氷は金屬である

中谷宇吉郎




 氷は、小さい結晶が、勝手な向きをとって集まった塊であるといったが、金屬がまたそういうものなのである。われわれが普通知っている鐵でも、銅でも、亞鉛でも、皆小さい結晶が集まって出來ているものである。
 金屬の大きい結晶は、單結晶と呼ばれているが、この二三十年來、各種の金屬の單結晶が人工的に出來るようになったので、この方面の學問は、大いに進歩した。
 金屬に力を加えると、曲ったり、潰れたり、いろいろな變形をすることは、實際問題としては、よく分っていたが、理論的には、構造があまり複雜で、全然手がつかなかった。しかし單結晶では、原子の配列状態が分っているので、原子の性質とその配列とから、理論的に、金屬のいろいろな性質を推定することが出來るようになった。
 ところが、理論的に出したそれ等の性質は、實際に單結晶を壓したり、引っ張ったりして測った性質とは、ひどく食いちがうのである。
 初めは、實驗が不精確なためだろうとか、理論が不十分なためだろうとか、いろいろやってみたのであるが、研究が進むにつれて、ますます理論と實驗との差がひどくなる。それで何か根本的な間違いがあるのではないかと、皆が考えるようになった。
 そこで出て來たものが、結晶格子の缺陷および轉位の理論である。この理論は、今日の物性論の中でも、一番華々しいものであるが、詳細な説明は、讀者に迷惑であろう。
 この理論の灸所は、實際に存在している結晶は、天然のものでも、人工のものでも、全部必ず缺陷があるので、完全な原子の配列から成っている結晶はない、という考え方である。人間については、こういうことは、何千年もの昔から、よく知られていることである。
 こういう考え方を基礎にして、いろいろな實驗をやって、金屬單結晶の性質が、ほとんど全部説明出來るようになった。たとえば、亞鉛のような六方晶系(氷と同じ型)の結晶では、縱の方向には變形しにくいが、それと直角な面、すなわち底面内では、簡單にずれることが分った。いわば紙を重ねたような構造をもっているのである。
 しかし内部構造に缺陷があるとか、ある方向に容易にずれるとかいっても、金屬の場合は、内部を見ることは出來ないので、外形の變形や、いろいろな測定値から、こういうことを推論していただけである。ところが、氷の單結晶を使って、同じ實驗をやってみると、これ等の内部構造の變化を寫眞に撮ることが出來、從來の理論が一々實證出來た。
 實は去る二年間、アラスカの氷河の單結晶を使って、いろいろな實驗をして來たが、その一番の收穫は「氷は金屬である」ということがわかったことである。





底本:「百日物語」文藝春秋新社
   1956(昭和31)年5月20日発行
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2024年3月19日作成
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