寅彦夏話

中谷宇吉郎




一 海坊主と人魂


 寅彦先生が亡くなられてから二度目の夏を迎えるが、自分は夏になると妙にしみじみと先生の亡くなられたことを感ずる。大学を出て直ぐに先生の助手として、夏休み中狭い裸のコンクリートの実験室の中で、三十度を越す炎暑に喘ぎながら、実験をしていた頃を思い出すためらしい。
 先生は夏になると見違えるほど元気になられて、休み中も毎日のように実験室へ顔を出された。そしてビーカーに入れた紅茶を汚なさそうに飲みながら、二時間位実験とはとんでもなくかけはなれた話をしては帰って行かれた。
 夏休みのある日のことであった。その日は何かの機縁で化物の話が出た。
 僕も幽霊のいることだけは認める。しかしそれが電磁波の光を出すので眼に見えるとはどうも考えられない。幽霊写真というようなものもあるが、幽霊が銀の粒子に作用するような電磁波を出すので写真に写るという決論にはなかなかならないよ。幽霊写真位、御希望ならいつでも撮ってみせるがね。海坊主なんていうものも、あれは実際にあるものだよ、よく港口へきていくら漕いでも舟が動かなかったという話があるが、あれなんかは、上に真水の層があって、その下に濃い塩水の層があると、その不連続面の所で波が出来るためなんだ。漕いだ時の勢力エネルギーが全部その不連続面で定常波を作ることに費されてしまうので、舟はちっとも進まないというようなことが起るのだ。確かそんな例がナンセンの航海記にもあったようだし、ノルウェーかどこかの物理学者でその実験をした人もあったよ。だから海坊主の出る場所は大抵河口に近い所になっている。もっとも海坊主にも色々種類はあるだろうがね。
 人魂なんか化物の中じゃ一番普通なものだよ。あれなんかはいくらでも説明の出来るものだ。確か、古い Phil. Mag.(物理の専門雑誌)に On Ignis fatuus という題の論文があるはずだが。Ignis fatuus というのは人魂のことだよ。誰か探して読んで見給え。
 それで早速図書室へ行って探してみたら、果して見付かった。読んでみたら、その著者が人魂に遭ったので、ステッキの先をその中に突っ込んでしばらくして抜いて、先の金具を握ってみたら少し暖かかったとかいう話なのである。
 二、三日して先生が見えた時に、その話をして、要するにそれだけのことで案外つまらなかったといったら、大変叱られた。
 それがつまらないと思うのか、非常に重要な論文じゃないか。そういう咄嗟とっさの間にステッキ一本で立派な実験をしてるじゃないか。それに昔から人魂の中へステッキを突っ込んだというような人は一人もいないじゃないか。
 先生の胃のためには悪かったかも知れないが、自分にとってはこれは非常に良い教訓であった。自分は急に眼が一つ開いたような気がした。

二 線香花火と金米糖


 この話もその頃、もう十年以上も昔の夏休み中の話である。
 線香花火の火花の形は実に面白い。考えてみると実に不思議なんだが、あれを研究しようという人はまだ一人もいない。これなんか小学校や中学校の先生をしていても出来る仕事なんだがね。誰に話してみても、面白いですねやってみましょうといって帰りながら、誰もやった人はないんだ。色々の鉄でも入れて、色々の形の火花を作って、それを廻転鏡で写真にでも撮ってみたら、案外面白いことがあるかも知れない。鉄の刃物を廻転砥石で砥ぐ時、火花の形によって鉄の性質が分るという話だが、そんなこととも関係がありそうだ。今まで随分人にも勧めてみたが、結局誰もやらぬから、今度の休みには一つ自分でやってみようかしら。実際今の日本では器械だってかなり揃っているし、本当にやる気なら金の出る道もいくらもあるのだ。結局やる気はあっても、実際にそれをやる人のないのが、現代の日本の欠陥じゃないのかね。
 線香花火といえば、いつでも金米糖を引き合いに出すのだが、あれだって良く考えてみると不思議だね。あれは、この頃の小粒のやつは型で作るのだろうが、昔の奴は芥子粒か何かを核にして、その上に砂糖を附けて作るんだ。すると段々あの角が生えてくるのだから妙なんだ。一様に発達して行くときには丸くなるというのが、今までの物理学の基礎的の仮説なんだが、それは law of no reason で、どっちの方向に特に発達するという理由もないから丸くなるというのだ。それじゃまだ本当とはいわれない。law of sufficient reason で、ある丸くなる理由があるから丸くなるというのでなくちゃ駄目だ。金米糖はその良い例だと思うがどうかね。
 何か僕はこんなことじゃないかと思うね。少し突起の出来た所は早く冷えるから先に固まる。するとそこへ余計に砂糖が附く、それで益々そこが突起する、従って余計に冷えてまた固まるという工合にして角が伸びて来るんじゃないかという気がする。
 もっとも角がある一定の長さになると、機械的な力の問題でそれ以上は発達出来ないのだろう。それで金米糖は大体一定の大きさで一定の長さの角を持つようになるのだろうと思う。誰か数学の達者な人が一つやってみたら、きっと面白いだろう。そして金米糖のような電子でも考えたら、存外量子なんかも説明出来るかも知れない。もっともこれは冗談だが、かく線香花火でも金米糖でも、外国にないものだから誰もやらないんだ。もし外国にあったら、もうとっくに“On Kompeit※(サーカムフレックスアクセント付きO小文字)という論文がきっといくつも出ているぜ。今に外国人がきて金米糖でも作る所を見て行って、そんな論文でも書いたら、みんな大騒ぎをして研究を始めることだろう。
 その後理研の先生の研究室で、線香花火も金米糖も予報的の実験がされ、その報告も出た。その論文の紹介が独逸ドイツのベリヒテという雑誌に出た時、「マツバ」や「チリギク」の火花の名は羅馬ローマ字で書いてあった。「松葉や散り菊が欧羅巴ヨーロッパまで通用したのは一寸愉快だね」と先生は御機嫌であった。

