蔵の姿を、改めて、しげしげ見直しながら、
「かねて、お名前だけを聞いておった感じでは、もっと、御年配かと存じていたが、お若いので、意外でござった。――これを御縁にぜひ一手、御指南にあずかりたいが」
 と、迫った。
 武蔵は、
「いずれ折もあらば……」
 と、軽くかわし、
「道不案内ゆえ」
 と、志摩へ挨拶しかけると、いやいやまだお早い、帰りは誰か、町の口までお送りさせる――と引き止めて、軍兵衛がまた、
「実は其許そこもとのために、門人ふたりが矢矧やはぎの橋もとで、斬られたと聞いた時、てまえも駈けつけて、その死骸を見たのであったが――二つの死骸の位置と、二人のうけた刀痕とうこんとに、どうも合致せぬ不審があったのでござる。……で、逃げ帰った門人のひとりにただすと、よくは見えなかったが、確かに、其許には両の手に、同時に刀をられたらしいとの申し立て。さすれば、世にもめずらしい御流儀じゃ。二刀流とでもいうのでござるかな?」
 武蔵は、微笑していう。自分はまだかつて、意識して二刀を用いたことはない。いつも一体一刀のつもりである。いわんや、二刀流などと自分からとなえたことなどは、今日までないことである。
 しかし、軍兵衛たちは、
「いや、御謙遜ごけんそんを」
 と、承知しない。
 そして、二刀の法について、いろいろな質問を出し、いったいどういう習練をし、どれほどな力量があったら、二刀を自由に使いこなせるものか――などと幼稚なことを臆面もなく訊いてくる。
 武蔵は、帰りたくて堪らなかったが、こういう人たちに限って、その質問に満足を得ないと、帰しそうもないので、ふと、床の間に立てかけてある二ちょうの鉄砲に目をとめて、あれを御拝借できようかと、あるじ亘志摩わたりしまへいった。


 主の許しを得て、武蔵は、床の間から二挺の鉄砲を取って、座の中央にすすんだ。
「……はて?」
 何をするのかと、人々は怪しみながら見まもった。二刀についての質問を、二挺の鉄砲で、どう答えるつもりかと。
 武蔵は、鉄砲の筒のほうを、左右の手に、持ちながら、片膝を立て、
「二刀も一刀。一刀も二刀。左右の手はあるも体は一体。すべてにおいて、道理にふたつなく、理の窮極においては、何流何派といえど変りのある訳はござらぬ。――それを眼にお見せ申そうならば」
 と、両手に握った鉄砲を示し、
「御免」
 といったかと思うと、にわかに、矢声をかけて、その二挺をぶんぶんと振り廻した。
 凄まじい風が座に起って、武蔵のひじが描く二挺の鉄砲の渦は、さながら苧環おだまきめぐるように見えた。
「…………」
 何がなし人々は、気をのまれて、おもても白け渡ってしまった。
 武蔵は、やがて直ぐ、ひじおさめて、鉄砲を元の位置へもどすと、その機に、
「失礼いたした」
 と、微笑を見せたのみで、二刀の法については、何も説明らしい説明もせず、そのまま席を辞して、帰ってしまった。
 に取られたまま忘れてしまったものか、お帰りには誰か付けて送らせる――といった筈だが彼が門を去っても、送って来る者はない。
 その門を、振り向くと――
 颯々さっさつと墨のような松風の中に、何やら無念をのこしているような、客間のかすかにまたたいていた。
「…………」
 武蔵は、何やらほっとした。白刃の囲みを脱したよりも、こよいの門は虎口だった。形のない、底意の知れない相手だけに、彼も実は、用意する策もなかったのであった。
 それにしても人々に武蔵と知られ、また、事件をかもしたからには、もう岡崎にも長居はならない。こよいのうちにも立退くのが賢明だが――
「又八との、約束もあるし、どうしたものか?」
 独り案じながら、松風の闇を、歩いて来ると、岡崎の町の灯が、街道の突当りに、ちらと見え出して来た頃、路傍の辻堂から、
「おお武蔵どの。――又八だ。心配しながら、待っていたのだ」
 思いがけなく、その又八が、声をかけて、無事を喜んだ。――が、
「どうして、此処へ」
 と、武蔵は疑う。
 しかしふと、辻堂の縁に、腰かけている人影に気づくと、彼は又八から仔細を聞いているいとまもなく身を進めて、
禅師ぜんじではございませぬか」
 と、その脚下にぬかずいた。
 愚堂は、彼の背に、まなこをそそいで、ややしばらくの間をいてから、
「久しいのう」
 といった。
 武蔵も、おもてを上げ、
「お久しゅうござりました」
 と、同じことをいった。
 だが、その簡単な言葉のなかに、万感がこもっていた。
 武蔵に取っては、自分が近来、突当っている無為から自分を救ってくれる者は、沢庵か、この人しかないと、待ちに待っていたその愚堂和尚であったから、あたかも、闇夜に月を仰いだように、愚堂の姿を仰いだのであった。


 又八も愚堂も、武蔵がこよい、無事で帰るかどうかは、不安に思っていたのである。悪くしたら武蔵は、亘志摩わたりしまやしきから帰らぬ者になるのではないか――などと憂いながら、それを確かめるべく、これまで来た途中だった。
 夕方。
 行きちがいに、武蔵が出た後を訪ねたところ、隣家の筆職人の女房が、常々、武蔵の身辺に、案じられる節のあったことや、きょう侍の使者が見えたことなど――つぶさに聞かせてくれたので、
 さては。
 と、そこで帰りを待つ気にもなれず、何か取る策もあろうかと、亘志摩の邸附近を心あてに、これまで来たわけである――と又八は話した。
 武蔵は、聞いて、
「そんな心配をわずらわしていたとは思わなかった。かたじけない」
 と、彼の親切気には、深く謝したが、なお、愚堂の脚下にひざまずいた身はいつまで、起そうともせず、じっと地に坐っていた。
 そして、やがて、
和上わじょうっ」
 と、強く呼んだ。愚堂の眸を、きっと見上げたままにである。
「なにか」
 愚堂は、武蔵の眼が、自分に何を求めているか、母が子の眼を読むように、すぐ覚っていたが、
「何か」
 かさねて訊ねた。
 武蔵はひたと、両手をつかえ、
「妙心寺のゆかに参禅して、初めてお目にかかりました頃から、はや十年に近くなりました」
「そうなるかのう」
「月日は十年を歩みましたが、自分は何尺の地を這ったか。顧みて、自分でも疑われて参りました」
「相変らず、乳くさいことをいう。知れたことじゃ」
「残念でござります」
「何が」
「いつまで修行の至らぬことが」
「修行、修行と、口にしているうちはまだ駄目じゃろうて」
「といって、離れたら?」
「すぐよりが戻ろう。そして、初めから物をわきまえぬ無知の者より、もっと始末のわるい、人間のくずができる」
「離せば、すべり落ち、登ろうとすれどじ切れぬ、絶壁の中途に、私は今、あがいております。――剣についても。また、一身についても」
「そこだな」
「和上っ。――お目にかかる今日の日を、どれ程、お待ちしていたか知れませぬ。どうしたらいいでしょう。如何にせば、今の迷いと無為から脱し切れましょうか」
「そんなこと、わしは知らぬ。自力しかあるまい」
「もいちど、私を、又八と共に、御膝下へおいて、お叱り下さい。さもなくば、一かつ、虚無のめるような痛棒をお与え下さい。……和上っ。お願いでござります」
 ほとんど、顔へ土のつくばかり、武蔵は地に伏して叫んだ。涙こそ流さないが、声はむせんでいた。苦悶の咽びが悲痛に人の耳を打った。
 だが、愚堂の感情は、ちっとも動いたとは見えない。黙って、辻堂の縁を離れたかと思うと、
「又八。来い」
 と、のみいって、先へ歩き出した。


和上わじょうっ」
 武蔵は起って、追いすがった。そして愚堂のたもとをおさえ、なおも一言の答えを求めた。
 すると――
 愚堂は黙って、かぶりを振って見せた。けれどなお、武蔵が手を離さないので、こういった。
「無一物」
 と。――そこでことばを切って、
「何かあらん。施与せよまた、他に何をか加うあらん。――あるは、かつっ」
 こぶしを振りあげた。
 ほんとになぐりそうな顔をした。
「…………」
 武蔵は、たもとを離して何かいおうとしたが、愚堂の脚はすたすたと先へ急いで振向きもしない。
「…………」
 茫然、武蔵が、その背を見送っていると、後に残った又八が、早口に彼をなぐさめていった。
「禅師は、うるさいことが嫌いらしい。寺に見えた時、おれがおぬしのことや、自分の気持を述べて、弟子入りを頼むと、よくも聞かないで、――そうか、では当分、わしの草鞋わらじひもでも結んでみろ、といった。……だからおぬしも、くどいことをいわずと、黙って後にいて来ることだ。そして機嫌のいいところを見てよ、何かと、何遍でも訊いてみたらいい」
 ――と、彼方で。
 愚堂は足を止めて、又八を呼んでいた。又八は、はいっと大きく答えながら、
「いいか。そうしろよ」
 いい残すと、あわてて愚堂の後を追いかけて行った。
 愚堂は又八が気に入ったらしい。弟子として許されている彼が、武蔵には、うらやましかった。――そして又八のような単純さと、素直さのない自分が顧みられた。
「――そうだ。たとい何と仰っしゃられようと」
 武蔵は、くわっと、体が燃えるように思った。――怒って振り上げたあの鉄拳を横顔に受くるまでも、一言の教えをここで乞わずにまたいつの日会う折があろう。何万年とも知れぬ悠久な天地の流れのうちに、六十年や七十年の人生は、さながら電瞬のような短い時でしかない。その短い一生のあいだに、会い難き人に会うというほど尊いものはない。
「――その尊い機縁を」
 と、武蔵は、まなじりに熱涙をためて、愚堂和尚の去りゆく影を見つめた。そしてその機縁を、やわか今、逸してなろうかと思った。
 どこまでも!
 一言の答を得るまでは。
 武蔵はやにわに追いかけた。そして愚堂が歩く方へ、彼も足を早めて、いて行った。
 知ってか。知らずか。
 愚堂は、八帖の方へは、帰らなかった。恐らくその足は、ふたたび八帖の寺へ帰る意志はなく、もう水と雲とを住居としている心なのであろう。東海道へ出て、京へさして行くのであった。
 愚堂が、木賃に泊れば、武蔵は木賃の軒端に寝た。
 朝、又八が、師の草鞋の紐をむすんで立つ姿を見て、武蔵は、友人のためにうれしかったが、愚堂は武蔵のすがたを見ても、言葉もかけてくれなかった。
 しかし、武蔵は、もうそれに心を屈しなかった。むしろ愚堂の眼ざわりにならぬよう遠く離れて、日ごとに慕い歩いて行った。――その夜そのまま、岡崎に残して来た裏町の一庵も、そこの机も、一節切ひとよぎり竹花生たけはないけも、また、隣のかみさんやら、近所の娘の眼やら、藩の人々の恨みやもつれやらも、今は一切、すべてを忘れ果てて。

まる



 京へ、京へ、道は近くなる。
 察するに愚堂は、京へさして歩いているのであろう。花園妙心寺は、その総本山でもあるし――。
 だが。
 その京都へはいつ着くことやら、禅師ぜんじの旅は気まかせだった。雨に降りこめられて木賃から出て来ない日、武蔵がうかがってみると、又八にきゅうをすえさせていた。
 美濃みのまで来た。
 そこの大仙寺には七日もいた。彦根の禅寺にも幾日か泊った。
 禅師が木賃に泊れば、附近の木賃へ。寺ならば寺の山門へ、武蔵はどこにでも寝た。そしてひたすら、禅師の口から一言の教えを授けられる機会を待った。いやそれを追いつめて行ったのだった。
 湖畔の寺の山門に寝た晩、武蔵は、今年の秋を知った。いつか秋だった。
 顧みると、わが身のすがたは、まるで乞食のようになっている。蓬々ぼうぼうと伸びた髪の毛も、禅師の心の解ける日までは、くしを入れまいとしていたし、風呂にも入らず、ひげらず、雨露にまかせた衣服はつづれ、腕も胸もかさかさと、松皮のような撫で心地がする。
 吹き落ちるような星、秋の声。
 一枚のむしろを、宿として、武蔵はふと、
「何の愚ぞ」
 と、自分の狂的な今の気持を、冷ややかに嘲笑あざわらった。
 一体、何を知ろうとするのだ。何を禅師に求めるのだ。
 こんなにまで、追求しなければ人間は生きられないものか。
 あわれになる。
 愚かな身に住む半風子しらみまでが不愍ふびんになる。
 禅師はいった。求める自分へ対して、はっきり断っている。
 無一物。――と。
 その人へ向って、無い物を強いて求めるのが無理だ。いくらいて来ても、禅師が、路傍の犬ほども顧みてくれないからとてうらむ筋もない。
「…………」
 武蔵は、髯の中から、月を見た。山門の上は、いつか秋の月だった。
 まだ蚊がいる。
 彼の皮膚は、もう蚊の針さえ感じない。しかし、喰われた後は血になって、それが無数に、胡麻粒ごまつぶほどな腫物できものになっていた。
「ああ、分らない」
 たった一つ、何かしら、分らないものがある。――それさえければ、凝結している剣も、すべても、刮然かつぜんと、解けそうな気がするのであったが、どうにもならない。
 もし、自分の道業も、ここで終ってしまうなら、むしろ死したがましだと思う。生きて来たかいが見出せないのだ。寝ても眠られないのだ。
 では。
 その分らない物とは何、剣の工夫か、それのみではない。処世の方角か。そんなことにも止まらない。お通の問題か。否とよ、恋のみで、男がこんなにまで痩せ細ろうか。
 すべてをつつんだ大きな問題だ。しかしまた、天地の大からたら、ケシ一粒の小さい事かもしれない。
 武蔵は、むしろを身に巻いて、蓑虫みのむしのように石の上に寝ころんだ。――又八はどう寝ているだろう。苦しみを苦しまない又八と、苦しむために苦しみを追っているような自分と――思いくらべて、ふとうらやましかった。
「……?」
 何を見たか、そのうちに武蔵は起き上がって、山門の柱を見つめていた。


 山門の柱に懸っている長いれんの文字に、武蔵の眼はじっとむかっていた。月明りに読まれるその二柱の字句を辿たどってみると、
汝等請ウ其本ソノモトヲ務メヨ
白雲ハ百丈ノ大功ヲ感ジ
虎丘ハ白雲ノ遺訓ヲ歎ズ
先規カクノ如シ
誤ッテ葉ヲ
枝ヲ尋ヌルコトナクンバ好シ
「…………」
 これは開山大燈の遺誡いかいの文にあった言葉かと思う。
 ――誤ッテ葉ヲ摘ミ枝ヲ尋ヌルコト莫ンバ好シ。
 とあるそこだけを、心に沁みて読み返していた。
 枝葉――
 そうだ。いかに、葉や枝先にのみ、わずらいを繁茂させている人間の多いことか。
(自分も)
 と、そこに顧みて、彼は、急に一身が軽くなった。
 その一身にたいしている一剣になぜ成りきらないか。なぜわきを見るか。なぜそこに澄みきらないか。
 あの事は?
 この事は?
 らざる右顧左眄うこさべんだ。一道をつきぬくのに何の傍見。
 ――とは思うが、その一道に行詰っていればこそ、右顧左眄が生じるのだった。葉をみ枝を尋ねる愚かな焦躁しょうそうに責められ惑わされてくるのである。
 どうして、その行詰りを打開するか。核に入って核を破るか。
自笑十年行脚事みずからわろうじゅうねんあんぎゃのこと
痩藤破笠扣禅扉そうとうはりゅうぜんびをたたく
元来仏法無多子がんらいぶっぽうたしなきなり
喫飯喫茶又著衣きっぱんきっさまたちゃくい
 これは愚堂和尚が自嘲の作という一であった。武蔵は今、それを思いだした。自分もちょうどその年齢の頃であった。初めて妙心寺に愚堂の名を慕って訪ねてゆくと、愚堂はいきなり、
(汝、そも何の見地かあって、愚堂門の客たらんとするか)
 と、足蹴にかけないばかり大喝だいかつで追い払われた。その後、愚堂の心にかなう所を認められたか、許されて室に参じたが、或る折、前の一詩を示して、
(修行修行といってるうちは、まあ駄目じゃろう)
 と、わらわれたものであった。
 自笑十年行脚事――
 と、愚堂はくに――十年も前に自分に教えていた。しかもそれから十年後の今もまだ、道にさまよっている自分を見ては、
(救い難い愚物)
 と、あいそも尽き果ててしまわれたに違いない。
 呆然、武蔵は立っていた。寝もやらず、山門のまわりを巡って――
 すると、にわかに。
 この夜半よなかを、寺から立って行く者があった。山門を出て行く時、ふと見ると、又八を連れた愚堂である。
 いつになく早い脚で。
 何か、本山に急用でも起って京へ急ぐのか。寺の人々の見送りも断って、瀬田の大橋を真っ直に。
 武蔵は、もちろん、
「――遅れては」
 と、白い月の下の影を追って、果てなく慕って行った。


 軒並び寝しずまっていた。昼見る大津絵屋も、混雑な旅籠屋はたごやも、薬の看板も、戸が閉って、人なき深夜の往来は、ただ月ばかりが恐ろしく白い。
 大津の町。
 そこも、またたく間に過ぎて。
 道は、のぼりになる。三井寺や世喜寺せきでらの山には、ひっそり夜霧がかぶっていた。逢う人も稀だ。ほとんどない。
 やがて、峠の上へ出た。
「…………」
 先の愚堂は立ちどまっている。又八坊に何か話しかけ、月を仰いで一息ついている姿だった。
 もう、京は眼の下。振返れば、琵琶びわうみもひとめの高さ。けれど、一輪の月以外は、一色である。雲母光きららびかりの夜霧の海である。
 武蔵は、一足遅れて、そこへ登って来た。計らずも、愚堂と又八が、足を止めていたので、その影を間近に見もし――先からも見られて、何がなし、ぎくとした。
 愚堂も無言。
 武蔵も無言だった。
 しかし、こう眸を向け合ったのは実に何十日目か。
 武蔵は、咄嗟に、
「今――」
 と、思った。
 京都はもうそこだ。妙心寺の禅洞ぜんどうふかくかくれてしまわれたら、再びまた、幾十日を待ったら禅師に接する折があるかわからない。
「……もしっ!」
 彼は、遂に叫んだ。
 だが、余りに思いつめていたので、その思いに、肋骨あばらはふくらみ、声はつまって、子が親に、いい出しにくいことをいおうとする怖れにも似て、おずおずと、前へ出るにも、足はすくみがちだった。
「……?」
 何だ――。とも訊いてくれないのだ。
 まるで乾漆かんしつで出来てるような愚堂の顔から、眼だけが白く、それを憎むかのようにするどく、武蔵の影を見つめるだけだった。
「もしっ。和上っ……」
 二度目にさけんだ時は、武蔵はもう前後もわきまえなかった。ただ燃え苦しむ火のかたまりのように駈けまろんで行って、愚堂のあしもとへ、
一言ひとことっ。一言を! ……」
 とのみいったきりで、大地へおもてを伏せていた。
 そしてじっと――武蔵は全身でその人の一言を待っていたが、いつまでも、実にいつまでも、答えはなかった。
 武蔵は待ちきれず、こよいこそは、抱懐の疑義をただそうものと、いいかけると、
「聞いておる」
 愚堂は初めて、口を開いて、
「又八坊から、毎晩のように、聞いておるので万承知じゃ。……女子おなごのことも」
 終りの一句に、武蔵は、水をかけられたここちだった。おもても上げ得ずにいた。
「又八、棒切れを貸せ」
 愚堂はいって、彼の拾った棒切れをうけ取った。武蔵は、頭上に下る三十棒を観念して、眼をふさいでいたが、棒は彼のこうべには来ないで、彼の坐している外を、ぐるりと駈けて廻った。
 愚堂は、棒の先で、地へ大きなまるを描いたのである。――その円の中に、武蔵の姿は在った。


「行こう」
 と、棒を捨てた。
 そして愚堂は、又八をうながして、すたすた歩み去った。
 武蔵はまたも、取り残された。岡崎の場合とちがって、ここに至ると、彼も憤然とした。
 数十日のあいだ、真心と、惨憺さんたんたる苦行をこめて、教えを乞おうとする末輩に、余りにも、慈悲がない。無情酷薄だ。いや、ひとをもてあそびすぎる!
「……くそ坊主め」
 彼方をにらんで、武蔵は、唇を喰いしばった。いつか、無一物などといったのは、絶無の頭脳あたまを――真から空ッぽの頭脳を、さも何かありそうに見せかける坊主常習の似非えせのことばなのだ。
「ようし、みておれ」
 もうたのまぬと思った。世に恃む師があると思ったのが不覚と悔まれもする。自力――以外に道はないのだ。さもあらばあれ、彼も人、自分も人、無数の先哲もみな人間。――もう恃むまい。
 ぬッと立った。怒りが立たせたように突っ立った。
「…………」
 そしてなお、月の彼方を、めつけていたが、ようやく、眸のほのおめてくると、眼はおのずから、自分の姿と足もとへ戻って来る。
「……や?」
 彼は、その位置のまま、身をめぐらした。
 円い筋のまん中に、立っている自分を見出したのである。
 ――棒を。
 と、先刻さっき、愚堂がいっていたのが思い出された。その棒の先を地にあてて、何か、自分の周囲に迫ったと思ったが、この円い線を描いていたのか――と初めて今、気がつく。
「何のまる?」
 武蔵は、その位置から、一寸も動かず考えた。
 まる――
 円――
 いくら見ていても、円い線はどこまでも円い。果てなく、屈折なく、窮極なく、迷いなく円い。
 この円を、乾坤けんこんにひろげてみると、そのまま天地。この円を縮めてみると、そこに自己の一点がある。
 自己も円、天地も円。ふたつの物ではあり得ない。一つである。
 ――ばっ!
 と、武蔵は、右の手に一刀を払い、円の中に立って凝視した。影法師は、片仮名のオの字のようなかたちに地へ映ったが、天地のえんは、厳として、円を崩してはいない。二つのことなった物でないからには、自己の体も同じ理であるが――ただ影法師が違った形として映る。
「影だ――」
 武蔵は、そう見た。影は自己の実体でない。
 行き詰ったと感じている道業の壁もまた、影であった。行き詰ったと迷う心の影だった。
「えいッ――」
 と、空を一颯いっさつした。
 左手に、短剣を払った影の形は変って見えるが、天地のかたちはかわらない。二刀も一刀――そして円である。
「ああ……」
 まなこが開けたようだった。仰ぐと、月がある。大円満の月の輪は、そのままつるぎすがたとも、世を歩む心のたいとしても見ることができた。
「オオ! ……。和上わじょうっ!」
 武蔵はふいに、疾風のように駈け出した。愚堂の後を追いかけて。
 だがもう何を、愚堂に求める気もなかった。ただ、一時ひとときでも、うらんだ詫びをいいたかったのだ。
 ――しかし、思い止まった。
「それも、枝葉……」
 と。そして、蹴上けあげの辺りに、茫乎ぼうとしてたたずんでいる間に、京の町々の屋根、加茂の水は、霧の底からっすらとけかけて来た。

飾磨染しかまぞめ



 武蔵、又八などが、岡崎を去って、立つ秋と共に、京都のほうへ移っていた頃、伊織は長岡佐渡にともなわれて、海路を豊前ぶぜんへ向い、佐々木小次郎もまた、その便船で、小倉へ帰藩の途についていた。
 お杉ばばは、昨年、その小次郎が江戸から小倉へおもむく際、途中まで行を共にして、家事整理と法会ほうえのため、一度、美作みまさかの郷里へ戻った。
 沢庵たくあんも、江戸を去り、近頃は、但馬たじまの郷里ではないかという噂。
 かくて、その人々の足跡と所在とは、この秋、以上のようにほぼ分っていたが、今なお、ようとして分らない者は、奈良井の大蔵の逃亡と前後して、消息を絶ってしまった城太郎。
 朱実あけみもどうしたか。
 これまた、風の便りもない。
 それと、さし当って、生命さえ案じられるのは、九度山へ引っ立てられて行った夢想権之助の身の上であるが、これは伊織の口から、長岡佐渡に洩らせば、佐渡の交渉ひとつで、何とか救いの道はつこうというもの。
 もっとも、その前に「関東の諜者ちょうじゃ」という疑惑の下に、九度山衆の手であやめられてしまえば、これはもはや救いも交渉の余地もないことだが、聡明なる幸村ゆきむら父子の目にとまれば、そんな嫌疑は、立ちどころに晴れ、或は今頃、すでに自由の身になって、かえって伊織の身を、案じ探しているかも知れない。
 ――むしろ。ここにひとり。
 身は無事でも、憂うべき運命の人がある。以上の誰をさしいても、ひとまずそれを語るべきであろう。いうまでもなく、それはおつう。武蔵あるがゆえに、生きもし、希望もし、ひたすら女の道を、女たらんとしながら、柳生の城を離れてからまた、嫁ぐ妙齢としごろもはや過ぎかける片鴛鴦かたおしどりの独り身を、旅人の眼に不審いぶかられながら、むなしく旅に朽ちんとはして――いったい彼女は、この秋を、どこに武蔵の見た月を見ているのだろうか。

「お通さん、いるかの」
「はい。――おりますが、どなた様ですか」
万兵衛まんべえじゃが」
 と、その万兵衛が、蠣殻かきがらの白くついている柴垣越しに、顔を伸びあげた。
「オ。麻屋あさやの旦那さまでいらっしゃいますか」
「いつも、ようお働きだのう。――せっかく、働いているところを、邪魔してはわるいが、ちょっと話があるで……」
「どうぞ、おはいり下さいませ。そこの木戸を押して」
 と、お通は、髪にかけていた手拭を、あいに染まった青い手で、つまむようにそっと取る。
 ここは播州ばんしゅう飾磨しかまうらで、志賀磨川しかまがわの水が海へそそぎ出る所、三角形になっている河口の漁村。
 だが、お通が今いる所は、漁師りょうしの家ではなく、そこらの松の枝や干し竿ざおに、かけ渡してある藍染あいぞめの布を見ても直ぐ知れるように、飾磨染しかまぞめと世間でよぶ紺染こんぞめを業とする小さい染屋の庭にいるのだった。


 そうした小さい紺染屋は、この海辺の部落に、何軒もあった。
 染法そめは、搗染つきぞめといって、何度も染料にかけた藍の布を、うすに入れては、きねくのだった。
 だから、ここの紺染は、糸がつづれるまで着てもせないといわれて、諸国の需要がある。
 きねを持って、紺の布を、うすく仕事は、若い娘たちの仕事として、染屋の垣の内から、どこかの浜へ聞えてゆく。――若い船頭衆のなかに、想う人をもつ娘は、その唄の声でも知れると――里の者はよくいう。
 だが。お通は唄わない。
 彼女が、ここへ来たのは、夏の頃で、杵をもつ仕事にも、まだ馴れなかった。今思うと――この夏、暑い日盛りを、泉州さかいの小林太郎左衛門の店先を、脇目もせず、港の方へ歩いて行った旅の女は――あの折、伊織が後ろ姿をチラと見た女性は――やはり彼女であったかも知れないのである。
 ちょうどその頃。お通は、さかいの港から赤間ヶ関へゆく便船に乗って、その船が、飾磨しかまへ寄港した折この土地へ下りたのであったから。
 ――とすれば、何という惜しさ。
 運命に盲目な人間のあわれさ。
 彼女が乗って来たその船は、廻船問屋の太郎左衛門の持船であったにちがいない。
 日こそ違うが、同じ堺港さかいを出た太郎左衛門船には、その後細川家の家士らがこぞって乗船した。
 そして、その潮路うしおじを、長岡佐渡も、伊織も、巌流佐々木小次郎も通った。
 巌流や佐渡とは、よしや顔見あわせても知らずに過ぎようとも、どうして伊織と会えなかったろう。いつの船でも、飾磨しかまうらには寄るものを。
 実の姉! と、あれほど探している伊織に――。ひとつ浦辺に寄りながら。
 いやいや会えなかった筈ともいえるのだ。細川家の家中が乗船したので、どうともの席には幕を張りめぐらし、ふつうの町人、百姓、道者、僧侶、芸人など一般の者はみな、箱のような船底へ区切られ、覗き見もできなかったし、飾磨しかまへ寄って、彼女が船を下りたのも、夜明けのまだ暗いうちであったから、伊織がそれを知るよしもなかった。
 飾磨は、乳母うばの里だった。
 彼女がここへ来たことから察しると、春、柳生を立ち、江戸へ行った頃には、もう武蔵も沢庵もいなかった後で、わずかに、柳生家や北条家を訪ねて、武蔵の消息ぐらいを聞き、ふたたびその人に会わばやの一心から――旅へ、旅へ、春から夏を歩き過し、遂に、ここまで来たものと思われる。
 ここは姫路の城下に近く、同時に、彼女が育った郷里――美作みまさか吉野郷よしのごうへも、そう遠くない。
 七宝寺で育てられた頃の、乳母はこの飾磨の染屋の妻だった。思い出して、身を寄せたものの、故郷に近いので、外を出歩いたこともない。
 乳母はもう五十近いのに子もなかった。それに貧乏でもあるし、ただ遊んでいるのも心苦しく、臼搗うすつきの仕事を手伝いながら、ここから遠くない中国街道の頻繁なうわさから、もし武蔵の便りでも知れようかと、唄もない多年の「会えざる恋」を秘めて、染屋の庭の秋のの下に、黙々と、毎日きねを持って想いいていたのであった。
 そこへ。何か折入って、話があると訪ねて来た万兵衛。近所の麻屋の主人である。
(何であろ?)
 お通は、あいの手を、流れで洗って、ついでに、美しく汗ばんだひたいも拭いた。


「折わるく、小母さんもお留守でございますが、どうぞおかけ遊ばして」
 母屋の縁の方へ、誘うと、万兵衛は手を振って、
「いやいや。長居はせぬ、わしも忙しい体じゃ」
 と、そのまま、立話に、
「お通さんの郷里さとは、作州の吉野郷じゃそうな」
「はい」
「わしは長年、竹山城の御城下宮本村から、しもしょうの辺りへは、ようあさの買い出しに行くが、近頃、さる所でふと、噂を聞いてな」
「うわさ。それは、誰の? ……」
「おまえのさ」
「ま。……」
「それから」
 と万兵衛は、にやにやしながら、
「宮本村の武蔵という者のはなしも出たりして」
「え。武蔵さまの」
「顔いろを変えたな。はははは」
 秋のが、万兵衛の頭に、てらてら遊んでいる。暑いとみえて、万兵衛は脳天へ、手拭の畳んだのを乗せて、
「おぎんどのを知ってじゃろ」
 と、地へしゃがみ込んだ。
 お通も、あいに染まった布桶のそばへ、身をかがめて、
「お吟さまとは、あの……武蔵様のお姉上にあたる?」
「そうじゃ」
 大きくうなずいて、
「そのお吟どのに佐用さよの三日月村で会うた所、お前の話が出てな、びっくりしてござったわい」
「わたくしがこのにいると、お告げなされたのでございますか」
「そうじゃが、何も悪いことはあるまいて。いつだったか、此家ここの染屋の小母御からも頼まれた――もし、宮本村へんへ行って、武蔵どのの噂でも聞いたら、何なりと耳に入れて欲しいと。……で、よいお方に会うたわいと道ばたであったが、こちらから話しかけたのじゃ」
「お吟さまには、今、どこにおでなされますか」
「平田某とやら、名はわすれたが、三日月村の郷士の家にいるそうな」
「ご縁家でございまするか」
「たぶん……そんなことじゃろう。それはともかく、お吟どのがいわっしゃるには、何かと、種々くさぐさのはなしも積っている。秘かに告げたいこともある。いや何よりは、恋しい、会いたいと、道ばたもわすれて、泣かぬばかり……」
 お通もふと、まぶたを赤らめた。想う人の姉と聞くからに懐かしいのに、故郷ふるさとの日の憶い出や何や、急に胸へこみ上げて来たのであろう。
「――が生憎あいにく、往来中でな、手紙も書けぬが、ぜひ近いうち、三日月村の平田と尋ねて訪れてくれまいか。此方こちらから行きたいのは山々だがそうもならぬ事情があるので――といわっしゃるのだが」
「では、私に?」
「おう、詳しゅうはいわぬが、武蔵どのからは、時折、便りも来ているそうな」
 お通は、そう聞くと、一も二もなく、今からでもと、もう胸にきめていたが、ここへ身を寄せてからは、何かと案じもし、相談相手にもなってくれている乳母へ黙って答えてはと、
「行くか、行けないか、晩までに、ご返辞に伺います」
 と、万兵衛には返辞した。
 万兵衛は、ぜひ行ってくれとすすめ、明日ならば、自分も佐用まで行く商用があるから殊に都合がいいが――という。
 柴朶垣しだがきの外には、秋の昼を、油のような海が、気懶けだるい波音を繰り返していた。
 と、垣を背に、海を前に、膝をかかえて先刻さっきから、ぽつねんと黙想していた若い侍があった。


 若い侍は、十八、九。まだ二十歳を出たとはみえない。
 凛々りりしい服装をしている。
 ここから、わずか一里半しかない姫路の人であろう。池田家の藩士の子息といったら間違いはあるまい。
 釣にでも来たか。
 しかし、魚籠びくや竿などはたずさえてはいない。染屋の柴朶垣にもたれて先刻から、砂の多い崖に坐り、ときどき、砂をつかんではもてあそんでいる……。そんなところは、どこか子供ッぽい。
「――じゃあ、お通さん」
 垣の中で、万兵衛の声だった。
「夕方、返辞してくれないか。行くとすれば、わしは朝、早立ちじゃ。都合もあるから」
 どぶり、どぶりと、砂浜に打つ波音のほかは、からんと静かな真昼である。万兵衛の声は、大きく聞える。
「はい。夕方までには。……ご親切に、ありがとうございました」
 低い、お通の声でさえも。
 木戸を開けて、万兵衛が出て行くと、それまで、垣の裏に坐っていた若い侍は、ついと身を起して、万兵衛の姿を、見送っていた。
 ――何か、見届けるような、確乎しかとしたまなざしで。
 だが、その顔は、銀杏型いちょうがた藁編笠わらあみがさでかくしているので、そのおもてに、どんな感情をひそめているかまでは、はたからうかがうよしもない。
 ただ。
 不審なのは、万兵衛を見送ってから、今度はまた、頻りと垣の内をのぞいていたことだった。
「…………」
 ごとん、ごとん――きねの音がもうしていた。お通は、何も知らぬ様子で、万兵衛が帰ってゆくとふたたび杵を持って、うすの中の紺染の布をいていた。
 よその染屋の庭から、同じような杵の音と、染屋娘の唄が、のどかに流れていた。
 お通の杵にも、先刻さっきよりは、力があった。
わが恋は
あひそめてこそ
まさりけれ
飾磨しかまの布の
色ならねども
 唄わないお通は、詞花集しかしゅうか何かにあった、そんな歌など胸につぶやいていた。
 便りもそこへ来ているとあるから、おぎん様に会えば、恋う人の消息もきっと知れよう。
 女は女同士。お吟様へなら自分の気もちを語ることもできる。――武蔵様の実の姉、きっと、妹とも思って、聞いて下さるにもちがいない。
 きねはうつつ――
 しかし、久しぶり心は明るく、堀川ほりかわ百首のうちの、
播磨はりまなだ
うらみてのみぞ
すぎしかど
こよひ泊りぬ
あふの松原
 の歌主うたぬしの心と同じように、いつも果てなく悲しい波騒なみざいとのみ見る海の色までが、きょうは明るくて、燦々さんさん睫毛まつげにかがやいて、希望そのものを波打つかに思われる。
 いた布を、彼女は、高い竿の上へかけ渡して、ふと独り心を慰みながら、万兵衛が開け放しに出て行った木戸の扉から、何気なく外へ出て、浜を見ていた。
 ――と。
 彼方の波打際を編笠の影が、急ぎもせぬ足で歩いて行った。白い潮風を、横ざまに受けながら。
「……?」
 何がなし、お通は、見まもっていた。けれどべつに、何と思ったわけでもない。ほかに眼をやる鳥一羽見えない海だったからである。


