さしあげた腕

レミ・ドゥ・グルモン Remy de Gourmont

上田敏訳




 見渡すかぎり、一面にあたまの海である。高くさし上げた腕の森が、波に半身を露はす浮標うきのやうに突出てゐる。跪いて祈る一大民衆だ。
 さし上げた腕の間から皆めいめいに上向うはむきの頭がみえる。海藻かいさう地衣こけがこの浮標うき垂下たれさがつてゐる。東から吹く風に、この髮の毛がふくらんで、おのづと拍子をとつて波動してゐる。それが、また、ひとつの祈にみえる。
 民衆は跪いてゐる。恐と望とに狂ひ歡ぶ無數の眼が髣髴として乳色の光を放ち天の一方にたなびいてゐる。多くの魂はこの眞珠の光を散らしてあまがはを登つて行く。さうして銀河白道ぎんがはくだうがその夜の色の桁、火の涙、血の黴の條理すぢめと共に、かなた至上高點に卷込まれて、消失せる處は、稻魂いなたまの光明に包まれた「五角」である。
「五角」は動く、車輪の如く、自身を軸にして囘轉する。其稜々かど/″\から發散する火焔は車輪のぐるりに卷きついてゐる。「五角」は無上の速力にて囘轉し、宇宙のはてまでも、燃立つ大氣の旋風せんぷうを傳へる。廣大無邊の旋渦おほうづの爲、朦朧として絶えず輪轉する波の上、※(「穴かんむり/果」、第3水準1-89-51)あなを脱け飛んだ眼球や燐の光を放つの殼が浚はれて浮きつ、沈みつ※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)もがいてゐる。
 跪いてゐる民衆は、今この神々しい光景けしきをみて、愛と恩謝とで身を顫はした。恭敬は衆人の胸中にひれ伏し、謙遜は、其體内で、生の破片こはれの中、扁石ひらいしの上に身を臥せる。かの旋風の猛威にも抵抗しえた白道の上に、多くの魂が跳上がる、遮二無二推しかける。火に燃えぬ石綿の微塵が眞珠の光を放つて、押し合ひ、へし合ひ、夜の色の桁を乘越え、火の涙を飛び、血の黴を泳ぎこしてゆくのが見える。…………

 車輪は回轉を止めた、五角形に戻つてくる。そのかど々は消えてゆく、圓になる、だんだん膨れてきた、こんだはきうだ。この光景けしきの神々しさは、先のに、をさをさ劣らない。腕は更に筋張つてさし上げられる。上向うはむきあたまはなほ一層屹となつて、無限の顏をぢつと睨み、その大威徳を見つめてゐる。白道の上を復、立籠める魂の塵屑は蟻集して衝天の勢を示し、清淨無垢の「きう」に照る清く澄みわたつた金色こんじきを威嚇してゐる。
 こゝに凡ての手、凡てのあたまは一齊に動搖する。先鋒に立つ蟻どもは、あの莊嚴な球の上に、汚斑しみの如く見え、間もなく其兩極を連ねて、多くの魂は一線を引いて了ふ。「きう」は暗くなつた。民衆は其神を克服したのである。
 下界には松明がひとつ、びとつ、燈がひとつ、びとつ、消えてゆく。腕も頭も中空なかぞらに失せる。唯ひとり敗殘のからだの上を吹過ぎる東の風が當來たうらいに向つて、生の原子の香を送るばかりだ。

 宇宙は眞暗である。まだ形もきまらずに茫然とした神は火の消えた釣燭臺つりしよくだいのやうに、暗闇の「三角」が自然に出來た。
 一切の魂は地上に歸つて來た。さうしてそれが粘泥ねんでいの上に落ちると、原子は其本體を中心にして集合する。東の風は地球を一周し了つて、生の原子の香を籠めて立歸つたからだ。

 松明にも燈にも火が點く。頭は上向になる。腕はさし上げられる。無意識の祈が乳色の光となつて、多形の理想を指して上がると、多くの魂は天の白道を登りはじめる。これから後、この上に吊下つりさがつてゐる。もう見物人が居ないから、無限は劇場の戸を閉ぢて了ふ――然し冥想して夢むらく、甞つて「五角」であつた、これから「三角」にならう。

 薄暗い「きう」は軸の上に囘轉する、漸々だん/″\膨れて來るやうだ。金色こんじきかどが肌の上に現はれる。無數の蟻はぽうつと明るくなつてきた宇宙の上に降りはじめる。きうはぱつと破裂する。その破片こはれが引力によつて中心に吸集されると、ひとつ道がかなた至上高點に卷込まれて消失せる處は、稻魂の光明に包まれた「三角」である。





底本:「上田敏詩集」玄文社詩歌部
   1923(大正12)年1月10日発行
※「回」と「囘」の混在は底本通りにしました。
入力:川山隆
校正:Juki
2012年7月10日作成
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