科学は役に立つか

中谷宇吉郎




一 はしがき


 昨年の暮に、ちょっと用事があって、ワシントンへ出かけた機会に、久しぶりでケリイ博士を訪ねてみた。
 ケリイ博士といえば、日本の科学界には、かなり親しい名前であって、総司令部があった頃、経済科学局で、永らく科学技術部門の主任をしていた人である。
 この頃、総司令部が占領中に日本へ押しつけた、いろいろな施策に対して、かなり反動的な批判が強いようである。しかし自然科学に関する限りは、総司令部の援助が、日本の学界の更生に、大いに役立ったと思われる。一つの理由は、人選がよかったからで、この関係方面の人たちは、概して人柄がよかった。そして親身になって、日本のためのことを考えてくれた。
 ケリイ博士は、一言で評すれば、清教徒の面影のある人である。ケリイ博士に限らず、当時あの部局にいた人たちは、皆それぞれに風格があった。現在台湾でたしかマラリアの予防に関する仕事をしているプレッジ博士などは、その尤なるものであった。いつか北海道の汽車の中で、ひょっくり出会ったことがある。占領中も、米軍の専用車に乗らず、普通の汽車に乗り込んできたのである。
 丁度よい話相手にされて、八時間もおつき合いをさせられた。種もつきた頃、妙なことを頼まれた。それは日本の竹馬の絵を探してくれというのである。高等学校時代に、人生問題に凝って、大学を卒業したら、人生で一番真面目な職業につこうと決心したことがあったそうである。そして現代のアメリカでは、サーカスの道化役者が、一番真面目な職業であると思い込んだ。道化役者になる一つの修練としては、高い竹馬に乗る必要があるそうで、高等学校時代に大いに竹馬に乗る勉強をしたという。それで竹馬には執着があるのである。話が面白すぎるので、いい加減に相槌を打っていたら、ポケットから、その時代の竹馬に乗った写真を出されたのには、いささか驚いた。
 これは一つの例話にすぎないが、とにかく皆少し変っていた。少なくもヤンキイの概念からは、遠い連中であった。敗戦後の日本の科学界が、予想以上に急激に復活したのは、もちろん若い科学者たちの精進のせいであるが、その蔭には、この連中の親身な介抱が、一つの役割をもっていたように、私には思われる。無条件降服という世界の歴史にもまれな完敗を喫した国で、敗戦後十年を待たず、万国物理学会の総会が開かれたということだけでも、歴史に残ってよいことである。とくに東洋というハンディキャップを入れての話であるからなおさらのことである。
 ところで、ここに一つ問題が出てくる。敗戦後の科学の進歩が、それほど顕著であったとしたら、「科学による日本の再建」というスローガンに従えば、もう少し国民の生活が楽になりそうなものだという疑問である。科学が世界的の水準に達したのに、一寸した大雨でも洪水になって、一般の庶民は塗炭の苦しみに会うというのでは、結局科学と国民の幸福とは、かなり縁が遠いものになってしまう。
 この点に、日本の科学に課された大きい問題がある。一つの返答は、科学というものは、そうすぐ役に立つものではないから、今少し待てば、やがては国の生産も増し、国民の生活も楽になるであろうという解釈である。しかし果してそうであるか、もう少し考えてみる必要がある。

二 ケリイ博士の「ゼロ論」


 終戦直後、ケリイ博士が、今の科学研究所の前身たる理研すなわち理化学研究所を訪ねたことがある。いもの袋を背負い、汽車の窓から出入りしていた頃の話である。虚脱状態から未だ抜け切らず、空襲で半ばこわれた研究所の中で、若い研究員たちは、混迷の姿であった。
 そういう人たちを集めて、ケリイ博士は一席の話をした。「植民地を失った日本にとって、今後生きて行く道は、科学より他にない。私たちも、できるだけの助力はするが、どうぞ皆さんは、日本の資源によって、日本民族が生きて行けるように、科学の力をつくしてもらいたい」という意味の話である。
 そのあとで、討論があったが、そのうちに、こういう質問があった。「趣旨には賛成だ、私たちも、もちろんそのつもりでいる。しかし科学というものは、その本質は真理の探究にあって、民族の生きるためというような目的を離れた、純粋科学の研究も、必要だと思う。そのパーセンテージを、どれくらいに考えたらよいか」という質問である。それに対するケリイ博士の答えはただ一言「ゼロ」というのであった。
 清教徒の面影といったのは、こういうところを指すので、いくら何でも「ゼロ」は少し極端である。要するに思いつめるところがある人なのである。総司令部にいて、しかも日本に関する統計などを調べる部局に関係していたので、日本の将来について、著しく悲観的であったのであろう。その心配が、朝鮮事変というコカイン注射が切れたこの頃になって、表面に出てきたわけである。
 ケリイ博士の「ゼロ」論は、いろいろに解釈し得るであろう。アメリカの科学は、少なくもごく最近までは、実用を目的とした科学であった。基礎的な研究も、もちろんあるが、その大部分は、「本当に実用に役立つためには、基礎的の研究が必要である」という意味での基礎的研究が多かったように思われる。
 そういう国で育った科学者が、敗戦後の日本の科学者たちに、役に立つ科学を、百パーセントまで勧告するのは、当り前の話であるというのが、一つの解釈である。
 しかしそれだけでは、やはり話が皮相になるおそれがある。問題は、一〇パーセントとか、一パーセントとか、という表現を用いず、ゼロと言ったところにある。そこには何となく思いつめたような感じがあるが、これがケリイ博士のいわば宗教的な熱情パッションから産まれただけのことならば、日本にとって、まことに仕合わせである。しかし日本の国情そのものが、こういうつきつめたところへ行く過程にあったことを、予言したおそれもあるのである。
 この半年以来、日本の社会を揺り動かしてきたいろいろな事件は、造船疑獄といい、首相喚問といい、新党結成の「猿芝居」といい、何だか末期的な感じを受ける。こういう風潮に国全体が陥って行くのも、別に不思議ではないので、残された四つの島から得られる生産が、九千万人に近い現在の人口を賄い得ないという事実があれば、当然行くべきところに行っているのではないかと思われる。もちろんそういう事件を是認しているわけではないので、これを一つの自然現象とみるという立場からの検討も、必要ではないかという意味である。