 染屋の小母とも計り、万兵衛へも約束をつがえたとみえ、次の日朝まだき。
「では。どうぞご厄介でも」
 お通は、麻屋の軒へ、万兵衛を誘いあわせ、その万兵衛にともなわれて、飾磨しかまの漁村から旅立った。
 旅といっても、飾磨から佐用ごうの三日月村までのこと。女の足でも一夜泊りでゆるりと着けよう。
 姫路の城を、北の空に遠くながめ、龍野たつの街道へ。
「お通さん」
「はい」
「脚は達者のようだな」
「ええ。旅には、わりあいに馴れておりますから」
「江戸表まで行きなすったそうだの。よくもまあ、女ひとりで、思い切って」
「そんなことまで、染屋の小母が話しましたか」
「何もかも、聞いているわさ。宮本村でも、うわさしているし」
「お恥かしゅうございます」
「恥かしいことがあるものか。好きな人を、そうやって、慕っていなさる心根は不愍ふびんとも優しいともいいようがねえ。だがお通さん、お前のまえだが武蔵殿も少し薄情だのう」
「そんなことはございませぬ」
「恨みとも思わないのかえ。やれやれ、よけいに可憐いじらしい」
「あのお方はただもう御修行の道にひたむきなのでございます。……それを想い切れない私の方が」
「悪いというのかい」
「すまないと思っております」
「ふうむ……。家のかかあにも、聞かしてやりたいのう。女は、そうありたいもの」
「お吟さまは、まだ他家よそへ、おかたづきにならないで、御親類にいらっしゃるのでございますか」
「さ。……どうだろう」
 万兵衛は、話の穂を折って、
「あれに茶店がある。ひと休みしようか」
 街道の茶店へはいって、茶をのみ、弁当など開いていると、
「よう飾磨しかまの」
 と、通りかけた馬子や荷持の雑人たちが馴々しく言葉をかけて、
「きょうは半田の賭場へは寄んねえのか。こないだは麻万あさまんさらわれたと、みんな口惜しがっていたぞい」
 などと万兵衛へいった。
「きょうは、馬はいらないよ」
 万兵衛は辻褄つじつまの合わない言葉を押しつけて、急にあわてながら、
「お通さん、行こうか」
 と、軒を出た。
 はやすように、馬子たちが、
「いやに、素ッ気ねえがと思ったら、ばかに綺麗きれい女子おなごときょうは道づれだ」
「野郎、おかかにいいつけるぞよ」
「ははは。返辞もしねえわい」
 と、うしろでいった。
 飾磨しかまの麻屋万兵衛の家は、店は取るに足らない小店だが、近郷から麻を買い集め、それを漁師りょうしの娘や女房たちの手内職に出して、帆綱ほづなや、網の製品とし、ともかく一戸の旦那といわれている者なのに、その万兵衛が、街道ばたの人足たちと、友達のように馴々しくいわれるのは、怪訝いぶかしかった。
 万兵衛も気がさしたか、二、三町歩いてから、お通の疑いへ答えるともなく、
「しようのない奴らだ。いつも山出しの荷駄に雇ってやるものだから人に冗戯口じょうだんぐちばかり叩きおって」
 と、つぶやいた。
 しかし、その馬子達よりも、彼に取って、もっと注意すべき人間が、今休んだ茶店のあたりからいて来たのを、万兵衛も見遁みのがしていた。
 きのう浜にいた――荒編笠あらあみがさの若い侍である。

風便り



 ゆうべは、龍野たつの泊り。万兵衛の親切気にも、途中にも、何の変りはなかった。
 そして、今日。
 佐用さよの三日月へ着いたのは、もう山の瀬に陽もうすずき、何となく、秋の夕べの身に迫る頃だった。
「万兵衛さま」
 疲れたのか、無口に、先へ歩いてゆく連れを、呼びかけて、
「ここはもう三日月ではございませぬか。――あの山を越えればすぐ、讃甘さぬもの宮本村」
 お通が、後ろで、独りかこつと、
「おいのう」
 万兵衛も、足を止めて、
「宮本村も、七宝寺も、あの山のすぐ彼方むこうじゃ。懐かしかろうが」
「…………」
 お通は、うなずかなかった。夕づく空に、黒々と連なっている山の波を、ただ、見まもって。
 そこに、いるべき人のいない山河は、あまりに寂しい。あまりにもただ、自然でありすぎる。
「もすこしじゃ。お通さん。草臥くたびれたろうが」
 万兵衛は、歩き出す。お通もいて、
「どういたしまして。貴方さまこそ」
「何さ、わしは始終、商用で通っている道」
「おぎん様のいらっしゃる、郷士のお宅とかは?」
「あれに」
 と、指さして、
「お吟様も、待っているに違いない。ともあれ、もう一息」
 足は早くなる。
 やがて、山の瀬に行きあたると、そこ此処に、家があった。
 ここは龍野街道の一宿場なので、町というほどの戸数もないが、一膳めし屋、馬子のたまり、安旅籠やすはたごなどの、幾軒かが両側に見える。
 そこも通り抜けて、
「ちと、登りになるぞ」
 万兵衛は、山の方へ向って、石段を上がり出した。
 杉に囲まれた村社の境内ではないか、お通は、寒げに叫ぶ小禽ことりの声に、ふと、何か自分が危険な線をおかしている気がして、
「万兵衛さま。道をお間違えなされはしませぬか。この辺りには、家も見当りませぬが」
「いや、お吟様へ告げて来るあいだ、寂しかろうが、御堂みどうの縁で、休んでいて貰いたいのだ」
「呼んで来ると仰っしゃるのは……?」
「いい忘れていたが、お吟様がいうには、訪ねて来る時は、家に都合のわるい客でも来合せているといけないから……ということだった。お住居すまいは、この林を抜けた彼方むこうの畑地。すぐご案内して来るから、しばらく待っているがいい」
 もう杉林の中は暗い。
 万兵衛の影は、そこを縫って細道を、急ぎ足に行ってしまった。
 人を疑うという性情の乏しい彼女は、それでもまだ、万兵衛の挙動について、疑ってみることを知らなかった。
 正直に、山神のほこらの縁に、腰をかけて、夕空を見まもっていた。
「…………」
 空は暮れてゆく。
 ふと、身の辺りに、眼を落すと、暗い秋風がめぐっていた。御堂の縁を這う落葉が、ふわりと舞って、二つ三つ膝に乗る。
 その一葉を、指に持って、廻しながら、彼女はなお、根気よく待っていた。
 愚というか、純というか、まるで少女のような彼女のそうした姿を、その時、誰か御堂のうしろで、げらげらわらった者があった。


「――?」
 びっくりして、お通は、御堂の縁から跳びのいた。
 めったに、物事を疑ってみることをしない彼女だけに、事の意外に打たれると、驚き方も、人よりはひどく、そしておびえやすかった。
「お通っ。動くでない!」
 堂のうしろの笑い声が消えた次の一瞬――同じ場所からこう鋭い――何ともいえない凄味すごみをもった老婆のしゃがれ声がしたのであった。
「……アッ」
 お通は、思わず、両手で耳をおおった。
 それほど、何事かに恐れたのなら、逃げればよいのに、そうはしないで、すくんだまま雷鳴かみなりにでもしびれたように、そそけ立って震えていた。
 その時――ほこらのうしろからは、もう数名の人影が出て来て、御堂の前に立っていた。
 眼をふさいでも、耳をおさえても、彼女にはその中の、たった一人が、怖ろしくおおきく見えた。悪夢の中でよく見る髪の毛の白い婆だった。
「万兵衛。ご苦労じゃったのう。礼は後でしますぞよ。そこで――皆の衆よ。あやつが、悲鳴を揚げぬうち、猿ぐつわをませてしもしょうの屋敷まで、はようかついで行ってくだされ」
 お杉ばばは、お通を指さして、断獄を命じる閻王えんおうのようにいった。
 他の四、五名は、みな郷士ふうの男であり、ばばの一族らしかった。ばばの一言に、おうっと高く答えると、を争う、おおかみのように、お通の身へ跳びかかり、型のごとく鞠縛まりくくりにくくって、
「――近道を」
「それっ」
 とばかり、走り出したのであった。
 お杉ばばは、にやりと見送ったまま、一足後に残っていた。万兵衛へ約束の駄賃を与えるためであろう、帯のあいだに、用意してきたかねを与えて、
「よう連れ出したのう。巧く行くやら、どうやらと案じていたが」
 と、たたえ、
「他言しやるな」
 と、釘をさした。
 万兵衛は、貰った金を改めて、これも満足顔に、
「なあに、わしの手功てがらじゃございません。御老婆様のはかりごとが、巧く図にあたったのでございますよ。……それと、貴女様が、御郷里に帰っているとは、お通めも、夢にも知らずにいたもんですから……」
「小気味のよかったことわいな。見たか、今のお通のおどろき様を」
「余りのことに、逃げることもできず、すくんじまった様子でしたな。はははは……だが、考えると、罪ッぽいことをした」
「なんの。何が罪ッぽいことがあろうぞ。わしに取れば」
「いやもう、そのお恨みばなしは先日も」
「そうじゃ。わしも、こうしてはおられぬ……いずれまた、程経て、下ノ庄の屋敷へ遊びに来やい」
「では、御老婆様。そこからの間道は、道が悪うございます。お気をつけて」
「そなたも、人中へ出たら、口に気をつけやい」
「はいはい。口は至って堅い万兵衛、その辺はどうぞご安心を……」
 いいながら、別れて、足さぐりに暗い石段へかかったと思うと直ぐ、ぎゃッ――とそれりなひと声をあげて、地へ仆れた。
 お杉ばばは、振り向いて、
「どうしやった? 万兵衛ではないか。万兵衛……」
 と、地をかして呼んだ。


 ――答える筈もない。万兵衛はすでに、この世の息をしていないのだ。
「……ア、あ?」
 ばばは、息をんで、その万兵衛の横たわっている側に、ぬっと見えた人影に眼をこらした。
 やいば。――血ぬられたその太刀。ぎらりと引っ提げている。
「……た、たれじゃ?」
「…………」
「誰じゃ。……名を、名をかしおろう」
 ばばは、乾いた声を無理に張っていった。
 このばばの、年がいもない虚勢と、恫喝どうかつするやまいは、今なおまないものとみえる。――が相手はその手に馴れているものらしく、闇をうごかして、微かに肩をゆすぶった。
「わしだよ。……おばば」
「え」
「わからないか」
「分らぬ。聞いたこともない声。物盗ものとりであろが」
「ふ、ふ、ふ。物盗りなら、おぬしのような、貧乏婆に眼はつけぬ」
「なんじゃと。……では、わしに眼をつけて来たとか」
「そうだ」
「――わしに?」
「くどい。万兵衛ごときを斬るために、わざわざこの三日月まで追っては来ぬ。おぬしに思い知らせるためだ」
「ひぇっ」喉笛のどぶえの破れたような声を洩らして、ばばはよろめきながら、
「人違いじゃろが。おぬしは誰じゃ。わしは、本位田家の後家、お杉という者」
「おう、そう聞くだに、なつかしや俺の恨み、今はらしてやろうぞ。おばば! おれを誰と思う。この城太郎を見わすれたか」
「……げっ? ……城……城太郎じゃと」
「三年たてば、嬰児あかごも三つになる。おぬしは老木、おれは若木。気のどくだが、もうおばばに、※(「さんずい+鼾のへん」、第4水準2-79-37)はなたらし扱いにはなっておらぬぞ」
「……おう、おう。ほんにおことは、城太郎よのう」
「よくも、長の年月、お師匠さまを苦しめたの。師の武蔵さまは、おぬしを年寄と思えばこそ、相手にならず、逃げまわっていた。――それをよいことにして、諸国、江戸表にまで出て、あしざまに世へいい触らし、仇呼かたきよばわりをするのみか、御出世の道をさまたげおったな」
「…………」
「まだある。――その執念で、お通さままでを、折あるごとに、追い苦しめた。もうよい程に、非をさとって、故郷へ引籠ったかと思うていたら――なおも、麻屋の万兵衛を手先に、あのお方を、どうかしようとたくらんでおる」
「…………」
「憎んでも飽きたらぬばばめ。一太刀に斬るのはやすいが、この城太郎も、今では浪々の青木丹左が子ではない。父の丹左も、ようやく元の姫路城へ、帰参かなって、この春からは、以前のとおり池田家の藩士。……またぞろ、父の名に、るいを及ぼしてはならぬゆえ、生命だけは助けておくが」
 城太郎は、前へ出て来た。
 助けておくが――とはいったが右手めてに提げている白い刃は、まださやに返ってはいないのである。
「……?」
 ばばは、一歩一歩後へ退がりながら、逃げ出す虚をうかがっていた。


 すきを見たか、ばばは、杉林の小道へと、さっと走りかけたが、やらじと追う城太郎の一跳びに、
「何処へ」
 と、その首の根を抑えられ、くわっと口を開くと、
「何しやるっ」
 年こそ寄れ、きかない気性が、はずみに出て、振り向きざま、脇差の抜打ちに、城太郎の脾腹を横に払った。
 城太郎も、もう以前の子どもではない。身を退けながら、ばばの体を前へ突き返していた。
「わ、わっぱッ。やりおったの」
 草むらの中へ、首を突っこみながら、彼女はおめいた。頭を土にぶつけても、彼女の頭のなかにある、小童こわっぱの城太郎という観念は脱けなかった。
「何を」
 と、城太郎もわめいた。そして踏めば折れもしそうな、ばばの背ぼねへ、足を乗せ懸け、じたばたする手を苦もなく逆にじ上げてしまう。
 彼もまた、彼である。そのばばが歯がみを、あわれと見ている勘弁などはないのだ。小童こわっぱの時代を抜けて、身なりこそ大きくなったけれど、体の大きくなったという事実だけで、大人になったとは誰にでも許せるものではない。
 もう十八か九。よい若者にはちがいないが、気持は多分にまだ乳くさい。それに積年のうらみともいえる憎悪が積り積ってのことである。
「どうしてくれよう」
 引摺って来て、山神の御堂の前にたたきつけ、なお、闘志をくさない細い体を踏まえながら、殺してはまずいし、生かしておくのもしゃくなこのばばの始末にちょっと当惑した。
 いや、それよりは、先におばばの指図で、下ノ庄の屋敷とかへ、手取り足取りして連れ去った――お通の身がなお、そうしている間も案じられるのだ。
 そもそも――といえば、余りに由来でもありそうだが、お通が飾磨しかまの染屋にいることを、たまたま彼が知ったわけは、彼が父の丹左衛門と共に、近くの姫路へ定住していたおかげであって、この秋、浜奉行まで使いに来ることが繁く、その数度の往復のうちに、ふと垣間見て、
(よく似た人――)
 と、注意していたことから、こういう彼女にも、危急にも、偶然、出会ったわけだった。
 神の導きと、城太郎は思いがけない機縁に感謝した。同時に、お通に対しての、飽くなきおばばが迫害を、骨髄こつずいから憎んで、忘れかけていた数々の口惜しさまでを新たに思い出した。
(このばばを除かぬうちは、お通さんは、安心しては生きてゆかれない)
 と考え、一時は殺意をさえ起したが、折角、父の丹左が城下に帰参したばかりでもあるし――元来うるさい山郷士の一族などと、事を構えてはと――その程度には大人らしくも思慮して、とに角うんと彼女をらしめ、そしてお通を無事に救えばよいと決めているのだった。
「ウウム。いい隠居所がある。おばば、こう来い」
 城太郎は、彼女のえりがみをつかんで起たせようとしたが、ばばがべたりと地を抱いて起たないので、
「面倒」
 と、引っ抱えて、御堂の裏へ駈けて行った。
 そこに、このほこらを建てる時に、いだ崖の断面があり、その下に、やっと人間が這って出入りできるくらいな洞穴ほらあながあった。


 佐用の部落であろう、彼方むこうに、灯が一つ、ポチと見える。
 山も、桑畑も、河原も、ただ広い闇だった。――そして、今越えて来たうしろの三日月の峠も。
 足に、石ころを踏み、耳に佐用川の水音を聞くと、
「おい。待てよ」
 と、うしろの一人は、前へ行く二人を呼びとめた。
 その二人は、素縄で後ろ手にからげたお通を、囚人のように、引っ立てていた。
「どうしたか、後から直ぐ行くといったおばばが、まだやって来ぬ」
「ウム、そういえば、もう追いついて来そうなものだが」
「きかぬ気でも、ばばの脚では、間道の上りが、ちと骨なのだろう。手間取っているに違いない」
「ここらで一休みしていようか。――それとも佐用まで行って、二軒茶屋でも叩いて待つとするか」
「どうせ待つなら、二軒茶屋で一杯やっていようじゃないか。……こういうお荷物を曳っぱっていることだし」
 で、その三名が水明りを探って、浅瀬を越えかけた時である。
「おおオいっ」
 と、遠い闇から声がした。
 振り向き合って、
 ――はて?
 と耳を澄ましていると、二度めの声は、より近く、オオーイとまた聞えた。
「おばばかな?」
「……いや、違う」
「誰だろう」
「男の声だ」
「でも、おれ達を呼んだのじゃあるまいが」
「そうだ。おれ達を呼ぶ者はない筈だ。おばばが、あんな声を出す筈もなし」
 秋の水は、刃物のように冷たい。ざぶ、ざぶと、水へ追い立てられるお通の足には、その冷たさがなおさら沁む。
 と。うしろから。
 タタタとはや跫音あしおとだった。耳にそれが分った時は、もう、追って来た何者かの影は、その三名の直ぐ側をいきなり、
「お通さん! ――」
 と、叫びながら、水煙を浴びせて、ざざざッと、向う岸まで一気に駈け渡ってしまったのである。
「――あっ?」
 浴びた飛沫しぶきに身振いしながら、三名の郷士は、お通を囲んで、浅い河の瀬に立竦たちすくんでしまった。
 先に駈けて、河を越えた城太郎は、彼らの上がろうとする河原の水際みずぎわに立ちふさがって、
「待てっ」
 と、両手を拡げていた。
「や。何やつだ。おのれは」
「何者でもよい。お通さんを、何処へ連れてゆくか」
「さては、お通を取り返しに来たな」
「いかにも」
「つまらぬ所へでしゃばると、命がないぞ」
「おぬしらは、お杉ばばの一族の者であろう。おばばの吩咐いいつけだ。お通さんをわしの手に渡せ」
「何。おばばの吩咐だと」
「おお」
「嘘をいえ」
 郷士たちは、嘲笑あざわらった。


「嘘ではない。これを見よ」
 城太郎は、立ちふさがったまま、※(「さんずい+鼾のへん」、第4水準2-79-37)はながみに書いてある、ばばの手蹟しゅせきをつきつけた。
 不首尾、今更せんもなし
 お通の身、ひとまず
 じょう太郎の手にかえし
 わが身を連れに引っ返さ
 るべく候。
「? ……。何だこれは」
 読み合って、眉をひそめた郷士たちは、城太郎の姿を、足もとから見上げ、その間に、濡れた足を水から揚げて、河原の岸にかたまった。
「見たら分るであろう。文字が読めぬのか」
「だまれ。この中にある、城太郎とは、おのれとみえるな」
「そうだ。拙者は、青木城太郎」
 というと――
「あっ……城太さん!」
 とつぜん、お通が、絶叫して、前へのめりかけた。
 先刻さっきから、彼女の眼は、彼の姿を凝視していた。なかばは疑い、半ばはおどろきに打たれ、もがきをしていたが、城太郎自身が、城太郎と名乗ったので、はっと、われを忘れた絶叫が出たのであった。
「ア。猿ぐつわがゆるんだぞ。締め直しておけ」
 と、城太郎と応対していた郷士は、うしろへいってまた、
「なるほど、これはおばばの筆蹟にはちがいないが、そのおばばが、わが身を連れに引っ返さるべく候――と書いているのは、どうした次第か」
 血相をいで詰めよると、城太郎は、
人質ひとじちに取ってある」
 と、澄まして、
「お通さんを渡せば、おばばの居場所も教えてやる。否か応か」
 と、いった。
 さてこそ、いくらおばばを待っていても後から来ない筈――と、三名は目顔を見合せていたが、そういう城太郎のまだ乳くさい年頃を見縊みくびって、
「ふざけたことを申すな。どこの青二才か知らぬが、おれたちを、何だと思う。下ノ庄の本位田といえば、姫路の藩士なら一応は知っている筈」
「面倒。否か応か、それだけ聞こう。否というなら、おばばの身は、ほうっておくまでのこと。山で飢え死させるがよい」
「こいつ」
 跳びかかって、一人は城太郎の腕くびをり、一人はつかをにぎって、斬る構えを見せた。
「たわごと申すと、首の根をたたき落すぞ。おばばの身を、どこへ隠した?」
「お通さんを渡すか」
「渡さんっ」
「では、拙者もいわん」
「どうしても」
「だから、お通さんを、返せ。そうすれば、双方怪我なく事はすむ」
「ちッ。この青二才」
 じあげた手をそのまま、足搦あしがらみに懸けて、前へ仆そうとすると、
「何を」
 城太郎は、反対に、彼の力を利用して、その男を肩越しに投げつけた。
 しかし、途端に、
「あっ……」
 と城太郎も尻もちついて、右の太股を抑えた。
 投げつけた男から、抜打ちに一太刀、ぴゅっとねられたのである。


 城太郎は、人を投げるわざを知っていたが、まだ、人を投げる法をわきまえていない。
 投げられる相手も、生き物であるからには、ただ投げられたままではいない。途端に、刀も抜こうし、無手でも脚へしがみついて来る可能性がある。
 敵を投げるには、投げる前にまずその考慮がなければならないのに、蛙でも叩きつけるように、脚下へ投げつけ、しかも身を退くことをしなかったので、
(してやった)
 と、思った瞬間に、太股のあたりをぎ払われて、彼もまた、相仆れに、負傷てきずを抑えたまま、腰をついてしまった。
 しかし、幸いに傷は浅かったとみえ、城太郎も跳ね起き、相手も立ち上がると、
「斬るな」
「手捕にしろ」
 と、他の郷士が呶鳴って正面の相手と力をあわせ三方から城太郎の体一つへ組みついて来た。
 城太郎を斬ってしまえば、お杉ばばを何処へどうして人質にしてあるか、それを知る道がなくなるからであろう。
 同様に、城太郎もまた、ここでうるさい郷士らと、血を見ることは避ける考えだった。藩の聞えを思い、父にるいを及ぼすまいとするために。
 けれど、物のはずみは、そんな常の思慮で支えのつかない所にある。一人と三人との格闘では、当然、一人の方から、憤怒のせきを切ってしまうし、城太郎の血はまた、多分に血気一途でもあった。
 相手の三人に、
「このなまぞうめ」
小癪こしゃくな」
「これでもかっ」
 なぐられ、突かれ、足蹴にされてそれへせられそうになると、
「何をっ」
 今度は、彼が、先刻うけた不意打の逆を行って、いきなり脇差を抜くなり、乗しかかっている男の腹部へ突きとおした。
「……うッ。ち!」
 梅酢うめずの樽へでも手を突っこんだように、柄手つかでから肩半分まで、あけになると、城太郎の頭には、もう何もない。
「くそっ、貴様もか」
 起き上がるなり、また一名の真っ向へなぐり下ろした。骨にぶつかった刀の刃は、横に寝て、はすかいにげたので、魚の切身ぐらいな肉片が、切っ先から素っ飛んだ。
「わ。や、やったな」
 おめいたが、相手は、抜き合すのも間に合わないのである。余りに自分ら三名の力を信じ過ぎていただけに、狼狽ろうばいの度もひどい。
「こいつら。こいつらっ」
 城太郎は、呪文じゅもんのように、一刀ごとにおめきながら、残る二人を敵にまわして斬りむすぶ。
 彼に刀法はない。伊織のように武蔵から正しい刀法の基本を授けられていなかったためである。しかし、血を浴びておどろかないことと、刃ものをって、年に似げない度胸と無茶のあることは、恐らく、彼が二、三年の間、共に暗黒で行動していた奈良井の大蔵の訓練に依るところであろう。
 郷士たちの方は、二人といっても、すでに一人はを負っているので、まったく逆上あがっていた。城太郎の太股ふとももの辺からも、鮮血はそこらへ散るし、文字どおり斬りつ斬られつの修羅図であった。
 ほうっておけば、相打あいうちか、悪くすれば、城太郎はで斬りになる。――お通はわれを忘れて、河原を駈け、いましめのためかぬ両手をもがきながら、闇へ向って、神の救援をさけんでいた。
「来て下さいっ。どなたでも、たすけて下さいっ。あそこに斬り合っている年若いお侍の方を!」


 ――が、叫んでも、駈けめぐっても、十方の闇、河の水音と、虚空をゆく風の声しか、彼女に答えるものはない。
 そうした時、気の弱い彼女も、自力に気がついた。
 人の救いを呼ぶまえに、なぜ自分の力を出してみないかに、はっと気づいたのである。
「――ちイッ」
 河原に坐って、岩のかどで、身のいましめをこすった。それは郷士らが路傍で拾ったわら素縄すなわにすぎなかったので、忽ちぷっとり切れた。
 と――お通は、両手に小石をつかみ、しぐらに、城太郎と二人の郷士が斬り合っている方へ飛び出して行った。
「城太さん!」
 と、さけびながら、その城太郎の相手の面部へ、一つ投げつけた。
「わたしもいる! もう大丈夫っ! ……」
 と、また一つ。
「……ちイッ。城太さんッ、慥乎しっかりして!」
 ぴゅっと、さらに一つ。
 だが、石は、三つとも相手のどこにもあたらず、皆それてしまった。
 彼女は急いで、また次の小石を拾った。――すると、郷士のひとりが、
「あっ、この阿女あま
 城太郎から、ふた跳びほど躍って、彼女の背へ、刀のみね打ちを振り下ろそうとした。
 ――やッては!
 と、城太郎も追った。
 そして、その郷士の男が、頭上から刀を下ろす間髪かんはつに、
「こいつめ」
 城太郎のこぶしが、彼の背なかへかにぶつかっていた。真っ直に向けて行った脇差が、相手の背から腹へ突きぬけて、つばと拳で止まったのである。
 それは凄まじい働きだったが、城太郎の脇差は、屍肉しにくから抜けなくなってしまった。彼があわてている間隙に、もう一名の郷士が、跳びついて来たらどうなるか。
 結果は明白である。
 だが、残った郷士の一人は、先にを負っていたし、力とたのむ方が、悲惨な最期をとげたので、それも狼狽していた。
 ――見れば、彼方を、脚の折れた蟷螂かまきりのように、その男はよろよろ逃げてゆくのだ。城太郎は、それを見て、自分の狼狽からうかびあがった。足をふんがけて、脇差をひき抜いた。
「待てッ」
 当然な勢いである。
 それにもう破れかぶれな気もちもある。追いかけざま一打ちと駈け出しかけたのだった。すると、お通が、むしゃ振りついて叫んだ。
「およしなさいっ。……およしなさい。逃げて行く者を! ……あんなに傷を負っている者を!」
 その声の、骨肉をかばうような真剣さに、城太郎はびっくりした。ここまで自分を苦しめて来た者をなぜかばうのか、心理を疑った。
「それよりも、種々くさぐさと、その後のはなしが聞きたい。わたしも話したい。……城太さん、一刻もはやく、ここから逃げて」
 ――そうだ。
 城太郎も、それには異議がない。ここはもう讃甘さぬもと山一重だ。もし変事ありと、下ノ庄にでも聞えたら、本位田家の縁類たちが、野を呼び、里を挙げて、襲撃して来ることは知れきっている。
「駈けられるかい。お通さん」
「ええ。だいじょうぶ!」
 二人は、ずっと以前の、小娘と小童こわっぱ頃を思い出しながら、闇から闇へ、息のきれるまで駈けた。


 もう三日月の宿で、起きている家は、一軒か二軒。
 その一つの灯は、宿場にたった一軒の旅籠はたごだった。
 鉱山かなやまがよいの金商人かねあきんどだの、但馬たじま越えの糸屋だの行脚僧あんぎゃそうなどだのが、ひとしきり母屋おもやでさわいでいたが、思い思いに寝入ったらしく、ともしは母屋を離れた狭苦しい一棟にしか残っていなかった。
 年下の男をつれた駈落かけおもの――とでも間違われたに違いない。そこは旅籠の年寄が、まゆを煮る鍋やつむぎ車をおいて、ひとり住んでいる所だったがお通と城太郎のためにわざわざけてくれたのだった。
「……城太さん、それでは、お前も江戸表で、武蔵様にはお会いすることができなかったのですね」
 その後のはなしを、彼から逐一ちくいち聞いて、お通は、うら悲しそうにいう。
 城太郎は、彼女も、木曾路でちりぢりになって以来、今もってその人にめぐり会わないでいる――といういたましい述懐を聞いて、何だか語るにも堪えないような気持がするのだった。
「――が、お通さん、そう嘆くことはないよ。風の便りだけれど、近頃、姫路にこんな噂がある」
「え。……どんな?」
 わらでも噂でも彼女の今の気もちでは、つかまずにいられなかった。
「武蔵様が、近いうちに、姫路へ来るかも知れないのだ」
「姫路へ……。それは、ほんとでしょうか」
「噂だから、どの程度まで、信じていいか分らないが、藩ではもっぱら本当らしくいわれている。――細川家の師範佐々木小次郎と試合する約束を果すために、近く、小倉へ下るだろうと」
「そんな噂は、私もちらと聞いたことがありますが、誰が一体いい出したことやら、ただしてみれば、武蔵様の消息を――いる所すら、知っている人はありません」
「いや。藩で流布るふされているはなしには、もう少し、真実らしい根拠がある。……というのは、細川家とも縁故のふかい、京の花園妙心寺から、武蔵様の所在が知れて、細川家の家老、長岡佐渡どのの取次で小次郎からの試合状が武蔵様の手に届いているというのだが」
「では、その日は、もう近々でございまするか」
「さ。その辺のことになると、何日いつのことやら、何処でやるのか。とんと分ってはいない。――しかし、京都の近くにいるものなら、豊前の小倉へ下るには、きっと姫路の城下はお通りになる筈だ」
「でも、船路もありますもの」
「いや、恐らくは」
 と、城太郎は、首を振って、
「船では行かれまい。なぜならば姫路でも岡山でも、山陽の各藩では武蔵様が通過の節はぜひ一泊を引き留めよう。そして、人物を見よう。またはそれとなく、仕官の望みがあるかないか、肚を訊こう。……などと種々いろいろな考えで、待ちうけている。現に姫路の池田家でも、沢庵坊へ御書面したり、妙心寺へ問合わせたり、また、城下口の駅伝問屋に命じて、もし武蔵らしい者が通ったらすぐ知らせよと、達してあるそうだから」
 そう聞くと、お通はかえって、ああと嘆いて、
「では、なおさらです。武蔵様が、陸路くがじを下っていらっしゃる筈はない。武蔵様のなによりもお嫌いな、そんなさわぎが、城下城下で待ちうけているようでは――」
 と、絶望していった。


 うわさの程度でも、よろこぶであろうと、城太郎は話したのであったが、彼女にいわれてみれば、武蔵が姫路へ立ち寄るだろうなどという期待は、はかない、こっちだけの空想にすぎない。
「――では城太さん。京都の花園妙心寺へゆけば、確かなことが、知れましょうね」
「それは、知れるかもしれないが、うわさだからなあ」
「まるで、根なし草でもないでしょうから」
「もう、行く気?」
「ええ。そう聞いたら、あしたにでも、立ちとうございます」
「いや、待てよ」
 城太郎は、以前とちがって、彼女についても、今では一ぱしの意見を持った。
「お通さんが、武蔵様と行き会えないのは、そういう風に、何かちらと、噂でも、影でもさすと、直ぐ一途に、それをあてに行くからじゃないかな。時鳥ほととぎすの姿を見ようなら、声のした先へ眼をやらなければ見えないのに、お通さんのは、後へ後へと行っては、行きはぐれているように思えるが……」
「それは、そうかも知れませんが、理窟のように、心のもてないのが恋でしょう」
 お通は、城太郎になら、何でもいい得た。
 けれど今、恋ということばをつい洩らして、城太郎の姿を見直すと、はっと思った。城太郎の顔いろもあかくうごいた。
 もう城太郎は恋ということばを、手鞠てまりのように、受取ったり返したりしていられる相手でなかった。人の恋より、彼自身が、それに悩む年配になっていた。
 で。にわかに、
「ありがとう。私も、よく考えてからにいたします」
 お通が、穂をらすと、
「そうなさい。そしてとにかく一度、姫路へ帰って」
「ええ」
「ぜひ、屋敷へは来てください。父と拙者のいる屋敷へ」
「…………」
「父の丹左も、話してみると、お通さんのことは、七宝寺にいた頃のことまで、よく知っていました。……何か知らないが、いちど会いたい、話もしたい、などと申していますから」
 お通は、答えなかった。
 消えかかる燈芯とうしんに、ふと、振顧って、びさしから夜空を見上げながら、
「……ア。雨が」
「雨ですって。――あしたは姫路まで歩くのに」
「いいえ、蓑笠みのかささえあれば、秋の雨ぐらいは」
「たんと来なければいいが」
「……オオ、風が」
「閉めましょう」
 城太郎は立って、雨戸を引寄せた。急にむし暑く、そしてお通のもつ、女の香が籠る気がした。
「お通さん、よいように、寝て下さい。拙者はこのまま――」
 と、木枕を取って、窓の下に、壁へ向って横になった。
「…………」
 お通は、まだ起きて、独り雨の音を聞いていた。
「寝ておかないといけないぞ。お通さん、まだ眠らないのか」
 眠りつけないらしく、後ろ向きのまま、城太郎はそういって、薄い寝具を、顔まで引っかぶった。

観音



 雨は蕭々しょうしょうと、びさしを打ちつづけている。
 風も強くなった。
 山村のことである。それに秋の空癖そらくせ、朝までにあがるかもしれない。
 お通は、そんなことを思いつつ、まだ帯も解かず坐っていた。
 ちょっと、寝つきが悪そうに、夜具の中で、もずもずしていた城太郎も、いつの間にか、眠り入っている。
 ポト、ポト……と、どこかに雨の漏る音がする。雨のしぶきが、がたがたと戸を打つ。
「城太さん」
 お通は、ふと、呼びかけた。
「――ちょっと眼をさましてくださいな。城太さん」
 何度呼んでも、眼をさましそうな様子もない。いて起すのも――と彼女はすぐ躊躇ためらってしまう。
 ふと、彼を起して、訊ねたいと思ったのは、お杉ばばのことである。
 ばばの味方の者へ、河原でもいっていたし、途中でも、ちらと聞いたが、このひどい雨に、城太郎が、ばばへ与えた懲罰しおきは、余りといえば、むごい。可哀そうである。
(この雨風に、濡れもしよう。冷えもしよう。年をとっている体、悪くしたら朝までに死んでしまうかも知れぬ。――いやいや、幾日も、人に気づかれずにいれば、それでなくても餓死がしするにきまっている)
 苦労性な生れつきか。ばばの身までを案じ出して、彼女は、仇とも思わず、憎いとも考えず、雨の音、風の音のひどくなるほど、独りで胸をいためてしまう。
(あのばば様も、根から悪いお方では決してないのに)
 と、天地へ向って、ばばの代りにかばってみたり、
「こちらがまことをもって尽せば、いつか真はどんな人へも通じるということ。……そうだ、城太郎さんに後で怒られるかも知れないけれど」
 彼女は遂に、何事かを、思いきめた様子で、雨戸を開けて外へ出た。
 天地は暗かった。雨ばかりが白くしぶいている。
 土間のわらじを、足につけ、壁の竹の子笠を、頭にかぶって、お通はすそを折った。
 みのを着て――
 ザ、ザ、ザ……と軒端の雨だけに打たれて出て行った。ここからは、そう遠くもない、宿場の横の、山神堂さんじんどうがあるあの高い石段の山へである。
 夕方、麻屋の万兵衛と一緒に登った、覚えのある石段は雨で滝津瀬たきつせになっていた。登りきると、杉林はごうごうと吠えている。下の宿場よりは、遥かに風の当りが強い。
「何処だろ? おばばさんは」
 くわしくは聞いていなかったのである。ただ、どこかこの辺に、懲罰こらしめにかけてあるのだと、城太郎はいっていたが――
「もしや?」
 と、御堂の中をのぞいてみた。また、床下ではないかと、呼んでみた。
 答えもない。姿もない。
 ほこらの裏へ廻った。――そして、荒海わだつみうしおのような樹々の唸りに体を吹かれてたたずんでいると、
「おうーいっ。誰方どなたぞ来て下されようっ。……誰ぞそこの辺に人はないか。……ううむ、ううむ」
 うめきともわめきともつかない声が――それも雨風の途断とぎれ途断れに聞えて来た。
「おお、ばばさんに違いはない。――ばば様あ、ばば様あ」
 彼女も、此方こなたから、風へ向って声を張った。


 呼ぶ声は、雨風にさらわれて、暗い虚空へ、消えて去ったが、彼女の心は、見えぬ闇の人へ、通じて行ったものか、
「おうっ、おうっ。誰ぞそこらにおでたお人やある。助けてくだされよの。ここじゃあ、ここじゃがのう。――助けてもようっ」
 ばばの声が、彼女のそれに答えるように、途断れ途断れに何処からか聞えてくる。
 元よりそれも、怒濤のような杉林の雨風に掻きみだされ、まとまった言葉には響いて来ないが、ばばが必死の叫びに違いないことは、お通の耳にすぐ知れた。
 探り呼ぶ声もれ果てて、
「……何処ですかあ? 何処ですか? ……ばばさんっ、ばば様あ」
 お通は、堂を駈け巡った。
 そのうちに――
 御堂から杉の樹蔭を曲がって二十歩ほど先、奥の院の登り口となる崖道の断削きりそいだ一方に、熊の穴みたいな洞穴ほらあなが見出された。
「あっ……ここに?」
 近づいて、中をのぞくと、おばばの声は、確かに、その洞穴の奥から洩れて来るのだった。
 けれどいわあなの口には、彼女の力ぐらいでは、動きそうもない大きな岩が、三つ四つ積み重ねてあり、出入りを封鎖してあるのだった。
「どなたじゃ! ……。それへ来たのはどなた様じゃ! もしやこのばばが日頃信仰する観世音菩薩かんぜおんぼさつ化身けしんではおさぬか。あわれ、お助けなされませ。――外道げどうのために、この難儀な目にうた不愍ふびんなばばを!」
 ばばは、外の人影を、岩と岩の隙間からひと目見ると、こう狂喜して叫び出した。
 なかば、泣くように、半ば、訴えるように、そして、生死の闇に、日頃信仰する観音の幻覚を描いて、それへ生きたい一心をいのりつづけた。
「――うれしや、欣しや。ばばの善心を、日頃からあわれとおぼし給い、この大難へ、仮の御姿みすがたして、救いにお降り下されましたか。大慈大悲、南無、観世音菩薩かんぜおんぼさつ――南無、観世音菩薩」
 それなり――
 はたと、ばばの声は、もうしなくなった。善哉よいかな
 思うに、ばばは、一家のおさとしてまた、子の母として、人間として、自分は善人無欠の人間と信じているのだ。自分の行為はすべて善なりとしているのだ。自分を守らぬ神仏があれば、神仏のほうが悪仏邪神であるとするであろうほど、彼女にとって、彼女は善の権化ごんげだった。
 ――だからこの風雨に、観音菩薩かんのんぼさつ化身けしんが救いに降りて来ても、彼女にはすこしの不思議でも何でもない。当然こうあらねばならぬ気持であった。
 しかし、その幻覚が、幻覚でなく、実際に誰かいわあなの外へ近づいて来たので、ばばは、途端に気がゆるんで、ああ、と失心してしまったのではなかろうか。
「……?」
 いわあなの外にあるお通も、あれほど物狂わしかったばばの声が急に絶えたので、もしやと、気が気ではなくなった。早く窟の口を開こうものと、必死の力を出していたけれど、彼女の力では、その岩の一つすら動かなかった。竹の子笠のひもはちぎれて飛び、黒髪は、みのと一緒に、雨風に吹きちらされた。


 どうして、こんな大きな岩を、城太さんは独りで動かしたろう、と思う。
 体で押してみたり、両手をかけてありったけの力をこめてみたが、いわあなの口は一寸も開かない。
 お通は、精を疲らして、
(城太さんも、あんまりひどい)
 と、恨みに思った。
 自分が来たからよいようなものの、もしこのままにしておけば、ばばは中でくるじにしてしまう。それはそうと、急に声がしなくなったのは、もう半分死んでしまったようになっているのではあるまいか。
「ばば様。お待ちなさいよ。……気を慥乎しっかりして! 今! もう直ぐにお助けいたしますから」
 岩と岩のあいだに顔を寄せていったが、それでも返辞はなかった。
 もちろん、いわあなの中は、洞然どうぜんたる暗黒で、ばばの影もみえない。
 ――が、微かに。
或遇悪羅刹わくぐうあくらせつ
毒龍諸鬼とう
念彼観音力ねんぴかんのんりき
時悉不敢害じしつふかんがい
若悪獣囲繞じゃくあくじゅういにょう
利牙爪可怖りげそうかふ
念彼観音力
 ばばの唱える観音経かんのんぎょうの声がそこにする。ばばの眼や耳には、お通の声も姿もなかった。ただ、観音が見える。菩薩ぼさつ御声みこえが聞えている。
 ばばは、合掌し、安心しきって、今は涙を垂れながら、ふるえる唇から、観音経を唱えていたのであった。
 けれどお通に神通力もなかった。積み重ねてある三つの岩の一つも動かせなかった。雨はやまず、風は休まず、彼女のみのもやがて千断ちぎれ果てて手も胸も肩も、ただ雨と泥にまみれるばかりだった。


 そのうちに、ばばも、ふと不審に思い出したのであろう、隙間に顔を寄せて、外をうかがいながら、
「誰じゃ? 誰じゃ?」
 と、どなった。
 力も尽き、精も尽き、途方に暮れた顔して、風雨の中に、身をすぼめていたお通は、
「おお、ばば様か。――お通でございます。まだ、そのお声では、お元気のような」
「何?」
 と、疑うように、
「お通じゃと」
「はい」
「…………」
 間をいて、また、
「お通じゃと?」
「はい……お通でございまする」
 ばばは、初めて愕然がくぜんと、ものに打たれたように、自己の幻覚からほうり出されて、
「ど、どうして、われが此処へは来たぞよ。……ああ、さては城太郎めが、後を追って」
「今、お助けいたします。ばば様、城太さんのことは、ゆるしておあげなされませ」
「わしを、救いに来た……?」
「はい」
われが……わしを」
「ばば様。何もかも、来し方のことは、どうぞ水に流して、おわすれ下さいませ。わたくしも、幼い頃に、お世話になったことこそ覚えておりますが、その後の、お憎しみやご折檻せっかんは、決して、お怨みには思っておりませぬ。――元々、わたくしのわがままもあったことと」
「では、眼がさめて、前非を悔い元のように、本位田家の嫁として戻りたいというか」
「いえ、いえ」
「では、何しにここへ」
「ただ、ばば様が、お可哀そうでなりませぬゆえ」
「それを恩に着せて、以前のことは水に流せといやるか」
「…………」
「頼むまい。誰がそなたに助けてくれと頼んだか。――もし、このばばに、恩でも着せたら、うらみを解くか、などと考えたのなら、大間違いじゃぞ。たとえ、憂き目の底におろうとも、ばばは、生命いのち欲しさに意気地は曲げぬ」
「でもばば様。どうしてお年をとったあなた様が、こんな目に遭うているのを見ておられましょう」
「上手をいうて、われも城太めと、同腹ではないか。ばばをはかって、こうしやったのは、汝と城太めじゃ。もし、このいわあなから出たら、きっときっと、この仕返しは直ぐしてみせるぞよ」
「今に――今に――わたくしの気持が、きっとばば様に、分っていただける日もございましょう。ともあれ、そんな所にいては、またお体を病みましょう」
「よけいなぐち。うぬ。城太といい合せて、わしを揶揄からかいに来おったの」
「いえ、いえ、見ていてください。わたくしの一心でも、きっとお怒りを解いてみせまする」
 彼女はまた、起ち上がって、岩を押した。動かない岩を、泣きながら押した。
 だが、力では、絶対に動かなかった岩が、その時、涙では動いた。三つの岩の一つが、どさっと先ず地へ落ちた。
 それからまた、後ろの岩も、思いのほか軽くゆるぎ出して、いわあなの口はやっと開いた。
 彼女の涙の力のみではなく、ばばの力も中から加わっていたためである。――で、ばばは自分の力のみでそこをき破ったような血相をたたえ、同時に窟の外へおどり出した。


 一心がとどいた。
 岩が除かれた。
 うれしや!
 お通は、押した岩と共に、よろめきながら心でさけんだ。
 だが。
 ばばは、いわあなから飛び出ると、いきなりお通の襟がみへ跳びかかって行った。この世へ生きて出直した目的の第一がそれであったように。
「あれッ――ばば様っ」
「やかましい」
「な、なんで」
「知れたこと」
 ばばは、力まかせに、お通を大地にひきすえた。
 そうだった。知れきったことではあった。けれどお通には、こういう結果は、考えられなかった。人へ贈る真心は、真心をもって返されるものと誰に対しても、一様に信じて疑えない彼女に取って、この結果は、やはり意外なおどろきに違いなかったのである。
「さあ、おじゃい!」
 ばばは、お通のえりがみを持ったまま、雨の流れる地上を引摺ひきずった。
 雨は少し小やみになったが、なお、ばばの白髪に燦々さんさんと光ってそそいだ。お通は、引摺られながら、を合せて、
「ばば様、ばば様、堪忍なさいませ。お腹のえるまで、御折檻はうけまするが、この雨に打たれては、ばば様のお体も、後で御持病のもとになりまする」
「なんじゃと。いけ図々しい。こうされても、まだ、ひとを泣き落しにする気かいな」
「逃げませぬ。どこへでも参りますから、お手を……ああ……苦しい」
「あたりまえじゃ」
「は、離して。くく……」
 のどくびが詰ったのである。
 お通は思わず、ばばの手をもぎ払って、起ちかけたが、
「逃がそうか」
 とその手は、またすぐ、黒髪の根をつかむ。
 がくと、宙を向いた白い顔に、雨がそそいだ。お通は、眼を閉じていた。
「ええ、わが身のために、どれほど、多年の間、艱苦をめさせられたことか」
 ばばは、ののしって、彼女が何かいえばいうほど、もがけばもがくほど、黒髪を引摺ひきずりまわし、踏んだり打擲ちょうちゃくしたりした。
 が――そのうちに、ばばは、しまった! というような顔して、急に、手を離した。ばたと、仆れたまま、お通はもう虫の息もしていない。
 さすがに、狼狽うろたえて、
「お通っ。お通やあ」
 ばばは、彼女の白い顔をのぞいて呼んだ。雨に洗われた顔は、死魚のように冷たかった。
「……死んでしもうた」
 ばばは、ひと事みたいに茫然とつぶやいた。殺す意志はなかった。あくまで、彼女をゆるす気もないが、こうまでする気もなかったのである。
「……そうじゃ。ともあれ、一度やしきへ戻って」
 ばばは、そのまま去りかけたが、またふと返って来て、お通の冷たい体を、いわあなの中へかかえ入れた。
 入口は狭いが、なかは思いのほか広い。遠い昔、求道の行者が、趺坐ふざしていた跡かのような所も見える。
「オオひどや……」
 ふたたび、ばばがそこから這い出ようとした頃、窟の口はまるで滝だった。そして奥のほうまで真っ白に飛沫しぶきが吹きこんで来た。


 出ようとすれば、いつでも出られる身になってみると、この豪雨に、何もいて、濡れに出て行くことはない。――
「やがて、夜も明けように」
 そう考えて、ばばは、窟の中につぐなんだまま、暴風雨あらしのやむのを待っていた。
 が、その間、真の闇のなかに、お通の冷たい体と、一つにいるのが、ばばは、恐ろしかった。
 白い冷たい顔が、責めるように始終、自分を見ている気がする。
「何事も、約束事じゃ。成仏じょうぶつしてたもよ……怨むなよ」
 ばばは、眼をつぶって、小声に経をし始めた。経を誦している間は、苛責かしゃくも忘れ、こわさもまぎれた。幾刻もそうしていた。
 チチ、チチ、と小禽ことりの声がふと耳に沁む。
 ばばは、眼を開いた。
 洞窟が見えた。外から射す白い光が、あざらかに、荒い土の肌を見せている。
 夜明け頃から、雨も風も、はたとやんでいたらしい。いわあなの口には、金色の朝のが、跳ね返ってかがやいていた。
「なんじゃろ?」
 起とうとしながら、ばばはふと、顔の前にき出している文字に気をとられた。それは、洞窟の壁に彫りこんである何人なんぴとかの願文だった。
てんもん十三ねん、天神山城の御かつせんに、浦上うらがみどののぐん勢に、森金作という十六の子を立たせて、ふた目とも見ざるかなしさのあまりに、諸所の御仏をたずねさまよい、今ここに一体のかん音菩薩ぼさつをすえ奉ること、母の身にはらくるいのたねともなり、きん作がためには後生をねがいまつるにはべ
幾世の後、ふと訪うひともあらば、あわれと念ぶつなしたまわれ、ことしきん作が二十一ねんのくようなり
施主せしゅ 英田あいたむら きん作が母
 所々、風化して、読めない所もある。天文永禄の頃といえば、ばばにも古い憶い出しかない。
 その頃、この近郷一帯の、英田あいた讃甘さぬもや勝田の諸郡は、尼子あまこ氏の侵略をうけて、浦上一族は諸城から敗退の運命を辿たどっていた。ばばの幼い頃の記憶にも、明けても暮れても、城の焼ける煙で空はくらく、畑や道ばたや、農家のある近くにまで、兵馬の死骸が幾日も捨てられてあった。
 きん作とかいう十六歳の子をその合戦に立たせて、そのまま、ふた目とも会わなかった母親は、二十一年も経った後まで、そのかなしみを忘れかねて、子の後生を祈りつつ、諸所をさまよって、き子の供養を心がけていたものとみえる。
「……さもあろう」
 又八という子を持つばばには、同じ母なるその親の気もちが、ひしと分る。
「南無……」
 ばばは、岩の壁へ向って、を合せ、嗚咽おえつしないばかり、落涙していた。――そしてややしばし、泣き暮れていたが、われにかえると、その涙の合掌の下に、お通の顔があった。すでにこの世の朝の光も知らず、冷たい人となって、横たわっていた。


「お通っ……。わるかった。このばばが悪かったぞよ。ゆるしてたも。ゆ、ゆるして……たも」
 ――どう思ったのか。
 ばばは、いきなりお通の体を抱きあげてさけんだ。悔悟かいごのいろが、ばばのおもてには溢れていた。
「恐ろしや、恐ろしやの。子ゆえの闇とは、このことか。わが子可愛さにひとの子には、鬼となっていたか……お通よ、其方そなたにも、親はあったものにのう。親御から見たらこのばばは、子のかたきじゃ、羅刹らせつじゃ、……。ああわしのすがたは夜叉やしゃともみえていたであろう」
 洞窟の中なので、彼女の声はいんいんとこもって、彼女自身の耳へこたえてくる。
 ここには、人もいない、世間の目もない。また、見得みえもない。
 あるのは闇、いや菩提ぼだいの光だけである。
「――その羅刹とも夜叉とも見えようわしを、思えば、其女そなたは長のあいだ、ようまあ、怨みもせぬのみか、このいわあなへまで、ばばを救おうとて。……おう、今思えば、其女の心は真実じゃった。それを、よこしまに、悪推量して、恩をあだに憎んだのも、皆このばばの心がねじけていたためじゃ……。ゆるしてくれよ。お通」
 そして果ては、抱きあげたお通の顔へ、わが顔を、ひたとつけて、
「このような優しい女子おなごが、わが子にもあろか。……お通よ、まいちど眼をあいて、ばばが詫びを、見ておくれやれ。まいちどものをいうて、ばばを、口の限り、ののしって気をはらしてたも。お通よ」
 そうお通へ向って悔悟する胸には、またきょうまでのあらゆる場合の自己のすがたが、すべて懺悔ざんげの対象になってまざまざと悔いの胸を噛んで来る。身も世もなく、
「ゆるしてたべ。ゆるしてたも」
 ばばは、お通の背へ泣きぬれたまま、このまま、共に死なんものとまで、思いつめたが、
「いや、嘆いているまに、はよう手当したら、まいちど、生きぬ限りもない。――生きてあれば、まだ若い春の永いお通じゃに」
 ばばは、お通の体を、膝から下ろすと、蹌這よろばいながら、窟の外へとび出した。
「あっ」
 急に、朝のを浴びて、眼がくらんだのであろう。両手で、顔をおおいながら、
「――里の衆っ」
 と呼んだ。
 呼びながら、駈け出した。
「里の衆っ。里の衆――。来てくだされや」
 すると、杉林の彼方から、誰かがやがやと人声がして、やがて、
「いたぞうっ。――おばばが無事で、あれにおるぞっ」
 と、呶鳴る者があった。
 見ると、本位田家の一族――身寄りの誰や彼が十名近く。
 ゆうべ、佐用川の河原から、血にまみれて帰った郷士のひとりから急を告げたので、夜来の豪雨をおかし、ばばの居所と安否をさがしに出た人々とみえ、みの笠を着け、誰も彼も、水から上がったように濡れていた。
「おお、ばば殿」
「ご無事じゃったか」
 駈け寄って来た人々が、ほっと、安堵あんどのいろを浮かべ、そして左右からいたわりぬくのを、ばばは殆どよろこぶ様子もなく、
「わしじゃない。わしはどうなとかまわぬ。はよう、あのいわあなのうちにいる女子おなごを手当してたも。助けてたも。……もう気を失うてから、刻経ときたっている程に、早うせねば……早う薬なとやらねば……」
 まるで、うつつかのように彼方を指さし、もつるる舌に、顔じゅうに、異様な悲涙を湛えていった。

世の潮路



 翌年のことだった。詳しくいえばそのとしは、慶長十七年、四月にはいったばかりの頃である。
 泉州の堺港さかいからは、その日も、赤間ヶ関へ通う船が、旅客や荷をれていた。
 廻船問屋の小林太郎左衛門の店にやすんでいた武蔵は、やがて船が出るとの報らせに、床几しょうぎを立って、
「――では」
 と、見送りの人々へ、挨拶をして、軒を出た。
「ご機嫌よう」
 ひとしく、そういいながら、見送り人たちは、武蔵を囲んで、船着きの浜まで歩いて行った。
 本阿弥光悦ほんあみこうえつの顔が見えた。
 灰屋紹由しょうゆうやまいのよしで来られなかったが、息子の紹益しょうえきが来ていた。
 紹益は美しい新妻を連れていた。その新妻の麗しさは、人目をそばだたせるものがあった。
「あれは、吉野やないか」
「柳町の?」
「そうじゃ、扇屋おうぎやの吉野太夫」
 と、袖ひきおうてささやいた。
 武蔵は、紹益しょうえきから、
(わたくしの妻で……)
 とは引き会わされたけれど、前の吉野太夫であるとは紹介されなかった。
 また、顔にも、覚えがない。扇屋の吉野太夫ならば雪の夜、牡丹ぼたんを焚いてもてなされたことがある。彼女の琵琶びわにも耳澄ました覚えがある。
 が、武蔵の知っているその人は初代吉野であって、紹益の妻なる女性は二代吉野なのであった。
 花散り花開く。――さとの年月はいとど流れが早い。
 あの夜の雪も、あの牡丹のまきの炎も、今は夢かのようである。その時の初代吉野のすがたも、今はどこに、人妻になっているやら、孤独やら、うわさもないし、知る人も絶えてない。
「はやいものですね。初めてお目にかかった頃から思うと、もう七、八年は経っている」
 光悦も、船まで歩きながら、ふと呟いたことだった。
「……八年」
 武蔵も、うたた、歳月の思いにたえなかった。――今日の船出が、何となく、人生の一期劃きかくのように思われもして。
 さてまた。
 その日、彼をここに見送った人々の中には、以上ふたりの旧知を始め、妙心寺の愚堂門下にずっといる本位田又八。京都三条車町の細川邸の侍たち二、三名。
 また、烏丸光広卿の名代として供連れの公卿侍くげざむらいの一行。
 それから、半年ほどの京都滞在中に、何かと知り合いになった者や、彼がこばんでも拒んでも、彼の人間と剣を慕って、彼を師とよぶ者たちが、それは無慮むりょ二、三十名以上もあろうか――何しろ武蔵にとってはやや迷惑すぎるほどな同勢をもって、見送りに加わっている一団もあった。
 で――
 送らるる武蔵は、語りたい者とは却って語りあう間もなく独り船に移ってしまったのであった。
 行き先は、豊前ぶぜんの小倉。
 そして彼の使命は、細川家の長岡佐渡の斡旋あっせんで、佐々木小次郎と、積年の宿題たる試合の約を、果すにあった。
 もちろん、このはなしが、具体的にきまるまでには、藩老長岡佐渡の奔走や文書の交渉がかなりあって、武蔵が、昨秋以来、京の本阿弥ほんあみ光悦の長屋にいるということが分ってからでも、約半年もかかって、ようやく、まとまったことなのであった。


 巌流佐々木小次郎と、いつかは一度、一期いちごの面接は避け難いであろうとは、武蔵もく期していたことだった。
 ――遂に、その日が来た。
 だが。
 武蔵は、こんなはれがましい人気を負ってその場へ臨もうなどとは露だにも予期していなかった。
 きょうの出立にしても然りである。こういう大仰おおぎょうな見送りなど、心のうちではもってのほかなと思う。
 思いつつ、こばみ得ないのは、世間の人々の好意である。
 武蔵はこわいのである。理解ある人の好意には、えりを正すが、その衆望が浮薄化して、人気というような波に乗せられることを、恐ろしいと思った。
 ふとすれば、自分も凡夫だし、思い上がらないものでもない。
 いったい今度の試合にしてもそうである。誰が、こういう切迫の日を持って来たか。考えてみると、小次郎でも、自分でもない気がする。むしろ周囲だと思う。いつとはなく、二人を対峙たいじさせ、二人を試合わせてみることに、世間が先に、興味や期待を大きくかもして、
(やるそうだ)
 と、いい、
(やる)
 と、断じ、遂に、
(いつの何日)
 と、まだうわさのうちから、日まで取沙汰されて来たのだった。
 こういう世評の対象になったことを、武蔵はひそかに悔いている。かくては自分の名声とやらは喧伝けんでんされるにきまっているが、彼は今、決してそんなものを求めていなかった。むしろ、もっと独りの沈潜ちんせんと、独りの黙思もくしとを必要としている。――というて、それは拗者すねもののすねた心ではさらさらない。行と工夫との合致のために。――そして愚堂和尚の啓蒙をうけてから後は、なおさら、道業の生涯の遠いことを、彼は痛感しているのであった。
(――さはいえ)
 と、彼はまた、思うのである。
 世間の恩というものを。
 生きていること、それはすでに、世間の恩であった。
 今日。
 この船出に、身にまとうている黒い小袖は、光悦の母が自ら針を持って縫うてくれたものである。
 手に持つ新しい笠や草鞋わらじ。その他一物たりとも何か世間の人の情けの籠った物でない物はない。
 いわんや、碌々ろくろく、米も作らず布も織らず、百姓のたがやすあわを喰っている身は――まさしく世間の恩で生きている。
(何をもってむくいようか)
 心をそこにおく時、彼は、世間に対してつつしむ心こそあれ、迷惑がる気もちなど起すのは勿体もったいないと知るのだったが――しかし、その好意が余りに、自分の真価に対して過大であり過ぎる時、彼は、世間を恐れずにいられなかった。
 とつこうつ。
 別辞。
 また、海上無事の祈り。
 旗やら、会釈やら。
 送る者、送らるる者の間に、眼にみえぬ時はながれて、
「――おさらば」
「おさらば」
 船は、ともづなを解き、武蔵は船に、人々は岸に残って、呼びう間に、大きな帆は青空に翼を張った。
 すると、一足おくれて、
「しまった」
 と、船出の後へ、駈けつけて来た旅の者があった。


 港を出たばかりの船は、彼方かなたに見えているのに、わずかな遅刻で、それに間に合わなかった若者は、返す返す地だんだを踏んで、
「ああ、遅かった。こんなことなら眠らずにでも来るのだったのに」
 及ばぬ船の影を見送っている眼には、ただ乗遅れただけではない、もっと切実な恨みがみえた。
「もしや、権之助どのではありませぬかな」
 同じように、船が出ても、なおたたずんでいた人々の中から、光悦がその姿を見かけて、近づきながら声をかけた。
 夢想権之助むそうごんのすけは、その手についていたじょうを、小脇へすくって、
「お。あなたは」
「いつか河内かわちの金剛寺でお目にかかった……」
「そう。忘れてはいませぬ。本阿弥ほんあみ光悦どの」
「ご無事でおでられたとは、さてさてめでたい。実は、ほのかに、おうわさを聞き、生死のほども案じておりましたが」
「誰に聞きましたか」
「武蔵どのから」
「え。先生のお口から? ……はて、どうしてであろう」
「あなたが、九度山衆に捕まって、どうやら隠密の疑いで、害されたかも知れぬという消息は、小倉の方から聞えて来たのです。――細川家の御家老、長岡佐渡様のお手紙などから」
「それにしても、先生がご存じの仔細は」
「今朝お立ちになる昨日まで、武蔵殿は、てまえの門内の長屋にお住居でした。その居所が小倉へ聞えたので、小倉からも度々、書面の通ううち、お連れの伊織殿も今では長岡家にいるとやらで」
「えっ。……では伊織は、無事におりまするか」
 権之助は、今日の今、初めてそれを知ったらしく、そしてむしろ、茫然たる面持おももちだった。
「ともあれ、ここでは」
 と光悦に誘われて、近くの磯茶屋の床几しょうぎを借り、こもごもに語りあってみると、権之助が意外としたのもむりはない。
 月叟げっそう伝心――九度山の幸村ゆきむらは、あの時、権之助を一見すると、さすがにすぐ、権之助の人となりを知ってくれた。
 で、彼の縄目なわめは、
(部下の過失)
 と、即座に、幸村の謝罪と共に解かれ、わざわいはかえって、ひとりの知己を得る幸いになった。
 それから、紀伊きい越えの山の割れ目にちた伊織の身を、幸村の配下の者も、力をあわせて探してくれたが、ようとして、きょうまで、生死も知れなかった。
 断層の谷間に、死骸は見あたらないので、
(生きている)
 とは、確信していたものの、それだけでは、やがて、師の武蔵にあわせる顔もない。
 以来、権之助は、近畿をたずね歩いていた。
 たまたま、巷間こうかんには、近く武蔵と細川家の巌流とが、一戦の約を果すとか、もっぱら噂もあって、武蔵が京あたりにいるらしいことも察したが、何しろ、合せる顔もないとして、権之助はそう聞くほどさらに、伊織を尋ねることに焦心あせっていたのだった。
 ――と。その武蔵が、※(二の字点、1-2-22)いよいよ、小倉へ向って立つということを、きのう九度山で聞いた。
(かくては何日いつか)
 と、意を決し、おもておかして会うつもりで、早々、道を急いで来たのだったが、船の時刻がしかとしないため、一足ちがいとなり、何とも残念至極――と、繰り返して、権之助はいうのだった。


 光悦は、なぐさめて、
「いや、そうお悔みなさるには当るまい。次の便船までには数日の間があろうが、陸路くがじを追って行かれれば、小倉表で武蔵殿に会うなり、長岡家を訪れて、伊織殿とご一緒になるなりすれば――」
 いうと、権之助は、
「もとより、すぐ陸路を参るつもりではございますが、小倉へ着くまでの間でも、先生とひとつにいて、お身廻りのことでも勤めたかったのでござります」
 と、衷情ちゅうじょうを述べ、
「それに、今度の御発足は、怖らく先生にとっても、生涯の御浮沈かと思われます。平常、御修行にひたむきな武蔵様の事ゆえ、万が一つにも、巌流に敗れをとるような儀はあるまいとは思われますが――勝敗はわかりません。あながち、修行を積んだ者が勝ち、驕者きょうしゃは負けるとも限りません。――そこに人間力を超えたものも加わるのが、勝負の運、また、兵家の常ですから」
「けれど、あの沈着ぶりなら、自信がありそうです。お案じには及びますまい」
「と、思いはしますが、聞くところに依ると、佐々木巌流というものは、さすがに稀れな天才らしゅうございます。殊に、細川家に召抱えられてからは、朝暮ちょうぼの自戒鍛錬たんれんは一通りでないとも聞き及びました」
「驕慢な天才と、凡質を孜々ししみがいた人と、いずれが勝つかの試合ですな」
「武蔵様も、凡質とは思われませんが」
「いや決して、天稟てんぴんの才質ではありますまい。その才分を自らたのんでいる風がない。あの人は、自分の凡質を知っているから、絶えまなく、みがこうとしている。人に見えない苦しみをしている。それが、何かの時、鏘然しょうぜんと光って出ると、人はすぐ天稟の才能だという。――つとめない人が自ら懶惰らんだをなぐさめてそういうのですよ」
「……いや、おおきに」
 権之助は、自分がいわれている気がした。そしてそういう光悦の、のどかで間の広い横顔をながめながら、
(この人も)
 と、思い合されるところがあった。見るからに悠閑の逸人らしい。何のけんも針もないひとみも、ひとたび彼の生む芸術へかかった時の光はこうではあるまいと思われた。みぎわにさざ波一つない日の湖と山雨をはらんだ時の湖とぐらいな相違があるのではなかろうかと。
「光悦どの。まだお帰りになりませんか」
 その時、若い身を法衣ころもにつつんでいる男が、茶屋をのぞいていった。
「オ。又八さんか」
 光悦は、床几しょうぎを離れ、
「――では、連れが待っていますから」
 と、権之助へ、挨拶を残すと、権之助も共に起って、
「いずれ、大坂まで」
「そうです。間に合えば、夜船ででも、淀川よどがわから帰りたいと思いますが」
「――では、大坂まで、ご一緒に参りましょう」
 権之助は、そのまま陸路を豊前ぶぜんの小倉まで行くつもりらしい。
 若い妻を連れた灰屋の息子や、細川藩の留守居や、他の人々も、それぞれ一組になって、同じ道を、先へ行くもあり、後から来る者もあった。
 又八の現在やら、以前の身の上ばなしなど、その途々みちみち、何かとかたぐさになった。
「どうか、武蔵どのが、首尾よくやればよいが、あれで、佐々木小次郎も、喰えぬ男だし、凄い腕を持っているからな……」
 又八は、時々、憂わしげにつぶやいた。小次郎の恐るべきことを、彼はよく知っていたからである。
 黄昏たそがれ――
 三人はもう大坂の人混みを歩いていたが、気がつくと、いつのまにか、又八が、連れの中から見えなくなっていた。


