南極・北極・熱帯の雪

中谷宇吉郎




 昨年の秋頃だったか、南極越冬中の西堀さんから、長文の電報がきた。文部省の南極観測本部を通じてきたもので、書翰箋一枚くらいの長い電報であった。内容は、雪の結晶形についての問合わせである。
 西堀さんは、岩波から以前に出した、私の『雪の研究』を、南極へもって行っておられたらしく、第何図版第何百何十図の写真というふうに、結晶形を一々指摘して、それについて問合わせてきた。今度出た『南極越冬記』を読んで、初めて事情がわかったのであるが、西堀さんは、『雪の研究』を参照しながら、越冬中に、南極の雪について、結晶の研究をなされたのである。
 問合わせの結晶の一つに、砲弾集合型のものがあった。これは、水晶のような形をした雪の結晶が数個、尖った方の先端で互いにくっつき合ったものである。砲弾といっても切口が六角形の砲弾である。これは単独に降ることも稀れにあるが、多くの場合は、三個ないし五個くらい互いにくっつき合ったものが多い。単独のものも、集合型も、ともに一つの特徴をもっている。それは尖頭の反対側、すなわち底面から、内部に向って孔があいている点である。深い揚げ底がはいり込んでいるといった方が、わかりやすいかもしれない。
 この揚げ底には、いろいろな程度があって、全体がほぼ無垢の氷で、それに揚げ底の空所が、底面からはいり込んでいるものが、その一つである。今一つは、揚げ底がひどくなって、全体が薄い氷の板を六角形に折り曲げたような形をしていて、氷の実質が少なくて、砲弾のがわだけが、氷で出来ているような種類のものである。
 この前者の方は、気温が低く、水蒸気の量が少ないときに出来るので、その生成条件は、人工雪の実験でわかっている。しかし後者の方は、まだ本当は、生成条件がよくわかっていないのである。西堀さんの問合わせは、この点に関するものであった。それで文部省へ行って、返答の長い電報を打ってもらったのであるが、実は私にもよくわからないから、さらに研究していただきたいという意味の、だらしのないお答えであった。
 この春、西堀さんが日本へ帰ってこられてから、ある日、札幌の私の研究室へ、ひょっくり顔を出された。久しぶりだというので、いろいろ南極の話をきいたが、非常に面白かった。流星塵が他の地方より、桁はずれに多いことも、不思議だったし、雪の結晶の種類が北海道の観測結果と一致しているという話も、面白かった。帰国匆々の忙しい中を、二時間ばかり話し込んで行かれたが、その間、終始一貫、研究の話ばかりであった。本観測の準備のための越冬で、観測や研究の用意はほとんどなかったらしいが、西堀さんは、有り合わせの材料で、手作りの器械をつくり、いろいろな研究をしてこられたのである。その間の事情は、『越冬記』に詳しく出ているが、久しぶりで、ティンダルやファラデーの時代に返ったような気がして、非常に楽しかった。
 ところで南極で調べられた雪の結晶であるが、種類は非常に多く、いろいろ珍しい形のものもあった。しかし結局のところは、私たちが、北海道の大雪山や十勝岳で観測したものと、型も種類も同じものであったそうである。それは当り前のことだろう、と言ってしまってはいけないので、一応確かめておく必要のあることである。
 私たちは、低温室の中で、人工的に雪の結晶をつくって、その生成条件を調べてきた。そして今までに得られた結果では、結晶が出来るときの気温と、水蒸気の過飽和度と、この二つの要素で、結晶の形がきまるということがわかった。それならば、気温と水蒸気の量とが同じければ、南極でも、北海道でも、同じ結晶が得られるはずである。しかしその結論には、「それならば」という仮定がはいっている。本当は、逆なのであって、南極でも、北海道でも、同じ結晶が得られたら、私たちの人工雪の実験結果が正しかったという結論になるのである。結晶形をきめる要素は、気温と、水蒸気の過飽和度との二要素でよいので、第三の要素はいらない、ということが確かめられたことになる。
 そういう第三の要素として考えられるものは、大気の清浄度である。普通の大気中には、凝結核とよばれている非常に小さい埃がたくさんある。普通の顕微鏡では見えない極微のものであるが、これが雲粒や霧粒の芯になるものである。その数は非常に多く、田舎の空気の綺麗なところでも、一立方センチの中に、千個くらいはある。大都会だったら、数十万個にも達する。
 雪の結晶は、千差万別の複雑な形をしている。ああいう形になるのは、結晶内の原子の配列が完全に一様ではなく、ところどころに欠陥があるからである。それで大気中に無数にある微小凝結核が、生成途中の雪の結晶にくっつくと、欠陥を助成して、結晶形を変えはしないかということは、一応考えてみる必要がある。