三 役に立つ科学


 ここで立場を明らかにしておく方が、以下の話がはっきりしてくるであろう。私は役に立つ科学を重視しているのであるが、これは戦争に敗けてからの話ではない。大学を出て、寺田寅彦先生の助手をしていた頃からのことである。
 寺田先生といえば、寺田物理学などという名前をつけられたくらいで、実用などは全然無視したいわば「趣味の物理学」を一生やられたと思っている人が、案外に多い。しかし決してそうではないので、先生は、役に立つということを、大いに重視されていたのである。
 大学を出てすぐ理研の寺田研究室へ入った頃の話である。第一年だったか、次の年だったか、とにかく三十年も昔の話であるが、数学物理学会の例会に、先生と一緒に出かけたことがあった。三つ四つ講演があった中に、現在の大阪大学のA教授の講演がまじっていた。A君は当時私たちと同僚であって、長岡半太郎先生の助手をしていたのであるが、このとき常圧水銀燈の考案という論文を発表した。
 その頃まで、水銀燈といえば、真空のものにだいたい決まっていたのを、A君は一気圧の下での水銀燈を考案したのである。熔融水晶管をU字型に曲げただけの、極めて簡単なものであって、ただ特徴といえば、電極の周囲に当たる部分を小さい球形にふくらませ、そこで水銀の圧力が自動的に調節されるようにしただけのものである。
 講演会場を出て、例によって一同で先生とどこかの喫茶店へはいって、コーヒーをのみながら、今日の講演の品定めという段取りになった。いろいろ議論が出たが、若い連中は、誰もA君の今日の講演には言及しない。皆、当たり前のことと、思っていたからである。ところが先生は最後に、「諸君はどう思いますかね。今日の講演で、僕が一番感心したのは、A君の話だった。あの研究は、役に立つ研究だよ。何といっても、一番大切なことは、役に立つことだよ」と一言いわれた。
 水銀燈といえば、高圧水銀燈が常識になっている今日、A君のこの水銀燈などは、知っている人も稀であろう。しかしこういう下積みになり得る研究は、役に立った研究なのである。題名ばかり華やかで、下積みにもならなかった研究が、如何に多いかは、この商売にはいってみて、初めてよくわかったことである。
 こういう理窟は、今になってつけるわけであるが、「一番大切なことは、役に立つことだよ」と言われた先生の一言は、その後もずっと頭の片隅に残っていた。そしてそれは、自分が当時の先生の年配を越えた今日になって、その意味が、ますますはっきりわかるような気がする。
 しかし戦争前までのこの言葉の解釈には、まだかなりの余裕があった。役に立つという意味は、どうにでも広く解釈されるからである。もっとも無制限に広く解釈してしまえば、意味が無くなってしまう。一番広い意味では、それは自然の本体に即した研究ということになろう。どんなつまらないことでも、自然の片鱗をとらえた研究ならば、いつかは役に立つものである。
 科学というものは自然の本体を見きわめ、その中にある法則を探す学問であるから、自然に即さない研究などはあり得ない。しかし実際には、科学の形をとった非科学的研究が、かなり沢山あって、その判別が相当むつかしいのである。その種の研究は、単に論文を作るため、或いは報告を書くための研究の中に、しばしば見られる。研究が職業になり、学位が資本の一種になると、そういう傾向が出てくるのは、止むを得ないことである。アメリカのように、大部分の研究が、委託研究である国では、とくにこの点を警戒する必要があるといわれている。

四 役に立たない科学


 科学の研究でも、自然に即さない研究があり、そういう研究には「いつかは役に立つ」ということも有り得ない。といっても、何か例を一つ挙げないと、本当の意味は一寸理解されないかもしれない。
 しかし実例だと差し障りもあるので、何か架空の話で、しかも実際に起こり得るような例を一つ考えよう。たとえば、人間の毛の強さの研究をした人があるとする。毛髪の強さに、年齢により、種類により、また健康状態によって、何か統計的に規則性のある変化があったとする。そういうことがわかったら、それは人体の生理に関して、実体の片鱗をとらえた研究になり得るであろう。それでそういう研究を始めた人が、たくさんの毛髪について、それを引っ張って切れるときの力を測り、一つの論文を書いたとする。
 その場合、そういう論文に、二種類のものが有り得る。本当に毛の強さを測ったのならば、それはいつかは役に立つ部類の研究である。しかしたくさん数字は並んでいるが、本当の毛の強度は測らなかったという場合も、有り得るのである。
 例えば、毛を引っ張る場合には、両端を何らかの方法でつかまえる必要がある。ごく小型の万力みたような装置を作り、それで毛の一端を挾んで引っ張るというのが、一番簡単な方法であるが、この場合、緩く挾んでおけば抜け出るし、強く締めつければ、そこが切れ易くなる。それでこういう研究では、毛のつかまえ方が一番大切なので、そこを曖昧にしたまま、無闇とたくさん毛を引き切って、その力を測っても、意味のない数字がたくさん並ぶことになる。
 出てきた結果は、締めつけ方で、毛がどう弱くなるかを測ったことになるので、それは毛の本体を調べたことにはならない。それでこういう研究は、直接にはもちろんのこと、いつかは役に立つというものではない。
 本当に役に立つ研究にしようと思えば、毛を傷めないで、巧く捕える点に、大半の努力を払わねばならない。しかし毛の締め方の研究では、学位は貰えないので、短年月のうちに、とにかく論文を書いてという場合には、どうしても、そういう「瑣細ささいな点」に拘泥してはおられない。しかし本当は、この「瑣細」な点が一番大切なのである。
 こういう研究は、毛と限らず、繊維の強度試験の場合にも必要で、紡績日本としては、意味のある研究なのである。そして今日では、そういう難点を解決した繊維強度試験器も出来ているので、このような例が、そのままの形で現われる心配はまずない。しかしこれと類似の例は、いろいろな方面で沢山ある。研究が職業化してくるにつれて、この傾向は、どこの国でもだんだん強くなっているようである。
 アメリカならば、年に何万という研究報告が出るであろうし、日本でも何千という数であろう。しかしそういう厖大な数の論文のうちで、十年と寿命のあるものは、数パーセントに過ぎないように思われる。一番の原因は、商売としての研究、すなわち報告をつくるための研究が多いからである。

