粉雪

中谷宇吉郎




 われわれが日常ちゃんと決まった意味があるように思って使っている言葉の中には、科学的にはその意味が極めて漠然としたものがかなり沢山ある。この数年来雪の研究を始めてみて気が付いたのであるが、その種の言葉の良い例が「粉雪」である。
 北海道では、冬の初めと終わり頃には牡丹雪も降るが、真冬の間は殆ど粉雪ばかりであるというような事がよくいわれる。この場合の粉雪というのは牡丹雪に対する言葉であって、それは雪片の状態の名称とまず見るべきであろう。雪の結晶の中には普通よく写真に撮られているような六花状のものの外にいろいろ変わった形のもの、角柱状のものなど、非常に沢山の種類がある。
 これらの結晶が出来る場所の高度はいろいろな意味で重大な問題であるが、まだ充分によくはわかっていない。しかし少なくとも二、三千メートルぐらいのものであろう。これらの結晶はかなり落下速度の遅いものであって、六花樹枝状の結晶ならば一千メートルを落下するのに約一時間はかかる。それで高層で出来たこれらの結晶が落下して来る間に互いに衝突してくっつき合って、地上に来る時には数百ないし数千個集まったいわゆる雪片となって降って来るのである。これが普通は牡丹雪となる。風が無くて気温が高く雪の結晶が零度に近い温度にあると、触れ合った時容易たやすく付着するので雪片は大きくなるというふうに普通いわれている。しかし氷片が二つ触れ合った時にくっついてしまうという現象はかなり面倒な問題であって、その研究はあまり無いようである。ファラデーがその指示実験をして見せたという話が、チンダルの『アルプスの氷河』の中にある。こんなつまらぬと思われるような仕事が案外やられていないものである。
 それはとにかくとして、気温の高い地方での降雪が大形の牡丹雪になることは事実であって、土佐などでは稀に雪が降るのであるが、その時は径十センチ以上の牡丹雪となって降るという話を聞いたことがある。もっとも横浜での例で径十五センチくらいの雪片が降ったこともあるという記録もある。風が無くてあまり寒くない日、小さい団扇くらいの雪片がひらひらと降って来る景色はよほどのどかで楽しい眺めであろうと思われる。
 北海道の真冬の降雪はそれと反対に、極めて引き締まった感じの日が多い。風の無い夕方から小形の牡丹雪が降り始める日など、遠くの山も人家も薄鼠色に消えて行くのを背景に、真っ白く音も無く積もって行く。そのうちに一陣の風が来ると急に雪の形が変わって、今度は極めて細かい個々の結晶が、硼酸の結晶をまくように降って来る。何だか耳を澄ますと空でさらさらという音を立てているような感じである。こんな時の降雪の状態は粉雪ということになっているのであるが、この意味での粉雪は雪の結晶が個々の状態で降るというだけであって、その結晶形は六花樹枝状のものでも、角柱その他の形のものでもかまわないのである。
 風が強くていわゆる風雪となると雪の状態はまた全然変わってくる。普通に吹雪という時の雪の中には、地上に積もった雪が風で吹き上げられたものと、本当に降って来たものとが混じっている。この後者の雪もまた粉雪と呼ばれるものであるが、この場合の粉雪は必ずしも結晶が個々の状態で降っているものとは限らない。
 北海道の荒野の吹雪の景色ほど陰惨なものは無かろう。背の高いポプラの木が吹き折られそうに曲がり、人も馬も雪の中に埋まり、暗澹たる灰色の四囲の中をただ雪のみが横なぐりに吹いて殆ど水平に飛ぶ。このような時の雪の粒の一つを顕微鏡の下で調べて見ると、多くの場合は無定形である。時々樹枝状の結晶の枝の痕跡が見えることがあるが、全体としてはひどくちぢれ上がっていて、それに非常に小さい水滴が無数に着いているような形のものが多い。この水滴は大体直径百分の三ミリ程度のものであって、普通の雨雲の粒子と同程度の大きさのものである。
 この種類の粉雪の構造はまだ殆ど知られていないものであって、その研究をするには、風の機械力の作用がいかに雪の結晶を変形させるかという問題をまず解く必要がある。この研究は、高山の積雪表面に出来る風成雪殻の問題と関連して、スキー家達もぜひ知りたがっておられる問題であるが、自分の知っている範囲内では、この問題を雪の結晶の変形にまで遡って研究しようと試みた人は無いようである。
 今一つ全く別の意味で、或る特殊の雪の結晶を粉雪と呼ぶこともある。これも北海道での話であるが、夕方から急に気温がどんどん下がり、零下十何度という寒さにかてて加えて風もかなり強いというような晩のことである。外では鋭い風の音がしている。部屋の中でストーブに暖まって話をしているうちに、ふと立って廊下に出てみると、何処から吹き込んだかわからぬように一面に真っ白に水晶の粉のような雪がまかれている。かなり建て付けがよくなっていると思われるような硝子戸の隙からも、この種の粉雪は平気で舞い込むのである。博物館の陳列箱の中には、どのようにしっかりした箱にして置いても、永い年月の間には埃が溜って困るものである。その埃が目に見えぬくらいの隙間から侵入する理由は、温度の時間的変化によって箱の内部の空気が膨脹収縮するためによるものである由と聞いたことがある。