「どこへ行ったのやら?」
 光悦と権之助とは、道をもどって、連れの姿を、夕方の往来にさがした。
 又八は、と或る橋のたもとに、ぼんやり立っていた。
「何を見て? ……」
 と、怪しみながら、彼の様子を二人が遠くから見まもっていると、又八の眼は、河原にあって、夕方の仕掛に忙しい鍋釜なべかまだの、野菜物だの、玄米くろごめだのを洗っているこの附近の長屋女房のかしましい群れに、じっとそそいでいるらしいのである。
「はての、あの容子ようすは」
 凡事ただごとでないその面持おももちを遠方からも察したので、わざと二人は、しばらく彼の意のままにいて、言葉をかけずに待っていた。
「……ああ、朱実あけみだ。……朱実にちがいない」
 又八は、独り、そこにたたずんでうめくように唇から洩らした。
 河原の女房たちの中に、その朱実のすがたを、彼は見出していたのだった。
 偶然――という気もしたが、偶然でない気も一層強くした。
 かりそめにも、江戸表の芝の長屋では、女房とよんだ女である。その時は、宿世すくせのふかい縁などとは元より思いもしなかったが、時経て、まして黒衣に身をつつんで後は、そうしたごとに似たことも、戯れ事とはなしれない、罪業を胸に詫びていた。
 ――が、朱実の姿は、はなはだしく変っていた。
 その変った姿を、通りすがりの橋の上からひと目見て、すぐ、
(あっ、朱実)
 と、胸打つほどのものは、恐らく自分だけしかあるまいと思う。偶然ではない、生命と生命との交流は、同じ土に息づいている以上、いつかこうあるのが本当である。
 それはさてき。
 変り果てた朱実には、つい一年余ほど前の色も姿態しなもなかった。汚い負紐おいひもで、背なかには、二歳ばかりの嬰児あかごを背負っていた。
 朱実の産んだ児!
 又八の胸には、まずそれがどきっと響いたにちがいない。
 朱実のおもても、見ちがえるほど、痩せている。それに、髪もほこりのままのつかがみで、木綿筒袖の、見得もふりもないのを裾短すそみじかに着、腕には重たげな手籠をかけ、口達者な長屋女房の揶揄からかい半分なさえずりのなかに、物売りの腰を低めているのだった。
 手籠の中には、海草だの、はまぐりあわびなどが売れ残っていた。背なかの児が、時々泣くので、籠を下へ置いては、子をあやし、子が泣きやむと、女房たちへ向って、あきないをせがんでいるふうだった。
(……あ。あの児は?)
 又八は、両手で、自分の頬をぎゅっと抑えた。胸の裡で、歳月をかぞえた。二歳としたら? ああ江戸の時分になる。
 ――と、すれば。
 数寄屋橋の原で、奉行所衆の割竹の下に、むしろをならべて、共に百叩きに会ったあげく、西と東に放たれたあの時は――もう彼女の肉体に、今の子どもは胎内たいないにあったわけである。
「…………」
 夕方の薄ら陽が、河原の河水から又八の顔に揺らいで、顔じゅうが溢れる涙みたいに見えた。
 うしろを忙しい往来が流れているのも彼は忘れていた。やがて、何も知らない朱実が、売れない手籠の物を腕にかけて、また、とぼとぼと、河原の先へ歩き出してゆくのを見ると、彼は、何もかも打ち忘れて、
「おういっ」
 手を揚げて、走りかけた。
 光悦と権之助とは、そこで初めて、駈け寄りながら、
「又八どの。何じゃ。どうなすったのだ?」
 と、呼びかけた。


 又八は、はっと振向いて、連れの者に、心配をかけていたことを、初めて気づいたかの如く、
「あっ。すみませんでした。……実はその」
 実は――といったものの、その実をひとに伝えるには、急場の言葉では分って貰えそうもない。
 殊に、今ふと、胸によび起した彼の発心ほっしんは、彼自身でも、説明にむずかしかった。
 勢い、いうことは、そこで唐突にならないわけにゆかない。又八は、のどにつかえるこもごもな感情の中から、最も手っとり早いことだけいった。
「――すこしその、わけがありまして、急に私は、還俗げんぞくしようと思い立ちました。もっとも、まだ、和上わじょうから、ほんとの得度とくどもうけていない身ですから、還俗するといっても、いわなくても、元々、ありのままなんですが」
「え……還俗する?」
 又八は、辻褄つじつま合っているつもりだが、平静に聞く者には、ひどく辻褄が合わなすぎた。
「それはまた、どういう仔細かな。どうもご容子ようすがちと変だが」
「詳しいことは、いえませんし、いっても、他人には馬鹿げていますが、以前、一緒に暮していた女にそこで会いました」
「ははあ。昔なじんだ女子おなごに」
 呆れ顔する二人に、しかも彼は生真面目きまじめであった。
「そうです。その女子おなごが、嬰児あかごを負ぶっているので――。年月を繰ってみると、どうも自分の生ませた子に違いありません」
「ほんとですか」
「ほんとに子を負ぶって、河原を物売りして歩いていたんで」
「いやいや、落着いて、よく考えてごらんなさい。いつ別れた女子か知らぬが、ほんとに、自分の子かどうか」
「疑ってみるまでもありません。いつの間にか、てまえはおやになっていたのです。……知らなかった。済まなかった。……急に今、胸を責めつけられました。てまえはあの女に、あんなみじめな物売りはさせては置かれません。また、子に対しても、父らしい務めをしなければなりません」
「…………」
 光悦は、権之助と、顔を見合わせて、多少の不安を覚えながらも、
「……では、浮いたはなしではないのじゃなあ」
 と、つぶやいた。
 又八は、法衣ころもを解き、数珠ずずと共に、光悦の手に託して、
「まことに、はばかりですが、これを妙心寺の愚堂様に、ご返上申してください。そして恐れ入りますが、今のように仰っしゃって、又八は大坂でひとまずおやになって、働くと伝えて下さいませぬか」
「いいのかな。そんなことで、これをお返し申して」
「和上様は、常々てまえにいっていました。町へ帰りたかったらいつでも去れよと」
「ふうむ……」
「また。修行は寺でもできぬことはないが、世間の修行が難事。汚いもの、けがれたものをいとうて、寺にはいってきよいとする者より、嘘、穢れ、惑い、争い、あらゆる醜悪しゅうおのなかに住んでも、穢れぬ修行こそ、真の行であるともいわれました」
「むむ、いかさまの」
「で、もう一年の余も、お側におりますが、てまえにもまだ、法名も下さいません。きょうまで、又八、又八で済ましていました。――後でまた、いつでも、自分でわからないことができたら、和上様の御門へ駈けこみます。どうぞ、そうお伝え置きくださいまし」
 いい終ると、又八は河原へ駈け下り、もう夕霧に仄暗ほのぐらい人影を、あれかそこかと追って行った。

待宵舟まつよいぶね



 旗のような、紅い夕雲がひときれ飛んでいる。いだ海の底を、たこの這うのも見えるほど、水も空も、この夕方は澄んでいた。
 その飾磨しかまうらの川尻に、ひるごろから小舟をつないで、やがて迫る黄昏たそがれに、わびしい炊煙すいえんをあげている一艘いっそうの世帯がある。
「寒うはないかの。……風が冷とうなって来たが」
 七厘の火に、柴を折りべながら、お杉ばばは、舟底へいう。
 そこのとまの陰には、船頭の妻とも見えぬなよやかな病人が、つかね髪を木枕にあてて、白いおもてをなかば、夜具のえりにかくして寝ていた。
「……いいえ」
 病人は、微かに頭を振る。
 そして、少し身をもたげ、かゆを煮る米を洗って七厘へ仕掛けているばばの姿をそこから伏拝むように、
「ばば様、あなたこそ、先頃からお風邪かぜぎみではございませんか。――もう余り、わたしのことでご心配なさらないで……」
 と、いう。
「なんの」
 ばばは、振顧ふりかえって、
「そなたこそ、そのようにいちいち気がねしてたもるな。……のうお通よ。やがて待つ人の船も見えようほどに、かゆなと食べ、力をつけて、待ったがよい」
「ありがとう存じまする」
 お通は、ふと、涙をうるませ、とまの陰から、沖をながめた。
 蛸釣舟たこつりぶねや、荷舟や、幾つかの舟影は見えたが、彼女の待つ堺港さかいみなとから立った豊前通いの便船は、まだ帆影すら見えて来ない。
「…………」
 ばばは、なべをかけ、火口をのぞいている。粥はやがてくたくたと煮えて来た。
 徐々に、雲は暗くなる――
「はて、遅いのう。遅くも夕方までには着こうとのことじゃったが」
 波のさわり、風の障りもない海なのに――と、ばばも、待つ船を、頻りと待ちあぐねて、沖を見てはつぶやいた。
 いうまでもなく。
 この夕方、ここに寄る予定の便船というのは、つい昨日、堺港を出た太郎左衛門船たろうざえもんぶねのことで、それには、小倉へ下る宮本武蔵が便乗したと――早くも山陽の街道筋には知れ渡っていた。
 うわさを、聞くと同時。
 姫路藩の青木丹左衛門の子息城太郎は、すぐ使いを走らせて、讃甘さぬもの本位田家へ知らせた。
 知らせをうけたばばは、その吉報をたずさえて、またすぐ、村の七宝寺へ駈けた。お通は、そこにやまいを養っていた。
 去年の秋の末頃、暴風雨あらしの夜、佐用山のいわあなへ、おばばを救いに行って、却っておばばのひど打擲ちょうちゃくにあい、気を失ってしまったあの時の明け方から――ずっと続いて、意識は元によみがえっても、体のぐあいは、前のようにすぐれなかった。
(ゆるして下されや。腹のゆるまで、このばばをどんなにもして――)
 その後のばばは、彼女の顔を見るごとに、懺悔ざんげの涙をながしていう。
 お通はまた、
(勿体ない)
 と、それをしも、かえって苦痛にして、自分の体には、以前からどことなく、こうした持病のがあったので、決して、ばば様のせいではないとなぐさめる。
 事実。お通には、そうしたやまいの経歴がなくはない。数年前、京都の烏丸光広のやかたにいた頃も、幾月かを病に臥したことがあり、その折と今度と、朝夕の容態も、よく似ていた。
 夕方になると、微熱が出て、軽いせきがともなった。目に見えぬほどずつ、体は痩せてゆき、そのうるわしい容貌は、よけい麗しさを増し、むしろその美はあまりにがれ過ぎて来て、対語する者をして、ふと憂えしめるほどだった。


 しかし――
 彼女のひとみは、いつも欣びと希望にみちていた。
 欣びとしては。
(おばば様が、自分の心を分って下すったのみか、同時に、武蔵様やすべての人達へも、御自身のあやまちへお気がついて、生れ変ったような、優しいばば様になって下された――)
 と、いう事実を眼に見、また、生きている希望としては、
(近いうちに)
 と、何がなし、心待ちの人と会う日も、近い心地を、覚えていた。
 ばばもまた、あれ以来は、
(きょうまでの、わしが罪と、心得違いより、そなたを不幸にしたつぐないには、きっと、武蔵どのへ、ばばが両手をついて詫びても、そなたの身を、よいように頼んで進ぜるぞよ)
 そういって、一族の者はもとより村の誰彼たれかれへも、お通と又八との、かつての古証文は、きれいに破棄して、やがてお通の良人たる人は、武蔵でなくてはならないと、自分の口からいうほどに変っていた。
 武蔵の姉のおぎんは、ばばがまだこういう気持にならない前には、彼女を呼び出すために嘘をいって、佐用村の附近にいるようなことをいったが、事実は、武蔵が出奔後、播磨はりまの縁類へ一時身を寄せ、そこから他家へかたづいたとかいうのみで、その後の消息は、伝わっていなかった。
 で――。七宝寺に戻って、以前からの知辺しるべといえば、やはり誰よりもおばばとが濃い仲だった。そのおばばはまた、朝晩に七宝寺を見舞って、
(薬はんだか。――食べ物は。――きょうの気分は?)
 と、真心のありたけを傾けた、看護みとりの世話をしてくれたり、また、心を力づけてくれるのだった。
 また、ある時はしみじみと、
(もし、いつかいわあなで、そなたがあのまま、よみがえらなんだら、わしもその場で、死ぬ気であった)
 ともいった。
 いつわりの多い人だったから、彼女も初めは、ばばの懺悔ざんげに、またいつ、変化が来まいものでもないと思っていたが、日がたつほど、かえってばばの真情は、濃く厚く、細やかになるばかりだった。
 時には、
(こんなにも好いお方とは思わなかった)
 と、お通ですら、以前のばばと今のお杉とが、同一に考えられない程だったから、本位田家の親しい者も、村の人々も、
(どうして、あんなに変りなさったか)
 と、皆いい合った。
 その中に、誰よりも、幸福を知って来たのは、おばば自身であった。
 会う者、ことばをわす者、身近の者――すべてが、自分に対して、以前とは、まるで変って来たからである。にこやかに迎え、にこやかに迎えられ、よい老婆としよりうやまわれる幸福を、六十を越えて、彼女ははじめて知ったのである。
 ある者は、ぶっつけに、
(ばばさんはこの頃、お顔までよいお顔になんなすったのう)
 と、正直にいった。
(そうかも知れぬ)
 と、ばばはそっと、鏡を取り出して、自分のすがたを見入った。
 しみじみ、歳月を覚えた。故郷を立った頃には、まだまだ半分以上も、交じっていた黒い髪も、一毛のこらず真っ白になっていた。
 心のすがたも。
 顔かたちも。
 純一で、白いものに、立ちかえっているように、自分の眼にも見えた。


堺港さかいを出る朔日ついたちの太郎左衛門船で、武蔵どのは、小倉へおもむくそうな)
 かねて、武蔵が通過する節はすぐ知らせるといっていた姫路の城太郎から、くとの知らせに、
(どうしやる?)
 問うまでもないが、お通へ心を訊くと、お通は、元より、
(行きます)
 と、いう。
 夕方はいつも、微熱が出て、大事に夜具へ身をれているが、歩けぬほどな病気ではない。
(さらば)
 と、直ぐ七宝寺を立ち、途中はお杉がわが子のように見まもって、一夜を、青木丹左衛門の屋敷に休み、
豊前ぶぜん通いの便船なら、飾磨しかまへは必ず寄る筈。一夜は、積荷を下ろすため、泊りとなろう。藩の人々も、出迎えに行くが、そなた達は、人目につかぬように、川尻の小舟にいたがよい。――会うおりは、わしら父子おやこが、よいように作って進ぜる)
 と、丹左衛門のことばに、
(なにぶん)
 と、その日、ひるごろ飾磨の浦につき、川尻の舟に、お通をやすめ、以前、お通の乳母なる人の家から、何かと物など運ばせて、太郎左衛門船がはいるのを、今か今かと待ちかねていたのだった。
 ちょうど、その乳母なる人の染屋の垣の近くには、べつに、武蔵の通過を、かねてから待って、彼のために、壮途を祝し、一せきの宴をもうけて、また、彼の人間をも見ようとする姫路藩の人々が、二十余名も、駕籠かごまでもって、迎えに出ていた。
 その中に、青木丹左衛門もい、青木城太郎もいた。
 姫路の池田家と武蔵とは、その郷土的にも、また、武蔵が若年時代の記憶にも浅からぬ縁がある。
(当然、彼は光栄とするだろう)
 迎えに出ている池田家の藩士たちは、皆、そう意識していた。
 丹左衛門も、城太郎も、その見解に変りはなかった。
 けれどただ、お通の姿をその人たちに見せて、誤解を招いてはいけない。武蔵も迷惑とするかもしれない。――そう考えたので、わざと彼女とお杉だけは川尻の小舟へ遠のけておいたのだった。
 ――が。どうしたのか。
 海は暮れ、夕雲のあかねはうすれ、いつとはなく宵明りが青黒くただよって来るのに、まだ、船の影は見えても来ない――
「遅れたのかな?」
 誰かが、一同をかえりみる。
「――そんな筈はないが」
 と、自分の責任のように答えたのは、京都の藩邸にいて、武蔵が船便で朔日ついたちに立つと聞くと共に早馬で知らせて来た藩士だった。
「船の出る前、さかいの小林へ使いをやり、朔日ついたち立ちと、確かめても来たのだから」
「風もないきょうのなぎ、そう遅れるわけはないからやがて見えよう」
「その風がないから、帆走りはよほどちがう。遅れたのは、そのせいじゃよ」
 立ちくたびれて、砂に坐る者もある。白い夕星ゆうずつが、いつか、播磨灘はりまなだの空をつつんでいた。
「ア! 見えた」
「見えたか」
「――あの帆影らしい」
「おお。なるほど」
 ようやく、人々は、ざわめき立って、浜の船着きのほうへ、ぞろぞろ歩いて行った。
 城太郎は、その群れを、そっと走りぬけて、川尻へ駈けて行き、下の苫舟とまぶねへ向って大声で告げた。
「――お通さん。ばば殿。見えたぞ。武蔵様の乗っている船の影が」


 こよい寄る堺の太郎左衛門船。待ちかねていた武蔵の乗っている便船。それらしいのが今沖から見えて来たとの知らせに小舟のとまは、
「えっ。……見えてか」
 と、揺れうごいて、
「何処に」
 と、ばばも起つ。
 お通もわれを忘れていう。
「――あぶない」
 ばばはあわてて、ふなべりすがり立とうとするお通を、抱き支えた。
 そして共に、身を伸ばし、
「おお、あれかの?」
 息をのんで見まもった。
 宵凪よいなぎの海づらを、星明りに黒い翼を張って、一そうの大きな帆船が――見まもる二人のひとみの中へすべり込んで来るように、見ている間に、近づいてくる。
 城太郎は、岸に立って、指さしながら、
「あれだ……あれだ」
「城太どの」
 ばばは、しかと。――離せばえて、そのままほろりと、小舟のへりから落ちてしまいそうな、お通の体を抱きしめて、
「済まぬが、急いで、この小舟のって、あの便船の下へ漕ぎ寄せてたもらぬか。――少しも早う、会わせたい。ものいわせたい。お通を連れて武蔵どのへ」
「いや、ばば殿。そういたところで、致し方はない。今、藩の方々が、彼方の浜に立ち並んで待ちうけておられるし、早速に、船手の者が一名、早舟を漕ぎ出して、武蔵様を迎えに行った」
「ではなおさらのこと。そう人目をはばかってばかりいては、お通を会わせるいとまもあるまいに。――わしがどうなと、人前はいいつくろおう。家中の衆に囲まれて、お客として持って行かれぬまに、一目でも先に会わせてやりたい」
「困りましたなあ」
「だから、染屋の家に、待っていた方が好かったに、おぬしが、藩の衆の人目ばかり恐れるので、このような小舟にひそみ、かえってどうもならぬではないか」
「いやいや、そんなことはありませぬ。世上の口はうるさいもの、大事な場所へかれる矢先に、あらぬ噂でも流れてはと、父の丹左衛門が案じるので、取計らったまででござる。……ですから、父とも計らい、後刻、隙を見て、武蔵様をここへお連れ申して参りますゆえ、それまで、窮屈でもここに待っていて下さい」
「ではきっと、これへ武蔵どのを、案内して来て下さるかの」
「迎えの小舟から、武蔵様が上がりましたら、ひとまず、染屋の縁を借りて、家中どももご一緒に休息となりましょう。……その間に、ちょっとお連れ申します」
「待っていますぞよ。固くたのんだぞ」
「そうして下さい。……お通どのも、その間、そっとやすんでおられたがよい」
 いい捨てて、城太郎はにわかに気もせわしげに、元の浜辺のほうへ駈け去った。
 ばばは、お通をそっと、とまの陰の臥床ふしどへ抱えて、
「寝ていやい」
 と、いたわった。
 木枕に、おもてを伏せると、お通はしばらくせているのだった。今、急激に身を動かしたのが悪かったか、あまりに潮の香が強いためか――
「またせきが出るのう」
 ばばは、彼女の薄い背をさすって与えながら、その病苦をまぎれさせようとしてか、頻りに、武蔵がここに見えるのも、もうわずかな間と、うわさした。
「ばば様。もう何ともございません。ありがとうございます。勿体ない、どうぞお手を休めて」
 せきがやむと、彼女は、髪のみだれを撫であげて、ふと、わが姿を顧みた。


 かなり時が経った。だが、待つ人はなかなか来なかった。
 ばばは、お通ひとりを舟に残して、岸へ上がった。城太郎が案内して来る筈の武蔵の影を、そこにたたずんで待ちあぐねている様子――
 お通は。
 やがて、武蔵がここへ来るかと思うと、人知れず動悸どうきが打って、静かに身を横たえてもいられないらしい。
 木枕や臥床ふしどを、とまの隅へ押しやって、えりをあわせたり帯の結びを直したりした。恋を覚えそめた十七、八の年頃の動悸ときめきも、今の動悸ときめきも、彼女には少しも変って来たふうがない。
 小舟のへさきには、篝火かがりが吊ってあった。夜の江口にその火は照りはえて、お通の胸にも赤々と燃えさかった。
 彼女は今、やまいを忘れていた。小舟のへりから白い手をのばし、くしをぬらして髪を撫であげた。そしててのひらに少しの白粉おしろいを溶き、それとも知れぬほどうすく顔をよそおった。
 彼女は人にも聞いている。
 侍ですら、深い眠りをとった直ぐ後とか、体のすぐれぬ時などに、やむなく君前に出たり人と会う時は、手水ちょうずをつかう間にそっと手早く、頬に隠しべによそおって、はればれしく対語するとか――いう心がけを。
「……だが、何といおう」
 お通はまた、武蔵と会った上のことが心配になった。
 語れば、生涯はなしても、尽きないほどなものはある。
 けれど、いつもいつも、会えば何もいえなかった。
 何のために!
 と、かの人はまた怒るかもしれないとおそれる。
 折も折である。
 世上にも聞え渡って、天下の衆目の中を今、佐々木小次郎との試合にゆく途中とあれば、彼の気性、彼の信念、おそらく自分と会うことなど、楽しいこととは思うてもくれまい。
 が――それだけに、彼女にとっては、なおさら一期いちごの折であった。相手の小次郎に武蔵が敗れるとは思えなかったが、不測ふそくな敗北がないとはまた、いえない気もする。いやいや、いずれが勝つか、という世評では、武蔵が強しとする者、小次郎がすぐれたりという者、相なかばしているのである。
 もし、きょうという折をいて、万が一にも、このままふたたびこの世で相見ることができないような不幸が――かりにもあったとしたら、悔いは百年の後も消すことができないであろう。
 天にあっては比翼ひよくの鳥、地に在っては連理れんりの枝とならん――と来世を願った漢帝の悔恨を、胸に歌に繰り返して、泣き死んでも追いつかないことである。
 ――何と叱られても。
 と、彼女は病苦を人へは軽く見せてまで、強い気持でここへは来たのであったが、こうして愈※(二の字点、1-2-22)、その人と会う時が迫ってみると、胸は痛いほどときめき、心は武蔵がどう思うかをおそれ案じて、会うての上のことばすら、見つからなかった。
 岸へ上がってたたずんでいるおばばはまたおばばで、こよい武蔵と会ったら、先ず何よりも積年の怨みや誤解を水に流して、心の重荷を解きほぐしたい。また、そのあかしとして、彼が何といおうと、お通の生涯は、彼に託されなければならない。手をついて頼んでも、そうしてやらねばお通にもすまない――
 などと独り、胸に誓いながら、水明りの宵闇を見まもっていると、
「――ばば殿か」
 駈けて来た城太郎の影が、近づきながら呼びかけた。


「待ちかねていた。城太どのよ。――して、武蔵どのには、直ぐこれへ見えますかの」
「ばば殿。残念だ」
「え。残念とは」
「聞いてくれ。仔細はこうだ」
「仔細などは、後でよい。いったい武蔵どのには、これへ来るのか、来ないのか」
「来ぬ」
「なに、来ぬと」
 ばばは茫然、そういって、お通と共に、昼から待ちぬいていた心の張りをくずして、見るにたえない失望の色を顔にあらわした。
 ――で、いいにくそうに、城太郎がやがて説明していうには。
 実はあれから、ややしばし、同藩の人々と共に、便船から上がって来る武蔵の軽舸はしけを待っていたところ、いつになっても、沙汰もなし、軽舸はしけも来ない。
 でも、太郎左衛門船の影は、遠浅の沖に泊って、見えているので、何かの都合で、遅れたのであろうかと、噂しながら、一同なお浜辺に立ち並んでいたが、やがて沖へ迎えに行ったお船手の軽舸はしけの者が、漕ぎ戻って来る様子。
 やれ、見えた――
 と思ったのもつかの間、見れば軽舸はしけの上には、武蔵の姿も見えぬ。どうしたわけか、と訊ねると、
(こんどの船都合は、この飾磨しかまに上がる旅客きゃくもなし、少しの積荷は、沖待ちの船頭から受取ったので、船はすぐここからむろへ廻し、先を急ぐので)
 という便船の者の言葉だとある。
 そこで、軽舸はしけの者はまた、
(この便船には、宮本武蔵と申さるるお人が乗り合せておるはず。姫路藩の家中の者でござるが、一夜はお泊りと存じ、他の者も大勢、浜までお迎えに参っております。わずかな間でも、ちょっとこの軽舸でお上がりくださるまいか)
 そう申し入れたところ、船頭の取次を聞いて、やがて武蔵の姿がともふなべりにあらわれ、下の軽舸へ向っていうには、
(せっかくの御好意なれど、このたびは、御承知のとおり大事の一儀いちぎにて、小倉におもむく途中のかたがた、便船もこよいのうちむろの津へまわる由。あしからず御一同へお伝えを)
 との事にむなく引き返して来ると、その軽舸はしけが浜へ戻って報告している間に、太郎左衛門船はふたたび帆を張り、今、飾磨しかまの浦から立ったばかり――というのであった。
 城太郎は、こう仔細を告げ、
「是非もない儀と、家中の者も一同立ち去った。――だが、ばば殿、此方こちらは何としたものだろう」
 と彼も失望の底に落ちたように力なくいうと、
「なんじゃ、ではもう、太郎左衛門船は、この浦を出て、室の津へ向うたというか」
「そうだ。……あれ、ばば殿には見えぬか。今、の先の松原をわして、西へ行く船が、太郎左衛門船。……あのともには武蔵様が立っているかも知れぬ」
「おう……あの船影か」
「……残念ながら」
「これ城太どの。自体、そなたが落度であろうが。なぜ、迎えの軽舸はしけへ自分も乗って」
「いまさら何を申しても」
「ええまあ、みすみす船の影をそこに見ながら、口惜しいことわいな。……お通に、何というて聞かそうぞ。城太どの、わしにはいえぬ。……そなたから仔細を告げてたも。……したが、よう落着かせてから話さぬと、一層、病気を悪うするかもしれぬぞよ」


 城太郎が告げに行かなくても、ばばが辛い心を忍んで伝えなくても、そこでの二人の話し声は、小舟のとまの陰にいて、耳澄ましているお通へはもう聞えていた。
 どぶり……どぶり……
 ふなべりをたたく川口の静かな夜波に胸をかれて、あふれ出る涙をどうしようもなかった。
 さはいえ。
 彼女はこよいの薄縁を、城太郎のように、ばばのように、る方なき残念とはしなかった。
(こよい会えなければ他の日に、ここで語れねばまたよそのなぎさで)
 と、独りしている十年の誓いに少しも変りはない。
 むしろ武蔵様が、降りて途中の土を踏まない気持に、
(さもあろう)
 とすら、同じ心が持てるのであった。
 聞説きくならく。――巌流佐々木小次郎という者は、今では中国九州にわたって人もゆるす達人、その道の覇者はしゃ
 武蔵を迎えて、雌雄しゆうを決しようというからには、人のみか、彼自身、必勝の信念ができているに違いはない。
 いかに武蔵でも、こんどの九州行きゅうしゅうこうは、決して平安な浪路ではないであろう。――お通は自分を怨む前に、そう思う。――そう思ってはまた、とめどない涙の中に沈むのだった。
「……あの船に、あの船に武蔵様は」
 今、松原の洲先すさきから西へゆく帆影を見まもりながら、滂沱ぼうだと流るる涙に顔をまかせ、彼女は小舟のへりに身も世もなかった。
 ――ふと。
 彼女は涙の底から、彼女自身も気づかない烈しい力を呼び起していた。
 それは、やまいをも、あらゆる困難をも、また、長い年月をも、き貫いて来た強い一筋の意志だった。
 弱い――肉体も、情にも、姿も見るからに弱々しい、彼女のどこに、そんな強固なものがひそんでいるのかと怪しまれる程、それは今、きっと胸を衝いて彼女の頬にほの紅く血をのぼせて来たのだった。
「ばば様。――城太さん」
 ふいに、彼女は舟から呼んだ。
 二人は、岸のすぐ上へ、近づいて来て、
「お通どの」
 何と話そう。思い惑って、くもり声で城太郎が答えた。
「聞きました。船のご都合で、武蔵様がお見えにならないことは、今、お二人のおはなしで……」
「聞かれたか」
「はい。嘆いても及びませぬ。また、いたずらに悲しんでいる時でもございません。この上は、いっそのこと、小倉表まで参りとう存じます。そして、試合のご様子を見届けたいと思います。――もしものことが全くないとは、どうしていい切れましょう。その時にはお骨を拾うて戻る覚悟でございまする」
「――でも、その病体では」
やまい……」
 お通はその時まったく、自分が病人であることは忘れていた。しかし城太郎にそう注意されても彼女の意志は肉体を超えて、はるかに高い健康な信念の中に呼吸していた。
「お案じくださいますな。……もう何ともございません。いいえ、少しぐらいなことはあっても、試合の御先途を、見届けるまでは……」
 死にはしません!
 いいかけた終りの一言は、胸に抑えて、すぐ懸命に身づくろいを直し、舟の小縁こべりすがりながら、這うように岸へ自分で上がって来た。
「…………」
 城太郎は、両手で顔を抑えたまま、後ろを向いてしまい、ばばは、声をもらして、泣いていた。

たかおんな



 以前、慶長五年の乱までは、勝野城といい、毛利壱岐守勝信いきのかみかつのぶの居城だった小倉には、その後、新城の白壁ややぐらが増築されて、城の威容は、ずっとととのって来た。
 細川忠興ただおき忠利ただとしと、もう小倉城も二代にわたる国主こくしゅの府となっていた。
 巌流佐々木小次郎は、ほとんど隔日に登城して、忠利公をはじめ、一藩の者に指南していた。――富田勢源せいげんの富田流から出て、鐘巻自斎かねまきじさいを経、彼に至って、自己の創意と、二祖の工夫とを合一して成った――巌流とよぶ一派の剣法は、彼が豊前へ来てから、幾年ともたたぬまに、藩の上下に行われ、九州一円を風靡ふうびし、遠くは四国中国からも、風を慕って、城下に来て一年も二年も遊学し、彼の門に師礼をって印可いんかを得て帰国しようとする者がずいぶんと多かった。
 彼の肩に、衆望があつまると共に、主君の忠利も、
「よい者を召抱えた」
 と、よろこんでいる。
 また、家中の上下が、こぞって、
「人物だ」
 といった。
 定評となってきた。
 氏家うじいえ孫四郎は、新陰流をつかい彼が赴任して来るまでの、師範役であったが、巨星巌流のひかりに孫四郎の存在は、いつか有るか無きかになってしまった。
 小次郎は、忠利公に願って、
「孫四郎殿をも、何とぞ、お見捨てなきように。地味な剣法にはございますが、それがしなど若年の剣よりも、どこかに一日の長もあるように存じますれば」
 と、称揚して、指南の勤務も、氏家孫四郎と、隔日ということに、彼の口から提議した。
 また。ある時、
「小次郎は、孫四郎の剣を、地味なれど一日の長があるという。孫四郎は、小次郎の刀法を、所詮しょせん自分などの及ばぬ天禀てんぴんの名手という。いずれが然るか、いちど手合せしてみい」
 と、忠利のことばに、
「かしこまってござりまする」
 いなやなく、双方、木剣をって、君前でたたかった折に――小次郎は機を見て、
「恐れ入りました」
 と、先に木剣をいて、孫四郎の足下に坐し、孫四郎もまたあわてて、
「いや、御謙遜。所詮、てまえなどの敵たる其許そこもとではござらぬ」
 と、互いに、勝ちをゆずり合ったことなどもあった。
 こうした事々が、いよいよ、
「さすがは、巌流先生」
「おえらいもの」
「奥ゆかしい」
「底の知れぬお方じゃ」
 と、衆の信望をあつめて、今では彼が、隔日に、馬上七名の供に槍を立たせて登城の途中でも、その姿を仰ぐ者は、わざわざでも馬前へ寄って来て、礼を施してゆくくらい、尊敬のまとになっていた。
 ――だが。
 それほどな、寛度を、落ち目の氏家孫四郎に示す彼も、ひとたび、
(――武蔵も近頃は)
 と、不用意にかたわらの者が、宮本とか武蔵とかを口にして、その近畿や東国における世評のよいことを伝えると、
(ああ、武蔵か)
 と、巌流の語気はたちまちひややかなる狭小人の陰口に似たものとなり、
(あれも、近頃は、小賢こざかしく世にも知られ、二刀流とか自称しておるそうな。元来、器用な力のある男で、京大坂あたりでは、ちょっと立ちむかえる者もあるまいからな)
 などと、誹謗ひぼうするともつかず、めるともつかず、その顔色にも何か出すまいとするものを抑えていうのが常であった。


 時にはまた、巌流の萩之小路はぎのこうじの屋敷をたずねる遍歴へんれきの武芸者が、
(まだ一度も、会ってみたことはないが、武蔵どのの名は、名ばかりでなく、上泉かみいずみ塚原以後、柳生家の中興石舟斎をのぞいては、まず当今の名人――名人といっては過賞なら、達人といってもさしつかえあるまいと、もっぱら称揚するじんが多いようでござるが)
 と、彼と武蔵との、宿年の感情をわきまえずに、図に乗っていいでもすると、
(そうかな。ははは)
 小次郎の巌流は、そのおもての色をかくすによしなく、苦々にがにがしく冷笑して、
「世間はめくら千人と申すからなあ。彼を、名人という者もあろう。達人と称す人もなくはあるまい。……だが、それほどに、実は世上の兵法というものが、質において低下し、風においてはすたれ、ただ売名にけた、小賢こざかしき者のみが、横行する時代であることを、証拠だてておるのではなかろうかな。――人は知らず、この巌流の眼から見れば、彼がかつて、京都で虚名を売った――吉岡一門との試合、わけて、十二、三歳の一子までを、一乗寺村で斬り捨てたごときは、その残忍、その卑劣――卑劣といったのみでは分るまいが、あの時、彼は一人、吉岡方は大勢だったに違いないが、何ぞ知らん、彼は逸早く逃げていたのだ。――その他、彼の生立おいたちを見、彼の野望する所を見ても、唾棄だきすべき人物と、それがしは見ておるが。……ははは、兵法世渡りが達人というなら、賛同できるが、剣そのものの達人とは、それがしには思えぬことだ。世間は甘いものでなあ」
 なお。
 議論する者が、それ以上にも、突っ込んで、武蔵をめれば、巌流は、それ自体が、自身を嘲蔑ちょうべつする言葉かの如く、おもてを朱にしてまでも、
(武蔵は、残忍にして、しかもたたかうに卑屈。兵法者の風上にもおけぬ人物)
 と、相手の者をして、是認させてしまわないうちは、まないほどな、反感を示した。
 これには、彼を、
(一箇の人格者)
 とまで、尊敬を払っている家中の人々も、ひそかに、意外としていたが、やがて、
(武蔵と、佐々木殿とは、何か積年の怨みのある間だそうだ)
 と、伝える者のはなしや、またほどなく、
(近く、君命で、二人の間に、試合が決行される)
 とかいわれ出してから、さては、と従来の不審もうなずかれて、一藩の耳目は、ここ数ヵ月、その試合の期日と成行きとに、そそがれていたのであった。同時に。
 かくと城内城下に噂がひろまってから、萩之小路はぎのこうじの巌流のやしきへ何かにつけ、朝夕、足しげく通って見える人は、藩老のひとり岩間角兵衛であった。
 江戸表づめの頃、彼を、君公に推挙した関係から、今では殆ど、一族の交わりをしているその角兵衛。
 きょうも。
 四月のはじめ。
 もう、桜は八重も、散りしいて平庭の泉石の陰をつづって、つつじが真っに咲いていた。
「在宅か――」
 と、おとずれ、案内の小侍について奥へ通って来ると、
「おう。岩間どのか」
 居間は、陽影ひかげのみで、あるじの佐々木巌流は、庭に立っていた。
 たかこぶしに据えて。
 そして、よく馴れている鷹は、彼がくちばしの先に出しているの上のを、おとなしく喰べていた。


