雪は資源である

中谷宇吉郎




 昭和二十三年の冬、北海道の大雪山で雪の調査をしたことがある。
 雪の調査というのは、雪の深さを測るのではなく、雪の目方を測る調査なのである。雪は春になれば、解けて川へ流れ出るわけであるが、その時どれだけの水量が出るかは、冬の終りに山に積っている雪の量できまる。目方は雪がとけて水になっても変らないから、雪の目方を測っておけば、雪解け水の量も分ることになる。
 目的が川へ流れ出る水の量を予知するところにあるので、この調査は、一つの川の集水区域全体について行なう必要がある。或る川の集水区域というのは、前にも説明したように、この区域の周囲をめぐっている分水嶺でかこまれた地域のことである。ちょっとした川でもこの地域は非常に広いので、調査はなかなか困難である。
 この種の調査は、アメリカでは、もう二十年もの昔から、毎年行なわれている。アメリカは水の乏しい国で、とくに西半分のあの広大な土地は、春から秋にかけて、ほとんど雨が降らないので、大部分が沙漠又は半沙漠地帯になっている。普通では人間の住めない土地である。ただところどころに川があるので、その流れに沿ったところに緑地帯があって、其処で農耕をしたり、又都会が出来ている。
 こういう雨の降らないところに、どうして川があるかというに、その源は主として高山地帯に冬の間に降る雪である。カリフォルニア州と、ネヴァダ州との境にあるネヴァダ山脈、コロラド一帯に聳えているロッキイ山系などには、かなりの量の雪が降る。この雪が春になって、解けて川に流れ出る。その水が、川水の大部分を占めているのである。それでアメリカのこの地方の川は、春さきにひどい洪水を起し、夏になるとほとんど干上ってしまうものが多い。アメリカの綜合開発というのは、高いダムを造って、この春さきの洪水の水を貯水湖に貯えてそこで発電をし、又その水を一年中平均して使うのが、その主眼となっている。
 こういう風土のところであるから水資源といえば、高山地帯に降る雪だけといっていいくらいである。もしネヴァダ山脈やロッキイ山系に雪が降らなかったら、日本の十倍以上の広い土地には、人間が住めなくなる。それでアメリカでは雪といえば、国の宝と思われている。日本では、雪といえばすぐ雪害という言葉が出るので、全く反対である。
 それでアメリカでは、この大切な水資源である雪の調査を以前からやっているのも、当然なことである。しかし日本でも水の必要なことは、アメリカと全く同様である。というよりも、敗戦後の日本に残された資源の中では、水が最も大切な資源といえよう。日本が世界に稀れな多雪国であることは、小学校の生徒でも皆よく知っている。雪は解ければ水である。だから雪は日本の一番大切な資源なのである。
 ところが不思議なことには、この雪の調査が、今まで日本で一度もなされたことがないのである。もちろん全国の測候所で、降雪量の測定も、積雪量も測っているので、それ等の値から計算すれば、一つの集水区域に積っている雪の全量も分りそうなものだと思われるかもしれない。しかしこういう測候所は、たいてい平地か、山の麓近いところにあるので、それ等の観測値から、水源地帯の山奥の雪の量を推定することは出来ない。山奥へ行くと雪が非常にたくさんあることは誰でも知っているとおりである。
 それで積雪調査をするには、どうしても冬の終り頃、積雪量が一番多くなった時に、山奥の水源地帯を、スキーで歩き廻って、実際に雪を採って目方を測ってみる必要がある。アメリカでは、或る代表的地点を選んで、そこで雪を測って、過去の記録と比較して、今年は何割雪が多いか少いかを調べている。この方法すなわち相対的方法は比較的簡単であるが、過去の統計が無いと使えない。日本のように、今まで一度も積雪調査のしてないところで、一回ですぐ役に立つ資料をとろうと思ったら、こういう相対的方法でなく、全集水区域に積っている雪の全量を測る必要がある。この絶対量測定は、アメリカでも、諸外国でも、まだ一度も試みられたことがないので、実は大仕事なのである。しかし日本では、今までの資料が全然ないので、仕方なくこの方法を試みることにして、安本あんぽん〔経済安定本部〕の資源調査会の仕事として採り上げてもらった。
 これをやろうとすると、どうしても、全集水区域の航空写真が必要となって来る。それも四月末の積雪最高期と、五月中旬の半ばとけた時と、五月下旬のほとんどとけた頃と、三回の撮影が無いと、完全な調査にはならない。それで総司令部の天然資源局へ頼んで、こういう航空写真をとって貰った。地上調査の方は、当時私たちの教室にいた、菅谷重二博士が、この仕事を引き受けてくれることになった。