五 国民の期待と科学


 役に立たない科学には、これ以上立ち入らない。またその必要もない。ただそういうものが、相当数あることを知っておれば、それで充分である。
 次ぎに問題になるのは、正統的な科学で、それ自身としては立派なものであり、むしろ科学の本道ともいうべきものについてである。
 本来の姿の科学は、自然の本体を見窮め、その中に隠されている法則を見とどけるものである。何々のためというような目的をもっているものではない。従って国民の物質的生活の向上に役立つことは、あまり期待できない。もっと高度の性格をもち、人類を裨益するとすれば、人生観や世界観を新しくする上において、より以上の貢献をするものである。
 一般には本来の姿の科学、すなわち純粋科学を充分に研究すれば、それから実用的効果も産まれ、国民の生活も楽になるというふうに、ぼんやりと考えられ勝ちである。そのとおりであるが、それは非常に広い意味においてであって、その予想と、今日の国民の科学に対する期待との間には、相当な間隙がある。科学という言葉の意味が、よく普及されていないために、或る場合には盲信し、或る場合には無視するというようなことが、起こり易いのではないかと思われる。
 こういうことをいっても、何となくくうに響くので、何か一つ例を挙げた方が、話がわかり易いであろう。それには、数年前に英国で出版され、世界的に大きい反響を呼び起こした、ホイルの新宇宙論などが、一番適切であろう。既に日本にも翻訳されて紹介されているが、この新宇宙論によれば、地球と同じ状態にある星は、他にも沢山あると考えるべきことになる。ところで、外界の条件が同じであれば、生物も似たようなものが発生すると考えるのが、科学的である。地球だけが、何か特別の例外として、人類の発生をみたとするのは、自然科学とは別な考え方である。
 それで、そういう星には、人類と同じような生物が住んでいるとして、ちっとも差し支えない。ところが、そういう星の数は、現在の天文学の知識が及ぶ宇宙内だけでも、五十万個程度はあると考えられている。いずれも、非常に遠いところにあって、地球上に人類が創生した時代に、その星を出た光が、まだ地球に達しないというような遠距離のものが、大多数である。
 そういう遠いところに、地球と同じような星があり、そこに人類と同じような生物が住んでいて、われわれのような文明をもっているとしても、地球の人類とは、直接の交渉は永久にない。しかし戦争だ、平和だ、立身出世だ、闘争だと、年中血眼になって騒ぎ廻っている「人類」が、地球の他に、まだ五十万種族もいることがわかったら、これは確かに人生観を変える必要がある。
 それで、今後の科学の発達によって、そういう学説が確かめられ、一般にも認められる日がきたら、それはわれわれの人類に、新しい考え方を齎してくれるであろう。そしてそれによって、人類が今少し利口になってくれたら、それは人間の幸福に何よりも偉大な貢献をすることになるであろう。
 そういう意味で、こういう線での科学の発達は、大いに慶賀すべきである。しかしその貢献が、人類にとって如何に偉大であっても、そういう科学は、今日の国民大多数の科学に対する期待とは、甚だ縁の遠いものである。
 大多数の国民は、科学の本来の姿などは知らない。きわめて卑近な希望、すなわち米の配給をもう二割増して欲しいとか、水害を防いでもらいたいとか、という程度の希望を、科学にかけているのである。これはいい過ぎかもしれないが、相当数の国民が、「日本の科学界は、終戦後急速に恢復して、世界的の水準近くまで達したそうだ。政治には望みを失ったが、今しばらく我慢しておれば、科学の力によって、われわれの生活も、もう少し楽になるであろう」という考えを、無意識的かもしれないが、心の底にもっているのではないかと思う。
 それは科学者の自惚れだと、一言で片づけられるかもしれない。それならば、大いに気楽になる。しかしひるがえって、国民の一人として考えてみると、甚だ心もとない。現に、この四つの島から生産されるものでは、現在の九千万人の人間は生きて行かれないのである。今のところ唯一の望みは、科学にある。科学者を信用しないことは、ちっともかまわない。今までの日本の科学者は、民族が生きて行くためには、大した貢献をしなかった、と言われれば、或いはそうかもしれない。それで科学者を信用されないことは、仕方がないが、科学は信用された方がよい。他に日本の生きる道は今のところ一寸考えられないからである。
 ところで、ここでいっている科学というのは、実はホイルの新宇宙論をその例に引いたような、本来の姿の科学とは、少し違ったものである。アメリカ及びソ連流の、国家或いは民族のために役に立つ科学のことであって、科学の本来の姿からみたら、堕落したものかもしれない。しかし国民が現在期待しているのは、このあとの方の科学なのである。