 主君忠利ただとしの命で、武蔵との試合が決定してからほどなく、君公の思いやりもあり、岩間角兵衛のとりなしもあって、――当分の間、隔日の御指南の儀、登城に及ばず。
 と、それまでの、心静かな休養をゆるされて、毎日、屋敷にかんを楽しんでいる彼であった。
「巌流どの。きょうな、いよいよ御前で、試合の場所の評議がきまった。――で、さっそく、お耳に入れに来たが」
 角兵衛は、立ったままいう。
 小侍が、書院の方から、
「どうぞ」
 席を設けて、すすめている。角兵衛はそれへ、ウムとうなずいたきりで、
「初めは、聞長浜きくのながはまにしようか、紫川むらさきがわの河原にしようか、などと所々、御評議にのぼったが、とても左様な手狭な場所では、たとい矢来をめぐらそうとも、おびただしい見物の混雑はふせぎきれまいとのことでな……」
「なるほど」
 巌流は、こぶしの鷹に、ませながら、その眼や、くちばしの様に見入っていた。
 世間のさわぎや、そんな評議などには、超然として、関心もないように。
 ――折角、わが事のように、耳に入れに来たものをと、角兵衛は、やや張合いぬけしながら、
「立話もなるまいて。ま、あがらぬか……」
 と客である彼の方からうながした。
「しばらく、お待ちを……」
 と、巌流は、なお他念なく、
の上の餌だけ、喰べさせてしまいますから」
「御拝領の鷹じゃの」
「されば、去年の秋、お鷹野のみぎりに、お手ずから戴きました天弓あまゆみと名づくる鷹で、馴れるにつれ、可愛いものでなあ」
 掌に残された餌を捨て、朱房のひも手繰たぐりかえして、
辰之助たつのすけ、鷹小屋へ入れておけ」
 と、うしろにいる年少の門人を顧みて、拳から拳へ、鷹を渡した。
「はい」
 辰之助は、鷹を持って、鷹小屋のほうへ退がって行く。邸内はかなり広く、築山の彼方は松に囲まれていた。塀の外はすぐ到津いたつの川岸で、附近には藩士の屋敷も多かった。書院に坐して、
「失礼を」
 巌流がいうと、
「いやいや、内輪じゃ、ここへ来れば、わしも、身内か息子の家のように思うておるのだ」
 角兵衛は、かえって、打ちくつろぐ。
 そこへ、妙齢としごろの小間使が、楚々そそたる風情ふぜいで、茶を汲んで来た。
 ちらと、客を見あげ、
「粗葉でござりますが」
 角兵衛は、首を振って、
「やあ、お光か。いつもあでやかな」
 茶碗を取ると、お光は、襟あしまで紅くして、
「――おたわむれを」
 逃ぐるように、客の眼から退がって、ふすまの陰にかくれた。
「馴れれば鷹も愛らしいものだが、さがは猛鳥だ。……天弓よりはお光のほうが傍に置くにはよかろう。彼女あれの身についても、いちど其許そこもとの胸をとくと聞いておきたいこともあるが」
「岩間どののお屋敷へ、いつかそっと、お光めがうかがったことがありはしませぬか」
「内密に――というていたが何も隠しておる要もあるまい。実はわしへ相談に見えたことがあるが」
「女め。――それがしに口を拭いて今日まで何も申しおりません」
 巌流は、白いふすまを、ちらとめつけていった。


「怒るな。むりもない」
 岩間角兵衛は、そうなだめて、巌流の眼がやわらぐのを見てから、
「――女の身としては、むしろ案じるのが当然じゃろ。其許そこもとの心を疑うのではないが、このままで、どうなるのかと、行く末の身を、考えるのは、誰でものこと」
「ではお光から、すべてのこと、お聞き取りでござろうが……。いや、面目もない事情で」
「なんの――」
 巌流が、やや恥じるのを、角兵衛は打ち消して、
「男女の間、ありがちなことじゃ。いずれ其許そこもとも、然るべく妻帯もし、家庭らしゅう、一戸の体も立てねばならぬ。大きな屋敷に住み、多くの門人召使も持ったからには」
「しかし、いちど小間使として、屋敷においただけに、世間のてまえも」
「というて、今さら、お光を捨去るわけにもなるまい。それも妻として不足な女ならまた、考えようじゃが、血すじも正しい。しかも聞けば江戸表の小野治郎右衛門じろうえもん忠明のめいじゃということではないか」
「そうです」
「お身が、その治郎右衛門忠明の道場へ、単身、試合に出向いて、忠明をして、小野派一刀流の衰退を、覚醒せしめたとかいう事件のあった折――ふと、親しくなったとのことだが」
「相違ございませぬ。お恥かしい儀でござるが、恩人たる貴方へ、隠しだてしては心苦しい。いつかは自分からお打明けしようと思っていましたこと。……仰っしゃる通り、小野忠明殿と試合して、その帰るさ、もう宵となりましたので、あの小娘が――その頃はまだ叔父の治郎右衛門忠明の傍に仕えておりました今のお光が――小提燈をもって、皀莢坂さいかちざかの暗い道を、町まで送ってくれました」
「ウム。……そんな話だな」
「何げなく、まったく、何のふかい量見もなく、その途中、戯れに申した言葉を真実に取って、その後、治郎右衛門忠明が、出奔の後、自分を訪ねて参りましたので」
「いや、もうよい。……事情はそのくらいでな。ははは」
 角兵衛は、あてられたという顔して、手を振った。
 しかしそれから間もなく、江戸表の芝の伊皿子いさらごを引き払って、この小倉へ移って来るまでも、そういう女性が彼の陰にいたことなどは、角兵衛はつい先頃まで知らずにいたので、自分の迂濶うかつに呆れると共に、巌流小次郎のその方の才気や腕や周到なる要意のほどにも、実は舌を巻いたのであった。
「まあ。そのことは、わしにまかせておくとせい。いずれにしても、ここの所では、にわかに妻帯の披露もおかしい。――首尾よく、大事の試合を仕果した上のはなしに」
 角兵衛はいって、ふと、その方の要談を思い出した。
 角兵衛に取っては、相手の武蔵の如きは、巌流に比して、何者でもない気がした。むしろ巌流の地位、名声をして、いよいよ、大ならしめるための試錬――とすら自負しきっていた。
「先ほどいった、御評議の上で決した試合の場所じゃが、それは、前にもいった通り、御城下の地では、所詮しょせん、混雑はまぬかれまいとの見越みこしから、いっそ海上がよかろう、島がよいとなって、赤間ヶ関と門司ヶ関との間の小島――穴門あなとしまとも、またの名を船島ともいう所ですることと決定いたした」
「ははあ、船島で」
「そうじゃ。――で、武蔵が着かぬうちに一度、よくそこの地の利を踏んでおく方が、何分でも、勝目を取るというものではあるまいか」


 試合の前に、試合場所の地の利を知っておくことは、有利にちがいなかった。
 当日の進退に、足拵あしごしらえに、また、附近の木立の有無とか、太陽の方向によって、どっちへ敵を立たせて迎えるかなど、すくなくもいきなり行って勝負にかかるよりは、作戦上にも心の余裕にも差があろう。
 岩間角兵衛は、明日にでも、ひとつ釣舟でも雇って、船島へ下見に行ってみてはと、巌流にすすめたが、巌流がいうには、
「兵法ではすべて、早速さそくの機というものを尊ぶ。こちらに備えあるも、敵が備えを破るに備えの裏を掻いて来る場合は、かえって、こちらが出鼻の誤算を取ってしまうような例が往々ある。臨機に自由にありのままな心をもって臨むにかずです」
 角兵衛は(尤もな意見)と、うなずいて、船島の下見は、もうすすめなかった。
 巌流はお光をよんで酒の支度を吩咐いいつけた。それから宵にかけて打解けて二人は杯に親しんだ。
 岩間角兵衛にしてみれば、自分の世話した巌流が、今日かくのごとく名声を得、君寵くんちょうも厚く、大きなやしきあるじともなってくれて、その邸でこうして一杯の酒の馳走にでもなるということは、世話がいがあったという気持から、人生のうれしいことの一つを杯の一口一口にめているような顔つきだった。
「もう、お光を置いて、いうてもよかろう。ともかく、試合が済んだら、国元から年寄身寄りの近親も呼び、婚儀も披露し、剣道への執心は、勿論よいが、ひとまず家名の土台を固めることだな。そこまでのことがすめば、角兵衛の世話も、まず……というものじゃが」
 親代りになっている気の彼は、ひとりで上機嫌だったが、巌流はしまいまで酔わなかった。
 一日ごとに、彼は無口だった。試合の日が近づくにつれ、急に、人出入りが多くなった。隔日の登城がない代りに、接客にわずらわされて、静養の意味はなくなった。
 そうかといって、彼は、門を閉じて客を謝絶する気にもなれなかった。巌流殿は門を閉めて人にも会わぬ――といわれるのは、何か卑怯ひきょうめいて聞えやすい。そういう所に彼は割合に気をつかった。
辰之助たつのすけ。鷹を出せ」
 野支度して、天弓あまゆみを拳に据え、朝早くから彼は屋敷を出ることにきめた。これはいい思案であったと自分も思った。
 気候のよい四月の上旬を、拳に鷹をすえて野山を歩くことは、歩くだけでも大いに気を養った。
 琥珀色こはくいろひとみを、油断なくぎすまして、獲物を空に追う鷹の姿を、巌流の眼がまた、追っていた。
 獲物を、鷹が爪にかけると、チラチラと、鳥の毛が空から降って来た。――巌流は息もしなかった。自分が鷹になりきって見ていた。
「……よし。あれだ」
 彼は、鷹を師として、悟るところがあった。一日ごとに、彼の面上に、自信の色がついて来た。
 が、夕方屋敷に帰ってみると、いつもお光の眼は、泣きれていた。それをよそおい隠しているだけ巌流の胸がいたんだ。だんじて、武蔵におくれは取らぬと、かたい自信がありながら、お光のそんな姿を見ると、
(……おれに別れたら)
 などと、ふと死後のことが考えられたりした。それからまた妙に、常には考えもしない亡き母のことなども思い出された。
(もう、あと幾日もない)
 と思って眠る夜ごとに、彼のまぶたには、琥珀色こはくいろの鷹の眼と、うれいに腫れているお光の眼とが、こもごもに見えて、その間に、母の姿が明滅していた。

十三日前



 赤間あかませきもそうである。門司ヶ関、小倉城下はもちろんのことだった。この数日のあいだに、旅客の去る者はすくなく、留る者は多く、どこの旅舎りょしゃもいっぱいで、旅籠はたごの前には必ずある駒繋こまつなぎの棒杭さえ、馬と馬で混み合っていた。
  布令申す事
ひとつ。
来る十三日辰之上刻、豊前長門之海門ぶぜんながとのかいもん、船島に於て、
当藩士巌流佐々木小次郎儀、試合仰せ被付つけらる
相手方、作州牢人宮本武蔵政名也。
又、ひとつ。
当日、府中火気厳禁の事。
双方のひいき、助太刀の輩共やからども一切、渡海の事かたく禁制。
遊観の舟、便船、漁舟等も同様。海門往来止おうらいどめたるべし。
  ただし辰下刻までの事。以上
                 慶長十七年四月
 各所に、高札が建った。
 船着きに。辻に。高札場に。
 そこにも旅人がたかっていた。
「十三日といえば、もう明後日あさってじゃな」
「遠国から、わざわざ来る衆も多いそうな。逗留とうりゅうしてみやげばなしに、見て行こうか」
「ばかな、一里も沖の船島の試合、見ゆるわけはない」
「いや、風師山かざしやまへ登れば船島の磯の松すら見える。しかとは分らいでも、その日のお船手の固めや、豊前、長門の両岸の、物々しい有様を見るだけでも」
「晴ならよいが」
「いや、このあんばいでは、雨にはなるまいて」
 ちまたの声はもう、十三日の噂ばかりだった。
 見物舟や、その他も、海上の往来は、辰の下刻まで停止と布令ふれが出たので、船宿は失望したが、それでも旅客は、当日の景観だけでもと、見晴しの地を心あてに、待ちぬいていた。
 十一日の午頃ひるごろである。
 門司ヶ関から小倉へはいる城下口の一膳飯屋の前を、乳呑み児をあやしながら、行きつ戻りつしている女がある。
 つい先頃、大坂の河端で、ふと見かけた又八が、後を追って行き会った、朱実あけみであった。
 旅の空が、嬰児あかごも淋しくてか、泣きやまないので――
「ねむたいか。ねんねしや。ねんねしや。オオ、よち、よち、よち……」
 乳ぶさをふくませ、足拍子を取って、見得もない、よそおいもない、子があるばかり。
 変れば変るもの――と、以前の彼女を知る者は思うであろう。だが彼女自身には、この変化も、今の生態も、何の不自然もない姿だった。
「おお、坊や、寝たか、まだ泣いているのか。――おい朱実」
 飯屋の中から出て来て、こう呼んだのは又八だった。
 法衣ころもを返して、俗になったのもついこの間のこと。やがて髪をたくわえるつもりの道心頭を、頭巾で巻いて、渋染の袖無そでなし。あれからすぐ夫婦ふたりして大坂を立ち、道中の路銀とてないので飴売あめうりの胴乱どうらんをかけて、子の乳となる妻のかてを、一銭二銭と働きながら、きょうやっと、小倉まで辿たどり着いたところだった。
「さ。おれがかわって、抱いてやる。はやく御飯をたべて来い。乳が出ないというじゃないか。たくさん喰べて来いよ。たくさん」
 抱き取って、又八は、飯屋の外をうろうろと、子守歌をうたっていた。
 すると、通りすがりの旅の田舎いなか武士が、
「おや?」
 と、又八を見まもって、後へ戻って来た。


 子を抱いた、又八も、
「お、お……?」
 立ち止った旅の武士へ、眼を返して見守ったが、誰だか、何処で会った顔か思い出せなかった。
「数年前、京の九条の松原で会った一ノ宮源八でござるよ。その折は、六部ろくぶの姿でござったから、お見忘れもむりはない」
 田舎武士は、そういった。
 それでもまだ又八には、明確な記憶をよび起せなかったが、一ノ宮源八が、ことばを重ねて、
「その時、貴公は、小次郎殿の名をかたり、にせ小次郎となって、所々、徘徊はいかいしておられたのを、拙者はまことの佐々木小次郎殿と信じ……」
「ああ、あの時の!」
 思い出して、大きくいうと、
「そうじゃ。その時の六部でござる」
「それは、どうも」
 お辞儀をしたので、せっかく、眠りかけていた嬰児あかごが泣きだした。
「オオ、ヨシヨシヨシ。泣くな、泣くな。ばア――」
 話は、それで飛んでしまい、一ノ宮源八は先を急ぐふうで、
「時に、当御城下にお住居の、佐々木殿のおやしきは、どの辺か、ご存じないか」
「さあ、分りませんね。てまえも実は、今ここへ着いたばかりで」
「ではやはり、武蔵との試合を見届けに?」
「いえ。……べつにその」
 一膳飯屋を出て来た仲間ちゅうげん二人が、通りすがりに、源八へ、
「巌流様のおやしきなら、紫川のすぐ側で、わしらの御主人のお屋敷と同じ小路でさ。そこへ行くなら、案内してあげましょうぜ」
「やあ、かたじけない、……では又八うじ、おさらば」
 源八は、あたふた、仲間ちゅうげんたちにいて行ってしまう。
 その旅装たびよそおいの、あかほこりのひどさを見送って、
「はるばる、上州から、やって来たのかしら?」
 と、何とはなく明後日に迫る今度の試合が、いかにくまなく諸国に聞えているかが思いやられた。
 それと、数年前――
 あの源八がさがし歩いていた中条流の印可目録を手に入れて、にせ小次郎となってうろついていた頃の自分の姿が――今になると、浅ましくもあり、何たる懶惰らんだな、破廉恥はれんちなと、身ぶるいが出るほどにがく思い出された。
 その頃の自分と。そして、今の自分と。
 考えてみれば、そう気づくだけの進歩はあった。
(おれでも……こんなぼんくらでも、眼がさめてやり直せば、少しずつでも、変るんだなあ)
 御飯をたべるまも、子の泣き声が耳にあって、いそがしげに、飯屋のめしを喰べて来た朱実あけみは、そこの軒から駈けて来て、
「すみません。――ぶいますから、背にのせて下さいませ」
「もう、乳はいいのか」
「眠たいのでしょう。背なかにのせれば、寝そうですから」
「そうか。……よいしょ」
 又八は、子を、彼女の背なかへ渡した。そして、彼は、飴売あめうりの胴乱を肩にかけた。
 仲のよい夫婦飴屋。往来の眼が皆ふり向いて行く。自分たちのそれが皆、満足にゆかないのが多いので、たまたま、路傍でこういうけしきを見ると、羨望せんぼうにたえないらしい。
「よいお子じゃのう。お幾歳いくつじゃ。……ほう、笑っておるがの」
 歩み歩み、後からいて来た品のよい切下げ髪の老婆が、朱実の背をのぞいてあやした。よほど子好きな刀自とじとみえ、供の下男にまで、この愛らしい笑い顔を見よ、というのだった。


 どこか安い木賃へでもと、子づれの又八と朱実が、裏町へ曲りかけると、
「そちらへか」
 と、うしろについて来た上品な旅の老婆は、にこやかに別れの会釈を送り、事のついでと思い出したように、
「あなた方も、旅の衆らしいが、佐々木小次郎の住居すまいは、どこの辺りか、ご存じはないかの」
 と、たずねた。
 それならたった今、先に尋ねて行ったお侍がある。紫川の側とかいうこと――と又八が教えると、老婆は軽く、
「かたじけない」
 と、供の下男をうながして、まっすぐに立ち去った。
 又八は見送って、
「……ああ。おれのおふくろ様も、どうしてござるやら?」
 しみじみ、つぶやいた。
 子を持って、彼も初めて、この頃わかりかけて来たここちがする。
「――あなた、行きましょう」
 背の子をりあやしながら、朱実はうしろで待っていた。だがなお、又八は茫然と、彼方かなたへ行く同じ年頃の老婆を見送っていた。

 きょうは鷹も小次郎も、屋敷の内にいた。夜来からの来客は、庭内を埋めている。まさか主人が鷹野にも出られなかった。
「何しろ、欣ぶべきことだ」
「巌流先生の名声も、これでいなやなく、一決する」
「めでたいといってもよかろう」
「そうだとも。曠世こうせいの御名誉にもなることだ」
「しかし、敵も武蔵。そこは十分、御自重していただかぬと」
 大玄関にも、脇玄関にも、遠来の客のわらじで満ちていた。
 はるばる、京大坂から来たというもの。また、中国筋の者、遠いのでは、越前の浄教寺じょうきょうじ村からという客もある。
 家人では手が足りないので、岩間角兵衛の家族が来てもてなしている。また、家中の侍で、平常へいぜい、巌流に師事している人々も、入り代り立ち代り、ここに詰めて、明後日あさっての十三日を待っているのだった。
「明後日というても、もう明日一日だからのう」
 およそここにいる縁故や門流の顔ぶれを見ると、武蔵の人物を、知ると知らないにかかわらず、何かの気持から、武蔵を敵視していない者はない。
 わけて、吉岡の門流を汲む者は、諸国へわたって、非常な数であるから、今もって、一乗寺下り松の怨みは、その人々の胸にある。
 その他、武蔵が十年のまっしぐらな生活の間に武蔵自身も知らぬ敵が、ずいぶん出来ていた。その全部でなくても、一部の人間は、何らかの機縁から、武蔵の反対側にある小次郎の門をくぐっていく。
「上州から、お客でござる」
 若侍が、また一名の客を玄関から大勢のいる広間へ連れて来た。
「自分は、一ノ宮源八と申す者で――」
 と、質朴な客は、大勢へ向って、挨拶し、知らぬ顔の中にじって、慎んでいた。
「ほ。上州から」
 と、人々は、その遠路をねぎらうように、源八を見まもった。
 源八は上州白雲山のお神札ふだをうけて来たから、これを神棚へ上げておいて下さいと門人へ渡した。
「御祈願までして――」
 と、並居る者は、その奇特なこころざしに、いよいよ意を強うして、
「十三日は、晴天じゃろう」
 と、ひさしごしに、空を見た。その十一日もはや暮れかけて、夕焼が真っ赤だった。


 広間に詰めている大勢の客のうちの一人がいう。
「あいや、上州からお越しの、一ノ宮源八どのとやら。巌流先生のため、勝祈かちいのりまでなされて、遥々とお出でとは、ご奇特なこと。――して先生とは、どういうご縁故でござるのか」
 問われて、源八は、
「てまえは、上州下仁田しもにたの、草薙くさなぎ家の家来でござる。草薙家の亡主天鬼様は、鐘巻かねまき自斎先生の甥御おいごでござった。――で、小次郎どのとは、御幼少から存じておるので」
「あ。巌流先生には、少年の頃、中条流の鐘巻自斎の許におられたそうだが」
「伊藤弥五郎やごろう一刀斎。あのお方とは、同門でございました。その弥五郎どのより、小次郎どのの太刀のほうが、烈しい烈しいと、手前などもよく聞いていたもので」
 源八はまたそれから、小次郎が師の自斎の印可目録も辞して、独自独創の流儀を立てる大志を早くから抱いていたことだの、少年時代の負けぬ気だった逸話だのを、問わるるまま物語していると、
「先生は? ……。先生はここにはお見えなさいませぬか」
 取次の若侍が、そこへ来ていった。若侍は、大勢のなかを物色したが、見当らないので、他の座敷へ探しに行きかけると、客たちが、
「何じゃ、何か用か」
 と、訊ねた。
「はい。岩国から来たが、小次郎に会わせてくだされと――お身寄りの方らしいご老婆が、ただ今、玄関に見えられましたので」
 取次役は、いそがしげに、いうことだけをいうと、足を移して、次の間をのぞき、また、次の間をさがし、小次郎の姿を求めて行った。
「はて、お居間にも見えぬが」
 つぶやいていると、そこを片づけていた小間使のお光が、
たか小屋にいらっしゃいます」
 と、教えた。


 やしきに満ちている客をよそに、巌流はひとり鷹小屋にはいって、止り木の鷹と、もくねん、むかい合っていた。
 えさをやったり、抜け毛を取ってやったり、こぶしに乗せて、撫でたりなどして。
「先生」
「――誰だ」
「玄関の者でございます。ただいまお表へ、岩国から御老母様が、はるばる、訪ねておいでなされました。小次郎に会えばわかる者――とおっしゃるのみで」
「老母が。……はてのう? わしの母はもうこの世にいない人だ。母の妹にあたる叔母御であろう」
「どこへお通しいたしましょうか」
「会いたくないなあ。……かような時には、人には誰とも会いとうない。……だがまあ、叔母御とあれば、ぜひもなかろう。わしの居間へご案内いたしておけ」
 取次が立ち去ると、
辰之助たつのすけ
 と、外へ呼んだ。
 彼の小姓同様に、常に側にいる内弟子の辰之助は、
「はい。御用ですか」
 小屋の内へはいって、彼のうしろに片膝を折り敷いた。
「きょうは十一日。いよいよ、明後日のことになったな」
「近づきましてございます」
「明日は、久しぶりに登城、殿様にごあいさつ申しあげ、心静かに、一夜を待ちたいものだ」
「それにしては、あまりにご来客が混みあいまする。明日は、一切、お客とお会いを避けて、静かに、時刻も早目に、お寝みなされますように」
「そうしたいものだ」
「広間のお客衆は、ひいきの引倒しというものでございます」
「そういうな、かの衆も、巌流の肩持ちする気で、近郷や遠国から来ておる人々だ。……がしかし、勝敗は時の運。――運ばかりではないが、兵家の興亡も同じこと。もし巌流亡き後は、わしが手文庫のうちの遺書二通。一通は岩間殿へ、一通はお光へ、そちの手から渡してくれ」
「御遺書などとは……」
「武士のたしなみ。あたりまえなことだ。また、当日の朝は、介添かいぞえ一名の同行はゆるされておるから、船島まで、供をして、そちも行け。――よいか」
冥加みょうがなお供、ありがとう存じまする」
天弓あまゆみも」
 と、止り木の鷹を見て、
「そちのこぶしにすえて、島まで、連れて参ろうな。――海の上一里もある船の中、慰みにもなるで」
「心得ました」
「では、岩国の叔母御に、あいさつして来ようか」
 巌流は出て行った。しかし、そうした人と会うことは、今の心境は、いかにも億劫おっくうらしく見えた。
 岩国の叔母は、もうきちんと坐っていた。夕焼雲は、焼刃金やきはがねの冷めたように黒くなって、室内には、白いあかしがともっていた。
「やあ、これは」
 末座にさがって、巌流は頭を低く下げた。母の亡い後は、ほとんど、この叔母の手で育てられたのだった。
 母には、子にあまい所もあったが、この叔母には、みじんもそういう所はなく、ただひたすら、姉の子でありまた、佐々木家の家名をになう小次郎巌流に対して、よそながらでも、絶えずその将来を見まもっていたただ一人の身寄りであった。


「小次郎どの。聞けばこの度は、いよいよ、生涯の大事にのぞむそうな。岩国の故郷元くにもとでも、えらい噂。じっとしているにもいられず、おもとの顔見に出て来ました。――ようまあ、ここまで立派に出世してござったの」
 伝家の一刀を負って故郷を出た少年の頃の彼のすがたと、今の堂々たる一家の風貌を備えた彼とを思い比べて、今昔の感にたえないように岩国の叔母はそういった。
 巌流は、低頭して、
「十年の久しいあいだ、お便りもせず無音ぶいんの罪、おゆるし下さい。人目には、出世と見ゆるか存ぜぬが、まだまだ、小次郎の志望は、これしきのことに、満足するものではごさいませぬ。――それゆえに、つい故郷ふるさとへも」
「いや何。おもとの消息は、風の便りにもよう聞えて来るほどに、便りはのうても、息災そくさいは知れてある」
「それほど、岩国でも、何かと風評にのぼっておりますか」
「おるどころではない。この度の試合もく知れ渡り、武蔵に敗れては、岩国の恥辱ぞ、佐々木を名乗る一族の名折れぞと、たいそうな肩持ちじゃ。わけて、吉川きっかわ藩お客分片山伯耆守ほうきのかみ久安様など、御門下衆を大勢連れ、小倉表まで立たれるそうな」
「ほ。試合を見に」
「したが、高札に依れば、明後日あさっては一切、船出しはならぬ、というお布令ふれ。さだめし落胆している衆も多かろうの。……おお余事ばかりいうて忘れていたが、小次郎どの、お許に上げたい土産みやげひとつ、貰うてくだされ」
 旅包を解いて叔母は折畳んだ一枚の肌着を出した。それは白晒布ざらしの地に、八幡大菩薩はちまんだいぼさつ摩利支天まりしてんの名号を書き、また、両の袖に、必勝の禁厭まじないという梵字ぼんじを、百人の針で細かに縫った襦袢じゅばんであった。
「ありがとう存じます」おしいただいて、
「おつかれでしょう。取り混んでおりますゆえ、このままこの部屋で、ご自由におやすみ下さい」
 巌流は、それをしおに、叔母をのこして、ほかへ立った。すると、そこにも客はいて、
「これは、男山八幡のお神札まもりでござる。当日、懐中ふところにお持ちあって」
 と、贈ってくれる者もあるし、わざわざ鎖帷子くさりかたびらを届けてくれる者だの、また、台所へは、大きなたい酒菰さかごもが何処からか運ばれて来るし、巌流は身の置所おきどころもなかった。
 そういう声援者は皆、彼に勝たせたいと念じている者には疑いないが、十中の八、九まで、巌流の勝ちを信じ、巌流の立身を見込み、彼との将来の好誼こうぎに自分の望みをも幾分か賭けている人々だった。
(もし、おれが牢人だったら)
 と、巌流はふとさびしい気もした。しかし、かくまで、自分を信頼させた者は、誰でもない、自分自身だった。
(勝たねばならない)
 と彼も思った。そう思うことはすでに、試合にのぞむ心のさまたげとは知りつつ、やはりいつのまにか胸の底で、
(勝たねばならん! 勝たねばならん!)
 人知れず――いや自己さえ意識なく、風騒ぐいけ小波さざなみのように絶え間なく胸に繰返していた。
 宵になった。
 誰が探り、誰が報らせて来たか広間に集まって、酒を酌んだり飯を食べたりしている大勢の間に、
「きょう、武蔵が着いたそうだ」
「門司ヶ関で、船より上がり、御城下へ姿を見せたというが」
「では多分、長岡佐渡のやしきへ落ち着いたことだろう。誰か後で、佐渡のやしきの様子を、ちょっと探って来てはどうか」
 などという声が、今宵にも大事が到来しているように、物々しく、しかし密々ひそひそと伝えられていた。

うまくつ



 ――すでに巌流のやしきへは、早耳に伝わっていた通りに。
 武蔵の姿は、同日の夕方には、もう同じ土地に見出すことができた。
 武蔵は、海路の旅を経て、それより数日前に、赤間ヶ関へ着いていたらしいが、誰あって彼を彼と知る者はなく、また、彼自身も、何処かへ引籠ったまま、身を休めていたらしい。
 その日、十一日には、むこおかの門司ヶ関へ渡り、やがて小倉の城下に入り、藩老長岡佐渡のやしきを訪れ、到着の挨拶を述べ、また、当日の場所、時刻、承知の旨を一応答えて、すぐ玄関で帰るつもりであった。
 取次に出た、長岡家の家士は、彼のことばを受けながらも、この人がさては武蔵であるのかと、ひたいごしに、まじまじ見ていたが、
「まことに、行届いたご挨拶。主人はまだお城よりお退さがりはございませぬが、はや、間もなくと存じます。――どうぞお上がりくだされて、ご休息でも」
かたじけのうござるが、ただ今のご伝言さえ願えれば、それにて、にべつだんの用もござらねば」
「でも、せっかくのお越しを。……後にて主人がいかばかり残り惜しゅう思われるかもしれませぬ」
 と、取次の家士は、自分の一存だけでも、帰したくないように引き止めて、
「では、しばらくお待ちください。佐渡様にはご不在ですが、一応奥へ」
 と、いい残して、急いで奥へ告げに行った。
 すると、廊下を。
 ばたばたっと駈けて来る跫音あしおとがした。――と思う途端に、
「先生っ」
 式台から飛び降りて、武蔵の胸へ抱きついた少年がある。
「オオ、伊織か」
「先生……」
「勉強しているか」
「ええ」
「大きくなったなあ」
「先生」
「なんだ」
「先生は、わたくしが、ここにいることを知っていたのですか」
「長岡様の手紙で知った。そしてまた、廻船問屋の小林太郎左衛門の宅でも聞いた」
「だから、驚かなかったんですね」
「むむ。……当家のお世話になっておれば、そちのためには、この上もなく安心だからの」
「…………」
「何を悲しむ」
 と、かしらを撫でて、
「ひとたびお世話になったからには、佐渡様のご恩を忘るるでないぞ」
「はい」
「武道のみでなく、学問もせねばならぬぞ。平常は何事も、朋輩衆ほうばいしゅうよりも控え目に、ことある時は、人の避けることも進んでするようにな」
「……はい」
「そちにも、母がない、父もない。肉親のない身は世の中をつめたく見、ひがみ易い。……そうなってはならぬぞ。あたたかい心で人のなかに住め。人のあたたかさは、自分の心があたたかでいなければ分る筈もない」
「……え、え」
「そちはまた、利発のくせに、くわっとすると野育ちの荒気が出る。慎まねばならぬ。まだ若木のそちには、長い生涯があるが、それにせよ、生命いのちを惜しめよ。――事ある時、国のため、武士道のため、捨てるために、生命は惜しむのだ。――いとしんで、きれいに持って。いさぎよく――」
 彼の顔を抱いて、そういう武蔵の言には、どこか、名残もこれりのような、切実なものがあった。鋭敏な少年は、さなきだに、胸がいっぱいだった所へ、生命という言葉が出たので、にわかに、声をしゃくって武蔵の胸で嗚咽おえつし出した。


 長岡家に養われてからは、なり振りも小綺麗に、前髪もきちんとって、伊織は、奉公人らしくなく、足袋たびまで白いのを穿いていた。
 武蔵は、それを見ただけで、彼の身については、安心した。そこを見届けた以上、よけいなことはいわねばよかったと、軽く悔いて、
「泣くな」
 と、叱ったが、伊織は、泣きやまなかった。武蔵の着物の胸は、彼の涙で濡れるばかりだった。
「先生……」
「人がわらうぞ。何を泣く」
「でも、先生は、明後日あさってになれば、船島へ行くのでしょう」
「参らねばなるまい」
「勝ってください。これっきり会えなくては嫌です」
「はははは。伊織、そちは明後日あさってのことを考えて泣いているのか」
「でも、多くの人が、巌流殿にはかなうまい。武蔵も、よしない約束をしたものだと、皆いいます」
「そうであろう」
「きっと、勝てましょうか。先生、勝てるでしょうか」
「案じるな、伊織」
「では。大丈夫ですね」
「敗れても、きれいに敗れたいと念じるのみだ」
「勝てないと思ったら、先生、今のうちなら、遠い国へ行ってしまえば」
「世間の声には、真実ほんとがある。まこと、そちのいう通り、よしない約束事ではある。――だが、事ここになってしまうと、逃げては、武士道がすたる。武士道のすたりを示しては、わし独りの恥ではない。世人の心を堕落させる」
「でも先生、生命いのちいとしめと、わたくしへ教えたでしょう」
「そうだったな。――しかし、そちに武蔵が教えたことは、皆、わしの短所ばかり。自分の悪い所、出来ない所。至らないで悔いていることばかりを――そちには、そうあって貰いたくないために教えておるのだ。武蔵が船島の土になったら、なおさらわしをよい手本に、よしないことに生命は捨てるなよ」
 果てしない心地に、彼自身もとらわれそうに覚えたので、伊織の顔をいて、胸から押しのけ、
「お取次へも頼み上げておいたが、佐渡様がお帰りになったら、くれぐれも、よろしくお伝えを頼むぞ。いずれ、船島で御拝姿ごはいし申すとな」
 門の方へ、辞し去ろうとすると、伊織は師の笠をつかまえて、
「先生っ……。先生」
 ――何もいえない。
 ただうつむいて、片手に師の笠を離さず、片手を曲げて顔から離さず、じっと、いつまでも、肩をふるわせていた。
 すると、横の中門の木戸が、少し開いて、
「宮本先生でござりますか。てまえは、当家の若党、縫殿介ぬいのすけと申しまするが、伊織どのが、お別れを惜しむ様子。無理ならぬ気がいたしまする。――他へお急ぎの儀もござりましょうが、せめて一夜お泊り下さいますわけには行きますまいか」
「これは――」
 と会釈を返して、
「ありがたいお言葉ですが、船島の土になるやも知れぬ身に、一夜二夜の宿縁を、ここかしこに残しては、去る身も、後の人々も、かえってわずらわしいと思われますれば」
「ご斟酌しんしゃくが過ぎまする。お帰し申しては、手前どもが、主人より叱言こごとをうけるやも知れませぬ」
「委細、また、書中にいたして、佐渡様まで改めて、申し上げます。――きょうは到着の御挨拶までにうかがったこと。よろしゅうお伝えを」
 と、武蔵は門を出た。


