千年の時差

中谷宇吉郎




 人間のものの考え方はもちろんのこと、感じ方さえも、時代と環境とによって、ずいぶんひどくちがうものだということを、この頃しみじみと感ずるようになった。いわばこの齢になって、やっとものごころがついたわけである。
 コペルニクス以前の人間のものの考え方は、現代人には、到底理解されないという意味の、有名な言葉があるそうである。こんなことをいい出すのは、実は大分以前から、妙な道楽が一つあるからである。それは柄にもない話であるが、古代文化に関する雑書の濫読という道楽である。弟が考古学をやっていたので、その影響を受けたのかもしれないし、或いは兄弟ともに、何かそういう血筋をひいているのかもしれない。
 われわれの遠い祖先は、今日とは質的に乖離した文化の中で、現代人からは全くかけ離れた意識をもって生きていた。そういう遙かなる悠久の昔の夢を心に描いてみることは、何という理由なしに、ただたのしいものである。それは日本だけに限った話ではない。殷墟の甲骨文字の研究も、シェバの女王の生い立ちを伝える楔形文字の土板も、『暁の女王と幻の王の物語』も、ただその題目を見るだけで、もう充分たのしいのである。
 どうせ原著は読めないのであるから、専門の学者たちの解説か、随筆くらいを通じて、いろいろと自己流の夢を描いてみて、それで結構満足している。一番いいのは、遺物の写真や、発掘品の絵の原色版をながめることである。紀元二千六百年記念に、審美書院から出された『西域画聚成』など、こういう目的には、まことによくかなったものである。トルキスタンの死の荒野に、千年以上も埋れていた絵が、まるで昨日描かれたように、鮮かな色彩をのこしている。降魔図の中などに出てくる、もろもろの妖怪変化にも、何か生命があるような気がする。少なくもこれを描いた人々の頭の中では、こういう姿のものが実在していたのであろう。
 そういう時代の人間を、その生きた姿で描いたような小説があれば、それが一番読みたいのであるが、滅多にそんなものには出遭わない。この頃大分評判になった『エジプト人』なども早速読んでみたが、ちっとも面白くなかった。もっともエジプト学の現在の知識を紹介するという意味では、いろいろ詳しい記述があるので、読んで損をしたとは思わないが、小説としては、ひどく低級なものであった。それでなければ、世界中に何十万部と売れるはずもない。背景と事実は古代エジプトであるが、中に動いている人間は現代人である。この本と限らず、たいていのこの種の小説は、いわば大人の描いた子供の絵のようなものである。
 もっともカントの理性批判の洗礼を受けた現代人が、理性と感性との分離もまだ出来ていなかった古代人の心理を、文章の形で如実に描き出すことは、まず不可能に近い難事である。或いは原則的に不可能なことなのかもしれない。しいて求めるとしたら、それは詩の表現に近い形をとるより仕方がないのであろう。こういう考えに導かれたのは、かつて折口信夫氏の『死者の書』を読んで、非常に強い感銘をうけてからのことである。程度の差こそあれ、いずれも「大人の描いた子供の絵」といささか多寡をくくっていた私も、この『死者の書』を読んだ時には、思わず愕然とした。現代の理性的思考以前の人のこころを、現代の文章でかくことも可能であったのである。藤原南家の郎女の姿、それは現代人には幽霊よりももっと縁遠いものであるが、それがこの書の中には、如実に生きていたのだから、驚いたのも無理はない。
 彼岸の中日、二上山の日の入りに、西国浄土の仏の姿を見る郎女の頬は、紅梅色に映えている。そのほてりまでが、かぐわしくこの書の中には浮かび出ているのである。ここには幻影と実体との区別はない。そういう区別をすることが、即ち現代人の意識なのである。現代の文章、即ち現代人の頭のはたらきをもって、理性以前の人のこころを描くことは、物のにおいを油絵に描くほどの困難な仕事であるにちがいない。ところが『死者の書』はそういうことの可能性を示したもののように私には思われる。それが可能であったのは、表面は散文による小説の形をとっているが、実は全篇が優れた一つの長詩であるからであろう。折口氏の歴史的教養の深さと、民俗学的知識の透徹さとには、驚嘆すべきものがあるが、それだけで、読者に千年の昔の人のいぶきを感じさせることは出来ないであろう。それはきわめて優れた詩人にして、はじめて可能なことである。