六 純粋科学と国力


 こういうふうに言うと、本来の姿の科学を、何か軽くみているように思われるおそれがある。しかしそういう意図は、全然もっていない。傾向からいえば、私もいわゆる純粋科学の方が好きなので、それが無くなってしまうことは、如何にも淋しい。しかし本当のところは、その心配はいらないので、役に立つ科学を少しくらい奨励しても、本来の姿の科学には、何の影響もない。それは、少数の優れた人たちに賦された本能であって、非奨励くらいは問題ではない。迫害されても、どんどん伸びて行くものである。中世の科学の歴史が、その点を最も明らかに物語っている。
 こういうところで、例にもち出しては甚だ恐縮であるが、これは好意の引用であるから、容赦を願いたい。湯川さんがノーベル賞を貰ったことは、敗戦後の日本人に、勇気と自信とを与えた点で、特筆すべき大事業である。外国に対しても、非常に良い影響を与えている。いい機会だから、一寸つけ加えておくが、以前に書いた『世界の中の日本』では、プリンストンの高級科学研究所に、現在は、日本の若い数学者と理論物理学者とが、六人もいると書いておいた。そしたら方々から手紙がきて、大いに意を強くしたと言ってきた。ところが、あの原稿を書いてから間もなく、クリスマスにプリンストンから遊びに来たそのうちの一人が、「六人じゃありませんよ。八人いますよ。そのうちに九人になりましょう」と言っていた。まことに芽出度い話である。
 こういうふうに、アメリカの科学の最高殿堂の一つを、日本軍が占拠するようになったのには、湯川さんのノーベル賞受賞が、その蔭で、一つの力になっていると、私は思っている。外務省が、一億円や二億円の宣伝費を使っても、とてもこうは行くまいと思う。もちろん実質的には、日本の若い科学者たちの実力がものをいっているわけであるが、実力だけでは、世界は動かせない。それに今一つ加わる力としての話である。
 ところが、湯川さんがノーベル賞を貰ったあの論文は、湯川さんが阪大の助教授か講師時代に書かれたものである。月給は多分百三十三円という口であっただろうと思う。研究費も、年に二百円とか三百円とかいう程度ではなかったかと想像される。もう少し多かったかもしれないが、いずれにしても、その程度のものである。どう考えても、非常に恵まれた条件とはいえない。それでもこういう環境の下で、純粋な科学は、立派に伸びたのである。ヨーロッパ中世の話では、あまりにも縁が遠いので、身近な例をひいたわけである。
 もっとも、湯川さんの場合は、月給百三十三円と、年間の研究費百円との他に、今一つ大きい力になったものがある。それは精神的な面であって、仁科さんが新しい量子力学を携えてヨーロッパから帰朝され、日本でも、この方面の研究が華々しく萠え出た時期であった。現在ジョンス・ホプキンス大学の物理主任教授をしているディーケ博士や、ミシガン大学のラポルテ博士などが、若い研究員として理化学研究所へやってきていた時代のことで、日本の国力は、最盛期にあったわけである。
 国力と理論物理学とは関係が無いじゃないかと、言われる方があるかもしれないが、私には深いところで、かなり大切なつながりがあるように思われる。本来の姿の科学が、正しく発達するためには、雀の涙ほどの研究費の多寡は、大した問題でなく、それよりも国の力、それは精神力の充実を含めての話であるが、その方がもっと大切なのではなかろうか。こういう意味で、私の言う役に立つ科学、すなわち国力を高める科学は、純粋科学の発達を犠牲にするものではなく、両立するものなのである。

七 日本の現状と科学


 このあたりで少しいやがられることを書かざるを得ないが、現在の日本における科学の研究をみると、その中には破産した家の娘が、琴と生花とを習っているように感ぜられるものが、相当ある。琴も生花も、それ自身としては、まことに優雅なものであり、また人生全体から見たら、必要な教養の一つである。しかし家が破産して、明日食う米もなくなったときには、他にもっと緊急に為すべきことがある。日本の国は、事実明日食う米もなくて、それをアメリカから貰っていたのである。「家畜に食わす玉蜀黍とうもろこしの粉をくれたのだ」と言う人もあるが、終戦の年は世界的に食糧不作の年であって、「全旧敵国」の飢饉を救うには、米英両国で、三百四十万トンの食糧を節約しなければならなかった。米国では、小麦粉の製粉率を引き上げ、また小麦を酒精飲料製造の原料とすることを禁止した。英国では短期間ではあったが、パンの割当配給制をしいた。現在は知らないが、あの当時は、有り余って困る食糧を呉れたのでないことは、確かである。
 人生に何が悲惨だといって、食い物を他人から貰うほど悲惨なことはない。とくに相手が自分の食をつめて呉れるのだったら、なおさらのことである。しかもこれは過ぎ去った話ではなく、これから先もずっとつづく問題なのである。半年くらい前のシカゴ・デイリー・ニュースに、昨年中に駐日米軍が、日本で消費したドルは、七億六千何百万ドルとかに上ったという短い記事が出ていて、「よくも使ったものだ」という意味の見出しがついていた。昨年中に、日本が輸入した食糧の総額については、まだ数字を見かけないが、大体この程度の額ではないかと思う。
 これだけのドルが、日本へ落ちた面については、野暮な詮索はしないが、大部分はあまり日本にとって名誉な面においてでないことは確かである。そういう金で食糧を輸入している国で、科学者だけが、学問のカーテンの蔭に安居しているわけには行かない。とくに親子心中事件までも惹き起こして、誅求した税金を使って研究をしている場合には、なおさらのことである。もっとも科学の研究に使う国費くらいは、多寡がしれている。その何十倍という税金が不当に支出されて、今日の疑獄事件のもとを為していると言われるかもしれない。しかしそういう連中との比較にまで、科学者は身を堕とす必要はない。
 この問題について、私は今でも腑に落ちないことが一つある。それはもう三年ばかり前の話であるが、「国民の税金を使って研究をしている科学者は、いささかでも国民の幸福に寄与する研究を心掛けるべきではないか」という随筆を、或る東京の新聞に書いたことがある。そしたら痛烈な反駁文が、他の新聞に出た。「学問というものは、そういう目的をもってやるべきものではない。この意見は、戦争中の科学統制を再現させるもので、ファッショの思想である。学問の自由を束縛しようとするものだ」という意味の反対論であった。
 学問というものは、役に立つことが一番大切だという考えを、三十年来もってきていたので、この反対論は、どうも理解しにくかった。国民の税金を使って研究をする以上、国民の幸福に寄与することは、当然為すべきことのように、思っていたし、今もそのとおりに思い込んでいる。それが学問の自由を束縛するとすれば、逆に言えば、国民の幸福に寄与しないことが、学問の自由であるという結論にもなりかねない。逆は必ずしも真ではないからかまわぬようなものであるが、そういう誤解の種をばらまく懸念は充分ある。そしてそれがかえって、本当の学問の自由を束縛するような気運を助成することをおそれるために、こういういささか私事に類することを、書き添えておく。

八 立地条件問題


 今までのところ、役に立つということを、しばしば強調してきたが、それでは役に立つ科学とは何か、という点を明らかにしておく必要がある。それを詳しく書くとなると、以前に文藝春秋に書いた『民族の自立』と同じことになってしまう。すなわち、日本の立地条件に即して、民族の生きるためという目的をもった研究を、基礎的に行なうことに帰するわけである。同じことばかり言っているようであるが、こういうことは、少なくも自分にとっては、変り得ないものであるから、仕方がない。
 立地条件に即するというほうで、一番重要なものは、日本の未利用資源、あるいは不完全利用資源の開発である。この方は結局のところまた、雪は資源であるというような相も変らない話に落着くことになるので、さすがに今度は遠慮することにしよう。立地条件に即するというのは、どこの鉱山にあるどの鉱石が現在は棄てられているから、それを何とかしようというのではない。もちろんそういう問題も、この中に含まれるが、それはごく一部分としてである。立地条件という言葉は、もっと広い意味に解すべきで、考え方の背景に、日本の国土というものをもっていることである。
 真理の探究という点だけからいえば、シベリアのポドソールの研究も、北海道の火山灰の研究も、同格である。原子論としては、日本にほとんどない元素の研究をしても、ちっともかまわない。しかし同じことなら、シベリアを沃野にする研究よりも、北海道の火山灰地を拓く研究をしてもらいたい。当たり前のことで、立地条件に即するといっても、何もむつかしく考える必要はない。
 六カ月ばかり前の新聞に、科学研究所のF・Y博士が、燐鉱石の滓には、放射性元素が含まれていて、少し不経済だが、精錬の可能性はあるという発表をしたという記事が出ていた。原子力を平和目的に使い得る日がきても、所要元素の輸入は、なかなかむつかしいであろうと思う。川水の中に含まれているウラニウム量の測定結果まで、秘密にしている国があるくらいであるから、神経過敏のほどは知るべきである。そんなものはもちろん超微量であって、純科学的な興味以外には、問題にしなくてもよいものである。それでもこの始末であるから、元素やその鉱石を、易々と日本へ売ってくれるとは、今のところ一寸考えられない。それで原子力平和利用の研究が日本で出来上がっても、その研究を生かすには、原料がないという場合も、一応は考えておく必要がある。そういう場合には、このY博士の研究が、ものをいってくるわけである。
 燐鉱石も、もちろん輸入品であるが、これが無いと、日本の農業は成り立たない。それでこの輸入は、絶対に確保しなければならないし、またそれを禁止する国もないであろう。日本の農業をつぶし、何千万という日本人を餓死させることは、人道上できないからである。そういう意味で、燐鉱石の滓から、原子力利用の原料を採ることは、広い意味では立地条件に即した研究といえよう。立地条件というのは、この程度まで広く考えてよい。要するに、自分の研究の背景として、日本の国のことを、時折考えてみることが立地条件に即した研究である。

