科学と文化

中谷宇吉郎




 この頃自然科学上の色々の問題が、文科系統の学問をしている人々の口に度々のぼっているようである。自然科学が従来のように工業的方面にのみ利用されているのにあきたらず、もっと人間の精神活動の方面に、即ち広い意味での文化の向上に役立たせようという企ての一つの現れと思われる。
 この運動は科学者の方面と、文学者の一部と両方の側から進められているように見える。科学者の側からは、さかんに科学精神の発揚というようなことが唱えられるし、文学者の中には、最近の物理学の急激な発展のもたらした結果を文学やその人の「哲学」の基礎に導き入れようという試みをする人が出て来ている。この両方の企ては共に大変結構なことであり、また例えば田辺元たなべはじめ博士の如く立派なちゃんとした正道にのった議論をしている人も勿論もちろん沢山あるのであるが、中にはその意図が解しがたいものも沢山ある。
 その中で一番困るのは、何々と科学精神というような種類の論文であって、何より困ることは難しくて読んでも分らないことである。一時の左翼の論文のようにむやみと難しい言葉が沢山使ってあって、本当にいいたいことが、それらの難語の猛威に打ちくじかれて、砂利のかげすみれのようになってしまっていることが多い。その菫もどんな貧弱な花でもつけているのはまだよい方で、中には菫かすずめひえか分らぬようなものもある。もっともそれは読む方が悪いので、もっと教養を積んだらあのような論文が皆分るようになるのかも知れないが、そんなサンスクリットで書いた論文のようにごく少数の人にしか分らないものは、どんな卓説でもちょっと困るのである。
 次に言葉はそれほど難しくなくても、むやみと最近の物理学の尖端せんたんの問題、量子力学や原子論の結果を引用したものもちょっと始末が悪いのである。原子の世界での因果律の否定の問題とか、ハイゼンベルクの不確定原理とかいうものを「基礎」として色々の議論をしてあるものは、物理を職業としているわれわれでも専門がことなるために、これらの高遠な理論の本当の意味を解しかねているので、従ってそれを基礎とした議論の当否などは何とも批評が出来ないのである。卒直にいうと、これらの理論は眼新しくて、また非常に高遠に見えるので、余りよくは分らないが結論だけは間違いないだろうから、その結論の上に立って自分の議論を進めようという気持のようにも思われる。もしそれだったら科学というものの意味が本当に分っていないのではないかと危ぶまれる。科学は決してアルカロイドのようなものではなく、即ち極少量注射したら瀕死ひんしの病人が生き返るというようなものではなくて、実際は米かパンのようなもので、毎日べていて栄養のとれるものなのである。科学というものは、整理された常識なのである。もっともこんなことをいっては、この方面の議論をしておられる一部の文学者の叱責しっせきを買うかも知れない。それだったら文句なくかぶとをぬぐつもりである。物理学者が文学者と文章を用いて太刀打ちするのは対等の力では問題にならない。
 とにかく以上の議論を認めるとしたら、それでは自然科学を広い意味での文化の向上に役立たせるには差し当りどうしたら良いかという問題が残る。それに対しては極めて平凡であるが次のような解決があると思う。それは科学の既知の知識と、科学的の考え方との正常な普及をはかることである。もっともこのこと自身には誰も異論はないと思うが、困難はその実行にある。それで問題は科学の既知の知識と科学的な考え方との両者を広く間違いなく伝えるにはどういう方法を採ったら良いかという点にあるのである。その点について私見を述べるのが本文の目的なのであって、今までの所は実はどうでも良いことなのである。
 こういう意味での科学の普及には差し当り四つの方法が考えられる。第一は科学の既知の知識の普及は教科書などに譲って、主として科学的な考え方というものはどんなものであるかということを教えるのである。寺田寅彦てらだとらひこ先生の随筆がその典型的なものである。われわれの日常の生活で、身辺にある色々の物及びおこる様々の現象について、偏見と伝統を離れた自由な考察をして、それを無理なく按排あんばいし順序をつけて考えを進めて行くというのが、日常生活における科学的精神の発揚であって、それは寺田先生の随筆のような形で最も広く間違いなしに普及出来るのであろうと思われるのである。しかしこの方法の困る点は、そのような方法をとり得る能力を持つ人が極めて少いということである。差し当っては寺田先生の死後、私の知っている範囲内ではそのような人は極めて少数しか見当らない。それでこの方法は先ずなかなか困難だということになる。