 大雪山が石狩川の水源地であって、北海道で本格的の調査をするとなったら、大雪山を選ぶのが当然である。しかし初めから全大雪山系にとっかかることは不可能であるから、上流に於ける支流の一つ、忠別川の集水区域について測定することにした。忠別川は大雪山に源を発し西北流して上川盆地を養い、旭川で石狩川の本流に合する川である。集水区域三百五十八平方キロのうち、山地流域に属する二百五十六平方キロの地域について、この調査を行なうことにした。二百五十六平方キロといっても、あまり実感は出ないが、河道の延長三十五キロ、流域の幅は広いところは約二十キロに達する。その間スキー家の通る道一本の外は、冬期は全部丈余の積雪におおわれ、人跡のない山岳地帯である。その全地域にわたって、縦横に踏査して、雪の量を測定するのであるから、並大抵の仕事ではない。しかし菅谷博士は、数名の人夫をつれて、携帯テントで雪の中にねながら、約一ヶ月がかりで、全測定を完了した。
 この間航空写真のことは、始終気にしていたのであるが、何ともいって来ない。もっとも連日のように吹雪があり、時々はれても、全山が雲におおわれていて、航空写真のとれるような晴れた日はなかった。ところが、四月三十日に半日ばかりからりと晴れ上ったと思ったら、何処からともなく四発の大型飛行機がとんで来て、この流域の上を、何回となく往復して帰って行ったそうである。あとから聞いてみたら、仙台から飛んで来たらしいが、どうしてあの天候をキャッチしたのか、不思議なくらいである。その後五月十四日と五月二十二日と、合計三回飛行機がやって来た。だいたい希望しておいたとおりの日頃である。
 さては本当に写真をとってくれたらしいと、大いに勇気を鼓舞されて、引きつづいて、雪解け水の流出測定をつづけてやっていた。そうしたら六月初旬になって総司令部から、大きい小包が届いた。開けてみたら、美事な航空写真である。二十五センチ角くらいの大きい写真がたくさんはいっている。百六十枚で全流域をおおうのであるが、それが三組はいっているのだからたいへんである。「よろしい、承知した」と口頭でいってくれただけで、あと何とも通知がなくて、突然この写真が届いたのであるから、全くびっくりしてしまった。
 写真は実に美事にとれていた。虫眼鏡でのぞいてみると、一本一本の立木まではっきり写っている。地上調査では、いくら全流域を縦横に歩き廻るといっても、けっきょく線の上の話であって、面上に分布している雪の姿を全部見ることは到底出来る相談ではない。しかし実際に調査した地点の模様と、その同じ場所の航空写真とを比較してみると、航空写真の読み方がよく分る。それで踏査しなかった場所の雪の状態も、航空写真の上から大体推定することが出来るようになった。
 有難かったのは、標高千五百メートル以上の高山性裸地帯の積雪である。ここは恐ろしい岩山と断崖ばかりのところで、縦横に歩き廻るというようなことは、夢にも考えられない。それで可能なコースだけ踏査して、あとは航空写真から、露出部分の面積、吹きだまりの面積、標準積雪地域の面積などを測って、それと実測値とを組合わせて、雪の量を算出した。この調査は、もちろん航空写真がなかったら、出来なかったものである。
 それよりももっと重大な問題は、中高度の樹林地帯の積雪である。この方は地域も広く、雪の全量も多いので、少しの誤差があっても、全体への響きが大きくなる。ところが厄介なことには、樹林地帯では、雪が樹にくっついたり、それが落ちたり、また幹のところに空洞が出来たりして、とても代表的な一様に積ったところが得られない。測定可能なところは林中の方々にある開け地だけである。ここは風の影響も少く、雪が一様に積っているので、積雪調査には最適の場所である。それで開け地だけを選んで、各高度について積雪量を調査してみると、果して高度と一次式関係にあるという法則が見つかった。