三 墨流し


 今までの話よりもずっと後のこと、この四、五年前の話であるが、先生はある夏休みに理研で墨流しの実験を始められた。その実験は結局「墨汁の膠質学的研究」となって、先生の亡くなられるまで続けられていた。この研究を思い立たれた動機というのは、ある時先生が、中等程度の物理の教科書を見られたら、「我国には古来墨流しという遊びがあるが、之は要するに表面張力の問題である」と書かれていたのに端を発したのだそうである。ある時理研へ伺った時、この話が出た。
 どうも中等程度の教科書というものは、実にむつかしいものだと思う。頁数が限られているのだから、要するに表面張力の問題として片付けておくより仕方がないのかも知れないが、これを下手に教えると、物理を教えることにならずに、物理なんか勉強する必要がないと教え込むことになってしまう。それで僕は一つ大いに墨流しの研究をやって、こういう問題はなかなか要するにで片付けられるものじゃないということを天下に知らすつもりなんだ。
と大いに気焔を揚げておられた。そしてこの墨汁の研究には膠質学の知識が大いに要るのだといいながら、先生はフロインドリッヒの膠質学の上下二巻千五百頁もある読みづらい本をこくめいに読んでおられた。晩年の先生が、まるで初めて大学へはいった学生のように、むきになって新しい部門の勉強を始めておられたのには驚いた。しかし先生は人にあうとよく、「線香花火と金米糖、それに墨流し、これじゃまるで三題噺だね」といって笑っておられた。墨流しに端を発した墨汁の研究は、その後三年ほども続いて非常に面白い結果が出始めていたのであるが、先生の急逝と共に中絶してしまったのは惜しいことである。
 その後墨色の研究をしている友人の日本画家に会った時に、色々の墨を一定の硯で、条件を決めて磨った場合の墨色の比較を見せられて驚いたことがある。唐墨などの青墨と油煙墨系統のものとの墨色の差は子供にも十分分る位はっきりしたものであることを初めて知ったのである。名墨の墨色は幼児の瞳のような色をしているなどといわれているが、そんな幽遠な所を問題にしなくても、もっと手近な所にはっきりした差が見られることがよく分った。一片の唐墨に千金を投ずるという話もこれでは嘘ではないと思った位であった。
 ところが昔の名墨のような墨は今はどこでも出来ないそうである。一番困ることは、墨色を決定する要素がまるで分らないのだから、手の付けようがないらしい。先生は墨汁の淡い液をU字管に入れて、それに弱い電流を通すと、墨の粒子が一方へ動くその速度から、墨の粒子の電気的性質を調べておられた。また格外顕微鏡を用いて墨の粒子の直径の測定もしておられた。これらの物理的性質と墨色との間には何か関係がありそうである。そういうことの物理的意味も今一息の所で分る所だったという気がするのである。
 それから硯の水の問題にもかなり立ち入った研究がされてあった。水面に出来る墨流しの墨の膜は、分子が数層並んだ位の薄いものであるが、その水の中にある種の鉱物質が百万分の一以下でもあると、その膜が固化するというようなことが分っていた。これなども溌墨との間に密接な関係がありそうである。朝顔の葉の露などということも案外な意味があるのかも知れない。
 この種の研究は、膠質学の近年の進歩から見て、今より以前では出来なかったであろうが、次の時代になればまた出来なくなってしまうであろう。そんなことを考えながら、今更の如く先生の達識を思い見るのである。
(昭和十二年八月『東京朝日新聞』)





底本:「中谷宇吉郎集 第一巻」岩波書店
   2000(平成12)年10月5日第1刷発行
底本の親本:「冬の華」岩波書店
   1938(昭和13)年9月10日刊
初出:「東京朝日新聞」
   1937(昭和12)年8月12〜14日
※「二 線香花火と金米糖」の初出時の見出し名は「花火と金平糖」です。
入力:kompass
校正:砂場清隆
2017年10月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード