母性愛の蟹

中谷宇吉郎




 加賀の蟹は、東京などにもよく知られている。いわゆる「ずわい蟹」という。脚の長い形のよい蟹である。
 この蟹は、一般には、越前蟹と呼ばれているが、肉は白い大理石のような色をしていて、きめのこまかい締った肉の歯ごたえが、誰にも喜ばれている。
 しかしこの蟹とほとんど同じ時期に、「こうばく蟹」という小さい蟹も、北陸の沿岸では、たくさん漁れている。甲の大きさは、直径二寸足らず、細くすんなりと伸びた脚を伸ばしても、全長七寸程度の小さい蟹である。形はだいたい「ずわい蟹」と似ていて、少しお腹をふくらました感じである。
 このこうばく蟹は、ほんとうは、ずわい蟹の雌であって、ただ形がひどく小さいだけの違いである。似たような形というのも当り前であって、同じスペーシスの雄と雌とである。ずわい蟹は、脚を伸ばすと、全長一尺五寸から、大きいのになると、二尺くらいもある。そういう立派な蟹と、全長七寸程度のこのこうばく蟹とをならべてみると、全く別の種類のように見える。しかし動物学的には、全く同じ種類の雄と雌とのちがいだけである。
 ところで、加賀の蟹として、一流の料理店で珍重されている雄よりも、この小型のこうばく蟹の方が、頭抜けてうまいのである。ただ見たところがちょっと貧弱なために、こうばく蟹の方は、値段がひどく安い。これはなにも今日の貨幣経済の世の中だけの話ではなく、私たちの子供の頃から、既にそうであった。北陸の片田舎で育った私など、子供の頃を思い出してみると、ずいぶん質素な生活をしていたものである。牛肉などは、一月に一度町へはいると、店屋の人が、小さい赤い旗を立てて、町をねり廻って、牛肉の入荷をふれて歩くような次第であった。
 子供たちのおやつは、季節毎にちがっていて、秋になればさつま芋、冬になると、このこうばく蟹であった。真赤にゆでたこうばく蟹を一ぴき、原形のままでもらって、それを庖丁など全然使わないで、手でちぎって食うのが、ならわしであった。まず甲羅を剥いで、その中にある「味噌」をなめる。この味噌はちょうどコキュールの白くぶよぶよしたものもおいしいが、あの味の中から、人工的な部分を取り除いて、天然におきかえたとすると、このこうばく蟹の「味噌」の味になる。
 ところがこの「味噌」はまだ、全くの序の口で、背の両側の肉の中にある内子うちこが、こうばく蟹の真髄である。橙色を帯びた鮮かな赤色の、このこちこちとした内子の味は、ほかに類例のない不思議な味をもっている。この内子は、あるていど以上成熟すると、粒の存在がわかる程度に成長して、甲羅の裏についているおおいぶたの中にたくわえられる。この蓋いぶたは、蝦にすれば、腰の曲った胴体に相当するものである。この中にある子は、外子そとこといって、深紅色のつぶつぶである。この外子も歯ざわりがよくて、また別の味がする。内子も外子もともに、独特の味をもっているが、その基調となっているものは、魚介類の卵の味である。
 この二種の卵を食べたあと、脚づきのまま背を二つに折って、まず背の肉を、ばりばりとかむ。雄の方、すなわち越前蟹の肉の味を、少し小味にして、滋味と汁を添加したような味である。背の骨格の薄片が、歯の間にささった感じも、今から思い返してみると、郷愁の一つの要素をなしている。
 ところで、この頃、日本の国もやっと昔に返って、金沢の蟹を、客車便で東京まで送ってもらって、こうばく蟹の味を、東京で味わえるようになった。めでたい話である。
 こうばく蟹の味を離れて十年か、あるいはもっと経ったかもしれない。その間に、さつま芋の蔓も食べたし、アメリカの料理も食べさせられた。こうばく蟹の味など、もう遠い昔の話で、いま食べてみたら、それほどでもないかもしれないという一種の不安があった。しかし実際に食べてみると、昔どおりの味である。蟹もその味を変えなかったし、食べる方の人間の味覚も、変らなかったらしい。やっとほっとした気持である。それでこの二、三年、冬になるごとに、金沢の女房の里から、こうばく蟹を送ってもらうのを楽しみにしている。もっともこれだけの話ならば、全く個人の私生活のことで、何の客観性もない。従って、印刷に付する意味もない話である。
 ところが、このこうばく蟹の味は、何も私の郷愁の一つのあらわれに過ぎないものではなく、この味自身に、一種の客観性があることが、この一、二年の経験で立証された。私も女房も、このこうばく蟹を、天下の美味と思っているのであるが、二人とも加賀で育った田舎者で、都の味を知らないために、独善に陥っているのかもしれない。ところが、そうでないことが最近わかって、二人とも大いに意を強くしている。
 話は簡単であって、東京でうまいものには飽きているはずの悪友諸君、小林勇だの、池島信平だのという連中が、このこうばく蟹をひどく高く評価してくれるので、安心して、こういう雑文を書く自信を得た。
 小林・池島両先生とも、このこうばく蟹には、大のご執心である。「こうばく蟹がきたから」と電話をかけると、どんなに御座敷の忙しい時でも、万難を排して、ご自身で私の家までやって来てくれる。もっとも代理に食べてもらったのでは、味は通じないからであろう。
 この二、三日前の話であるが、池島君が、女房にこうばく蟹の催促をしたそうである。「奥さん、まだ蟹きませんか。一ぴき千円でもいいから、あの蟹食べたいなあ」と言った由である。こうばく蟹は、今いくらするか知らないが、私の子供の頃は、一ぴき五銭であった。今の円価にしても、漁師の一日の収入から考えてみて、一ぴき二十円だったら、漁師はそう貧乏しなくてもいいであろう。
 一方、一ぴき千円でも欲しいという人もある。もちろん一ぴき千円だったら、池島君も買えないだろうが、少なくもこの言明は、彼のこうばく蟹に対する執心の程度を表明していることにはなる。
 この話があって以来、うちの女房は、こうばく蟹に対する食欲を、だいぶ減少させたそうである。「あんなに言って下さる方があると、自分で食べる気がしなくなるので」というのである。
 昔から母性愛の強い女であったが、この年になって、まだそういうことを言うのであるから、女の母性愛というものは、恐ろしく根強いものである。
(昭和三十三年四月『あまカラ』)





底本:「中谷宇吉郎集 第八巻」岩波書店
   2001(平成13)年5月7日第1刷発行
底本の親本:「あまカラ 第八十号」甘辛社
   1958(昭和33)年4月5日
初出:「あまカラ 第八十号」甘辛社
   1958(昭和33)年4月5日
入力:kompass
校正:砂場清隆
2016年3月4日作成
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