 おういーっ。
 と、呼ぶ者がある。
 間をいてまた、誰かが。
 おおういっ……
 今、長岡佐渡の邸へ、挨拶をすまして、侍小路から伝馬河岸てんまがしへ出、到津いたつの浜の方へ降りて行った武蔵のうしろ姿へ――その声のぬしは、手を振っていた。
 四、五名の武士。
 細川家の藩士とすぐ分る。そして皆、よい年配だ。白髪の老武士も中に見える。
 武蔵は気づかない。
 黙然と、波打際なみうちぎわに立っていた。
 は、うすずきかけて灰色の漁船の帆が、昼がすみの中に、静止していた。この辺から海上約一里という船島は、すぐ側のそれよりは大きい彦島の陰にかすかに見える。
「武蔵どの」
「宮本うじではないか」
 年配な藩士たちは、駈け寄って彼のすぐ後ろに立った。
 遠くから呼ばれた時、武蔵はいちど振向いて、その人達の来るのは知っていたが、皆見覚えのない者ばかりなので、自分とは思わなかったのである。
「……はて?」
 小首をかしげると、中でも年長の老武士が、
「もうお忘れじゃろ。われらに、見覚えがないのもむりはない。それがしは内海孫兵衛丞うつみまごべえのじょう。元、其許そこもとの郷里、作州竹山城の新免しんめん家で、六人衆といわれた者どもじゃよ」
 つづいて、次の者が、
「自分は、香山こうやま半太夫」
「わしは井戸亀右衛門丞かめえもんのじょう
船曳杢右衛門丞ふなひきもくえもんのじょう
木南きなみ加賀四郎」
 と、名乗って、
「いずれも、御身とは同郷の者ども、そしてまた、この中の内海孫兵衛丞と、香山半太夫の二老人は、其許そこもとの父上、新免無二斎どのとは、至って親しい友達でもござった」
「……おお、では」
 武蔵は、親しみを笑靨えくぼに見せて、その人々へ、会釈をし直した。
 なるほど、そう聞けば、この人々には、特有ななまりがある。しかもその訛りはすぐ自分の少年時代を思い出させるなつかしい郷里の土のにおいまで持っている語音ごいんだった。
「申しおくれました。おたずねの通り、拙者は宮本村の無二斎のせがれ、幼名武蔵たけぞうと申した者にござりますが。……どうしてまた、郷里の方々が、かくお揃いで此処にはおいでなされましたか」
「関ヶ原の御合戦の後、知っての通り、主家新免家は滅亡。われらも牢人して、九州落ち。……この豊前へ来て、一時は、馬の草鞋わらじなど作って、露命をつないでいたものじゃが、その後、倖せあって、当細川家の先殿様せんとのさま、三斎公のお見出しに預り、今では当藩にみな御奉公いたしておる身じゃ」
「さてさて、左様でござりましたか。思わぬ所で、亡父ちちの御友人達にこうしてお目にかかろうとは」
「こちらも意外。お互いに懐かしいことよ。……それにつけ、その姿を、一目なと、亡き無二斎どのに見せたかったなあ」
 半太夫、亀右衛門丞などの人々は、相顧あいかえりみて、またしげしげと、武蔵の姿を見直していたが、
「オオ、用談を忘れた。実は今ほど、御家老のお邸へ立ち寄った所、おぬしが見えて、すぐ帰ったとのこと。これはいかんと、あわてて追うて来たのじゃ。――というのは、佐渡様とも申しあわせ、御身が小倉へ到着したら、ぜひ一夜、われらなどもじえて、一せきの宴をと、待ちもうけていたのじゃ」
 杢右衛門丞がいうと半太夫も、
「それをばさ。すげのう、お玄関で挨拶だけして立帰るという法があるものでない。さあござれ。無二斎のせがれどの」
 手をひかんばかりだし、父の友人という格から、有無をいわさぬ口吻くちぶりで、もう先へ歩き出した。


 こばみかねて、つい武蔵も、ともども歩き出したが、
「いや。やはりお断りいたしましょう。ご好意を無にいたすようでござるが」
 立ち淀んで、辞退すると、人々は口を揃えて、
「なぜじゃ。折角、われら同郷の者が、御身を迎えて、大事の門口を、祝おうというのに」
「佐渡様の思し召もそうじゃ。佐渡様にもしかろうに」
「それとも、何ぞご不服か」
 すこし感情を害したらしく、わけて無二斎とは生前莫逆ばくぎゃくともだったという内海孫兵衛丞などは、
「そんな法やある」
 といわんばかりな眼である。
「決して左様な心底しんていではございませぬが」
 慇懃いんぎんに詫びたが、慇懃だけでは済まさず、理由はと、たたみかけられて、武蔵は是非なく、
「――ちまたのうわさ、取るに足らぬことですが、この度の試合をもって、細川家の二家老、長岡佐渡様と岩間角兵衛様とを対立して見、そうふたつの勢力にって、一藩の御家中も対峙たいじしておる。そして一方は巌流を擁して、いよいよ君寵くんちょうのお覚えをたのみ、長岡様にもまた彼をはいし、御自身の派閥を重からしめんとしておるなどと、あらぬことを、道中などにても聞き及びました」
「ほほウ……」
「おそらくは、巷の風説。俗衆の臆測でございましょう。――しかし、衆口は怖ろしい。一介の牢人の身には、さわる所もござりませぬが、藩政に御関与なさるる長岡様、岩間様には、寸毫すんごうでも、左様な疑いを領民に抱かせてはなりませぬ」
「いやあ、なるほどの!」
 老人達は、大きく答えて、
「それで、御身には、御家老のお邸へ、わらじを解くことを、はばかって参られたのか」
「いや、それは理窟で」
 武蔵は、微笑に打消し、
「実のところは、生来の野人、気ままにおりたいのでござる」
「お心もち、よく相分った。深く思えば、満ざら、火のない煙ではないかも知れぬ。われらには覚えなくとも」
 武蔵の深慮に人々は感じた。しかし、このまま立ち別れるのも残念と、一同はひたいをよせて何やら話しあっていたが、やがて木南きなみ加賀四郎が、一同に代って、次のような希望を述べた。
「――実は毎年、きょうの四月十一日には、吾々どもの寄りあう会合がござって、十年来、欠かしたこともないのでござる。それには、同郷六名と、人数も限り、人を招かぬ会でござるが、貴殿なれば、同じ国者くにもの、わけてお父上無二斎殿の御親友もここにはおるので、よかろうではないかと、ただ今、評議したのでござるが、ご迷惑は察し入るが、その方の席へでも、お越し下さるまいか。――そこなれば、御家老のお邸とは事ちがい、世間の眼もなし、うわさのまとになる筈もござらぬが」
 なお、つけ加えて。
 最前はまた、もし貴方あなたが、すでに長岡家へ見えられていたら、自分らのその会合は先へ延ばすつもりで、念のため同家へ寄って訊ねてみたのであるが、いずれにしても長岡家へお泊りを避けるお心なら、曲げて今夜は、こっちの会合へ臨んでもらいたい――というのであった。


 武蔵も、今は断りかねて、
「それほどまでの仰せなら」
 と、承諾すると、人々は非常によろこんで、
「では早速にも」
 と、即座に何かと打合せ、武蔵のそばには、木南加賀四郎ひとりを残し、後の者は、
「然らば、いずれまた後刻、寄合よりあいの席にてかかる」
 と、その場からめいめい、一度家路へと帰って行った。
 武蔵と加賀四郎とは、そこらの茶店先で日の暮るるを待合せ、やがて宵の星空の下を、加賀四郎の案内で、街から小半里ほどある到津いたつの橋のたもとまで導かれて行った。
 ここは城下端れの街道筋で、藩士の邸宅などもなければ、酒亭なども見あたらない。橋袂には、街道の旅人や馬方相手の、見るからにひなびた居酒屋や木賃のあかりが、軒端も草に埋もれて見えるだけだった。
 不審な所へ? ――
 と、武蔵は疑わざるを得なかった。ともあれ、最前の人々は、香山半太夫、内海孫兵衛丞うつみまごべえのじょうをはじめ、その年配なり重々しさから見ても、皆、然るべき位置の藩士達であるのに、年に一度の寄合という会場の席を、こんな不便な、田舎びた所まで、わざわざ持って来るとはおかしい。
 ――ははあ、さてはそういう口実のもとに、何ぞたくらんでいるのだろうか。いやいや、それにしては、あの人々に何の邪気も殺気も感じられないが。
「――武蔵どの。もう皆、見えております。どうぞ此方こちらへ」
 彼を橋袂はしたもとたせておいて、河原をのぞいていた加賀四郎は、そういいながら、どての細道を探して自分が先へ降りて行く。
「あ。席は船の中か」
 自分の行き過ぎた疑いに苦笑を覚えながら、彼も後から河原へ降りて行ったが、何の事、船などもそこらには見当らない。
 だが、加賀四郎を加えて、六名の藩士たちは、すでに来ていた。
 見れば、席というのは、河原へ敷いた二、三枚のむしろでしかない。その莚の上に、最前の香山、内海うつみの二老人をかしらに、井戸亀右衛門丞かめえもんのじょう船曳杢右衛門丞ふなひきもくえもんのじょう安積あさか八弥太など、膝も崩さず坐っていた。
「かような席へ、失礼じゃが、折もよし、年に一度のわれらの寄合へ、同郷の武蔵どのが来会わされたのも、何かのご縁じゃろう。……まずまず、それへご休息を」
 と、彼へも一枚のむしろをすすめ、さっき浜辺では見えなかった安積八弥太を紹介ひきあわせ、
「これも、作州牢人のひとり――今では細川家の馬廻役うままわりやくをいたしておるもので」
 と、慇懃いんぎんなことは、床の間や銀襖ぎんぶすまをひかえた客間の応対と変りもなかった。
 武蔵は、いよいよ、不審にたえない。
 風流の趣向なのか。何かまた、人目を避けてする必要のある会合なのか。――とにかく一枚の莚に招かれても客は客であるから、武蔵は慎んで坐っていると、やがて年長者の内海孫兵衛丞が、
「あいや客人まろうど。お膝をおくずしくだされい。――そして、やがて持参の折や酒などもござるが、それは後で開くといたして、われらの会合の仕来しきたりだけを、先へ致しておくことにいたすゆえ、長うはかからぬが、暫時ざんじそれにてお待ちねがいたい」
 と、いった。
 そして一同、はかまを割って、一緒に胡坐あぐらをくんで坐り直すと、銘々がたずさえて来たらしい一藁束わらたばぐして、馬のくつを作り始めたのであった。


 作っているのは、うまくつであるが、それを作る藩士たちの様子は口もきかず、わき目もふらず、謹厳でありまた、おそろしく敬虔けいけんであった。
 手につばし、わらごき、たなごころと掌を合わせてう力にも、何か傍目はためにも分る熱気がこもっていた。
「……?」
 武蔵は、不審に打たれていたが、人々のすることを、おかし気に見たり、疑ってみたりする気には毛頭なれなかった。
 だまって、謹んで見ていた。
「作れたかな」
 やがて、香山半太夫老人がいって、ほかの者を見まわした。
 老人はもう、一足のくつを作り上げていた。
「出来ましてござりまする」
 次に、木南きなみ加賀四郎。
「てまえも」
 と、安積あさか八弥太も、作り上げた一足を、香山老人の前に、さし出した。
 順々に、積んで、六足のくつができた。
 そこで人々は、はかまのチリを払い、羽織を着直して、六足の馬の沓を、三方にのせて、六人の中ほどに据えた。
 また、べつな三方には、用意して来た杯が乗せられ、側の盆には銚子ちょうしも供えて、
「さて、御一同」
 と、年長の内海うつみ孫兵衛丞から、改った挨拶が述べられた。
「――われらにとって忘れ難い慶長五年、その関ヶ原の役より、はや十三年になり申す。お互に思わざる生命いのちを長らえ、今日、かくある身は、ひとえに、藩主細川公御庇護ごひごに依るところ。御恩のほど、子孫まで忘れては成り申さぬ」
「はい……」
 一同は、ややし目に、孫兵衛丞のことばを、えりを正して聞いていた。
「――とはいえ、今は亡びたりといえ、旧主新免家の代々よよの御恩も、忘却してはならぬ。――なおなお、われらこの地に流浪の日には、落魄おちぶれ果てていたことをも、喉元のどもとすぎて、忘れては身に済まぬ。……そう三つの事を、忘れぬための、例年の会。まず今年も、息災に打揃うて、お互に祝着に存ずる」
「されば、孫兵衛丞どの、御挨拶のとおり、藩公の御慈愛、旧主の御恩、零落のむかしに変る今日の天地の恩。――われら日常も忘れはきませぬ」
 一同して、そういった。
 司会者格の孫兵衛丞は、
「では、御礼おんれいを」
「はっ」
 六名は、膝を正し、両手をつかえて、そこから見える――夜空にも白く仰がれる――小倉城へ向って、頭を下げた。
 次に、旧主の地。また各※(二の字点、1-2-22)の祖先の地――作州の方角へ向って、同様に礼をした。
 最後に、自分たちで作ったうまくつへ、両手をつかえて、それをも真心こめて伏し拝んだ。
「武蔵どの。一同これより、この河原の上の氏神うじがみやしろまで、参詣してくつを納めて参る。――それにて式事は済むのでござる。済めば大いに飲みもし話もいたそう程にもう暫時、それにてお待ちを」
 一人は、馬沓まぐつをのせた三方を捧げて先へ進み、五名は後に従って、氏神の境内へ上って行った。馬沓は、街道に向っている鳥居前の木にくくしつけ、拍手かしわでを打って、一同はすぐ元の河原のむしろへ帰って来た。
 そして、酒もりが始まった。
 ――というても、芋の煮たのや、木の芽味噌みそたけのこや、せいぜい干し魚ぐらいな、この辺の農家の馳走ぐらいな質素ではあったが。
 しかし、豪笑快語、酒と話は、はずんで来た。


 打ちとけて、酒と話がはずんで来たので、武蔵は初めて、
「おむつまじい、そしてふしぎなご会合に、折よく来合せて、拙者も共に興に入り申した。――しかし最前からの事々、馬沓まぐつを作ったり、それをまた、三方にのせて伏し拝み、郷土やお城へ向って、改めて礼をなされたり――これは一体どうしたことでござるのか」
 訊ねると、
「よういて下された。ご不審はごもっともじゃ」
 と、内海孫兵衛丞は、待っていたように、こう話した。
 慶長五年。関ヶ原の戦に敗れた新免家の侍たちは、あらかた九州へ落ちて来た。
 こう六人の者も敗残者の一組だった。
 元より衣食のみちはつかず、というて、身寄り頼りにすがって、さもしい頭も下げきれず、また、かっしても盗泉とうせんの水はくらわず――と頑固に持して、一同、この街道の橋袂はしたもとに、貧しい納屋なや一軒借りうけ、槍だこに鍛えられている手で、うまくつを作っていた。
 ここ三年が間は、往来の馬子に、自分らで作った馬沓を売りひさいで、細々ながら喰べていたが、
(あの衆は皆、どこか変っているぞ。凡者ただものではなかろう)
 と、馬子たちの噂が、やがて藩に聞え、当時の君公、三斎公の耳にはいった。
 調べてみると、旧新免しんめん伊賀守の臣で、六人衆といわれたさむらいたちと分り、不愍ふびんの者、召抱えてつかわせと、沙汰された。
 交渉に来た細川藩の臣は、
「思し召しをうけて参ってござるが、ろくのほどは仰せもなく、われら重臣どもの協議で、六名に対し千石を給したいと存ずるがいかがであろうか」
 と、いって帰った。
 六名の者は三斎公の仁慈に感泣した。関ヶ原の敗亡者とあれば、当然、追い立てられても、まだ寛大としなければならない所である。それを、六人に千石も給されるというので否やもなかった。
 ところが、井戸亀右衛門丞かめえもんのじょうの母が、
(お断りせい)
 という意見をいいだした。
 亀右衛門丞の母がいうには、
(三斎公様のお仁慈は、涙のこぼれるほどうれしい。一合のお扶持ふちといえ、うまくつを作る身には、勿体のうて、否応いえたことではない。――したがおん身達は、落魄おちぶれてこそおれ、新免伊賀守様の旧臣、藩士の上に坐りなされたお人達じゃ。それが一纒ひとまとめ千石で、よろこんでお召抱えに応じたと聞えては、馬の沓を作っていたことが、真からさもしいことになろう。また、三斎公様の御恩にこたえて、不惜身命ふしゃくしんみょうの御奉公をなさる覚悟でもなければならぬこと、お救い米のような、六人一括ひとからげの扶持はそれゆえおうけいたされぬ。お身たちは出仕しなさろうとも、せがれは出されませぬ)
 で、一致して、断ると、藩の者はありのまま、君公へ伝えた。
 三斎公は、聞いて、
(長老の内海孫兵衛丞に千石。余の者には一名二百石ずつと、改めて申しやるがよい)
 と、命じた。
 六名出仕ときまって、いよいよ、お目見得の登城となったが、その折、六名の貧乏ぶりを目撃して来た使者の者が、
(少々はお手当を先につかわさぬと、登城の服装なども、おそらく持ち合すまいと察しられますが)
 気を配ったつもりでいうと、三斎公はわらって、
(だまって見ておれ。折角のさむらいどもを迎えながら、こちらが、求めて恥を掻くにもあたるまい)
 案のじょう。うまくつは作っていても登城して来た六名は糊目のりめ正しい衣服を着、大小も皆、それぞれ、ふさわしいのを差していた。


 以上、孫兵衛丞のはなしを、武蔵は興ぶかく聞き入っていた。
「――まず、そういう仕儀で、われら六名、お召抱えになったわけじゃが、思うにこれ皆、天地の恩じゃ。祖先の恩、君公の恩は、忘れんとしても忘れようもないが、一頃ひところ、露命をつないだ馬の沓の恩は忘れそうじゃと、後々、いましめ合うて、細川家へお抱えとなった今月の今日を、毎年の寄合い日と決め、こうしてわらむしろに、昔をしのび、三つの恩を胸に新たにしながら、貧しい酒もりを、大きく歓びおうている次第でござる」
 孫兵衛丞は、そういい足してから、武蔵へ杯を向けて、
「いや、われらのことのみいうて許されい。酒は貧しくも、さかなはなくも、心ばえは、かような者ども。――明後日の試合には、どうぞいさぎようやって下されよ。骨は、わしらが拾う。ははは」
 杯を押しいただいて、
「かたじけのうござる。高楼の美酒にもまさるお杯。お心ばえにあやかりますように」
滅相めっそうもない。われらごときにあやかったら、うまくつを作らねばならぬぞ」
 小石まじりの土が、どての上から少しばかり、草間をすべってくずれて来た。人々が振り仰ぐと、ちらと、蝙蝠こうもりのような人影がかくれた。
「誰だっ」
 木南きなみ加賀四郎は、おどり上がって行った。押っとり刀でまた一人つづいた。
 どての上に出て夜霞の遠くを見ていたが、やがて大きく笑いながら、下の武蔵や友達へ向って告げた。
「巌流の門人らしい。こんな所へ武蔵どのを招いて、われらが首を集めているので、助太刀の策でも密議していると、変に取ったのじゃあるまいか。あわてて、駈け去って行き申したが」
「あははは。その疑い、先方にしてみれば無理もない」
 ここの人々は、あくまで磊落らいらくであったが、こよいあたり、城下の空気がどう動いているか、武蔵には、ふと考えられた。
 ――長座は無用。同郷の縁故があるだけに、なおさら心しなければならない。かかる武士たちへ、よしなきるいを及ぼしては済まぬ。武蔵はそう考えついて、十分に人々の好意を謝し、一足さきに、楽しい河原のむしろを辞して飄然ひょうぜんと去った。
 飄然――
 いかにもそういったふうな武蔵の去来だったのである。
 翌日。
 すでに十二日である。
 当然、武蔵はどこか、小倉城下に泊って、待機しているものと思い、長岡家では、彼の宿所を、手分けして探していた。
「なぜ引き留めて置かなかった」
 と、用人も取次も、後では主人の長岡佐渡に、かなり叱られたこと間違いない。
 昨夜ゆうべ到津いたつの河原へ武蔵を迎えて飲んだという六名の仲間も、佐渡にいわれて探し歩いていた。
 が、分らなかった。
 ようとして、武蔵の姿は、十一日の夜から行き先が知れないのであった。
「こまったこと!」
 明日を前にして、佐渡は白い眉毛に焦躁をたたえていた。
 巌流は、その日。
 久しぶりに登城して、藩公から懇篤なことばと、お杯をいただいて、意気揚々、騎馬でやしきへ退がっていた。
 城下には、夕刻頃、武蔵について種々な浮説が伝えられていた。
おくして、逃げたのだろう」
「逃亡したに違いない」
「どう探しても、皆目、姿が見つからないそうだ」
 と、いうのである。

づるころ



 逃げたろう? ――
 逃げたに相違ない。
 ありそうなことだ。
 見えぬ武蔵の姿に対して、紛々ふんぷんたる噂のなかに、十三日の夜は明けた。
 長岡佐渡は眠らなかった。
 よもや? ――とは思うものの、そう思われない人間がよく事の間隙かんげき豹変ひょうへんする。
「――御主君のてまえ」
 彼は、切腹すら考えた。
 武蔵を推挙した者は自分である。藩の名を以て、試合となった今日、その武蔵が行方をくらましたなどということがもし起ったら、自決の道をるしかない。真面目に、切腹を考えながら、佐渡は、きょうも澄みきった朝の晴天を迎えた。
「……自分の不明か」
 あきらめに近いつぶやきをもらしながら、室内の清掃ができる間、伊織をつれて庭を歩いて来た。
「ただ今戻りました」
 その武蔵の居所を、昨夜から探しに出ていた若党の縫殿介ぬいのすけが、疲れた顔色を横門から現した。
「どうだった?」
「分りませぬ。皆目、それらしい者も、御城下の旅籠はたごには」
「寺院など、訊いてみたか」
「府中の寺院、町道場など、武芸者の立ち寄りそうな箇所へは、安積あさか様、内海うつみ様などが、手分けして調べて参るといっておりましたが、まだあの六名がたは」
「戻らぬが……」
 佐渡の眉には、うれいが濃い。
 庭木をいて、紺碧こんぺきな海が見える。白いしぶきの浪がしらが、彼の胸まで打って来るのだった。
「…………」
 梅若葉のあいだを、佐渡は黙々と行きつ戻りつしていた――
「わからぬ」
「どこにも見えぬ」
「こんなことなら、一昨夜別れる時に、しかと行く先を聞いておくであったに」
 井戸亀右衛門丞、安積あさか八弥太、木南加賀四郎など、夜来、歩き通していた人々も、やがて、げっそりした顔を揃えて帰って来た。
 縁に腰かけて、人々はとかくの評議にいきり立っていた。時刻は迫るばかりなのだ。――今朝、佐々木小次郎の門前をよそながら見て通ったという木南加賀四郎の話によれば、昨夜来、そこには約二、三百名の知己門人が詰めきって、門扉もんぴを開き、大玄関にはりんどうの紋のついた幕をめぐらし、正面に金屏風きんびょうぶをすえ、早朝には、城下の神社三ヵ所へ門人たちが代参して、きょうの必勝を期している――というさかんな様子であったという。
 それにひきかえて!
 と口には出さぬが、人々はさんたる疲れをお互いの顔に見合った。一昨夜の六名にしてみても、武蔵の生国しょうごくが、自分らと同じ作州であるというだけでも、藩へも世間へも、顔向けがならない気がするのだった。
「もうよい。……今から探しても間にあうまい。御一同、お引き揚げ下さい。慌てれば慌てるほど見苦しい」
 佐渡は、そう告げて、人々に無理に引き取らせた。木南加賀四郎や安積八弥太などは、
「いや、見つける。たとえ今日が過ぎても、あくまで見つけ出して、斬り捨ててくれる」
 昂奮して帰って行った。
 佐渡は、清掃された室内に上がって、香炉に香を焚いた。それはいつもの事ながら、
「……さてはお覚悟を」
 と、縫殿介ぬいのすけは、胸を衝かれた。すると、まだ庭先に立ち残って、海の色を見ていた伊織が、ふと彼へいった。
「縫殿介さん。下関の廻船問屋、小林太郎左衛門の家を訊ねてみましたか」


 大人の常識には限界があるが、少年の思いつきには限界がない。
 伊織のことばに、
「そうだった。……おお」
 佐渡も縫殿介ぬいのすけも、的確に目標を指さされた心地がした。或は? ――いやいやこの上は、武蔵のいそうな処としては其処以外には考えられない。
 佐渡は、眉を開いて、
ぬい。不覚じゃったな。あわてぬようでも、慌てておるわい。――すぐ其方参ってお迎えして来い」
「はっ、承知いたしました。伊織どの、よう気がついたな」
「わたしも行く」
「旦那さま。伊織どのも、一緒にと申しますが」
「ウム。行って来い。――待て待て。武蔵どのへ一筆書くから」
 佐渡は手紙をしたためた。そしてなお口上でもいいふくめた。
 試合の時刻、辰の上刻までに、相手方の巌流は、藩公のお船をいただいて、船島へ渡ることになっている。
 今からなら時刻もまだ十分。尊公にも、自分のやしきへ来て支度をととのえ、船も、自分の持船を提供するゆえ、それへ乗って、晴の場所へ臨んでは如何いかが
 佐渡のそうした旨を受けた縫殿介と伊織は、御家老の名を以てお船手から藩の早舟を出させた。
 ほどなく下関へあがる。
 下関の廻船問屋、小林太郎左衛門の店はよく知っている。店の者に訊ねてみると、
「何か知らないが、先頃からお住居の方に、お若いお武家が一人、泊っていることはいるようです」
 と、いう。
「ああ、やはり此家ここに」
 縫殿介ぬいのすけと伊織とは、顔見合せてにことした。住居はすぐ店の浜納屋はまなやつづきである。あるじの太郎左衛門に会って、
「武蔵様には当家に御逗留ごとうりゅうでございましょうか」
「はい、おでになります」
「それを聞いて、安心いたしました。昨夜来、御家老にも、どれほど、御心配なされていたか分りませぬ。早速、お取次を願いとうござるが」
 太郎左衛門は、奥へはいって行ったが、すぐ戻って来て、
「武蔵様は、まだお部屋で、お寝みになっておりますが……」
「えっ?」
 思わず、呆れ顔して、
「起して下さい。それどころではござらぬ。いつもこう、朝は遅いお方でござるか」
「いえ。昨夜は、てまえとさしむかいで、深更まで、世間ばなしに興じておりましたので」
 召使を呼んで、縫殿介と伊織を、客間へ通しておき、太郎左衛門は、武蔵を起しに行った。
 間もなく、武蔵は、二人の待っている客間へ姿を見せた。十分、熟睡をとった彼のひとみは、嬰児あかごの眼のようにきれいだった。
 その眼元に、微笑を寄せながら武蔵は、
「やあ、お早く。――何事でござりますか」
 と、いって坐った。
 その挨拶にも、縫殿介ぬいのすけは、力ぬけを感じたが、すぐ長岡佐渡の書面をさし出し、また、口上でも、いい足した。
「それはそれは」
 武蔵は、手紙へ頭を下げて、封を切った。伊織は、その姿を、穴のあくほど見つめていた。
「……佐渡様の思し召、ありがたいことに存じますが」
 武蔵は、読みおえた手紙を巻きながら、ちらと、伊織の顔を見た。伊織はあわてて俯向うつむいた。眼から涙があふれかけたので――。


 武蔵は、返事をしたためて、
「委細、書中にいたしましたれば、佐渡様へは、よろしゅうお伝えを」
 とのことだった。
 そして、船島へは、自身、頃を計って出向くゆえ、お気遣きづかいなく――ともいった。
 やむなく、二人は、返書を持ってすぐ辞した。――帰るまで、伊織は遂に何もいえないでいた。武蔵も一言もことばをかけてやらないのである。しかし、無言の中に、師弟の情と、言葉以上のものは尽きていた。
 二人の戻りを、待ちかねていた長岡佐渡は、武蔵の返書を手にして、まずほっと眉をひらいた。
 文面には、
 私事、おもと様御舟にて、船島へつかわさる可旨べきむね、仰せ被聞きけられ重畳ちょうじょうお心づかいの段、かたじけなくぞんじ奉候
 然れどこの度、私と小次郎とは敵対の者にて御座候。しかるに小次郎は君公の御舟にて遣され、私は其許様お舟にて遣され候旨に御座候処、右、御主君に被対たいせられ、如何わしく存じ奉候。この儀、私にはお構いなされず候て然るべくとぞんじ奉り候
 此段、御直おんじきに申し上可あぐべくとぞんじ候えども、御承引なさるまじく候に付、わざと申しあげず、爰元ここもとへ参り居候(中略)
 爰元ここもとの舟にて、能き時分参り申すべく候間、左様に思し召さるべくそろ。以 上
 四月十三日
宮本武蔵
    佐渡守様
 としたためてあった。
「…………」
 佐渡は、黙然と、読後の文字をなお見入っていた。
 謙虚の美。ゆかしい思い配り。何にしても行届いた返書。と心を打たれている容子ようすだった。
 それとまた、佐渡は、昨夜からの自分の焦躁しょうそうが、この返書に対して、面映おもはゆくあった。謙虚な心の持主に対して、少しでも疑ったことが自ら恥じられた。
縫殿介めいのすけ
「はっ」
「武蔵どのの、この御書面をたずさえてすぐ、内海うつみ孫兵衛丞どのや、そのの衆に、廻状いたして来い」
「承知いたしました」
 退がりかけると、ふすまの陰に控えていた用人が、
「御主人様。御用がおすみ遊ばしたら、今日のお立会のお役目、はやお支度を遊ばしませぬと」
 と、うながした。
 佐渡は落着いて、
「心得ておる。じゃが、まだ時刻には早かろう」
「お早くはござりまするが、同じく今日のお立会役、岩間角兵衛様にはもはやお船を仕立てられ、今し方、浜をお離れなされましたが」
「人は人。あわてずともよい。――伊織、ちょっとこれへ来い」
「はい……御用ですか」
「そちは、男だの」
「え、え」
「いかなることがあっても、泣かぬという自信があるか。どうじゃ」
「泣きませぬ」
「然らば、わしの供をして、船島へ行け。――じゃが、次第に依っては、武蔵どのの骨を拾うて帰るかも知れぬのだぞ。……行くか。……泣かずにいられるか」
「行きます。……きっと、泣かないで」
 奥の声をうしろに。
 縫殿介ぬいのすけは門の外へ駈け出していた。すると、塀の陰から彼を呼ぶ見すぼらしい旅の女があった。


「お待ち下さいませ。……長岡様の御家来さま」
 女は、子を負っていた。
 縫殿介は、気がいている。しかし、旅の女の風態に、怪しみの眼をみはって、
「何じゃ。お女中」
「ぶしつけではございまするが、かような身なりの者、お玄関へ立つこともはばかられまして」
「では、御門前で待っていたのか」
「はい……今日に迫った船島の試合に、きのうから、武蔵様が逃げたとやら……町の噂に聞きましたが、それは本当でございましょうか」
「ば、ばかなこと!」
 ゆうべからの鬱憤うっぷんを、いちどに吐いて、
「左様な武蔵どのか、武蔵どのでないか、辰の刻になれば分る。――たった今、わしは武蔵どのにお会いして、御返書までいただいて来たところだ」
「えっ……。お会いなされましたか。して、何処に?」
其方そなたは? ……何じゃ」
「はい」
 さし俯向うつむいて、
「武蔵様とは、知るの者でござりますが」
「ふム。……ではやはり根もない噂に案じていたのか。では、これから急ぐ出先だが、武蔵どのの御返書を、ちょっと見せて上げる。心配なさるな、これこの通りに――」
 縫殿介ぬいのすけがそれを読み聞かせてやっていると、彼のうしろへ立ち寄って、共に、涙の眼をもって、ぬすみしている男があった。
 縫殿介が、ふと気づいて、自分の肩を振り向くと、男はが悪そうにお辞儀して、あわてて、眼をふいた。
「誰だ? ……おぬしは」
「はい。その女房の、連れの者でございます」
「なんだ。御亭主か」
「有難うございました。武蔵どのの、懐かしい文字を見て、何だか、会ったもおなじ気がしました。……なあ女房」
「ほんに、これで安心いたしました。――欲には、遠くからでも、試合の場所を、拝んでいとうございます。たとえ、海を隔てても、私たちの心がそこに働きますよう」
「オオ、それなら、あの海沿いの丘へ上がって、遥かに、島の影なと見ていなされ。――いやいや、きょうは、ばかに晴れているから、船島のなぎさあたりは、かすかに見えるかも知れぬぞ」
「お急ぎのところ、足をお止めして、済みませんでした。――では、御免なされませ」
 子を負った旅の夫婦者は、城下はずれの松山をさして、足を早めかけた。
 縫殿介も、急ぎかけたが、あわてて呼び止めた。
「もしもし。お前たちの、名前は何という人か。さしつかえなければ聞かしておいてくれ」
 夫婦は、振り返って、またていねいに遠くからお辞儀をした。
「武蔵どのと同じ作州の生れ――又八と申します」
朱実あけみといいまする」
 縫殿介は、うなずくと、もう一散に、使い先へ駈けて行った。
 ややしばらく見送っていたが、眼を見合すと、二人は口もきかず、城下の外へ急いだ。小倉と門司ヶ関のあいだの松山へ、あえぎ喘ぎ、登って行った。
 真正面に、船島が見える。幾つもの島影も見える。いや海門の彼方、長門ながとの山々のひだまで今日はあざやかに見える。
 二人は、たずさえているこもを敷き、海へ向って、並んで坐った。
 ざあ、ざあっ……と断崖の下の潮音ちょうおんは、親子三人の上に、松の葉を降りこぼした。
 朱実は、子を降ろして、乳ぶさに抱え、又八はじっと、膝にをむすんだまま、口もきかず、子もあやさず、一念、海の青を見入っていた。