『死者の書』が出てからは、もう十年あまりも経っていることであろう。私には現代の日本における最も優れた著作の一つと思われるこの書が、案外何処でもあまり話題に上らないことが、不思議でもあり、また不満でもあった。生意気ないい分であるかもしれないが、心から感服したのだから仕方がない。ところが最近、小林秀雄氏の『真贋』を読んでいたら、『偶像崇拝』という文章の中に、この書を、「民族心理のいわば精神分析学的な映像」として、高く評価してあるところにぶつかり、たいへん嬉しかった。と同時にいささか安心もした。小林秀雄のようなやかましい男が、これだけ褒めるのだから、もう何処へ行って推賞しても大丈夫である。
 ところでこの『真贋』であるが、これがまた近来稀な好著である。今さら、小林秀雄の評論に感服するのも時節おくれであるが、裏金がますます厚くなり、その思想の深い底に、にぶいながら燦然とした光輝をはなっているところが、きわめて美事である。人間の精神というものに、深く深くくい入って行く一人の人間の姿がますますはっきり出て来ている。人間の精神は、実に不思議なものである。精神というとあまりむつかしすぎるが、そこまで行かなくても、人間の生命もまた実に不思議なものである。進化論でいう生命は、細胞の生命であって、ああいう生命の科学がいくら進歩しても、人間の生命の問題の解決には、何の足しにもならない。人間も猿も祖先は同じであり、ずっととんで猿も植物も同じものから分れた。結局単細胞の生命に帰する。ヴィールスの研究が進み、将来生きた原形質が合成される日が来たら、生命の問題は解決する。とこういう線での学問の進歩は、その方向の範囲内だけでは確かに真理であり、また、非常に興味の深い読物でもある。また自然に即した学問のよいところは、こういう科学の進歩の途上で、病気の新しい治療法が見つかったり、良い薬が出来たりするので、決して価値が少ないというのではない。ただこれで生命の問題が解決されるという、その解決という言葉が曲者なのである。小林氏は「もし科学だけがあって、科学的思想などという滑稽なものが一切消え失せたら、どんなにさばさばして愉快であろうか」というが、如何にもそのとおりである。
 近年古美術と歴史との世界の中に、人間精神の秘密を解くいとぐちを求めようとしている著者は、もっとも本人にいわせれば書画骨董の道楽の世界に沈濳してるんだよというかもしれないが、この方面の広い分野にわたって、非常に深い考察を常にしているのである。それはきわめて短い文句で何気なく語られている言葉の中に、その片鱗を示している。例えば狂人の心理を説いては、「狂人という賽河原の労働者には、鬼の姿が見えないだけだ。彼は決して壊れた機械ではない」という一節がある。これは著者の狂人との付合いから得た苦しい経験の結論であって、この狂人の精神との比較から、人間の精神の秘密が一寸覗かれるのである。
 よく晴れた奈良の秋の日、二月堂の脇の庫裡くりめいた建物の中で、著者はひっくり返ってプルウストを読んでいる。突如「失われし時を求めて」という言葉に、非常な気味悪さを感ずる。人間は時間というもの自身については、滅多に考えないものである。認識の先天的形式とか、時空の世界の第四次元とかいっても、それは形式的な考え方にすぎない。時自体は、考えれば考えるほど取りとめのない抽象的観念の群衆ぐんじゅに陥るもので、じっと黙って考えるには、あまりに恐ろしいものである。時と自己意識と歴史、この三つの妖怪は、互いに固く手を握っている。小林氏はその点を「歴史とは、無数の『私』が何処かへ飛び去った形骸である」と、極めて端的に喝破している。