 第二は科学普及の目的の通俗雑誌によって多くの人々の興味を科学の方へくという方法である。ところが現在のような経営方針ではこの方法は真面目まじめな意味での科学の普及とはかなり縁遠いものになっているという気がする。もっともそういう気がするだけであって、私の方が間違っているのかも知れないから、別に御叱おしかりを受けるほどのことはあるまい。これらの雑誌が何故なぜ困るかというと、それは余り眼新しい珍らしい科学上の知識の集成に走っていて、これでは無垢むくな読者に、科学に対して丁度天勝てんかつの奇術に対するような興味を起さすおそれが充分ある。これらの通俗科学雑誌によって、科学というものは米の飯のようなものだということを教え込むことは、先ず困難であろうと思われるのである。もっともこういう解釈も成り立つ、即ちこれらの科学雑誌は無縁の一般の人に科学に対する興味を呼び起させ、その興味から多くの人々を正しい科学の道にはいり込ます動機を作るということが考えられるのである。しかしそれも実際に効力があるか否かは随分疑わしい。少くともそれが科学者を作る培養土になることは決してない。同僚Y氏の言を借用すれば、燈台守とうだいもりになりたいという人に燈台守になられては困るのである。
 第三の方法は一番良い方法であるが、現在の我国わがくにでは行われない方法である。それは世界的に見て本当に一流の学者に通俗科学の本を書いてもらうことである。ファラデイとかオストワルドとかプランクとかいう学者は喜んでかどうかは知らないが、誰にでも分る科学の本を書いている。それらの本は科学の普及に偉大な功績を残したばかりでなく、科学の専門家にも色々の教訓を垂れている。しかしこんな百万円もらったらというような話は此処ここで議論しても仕方がない。
 それで最後に、中の上位の科学者になら誰にでも出来て、しかも或る程度まで間違いなく科学の知識の普及と、科学的な考え方の教授とが同時に出来るという方法を考えて見ることとする。それは結論をいってしまえば、ある自然現象について如何いかなる疑問を起し、如何にしてその疑問を学問的の言葉に翻訳し、それをどういう方法で探究して行ったか、そして現在どういう点までがあきらかになり、どういう点が益々ますます不思議となって残っているかということを、筋だけちゃんと説明するのである。実際のところこういってしまえば何でもないが、これすらなかなかむつかしいのである。しかしやることが分れば、それについての心得はいくらでも出て来ると思う。例えば疑問の出し方解決方法の順序などは、自分で一度頭をからにしてその現象を不思議と感じ、それに関する既知の知識を一つ一つ納得して見て、その順序に書いて行くのが一番良いであろう。それが困難な場合には研究の歴史的発展の順序によるという次善の便法もある。それからその筋だけをちゃんと説明するための心得にも、例えば本当に自分に納得出来たことだけ書くとか、分らぬ所は分らぬとして置くとか、いくらでも心得はあるだろうと思う。特に高遠な議論にしたり、ページ数を増したりする目的でやたら難しい言葉を使うことはこの場合厳禁である。何といっても本当に面白い点は事実の羅列にあるのであって、議論にあるのではないということをよく知って置く必要がある。題目は何でもよく、砂の話でも雷の話でも海の話でも、それに対して起した人間の疑問と今までに知られた事実の羅列だけがあったら充分面白いであろうと思う。要するに知らぬことを聞くというだけの満足を読者に与えればよいので、またそれで充分なのである。
 中にはそれでは物足らぬという人があるかも知れない。面白いというだけでは仕様がないという考え方を特に科学の場合には持つ人が案外多いようである。しかしそれは大変な間違いであると私には思われる。読んで見て面白かったということだけで充分なのである。それではつまらぬという人は、どんな立派な絵を見ても良い絵だと感心するだけではつまらぬという人である。川奈かわなのホテルへ行った時、案内人が壁間の大作を指して「これは一万円の絵です」とだけ一言説明したが、もしその絵を所有するのだったらその案内人のようには言わぬ方が良い。
 要するに私の考えは、科学を文化向上の一要素として取り入れる場合には、広い意味での芸術の一部門として迎えた方が良いというのである。その場合科学の美を既知の他の芸術の美に類するものにしようとしないで、事実の羅列の面白さの中に美を求めるようにしなくてはならないというのである。そしてこの面白さの美に客観性を与えるためには科学の知識と科学的の考え方との正しい普及をはかれば良いので、それには自然現象に対する疑問の出し方とその追究の方法とそれで得られた知識とを報告すれば良いというのである。
(昭和十二年十二月一日)





底本:「中谷宇吉郎随筆集」岩波文庫、岩波書店
   1988(昭和63)年9月16日第1刷発行
   2011(平成23)年1月6日第26刷発行
底本の親本:「日本の科学」創元社
   1940(昭和15)年
初出:「文学界」
   1937(昭和12)年12月1日
入力:門田裕志
校正:川山隆
2013年1月4日作成
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