 雪の場合でも室内の空気が暖まって天井に逃げるために、この種の粉雪の侵入を促進しているのかも知れない。開拓使時代の民家では、普通われわれの階級の家だったら、朝目を覚まして見ると、夜具の上から肩にかけてこの種の粉雪がいっぱい積もっているのが普通だったという話である。この粉雪は外観上はうどん粉くらいの粒に見えるのであるが、その顕微鏡写真をとって見ると、非常に小さい角柱状の結晶の集合から成っている場合が多い。
 雪の結晶の二大別として平板状と角柱状とがよく挙げられる。角柱状のものは全部六角の柱になっていて、顕微鏡下では丁度水晶の結晶のような外観を示すものであるが、この種の粉雪の場合は、角柱が全体として非常に小さいばかりでなく、その背が低いために横から見ると四角形に見えるようなものが沢山集まって、それに極めて小さい平板状の結晶部分が付着している揚合が多いのである。このような場合に用いられる粉雪という言葉はそれで、結晶の種類の一つの名称であるといっても差し支え無いようである。
 以上に挙げたような意味での粉雪は、結局雪片または結晶の或るものを指しているのであるが、普通スキーヤーの喜ぶ粉雪というのは、これらとは全然意味が異なって、地表に積もった雪すなわち積雪の中の一種を呼ぶのに用いられているのである。停車場の告知板に「積雪一二〇センチ粉雪」と書いてあるあの粉雪である。この場合になるともはや雪の結晶は問題とならなくなる。それは、降った時こそ六花状や角柱状のいろいろの形をしている結晶も、永らく積雪となって地表に横たわっている間には、すっかり変形した氷の粒子となってしまうからである。気温が時々零度以上になるような地点では勿論のことであるが、氷点以下に保たれていても、結晶はどんどん変形するのである。それは個体の状態から直ちに気化してまた凝縮するという現象、物理学の方面でいわゆる昇華作用と呼ばれている現象のために、結晶の尖った部分が気化して凹んだ部分に凝縮し、結晶は全体として表面積が一番小さくなるように変形するのである。それで気温が零度以下に常に保たれているような地点では、積雪は氷の粒子の集積となるのである。
 滑らかな直滑降に、スキーの先端は水晶の粉を散らすように走り、後には高く雪煙りが揚がる。そのような雪質は理想的の粉雪である。気温が氷点下でも風が強いとその機械的作用のために、氷の粒子が互いに付着して固い殻を作り、いわゆる風成雪殻となるのであるが、その機構の研究は前にもいったようになかなか面倒な問題である。
 粉雪という言葉を雪質を表すものとして使うとすると、それは湿雪あるいは俗にべと雪という言葉に対照させてみるのが一番早道である。雪がさらさらするほど上質の粉雪で、べとつくほどスキーには適しなくなるのは周知のことであるが、このような問題を科学的に取り扱うとなるといまさらのように、「科学の言葉」の不足に悩むのである。粉雪の問題をもし物理的に取り扱うとすれば、まず「さらさらの度」を測る要素を見出さねばならぬのである。そしてその尺度で測ったさらさらの度合いが、スキー滑走の場合のいろいろな力学的要素を直接支配するか否かを調べてみて、もし直接の関係が見出されたら、初めてその尺度が求める粉雪の性質を表すものとして採用できるのである。そのためには、一方において粉雪中のスキー滑走の力学を調べねばならぬのであるが、この問題自身が故寺田寅彦先生のいわゆる「粉体の力学」の範囲に属する恐るべく困難な題目なのである。
 通常粉雪といって簡単に通っている言葉を何だか無理にむずかしく解釈しているようであるが、この種の問題を現在の物理学に結びつけようとすると、どうしてもこのような径路を採らなければならぬのである。このように考えると雪などが研究には最も面倒なもののようにも考えられるが、実際のところわれわれの周囲に現実に起こっているいろいろな現象や、平常不用意に使われている言葉などは大抵よく考えてみるとこの程度の厄介なものばかりのようにも思える。





底本:「日本の名随筆51 雪」作品社
   1987(昭和62)年1月25日第1刷発行
   1999(平成11)年2月25日第10刷発行
底本の親本:「雪雑記」朝日新聞社
   1977(昭和52)年7月
入力:門田裕志
校正:川山隆
2012年12月6日作成
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