九 文部省の科学研究費


 目的と、立地条件と、基礎的研究とが、巧く一致している例を一つ挙げよう。もっともそういう研究をしている科学者は、日本にも沢山いるのであるが、具体的な消息から少し離れているので、昨年ケリイ博士から聞いた話を引用しよう。それは、東大のT教授のクロレラという藻の研究である。
 ケリイ博士は現在はワシントンで、国立科学協会ナショナル・サイエンス・ファウンデーションの物理部主任をしている。日本とは縁が切れたはずなのに、相変らず日本のことを親身になって考えてくれている。T教授とも親交があって、この研究に、カーネギー財団から、研究費が出たことを、非常に喜んで、その話をしてくれたのである。
 T教授のクロレラの研究は、日本の新聞にもたびたび報道されたことであるから、詳しい説明をする必要もなかろう。この緑藻は、巧く栽培すると、蛋白質と脂肪と含水炭素(澱粉質)とを多量につくるので、新しい食糧源となり得る。それに太陽光線の利用度からいうと、普通の農作物とは桁ちがいの効率を上げる。それでこの研究は、日本の食糧問題について、少なくとも新しい希望をもたらすものである。それにT教授のこの研究は、きわめて基礎的な面からはいっているので、アメリカの同じ方面の学者間にも評判がよいらしい。それで研究費も出ることになったわけである。
「Tさんの研究は、日本にとって大切な研究ですよ。アメリカにとっては、現在のところそうとくに必要というわけではないが、(註 アメリカは食糧の生産過剰をおそれている)研究費を出す意義は充分あると思いますね。アメリカから出す研究費としては、そう大した額ではないが、それでもTさんが、これを東京で使ったら、少しゆっくりした気持で、研究ができるでしょうね」と、ケリイさんは、まるで自分の兄弟が奨学金でも貰ったような話しぶりをしていた。戦後のひどかった時代の日本を知っているので、アメリカから見ては少額の研究費でも、それが如何に有効に使われるかが、よくわかるのである。
「それにしても」と、ケリイさんは、また昔日本にいた頃のような話をもち出した。「文部省の科学研究費なんか、この頃は、日本としてはかなり出ているのでしょう。それを総花的に、皆に少しずつ分けてしまうから実用になるところまで、研究をもって行くことができないのでしょう。Tさんのあの研究なんかには、本当は日本でもっと金を出すべきなんですよ。文部省も、少し考えなければいけません」と、まるで憂国の士(日本の)みたようなことをいう。
「アメリカにはとくに必要というほどでもないが、日本にとっては非常に大切だから」というのだから、どうも一言もない。それになかなかよく現在の日本の事情を知っているので、いささか顔負けの形である。しかし何といっても、アメリカ人であり、かつ総司令部という雲の上の組織にいたので、その今一つ先の下情までは、一寸わからないようである。本当のところ、この点については、それを文部省の責任にされたら、文部省は浮ぶ瀬がないのである。
「それは文部省の責任ばかりではないのですよ。学術会議の中に、科学研究費分配の委員会があって、そこで決めたとおりを、文部省の名前で、各研究者へ分配しているはずです。少なくとも昨年くらいまでは、そうでしたよ。文部省には、気の毒な話なんです」
「そんなことになっているのかね。そういうことは知らなかった」
「あなたたちも、デモクラシーなんていう妙なものを教えて行ったから、それを皆守っているわけですよ」
 ケリイさんは、非常に真面目な人であるが、こういう冗談もわかる人なので、こっちも気が楽なのである。
 文部省の科学研究費は、大部分が全国の研究者に、三万円とか、五万円とかいう額に分けて分配される。それではまとまった研究ができないのは、当然である。しかし日本はアメリカなどと違って、これが研究者にとっては、唯一の研究費の出所なのである。しかも三万円とか、五万円とかいうのは、昔の金にしたら、二百円か三百円にすぎない。それくらいの金を一年間の研究費として費って、それで息をついているわけである。これは日本の文化水準を辛うじて維持するための最低カロリーであって、役に立つだの、立たないだのという方が、野暮である。
 それで、この場合は、デモクラシーで結構なので、或る程度まで総花的であるのは、止むを得ないと思う。重点的もいいが、形だけととのえて、お茶を濁すのでは、意味が無い。民族の道を拓くために、日本の科学力の一部を結集して、本気になって、重点的に何かをやるというのだったら、年に「二百円や三百円」で辛うじて息をついている研究者たちから、また頭はねをしようというような料簡では、何事もできない。そういう目的の研究費は、別に考えるべきで、日本の政府が、如何に貧乏でも、それくらいのことはできるはずである。

一〇 科学者の心構えの問題


 この意見については、それは甘い考えであって、日本の政府に対して、そういう理解を求めることは到底できる相談ではない。現在の科学研究費でさえ、あれをとるのが、せいいっぱいであった、と言われるであろう。遺憾ながら、それはどうもそのとおりらしい。しかしここに考えるべきことがある。
 この頃の日本の新聞の第一面といえば、ほとんど連日、陰欝な記事ばかりである。国の前途ということを一寸でも考えたなら、まるで暗澹たるもので、どこへ望みをかけ得るかという手掛りすらない。アメリカの新聞には、日本の右翼の擡頭が、頻々として報ぜられている。客観的な報道が多く、日本にとっては、非常に危険なことであるが、国民が政治に失望すれば、必然的にこういう傾向に陥るのは、一つの自然現象であるという見方が多いようである。水が低いところへ流れるのは、善い悪いの問題ではなく、自然現象であって、これはどうにも致し方がない。右翼が擡頭すれば、左翼はますます尖鋭化する。それも一つの自然現象である。かくて国を挙げて、第二の深淵へ近づきつつあるという感じがする。古今に類例の少ない、無条件降服という第一の深淵だけでは、すまないことになる。
 日本の国民は、普通教育の普及度では、世界でも一、二を争うところにある。知能の点から言っても、どこの第一流国民とくらべても、そうひどい遜色はない。政治家といえば、いつでも悪口の対象になっているが、とにかく国民から選ばれてきた人たちであるから、決してこれくらいのことがわからないほどの馬鹿ではない。
 国民も為政者も、ともに、世界的にみて一流とは言えなくても、そうひどく劣っているとは、考えられない。それでいて、今日の極端に不安な国情に直面することになったのは、人間の問題というよりも、一つの自然現象なのである。すなわち、現在の九千万人の人間が生きて行けるだけのものが、今の四つの島からは得られないという、客観的な事実に基づくものである。すべての問題は、この生きて行けないところを、生きて行くという無理から生まれるので、直接には国民のせいでも、また為政者のせいでもない。従って、右翼が、どんな革命を起こそうが、左翼が、それに対してどういう手を打とうが、もっと手近なところでは、吉田内閣がつぶれようが、新党ができようが、社会党が内閣をつくろうが、そんなことで片のつく問題ではない。政治的の「内乱」は、生産にプラスを加えるものではなく、むしろマイナスになる場合が多い。だから、騒げば騒ぐほど、国民の生活は苦しくなる。
 また、一つ覚えを唱えるが、今のところ考え得る解決法は、国内にある資源と、この国に降り注ぐ太陽光線の勢力エネルギーとから、民族が生きて行けるだけのものを生産することである。そしてそれには、できるかどうかわからないが、唯一の望みは、科学の力を借りることである。しかもその可能性は考え得るのである。可能性では不充分だと言われるかもしれないが、そのままでは死ぬに決まっている癌の患者の場合、手術によって治る可能性があったら、やってみるべきであろう。
 それほどわかり切ったことを、なぜ国家なり国民なりが採り上げないかが、一番不思議である。もっとも考えてみれば、これは不思議ではなく、当然のことかもしれない。あまりにも明白で、しかも一番大切なことは、たいてい忘れているのが、人間の本性らしいからである。
 それと、今一つの理由は、科学者側の態度にありはしないかという気もする。態度というよりも、気構えといった方がいいかもしれない。引き受け手の気構えが、しゃんとしていないと、頼む方でも、どうもその気になれないものである。
 家が破産した場合に、娘が生花の稽古をつづけるのもよい。ただその場合には、親爺に月謝をせびるとき、生花は立派な芸術だからというのでは、どうも少しまずい。ここのところは、早く免状をとって近所の娘さんたちにでも教えて、少しでも家計を助けたいからというべきところであろう。もちろん言うだけでは駄目で、その心構えになる必要がある。教養の一つとすべきものを、稼ぎのもとにしても、何も恥じることはない。その上残り花を桶に活けて、再建に疲れた一家に、慰めを与えることもできる。破産したからといって、子供が皆親爺の車の後押しをする必要はなく、それぞれ個性を生かした方がよい。ただその場合に、一家の再建ということを心構えとして、もっておればよいのである。
 日本の若い物理学者や数学者たちが、どんどん外国へ招かれている現状を、私はたいへん結構なことと思っている。アメリカでいえば、プリンストンの例は、少し極端だが、他の大学にも、ずいぶん沢山行っている。シカゴ大学だけでも、すぐ五人は数えることができる。こういう方たちを、生花の出稽古にたとえては、たいへん失礼のように見えるが、私は決してそうではないと思う。日本の現状では、車の後押しのような仕事の方が、さし当って必要なのであるが、こういう人たちを、そんな仕事に傭うのは、勿体ないような気がする。人類の文化の方に、余計に役立つ仕事は、人類の方から金を出させるのが至当であり、それは余裕のある国が受持つべきである。そして日本の側から見ても、この人たちが、充分に能力を発揮して、日本人の優秀性を示してくれれば、外務省の予算が生きてくるのに、貢献をするわけで、立派に再建の一役を果すことになる。