 これは大体予期していたことである。しかし厄介なことには、これは立木が無いところの積雪量であって、実際は大部分の地域がいろいろな密度の林になっている。林中は積雪分布が不均一でも、木についた雪が皆落下するならば、開け地の値を適用して差しつかえない。しかし木に雪冠となって附着している雪は表面積がとほうもなく広くなるので、蒸発で失われる雪の量が決して無視出来ない量になる。それで樹林地帯は、木が無い場合より積雪量が少くなる。その少くなる割合が分れば、開け地の値にその補正を施してやればよいわけである。そのために林中で比較的雪分布の均整なところを探して、其処で積雪量を測り、その近所の開け地の値と比較してみることにした。そういう測定を、各高度で又いろいろな森林密度のところでたくさん行なって、どの程度に森林が濃くなると、積雪量がどれだけ減るかという関係を出した。これさえ分れば、開け地における測定値から、林中の積雪量を出せるわけである。
 ところがここに大問題がある。その計算をやろうと思うと、全流域の森林密度とその分布とを知る必要がある。これまた普通に考えたら、夢のような話である。人間が行くことの出来ない場所が大部分なので、その森林密度が分るはずがない。ところが驚いたことには、それが航空写真の上から分るのである。写真を拡大してみると、針葉樹と闊葉樹の区別まで、一本一本の木についてちゃんと識別される。面白いことには、雪の上に三角形に木の影がさしている。この時の撮影時刻、すなわち太陽高度は分っているので、この影の長さから、木の高さが出せる。樹冠の大体の大きさと、高さと、樹種とが分るのであるから、樹の石数も専門家には推定出来るはずである。
 林学の専門家にこの話をしたら、それはたいへん面白いといっておられた。今まで航空写真は、世界中到るところでとられているのに、こういうことがあまりよく知られていないのは、ちょっと不思議な気もする。しかし考えてみると、たいていの航空写真は、夏とられているので、そういう写真からは、このように一本一本の木を識別することが困難である。また冬の真中でもこう巧くは行かないので、木に雪が一杯くっついていると、こんなにはっきり写真には写らないであろう。けっきょく冬の終期、木についていた雪が皆落ちて、真黒な木が白い雪面上に突き出ているこの時期だったから、こういう写真がとれたのであろう。そうすると今回の研究は、副産物として新しい航空写真の利用法を一つ産んだわけである。もっともそんなことはもうとっくに分っているのかもしれないが、私の接触した二三の林学の専門家の方たちは、非常に珍しがって居られたので、少くも日本では新しいことであろう。
 今回の目的には、石数まで推定する必要はないので、樹冠が空をおおっている割合、すなわち被覆密度が分れば、それで十分である。その密度を航空写真の上から求め、全森林地帯を五百メートル角のメッシュに切って、各メッシュ毎に、平均被覆密度を書き込んだ。この地図と、開け地の測定値とから、森林地帯の積雪量が計算されるわけである。残りは耕地帯であるが、これは測定が易しいので問題はない。丘陵耕地と平地とに分けて、それぞれ測定を加え合わせればよい。
 こういう風にして忠別川の全水源地帯に積っている雪の量が計算された。その値は、この年の分として総計一億九千八百万トンすなわち二億トンという数字が得られた。この二億トンの雪は、雪解け洪水となって畑地を荒した末に大部分むなしく日本海へ流れて行っている。水力発電用にももちろん使われているが、それはこのうちの一部の水に過ぎない。
 この種の積雪調査は、一時中絶していたが昨年になって只見川の流域について同じく菅谷博士の手によって行なわれた。それは旧日発〔日本発送電〕の委嘱によってなされたものである。また今年の冬は、青森県の委嘱によって、十和田湖利用の発電計画の基礎調査として、八甲田山系について目下調査が進行中である。また簡易測定法も分ったので、大雪山について、北大物理教室の東博士たちが、簡易法によって今年の雪を調査中である。これは北海道電力会社の委嘱によるものである。日本の雪がこのようにして水資源として、調査され始めたことは、おくればせながら、やはり大いに慶賀すべきことである。
(昭和二十七年四月)





底本:「中谷宇吉郎集 第五巻」岩波書店
   2001(平成13)年2月5日第1刷発行
底本の親本:「イグアノドンの唄」文藝春秋新社
   1952(昭和27)年12月20日刊
初出:「国立公園 第二十九号」国立公園協会
   1952(昭和27)年4月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kompass
校正:砂場清隆
2016年6月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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