ひと・このひと



 縫殿介ぬいのすけは、いそいで来た。
 主人の長岡佐渡が、今朝、船島へ出向くまでに間に合うようにと。
 吩咐いいつけられた六名の屋敷を、それぞれ駈け廻って、武蔵の返書と次第を告げ、どこでも茶ものまず引っ返して来た途中なのである。
「あっ。巌流の……?」
 彼は、そのいそぐ足をも止めて、思わず物陰にたたずんだ。
 そこは、御浜奉行の役宅から半町ほど先の海辺だった。
 そこの岸からは、早朝よりたくさんな藩士が、きょうの試合の立会や、検視や、また、不慮の場合の警備だの、試合場の準備だのとして、番頭ばんがしら以下足軽組まで――幾組にもわかれて、ぞくぞくと船島をさして先発していた。
 ――今も。
 お船手の藩士が、一艘の新しい小舟を寄せて、待っていた。舟板から水箒みずぼうきもやい棕梠縄しゅろなわまでおろしたばかりの真新しい舟だった。
 縫殿介は一目見て、それは藩公から特に巌流へくだされた舟と知った。
 舟に、特徴はないが、そこらにたたずんでいる百名以上の人々の顔ぶれが、皆、日ごろ巌流と親しい者か、或は見馴れない顔ばかりなので、すぐ知ったのである。
「おお、おでになった」
「見えられた」
 人々は、舟の両側に立って、おなじ方角を、振り向いていた。
 磯松の陰から、縫殿介も、彼方を見ていた。
 御浜奉行の休み所に、乗って来た駒を繋いで、佐々木巌流は、しばらくそこに休息を取っていたものとみえる。
 そこの役人達にも見送られ、巌流は、日頃の愛馬を、託していた。――そして供として、内弟子の辰之助たつのすけ一名を連れ、砂を踏んで此方こなたの舟のほうへ歩いて来た。
「…………」
 人々は、巌流の姿が、近づいて来るにつれ、しゅくとして、おのずから列をなし、彼の道を開いていた。
 それと人々は、その日の巌流の晴の扮装いでたち恍惚こうこつとして、自分達までが武者振いのようなものを覚えた。
 巌流は、浮織うきおりの白絹の小袖に、眼のさめるような、猩々緋しょうじょうひ袖無そでなし羽織をかさね、葡萄色ぶどういろ染革そめがわ裁附袴たっつけ穿いていた。
 足拵あしごしらえは、もちろん、草鞋わらじ――すこししめしてあるかに見える。小刀は日頃の物であったが、大刀は、仕官以後は遠慮して差さなかった例の無銘むめい――しかし肥前長光ひぜんながみつともいわれている――愛刀物干竿ものほしざおを、久しぶりに、その腰間ようかんに、長やかに横たえていた。
 その刀は、三尺余もあるので、見るからに業刀わざものと思われ、送りの人々の眼をみはらせたが、より以上、その長剣がすこしも不似合でない彼のすぐれた骨がらと、猩々緋のなのと、色の白い豊頬ほうきょうおもてと、そして眉もうごかさない落ちついた態度の美に――何か荘重なものを見ていた。
 波音と、風にまぎれて、縫殿介がいる辺りまでは、人々の声も、巌流のことばも、聞えては来なかったが、巌流のおもてには、これから生死の場所へ臨む者とは見えぬなごやかな笑みが、遠くからでも明るく見えた。
 彼は、その笑みを、あたうかぎり、知己朋友に、万遍なくふりいて、やがて、どよめく声援者につつまれながら、新しい小舟へ乗った。
 弟子の辰之助も乗った。
 船手方の藩士が、二人乗りこんで、一名はみよしに腰かけ、一名はをにぎる――
 それと、もう一つの供のものは、辰之助のこぶしに据えて来たたか天弓あまゆみである。小舟が岸を離れると一斉いっせいに歓声を送った人々の声におどろいたのであろう。天弓は、パッとひとつ、大きく翼をった。


 浜辺に立って見送っている人々は、いつまでも立ち去らなかった。
 それへこたえて、巌流も、舟の中から、振り向いていた。
 を漕ぐ者も、殊さら、舟をはやろうとはせず、大きくゆるく、波を切っていた。
「そうだ、時刻が迫った。おやしきの旦那様にも早……」
 縫殿介ぬいのすけは、われにかえって、たたずんでいる磯松の陰から、急に帰りかけた。
 その時、ふと気づいたのであった。彼が姿をせていた松から六、七本目の同じような磯松の陰に、ひたと身を寄せて、独り泣いている女がある。
 遠く小さく――海の青に溶けてゆく小舟を――いや巌流の姿を、見送ってはまた、よよと木陰に泣いていた。
 それは巌流が、小倉に落ち着いてからの浅い年月、巌流のそばに仕えて来たお光であった。
「…………」
 縫殿介は、眼をらした。そして彼女の心をおどろかさぬように、足音を忍ばせて、浜から町の道へ出て行った。
 ふと、気になるまま、
「――誰にも、裏と表はあるもの。晴の姿の陰には、うれいにいたむ人のあるもの……」
 と、つぶやいて、人目を離れて悲しむ一人の女性と、もう沖へ、うすれて行く巌流の舟とを、もう一ぺん、振りかえってみた。
 浜辺の人々は、三々五々、もう波打際から散らかっていた。口々に巌流の落ちつきぶりをたたえ、きょうの試合の必勝を、彼の上に期待しながら――。

「辰之助」
「はっ」
「天弓を、これへ」
 巌流は、左のこぶしをさし伸べた。
 辰之助は、自分の拳にすえていた鷹を、巌流の手へ移して、少し退がった。
 舟は今、船島と小倉との間を漕いでゆく。海峡の潮流は、ようやく急であった。空も水も、澄みきった好晴こうせいの日であったが、浪はかなり高かった。
 ふなべりから水玉のかかるたびに、たか逆毛さかげを立てて、凄愴な姿態を作った。今朝は、飼い馴れたこの鷹にも、戦気があった。
「お城へ帰れ」
 巌流は、鷹の足環あしわを解いて、鷹を拳から空へ放った。
 鷹は、常の狩場のまとのように、空へけると、逃げる海鳥へかかって、白い羽毛を降らした。しかし再び飼主が呼ばないので、お城の空や、島々のみどりをかすめて、やがてどこかへ見えなくなった。
 巌流は、鷹の行方を見ていなかった。鷹を放つと、巌流はすぐに、身に着けている神仏のおふだやら手紙の反古ほごやら、また、岩国の叔母が、心をこめて縫って来た梵字ぼんじの肌着までを――すべて元来の自己以外の物は――みな投げて、潮へ流してしまった。
「さっぱりした」
 巌流はつぶやいた。
 今の絶対的なものへ向って行くあの気持には、あの人、この人と、思い出さるる、情やきずなは、すべて心の曇りになると思った。
 自分に勝たせようと祈ってくれる、大勢の人々の、好意も重荷であった。神仏のお札さえ、さまたげと彼は思ったのである。
 人間。――素肌の自己。
 これ一箇しか、今は、たのむもののないことを、さすがに悟っていた。
「…………」
 潮風は、無言の彼のおもてをふいた。その眸に――船島の松や雑木のみどりが、刻々に、近づいていた。


 一方――
 同じ準備は、対岸の赤間ヶ関にある武蔵のほうにも、当然のこと、はや迫っていたわけである。
 早朝。
 長岡家の使いとして、縫殿介ぬいのすけと伊織のふたりが、武蔵の返書をたずさえて、立帰って行ったあと。――彼の身を寄せている廻船問屋のあるじ、小林太郎左衛門は、浜納屋はまなやの露地づたいに、店頭みせさきへ姿を見せ、
「佐助。佐助はいないか」
 と、探していた。
 佐助というのは、大勢の雇人やといにんの中でも、よく気のつく若い者で、住居の方でも重宝ちょうほうに使い、暇があると店のほうを手伝っていた。
「おはようございます」
 主人の姿を見て帳場から降りて来た番頭は、まず朝の挨拶をして、
「佐助をお呼びで。――はい、はい、今しがたまで、そこらにおりましたが」
 と、ほかの若い者へ向い、
「佐助を探しておいで、佐助を――。大旦那がお召しだ。いそいで」
 と、いいつけた。
 それから番頭は何か、店の事務について、荷物の回漕やら船配りなどについて、さっそく、主人に報告的なおしゃべりを始めたが、太郎左衛門は、
「後で。後で」
 耳たぶの蚊を払うように顔を振り――それとはまったくかかわりのないことをたずね出した。
「誰か、店のほうへ、武蔵様を訪ねて見えた者があるかね」
「へ。ああ、奥のお客様のことで。――いや今朝がたも、訪ねて見えたお人がございましたが」
「長岡様のお使いだろう」
「左様で」
「そのほかには」
「さあ? ……」
 と、頬を抑えて、
「てまえが会ったのではございませんが、昨晩、大戸をおろしてから、むさい身なりをした眼のするどい旅の男が、かしつえをついて、のっそりはいって来て――武蔵先生にお目にかかりたい。先生には下船以来、当家に御逗留とうけたまわるが――といって、しばらく帰らなかったそうでございますよ」
「誰がしゃべったのだ。あれほど、武蔵様の身については口止めしておいたのに」
「何しろ、若い衆たちは、きょうのことがございますので、ああいうお方が、御当家に泊っているということは、何か自分たちの自慢のように、つい口へ出てしまうらしいので――てまえもやかましく申し聞かせてはございまするが」
「そして、ゆうべの、樫の杖をついた旅の人とかはどうしたのか」
総兵衛そうべえどのが、言い訳に出まして、何かのお聞き違いでございましょうと――どこまでも武蔵様はいないことに押し通して、やっと、帰したそうでございます。――誰かその時、大戸の外にはまだ二、三人も――女子おなごの影もじってたたずんでいたとやらいうておりましたが」
 そこへ。
 船着きの桟橋かけはしの方から、
「佐助でございます。大旦那、何か御用でございますか」
「おお佐助か。べつに、ほかの用じゃないが、お前には今日、大役を頼んである。念を押すまでもないが合点だろうな」
「へい。ようく心得ておりまする。こんな御用は船師ふなし一代のうちにもないことだと思いまして、今朝はもう暗いうちから起きて、水垢離みずごりをかぶり、新しい晒布さらしで下っ腹を巻いて待っておりますんで」
「じゃあ、ゆうべも吩咐いいつけておいたが、舟の支度も、いいだろうな」
「べつに、支度といって、何もございませんが、たくさんな軽舸はしけの中から、脚のはやい、そしてよごれのないのをって、すっかり塩をいて、船板まで洗って置きました。――いつでも、武蔵様のほうさえ、お支度がよければ、お供をするようになっております」


 太郎左衛門はまた、
「そして、舟は、どこへ繋いでおいたか」
 と、たずねた。
 佐助が、いつもの船着きの岸に――と答えると、太郎左衛門は考えていたが、
「そこでは、お立ちの際、人目につく。――どこまでも、人目だたぬようにというのが武蔵様のお望み、どこぞ、ほかの場所へ廻しておいてもらいたいのう」
「かしこまりました。では、どこへ着けておきましょうか」
住居すまいの裏より、二町ほど東の浜辺――あの平家松へいけまつのある辺りの岸なら、往来も稀だし、人目にもそうかかるまい」
 そう吩咐いいつけている間も、太郎左衛門は、自分までが、何やら落着かぬ様子だった。
 店も、平常ふだんとちがって、今日はめっきり暇だった。こく過ぎまで、海門の船往来が止められているせいもあろうし、また、対岸の門司ヶ関や小倉と共に、その長門ながと領一帯でも、すべての者が、船島のきょうの試合を、心がかりにしているせいもあろう。
 そう思って往来を眺めると、どこへ指して行くのかおびただしい人出であった。近藩の武士らしい人々、牢人、儒者風の者、鍛冶かじ塗師ぬりし鎧師よろいしなどの工匠たくみたち、僧侶から雑多な町人や百姓までが――その中には被衣かずきだの市女笠いちめがさだのの女のにおいをもれ立てて――おなじ方角へ、流れて行くのだった。
「はよう、来やい」
「泣くと、捨てて行くぞよ」
 漁師りょうしの女房たちであろう、子を背負ったり、手に曳いたり、今が今にも、何事かあるように、わめいて通るのもあった。
「なるほど、これでは……」
 と、太郎左衛門も、武蔵の気もちが分る気がした。
 識者顔しきしゃがおする者の、毀誉褒貶きよほうへんさえかなり耳うるさいところへ、この人出のほこりは、他人の死ぬか生きるかを、勝つか負けるかを、ただ興味として、見物に駈けて行く――
 しかもまだ、時刻までには、幾刻いくときもあるのに。
 そして、船止ふなどめとなっているからには、元より海上へは出られず、遠く陸地とは絶縁されている船島の現地が、たとえ山や丘へ上がっても、見える筈もあり得ないのに。
 しかし、人が行く。そして、人が行くと、家にいられない人々が、わけもなく、ぞろぞろと行くのだった。
 太郎左衛門は、ちょっと往来へ出て、一巡そんな空気に触れながら、やがて、住居へ戻って来た。
 彼の居間も、武蔵の寝ていた部屋も、もうすっかり、朝の掃除が終っていた。
 開けひろげた浜座敷の天井の木目に、ゆらゆらと、波紋の渦がうごいていた。すぐ裏がもう海だった。
 波からね返る朝のが、ふわ、ふわ、と光のになって、壁にも障子にも遊んでいる。
「お帰りなさいませ」
「お。お鶴か」
「どちらへおでになったのかと彼方此方あちこち、さがしていましたのに」
「お店の方にいたのだよ」
 お鶴のついだ茶を取って、太郎左衛門は、静かに見入っていた。
「…………」
 お鶴もだまって海を見ていた。
 太郎左衛門が、眼に入れても痛くないほど可愛がっているこの一人娘は、先頃まで泉州堺港さかいみなとの出店にいたが、ちょうど武蔵が来る折、同じ船で、父の許へ帰っていた。――お鶴はかねて伊織をよく世話したこともあるので、武蔵がく伊織の消息に詳しかったのは、船中で、この娘から、何かのはなしを聞いていたのかも知れなかった。


 また。こうも想像される。
 武蔵が、ここの小林太郎左衛門の住居へ、先頃から身を寄せたのも、そうした縁から、伊織の世話になった礼をのべるためにも、下船後、太郎左衛門の家へ立ち寄り、太郎左衛門と親しくなったことからではあるまいか。
 が――何はともあれ。
 武蔵が逗留中は、父のいいつけで、お鶴が彼の身のまわりを世話していた。
 現に、昨夜なども、武蔵が父と夜更くるまで、話しこんでいるあいだ、彼女はほかの部屋で、頻りと縫物などしていた。それは武蔵が、
(試合の当日は、何も支度はり申さぬが新しき晒布さらしの肌着と下帯だけは整えておきたく思います)
 と、何かの折にいったので、肌着のみならず黒絹の小袖も帯紐おびひもも新しく縫って今朝までに、しつけ糸を抜けばよいように、すべて揃えてあるのだった。
 仮に――
 ほんの、かりそめに、太郎左衛門だけの親心であったが、
(娘は、あの人に、淡い思いを寄せているのではあるまいか。――もし、そうだとしたら、今朝のお鶴の心は)
 と、ふと、そんな思い過しもしてみるのだった。
 いや、思い過しでないかもしれなかった。お鶴の今朝の眉には、どことなく、そうした心の色がただよっている。
 今も。
 父の太郎左衛門に茶を汲んでから、父が黙然と海を見ていると、彼女も、いつまでも黙って、物思わしく、海の青を凝視ぎょうししていた。そして、そのひとみまでが、海のあふるる如く、涙になりかけた。
「お鶴……」
「はい……」
「武蔵様は、どこにおでか。朝の御飯は、さし上げたか」
「もう、お済みでございます。そして、あちらのお部屋を閉めて」
「そろそろ、お支度中か」
「いいえ、まだ……」
「何をしていらっしゃるのだ」
を描いていらっしゃるようです」
「画を……?」
「はい」
「……ああ、そうか。心ないおねだりをした。いつぞや、画のはなしが出た折、なんぞ一筆でも、後の思い出にも――と、わしが御無心しておいたので」
「きょう船島まで、お供をしてゆく佐助にも、一筆遺物かたみに描いてつかわすと、仰っしゃっておいでになりましたから……」
「佐助にまで」
 太郎左衛門はつぶやいて、急に自分が落ちつかない気もちにせかれた。
「――もう、こうしている間にも、時刻は迫るし、見えもせぬ船島の試合を、見ようと騒いでゆくたくさんの人たちも、ああして往来を押し流して行くのに」
「武蔵様は、まるで、忘れたようなお顔をしていらっしゃいます」
「画などの沙汰ではない。……お鶴、お前が行って、どうぞもう、そのようなことは、お捨てき下さいと、ちょっと申し上げて来い」
「……でも、わたしには」
「いえないのか」
 太郎左衛門は、その時、はっきりとお鶴の気持を覚った。父と娘とは、ひとつ血である。彼女の悲しみもいたみも、そのまま、太郎左衛門の血にひびいていた。
 が男親の顔は、さりなかった。むしろ叱るように、
「ばか。何をめそめそと」
 そして自分で――武蔵のいるふすまのほうへ立って行った。


 そこは、ひそと、閉めきってあった。
 筆、すずり、筆洗などをおいて、武蔵は、じゃくとして坐っていた。
 すでに描き上がっている一葉の画箋がせんには、柳にさぎの図が描いてあった。
 ――が、前に置いてある紙には未だ一筆も落してなかった。
 白い紙を前にして、武蔵は、何を描こうかと、考えているらしい。
 いや、画想をとらえようとする理念や技巧より前に、画心そのものに成りきろうとする自分を静かにととのえている姿だった。
 白い紙は、無の天地と見ることができる。一筆の落墨らくぼくは、たちまち、無中にを生じる。雨を呼ぶことも、風を起すことも自在である。そしてそこに、筆をった者の心が永遠に画としてのこる。心によこしまがあれば邪が――心に堕気だきがあれば堕気が――匠気しょうきがあればまた匠気のあとがおおい隠しようもなく遺る。
 人の肉体は消えても墨は消えない。紙に宿した心のかたはいつまで呼吸してゆくやら計りがたい。
 武蔵は、そんなこともふと思う。
 が、そんな考えも、画心のさまたげである。白紙のような無の境に自分もなろうとする。そして筆持つ手が、我でもなく、他人ひとでもなく、心が心のまま、白い天地に行動するのを待っているような気持――
「…………」
 その姿に、狭い一間はじゃくとしていたのである。
 ここには往来の騒音もなければ、きょうの試合もよそ事のようだった。
 ただ中庭のつぼ女竹めだけが、ときおり、かすかなそよぎを見せるだけで――。
「……もし」
 音もなく、いつか、彼のうしろのふすまが少し開いていた。
 あるじの太郎左衛門であった。そっと、そこをうかがったものの、あまりに静かな彼の姿に、呼びかけるのさえ、はばかられて、
「……武蔵様。もし……せっかくお楽しみのところを、お邪魔いたして恐れ入りますが」
 彼の眼にも、武蔵のそうしている容子ようすは、いかにも画に楽しんでいる姿に見えたのだった。
 武蔵は、気がついて、
「おう、亭主どのか。……さ、はいられい、そのように閾際しきいぎわで、なにをご遠慮」
「いえ、今朝はもう、そうしてもおられますまい。……やがて、お時刻が迫りまするが」
「承知しています」
「お肌着や、懐紙、手拭など、お支度の物を取揃えて、次の部屋に置きましたゆえ、どうぞいつなりとも」
「かたじけのうござる」
「……そしてまた、てまえどもへくださるための画でございましたなら、どうぞもうお捨て置きくださいまして。……また、首尾よう船島からお帰りの後にはゆるゆると」
「お気づかいなさるな。どうやら今朝は、すがすがしゅうござるゆえ、かような時に」
「でも、時刻が」
「存じています」
「……では、お支度にかかる時には、お呼びくださいまし、あちらで控えておりますから」
「恐れ入るのう」
「どういたしまして」
 かえって、邪魔をしてもと、太郎左衛門が退がりかけると、
「あ。亭主どの――」
 と、武蔵のほうから呼び止めて、こう訊ねた。
「この頃の、潮の満干みちひは、どういう時刻になっておろうか。今朝は、引潮時ひきしおどきでござるか、潮時しおどきでござろうか」


 潮の満干みちひは、太郎左衛門には、店の商売上と、直接の関係があるので、問われると、言下に、
「はいこの頃は、明けの卯之刻うのこくからたつのあいだに、潮がきりまして――左様、もうそろそろ潮が上げ始めている頃あいでござりまする」
 と、答えた。
 武蔵は、うなずいて、
「左様か」
 と、つぶやいたきり、また、白い画箋がせんに向って、もくねんとしていた。
 太郎左衛門は、そうっと、ふすまをしめて、元の座敷へ退さがって行った。――他人事でなく、気にはかかるが、どうしようもなかった。
 元の位置に、自分も落ちつくつもりで、しばらく坐ってみたが、時刻が、時刻が、と思うと、坐ってもいられなくなる。
 つい立って、浜座敷の縁へなど出てみた。海門の潮は今、奔流のように動いていた。浜座敷の下の干潟ひがたへも、見ているうちに、ひたひたと潮は上げて来る。
「お父さま」
「お鶴か。……何をしているのじゃ」
「もうお出ましも間もないかと、武蔵様のお草鞋わらじを、庭口のほうへ廻して参りました」
「まだだよ」
「どうなされましたか」
「まだ、画を描いていらっしゃるのだ。……よいのかなあ、あんなにごゆるりしていて」
「でも、お父さまは、おめしに行ったのじゃないのですか」
「――行ったのだが、あの部屋へ行くと、妙に、止めるのもお悪い気がしてなあ」
 ――すると、何処かで、
「太郎左衛門殿っ、太郎左衛門殿っ」
 声は、家の外だった。
 庭先の下の干潟ひがたへ、細川藩の早舟が一そうぎ寄せていた。その早舟の上に突っ立っている侍が呼んだのだ。
「おう、縫殿介ぬいのすけ様で」
 縫殿介は、舟から上がらなかった。縁に太郎左衛門の姿が見えたのを幸いに、そこから仰向いて、
「武蔵どのには、もはや、お出ましなされたか」
 と、訊ねた。
 太郎左衛門が、まだ――と答えると、縫殿介は早口に、
「では、少しも早く、ご用意をととのえて、お出向き下さるよう、お伝え下さい。――すでに相手方の佐々木巌流どのにも、藩公のお舟にて、島へ向われたし、主人長岡佐渡様にも、今し方、小倉を離れましたれば」
「かしこまりました」
「くれぐれも、卑怯の名をおとりなさらぬよう、老婆心までに一言を――」
 いい終ると、先をくように、早舟はすぐかえして、漕ぎ去った。
 ――が。太郎左衛門もお鶴も、奥の静かな一間を振り向いたのみで、そのまま、わずかな時間を長い気持で、縁の端にならんで待っていた。
 けれど、いつまでも、武蔵のいる部屋のふすまは、開こうともしなかった。物音らしい気配も洩れて来なかった。
 二度目の早舟がまた、裏の干潟に着いて、一人の藩士が駈けあがって来た。こんどの使いは、長岡家の召使ではなく、船島からかに来た藩士であった。


 ふすまの音に、武蔵は目を開いていた。――で、お鶴が声をかけるまでもなかった。
 二度まで、催促の便が、早舟で来た由を告げると、武蔵は、
「そうですか」
 ニコと、ただうなずく。
 だまって、どこかへ出て行った。水屋で水音がする。一すいした顔を洗い、髪でもでつけているらしい。
 その間、お鶴は、武蔵がいたあとの畳へ眼を落していた。さっきまで、白紙だった紙には、どっぷり墨がついている。一見、雲のようにしか見えないが、よく見ると、破墨山水はぼくさんすいの図であった。
 画はまだ濡れていた。
「お鶴どの」
 次の間から武蔵がいう。
「――その一図は、御主人に上げてください。また、もう一図は、きょう供をしてくれる船頭の佐助に後でおつかわし下さい」
「ありがとう存じます」
「意外なお世話に相成ったが、なんのお礼とてもできぬ。画は遺物かたみがわりに」
「どうぞ、きょうの夜にはまた、ゆうべのように、お父さまと共に、同じ燈火ともしびもとでお話ができますように」
 お鶴は、念じていった。
 次の間では、きぬの音がしていた。武蔵が身支度しているものと思われた。ふすまごしの声がしなくなったと思うと、武蔵の声は、もう彼方の座敷で、父の太郎左衛門と何か二言三言、話している様子だった。
 お鶴は、武蔵が支度していた次の部屋を通った。彼の脱いだ肌着小袖は、彼自身の手で、きちんと畳まれて、隅のみだれ箱に重ねてあった。
 いい知れぬ寂しさが、お鶴の胸をつきあげた。お鶴は、まだその人のぬくみを残している小袖の上に顔を投げ伏せた。
「……お鶴。お鶴」
 やがて。
 父の呼ぶ声だった。
 お鶴は、答える前に、そっとまぶたや頬を指の腹で撫でていた。
「……お鶴っ。何をしておる。お立ちになるぞ。はや、お立ちになるぞ」
「はいっ」
 われを忘れて、お鶴は駈け出して行った。
 ――と見れば、武蔵はもう草鞋わらじ穿いて、庭の木戸口まで出ている。彼は、あくまで人目立つのを避けていた。そこから浜づたいに少し歩けば、佐助の小舟が、くから待っている筈だった。
 店や奥の者、四、五人が、太郎左衛門と共にそこへ出て、木戸口まで見送った。お鶴は、何もいえなかった。ただ武蔵のひとみが、自分のひとみを見たしおに、だまって、皆と一緒に、頭を下げた。
「――おさらば」
 最後に、武蔵がいった。
 つむりを下げ揃えたまま、誰も頭を上げなかった。武蔵は柴折しおりの外へ出て、静かに柴折戸を閉め、もう一度いった。
「では、ご機嫌よう……」
 人々が、頭を上げた時は、もう武蔵の姿は彼方を向いて、風の中を歩いていた。
 振向くか――振顧ふりかえるか――と太郎左衛門を始め、取り残された人々は、縁や庭垣から見まもっていたが、武蔵は振向かなかった。
「あんなものかなあ、お侍というものは、なんと、あっさりしたものじゃろう」
 誰か、つぶやいた。
 お鶴は、すぐ、そこに見えなくなっていた。太郎左衛門もそれを知ると、共に奥へ姿を隠した。

 太郎左衛門の住居の裏から浜辺づたいに一町ほど歩むと、おおきな一つ松がある。平家松へいけまつとこの辺りで呼ばれている松――
 先に小舟を廻して、雇人やといにんの佐助は、今朝くからそこに待っていた。武蔵の姿が今、その辺りまで近づいたかと思うと、誰か、
「おおう! ……先生ッ」
「武蔵どの」
 ばたばたっと、足もとへまろび伏すばかりに、駈け寄って来た者があった。


 一歩――
 しきいを踏んで出た武蔵には、今朝はもう何も頭になかった。
 多少の思いは、皆、真っ黒な墨にこめて、白紙の上へ、一そうの水墨画として吐いてしまった感じである。――その画もわれながら、今朝は気もちよく描けたと思う。
 そして、船島へ。
 うしおにまかせて、渡ろうとする気もちには、なんら常の旅立ちと変った所はなかった。きょう彼処かしこへ渡って、再びここの岸へ帰れるか、帰れないか。今の一歩一歩が、死の府へ向っているのか、なお、今生こんじょうの長い道へ歩んでいるものか――そんなことすら思ってもみなかった。
 かつて二十二歳の早春、一乗寺下り松の決戦の場所へ、孤剣を抱いて臨んだ時のような――ああした満身の毛穴もよだつような悲壮も抱かなければ感傷もない。
 さればといって。
 あの時の百余人の大勢の敵が強敵か。きょうのただ一人の相手が強敵かといえば、烏合うごうの百人よりもただ一人の佐々木小次郎のほうが、遥かにおそるべきものであることは勿論だった。武蔵に取っては生涯またとあるかないかの、今日こそは大難に違いなかった。一生の大事に違いなかった。
 ――が、今。
 自分を待つ佐助の小舟を見て、何気なく急ぎかけた足元へ、自分を先生と呼び、また、武蔵どのと呼びかけて、まろび伏した二人の者を見ると、彼の平静な心は、一瞬、揺れかけた。
「おお……権之助ではないか。ばば殿にも。……どうして此処へは?」
 不審そうにいう彼の眼の前に、旅垢たびあかにまみれた夢想権之助とお杉ばばとは、浜砂の中に埋まるように坐って、手をつかえていた。
「きょうの試合。一期いちごのお大事と存じまして」
 権之助のことばに次いで、ばばもいった。
「お見送りにのう。……そしてまた、わしは其方そなたにきょうまでの詫言わびごとをしに来ました」
「はて。ばば殿が、この武蔵に詫言とは」
「ゆるしてたも! ……武蔵どの。長い間の、ばばが心得ちがいを」
「……えっ?」
 むしろ疑うばかりに、武蔵は彼女のそういうおもてを見まもって、
「ばば殿、それはまた、どういう気持でわしへ仰っしゃるのか」
「何もいわぬ」
 ばばは胸に、両掌りょうてを合せて、今の自分の心のすがたを、かたちに見せた。
「――過ぎ来し方の事々。一つ一ついうたら、懺悔ざんげ申すにも懺悔しきれぬ程あるが、すべてを水と流してたも。武蔵どの、ゆるしてたも。皆……子ゆえに迷うたわしの過ちであった」
「…………」
 じっと、そのすがたを見入っていた武蔵は、あな勿体なしといわぬばかりに、にわかに膝を折って、ばばの手を取って伏し拝み、しばらく顔も上げ得なかったのは――胸もつまって涙がつきあげそうになって来たからであろう。
 ばばの手もわなわなふるえ、彼の手も微かにおののいていた。
「ああ、武蔵に取って、今日はなんたる吉日でしょうか。それ聞いて、今死ぬも、惑いなき心地がしまする。はっきりと、何か真実のものがて取れたよろこび――ばば殿のおことばを信じまする。そして今日の試合には、一層、すがすがしい心で臨めると存じまする」
「では、ゆるして下さるか」
「なんの、左様に仰せられましては、武蔵こそ、遠い以前にさかのぼって、ばば殿の前に幾重にもびせねばなりませぬ」
「……うれしや。ああこれで、わが身は心まで軽うなった。じゃが、武蔵どの、もうひとり世にも不愍ふびんな者、ぜひにも、其方そなたに救うてもらわねばなりませぬぞい」
 ばばは、そういって、武蔵の眼を誘うように、振り向いた。
 ――と見れば、彼方の松の木陰に、さっきからじっとうずくまったまま、顔も上げずに咲いている露草つゆくさのような、弱々しい女性の姿があった。


 ――いうまでもない。それはおつうであった。お通は、遂に、ここまで来た。遂に来たという姿であった。
 手に市女笠いちめがさを持って。
 杖と、やまいを持って。
 なお、燃ゆるばかりのものを抱いていた。その烈しい炎の如きものもしかし、驚くばかりやつれた肉体に抱かれていた。――武蔵が見たとたんにも、真っ先にそれをはっと感じた。
「……ああ。お通……」
 凝然ぎょうぜんと、彼は彼女のまえに立っていた。そこまで、黙々と運んで来た脚をすら忘れていた。彼方に置き残された権之助もばばも、わざと寄って来なかった。むしろ身を消して、この浜辺を、彼と彼女との二人だけのものにしてりたい気持すら抱いた。
「お通……さんか」
 それだけの嘆声が、武蔵にも精いっぱいな言葉だった。
 この年月の空間を、単なる言葉でつなぐには、あまりにも多恨であり過ぎた。
 しかも、問うにも語るにも、今はそうしている時刻の余裕すらも既にないのである。
「からだがくないようだが……。どんなだな」
 やがていった。ぽつりと、前後もない言葉だった。――長い詩のうちの一句だけをんでつぶやくように。
「……ええ」
 お通は、感情にせて、武蔵のおもてへ、ひとみさえ上げ得なかった。――が、生別となるか死別となるか、この大事な一瞬を、いたずらに取乱したり、むなしく過してはならないと、自らいましめているらしく、じっと、理念の中に、自分を努めてひややかに守っていた。
「かりそめの風邪かぜか。それとも、もう永いわずらいか。どこが悪い? ……そして近頃は何処に、どこに身を寄せておるのか」
「七宝寺に、戻っております。……去年、秋の頃から」
「なに、故郷ふるさとに」
「……ええ」
 初めて、彼女の眸は、武蔵をじっと見た。
 深い湖のように、眼は濡れていた。睫毛まつげは、からくもあふれるものを支えていた。
「故郷……。孤児みなしごのわたくしには、人のいう故郷はありません。あるのは、心の故郷だけです」
「でも、ばば殿も、今では其女そなたにやさしゅうしてくれる様子。何よりも、武蔵は欣しい。静かにやまいを養って、其女そなたも幸せになってくれよ」
「今は、幸せでございます」
「そうか。それを聞いて、わしも少しは安んじて行かれる。……お通」
 膝を折った。
 ばばや権之助の人目を感じるので、彼女は居竦いすくんだまま、よけい身をちぢめたが、武蔵は誰が見ていることも忘れていた。
「痩せたなあ」
 と、掻き抱かぬばかり、背に手をのせて、熱い呼吸いきはずませている彼女の顔へ顔を寄せて、
「……ゆるせ。ゆるしてくれい。無情つれない者が、必ずしも、無情つれない者ではないぞ、其女そなたばかりが」
「わ、わかっております」
「わかっているか」
「けれど、ただ一言ひとこと、仰っしゃって下さいませ。……つ、妻じゃと一言」
「分っておるという口の下に。――いうては、かえって味ないもの」
「でも……でも……」
 お通はいつか、全身で嗚咽おえつしていた。とつぜん、懸命な力で、武蔵の手をつかんで叫んだ。
「死んでも、お通は。――死んでも……」
 武蔵は、もくねんと、大きくうなずいて見せたが、細くて怖ろしく強い彼女の指の力を、一つ一つ※(「てへん+宛」、第3水準1-84-80)ぎ離すと振り退けるようにして、突っ立った。
「武士の女房は、出陣にめめしゅうするものでない。笑うて送ってくれい。――これりかも知れぬ良人おっとの舟出とすれば、なおさらのことぞ」

