先日、
広瀬淡窓の名前は、前から聞いていたが、機会がなくて、今までその人となりや教育方針のことなどは何も知らなかった。それで
門弟四千名、その中からは、
幕末時代の交通機関のことを思えば、これはまことに驚くべき事実である。淡窓塾で、所定の学業を終えれば、学位がもらえて、それであと一生就職には困らない、というようなことももちろんなかったであろう。藩か
門下生たちは、純粋に学問を身につけるために、千里を遠しとせず、九州日田の山地にまで集って来たのである。今日もし肩書や就職を全然度外視して、四千人はおろか、四十人の門下生でも集め得る教育者があったら、それは一つの
ところで淡窓先生が、これら四千人の門下生に、どういう教育を施したかというに、今日のような技能的な教課を教えることは、もちろん出来なかった。
近年復古調になった日本では、アメリカの六三制を輸入したため、日本の教育は崩れた、淡窓流の人間教育も必要だ、という風なことをいう人もある。しかしそれはアメリカの六三制の実態を知らない人の言である。アメリカでは、六三制の最初の二つ、即ち義務教育であるところの小学校及び中学校では、教育の主眼は、人間教育におかれている。学問は大切なものではあるが、国家が義務として国民に負わすべきものではないという理念のもとに、義務教育では、主として道徳教育が施されている。そして初めの六三で、人間教育を一応すませたところで、高等および大学教育で、学問を教えようという考えである。
(昭和三十年七月二十一日)