 ところで南極のようなところでは、大気は非常に清浄で、こういう核は少ないのではないかと思う。それで雪の結晶の形が違っても、ちっともおかしくない。
 実は、この点をたしかめる研究を、私たちも、二年ばかり前から始めていたのである。世界中で、現在のところ、一番大気の清浄なところとして知られているのは、ハワイ島のマウナ・ロア山頂と、グリーンランドである。それで、マウナ・ロアの山頂と、グリーンランドとで、雪の結晶の観測をしたのであるが、結果は南極の場合と同じく、北海道で観測したもの及び人工でつくった雪と同じものであった。
 ハワイは熱帯地方にあるが、高山のいただきには、やはり雪が降る。マウナ・ロアは、標高約一万四千フィートあり、富士山よりも二千フィート近くも高い山である。この山頂には一冬に数回雪が降る。なだらかな形の火山で、山頂から時々流れ出る熔岩が、山頂を中心にして、神奈川県よりも一まわり広い地積を、真黒に埋めつくしている。この熔岩の地域内には、草一本も生えていない。従って虫も一匹もいない。全くの死の世界である。
 ハワイ島自身が太平洋の真ん中にあり、潮風の影響も、一万四千フィートのところまでは達しない。それで空気は非常に清浄であって、凝結核の数を測ってみると、一立方センチに百個くらいしかない。平地の十分の一ないし千分の一程度である。
 グリーンランドは、さらに桁のはずれた土地である。海岸のごく狭い部分を除いて、全島氷冠で蔽われているが、その面積は、日本全土の六倍近くもある。そして氷の厚さは、平均して、約七千フィートである。氷冠の上は、平らな雪の平原であって、日本の六倍の面積のところに、黒いものは何一つ見られない。草も、木も、虫も、鳥も、何一ついない真白な雪の世界である。従って空気も非常に清浄であって、ワイクマン博士が測った結果では、マウナ・ロア山頂よりも、もっと凝結核の数が少ない。今までのところでは、世界で一番空気の綺麗な場所である。
 マウナ・ロア山頂では一昨年の暮から、昨年の正月にかけて、三回の降雪を調べてみた。グリーンランドへは、昨年の夏と、今年の夏と二度行って、氷冠上で、雪の結晶の顕微鏡写真を大分撮った。結論は、簡単である。雪の結晶の種類は、だいたい『雪の研究』に収録したものにつきる。そして形のちがいは、気温と、水蒸気の過飽和度との二要素できまるとみて、差しつかえない。
 しかしそれは、型としての話であって、個々の結晶の形となると、やはりグリーンランドなどでは、妙にひねくれた奴も降って来る。針状の結晶ばかりが、数百本も集まって、牡丹雪の雪片のような恰好をして降ってきたりする。『雪の研究』以後の写真も大分集まったので、増補でもしたいところであるが、ハーバード大学出版部から出した英文版が、まだ大分売れ残っているので、当分のところは見込みがない。
 これは少したくさん刷り過ぎたので、なかなか売り切れないようである。驚いたことには、五千部刷ったそうである。初めにその話をきいた時に、びっくりして、「そんなに需要のある本ではないから、大分損をするだろう」といったら、「商売のことは、こちらが専門だ。著者は心配する必要がない」と済ましていた。聞いてみたら、昔出たベントレイの雪の本は、現在一冊も残っていない、この本も、二十年間には売り切るつもりだというのである。日本の出版界との対照が面白いので、ちょっとつけ加えておく。
 ついでに今一つつけ加えるが、印税は五千部分貰っているわけではない。アメリカのこの種の本は、毎年その年間に売れた分だけ、印税を支払うことになっている。日本では、売れても売れなくても、印刷した分全部の印税を払う習慣である。著者には有難い話であるが、少し不当利得のような気もする。『図書』に書く以上、何か本に関係したことも少し入れる必要があるので、私事めいた話をつけ加えておくことにした。
(昭和三十三年十二月)





底本:「中谷宇吉郎集 第八巻」岩波書店
   2001(平成13)年5月7日第1刷発行
底本の親本:「中谷宇吉郎随筆選集 第三巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年10月20日
初出:「図書 第百十一号」岩波書店
   1958(昭和33)年12月10日発行
入力:kompass
校正:砂場清隆
2015年12月13日作成
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