十一


 傍らに人はいた。
 けれど、二人のわずかな間の語らいを、さまたげる者はいなかった。
「――では」
 武蔵は、彼女の背から手を離した。お通はもう泣いていなかった。
 いや、いて、微笑ほほえんで見せようとさえしながら、わずかにやっと、涙をこらえとめて、
「……では」
 と、同じ言葉で。
 武蔵は起つ。
 彼女も、よろりと、起った。――傍らの樹を力に。
「おさらば」
 いうと、武蔵は、大股おおまたに浜辺の波際なみぎわへ向って歩みだした。
 お通は……のどまでつき上げて来た最後のことばを、その背へ、遂にいえなかった。なぜならば、武蔵が背を向けたはずみに、
(もう泣くまい)
 と、していた涙が、滂沱ぼうだとなって、武蔵の姿すら見えなくなってしまったからである。
 岸に立つと、風がつよい。
 武蔵のびんの毛を、たもとを、はかまのすそを、潮の香のつよい風が颯々さっさつなぐって通った。
「佐助」
 そこにある小舟へ呼ぶ。
 佐助は、初めて振り向いた。
 さっきから、彼は武蔵の来たことを知っていたが、わざと、小舟の中で、あらぬかたへ、眼をやっていたのだった。
「お。……武蔵様。もうよろしいのでございますか」
「よし。舟を、もう少し寄せてくれい」
「ただ今」
 佐助は、繋綱もやいを解き、さおを抜いて、その棹で、浅瀬を突いた。
 ひら――と、武蔵の身が、そのみよしへ跳び移った時である。
「――あっ。あぶない、お通さんっ」
 松の陰で、声がした。
 城太郎である。
 彼女と共に、姫路からついて来た青木城太郎だった。
 城太郎も、一目、師の武蔵に――と志して来たのであったが、最前からの様子に、出るしおを失って、樹陰のあたりに、やはりあらぬ方へ眼をやったまま――たたずんでいたものらしかった。
 ところが今。武蔵が、足を大地から離して、舟の人となったかと見えた途端に、何思ったかお通が、水へ向って、まっしぐらに駈け出したので、城太郎は、もしやと直ぐ気をまわして、
(あぶない!)
 と、思わず、追いかけながら叫んでしまったものだった。
 彼が、彼ひとりの臆測で、あぶないと呶鳴ったために、権之助も、ばばも、すべてがお通の気もちを、咄嗟とっさ穿きちがえたものらしく、
「あっ……どこへ」
「短慮な」
 と、左右からあわただしく駈け寄るなり、三人して、しかと、抱き止めてしまった。
「いいえ。いいえ」
 お通は、静かに顔を振ってみせた。
 肩で、息こそあえいでいるけれど、決して、そんな浅慮あさはかなことを――と笑ってみせるように、抱き支えた人々へ、安心を乞うた。
「どう……どうしやるつもりか……?」
「坐らせて下さいませ」
 声も静かである。
 人々は、そっと手を離した。するとお通は、波打際から遠くない砂地へ、折れるように坐った。
 しかし、襟元も、髪のほつれも、きりっと直して、武蔵の舟のみよしへ向い、
「お心措こころおきなく……。行っていらっしゃいませ」
 と、手をつかえていった。
 ばばも坐った。
 権之助も城太郎も――それにならってぴたと坐った。
 城太郎は遂に一言も、この際を、師と語ることもできなかったけれど、その時間だけ、お通に分け与えたのだと思うと、くやむ気もちは少しも起らなかった。

魚歌水心ぎょかすいしん



 潮は上げているさかりだった。
 海峡の潮路は、激流のようにはやい。
 風は追手。
 赤間あかませきの岸を離れた彼の小舟は、時折、真っ白なしぶきをかぶった。佐助は、きょうのを、ほまれと思っていた。漕ぐ櫓にも、そうした気ぐみが見えた。
「だいぶかかろうな」
 行くてを眺めながら、武蔵がいう。
 舟の中ほどに、彼は、膝広く坐っていた。
「なあに、この風と、この潮なら、そう手間はとりません」
「そうか」
「ですが――だいぶ時刻が遅れたようでございますが」
「うむ」
「辰の刻は、とうに過ぎました」
「左様――。すると船島へ着くのは」
の刻になりましょう。いや巳の刻過ぎでございましょうよ」
「ちょうどよかろう」
 その日――
 巌流も仰ぎ、彼も仰いでいた空は、あくまで深いあおさだった。そして長門ながとの山に白い雲が、旗のように流れているほか、雲の影もなかった。
 門司もじせきの町屋、風師山かざしやまの山のしわも、明らかに望まれた。そこら辺りに群れのぼって、見えぬものを見ようとしている群衆が、ありのかたまりのように黒く見える。
「佐助」
「へい」
「これを貰ってよいか」
「何です」
「舟底にあったかいの割れ」
「そんな物――要りはしませんが、どうなさいますんで」
「手頃なのだ」
 武蔵は、かいを手に取っていた。片手に持って、眼から腕の線へ水平に通して見る。幾分、水気をふくんでいるので、木の質は重く感じる。櫂の片刃にげが来て、そこから少し裂けているので、使わずに捨ててあった物らしい。
 小刀を抜いて、彼は、それを膝の上で、気に入るまで削り出した。他念のない容子ようすである。
 佐助でさえ、心にかかって、幾度も幾度も赤間ヶ関の浜を――平家松のあたりを目じるしに――振り向いたことなのに、この人には、微塵みじん、後ろ髪をひかれる風は見えない。
 いったい、試合などへ臨む者は、皆、こういう気持になるものだろうか。佐助の町人からた考えでは、あまりに冷た過ぎるようにさえ思える。
 櫂が削り終えたとみえ、武蔵ははかまたもとの木屑を払って、
「佐助」
 と、また呼ぶ。
「――なんぞ、着る物はあるまいか、みのでもよいが」
「お寒いのでございますか」
「いやふなべりからしぶきがかかる。背中へかけたいのだ」
「てまえの踏んでいる艫板ともいたの下に、綿入れが一枚、突っこんでありますが」
「そうか。借りるぞ」
 佐助の綿入れを出して、武蔵は背へ羽織った。
 まだ船島は、かすんでいた。
 武蔵は、懐紙を取り出して、紙縒こよりを作り始めた。幾十本か知れぬほどっている。そしてまた、二本よりい合せて、長さを測り、たすきにかけた。
 紙縒襷こよりだすきというのは、むずかしい口伝くでんがあるものとか聞いていたが――佐助が見ていたところでは、ひどく無造作に見えたし、また、その作りかたのはやいのと、襷にまわした手際のきれいなのに、眼をみはった。
 武蔵は、その襷に、潮のかからぬよう、ふたたび、綿入れを上から羽織って、
「あれか、船島は」
 はや間近に見えて来た島影を指して訊ねた。


「いえ。あれやあ母島の彦島ひこじまでございます。船島は、もう少し行かないと、よくお分りになりますまい。彦島の北東に、五、六町ほど離れて、のようにひらたく在るのがそれで――」
「そうか。この辺りに、幾つも島が見えるので、どれかと思うたが」
六連むつれ藍島あいじま白島しらしまなど――その中でも船島は、小さい島でございます。伊崎、彦島の間が、よくいう音渡おんど迫門せとで」
「西は、豊前ぶぜん大里だいりの浦か」
「左様でございます」
「思い出した――この辺りの浦々や島は、元暦げんりゃくの昔、九郎判官殿はんがんどのや、たいら知盛卿とももりきょうなどの戦の跡だの」
 こういう話などしていて一体いいものだろうか。自分の漕ぐに、舟が進んで行くにつれ、佐助は、ひとりでに先刻さっきから、はだえあわを生じ、気はたかまり、胸は動悸してならないのである。
 自分が試合するのではなし――と思ってみても、どうにもならなかった。
 きょうの試合は、どっち道、死ぬか生きるかの戦である。今乗せてゆく人を、帰りに乗せて帰れるかどうか――。乗せてもそれは、惨たる死骸であるかも知れないのだ。
 佐助には、分らなかった。武蔵のあまりにも淡々とした姿が。
 空をゆく一片ひとひらの白雲。
 水をゆく扁舟へんしゅうの上の人。
 同じようにすら見えるのであった。
 だが、佐助の眼にも、そう怪しまれるほど、武蔵は、この舟が目的地へくあいだ、何も考えることがなかった。
 彼はかつて、退屈というものを知らずに生活して来たが、この日の、舟の中では、いささか退屈をおぼえた。
 かいも削ったし、紙縒こよりれたし――そして考える何事も持たない。
 ふと。
 ふなべりから真っ蒼な海水の流紋に眼を落して見る。深い、底知れず深い。
 水は生きている。無窮むきゅうの生命を持っているかのようである。しかし、一定の形を持たない。一定の形にとらわれているうちは、人間は無窮の生命は持ち得ない。――真の生命の有無は、この形体を失ってからの後のことだと思う。
 眼前の死も生も、そうした眼には、泡沫に似ていた。――が、そういう超然らしい考えがふと頭をかすめるだけでも、体じゅうの毛穴は、意識なく、そそけ立っていた。
 それは、ときどき、冷たい波しぶきに吹かれるからではない。
 心は、生死を離脱したつもりでも、肉体は、予感する。筋肉がまる。ふたつが合致しない。
 心よりは、筋肉や毛穴が、それを忘れている時、武蔵の脳裡にも、水と雲の影しかなかった。

「――見えた」
「おお――ようやく、今頃」
 船島ではない。そこは彦島の勅使待てしまちうらであった。
 約三、四十名の侍が、漁村の浜辺にむらがって、先刻さっきから海上をながめ合っていた。
 この者たちは皆、佐々木巌流の門人であり、その大半以上が、細川家の家中であった。
 小倉の城下に、高札が立つと直ぐ、当日の船止めの先を越して、島へ渡ってしまったのである。
(万が一にも、師の巌流先生が敗れた時は、武蔵を、生かして島から帰すまいぞ)
 と、ひそかに、めいを結んだともがらが、藩の布令ふれをも無視して、二日も前から、船島へ上がってきょうを待ち構えていた。
 だが、今朝になって。
 長岡佐渡、岩間角兵衛などの奉行ぶぎょうや、また、警備の藩士たちがそこへ上陸するに及んで、すぐ発見され、きびしく不心得をさとされて、船島から隣り島の――彦島の勅使待てしまちへと、追い払われてしまったものだった。


 その日の禁令上、試合に立会う役人側では、そういう処置を取ったものの、しかし、藩士の八分までは、当然、同藩の巌流に勝たせたいと祈っていたし、また、師を思うの余りから、そういう行動に出た門下たちに、はらでは同情もよせていた。
 で、一応。
 役儀上、彼らを船島からは追い払ったものの、すぐ側の彦島へ移っていることなら、不問に済ましておく考えだった。
 なお。
 試合がすんで――
 万一にも、巌流のほうが打ち負けた場合は、それも船島の上では困るが、船島を武蔵が離れてからならば、師の巌流の雪怨せつえんという意趣から、どういう行動に出ようとも――それは自分らのかかわり知ったことではない。
 ――というのが、処置を取った役人側のいつわらぬ肚だった。
 彦島へ移った巌流の門下たちはまた、それを見抜いている。そこで彼らは、漁村の小舟を狩り集め、約十二、三のへさき勅使待てしまちうらへ着けておいた。
 そして、試合の様子を、直ぐここへ報知する伝令を、山の上に立たせておき、万一の場合には、すぐ三、四十人が各※(二の字点、1-2-22)小舟で海上へ出て、武蔵の帰路をさえぎり、陸路へ追跡して討ち取るなり、場合によっては、彼の舟をくつがえして、海峡の底に葬り去ってしまおうとも――しめし合せていたのだ。
「――武蔵か」
「武蔵だ」
 呼び交わして、彼らは、小高い所へ駈け上がったり、手をかざして、真昼ののぎらぎら反射する海面へ、眸をこらしていた。
「船往来は、今朝から止まっている。武蔵の舟にちがいない」
「一人か」
「一人のようだ」
「つくねんと、何か羽織って坐っておるぞ」
「下へ、小具足こぐそくでも着けて来たものだろう」
「何せい、手配をしておけ」
「山へ、行ったか。見張に――」
「登っている。大丈夫」
「では、われわれは、舟のうちへ」
 いつでも、綱を切れば、漕ぎ出られるように、三、四十名の者達は、どやどやと、思い思いに小舟へかくれた。
 舟には、一筋ずつの長槍も伏せてあった。物々しい扮装振いでたちぶりは、巌流よりも、また、武蔵よりも、その人々の中に見られた。
 ――一方。
 武蔵見えたり!
 という声は、そこのみでなく、同じ頃に、船島にも当然伝わっていた。
 ここでは。
 波の音、松の声、雑木や姫笹ひめざさそよぎもじって、全島、今朝から人もないような気配だった。
 気のせいか、蕭殺しょうさつとして、それが聞えた。長門ながと領の山からひろがった白雲が、ちょうど中天の太陽を時折かすめて、陽がかげると、全島の樹々やしののそよぎが、暗くなった。――と思うと、一瞬にまた、くわっと陽が照った。
 島は、近寄って見ても、極めて狭い。
 北はやや高く丘をなして、松が多い。そこから南のふところが、平地から浅瀬となったまま海面へのめりこんでいる。
 その丘ふところの平地から磯へかけて、きょうの試合場と定められていた。
 奉行ぶぎょう以下、足軽までの者は、磯からかなりへだたった所に、樹から樹へ、幕をめぐらし、りをひそめていた。巌流は藩籍に在る者であり、武蔵はる所ない者なので、それが相手方への威嚇いかくにならない程度には、心して控えている陣容だった。
 しかし約束の時刻が、もう一刻以上も過ぎていること。
 二度も、ここからの飛脚舟で催促をやってあることなどで、静粛なうちにも、やや焦躁と反感とを一様に抱いていた所である。
「武蔵どの! 見えましたっ」
 絶叫しながら、磯に立って見ていた藩士が、遠い床几しょうぎと幕の見える方へ駈けて行った。


「――来たか」
 岩間角兵衛は、思わずいって、床几から伸び上がった。
 彼は、きょうの立会人として、長岡佐渡と共に、派遣されて来た役人ではあるが、彼がきょうの武蔵を相手とする人間ではない。
 しかし、口走った感情は、自然の流露であった。
 彼のわきに控えていた従者や下役の者も、皆、同じ眼色を持って、
「お! あの小舟だ」
 と、一緒に起ち上がった。
 角兵衛は、公平なる藩役人の身として、すぐその非に気づいたらしく、
「控えろ」
 と、まわりの者をいましめた。
 じっと、自分も、腰をすえた。――そして静かに、巌流のいるほうへ流し目を送った。
 巌流のすがたは見えなかった。ただ、山桃の樹四、五本のあいだに、龍胆りんどうの紋のついた幕がひらめいていた。
 幕のすそには、青竹ののついた柄杓ひしゃくを添えた新しい手桶が一箇あった。だいぶ早目に島へ着いた巌流は相手の来る時刻が遅いので、さっき、水桶の水をのんでいた。そしてとばりの陰で休息していたが、今は、そこに見当らなかった。
 そのとばりを挟んで、少し先の土坡どばの向う側には、長岡佐渡の床几場しょうぎばがあった。
 ひとかたまりの警固の士と、彼の下役と、彼の従者として伊織がわきに控えていた。
 今――武蔵どのが見えた! という声を触れながら、磯のほうから一人が駈けて、警備の中にはいり込むと、伊織の顔いろは、唇まで白くなった。
 正視したまま、動かずにいた佐渡の陣笠が、自分のたもとを見るように、ふと横を見――
「伊織」
 と、低声こごえでよんだ。
「……はっ」
 伊織は、指をついて、佐渡の陣笠のうちを見上げた。
 足もとからふるえてくるような全身のおののきを、どうしようもなかった。
「伊織――」
 もいちど、その眼へ、じっといって、佐渡はおしえた。
「よう、見ておれよ。うつろになって、見のがすまいぞ。――武蔵どのが、一命をさらして、そちへ伝授して下さるものと思うて今日は見ておるのだよ」
「…………」
 伊織は、うなずいた。
 そしていわれた通り、眼をきょのようにみはって、磯のほうへ向けていた。
 磯まで、一町の余はあろう。波打際の白いしぶきが、眼にむほどだったが、人影といっては、小さくしか見えないのである。試合となっても、実際の動作、呼吸などを、つぶさに目撃するわけにはゆかない。――しかし、佐渡がよく見よとおしえたのは、そういうわざの末のことではあるまい。人と天地との微妙な一瞬ひとときの作用を見よといったのだろう。また、こういう場所に臨むもののふの心構えというものを、後学のため、遠くからでもよく見届けておけといったのであろう。
 草の波が寝ては起きる。青い虫がときおりとぶ。まだひよわい蝶が、草を離れ、草にすがっては、何処いずこともなく去ってゆく。
「――ア。あれへ」
 磯の先へ、徐々と、近づいて来た小舟が、伊織の眼にも、今見えた。時刻はちょうど、規定の刻限よりも遅れること約一とき――の下刻(十一時)ごろと思われた。
 しいんと、島の内は、真昼の陽だけにひそまり返っていた。
 その時、床几場しょうぎばのあるすぐ後ろの丘から、誰やら降りて来た。佐々木巌流であった。待ちしびれていた巌流は、小高い山に上って、独り腰かけていたものとみえる。
 左右の立会役たちあいやくの床几へ礼をして巌流は、磯のほうへ向い、静かに、草を踏んで歩み出していた。


 陽は、中天に近かった。
 小舟が、島の磯近くへ入ってくると、幾ぶん入江になっているせいか、波は細やかになり、浅瀬の底は青く透いてみえた。
「――どの辺へ?」
 の手をゆるめながら、佐助は磯を見まわして訊ねた。
 磯には、人影もなかった。
 武蔵は、かぶっていた綿入れを脱ぎ捨てて、
「真っ直に――」
 と、いった。
 へさきはそのまま進んだ、けれど佐助の櫓の手は、どうしても大きく動かなかった。――じゃくとして、人影も見えない島には、ひよどりが高く啼いていた。
「佐助」
「へい」
「浅いなあ、この辺は」
「遠浅です」
「むりに漕ぎ入れるには及ばぬぞ。岩に舟底を噛まれるといけない。――潮は、やがてそろそろ退潮ひきしおともなるし」
「……?」
 佐助は答えを忘れて、島の内の草原へ、眼をこらしていた。
 松が見える。地味ちみの痩せをそのまま姿にしているひょろ長い松だ。――その木陰に、ちらと、猩々緋しょうじょうひ袖無そでなし羽織のすそがひらめいていた。
 ――来ている! 待構えている。
 巌流の姿があれに。
 と、指さそうとしたが、武蔵の様子をうかがうと、武蔵の眼もすでにそこへ行っている。
 ひとみを、そこに向けながら、武蔵は、帯に挟んで来た渋染しぶぞめ手拭てぬぐいをぬいて、四つに折り、頻りに潮風にほつれる髪を撫で上げて鉢巻した。
 小刀は前に帯び、大刀は、舟の中へ置いてゆくつもりらしく――そして、飛沫しぶきに濡れぬ用意に、むしろを着せて、舟底へ置いた。
 右手には、かいを削って木剣とした手作りのそれを握った。そして舟から起ち上がると、
「もうよい」
 と、佐助へいった。
 ――だが。
 まだ磯の砂地までは、水面二十けんもあった。佐助は、そういわれてから、二ツ三ツ大きく櫓幅ろはばを切った。
 舟は、急激に、ググッーと突き進んで、とたんに浅瀬を噛んだものとみえる。舟底がどすんと持ち上がったように鳴った。
 左右のはかまもすそを、高く※(「塞」の「土」に代えて「衣」、第3水準1-91-84)かかげていた武蔵は、そのはずみに、海水の中へ、軽く跳び下りていた。
 飛沫しぶきも上がらないほど、どぼっと、すねの隠れるあたりまで。
 ざぶ!
 ざぶ!
 ざぶ……
 かなり早い足で、武蔵は、地上へ向って歩き出した。
 引っ提げているかいの木剣の切っ先も、彼の蹴る白い水泡みなわと共に、海水を切っている。
 五歩。
 ――また十歩と。
 佐助ははずしたまま、後ろ姿を自失して見ていた。毛穴から頭のしんまで寒気立って、どうすることも忘れていたのである。
 と、その時。
 はっと、彼は息づまるような顔をした。彼方のひょろ松の陰から、の旗でも流れて来るように巌流のすがたが駈けて来たのである。大きな業刀わざもののぬりざやが陽をね返し、銀狐ぎんこの尾のように光って見えた。
 ……ざ。ざ。ざッ。
 武蔵の足は、まだ海水の中を歩いていた。
 早く!
 と、彼が念じていたのも空しく、武蔵が磯へ上がらぬ間に、巌流の姿は水際みずぎわまで駈け寄っていた。
 しまった――と思うと共に、佐助はもう見ていられなかった。自分が真二つにされたように、舟底へしてふるえていた。


「武蔵か」
 巌流から呼びかけた。
 彼は、せんを越して、水際に立ちはだかった。
 大地を占めて、一歩も敵にゆずらぬように。
 武蔵は、海水の中に踏み止まったまま、いくぶん、微笑ほほえみをもったおもてで、
「小次郎よな」
 と、いった。
 かいの木剣の先を、浪が洗っている。
 水にまかせ、風にまかせ、ただその一木剣があるだけの姿だった。
 しかし――
 渋染の鉢巻に幾分つりあがったまなじりはすでにふだんの彼のものではない。
 射るという眼はまだ弱いものであろう。武蔵の眼は吸引する。湖のように深く、敵をして、自己の生気を危ぶませるほど吸引する。
 射る眼は、巌流のものだった。双眸そうぼうの中を、にじが走っているように、殺気の光彩が燃えている、相手を射竦いすくめんとしている。
 眼は窓という。思うに、ふたりの頭脳の生理的な形態が、そのまま巌流のひとみであったであろう、武蔵の眸であったにちがいない。
「――武蔵っ」
「…………」
「武蔵っ!」
 二度いった。
 沖鳴りが響いてくる。二人の足もとにもうしおが騒いでいた。巌流は、答えない相手に対して、勢い声を張らないでいられなかった。
おくれたか。策か。いずれにしても卑怯ひきょうと見たぞ。――約束の刻限はく過ぎて、もう一刻ひとときの余も経つ。巌流は約をたがえず、最前からこれにて待ちかねていた」
「…………」
「一乗寺下り松の時といい、三十三間堂の折といい、常に、故意に約束のときをたがえて、敵の虚を突くことは、そもそも、汝のよく用いる兵法の手癖だ。――しかし、きょうはその手にのる巌流でもない。末代ものわらいのたねとならぬよういさぎよく終るものと心支度して来い。――いざ来いっ、武蔵!」
 いい放った言葉の下に、巌流は、こじりを背へ高く上げて、小脇に持っていた大刀物干竿ものほしざおを、ぱっと抜き放つと一緒に、左の手に残った刀のさやを、浪間へ、投げ捨てた。
 武蔵は、耳のないような顔をしていたが、彼の言葉が終るのを待って――そしてなお、磯打ち返す波音の間をいてから――相手の肺腑はいふへ不意にいった。
「小次郎っ。負けたり!」
「なにっ」
「きょうの試合は、すでに勝負があった。汝の負けと見えたぞ」
「だまれっ。なにをもって」
「勝つ身であれば、なんでさやを投げ捨てむ。――鞘は、汝の天命を投げ捨てた」
「うぬ。たわ言を」
「惜しや、小次郎、散るか。はや散るをいそぐかっ」
「こ、来いッ」
「――おおっ」
 答えた。
 武蔵の足から、水音が起った。
 巌流もひと足、浅瀬へざぶと踏みこんで、物干竿をふりかぶり、武蔵の真っ向へ――と構えた。
 が、武蔵は。
 一条の白い泡つぶを水面へ斜めに描いて、ザ、ザ、ザと潮を蹴上げながら、巌流の立っている左手の岸へ駈け上がっていた。


 水を切って岸へ、斜めに、武蔵が駈け上がったのを見ると、巌流は、波打際の線に添って、その姿を追った。
 武蔵の足が、水を離れて磯の砂地を踏んだのと、巌流の大刀が――いや飛魚のような全姿が、
ッ」
 と、敵の体へ、すべてを打ち込んだのと、ほとんど、同時であった。
 海水から抜いた足は重かった。武蔵はまだ戦う体勢になかった瞬間のように見えた。物干竿の長剣が、自己のうえに、ひゅっ――と来るかと感じた時、彼のからだはまだ、駈け上がって来たまま、いくぶんか前のめりに屈曲していた。
 ――が。
 櫂削かいけずりの木剣は、両の手で、右の小脇から背へ隠すように深く、横へ構えられていた。
「……ムむ!」
 といったような――武蔵の声なきものが、巌流のおもてを吹いた。
 頂天から斬り下げて行くかと見えた巌流の刀は、頭上に鍔鳴つばなりをさせたのみで、武蔵の前へ約九尺ほども寄ったところで、却って、自身から横へぱっと身をらしてしまった。
 不可能をさとったからである。
 武蔵の身は、いわおのように見えた。
「…………」
「…………」
 当然、双方の位置は――その向きを変えている。
 武蔵は、居所いどころのままだった。
 水の中から、二、三歩あがったままの波打際に立って、海を背後うしろに、巌流のほうへ向き直った。
 巌流は、その武蔵に直面し――また、前面の大海原に対して、長剣物干竿を諸手もろてりかぶっていた。
「…………」
「…………」
 こうして、二人の生命は今、完全な戦いの中に呼吸し合った。
 元より武蔵も無念。
 巌流も、無想。
 戦いの場は、真空であった。
 が、波騒なみざいの外――
 また、草そよぐ彼方の床几場しょうぎばの辺り――
 ここの真空中の二つの生命を、無数の者が今、息もつかずに見まもっていたに違いなかった。
 巌流のうえには、巌流を惜しみ、巌流を信じる――幾多の情魂やいのりがあった。
 また、武蔵のうえにもあった。
 島には、伊織や佐渡。
 赤間ヶ関のなぎさには、お通やばばや権之助や。
 小倉の松ヶ丘には、又八や朱実なども。
 その各※(二の字点、1-2-22)が、ここを見る目もとどかない所から、ひたすら、天を祈っていた。
 しかし、ここの場所には、そういう人々の祈りも涙も加勢にはならなかった。また、偶然や神助もなかった。あるのは、公平無私な青空のみであった。
 その青空の如き身になりきることがほんとの無念無想のすがたというのであろうか、生命いのち持つ身に容易になれないことは当然である。ましてや、白刃対白刃のあいだでは。
「――――」
「――――」
 ふと。おのれッと思う。
 満身の毛穴が、心をよそに、敵へ対して、針のようにそそけ立ってまない。
 筋、肉、爪、髪の毛――およそ生命に附随しているものは、睫毛まつげひとすじまでが、みなげて、敵へ対し、敵へかかろうとし、そして自己の生命を守りふせいでいるのだった。その中で、心のみが、天地と共に澄みきろうとすることは、暴雨あらしの中に、池の月影だけ揺れずにあろうとするよりも至難であった。


 長い気もちのする――しかし事実はきわめて短い――寄せ返す波音の五たびか六たびも繰り返すあいだであったろうか。
 やがて――という程の間もないうちにである。大きな肉声は、その一瞬ひとときを破った。
 それは、巌流のほうから発したものだったが、殆ど、同音になって、武蔵の体からも声が出た。
 いわおった怒濤のように、二つの息声そくせいが、精神の飛沫しぶきを揚げ合ったとたんに、中天の太陽をも斬って落すような高さから、長刀物干竿の切っ先は、細い虹をひいて、武蔵のまッ向へ跳んで来た。
 武蔵の左の肩が――
 その時、前下がりにかわった。腰から上の上半身も、平面から斜角しゃかくに線を改めた時、彼の右足は、すこし後ろへ引かれていた。そして諸手もろてかいの木剣が、風を起してうごいたのと、巌流の長剣が、切っ下がりに、彼の真眉間まみけんを割って来たのと、そこに差というほどの差は認められなかった。
「…………」
「…………」
 ぱっと、もつれた一瞬の後は、ふたりの呼吸が磯の波よりは高かった。
 武蔵は、波打際から、十歩ほど離れて、海を横にし、跳びのいた敵を、かいの先に見ていた。
 櫂の木剣は、正眼せいがんに持たれ、物干竿の長剣は、上段に返っていた。
 しかし、ふたりの間隔は、相搏あいうった一瞬に、おそろしく遠退とおのいていた。長槍と長槍とでも届かないくらいな間隔にわかれていたのである。
 巌流は、最初の攻勢に、武蔵の一髪も斬ることはできなかったが、地の利は、思うように占め直したのである。
 武蔵が、海を背にして、動かなかったのは、理由があったことである。真昼の中の陽は海水につよく反射して、それにむかっている巌流に取っては、はなはだしい不利だったのだ。もし、その位置のまま武蔵の守勢に対して、ぐっと対峙たいじしていたら、たしかに、武蔵よりも先に精神も瞳もつかれてしまったに違いないのである。
 ――よしっ。
 思うように、地歩を占め直した彼は、すでに武蔵の前衛を破ったかのような意気を抱いた。
 と――巌流の足はじりじりと小刻みに寄って行った。
 間隔をつめて行く間に敵の体形のどこに虚があるかを、同時に、自己の金剛身こんごうしんをかためて行くべく、それは当然な小刻みの足もとだった。
 ところが、武蔵は、彼方あなたからずかずかと歩み出して来た。
 巌流の眼の中へ、かいの先を突っ込むように、正眼に寄って来たのである。
 その無造作に、巌流が、はっと詰足つめあしを止めた時、武蔵の姿を見失いかけた。
 櫂の木剣が、ぶんと上がったのである。六尺ぢかい武蔵の体が、四尺ぐらいにちぢまって見えた。足が地を離れると、その姿は、ちゅうのものだった。
「――あッつ」
 巌流は、頭上の長剣で、大きく宙を斬った。
 その切っ先から、敵の武蔵がひたいを締めていた柿色の手拭が、二つにれて、ぱらっと飛んだ。
 巌流の眼に。
 その柿色の鉢巻は、武蔵の首かと見えて飛んで行った。血とも見えて、ッと、自分の刀の先からね飛んだのであった。
 ニコ、と。
 巌流の眼は、楽しんだかも知れなかった。しかし、その瞬間に、巌流の頭蓋は、櫂の木剣の下に、小砂利のように砕けていた。
 磯の砂地と、草原の境へ、仆れた後の顔を見ると、自身が負けた顔はしていなかった。唇の端から、こんこんと血こそ噴いていたが、武蔵の首は海中へ斬って飛ばしたように、いかにも会心らしい死微笑しびしょうを、キュッと、その唇ばたにむすんでいた。


「――ア。アッ」
「巌流どのが」
 彼方の床几場しょうぎばのほうで、そうした声が、さっと流れた。
 われを忘れて。
 岩間角兵衛も起ち、そのまわりの者も、悽惨な顔をそろえて、伸び上がった。――が、すぐわきの、長岡佐渡や伊織たちのいる床几場のひとかたまりが、自若じじゃくとしているのを見て、いて平静をよそおいながら、角兵衛もその周囲も、じっと、動かないことに努めていた。
 が――おおいようもない敗色と、滅失の惨気が、巌流の勝ちを信じていた人々のうえを包んだ。
「……?」
 しかもなお、未練や煩悩は、そこまでの現実を見ても、自分らの眼のあやまりではないか――と疑うように、生つばをのんで、しばしは放心していた。
 島の内は、一瞬の次の一瞬も、人なきように、ひそまり切っていた。
 無心な松風や草のそよぎが、ただにわかに、人間の無常観をふくだけだった。
 ――武蔵は。
 一朶いちだの雲を、見ていた。ふと見たのである、われに返って。
 今は雲と自身とのけじめを、はっきり意識にもどしていた。遂にもどらなかった者は、敵の巌流佐々木小次郎。
 足数にして、十歩ほど先に、その小次郎はせにたおれている。草の中へ、顔を横にふせ、握りしめている長剣のつかには、まだ執着の力が見える。――しかし苦しげな顔では決してない。その顔を見れば、小次郎は自己の力を挙げて、善戦したという満足がわかる。戦に戦いきった者の顔には、すべて、この満足感があらわれているものである。そこに残念――と思い残しているような陰は少しも見当らない。
 武蔵は、斬れ落ちている自分の渋染しぶぞめの鉢巻に眼を落して、肌にあわを生じた。
「生涯のうち、二度と、こういう敵と会えるかどうか」
 それを考えると、卒然そつぜんと、小次郎に対する愛惜と、尊敬を抱いた。
 同時に、敵からうけた、恩をも思った。剣をっての強さ――単なる闘士としては、小次郎は、自分より高い所にあった勇者に違いなかった。そのために、自分が高い者を目標になし得たことは、恩である。
 だが、その高い者に対して、自分が勝ち得たものは何だったか。
 わざか。天佑てんゆうか。
 否――とは直ぐいえるが、武蔵にも分らなかった。
 ばくとした言葉のままいえば、力や天佑以上のものである。小次郎が信じていたものは、技や力の剣であり、武蔵の信じていたものは精神の剣であった。それだけの差でしかなかった。
「…………」
 もくねんと、武蔵は、十歩ほどあるいた。小次郎の体のそばに膝を折った。
 左の手で小次郎の鼻息びそくをそっと触れてみた。微かな呼吸がまだあった。武蔵はふと眉を開いた。
「手当に依っては」
 と、彼の生命に、一の光を認めたからである。と同時に、かりそめの試合が、この惜しむべき敵を、この世から消し去らずに済んだかと、心もかろく覚えたからであった。
「……おさらば」
 小次郎へも。
 彼方の床几場の方へも。
 そこから手をついて、一礼すると武蔵の姿は、一滴の血もついていないかいの木太刀をげたまま、さっと北磯のほうへ走り、そこに待っていた小舟の中へ跳びのってしまった。
 どこへ指して、どこへ小舟は漕ぎ着いたか。
 彦島に備えていた巌流方の一門も、彼を途中にようして師巌流の弔合戦とむらいがっせんに及んだというはなしは遂に残っていない。
 生ける間は、人間から憎悪や愛執あいしゅうは除けない。
 時は経ても、感情の波長はつぎつぎにうねってゆく。武蔵が生きている間は、なおこころよしとしない人々が、その折の彼の行動を批判して、すぐこういった。
「あの折は、帰りの逃げ途も怖いし、武蔵にせよ、だいぶ狼狽しておったさ。何となれば、巌流に止刀とどめを刺すのを忘れて行ったのを見てもわかるではないか」――と。
 波騒なみざいは世の常である。
 波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚ざこは歌い雑魚ざこは躍る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。水のふかさを。





底本:「宮本武蔵(七)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1990(平成2)年1月11日第1刷発行
   2002(平成14)年12月5日第37刷発行
   「宮本武蔵(八)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1990(平成2)年1月11日第1刷発行
   2003(平成15)年1月30日第37刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※副題は底本では、「円明えんみょうの巻」となっています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年12月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について


●図書カード