 小林秀雄は、つまるところは、詩人なのかもしれない。大和の秋、岡寺から多武峰に通ずる白い街道のほとりに、蘇我馬子の墓を訪ねる。巨大な花崗岩の切石で畳んだ古墳の中にはいる。石棺はないが、この死人の家は風通しが良く、そしてよく乾いている。此処で著者はまず「清潔だ」と感ずる。「岩の隙間から、青い空が見え、野菊めいた白い花が、しきりに揺れている」玄堂の中を徘徊しながら、「こんな途轍もない花崗岩を、切っては組み上げる事によってしか語られなかった」古代人の心が、何かしきりに語りかけて来るのに、心の耳を傾ける。「歴史の重みなどといういまいましいものはない。そんなものは、知識が作り出す虚像かもしれない。私は、現在、この頑丈な建物が、重力に抗して立っているのを感じているだけではないか」という。そして「歴史に悩んでいるよりも、寧ろ歴史工場の夥しい生産品に苦しめられている」現代人の中で、この詩人は「私達は、思い出という手仕事で、めいめいの歴史を織っている」と感ずるのである。
 これからあとは付け足しであるが、読んで面白いという点では、この随筆集の最初に載っている『真贋』が、一番面白い。やはり好きな道のことを、楽しみながら書いたものには、著者の心のはずみが出ていて、その心は真直ぐに読者にも通うものらしい。読んでいてたいへん愉快である。良寛の詩軸を手に入れて得意になって掛けていると、友人の良寛研究家が来て、一言で片付けてしまう。偶々傍に一文字助光の名刀があったので、縦横十文字にバラバラにして「全くよく切れるなあ、何か切ってみたかったんだが丁度いいや」と、いい機嫌でねる。三度ばかり書画好きの泥棒に見舞われた後のことなので、翌朝奥さんは、また泥棒ですよと奇声をあげる。そして「事の次第が判明すると、家内は『美談だわ』と平然として言った」という話が、真先に出ている。面白いのは、「つまり泥棒でなくてよかったという意味である」と付け加えてある点である。
 青山二郎から焼物を教わってまだ間もない頃、鎌倉で美事な呉須赤絵の大皿を手に入れた。これは正銘のものだったのであるが、どうしたことか、青山氏がそれを贋物と間違え、その誤診料に支那料理をおごらせられる。誤診をしながら、青山氏は「焼物だと思って見くびるな、こら」といい機嫌で還って行く。「その晩は、口惜しくてどうしても眠れない。床の中で悶々としているが、またしては電気をつけて、違棚の皿を眺める。心に滲みるように美しい。この化物、明日になったら、沢庵石にぶつけて木端微塵にしてやるから覚えていろ」というところなど、実に面白い。瀬津の主人から名品三島の茶碗をまき上げ、それで紅茶や牛乳を飲んでいる話もある。「喜左衛門井戸という天下の名器がある。好奇心は強い方だから、この夏機会があったから見せてもらった」この好奇心は強い方だからという科白は一寸出ない。国宝筒井筒とこの喜左衛門井戸との比較もなるほどそういうものかと思ったが、「抹茶茶碗で牛乳を飲んでいるような男の意見を、世の識者は尊重するには当らない」と断ってある。小林秀雄の文章の中で、面白いという点では、この『真贋』が一番面白いものかもしれない。面目が躍如と出ている。本当に好きなんだということが実によくわかる。今度会ったら、こういうものをもっと書いてくれと頼もうかと思っているくらいである。
(昭和二十六年五月)





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第二巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年8月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年9月30日第2刷発行
底本の親本:「イグアノドンの唄」文藝春秋新社
   1952(昭和27)年12月20日発行
入力:砂場清隆
校正:岡村和彦
2020年10月28日作成
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