一一 民族のための科学


 以上の話はそれでよいとして、肝腎なのは、車の後押し的な仕事の方である。この方が直接に、民族が生きるのに役立つわけである。日本の国で、それをどういう形にして採り上げたらよいかは、この文章でとり上げる範囲外のことであろう。それは科学行政の問題であって、その担当者の任務である。ただそういう問題をひとつ採り上げるとなったとき、どんな方法で、それを遂行したらもっとも有効かということについては、私見がある。それは一言でいえば、目的を持つことが第一であり、その目的に従って有機的な総合研究を、新しい知識を求めるための会議という方法を用いて、基礎的な面からはいって行くというやり方である。有機的な総合研究とことわったのは、「各方面の知識を集めなければいけないのだそうだから」と言って、各方面の人を集めただけの総合研究は、本当の総合研究ではないという意味である。新しい知識を求めるための会議というのは、後になって消極的な反対をされるのを予防するために、あらかじめお耳に入れておくという会議ではないという意味である。最後の、基礎的な面からはいって行くというのは、会議の室の設けの座について、既知の知識を小出しに売るだけではなく、泥まみれ或いは油まみれになって実験或いは調査をすることから始めるという意味である。日本では、委員会というと、委員の既知の知識を集計する会と思われ易いが、それとは違って、委員会が主体となって、未知の知識を求める場合もあるので、その方が大切なのである。
 もっともこの三つの事項を一本にまとめないと、本当の意はつくせない。しかしその内容の詳しい説明は、前に『民族の自立』(新潮社・一時間文庫)を書いたときに、その後半で少しくどいほど説明したので、ここでは、遠慮することにしよう。
 ところで、あの文章では、勝手な夢を書いたが、今になって考えてみると、あれは少し先走った傾きが無くもない。日本の現状では、ああいう方法の検討などよりも、もっと前に為すべきことがあったようである。それは、民族の将来という問題における科学の地位について、一つの気運を醸成することが、先決問題であったのではないかという点である。
 気運を醸成するためには、まず雰囲気を作らなければならないが、それには、いろいろな手段があるであろう。というと、すぐ世論よろんを喚起するとか、政府へ勧告するとか、というふうに考えられ易いが、そういう公式的な話を、ここでもち出す気はない。
 科学の重要性など、今さらいい立てる必要はない。誰でもその点は、既に飽きるほど唱えているのであって、問題は、当面のことになると、その重要視されてるはずの科学が、いつでも全く敬遠されてしまう点にある。どう考えてみても、日本の前途には、確乎たるよりどころがないように思われる。国民にも、為政者にも、この点は、わかりすぎるほどわかっているにちがいない。誰だって、芯からの馬鹿でない限り、生きるのに必要な最小限度のものが生産されない限り、家畜となって生かしてもらうか、死ぬか、どちらかしかない、ということぐらいは、わかるはずである。これは小学校の生徒にもわかる真理である。
 ところで、この難局を打開する道として、もっとも一つの可能性としてではあるが、科学の力を使ってみるというが一つ残されている。溺れるものは、藁をもつかむというのは、古今を通じての真理である。現在の日本の為政者たちは、おそらく藁でもつかみたい気持になっているに違いない。それにもかかわらず、科学を一つ使ってみようという話を、具体的な問題としては、聞いたことがない。すなわち日本の科学は、藁程度にも考えられていないという結論にならざるを得ないのである。
 こういう科学軽視或いは無視の風潮については、真面目にそのよってきたるところを、考えてみる必要がある。

一二 「学問尊重」の気風


 私はこの問題を、簡単に、為政者の知性が低いとか、国民に科学性が足りないとか、という言葉で片付けたくはない。本当は、遺憾ながら、そのとおりなのであるが、それを私は、言葉の表面の形とは、違った意味に解している。
 他の国のことは知らないが、アメリカなどと較べてみたら、日本くらい学者が、為政者からは「重視」され、また国民からも「尊敬」されている国は少ないように思われる。為政者は、学者など無視しているとよくいわれるが、本当は、敬遠しているだけで、内心は、学者をおそれているように思われて仕方がない。何をおそれるものか、厄介者視しているだけだといわれるであろうが、この両者は内容は同じものである。
 アメリカでは、一般の大学教授などというものは、全くの使用人であって、官立大学では、政府の一公務員にすぎないし、私立大学では、理事会という経営者に傭われている一月給取である。三菱の一課長には、大三菱の経営方針は、雲の上の話であるのと同様に、大学教授は、大学の経営方針などには、一言も口を入れることを許されない。またそんなことは、誰も夢にも考えないようである。一週五日間、毎日八時間ずつ登校して、その分の月給を貰っているだけである。マッカーシー旋風のような場合、被害が身に及べば、抗議をするが、それは小使でも同様である。もっとも例外的な教授はもちろんあろうが、この話は九〇パーセント以上の大多数の大学教授のことを言っているのである。
 こういう国とくらべてみたら、私の経験では、日本の学者くらい、精神的に優遇されている連中は少ないように思われる。昔のドイツの風潮がはいってきたのだという人もあるが、私たちにとっては、まことに結構な風潮が輸入されたものである。生活できるだけの月給をやっていないので、そのかわり、学問の自由とか、大学の自治とかいう、自己慰安の飴をしゃぶらせておくのだという、穿った批評をする人もあるが、私はそうは考えない。
 国民一般も、学者とか学問とかいうものに漫然とした尊敬の感をもっている。何だかよくわからないが、偉いのだそうだという気持である。これは小学校だけしか出ていない農家の人たちだけの話ではなく、相当高い教育を受けた人たちの中にもこういう気風があるらしい。いつか学術会議の選挙について、とかくの批評があったときに、或る新聞に「今度の選挙では、ただ一つ得るところがあった。それは学者でも、代議士でも、選挙となると、全く同じようなものである、ということがわかったことである」という短評が出ていた。学者は代議士よりも、それまでは上位に置かれたわけで、大いに有難くもあるが、またこそばゆい感じもする。
 こういうふうに書くと、何か皮肉か、或いは冗談をいっているように思われるかもしれないが、これは真面目な話なのである。というのは、この国民一般に滲透している「学問尊重」の気風が、ひょっとすると、日本の科学者を、役に立つ科学から遠ざけることに、一役買っているのではないかと思われるからである。
「何だかよくわからないが、偉い研究をしているのだそうだ」という気運は、これを裏返しにすると、誰にもわかって、一見卑近と思われる研究は、国の前途にとってどんなに大切な研究でも、これを軽視する風潮を生じ易い。例えば、ここに非常に真面目な科学者がいて、何年もかかって、七輪か窯の研究をして、燃料を何割か節約できたとする。もちろん経済的や、心理的な点も考慮されていて、全国に普及するものとしての話である。こういう研究を、政府も、国民も、ジャーナリズムも、こぞって重視し、その価値を皆で認めるというようなことは、今の日本の「学問尊重」の風潮では、起こりにくいように思われて仕方がない。
 ところが、この研究は、もしそういうものができたとしたら、日本にとっては、たいへんな大研究なのである。前にも書いたことがあるが、資源調査会の調べによると、この近年、全国で一年間に燃料として使っている木材の量は、二億四千万石に及ぶという。これは一年の成長量の五倍近い数量である。このあまり気にも止められないくらいの瑣細な問題でも、前途には大きい不安がある。もしその一割の節約ができたら、上質の石炭三百万トンの増産に匹敵する。それだけ国の富の消耗が減るのである。国の富が増すと言っても、いいであろう。
 それでこういう研究が、もしできたら、それは、現代科学の最尖端を行く発見と同格に、少なくも国民としては、その価値を認めるべきである。ここで七輪と言ったのは、一つの例として挙げただけで、この問題だけならば、珪藻土の利用などで、近年大いに進歩している。しかし同種の問題で、まだほとんど手のついていないものが無数にある。ところでこういう問題は、一般に非常に困難な仕事なのである。日本では一流の発明家と称すべき畏友S博士が、かつて、「一番むずかしいのは、風呂敷みたようなものを発明することだ」と言われたことがあるが、如何にもそうだろうという気がする。
 日本の「学問尊重」の気風は、こういうふうに考えてみると、民族のために科学を有効に使うには、有利な条件とは言えない。国民全体が、明日の生活が楽になることを望み、その問題解決の一要素として、科学の力を利用しようと思うならば、そういうことに役立つ科学の価値を、もっと認めた方が、よいのではなかろうか。気運を醸成すると言ったのは、この点からはいるのが、一番順当の道と思われる。

一三 結び


 今日の日本におおいかぶさっている暗黒の密雲は、その源を、今の四つの島からは、現在の数の人間が生きて行くのに必要な生産が得られない、という客観的な事実から発している。生きて行けないところを無理に生きて行くという点に、すべての問題がかかっている。
 これは私の杞憂にすぎないかもしれないが、こういう見方からの検討も必要であろう。来年もまた一千五百万石くらいの食糧を輸入しなければならないのに、その目当てをどこにおくか、再来年も同様であり、その次の年も同じことである。そういう問題を他所よそにして、国中が空転している恰好に見える。こういう激しい空転をしておれば、熱をもってくるのが当然である。
 九割以上の国民は、現在新聞面を騒がせているような事件には、大した興味をもっていないのではないかと思われる。それよりも一日三合の米が確実に配給されることの方が、もっと重大事であろう。
 そういう人々の間に、旧くから滲み込んでいる学問尊重の風潮が、少し内容を新しくして、民族が生きるための科学に期待をかけるようになれば、役に立つ科学も、もっと活溌に動き出すことであろう。
(昭和二十九年十一月)





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第三巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年10月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年10月30日第2刷発行
底本の親本:「文化の責任者」文藝春秋新社
   1959(昭和34)年8月20日発行
初出:「心」平凡社
   1954(昭和29)年11月
入力:砂場清隆
校正:津村田悟
2021年6月28日作成
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